「ノブは苦労人で使用人(脇道の脇道)」 暗闇の中を手探りで歩く。静かに。慎重に。音をさせないように。 その部屋の前で足を止める。 ゴクリ。 喉が鳴る。意外に大きい音に心臓がドキリとなる。 ここまで来て心が鈍る。しかし・・・ 意を決して部屋のドアを開ける。 ミシリ。 音がする。 バレたか。そう思って動きを止める。まるで全世界の時間が止まってしまったかのような重く深い静寂。 大丈夫。 一歩を踏み出す。ああ、これでもう戻れない。先に進むしかない。やるしかない。 電気もつけない暗闇の中。ベッドの前に立つ。 静かな規則正しい寝息が聞こえる。 俺は今から・・・これを壊す。 ********************************************************************* 「誰もいないんですか?」 何度もチャイムを鳴らしたが反応は無い。仕方なく渡されていた合鍵を取り出す。 としあきとメイジの住んでいるワンルーム。新しい主の家からも徒歩で来られる距離だ。 心配、お節介、親切、情、執着……。 言葉にしがたいモヤモヤとした思いがあって、ここに通っている。 少し薄暗い部屋に入ると、ベッドで眠るメイジが視界に入る。 「もう昼も過ぎているというのに、まだ寝ているんですか」 声をかけるがむにゃむにゃと夢を楽しんでいる。 本国での生活が頭をよぎる。理不尽な我が儘に振り回されてばかりだったのに、 愛おしさに似た懐かしさを感じるのは何故だろう。失った時間への憧憬だろうか。 ひとつ深呼吸。 邪な気持ちを吐き出し、作業モードに切り替える。 洗濯、掃除……、すぐ終わるな。溜めなければ簡単に片付くのに、ズボラめ。 「食材は……っと、昨日の鍋の残りが少しと、冷蔵庫は……ふむふむ」 卵とじうどんに少々緑を添えるかな。少々遅いけれどメイジを起こして昼食にしよう。 ********************************************************************* 『嫌なら止めていい』 メイジには遊びと称した危険な挑戦をさせられた。 Don't Try This at Home. 靴に木の板を貼り付けて水の上を走らされたり、木の実や葉っぱで作った秘薬を飲まされたり、 テラスから庭の木まで綱渡りさせられたり、一日中磔にされたりもした。 子供特有の無邪気さもあったと思う。 けれど、淋しさからくるものが大きかったはずだ。 俺は善悪の判断も出来たし、たとえ主従の関係でもお館様に苦言を呈することもあった。 けれど、メイジの願いを断ることが出来なかった。 『嫌なら止めていい』そうつぶやくメイジは悲しそうに涙を浮かべていたからだ。 それが偽りのものでも、そうまでして叶えたい願いなら受け入れるのが自分の役目だと思っていた。 童貞よりも先に尻の処女を奪っていったあの時でさえ俺は逆らわなかった。 いや、俺は逆らえなかったんだ。淋しいのはきっと俺のほうだから。