「2月の雪」 「どうしても行くと言うの…!!」 吹雪の中、駅の微かにもれる灯りを遥か彼方の景色としながら、去り行く男に向って叫ぶ。 行かないで、ただ願っているのはそれだけなのに。 男は振向きもせずに無言で頭を振った。 「どうしてぇッ!!」 本当は、判っている。去っていく理由など。 それでも…それでも私は…私たちは愛し合っていたはずだ。 「愛してるのに…」 立ち止まった男の深く被った黒い帽子に、黒いコートの両肩に、みるみる雪が積もった。 肩越しに僅かに私を見て…目を伏せる。 「愛していたよ、フェブ」 呟いた頬に、酷い傷が見える。 囲われ者に手を出した旅人は、もっとも大切な物を奪われた。 美しい世界を紡ぎだした彼の右手は、今はもうただの棒切れなのだ。 それゆえに、雪に囲まれた最果てのこの国を去り、遥か故郷に帰る。 過去形でなんて終らせないで、私の唯一の光。 「私は、今でも、愛しているわ」 「愛の代償にしては高すぎたんだよ……」 そう言うと、追い縋ろうとした私の手を払って、男は話は終ったとばかりに、雪の中を歩き出した。 「永遠に愛してるって言ったのに!!」 叫びを叩きつけながら、コートの内ポケットから出した銃を震える手で構えた。 失うくらいなら…私の手で終らせる…この愛を。 持ち出した銃は重く、今まで拳銃など持った事のなかった私には別の意味でも重かった。 去り行く背に照準を合わせるが、寒さと恐怖と悲しみと…何もかもが無い混ぜになった感情の激流が、トリガーを引き絞る指を押し止める。 「…殺すつもりか?」 男はこちらを窺って、立ち止まった。 「そうよ、私が、貴方を、殺すのよ」 震える両手で懸命に銃を構えながら、私は搾り出すように応えた。 「そうか…」 男は、突然、左手に持っていた鞄を雪の上に放った。 被っていた帽子を脱ぐと、雪を払って胸の前に静かに構える。 「額に一発で、頼むよ…」 微笑んだ頬が傷で引き攣れて、歪んでいる。 ガタガタと両腕が震える。 本当は判っている。 連れて行ってと言えない自分の弱さを。一緒に行こうと言わない彼の優しさを。 私は世間知らずの愚か者。 囲いの外に飛び出しても、彼の重荷にしかなれない。 涙が溢れて、雪と共に風に飛ばされて行く。 彼を殺して、私も死ねば良いと思った。 そして二人は天国で幸せに結ばれました。 幼い頃読んだ童話の様に。 でもそれは嘘だ、ただのお話、現実は違う。 血をたれ流して苦しんで苦しんで、そして終わり。 目覚める事の無い世界の終わり。 唐突に、私は悟った。 もし神様がどこかに居らっしゃるなら、私たちを御覧になられているのなら、ただ愛する人のそばに居たいと言うささやかな願いを、何故叶えて下さらないのだろうか。 私たちは別れて、今まさに醜く死のうとしている。 天国など何処にもない、神様なんて居ない。 なのにそれが判って尚、私はこの人から生きる事すら奪おうとするのだろうか……。 私は、銃を下ろした。 そして少し悩んでから、もう一度銃を構える。 自分の顎に、銃口を押し当てる。 終りの時がいつまでも訪れなかった為か、男は怪訝な顔をして、閉じていた瞳を開いた。 その視線がかち合う前に、私は引き金に力をこめ… 「フェブッ!」 小さく叫ぶ声だけが聞こえた。 強い力が、私の銃を弾き飛ばした事だけは判った。 少なくとも弾丸が、私を打ち抜くことはなかった。 どれほど時間が経ったのか判らなかった。 このまま埋もれて、死んでしまえたら良いのにと思ったけれど。 ゆっくりと身体を起す。 男は既に、居なかった。 鞄は何処にもなく、銃と、黒い幅広帽だけが私のそばに落ちていた。 私は跡を追うことを止め、座り込んだまま声を押し殺して泣いた。 ひとつの愛の終わりを、悼む為に。 「君の名前は?」 男はキャンパス越しに私に訊ねた。 「フェブ…フェブラリィ。2月に、ここに着たから…」 怪訝な顔をして、男は私を見る。 それは訝しむと言うより、不思議そうな表情で、とても優しく微笑んでいるようにも見えた。 「なにかオカシイの?」 「いや、フェブ……フェブラリィか。…俺と同じ名前だね」 と、男は笑ってそう言った。 今度は私が不思議そうな顔をしたのだろう。 「俺はキサラギ、この名は日本での2月の古い呼び方なんだよ」 *** 「あとがき」 前半のほうは一度スレにあげてました。多少加筆修正あり。 保管庫のイラストまとめ7ページ目の一番下左端の画像を御題にしてます。 ・雪の中に座り込む黒い服の女性 ・彼女の名前がフェブラリィ ・彼女の周りには、帽子と拳銃と思わしき物 ・彼女は放心して泣いているようだ ・周囲は暗く、吹雪いている と言う前提で、あまりブルふたとか組織とか考えずに組み立ててしまいました。 誰なんだキサラギ。 以上、改行できないあきでした。20080213up