翌朝…… 紺ちゃんが羨望の眼差しを向けていたドールハウスをお菓子で再現するべく、 朝早くから家の台所で必要な素材作りをしていると、 紺ちゃんが自分の部屋のある二階から降りてきた。 紺「おはようございます」 紳士「おはよう。朝、早いんだね。起こしちゃた?」 紺「いえ、いつもこのくらいの時間には起きていますから」 ちなみに今の時間は朝の六時。 外はもう明るくなってはいるが、子供の起きる時間としてはかなり早い。 多分、母さんの朝食作りを毎日手伝っているから、早起きなんだろう。 紳士「朝ご飯、ワッフルだけどいいかな?」 紺 「えっ、もう朝ご飯出来ているんですか?」 紺ちゃんは「お手伝いします」と言うつもりだったんだろう。 紺ちゃんは行動の機先を僕に取られて、少しばかりあっけに取られたような顔をしていた。 紳士「紺ちゃんには朝ご飯を食べた後、色々と手伝ってもらいたい事があるんだ」 紺 「お買い物ですか?」 紳士「いや、お菓子の家作りさ」 朝食を食べながら、昨夜インターネットで検索したお菓子の家のカラーコピーをテーブルの上に並べる。 紺「うわぁ……」 歳相応の輝きを持った瞳で、ワッフル片手に紺ちゃんが一つ一つの画像をまじまじと見つめていた。 紳士「同じような事を考える人は、いくらでもいるもんなんだねぇ」 紺 「どれも食べるのがもったいないくらい綺麗で可愛くて、でも美味しそうです」 紳士「と、まあ参考画像はいくつか集めたけど、どうせ作るなら自分だけのオリジナルを作りたいよね」 紺 「お菓子の家かぁ……」 紳士「うん。今、紺ちゃんが食べているワッフルは家の土台とか枠組みに使えないかなあと思って焼いてみたんだけど、    味の方はどう?」 紺 「美味しいです。デパートで売ってたワッフルよりも、すごく……でも、食べちゃって良かったんですか?」 紳士「いっぱい焼いてあるから大丈夫」 僕が指を差した先には、1m四方分くらいのワッフル生地が調理台の上に乗せられていた。 紺 「そんなに大きい家を作るつもりなんですか!」 紳士「あはは、さすがに1m級は作らないよ。    ワッフルは土台にだけじゃなくて、色々と使えそうだからたくさん焼いてみたんだ。    余ったら、連休中に学校の近くで遊んでいる子供達にでもあげればいいし」 紺 「でもお菓子の家なんて、作るのとっても難しそうなのに、私に手伝える事なんてあるんですか?」 紳士「そりゃあ、色々あるよ。卵かき混ぜてもらったり、屋根や壁にトッピングをしてもらったりとかね。    手伝ってくれるかな?」 紺 「私でよければ、お手伝いしますっ!」 紳士「うん、いい返事だ。それじゃあ朝ご飯を食べ終わったら、まず細工に使う生地作りから始めようか」 紺 「はいっ!」 家の枠組みは昨日見たドールハウスを元に…… といっても、そこまで精巧な物ではなく簡略化した物ではあるが、 厚紙で型紙を作成した物を参考に、クッキー生地を作る。 家の生地を作っている間、家の細工に使うマジパンの生地作りを紺ちゃんと一緒に作る。 紺 「マジパンって何ですか?」 紳士「ヨーロッパの方で良く使う、くにゅくにゅってした触感のお菓子。って言えば分かるかな?」 紺 「ちょっと、分からないです」 紳士「まあ作ってみれば分かるからやってみよう。    本格的に作ろうとすると難しいんだけど、簡単な飾り細工に使う程度の生地を作るんだったら、紺ちゃんにも出来るよ」 ボウルにアーモンド粉末と粉砂糖を1:2の割合で入れて良く混ぜる。 紺ちゃんが一生懸命ボウルをかき混ぜている所にタイミングを見計らって卵白を混ぜ、 紺ちゃんにまた混ぜるように指示を出す。 子供の力だと限界もあるので、仕上げの部分は僕が生地を混ぜて、細工用のマジパンが完成した。 紺 「粘土みたい……あの、これでいいんですか?」 紳士「おっけー、おっけー。初めてにしてはいい感じだと思うよ。    それじゃあ型を使って、家の周りに飾りたい物を抜き出していって、    余裕があったら、型を使わないで自分なりの人形細工を作ってもいいかもね。    その辺は紺ちゃんの好きにしていいから」 紺 「頑張ります」 紺ちゃんが飾り細工に集中している間に、焼きあがった家の生地を組み立てる。 土台がワッフル生地だと安定しないので、家を置く部分の生地は切り抜いて、 家の生地を作る際に余ったクッキーを敷き詰め、 接着用のアイシングを使って家を組み立てる。 紺 「うわ〜、もうほとんど完成だ……    この窓も本物のガラスみたいで綺麗〜」 食用色素を混ぜたアイシングで、無色だったクッキーの壁に模様を書いていると、 細工作業を終えた紺ちゃんが完成間近のお菓子の家を見て、目を輝かせていた。 紳士「これもネットで調べていた時に見つけてね。生地の段階で窓枠を切り取って、    そこに飴を入れて焼くと飴が溶けて窓ガラスみたいになるんだ」 紺 「難しくなかったですか?」 紳士「結構生地を厚く作ったせいで、温度調整が難しかったなぁ。    さすがに何度か失敗したよ」 紺 「でも完成させちゃうなんてすごい……」 紳士「まだ完成じゃないよ。はい、これ」 紺 「えっ?」 紳士「壁の側面は僕が模様書いちゃったけど、屋根の部分は紺ちゃんに書いてもらいたいな」 紺 「いいんですか?」 紳士「二人で作った家だし、目につく部分だからね。女の子の感性で書いてもらった方がいい」 紺 「それじゃあ、私の作ったマジパンの人形は、二人で飾ろうね」 紳士「よし、僕のセンスも紺ちゃんに劣らないって所を見せてやろう」 紺 「ふふっ、どんな家が出来るか楽しみ〜」 一時間後…… 紺 「うわぁぁぁぁぁ……」 紳士「おぉぉぉぉぉぉ……」 二人で昼食も食べずに飾り付けを終えたお菓子の家は、 昨日デパートで見たドールハウスをイメージした物とは少しずれた物にはなったが、 言い知れぬ満足感に僕と紺ちゃんは満ち溢れていた。 紺ちゃんの作った飾り細工は、家の玄関口に犬、屋根の上には猫と鳥、 そしてお菓子の家らしく所々にストロベリーのトッピング。 余ったアーモンドパウダーに緑の食用色素を混ぜ、 家の空き地部分に撒いて庭を表現した。 庭には人型の人形が4つ。 これはうちの家族を表しているのかどうかは分からないが、 きっとそうなんだろうと勝手に解釈する。 紳士「んじゃ、食うとするか」 僕はケーキナイフを手に取って、お菓子の家に手を伸ばす。 紺 「お兄ちゃん!」 こんなに激しく感情を露わにする紺ちゃんは初めてだ。 紺 「まだ作ったばっかりなのに、ダメだよ!」 紳士「はっはっは、冗談だよ、冗談」 紺 「お兄ちゃんって、いつも真面目な人だから、冗談なのか本気なのか分からないよ」 紳士「僕はいつもこんなんなんだけどなぁ……」 紺 「学校だといつも真面目に見えるけど……」 紳士「そりゃ、仕事だからなあ。それでも、子供達を相手にする仕事だから、堅苦しくはしていないつもりだけどなあ。    でも僕もそうやって紺ちゃんが怒る所は初めて見たよ」 紺 「あっ……ごめんなさい」 紳士「なんで謝るのさ。僕は紺ちゃんのそういう所も出来るだけ知りたいよ。    もちろん、僕のこういう冗談を言う部分も見てもらいたい」 紺 「でも私は……この家の本当の子でも、お兄ちゃんの妹でも家族でもない、捨てられたいらない子だし……」 ピンッ! 紺 「痛っ!」 紳士「紺ちゃんがもう少し大きかったら、デコピンじゃなくてビンタしてたよ、今の台詞……」 紺 「……………………」 紺ちゃんはおでこを抑えながら僕の目をじっと見る。 紳士「紺ちゃんが僕達を家族と思ってくれないのは、    まだ一緒に暮らしてから間もないから、仕方がないのかもしれない。    それはまだ我慢できる。    だけど自分の事をいらない子だなんて言うのだけは許せない」 紺 「でも……私はっ!」 紳士「紺ちゃんがどういう事情でこの家に来たのかは僕も知っている。    でもそれは紺ちゃんの周りの大人が悪かっただけで、紺ちゃんがそれを悪く思う事はない。    紺ちゃんは自分をいらない子だと言うけど、それは僕達家族全員をそういう大人と同じ人間だと考えている。    そんな風に僕の大切な家族が思われていたなんて、いくら紺ちゃんでも許す事は出来ない」 紺 「わ、私はそんな事思っていない。この家の人達の事はみんな大好き!    お父さんとお母さんよりも私に優しくしてくれたおじ様もおば様も、    お兄ちゃんの事だって……でも、でも……うわぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」 涙で溢れかえった顔を見せないように、 紺ちゃんは僕の胸に身体の全てを預けてくる。 紳士「同じ家に住んでいるから家族……というわけには簡単にいかないのかもしれない。    だけどみんながお互いを大切に思うようになれば、それは家族って言ってもいいんじゃないかな?    僕も父さんも母さんも、紺ちゃんの事は大切に思っているよ。    あとは紺ちゃんが僕達の事をもう少しだけ好きになってくれるんだったら……    僕達はきっと家族になれるよ」 紺 「ごめんなさい……    お兄ちゃん、ごめんなさい……    私、私……」 僕は紺ちゃんが泣き止むまでずっと、彼女の事を抱きしめていた。 少しでも紺ちゃんの心が晴れやかになるように……と。 紺 「あの……お兄ちゃん」 紳士「何?」 紺 「私、出来るだけこれからはお兄ちゃんとお話するようにするから、    お兄ちゃんも私の事を紺って呼んで欲しいの」 紳士「今でも呼んでるけど?」 紺 「紺ちゃんじゃなくて、紺って呼んで」 紳士「分かったよ、紺」 紺 「お兄ちゃん」 紳士「紺」 紺 「お兄ちゃん」 紳士「……………………」 紺 「……………………」 お互いを何度か呼び合っているうちに、僕達はその雰囲気に耐えられなくなって、 どちらともなく、二人で吹き出して、しばらく一緒に笑っていた。 紳士「で、これどうしようか?    昼も食べてないし、これ食べようよ」 僕は紺を喜ばせる為に作ったお菓子の家を指す。 紺 「ダメだよ。私達が仲良くなれた大切な家なんだから、    おじ様とおば様が帰ってくるまではこのままにしておくの!」 紳士「いやあ、さすがに冷蔵庫には入れないと、まだ暑くなってはいないとはいえヤバイ事になるぞ……」 紺 「じゃあ、記念撮影して、冷蔵庫にしまおっ!」 紳士「携帯のデジカメしか持ってないよ、僕」 紺 「こうやってやれば大丈夫!」 カシャ 紺は僕の首に抱きついた状態で、器用に片手で携帯のシャッターボタンを押した。 知り合いや警察には見せられないようなアングルになっていそうなのがとても怖い……