12月24日のよく晴れた午後。恐れていた事態がついに発生した。 「いかん、これは年を越せんかもしれん」 俺は通帳の残高を睨みながら一人呟いた。 メイジは今は外出している。最近将棋にハマったとかで、近所の公民館の将棋教室に行っている。 趣味が渋いというか枯れてるというか……。まぁ日本文化に興味を示しただけと思っておこう。 ――その頃のメイジさん 「ん……?誰かが私のことを馬鹿にしているような気がしますね」 「メイジちゃんの悪口言う子なんていやしないよ。こんなに良い子なんだから」 「そんなこと言っても手は抜きませんよ。はい、これで王手です」 「ちょ、ちょっと待ったぁ!」 今はメイジのことよりこれだ。ぶっちゃけ生活費がヤバイ。バイト増やしただけじゃ追いつかなかったか。 小さな女の子と暮らしてるから仕送りしてくれなんて親には言えねぇしなぁ。 世間はクリスマスだなんだと景気のいい話をしているというのに。 「あー無理だ無理無理!」 頭を掻きながら畳に大の字で寝転がる。俺の脳ではいくら考えても完全な解決法は浮かんでこなかった。 とにかく今は可能な限りバイトして稼ぐしかないか……。最悪親に借りる口実も考えておかなきゃな。 ふと時計を見ると、バイトに出る時間が迫っていた。クリスマスは時給がいいからと入れたバイトだ。 「もう、か。こんなことメイジにゃ言えないよなぁ」 言葉の真意がメイジに心配させたくないからなのか、単なる俺の見栄なのかははっきりしていない。 ただ1つはっきりしていたのは、俺はメイジを手放すつもりが全くないということだ。 「ま、今更放り出すのはカッコ悪いしな」 言い訳じみてると感じながらも、俺はそんな独り言を吐いてバイトへと向かった。 ――その頃のメイジさん 「メイジちゃんはサンタさんにプレゼントのお願いはしたのかい?」 「はい?あの紅白のおじいさんがどうかしたんですか?」 「おや、知らないのかい?サンタさんはクリスマスに良い子にプレゼントをしてくれるんだよ」 「知りませんでした……。もっと詳しく教えてくれませんか?それはそれとして王手ですが」 「ゲゲェーッ!」 バイト帰りの夜道に、メイジのことを考えることが多くなった。 アイツは今日どんなことがあったのかとか、俺が作り置きしておいた晩飯に満足してくれただろうかとか、 そんなとりとめのないことをよく考える。これが家路につくって感覚なんだろうか。 考えるうちにふと自分が何か大事なことに気付けそうな感覚に襲われた。 意識を集中したが、結局それがどんな答えかは出なかった。アパートの部屋の前に着いてしまったからだ。 俺は思考を中断し、出迎えるメイジの姿を思い浮かべながら部屋のドアを開ける。 「おーう、今帰っ……」 だがそこにメイジの姿はなく、冷え切った部屋に夜の闇が広がっているのみだった……。 晩飯には手はつけられていなかった。昼に外出したまま帰ってないということか? こんな時間まで将棋教室がやってるはずはないから、その後に何かあったのだろうか。 「どこに行ったんだよ。早く帰ってこいバカ……」 不安を紛らわすように言葉を口にする。もう少し、もう少し待てばきっと帰ってくる……。 だがメイジは1時間経っても帰ってこなかった。もうこれ以上は待てない。 「メイジのやつ、見つけたら説教だ」 そう言って自分に気合いを入れ、俺は外へと飛び出していった。 公園、いない。 駅前、いない。 ゲーセン、いない。 商店街、いない。 メイジが行きそうな場所を片っ端から捜したが、どこにも見当たらない。 嫌な想像がじわじわと頭の中を占めていく。くそっ、負けてたまるか! 「メイジ!メイジ!メイジーッ!」 がむしゃらに走った。がむしゃらに叫んだ。ただ、がむしゃらにメイジを呼び続けた。 クリスマスで浮き足だった空気の街中を駆け回る。周りから見たら俺はさぞ異様だったろう。 やがて体力の限界がきた。アスファルトに無様に膝をついて必死に息を整える。 「はぁっ、はぁっ、こんな…ことなら……キリストを、信じて…んぐっ、おくん、だった……」 藁をもというかサンタクロースにもすがる思いだった。 その時不意に俺の目の前に鮮やかな赤と白が現れた。サンタの衣装でよくあるアレだ。 信じてなくてもサンタは俺にプレゼントをくれるらしい。 その証拠にそのサンタは聞き慣れた、そして聞きたかった声を俺に届けてくれた。 「こんなところで何してるんですか!?」 慌てたメイジの声。俺が上を向くのとメイジがしゃがんで俺に視線を合わせたのはほぼ同時だった。 そこにはサンタの衣装に身を包んで真っ白な袋を担いだメイジが心配そうに俺を覗き込んでいた。 「としあき!何かあったんですか?どうしてこんな……」 「なんで、お前、が…そんな顔、してるんだ、よ……。はぁっ、心配して、たのは、俺だぞ……」 呼吸を整えながら話す言葉をもどかしく感じる。そしてもどかしさに感情が抑えきれなくなり、 俺は思わず手を伸ばしてメイジの小さな身体を抱きしめていた。 「えぇっ!?い、いきなりすぎですよっ!」 メイジが突然の事態に混乱してじたばたと暴れる。担いだ袋がドサリと落ちる音がする。 「何も言わずにいなくなるなよ……。無事で、よかった……」 俺の泣きそうな声に事情を察したのか、メイジが身体の力を抜いたのが伝わってくる。 「……はい。心配かけてごめんなさい、としあき……」 優しい声。小さくても暖かい身体。俺はようやく自分の中から不安が消えていくのを感じていた。 この瞬間、俺の頭にバイト帰りに浮かんだ大事なことの答えがはっきりとわかった。 そう、確か俺が中学に入ったばかりの頃だ。 友達と一緒に初めてオールナイトで遊ぶ計画を立てたんだ。俺はその時背伸びしてて親にも妙に 反発してて……。それで、つい親に何も言わずに出かけたんだっけ。 そしたらお袋が寝ずに俺を捜したらしくて、朝方俺が家に帰る途中で見つかったんだ。 お袋は……今の俺みたいに俺のこと抱きしめて泣いたんだよなぁ。 ああ、そうか。 帰り道にメイジのことを考えてしまうのも、メイジがいないだけでこんなに狼狽えてしまうのも、 そして無事に見つかってこんなに嬉しいのも、全部メイジが俺の家族だからなんだな。 とてもシンプルで、とても大切なこと。俺はそれにやっと気付いたってことか。 「としあき……ちょっと、苦しいです」 「っとすまん。力が入りすぎた」 思考を辿ってる間ずっとメイジを抱きしめていたようだ。俺は慌ててメイジ離れる。 「もう、こんな道端で……」 メイジが頬を赤く染めつつぼそぼそと何か言っている。 この子供は……。俺はその仕草が妙におかしくて、つい吹き出してしまった。 「あーっ!今、笑いましたね?この私の姿を見て笑いましたねーっ!?」 「違うって!俺は格好がおかしいから笑ったわけじゃない!」 「私を見て笑った事実は変わらないじゃないですか!」 いかん、藪蛇だ。俺は咄嗟に話題を逸らそうと試みる。 「そもそも何でそんなサンタルックなんだよ。それを用意するために帰りが遅れたのか?」 「いやその、いつもお世話になってるとしあきにたまにはプレゼントをですね……。  最近お金にも困ってるようでしたし……」 話題逸らし成功。子供に気を使わせている駄目扶養者であることも路程していたが気にしない方向で。 「それでですね、私がサンタクロースになってとしあきに喜んでもらおうと………あ」 「ん?どうかしたか?」 「そういえば私になんでクリスマスのことをちゃんと教えてくれなかったんですかっ!」 逸らした先にも蛇がいた……。こうなったら勢いで押し切るしかないな。 「ブルガリアから来たくせに何でクリスマスも知らねーんだよ!常識だろ!」 「私はブルガリアの方から来たって言っただけですよ!自分の尺度で常識を計らないでください!」 「ウガーッ!」 「ムキーッ!」 そんな感じで俺達はたっぷり30分は道端で怒鳴り合いを続けたのであった……。 ようやくお互いに落ち着きを取り戻し、家へと帰る。 遅すぎる夕食を二人で食べて一息つく頃には既に日付が変わる寸前だった。 「あ、もうこんな時間なんですね……」 メイジがごそごそと白い袋の中から何かを取り出す。 「はい、プレゼントです。絶対に受け取ってくださいね」 そう言って俺の前に差し出されたのは真新しい諭吉さんの札束。………札束!? 「ちょっ、メイジ!お前こんな大金どこから……」 「私の持ち物で不要な物を処分してきたんです。もう旅をするつもりはありませんから」 至極冷静にメイジは説明する。俺の反応を予想していたのだろう。だから絶対に受け取れと言ったのだ。 「私はここにずっといたいんです。それに、一緒に暮らすとしあきの力にもなりたいんですよ……」 「…………」 小さな声だったが、メイジはそうはっきりと言った。メイジもまた俺と同じ気持ちだったのだ。 家族になるということ。家族として共にありたいと願うということ。 「駄目……ですか?」 沈黙を続ける俺の姿を否定と取ったのか、メイジの声がどんどん沈んでいく。 俺はメイジが不安を吹き飛ばせるようにできる限りはっきりと俺の思いを言葉にした。 「わかった。これはありがたくもらっておくよ。……ただし!使うつもりはないぞ」 予想外という感じのメイジの顔をじっと見つめながら俺は続ける。 「俺はお前を養うって決めたんだ。この金はお前のために蓄えておく。生活費のことは心配すんな」 「としあき……はい!しっかり養ってくださいね!」 「おう、任せておけぃ!」 そして俺達二人は笑った。お互いの気持ちが通じた嬉しさで。 生活費の問題はまだ解決したわけではないが、なんとかなる。いや、なんとかしてみせる。 メイジの気持ちに応えるために俺はそう決意していた。 「そうそう、大事なことを忘れてました」 ひとしきり笑い合った後でメイジが真顔に戻って言った。 立ち上がりサンタの衣装を整えて俺の真横に移動する。 そして可愛らしく首をかしげて 「メリークリスマス。としあき」 そう言って小さなサンタは今日最高の笑顔で祝福を贈ってくれた。