『黒い女医』    ◇第1章「鬼崎医院(きさきいいん)」  鬼崎医院は住宅地の中に建つ医院である。古くからこの町に根ざした医院で、近隣の住民に とってはまさにかかりつけ医といえる存在だ。院長が代替わりしたばかりなのだが、にもかか わらず地域住民からの信頼は依然篤い。  現在時刻はすでに午後の診療時間を終えた後。スタッフはみな退勤し、院内の照明はあらか た落とされているのだが、診察室からはまだ明かりが漏れる。医院の表門は施錠され、外灯が わずかな光を放つのみ。  しかし、それでも患者はやって来る。表門を閉ざした後にしか来られぬ患者が。  裏口のチャイムが鳴った。ひとりだけ残っていた看護師が出迎えに行く。 「先生、患者さんです」  院内を恐るおそる見回しながら、ひとりの男が診察室に入ってきた。肩をすぼめ、いかにも 不安そうな表情を浮かべている。 「ア、アノ、ココ、オカネ、イラナイッテ、ホント……?」  たどたどしい日本語。薄汚れた身なり。その素性はおおかた察しがつく。 「お金の心配はいりません」  栗色の髪をアップにし、スリムな銀縁眼鏡を掛けた若い女性がきっぱりと答えた。彼女こそ、 この医院の若き2代目院長・鬼崎 玄衣(きさき くろえ)である。 「さあ、どうぞ掛けてください」と玄衣は椅子を勧める。 「どうぞどうぞー」と看護師も明るくうながす。柔らかな優しい声だが、170cmを優に超す長身 に圧倒され、患者はやや腰が引けながらおずおずと座る。  彼の腕には汚れたテープがぐるぐる巻きにされていた。 「ここですね?」患者がうなずくのを確認し、玄衣はそれを剥がす。 「ああ、これは酷い……。すぐに治療しましょう」  言うなり、玄衣と看護師はまたたく間に処置を終えてしまう。 「はい、終わりましたよ」  清潔なガーゼと包帯が巻かれた腕を抱くようにして、患者は涙ぐんでいた。 「ア、アリガト……アリガト……」  そんな患者に、玄衣はぴしゃりと言い放った。 「勘違いしないように。われわれはただ治療をするだけです。何もかも助けたりはしません。 たとえば、あなたが警察や入管などに追われたとしましょう。われわれは助けません。そのこ とを忘れずに」 「……デ、デモ……コレ、ウレシカッタ。アリガト、アリガト……」 「どうぞ、お大事に」      ◆◇◆    ◇第2章|第1話「冬の夜の急患」  昼の患者、夜の患者。表の患者、裏の患者。両方を診る玄衣の日々は多忙だ。早いもので季 節は冬、12月も3分の2が過ぎていた。 「フゥ……年末年始はどうなるかなぁ。それくらいはゆっくりしたいものねえ」 「そうですねー。でも今のところ患者さん来られませんし、もしかしたら今夜はゆっくりでき るかもしれませんよー」  玄衣のつぶやきに答えたのは、“夜の診療”のただひとりのスタッフ、看護師・桜居まさみ である。  バレーボールかバスケットボールの選手のような長身だが、均整の取れた体型にはごつさよ りスマートさがある。肩より上のあたりで切り揃えた焦げ茶色の髪はふんわりと波打ち、声も 雰囲気もすべてが柔和で、愛らしさがある。  実は玄衣自身も身長は170cm近いのだが、まさみのそういう魅力には内心うらやましいものが あった。 (やっぱり敵わないな……)  玄衣がそんなことを考えていたときである。医院の電話が鳴った。 「はい、鬼崎医院です」  まさみが電話を取った。そしてメモを握って診察室に駆け込んでくる。 「急患です。“夜”のほうですが、動けないそうです」 「行こう」  まさみの報告を聞きながら、玄衣は必要な準備を整える。  それを終えると、白衣を脱いだ。新たに着込んだのは黒のロングコートだ。まさみも同じも のを着ると、ガレージに行き車を回す。  まさみが運転するワンボックスカーに玄衣が乗り込むと、服や靴、手袋まで黒づくめのふた りは現場へと向かった。      ◆    ◇第2章|第2話「事件」 「ここに患者が?」 「電話で聞いたのは、ここのはずなんですが……」  ふたりが到着したのは、閉店し、解体を待つボウリング場である。よく見ると、閉鎖されて いるはずの扉が一枚開いている。“夜の診療”にはこのようなこともままあることだ。ふたり は持っていた荷物の中から、それぞれ懐中電灯を取り出した。  玄衣は片手に収まるフラッシュライトだが、まさみは長さ約30cmのジュラルミン製懐中電灯 「マグライト」を左手で逆手に持ち、柄を左肩に担いでいる。LEDの強力な光が闇を照らすと、 ふたりは躊躇することなく足を踏み入れた。  中に進むと、すぐに人の存在に気がついた。なぜなら中にいる者たちも懐中電灯を使用して おり、その光が漏れていたからだ。  近づいてみると、座り込んでいる者が1人、脇に立っているものが2人。座っているほうが 患者か。立っているほうは玄衣たちに気がついたようだ。 「鬼崎医院です」 「あ、アンタが医者か。頼む、助けてくれよ」 「刺されてんだよ、早くなんとかしろよ!」  口々に急かす2人は、二十歳そこらと見えるまだ若い男性だ。口調でもわかるが、明らかに 柄が悪い。 「患者はこちらの方ですね」  玄衣は座り込んでいるほうの前に立つ。同時にまさみは車から運んできたバッテリー付きの 照明器具を立て、患者を照らす。  患者も男性で、年齢は先の2人とさほど変わらないようだ。だが、年の割に着ているものは かなりよさそうである。身なりからは若いやり手の人物に見えるが、玄衣をねめつける表情に は傍らの男たちと同じような雰囲気が感じられる。  玄衣は黙って座り込む男の体に目を走らせる。なるほど、腹に果物ナイフと思しき刃物が突 き刺さっている。だが、ナイフを抜いていないのはよい判断だ。こういう場合刺さったままの ほうが、刃が傷口の蓋になり出血を抑えるからだ。  これなら医院まで搬送して処置すればいい、玄衣がそう判断した瞬間である。 「先生! 先生! 向こうにもう1人倒れています!」  まさみの叫び声が響いた。      ◆    ◇第2章|第3話「露見する事実」  どういうことだ? 玄衣はまさみのマグライトが照らす先に目を向ける。たしかにもう1人、 床に倒れている人物がいる。玄衣とまさみは慌てて駆け寄った。  倒れていたのも3人とは同じくらいの年恰好の男性だった。だが、見た目の印象でいえば先 の3人とは全く違う、いたってごく普通の感じだ。  ひどい傷で、意識は朦朧としている。暴行を受けた結果であることは明白だった。 「オイ、何してんだよ!?」 「ソイツは関係ねえんだよ! こっちを診ろよ!」  男たちが口々に罵る。だが、玄衣は動じない。静かな口調で彼らに向かって言った。 「なるほどね、なんで救急車を呼ばず、ウチに電話してきたのかわかった。暴行(コレ)を表沙 汰にしたくなかったわけか」 「うるせえよ! そんなモンどうでもいいんだよ!」 「俺らは悪くねえんだ! ソイツが刺してきたからだよ、正当防衛だ!」 「やかましい!!」  玄衣の一喝。一瞬静まり返ったその機を逃さず、玄衣は男たちに詰め寄り言った。 「治療はします。けど、その前にはっきりさせておきたい。この件、治療費は誰に請求すれば いい? まずそれに答えなさい」 「俺が……出す……」  答えたのは、刺された男だった。 「ふーん。やっぱりあなたがリーダーか。じゃあ、聞きなさい。あなたは治療する。だけど、 倒れてるこの人も治療する。2人分の治療費を出しなさい。それが条件よ」 「んだよそりゃ!」 「ざけんなよ!」  玄衣の出した条件を聞き、取り巻きの2人が激昂した。      ◆    ◇第2章|第4話「危険な交渉」 「てめえ、舐めてんのか!」  取り巻きの片方が玄衣に近づく。その時、そのあいだに滑り込んだ者がいた。 「がっ!?」  うめき声。男の喉に手袋をした大きな右手ががっしりと食い込み、強烈に締め上げていた。 「あんまり手荒なことしちゃだめよ。患者が増える」  玄衣が慌ても騒ぎもせずに言う。 「わかってますよー」  割って入ったのはまさみである。その長身ゆえ、手足も相応に長い。喉を掴まれた男は必死 に腕を振り回すが、まさみの体には届かない。 「てめえっ!」  もう片方の男が叫んだ瞬間、まさみは左手のマグライトを振り上げた。  ピタリ、とマグライトの柄の先端が男の鼻先に突きつけられる。 「やめろ……」  リーダーの言葉に取り巻きの男たちはおとなしくなる。まさみも右手を離し、マグライトを 下ろす。その前に玄衣が立ち、リーダーと対峙する。 「なんで俺が……2人分払うんだよ?」 「追加料金。1人と聞いて来たのに、2人も怪我人がいる。ならそれだけの治療費はもらう」 「アイツの治療費なら……アイツに払わせろ」 「話ができる状態じゃない。そもそも、あなたが依頼者だからね」 「あんなん依頼に入ってねえ……」 「あいにく、治療方針を決めるのは私なので。嫌なら帰るわ。救急車を呼びなさい」      ◆    ◇第2章|第5話「真夜中の乱闘」 「クソがぁ!」  突如の怒声とともに取り巻きの男たちが左右から襲いかかってきた。だが次の瞬間。 「あぐ……」  左側の男がまさみの強振したマグライトを脇腹に打ち込まれ、その場で頽れる。打つや否や、 まさみは身を翻し右側の男に向き直る。  突っ込んできた男とまさみの体が正面からぶつかり合った。その衝撃でわずかにまさみの体 は後退するが、体勢は崩れていない。まさに相撲でいう四つに組んだような状態。 「クッ、クソ……このデカ女ぁ」  男のうめき声が漏れる。  不意に、まさみが微笑んだ。 「デカ“女”かぁ……。どうも」  まさみの言葉に男は訝しむ表情を浮かべた瞬間、まさみはマグライトを手放した。そして空 いた左手で男の前髪を掴むと思い切り後方に押し込んだ。  たまらず男の顔がのけぞる。 「ありがとぉぉぉぉ!!」  そこに180cm近い長身から振り下ろされた頭突きがめり込んだ。      ◆    ◇第2章|第6話「決着」  強烈な一撃で抵抗を失った男の体を、まさみは押しのける。床に倒れ込んだ2人の男は起き 上がれず、ただうめいているだけだ。 「先生! 大丈夫ですか!?」 「ええ。それよりあなたの右手は? それ大丈夫?」 「ああ、これですか」  まさみはそう言うと右手を掲げた。その手が握り締めていたのはナイフの刃であった。 「2人目がこれを持って突っ込んできたので咄嗟に掴んだんですが、防刃手袋をしていますか らね。問題ありません」  まさみはナイフを遠くへ投げ捨てると、玄衣に指を開いたり閉じたりしてみせる。 「ならいいんだけど……。そういえば、なんだかご機嫌じゃない。女扱いされたのがうれしか った?」 「え? あ、いやー、そのー」 「まあ喜ぶのは別にいいけどね、仕事中よ」 「あ、はい! そうですね!」 「大体あなたは十分かわいいわよ」 「えっ? あ、ありがとうございます……」  玄衣は、呆然と事の成り行きを見ていた依頼者の前に再び立つ。 「で、返事は?」  結局、玄衣とまさみは患者を2人、医院に運んだ。  そして2人分の処置を終えた頃には、もう早朝が近かった。      ◆◇◆    ◇第3章|第1話「見舞い」  翌日の夜。玄衣は市内の病院に足を運んだ。ここには昨夜の2人が入院している。その様子 を見に来たのだ。  まずは昨夜の治療費だ。取りっぱぐれるわけにはいかない。慈善事業ではないのである。  刺された男の病室に行くと、患者は顔色もよく、いかにも元気そうだ。個室に入って悠々と している。 「こんばんは。調子はどう?」 「アンタか。まあ悪くはねえよ。何しに来たんだ」 「治療費」 「あ――、そうだったな……チッ、めんどくせえなぁ……」 「踏み倒したら、そのほうが面倒なことになると思うけど?」 「チッ! まあいい……アンタの医院(トコ)はよっぽど特別らしいからな……。俺だって下手 なことして、そこらじゅうに敵作りたくはねえ……ホラよ」  そう言って男は、無造作に茶封筒を2つ、ベッドの上に投げ出した。なかなかの厚みだ。玄 衣は手に取ると中身を確認する。両方ともきちんと請求したどおりの額だ。 「どうぞ、お大事に」  それだけ言うと、玄衣は病室を出た。次は重傷のほうの見舞いである。      ◆    ◇第3章|第2話「もうひとりの見舞い」  もうひとりの患者は大部屋にいた。怪我としては軽いほうが個室で、重いほうが大部屋か。 そんなことを考えながら、玄衣は病室に向かう。  行ってみると、包帯やガーゼで顔をほとんど真っ白にしたその患者がベッドに横たわって いた。 「こんばんは。お加減はいかがですか?」  玄衣が挨拶をするが、一目見た時から患者の異常を察していた。表情があまりに暗い。これ は強い恐怖や不安を抱え込んだ表情だと、玄衣は気づく。  玄衣は仕切りのカーテンを引き、ほかの患者の視線を避けると椅子を引き、患者の傍らに座 る。 「何があったんですか? せっかく助かったのに、何がそんなに不安なんです」  玄衣は尋ねるが、患者は答えない。きつく目を閉じ、首を横に振り続けるだけだ。 「もしや……昨夜のあの男が何か?」  患者の体がこわばる。と思いきや、ガタガタと震え始めた。まずい! 玄衣はとっさに患者 の肩に腕を回して優しく抱きしめる。 「落ち着いて……落ち着いて……ゆっくり呼吸をして……」      ◆    ◇第3章|第3話「告白」 「落ち着きましたか?」  しばらくして玄衣は再び尋ねる。どうやら震えは治まってきたようだが、表情はこわばった ままだ。包帯などの隙間から蒼白になった肌が見えている。 「よく聞いてくださいね。覚えていないでしょうが、私はあなたを最初に処置した医者です」 「え……お、お医者さん……?」 「はい、そうです。鬼崎医院の院長、鬼崎玄衣といいます。何があったのか、お話しになって はいただけませんか。医師には守秘義務があります。今日聞いたことは絶対に誰にも洩らしま せん。ですから安心して、なんでも話してください」 「ぼ、僕は……あ、あいつに……」 「怖い目にあわされたのですね?」 「う、うん……で、でも……」  言い淀み、患者は再び目をきつく閉じてしまった。歯を食いしばって何かに耐えているかの ような表情を浮かべる。やむを得ず、玄衣はうながした。 「あの男を憎んでいるのですか?」 「……うん」 「何故です? 教えていただけませんか」  またもや沈黙。今度は患者自身が話し始めるまで、玄衣は辛抱強く待つ。そのあいだ、彼女 は患者の手を握り続けていた。  やがて、ぽつりぽつりと患者の口から言葉がこぼれ始めた。 「あいつは……僕の親友を……。僕はそれを……最近……やっと……。敵を……。でも……」      ◆    ◇第3章|第4話「特別な薬」  2人の患者の見舞いを終えた玄衣は病院を出た。携帯電話の電源を入れると、医院に電話を 掛けた。 「ああ、まさみちゃん? 悪いんだけど、ちょっと寄るところができた。え、何の用かって? まあそうね、“薬の仕入れ”ってところかしら。じゃ、私が帰るまで対応お願いね。急患だっ たら知らせて。じゃ」  まさみに夜の診療の指示を出すと、玄衣は街へと向かう。目指すのは市の中心部にある繁華 街の、その外れである。そして、ある古びた喫茶店に入った。  玄衣はマスターに声をかける。 「こんばんは。“奥の席”は空いてます?」 「はい、空いております。どうぞ、お掛けください」  その言葉を聞くと玄衣は店の一番奥、構造上柱の陰になるボックス席に着いた。ややあって、 マスターが席に来た。 「コーヒーください。それより、お願いが」 「承知しております」  そう言うとマスターは対面の席に着く。豊かなバリトンボイスをひそめつつ、慇懃に切り出 した。 「それでは、お伺いいたします。本日はどのようなご用向きでしょうか」 「私が2代目を継ぐ直前、父に連れられてここに来ましたね」 「さようでございました」 「そこであなたのもうひとつのお仕事と、ある“代行業者”のことを教えられました」 「先生、まさか……」 「あなたはあの時、『時にはこのようなものが、薬になることもあるかもしれない』、そう言 いましたよね。その薬、使わせていただく時が来たのかもしれません」 「……かしこまりました。詳しくお聞かせ願えますか」      ◆◇◆    ◇第4章|第1話「報告」  玄衣が見舞いに行った2日後の夜、1本の電話が医院に掛かってきた。応対したまさみが玄 衣に繋いだ。 「ああ、マスター。もしかして、一昨日の話もう進んでるんですか?」 「はい。もう年末でございますから、速やかに処理したほうがようございましょう。なにより、 ほかならぬ鬼崎先生からのご依頼でございますから」 「年末か……たしかにそうですね。それで、彼の依頼は受けてもらえたんです?」 「ええ、なんの問題もございません」 「それじゃ、虐めや自殺、脅迫というのも全部事実だったわけですか」 「さようでございます。それから先生がお考えになったように、対象は完全に裏の人間でござ いますね。さような点から申しましても、“業者”の整理対象でございます」 「そう。とにかくよかったです。ありがとうございました」 「ああ、そうそう。わたくしどもの調べによりますと、対象は『病院でクリスマスは嫌だ』と 駄々をこねているのだとか。恐らく、明日明後日にも無理やりに退院するものと存じます」 「……なるほど、“クリスマスプレゼント”ですね。では、よろしくお願いします。“業者” の方にも、どうぞよろしくお伝えください」      ◆    ◇第4章|第2話「不安と決意」  電話を切ると、玄衣は診察室のドアが細く開いているのに気がついた。 「正己(まさみ)くーん、盗み聞きは感心しないぞー」  ドアが開き、まさみが部屋に入ってくる。 「わたしのこと、くん付けで呼ぶときってわざとですよね?」 「そういう話をするときじゃないでしょ。たしかにあなたには夜にも働いてもらってるけど、 それでもあなたが立ち入らなくていい領分はあるの。さっきのはそういう電話よ?」  玄衣に言われ、まさみは少しうつむいた。だが、意を決したように顔を上げると、ぐっと玄 衣を見据える。 「でも、わたしは先生が心配です。一昨日お見舞いからのお帰りが遅かったのも、さっきのお 電話も、みんな危険なことをされているんですよね?」 「患者を救うためには、時に危険を承知で強い“薬”を使う必要もある――殊に“夜の患者さ ん”にはね。私は、そのことは覚悟の上で家業を継いだつもり」 「……先生がそうお考えになるなら、わたしには止められません。ならせめて、どこまでも先 生のお手伝いをしたいです。最後まで先生を支えて差し上げたいです」  そう言ってじっと見つめるまさみの視線に気圧され、玄衣は横を向いて深々とため息をつい た。      ◆    ◇第4章|第3話「思い」  少し言葉を探した後、玄衣はまさみの顔を見て、ひと言だけ告げた。 「気持ちはありがたく受け取っておく」 「それでいいです。だって、わたしが好きでそう思っているだけですから」  にっこりとまさみが笑う。身長180cm近い体格にもかかわらず、肉体的には女性でなかった としても、その笑顔にはまるで少女のような愛らしさがあった。心からの喜びが生む、純粋な 笑顔であった。  玄衣は思わずつぶやいた。 「なんでそんなかわいいかな……」 「え、何か言われました?」 「なんでもない」  それから玄衣はまさみに尋ねた。 「この際だから聞かせてほしいんだけど、なんでまさみちゃんはさっき言ってくれたことを思 ってるわけ?」 「それはですねー、わたしをわたしのまま雇ってくださったからです。どこにも行き場がなか ったわたしに、先生が居場所を与えてくださったんです」 「あ――、なんか勘違いしてそうだから言っとくけど、私は別に高尚な考えがあってあなたを 雇ったわけじゃないからね?  夜にも女性の患者さんが来るから女性看護師は欲しい。でも本人も私も危険だから、腕力も 欲しい。両方の条件を満たすのがまさみちゃんだけだった。それだけなんだからね?」 「それでもいいんです。理由はどうあれ、わたしは先生に受け入れていただけて、本当にうれ しかったんです」 「そ、そう……。そういうことなら、それでいいわ……」      ◆    ◇第4章|第4話「そして、今夜もまた」(最終話)  話を終え、診察室を出かけたまさみがドアのところで振り返った。 「先生……蒸し返すようで申し訳ないんですけど、さっきのお電話の内容は、やっぱり違法な こと、なんですよね……?」 「まあそうね……」 「わたしは先生に危害を加える者は許さないし、先生を守るためなら暴力も辞さない覚悟です。 でも……先生には悪いことをしてほしくないです。もし、それが必要ならわたしが……」 「まさみちゃん」  玄衣はまさみが話すのを制止し、つかつかと歩み寄る。そして真っ直ぐ目を見つめて言った。 「気持ちはうれしいけど、それはあなたの仕事じゃない。ついでに言うと私の仕事でもない。 あの電話はとある“プロ”への仲介よ。あなたは私の助手兼ボディーガード。それで十分なの」  しばしの沈黙。玄衣とまさみはじっと互いの目を見つめ合う。  やがて、まさみが言った。 「わかりました。わたしはわたしの仕事で、先生のお手伝いをします」 「ありがとう……」  玄衣はほっとした表情を浮かべる。  そのとき、ハッとした表情になったまさみが、ポンと手を鳴らした。 「そうだ! 忘れてました」 「え、なに?」 「先生、明日はクリスマス・イヴですよ。パーティーは無理でも、せっかくですからケーキく らい用意しませんか?」 「うーん、それくらいならまあ、いいかな……」 「わあ、楽しみですねー」 「そうね。でも、まず今夜の仕事よ」 「はい! がんばります!」  そしてふたりは夜の診療の準備を始める。  明日が聖夜であろうとなかろうと、黒い女医は患者を待っているだろう。  世の影に医師の助けを求める者がいる限り、彼女は夜ごと医院の裏口を開けるのだ。                                      (了) --------------------------------------------------------------------------------------    あとがき  イヴには間に合いませんでしたが、どうにか2020年のクリスマス用のSSを完成させることが できました。  決してクリスマスらしい内容ではないのですが、前々から「クリスマスにも遊んではいられ ない、裏社会の仕事人の話」を書いてみたいと思っていました。ついにそれに挑戦ができたこ とについては喜んでいますが、読んでいただいた方にも楽しんでいただけたなら幸いです。  内容については、はっきり言って漫画『ブラック・ジャック』の影響が大きいです。大変恐 れ多いのですが、BJのような、誰よりも命を大切にしていながら、非情な決断を下すこともで きる“黒い医者”に挑戦してみたかったのですが、難しかったです。これでよかったのかさっ ぱりわかりません。  少しキャラクターについて書きますと、主人公の候補は全部で3組ありました。ひとつは今 回の女医さんと看護師さん。もうひとつは作中に登場した代行業者の整理屋RZ。最後があろえ の姉、みるくとここあのコンビでした。  結局今一番書いてみたかった女医さんを選んだのですが、残りの2組についてもRZは続きを、 みるくとここあはきちんと登場する話を書きたいです。  最後に、オリジナル設定が多いのでその辺りについて書いておきます。   *** <女医・玄衣(くろえ)>  まっとうな表の医者でもありながら、やばい事情の患者でも治療を引き受ける裏の顔を持つ 人物。お金がないなら格安で診療する一方、あるところからはふんだくる、白でも黒でもある ようなキャラ。年齢は既存の設定どおり30手前。  身長170cm近い、モデルみたいなかっこいいイメージです。でも仕事のときはキリッとして るけど、オフのときは柔らかい雰囲気になる、そんなイメージもあります。  名前の「鬼崎 玄衣(きさき くろえ)」は、『ブラック・ジャック』の登場人物・桑田このみ のあだ名「ブラック・クイーン」が元ネタ。  ※ブラック・クイーン→黒い妃→きさき・くろい→鬼崎玄衣  ちなみに桑田このみが登場するエピソードもイヴ前日の話なので、ある意味ではこの時期に 出すのがちょうどいいのかもしれないと思いました。  またSS『編集者』の設定に「医院は父親から受け継いだ」というのがあったことから、2代 目院長になりました。  なお、これまでいくつか女医さんの名前を考えてみてなかなか決まらなかったのですが、今 後はこの名前で書いていこうかと思っています。   *** <看護師・まさみ>  身長180cm近い、大柄だけどかわいらしい看護師さん。ただし肉体的な性別は男性。夜の診 療におけるただひとりのスタッフ。玄衣の助手兼ボディーガード。実はまだ玄衣との出会いは おぼろげなイメージ程度にしか作っていません。きちんと出来上がったら書いてみたいです。  年齢は20代半ばか、それより少し上くらい。玄衣よりは年下と考えています。  元ネタは設定まとめwikiにあった「二卵性双生児案」。 >一人は看護師、女の格好してるけど男、名前はJUN >もう一人は女医、見も心もまっとう(?)な女名前はまなみ(キーボードをよく見る) >ちなみにネタ元はてすjunキャラの設定  このうちの「恰好は女、性別は男の看護師」という設定を自分なりに膨らませてみました。  本名は「桜居 正己(さくらい まさみ)」。上の二卵性双生児案における女医さんの名前「ま なみ」を少し変え、男女両方に使える名前に。なおちょっとしたことですが、正己の「己」は 「おのれ」と読むほうの字です。  名字の「桜居」は、SS『編集者』に登場した女医さんが「桜井先生」だったことから、それ を少し変えたもの。   ***  それでは今回はこの辺で。  最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。                                     プレあき (2021/03/26:少し気になった箇所があり、加筆修正をしました。) (2021/04/01:また気になる箇所があったため、一部表記を変更しました。)