潮風を全身に感じながら、海沿いの幹線道路をひた走る。  カワサキ特有のメカノイズが混じるエンジンの唸り。  ヘルメットのシールドの向こうを、景色が流れてゆく。 「ほらメイジ、海だよ」 『わぁ……』  ライドコム越しに、タンデムシートに乗ったメイジの歓声が聞こえる。  時期外れの海は少々波が高かったが、陽光を反射してキラキラと光り輝いていた。  全ては、あっけないほど上手く行った。  原付、NS-1の面倒を見てもらっていた馴染みのバイクショップに点検と車検代行をお願いして、任意保険の申請を出す。  俺はその間、免許センターで大型免許の免許試験、いわゆる「一発試験」を受ける。  ……二回落ちて三回目でやっと合格したけれど。  それでも、普通に大型免許の教習を受けたり、バイクそのものを買うよりもずっと安くついた。  バイクを買うつもりで貯めていた貯金から全額出し、ライドコムやらメイジ用の装備を買っても、まだ20万円ほどの余裕がある。  そして今日、メイジと初のタンデムツーリングにこぎつけた。  つくづく、天国のおじさんに感謝しなければならない。  バイクを与えてくれたばかりか、人生初めてのタンデム相手が「生えてる」とはいえ、可愛い女の子なのだから。  思わずライドコムをつけていた事も忘れ、鼻歌なんかも飛び出してしまう。 『トシアキ、その歌……!』  丸聞こえだったらしく、ライドコム越しに訊ねてくるメイジ。  ただ、少し驚いたような口調だったのが気になった。 「ん? メイジ、この歌知ってるの?」 『あ、いえ……「おとうさん」が、よく…』  俺の問いかけに、メイジはどこか懐かしそうな声で答えた。 「ジュリー」こと沢田研二の「TOKIO」…  そういえば、俺も直撃世代ではない。  おじさんが好きだったらしく、よく口ずさんでいたのを聞いて憶えていただけだ。  それがバイクとおじさんのイメージが結びついて、自然と口をついて出てきたらしい。 「そうか…それじゃあ今度、CDを聞かせてあげるよ」 『あ、はい…!』  メイジの声は、弾んでいた。  おじさんが好きだった物は大抵俺も好きだった。  歌の好みも、食べ物の好みも、バイクの好みも同じだ。  学生時代はよく「趣味がオヤジ臭い」と言われたっけ。  時は流れて、俺も初めて会った頃のおじさんと同じくらいの年齢にはなった。  だが、俺はおじさんに追いつけただろうか――  そんな事に気を取られて、思わず運転の方が疎かになっていた。 『――トシアキ!!』  ライドコムから響くメイジの切羽詰った声に、俺の意識は郷愁から引き戻される。  ふと気付くと前車のブレーキランプが点灯し、そのリアバンパーが目前に迫っていた。 「ッッ!!」  反射的に右手のレバーを握りこみ、右足でペダルを踏み込む。  凄まじい惰性に身体を前に持っていかれそうになりながら、間一髪、ジャックナイフ気味に急停車するZX-11。  メイジの身体が俺の背中に飛んできて、まだまだ発育途上の小さな胸の膨らみが背中に押し付けられる。  それともう一つ。  俺の腰の後ろ辺り、メイジとの身体の間でぐにゃりと柔らかいものが押しつぶされた。  これは、もしかすると… 『~~~~っ!!』  メイジが、声にならない悲鳴を上げる。  …似たような事を、普通二輪の急制動の教習中にやらかした記憶があった。  その痛みを想像しただけで、股間が縮み上がりそうだ。 「ご、ごめんメイジ、大丈夫?」  路肩に停車し、肩越しに振り返ると、メイジは悪役を踏み潰したブルース・リーのような表情をうかべ、絶句したままふるふると首を振っていた。  目には涙。  やはり、大丈夫ではないらしい。  なまじその辛さがわかるだけに、同情と申し訳なさがこみ上げる。 「と、とりあえず……ほら、あそこの道の駅に入って休憩しようか?」  丁度、視界に入った道の駅を指差すと、メイジは大きく何度も頷いた。  ……ふたなりも色々と大変なようだ。  低い唸りを上げていたエンジンが沈黙し、振動が止まる。  ただでさえ目を引く逆輸入車に、今時珍しいドラヘルの組み合わせは否応無しに目立ってしまう。  あまり目立たないよう駐車場の隅の方に停めたのだが、それでも数名のギャラリーの視線を感じた。 「ふぅっ……メイジ、着いたよ」  タンデムではパッセンジャーを先に降ろすのが定石だ。  俺が声をかけると、メイジはのろのろとずり落ちるようにしてバイクを降りた。  俺もキーを抜き、スタンドを出してバイクを降りる。  グローブとメットを脱ぎ、ホルダーにひっかけたところで、メイジの視線に気がついた。  脱いだメットを抱えたまま、じっとこっちを見上げている。  その瞳は、心なしか潤んでいた。 「あ…ごめん、まだ痛む?」  俺の問いかけに、メイジは少し頬を染めた。 「あ、いえ……その、痛み…は和らいできたんですけど…」  答えるメイジの姿勢は、微妙に前かがみ。  ……なるほど、どういう理由かはわからないが、収まりがつかなくなってしまったらしい。  そういえば、俺も以前、何でもない時にそうなった事がある。  どうやらこれは、アレを持つ者にとっては共通の悩みらしい。 「そう、か……なら、トイレに行こうか?」 「…………はい」  微笑みかけた俺の袖を掴み、頬を染めて俯いたまま、メイジは蚊の鳴くような声で答えた。  男子トイレの個室の中、メイジのジーンズを下着ごと下ろすと、既に臨戦態勢になった怒張が勢いよく飛び出してきた。  毎度の事ながら、結構立派だ。  俺はメイジの背後から、抱きつくように腕を回してそれを握る。  メイジの髪の匂いが鼻腔をくすぐった。 「…ぁ、トシアキ……」  メイジの焦ったような声が狭い個室に響く。  だが、いくら平日で人が少ないとは言っても、ここは公衆トイレだ。  入るときには誰も居ない事を確認して入ったが、いつ誰が入って来てもおかしくない。 「ほら、あまり声出すと…聞かれるよ?」  俺はメイジにハンカチを咥えさせると、手での奉仕を開始した。 「ぁ…! ん、ん…ふぅっ……!」  ハンカチ越しにメイジのくぐもった嬌声が漏れ出る。  状況が状況だけに、早く終わらせてあげた方がいいかもしれない。  そう思った俺は、メイジの女の子の部分にも手を伸ばした。 「ふ、ぅ!? んんぅ…!」  既に熱くぬめり始めていたそこに指を這わせながら、怒張を扱き上げる。  張り詰めた先端からは、早くも先走りがにじみ始めていた。 「……っ! ん、ふぅ……っ!」  程なくして、メイジの身体が小刻みに震え始める。  メイジが絶頂直前に見せる動作。  ここから一気にラストスパート――と思ったその矢先。  第三者の衣擦れの音が耳に届いた。 「――!?」  誰かがトイレに入ってきた気配を察知したらしく、メイジがビクリと身を竦ませる。  タイルを踏む靴音は、小便器の方へと向かう。  怯えた表情で肩越しに振り向くメイジ。  そんな彼女の表情を見ると――つい意地悪してみたくなる。 「っっ!?」  彼女の秘裂に当てていた指を、軽く蠢かせる。  不意の刺激に、メイジの身体は大きく跳ねた。 「っ! ふ……んんぅ…っ!」  何か言いたげにこちらを振り向くメイジを無視して、彼女への愛撫を再開する。  彼女の、絶頂直前まで追い上げられていた身体に再び火がともった。 「…っ! …っ! ふぅ、ぅ! ん、んうぅぅぅぅぅ――!!」  彼女が一際大きく仰け反った瞬間、俺は便座の水洗レバーを倒す。  勢いよく流れてゆく水の音が、彼女が放った白濁と絶叫を飲み込み、掻き消してゆく。  小用を足したらしい気配が遠ざかり、再び無人になった事を確認すると、俺は脱力しきった彼女の口から唾液まみれのハンカチを抜き取った。 「ふぅ……危なかったね、メイジ」  微笑みかけた俺を、涙を湛えた赤い双眸が見据える。 「トシアキ、は……意地悪、です…」  息も絶え絶えに、不貞腐れたような口調で毒づきながらも、メイジの腕はしっかりと俺を捕らえていた――  メイジの「処理」を終えた俺たちは、屋外のベンチに場所を移し、缶コーヒーにありついていた。 「はい、メイジ。カフェオレでよかったかな?」 「あ、はい……あちち…」  俺が買ったばかりのホットコーヒーを手渡すと、メイジは軽くお手玉した。  こんな反応も万国共通なのだと和んでしまう。  やがて丁度良い温度にまで冷めたのか、プルタブを起こす音が聞こえた。  気持ちの良い秋晴れを眺めながら、俺も缶コーヒーに口をつける。  ほっとする瞬間。  最近は色々な事があって忘れていたような気がする。 「………この国は、平和ですね」  俺の隣に腰掛けていたメイジが、唐突に口を開いた。 「ブルガリアは……平和じゃなかったの?」  俺の問いに小さく首を振り、メイジは続ける。 「私は……ユーゴスラビアで生まれたんです」 「え…っ?」  旧ユーゴスラビア連邦。  この15年あまりで何度も紛争を繰り返し、数年前ついに解体してセルビア・モンテネグロに改称した国だ。  メイジの歳を考えると、生まれた頃はボスニア・ヘルツエゴビナ紛争やクロアチア紛争の末期、物心ついた頃はコソボ紛争の真っ只中だろう。 「物心ついた頃にはもう、銃を握ってて……何故こんなところに居るのか、何故こんな身体なのか、わからずに一人で戦場を逃げ回っていました」  あの時代、平和な次期などほとんど無かっただろう。  そんな修羅場の中で、彼女は育ってきたというのだろうか。 「記憶の中の母が去り際に囁いた言葉……『Zaomije』が自分の名前だと思ってました、けど……」 「『Zaomije』?」  思わず問い返した俺に、メイジは寂しげに微笑んだ。 「『Zao mi je.』……クロアチア語で、『ごめんなさい』です」  言葉が、出なかった。  つまりメイジは、親に捨てられた上に自分の名前すら――  絶句した俺をよそに、メイジの独白は続く。 「色々な人に色々な名前で呼ばれて――もう、自分の本当の名前、忘れちゃいました」  おどけたような口調でそう言うと、メイジは空になったコーヒー缶をバスケットボールのフリースローのような仕草でゴミ箱へ投げ入れた。  しかしその空き缶は、ゴミ箱の縁で軽い音を立て、カラカラと地面に転がる。 「何年かかけてブルガリア国境近くまで逃げて……そこで私は、一人の日本人傭兵に拾われました」 「その傭兵って、まさか――」 「そう、『おとうさん』です」  入れそこなった空き缶を拾いなおし、再びゴミ箱に投げ入れながら笑顔で答えるメイジ。  俺には、あのおじさんと傭兵のビジョンがイマイチ上手く結びつかなかった。  バイクが好きで、屈託無く笑った笑顔がまぶしかったおじさん。  そのおじさんが、異国の地で戦争に参加していたなんて―― 「色々混ざってしまった私の名前を『五月に拾った子だからメイ…皐月ってのもいいな』って言って……」  ……まんまじゃないですか、おじさん。 「でも…嬉しかったんです。孤児だった私に『おとうさん』と『おかあさん』……それに兄弟も出来たんですから」  メイジは感慨深そうに嘆息し、遠い目で澄み切った空を見上げた。  ……いい話だった。  ただ、気になることが一つ。 「兄弟……って?」  兄弟。  確かに彼女はそう言った。  つまり―― 「『おかあさん』は子供が出来ない身体だったそうで……私と同じような境遇の孤児を何人も引き取って、小さな孤児院状態になってたんです」  ……やっぱり、そういうことか。  おばさん――「おじさん」の奥さんがそういう体質だった事は聞いている。  おじさん夫婦が結婚を反対された理由が、おばさんのその体質だったらしい。 「孤児院…って、全部で何人いたの?」  少なくとも二、三人ではそう言わないような気がして、再び問う。 「全部で12人です。……全員、私と同じように月名を元にした名前が付いてました」  ……つまり、1月から12月まで、きっちり拾っちゃったという事か。  子沢山の例えによく使われる、サッカーチームを作っても一人余るな……などと、余計な事も考える。  だが、今考えるべきところはそこじゃない。  その12人の中でメイジだけがここに居るというのは……? 「ねぇ、メイジ、残りの11人はどうしてるの?」  何となく予想がついて訊くのが怖いような気がしたが、あえて訊いてみる。 「皆、各々の思うルートでトシアキの家に向かっている筈です。そろそろ何人か着いてもおかしくない頃ですね」  俺の最も恐れていた答えを、メイジはさらりと言ってのけた。  流石は元孤児たち。  どの子も結構なサバイバーのようだ。  ……いや、そうじゃない。  つまり、最終的には6畳一間のあの部屋に12人?  一人当たり0.5畳。  しかも、俺は数に入っていない。  それに、養うためには先立つ物、平たく言えばお金も―― 「…………」  俺は、どうするべきなんだろう。  快晴の空の下、頭を抱える。  そのとんでもない状況を考えただけで、まだ見ぬおじさんの忘れ形見たちに頭が痛くなるようだった――