プロローグ4 子供達とのカレーパーティの後、 今度は自分の家のキッチンで、我が家の夕食を作っていた。 学校の子供達とは頼子ちゃんやリアちゃんのの手助けもあってか、 上手く打ち解けられそうだ。 ただ、一番身近になる子である紺ちゃんとは、 僕がまだこちらに引っ越してきてから一週間経っても、 まだ挨拶程度の会話しか交わす事の出来ない関係だ。 どうすれば紺ちゃんと親しくなれるのかずっと悩んでいたけれど、 今日のカレーパーティがきっかけで、どうすれば良いのか少しだけ見えてきた。 僕「母さん、今日の晩御飯、僕が作ってもいいかな?」 母「あら、いいの? お仕事の準備があったんじゃない?」 僕「準備はもうあらかた終わったよ。冷蔵庫の中、適当に使っていい?」 母「いいけど、どうしたの? 急に?」 僕「料理人が料理作るのがそんなにおかしい?」 母「貴方、調理学校通ってた時もホテル勤めていた時も、家で料理を作る事はあっても、   それはあくまで勉強の為で、自分からご飯作りたいなんて言った事ほとんどないじゃない。   それがどういう風の吹き回し?」 僕「随分、棘を感じる言い回しだなぁ……」 母「可愛い息子が料理人になっても、ちっともお母さんの為に料理作ってくれた事ないなぁ〜、   寂しいな〜。なんて事はこれっぽっちも思っていないわよ」 僕「……ごめん、これからは少しは作るようにする」 母「ふふふ、期待してるわよ。それで、今日の晩御飯を作ろうって思ったのは、   お母さんに対する罪滅ぼしってわけじゃないわよね?」 僕「新しい家族の為かな……」 母「ああ、なるほどねぇ〜」 母さんには全てを語らずとも、僕が意図している事は分かってくれたようだ。 母「正直、助かるわね。私はお父さんや貴方ほど料理は上手くないし、   かと言ってお父さんも子供向けの料理はあまり得意じゃないから、   どうしたらいいのか少し悩んでもいたのよ」 父さんは僕と同じフレンチを基礎に学んだ料理人で、 母さんは経営や接客に対しての専門家なので、 子供が喜ぶメニューを考えるのは少し難しいらしい。 母「うちの店でやってた子供向けのメニューを考えていたのは本社の人達だし、   貴方は子供の頃から好き嫌いがほとんど無かったし……   あの子が家に来た最初の頃、一度だけお子様ランチ的な物を出した事があるのよ。   でもあの子は食べ終わってこう言ったの  「とっても美味しかったです。だけど、出来れば私も叔父さんや叔母さんと同じ物がいいです」ってね」 それは遠まわしに私に気を使わないで欲しいという、紺ちゃんの意思表示なのだろう。 母「だから出来るだけあの子が喜びそうな物と、私達の好みを合わせた物を作っているつもりではあるけど、   小学生の女の子と還暦間近の私達が美味しく食べられる物となると、   色々と難しいのよ……」 僕「好き嫌いはあるよね、やっぱり?」 母「多分あるはずよ。たまに無理して食べていたような事もあったから」 僕「無理して食べていた物って何?」 母「生のトマト。煮込んだりした物や、ケチャップなんかは抵抗がないみたい」 僕「他には?」 母「牡蠣も駄目だったかしら。他は大体大丈夫だと思うんだけど、   感情をなかなか表に出さない子だから……」 僕「その辺りは手探りで見つけていくしかないか。   ま、苦手そうな物は食べやすいような形を考えるよ」 母「それじゃあ、私も手伝うわ」 僕「えっ、いいよ。たまにはのんびりテレビでも見てれば?」 母「夕方のテレビなんて、万引きする主婦がどうこうとかどうでもいいのばっかりなんだから、   料理していた方が楽しいわよ。   それに、貴方と一緒にキッチン立つのなんて久しぶりだしね」 僕「分かった。それじゃあ、サラダ用のドレッシング作ってもらっていいかな?」 母「ウィ、シェフ」 父「お〜、なんか豪勢だな、今日の夕飯は」 夕飯が完成して、リビングにやって来た父さんが感嘆の声を上げ、 紺ちゃんも色とりどりの食卓を見て少し驚いていた。 母「それは当家自慢のシェフと主婦が二人懸かりで作ったんですもの。このくらいは当然よね」 母さんと二時間ほど掛けて二人懸かりで作った物は、 子供の好きそうな物として、ポテトグラタン、長く煮込んだトマトソースをベースにしたナポリタン、 ピリ辛の手羽先チキン、薄味の海老ピラフ、レモン風味のコールスローサラダ他色々。 父さんと母さん用には、カツオのタタキカルパッチョ風、ゴーヤのお浸しカツオ風味、 カツオのちんこ(心臓)の煮付け、大根と生姜のサラダ他色々と、全部で大体20皿前後くらい作る事が出来た。 僕「見た目色々あるように見えるけど、量はそれほどでもないよ」 両親と同じ物が食べたいと遠慮をする紺ちゃんの為に考えた僕の作戦。 それは皿の種類を多くする代わりに、一皿の量を少なめにする事によって、 子供も大人も好きな物と苦手な物を自分なりにコントロールしながら、 みんなで同じ皿を食べる事が出来るという物だ。 母「それじゃあ、みんな出来立てのうちにいただきましょう」 僕「紺ちゃん、何から食べたい?」 紺「あっ、自分で取りますから……」 僕「いいから、いいから。最初はグラタンでいいかな?」 紺「は、はいっ」 僕がグラタンを乗せた皿を紺ちゃんに渡すと、 紺ちゃんは申し訳無さそうに少し目を伏せながらグラタンを口の中に入れる。 紺「美味しいです」 よく見ていないと気が付かないくらいにほんの少しだけ頬を緩ませて、 紺ちゃんは僕の作った料理を次々に食べてくれた。 父「このちんこ美味いな〜。結構高かったんじゃないのか?」 母「こらっ、お父さん! 小さなの女の子の前で下品な事言わない!」 父「だって美味いもんは美味いし、ちんこはちんこだろ〜」 僕「父さん……」 折角、紺ちゃんと僕の間で少し張り詰めていたような空気が、いくらか軽くなったような感じがしてきたというのに、 父さんに空気を台無しにされた気分だ。 紺「くすっ」 あっ、紺ちゃんが笑ってる。 父「紺ちゃん、カツオの心臓の事をな、珍しい子って書いて、ちんこって読むんだ。   さ、さ、紺ちゃんも食べてみるといい。んでもって、お兄ちゃんのちんこ美味し〜って言えば、うちの馬鹿息子も大喜びだ」 紺ちゃんのお皿にロクデナシの父が珍子を二つ、三つと乗せていく。 僕「喜ばねーよ!」 紺「叔父さん、いただきます」 父「うんうん、魚は身体にいいからどんどん食べるんだぞ、紺ちゃん」 紺「ありがとうございます。あっ、本当に美味しい……」 父「よーし、そこでお兄ちゃんのちんこ美味し〜って……」 がすっ! 母「いい加減、セクハラ親父ギャグは止めましょうね、お父さん?」 日本空手有段者である母さんの寸頸が、父さんのわき腹を抉る。 父「す、すびばせん……」 母「ほら、紺ちゃん。そこの叔父さんはほっといていいから、もっといっぱい食べてね〜」 紺「は、はい」 とまあ、こんな感じで馬鹿げた雰囲気のまま夕飯の時間が過ぎていくのだった。 夕飯も終わって後片付けの後、まだ寝るわけではないが布団に潜って天井を見上げていた。 僕「久しぶりに疲れたかな」 昼間は学校の子供達の溢れんばかりのエネルギーを目の当たりにし、 夜は自分でオーダーを考えて作る料理の難しさを実感したせいか、 ホテル勤務の頃よりも身体が疲れていた。 僕「どっちも上手くいったから、まぁ、いっかな」 とんとん 僕「ん? 母さん?」 ノックの音に反応して僕は上半身を起こす。 紺「あ、あのっ……紺ですっ」 僕がこの家に引っ越してきてから一週間。 紺ちゃんが僕の部屋を訪ねてきてくれたのは始めてだ。 僕「開いてるよ」 紺「し、失礼します……」 紺ちゃんは緊張しながらドアを開けて部屋に入ってきた。 夕飯で少しは僕と紺ちゃんの距離感は近づいたように感じるけど、 まだお互いの距離は家族といえるほどには近くには無い。 僕「どうしたの? あっ、夕ご飯美味しかった?」 紺「はっ、はい。とっても美味しかったです」 僕「良かった。毎日は難しいかもしれないけど、これからも出来る限り僕が夕飯作るから、楽しみにしてもらえると嬉しいな」 紺「は、はいっ」 僕「ああ、ごめん。僕の話ばっかりしちゃって。何か用があるんだよね、僕に?」 紺「あっ、あのっ、昨日……じゃなくって、今朝はごめんなさいっ!」 僕「今朝?」 何かあったっけ? 紺「勝手に布団の中に入ってごめんなさいっ!」 僕「あ〜、そういえばそんな事が……」 紺ちゃんは謝られている僕の方が罪悪感を感じそうなくらい、何度も何度も頭を下げる。 紺「夜、お手洗いに行って、部屋に戻ろうとしたんだけど、その……まだこの家の中の事が良く分かっていないから怖くって……」 僕と紺ちゃんの部屋は二階にあるが、僕の部屋はトイレに近い位置にあり、 紺ちゃんの部屋は奥の方にあるので、周りに外灯なんかがまるでないこの田舎だと 夜中は正に真っ暗闇なのかもしれない。 そりゃ、多分僕でも怖いと思う。 紺「だから、ごめんなさいっ!」 僕「いいよ、気にしていないから。それにどっちかって言うと嬉しいし」 紺「えっ、嬉しい?」 僕「僕たち、今日までちゃんとこうやって話す事出来なかったからね。   話すきっかけが出来ただけでも嬉しいな、僕は」 紺「…………………………」 紺ちゃんはどう反応したらいいのか分からないのか、 両手を合わせて指先をもじもじとさせている。 僕「なんだったら最初から一緒に寝る?」 紺「そ、それはちょっと……」 僕「ははは、冗談、冗談。   でもこれから一緒に住むんだし、そんな事くらいじゃ怒ったりしないから安心して」 紺「ありがとう……ございます」 僕「一緒に住むんだからさ、敬語もやめよう。もっとこう友達みたいな感じで話してくれると嬉しいな」 紺「……頑張ります」 僕「うん、じゃあこの話はこれでお終い。はい、昨日の事は忘れました」 紺「はい……じゃなくて、うん。ありがとう……お兄ちゃん。お休みなさいっ!」 たったった! と驚いた猫のように紺ちゃんは自分の部屋へと戻ってしまった。 僕「お兄ちゃん……か」 学校で頼子や他の子供達にも呼ばれたはしたが、 紺ちゃんにそう呼ばれると少しむず痒いが、 どことなく暖かな気持ちに包まれながら、僕は布団に入って目蓋を閉じた。 都会から田舎に引っ越してきてから十日間。 ひょんな事から引き受ける事になった学校給食を作る仕事と、新しい家族。 そしていくつもの新しい出会いとが、僕の新しい生活に彩りを添える。 時は春、冬を越えて蕾が芽を開き、花を咲かせるこの季節。 僕は決して咲かせてはいけない蕾をこの胸に守り続けるよう、永久に誓った……