メイジおいしい牛乳インターミッション2~胸のクロス~ "組織"幹部ゲオルギ逮捕から三日。 亜希の見舞いがてらに一緒に事情聴取を受けた敏明が、自宅兼事務所に戻ったときには夜8時を回っていた。 ネクタイを外し、冷蔵庫から缶ビールを取り出しながら、テレビを点ける。 缶の中身を呷りつつ、流れるニュースをただ、ボーっと見つめる。 ○○動物園ではレッサーパンダの赤ちゃんの・・・ 今日午後5時ごろ東京都××区で火災があり・・・ ここ△△村では□□祭が執り行われ・・・ 目当てのニュースは一向に流れない。 当たり前といえば当たり前だ。 だが、無用な混乱を避けるためとはいえ、敏明は釈然としなかった。 と、くぐもったモーター音が胸元をくすぐる。 ディスプレイを見れば、知らない番号だ。 「誰だ・・・こんな時間に。もしもし。双葉です」 「あ、もしもし。キングスレーですが」 「・・・ああ、ティファか。どうした?っていうか何で俺の番号知ってるんだ」 「亜希さんから聞いた。それより、明日空いてる?」 スケジュール帳を・・・開くまでも無い。 ノブが来る前は入っていなかったし、事件からこっち、閉店中だ。 「ああ。空いてる。電話じゃ話せない内容なのか?」 「ん、そういうんじゃないんだけど、ね」 敏明は、ティファニーの意図をなんとなく、理解した。 「あー、うん。わかった。じゃあ、明日。何時ごろにする?」 場所は訊かない。昔から決まっている。 「そうね・・・15時、でいいかな?」 「ああ。それでいい。それじゃ、また明日」 「うん、また明日」 通話を終了する。 一息。 「置いて来たはずの過去が、今更戻ってきた、か」 少し温くなったビールを一気に飲み干す。 テレビから流れる明日の天気予報を眺めながら、ひねりつぶした缶を後ろへ放り投げた。 なんとなく寝付けず、ソファーでごろごろしていたらいつの間にか寝ていたらしく、敏明が目を覚ましたのは昼過ぎだった。 伸びをする。 「ぐぉっ・・・ってて。ちょっと寝違えたか」 寝癖頭をぼりぼりと掻きながら服を脱ぎ散らかし、シャワールームに入る。 ふと、ノブの顔がよぎる。 実際には、一週間も経っていないのだが、敏明には遠い昔のように思えた。 ざっと汗を流しながら、この数日の出来事を思い返す。 ・・・あの少年少女たちは、今どうしているのだろうか。 思考が取り留めなくなる前に、止める。 あと二時間ほどで待ち合わせだ。 女にはいろいろ準備があるというが、男に無いわけではないのだ。 いつも通りのスーツに着替え、べスパのP150にまたがる。 探偵といえばべスパと相場が決まっている、とは敏明の弁である。 結構な年代モノの割に軽快に、P150は駅前の商店街を走る。 目的地は、古い喫茶店。 敏明とティファニーは、ここの昔なじみなのだった。 「マスター。久しぶりです」 「やあ、敏明君。ここの所、顔を見せないから寂しかったよ」 「ええ、ちょっと立て込んでたんです。あ、いつもの所、空いてます?」 「ああ。君たちがいつ来てもいいように、空けてあるよ」 カウンターの、入り口から見て奥まった席三つ分が『Reserved』になっている。 その昔、敏明が冗談混じりに、友人三人でまた会ったときのために永久予約にしてもらおう、と言ったのをマスターは律儀に通しているのだ。 「オレ冗談で言ったのにマスター本気でやるんだからなぁ」 「ふふふ。有言実行はよい大人の見本だよ?敏明君。ところで、いつものかい?」 「はい。いつもの、お願いします」 「了解。じゃ、少し待ってて」 店内を見回すと、カルチャースクール帰りの主婦や、ちょっとした軽食に立ち寄ったカップルなどがまばらに居るだけだ。 うまいコーヒーと軽食で根強い人気を誇る喫茶エクレールといえど、さすがに平日の昼下がりは閑散としている。 と、軽やかなドアベルが鳴り、誰かが店内へ入ってくる。 「お久しぶりです、マスター。お変わりありませんね」 「やあ、ティファニー君。相変わらず、美人だねぇ。君も、いつものでいいかい?」 「はい。いつものでお願いします」 「よう、ティファ」 「Hi,双葉先輩」 懐かしい、古きよき時代がほんの少し、帰ってくる。 「おまちどうさま。エクレールスペシャルブレンドコーヒーと、フレンチセーキ。あと、コレはサービスね」 トレイに乗せられて出てきたのは、マスターお手製のサンドウィッチ。 これまた、いつもの、である。 「あはは。なんかこうしてると、昔に戻ったみたい」 「そうだな。で、仕事で忙しいだろう中、呼び出した用件は?」 「用件、ってほどでもないって言ったでしょう?せっかくまた会えたのに何にも無し、じゃ寂しいと思って」 「そう、か」 会えなかった間の話を、と言っても二人は自分の職業柄、おおっぴらに話すのも気が引けてしまって、すぐに話の種が尽きる。 敏明はふと、ティファニーの隣の空席に眼をやる。 「そういえば、あの子はどうしてるかな?」 「アメリカへ渡ってからしばらくは知ってるけど、急に連絡途絶えてからは知らないな・・・マスターはなんか知ってる?」 「ああ、あの子はね。ちょうど、連絡が取れなくなった頃だろうね、父方の祖母が倒れられて。すぐに引っ越しちゃったんだ」 マスターは、ゆっくりと続ける。 「実はね。この間久しぶりに顔出してくれたんだけど、元気そうだったよ。子供も二人居て」 「へえぇ、子供が?」 「うん、旦那さんと一緒だったんだけどコレがまた、そっくりでね」 「へえぇぇ・・・幸せなんだ」 その光景を思い浮かべているのか、ティファニーは目を細めている。 「敏明君達は、どうなの?」 問われ、敏明は思わず鼻白む。 「いや、なんていうか、な?」 「え?あ、ああ、うん、ちょっと、ね?」 非常に歯切れが悪い。 「アレ!アレアレアレ!?敏明君とティファニー君って、そうだったの!?」 渡米してからの関係なので、マスターは知らない。 二人はその事を、すっかり失念していたのだった。 押し黙る二人を交互に見ながら、ふんふんとうなずく。 「いやー、ね。当時から実はそうなんじゃないかーって思ってたんだよねー。うーん、そうかそうか」 へぇーとかほぉーとか言っているマスターはおいて置いて、ティファニーが切り出す。 「実をいうと、ね。その事で、話っていうか、言っておきたい事があるの」 ティファニーがジャケットを脱ぐ。 その胸元で揺れる、銀色。 「ジムが死んだのは、敏明のせいじゃない。もし、その事を今でも悔やんでいるなら、もう、いいんだよ・・・?」 いつの間にかマスターはカウンターから消えている。 敏明は、ありがたいな、と思った。 「そう、だろうか」 ジムは、ティファニーの婚約者だった。 親同士が決めたもので、しかも実際に当人同士が知り合ったのは、敏明よりも後だった。 そして、その時には二人は恋人だった。 だから、三人の関係はある意味で、エクレールで戯れる三人の高校生に似ていた。 ただ、裏側は酷く不安定で、ちょっとした事ですぐ均衡を外れそうな危ういものだったが。 その均衡を破ったきっかけはやはり、ほんの些細なものだった。 FBIのプロファイラーだったジムは、犯人像に迫る余りに、自分と重ねがちだった。 その正確なプロファイリングの手腕には定評があったものの、彼を知る者は皆、彼を心配していた。 彼自身、危うい均衡の上に立っていたのだった。 幼い頃から婚約者として聞かされ、胸の中で根付いていた理想のティファニー像と、現実に目の前に居るティファニー。 その食い違いが、徐々に彼の心を蝕み、侵していった。 誕生日、敏明がティファニーに贈った、銀のロザリオ。 その輝きが侵された彼の心を引き裂いたのだろうか。 崩壊は、唐突に訪れる。 その日のジムはどこか精彩を欠く動作で、上司からは休め、とさえ言われていたが、無理を言って凶悪犯逮捕に同行した。 潜伏する民家を取り囲み、説得を試みるが、失敗。 追い詰められた犯人は恐慌に陥り、現場は凄惨な銃撃戦へと発展した。 多くの死傷者を出し、その中にはジムも含まれていた。 死後見つかったジムの日記には、三人の関係についての苦悩が書かれていた。 敏明とティファニーを祝福したい気持ちと、嫉妬する気持ちがあることも。 その気持ちに結論を与えたのが、敏明がティファニーに贈った銀のロザリオだったことも。 仕事が終わって、三人で飲みに行った席で、二人を祝福すると伝える決意も。 結局、敏明はFBIを退職し、ティファニーに別れも告げずに日本へ帰った。 「オレは、逃げたんだ。ジムから・・・そして君からも」 ふと見ると、いつの間にかマスターは戻っていた。 「二人とも、おかわりは?」 「コーヒー、お願いします」 「私も」 マスターは奥へと引っ込む。 「君を幸せにすることを放棄して、尻尾巻いて逃げたんだ。きっとジムも許さないだろう」 「それなら・・・それならまた、やり直せばいい。改めて、向き合って欲しい」 「オレのことなんか、忘れちまえ。もう一度向き合っても、逃げ癖の付いたオレじゃ、到底幸せになんか出来っこない」 「ホントは、ね。ずっと、忘れようとしてた。このクロスだって、何度も捨てようとした。でも、ダメだった」 ティファニーの瞳から大粒の涙が零れ落ちる。 「いろんな人と付き合おうとした。けど、あなたを忘れさせてくれるような男は居なかった」 と、ティファニーのバッグから電子音が鳴り響く。 「電話?ぐすっ、はい、キングスレーです」 思わず、日本語で出る。 「え、開発中の二足歩行型ロボットが暴走してる?それで何故私が?え、ICPOで技術供与した?停止させるのに協力しろってことなのね?わかりました」 「二足歩行の何だって?」 「ロボットですって。身長は成人男性の平均と同じくらい、だそうです」 「何だってそんなもんが?」 「さあ。とにかく現場へ行ってみないことには」 ティファニーはバッグの中から財布を取り出し、代金を置く。 「場所は?」 「すぐ近くだそうです」 「オレも行こう。足が必要だろ?」 「え、でも敏明は・・・」 「マスター!車、借りていいですか?」 トレイに二つ、コーヒーセットを載せマスターが出てくる。 「え?何?どうしたの?」 「緊急で足が必要なんだ」 「お願いします!」 マスターはトレイをおくとポケットから鍵を出し、敏明に放り投げる。 「事故らないでね!」 受け取り、二人は走り出す。 「もちろんです!ティファ、行くぞ」 「うん。それじゃマスター、また!」 「う、うん、気をつけてね」 喫茶店横の駐車場にはマスターの愛車、スープラが停めてある。 二人は乗り込むと、顔を見合わせ思わず苦笑する。 「どうも、トラブル体質だな」 「そうね。ま、悪くないかもね」 「出すぞ!」 黒いスープラは勢い良く走り出す。 不器用な二人を乗せて。