紺GWイベントその2「買い物と買えない物」 家から車を走らせ、山を一つ越えると市街へと出る事が出来る。 後部座席をわざわざ散らかせて、助手席に紺ちゃんを座らせたものの、 彼女はいつもと同じようにおとなしく、会話もなかなか弾まない。 それでも後部座席からではなく、 助手席から見る周りの景色は珍しいのか、 車の外を見る目が心なしか輝いて見えたのは、僕の気のせいではないと思う。 うちは山の中にある田舎ではあるものの、 山を越えて駅前にまで来ると、大きな百貨店があり、 都心部とまではいかないものの、地方都市特有の活気に溢れている光景が広がっている。 紺 「お買い物ってここでするんですか?」 紺ちゃんがここと言うのは、都内にも多くある有名百貨店だ。 紳士「ここなら大抵の物は揃っているしね」 今の時代なら通信販売で大抵の物の需要は事足りるが、 調味料や器具に関しては、実際に自分の目で見たり、 試したりする事によって自分との相性を確かめられるのは大きい。 といっても、今日の目的はいかに紺ちゃんに買い物を楽しんでもらえるか。 という事なんだけど…… 紳士「配膳に使うテーブルクロス、こっちのチェック模様のと、動物模様が入っているのとどっちがいいと思う?」 紺 「動物の方で」 紳士「んー、配膳に使うやつだから汚れやすいけど、これだと汚れた時に洗うの大変じゃない?」 紺 「汚れても私が頑張って綺麗にしますから、こっちでお願いします!」 紳士「分かった。じゃあ、洗濯お願いするかもしれないから覚悟してね」 紺 「頑張ります」 紳士「家の風呂場の電球が消えかかっていたけど、照明の色はこの青いやつにする?    それともこの普通のがいい?」 紺 「普通のがいいんじゃないでしょうか?」 紳士「おっけー」 紳士「今日の晩御飯のデザートで作ろうと思っているムースなんだけど、チョコとストロベリーどっちがいい?」 紺 「どっちも好きなんで、ちょっと決められません」 紳士「じゃ、両方作っちゃおっか」 紺 「デザートを二つというのはちょっと……」 紳士「そう? 僕は二つ食べるけどな。じゃあ紺ちゃんは一つでいいね?」 紺 「ど、どちらか決められないから、私も二つ食べますっ!」 素直に欲しい物を買ってあげると言っても、紺ちゃんは確実にそれを断るだろうし、 物で彼女の心を釣り上げるような気がして僕としても気分が乗らない。 というわけで僕のとった作戦は、彼女に選択をさせ続ける事だった。 最初のうちは学校の給食に関わる備品の選択から始まっていくが、 それをだんだんと家の生活用品にシフトして、 最後には今日の夕食のメニューを彼女に決めさせてしまおうという作戦だ。 結果、僕の目論見は上手く行ったと言っていいだろう。 紺 「これで買い物は終わりですか?」 紳士「そうだね。今日は付き合ってくれてありがとう」 紺 「お役に立てたのなら嬉しいです」 折角の休みにこうやって買い物に来たのに、お互いの会話はまだどうしても固い。 せめてもっとフランクな会話が出来れば、この他人行儀な空気も変わってくるんだろうけど、 初めてお兄ちゃんって呼んでくれた後、まだ一度もお兄ちゃんって呼んでくれないからなぁ…… 紳士「でも僕がここの来たのって初めてだから、もう少し色々と見て回ってもいいかな?」 紺 「はい」 僕は紺ちゃんを連れて、服や本を軽く見回るが、 紺ちゃんは黙って僕に着いてくるだけだ。 僕が彼女くらいの歳の頃は、やれアレが欲しい、コレが欲しいと、 歳相応に両親を困らせていたはずなのだが、 紺ちゃんにはそういった歳相応の欲求は無いのだろうか…… いや、本当は色々と欲しい物があるに違いないのだろうけど、 家で世話になっている事に必要以上の引け目を感じている彼女は、 そういった事を考えようともしないのかもしれない。 かと言って、こっちから下手にプレゼントを贈ろうとしても、 彼女はますます恐縮してしまうだろうし……難しい問題だなぁ。 紺 「…………………………」 紳士「あれ? どうしたの、紺ちゃん?」 それまで僕にぴったりと着いてきていた紺ちゃんの足がぴたりと止まる。 紺 「あ、そ、その……ごめんなさい、なんでもありません」 紺ちゃんが足を止めたその視線の先にあったのは、 玩具屋のショーケースに飾られていたドールハウスと、その中で生活しているように見える数々の小さな動物の人形達。 紳士「へぇ、こういうの好きなんだ。    まあ紺ちゃんくらいの女の子で、こういうの嫌いな子ってのもそんなにいないか」 紺 「い、いえっ、そんなに好きというわけでも……」 紺ちゃんにしては珍しいくらいの大きなジェスチャーでそれを否定するが、 逆にその仕草のせいで、どれだけこのドールハウスや人形達が好きであるのかという事が良く分かる。 紳士「しかし、良く作りこんであるなぁ。値段は……」 手頃な値段だったら何かしら理由をつけて、無理矢理にでも紺ちゃんにプレゼントしようかとも思ったが…… 紳士「…………………………」 値札に書いてある桁数に思わず絶句した。今ある家庭用ゲーム機の最新機種全てを揃えたとしてもまだお釣りが帰ってくるどころか、 もう2セットほど追加購入してもさらにお釣りが帰ってくる。 そんな数字が目の前で踊っていた。 紺 「外国の専門メーカーの特注品らしいです」 紳士「世界って広いなぁ……」 紺 「お城とかになるとその10倍くらいするらしいです」 紳士「10倍って、下手したらマンション買えるじゃん……」 紺 「あの……その……ですから気にしないで下さい!」 紳士「気になったとしてもさすがにこれはどうしようもないなぁ……」 いや、そのくらいの貯金はあるけど、こんな物をプレゼントしたら、紺ちゃんじゃなくても引くだろう…… 紺 「それに私にはこの子がいるから……」 紺ちゃんは目を閉じて、いつも手にしている人形をぎゅっと抱きしめる。 そういえばあの人形は誰からのプレゼントなんだろう? 前の両親かな、多分。 ただ紺ちゃんの口からそれを聞くのは、なんとなくためらわれたので、 僕は生返事をして紺ちゃんの手を取った。 紳士「もう、帰ろうか?」 紺 「あっ、はい」 名残惜しそうにショーケースのドールハウスを見つめる紺ちゃんの横顔を見ているうちに、 僕はふとある事を思いついた。 紳士「やった事はないけど、計画と下準備に一日掛ければなんとかなるかも……」 紺 「どうしたんですか?」 紳士「ちょっと面白い事を思いついてね。紺ちゃんにも色々と手伝ってもらうかもしれない」 紺 「面白い事?」 紳士「よしっ! こうなったら少しでも時間が惜しい。帰るよ、紺ちゃん!」 紺 「は、はいっ!」 僕にこの目が飛び出るような値段がついたドールハウスを紺ちゃんにプレゼントする事は出来ない。 だけど僕は料理人だ。料理人なら料理人らしい家を作って、紺ちゃんにプレゼントすればいい。 料理人らしい家……それはもちろん、お菓子の家だ!