『写真 ~メイジと愉快な仲間達~』  休日のお昼前。  今日もとしあきの部屋はたまり場になっていた。 「おおい、としあき、飲み物無くなったぞー。おかわりまだー?」 「まぁまぁ、亜希ちゃん、この部屋の主はとしあき君なんだから……」 「う~ん、だがね、主だからこそ、もてなしの義務があるのではないかと思うのだがね」 「うう、いい加減にしろ――!!」  としあきは思わず大声を出してしまった。  さすがに三人もピタリと黙り込む。テレビの音声だけが流れる部屋に、としあきの大きなため息が響いた。だがその沈黙も一瞬 の事。すぐに三人は元の調子に戻って好きな事を言い出す。 「何よー、そんな怒ることー?」  真っ先に口を開いたのはとしあきの友人・亜希だ。肩近くで切り揃えられた黒髪、やや細めのスクエア型の黒縁眼鏡、化粧っ気 の無い顔に、無地のロングTシャツとジーンズ。飾らない、と言うにも程がある姿でここに来れるのは、幼馴染だからか。 「確かに押し掛けているのは私達だけど、怒鳴るのはどうかと思うわね」  そう言ったのは、こちらもとしあきの小さい頃からの知り合いである女医だ。亜希とは対照的に栗色の髪を背中に垂らし、チャ コールグレーの、落ち着いた感じのワンピースを着ている。それなりに綺麗にして来るのは、やはり二人よりも幾らか年上だから だろう。実は伊達だと聞いた、オーバル型の銀縁眼鏡は今日も掛けている。20代で医院を継ぐというのは、見た目にも余計に気を 遣う必要があるらしい。 「う~ん、僕も同感なのだがね。ついでに言わせてもらうと、君は少し短気過ぎるのではないかと思うのだがね」  妙な口調で話すこの男は、としあきにとって何故ここに居るのか最も分からない人物だ。隣室の住人で、本人曰く「漫画雑誌の 編集者」。ふとした切っ掛けからとしあきの“同居人”の事を知り、「漫画のネタ探し」と称して近付いて来た。オールバックに して後ろで束ねた伸ばしっ放しの黒髪、無精髭、フレームもレンズも茶色の、大ぶりな、ややオールドファッションな眼鏡。少し 猫背気味な為、やや老け気味に見える一方で、時に実年齢より若々しく見える事もある、不思議な30過ぎである。  もう一度大きなため息をついて、としあきは三人に言った。 「大体なんで、俺んちに集まるんですか?」  その質問に三人はきょとんとするが、すぐさま堂々と答え出す。ここでも一番に答えたのは亜希だ。 「それなら聞くけど、君は私の何?」 「そ、そりゃ、友だち……」 「それも幼馴染、ね。じゃ、女医さんは?」  と亜希は女医の方を振り向く。 「やっぱり小さい頃から知っている、昔は実家のお隣さんね。編集者さんは?」  今度は女医が編集者に尋ねる。 「今のお隣さんだがね」  勝ち誇った顔でニヤリと笑い、亜希が言った。 「ほら、問題無いじゃん」  がくりと肩を落とし、本日三度目のため息をついて、としあきは敗北を悟った。「もう好きにして下さい」と捨て台詞を残し、 三人に背を向け、としあきは彼の“同居人”達の方を見た。  全く訳の分からぬまま、共に暮らす事になった三人の子ども達。  最初にやって来て、開口一番「養って下さい」とのたまってくれた金髪赤眼の異国(ブルガリア)の少女・メイジ。彼女につい ては他にも色々あるのだが、ここでは述べない(と言うより簡単には説明し切れない)。彼女は今、大人達の脇で床に足を投げ出 して座り、日曜のお昼の長寿番組を眺めている。 「『みんなあの人みたいになりたい』ですか……。う――ん、私には、まだいまいち解りませんねえ……」  ブルガリアから来たと言うのだが、としあきの遠い親戚の遺児だとかで日本語の会話に不自由は無い。そればかりか、10歳だと いうのに随分とこましゃくれた口を利き、としあきを感心させたり呆れさせたりする。  彼女の隣には、同じくブルガリアから、彼女を追って来たと言う少年が、何時の間に身に付けたのか、きちっと正座で彼女のテ レビ観賞に付き合わされている。彼の名はノヴ。金髪碧眼の端整な顔立ちは無表情に固まっているが、としあきにもその内心はお およそ察せられる。つまらないからチャンネルを変えるか、本でも読むかしたがっているのだろう。だが何かとメイジが話しかけ るのに対して律儀に答えるから、こうして身動き出来ないでいるのだ。向こうでもずっとこんな関係だったのだろうか、同い年に も関わらず、ノヴの方が少し、大人びて見える。  そしてこの二人にも、先の三人にも加わらずにいるのが三人目の子どもである。彼女もある日突然現れた。名前はメイジ。本人 がそう名乗ったのだから仕方が無い。不思議と最初に来たメイジと顔も体つきもそっくりで、髪や目の色も変わらないが、肌の色 が褐色で、よく見れば髪の色も彼女の方が若干濃いから、見分けるのは容易だ。困るのは名前を呼ぶ時だが、その肌の色から、誰 からともなく「黒メイジ」と呼び出し、本人も「構わねえよ」と言うので、「黒メイジ」だとか、縮めて「クロ」等と呼ぶ事で済 ましてしまっている。(なお、以降も彼女の事をその様に呼び、最初のメイジと区別する)  その彼女だが、一人で何をしているかと言えば、床に座り込んで何やら熱心に眺めている。編集者が手土産に持参した、犬や猫 の写真集だ。見るなり仏頂面でひったくる様に受け取ったが、目の輝きが隠し切れないのはとしあきにもよく分かった。 「カロヤン、来い」  と四番目の同居者、彼女らが拾ってきて、ひと悶着の末に飼う事になった小犬・カロヤンを抱き上げ、そのまま一心に見つめて いるという訳だ。  片手でページをめくり、空いた手でカロヤンを抱きかかえながら首から胸辺りを撫でている。黒と白の長めの毛が、ふわふわと 柔らかそうだ。時折写真を指しながら、カロヤンにも何か見せたり語りかけたりしている。  その様子を見ながら三人がひそひそと喋る。 「う~ん、一見粗暴な少女が、実は動物や可愛い物好きというのは、ベタだがやはり良いものだと思うのだがね?」 「ちょっとベタ過ぎかなぁ。でもあの様子がたまらんというのに異論は無い」 「もう二人とも……。それより亜希ちゃん、もうちょっとオシャレしたらどう? 勿体ないわよ」 「え~、普段はしてますよぉ。大体、ここに来るのにオシャレしたってしょうがないですって」 「駄目よ、そんな事。出会いは何時あるか分からないのよ? 油断は禁物だわ」  女二人の会話が始まり、編集者はそっと席を立つ。メイジの後ろでテレビを観ていたとしあきの隣に座った。その様子を横目で チラっと見、皮肉っぽい口調でとしあきが言った。 「ハブられました?」 「うん? いや、気を遣ったつもりなのだがね。それに何より、女性同士の会話で話題の転換について行くのは男には至難だ」 「そんなもんですか」 「そんなものなのだがね」  しばしじっと画面を見つめる二人。  番組がコマーシャルに入ったのをきっかけに、再びとしあきが口を開いた。 「さっきの話ですけど、子ども三人に犬も居て、そのうえに大人三人が入り浸るって、色々大変なんですけどね」 「う~ん、短気な上に根にねちっこいなんて、余りに恰好悪いと思うのだがね。だがまぁ、確かに君の言う事も解るのだがね……。 よし、ならば今日の昼食は、少しばかり多めに出資しようではないか」  言いつつ、ズボンのポケットから財布を取り出し、紙幣を一枚抜き出してとしあきに手渡す。 「好きに使ってくれ給え」 「二千円札ですか」 「この前お釣りにもらってしまったのだがね」 「それじゃ『出資』じゃなくて『処理』じゃん!」 「いらんのなら返して欲しいのだがね」 「いえ、もらっときます」  その時、二人のやり取りを聞きつけたメイジが振り返り、としあきの元へ這って来た。 「ね、ね、お昼はピザにしましょうよ、お客様がたくさん来た時はピザですよ!」 「あー、もうそういう時間かぁ」  と、亜希や女医も集まって来て、昼食の相談が始まった。相談と言ってもメイジの提案がすんなりと通り、チラシを広げて何を 注文するかの相談だったが。  ちなみに、その間も黒メイジは写真集に夢中だった。  そんなこんなで始まった昼食は、大層賑やかなものだった。大人と子どもで合わせて七人も居れば当然だろうが、子ども達は元 気だし、大人達はそもそもこの部屋で遠慮をする事をあまり考えていない。席を巡ってまずひと騒動。他にも手を洗え、昼間から アルコールは無し、と騒ぎの種は尽きない。  そんな昼食の最中だった。 「そういやさ、さっき撮っちゃったんだよねー」  と言いつつ、亜希が携帯電話を皆に見せる。ディスプレイには、カロヤンを抱えて写真集に夢中になる黒メイジの姿。 「ああっ! 勝手に撮ったなぁッ」 「いやあ、ゴメン、ゴメン。あんまり可愛かったからさぁ、つい」 「てめっ、消せコラァ!」  黒メイジは怒り狂うが、他の者達は興味津々だ。「よく撮れてる」「メールで送れ」とワイワイ盛り上がる。  そんな中、ポツリとノヴが言った。 「あの、なんでそんなに写真が好きなんですか?」  ピタと騒ぎが静まる。 「え、だって楽しいよ?」と亜希。 「撮るのも見るのも、こうして話すのも楽しいわね」と女医。 「う~ん、君の歳ではまだ分からないかもしれないがね、大人になると、過ぎ行くものへの惜別の情が湧くのだがね」と編集者。 「ノヴは写真撮ったり、撮ってもらったりしないの?」ととしあき。  そう聞かれたノヴは複雑な表情を浮かべて言った。 「あんまり……」  大人達四人が絶句する。一瞬の間を置いて、「メイジは?」「クロは?」と口々に尋ね始めた。 「んーと、少しは……」 「知らねぇよ」  またしても四人が絶句する。  一様に暗い、湿っぽい表情を浮かべていたが、やがて陰鬱な空気を振り払う様に、誰からなく叫び出した。 「写真撮ろう!」 「みんなで撮ろう、集合写真だ、記念撮影だ」 「カメラは? 三脚とかないの?」 「ああ、それなら僕が取って来よう」  編集者が飛び出して行き、残った三人は子ども達を急き立てる様にバタバタと部屋に並ぶ。編集者はすぐに戻って来た。両手で デジタル一眼レフカメラと三脚を抱えている。その頃にはもう並んで撮影準備を終えた面々を見て、怪訝な顔になった。 「僕は、どこに入れと?」  彼から見て左側の前列に黒メイジ、その後ろに亜希。同様に中央にはメイジととしあき、右側にはノヴと女医が並ぶ。皆、前に 居る子どもの肩を抱く様にしていて、編集者だけがはみ出しそうな雰囲気だ。 「えーと……」  としあきは言葉を濁すが、 「どっか適当に入っちゃってよ」  と亜希の方は気楽なものだ。 「何枚か、場所を変えて撮ればいいじゃない」  女医だけは慰めようとするが、それでも編集者は苦い顔をしている。 「う~ん、それならそれで良いのだがね、でもまだ何だか釈然としないのだがね……」  愚痴りながら、編集者はカメラをセットし始める。  その時、黒メイジが亜希を見上げて言った。 「なぁ、カロヤンも一緒で良いか?」 「もちろんよ!」  パッと駆け出し、抱き上げて戻って来る。 「準備は出来たようだがね、もう良いかね?」  タイマーをセットし、スイッチを入れる。ところが……、 「あれ、動かないのだがね」  あれこれといじり始める。「まだー?」と声が飛ぶ中、不意にカメラが動き出した。「早く、早く」と急かされ、編集者が急い で列に入ろうとしたその瞬間。  ずるり。  足が滑った。 「おわァァ――――!?」  列に突っ込む。ちょうど女医ととしあきの間に入ろうとしていた為、メイジととしあきにぶつかっていく恰好になった。  悲鳴が上がる中、としあきと編集者が床に倒れ込んだ。メイジは彼らから少し離れた場所で、尻餅をついている。 「だ、大丈夫!?」  周囲が気遣う中、 「何、受身を取ったから、大丈夫だと思うのだがね」  編集者がケロリと立ち上がる。  その一方でとしあきは、 「うぅ……」  とまだへたり込んでいる。  写真撮影は一時中断、としあきの介抱が始まった。額の右上、右目の上の辺りを床にぶつけていて、出血は無いが少し腫れてい る。慌ただしい雰囲気が伝わったのか、カロヤンもクゥンクゥンとか細い声で鳴きながらうろうろと歩き回っている。  傷の具合を診て女医が言った。 「多分大丈夫だとは思うけど、何かあったらすぐに大きな病院に行ってね。申し訳ないけど、最悪の場合、ウチじゃ対応出来ない かもしれないから……」  テキパキと処置をして、としあきと子ども達に伝える。 「いえ、もう大分良くなりましたよ、助かりました」  礼を述べるとしあきの顔に笑みが戻り、一同ほっとする。  その時だった。亜希が素っ頓狂な声を上げた。 「そうだ、写真!」  バタバタと駆け寄り、三脚からカメラを外して持って来て、編集者に手渡す。  早速画面に表示すると…… 「うわ――」  一斉に声が上がった。  咄嗟にノヴを抱えつつ身を躱す女医。  二人仲良く飛び退いている亜希と黒メイジ。  黒メイジの腕の中で目を丸くしているカロヤン。  そして。 「としあき……」  と呟いた後、メイジがくすくす笑えば、 「気の毒ですけど、ちょっと笑ってしまいました」  ノヴは少し何か堪えた顔をし、 「カロヤン、ビビってんだろーが……。でもよく撮れてんなー」 「タイミングばっちりじゃん」  と黒メイジと亜希がケラケラ笑う。 「思いっ切り、入ってるわね」  気遣わしげなのは女医。 「う~ん、眼鏡がちょうど半分外れかかっているのが絶妙なのだがね」  と編集者は感心しきりで、 「イヤあんたに言われたくないよ!」  としあきは思わず叫ぶ。  画面の中ではとしあきが編集者に顔を張られていた。  すがろうと伸ばした編集者の右腕の掌が、ちょうど真横からとしあきの左頬を捉え、眼鏡の左のつるが耳から外れて、右に傾い だ顔から吹っ飛びかけている。驚愕する編集者の表情も、痛みに歪むとしあきの表情もしっかり写されていた。  あんまり見事に転倒直前の瞬間を切り取った一枚に、皆とうとう吹き出してしまう。深刻な空気がいっぺんにどこかへ行ってし まった。皆が腹を抱え、身を捩って笑う。  しかしその中で、ノヴがある事に気付いた。画面の中の一点を指差し言った。 「でもほら、としあきさんはちゃんと……」  全員の目がその指す先に集まる。  顔を張られ、倒れ込む寸前のとしあきの手が、メイジの肩に掛かっている。突っ込んで来る編集者の体から逃がそうと、彼女を 前の方に押し出している。それで彼女は巻き込まれずに済んだのだ。  その事に気付いた者の口から感嘆の声が漏れる。 「なかなかやるねぇ」  言いつつ亜希がバンバンととしあきの背中を叩いた。  そこへ神妙な顔をしたメイジが歩み寄り、としあきの前に立った。やや俯き加減でもじもじしている。少し間を置いて、不思議 そうな顔をしているとしあきにそっと告げた。 「としあき、笑ってごめんね」  としあきはぽかんとした。それを見た亜希に肩をつっつかれながら、「なんか言ってあげなって」と小声で促され、はっとした としあきは言った。 「いやそんな、気にしなくって良いって。ほんと、気にしなくて良いから!」 「でも……」 「大丈夫、大丈夫。全然大した事じゃないし。メイジが気にする事ないし」 「本当?」 「本当、本当」  じっととしあきを見つめるメイジ。やがてほっとした顔で言った。 「良かったぁ。としあき、庇ってくれたのに笑っちゃったから」 「良いって。それより怪我は無い?」 「ハイ! 大丈夫です。としあき、ありがとう!」  花が開く様に笑顔がこぼれた。にこにこと二人は見つめ合う。  そんな二人を、周囲の者達も静かに笑いながら見つめる。  編集者がそっとカメラを構え、シャッターを切る。 「あ――!」  一斉に叫声が上がった。  そうして、賑やかな時間はどんどんと過ぎて行き、日は傾きかけていた。  休日が終わろうとしていた。  女医は窓から空を見上げ、それから時計の方を見、言った。 「そろそろ、お開きかしらね」  その言葉に皆がうなずき、ゆるゆると腰を上げる。帰り支度が始まり、名残を惜しむ言葉が交わされた。  亜希がカロヤンに話しかけながら、頬や首を両手で挟んで撫でていた。 「じゃあね、カロヤン、また今度ね」  黒メイジは先程の写真集を抱き締めながら編集者に尋ねた。 「なあ、これ、本当に貰って良いのか?」 「どうぞどうぞ、その為に持って来たのだがね」 「そっか、あんがとな」  にかっと笑って礼を述べた。  女医はとしあきに言った。 「としあき君、亜希ちゃんを送ってあげてね」 「え? 良いですけど、女医さんは?」 「私は良いから」  そこへ亜希が入ってきた。 「それならさ、編集者さんが女医さんを送ったらいいんじゃない?」  三人は編集者の方を振り返る。 「う~ん、僕はここで子ども達を見守るつもりだったのだがね」  そんな事を大人達が話し合っているところに、 「どうぞ、送ってあげて下さい」  と言ったのはノヴだった。 「僕達なら大丈夫ですから」 「そう? じゃ、留守番頼んでもいいかな?」  少し申し訳無さそうに言うとしあきに、ノヴは「はい」と静かに、はっきりと答えた。彼の言葉を受けて大人達が玄関に立ち、 子ども達は見送りに上り口に並んだ。 「じゃあ、そろそろ行くから、戸締りよろしくね。なるべくすぐ帰るから」  と言って、としあきがドアノブに手を伸ばしかけた時だった。 「あの!」  不意にメイジが叫んだ。 「また来て下さい。ここに来た時、こんなに良くしてもらえるなんて、思いもしませんでした。これからも、こんな風にしてくれ ますか?」  不安を露わにした顔でとしあき達を凝視するメイジの肩に、ノヴがそっと手を掛ける。 「恥ずかしいコト、言ってんじゃねえよ……」  とそっぽを向いた黒メイジも、そわそわと二人を盗み見している。  動いたのは亜希だった。  としあきを押し退け、メイジ達の前に出た。彼女らの目と同じ高さにしゃがむ。 「メイジ、よく聞いてね。友達って、頼まれたからなるものじゃない、なりたいからなるものだよ。私は自分が来たいから、ここ に来る。メイジに、ノヴに、クロに、私が会いたいから来るの。これからも、頼まれなくたって遊びに来るよ。だって、友達なん だもの。きっとみんなだってそうだよ。ねっ、そうでしょ?」  振り返って亜希が問う。  亜希の問いに、女医も編集者も笑ってうなずく。 「亜希ちゃんの言う通りよ。私も来たいから、会いたいから来ているの。あなたが心配する事なんて、何にも無いわ」 「う~ん、全くの、同感なのだがね。もう、僕からは何も言う事が無い程に」  としあきも言った。 「俺は、亜希や女医さんの事は子どもの頃から知ってる。二人とも良い人だよ。編集者さんは……まだよく分かんないけど、多分、 悪い人じゃないと思う。多分。だからさ、メイジはそんな事、気にしなくて良いんだよ。勿論、ノヴも、クロも……」  みるみるうちに、不安に強ばるメイジの表情が和らいでいった。そしてそれは、彼女だけではなかった。ノヴは言うに及ばず、 普段は素直に感情を表す事が少ない、黒メイジも同様だった。三人は一様に、照れを含んだ、喜びと安堵が入り混じった笑顔にな っていた。そしてその笑顔は、四人の大人達に、言い様の無い幸福感を与えてくれた。  それからとしあきの部屋を出た四人は、誰も口を開かなかった。四人は皆等しく、三人の子ども達の笑顔を思い、言葉を発する 事を忘れてしまっていたのだった。黙々と歩き続け、ふと気付いた時にはもう、表の通りに出ていたくらいだった。 「じゃあ、俺達はこっちですから」 「また今度ー」  そう言って、としあきと亜希は、女医と編集者と別れた。歩く道すがら、二人は何も喋らなかった。まだ幸福感の余韻が残って いたのだ。それに浸りながら、二人は歩き続ける。その後しばらく歩いた頃、亜希が言った。 「あー、もうここら辺で良いよ」 「そうか?」 「うん。じゃあね。早く帰ってあげなよー」  そう言って亜希はさっさと歩き出す。 「あ、おい!」  咄嗟にとしあきは彼女を呼び止めた。 「ん? 何?」 「あ、いや、さっきの事だけどさ……」 「さっきの事?」 「メイジの事。あのさ、ありがとな、ああいう風に、ちゃんと答えてくれて」 「ああ、あれか。大した事じゃないよ。言いたい事……いや、言ってあげたい事かな、それ言っただけだし。それに、私じゃなく ても、誰かが答えてあげたんじゃないの?」  と亜希は、「何でもないよ」という表情で言った。 「そっか……。でも、やっぱ言っとくよ、ありがとうな」 「どういたしまして。それよりさ、今度行くには、おやつと飲み物、ちゃんとしっかり用意しといてくれよ」 「分かった、分かった。で、今度は何時来るんだ?」 「え? 知らない」 「知らないって、どういう事だよ?」 「えー、だって言ったじゃん、『来たいから来る』って。行きたくなった時に行くからさ、普段から用意しといてよね」  ついとしあきは、「こいつは……」等と思ってしまう。こういうところは、昔から変わっていない。けれど何故だろう、今度は 四度目のため息は出なかった。「やれやれ」と思いつつ、自然に顔がほころぶ。 「分かった。それより、お前も早く帰れよ、暗くなるから」 「うん。じゃあねー」  そう言って、亜希はスタスタと歩き出す。どれだけ時間を重ねても、関係は昔から変わらない。そんな幼馴染の後ろ姿は、今や 茜に染まりつつある。としあきも踵を返した。帰ろう。家には子ども達が待っている。  一方その頃。  二人と別れた女医と編集者も連れだって歩いていた。こちらも二人揃って黙りこくっている。だがこの沈黙は、余韻だとか、そ ういう理由からではない。編集者の様子がおかしいのだ。俯き加減で、表情は硬く、いつもは軽い口が固く閉ざされている。どう にも話し掛けにくい。それでも女医は、思い切って尋ねてみた。 「どうかしました?」  はっと我に返って、編集者が答えた。 「あ、いや、少し考え事をしていたのですがね」 「そうですか……」  考え事、と聞いて女医は、それ以上聞く気にはならなかった。しかし逆に、編集者の方が問うてきた。 「時に先生、今日は、“良き一日”でしたか?」 「えっ?」  意想外の質問に女医は戸惑い、言葉に詰まる。けれどもそれに構わず、編集者は続けて言った。 「こんな事を言うと、年寄りと笑われるかもしれませんがね、それでも30年生きてきて思うのですよ、“良き日”とは、振り返っ た時に、気付くものではないかと」 「…………」 「僕は、今日は素晴らしい一日だったと思うのですがね、そういう“良き日”をこんなにもたくさん過ごす事が出来るとは、何と 恵まれた事かと、そう思えるのですがね」  聞いているうち、女医の怪訝な表情が、ぽかんとしたものに変わり、話が終わる頃には満面の笑みになっていた。何度もうなず きながら、女医も言った。 「分かります、分かります。休みの日にみんなで集まって、お喋りしたり、遊んだり……。何て言ったら良いか、そう、まるで、 学生時代に戻ったみたいで」 「そうそう! 全く、こんなオジサンを受け入れてくれたとしあき君や亜希ちゃんには感謝に堪えないのだがね」 「そういう事はちゃんと本人に伝えなきゃ駄目ですよー」  あっはっはと笑い合い、うんうんと二人はうなずき合う。と、笑っていた編集者が不意に真顔になった。 「それで、話の続きなのですがね」 「はい?」 「僕の好きな文章に、こんなのがあるのですがね、著者が、自殺した友人に宛てて書いたものなのですがね……」  ここで編集者は静かに深呼吸をした。 「滅多に無いが、『生きていてよかった』と思える夜がある。その思いだけがあれば、後はどんな日々でも生きていける。どんな にどん底の日々でも、そんな瞬間を思い出して生きていけば良かったのに……とまあ、ざっとこういう事を述べている訳ですがね」 「良い言葉ね」  しみじみした口調で女医が言った。そして続けて言った。 「それで、今日のこの一日が、あなたにとってのそういう一日だと?」 「う~ん……と、言うか……」  言葉を選ぶ編集者の眉間に、ぎゅっと皺が寄る。  しばしそのままでいたが、やがて、ふっとほろ苦い笑みを浮かべた。 「僕は、かつてペンを握っていたのですがね、ずっと前に折ったのですよ」 「え、そんな事が?」 「勿論、今の仕事に遣り甲斐はありますがね、それでも、何処か投げやりになっていたのは否定し切れないものでしてね。それが あの子らと出会い。始めはネタ探しのつもりで接近したのに、今ではすっかり、という訳なんですがね」 「…………」 「で、そのネタ探しなのですがね、ペンを握っていた頃とは、関心や方向性等も大きく変化しているのですがね、それは何故かと 言えば、やはり他の誰かにアドバイスする為というのもあるし、単に心境の変化というのもある。ただそうすると、もしかすると、 まだペンを握っていたら、あの子らには気付かなかったかもしれない。すると、こんな“良き一日”を過ごす事も有り得なかった のではないか……とまぁ、そんな事を考えていた訳なのですがね」  と言って編集者は照れた笑みを浮かべた。しかし今度は女医の表情が硬い。ぎゅっと口を結んで真剣な面持ちだ。思いがけない 反応に編集者はうろたえる。 「いや、そんな深刻に受け止めてもらわずとも良いのだがね!?」 「……ます」 「え?」 「私、少し分かります」  編集者は息を呑んだ。そんな編集者を女医はじっと見つめる。  今度は、女医が話し始めた。 「編集者さん、私の医院が、父から継いだものだとはご存知?」 「いや、初耳ですがね」 「実はそうなんです。でも、正直言って私は不本意でした。大変なのは知っていたから。でもだからかな、結局この町に戻る事に しました。それで久しぶりにとしあき君と再会して。そしてあの子達に出会って」  ここまで言って、女医は微かに微笑んだ。 「おもしろいものですね、諦めたと思ったら、大事なものが見つかるなんて」  ピクリと編集者の眉が動く。 「う~ん、するとあなたも、僕同様、あの子らに……」 「ええ。救われた、と言って良いと思います」  そう言って二人は顔を見合わせた。笑い合った。心の底からの笑顔だった。  笑いながら女医は言った。 「だから、私はこれからもずっと、あの子達の良い友達でいたい。あの子達を幸せにしてあげたいから」  もう一度二人は顔を見合わせ、笑い合った。  空には半分程になった太陽が真っ赤に輝いていた。  沈んでゆく太陽が、今日という日の最後の輝きを放つ頃。  としあきは部屋の前で、ポケットから鍵を取り出すところだった。 「早く夕飯の用意しないとな……」  呟きながらドアを開ける。 「ただいま」  トタトタと廊下を鳴らし、カロヤンが出迎えに出てくれる。 「あれ、カロヤンだけ? 三人は?」  家の中はしんとして物音一つしない。聞こえてくるのはカロヤンの息だけだ。三人はどうしたのだろう。不安を感じたとしあき が慌てて部屋に飛び込めば、そこに居たのは、すやすやと眠るメイジと黒メイジだった。ちゃんと毛布も掛けている。 「あ……としあきさん、お帰りなさい」  ノヴが眠たげな声でとしあきを迎えた。二人から少し離れた場所で、どうやら彼もうとうとしていたようだった。二人に毛布を 掛けてくれたのは彼だろう。そう察したとしあきは、起き上がろうとするノヴに言った。 「いや、いい、寝てて。今、毛布取って来るから」 「としあきさん」 「何?」 「二人とも、ゆうべ遅かったから……」  ノヴの言葉に、そう言えば、ととしあきは昨夜の事を思い出す。 「深夜アニメは録画して下さい……」 「う、ごめん」  ばつの悪さで、そそくさと毛布を取りに行く。戻った時には、再びノヴはうとうとしかけていた。としあきは毛布を掛けながら、 そっと話し掛ける。 「ノヴ、いつもありがとうな。でも、そんなに気を遣わなくて良いからさ。もっと好きにして良いんだよ」  その言葉は、既に目を閉じたノヴに届いたかどうか。 「さて、夕飯の支度するか」  としあきは台所に向かった。  それから幾日かが過ぎた。 「編集者さんから、この前の写真受け取ったよ」  としあきの言葉に、三人の子ども達がわっと集まる。としあきは封筒からプリントアウトされた写真の束を取り出し、広げる。 「あっ、これ、集合写真」  とメイジが一枚を取り出す。相変わらずそこには、編集者に吹っ飛ばされているとしあきが写っている。 「これはあの時の……」  とノヴが見つけた一枚は、見つめ合うとしあきとメイジ。 「アッハッハッ、あっついなー」  と黒メイジが囃せば、 「む、そう言うクロだって」  とメイジは写真集に夢中になる黒メイジの写真を見せる。 「あ――っ! それ、亜希が携帯で撮ったヤツじゃねーか、なんで!?」 「ああ、それは多分、携帯から送ってもらったんだよ」 「くそーっ、寄越せ、そんなの捨てろ!」 「嫌ですよう」 「こ、こら、喧嘩すんな! 頼むから静かにしてくれぇ!」  ドタバタと追いかけ合う二人。ヒャンヒャン鳴き回るカロヤン。取り押さえようとするとしあき。静かに微笑み、その光景を眺 めるノヴ。  そんな騒ぎの最中、突然ガシャンとドアが鳴った。  ピタリ、と騒ぎが静まる。 「おーい、やっほー、開けてくれー」 「何だ、亜希か」  としあきがチェーンロックを外すと、するりと亜希が入って来た。 「何だとはご挨拶だなぁ。折角遊びに来たのに」 「いや、管理人かと……。そんな事より、勝手に入ろうとすんの止めろよな」 「いいじゃん。合鍵くれたんだし」 「やっぱやらなきゃ良かったかなぁ。もう一度言うけどな、それ何かあった時にメイジ達を見てもらう為に渡したんだぞ。勝手に 出入りして良いって事じゃないんだからな」 「堅いなあ、としあきは。いいじゃん、別に。クローゼットとか、HDDとか漁る訳じゃなし」 「絶対入れさせねえ」 「ちぇっ。しょうがない。ならネットで見た、輪ゴムでチェーンロック開ける方法試すか」 「おい、捕まるぞ!?……うん?」  ふと、としあきが振り返ってみれば、三人の子ども達がニヤニヤと二人のやり取りを眺めている。 「う~ん、としあきと亜希さんは、本当に仲良しさんですねえ」とメイジ。 「まあ、幼馴染だって言うしね」とノヴ。 「知ってる。こういうの、夫婦漫才っつうんだろ?」と黒メイジ。  三人から一斉に言われ、 「な、何を……!?」  ととしあきはうろたえるが、亜希は歯牙にもかけない。 「ハイハイ、大人をからかわない。お、それはこの前の写真だね」  うろたえるとしあきを放っておき、亜希は子ども達の輪に入って、広げられた写真に手を伸ばす。 「おー、よく撮れてるねえ、って私も同じの貰ってるんだけどね」  その輪の中にずかずかと入り込み、亜希の隣に座ったとしあきが言った。 「まだ話が終わってない。大体何でこんな時間に押し掛けるかな、お前も」 「うん? 君は、ほんの何日か前の事も覚えてないのかな?」 「なっ!?」 「だーかーらー、言ったじゃん。『来たい時に来る』『頼まれなくっても遊びに来る』って。ねっ? メイジ」 「はい、確かに言ってました!」  としあきは両手で顔を覆ってうなだれ、ため息をつく。  そんなとしあきを無視して、四人は再び写真の話題に盛り上がる。その会話の中で亜希が三人に聞いた。 「ところでさ、みんなはこの写真どうするの? 私はこの、としあき張っ倒されてる写真をスタンドに入れたんだけど」 「え?」  ピタと三人が黙り込む。その様子を見た亜希には、ピンと来るものがあった。 「あ~そうだね、としあきがスタンドとか、アルバムとか、持ってる訳無いよね……。よし、それじゃ、これからも必要だろうし、 明日みんなで買いに行こう! 勿論としあきの財布で!」 「オ――!!(×3)」 「ちょ、俺の!?」  翌日。  本棚に、新しい一冊が加えられた。  そして皆から見える場所に、写真立てが飾られた。  飾られているのは勿論、あの集合写真である。  としあきは、これからも増えていくんだろうな、と思った。    (終わり)   後書き  ここまで読んでいただき、本当に有難うございます。長過ぎると自分でも思うのですが、結局どこも削れず、これで良しとする 事にしました。  8月8日の為に書こうとしたSSですが、7日に書き出して28日にようやく終わりました。8月中に終わっただけでも良しとしよう、 という事にさせて下さい。  内容についてあれこれ書く前に書くべき事を。  気付いた方もおられるかと思いますが、作中、編集者が口にした「好きな文章」というのは、中島らも『僕に踏まれた町と僕が 踏まれた町』からです。原文はもうちょっと長いのですが、適当に要約しています。引用という事で出典を記しておきます。  サブタイトルの「メイジと~~」というのは、日本前あき氏のブログ「ブルふたメイジ」のサブタイトルを拝借しました。  堅い話はこの辺にして、内容についてちょこちょこと。  元々8月7日の時点で全然ネタがありませんでした。そこで何も考えずに、鉛筆を手にして紙に思いつくままにイメージを書き連 ねていくうち、ふと、記念日だったら記念写真だろ、と思い、そこから話が膨らんでいきました。メイジととしあき達だったら、 どんな写真になる? 絵に描いた様な集合写真? いやいや、やっぱりドタバタだろう。そんな風に出来上がったSSです。  加えて言えば、《組織》の面々ならキャプあき氏のイラストがあるが、日常パートの面々の集合イラストって無いじゃないか、 というのも理由の一つです。元々サブタイトルにした「メイジと~~」のフレーズが気に入っている事もあって、そういう場面を 絵で描けないなら、文で書こうと考えたのがこのSSです。  また「メイジと~~」に関連して、黒メイジ、女医、編集者といった面々を中心に、出来れば全ての登場人物に等しくスポット ライトを当てたかったのですが、ノヴについてあまり書けなかったのが残念な所です。もっと言えば黒メイジについてももうちょ っと書きたかったです。本当は会話の組み合わせを全パターン書きたかったのですが、それは無理でした。それにしても、亜希が こんなに動きまくってくれるとは、全くの予想外。  以下、登場人物について少々。 ・としあき  自分で書いといて何ですが、子ども三人養うなんて無茶過ぎる……。カロヤンも居るし。 ・亜希  自分の中での亜希は、明るくさっぱりした人で、表面上はあんまり女の子っぽさを強く感じさせないタイプです。正直、あんま  り普通の女性だと、としあきと友人になるかな? と思うので……。 ・女医  仕事中は髪をアップにしているとか、女性にしては背が高めで、亜希より高くとしあきとほぼ同じくらいだとか、今回は本編中  に書かれなかった設定、と言うか、個人的なイメージが色々あります。 ・編集者  あくまで個人的なイメージですが、本編で書かれなかった設定として、実は大人四人の中で一番背が高いというのがあります。  猫背気味なので気付きにくいが、実はとしあきより頭3分の1程、背が高い。順に並ぶと、編集者>としあき≒女医>亜希。  ※なお、女医と編集者の設定については、過去に書かれたSS、『女医』や『編集者』から拝借したものも多いです。 ・黒メイジ  本名:メイジ   呼称:黒メイジorクロ  かなり安直なネーミングですが、良いのが思いつかなかったのと、分かり易くて良いだろうという理由で「クロ」という呼び名  が決定。  今回は「メイジのそっくりさん」という部分を強調する為に金髪になりましたが、褐色銀髪も良いなとこっそり思っていたり。  口調は少し荒っぽいですが、ちょっとワルぶってるだけの、根は素直な子です。  割に理性的と言うか、論理的なところもあって、「黒メイジ」と呼ばれる事については、先に「メイジ」が居た以上仕方がない  と考え、受け入れています。  長々と書きまくってしまいましたが、最後にもう一度。  ここまで読んでいただき、本当に有難うございました。  プレゼントあき