紺ルートイベント「境遇」 夕食が終わると、母さんに「ちょっと二人で話がある」と言われて、 番茶をすすりながら母さんが夕食の片付けを終えるまで待っていた。 母 「お待たせ」 片付けが終わった母さんは、無くなりかけていた湯飲みに茶を注いで、僕の前に座った。 紳士「それで、話って何?    母さんが父さんに聞かせたくないような話なんて珍しいね」 母 「別に聞かせたくない話ってわけじゃないわ。    あの人、今日は夜釣りに行っちゃってるし、    少し真面目な話になるから、そう言っただけ」 紳士「真面目な話って何?」 いつもの穏やかな表情の母さんではあるけど、 どことなく真剣な雰囲気を醸し出していた。 母 「紳士は紺ちゃんがこの家に引き取られる事になった経緯をどこまで知っている?」 紳士「紺ちゃんの両親が離婚して、二人とも蒸発しちゃったから親戚のうちが預かるって事になった。って事くらいかな」 母 「離婚の原因とか、うちで預かる理由とかは他の誰かから聞いてないわね?」 紳士「うん、聞いていない」 母 「本当なら聞くほうも聞かされる方も愉快な話じゃないし、    こんな事は知らない方がお互いの為と思っていたけど、紺ちゃんは少しずつ紳士に心を開いている。    だからこれから貴方達が家族として、そして人間として紺ちゃんと関わっていく上で、    紳士があの子を傷つけなくて済むように、そして紳士がその事で傷つく事がないように、    私の話を聞いて欲しい」 紳士「うん……」 母 「あの子の両親が離婚したのが今から二年前。ちょうど今くらいの季節だった……    ある日あの子が学校から家に帰ると、おやつと一緒に母親のかき置きが残っていたの。    「本当に心から愛する人を見つけました。紺、お父さんと元気でね」って」 紳士「何それ……」 まるでどこかに買い物にでも出かけてくるかのような無責任な紙切れ一枚で、 紺ちゃんは母親に別れを告げられたのか…… 紳士「それで、紺ちゃんのお父さんはどうしたの?」 母 「それはもう落ち込んでいたわ。    何一つ自分に落ち度は無く、周りから見ても仲のいい夫婦だったのに、    将来を誓った相手の突然の心変わりに父親は心を痛め、離婚の原因となった母親の浮気相手を知って、    それまで彼が築いてきた家族への愛情、一人の男として自尊心、そういった物が音を立てて崩れていってしまったようなの……」 紳士「壊れるって……どうして?」 母 「その母親の相手というのが、海外にまでチェーン展開している飲食店の御曹司だったのよ。    対して紺ちゃんの父親はこの田舎の小さな農業組合の一役員。    男としての格の違いを感じてしまったのか、母親の事はすぐ諦めてしまったみたい。    御曹司から多額の慰謝料が父親に払われる事で離婚その物はすんなりと決まったけど、    だけど問題は、残された子供である紺ちゃんをどうするかという話で揉めに揉めた。    母親は新しい恋人と1から全てをやり直したいから紺ちゃんは連れていけないの一点張り。    父親は男手一人では紺ちゃんは育てられない、離婚を申し出たのは母親側なのだから、    そちらが紺ちゃんを引き取るべきだ、紺ちゃんを引き取らない限り離婚届けに判は絶対に押さないとか、    それはもう、ありとあらゆる理由……というよりは難癖をつけて、    どちらも頑として紺ちゃんを引き取ろうとはしなかった。    最終的には慰謝料を多く払う事で父親が紺ちゃんを育てる事に決まったんだけど……    父親は離婚届に判を押したその足で、慰謝料が振り込まれた銀行口座から全部お金を引き出して、    紺ちゃんには文字通り何一つ残さずに蒸発したわ」 紺ちゃんの両親のあまりの身勝手さに、紺ちゃんに対する同情以上に、 彼らに対する怒りの方が僕の中にこみ上げてくる。 母 「両親の離婚が決まってから、離婚調停の間はうちで紺ちゃんを引き取る事になったんだけどね、    その時から紺ちゃんは笑わなくなった……    というよりは、感情を表に出す事がほとんど無くなってしまった。    無理も無いわよね、離婚までは愛情深く育てられて、家族で旅行に行ったり、ご飯を食べたり、    そんなごく普通の家族だったのが、今では両親がお互い自分を拒絶して、    まるで邪魔者でもあるかのような扱いを受けている……しかも実の両親から」 小学二年生の女の子にとっては、想像を絶するほど辛かったに違いない。 最も信頼していた人達から受けた仕打ちは、一人の女の子が背負うにはあまりにも重すぎる。 母 「結局、両親が二人とも紺ちゃんの親権を放棄した事になったから、    親戚であるうちが紺ちゃんを引き取る事になって、今に至る……」 紳士「人間なんだから結婚したって、それは離婚する事だってあると思う。    だけど……だけど、夫婦間での愛情が途切れてしまったからって、    それまでの紺ちゃんへの愛情までを否定するなんて、人の親がする事じゃない!」 胸の内の怒りのやりどころがなく、無意識に拳でテーブルを叩く。 母 「貴方がそうやって怒るのは正しいわ、紳士。    もちろん私とお父さんも今の紳士と同じ様に紺ちゃんの両親に対して憤りを感じていた……    だけど、父親が蒸発したのを知って、あの子はこう言ったわ。    「お父さんとお母さんがご迷惑をお掛けしました。でもお父さんとお母さんを怒らないであげて下さい」って」 紳士「どうして紺ちゃんがそんな事を……あの子が誰よりも一番怒っていいはずなのに」 母 「私達も今の紳士と同じ質問をあの子にしたわ。あの子、何て言ったと思う?」 紳士「分からないよ」 自分と紺ちゃんのこれまでの人生と置かれた境遇とを比べると、 あの子がどんな思いでいたのか、僕には想像する事すら難しい。 母 「あの子はこう言ったわ「私、今でもお父さんとお母さんが大好きだから……だからお父さんとお母さんを悪く言わないで」って……」 僕は言葉が出なかった。 紺ちゃんは両親に手酷く裏切られたというのに、恐らく今でも紺ちゃんはまだ両親への愛情を失ってはいないのだろう。 だけど紺ちゃんが人と関わる事を極力避けているのは、 きっと新しく築き上げた愛情でも友情でも、ある日突然、大切な人達に裏切られ、失ってしまう事への恐れがあるから、 極力、人との関わりを避けている…… 誰よりも深い愛情を持っているが故の哀しさだ…… そう考えると紺ちゃんが必要以上に他人と距離を置きたがり、感情を表に出さない事への説明はつく。 母 「これを紳士に話したのはね……貴方に期待しているからよ」 紳士「期待?」 母 「そう。あの子がこの家でお父さんと私に遠慮しているのは、紳士から見ても分かるでしょう?」 紳士「それは、まあ分かるかな」 母 「それは多分、私達があの子を同情しているから、この家で面倒を見てもらえるんだっていう、後ろめたさがあるから」 紳士「実際の所、母さんも父さんも紺ちゃんに同情しているの?」 母 「それはあんな小さな子が両親の愛情を裏切られたんですもの、もちろん同情もしているわ。    だけど家族として暮らしていくのに同情だけでやっていけると思う?」 紳士「いや、思わないよ」 母 「私とお父さんがどれだけ紺ちゃんを大切に思っても、私達に同情されていると思っているあの子にはきっと届かない。    でも、紺ちゃんの事を良く知らない村の外からやってきた人間で、保護者という立場にもない紳士になら、    あの子も心を開いてくれるかもしれない。    私もお父さんも、その可能性に賭けているわ」 紳士「責任重大だなぁ……」 母 「大丈夫よ、自信を持ちなさい。紳士は私の自慢の息子なんだから」 紳士「調子いいなぁ。でも、話してくれてありがとう」 母 「あっ、でも本当の家族って言っても、まだ紺ちゃんに手を出したら駄目だからね。    自分の子が警察に連れて行かれる姿は見たくないから」 紳士「出さねーよ!」