1.『ただいま』 ただいまと、としあきが帰ってくるとメイジが机に向かっていた。 カチャカチャと物音がするのでとしあきが背中越しに覗き込む。ばらばらになった銃。 メイジは、ガバメントを分解している所だった。 相変わらず非日常な光景だととしあきは溜息をつく。 が、その時メイジの金髪の中に埋もれているベルトに気がついた。良く観るとそれはアイマスクだった。 慄然とするとしあき……メイジの手は淀みなくガバメントを組み立てていく。目隠し分解組立て。 メイジは、何と何の部品が合致するのか知り抜いた手付きでレシーバーとスライドを嵌め合わせ、 レールストッパーを止めた。素早くスライドを引く。重い鉄が刷り合う音。 ――カチン。 トリガーを引くと、ハンマーが降りて涼しい音を立てた。 メイジはアイマスクを上げて、机の上のストップウォッチを押した。 ぼそ、とメイジは呟く。としあきの知らない言葉で、新記録、と言うと、としあきに得意げに微笑んだ。 「おかえりなさい」 ---------------------------------- 2.『おひる』 鳩って、食べた事ある? メイジは出し抜けにそんな事を訊いてきた。 食卓には親子丼と味噌汁だ。としあきが自信を持って作る事が出来る数少ないメニューだった。 「……ないけど?」 「そう……」 メイジは箸を握り込む手付きで親子丼を掻き込んでいる。 としあきは怪訝そうに眉をひそめ、箸を動かす手を止まる。 「……お肉、としあきが大学行ってる間に、食べちゃったの」 「は?」 「……鳩、美味しい?」 としあきの手から箸が落ちる。 スーパーでパックされた肉を使った筈だ。いや、そう言えば肉の色が少し濃かったような……。 口の中の肉片をそうとは知らず噛み締める……濃厚な味わいがある、気がする。 上目遣いでとしあきの表情を伺うメイジだった。 ------------------------------------------------------------- 3.『おはよう』 もともと独り暮らしのとしあきの家にはダブルベッドなどと言う結構なものはなく、 年季入りのシングルにメイジと煎餅布団一枚を仲良く奪い合って眠る事になる。 その朝、としあきは胸にかかるくすぐったさで目が醒めた。 メイジの規則的で静かな寝息が、としあきの裸の上半身をくすぐっていた。 ガバメントを目隠しで分解し更に組み立て、捕まえて来た鳩を断りもなく食わせる破格の少女でも、 寝顔だけは歳相応だった。 激しく乱れた夕べのねやを思い出す……としあきの手はメイジの股間へと伸び、『彼女の男性器』をそっと……、 ……やめた。 性欲に溺れる深みをも持つメイジの、でも今だけは無垢な少女の寝顔を微笑んで眺めていたいと思った。 そうしていると、また眠気が降りてきた……。 しかしとしあきが次に目を覚ました時、メイジは勝ち誇った上目遣いでとしあきの男性器を口に咥えていた。 ----------------------------------------- 4.『いっぷく』 ……結局、としあきは朝から昼までの間に、五回吸い取られ、六発打ち込まれた。 行為が終わるとメイジはユニットバスに足取りも軽く向かって行った。 としあきは、ベッドに仰向けに死体のように転がったまま、幽体のように紫煙を吐き出す。 絶倫と言うのだろうか、淫乱と言うべきなのか、メイジの事をとしあきは何と言っていいものか、思う。 ベッドの上でとしあきをねぶり、責め、乱れるメイジはある意味で純真だと思う。 子どもの無垢でふたつのセックスを振り回す。 ……愛かな、とぼんやりとしあきは思う。 こんな無茶苦茶にされても、何故かとしあきはメイジを拒みたくないと何処かで思ってしまっていた。 ――ガキの性欲処理は勘弁だぜ。 そんな心にも無い言葉を考えてみる。頭を振って身体を起こすと、ベランダに一羽の鳩がとまっていた。 「……よぉ。特等席だったろ?」 小首を傾げる鳩は、しかしいきなり飛び立つ。手すりにナイフがぶつかって跳ねた。 「逃がした!」――いつの間にかシャワーを終えたメイジがナイフを投げた姿勢で舌打ちする。 としあきは深く溜息をつき、煙草を灰皿に押し付けた。 --------------------------------------------------- 5.『いっぱい』 としあきが冷蔵庫を開けると、大量のヨーグルト500㏄パックが並んでいた。思わず溜息。 メイジと来たら、買い物に一緒に行く度に買い物篭に山のようにヨーグルトを放り込む。困ったものだ。 朝食にヨーグルト、昼食のデザートにヨーグルト、おやつにヨーグルト、勿論夕食後にもヨーグルト……。 としあきの独り暮らし相応のサイズの冷蔵庫はヨーグルトで万杯だ。他のものが入りやしない……。 数を減らさなくては……と思うが、正直砂糖を振って食べるのは飽き飽きだ。何かいい方法はないか……。 としあきはしゃがみこんだまま腕を組み、うーんとひとしきり唸り……頭の中に古典的な豆電球が灯った。 台所でいそいそと、普段使わないバーセットを用意するとしあきの背中にメイジがじゃれ付いてくる。 「としあき、何してるの?」 「久しぶりに呑もうと思ってな」 「ふーん。お酒呑むんだね、としあき」 「まぁ観てな。酔いどれ系プチ引きこもりの隠し芸って奴さ」 ウォッカを50cc、メジャーカップで図ってシェイカーに注ぎ、目分量でほぼ同量のヨーグルトも加える。 塩をひとつまみ、砂糖を気持ちだけ。バースプーンを薬指と中指に挟んでかき回し、拡販した所で氷を目一杯。 シェイカーに中蓋をかぶせ、トップをきちんと閉める。 親指と小指でシェイカーを挟んで机でコンコンとノック――シェイク。 「わぁ……」――肩の力を抜いた二段振り。メイジはとしあきの流れるような動きに目を丸くしている。 少しずつ加速したシェイカーの振りを、頭の中で三十回数えると、少しずつ速度を落して止めた。 たっぷり入る背の高いグラスに最後の一滴まで注ぎ切り、シャキッと音を立てて机に置く。 中蓋を外して角の取れた氷をグラスに二、三個、バースプーンで放り込み、ソーダ水で満たした。 炭酸が抜けないように軽くステア、完成。 「凄い凄い!」――メイジはうずうずと、得意げなとしあきに。 「カクテル、アヴドゥーグさ」 「あたしも飲みたい!」……しまった。としあきは少しだけ後悔した。 「美味しい!」 メイジは目を丸くして、両手に大きめのグラスをぎゅっと握り締めている。 としあきは無茶なメイジの要望に苦悶した挙句、そういえば冷凍庫に放り込んでいた苺を摩り下ろして加え、 ヨーグルト苺ソーダにする事でとりあえずの解決策を観た。 まぁ、スイスじゃ14から飲酒可能とか言うけどな……アルコールを加えなかった事はとしあきの、 一応の良心のようなものだ。 しかし……プチにひきこもって、独りでかっこつけて酒を呑むだけだったが…… 誰かと呑む酒は旨いな、と思う。ちょっと氷片が多いと思う、腕が鈍ったとも思う。 でも、旨い……。 「どうしたの? としあき」 口の周りを薄いピンクがかったヨーグルトでべたべたにしたメイジが、としあきの顔を覗きこむ。 「なんでもねーよ」 としあきはふと、笑っていた。 久しぶりに杯が進み、アヴドゥーグを作っては呑みを繰り返し、久しぶりにベッドにもつれ込まずに、 メイジと一緒に観るTVと他愛の無い話で盛り上がり、気がつくととしあきはベッドの上に仰向けになっていた。 柔らかくて優しく重いものに包まれたような酔いで胸が一杯だった。いい酒だった。 メイジがとしあきの横に寝転がる。何だか今日は、下の展開にはならないなと、としあきはぼんやり思う。 メイジは、としあきの眼を覗きこみながら 「……としあきは優しいね」 「え?」 「酔っ払っても乱暴しないもの……」 メイジの眼は、としあきの眼を覗き込んでいるのだが、何処か遠くを見つめているようにも見えた。 過去か、と思う。 この不思議な娘がどこから来たのか……としあきはまだ知らない。彼女の回りに優しい大人は少なかったのか。 としあきはぎゅっと、メイジの頭を抱きしめた。メイジが小さく声を漏らす。 としあきの指は細いプラチナブロンドを掻き分け、おでこを優しく撫でていた。 「……心配すんな」――俺がお前を守る。 次の句を口にする前に眠りに落ちたとしあきの腕の中で、メイジはうん、と小さく呟き、眼を閉じた。 --------------------------------------------------- 6.『おゆうはん』 「オサシミ?」 「そう。活きの良い魚を生で食うんだぜ」 夕食の準備が面倒くさかったので、夕食はスーパーで安かった鮭の刺身と白飯と味噌汁になった。 魚を生で……メイジは頭の上に『?』を飛ばしている。欧米の日本食ブームの事など知らないらしい。 そして夕げの席。メイジの視線はとしあきの手元と薄赤い刺身を行ったり来たりで箸にも手をつけない。 「いいか? こうやって一切れとって、この緑のペーストを包んで、醤油につけて……うん、旨い」 としあきが実演するとメイジは眼をぱちぱちさせて、恐る恐ると言った感じで箸を握る。 メイジは箸を上手に使えない。握り込んだ箸に刺した刺身を、わさびの山にぺたぺたとつけて、 醤油にべちょっと浸して、こわごわと口の中に入れた。 窺うような顔をしながらメイジが咀嚼する――途端、物凄い顔をした。 ……両目をぎゅっと瞑る顔文字みたいだと、としあきは思った。 「……か~ら~い~」 としあきは膝を叩いて爆笑した。メイジはまなじりに涙をためてうるうると、恨みがましそうに。 ――やっぱり、唯の子どもなんだ。 ---------------------------------------------------------- 7.『わるいゆめ』 クーラーをがんがんにかけても、夏の真昼に抱き合いながら激しく絡むと、としあきもメイジも汗みずく、 体中が粘膜になったような気がした。としあきの中に何度目かに精を放つと、メイジは眠ってしまった。 体を冷やさないように毛布を掛けてやると、としあきは肛門の違和感を感じながら一服した。 ……全く、誰が十歳だって信じるよ? 少女相応の寝顔ですやすやと寝息を立てているメイジを、としあきは軽く小突いてみた。 さて、俺もクーラー弱めにして寝るかな……と、横になろうとした時、 メイジのトラベルバックが開きかけなのに気付いた。 白いものが見える。替えのブラウスかな……服は全部出しとけって言ったのに、困った奴だ。 としあきは全裸でトラベルバックに屈み込み、ファスナーを空けた。 どさり、と白いものが詰まった袋が落ちてきた。 ……何だこれ? としあきが口の端に咥えた煙草から、白い煙が昇っている……としあきの中で閃く。 一袋、ぼんやりとした動作で手に取ると、としあきはユニットバスに持ち込んだ。 ……甘い幻覚が、見えた。 --------------------------------------------------------------------- 8.『ひめごと』 遊びに行った帰り。満員電車に立ったままぼーっと揺られていると、メイジがとしあきの服を引っ張る。 「ねぇ……としあき……その、あのね……」 メイジの視線を追う……なるほど。買ってやった細身のジーンズ。盛り上がり、少しの染みが見えた。 としあきの手は、いきなりメイジの下半身のふくらみに伸びた。 メイジの震えが、掴まれた服から伝わる。メイジの熱っぽい眼差しを直視せず目端で捕らえる。 外の景色を眺めるフリをして、としあきの指はジーンズの上から執拗に責めていく。 裏のすじを往復し、雁首を左右にねぶり、軽く弾いたりしてやる。 メイジの震えがだんだん眼に見えて大きくなってきた。息も荒い。うつむき、眼を瞑っている。 ふと、顔も知らない女子高生と、としあきの眼が合った。彼女は、とっさに眼を伏せた。 痴漢にでも見えてるのかな。少年専門の変態にでも。 ジーンズを履いて長い金髪を一本に結ったメイジは男の子にも見えただろう。 思い切り、メイジの竿全体をギュッと握ってやった。 「……ふあっ……あ……っ」 ビクンとメイジが痙攣し、力なくとしあきにもたれかかってくる。絶頂したらしい。 としあきは、顔を赤らめている女子高生をぼんやり睨みながら、メイジのおでこをべろりと舐め上げた。 ---------------------------------------------------- 9.『ひみつ』 「ねえ、としあき……何だか最近、トイレから青い匂いがするよ」 動揺は顔には出なかったと思う。としあきは回転椅子を回してデスクトップに向かった。 「そうか? カビでも沸いてんのかな」 そう誤魔化しながら、ブラウザで開いていた「大麻」についてのページを閉じる。 手巻き煙草用の紙でも買ってこなきゃならんなと、としあきは思っている。 メイジは、そんなとしあきの雄弁な背中を見ながら、 とても、切ない眼差しで、 「あのね……あたしの鞄、勝手にあけちゃ駄目だからね」 「おう」 暫くは皿で燃やすかと、としあきは思っている。 メイジは、届かない言葉の事を思う。 メイジが寝静まった夜、としあきはベッドから抜け出した。 クローゼットの中に突っ込んである自分の旅行鞄の小さなポケットのファスナーをあけ、 そこに隠してある粉末が詰まったビニールパックを取り出した。大分、目減りしてしまった。うずく。 ティーカップソーサーを一枚持って、換気扇を止めたユニットバスに入る。粉をソーサーに積み上げ、点火。 燃えていく。陶然と、としあきは漂い出した煙を吸う。喉に絡みつく独特の香気がいとおしい。 ロッカーってガラじゃねぇんだけどな……と頭をよぎった雑念が、いきなり蕩けた。 「あ……」――心臓がとくんと脈打つ。ユニットバスの中に体を折って座り込み、とろりとした目で――。 ――バタン。 いきなり扉が開いた。 観られた。 泣きそうな顔をした、メイジだった。 問答無用でメイジはシャワーを掴むと、水をとしあきにぶっ掛けた。 「わ、ちょっやめっ!」 「ばか! ばかばかばかばかばかばか!!」 「まてまてまて話をきけ話ほごっ」 水を鼻で思いっきり吸ってしまった。げれげれとむせるとしあきをメイジは強引に引っ張ってベッドまで。 「殺す気か!」 怒鳴るとしあきに、メイジは覆い被さり、 ――涙が落ちた。 酔っ払ったようなみみっちい多幸感など、一瞬で消し飛んだ。 「……としあきだけは、としあきだけは……違うと思ってたのに……」 「……すまん」 メイジはキッとまなじりを吊り上げると、としあきの鳩尾に膝を思いっきり落とした。 下呂をしそうな巨大な鈍痛にのた打ち回るとしあきの手、メイジは何故か持っていた手錠でベッドと繋いだ。 「はんせーしろ! ばか! しょぶんしてくる!」 そういうとメイジは、トラベルバックを引っ掴んで、部屋から出て行ってしまった……。 取り残されたようないたたまれなさで、としあきはベッドに繋がれたまま、メイジの帰りを待っていた。 いや、もう、還って来ないかもしれない……つまらん事で台無しにしてしまった……そんな後悔だけ。 鎖に繋がれた独りのベッドは、ひどく広く感じた。 この上で、無茶苦茶に愛し合ったのに……こんな事で。こんな、こんな事ぐらいで。 「くそぉ……っ」瞼も壊れよときつく目を瞑り、としあきは声を殺して、泣いた……。 翌朝、いつの間にか眠ってしまっていた。 食卓の上には山のように札束が積み上げられていた。 「……は?」 「おはよう、としあき」メイジは台所で目玉焼きに四苦八苦している。 メイジがいる……震えるほどの安心があった。でも、としあきはそれを隠した。隠そうとした。 「……どうしたんだよ、これ」 「地元のマフィアに売ってきた」 「……マジ?」 「朝ご飯にしよ、としあき。手錠、取ってあげるね」 黄身の潰れた目玉焼きをもそもそと食べながらとしあきは、メイジの様子を窺う。 勤めて背筋を伸ばそうとしているようにも見える。慣れない正座なんてして……。 「あのさ……やくざに売ったのは、その……良くないんじゃねーかと……つか、なんで大麻なんて……」 「あのね」ぴしゃり、とメイジがとしあきの言葉を断つ。 「あたしの鞄は、これからはあたしがしっかり管理するね。鍵かけた。あたしじゃなきゃあけられない。  今度手を出したら、二度としたくなくなる位まで犯しちゃうからね」 「……はい」 反論など出来ようも無い。ひとのプライベートに勝手に手を付けたのは間違いなく自分だからだ。 としあきの真似をして目玉焼きに醤油を振るメイジを見て、ホント、どこから来たんだろうな、と思う。 秘密を知りたいと思う。秘密が怖いとも思う。秘密は秘密のままでもいいかも知れない、とも思った。 「罰として……今日は一日中搾り取ってあげるね。眠っちゃってもずっと、前も後ろも、ぜーんぶ」 妖艶に笑うメイジを観て、この娘も環境が変わる事が怖いのかもしれないと、としあきは思った。 --------------------------------------------------- 10.『ひとりで』 午後、としあきが珍しく真面目に大学で講義を受けている時に、マナーモードにしていた携帯が震えた。 着信を観ると、メイジだった。周圏論の落とし穴について熱く語っている客員教授の目を盗み、 としあきは廊下に出て電話を取る。 『……はぁ……ひぅっっ! としあきぃ……』 心臓が止まるかと思った。としあきは赤面しながら俯き、口元に手を当てて鋭く小声で、 「ばっ馬鹿! 何やってんだよメイジ!」 『我慢出来なくなっちゃってぇ……らめぇ…止まんないよぉ、ひとりはやーなのぉ……ぁん…』 「授業中だっ単位落ちるだろーがっ!」 『帰ってきて、としあきぃ……ぐちゃぐちゃにせっくすしよ? おしり、としあきのおしりぃ……』 条件反射のようにうずく前立腺を情けなく感じながら、としあきは廊下を早歩きする。 裏庭に出た。 辺りを見回す……誰も居ない。落ち着け……としあきは煙草を胸ポケットから取り、火をつけた。 ぞくり、と何かが動いた。 「……やだね。お前は今そこで、独りではしたなくイくんだよ。おら、もっと激しくしてみろよ」 『としあきのくせにぃ……ぁっ……としあきのくせにい……』 「擦ってる音しねーな。電話切るぞ」 『やあっ! 切っちゃやあ!』 本当に粘った水音が聞こえ出した。としあきの頬は、端から観ると酷薄に引き攣っていた。 ふぅと、煙を吐き出す。下半身が疼いて濡れてきているのが判った。怒張しないのが却ってぞくぞくする。 責める展開に心臓が震えた。サドとマゾの転倒。こいつはやばい、癖になりそうだ。 煙草のフィルターを、まるでメイジの硬くなった凶暴な男性器を甘噛みするように咥えていた。 「おら、イけよ。ごりごりごりごりごりごりごりごりごり擦ってよォ、  エロくてエロくてエロくてエロくてごめんなさいって詫びながら発狂するまで擦りつづけてよォ、  びゅるびゅるびゅるびゅるびゅるびゅるびゅるびゅる白くて臭ェ精液吐き散らかしてイけやあ!」 『ああああはあああああああ――――――――――――――――――――――――!』 メイジが必死に携帯を耳に押し付けているのが判った。長く尾を引く絶頂の絶叫に笑みが止まらない。 『――としあきごめんなさいっえっちでごめんなさい! 止まらないのっ白いのとまらないの!  あっあああったすけてっ助けてとしあき駄目えええー!』 どさっ、と音がした。 ベッドに倒れこんだのか、大丈夫だろうかと少し心配するとしあきをよそに、 『はあああっまだ止まらないよぉっびゅるびゅる出したのにらめなのお、かおもぐちゃぐちゃなのぉ、  白くて臭いせーえきべたべた顔にかかっちゃっておいしーのお…としあきぃ、としあきぃ……』 「顔にもっと俺のを塗ったくってやるぜ。手ェ止めたら喉がブッ壊れるまで犯す」 一方的に電話を切る。もう限界だった。 教室に飛んで帰ると代返を知り合いに頼む事もせずに、バッグを掴んで走り出す。 原付なら飛ばして5分か、と考えながら、ただ、キャンパスを走った。 ------------------------------------------------------------------------- 11.『おとこのこ』 てめ、と吼えたパンチパーマの男の頭に嫌に高い銃声。腐ったスイカを落としたように砕けた。 少年は、オフィスのドアに歩み寄るとガラスを破るほど強く、ベアリングたっぷりの手榴弾を投げ込む。 爆音と、それと比すると随分小さな悲鳴が幾つも。 少年は、もうひとつ手榴弾をポッケから取ると、ピンを抜いてオフィスに躊躇無く放り込んだ。 今度は爆音だけ。 ふ、と少年は息を取り、ドアを思いっきり蹴破った。視線と50口径の銃口を完全に一致させエントリー。 爆風で砕けた死体、ベアリングを全身に浴びて唸っている者……修羅の巷とはこの事だ。 動くものには、半死人だろうが物陰に隠れて難を逃れた老人だろうが両手を挙げている者だろうが、 何の差別も無く素早く銃口を向けて引き金を引く、引く、引く。 その度に銃口が高く跳ね、素早く目の前に戻る――オフィスには、少年しか生き物はいなくなった。 少年は一番高価そうな机の引き出しから調べ始めた。やがて帳簿を見つける。 『〈草〉極上 4.8kg 買い ○月×日――備考、外国人少女、金髪、赤い目』 見つけた。 少年は、オフィスから出て行く時にパンチパーマを至近で撃ち殺して飛び散った脳漿と返り血に気付く。 床に落ちている額縁を拾い、収まっている豪奢で大きな紙を乱暴に引き出す。ぬるぬるする頭を拭いた。 その紙には、『侠気』と太筆でしたためられていた。 生臭い金髪の下で、蒼い瞳が細められ、光る。 その頃、としあきはメイジの狭い口腔に自分のものをつき立て、 豊かな金髪に埋もれた後頭部を鷲づかみにしながら腰を打ち付けていた。 メイジは蕩けくぐもった悲鳴を上げながら涙を流して自分の男性器を必死で擦っていた。 としあきがメイジの硬いものを踏みつける――メイジはとしあきの足の裏で、としあきはメイジの喉の奥で、 二人は同時に低い獣の叫びを上げながら達した。 ---------------------------------------------------- 12.『なにもわかってない』 大学をフケてきて、としあきは日が沈むまでメイジの喉だけを犯した。 ぐったりしたメイジが時折咳き込と小さく血が混じる。喉を傷付けてしまったようだ。 「……ごめん」流石にやりすぎたと、としあきはメイジを痩せた胸で抱いていた。 「いいよ……」メイジはとしあきを弱々しく、でも優しく見上げる。 「今日のとしあき、すっごく激しくって……あたしもこーふんしちゃった」 そう言うのだけど、メイジはまたけんけんと血の混ざった咳をした。 どんなに淫猥で、男性と女性の両方のセックスを奔放に振り回すとしても、 この娘はまだほんの子どもなのに……。 肉体的な大人である自分が乱暴にすると、脆さが途端に顔を覗かせる。 ぎゅっと、メイジを抱き寄せる、掻き抱く。 「お前を守る……絶対に、守ってやる」 何故かメイジは目を伏せる……そんな自分の態度を拒絶するように小さく頭を横に振って、 としあきの胸におでこをうずめた。 「……うん……」 夕闇は遥か遠くへ……金髪の少年は暗闇の中、ある大学の近くに位置するアパートを目指していた。 ---------------------------------------------------- 13.『えにし』 としあきの胸に顔を埋めていたメイジは、やがてすやすやと眠ってしまった。 としあきはメイジの背中を、優しく撫で続ける。煙草が吸いたかったが我慢。メイジの喉に良くないと思った。 ――ぴんぽーん、とインターホンを押す音が聞こえた。 ん? ととしあきは思う。 この部屋ではない。隣室だ。 としあきは全裸なのに気付いて、メイジを起こさないように体を起こすと、シャツを羽織ってボタンを留め、 トランクスを履いてジーンズに足を突っ込んだ。 玄関を開ける。 ――顔を覗かせたとしあきに、彼は一瞬驚いたようだった。 女の子かな、と一瞬としあきは思った。でも体付きで少年だと判った。それほど、顔の形が整っていた。 「その部屋の人、最近引っ越したよ」 ……多分、昼夜わかたず情事に耽るとしあきに嫌気がさしたのだろうなと、としあきは思っている。 少年は、鼻を少し鳴らして、何かの匂いを掴んだ……。 少年は、この男、娼夫か、と思った。 濃い精液の匂いがする……爛れた資本主義の蔓延る先進国では良くある事だ。 としあきは、綺麗な金髪だな、とぼんやり思う。メイジで見慣れてしまったからか、それほど驚きはない。 「御丁寧にどうも……いつぐらいに引っ越されました?」 「二、三日前かな……知り合いだったのか?」 「ええ……まぁ。尋ね人です」 と、目を伏せてほんの僅かの苛立ちを含んだ言葉で言うと、少年のお腹が急に鳴った。 少年は顔を赤くして思いっきり俯いた。 「……飯、食ってくかい?」遠い国から来たのだろうか、大切な人に会えずじまいは可哀想だと思った。 少年は、としあきの本当になんて事の無い優しさにどきりとした。いや、娼夫かも知れない男に甘えるなど。 この男は、男を愛する術を、知っているのだろうか……。 「……け、結構です。お騒がせしました」 「そか。気をつけてな。三食喰わないと体によくねーぜ?」 何故だろう、少年は心臓が優しい音を立てるのを聴いた気がした。 優しくされる事なんて……少年にはなかったから。 この男に体の隅々まで愛される事を少年はふと思った……必死に頭を振る。 「……し、失礼します」 「困ったらいつでもまたおいでな。袖刷り合うも多生の縁って諺は……知らねぇよな」 「一期一会、ですか?」 へぇ、ととしあきが感心した声を上げる。「随分詳しいな」 「……この国に来る前に少し、調べましたから」 少年は、腰から畳んで頭を下げる。優しさを忘れようと階段を降りる。306号室と訊きこんだのだが。 逃げられたかと思う頭で、逃げようと少年は思う。女もまだなのに男同士なんて少年の世界観の遥か彼方。 でも、それでも……また何処かで会えたらいいな、と少年は想いを抱きしめる。 綺麗な上に礼儀正しい、最近じゃ珍しいなと、としあきは305号室の玄関の軽合金のドアを閉める。 ……前に、目覚めたメイジが甘えた声を出した。「としあきぃ……誰?」 「旅の人だってよ」 少年は、階段を降りる足を止めた。 頭の中でぐるぐると、己の迂闊さが回り出した。先進国に娼夫?……なべて総論で判断するからこうなる! 少年はバッグの中の50口径、イスラエル製のマグナムピストルに手を掛けかけた。 としあきの優しさがふと、少年の胸を締め上げた。 誰も彼も敵意と悪意、打算と保身、無節操な快楽、裏切り、足蹴にされる絶望に唾を吐いて嘲笑する―― そんな世界で少年は生きてきた。それでも、生き延びてきた。 世界と対決する為には、世界に心動かされる事の無いただ純粋な対抗の意思と、ただ純粋な力。 それさえあればどんな見知らぬ人間の、時には良く知る人間の頭を、スイカのように吹き飛ばせた。 でも……優しさ……グラム換算したらきっと、ナノグラム以下なのかも知れない……それゆえに暖かい。 ――袖刷り合うのも多生の縁。 彼は、そう言った。なんて事なく、そう言った。 縁と言う概念……この国に来る前に齧った程度でも、この東洋の島国は優しさを善しとするのかと驚いた。 少年は、バッグのファスナーから手を離す。 ……今日の所は、彼に免じよう。 少年は階段を降りていく。その心は、聞き込みの時に部屋番号を間違えた己の迂闊さと、 彼を極力悲しませない方法でメイジを消さなくてはならないと言う段取りに向かっていた。 実はその後、としあきはべたべたと絡んでくるメイジの男性器を、優しく口で愛撫していたのだが、 それを少年が知ってれば人生で初めて遭遇する嫉妬に狂ってとしあきをも殺していただろう事は、 想像に難くない――。 ------------------------------------------------------------- 14.『おんがく』 メイジがオーディオの使い方を訊いてきた。 としあきの家はプリメインアンプを中心に、他社のCDデッキやらチューナー内蔵のビデオデッキやら、 PCの音声やらを色々と繋いでいるので友人が来ても操作に困る時がある。 しかし、としあきが大学に行っている時、メイジが音の無い部屋で退屈している姿を想像すると寂しかった。 操作方法を平仮名と片仮名でルーズリーフにまとめ、実演と実習を繰り返し、 夕方から始めたはずなのにすっかり真夜中になってしまった。 次の日、としあきが大学から帰宅すると少し音が漏れていたので、判ってくれたかと微笑んでしまう。 扉を開けると……みこみこナースが大音声で流れていた。 微笑が奇妙な形に歪んだまま立ち尽くすとしあきの前で、メイジは、 「元気ですかー!」 と透き通ったソプラノで絶叫していたのだった……。 ……よりにもよってこの曲かよ。 ------------------------------------------------------------ 15.『おやつ』 冷蔵庫に大量貯蔵されているヨーグルトの事を無理やり忘れて、としあきはその日ケーキを買って帰った。 毎日おやつがヨーグルトでは、としあき自身の気が滅入る。 自分用にザッハトルテを、メイジに無難にオーソドックスな苺のショートケーキを買ったが、 メイジはザッハを選んだ……まぁ、それは年長者として大目に観るとして。 ザッハをざくざくと切り刻んでぽいぽい口に放り込んで甘い甘いと楽しそうなメイジとは対照的に、 としあきは苺のショートを端から削るようにして口に運び、その都度熱い緑茶で舌を洗う。 「としあき。お茶ってそんなに美味しい?」 「呑まねーのか?」桜色をした小さな萩の湯のみに、メイジは口を付けていない。 「だって……苦いもん。お砂糖とか入れちゃ駄目?」 としあきはふと顎に手を当て……しかし、そのまま砂糖をぶち込んで旨いのだろうかと悩み……。 「ちょっと待ってな」としあきは席を立ち、台所に向かう。 「美味しい!」 濃い目の緑茶に砂糖を足しミルクで割る。昔母が作ってくれたな、としあきは思い出す。 お前ほんと甘い物好きな、と苦笑し席につくと、としあきの食べかけのケーキは無くなっていた。 「……メイジ?」 ----------------------------------------------------------- 16.『あたらしい』 朝、としあきがアパートの自転車置き場に降り、不便な事この上ない愛車のチョイノリのエンジンをかける。 アパートの前の道路まで出ると。 「あれ? また会ったな」 透き通った綺麗な髪の少年は深くお辞儀をした。 「おはようございます」 「探してる人には会えたのかい?」 「いえ、まだですが……今日は近くまで来たので御挨拶にと」 「そか。でも悪ぃな。これから集中講義って奴で……ッたく、大学生は夏休みが遅ェや」 「ご苦労様です」 「……あのさ、ひとつ、頼まれてくれないか?」 としあきが不意に神妙な顔をする。少年は蒼い目をまばたき。 「同居人がいるんだが……その、俺が学校行ってる間寂しそうでな。ちょっとだけでいいからさ、  相手してやってくれないか? 歳も近いだろうし……忙しかったら、無理にとは言わねえ…」 少年は、造り物と見破らせない爽やかな笑顔で応じる。「――かまいませんよ」 としあきが最近、学校に良く行く。メイジは、少し寂しいのだけど、としあきは生活に張りが出たと笑う。 誰かの待っている家に帰ってくるってのはいいもんだ、と笑いながらメイジの頭を撫でる。 メイジは寂しいのだけど……でも、としあきの気持ちを大切にしようと思った。 としあきは今家を出た所で、メイジはさしあたって何をしようかな、ぼんやり考える。 歌ったり、踊ったりしよう、と決める。としあきのPCに入ってるみこみこナースがメイジのお気に入りだ。 何だか可愛い。 メイジがPCを立ち上げ、画面が真っ暗な間に水でも飲もうと思って冷蔵庫に近付くと、 インターホンが鳴った。 宅急便かな? と思うメイジは少し無用心だったのかもしれない。 としあきとふたりでのんびりと暮らしていると、危機への嗅覚が少し薄れたのかもしれない。 メイジはチェーンロックも掛けずに扉を思いっきり開けた。 「久しぶりだね、メイジ」 酷薄そうに笑う蒼い瞳……メイジの背筋に、電流に似た危機感が、やっと、走った。 金縛りにあったように動けないメイジに、少年は、 「入ってもいいかな? キミの同居人さんに頼まれたんだ。キミが寂しそうだから相手をしてくれって」 「嘘」 「本当さ……この間、一度僕はこの部屋に来てる。尤も、キミは彼とお楽しみの後で寝てたみたいだけど」 少年は自分の言葉に、良く判らない怒りが募りそうになる……平常心だ、と強く自制する。 「組織は裏切り者を決して逃がさない。地の果てのようなこの島国なら、隠れて生きていけると思った?」 震えて硬直したメイジを、少年は鼻を鳴らして嘲笑する。 「男を咥え込んで平穏な生活が送れると本気で思っていたのか? 精液を快楽で垂れ流し、浅ましいな?」 良く判らない怒り……少年は自制が外れていくのを感じる。思い浮かぶ、としあきのなんて事ない優しさ…。 頭の中に満ちる不純物を振り払うように、少年は一気に畳みこんだ。 「あの人から手を引け。常民に干渉するな。キミが持ち逃げした大麻は回収出来ないが……キミを連れ帰る」 「帰らない……としあきが、あたしの初めての人だもん」 少年の中で、ねっとりした黒い何かが押さえようもなく膨れ上がった……この感情を少年は知らなかった。 メイジは思い出す……としあきの優しさに包まれ、としあきに抱かれた初めての夜の事を。 としあきも初めてだった。女の子を、女の子として抱く事……。 としあきとメイジは、それきり一度もしていない、普通の男と女のセックスをした。 としあきの精を未発達の子宮で受けた後、痛がるメイジをとしあきは優しく抱きしめてくれた。 それが最初で最後の、普通のセックス……痛がるメイジを思って、 としあきはいつもメイジの男性器を受け入れてくれるようになったのだ。だから――。 「絶対、帰らない。あたしは……優しくて大好きなとしあきと一緒にくらすもん!  あたしがお留守番してると、としあきが嬉しそうなんだもん!  絶対に、絶対に帰らない! としあきをずっと待つんだもん!」 少年は、黒くねっとりとしたもの……激烈な嫉妬に弾かれて銃を抜いた。 「あの人を悲しませたくないと思えば撃たなかった…何を言っても無駄だな。死体だけでも持ち帰る!」 「なに言ってんだよ、おい」 ――としあきはぼんやりと、少年の怒りに狂った横顔を直視していた。 感情が高ぶると表情が抜け落ちる……としあきの癖だ。 馬鹿な、気付かなかったとは――少年が慌てとしあきに目を向ける一瞬の隙を突き、体を低く銃口を避け、 上半身で捻り出すようなメイジの肘打ちが少年の脇腹を抉った。 忘れ物を取りに戻っただけのとしあきだったが、メイジの鮮やかな体術に唖然とした。 脇腹を肘で殴り、激痛で少年の行動を縛るや否や、銃を持つ右手の骨の薄い痛点を狙って鋭い手刀、 落ちた銃を反射的に目で追った少年の首が下がるタイミングと合わせて掌底を顎に一撃…少年は完全に意識を失う。 「……で、この子どうすんの?」手錠を両手両足に嵌められ、床に転がされた少年はまだ意識が無い。 「殺して埋める」メイジはさらりと。 「ば、馬鹿お前、ンな事軽く言うもんじゃねぇよ!」 「でも、生かしておくと……これからどんな目に逢うか判らないもん」 「でもなぁ、メイジ……人殺しはよくないだろ? フツーはよ」 「あたし……フツーじゃ無いもん」 としあきは、メイジの赤い瞳によぎる恐ろしい影を見つけて、ぞくりとした。 ――この子は、どこから来たのだろうか。久しく忘れていた謎。 「でも…でもな……だから……」 考えろ。考える事は無意味ではないはずだ、何か……何か出来る事は無いか。 頑ななメイジの気持ちをほんの少し逸らすだけでいいのだ。 丸く収めよう、何とかして丸く収めよう。 メイジが人を殺す所なんて、としあきは絶対に、観たくなかった。 まして、メイジを殺そうとしたとは言え……礼儀正しいいい子だと思ったこの少年を絶対に、 殺させてはいけない。 少年の顔……綺麗だなと思う。 激しく打たれて、少しほつれた前髪が頬にかかる……長いまつげ。 あ、と思う。 「……殺すよりも、もっと簡単な方法が、あるぜ?」 ――少年は、むずむずする下半身の感覚で眼が醒めた。 初めて精通した時のような、甘い感覚だと思った。 ならこれは、夢精なのだろうか……少年は眼を閉じたまま、荒い呼吸と喘ぎを漏らす。 まぶたの裏が明るいと気付く……午睡でもしていたのだろうか。 地中海側の国のように、この島国の夏は暑いのだし……。 「……なぁ、提案しておいてナンだけど……俺もするのか?」 「としあきもするの……としあきが居ないと生きていけない肉奴隷にするって、さっき言ったじゃない…」 少年はしびれるような甘い下半身の快楽に、肺から荒い息を吐く……声が聴こえる。 誰だっただろうか……半ば覚醒した意識で、記憶を辿る。 ――脇腹に抉り込む肘、手首を打たれて銃を弾かれ、不意を突いて顎を殴られ意識を飛ばされた。 ――少年は覚醒し、弾かれたようにまぶたを開いた。 むずむずと快楽の波が押し寄せていた少年の男根は屹立し、メイジととしあきが舌を這わせていた。 羞恥心で逃げようと体をよじる……自由にならない。少年の細い四肢は、ベッドと手錠で繋がれていた。 「あ、起きた……なんだか可愛いね……」 メイジは少年の裏すじを舐め上げる。 「や、やめろ……!」 としあきが亀頭全体を吸う……少年は快感に背筋を反らせた。 としあきは、こんなに可愛い男の子をなぶる事に頭の中がぞわぞわするような快感を覚えていた。 ……ヘテロと思っていたんだが……そんな建前を大きく外れている。嵌りそうだ。 メイジが、少年の袋に優しく歯を立てた。 「……ねぇ、いってもいいんだよ?……びゅるびゅる出す所、見せて…ね?」 メイジが歯を軽く立てる時と、としあきが思いっきり吸上げる時は、全くの同期を取った。 「はう!――ああああっああはあ―――――――!」 少年はとしあきの口腔に濃い精液を放つ……としあきは舌の裏で受けながら、それでも吸いつく。 びくんびくんと体を揺らす絶頂の快楽に戸惑い、しかし抗う事は出来ず……。 としあきは、絶頂しても屹立したままの少年の男性器を激しくしごく。 としあきとメイジは、精液を交換するように深くキスを交わした……「まだ、これからだよ?」 心の中で夢見ていたとしあきに犯される事に、少年は耳たぶが熱くなるような気持ちを覚えていた。 としあきは、何度口の中で受けたか判らない精液を重く嚥下した。 透き通った髪がほつれた少年は、その髪の向こうから細く快楽に酔った視線を向けてくる。 ……どろどろだ。喉に引っ掛かる精液、少年のとろけて潤んだ蒼い瞳、犯している俺自身も……。 「ね?」 メイジが、少年の小さくてきつそうな肛門にやおら深く指を入れた。少年がのけぞる。 「組織にあたしの事を報告するならかまわない……でも、そうしたらキミをこんな風に犯してくれる人は、 居なくなっちゃうんだよ……?」 官能を揺さぶる様なメイジの囁き……少年は前立腺を直接探られる快感に声を上げる。 「…ぼくのっ…ぼくの名前は『      』ですっ!」 潤んだ瞳で少年が叫んだ。 「抱いて、抱いてください!…抱きしめて下さい、としあきさん、としあきさぁん――!!」 としあきは、迷う事無く小さな少年の体を抱きしめた。しごく手は止めない。 「なんにでもなります! 肉奴隷にもなります! だからもっと苛めてくださぁい……ふあああ――!!」 としあきの腕の中で、少年は一際激しく痙攣すると、そのまま気絶した。 小さな少年を抱いたとしあきは、少年の名前を何度も、呟くように呼んだ。 「としあきって、晩御飯に困るといつもスパゲッティだね」 「うるせーな……リターナーって映画があんだよ」 少年は、体中の精気を吸われたような……でも心地よい気だるさで眼を覚ます。 リターナーって、どんな映画なんだろう、と少年はぼんやり思った。もぞりと体を起こした…手錠がない。 「あ、起きた」 としあきを手伝って、ニンニクの皮を剥いていたメイジが、少年に気付いた。 「起きたか。飯はもうちょっと待ってくれや」 そう言いながら、としあきは鶏の胸肉を細切れにしている。 火にかけている鍋で煮え始めた蒸気が、少年に何故かほっとする心地よさをくれた。 喰おうぜ。大皿に盛られた鶏胸肉とタマネギのトマトソーススパゲッティを前に、少年は負けたと思う。 何にでもなる、肉奴隷にしてもいい……と、言ったのは少年自身だからだ。 としあきってお金ない時はいっつも胸肉だよねと、メイジが小皿に赤いスパゲッティを引き上げる。 うるせーな節約だ節約と、としあきはフォークとスプーンでスパゲッティを絡め取る。 少年は合掌して 「頂きます」 瞑目して、ハッキリと言った……。 --------------------------------------------------------------- 17.『なまえ』 メイジはシャワー。としあきは煙草。少年は、居住まいを正して苦いコーヒーを飲む。 としあきは、何気なく少年の名前を呼んだ。少年は、振り向くけれど、長いまつげを伏せた。 「…あ、いや……別に用があった訳じゃなくてな」 「としあきさん…僕の名前は『ノヴェンヴァ』です。そう呼んで下さい」 「…どう言う事だ? だって、お前の名前――」 「組織では、僕たちのようなな子どもは名前を奪われて、十二の月の名前を符丁として与えられます  ……名前は、人間の最初の尊厳ですから」 「……メイジも、なのか?」煙草の灰を落す手が止まるとしあきに、少年は悲しい眼をした。 「彼女は、自分の本当の名前も憶えていません。物心つく前からメイジと呼ばれて……。  彼女は僕と同じなのに……僕だけがとしあきさんに本当の名前で呼んで貰うなんて……不公平です」 長くなった煙草の灰を、どうにか床に落さずに済んだ。灰皿に突っ込む。としあきは少年を抱き締めた。 「……忘れるな。絶対に、お前の本当の名前を……俺は忘れねぇ……“ノブ”」 ノヴェンヴァを短縮してノブと、日本語の発音で呼ばれた少年は眼を閉じ、 としあきの肩甲骨に希望するように腕を絡めた。 おふろ上がったよー、とバスタオル一枚をつるぺたな体に巻いたメイジが、ほくほく湯気をまとって……。 「――あー! あたしが居ない間にずるいー!」 ぷんぷんとほっぺを膨らませるメイジに、としあきは慌てもせずに軽く笑いかけた。 「バカヤロー。男同士の友情って奴だよ。な、ノブ?」 抱きしめた腕を解き、ノブの肩を軽く叩くとしあきに、少年は――ノブは、 どうして人はここまで優しくなれるんだろう、と思っていた。 「ええ……そうです」 ノブも微笑みながら、でも目端が潤んでくるのをどうしても止められなかった。 僕が、この人を守る……ノブは、まなじりを指で擦りながら、温まる心を強く抱き締めた。 この名前は、貴方につけてもらったものだ……。 -------------------------------------------------- 18.『これはなに?』 女一人腕枕をしてやると、腕の毛細血管が大量死すると言ったのは誰だっただろうか……。 としあきは全裸の美少女と美少年の頭に、右腕と左腕を敷かれている。 痺れる。ステレオで聴こえてくる静かな寝息に、はぁ、と溜息のノイズを混ぜてみる。 状況が改善する訳ではないが、首をごろりと巡らせると、兎のぬいぐるみと眼が合った。 メイジが大切にしているものだ……ちょっと不気味な顔をしていて、としあきは少し苦手だった。 お前も眠れねーのかよ? と内心で悪態をつく……と、その時。 ――足を投げ出していたぬいぐるみが、立ち上がった。 としあきは我が目を疑う。しかし兎は、としあきに一歩、一歩と近付いてくる。 どくん、と激しく脈打つ心臓の音の起点を聞いた気がした。 近付いてくる……。 ――そんな夢を観た翌朝、としあきは気になって兎をひょいと掴んだ。何気なく背中のファスナーを開ける。 ……ぬち、と柔らかいものが指に触れた。 「……オナホ?」 ----------------------------------------------------------- 19.『はくちゅうむA』 ぬいぐるみが、こっちを観ている気がする……。 としあきは、黒いうろのような兎のぬいぐるみの眼を、煙草を吹かしてぼんやり眺めていた。 ……朝だと言うのに、酷く暑い。 今朝は珍しく、としあきが留守番だ。メイジとノブは武器商人とコンタクトを取るといって出て行った。 としあきは煙草を咥えたまま、ぬいぐるみをふと、取り上げる。 ファスナーを開くと何故か大人の玩具であるオナホールが仕込まれている……メイジが使っていたのかな。 蝉の声が聴こえる。としあきは、ぼおっとクローゼットの中に隠しているローションを取り出し、 ……と、言う所で口に咥えていたはずの煙草がない。 落としたか? と顔を動かすと……何故か、ぬいぐるみが、口の端に煙草を咥えていた。 うろのように暗い、無表情で、としあきを観ている――。 眼を開く……悪い夢を見た気がする。としあきが体を起こし汗をぬぐう。ぬいぐるみがこっちを観ている。 メイジとノブは、まだ帰ってこない……まだ、熊蝉が鳴いていて、午前中である事を教えてくれた。 ---------------------------------------- 20.『はくちゅうむB』 《魔法少女には、いつも小動物が一緒にいるのは何故と思う?》 兎のぬいぐるみが、いきなりとしあきに向かって話かけてきた。 としあきは、ぼんやりと、特に驚く事もないやと、煙草を一息吸う。 《頂戴》とぬいぐるみがねだってきたので、一本つけてやった――《いいモク吸ってるね》 「魔女には使い魔がつきものだからな」 《その答えは正確じゃない》……兎は、長々と白い煙を帯にして吐いた。 《何故、魔女は獣を使役するのか。それは、悪魔が獣の姿を取って現れるとされたからだ。  獣の本性は野生であり、無意識であり、人間の理性と相反するものだからだ。神の理性を犯すものさ。  ……なぁ、キミにはもう判ってるんだろう?》 「……ああ。魔女は獣と交わる事によって、悪魔の力を手にした……淫蕩は理性を犯す、悪だ」 《なら、ぼくがなんなのかは、もう……判るよね?》 煙草、御馳走様。最後まで、兎はにやりとも笑う事はなかった。 としあきは眼を開ける。悪い夢を見ていた気がする。 時計を観ると、まだ午前中で……兎のぬいぐるみはこっちを見ている。 ---------------------------------------------------- 21.『はくちゅうむC』 としあきは、ぬいぐるみを犯そう、いきなりと思った……メイジとノブはまだ還って来ない。 クローゼットに隠したローションを取り、ぬいぐるみのファスナーを乱暴に開けると、 ぬちぬちと絡みつく穴に、ローションをたっぷり塗りつけた人差し指を突っ込み、塗りつけて行く。 ジーンズと下着をまとめて脱ぎ捨て、ぎちぎちと硬いとしあきの男性器を一息に突っ込んだ。 ……兎は、勿論無言だった。 メイジみたいに声を上げるんじゃないか、と何処かで思っていた自分を思う。 立ったまま、激しく腰を叩きつける。 メイジやノブみたいに声を上げないけれど……道具としての兎は、ぞくぞくするほど具合が良かった。 急速に高まっていく……出る、と奥の歯を噛み締めた時――かちり、と音がした。 兎の右手に、何故かコルトM1911A1……いわゆるコルトガバメントが握られていて、 としあきの頭に狙いを付けていた。 背骨が氷になった。高まっていた射精感が消えうせた。 「――何ぃいいいいー!!?」 本当の恐怖につき上げられると、ジョジョっぽい叫びが出たととしあきは思った。 兎の太い指が、引き金に掛かっている……重い実銃のトリガーがキリキリと絞られていく。 死ぬ、と判った。 『無駄さ。シリンダーが回転しなきゃ引き金は引けない』 そんな漫画の台詞が頭の中に閃く、しかしそれはリボルバーの事であってガバメントはオートだ。 俺はもう駄目だ、ネゴシエイター勇午――諦めて、命を投げ出す瞬間は実は凄く気持ちがいいと思った。 日干し、自白剤、塩漬け、焼けたグラスを押し付けられ、水銀蒸気を吸わされ、中世の拷問器具で穴だらけ、 昆虫標本のように釘付け……あんたはホントに偉大だった。アフタヌーン連載だったヒーローの事を思う。 何度死にそうな目に逢っても諦めなかった……だが、俺は銃をつき付けられただけでもう駄目だ……。 ……いや、待て。唯銃を突きつけられただけじゃないか。 何を俺はこんな事ぐらいで人生辞めようとしてんだ!? ――勇気を抱いて反撃するジョジョのように、体が爆発的に動いた。 ……引き金が絞り切られた。 「無駄だ……ハンマーが落ちなければ、どんな銃も発射できない」 落ちる前にハンマーに挟ませた指が、赤い血を流し始めた……。 ---------------------------------------------- 22.『ゆめからさめて』 50口径はアシがつきやすいから変えなよー……そんなメイジの声が聴こえる。 装弾数も問題だし、どうしたものかな……とノブの声も聴こえ、メイジが開けっ放しの玄関から顔を出す。 「ただいま、としあき!」 「おう、お帰り……」 としあきは、何故か兎のぬいぐるみの前に屈み込んでいた。 何故か皿ふたつを兎の前に出して、両方に塩を塚にしている。 「なにやってんの? としあき」 「……もうすぐ、お盆だしな」 ……そうだ、もうすぐお盆だったもんな。としあきはもう一度呟いて、うん、と腑に落ちた顔をした。 としあきは、怪我ひとつしていない手で煙草を一本取ると、ぬいぐるみの前に、そなえた。 蝉の声に、油蝉の高い響きが混ざり始めた。 今日は、これからもっと暑くなりそうだった。 ------------------------------------------------------------- 23.『さんにんで』 朝、目が醒めて。 としあきは、すやすやと眠っているメイジとノブを起こさないようにそっと、 三人で体を寄せ合っていたシングルベッドから離れ、 パンツだけ履いてベランダに出て、 冷たいコンクリートに座り込んで煙草を吸った。 終わりかけたとは言え、夏の朝はなぜかどきどきすると思う。 ……色んな事があった夏だったと思う。 メイジと出会い、下半身の童貞も処女もメイジにあげてしまった。 ノブと出会い、同性とセックスする一線を踏み越えた。 ふたりを守ると誓ったけれど……何にもしてない気がするけれど、それでも何事もないのはいい事だ。 煙草の吸殻を、ベランダに放置してるお徳用のナッツ缶に突っ込み、としあきが部屋の中に戻る。 ふたりはまだ寝ている。ただの綺麗な子どもにしか見えなくて、としあきはペドフェリアの自覚をふと問う。 なにを今更……自嘲の溜息を小さく漏らし、ベッドに乗り、無防備な二人の下半身にかがみ込んだ。 ……今朝は、俺がしてやる。 『これはお口に入れてはいけません』……幼い頃、色んな事で言われた気がする。 ちゅるちゅると舌先で転がしながら、ノブの男の子の器官を吸う。 メイジに何故かついている男の子の部分にも、同じように、かわりばんこにしてみる。 子どもの性器が、だんだんと熱い血で凶暴な形に目覚めていく……先に覚醒したのはノブだった。 ノブの、寝起きでぼんやりして、でもとろけた蒼い目が、としあきを観ていた。 「……としあきさん?」 「そのままだ……ノブ」 メイジのを右手でしごくだけに変えて、としあきは左手と唇で丹念に愛していく。 「……あ……は…ん……」 ノブが時々小さく声を漏らす。やっぱり感じてるんだよな……と思う。 ノブは寝たまま背中を丸めて、としあきの頭にそっと手を触れた。 「…としあきさん、駄目です……メイジが起きちゃう」 じゅっ、と大きく吸い付くと、いきなり飛び出した。全部吸い出すように吸う。舌に絡む。 ノブが喘ぎも噛み締めて殺している。としあきはノブの出した物を飲み下す。、 口の中に残るものを、ノブに口移しして舌を絡めた。 「俺を独り占めしたいんだな? ノブ……」 メイジを起こさないように絶頂したノブは、としあきのねっとりと責めるような視線に、こくりと頷いた。 「……悪い奴だ」 としあきは耳元で囁き、そのまま耳に甘く歯を立てる。ノブの震える息がとしあきの肩にかかる。 絶頂したばかりのノブの熱い棒に両手を伸ばし、火がつきそうな勢いでしごきたてた。 「ああっ!」 ノブは堪らず声を上げる。としあきは手を止めない。 「や、止めて下さいっ…まだ敏感なんですっ……ああっ…としあきさあんっ」 「悪い子にはおしおきが必要、だろ?」 ノブの、痺れにも似た苛烈な快感で上げる声に反応したのか、メイジが体を動かした。シーツの擦れる音。 ノブの顔が困ったように情けなく歪む。 「ほら、耐えてみろよ……メイジが起きるまで何回でもしてやるよ」 「くううう……ふうぅ…ああ、はっあ……」 俯き唇を結んで、歯を食い縛って耐えるノブに、としあきは強引にキスをして舌をこじ入れた。 「やっ…駄目です、としあきさぁんっ」ノブの声が直接としあきの口の中に入ってくる……。 「可愛いんだよ、お前……」少年の喘ぎ声を、としあきは体の内から味わっている。 メイジがまた、もぞりと動いた……と思った次の瞬間、としあきの体内に異物が入る感覚がした。 「ぐっ!……ぁ、メイジ?」 メイジは、言葉では答えず、としあきの穴に思いっきり腰を打ちつけた。前立腺に殴られるような快感。 ノブが不安な顔をする。としあきが『メイジを怒らせたか』と不安な顔をしているからだ。 ノブはとしあきの胸にしがみ付き、としあきはノブのものをしごき、メイジはただとしあきに腰を振る。 ……そして、メイジはとしあきの露にぬれた男根をがっちりと握って、しごき始めた。 「ちっちゃい男の子苛めて、こんなにしてたんだ……変態」 今度はとしあきが声を殺す番だった。脳を直接いじられるような快感、声を殺すというより声が出ない。 「いいよ……苛めてばっかりで出してないんでしょ……10歳の女の子の手の中でいっちゃえ」 勝ち誇ったメイジの吐息が背中にかかる。触発されたとしあきはノブを激しく扱きたてた。 ――三人は同時に達した。その朝は結局……お昼まで、このままのヒエラルキーで。 三人は汗と精液にまみれながら体中で、眩しく光が入る部屋で、愛し合った。 --------------------------------------------------------------- 24.『いってきます』 ――じゃ、俺トイレ行ってくるから。 メイと一緒に近所のデパートに買い物に来ていたとしあきはトイレに立った。 ノブは、いつぞやの武器商人の所に行くとかで、ひとり出かけている。 肉と野菜が大量に突っ込まれた買い物袋を脇に置いて、メイジはベンチで足をぶらぶらさせていた。 日曜と言う事もあってか、人出が多い。メイジはぼんやりと人の流れを眺めている。 あたしととしあきは恋人同士に見えるのかな、それとも兄妹なのかな、親子なのかな……。 あたしは、としあきの何になりたいんだろう――。 「久しぶりね」 ブルガリア語。いつの間にか、メイジの真後ろに、座っていた。 気配の欠片もなかった。良く知る声……メイジは慌てて振り向こうと――。 「こっちを向いちゃ、駄目」 やんわりと制止される。メイジの細かい動きさえ、見てもいないのに察知しているのだ。 「……いちのお姉ちゃん?」 「そ。可愛い妹が元気そうで良かったわ」 くすり、と嬉しそうに女が笑う。メイジの中に、鳥肌が立つように危機感が襲ってきた。 「……何しに来たの? ノブの事は私に責任が、いや、そもそも私が持ち逃げした――」 「それはいいの。組織はあなたたちを逃さないんだから。どこにいたって同じよ。  だからあなたはノブと一緒に、あの人とこのまましあわせでいなさい。お父様もそうお望みよ」 「なら何故、今更……?」 女はふぅ、と悩ましげに溜息をついて、「困った事になったの」と言った。 「おじ様方が暴走してね……見せしめが必要だって喚いて……いつだって男の人は子どもよね。  完全武装のおじ様一小隊がこの街に今日潜ったわ。お父様も立場だから見逃さざるを得なくて。  お父様から託った旨を述べます――自由は自分の手で勝ち取れ、よ」 「お姉ちゃん!?」「誰と話してんだメイジ?」 としあきが、不思議そうな顔をしてメイジを見ていた。 メイジの後ろには誰もおらず、代わりに一枚の紙片が置かれていた……勿論、ブルガリア語で。 『可愛い妹のために出来る事は、これぐらい……』 橋の上で、ノブはずっと感じていた尾行を確認する為に振り向いた。手は、後腰に伸ばし――。 「おっと、動くんじゃあねぇ」口汚いブルガリア語。硬い鉄がノブの後腰に押し当てられていた。 「なんだおい。組織でいい顔してやがる12人のガキもこんなもんか」 「……その子どもひとり押さえるのに大人数を動員するのか?」 「ま、それがオトナってもんだ。ぼーず」 顔にこそ出さないが、確かに不覚を取ったとノブは思う。見晴らしの良い橋の上に誘い出した筈が、 吊り上げられていたとは……だが、銃口を向けられてからが本当の勝負だ。 「何の用ですか? メイジと大麻を追い切れなかった僕を殺すのか?」 「そんな事はどーでもいいのさ。玩具を奪い合う兄弟喧嘩ぐらい派手にやってりゃいい。  ……ただ、これはな。お前ら兄弟の所為でリストラ喰いそうなおっさんたちの待遇改善運動なのさ。  ま、ぶっちゃけたハナシ、死ねや」 ノブが体を捩り手を動かす――よりもずっと早かった。ガスが噴出するようなくぐもった音は、 車の往来の音にかき消された……橋の下の一級河川で水柱が上がる。 「大変だ、子どもが落ちたぞ!」堪能な日本語でわざとらしく驚くのは、北欧系の中年男。 彼のパーカージャケットのポケットには穴が開いていて、薄く硝煙がたなびいて、風に巻かれた。 「おっせーな、ノブ……今日はカレーだってのによ」 俺がノブぐらいの時は晩飯がカレーってだけで早く帰ろうと思ったもんだぜ、としあきは笑う。 メイジは、久しぶりにガバメントを分解整備していた。 静謐ささえ感じさせる手付きで、部品一つ一つを指と目で確かめ、グリスを適所に塗布し……。 トリガーを絞れば他人の人生のスイッチを切る事が出来る、単純かつ精緻な道具を組み立てる。 「ノブはともかく、お前は辛いの駄目だからな。チリペッパーに頼らない旨いカレーって奴?  会心の甘口なんだぜ? 全くよー」 としあきの声を聞きながら、スライドをレシーバーに嵌めて合わせ、レールストッパーを止めた。 スライドを素早く引く……トリガーを絞る。 小さな金属がぶつかって涼しい音がした……もう、ノブは帰って来ないだろう。メイジは思う。 トマトと赤ワイン、そしてヨーグルト。辛味を持たないスパイスの絶妙のブレンド。 自慢のカレー鍋の隣に立つとしあきに、メイジは近寄った。 メイジはまっすぐな視線でとしあきを見上げた。こいつマジになってるととしあきが思う間に、 「行ってきます。さよなら」としあきの鳩尾に、全体重を乗せた肘の当身を食らわせていた。 声もなく、気を失ってずるりと倒れるとしあきに、メイジは悲しく微笑んで「元気で」 ------------------------------------------------------- 25.『たすけに』 そしてメイジは、隣町の駅前に立った。夜……人通りもまばらな、十時過ぎ。 姉のもたらした情報が確かなら、この地下のライブハウスに彼ら暗殺部隊は駐留している事になる。 幾つも、メイジを監視する視線を感じる……子どもでいると、こういう時に目立って困る。 あたしが大人になれたなら、とメイジは思う。 きっと、おじちゃんになっているとしあきの、お嫁さんになれたのかな。 光が透けるカーテン、潰れていない目玉焼き。としあきはきっとコーヒーを飲みながら新聞を読んでる。 そんな朝を、夢見た。 あたしもお料理を憶えて……毎日セックスしたり、笑いあったり、一緒に映画を観て泣いたり…… 上着のポケットに忍ばせた、ガバメントの細いグリップを握り締める。 忘れる。いや……秘める。夢を秘めていれば、どんなに挫けそうでも、戦える。 例え……もうとしあきの所に帰る事がなくても。 メイジが棲んでいる場所は、こんな風に銃口が絡み合う死の闇で、 としあきが住んでいる場所は、ただの優しい秋の夜なのだ。 これ以上、としあきを傷付けたくない、大好きだから離れる。 夢見た事は叶えられず、未来を掌から落す。 それでも、夢見た記憶だけは生きている限り残る。 「忘れないよ。としあき……」 一歩ライブハウスに向かい歩を進め――監視している視線が急に殺気で熱を帯びたのを感じた。 撃たれる――始まった。メイジは足を大きく踏み込み――。 夢を観ていた――《キミは一体、何を彼女にしてやれると思う?》 異様な顔面をしたうさぎのぬいぐるみが、煙草を口の端に咥えてとしあきを観ている。だから、夢。 《おままごとみたいな生活。それだけがキミに出来る事だもんね》 としあきも、煙草を一本咥えてライターで火をつける。夢なのに、いやに煙が旨い。 「うるせーな」 《彼女の孤独、彼女の運命、彼女の未来。キミは責任を負える?……捨てちゃえば良かったのに》 「黙れよ」 《なまじキミは優しいから……彼女につらい思いをさせてしまうんじゃない?》 「俺を試してんじゃねぇ」 《……キミはただの大学生なのに、それでも?》 「約束したんだ。あいつと」 《馬鹿は死ななきゃ治らない、か》 「違ェよ」としあきは、煙草を灰皿に押し付ける。 「死ぬ気はねぇ。死んでも、治す気もねぇ」 誰かがとしあきをゆすっている。《馬鹿がもうひとり――》 「――しあきさん! としあきさん、としあきさん!」 としあきが重い瞼を開くと、濡れ鼠のノブが切羽詰った表情でとしあきに覆い被さっていた。 「…お…そかったじゃねぇか――っ!」 としあきが二、三度と咳き込む。メイジの当身が思い出された。体を起こそうとすると、 手が自由にならない……ベッドに手錠。メイジのいつもの手口だ。 「あのやろ……くそっ、ノブ、こいつを外してくれ」 「としあきさん、良かった……メイジは今どこに?」 「昼から様子がおかしかったんだ……テーブルの上に紙、あるだろ? 多分それが……」 「判りました。行ってきます」 机の上の紙をノブは手に取ると踵を返し―― 「おい、待てよこら」 「僕も行きます。今まで、有難う御座いました」 「お前ら、思い違いしてんぞ」としあきは、ノブの背中に視線を熱く絞った。 「俺は一体、お前らのなんなんだよ。ただのダッチかよ。ふざけんなよ。  お前らの苦しい時には体張るんだよ、それが家族ってもんだろーがよ!  何が出来るかなんて知るか、とりあえず生きてんだ、何かが出来んだよ!  盾になって死ぬなんてゴメンだがよ、何もしないのはもっとヤなんだよ!  判ったらこの手錠外せ! 俺も連れてけ! 一緒に帰って来るんだ、判ったかこの野郎ォ!」 ノブは振り向き――子どものものとは思われない、厳しい眼をとしあきに向けた。 「例え、これから地獄に生きるとしてもですか?」こきやがれ。としあきは真っ向視線を受けた。 「てめーの童貞喰っちまった辺りで、俺の羽目は決まってたんだよ。  巻き込んどいて偉そうに抜かすなばかたれが」 睨みあい、緊張がきりきりと高まり……不意に、かちりと音がした。 「あ?」……としあきが右手を動かす……手錠が、外れていた。 ノブも訝しそうな顔をする……としあきは、はっとして、《彼》を観た。ノブも視線を追う。 ……うさぎのぬいぐるみの異様な顔面が、としあきを観ている。 アパート一階の駐輪場。としあきは、片隅で巨大な存在感を放っているそれの前に立ち、 カバーを引いた……BMW-R1200ST。仮面ライダーの愛機のような先進工業デザイン。巨大な流線型。 脱出用にメイジが即金で購入しておいた物だ。としあきがエンジンを始動させる。 一発で掛かった。流石新車……BMWのお家芸、ボクサーエンジンの凶暴なエンジン振動に息を呑む。 シャチかマグロか……日頃チョイノリを足代わりにしているとしあきにとって、これは正に獣だ。 「乗れよ」体を張ると格好つけた手前、コケたら恥だなと思う。 「銃撃をかばってデザートイーグルを壊したのが却って幸運だったかも知れません」 今、ノブの後腰には、武器商人から買ってきたばかりのブローニングハイパワーが吊られている。 ガバメントの妹に当たる優美で古い銃だ。古時計のような精緻さの中に、現代に届く合理的設計。 副業時計屋の武器商人の老人は、懐かしむ手付きでこれをノブに手渡した……。 「銃は素人が撃てる程、甘い物ではありませんから」タンデムに乗り、としあきの腰に手を回す。 「なめんなよ?」ヘルメットのバイザーを降ろし、アクセルを捻った――。 重量級の車体が化物じみたトルクでぐいっと動く……としあきはその恐怖を必死に打ち消した。 夜を往く――こおろぎの声が溶けた風が体を滑って通り過ぎる。田んぼ横の細道、秋の気配の風。 ――夜を裂く、走る。 -------------------------------------------------- 26.『それいけ』 「45口径のマンストッピングパワーって奴は良く判ったさ」 血臭濃いライヴハウスで、パーカージャケットを着た男が肩をすくめながら言った。 メイジは、四人の男たちに組み敷かれている。 「二分隊12人もトるとは、正直スゲェよ。アメ公が45口径に拘るのも納得だぜ」 仲間の3分の2を失っても、ノブを撃った男は何かに飽いたような皮肉を止めない。 「だが、装弾数の少なさが仇になったな。今の時代は小口径多弾装高貫通だぜ」 中年男の癖に、懐古趣味が全くない男だった。彼の手にはぴかぴかのベレッタM8000クーガー。 「……『獲物を前に舌なめずりは三流の証拠』」 「あ? なんだそりゃ?」 「としあきが観てたアニメで、可愛い軍曹さんがそう言ってた」 クーガー男は、グリップを握る手でこりこりとこめかみを掻いた。 「じゃ、三流に犯されるお前はドサンピンだってことな」 とりあえず肩と叉の間接外しとこうぜ、とクーガー男は言うとベルトを何気なく外した。 「このロリコンどもが」 メイジの瞳に、猫科の猛獣のような光。クーガー男は、何言ってんのこいつ、と言う顔をした。 「お前を拾った男も結局そうなんだろうが。タダで幼女とヤれるってんでサカりやがってよ。  お前とヤってりゃ破滅するしかねぇって事に頭が回んねえ。ま、男は下半身だけど?」 「としあきはあんたたちとは違うんだから」 メイジは、鼻で笑う。 「彼、上手いのよ。寝かせてくれないの」 くく、と暗く艶めいた嘲り笑いを喉から漏らすメイジの頭を、クーガー男は踏みつけた。 底冷えするような声で、気が変わったぜ、とぽつりと言った。 「おっさんはさ、人形のよーな、お前の絶望し切った無表情が観たくなったな。  犯して殺してばらした後、ファックとサックしか能のない馬鹿ガキも一緒に海に蒔いてやるよ。  仲良く魚になりな。寂しかねーだろ?」 靴の底で踏まれながら顔を上げるメイジの眼には、殺す、と書いてある。 クーガー男は売女が、と吐き捨てる。間接を外せ、と言ってズボンのファスナーに手を掛け――。 程度が甘いとは言え、防音してあるライブハウスなのが、功を奏したと言うべきか。 ぼろくて軽い扉をぶち破って、R1200STが突っ込んで来た。 「ととと止まんねぇえええーっ!!」完全にパニックになったとしあきがしがみ付いていた。 「としあきさんブレーキですブレーキ!」怒鳴るノブは、鮮やかに表の見張りを一人撃ち倒している。 「あぁ?――ってちょっあべし!!」ズボンを膝まで降ろしたクーガー男は前輪に轢かれて吹っ飛ぶ。 「――としあき!」メイジが叫んだ。 バイクは壁にクーガー男を挟んで止まった。 「詰めろ、ノブ! メイジ乗れ!」 「乗れないよ! もうとしあきをこれ以上――」 「来ちまったんだからしょーがねーだろーが! 後で聞いてやるから乗れ!」 「逃がすかァガキどもォ」 計算するだに恐ろしい衝撃力でサンドイッチにされたクーガー男が、何とかクーガーを向けようとした、 しかしノブはクーガー男の手首を正確に撃った。 「あなたオトナの癖に殺害認定が甘いですよ!」 漲る勇気でノブが軽口を叩く、メイジを取り押さえている四人が銃を抜く前に横撃ちで掃射。 「9ミリでサイレンサーを使うためには減装弾! パワーが落ちる! 銃ひとつで遮る事が出来た!」 横撃ちで刹那に五発撃った所でブローニングが薬莢を噛んだ、不安定な横撃ちが祟った。 だが男たち全員の体のどこかに超音速の9ミリ弾が食い込んでいた、充分だ。 「メイジ! 早く!」 メイジは……メイジは――。 「こ、このガキどもがァ……」 クーガーを落とした男が、口の端から赤い血を一筋垂らしながら凄い勢いでとしあきを睨んでいる。 ただし、ズボンはずり落ちたままだが……謎の言語で呻くパンツ男、としあきは一瞬たじろぎ、 「つか、この状況でどうやって出てくんだ?!」目を逸らす事にした。 「こうするのよ!」 ――パンツ男から目を逸らしたとしあきが見たのは、弾かれたように飛び込んで来るメイジ。 メイジがとしあきの前に、燃料タンクに跳び乗る。ハンドルを握ってアクセルとブレーキを掴んだ。 「うおおおお!?」前輪を軸に重量級のバイクが向きを変える。後輪が安いリノリウムの床を削る。 「いっけー!」メイジはブレーキをいきなり離した。 メイジがアクセルを精緻に調節しながら体を真横に倒す。 としあきとノブが倒れそうなバイクにビビって足を出す、結果的に巧く重心が倒れた。 狭い室内を急カーブ。 床に転がされていたガバメントをメイジは掻っ攫う。 階段に向かって進めたのは奇跡だと思う。階段を上れたのはもっと奇跡だと、としあきは思う――。 ------------------------------------------------------------------ 27.『ただいま』 くそっあばらがいっちまったよ、クソファック。 クーガー男が撃ち抜かれた手首にタオルをきつく結びながら悪態をつき、「追うぞ、お前ら」 何かに飽き飽きしたようなシニカルな表情の中に、とても硬い意思が熱量を帯びている。 そこの三人乗り! 止まれー! 止まらんかー! パトランプはひとつから二つに、二つから三つに、そして今では八つほど確認できる。 拡声器を通して聴こえるのは険の強い婦警さんの声だった。 「中免しかもってなくてごめんなさいぃー!」 としあきが叫びながらアクセルを捻る。 としあきの前、燃料タンクにしがみ付いたままで危険極まりないメイジが、 危険極まりない姿勢のまま、落ち着いていった。 「としあき……その、あの……」「聴こえねぇ!」 としあきが吼える。不安げに見上げるメイジの目を見返した。 「後で、カレー食いながら聴いてやるよ!」 叫ぶとしあきのやさしさ……メイジは目をきつく結んで頷いた…所でパトカーがクラッシュした。 「爆発音!?」――タンデムのノブが耳を疑う。 としあきはミラーに目を走らせ、ノブは後ろを振り向いた。 パトカーの群れの後ろから、一台、走ってくるのが見えた。 街灯が一瞬だけ照らす……ノブには何がパトカーを砕いたのかがハッキリと判った。 「RPG!?」 「ロープレの事じゃ、ねぇよな!」 「東側の携行対戦車ミサイルです! RPG7!」 「メタギソ3やったから知ってるよ!」 もう何でも来いだ、としあきは殆どやけくそになっていた。 「もっと飛ばせる道路に出て千切るぞ!」 怒鳴りながら深夜の赤信号を無視してぶっちぎる。 クーガー男は、ベンツSクラスのルーフから頭を出して、RPG男になっていた。 「二台目、やるぞ!」 トリガーを引き絞る、二台目のパトカーに白煙が伸び、吹き飛んで三台まとめて片付けた。 「警官採用試験合気道特待の私を舐めんなよ!」 名もない婦警さんが拡声器に向かって関係ない事をがなった。 河原沿いの道路に出た。灯りさえ少なく、暗くて細い道を、としあきは200キロ超で突っ走る。 走る事自体が拷問だった。風は凄まじい圧力だし、後ろからはミサイルの恐怖。 また爆音が後ろから遠く轟く。 「パトカー何台になった!?」 「後一台です!」ノブが後方に目を凝らして確認する。 「くそっもう盾が無ェな!」 税金をたっぷり取ってるんだから、ミサイルから市民を体を張って守ってくれてもいいよな、と としあきは積み重なる疲労で混濁した意識で思った。でも学生で納税免除なのは忘れた。 「もう許さん我慢の限界! ハンドル寄せろ!」 いちいち拡声器で婦警さんが怒鳴る。仕掛ける気か! としあきは我が事のように慌てた。 「ミネビア製ニューナンブの底意地思い知れー!」 「やめろ馬鹿!」 としあきはブレーキを思いっきり引いた。ABSじゃなければ滑って転倒している所だ。 クラッチを落す、落す、落す……エンジンブレーキ、間に合え! 「ノブ、奴らのタイヤを狙ってくれ!」 映画みたいな事言ってんな俺と、としあきは何処か冷静な頭で思った。 「うわはははは! 死ィにィさらせぇーっ!!」 婦警さんが助手席の窓から身を乗り出して狂気で真っ赤に燃えた瞳でニューナンブを構え、 ベンツSクラスからは三つの銃口が対峙する。至近距離の横付け状態だ。 その、一瞬――急減速したR1200STがベンツの前に付けた。 「今だ!」「撃ちます!」 ノブが体を捩ってベンツのタイヤを撃つ、撃つ、撃つ。 「駄目だ! 9ミリホローポイントじゃ通らない!」「ノブ、右足どけて!」 燃料タンクにしがみ付いてたメイジが、ガバの銃口を伸ばしていた――発射。 ばしんとタイヤが爆ぜる音がして、独楽のようにベンツが回転した。 「やっぱりアーマーピアシングでしょ!」 メイジが快哉を上げ、 ベンツが回転しながらパトカーを巻き込み、 としあきの気が一瞬緩み……致命的に緩み、 クラッチを誤ってエンストを起こした。 「ちょっ――止まるなおいこら!!」 メキシカン・スタンド・オフ。 『銃突きつけ合って、みんなでどーしよーもなくなった状況』の事を指す。 鳩が飛ぶジョン・ウーの映画などでお馴染みのあの状況だ。 河原沿いの道路の街灯の下で、今まさにそんな『どーしよーもない』状況が出来上がっていた。 クラッシュしたベンツから這い出せたのは、クーガー男ただひとり。 クラッシュしたパトカーから這い出せたのは、婦警さんただひとり。 メイジとノブは、それぞれが別々の目標に銃を向けているから有利か……と言うとそうでもなく。 婦警さんとクーガー男は、命中率が恐ろしく低い二挺拳銃と言う暴挙でメイジとノブにも狙いをそれぞれ。 銃の狙い伸びて四角形を描く。 緊張しなくてはいけない場面なのだと思う。 でも、いろいろな事がありすぎた後で急に静かになったので、 としあきはおいてけぼりを喰ったような気になった。 ろくな事になりゃしないのなら銃を収めるしかないだろうと、としあきはぼんやり思う。 どっと疲れた……としあきが不謹慎にあくびをしようとしたが、メイジに目できつく制されて噛み殺す。 「……辞めようぜ?」 そう言ったのは、ほかならぬクーガー男だった。 「帰って寝てぇ」 「嘘」「見え透いてます」「国家権力舐めんな」 メイジとノブと婦警さんが全く同時に突っ込んだ。 「まぁ、落ち着いて聞けや」 クーガー男が銃を構えたまま肩をすくめた。銃口は面白いぐらいにピタリと、上下しなかった。 「そちらの姉さんは俺を捕まえたい。そりゃそうだな。こんだけ騒ぎ起こしたし?  確実に仲間の警官も何人か死んだろーしな」 「盗人猛々しい!」 婦警さんは同僚の腰のコードをナイフで切って持ち出した二挺目のニューナンブを、 今にもクーガー男にぶっ放しそうな勢いだが、クーガー男はこれを無視して続けた。 「んで、そちらの嬢やと坊やは、俺をぶっ殺したい。なんでかってと、  俺は二人をぶっ殺すためにここにいるからだな」 メイジとノブは、口をつぐんでいる。油断させるためのクーガー男の話術ではないかと、 警戒しているからだ。 クーガー男は面倒くさそうに、 「俺たちの『組織』はこの国の警察じゃ追えない。だから、姉さんが俺を捕まえる事は無意味だ。  んで、俺はもう、お前ら二人を狙う事を辞める。なんつーか、さ……負けたよ。  連れて来た仲間はみっともない事に全滅。これでお前らの首を取ってかえっても、  恥の上塗りってもんだぜ。大の大人が一小隊で何やってんだよって感じでさ。  『組織』抜けて、どっかでのんびり暮らすわ。うん、負けた、負けたな。  ……俺たちが、渋い顔して銃突きつけ合う理由、まだあるか?」 「信じらんない」「保証がない」「国家権力舐めんな」 また三人が同時に突っ込んだ。 っはー。 クーガー男は溜息を深く、長く、吐き……。 「じゃ、俺死ぬ」 そう言うとクーガー男はゆっくりと、長い手を折りたたんでふたつの銃口を自分の頭に向け、 ぐらりと体勢を崩し――。 銃声が二つ。 ぼやっとしていたとしあきは、何が起きたか判らなかった。 気がつくと婦警さんが倒れていた。 ノブも、倒れていた。 「これで、後一人だな」 倒れかけみたいな低い姿勢で二挺の銃を構えたクーガー男は、笑いもせずにメイジを見ていた。 硝煙漂う銃口のひとつは、メイジに、もうひとつはとしあきに向いていた。 後一人と言い、勘定の外に数えている筈のとしあきに、ベレッタM8000クーガーを向けていた。 としあきは、何が起きたか、まだ判っていなかった。 クーガー男は、ゆっくりと膝を伸ばして姿勢を戻した。 自殺するとみせて全員を騙し、その一瞬をついて、老獪にも、婦警さんとノブを撃ったのだ。 ノブを、撃ったのだ。 撃ったのだ――。 としあきの頭はかぁっと熱くなっていくのだけど、表情がごっそりと抜け落ちていくのを感じた。 恐怖なんて知るか。色々あった夜だ、銃突きつけられてビビるなんてとっくにどうでもいい。 こいつは、ノブを撃った。 撃ちやがった。 俺がベッドの上で鳴かせたノブを。 可愛い声で鳴くからつい苛めたくなるノブを。 几帳面な性格で、でも何処か危ういからいつも目が離せないノブを。 照れたような笑顔のおでこをぴんと弾いてやったノブを。 ノブと初めて呼んだ時、何かに救われたような顔をしていた、あのノブを。 熱くて冷たい気持ちが高まって、ひとつの回答が瞬時に導き出された。 「ぶち殺すぞこの野郎」 「じゃ、お前から殺すわ……」 「――待って!」 メイジが叫んだ。 「あたしの命ならいくらでもあげるから、だから、としあきだけは助けて!」 メイジがクーガー男に向けた銃口は、震えていた。 クーガー男は少しだけ、満足そうな顔をした。 「いいね。そっちの方がイイかもな。お前の鼻っ柱をへし折ってやっただけで、いい夜だった。  このガキの事は忘れてやってもいいぜ。とりあえず、ガバを捨ててもらおーか」 「メイジ、捨てるなよ。この野郎、端から約束守る気ねぇぜ。  正真正銘の下衆野郎だ。こんなクソは初めて見た、死んだって誰も困らねーだろーぜ」 「ガキに馬鹿だクソだカスだゲスだと言われんのは正直、気にくわねえな。  お前らはさ、ままごとみてーな毎日送っておっさんに唾吹っかけてりゃ楽だろうがな、  俺らは体張ってんだよ。何人死のうが、俺が死のうが、結果が全てなんだよ。  責任っつーもんがあんだよ。殺して殺して殺して殺して殺して、まだ殺す。  殺し続けてくたばるだろうさ、それが俺の生き方だ。  悪くねえ、てめーらに判って欲しいとも思わねぇ。  だがな、そこまで唾をべたべたべたべた吐かれるとよ、虫唾が走んだよ」 クーガー男は、何かに飽きたような表情のままぼそぼそと言った。 としあきは、中指を立てた。 「もう俺を殺す気だろうが下衆が。てめーはおっさんの前に、約束も気分で破る最低野郎だ」 「じゃぁ、やっぱお前から死んどけ」 「――やめて」 メイジは、迷う事なくガバメントを捨てた。 その顔は静かで、迷いはどこにもなかった。 クーガー男はふっと、笑うように鼻息をこぼした。 「ガキは馬鹿でイイや」 クーガー男の顔が一瞬、悲しそうになったのを、としあきは見てしまった。 嫌に高い銃声が一回鳴った。 クーガー男は、後ろにもんどりうって吹っ飛んで、動かなくなった。 凄まじい血の臭いが一瞬で立ち込めた。 何が起こったのか、ぽかんとするとしあきの横で、むくりとノブが起き上がった。 橋で撃たれた時に壊れたと言っていたデザートイーグル50AEが硝煙を引いている 歪んだスライドが後退したまま、止まっている。 「やっぱり、貴方は死亡確認が甘いんですよ。  それに、人に向けて撃つなら弾はホローポイントですよ、メイジ」 ノブは、にこりとメイジに笑いかけ、少し痛そうに顔を引きつらせて脇腹を押さえた。 本当に偶然だったのだろう。 クーガー男の撃った銃弾は、ノブが脇に隠し吊っていたデザートイーグルに当たって止まったのだ。 壊れたと嘘をついて切り札にしていたデザートイーグルは、今度こそ本当に壊れ、ノブの命を救った。 「本当に、俺に撃たせないつもりだったのな」 「生きて行く上で殺人童貞まで捨てる事はありませんから」 ノブは腹に風穴が開いたクーガー男の近くに寄って首筋の脈を確かめ、 見開いたままの瞼を何故か、閉じてやった。 婦警さんがうつぶせになったまま「国家権力舐めんな」と呟いたのでとしあきはギョッとする。 メイジが様子を観る。至近距離が幸いして肩の弾は抜けているらしかった。 細胞は大きくえぐれ、肩甲骨も割れているかも知れないが。 メイジが婦警さんの制服の袖をちぎって簡単に、でもしっかりと血止めをしてやる間に、 サイレンが遠く聞こえて来た。 「フけようぜ。それから――」 ――それから。としあきは言葉に詰まった。 色々あった夜だった。人が何人も死んだ。メイジとノブも人を殺した。 メイジとノブは、人を殺す夜から来たのだろうと思う。 守ると誓ったのに、結局自分は何も出来なかったようなものだ。足かせですらあった。 何もかもが必死で、ノブとメイジが人を殺す事を止める事さえ思いつかなかった。 何をすればいい。何がしてやれる。何をしたい。 結局、俺はただの、大学生でしかないから……。 「――帰って飯だ。少しでもいいから、喰ってくれよ。カレー、自信作なんだ」 強がり言ってると思う。正直、一番食欲がないのはとしあきかも知れない。 だけど、それでも、としあきはそう言いたかった。 メイジは、としあきの前に立ち、ぺこりと、頭を下げた。 「……やっかい者ですが、まだ、あたしを養ってくれますか?」 初めてメイジと逢った時の事を、としあきは思い出した。 この、どこから来たか判らない少女は、かつてこんな風にとしあきに可愛く頭を下げたのだ。 どこから来たのか……それが少しだけ判った気がした夜だった。 進んでいくのだ。未来へ。 関係も少しずつ変わっていく。 闇の中からとしあきを見ている、紅と蒼の瞳の全てをまだ知らなくても、 例え全て知る事になっても、 どんな事があっても、としあきはこの未来を捨てたくない。 ぐしぐし、ととしあきはメイジの登頂部を洗うように撫でる。 「たりめーだろーが」 ぶっきらぼうなとしあきにメイジはえへへ、と笑った。 「としあき、大好き」 -------------------------------------------------------------------------------