「ご、ごめん、ノヴ……あんなにびっくりするとは思わなくて」  ノヴが風呂から上がってくるなり、俺は謝った。 「あ…い、いえ、こちらこそ、驚かせてしまったみたいで……」  ギクシャクとした、嫌な空気。  メイジの呆れたような視線を背に感じながら、座ったままでノヴを仰ぎ見る。  湿気を帯びて頬に張り付いた髪。  桜色に上気した頬。  仮のパジャマに、と渡したTシャツから覗く、肉付きの薄くすべすべとした手足。  断っておくが、俺にその趣味は無い。  いくらネット上で「わぁい」だの言ってても、同性に欲情はしない。  しない……はず、なのに……  無性に、ドキドキする。  もしかすると、自分じゃそのケがあるのに気付いてないだけなんじゃないか、とすら思ってしまう。  しかし、だ。  仮にノヴが女の子だったとしても、俺はそもそもロリコンじゃなかったはず……  メイジとイロイロしているうちに、俺の性癖が変わりつつあると言うのだろうか―― 「あ、あのっ、でも……良かったです」  戸惑ったようなノヴの声に、俺がノヴをじっと見つめたままだった事に気付く。 「良かった?」  こんなことを考えているときに主語もなく『良かった』だなんて、いたした後のような言葉をかけられても、その、困る。 「はい、トシアキさんが、男の人で良かったです」  満面の笑みと共に発せられたその言葉に、俺は思わず後じさった。  まさか、この歳でそういう趣味……なのか?  メイジに掘られたときの古傷が、小さく疼いた……気がした。  たじろぐ俺に向かって、ノヴが言葉を継ぐ。 「だって、女の人だったら何されてたかわかりませんし」 「……へ?」  ノヴの口からまたしても珍言が飛び出した。  女性に何か嫌な思い出でもあるのだろうか。  俺としては、女性に逆レイプなんてのは「ご褒美です!」の一言に尽きるが。 「ああ、ノヴは女性嫌いですからね。というのも――」 「メ、メイ!」  メイジが横から口を挟みかけたが、ノヴによって阻止される。  ますますもって気になる反応だ。 「……まぁ、ここでは伏せておきましょう。本人の名誉のために」 「うう……」  得意げなメイジと、それを恨めしげに睨むノヴ。  思いっきり「弱みを握った者と握られた者」の様相だ。  ……もしかして、メイジに何かされたんじゃないだろうか。  俺の尻を抉ったときの彼女の様子から察するに、その可能性は無きにしもあらず、といったところだろう。  だが、あまり深いことを突っ込んで聞くのはやめておく。  知って得することばかりじゃないだろうし、逆にいろんな意味で突っ込まれかねないし。  ひとまず俺は、そんな二人を横目に風呂へと足を運んだ―― 「お先ー」 「ひぅっ!?」  風呂上り。  ドアを開けざまに発したその一言に、メイジと仲良く並んでDVDを観ていたノヴの背中が大きく跳ねた。  油の切れたカラクリ人形のように、ぎこちなくこちらを振り向くノヴ。  その表情は、今にも泣き出しそうだった。  そして―― 「ト、トシアキさぁんっ!!」  俺だと確認するや否や、ノヴは俺に抱きついてきた。  いや、そんな格好で胸元に飛びつかれても、その、困る。 「メイが! 吸血鬼が!」  ノヴは何か喚きながらメイジの方を指差す。  早速メイジに何かされたか……と思ったが、そうではないようだ。  メイジの方を見遣ると、心底呆れたような表情で首を振っている。  その背後、DVDプレイヤー兼用のゲーム機が繋がれたテレビには、古式ゆかしいモノクロ映画が映し出されていた。  丁度、黒スーツを着たオールバックの怪人が、背後から男性に襲いかかろうとしている。 『魔人ドラキュラ』……1931年封切りの古い映画だ。  ブラム・ストーカー原作の「吸血鬼ドラキュラ」を元に作られた、吸血鬼映画の金字塔とも言える名作だけど…… 「えーっと、もしかしてノヴ、ホラー映画苦手なのかな?」  俺が問うと、ノヴは俺の胸に顔を埋めたままでビクリと震えた。 「い、いえ、違うんです……苦手って言うほど苦手じゃなくて、でもアレは別というか……」  勢い良く顔を上げ、必死になってまくし立てるノヴ。  だがやはり、怯えていることは隠し通せていない。 「ノヴはホラー全般が苦手ですよ。その中でも吸血鬼は特に」 「メ、メイ……っ!」  そしてそれを無慈悲にも暴露するメイジ。 「それというのも――」 「ちょっ、やめてよメイ!」  またしても、メイジが続けようとするのをノヴが遮る。  ノヴには悪いが、見ていて少し面白い。 「まぁ、とにかくその弱点を克服させてあげようとしているのに、ノヴと来たら……」 「す、好きになんてなりたくないよぉ……そんなの」  そんな、男としてあまりにも情けない言動に業を煮やしたのか、メイジはつかつかと歩み寄り、ノヴの首根っこを引っつかんだ。 「つべこべ言わずさっさと見る!」 「ひっ!? 嫌、嫌だぁ……!」  情けなくズルズルと引きずられ、元の場所に座らされるノヴ。  思いっきり涙目。  仕方なく、俺もその隣に腰掛けた。 「あ…トシアキ、さん……?」  ノヴが涙を目一杯溜めた瞳で俺を見上げる。 「俺も一緒に観るからさ、最後まで見よう?」  俺がそう言って微笑みかけると、ノヴは無言で俺の手を握ってきた。  きっと、傍目に見ればかなりアレな構図だろう。  その証拠に、ノヴの向こうからメイジがジト目でこちらを睨んでいる。  正直、何度も観て見飽きた映画だけれど。  こうして誰かともう一度見るのも悪くない。  今、俺は、家族というものの温かさや楽しさを噛み締めていた―― 「きゃぁああぁっ!?」  吸血シーンに差し掛かり、甲高い悲鳴と共に俺に抱きつくノヴ。  ……いや、女の子じゃあるまいし。  それに吸血シーンといっても、昔の映倫規制のせいもあって、そういうシーンは大抵画面のフレームの外で行われている。  今のホラー映画と比べれば、上品でソフトもいいところなんだけど……  それでも、怖い物は怖いらしい。 「ひぅぅぅ……」  俺にベアハッグをかましそうな勢いで、ノヴの腕に力がこもる。 「はぁ……まだまだ先は長そうですねぇ」  メイジは次に再生させる吸血鬼映画を吟味しながら、呆れきった声でぼやいていた――