第二巻  下つ巻(四百つまき) -------------------------------------------------------------------------------- ひふみ神示 第02巻  下つ巻(四百つまき)   第一帖(四三) 富士は晴れたり日本晴れ。青垣山(アオカキヤマ)<青垣山=三諸山=三輪山=神山=タカクラ山>めぐれる下つ岩根に祀り呉れた、御苦労ぞ、いよいよ神も嬉しいぞ。鳥居はいらぬぞ、鳥居とは水のことぞ、海の水ある それ鳥居ぞ。皆の者 御苦労ぞ。蛇(じゃ)が岳(群馬県高崎市、榛名山の蛇ヶ岳)は昔から神が隠してをりた(おいた)大切の山ざから、人の登らぬ様にして、竜神となりて護りて呉れた神々様にもお礼申すぞ。富士は晴れたり日本晴れ。いよいよ次の仕組にかかるから、早う次の御用きいて呉れよ、神急けるぞ、山晴れ、地(くに)晴れ、海晴れて、始めて天(てん)晴れるぞ<山→地→海→天>。天晴れて神の働き いよいよ烈しくなりたら、臣民いよいよ分らなくなるから、早う神心(かみこころ)になりて居りて下されよ。つぎつぎに書かしておくから、よく心に留めておいて下されよ。この道(おしへ)は宗教(をしへ)ではないぞ、教会ではないぞ、道ざから、今までの様な教会作らせんぞ。道とは臣民に神が満ちることぞ、神の国の中(日本中)に神がみちみつることぞ。金儲けさせんぞ、欲すてて下されよ。七月の十二日の神示(ふで)、ひつくのか三。 第二帖(四四) 今度 岩戸開く御用は、人の五倍も十倍も働く人でないとつとまらんぞ。岩戸開くと申しても、それぞれの岩戸あるぞ、大工は大工の岩戸、左官は左官の岩戸と、それぞれの岩戸あるから、それぞれ身魂相当の岩戸開いて呉れよ。慾が出ると分らんことに、盲に(見えなく)なるから、神、気つけるぞ、神の御用と申して自分の仕事休むやうな心では神の御用にならんぞ、どんな苦しい仕事でも今の仕事十人分もして下されよ。神は見通しざから、つぎつぎによき様にしてやるから、慾出さず、素直に今の仕事致して居りて呉れよ、その上で神の御用して呉れよ。役員と申しても、それで食ふたり飲んだり暮らしてはならん、それぞれに臣民としての役目あるぞ、役員づらしたら、その日から代りの身魂(もの)出すぞ、鼻ポキンと折れるぞ、神で食うて行くことならんから、呉れ呉れも気をつけて置くぞ。<ひふみ神示に関わる者は「ひふみは宗教でないのでひふみで生活費を稼ぐことを禁じている」ので、それぞれの仕事を持って稼いで生活するように指示しています。ただ、真面目に素直に仕事をしていれば贅沢は出来ないが生活が出来るように配慮して、仕事などを廻すということのようです。>七月の十三日、ひつ九のか三。みなの者 御苦労であったぞ。 第三帖(四五) この神のまことの姿見せてやる積りでありたが、人に見せると、びっくりして気を失ふもしれんから、石にほらせて見せておいたのにまだ気づかんから木の型をやったであろうがな、それが神の或る活動の時の姿であるぞ、神の見せ物にしてはならんぞ、お山の骨もその通りぞよ、これまで見せてもまだ分らんか、何もかも神がさしてあるのぞ。心配いらんから慾出さずに、素直に御用きいて下されよ、今度のお山開き まことに結構であるぞ、神が烈しくなると、神の話より出来んことになるぞ、神の話 結構ぞ。七月の十三日、ひつ九のかみ。 第四帖 (四六) 早く皆のものに知らして呉れよ、神急けるぞ。お山の宮も五十九の岩で(顔とか変わった形をした岩。蛇じゃ倉の岩は、顔岩)作らせておいたのに、まだ気が附かんか、それを見ても神が使ってさして居ること、よく分かるであろうが、それで素直に神の申すこと聞いて呉れて我(が)を出すなと申してゐるのぞ、何事も神にまかせて取越し苦労(ずっと先の事なのにあれこれと考えて、どうでもいい心配)するなよ、我が無くてもならず、我があってもならず、今度の御用なかなか六ヶ敷いぞ。五十九の石の宮出来たから五十九のイシ身魂いよいよ神が引き寄せるから、しっかりして居りて下されよ。今度の五十九の身魂は御苦労の身魂ぞ。人のようせん辛抱さして、生き変り死に変り修行さして置いた昔からの因縁の身魂のみざから、みごと御用つとめ上げて呉れよ。教会作るでないぞ、信者作るでないぞ、無理に引張るでないぞ。この仕組 知らさなならず、知らしてならんし神もなかなかに苦しいぞ、世の元からの仕組ざから、いよいよ岩戸開く時来たぞ。七月の十三日、ひつくのか三。 第五帖 (四七) 江戸に神と人との集まる宮建てよ、建てると申しても家は型でよいぞ、仮のものざから人の住んでゐる家でよいぞ。 (○の中に・)の石まつりて、神人祭りて呉れよ。それが出来たら、そこでお告げ書かすぞ。淋しくなった人は集まりて その神示(ふで)見てよ、神示見れば誰でも甦るぞ(下界の者が書いたものではないと一目でわかるから<数字や記号でおろされる>)。この神示<神がそのままおろした文章(暗号?)>うつす役要るぞ、この神示 印刷してはならんぞ。<この神示説いて臣民の文字で臣民に読める様にしたものは一二三(ひふみ)と申せよ。一二三は印刷してよいのざぞ。印刷結構ぞ。>神の民の言葉は神たたえるものと思へ、てんし様たたえるものと思へ、人ほめるものと思へ、それで言霊(ことたま)幸(さき)はふ(幸運にあう。豊かに栄える。)ぞ、それが臣民の言葉ぞ。わるき言葉は言ってはならんぞ。言葉はよき事のために神が与へてゐるのざから忘れん様にな。七月の十五日、ひつくのかみのふで。 第六帖 (四八) 今までの神示 縁ある臣民に早う示して呉れよ、神々さま臣民まつろひて言答(いわと)開くもと出来るから、早う知らせて呉れよ、誰でも見て読める様に写して神前に置いて、誰でも読めるやうにして置いて呉れよ、役員よく考へて、見せるとき間遠へぬ様(遠くから見せないよう)にして呉れよ、七月の十五日、ひつくのか三神示。 第七帖 (四九) この神示(ふで)読んでうれしかったら、人に知らしてやれよ、しかし無理には引張って呉れるなよ。この神は信者集めて喜ぶやうな神でないぞ、世界中の民みな信者ぞ、それで教会のやうなことするなと申すのぞ、世界中大洗濯する神ざから、小さいこと思うてゐると見当とれんことになるぞ。一二三祝詞(ひふみのりと)<祝詞」はいわゆる「しゅくし(祝詞)」といわれるもので、神様への信奉心(最上のものと信じてあがめ、それに従うこ)を表す手段であり、そして自然の恵みへ対する感謝の心から、その収穫の「喜び」を「祝詞」という言霊に形を成し、全身全霊で神様へ伝えるもの>するときは、神の息に合はして宣(の)れ(告げ知らせる。述べる。口に出して言う。)よ、神の息(一二三祝詞)に合はすのは三五七、三五七(三五七言)<三言と五言と七言とにて成る詩、例 ひ ふ み…(1・2・3) よ い む な や…(4・5・6・7・8) こ と も ち ろ ら ね…(9・10・11・12・13・14・15) し き る…(16・17・18) ゆ ゐ つ わ ぬ…(19・20・21・22・23) そ を た は く め か…(24・25・26・27・28・29・30) う お え…(31・32・33) に さ り へ て…(34・35・36・37・38) の ま す あ せ ゑ ほ れ け…(39・40・41・42・43・44・45・46・47)>に切って宣れよ。しまひ(終わりのサビ)だけ節(ふし)長くよめよ、それを三たび<例、天(あめ)の数歌、三回唱へ。「ひと ふた みよ いつ むゆ なな や ここのたり ひと ふた みよ いつ むゆ なな や ここのたり ひと ふた みよ いつ むゆ なな や ここのたり ももち よろず」>よみて宣りあげよ。天津祝詞の神<天津神(高天原(天津神の故郷,日本の天界)にいる、または高天原から天降った神の総称)>ともこの方(方法)申すぞ。七月十五日、一二 。 第八帖 (五〇) この神示(ふで)皆に読みきかして呉れよ。一人も臣民居らぬ時でも声出して読んで呉れよ、まごころの声で読んで呉れよ、臣民ばかりに聞かすのでないぞ、神々さまにも聞かすのざから、その積りで力ある誠の声で読んで呉れよ。七月の十七日、ひつ九のか三。 第九帖 (五一) 今度の戦は(○の中に点の記号)と○との大戦ぞ。神様にも分らん仕組が世の元の神がなされてゐるのざから、下(しも)の神々様にも分らんぞ。何が何だか誰も分らんやうになりて、どちらも丸潰れと云ふ所になりた折、大神のみことによりて この方らが神徳出して、九分九厘という所で、神の力が何んなにえらいものかと云ふこと知らして、悪のかみも改心せなならんやうに仕組みてあるから、神の国は神の力で世界の親国になるのぞ。(○の中に点の記号)と○とは心の中に「・」があるか「・」がないかの違ひであるぞ。この方は三四五(みよいつ)の神とも現われるぞ。江戸の御社(みやしろ)は誰でも気楽に来て拝める様にして置いて呉れよ、この方の神示(ふで)書く役員、神示うつす役員、神示説いてきかす役員要るぞ、役員は人の後について便所を掃除するだけの心掛ないとつとまらんぞ、役員づらしたら直ぐ替身魂使ふぞ。七月の十七日、一二のか三。 第十帖(五二) 八月の十日には江戸に祭りて呉れよ。ア(安)<太陽神そのもの>イ(以)ウ(宇)は縦ぞ<いーあーう>、ア(安)ヤ(也)ワ(和)は横ぞ<やーあーわ>{補足説明:「エ」は下の表から「4(四)」になります。江戸⇒エ土⇒四土⇒世(地球の中心)の土 「アイウ」は表から「123」(1+2+3=6=5+1)になります。「アヤワ」は表から「181」(1+8+1=10=1+9=1+0=1)となり、1と1を結び(1+8+1=10、1+2+3=6、10=1より、縦横-1して0にし、神の数字にするため)「18」「123」と「18」の両方の「1」を結ぶと「8123」となり 8123=14=十四=火水(かみ)の四=神の世。また14=5(5≠0=9より)ですから、五も神の世を表すと考えられます。「八月の十日」とは「太陽(ミロク)さんの、火と水が合体した原理」と読めます。} アイウエオ表                               ┌─┬─┬─┬─┬─┬─┬─┬─┬─┬─┐         ┬─┬─┬─┬─┬─┬─┐ │ワ│ラ│ヤ│マ│ハ│ナ│タ│サ│カ│ア│         │ │い│ │ │2│ │ ├─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┤         ┼─┼─┼─┼─┼─┼─┤  │イ│リ│イ│ミ│ヒ│ニ│チ│シ│キ│イ│         │や│あ│わ│8│十│1│  ├─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┤         ┼─┼─┼─┼─┼─┼─┤ │ウ│ル│ユ│ム│フ│ヌ│ツ│ス│ク│ウ│         │ │う│ │ │3│ │ ├─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┤         ┼─┼─┼─┼─┼─┼─┤ │ヱ│レ│エ│メ│ヘ│ネ│テ│セ│ケ│エ│ ├─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┤ │ヲ│ロ│ヨ│モ│ホ│ノ│ト│ソ│コ│オ│ └─┴─┴─┴─┴─┴─┴─┴─┴─┴─┘ アイウエオ表に右上から横に「ひふみ数」を入れる ┌─┬─┬─┬─┬─┬─┬─┬─┬─┬─┐ │1│0│8│7│6│5│4│3│2│1│ ├─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┤ │2│1│0│8│7│6│5│4│3│2│ ├─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┤ │3│2│1│0│8│7│6│5│4│3│ ├─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┤ │4│3│2│1│0│8│7│6│5│4│ ├─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┤ │5│4│3│2│1│0│8│7│6│5│ └─┴─┴─┴─┴─┴─┴─┴─┴─┴─┘ 、縦横揃うて十となるぞ、十は火と水<十=火+水>ぞ、縦横結びて力出るぞ。何も心配ないからドシドシと神の申す通りに御用すすめて呉れよ。臣民は静かに、神は烈しきときの世 近づいたぞ。七月の十七日、一二 。 第十一帖 (五三) けものさへ神のみ旨(御旨(みむね),考え)に息せるを神を罵る(ののしる)民のさわなる(さわがる)。草木さへ神の心に従ってゐるではないか、神のむねにそれぞれに生きてゐるでないか、あの姿に早う返りて呉れよ、青人草と申すのは草木の心の民のことぞ。道は自分で歩めよ、御用は自分でつとめよ、人が(指示を)さして呉れるのでないぞ、自分で御用するのぞ、道は自分で開くのぞ、人頼りてはならんぞ。七月の十八日、ひつくのか三。 第十二帖 (五四) この神は日本人のみの神でないぞ。自分で岩戸開いて居れば、どんな世になりても楽にゆける様に神がしてあるのに、臣民といふものは慾が深いから、自分で岩戸しめて、それでお蔭(神のご加護)ないと申してゐるが困ったものぞ。早う気づかんと気の毒出来るぞ。初めの役員十柱(十人)集めるぞ。早うこの神示写して置いて呉れよ、神急けるぞ。七月の十八日、ひつ九の 。 第十三帖 (五五) 逆立ちして(神の世とは180度逆の歩で)歩くこと、なかなか上手になりたれど(この現代社会に適用するため頑張っても)、そんなこと長う続かんぞ。あたま下で手で歩くのは(今の世の常識で歩のは)苦しかろうがな、上にゐては足も(社長などの今の上の者でも)苦しからうがな、上下逆様と申してあるが、これでよく分るであろう、足はやはり下の方(神のとおりにしたほう)が気楽ぞ、あたま上(神のとおりにして、健康な頭脳)でないと逆さ(常識でないのが常識)に見えて苦しくて逆様(間違った光景)ばかりうつるぞ、この道理分りたか。岩戸開くとは元の姿に返すことぞ、神の姿に返すことぞ。三(みち)(神や人を手助けする)の役員は別として、あとの役員のおん役は手、足、目、鼻、口、耳(五感を使って、ひふみを参考にして仕事とかに取り組む)などぞ。人の姿見て役員よく神の心悟れよ、もの動かすのは人のやうな組織でないと出来ぬぞ。この道の役員はおのれが自分でおのづ(意思、好奇心)からなるのぞ、それが神の心ぞ。人の心と行ひと神の心に融けたら、それが神の国のまことの御用の役員ぞ、この道理分りたか。この道は神の道ざから、神心になると直ぐ分るぞ、金銀要らぬ世となるぞ。御用うれしくなりたら神の心に近づいたぞ、手は手の役、うれしかろうがな、足は足の役、うれしかろうがな、足はいつまでも足ぞ、手はいつまでも手ぞ、それがまことの姿ぞ、逆立して手が足の代りしてゐたから よく分りたであろうがな。いよいよ世の終りが来たから役員気つけて呉れよ。神代近づいてうれしいぞよ。日本は別として(日本列島に合わせて)世界七つに分けるぞ、今に分りて来るから、静かに神の申すこと聞いて置いて下されよ。この道は初め苦しいが、だんだんよくなる仕組ぞ、わかりた臣民から御用つくりて呉れよ、御用はいくらでも、どんな臣民にでも、それぞれの御用あるから、心配なくつとめて呉れよ。七月の十八日の夜、ひつくのか三。  第十四帖 (五六) 臣民ばかりでないぞ、神々様にも知らせなならんから、なかなか大層と(大変)申すのぞ。一二三(ひふみ)の仕組とは、永遠(とは){神の事を理解すること}に動かぬ道のことぞ、三四五(みよいづ)の仕組とは、みよいづの仕組ぞ、御代出づ(みよいづ)とは神の御代(神の代わりに仕事すること){神の事を理解し、実行すること}になることぞ、この世を神の国にねり上げることぞ、神祀りたら三四五の御用にかかるから、その積りで用意して置いて呉れよ。この神は世界中の神と臣民と、けだものも草木もかまはねばならんのざから、御役いくらでもあるぞ。神様と臣民 同じ数だけあるぞ。それぞれに神つけるから、早う身魂みがいて呉れよ、みがけただけの神をつけて、天晴れ後の世に残る手柄立てさすぞ。小さいことはそれぞれの神にきいて呉れよ、一人ひとり、何でもききたいことは、病直すことも、それぞれの神がするから、サニワ(神霊には正邪高下の(正系か傍系かを判断する区別があり、それを識別選択すること,審神者)でお告うけて呉れよ、この方の家来の神(その家系の最高司令塔{守護神})が知らせるから何でもきけよ。病も直してやるぞ、その神たよりたなら、身魂みがけただけの神徳あるぞ。この世始まってない今度の岩戸開きざから、これからがいよいよぞ。飛んだところに飛んだこと出来るぞ。それはみな神がさしてあるのざから、よく気つけて居れば、さきの事もよく分かるようになるぞ。元の神代に返すと申すのは喩へ(たとえ)でないぞ。七から八から九から十から神烈しくなるぞ、臣民の思う通りにはなるまいがな、それは逆立してゐるからぞ。世界一度にキの国(日本)にかかりて来るから、一時は潰れたやうに、もうかなはんと云ふところまでになるから、神はこの世に居らんと臣民申すところまで、むごいことになるから、外国が勝ちたやうに見える時が来たら、神の代近づいたのぞ、いよいよとなりて来ねば分らん様では御用出来んぞ。七月の二十日、ひつ九のか三。 第十五帖 (五七) この方祀りて神示(ふで)書かすのは一所( 一つの所、同じ場所、同じ人)なれど、いくらでも(神)分け霊(みたま)(交信)するから、ひとりひとり祀りてサニワ作りてもよいぞ。祀る時は先づ鎮守(ちんじゅ)様(特定の建造物や一定区域の土地を守護するために祀られた神)によくお願いしてから祀れよ、鎮守様は御苦労な神様ぞ、忘れてはならんぞ、この神には鳥居と注連(しめ)は要らんぞ。追ひ追ひ分かりて来るぞ、一二七七七七七<「一二三」「三四五」「五六七」の3つの仕組を連結させた表現>わすれてはならんぞ、次の世の仕組であるぞ。身魂みがけば何事も分りて来ると申してあろがな、黙ってゐても分るやうに早うなって下されよ、神の国近づいたぞ。七月の二十一日、ひつ九のか三。 第十六帖 (五八) 知恵でも学問でも、今度は金積んでも何うにもならんことになるから、さうなりたら神をたよるより他に手はなくなるから、さうなりてから助けて呉れと申しても間に合わんぞ、イシヤの仕組<(石屋=フリ−メ−ソン、イルミナティ{世界政府、ユダヤ教を作った白人偽ユダヤ人(アーリア人)})の仕組(陰での人類の支配システム)>にかかりて、まだ目さめん臣民ばかり。日本精神と申して仏教の精神や基督教の精神ばかりぞ。今度は神があるか、ないかを、ハッキリと神力みせてイシヤも改心さすのぞ。神の国のお土に悪を渡らすことならんのであるが、悪の神わたりて来てゐるから、いつか悪の鬼(連合軍)ども上がるも知れんぞ。神の国ぞと口先ばかりで申してゐるが、心の内は幽界人(がいこくじん)沢山あるぞ。富士から流れ出た川には、それぞれ名前の附いてゐる石置いてあるから縁ある人は一つづつ拾ひて来いよ、お山まで行けぬ人は、その川で拾ふて来い、みたま入れて守りの石と致してやるぞ。これまでに申しても疑ふ臣民あるが、うその事なら、こんなに、くどうは申さんぞ。因縁の身魂には神から石与へて守護神の名つけてやるぞ。江戸が元のすすき原(草原)になる日近づいたぞ。てん四(十四)様を都に移さなならん時来たぞ。江戸には人住めん様な時が一度は来るのぞ。前のやうな世が来ると思うてゐたら大間違ひぞ。江戸の仕組すみたらカイの御用あるぞ。いまにさびしくなりて来るぞ。この道栄えて世界の臣民みなたづねて来るやうになるぞ。七月の二十一日の夜、ひつ九のか三。 第十七帖 (五九) 学や知恵では外国にかなうまいがな、神たよれば神の力出るぞ、善いこと言へば善くなるし、わるきこと思へばわるくなる道理分らんか。今の臣民 口先ばかり、こんなことでは神の民とは申されんぞ。天明は神示書かす役ぞ。神の心取り次ぐ役ざが、慢心すると誰かれの別なく、代へ身魂使ふぞ。因縁のある身魂はこの神示(ふで)見れば心勇んで来るぞ。一人で七人づつ道(ひふみ)伝へ(つたえて)呉れよ、その御用が先づ初めの御用ぞ。この神示通り伝へて呉れればよいのぞ、自分ごころで説くと間違ふぞ。神示通りに知らして呉れよ。我(自己満の意思)を張ってはならぬぞ、我(自分の意思)がなくてもならぬぞ、この道六ヶしいなれど縁ある人は勇んで出来るぞ。七月の二十一日、一二の 。 第十八帖 (六〇) この道は神の道であり人の道であるぞ。この道の役員は神が命ずることもあるが、おのれが御用すれば、自然と役員となるのぞ、たれかれの別ない(だれかれの区別なく,だれにでも)ぞ、世界中の臣民みな信者ざから、臣民が人間ごころでは見当とれんのも無理ないなれど、この事よく腹に入れて置いてくれよ。神の土(元の土『食土』『喰土』)出るぞ、早く取りて用意して皆に分けてやれよ。神に心向ければ、いくらでも神徳(神の幸福の+エネルギー)与へて何事も楽にしてやるぞ。七月の二十三日、ひつ九のか三のふで。 第十九帖 (六一) 苦しくなりたら何時でもござれ、その場で楽にしてやるぞ、神に従へば楽になって逆らへば苦しむのぞ。生命も金も一旦天地へ引き上げ仕まうも知れんから、さうならんやうに心の洗濯第一ぞと申して、くどう気附けてゐることまだ分らんか。七月の二十三日、一二のか三。 第二十帖 (六二) 上(うえ)、中(なか)、下(しも)の三段に(臣民の)身魂をより分けてあるから、神の世となりたら何事もきちりきちりと面白い様に出来て行くぞ。神の世とは神の心のままの世ぞ、今でも臣民 神ごころになりたら、何でも思ふ通りになるぞ。臣民 近慾(ちかよく)なから、心曇りてゐるから分らんのぞ。今度の戦は神力と学力のとどめの戦ぞ。神力が九分九厘まで負けた様になったときに、まことの神力出して、ぐれんと引繰り返して、神の世にして、日本のてんし様が世界まるめてしろしめす世と致して、天地神々様にお目にかけるぞ。てんし様の光が世界の隅々まで行きわたる仕組が三四五(みよいづ)の仕組ぞ、岩戸開きぞ。いくら学力強いと申しても百日の雨降らすこと出来まいがな。百日雨降ると何んなことになるか、臣民には分るまい、百日と申しても、神から云へば瞬きの間ぞ。七月の二十三日、ひつ九の 。 第二十一帖 (六十三) (・)ばかりでもならぬ、(○)ばかりでもならぬ。(○の中に・)がまことの神の元の国(古代の日本)の姿ぞ。元の神の国の臣民は(○の中に・)でありたが、(・)が神国に残り (○)が外国で栄へて、どちらも片輪となったのぞ。 (・)もかたわ (○)もかたわ、 (・)と (○)と合はせてまことの(かみ)の世に致すぞ。今の戦は(・)と(○)との戦ぞ、神の最後の仕組と申すのは(○)に(・)入れることぞ。 (○)も五ぞ (・)も五ぞ、どちらも、このままでは立ちて行かんのぞ。一厘の仕組とは(○)に神の国の(・)を入れることぞ、よく心にたたみておいて呉れよ。神は十柱五十九柱のからだ待ちてゐるぞ。五十と九柱(五十九)のミタマの神々様お待ちかねであるから、早うまゐりて呉れよ。今度の御役大層であるが、末代残る結構な御役であるぞ。七月の二十四日、一二のか三。 第二十二帖 (六十四) 岩戸開く仕組 知らしてやりたいなれど、この仕組、言ふてはならず、言はねば臣民には分らんし、神苦しいぞ、早う神心になりて呉れと申すのぞ、身魂の洗濯いそぐのぞ。二三三二二(アイカギ)、 (・)(○)(○の中に・)(神の国の吹を外国の垂に吹き込み神の長く宿る世の中にすることです)、コノカギハイシヤトシカテニギルコトゾ(この鍵の具体的な意味は石屋(石屋=フリ−メ−ソン)と鹿(神の使い、神に近いリーダー、救世主)が手を握る(和解する)ことです。一二 (ひつくのかみ)、七月の二十八日。 第二十三帖 (六十五) 世が引繰り返って元の神世に返るといふことは、神々様には分って居れど、世界ところどころにその事知らし告げる神柱あるなれど、最後のことは 九(こ) (日本)の神でないと分らんぞ。この方は天地をキレイに掃除して天の大神様にお目にかけねば済まぬ御役であるから、神の国の臣民は神の申す様にして、天地を掃除して てんし様に奉らなならん御役ぞ。江戸に神早う祀りて呉れよ、仕組通りにさすのであるから、臣民 我を去りて呉れよ。この方祀るのは天(あめ)のひつくの家ぞ、祀りて秋立ちたら、神いよいよ烈しく、臣民の性来(しょうらい)によって、臣民の中に神と獣とハッキリ区別せねばならんことになりて来たぞ、神急けるぞ。七月の三十日、ひつ九のか三。 第二十四帖 (六十六) 一(人)が十(完成[超人])にと申してありたが、一(人)が百(白=何も染まってない元の姿にもどり)に、一(人)が千(十=超人)に、一(人)が万(地球上すべて超人)(別訳、神の助言が万が一から千が一、百が一、十が一まで当たってどんどん神の通りになる)になるとき いよいよ近づいたぞ。秋立ちたらスクリ(神の言ったとおりに動きがあり、)と厳しきことになるから、神の申すこと一分一厘ちがはんぞ。改心と申すのは、何もかも神にお返しすることぞ、臣民のものといふもの何一つもあるまいがな、草の葉一枚でも神のものぞ。七月の三十日、ひつくのか 第二十五帖 (六七) 今度の戦で何もかも埒(ラチ)ついて仕まふ様に思うてゐるが、それが大きな取違ひぞ、なかなかそんなチョロッコイことではないぞ、今度の戦で埒(ラチ)つく位なら、臣民でも致すぞ。今に戦も出来ない、動くことも引くことも、進むことも何うすることも出来んことになりて、臣民は神がこの世にないものといふ様になるぞ、それからが、いよいよ正念場ぞ、まことの神の民と獣とをハッキリするのはそれからぞ。戦出来る間はまだ神の申すこときかんぞ、戦出来ぬ様になりて、始めて分かるのぞ、神の申すこと、ちっとも違はんぞ、間違ひのことなら、こんなにくどうは申さんぞ。神は気(け)もない時から知らしてあるから、いつ岩戸が開けるかと云ふことも、この神示(ふで)よく読めば分かる様にしてあるのぞ、改心が第一ぞ。七月の三十日、ひつくのか三のふで。 第二十六帖 (六八) 神の国を真中にして(東西の境界線から二つに切って)世界(世界中を)分けると申してあるが、神祀るのと同じやり方ぞ。天(あめ)のひつくの家<日本国、エレサレム王国>とは天のひつくの臣民(日本人)の家ぞ。天のひつくと申すのは天の益人(天国人、日本人)のことぞ、江戸の富士と申すのは、ひつくの家の中<日本国>に富士の形作りて、その上に宮作りてもよいのぞ(いいのです)、仮でよいのぞ(いいのです)。こんなに別辞(ことわけ)てはこの後は申さんぞ。小さい事はサニワで家来の神々様(その家系の守護神様)から知らすのであるから、その事忘れるなよ。仏(ぶつ)も耶蘇(やそ)も、世界中まるめるのぞ。喧嘩して大き声する所にはこの方鎮まらんぞ、この事忘れるなよ。七月の三十一日、一二 。 第二十七帖 (六九) この方{暦}は祓戸(はらへど)の神{祓(はらい)をするときにまつる神。瀬織津比盗_(せおりつひめのかみ)・気吹戸主神(いぶきどぬしのかみ)・速開都比盗_(はやあきつひめのかみ)・速佐須良比盗_(はやさすらひめのかみ)の四神をいう。 }とも(異常気象を伴う時代に)現はれるぞ。この方祀るのは富士、(「富士」=「円錐形の神山」)に三と所(位山三山のどれか、榛名山、と後一つの三ヶ所)、海に三と所(鳴門・諏訪湖・麻賀多の三ヶ所)、江戸にも三と所(の三ヶ所)ぞ、奥山{元}、中山{介添}、一の宮ぞ。富士は、榛名(はるな)に祀りて呉れて御苦労でありたが、これは中山ぞ、一の宮と奥の山にまた祀らねばならんぞ、 海の仕組も急ぐなれどカイの仕組早うさせるぞ。江戸にも三と所、天明の住んでゐるところ奥山ぞ。あめのひつくの家、中山ぞ、此処が一の宮ざから気つけて置くぞ。この方祀るのは、真中に神の石鎮め、そのあとにひもろぎ、前の右左にひもろぎ、それが「あ」と「や」と「わ」ぞ、そのあとに三つ七五三とひもろ木立てさすぞ。少しはなれて四隅にイウエオの言霊石 置いて呉れよ。鳥居も注連(しめ)もいらぬと申してあろがな、このことぞ。この方祀るのも、役員の仕事も、この世の組立も、みな七七七七と申してきかしてあるのには気がまだつかんのか、臣民の家に祀るのは神の石だけでよいぞ、天のひつくの家には、どこでも前に言ふ様にして祀りて呉れよ。江戸の奥山には八日、秋立つ日に祀りて呉れよ、中山九日、一の宮には十日に祀りて呉れよ。気つけてあるのに神の神示(ふで)よまぬから分らんのぞ、このこと、よく読めば分るぞ。今の様なことでは神の御用つとまらんぞ、正直だけでは神の御用つとまらんぞ。裏と表とあると申して気つけてあろがな、シッカリ神示読んで、スキリと腹に入れて呉れよ、よむたび毎に神が気つける様に声出してよめば、よむだけお蔭あるのぞ。七月の三十一日、一二 。 第二十八帖 (七〇) またたきの間(すぐに)に天地引繰り返る様な大騒動が出来るから、くどう気つけてゐるのざ、さあといふ時(起きた時)になりてからでは間に合はんぞ、用意なされよ。戦の手伝ひ(戦争の手伝い)位なら、どんな神でも出来るのざが、この世の大洗濯は、われよしの神ではよう出来んぞ。この方は元のままの身体(からだ)持ちてゐるのざから、いざとなれば何んなことでもして見せるぞ。仮名ばかりの神示と申して馬鹿にする臣民も出て来るが、仕まひにはその仮名(かな)に頭下げて来ねばならんぞ、かなとは (カミ)の七(ナ)ぞ、神の言葉ぞ。今の上の臣民、自分で世の中のことやりてゐるように思うているが、みな神がばかして使ってゐるのに気づかんか、気の毒なお役も出て来るから、早う改心して呉れよ。年寄や女や盲、聾ばかりになりても、まだ戦やめず、神の国の人だねの無くなるところまで(日本人をネタやしにする所まで)、やりぬく悪の仕組もう見て居れんから、神はいよいよ奥の手出すから、奥の手出したら、今の臣民ではようこたえんから、身魂くもりてゐるから、それでは虻蜂取らず(これは失敗した上でさらに損することの強調)ざから、早う改心せよと申してゐるのぞ、このことよく心得て下されよ、神せけるぞ。八月二日、ひつ九のか三。 第二十九帖 (七一) (天変地異の後)神の土出ると申してありたが、土は五色の土ぞ、それぞれに国々、ところどころから出るのぞ。白、赤、黄、青、黒の五つ色ぞ、薬のお土もあれば喰べられるお土もあるぞ、神に供へてから頂くのぞ、何事も神からぞ。八月二日、一二 。 第三十帖 (七二) 八のつく日に気つけて呉れよ、だんだん近づいたから、辛酉(かのととり){干支の一つ58番目}はよき日(早い日)、よき年ぞ。冬に桜咲いたら気つけて呉れよ。八月二日、ひつくのかみ。 第三十一帖 (七三) この神に供(そな)へられたものは、何によらん(どこにもよらずに)私すること(自分一人の物にしては)ならんぞ、まゐりた(参られた)臣民にそれぞれ分けて喜ばして呉れよ、臣民喜べば神も喜ぶぞ、神喜べば天地光りて来るぞ、天地光れば富士(二二)晴れるぞ、富士は晴れたり日本晴れとはこの事ぞ。このやうな仕組でこの道(ひふみ神示の神の教えを)ひろめて呉れよ、それが政治ぞ、経済ぞ、真通理(マツリ)ぞ、分りたか。八月の三日、ひつ九のか三。 第三十二帖 (七四) この道ひろめて金儲けしようとする臣民 沢山に出て来るから、役員気つけて呉れよ、役員の中にも出て来るぞ、金(かね)は要らぬのざぞ、金いるのは今しばらくぞ、生命は(自分の自由、時間を仕事に使って働いて)国にささげても金は自分のものと頑張ってゐる臣民、気の毒出来るぞ、何もかも天地へ引き上げぞと知らしてあること近づいて来たぞ<死んでから働いてたことがバカバカしく思えてくる>、金かたきの世(金が仇の世){金が引き起こす争いの世}来たぞ。八月三日、一二 。 第三十三帖 (七五) 親となり子となり夫婦となり、兄弟(はらから)となりて、生きかわり死にかわりして御用に使ってゐるのぞ、臣民同士、世界の民、みな同胞(はらから)と申すのは喩へでないぞ、血がつながりてゐるまことの同胞ぞ、はらから喧嘩も時によりけりぞ、あまり分らぬと神も堪忍袋の緒切れるぞ、何んな事あるか知れんぞ、この道の信者は神が引き寄せると申せば役員ふところ手で居るが、そんなことでこの道開けると思ふか。一人が七人の人に知らせ、その七人が済んだら、次の御用にかからすぞ、一聞いたら十知る人でないと、この御用つとまらんぞ、うらおもて、よく気つけよ、因縁の身魂はどんなに苦しくとも勇んで出来る世の元からのお道ぞ。七人に知らしたら役員ぞ、神が命ずるのでない、自分から役員になるのぞと申してあろがな、役員は神のぢきぢきの使ひぞ、神柱ぞ。肉体(が)男なら魂(たま)は女(おみな)ぞ、この道 十(と)りに来る悪魔あるから気つけ置くぞ。八月の三日、ひつ九のか三。 第三十四帖 (七六) 臣民はすぐにも戦すみてよき世が来る様に思うてゐるが、なかなかさうはならんぞ、臣民に神うつりてせねばならんのざから、まことの世の元からの臣民 幾人もないぞ、みな曇りてゐるから、これでは悪の神ばかりかかりて、だんだん悪の世になるばかりぞ、それで戦すむと思うてゐるのか、自分の心よく見てござれ、よく分るであろがな、戦すんでもすぐによき世とはならんぞ、それからが大切ぞ、胸突き八丁(物事を成し遂げる過程で、いちばん苦しい正念場)はそれからぞ、富士に登るのにも、雲の上からが苦しいであろがな、戦は雲のかかってゐるところぞ、頂上(いただき)までの正味のところはそれからぞ。(戦は)一、二、三年が正念場ぞ。(今の世は)三四五(みよいづ)の仕組(三次元、四次元、五次元の者で構成された仕組み、現代の地)<日月神示に、一二三(ひふみ)から三四五(みよいず)へとあります。 現在の世は「三四五」神政になります。一二三(ひふみ)とは、始発の3元神政に当たります。 そして、「三四五」神政から「五六七」神政へとなります。 これは、○十(高次元の地球)が解らない限り解けないのです。七次元の存在が降りて来ない限り、捌きで分けようがないからです。その仕組みを説明すると、現在の地球霊界は肉体人間3次元、霊体幽界4次元、神霊天人5次元で構成されます。その中で主の神を否定する、神の教えとは違うことやる者は三次元、四次元の世界でまた生まれます。逆に主の神を信じる者、神の教えに従う者は五次元、六次元、七次元の神界で生きることができます。これが主な仕組みの原理です。話を戻しますが多くの人が理解していなかったのは、多次元世界の自分なのです。惑星の次元をつないでるのは心棒という惑星の極をなす縦の垂直に伸びる神柱なのです。なので次元が違えど地球には変わりありません。現在の世は「三四五(みよいず)」この理論は「串」の理論といい十三で「串(九四)」が解る必要がありました 13が意味する隠語は「串」。 > と申してあろがな。八月の三日、ひつくのか三。 第三十五帖 (七七) 何もかも持ちつ持たれつ(互いに助け合うさま)であるぞ、臣民喜べば神も喜ぶぞ、金(きん)では世は治まらんと申してあるのに まだ金追うてゐる見苦しい臣民ばかり、金は世をつぶす本ぞ、臣民、世界の草木まで喜ぶやり方は <・に○を入れる>の光のやり方ぞ。臣民の生命も長うなるぞ、てんし様は生き通しになるぞ、御玉体(おからだ){魂と肉体が一体}のままに神界に入られ、またこの世に出られる様になる(高次元に上がった地球に生まれることができる)ぞ、死のないてんし様になるのぞ、それには今のやうな臣民のやり方ではならん(神界にはいけない)ぞ、今のやり方ではてんし様に罪ばかりお着せしてゐるのざから、この位 不忠(忠義でない)なことないぞ、それでもてんし様はおゆるしになり、位までつけて下さるのぞ、このことよく改心して、一時(ひととき)も早く忠義の臣民となりて呉れよ。八月の三日、ひつ九の 。 第三十六帖 (七八) 神をそちのけ(そっちのけ)にしたら、何も出来上がらんやうになりたぞ。国盗りに来てグレンと引繰り返りて居らうがな、それでも気づかんか。一にも神、二にも神、三にも神ぞ<ひふみ世界にも神が下りるようになる、次元が上がる>、一にも天詞様、二にも天詞様、三にも天詞様<ひふみ世界にも天使様と暮らせるようになる、次元上がる>ぞ。この道つらいやうなれど貫きて呉れよ、だんだんとよくなりて、こんな結構なお道かと申すやうにしてあるのざから、何もかもお国に献げて自分の仕事を五倍も十倍も精出して呉れよ。戦位(戦意) 何でもなく終るぞ。今のやり方ではとことんに落ちて仕まうぞ、神くどう気つけて置くぞ。国々の神さま、臣民さま改心第一ぞ。八月三日、ひつ九のか三。 第三十七帖 (七九) 世が変りたら(この一二三から、四五六へ、さらに七八九と次元が高上した時)天地光り人も光り草も光り、石も物ごころに歌ふぞ、雨もほしい時に降り、風もほしい時に吹くと雨の神、風の神 申して居られるぞ。今の世では雨風を臣民がワヤ<無茶・ダメなこと、無茶苦茶・収拾がつかないさま>にしているぞ、降っても降れず、吹いても吹かん様になりてゐるのが分らんか。盲つんぼ<目、耳が弱い→霊感、直感力とうの感性が鈍い人で構成されてる現代一般市民>の世の中ぞ。神のゐる場所塞いで居りて お蔭ないと不足申すが、分らんと申しても余りであるぞ。神ばかりでもならず、臣民ばかりではなおならず、臣民は神の入れものと申してあろが、あめのひつくの民<日本人と他の国に住んでる人の一部>と申すのは、世界治めるみたまの入れもののことぞ、民草<先を見通せない烏合の衆(一般市民)>とは一人(自分)をまもる入れものぞ、ひつくの臣民は神がとことん試しに試すのざから、可哀そうなれど我慢して呉れよ、その代り御用つとめて呉れたら、末代名<世界で名を広め、日本では銅像が立てられるほどの名誉>を残して、神からお礼申すぞ。何事も神は帳面につけとめてゐるのざから間違ひないぞ、この世ばかりでないぞ、生れ代り死に代り鍛へてゐるのぞ、ひつくの臣民 落ちぶれてゐると申してあろがな、今に上、下になるぞ、逆立ちがおん返りて、元のよき楽の姿になるのが近づいたぞ、逆立ち苦しかろがな、改心した者から楽にしてやるぞ、御用に使ふぞ。八月三日、ひつ九のか三。 第三十八帖 (八〇) 富士は晴れたり日本晴れ、これで下つ巻の終りざから、これまでに示したこと、よく腹に入れて呉れよ。神が真中で取次ぎ役員いくらでもいるぞ、役員はみな神柱ぞ。国々、ところどころから訪ねて来るぞ、その神柱には みつげの道知らしてやりて呉れよ、日本の臣民みな取次ぎぞ、役員ぞ。この方は世界中丸めて大神様にお目にかけるお役、神の臣民<日本人>は世界一つに丸めて てんし様に献げる御役ぞ。この方とこの方の神々と、神の臣民一つとなりて世界丸める御役ぞ。神祀りて呉れたらいよいよ仕組知らせる神示(ふで)書かすぞ、これからが正念場ざから、ふんどし締めてかかりて呉れよ。秋立ちたら神烈しくなるぞ、富士は晴れたり日本晴れ、てんし様の三四五(みよいづ)となるぞ。八月の三日、ひつくのか三。新規サイト011のフッター 付けたし:ひつく(天のご先祖様の祖先)の民=日本人<立て直すナの御霊> + みつぐ(地のご先祖様の祖先)の民=元祖有色人種ユダヤ人<立て替えるノの御霊> = スメラミコト(日本の天皇陛下)<スの民族>:日本人の御霊とユダヤ人の御霊が和合した状態: