目がテンになる頃に  コンコン、なんて律儀にノックすることもなく、壁に叩きつけるように開けた馬鹿力は案の定メイジのやつだった。ちゃんとお供のうさぎのぬいぐるみも耳を掴まれてぶら下がっている。  先日、我が姉の八割方趣味な厚意により服を買ってもらったらしいが、それを着てにんまりご満悦、というわけでもなく、写真館で変な衣装を着せられた子供みたいにぶうたれているのは、ほくそ笑まずにはいられないところだろう。 「そんなフランス人形みたいな格好が嫌だっつうんなら、着なけりゃいいじゃないか」 「次、その国名を言ったらぶち殺してあげる」 「まあ、似合っちゃいるとは思うけど、ああ、はいはい」  昨日の晩、メイジが寝ている間に拳銃を隠したのがまずかったらしい。眉間にしわを刻み込んだ表情は特に怖くはないのだが、喉元に突きつけられた包丁がまずいというか、やばい。死ぬ、殺される。 「どこ?」 「さあ、何が?」  顎の下の尖ったやつが、これ以上とぼけると刺さるわよ、と物語っている。 「何のことか知らんが、ヨーグルトなら昨日、俺の分まで食ったろだろうが」 「それは姉」  ルビーのような目がすっと細くなり、文化包丁の圧迫感が二ミリ程強まる。 「姉貴はプリン派じゃねえか。プリン食ったら殺されるけど、ヨーグルト食っても何も言わんぞ。むしろ姉貴の分まで食ってるのはメイ……」 「どこ?」  へた以前に冗談の体も為していない冗談と、こういうすぐむきになる子供っぽさは別に嫌いじゃない。しかし、選択肢を一つ間違えると流血沙汰になるのは勘弁願いたいし、うかつにスキップしたらバッドエンドが来そうなスリルというのは、日曜の午前に必要なものだろうか。 「とりあえず俺、買い忘れた雑誌があるからコンビニ行きたいんだけど」  これは毎度の合図。  メイジは俺のあからさまな意図を見抜くと、多少悩むそぶりを見せ、それから視線を横にそらして、吐き捨てるように言った。 「しかたないわね」  ため息と共に包丁が下がっていく。  メイジはつまらなそうに包丁を見ると、椅子に座っている俺を一瞥し、ゆっくりと瞬きをする間に手に持ったそれを壁に投げつけた。瞬時に白い壁に異物が突き刺さり、自重によってベッドへと落下する。壁にはまた小さな縦筋ができて、試しに右手を使って数えると、今日は小指まで折れた。明日からは左手も使わなければいけないらしい。ふう、やれやれだ。 「ねえ、としあき」  俺が財布やら家の鍵やらを机の上から拾い上げていると、メイジは俺を上目遣いで、やや気まずそうに聞いてきた。 「としあきの血、使ってもいい?」 「何言ってんの」 「ピンクに染まったちょっぴり塩気のある……」 「子供が目を潤ませて、しれっと危険なこと言うんじゃありません」  ブロンド頭に軽いチョップをお見舞いしてやると、メイジは不満げに唸り声をあげた。そして右手を腰に手を当て、うさぎのぬいぐるみの首を左腕で絞め上げ、不遜な態度を見せつけるように言い放った。 「だったらいいわ。今日は五個よ、五個。五個で勘弁してあげる」 「おい、俺の金じゃねえか」 「五個よ」  びしっと小さな手のひらを突きつけてくる。  俺は肩をすくめてみせた。 「五個」 「………」  冗談めかして首を横に振ると、途端に表情の雲行きが怪しくなった。  この辺がまだ子供っぽいと俺はいつも思うのだが、だからかわいいんじゃない、というのがうちの馬鹿姉貴の意見だ。パソコン好きのオタク趣味な女の言うことだから、まあ、信用に足る言葉だとは思わないのだが。 「五個ぉ……」 「そんなに食べたい?」  渋々聞くと、渋々頷かれた。  癇癪起こそうって側がそういう態度をとるのかよ、とも思う。 「じゃあ、これから一週間、俺が口にするものに一切麻薬を入れたりせず、なおかつ、ご近所に銃声を響かせて迷惑をかけないと誓えるなら、五個と言わず七個、おいしいヨーグルトを買ってあげようじゃないか」  俺が鷹揚に語ってやると、若干十歳のお子様は目を見張らせた。 「五個じゃなくて、七個?」 「そう、七個」 「ほんとに?」 「ほんとに七個」 「ほんとに、なな、こ……」  と、メイジはめくるめくヨーグルトの世界へ旅立ってしまったらしく、目をきらきらと輝かせたまま、にへらと口元を綻ばせた。確かに、こうして見ると、スケールはでかいものの、間の抜けたフランスっぽい人形に見えなくもない。  ああ、それと、うさぎのぬいぐるみがきつく抱き締められて、頭と胴体が引き裂かれそうになっているのが哀れだったりするのだが、変形した顔が絶妙に笑えるので、これはこれでよしということにしようか。  さて、ばればれの隠し場所である机の引き出しから愛用のコルト・ガバメント引っ張り出して返してやると、メイジはほっとした表情を見せ、屈託のない笑顔でありがとうと言った。  日課になりつつあるこのやりとりも、できれば銃なんかに依存しない生活を送ってほしいという、俺のささやかな願望の表れなのだが、組織の一員だとかいうクソガキのせいで、暫くはこれのお世話にならざるを得ないという状況だ。平和で怠惰な日本人としては不服なので、まあ、それも遠くない未来に決着をつけさせてやりたいと思っている。けど、 「単なる学生の身分で、何言ってんだかな……」 「何?」 「ん、いや……」  苦笑混じりにブロンド頭を撫でつけると、露骨に嫌そうな顔をされてしまった。