「えんそく」
「今回はどう? 自信ある?」
シナリオを1話ぶん書き上げると、必ず聞かれるのが、これ。
恐らく、あたりさわりのない世間話のつもりなのでしょう。
しかし。ぼくにとっては、あたりさわりまくりの質問なのです。正直、どう答えていいかわかりません。
‥‥こう書くと、
「なんだ。オマエは、自信のないシロモノを書き散らしてるのか?」
と思われる方もいるでしょう。
実は、そのとおりです。
物語が書き上がった瞬間、ぼくの自信メーターは、かぎりなくゼロに近い状態を漂っています。
シナリオを書くとき、ぼくは最初に、物語全体のプロットを作ります。
特に裁判パートは、証拠品の流れから尋問の内容など、細かいレベルまで構想します。
プロットが完成した瞬間のぼくは、まさに自信の権化。イヤミの固まりです。
もし、ここで冒頭の質問をされたとしたら、
「くだらねえことを聞くんじゃねえ」
と、一刀のもとに切り捨てることでしょう。
この、みなぎる自信がなぜ、書き上げたときにはサッパリ消えているのか?
答えはカンタン。シナリオを書く作業は、無数の選択と決断の連続だからです。
‥‥ネタをつなぐ会話の量が、多すぎないか?
‥‥間延びしそうな箇所に入れたネタは、これで笑えるか?
‥‥クライマックスは、盛り上がっているか?
‥‥プロットのおもしろさは、これで伝わるのか?
‥‥ていうか、そもそもこのプロット、ホントにおもしろいのか?
章を重ねるうち、自分の選択がことごとく間違っているような気がしてきます。
悪戦苦闘のすえ“おわり”と書いたとき、そこにあるのは大きな不安と疲労感だけ。
生まれてこなければよかった‥‥とさえ思います。
‥‥しかし! この灰色の世界が、極彩色にいろどられる瞬間があるのです。
画面にキャラクターたちが動きだし、効果音や音楽が添えられ、やがてテストプレイの日。チーム内外の人たちに、
「おもしろかった」
とヒトコト、言われたとき。
その一瞬。すべての不安と疲労感は、巨大な喜びと満足感の津波によって、すべて洗い流されるのです。
生まれてきてよかった‥‥とさえ思います。
(ただし、手厳しい意見にヘコむことも多い)
シナリオのゴールは、書き手が記すエンドマークではありません。
本当のゴールは、みなさんが、それを確認したとき。
「家に帰るまでが遠足です」
という学校の先生のコトバは、まさに真実だったのです。