――遠い日の夢、異国の朝【case of A/檻】―― 目を覚ました場所は、木枠で囲われた檻の中。 格子状に組まれた木材、そこに刺さる釘の目の錆びてくすんだ色が間近に見える。 周囲にあったものは、知らない音の洪水と、頭上で交わされる紙片の束。 身動きもままならない痺れたからだ。鉄の枷に繋がれた手首がきしりと痛む。 焦点の定まらない思考の中で、私は、自分のおかれた状況だけをただ漠然と理解していた。 ――あぁ、私は、どこかへ売られていくのだ。 おかしいな。ほんの少し前まで、部屋の中で眠っていたはずなのに。 ベッドの中に持ち込んだはずの大好きなおはなしの本も、ここにはないみたいだ。 おととしの誕生日。大好きなおとうさんに買って貰った、あのお馬のぬいぐるみはどこだろう。 いい夢がみられますようにと、私のおでこにキスしてくれたおかあさんは、どこにいるのだろう。 どうして私は、こんな暗くて寒いところで知らないひとたちに囲まれているのだろう。 ……おかしいな。 ふと気付けば、指先はすっかり凍えてしまっている。 息を吹きかけてあたためようとしても、唇がふるえてしまってうまくいかない。 身体を抱えるようにしたまま、知らず、膝をふるわせ小さくうずくまっていた。 ――さむい。ここはすごく、さむい。 そうして仰ぎ見た天井には、小さな電球がチカチカと揺れているだけ。 知らない音がするたびに、冷たい光が空気を揺らし、それにあわせて紙片が踊る。 私の頭上を飛び交う色は、弾ける金と、飛び散る赤。 金色はくるくると床に落ちていき、赤色ははらはらと私の身体に降り注ぐ。 ときおり、何かが視界のかたすみで白く閃いていた。 それがきらりと弧を描くたびに、知らない音がごうごう鳴って、赤と金がきらきらと舞った。 ――あぁ、あの光は、すごくきれいだ。 しばらくすると、電球の揺れるチカチカはなくなって、知らない音の洪水もすっかりおさまっていた。 そうして仰ぎ見た視線の先には、知らないおとこのひとの顔があった。 遠いところから声がする。笑っているような、それとも焦っているような。 おとこのひとの後ろには、もっとたくさんのひとたちがいるみたいだった。 檻の中でうずくまっている私をのぞきこむと、おとこのひとは何かを言っていた。 困ったような、喜んでいるような、ふしぎな顔をして、私に何かを言っていた。 それがなんて言っているのか、言葉の意味はわからなかったけれど、なぜだかとても安心した。 「――悪いひとたちは、もういないよ。ボクたちがやっつけてあげたからね」 おとこのひとのすぐ後ろから、おんなのひとがひょっこりと顔をのぞかせた。 そのひとの言葉は、私の耳にもはっきりとわかった。それはとても優しい声だった。 その声にうながされるように下を見ると、たくさんの知らないひとたちが床で眠っていた。 どうしてだろうか、それを見ても不思議とこわくなかった。 そんなことよりも、どうしてこんなことになっているのかという方が、よっぽど不思議だった。 ――あなたたちは、だれ? わたしは、どうしてここにいるの? 顔を上げて私がそう聞くと、おんなのひとは私の両手を繋ぐ枷を外しながら、優しく笑った。 「安心していいよ、ボクたちは――」 ――そこで、私の意識は途絶えた。 目を覚ました場所は、安物の毛布を敷いた大きなベッドの上。 周囲にあるものは、極彩色の壁紙と、テーブルに置いたままでいるナイフの煌き。 まどろみ呆ける思考の中、天井から射す薄桃色の照明を瞳に受けながら、私はうなされるように確認した。 身動きもままならない痺れたからだ。しかし、それは硬くなった全身に血を巡らせている、心地よい痺れ。 手首にも枷などはなく、それらがきしりと痛むことも当然、ない。 だらしなく伸ばした右腕で降り注ぐ薄桃色の光を遮りながら、私は、溜息のような言葉を口にしていた。 「――あぁ、そうか。あれは夢だったのね」 そうだった。ここは極東の地。私の故郷ではない国、私の部屋ではない場所。 こんな夢を見てしまったのは、しばらくの間、三月の兄さんと一緒にいたからだろう。 面白くない。そんな気持ちが心を満たす。 でも、何故だろうか。 不思議なことに、あの夢をみた後は決まって、よくわからないあたたかなものが胸の中を占めるのだ。 「――変なの」 そう言って、私はもう一度、ゆっくりと沈んでいくように瞼を閉じた。 -------------------------------------------------------