『逃避』     浪人生活が確定し、両親の反対を押し切って一人暮らしを始めたのが8ヶ月前のこと。  住み慣れた郊外の住宅地からわざわざ数駅離れた市街地へと出てきたのには当然わけがある。  まず、そこが目標とする大学の近くであることが一つ。  そして、としあきが長年思いを寄せている幼馴染の娘がその大学へ現役入学したことが一つ。  もちろん一方通行の恋な上、対人関係の苦手なとしあきにとって早々に上手くコトが進む筈もない。  決して嫌われているわけではない…筈だ。自分に言い聞かせる。  友達以上恋人未満、いや腐れ縁という言葉が一番しっくり来るのかもしれない。  あと一歩を踏み出せば二人の仲に変化が起こるのは明白なのだが、いつも最悪の事態を想定してしまい  結局どうしても現状維持に留めてしまう。  幼少から高校卒業、そして現在に至るまでお互いに何の進展も迎えることのないまま  としあきは予備校通いとバイトに明け暮れる日々を悶々と過ごしていた。  そして、全ての歯車が動き出す「その日」が訪れる。   ◇1 「その日」 ◇1-1  秋の午後、外は窓が軋むほどの木枯らしが吹き荒れている。  布団に潜ったままのとしあきが目覚まし時計を眺めながら小さくため息をついた。 「あー…また寝坊だ。バイトもないし…休講休講。今日は自主休講。」  今更出て行ったところで講師の説教を聴かされるだけだし、そもそも予備校には特に会いたい友もいない。  自分からは動こうとしないくせ、生活に何か変化が起こらないものかと期待しながらも  結局いつも、慣れと諦めが惰性となって繰り返される。  まどろんだまま数時間が過ぎ去り、カーテンの隙間から差し込む西日に再び小さくため息ひとつ。  今日という日をまた無駄に過ごしてしまったな…としあきは大きな欠伸をしながら布団から這い出た。  ざっとシャワーを浴び、髪を拭きながらエアコンとPCの電源を入れる。  二次裏でも覗くか、エロゲでもやるか、それともコンビニまで飯を買いだしにいくか。  視線を窓の外に向けるとそこには真っ赤な夕焼けと未だ吹き荒れる木枯らし。  外出は面倒くさいな。何か簡単に食える買い置きはあったかな。ぼんやりと考えていると  コンコン……コンコン……コンコン……  窓がガタガタと揺れる音の中に、何か別の音が紛れ込んでいることに気づく。  強風に吹かれた小枝か何かが壁にぶつかっている音だろうか。  初めはあまり意識もしなかったが、それが規則的に鳴り続けていることが異様に気になってしまう。  聞き耳を立て音の出所を探ってみると、どうやら引き戸の向こう、キッチンや玄関のある方向からのようだ。  来訪者ならインターホンを使うはずだし…ラップ音?ポルターガイスト?  過る不安を払拭しながらゆっくりとドアへ近づくと、  コンコン……コンコン……  としあきはそれが控えめなノックの音であったと確信する。  しかし誰だ。自分の部屋に訪れる者など数えるほどしかいないことをとしあきは知っている。  セールスや宅配便なら迷うことなくインターホンを使うだろうし、もしあいつが遊びに来てくれたとするなら、  こんな遠慮じみたノックなどせずドアノブをガチャガチャ回しながら携帯電話に着信を入れてくるはずだ。 「…はい……」  意を決してノックに小さく答え、鍵を回しゆっくりとドアを開くと…  玄関先には、薄汚れた黒のワンピースドレスを身に纏った金髪の美少女が佇んでいた。 ◇1-2 「トシア…キ……?」  互いに不思議そうな表情のまま見つめ合うこと数秒、少女が先に口を開いた。  強風に煽られたからなのかぼさぼさになった金髪を手で押さえながら、にこりと微笑む。 「ホントだ、そっくり…。」 「え?…えーと……。」  状況がさっぱり飲み込めないまま、としあきはその美少女の微笑みにつられにやりとだらしなく応えてしまう。  何故そのような外国人が自分の下に訪れたのか、部屋を間違えているのではないかとも考えたが、  確かに少女はまだ名乗っていないはずのとしあきの名を呼んだ。明らかに自分の客人であろう。  改めて彼女の佇まいを見る。歳の程は十歳前後といったところか、  軽くウェーブがかったロングの金髪に、血に染めたような紅の瞳。  お気に入りなのだろうか手にはピンク色の兎のぬいぐるみを抱え、  足元にトロリータイプの小ぶりなトラベルバッグを一つ携えている。 「日本語を喋られるみたいだけど、君は、誰? それに何故俺のことを?」  このままではきりがないと少女と自分を順に指差しながら、としあきがゆっくりと切り出す。  もしこれが怪しい宗教の勧誘なら、パンフレットを抱えた大人が近くに潜んでいるかもしれないと  としあきは少女に悟られないよう目線だけで回りを見渡すが、それらしき人影は見当たらない。 「この……『としあきの居るここへ行け』と言われたから…。」  少女がポケットから一枚の紙切れを出し、書かれた文字を指先でなぞる。  そこには乱雑に書かれたキリル文字、その下には日本語でとしあきの名とこの部屋の住所が記されている。  読むことは出来ないが、察するにそのキリル文字にも同じく書かれているのだろう。  「これは……、えーっと君はロシアから?」  所詮はネットやゲームで得た程度の単純な知識。しかし、相手の情報が全くの未知である以上  自分の知識を総動員してでも手探りで現状を少しずつでも把握していかざるを得ない。  としあきが紙から少女の顔へと視線をもどすと、 「ロシア? 違う、ブルガリア。」  指差した紙に視線を落としたままの少女が頷き応える。 「ブルガリアか……明治だな。」  その言葉にふと青いパッケージのヨーグルトを想像して小さくこぼすと、  少女は驚いた表情で急にとしあきを見上げ、今度は首を振りながら応えた。 「メイ…ジ…。ジ? そう、私メイ、ジ。」 ◇1-3  風の強い日に玄関先で長話するのもなんだしと、としあきはメイジと名乗る少女に部屋へ上がって貰うことにした。  やましい気持ちがあるわけじゃない、一先ず客人を迎え入れるだけだ。強く自分に言い聞かす。  服の裾を軽く払い、としあきの後について部屋へと足を踏み入れたメイジが急に 「あ、コレ知ってる。タタミ、タタミでしょ?」  膝を抱えしゃがみ込み、指先で畳の表面をなぞる。 「日本人は床にタタミを敷いて、そこに直接座るんだって聞いたよ。」  誰に教わった知識か嬉しそうに語ると、そのまま尻餅をつき両足を投げ出す。  としあきが冷蔵庫からペットボトルのジュースをとりだし部屋へ戻ると、  メイジは品定めをするかのようにきょろきょろとあたりを見回していた。 「ふぅん…思ったより片付いてる。」 「どんな部屋を想像してたんだ。何かと来客もあるんで小まめに掃除してるんです。」  もっと警戒心を持つつもりでいたのに、メイジの屈託のないキャラクターに押され  いつの間にか素で応対している自分に気づく。  テーブルにコップを並べジュースを注ぎメイジに手渡すと、お礼と同時に一言。 「恋人?」  おそらく何気なく聞いたのであろうメイジからの質問に小さくため息をつき、首を振って答えると、  メイジが急に困ったような表情で見つ返してきたので、としあきは次の言葉に詰まってしまった。 「あー…えっと、俺が一人身だと何か問題でも?」 「あれ? なんだ、いないの?」  メイジはぱっと目に輝きを取り戻すと 「じゃあさ、としあき。フツツカモノですが、養ってください。」  もちろん正座に三つ指などはなく、足を投げ出したままの姿でにこにこと続けた。 ◇1-4 「……は?」  怪訝な顔をせざるを得ない空気が重たくのし掛かる。  初対面の人間を相手に、この子はいったい何を言いだした? 「ニッポンダンジは、こう言えば一生面倒見てくれるんだって。」  髪を指で梳きながら、それがさも当たり前だと言わんばかりに笑顔で言い放つ。 「だから私は、これからはとしあきに養ってもらうの。」  メイジの言葉に軽い高揚感を得ると同時に、としあきの中に再び強い警戒心が沸き起こった。  これは詐欺か、それとも美人局? まさか自分の嗜好に精通した身近な人間の計画した犯行?  くだらない事すら頭を過ぎる。  少なくとも今この少女と必要以上に深く関わるわけにはいかないことは明白だった。 「何処情報だよ…ったく。そもそもなんで俺なんだ? 他に頼れる人はいないのか?」  何とかしてこの状況から抜け出す逃げ道を探るしかないと、としあきは策を巡らせる。  そんなとしあきの言葉にメイジは不意に笑顔を強張らせ、髪を梳く手を止め俯き加減に、 「いた……けどもう頼れない。今の私にはもうとしあきしかいないの。」  表情を見せずに小さく呟く。嘘か誠か、としあきにそれを判断する術はない。  しかし、目の前に佇む抱けば折れてしまいそうなほど華奢な少女の姿は  今ここで無碍に追い返してしまったらそのまま崩れ去ってしまいそうなほど儚かった。  としあきはただただメイジを見つめることしかできず、  またメイジは、俯いたままの姿で再び髪を梳く動作に戻る。  互いに次の言葉を待ち続ける二人のあいだに、長い無言の間が流れた。 ◇1-5 「……風呂。」  間が持たず仕方なくといった面持で、としあきは立ち上がりざま小さく告げる。  その言葉にメイジは足元に落としていた目線をとしあきに向けた。 「長旅で疲れてるんだろ? それに髪もぼさぼさだし何かと汚れてるみたいだし。  シャワー浴びて、着替えて洗濯して、難しい話はその後にしよう。」  としあきはクローゼットからボディタオルとバスタオルを取り出すと、メイジの手を引きバスルームへと案内した。 「脱いだ服はこの洗濯機に入れて。すぐ回しちゃうから。メイジ、着替えは?」 「ない。これだけ。」  ワンピースドレスの裾をはためかせながらメイジが即答する。 「ないの? まさか、えーっと……下着も?」 「うん。」  そしてさも他人事のように「困ったね。」と続けるメイジ。  トラベルバッグについて問いただすと、メイジは悪びれもせずさらりと答える。 「アレには玩具しか入ってないの。」  そんなメイジを見下ろしながら、としあきはため息混じりに頭を掻く。   「わかった、ちょっと待ってろ。」  再びクローゼットへと戻り、長袖のTシャツとスウェットのハーフパンツを取り出すと、 「下着は無理だが今日はこれでいいか? その服は洗濯してそのままエアコンの下へ干そう。  あと今日はもう遅いし、風も強くて今更外出するの面倒くさいからさ、  替えの服や下着や生活用品は明日デパートにでも買いに行こう。それでいいか?」  着替えを手渡しながら続けた。  するとメイジは一瞬驚いたような表情を見せると、手渡された着替えを口元に当て 「……いいの? …ありがとう。」  言うとすぐ向こうへ振り返ってしまった。 「じゃ、俺はこっちの部屋にいるから。何かあったら声かけて。」  向こうを向いたまま「はーい。」と返事をするメイジを背に、  としあきは部屋へ戻ると引き戸を閉じる。  部屋が静かなためか、戸を挟んだ先からしばらく服を脱ぐ音が聞こえてきたが、  その音の主が例えあの美少女であったとしても、敢えて意識しないよう努めることにした。  洗濯機が回りだし、そしてバスルームのドアの音に続きシャワーの水音が聞こえ始める。  意識しだすとすぐに少女のヌード姿を思い浮かべてしまうあたり自分もロリコンだよな……。  しかしメイジの手前、今更いきり立った分身を処理するわけにもいかず、  としあきは脳内に展開される妄想にただだらしなく鼻の下を伸ばしていた。  すると、程なくしてシャワーの水音をそのままに、突如バスルームのドアの開く音が耳に届いた。  その急な出来事にとしあきが何事かと考える間もなく部屋の引き戸が開け放たれる。 「としあき、シャンプーが空。」  そこには、びしょ濡れの裸姿のままシャンプーの空容器を差し出すメイジが立っていた。 「な!? 馬鹿お前なんて格好で………!!?」  本能に打ち勝ち必死で逸らそうとした視線の端に、本来あろう筈のないモノが映り込んでしまい、  としあきは情けなくもその視線を再びメイジの、特に下半身へと戻してしまった。   「お前……男…の子だったのか……?」  辛うじて声を搾り出す。  平常状態であるにもかかわらず、としあきの物よりもはるかに立派な陰茎が、  メイジの股間から不釣合いな姿でぶら下がっていた。 ◇1-6 「違うよ、ほら。」   凝視したまま呆けているとしあきに対し、恥ずかしがる素振りを全く見せないどころか、  メイジは自ら蟹股気味に足を開くと自身の陰茎を持ち上げてみせた。 「……え、あれ?」  としあきの視線が更に、メイジの股間へと釘付けになる。  メイジのそこには、男性の象徴であるはずの陰嚢が具えられておらず、  その体に見合わない陰茎の付け根から、そのまま年齢相応の幼いスリットが続いていた。 「半陰陽…ふたなり……?」  としあきの脳裏に再び、ネットやゲームで得た偏った知識が展開する。  しかしはっと我に返ると、 「馬鹿! 女の子なら男相手にそんな容易く見せちゃ駄目!」  急に声を張り上げ勢い欲立ち上がると、押入れに放り込んだままのバス用品を詰めたダンボールから  買い置きのシャンプーを探しだす。するとメイジが、 「ねぇとしあき、一緒に入ろ?」  濡れた体のまま部屋へ入ってくると、としあきの腕を引く。  そのメイジの無垢な表情に面をくらったが突如、一度消えかかったはずの警戒心が再び沸き起こり、 「何言ってんだ、俺は男だぞ? もっと恥じらいを持ちなさい!」  反射的に言い放ってしまった。 「えぇ~…でもジャンはそんなの全然気にしてなかったのに…。」 「誰だそれ! とにかく駄目なものは駄目なの!」  としあきは見つけ出したシャンプーをメイジに手渡すと  メイジを部屋から追い遣り、すぐに勢いよく引き戸を閉じた。  その間、部屋のどこかから携帯電話の着信音がかすかに聞こえた気がしたが、  今のとしあきにはもうそれに構っていられる余裕はなかった。 ◇1-7  メイジがバスルームへ戻ってから数分。  としあきは、いろいろなチャンスを自ら悉く粉砕したことに深く後悔した。  警戒心など抱かず本能の赴くままメイジの後をついて行けば今頃……。  メイジが無防備に見せたその裸体が思考を遮り、シャワーの水音が妄想に拍車をかける。    ……ところで、先ほどは怒鳴り散らしてしまい有耶無耶になってしまったのが、  メイジの口から気になる単語が出たことを思い出す。 「ジャン…?」  その稀有な裸姿を見て何も言わない相手。話の流れからしてそれが男性であることは明白であろう。  祖国の家族、兄弟、それともまさかボーイフレンドか何かだろうか。  ふと邪まな妄想が脳を埋め尽くすが、メイジの笑顔を思い出すと再び我に返る。  自分だってガキの頃はそんな経験があったじゃないか。  今更そのことをお互い話題に出すことはなくなったが、あいつとは親同士の親交もあって  どちらかの家へ泊まりに行ったことも一度や二度のことではない。  一緒に風呂へ入ることに気も留めなかったし、布団を並べて遅くまで喋りあう仲だった。  ふと当時を思い出し、としあきは本日何度目かのため息をつく。  お互いを異性と意識しだしたのはいつからだったか。  それぞれがそれぞれの同姓の友達と遊ぶようになって一緒にいる時間が徐々に減り、  それでも尚、顔を合わせば以前と変わらぬ幼馴染として接し合えていた。  進級を重ね携帯電話を持つようになり、共にバイクの免許を取ってからは、  同じ趣味を持つ仲間を交え、再び何かと一緒に行動することも多くなったが、  結局一度として一線を越えることもなく時間だけが無常に過ぎ去っていった。  そしてまた、ため息を一つ。  メイジにとってのその人物が、俺にとってのあいつと同じようなものなのではないだろうか。  「ジャン…か。」  その人物のことが気になるのは確かだが、変に探りを入れるのも大人気なく感じたため、  ひとまずメイジのほうから再びこの話題が振られるまでは口にしないと腹を固めた。 ◇1-8  渡された着替えを纏った風呂上りのメイジが、洗濯した自身の衣類を抱え部屋へ戻る。  その洗濯物をエアコンの元に並べ干し、としあきと向かい合わせにテーブルへ座るなり突如、 『俺の名はバクラヴァ様だぁ。最強の俺様が通ったあとには蟻の子一匹残しやしねえぜ。』  抱えたウサギのぬいぐるみをとしあきに向け、手足を操りながら声色を変えて喋りだす。  いきなり何を始めだしたのか、そもそも一体何処でこんな俗っぽい日本語を覚えてきたのか。  怪訝な表情を浮かべ、ただメイジを見詰めるだけのとしあきを他所に、 『俺様はご主人が生まれたその日から離れることなくずっと一緒に過ごしてきたんだぜ。  ま、としあきともこれから長い付き合いになるんだし、ご主人共々よろしくな。』  メイジがテーブルに突っ伏し、ぬいぐるみをとしあきの前に突き出すと、  その右腕をとしあきに向け握手をせがむように上下に揺らしてみせた。 「うん、まぁ……あれ? ちょっとまって?」  そのぬいぐるみ劇の相手をすることに僅かながらに気恥ずかしさを感じながら、、  メイジの真面目な表情につられ受け答えようとした矢先に、一つの疑問が浮かんだ。 「俺はまだ、メイジを養ってあげるって答えてないはずぞ。それに……」 「えぇぇ、言ったよぉ……直接ではないけど……。」  メイジが突っ伏しぬいぐるみを突き出したままの姿で上目遣いに見、としあきの言葉を遮る。  その悲しむような怒ったような表情にとしあきはどぎまぎしながらも続ける。 「えっと…いつ?」 「お風呂に入る前…。」  としあきが表情を変えず首をかしげると、メイジは目線を落とし、呟くように告げた。 「私のために生活用品買ってくれるってことは、そういうことなんじゃなかったの…?」  しまった。  としあきにとっては単に一時的なものを用意するだけのつもりだったその一言が、  メイジにとってはそれが自分を受け入れてくれたことを証明する言葉と取られていたのか。  言われてみれば、そのときのメイジの表情の変化がそれを意味していたと考えると  それ以降のメイジの行動が妙にオープンになったのにも納得がいく。  その時既に、メイジにとってとしあきは「家族」だったのだ。    それに気づいたとしあきは、自身の適当さいい加減さに酷く胸を締め付けられる思いだった。 ◇1-9  陽は完全に沈み、あれほど吹き荒れていた強風もいつの間にか静かになっていた。  テーブルを挟んで向かい合わせに、としあきは胡坐をかきぬいぐるみを見詰めたまま、  メイジは突っ伏し目線を落としたままの姿で、長い沈黙が続く。    バイトをしているとはいえ、未だ親の脛を齧っているとしあきにとって  見ず知らずの他人を養うなんて現実的に無理な話である。  もし両親や知人にばれてしまったらなんと言い訳すればいい?  特にメイジのこの体の事もある。あらぬ噂すら立ちかねない。  しかし、いくら悩めどもその先に現状を打破し得る最良の解決策など思い浮かぶはずもなかった。  としあきにとって、今下せる答えは二つしか用意されていないのだから。  そして、メイジに対しその片一方を選べるほどとしあきは非情にもなれなかった。 「わかった…わかったよ。こちらこそよろしくな。」  ぬいぐるみの右手を掴み、握手よろしく上下にゆする。  メイジのことだ、急に面を上げ万遍の笑みで答えてくれるに違いない。  しかしそのとしあきの思いとは裏腹に、メイジはぬいぐるみを掴んだ両手を伸ばし  テーブルに突っ伏したままの姿で、としあきの言動に対し身動き一つ取らずにいた。    怪訝に思い、テーブルへ屈み込みメイジの顔を覗き込むと、 「寝てる…?」  その姿のままメイジはすぅすぅと小さな寝息を立てていた。   「そうか。長旅だもんな、疲れてて当然だよな…。」  その可愛らしい寝顔に、としあきはやれやれといった表情で小さくため息をついた。  メイジの左腕を肩へ回し、ゆっくりとお姫様だっこで抱え上げる。  軽い。こんな小さな少女が自分を頼るため遠いブルガリアから日本までやってきたのか。  まだ沢山の「何故」は残っているが、今はとりあえずメイジを休ませてあげよう。  抱えたメイジが起きぬよう布団へとゆっくり降ろす。  そしてメイジと布団の間から腕を引き抜こうとしたとしあきの首に、突如メイジの両腕が絡みつき、  そのままとしあきは引き倒されるように布団の上へと抱え込まれてしまった。 「としあき、一緒に寝よ……」  突然のメイジの言動に声を上げそうになったところをとしあきは既のところで堪える。  その首筋に触れる少女の柔肌に不覚にも下半身が反応を示してしまったが、  当のメイジは露知らずといった面持のまま、 「おやすみ、としあき…。」  小さく囁くと瞼を閉じ、程なく再び小さな寝息をたて始めた。  としあきの右腕はメイジの脇の下敷きとなったまま、そして額にかかるその小さな寝息。  眼前には顕わとなった鎖骨と、Tシャツの襟口からギリギリ覗けない少女の胸元。  メイジの両腕に抱え込まれているため迂闊にそこから頭を抜くことも出来ず、  眠くもない現状に本能と理性がぶつかり合い、としあきはただただうろたえる事しか出来なかった。 ◇1「その日」完        next ◇2「デート」