さて、彼女――メイジが俺のところにやってきて、困った事が一つだけあった。  それは――寝るところ。  食費やらは、バイクを買うためにバイト代から貯金に回している分を削れば何とかなりそうではある。  だが、問題はこの部屋だ。  6畳のワンルームマンション。  そもそも複数人で暮らすような部屋ではないのだ。  否が応でも、同じ部屋で眠る事になる。  俺の方は別に問題はない。  流石に十歳そこらの子供に理性を失って襲い掛かったりはしない――と、思う。  ……多分。  問題は、メイジの方だ。  最近の子供がどれほど発育が早いかは知らないが、十歳そこらといえばそろそろ二次性徴期に入ってもおかしくない、多感な時期だろう。  それに、ただでさえ両親を失って間もないというのに、見知ったばかりの男と同じ部屋で――  ……それとなく、聞いてみた。  答えは―― 「……トシアキが、いいなら」  名前の件といい、この事といい…  下手をすれば、何を聞いてもその一言が返って来そうだった。  まるで、自分の意思が無いような印象すら受ける。  それとも、俺のところに置いて貰うためなら何でもするというのだろうか。  まだ俺の半分ほどしか生きていない少女のはずなのに、俺以上に何かを背負い込んでいるような――  今日出会ったばかりの俺ですらそう感じるほどに、その金髪赤眼の少女は謎めいて見えた。  まぁ、その辺の事情は追々話してくれる……と思う。  とりあえずは長旅で疲れているだろうし、お風呂に入らせる事にした。  幸い、俺が入るために湯をはってあったので、すぐにでも入れる状態だった。 「ここを捻ればお湯が出るからね。こっちに回すとシャワー、こっちが蛇口、温度調節はこっちで……」 「……はい、わかりました」  蛇口の簡単な説明を素直にじっと聞くメイジ。  うちの風呂がサーモスタット付き水栓で本当に良かった。  これなら、よほど無理な温度まで上げない限り、熱湯が噴き出して火傷することはない。  メイジくらいの子供に触らせても、比較的安心できる。 「…………」 「…………?」  ふと、メイジの視線に気付く。  赤い瞳が、何かを訴えるようにこちらを見つめていた。 「……あの」 「あ、ああ、ゴメン」 『入りたいから出て行け』という事なのだろう。  子供といえどレディの前だということをすっかり忘れていた。 「脱いだ服はそこの洗濯機に放り込んで。洗剤は入れてあるから、一番大きいボタンを押してくれればいいよ」  最後に脱衣所の洗濯機の説明を加え、俺は部屋に戻る。  程なくして、洗濯機の駆動音とシャワーの水音が聞こえ始めた。  まずは一安心、といったところだろうか。  だが、のんびりしてはいられない。  メイジの着替えを用意しないといけない。  たしか、彼女の持参したトラベルバッグがあったはず。  子供とはいえ女の子の荷物を勝手に開けるのは少し憚られたが、この際仕方がない。 「失礼しますよ……っと」  誰にともなく呟きながら、それほど大きくないバッグのジッパーを開ける。  それにしても、子供とはいえこんな大きさの荷物一つで――  そう思いながら、バッグを全開にした瞬間だった。 「え……っ?」  中身に目をやった瞬間、それが服の類ではない事は理解できた。  中に入っていたのは、ピンク色をしたウサギのぬいぐるみ。  それと、透明なビニール袋に密閉された何か白い粉が五パックと、油紙に包まれた何か。 「これ……」  ふと目を引いた、油紙に包まれた物体を持ち上げて……みた瞬間。  ごとん、と重々しい音を立てて、その中身が滑り落ちてきた。 「わ…っ」  中から現れたのは、一つの――いや、一丁の、ゴツい鉄塊。  コルト.45オート。通称コルト・ガヴァメントモデル。  パーカライズド塗装に加え、後年のものとは違って跳ね馬を挟むようにして小さな文字が並ぶ刻印を見るに、軍用モデルのM1911A1だろう。  ただ、彼女の手に合わせてあるのか、グリップだけは純正品ではなく厚みの薄いラバータイプに交換されている。 「モデルガン……かな?」  こういうのにはまっていた時期がある俺にとっては、馴染み深い感触。  マガジンキャッチを押し込み、マガジンを床に落とさないよう、そっと抜き出す。  カシュ…という、金属の擦れ合う音がどこか心地よい。 「…………」  そこには、キラキラした真鍮色の薬莢に、鈍く輝くフルメタルジャケット弾頭がはめ込まれた.45ACP弾が七発、綺麗に並んでいた。  ……いや、まだダミーカートリッジという可能性もある。  今度はそっとスライドを引き、エジェクションポートから中を覗く。  初弾は装填されていない。所謂コンディション3というやつだ。  だが、エジェクションポートの中は、銃口から抜けてきた光で明るかった。 「ちょっと、これ……!」  ひっくり返し、銃口を覗く。  エジェクションポートまで綺麗に貫通し、中に切られたライフリングまでくっきりと見て取れる。  たしか、銃刀法では銃身に詰め物をするか、銃身の何処か側面に穴を開けないといけなかったはず……  それにこの重量、質感。間違いなく金属だ。  金属製モデルガンは、一目でそれとわかるように黄色か白に塗装されていなければならない。  つまり、これは―― 「ほ、本物!?」  仮にそうでないとしても、各部が完全に機能し、銃刀法対策の取られていないご禁制のブツであることは間違いない。  だが、そんなご禁制のブツである必然性など何処にもない。  つまりこれは本物で――  何故こんなものを彼女が――  でも、ブルガリアってワルシャワパクト加盟国で東側のマカロフコピーだったよな――  なぜ西側の、しかも軍用モデルの厳つい拳銃を――  一瞬にして、俺の脳内を本当にどうでもいいことまで、様々な事が駆け巡る。  そして――  俺の視線は、再びトラベルバッグの中へ。  そこにあるのは、白い粉。  五袋分の、得体の知れない白い粉。  何となく、想像はついた。  これはきっと、イケナイ薬だ。  混乱する俺の脳裏を、柳沢慎吾がタバコの箱を手に走り回っていた――  ……メイジが長湯なおかげで助かった。  まだ空いていた近所の店で不審者を見るような視線に晒されながら子供用パンツを調達し、クローゼットのTシャツを引っ張り出す頃にはある程度の気持ちの整理がついていた。  答えは、『なかった事にする』  この銃といい、クスリといい、あまり突っ込んだ事を聞くべきじゃない。  俺の中の何かが、そう告げていた。 「や、やぁメイジ、お風呂はどうだった?」  用意した着替えを纏い、脱衣所から再び姿を見せたメイジに向かって、あくまでも平静を装いながら訊ねる。 「サッパリしました……」  目を細めて満足そうに、ほふぅ、と嘆息するメイジ。  温まって朱に染まった頬や、Tシャツから覗く手足はいかにも子供然としている。  なのに、何故彼女はこんな『裏の世界』のアイテム満載のトラベルバッグを――  思索にふける俺をよそに、メイジは湿った長い金髪を拭くのに余念がない。 「ところでトシアキ……」  髪を拭きながら、俺の方を見ずにメイジが口を開く。  そんな何気ない動作にも、俺の心臓は跳ね上がっていた。 「な、何?」  自分でも、声が上擦ったのがわかった。 「……お腹が、空きました」 「………へ?」  思わず、間抜けな声が出た。  お腹が空いた。  空腹である。  ハングリィ。  トラベルバッグをいじった事には気付いていないらしい。  その言葉を聞いた瞬間、安堵で体が弛緩してゆくのを感じた――