「はぁ……」  騒音と有線放送が、分厚い壁越しにも聞こえる。  客もまばらな平日昼間のパチンコ店。  休憩室のパイプ椅子に腰掛けたまま、俺は虚空を見つめて嘆息する。  吸い込んでいた紫煙が、塊となって宙を漂った。 「どうした双葉、最近随分お疲れモードじゃないか」  ボンッ、と勢いよく肩を叩かれ、声がふってくる。  ふと見上げると、人懐っこい笑顔を浮かべる、眼鏡をかけた青年――店長の顔があった。  俺とは3、4歳しか変わらない。  実績がものを言うこの業界では、このくらいの年齢の店長は珍しくない。  この人の下、この店でアルバイトとして働いてもう3年になる。  俺のように20代も半ばになって燻っている者も居れば、この店長のようにして店長に抜擢される者も居る。  つくづく、自分の不甲斐無さが身にしみる瞬間だ。 「いえ……今、親戚の女の子を預かってるんですけどね」 「ほぉ」  俺のその言葉に、店長がにまぁっと破顔した。 「なるほどなぁ、あの双葉がなぁ」  店長は腕を組み、一人で勝手に頷く。  俺自身の頼り無さはある程度自覚している。  ある程度余裕を持って生活できているとはいえ、誰かを養うなんて事はメイジが来るまで考えたことも無かった。 「まぁ、預かるだけなら良かったんですけど……」 「……どういう事だ?」  俺の一言に、訝しげな視線をおくる店長。 「おじさんとおばさん……彼女の両親、亡くなったみたいで、もしかするとこれからずっと……」 「……おいおい、そいつは責任重大じゃないか?」  これには流石の店長も驚いたらしい。  無理も無い。  彼女を作るだけの甲斐性も無く、いまだに定職にも就いていない俺が、子供を養育するなんて。  しかも、メイジ以外にもまだ何人も来る可能性があるというのに。  店長はしばらく難しい顔で考え込んだような様子だったが、やがて思い切ったかのように顔を上げた。 「よし双葉! お前、来月から時給上げてやるよ」 「えっ!?」  意外な言葉だった。 「子供一人養うってのは結構『コレ』が要るもんだからな」  人差し指と親指で円を作り、ニヤリと笑う店長。 「い、いえ、俺…そんなつもりで言ったんじゃ……」  確かに、時給が上がるのは願っても無い話だ。  でも、俺はそんな事が目的で店長にこのことを話したわけじゃない。  戸惑う俺の背中を大きく叩きながら、店長は声を上げて笑った。 「遠慮するなって! お前は長い間よく働いてくれてるし、もう100円そこら時給が上がったっておかしくないさ」 「で、でも……」  俺の言葉には耳も貸さず、高々と手を上げながら事務所へと消えてゆく店長。  俺はその背中を、嬉しいような申し訳ないような、複雑な気持ちで見送った。 「うっ……さむ……」  最近、一層冷たさを増した北風に、首をすくめる。  俺がマンションに帰り着く頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。  時給はかなり良い。  しかし、この季節は日のあるうちに帰れない事がこのバイトの辛いところでもある。  色んな鍵をくっつけたせいでジャラジャラと絡まるキーホルダーから部屋の鍵を選び出しながら、ふと、メイジの『きょうだい』達に思いを馳せる。    メイジと出会ってはや二ヶ月近く。  それなのに、ここを目指して旅立ったはずの彼等は、一向に現れない。  季節は秋から冬へと移り変わり、寒さも日に日に厳しさを増している。  彼等はこの寒空の下、何処でどうしているのだろか。  来られればまた苦悩と苦労の種が増えるだけなのは明らかだ。  でも、俺を頼ってはるばるブルガリアから向かってきている子達が、途中で行き倒れたりしていたら……と思うと、気が気でならない。  まがりなりにも、おじさんが愛した家族。  死なせたりしてしまったら、おじさんに申し訳が立たない。    そうこうしているうちに見つけ出した鍵を、ドアノブに差し込んで半回転させる。  ドアノブを回し、空けようとして違和感に気付いた。    ドアが、開かない。   鍵はさっき俺が回したはず。  つまり――  ドアは、最初から開いていた――?  それに気付くと同時に、俺の脳裏に様々な物がよぎる。  まず思い浮かぶのは、メイジの荷物。  拳銃と、何かクスリのような物。  まさか――  俺の背中を冷たいものが走るのを感じた。  急いで鍵を選びなおし、再び半回転させる。  勢い良くドアノブを回し、扉を開けると同時に身体を滑り込ませる。  幸い、チェーンはかかっていなかった。  かかっていれば、蹴破る事も辞さないつもりだったが。  キッチン部分を走りぬけ、部屋のドアを勢い良く開く。  と、同時に、部屋の真ん中でテーブルに向かい、ちょこんと座った小柄な背中が視界に入った。  柔らかな金髪。  コートのような、特徴的なワンピース。  その頭が、まどろんでいるのかこっくりこっくりと舟をこいでいる。   …良かった、無事だった。  胸をなでおろし、その背中に歩み寄る。 「メイ――」  俺が呼びかけた、その瞬間だった。 「っ!?」  その頭がガクンと一際大きく揺れ、その背中が懐から何かを抜き出しつつ、驚くべき速度で振り返った。  小さな右手に握られた、黒い大きな塊。  それが何か悟った俺は、その手の軌道上に腕を押し込む。  硬質な衝撃が右腕に走った刹那、残した左手でその塊を捕まえる。  それは案の定、ガバメントタイプの拳銃だった。  右腕でブロックされる形になった拳銃は、その銃口を俺の身体へと向けられずに止まっていた。  左手で掴んだスライドを素早く半引きにし、エジェクションポートに指を突っ込んで意図的に閉鎖不良を起こさせる。  モデルガンをいじくり回していて思いついた技だったが……  まさか、初めての実践が実物相手とは思わなかった。 「な……っ」  こちらを睨む青い双眸が、驚愕したように見開かれる。  急な運動で大きくなびいた金髪が、その細い肩をずるりと滑り落ちていた。  どうやらウイッグだったらしい。  中から現れたのは、メイジと同じ金髪。  その髪は短く、男の子の様な印象を受けた。 『あれ? 髪切った?』などと、グラサンの司会者のような台詞を発するような状況じゃない。 「……キミは?」 「……貴方は?」  俺と謎の金髪少年が声を発したのは、ほぼ同時だった。  どうやら、俺が誰か知らず、反射的に銃を向けようとしたらしい。  こんな事をやりそうな子供に、一つだけ心当たりがあった。 「キミはまさか――」  俺が問おうとしたその瞬間。  背後でトイレを流す水音と共に、部屋のドアが開けられた。 「……トシアキ?」  振り向くと、そこには不思議そうな瞳で俺と少年を見つめるメイジの姿があった。 「す、すみません! 背後に気配を感じたもので、トシアキさんとも知らずに……」  メイジが少年に俺のことを紹介すると、彼は大げさに低頭した。 「いや、まぁ……俺も無事だったし、そんなに気にしなくていいよ」  俺があのCQCもどきを使えなかったら、どうなっていたか。  少年の傍らに置かれた拳銃を眺めながらそんな事を考えたが……想像すると怖いのでやめておく。 「そういえば、まだ名前……聞いてなかったね?」  俺が少年に問うと、少年はハッとした様な表情を浮かべ、姿勢を正した。  一見、メイジと同じくらいの年齢に見えるが、メイジと同じかそれ以上に礼儀正しい性格らしい。 「あ、申し遅れました。僕は『ノヴ』と言います。よろしくお願いします」 『ノヴ』……メイジが『メイ』や『皐月』で5月だった事を考えると、November……11月の略だろうか。  差し出された小さな手と握手を交わしながら、そんな事に思いを馳せる。  俺とメイジに加え、新たな同居人、ノヴ。  この6畳のワンルームで、3人での新生活が始まった――