としあきがバイトもないのに家に居ない。 叔父から呼び出されたということで出かけているのだった。 小学校の編入などの話を持ちかけられて少々困っていたメイジ。 正直な話、密入国で日本に入ってきたのである。 小学校だの何だのというレベルではなかった。 しかし、そんなことを常識人のとしあきに伝えると非常に困らせてしまうだろう。 一人悩むメイジを尻目に、着々と手続きの準備をするとしあき。 そんな双葉家の元に、ブルガリアにいる叔父から電話がかかってきた。 たまたま日本に来ているので、としあきにちょっと付き合えという話だった。 男同士の話があるのでメイジはお留守番である。 メイジとしては留守番させられることに不満はない。 ただ。 「叔父様が『たまたま日本に来ている』なんてあり得ないと思うんだけどな……」 仕事の方は大丈夫なのかと心配になる。 そしてそんな叔父の誘いにホイホイ付いていったとしあきのことも。 ソファーの上で落ち着きなくごろごろしていると、インターホンが鳴った。 としあきが帰ってきたのかな、と小走りで出迎えに行く。 だが、いきなりドアは開けないでハンズフリーなインターホンに向かって口を開いた。 「海」 「腹」 「川」 「背」 迷うことなく返ってきた返事に、メイジは満面の笑みを浮かべてドアを開けた。 「おかえりー!」 「ただーいまっ」 今日も両手に買い物袋を下げたとしあきがにこやかに帰ってきた。 まるで家の手伝いを良くする女子中学生のような要望の青年は、やれやれと荷物を降ろす。 「自分の家に入るのに合言葉が必要って変な話だよ」 「だって何があるかわからないじゃない。用心してて損はないよ?」 「まぁねぇ」 あまり意味はないかもしれないが、メイジはこの生活を守るための努力をしたいと思っているのだった。 「それより叔父様は元気にしてた?」 メイジに訊かれ、としあきは笑顔で頷いた。 「元気そうにしてたよ。あ、そうそう」 言いつつ、手提げ鞄からいくつか書類を出して見せる。 「メイジの書類、色々と預かってきたから。これで各所への手続きはばっちりだっぜ」 「……へぇ」 何とも言えず、曖昧に声を漏らすメイジ。 それらの書類が全て偽造であることは、メイジの口からはとても言えなかった。 叔父は色々と用意してくれたのだろう。 自分の立場も不安定なのに、ここまでしてくれたことに感謝の言葉もない。 目に涙が浮かんでくるのを感じたので、それを隠すためにとしあきに背を向けた。 「とっしー、私お腹空いちゃったよ! 今日の晩御飯なに?」 「聞いて驚け! 今夜はカレーだ! カレーライスだ!」 買い物袋を拾い上げ、としあきは気合を入れて叫んだ。 「わーい! ……ってカレーライスって美味しいの?」 日本人ではないメイジには今ひとつ味が想像できない。 「カレーの美味しさを知らないようでは人生の六割は損してるね」 「そんなに!?」 「まぁ楽しみにしてることだよ」 ふんふんと鼻歌を歌いながら台所に去っていくとしあきだった。 「美味しいぃぃぃぃ!!」 食卓に並んだカレーを口にしたメイジは、思わず頬に手を当てて叫んでいた。 「何この……何!? 辛いけど辛くなくて、口の中でじゅわーっと味が広がって……!」 「いっぱいあるからたーんとお上がりなさい」 エプロンを付けたままテーブルについているとしあきは、メイジを微笑ましそうに見つめている。 がつがつとスプーンを口に運ぶメイジは、汗を拭くことも忘れて一心不乱な様子だ。 「こ、こんな美味しいものがあったなんて! ホントに人生損してたよ!」 「でしょー?」 メイジの汗をハンカチで拭ってやりながら、としあきは得意げだ。 「としあき、これお店出せるって! 私が保証するよ!」 口の周りをベタベタにして、メイジが瞳を輝かせる。 「あっはっは。おかわりもあるでよ」 「うん!」 としあきは自分もカレーを食べ始めながら、メイジに向かって言った。 「メイジが小学校に行くのもしばらく先になるし、僕も大学休みに入るし」 言いながら空になったメイジのコップに麦茶を注ぐ。 「今度一緒に部屋でごろごろしよっか」 「そこは一緒に遊びに行こうって言ってよー」 さすがにカレーを食べる手を止め、苦笑するメイジ。 「えー。めんどくさいにゃー」 少々渋い顔をするとしあきだったが、いちおう保護者としての姿勢を考えたのか。 「わかった。留守番ばっかさせてるしねー。たまにはねー」 出かける約束をしてくれた。 「やったぁっ」 暖かい食事と会話に、身も心も満たされていく。 こんな日がいつまでも続けばいいと、失いたくないと。 そう強く願うメイジであった。 追記。 「カレーは二日目がもっと美味しいっ」 「さいこー!」