少々差別発言や、残酷描写が含まれて居ります。 問題があればお知らせ下さい。 「ねぇJuly………」 メイジは二人きりになると、名前を与えられなかった女の名称を呼ぶ。 Julyと呼ばれた女は、バイクを吹かし、重厚なトルク鳴り響かせる。 深い音で、質問と迷いを掻き均す。 「としあきは………来ないよね?」 エンジンを暖めると、アリスはバイクに跨る。 としあきの部屋から駐車場まで、一言も発さなかった。 メイジは黙ってバイクの後ろに跨る。 としあきから分捕ったメットをかぶり、スタンドを上げ、発進する。 高速で走るバイクに跨り、メイジは前に乗っているのがとしあきならさぞ面白かっただろうと、 流れていく夜の光を眺めていた。 バイクの風で手がかじかみ、感覚が死んでいく。 そんな寒さが、まるで未来を暗示しているみたいで、ぬくもりを欲した。 研ぎ澄まされた針の上に乗っている錯覚を覚えた。 真っ黒なアリスは、雪よりも白い肌で、何一つ優しさを見せないで、鋭く鈍く光、夜の闇を進んでいく。 今感じている現実は、1分でも過ぎると過去で、1分前の現実は戻ってこない。 メイジは、としあきの部屋に居た過去ばかりを思い出していた。 人生の中で最も充実した時間さえ、嘘みたいに思えて、悲しかった。 泪を流すと、前が見えなくなる、自分の姉代わりの一人にそう教えられた。 何も信じるなと教えられた、そう教えた自身さえ信じるなと教えられた、彼女は自分を愛してくれている。 そんな事実も妄想だと刻もうとされた。 メイジが逃げ出した理由の一つであった。 としあきが教えた廃校に到着した。 朽ち果て、人の温もりは消え去り、大きな棺桶に見えた。 「ふんっ、素人の割りに良く判ってる………」 アリスは愚痴を一つ零し、廃校へ向かっていく。 メイジは黙って後を付いて行く。 「判ってると思うけど、私の後付いてくるだけじゃ駄目よ、地形の作りを全て頭に叩き込みなさい」 メイジは、アリスの優しさに気づいた。 銃を突きつけられ、MOを渡したときに散々甘いと怒れた。 前の彼女ならば、そんな優しさを見せたりはしなかっただろう。 逆にメイジは、甘さを殺した声で返事をする。 アリスは廃校を巡っていく、時折何かを確認する動きをする。 短く首を振って止める仕草を繰り返す。 外灯も無い闇の中、月が光っている。 アリスの瞳だけが爛々と光って、紅い線を描いて止まる。 メイジは組織に居た時間を思い出しながら、戦闘訓練を思い出しながら、出来るだけ人を殺せる心を作っていく。 メイジは殺人などした事がなかったが、訓練通りやれば十分肉切り包丁として使える。 心を鋭くすると、アリスの仕草の意味が判ってきた。 恐らく首を一つ降ると、他人の首が一つ飛んでいるのだ。 人殺しの空想に、メイジは寒さで凍えそうになる。 廃校全てを廻り終え校庭に戻ると、アリスは一度右手を大きく振るい、また廃校の内部へ戻っていく。 メイジは黙って後を付いて行く、アリスと違って上手に首を触れなかった。 備品も殆ど無く、手狭な空間と貸した教室は、メイジにはなじみが無く、異世界に迷い込んだ気分になった。 アリスに手を握られ、教室の隅に追いやられる。 「良い、メイ!」 メイと呼ばれるのは厭だったが、メイと呼んだ彼女の意思が伝わってきた。 メイジの身長にあわせ、同じ目線でアリスは続ける。 「30人、大した数じゃない、大丈夫、どうにかしてあげる」 パパに怒られたので、ママが如何にかしてあげる。 メイジは初耳の響きだが、全く同じ響きでアリスは優しく告げる。 「良い? メイジ、貴方は人を殺しては駄目よ?」 アリスらしからぬ甘い言葉に、メイジは戸惑い瞬きをする。 「此の国で、此の世界で、貴方は、せめて貴方だけは倖せになるの、としあきと一緒にね。 其れには、人を殺した重みは大きすぎる、絶対にしては駄目!」 母が娘に言い聞かすのと同じ声色で、アリスはメイジを戒める。 「きっと私が如何にかしてあげる、でも目を逸らすのは許さない。 殺意は私の物、他人を殺すのは私がしてあげる、でも、貴方の為に人が死ぬ事実に目を逸らしては駄目」 溢れんばかりの優しい厳しさに、メイジは泣き出して縋りそうになったが、 自分に甘えを許さなかった。 目が潤ってしまうのは仕方ない、けれど決して目を逸らしたりはしない。 例え相手の目が血で彩られた赤だとしても、決して避けたりはしない。 「人を愛して、人を哀れみなさい、私みたいになっては駄目!  銃を構えなさい、身を守るために。自分の生きたい世界と愛する者の為」 肩を痛みが走るほど強く握られても、メイジは声一つあげない。 暫く見つめられると、アリスの力が緩み、メイジの頬を両手で包む。 「私は全てを悲観的に考える、本番に戸惑わない様に、裏切られた時泣かない様に。  だから私は最後の言葉を送るわ。」 最悪自分は此処で死ぬ覚悟があるのだと、決意を示すアリスを見てもメイジは瞬きをしない。 頬に触れる体温の冷たさが、どれだけ悲しくても、決心を揺るがせない。 「さっきと逆の意味になるけど、もし私が志半ばに倒れたなら、貴方が敵を殺し尽くして、倖せに生きなさい。  地獄に堕ちたら云い訳なさい、私にやれと云われたからやったと、返事は?」 「………うんっ」 今更甘えたり、肩によりかかったりしない。 行為としてはアリスに全て任せてしまう、罪は全てアリスが背負うと決められた。 ならばせめて、自分だけでも甘えを無くし、地を踏みしめて生きようと決めた。 「良い娘ね、メ、イ、ジ………愛してるわ」 本当の自分の名前、としあきがくれた名前。 今の自分が存在している名称を口にされると、強く生きられる気がした。 最後にアリスはメイジに、触れるだけのキスをして、躯から離れた。 「武器の最終チェックでもしてなさい、今から本部へ戻るわ、暗くても怖くても、此処で待ってられる? 馬鹿メイジ」 「アリスこそ、しくじらないでね」 調子に乗るなと吐き捨ててから、靴音を響かせアリスは消えた。 一人暗い教室に残されたメイジは、銃を取り出し不備が無いかを一つ一つ丁寧に確認していく。 アリスと約束したので、人は殺さないが、撃てない状態は良くない。 そんなに時間を食ったりはしない、メイジは途端に何も出来なくなる。 今、としあきは縛られもがいているかもしれない、私を助ける為に。 アリス恐らく本部へ向かっている途中だろう、私を助ける為に。 自分だけが何もしていないのかと情けなくなり、もう一度銃を点検していく。 悲しくて悲しくて、歳相応に泣き出してしまいそうでも、メイジは泪を堪えていた。 何も出来ないのは何もしないからだ、三度銃を確認すると、膝を抱えて隅で蹲った。 たった一回でも嗚咽を漏らすと、世界が音を立てて崩れそうだった。 歯の音がやかましいほど口を絞り、瞼を縫いつけながら俯いていた。 周りの気配に気を配ると、虫の鳴き声で押しつぶされそうになった。 弱い自分は許さない、としあきに甘えたりしない、アリスに甘えたりしない。 暗い世界に耐えられなくなり、一度だけ胸に手を置いてしまう。 「ごめんなさい、アリス………」 直ぐに手を離し、また小さく蹲り続けた。 人殺しが押し寄せてくる時まで。 ------------------------------------------------------------------------ 一方としあきは地獄の修羅場を潜りぬけていた。 小さく悲鳴を上げられるのを5回、怪訝な目で見られる事2回、そもそも目を合わせて貰えないのを5回。 「何で今日に限ってこんな人逢うねぇぇぇぇぇん! 夜になったら寝ろやコラァァァァ!!!」 叫び声を聞き、若い女性が短く悲鳴を上げた。 としあきは疑心暗鬼の猜疑心の被害妄想の極限状態に陥っていた。 すれ違う人間皆に罵倒していた。 罵倒しなければ、夜の闇に隠れる桃色の事実さえ、としあきは気づかなかった、脳味噌がだいぶ涌いていた。 「何見とんねんオラァ! そんなにワシが滑稽かワレっコラァ!!」 女性は本気で驚き、走り出した、洒落た高いヒールで足がもつれそうになっている。 としあきは目的も忘れ、腹正しさに追い掛け回してやろうかと過ぎったが、 自分は物語の格好良い主人公なので、必死でペダルを踏み荒らした。 「今日は勘弁しといたらぁぁぁぁ!!!」 明らかに悪役の捨て台詞を吐きながら、必死で前へ前へと進んだ。 ------------------------------------------------------------------------ バイクをホテル付近に放置すると、携帯電話で部下に連絡する。 相手は、副隊長の位置づけの男である。 二度のコール音で、電話が通じる。 「July! 何処にいらっしゃったのですか!?」 足音の音声が、自らを研ぎ澄ませていく。 頭に音楽が鳴り響き、やる気でも殺意でも決意でもなんでもない。 唯冷たい感覚が支配していく。 頭で考える前に、氷の釘みたいな脊髄が勝手に反射で敵を攻略してく。 「全員、戦闘準備、ターゲットを発見した」 「はぁ!?」 副長はとぼけた声を出した。 ホテルの入り口の回転ドアに入り、ホールに入った瞬間大声を上げる。 「聞こえ無かったのか阿呆が! 戦闘準備! 今から向かう! 私がお前の部屋に着くまでに、  お前だけでも準備しろ、整ってなかったら殺す! 判ったかぁ!?」 返事を待たずに靴音をホール中に鳴らす。 客は殆どが日本人だったが、耳にした覚えの無い言葉でも存分に殺意が伝わったのか、皆固まっている。 エレベーターのボタンを押す、乗り込むとアリスは笑みを浮かべていた。 自分の叫び声があまりに滑稽だったからだ。 あまり面白くなかった二ヶ月と、面白かった最近を思い出す。 作戦は今夜でなくても良かったが、自分の決心が鈍ってしまいそうだったので無理に今夜にした。 本当は、自分も組織から逃げ出してしまいたかったのだ。 面白いとも、倖せとも感じない怠惰で堕落している日々の癖に、研ぎ澄まされ命の危機に瀕す日々が、厭だったのである。 としあきに泣きつき、一緒に暮してくれだ何て、馬鹿なガキの真似事は出来ないほどには、大人なのだ。 来日した当初は、勝手に逃げ出したメイジを殺してしまう予定だったが、 メイジの満面の笑みと、本気の泪を生まれて始めて見てしまって、殺すに殺せなかった。 まだ心に殺意が残っていた頃、メイジに本気で銃を向けても、としあきに止められてしまった。 髪と一緒に、としあきの言葉で、緊張の糸が切れてしまった。 メイジととしあきに謝罪した瞬間、過去の自分が死んでしまった。 いや、もしかしたら自分がアリスと呼ばれ始めてから、死んでいたのかもしれない。 整った眉を一度なぞって、こめかみを指で付く。 自分は随分訓練されてきたが、メイジで判る通り組織に洗脳を受けた訳ではなかった。 自由意志がある程度認められていた。 だから、人として迷うのだろう。 目的の階で扉が開くと、目の前に3名の男が立っていた。 普通の格好には見えない、見ただけで不審ではあるが、黒いコートを身に纏っている。 コートの中に、武器が数本入っているのだが、見ただけでは判らない。 「出迎えご苦労、各部隊へ連絡は入れたか?」 「ケツの重い物は、まだ準備中です、横の2名はまだやる気がある様ですな」 副長が隣の小僧二人を指さした、いまいち名前も覚えていない。 彼らははにかんだような笑みを零す。 やはり、任務を舐めているのだろう、もしくは女の私が舐められている。 私が電話し、副長が焚きつけてからの短い時間に、迅速に対応できた彼らを褒めてやりたかった。 迅速なのは良い、ご褒美に彼らを速めに殺そうと顔を覚えた。 「първи(1プルヴィ) は現在戦闘準備中、  втори(2フトリ)трети(3トレティ)も準備中で、今こちらへ向かっています」 「私は偵察に往っていたからな、此れから準備だ、お前ら手伝え」 「はい!」 「大声を出すな………」 自室へ往き、コートを脱ぎ捨てると部下が新しい銃器を差し込んでいく。 ドレスアップが随分手荒だなと、彼らの紳士としての浅い器量を図りながら準備をする。 各部隊は近からず遠からずの距離でばらけていたので、集合までに20分はかかる。 ゆっくりと準備をしながら、私はとしあきの事を考えていた。 平和な国で生まれ死んでいくわりに、随分と荒い性質を持った変わった生き物。 彼は人殺しを迷わない気がした。 危う過ぎる男は、目を逸らした瞬間、越えてはいけない一線を越えてしまいそうだった。 人は、殺してはいけないのである。 まるで自分も他人も偽者で、メイジだけを本物だと信じているみたいだった。 二人がアダムとイヴならば、私は性欲の強いエヴァだ。 「July、вториから通信です、ホテル前に到着したとの事です」 「третиも後1分以内に到着できます」 皆が揃うまで、髪を梳いて待っていると、副長が全員集合したと告げた。 部隊は3部隊、プロと云えど諜報戦のみを扱う者がおまけとして3名、そんな戦闘に不向きな者に各部隊を与えていた。 情報の通りは大変宜しいみたいで、潤滑に滑らかに部隊が整った。 下っ端は下品だと殺したくなるので、口だけは整えたならず者ばかりだ。 下衆な笑いを浮かべ、メイを殺そうと笑っているのだろう。 つい最近まで同じ笑みを浮かべていたのかと思うと、また反吐が出る。 せめて自分だけは綺麗で居たいと、髪を梳いていた。 梳いた髪を乱暴に散らし、己の馬鹿さ加減を鼻で嗤い、まるで演説する様に無線機を握った。 自室から各部隊に作戦を伝える。 大きく息を吸い込むと、空気を爆ぜさせる。 「いいかあぁぁ!? 此の私がわざわざこんな田舎の極東まで来たのだ!  黄色い豚どもに偉大な我が組織の、データの価値は恐らく判るまい! お飯事の作戦を伝える! 精々笑いながら聞けぇ!」 相手の血管と鼓膜を犯して殺す。 そんな大声を張り上げ、私は私だけを興奮させていく。 此れから皆殺しにする相手の顔何て、良く見えない。 「脱走した裏切り者、メイを生かして捕らえ、データの在り処を聞き出す!  相手はエージェントと云えど、たかが10歳の乳飲み子! 必ず生かして捕らえて見せろ童貞ども!   データの在り処を聞き出した後、見せしめに内臓を引きずり出してやれ!    私の元にメイの首を持って来い! 首から下はファックしてから粉も残らないほど銃弾を打ち込め!」 返事の雄たけびを聞き、私は車へと向かった。 助手席に座り、運転手に道案内をしながら、正確な作戦を再度無線で伝える。 「作戦はお前らの練習も兼ねている、撤退する必要も無いだろう、退路確保はいらん  全部隊で攻撃を加える、居残りさせられる可愛そうな子は居ない。   無傷とは云わんが、必ず生かして捕らえろ、もしメイを殺したら無能なお前らを皆殺しにする」 隣の運転手が随分下品な笑みを零したので、速めに殺す事にした、捨て台詞はお前の笑顔が気に食わなかった、だろうか。 足を組み腕を組み、夜の闇の中、一人自分を鋭く鋭く鍛えていた。 殆ど嘘だったが、最期の言葉は本心だ。 もしメイジを殺したら、無能なお前らを粉も残らないほど惨殺してやる。 全く問題も無く、廃校付近に三台のトラックが停止した。 メイジは泣いて居ないだろうか、メイジは私に気づいただろうか。 メイジが居る方向へ目をやると、闇が其処だけ深い気がした。 夜間迷彩を着込んだ男達が、ぞろぞろとトラックから出てくる。 飛び出して来るではなく、半ばお遊び半分でである。 本物の人殺しを楽しみにしている顔であった。 もしかしたら敵が待ち伏せていて、建物中に火薬でも仕込んである。 そんな想像も出来ないほど素人ばかりで、私は頭痛が酷くなった。 同時に笑みもこぼれた、甘い人間は皆須らく私を見つめ、肉片に還れば良い。 「今夜の晩餐会の会場だ、訓練を思い出し突撃しろ、建物さえも破壊し尽くせ………」 腕組をした私のサイドから、玩具のMP5を装備した小僧が、次から次へと建物に侵入しようと突進する。 彼らの武装は、ベレッタ一丁にナイフが一本、主力武器はMP5が一つ。 私から送る最期の試練に、是非合格して、メイ。 合格したら、貴方はもう一度メイジに戻れる。 自分の甘さと我侭の所為で、迎え撃つ罠さえ設置させなかったのだ。 自分の責任は自分で取る。 アリスは普段ナイフを並べるコートの中に、サイレンサーをつっこんでいた。 愛用のSVインフィニティを二丁取り出す、サイレンサーにはゆとりを持たせ、黒い布を巻いてある。 長い布を銃口に設置する。右手を強く振るってから音も無く走り出した。 ------------------------------------------------------------------------ 「坂道フォォォォォ!!!」 体力はまだまだ残っていたが、としあきは流石に危険だと感じていた。 到着しても、体力残っているか心配だった。 煙草をやめようと決心していた。 冷静に考えると、原付窃盗のスキルを持っていたので、移動手段を人力にしないでも良かったのだ。 せめて原付をパクれば随分世界は変わったのではないだろうか。 峠道を自転車で攻める趣味は無かった。 自分の馬鹿さ加減を始めて知り、多分カルチャーショックとかそ~言う系の言語に凹んでいた。 峠道の前、ゆるい坂に差し掛かると低重音のトルクが響き渡ってきた。 背後を振り返ると、黄色のセリカが迫ってくる。 すると、何故か隣で徐行し始めた。 他人に頼ると云う考えがそもそも根本に無かったとしあきは、驚いた。 「よぉにぃちゃん、お前何しとんねん」 「峠の最速伝説に挑戦中じゃぃ、抜けるもんやったら先行けや」 面白半分で悪態を飛ばすと、運転手が随分笑った。 「おぉ~おもろいのぉにぃちゃん」 「まぁ、上にあがる用事があんねん、出来れば乗せてってんか?」 「あぁ、乗れや乗れや!」 乗れと云われた瞬間、自転車を放り出し、荒い息で助手席に乗り込んだ。 運転手は割りと気の良い馬鹿の様で、一緒に遊ぶだけが目的に思えた。 彼にとって、としあきを乗せたのはただの酔狂だったのだろう。 としあきは、後ろ座席に積んであったクーラーボックスから、ビールを差し出された。 一息で飲み干すと、深呼吸をして、息を落ち着かせた。 「えぇ飲みっぷりやのぉ!」 「のぅあんた、走り屋か?」 夜の時間帯に派手な車に乗る人間は高確率で攻めに往くのだと、としあきは知っていた。 「おう、上昇気流っつぅチームに所属しとるな、知っとるか?」 「頭と知り合いや、暴走族とちごて、走り極めるタイプの走り屋なんもよぉ判った」 男は学力が欠落しているだけで、察しは良いようだった。 「で、何が云いたいねん?」 「是非体験してみたいので、上にある廃校の付近までぶっ飛ばしてくれ、丁度四輪駆動、アップヒルに向いてるやろ?」 としあきの挑発的な態度に、すでに一杯引っ掛けている男は愉快で溜まらなくなった。 こんなマトリックスから出てきたみたいな男が、自転車必死で漕いでるだけで珍しいのだ。 尚且つ、黒いコートの男は随分頭も悪いみたいだった。 「OK、なんやおもろいにぃちゃんに捕まったのぉ、面白半分で見せたらぁ!」 夜の山を切り裂く爆音に、としあきは懐かしい現実味を取り戻した。 ------------------------------------------------------------------------ 虫の鳴き声に押し潰されそうになる。 たまに遠くからなるエンジン音に身が擦り切れそうになる。 あの音は、私を殺しに来た音だろうか、違うのだろうか。 そんな恐怖で、出来るだけ身を縮めていると、 連なった三つのエンジン音が聞こえてくる。 マフラーは特に変化の無い音、とてもとても普通の音が聞こえてくる。 瞬間、恐怖が一度だけ躯を這いずり回ると、メイジは自分の頬を叩いた。 恐怖は身を守る盾になるが、過ぎれば毒だ。 油断しない程度の恐怖を残して、メイジは外から見えない死角で立ち上がる。 エンジン音三つ、建物の近くで停止する。 保身要素が揃っている。 まずは組織から奪ったデータ、組織を裏切ったアリス、そして胸に宿る愛しい人。 自分は死ぬわけにはいかない、必ず愛しい我が家へ帰るのだ。 決心で銃を硬く握る。 緊張するな、呼吸の延長で銃を構えて打て。 いつか誰かが云った言葉が浮かんできた。 生臭い荒事を教えてくれた、厳しい黒髪の女を思い出した。 辺りに人の気配が溢れてくる。 まるで建物が生き物みたいにざわついている。 腐り始めた木の床が、悲鳴みたいな音を立てる。 緊張の絹が割け、ひびが入る度に悲鳴が聞こえる。 メイジは硬くならない程度に緊張してから、膝を緩めた。 ------------------------------------------------------------------------ 部隊は系3部隊、彼らは日本の学校の形状が判らないし、私も知らなかったが、さっき確認した。 単純に右、左、真ん中で攻め入らしたので、まずアリスは右方向へ向かった。 廃校の階数は2階、メイジが向かって右側の二階に居たからだ。 建物に入ると、前方にたどたどしい動きの人間が見えた。 数は計5人、其れと無く自然に近づいていく。 敵の背後に着き、あたりを見回す。 作戦中だと、かなりうかつな行動なのだが、部下はまるで気にも止めなかった。 5人以外は姿が見えない、恐らく教室の一つ一つを虱潰しに探しているのだろう。 彼らの中で、無線機を持っているのは一人。 無線機は全員に配布していない、無線機で連絡を取り合われると、何かと面倒だったからだ。 不自然過ぎないように、一部隊中3名に無線を持たせた。 メイジに謎の増援が居るのだとも告げたかったからだ。 あまり情報を正確に伝えられると危ないが、良く判らない情報を伝えられるのは敵をかく乱するのに使えた。 無線機を持った奴は、一番後ろに控えていた。 私が息を止めると、無線機を持った奴の頭が爆ぜた。 味方側の人死にさえ想定していなかったであろう残り4名は、突如自分の躯に降りかかった熱い液を認識出来ない。 4人が背後に廻る前に、布が破けていない銃でもう一人が減った。 後ろから突如襲われたと認識した彼らは、想像の敵から丸見えであろう隊長を守ろうともせず、壁の後ろに逃げ込もうとした。 刹那片手で布をずらし、逃げ出そうとした一人を志半ばで殺した。 私も後から背後に廻る。 廊下を確認すると、まだ誰も教室から出ていない。 「畜生! 何処から撃たれた! 音が殆ど聞こえなかっ」 もう発砲時の光を見られても問題無いと、全く検討違いの方向を向いている馬鹿2人の頭を吹き飛ばした。 私も人間なので、光の速さでは動けない。 声を聞きつけた5名が、次々廊下から出てくる。 「下がれ! 5人殺られた! 無闇に発砲するな!」 私が5人に聞こえる程度の声で告げると、彼らは部屋へひっこんだ。 手前から2人と3人に別れ、手前の部屋と、一つ奥の部屋に居る。 私は、手前の部屋へ飛び込む。 「Julyっ!」 2名が私に駆け寄り、小さな大声で私じゃない誰かを呼びつける。 何の疑いも無く、無邪気にしゃにむに私に近づいてくる二人が可愛そうで、銃を構えて頭を吹き飛ばす。 サイレンサーを外し、次の二本をセットした。 サイレンサーはそんなに早く磨耗したりしないが、邪魔にならない程度に布を巻き発砲するのは、二回が限界だった。 発砲時の光をごまかせる布つきサイレンサーの残りは4本、計8人が殺せる数だ。 一つの部隊を殺した時点で、何か不審な動きがばれると思ったので6本しか用意しなかったが、 此の分だとわりと簡単に事を終えてしまうのではないだろうか。 そんな考えが過ぎり、一度自分に対して舌打ちする。 私はJuly、アリス何て名前じゃない、頭の爆ぜた男を一度蹴飛ばしてから、殺意に心を埋める。 次の3名を殺す考えだけに集中する。 光を完全に遮るのが二回だけであって、布はある程度遮ってくれる。 相手の背後に廻れば、一気に仕留めれる。 残りは3名、10人の尊い命を、私が勝手にドブに捨てるのだ。 判っては居たが、一応無線機の有無を確認すると、一人が持っていた。 敵に狙われている振りをしながら、私はもう一つ奥の部屋へと背中から逃げるようにつっこむ。 「Julyっ!」 全く同じ反応をして来るが、さっきの3人みたく近寄っては来ない。 「July状況は?」 「判らんが、廊下側に居た5人と、向こうの部屋の1人が殺られた!」 自然に嘘を吐いたのは、私が通った場所の人間が皆死ぬのは不自然だからだ。 サイレンサーの付いた不審な銃を自分の躯で隠しながら、私は会話を続ける。 「お前らも発砲音を聞いただろう、あきらかに消音機を付けた音が7回、7回で6人死んだ、かなりの使い手だ」 かなりの使い手なる自画自賛が、揶揄っぽくて少し気に入ってしまった。 残された3名は苦い顔でもしていただろうか。 「お前! 無線で仲間に何か云ったのか!? 何と伝えた! 正確に答えろ!」 「はい、敵から攻撃を受けていると伝えました」 「阿呆め! もっと的確に伝えろ! 現状で6人死んだ! こっちに援護を廻させろ!」 返事をし、銃ではなく無線に手を伸ばした、もう二人も心配そうに無線を見つめていた。 三人が最期に起こした行動は其れだった。 流石に怖くなったらママに頼りたいお年頃なのか、援軍がこちらに来るそうだ。 自分の無線で状況を正確に伝える。 「こちらJuly、右翼にて敵から攻撃を受けた、右翼部隊は全滅。  敵は20台前半と思われる男だ、私が処理した、まだ敵が居るかもしれん、   メイはどうやったのか知らんが味方を得ていたようだ、気を抜くな」 返事を待たずに無線を仕舞う。 返り血が月明かりで、黒い服になお黒く染みを作った。 此れで10人、偶々上手く往っただけだ、以後は辛い戦いになるのだと悲観した。 何一つ成功しなかった自分の甘さを嘆いた。 まずメイを大事に思う余り、右翼から敵に触れてしまった、結果、メイが居る方向へ敵を近づけてしまった。 味方の援護射撃も無しに、敵から狙われている想定の場所を行き来してしまった、本来ならば死んでいて当然だ。 久々の実戦と、相手が毛の生えた素人だと思って舐めすぎている。 自覚は無いが、自分は甘えているのだ。 最も自分を鈍らせているのは、愛情なのだろうが、今愛情を殺すとメイジを殺してしまう。 今までこなして来た戦闘は、何かを護る為ではなく、何かを達成する為だけだった。 そして大半の状況が、自分さえ生きていれば良かった。 緊張状態で彼らがどんな行動に移るのか不明だが、私は建物の中央へと廻った。 自分の情けなさに、舌を軽く噛み切りながら。 ------------------------------------------------------------------------ 自分の下界で、命の息吹が一つ一つ消えていく。 人殺しの訓練を受けたメイジには其れが判った。 常人なら聞き逃してしまうような音にさえ、メイジは敏感に反応していた。 乾いた音が一つ鳴ると、命が一つ消えている。 アリスは自分が殺すのだから、自分の所為にしろと云ったが、メイジには簡単に割り切れなかった。 銃声が10回した、とてもとても乾いた音だった。 とても詰まらない音だった、詰まらない音が鳴った。 きっとアリスの事だ、10回鳴ったら10人死んでいるのだ。 狂いだして泣き出してしまいそうな絶望感で、心が潰れてしまいそうだった。 小声で愛しい者の名を一度呼ぶと、胸が潤い、心が強くなった。 人が死んでいるのは、人が死んで逝くのは自分の所為だが、 としあきに頼ったりしない、来ないで欲しいのだ、今は顔も見たくないし思い出したくもないのだ。 自分に厳しく当たってから、メイジは目を閉じた。 闇の中では、いっそ視界はいらない。 無音で近づくのは不可能だ、建物から発する全ての音を糧に、正確に行動しなければならない。 下界に一つ残っていた気配が遠ざかっていく、恐らくアリスだろう。 自分が追い詰められても、指揮官であるアリスが来るまで生かしておくだろう。 本来なら、指揮官のアリスがメイジを簡易拷問して、MOの在り処を吐かせねばならない。 見つかっても大丈夫だが、見つかった瞬間アリスが目の前で部下を裏切る事になる。 絶対に避けねばならない事態だった。 アリスは味方なのだと、敵に思わせておいた方がアリスが動きやすい。 出来るだけ的確に動けるように、メイジはきつく瞼を縫い合わせる。 真実、最も的確なのは今出来た右翼の隙をつけ込み、逃げ出してしまうべきだっただろう。 見つかるかもしれない不安よりも、全てを押し付けアリスを見捨てる薄情さには耐えられない。 アリスは完膚なきまでに敵を叩きのめすだろう。 用意された30人の死体の前で、私は泣きながら謝罪せねばならないのだ。 きっとアリスは激怒するだろうが、泣いてすがって謝らなければならないのだ。 自分勝手でごめんなさいと云わねばならない、 自分の為ではなく、絶対に許してくれない相手に謝罪を述べねばならない。 自分にはまだやらねばならない仕事が残っている、持ち場を離れられない。 アリスと分かれた地点から、メイジは一歩も動いていない。 アリスの邪魔をしたくは無かったからだ、想定外が一つ起きるだけで、案外全ては簡単に崩れてしまうのだから。 愚直なまでに、メイジは部屋の隅でじっとしていた。 ------------------------------------------------------------------------ しくじった。 しくじった、しくじった、何かを間違えた。 流石に10人相手にして、廻りにまで気を配っていられなかった。 自分は超人でもまして天使でも無いのだ。 云い訳に腹が立って、血液の混じった唾液を吐き出した。 左舷と中央の動きが明らかにおかしい。 敵が居るかもしれない、メイ以外に男が居ると伝えた。 敵は1人ないし最低でも2人居たのだと伝えた、にもかかわらずすでに部隊は二階へあがっていたのだ。 何か厭な予感がしたが、自分が何を失敗したのか判らない。 自分で情報を流したのが悪かったのだろうか、指揮官として隊長として、敵戦力を分析するのは当然だ。 間違いなど思いあたらない。 外から見られていた可能性は無いだろうか、記憶を探ったがまるで覚えていない。 素人集団が一々偵察を置いておくだろうか。 まして、敵は10歳の少女だと判っているのに、事前に偵察を配置するだろうか。 結局疑問符しか浮かばないので、アリスは思考を止めた。 事実として今空気がおかしいのだから、踏まえた上で対処するだけだ。 結果的には後20人撃ち殺すだけだ、何も変わっていない。 「中央、階段をあがる、撃つなよ」 無線で中央の部隊へ連絡を送る、敵を警戒しているのだと伝える為に、 間をおきながら階段を上がっていく。 手前の教室に入ると10名全員が固まっていた。 二個ほど持ってきた手榴弾を一つ投げ込んでやろうかと思ったが、填補のよさが気になり私は歩み寄る。 勿論銃のサイレンサーは外してある。 「Julyっ! ご無事ですか!?」 声を出したのは、副長だった、なるほど彼の支持に従っていたから行動が速かったのかもしれない。 殆ど明かりの無い場所では、幾ら夜目が効く私でも全員の顔は伺えない。 少なくとも、副長の声には疑いの色は無かった。 「大事無い………状況は?」 「現在こちらの部屋に10名、向こうの部屋に左舷の部隊が居ります、  敵影は無し、未だメイは発見できていません、申し訳ありません」 自分は疑い過ぎなのだろうか。 むしろ、素人の分際で的確に私の命令を遂行した事を褒めるべきなのだろうか。 本来ならば、敵を恐れず早急に場を制圧して往き、素人ととは思えぬ働きを褒め称えるべきなのだろうか。 そして、メイを追い詰めた事を、喜んでやるべきなのだろうか。 疑問符は声色には出さない、私は的確な指揮官として言葉を選ぶ。 「左舷の捜索も中央の捜索も済んだならば、残るは右舷の2階だろう、気を抜くな………10名が死んだ。  尊い犠牲だ、裏切り者の血で購って貰おう………」 中央部隊は銃を揺らす金属音で返事をした。 「3、3、3、2で向かう、前へ出たい者は率先して出て行け、副長と私は一番後ろから付いて往く」 意図せずして出て自然な言葉だったが、私は一気に頭が沸騰する思いになった。 過去、何度か軍事訓練を受けた者を部下に、荒事をこなした。 命知らずの頼りがいがある男達で、率先して前へ出たものだが、素人集団は渋ったのだ。 前へ出るのを明らかに厭がっていた。 死ぬのが厭なのだ、殺されたくないのだ、当たり前がまだ全く死んでいない。 ならば、どうして敵が居るかもしれない場所を、簡単に制圧出来たのだ。 私の気のせいなのだろうか、疑り過ぎると身動きが取れなくなる。 考え事をする頭は足を鈍らせる、だが、拭いきれないうっとうしさが額にまとわり付いて離れない。 「エミール、ジャン、アレク、前へ出ろ、右側に居る者から後に続け」 私が数瞬呆けていると、部下の質の悪さに呆れたと取られたのか、副長が仕切りだした。 果たして本当にそうなのだろうか、むしろ私の方が踊らされているのだろうか。 止めろ、切りが無い。 全員が出て行ったところで、私と副長が出て行く、後から左舷部隊が着いてくる手筈だ。 「Julyお気になさらないで下さい、死んだ彼らは尊い犠牲ではない、唯の使い捨ての手駒だ」 「ふんっ、云われ無くても判ってるわよ、  私が気に入らないのは姿の確認しきれないメイの味方と、不甲斐無い部下が気に食わないのよ」 「同感です」 気になる現実はある。 メイジは今どうしているかだ。 私が躯に刻み付けた教訓は生きているのだろうか。 彼女の対応はわからないが、最悪20人と真っ向勝負する事になりそうだった。 MP5を20本相手にするのは骨が折れそうだったが、例え自分が死んでもメイジは無傷で帰してやりたい。 組織に報告する者が居なくなるので、出来れば私も五体満足で帰りたかった。 「発見! 目標を発見しました!」 銃声は一発もしなかった。 メイジの聡明さに、私は安堵した。 もしメイジが愚かにも反撃したなら、愚かな部下は反撃し返すだろう。 メイジには殺すなと言付けたので、即死のダメージは許されない、反撃の所為で誤って蜂の巣にでもなられたら困る。 「ふんっ、詰まらないわね、さぁて、鉄板剥がすのは私の役目でしょうね………」 「お気をつけ下さい、発砲がありませんでした、何か企んでいるかもしれません」 「お前は一体誰に向かって云ってるつもりだ?」 「申し訳ありません………」 左舷部隊も合流し、私はエスコートされながらメイジの元へ向かう。 初めて来日した空港を思い出し、走馬灯を流しながら、メイジの元へ向かう。 最悪、自爆してでも皆殺しにしてやる。 ドアから中に入ると、メイジが両手を上げていた。 私を見つめる目は、心から憎悪に満ち満ちていた。 嘘でもそんな目が出来るのなら、再会した日にして欲しかった。 ならば、迷い無く殺せて、今こんな面倒な時間を過ごしていない。 武装はベレッタが転がっていた、武器を捨てさせられたのだろう。 ちゃんと確認しない部下に苛立ったが笑みがこぼれる、もう今夜で何度目だろうか。 素人集団は、目に見えた物しか信じないらしい、彼女は腰にガバメントを装備している。 彼女の愛器である、恐らく狙いは外さないだろう。 私は銃を構え、メイジに詰め寄る。 中に入っているのは、6人、副長がドア付近に居るのをあわせると計7人。 皆一様にメイジに銃を向けている。 部屋は行き止まりで、ドアが後ろと前に二つある。 後ろのドア付近に二名、残りは隣の部屋で待機している。 「はぁい? メイ、抵抗もしないの? 詰まらないわね、死ねばいい」 「こんばんはJuly、何しに来たの? 帰ってくれない?」 恐らく、私に攻撃するタイミングを任せているのだろう。 メイジは大人しく私の挑発に乗ってくる。 此れから私は自分の甘さを厭と云うほど思い知る事になる。 ------------------------------------------------------------------------ 敵に発見されても、私は何もしなかった。 ある意味では、発見されたのは一つの失敗なのだ。 人何てとても殺せない弱い自分は、強い人に頼るしかないのだ。 見つかった瞬間、アリスから貰った銃を大人しく投げ捨てる。 すると直ぐにアリスが不機嫌な顔で部屋に入ってきた。 流れる動きで銃を構えた、フルオート機能があるグロック18/18C。少女一人を脅すにしては大げさすぎる。 簡単な挑発をすると、私を蹴飛ばした。 全力に近く、全身に痛みが走るが、吹き飛ばされた私は床に尻餅を付き、自然に手は下がる。 銃を直ぐに手に取れる格好になった。 他の兵はもう安心しきっているのか、銃を下げ観戦モード。 厭な予感もした、部屋の隅に追いやられ敵はアリス越しにしかメイジを打てなくなった。 まさか、盾になったりするつもりじゃないだろうか。 「めんどくさいから、さっさと持ってったデータ渡してくれないかしら?  勿論断ったら殺す、大人しく従っていれば、命くらい助けてあげられるかもしれないわね」 過剰に嘘臭い演技は揶揄だと受け取られたのだろう、部下の男たちがゲラゲラ笑った。 部下とアリスは違う、部下達はどうあがいても死ぬのだと告げていたが、アリスには別の思惑があるのだ。 「厭だと云ったら?」 顔面すれすれのところに、グロックから放たれる弾が飛来し、血の流れが止まる。 演技の延長だとわかっていても、腰が砕けそうになった。 「あぁ、ごめんなさい腕上げっぱなしで疲れてたの、もう一回云ってくれない?  後、味方って何人? 私怖がりだから、死にたくないのよね。其処の所も教えて頂けないかしら? メイ」 銃を撃たれて、気持ちが折れるのは的確だろうと、メイジは大人しくなっていく。 演技なのだが、本心が入り混じる。 「ご、ごめんなさいJuly………」 「五月蝿いわね、謝罪なんか要らないから、さっさと答えてよ」 「命………だけは、助けてくれる? おねぇちゃん………し、死にたく………ないよ………」 メイジの言葉に、真実が含まれていた。 アリスはグリップを強く握り、嘘臭い侭告げた。 「はいはい、命だけは助けてあげるわ、  私がぁ~、必ず貴方を守ってあげるから、ほら、早くデータの在り処と仲間の人数吐いて」 仲間の人数とは、10人を殺した相手の事であろう。 指示に従い、メイジは素直に答えた。 「仲間は………一人だけ、データは此処に………あります………、データは何も、使用してません」 としあきの家から失敬した、何も入っていないCDRをアリスに差し出した。 怒った様な厭味のある笑みを浮かべると、アリスはCDRを受け取った。 「はいっ確かに、素直で可愛い妹は良いわね、楽で。じゃ、殺すね?」 メイジは途端に恐ろしくなった。 敵を欺く為なのだと知っていても、アリスに銃を向けられるのは恐ろしくて堪らない。 心底怯えながらも、メイジは演技を続ける。 「そんな命は………助けてくれるって………」 「ごめん、馬鹿な部下の所為で疲れてるの、忘れちゃった。最期に何か云いたい事とかある? メイジ」 躯が震えた。 アリスは自分をメイジと呼んだ、恐らく攻撃に移る前の最期の会話だ。 部屋には7人も敵が居る。 けれど、どうしようもないのだ、絶対にアリスならやってのける。 もしかしたら遺言になるかもしれない言葉をメイジは紡ぐ。 「自分勝手な事をして、ごめんなさい。  でも………私、倖せになりたかったの、好きな人を信じたかったの………自分の愛した人の傍に往きたかったの」 「そう、素敵ね、じゃ~走馬灯でも御覧なさい………5」 カウントが始まる。 メイジは出来るだけゆっくりと、気取られないよう銃に手を伸ばす。 正面からアリスと向き合っている、アリスは銃を右手で構えている。 恐らく、右側から一気に全弾切付ける。 メイジは左側の人間を戦闘不能にしようと、銃に手を伸ばして往く。 「3、2、1」 メイジが銃を抜き取る瞬間と、アリスが左手でもう一丁グロックを抜き出し、発砲するのは同時だった。 「ゼロ!!!」 0を数えたが銃声で聞こえなかった、5人が銃弾の雨を受けて躰中が穴だらけになる。 突然撃たれて、パニックに陥った相手がやけくそ気味に発砲する。 舞い上がったアリスのコートに穴が数個開いた。 打ち抜きの速度に対応出来ず、絶命するついでに銃を乱射する。 倒れながらで、縦に線を描きながら仰向けになって死んだ。 メイジは一人の肩を撃ち抜くが、もう一人が銃弾を交わし切り、ドアから飛び出した。 アリスの出迎えに来た、少しだけ優秀な下っ端は肩を打たれ悶絶していた。 「お待ち下さい!!!」 待て。待てと云われて待つ人間は、心当たりがあるから待つのだろう。 やっぱりしくじっていた、アリスは大きく舌打ちをした。 「はは、如何してかわせたのか聞くのは、野暮ってもんかしら?」 心から自嘲して、アリスは壊れた笑みを浮かべているだけ。 自分の腸を棒で混ぜたかった。 「えぇ、ボスから貴方の裏切りの可能性を耳にしておりましたが………まさか事実とは………信じられません、  May、銃を捨てろ。Julyは装備を外されないで結構です、貴方を丸裸にするだけで、日が暮れてしまう。」 アリスは銃弾を撃ち尽くした銃を投げ捨てた。 諦めた風に、両手を腰に宛がう。 直ぐに腰に手を潜らせる位置、手榴弾がのピンに手を近づけた。 メイも大人しくガバメントを投げ捨てる。 万事休す、やはり無理のある作戦だったのだろうか。 メイジは恐怖を通り越し、冷たく壊れていく。 アリスは己の浅はかさを悔やむのは、メイジを無事逃がしてからだと煮えたぎる。 「酷いわね、味方なのに裏切るだなんて」 何もしていないと訴えるため、一度両手をあげてから、また低位置に手を戻す。 アリスは、今出来る精一杯の反撃を決死に加えた。 自分は、他のエージェント達と違って単純な戦闘力ならたいして強くない。 自分に装備されているのは、早打ちの技術と、人殺し本番で全く無い迷いだけである。 アリスの皮肉を無視して、副長は続ける。 「外には、諜報兵が二名待機しております、貴方の裏切りを組織へ知らせるためにです。  窓から覗ける距離にあります、嘘ではありません、July、窓の外をご確認下さい。   ご自分の目で、事実をお受けとめ下さい」 あいつは云った、「現在こちらの部屋に10名、向こうの部屋に左舷の部隊が居ります」と、 部下には私の裏切りの可能性を知らせず、尚且つ私にも左舷部隊の10人が居ると思い込ませていたのだ。 いや、言葉を正確に判断しなかった私の甘さだ。 左舷部隊が居るだけであり、左舷部隊の10人が居るとは決して云わなかった。 あの時、隣の部屋には8人しか居なかったのだ、何故確認を怠ってしまったのか。 「ですが、今ならまだ私の胸に留めておけます」 「素敵な案ね、条件は?」 自分でも判り切っていたが、打開策をまるで思いつかないので時間稼ぎをしたい。 窓の外には、2名居た。 恐らくPCか何か、兎に角外界へ、直接組織へ通じる通信手段を何かを所持しているのだろう。 副長の甘い囁きの意味も、大体察した。 アリスの早撃ちでは対処しようが無い、外の二人は水辺と思わしきコンクリートの塊の後ろに隠れる様にこちらを伺っていた。 「データは回収しました、麻薬も流れたそうですが下らない物です。  July、貴方がご自分で仰った任務を遂行されて下さい。Mayを、裏切り者を殺すのです。   普段の貴方ならこんなへまはしないでしょう、愛か哀れみか存じませんが、そんな馬鹿な物のために戦うからこうなるのです。」 どうしようもなかった。 相手はちゃんと無線機を持っているし、窓からこちらの様子もある程度伺えた。 今アリスがおかしな動きをすれば、組織に全てが筒抜けとなる。 結局、どちらも、遠からぬ未来に殺される。 アリスは、選択した。 「メイジ、ごめんなさい、覚えてるかしら? 私は貴方が本物のデータを渡した時、本気で殺そうと思ってたの。  あの時はまだ、アリスじゃなかったのよ、でもね?    誰かさんが止めてくれて、私は何だか、何もかもが如何でも良くなったの………」 アリスは脱力しきっていた。 大切な者を守りきれなかった悲しさと情けなさが、躯から活力を奪い取っていく。 「けれど、此処まで着たらもう手遅れでしょうね。  ごめんなさい、可愛いメイジ、二人して心中も面白くないから、貴方を殺して其の侭帰るわ」 どうしてか、自然な動きで同じ型のグロック取り出しをメイジに構えた。 アリスは、メイジを殺し、自分を追い詰めた相手を殺し、此の場で自殺するつもりであった。 どうせ殺されるなら、始末は全て自分で付けたい。 愛しい者は、自分で殺したかった。 今逃げ出せたとしても、遠からぬ未来拷問して殺される。 メイジがそんな目に合うなんて、耐えられなかった。 全てを諦め、引き金を絞り始めると、メイジの目が爛々と光るのを見た。 メイジはアリスの言葉をまだ演技の延長だと思っているのか、信じきった目で見つめている。 彼女は、私なんかよりも強く、勝利を信じていた。 刹那、メイジがバネ仕掛けの玩具みたいな動きで、窓の外を見た。 私も確かに聞こえた、鈍く、何かがぶつかる音がした。 メイジの瞳は月よりも、爛々と輝く。 闇の中、希望をなくしたのではなく、希望を取り戻していく。 「あ、あぁ………あ」 目から泪を零しながら、顔を輝かせたいた。 原因は窓の外にあるらしい、現実から目を背けたかったアリスは、窓から離れてしまってので現状が判らない。 「としあきぃ!」 アリスは、高速で振り返り、生意気な副長と肩を打たれた少しだけ優秀な部下を殺した。 諦めかけてしまった大人の自分を許さない、子供の無邪気さで皆殺しを敢行した。 6へ