◇滅び◇  薄暗い闇の中、吹きすさむ熱風をその身に受けながら、一人の少女が足を引きずって歩いていた。  この時代、女の一人歩き自体珍しいのだが、そのさまはあまり珍しいものではない。  着衣は乱れ、服のあちこちが裂けており、足の付け根からは血と精液を垂れ流している。  左足を棒のように引きずっていたが、足はふともものあたりが、どす黒く変色していた。  時折苦痛に顔を歪め、立ち止まって肩で息をしているが、  それでも少女は歩みを止めることはなかった。  少女は荒廃したこの地で、禁断といわれる地域を目指していた。  昔シンジュクと呼ばれたこの地は、かつての面影もなく荒れ果てている。  周囲には崩壊したビル群が横たわり、空を見上げても黒い闇がわだかまるばかり。  隕石の衝突から二年ほどが経ち、地球の環境は激変していた。  大気は粉塵と熱気をはらんで日の光を遮り、多くの植物が耐えきれずに死滅した。  隕石の飛沫が火山灰のように舞い落ちて大地に降り積もっており、  断層からは間欠泉のように蒸気が噴き出している。  異常な高温と100%近い湿度がこの惑星を覆ってから久しい。  薄情で狡猾な人間どもは早々にこの星を見限った。  一部の特権階級はコロニーへと脱出したものの、一般人のほとんどは見捨てられて取り残された。  破壊と混乱は長きにわたり混迷を極め、地球の人口は三割を切ったとさえ言われている。  遅々として進まぬ少女の歩みは、暴漢の格好の餌食になり、何度も捕えられて辱めを受けたが、  それが終わると少女はまた立ち上がって歩きだしていた。  慰み者にされた程度で、その意志は揺らぐことはないようだ。  飢えを凌ぐために泥水をすすり、幾度となく襲ってくる嘔吐感に苦しみながら前に進む。  何週間、何ヶ月経った頃だろうか。  少女はようやく神が住まうとされる禁忌の地に足を踏み入れた。  赤黒い大地のひらけた先に、ひときわ大きな竜巻のような暴風の塊がある。  あたりには、かつてこの地に興味を持った者たちなのだろうか、死骸が散乱していた。  竜巻は侵入者を拒み、舞い上がる石つぶては容赦なく体を引き裂いたが、  少女はためらい無く砂の嵐にその身を投じる。  暴風の中は視界がきかず、方向感覚すら失われたが、   少女は自らの勘のみを頼りにして中心部を目指した。  どのくらい進んだのか、どのくらい時間が経ったのか。  少女の感覚は最早そのほとんどが薄れかけていたが、ふいにあたりの暴風がやんだ。  急に周囲の圧力が途絶え、少女は思わずよろめいて倒れ込んでしまったが、力を振り絞って立ち上がる。  場違いな肥沃な緑がひらけ、小鳥たちのさえずりすら聞こえることに驚いたが、少女にはやることがある。  腐りかけた足を引きずりながら、ひたすらに中心を目指した。  森を越えて湖を抜けると、ほどなく質素な王座に腰掛けた、ひとりの幼女の姿が見えてきた。  少女は安堵感から座り込みそうになったものの、この地の主に対して語りかけた。  大きな声は必要ないのかも知れない。伝え聞くところによると、相手は神々の類なのだ。  「初めまして。あなたは人ならざる者と聞き及んでいます。お願いがあって、ここまで来ました」  存外に無礼な物言いをされた幼な子は、淡い微笑をたたえ、実に興味深そうな様子だ。  赤銅色の双眸で満身創痍の少女を射抜くように見下ろしていたが、  王座からゆっくりと立ち上がると、下賜するように言葉をかける。  「聞いてやろう。言ってみろ」  意志の伝達方法が人間のそれではない。  じかに心に響くその声に少女は気圧されたが、なんとか口を開いた。  「この世界を平等にして欲しいのです。力なき者が淘汰され、踏みにじられるのを目にしてきました」  年端もいかぬように見える幼女は弾けるように笑った。  心底おかしいのか、侮蔑を隠そうともしない。  「なにを言う。弱肉強食が自然の摂理とは、人間が勝手に言い、実行してきたことではないのか。   この星を汚し、挙げ句には捨てたおまえら。第一に、平等とは何を持って平等と言っているのか?」  「世界の生命すべてに、幸せになってもらいたいです…」  「愚かな人の子よ!」  吐き捨てるように幼女は否定した。忌々しげに髪をかき上げて声をあらげる。  「そのような世迷い言、およそ聞くに堪えぬ。使役する者とされる者、勝者と敗者。   世の理はこうだ。本来は三つの側面とも言えるが、矮小なその身には理解できまい」  「そうかも知れません、ですがこれ以上小さな子供が嬲られて死んでいくのは嫌なんです」  「世界の生命を人間の弱者と置き換えてそう主張するか。失望もここまでくると爽快だな。   時に娘、契約を履行してやっても良いが、お前にはなにがあるというのだ?   曇ったその目は物事の断片しか捉えられぬし、その耳は都合の良い事ばかりを解釈する用なしだ。   私が大きな力を行使するに足る、見合った何かを差し出せるのか?」  「この命を」  「くだらん自己陶酔に囚われているようだな。時間をやる、考え直せ」  「覚悟はあります。それに、私にはもうそれしかありません」  「そんなもの、およそ価値のないしろものだが…ふん、まあいいだろう。目を閉じろ」  少女はいわれるままに目を閉じた。手を胸で組み、なにか小さくつぶやいている。  王座に座したままの幼女が右腕を大きく振りかざすと、少女の体は見えない何かに引き裂かれた。  少女は小さくうめき声をあげたが、その顔は安らかだった。  契約の贄となった少女の肉体は破裂して飛散した。  飛び散った血と臓物はあたりを汚したが、すぐにとけるように消え去ってしまう。  「なすべき事、なされたり。これにて儀は成立した」   契約を終えておごそかにそう宣言した幼女は、少し困った様子で台座の椅子に腰を下ろした。  強い契りを結んだが、あまりにも漠然とした内容なので、どうしたものかと決めあぐねているようだ。  幼女はしばらく頬杖をついて考え込んでいたが、ふと宙に手をさしのべた。  使い魔である小鳥が忙しげに飛来し、主人の腕を宿り木にして止まる。  小鳥は小さく首をかしげて主人の命を待っていたが、意外な役目を命じられる。  抗議の声をあげる忠実な僕にたいしても、主人の言は容赦が無かった。  「黙って留守番をしろ。なに、人の命など短いものだ」 -------------------------------------------------------------------------------------------  病院のベッドで、少女は目を覚ました。  少女が目を開けてあたりを見回すと、ひとりの女の子が病室のすみから歩み寄ってくる。  「こんにちは。自分が誰だかわかりますか?」  わからない、と少女が答えると、女の子は淡々とした口調で話し始めた。  「あなたは隕石衝突から五年もの間、意識が戻らない状態でした。   そして現在は、あなたが意識を失ってから三百年ほど経っています」  それまでの間、国軍に保護された少女は運良く検体に選ばれ冷凍保存され、  三ヶ月前に脳波に微弱な乱れが認められた為に解凍処理されたのだ、と女の子は説明した。  徐々に意識が鮮明になり、現状が気になりだした少女は、先をうながす。  「ここは地球ではありません。衛星エウロパの総合病院です。   それと、今あなたには身寄りが一切いない状態です。   体はすぐに回復すると思います。私の力が流れ込んでいる為です」  最後におかしな事を告げられた少女は、不思議そうに女の子の紅い瞳を見つめた。     少し得意げに女の子は微笑で応える。  「私はあなたのことは詳しいんですよ? それよりも近況でしたね」  女の子は、今の世情をかいつまんで話し出した。  隕石の飛来を発端にして、人類は抗争に明け暮れているという。  宇宙進出を余儀なくされた人類は、意外にも図太く生き残った。  宇宙ならではの新たな産業が発展し、その資金力は病める権力中枢を支え、  いくつもの派閥が発生するのに時間はかからなかったそうだ。  やがてそれは国を形どるまでに至り、争いは激烈なものにまで発展したという。  一部の中立国を除き、星間の小競り合いは今でも断続的に続いているらしい。  闘争に突入した国の市民は、息をひそめて争いが終わるのを待っているのが常だと。  虐げられ、国民全体が奴隷のような扱いを受けている国もあるとか。  「もし、望むのなら」  軍や国を討ち滅ぼせといわれればそうする。弱きを守れというなら死力を尽くして守ってみせる。  自分にはその力がある、それ故にこちらに来たのだ、と女の子はそう言いはなった。  「あなたの決意を知っています」  少女は唐突な主張に戸惑い、なんとかベッドから半身を起こしながら考えを整理し始めた。  長くて嫌な夢を見ていたような気がするのに、内容が思い出せないし、現実だったような感じもする。  それに、この女の子の言うことは恐らく本当の話だろうという直感がある。  自分の本能が、否定すべきではないと教えてくれている…。  「時間はかかるかも知れませんが、おいおい私のことは理解してもらえるでしょう」  女の子は少女の手を固く握りしめ、身を粉にして尽くすと断言した。  「これよりあなたを補佐し、生涯を共にすることが私の使命です。どうぞよろしく」  メイジと名乗ったその女の子は、ぴょこんと頭を下げた。  (終)