『月の酒』 「それじゃ、おやすみなさーい」 「おやすみー」 メイジは床に就いた。いつもよりずいぶんと早い就寝だ。少々珍しいことだが、無理もない。 今日は3連休の最終日。 どこかに出かけることもなかったが、かわりに彼女は仲の良い友だちと遊び通していた。 ようするに遊び疲れである。それでいいと、としあきは思う。 大人びた面が多々あるメイジだが、まだ10歳の子どもなのだ。くたくたになるまで遊べばいい。 それに明日からまた学校だ。早く寝るに越したことはない。 としあきは立ち上がり、窓のカーテンをめくった。 空には雲。それほど濃くはないが、一面に広がり、星ひとつ見えない。 今日は中秋の名月でもある。 メイジはお月見がしたいと言っていたのだが、結局、天候が好転することはなかった。 もっとも、それはそれとして、メイジは月見団子に満足してくれたようだが……。      ◆ うす曇りの夜空を見上げ、さて、どうするかととしあきは思案する。 メイジがいつもより早く寝てしまったので、少し時間が空いてしまった。 このたまたまできたひとりの時間を何に使おう? (月見酒といくか) まあ、見えないんだけどね、とひとりごち、としあきは台所に立つ。 普通ならここで日本酒だろうが、今日はどうもそういう気分ではない。 酒のストックを見渡し、としあきはその中からジンに目を止めた。 氷を入れたグラスを用意するとそれを注ぎ、冷蔵庫から取り出したトニックウォーターで割る。 それから菜箸を1本手に取って、軽く混ぜたら出来上がり。 作った酒を持って窓辺に向かおうとしたとしあきだが、突然足を止めた。 いったんグラスを置き、再び酒を収納する戸棚を開ける。 取り出したのはアンゴスチュラ・ビターズだった。      ◆ 《ヘミングウェイのジントニック》というカクテルがある。 ごく簡単にいえば、ジントニックを作る際、アンゴスチュラ・ビターズを2、3滴落とすものだ。 「ヘミングウェイ」の名を冠するのは、彼の作品に登場する、ビターズ入りのジントニックに由来する。 後からビターズを加えるのは正式な作り方ではなかろうが、自分のために作るのだ、かまうものか。 文豪の名を戴く酒を手に、改めてとしあきは窓辺に向かう。 「おっ!?」 いつの間にか月が顔をのぞかせていた。 雲の切れ間に、ヴェールを透したような淡い光が白く夜空を照らす。 すっかり目を奪われたとしあきは、半ば無意識にグラスに口をつけていた……。      ◆ (“彼”もいつか、こうして月を眺めて酒を飲むこともあったのだろうか?) 早くも軽く酔いを感じつつ、としあきは20世紀の文豪に思いを馳せる。 気づけば酒は残り半分もなく、月にも少しずつ雲がかかりだしていた。 右手に持ったグラスを眼前に掲げ、左目をつぶると、望遠鏡を覗くように右目でグラス越しに月を見つめた。 かすかに揺れる酒の中で、月の光が瞬いている。 「かんぱ~~い」 おどけた口調でつぶやくと、月を溶かした酒を干す。 (これが、月の味なのかな?) いよいよ酔いが回った頭では、考えなどまとまらない。 月はいつしか見えなくなっていた。 今夜見るのはきっと、ライオンではなく、月の夢。                                              (了) --------------------------------------------------------------------------------------------------------    あとがき このSSは366回目スレに投下したものに、若干の修正と、忘れていた部分を書き込んだものです。 スレに投下した時点では、ラスト一行がありませんでした。 構想には含まれていたのに、急いで書いたらすっかり忘れていたという大ポカ。 投下のあと、布団の中で気づいて悶えました。 366回目スレにも書いていますが、「アンゴスチュラ・ビターズ」と「中秋の名月」から思いついた話です。 お酒の話ですが、私自身はあまり飲まないもので、登場するカクテルも実は飲んだことがありません。 それでいいのかという気持ちもありますが、ひとつやってみるかと書いてみました。 初めて書いた飲酒シーンですが、あまりお酒自体にはスポットが当たっていないですね。 縁が薄いものを書くのは難しいと思いました。 こんな内容ですが、少しでも楽しんでいただければ幸いです。 それではこの辺で。 最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。                                     プレあき