今日は部長の機嫌がよかったらしく、練習もそこそこ軽かった。サボり組は土曜日の分をプラスされて死んでいたけど、たぶんそれで部長のストレスが発散されたからだと俺は思っている。それにしても、部長は部長的な部活の楽しみ方をよく心得ている。  商店街の中ほどまでやって来ると、俺達イモジャージ軍団は一名、戦線を離脱する。 「じゃあ」  俺とガネ、デコ、部長の四人は、サボり組から言わせると学校ジャージしか着ないイモジャージ軍団、イモジャージカルテットなんだそうだ。無駄にファッションセンスを発揮して、無駄にある才能を使おうとしないサボり組に言われると腹が立たったりもするが、その辺は、あいつらがへばっているところに軽く蹴りを入れたりすれば解消できるので、あまり尾を引くことはない。 「またな」 「お疲れ様でーす」 「また明日ね」  ガネ、デコ、部長に軽く手を振り、その場を後にする。  あいつらはあいつらで仲良くよろしくやってくれればいい。  あの三人で甘酸っぱい青春的トークが展開するところを想像しようとしてみると、意外にうまい具合にはまりそうな感じがして、これはもしや3Pもあるのでは、なんて考えに達しかけたところで、思い切り頭を振ってそのイメージを追い払った。なんで俺は仲のいい友人でそんな想像をしようとするんだ。相当溜まってたり、性根が腐りきっているのか?  憂うつになりかけたところで、すっきりと晴れた夕空を見上げ、気持ちをゆっくりと切り替える。そして、勝手に進む足に任せて角を曲がり、駅へと続く商店街から離れた。  幅の狭い路地を歩き、向かいから来た車を民家の塀ぎりぎりですれ違う。そんなことを二、三度繰り返し、近道の公園に入る。 「ん?」  すると、見覚えのあるシルエットを広場の中央に発見した。それは背中にピンク色の荷物を背負い、なぜかピンク色のサングラスをかけている。両耳の上辺りで二つにまとめた金髪をふりふりと揺らし、まったくの無表情でこっちに歩いてくる。 「よう、どうしたんだ?」  四、五メートル先まで近づいてきたそれ、メイジに声をかけた。  メイジは足を止めずに俺をちらっと見て、そのまま横を通り過ぎていく。 「どこか行くのか?」  振り返って尋ねると、俺の方に首を向けただけで、後は何の反応もない。  それを怪訝に思いながらも、少し早足でメイジに追いつく。 「こっちってことは、商店街?」  今来た道を戻るのは面倒だが、一人で行かせるわけにもいかない。  俺のことを無視し、てくてくと歩き続けるメイジに疑問の視線を投げかけていると、彼女の背中で、首の座らないうさぎが黒いうつろな目をこっちにじろりと向けた。 「あれ、このうさぎの服」  今まで素っ裸だったぬいぐるみが黒いベストを身に着けている。このベストの背中にナップザックのような肩掛けがついていて、それで今みたいに背負えているらしい。なるほど、これなら四六時中抱いていなくても平気というわけだ。 「随分と便利そうだなあ」 「話しかけないで」  メイジの横顔を見た。  子供っぽくない、事務的な表情だ。 「変質者と一緒にいたくない」 「………」  変質者ときたか。  ああ、確かにそうだ。  寝ている子供のパンツを脱がすような人間は変質者だろうよ。 「あれはまだちゃんと話してなかったけど、メイジに、あれだ、ぞうさんがついてるとは思わなかったんだよ」  自分で言っておいて吹き出しそうになった。  言うことに欠いて「ぞうさん」はないだろう「ぞうさん」は。 「ぞうさん……」  ちらっと横目に見ると、メイジもちょっと気まずそうにしている。  俺は肩をすくめ、息を吐いた。 「なんにせよ俺が悪かったよ。ごめんな」 「でも」 「もうああいうことはしないから」  メイジがサングラス越しに俺を見上げる。 「としあきは真性のロリコンだから、謝ってきても許しちゃだめって姉が言ってた。ロリコンは私みたいなのが大好きなんだって」 「姉貴が?」  俺は顔をしかめた。  メイジは前方に目を向ける。 「母も、お風呂場以外で服を脱がそうとしたら、包丁で三枚におろしていいって言ってたわ。ベッドの上だったらおでこに穴を開けてもいいって」 「はは……」  徹底的に変質者扱いか。  うちの家族は容赦ないというか、なんというか。  姉貴とお袋はあのことを知ってしまったみたいだし、これからしばらくは肩身の狭い思いをしなきゃならないのか。  雲一つない青空を見上げて思った。  ほんと、今日が土砂降りじゃなくてよかった。  俺は気持ちを切り替え、もう一度、半ば予測済みの質問を聞くことにした。 「それで、どこに向かってるんだ?」 「としあきには教えない」 「散歩か?」  もうすぐ日が落ちるって時間にそれはない。  散歩や散策、探検なんかはもっと日の高い時間に行うべきだ。  それに、もうすぐそこに商店街がある。 「どうせお袋におつかいでも頼まれたんだろう?」 「話しかけないで」 「変質者とは一緒にいたくないってか」  黒いエナメルの靴に黒いタイツ。どこかしら古びた感のあるそれらをはいた足でとことこと進み、俺のことはなるべく無視しようと務めている。俺はそのすました表情から、今朝方見た寝顔を思い浮かべていた。 「だったらなんで一緒に寝るんだよ」 「……寝る場所があそこしかないから」  間をおいて返ってきた答えは、本当にしかたなくといった感じで、他に場所があれば絶対そっちに移ると言外に言っているようだ。 「親父とお袋の部屋は使えない。姉貴の部屋は寝るのに適した環境じゃない。他は寝るためのものがないし、お袋も変なとこで寝たらだめだって言ってたよな? となると、やっぱり俺の部屋しかないわけだ」  親父とお袋の部屋で他人が寝ようものなら、お袋が愛ゆえにきれる。姉貴の部屋は常時パソコンが稼動していてうるさい。しかも姉貴は夜型だ。  俺は出そうになったため息をこらえて言った。 「でも、まあ、嫌なら嫌でいいからさ」  商店街に着き、メイジが通りの中央できょろきょろと周りを見る。  そしてすぐに駅の方へと歩き出した。 「嫌なら俺が、夏用の布団でも引っ張り出してそれにくるまるから」 「それはだめ」 「じゃあ、メイジがそうするか?」  左右の店を一つ一つ確かめているものの、歩調はまるで乱れていない。 「私はいい」 「別々に寝られるのに?」  メイジは何を探しているのだろう。  聞けば一発で答えてやるのに。 「一人で寝たいんだろ?」 「できるなら」 「できるけど」 「できない」 「なんで。肌がけ布団一枚くるまれば平気なのに」 「平気じゃない」  素っ気なく言うと、メイジはしゃれた感じのケーキ屋を前に立ち止まった。ガラス越しに、カウンターの中に並ぶケーキが見える。 「土曜日にケーキ食べたから、今日はシュークリームか何かか?」  俺の問いは無視され、背中に揺れるうさぎのぬいぐるみが首をがくがくいわせながら、またうつろな目でこっちを見てくる。それを軽く見返してから、閉まろうとするドアに手を掛けて中に入った。頭上ではベルがからころ鳴った。 「やっぱりか」  メイジはケーキが並ぶカウンターではなく、脇にある陳列棚から目的の品物を選ぼうとしていた。シュークリーム、プリン、エクレア。そのどれもがお袋と姉貴の大好物だ。日曜までに食べ尽くし、買いに行くのが面倒だから買いに来させたわけか。  俺はメイジの横に行くと、ひょいひょいと「いつもの」を三個ずつ取り上げた。普段なら二個だが、今はメイジがいる。 「シュークリームはカスタードとホイップがダブルの。プリンはとろっととろける焼きプリン。エクレアはこの間買ったからいいだろ。他には?」 「……それだけ」  不満そうに言い、さっさとレジへ行ってしまう。  俺はどうしたもんかと思いながら後に続いた。  それから、レジで待ち構えていたアルバイトらしきお姉さんに会計をしてもらっていると、メイジがうさぎのぬいぐるみを肩から下ろし、その口の中に腕を突っ込んだ。  その瞬間、銃口を向けられた記憶がよみがえる。  まずい。  なんてぼんやり思っているうちに腕が引っこ抜かれ、中からがまぐちが出てきた。アルバイトのお姉さんはそれをにこにこと見守っていて、たぶん、微笑ましいなあとでも思っているのだろう。かく言う俺も、でっかいがまぐちならその表情に十分賛同できる。  無言で手渡した千円札二枚でやり取りは速やかに行われ、プリンの入った箱とシュークリームの入った袋を俺が受け取った。アルバイトらしきお姉さんは終始笑顔で、店を出る時には手まで振っていた。 「で、用事は済んだ?」  聞くと、薄ピンクのレンズ越しに瞳を覗かれる。  そしてふと気づいた。もしかしてこれは、特徴的な瞳の色を隠すために、姉貴あたりがかけさせたんじゃないかと。 「それ、持って帰らなきゃ終わりじゃない」  箱と袋に伸びてきた手をひらりとかわす。 「返して」 「いや、ちょっと質問」  すると、メイジの口がぽかんとちょっとだけ開いた。 「そこのケーキ屋で欲しいものはある?」 「………」 「じゃあ他には?」 「………」 「何もない?」  そんなことはないだろうとは思いつつ、じっと見上げてくる視線に何か含まれてはいないかと頭を回転させる。が、あまり気の利いたことは思いつきそうにない。そんな中で思いついたことはといえば大層陳腐なものだった。 「あ、そういえば」  わざとらしく、さりげなさを装ってみる。 「この間のヨーグルト」  と言っても、特に表情の変化はない。 「もう食べきっちゃったっけ?」  メイジは視線を横に向けて、何か考えている様子。  俺の記憶によれば、メイジが一人で全部食べちゃったはず。 「ないなら、ヨーグルトは健康にいいから、やっぱり冷蔵庫の中に一個はないと。お袋もその辺意外とうるさいし」 「ないわ」 「やっぱないか」 「もうない」  メイジはごみ箱にポイするように言うと、再び俺を見上げてきた。  なるほど、これならわかりやすいかも。  俺は浮かびそうになった笑みを強引に押さえ込み、至極淡々と言った。 「さっさと買いに行くか。もう暗くなりかけてるし」  頭上を見上げると、オレンジ色さえ見えなくなってきている。 「どこ?」 「すぐ近くだよ。すぐそこの、駅前のロータリーに面してるスーパーマーケット」  店にして二軒先にある商店街の終わりに、メイジは金髪のしっぽを二つ揺らして顔を向けた。それからすぐに向き直り、無言で俺を呼びかけているようだ。  やっぱり子供はこうでないと。  俺は一人満足げに息を吐くと、仏頂面のチビッコを横に歩き出した。