紺GWイベントその1 ゴールデンウィーク。 二ヶ月ほど前までホテルの宴会調理場で働いていた僕には、 連休どころか、いつもより仕事が忙しくなる悪夢の期間として身体に染み付いていたが、 今年はカレンダー通りに休めるこの幸せを噛み締めていた…… けど、すぐに飽きた。 紳士「暇だ……」 折角の休日だというのに、とにかくやる事がない。 ホテルで働いていた頃の連休は何をしていたかというと、 創作メニューを試してみたり、学生時代にアルバイトしていたレストランに顔見せがてらのヘルプに行ったりしていた。 しかし創作メニューを試すにも、この二週間で子供達のパワーに押されながら、 手持ちのネタを思う存分披露出来たせいで、今ひとつアイディアは浮かばず、 学生時代のバイト先にヘルプに行くのは距離的に無理がある事を考えると、 このゴールデンウィークの間、何をして過ごせばいいのか皆目見当がつかなかった。 とんとん 母 「紳士、起きてる?」 扉の向こうから母さんが声を掛けてくる。 紳士「うん、起きてるけど」 母 「ちょっとお願いがあるんだけど、いい?」 紳士「何? 買い物?」 母さんの呼びかけに応えながら扉を開くと、そこには喪服姿の母さんがいた。 紳士「どうしたの? それ」 母 「私の母方の兄弟に不幸があったのよ」 紳士「お祖母ちゃんの兄弟?」 母 「そう。ずっと海外暮らしの人だったから、紳士は会った事ないはずだけどね」 紳士「そっか……じゃあ、僕も支度するよ」 母 「式には私とお父さんだけでいいわ。紺ちゃんを家で一人にするわけにはいかないでしょ」 紳士「あっ、そうか。母さんの実家って事は都内になるし、日帰りは無理だもんね」 母 「明後日には帰って来れると思うけど、今日、明日は家を開けると思う。    だから家の事と紺ちゃんの事、よろしく頼むわよ」 紳士「紺ちゃんには話したの?」 母 「「分かりました。気をつけて行ってらっしゃい」だって。    紳士があの子くらいの年だった頃にも同じような事あったけど、紳士、何て言ったか覚えてる?    「食事代、ちゃんと置いていってね」よ?    お金にがめつい紳士と比べて、紺ちゃんってば本当にしっかりした子よね〜」 紳士「母さんがその一年前、僕の食事代を忘れて三日間も法事に出掛けた前科があるの、僕はずっと覚えているんだけど……」 思えばあれが僕の料理人人生の始まりだったのかもしれない。 小学三年生の夏休み。母さんが父さんと法事に出掛けた三日間。 夏休みだったから学校給食も無く、 冷蔵庫の中にある物を、記憶や本を頼りになんとか人が食べられる形にして、 細々と食い繋いだあの苦い思い出…… 本気で料理を覚えよう、と誓ったあの出来事は、忘れようと思っても中々忘れられる物じゃあない。 母 「そ、そうだったかしらね?    あっ、お父さん、車でずっと待っているからもう行くわね。    それじゃあ、しっかり頼むわよ〜!」 紳士「逃げやがった……」 ともあれ、この休みの三日間は紺ちゃんと二人きりで過ごす事になるようで、 暇を持て余していた僕にちょうどいい計画が浮かんできた。 その計画とは…… 「紺ちゃんとゴールデンウィークを思う存分楽しもう計画!」 って、まんまじゃん! と、自分自身にツッコミを入れる。 誰も見ていない一人ボケツッコミは空しくもあるが、 これからの計画をあれこれと考える僕の胸は弾んでいた。 紳士「紺ちゃん、いるかな?」 紺 「あっ、はい、どうぞ」 紺ちゃんの部屋をノックして呼びかけると、すぐに紺ちゃんの返事が返ってくる。 扉を開けると、紺ちゃんはいつものようにぬいぐるみを抱きながらクッションに座っていた。 紳士「父さんと母さんがしばらく家を開けるのは聞いてるよね?」 紺 「はい、聞いてます。けど……その、色々ご迷惑かけるかもしれませんけど、    私の事は気にしないで構いませんから……」 最近少しずつ距離が縮まってきたような気はするけど、 それでもまだ紺ちゃんと僕達家族の間には見えない壁を確かに感じる。 紳士「紺ちゃん、時間ある? 買い物手伝って欲しいんだけど」 紺 「買い物……ですか?」 紳士「来週からの給食絡みで色々と買わないといけない物とか、家の物とかね。    学校の子供達の好みとかまだよく分からないし、紺ちゃんが選ぶのを手伝ってくれたりすると凄く助かるんだけどなぁ〜」 紺ちゃんは少し考えたあと、小さくこくりと頷いてくれた。 紳士「(よしっ! 計画通り!)」 これで紺ちゃんを家から連れ出す事には成功だ。 紺ちゃんの性格的に、ただ一緒に買い物に行こうと言っても、 何だかんだと理由をつけて断るに違いない。 けれど「手伝って欲しい」と一言付け加える事によって、 家で世話になっている事に後ろめたさを感じている紺ちゃんは、 絶対に僕の誘いを断らないという確信があった。 紺ちゃんの心の弱い部分につけこむようなずるい誘い方ではあるが、 その分、紺ちゃんを楽しませられれば全て良しだ。 紳士「じゃあ、車出して待ってるから、準備出来たら表出てね」 紺 「はい」 エンジンを掛けて紺ちゃんを待つ事約十分、 特に部屋にいた時とは変わらない姿のまま、紺ちゃんが家から出てくる。 部屋にいた時と変わらない姿のままというのはあくまで僕の私見で、 まだ小さいとはいえ、紺ちゃんも女の子なんだから、 外行き用の身支度を整えて来たのだろう。 紺 「あれっ? 車がいつもと違う……」 紳士「いつもの車って、給食の仕入れに使うワゴン車の事?」 紺 「はい」 紳士「休みの時くらいは、自分の車使わないとね。    ひょっとして、僕の車見るの初めて?」 紺 「はい。てっきりおじさまの車かと……」 紳士「都内にいた時も、こっちに来てからもあんまり乗ってないんだけどね。    これからは休みの時には出来るだけ動かせればいいな」 紺ちゃんを乗せてね。とは口に出さずに助手席の扉を開く。 紺 「えっ、私は後ろで……」 紳士「いや、後ろはちょっと色々物置いてあるから、前で頼むよ」 後部座席にはUFOキャッチャーで取ったぬいぐるみやら、 料理の本やら、父さんのゴルフバッグやら怪しげな健康器具やらが詰め込まれていて、 人の座れるスペースはとてもじゃないが全くと言っていいほど無かった。 紺 「部屋も学校の調理室もあんなに綺麗なのに、車の中は以外ですね」 紳士「あははは〜、滅多に使わないから物置化しちゃったんだよね〜」 紺 「分かりました。今度、片付けておきます」 紳士「ごめんね〜」 実を言うと後部座席にここまで物を敷き詰めたのは今日が始めてだったりする。 後部座席を座る余地がないくらいに物で埋め尽くしておけば、 紺ちゃんは助手席に座らざるを得ないので片っ端から放り込んだのだ。 紳士「それじゃ、行くよ」 紺ちゃんが無言で小さく頷くのを確認して、僕はアクセルを踏み込んだ。