鳥居龍蔵 とりい りゅうぞう
1870-1953(明治3.4.4-昭和28.1.14)
人類学者・考古学者。徳島の人。東大助教授・上智大教授などを歴任。中国・シベリア・サハリンから南アメリカでも調査を行い、人類・考古・民族学の研究を進めた。晩年は燕京大学教授として遼文化を研究。著「有史以前の日本」「考古学上より見たる遼之文化」


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。

◇表紙の鈴は、朝鮮咸鏡かんきょう南道・咸興かんこうの巫人の持てるものであって、先端に鈴は群をなし、そのかたわらに小さな鏡が結びつけられ、柄の下端には五色の長い絹の垂れがさがっている。彼女が神前で祈り舞うとき、これを手に持って打ち鳴らすのである。(本文より)



もくじ 
日本周囲民族の原始宗教
神話・宗教の人種学的研究(八)鳥居龍蔵


※ 製作環境
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 ・ソーラーパネル GOAL ZERO NOMAD 7
  (ガイド10プラス)
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*凡例〔現代表記版〕
  • ( ):小書き。 〈 〉:割り注。
  • 〔 〕:底本の編集者もしくは、しだによる注。
  • 一、漢字、かなづかい、漢字の送り、読みは現代表記に改めました。
  •    例、云う  → いう / 言う
  •      処   → ところ / 所
  •      有つ  → 持つ
  •      這入る → 入る
  •      円い  → 丸い
  •      室《へや》 → 部屋
  •      大いさ → 大きさ
  •      たれ  → だれ
  •      週期  → 周期
  • 一、同音異義の一部のひらがなを、便宜、漢字に改めました。
  •    例、いった → 行った / 言った
  •      きいた → 聞いた / 効いた
  • 一、英語読みのカタカナ語は一部、一般的な読みに改めました。
  •    例、ホーマー  → ホメロス
  •      プトレミー → プトレマイオス
  •      ケプレル  → ケプラー
  • 一、若干の句読点を改めました。適宜、ルビや中黒や感嘆・疑問符・かぎ括弧をおぎないました。一部、改行と行頭の字下げを改めました。
  • 一、漢数字の表記を一部、改めました。
  •    例、七百二戸   → 七〇二戸
  •      二萬六千十一 → 二万六〇一一
  • 一、ひらがなに傍点は、一部カタカナに改めました。
  • 一、カタカナ漢字混用文は、ひらがな漢字混用文に改め、濁点・半濁点をおぎないました。
  • 一、和暦にはカッコ書きで西暦をおぎないました。年次のみのばあいは単純な置き換えにとどめ、月日のわかるばあいには陰暦・陽暦の補正をおこないました。
  • 一、和歌・俳句・短歌は、音節ごとに半角スペースで句切りました。
  • 一、表や図版キャプションなどの組版は、便宜、改めました。
  • 一、書名・雑誌名・映画などの作品名は『 』、論文・記事名および会話文・強調文は「 」で示しました。
  • 一、「今から○○年前」のような経過年数の表記や、時価金額の表記、郡域・国域など地域の帰属、法人・企業など組織の名称は、底本当時のままにしました。
  • 一、差別的表現・好ましくない表現はそのままとしました。

*尺貫・度量衡の一覧
  • [長さ]
  • 寸 すん  一寸=約三センチメートル。
  • 尺 しゃく 一尺=約三〇センチメートル。
  • 丈 じょう (1) 一丈=約三メートル。尺の10倍。(2) 周尺で、約一.七メートル。成人男子の身長。
  • 丈六 じょうろく 一丈六尺=四.八五メートル。
  • 歩 ぶ   左右の足を一度ずつ前に出した長さ。六尺。
  • 間 けん  一間=約一.八メートル。六尺。
  • 町 ちょう (「丁」とも書く) 一町=約一〇九メートル強。六〇間。
  • 里 り   一里=約四キロメートル(三六町)。昔は三〇〇歩、今の六町。
  • -----------------------------------
  • 尺 しゃく 一尺は十寸。△周代の一尺は、大尺で22.5cm、小尺(咫、シ)で18cm。のち、日本では約30.3cm。(大漢和)
  • 里 り 区画した田畑の一辺の長さを基準とする。周代、一里は三百歩で、約405m。秦・漢の一里もほぼ同じ。その後長くなり約650m。△現代中国では、一里は約500m。(大漢和)
  • -----------------------------------
  • 尋 ひろ (1) (「広(ひろ)」の意) 両手を左右にひろげた時の両手先の間の距離。(2) 縄・水深などをはかる長さの単位。一尋は五尺(一.五メートル)または六尺(一.八メートル)で、漁業・釣りでは一.五メートルとしている。
  • 海里・浬 かいり 一海里=一八五二メートル。
  • [面積]
  • 坪 つぼ  一坪=約三.三平方メートル。歩(ぶ)。六尺四方。
  • 歩 ぶ   一歩は普通、曲尺六尺平方で、一坪に同じ。
  • 畝 せ 段・反の10分の1。一畝は三〇歩で、約0.992アール。
  • 反 たん 一段(反)は三〇〇歩(坪)で、約991.7平方メートル。太閤検地以前は三六〇歩。
  • 町 ちょう 一町=一〇段(約一〇〇アール=一ヘクタール)。令制では3600歩、太閤検地以後は3000歩。
  • 町歩 ちょうぶ 田畑や山林の面積を計算するのに町(ちよう)を単位としていう語。一町=一町歩=約一ヘクタール。
  • 方里 ほうり 縦横一里の面積。平方里。
  • [体積]
  • 合 ごう  一合=約一八〇立方センチメートル。
  • 升 しょう 一升=約一.八リットル。
  • 斗 と   一斗=約一八リットル。
  • [重量]
  • 厘 りん  一厘=37.5ミリグラム。貫の10万分の1。1/100匁。
  • 匁 もんめ 一匁=3.75グラム。貫の1000分の1。
  • 銭 せん  古代から近世まで、貫の1000分の1。文(もん)。
  • 貫 かん  一貫=3.75キログラム。
  • [貨幣]
  • 厘 りん 円の1000分の1。銭の10分の1。
  • 銭 せん 円の100分の1。
  • 文 もん 一文=金貨1/4000両、銀貨0.015匁。元禄一三年(1700)のレート。1/1000貫(貫文)(Wikipedia)
  • 一文銭 いちもんせん 1個1文の価の穴明銭。明治時代、10枚を1銭とした。
  • [ヤード‐ポンド法]
  • インチ  inch 一フィートの12分の1。一インチ=2.54cm。
  • フィート feet 一フィート=12インチ=30.48cm。
  • マイル  mile 一マイル=約1.6km。
  • 平方フィート=929.03cm2
  • 平方インチ=6.4516cm2
  • 平方マイル=2.5900km2 =2.6km2
  • 平方メートル=約1,550.38平方インチ。
  • 平方メートル=約10.764平方フィート。
  • 容積トン=100立方フィート=2.832m3
  • 立方尺=0.02782m3=0.98立方フィート(歴史手帳)
  • [温度]
  • 華氏 かし 水の氷点を32度、沸点を212度とする。
  • カ氏温度F=(9/5)セ氏温度C+32
  • 0 = 32
  • 100 = 212
  • 0 = -17.78
  • 100 = 37.78


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『歴史手帳』(吉川弘文館)『理科年表』(丸善、2012)。


*底本

底本:『日本周圍民族の原始宗教』岡書院
   1924(大正13)年9月20日発行
   1924(大正13)年12月1日3版発行
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1214.html

NDC 分類:163(宗教/原始宗教.宗教民族学)
http://yozora.kazumi386.org/1/6/ndc163.html





日本周囲民族の原始宗教
神話・宗教の人種学的研究(八)

鳥居龍蔵

 吾人ごじん祖先の石器時代と国津神くにつかみ


吾人祖先の先駆者はいつごろからこの国にまっておったか、このことについて、最新の人類学・考古学上の研究をここに表示しよう。わが祖先はすなわち、先史時代(prehistoric)からすでにこの日本に生活していたのである。

 日本の内地に石器・土器を残したいわゆる石器時代の民族は、一般にアイヌであると信じている。またアイヌという説に反対するところの、たとえば故坪井博士〔坪井正五郎か〕のごとき人でも、この石器・土器を残した民族を、吾人の祖先とは見ておられない。いずれにしても、われわれの祖先のこの日本に渡来しない前に一種の民族がいて、これが石器時代の状態で長くまっておった。その後に、われわれの祖先がいつごろかこの日本に渡来した。このときに渡来した日本人は鏡を作り、剣を作り、鋤鍬すきくわを作り、いろいろの鍛冶かじに長じていた。またはたを織り、五穀を作り、田畑などをも耕しており、ある意味の文化は比較的進んでおったのであった。このときのわれわれの祖先は、すでに石器を作っている石器時代の境遇でなく、あきらかに鉄器時代でしかも農業時代であり、風俗習慣すべて農業の色彩をおびておった。されば、われわれの最古の祖先はこの日本においてこの時代に渡来して、彼の石器時代のごとき時期はどこにか経過したものであると考えておったのである。そうすると今日、日本内地に石器・土器を残している民族は日本人以前の民族であって、すなわち有史以前の民族というものは日本人でないのである。余は種々なる証拠によりて、この日本人以前の有史以前の民族はアイヌであろうと考えている。しかるに、ここにこの問題がよほど変化してきたのである。それは、日本人の石器を使っておったことが証明されたからである。日本人が石器を使っておったらしいということは、余はすでに『理科大学紀要』において、「南満州有史以前民族」という論文の中に書いている。つづいて余は大正六年(一九一七)夏、畿内、ことに大和の有史以前の調査を試みんと欲し、同地方におもむいて各地の遺跡・遺物を調査した結果、その大体を大阪の浜寺はまでらの講演において、閑却かんきゃくされたる大和国」と題して一場いちじょうの講話をした。その大意は、従来日本に存在する石器は、日本人以前の民族が残したものであるといわれておったのに反対して、日本人もやはり石器時代の当時から、すでにこの日本に渡来しているというのであって、この証明として大和の諸地方の事実を列挙した。この講話はじつにつまらないものであったけれども、これが導火線となって、日本の有史以前の研究において一大変動をおこす基礎を作り、少なくともこの講演は、日本有史以前の研究に一エポックをかくしたものと自分は考える。この発表の結果、わが国の学界に一大変動をあたえるに至ったのは、一学究としてひそかにほこりを禁ずるあたわざるものである。
 この大和の事実は、単に大和のみならず、日本全国いたるところに存在する事実である。その巨細の証拠をここに列挙することはやめ、ただその結論のみをいうことにするが、今日われわれ祖先の石器時代の遺跡は、アイヌの遺跡とともに存在しているのであって、この意味においてわれわれの祖先が日本に渡来したのは、決して原史時代によってはじめられたのでなく、有史以前の当時、しかも石器を使用した石器時代の当時から渡来しているものと考えなければならなくなったのである。

   一、アイヌおよびわが祖先の石器時代
     遺跡の地理的分布


 今日、アイヌの石器時代と日本人の石器時代とは、どういうふうの地理学的分布を取っているかというと、まず大体をいえば、アイヌの遺跡は北海道、それから奥羽からかけて関東地方におよび、一方、太平洋方面は美濃に至って切れ、他方、日本海方面は越前に至ってまず切れており、わずかに丹後国に一、二点、土器の破片を存在するくらいにすぎない。しかしてその以西、尾張・近江・伊勢・志摩・畿内地方・摂津・淡路・播磨・伯耆ほうき・出雲などからかけて、周防すおう長門ながとそれから四国全体などは、ほとんどみな日本人祖先の石器時代の遺跡のみである。ただその間において万緑ばんりょく叢中そうちゅう紅一点とでもいうように、わずかに紀州の鳴神なるかみの貝塚、大和の桜川吉野付近などおよび河内の国府こう、京都大学付近の寺田村などにアイヌの遺跡を見るのみである。しかもその内には、もっともアイヌの遺跡として鮮明なる色彩を持っているものあれば、あるいは最古日本人の土器ともつかずアイヌの土器ともつかぬ、ほとんど雑合体のものもある。そうするとまずアイヌのものとして見ることのできるものは、とにかくこれらの地方である。
 つぎに、飛んで備前・備中においてアイヌの貝塚その他の遺跡が存在している。なお、飛んで阿波の徳島付近・土佐などにある。これによって見ると、日本海方面は越前以北、太平洋方面は美濃以東、この間に線を引いた以北だけにアイヌの遺物・遺跡が濃厚に存在しておって、畿内・中国地方のきわめて僅少きんしょうな部分を除くほか、日本海方面は出雲・長門より越前までの間に、ほとんどアイヌの石器時代の遺跡は存在しないのである。四国のごときもわずかに土佐において、その伊予に近き地方の一貝塚から、縄文土器の小破片数点を得たのと、いま述べた阿波の徳島付近に遺跡があるのみで、そのほかはみなわれわれ祖先の石器時代の遺跡である。九州はどうかというと、筑前・筑後にはアイヌ派の石器時代のものなく、熊本・鹿児島・宮崎、大分地方にアイヌ派のものが認められるだけである。それからよほど混雑して、飛んで沖縄においてアイヌ派が存在している。なおこれらのアイヌ派石器時代の存在している土地において、絶対に日本人の石器時代のものがないかというとそうではなくて、やはり存在しているのである。

   二、考古学、文献上に現われたる
     国津神および天孫派の移住状態


 とにかく以上によって見ると、日本人の石器時代の遺跡は、その分布よほど広く、ことに美濃から越前にかけて線を引いた西の面、すなわち畿内・中国・四国地方にアイヌ派の遺跡のきわめてとぼしく、まったくない地方すらあるということは、どういうわけか。よほど注意を要することと思う。けれども今日事実の示すところによると、われわれ祖先はあきらかに石器時代の当時から、この日本の土地に入ってきたものと認めねばならぬのである。しからば、これらの日本人の石器時代と称するものはいかなる遺跡を存在しているかというと、すなわち彼の弥生式土器を残したところのものである。これと共に石斧・石庖丁いしぼうちょう石剣せっけんなども存在しているのである。ただし、その土器または石器の形状においては、アイヌの石器時代のものとはまったく相違しているのである。もっとも、わが国の有史以前の遺跡で一番古いものはどちらであるかというと、無論アイヌのものであると思う。けれどもアイヌの石器を使っている中期もしくは後期の当時に、われわれ祖先の先駆者はすでにこの日本に移住して、少なくともアイヌと接触しておったものと思われる。すなわち有史以前の当時において、この出来事があったものであろうと思う。その証拠には、出雲付近からかけて越前までの間は、ほとんど日本人の石器時代の遺跡のみ存して、一方、美濃・越前以北にはアイヌの遺跡もっとも広く分布し、しかして九州は、筑前・筑後を除いた各地方にアイヌの遺跡が存在しているのである。すなわち、アイヌが広く日本に分布しているところへ、日本人がその中間に食いこんで移住したように思われるのである。これは一つの事実であって、有史以前の研究については大切な事実と認めねばならぬのである。
 しからば、この美濃以北の地方および筑前・筑後を除いた九州の諸地方には、日本人の石器時代の遺跡が存在しないかというと、やはりそれが相応に存在しているのである。そうしてみると、当時この二つの線以外にもなお、われわれの祖先が東西に食い込んでおったことを承知しなければならぬ。余はこれらの考古学上の新事実から考えると、有史以前の日本人は石器を使っている時代から、先住民を駆逐くちくしつつしだいに食い込んで、しかしてあちこちに広く移住地を形成しておったものと認めなければならぬ。この荒削あらけずりをしたのちに、第二、第三に入ってきたところの吾人の祖先によって、やがてこれがだんだん統一せられたものと見ないと、考古学上の解釈がよほどつきがたいのである。これらの事実は、古代史その他のことを研究する人においてよほど注意を願いたいと思うのである。
 かくのごとき事実が今日、先史考古学上の研究の結果によって知られてきたが、さてしからば日本の歴史において、この消息が現われているかどうか。これは大いに研究すべき点であろうと思う。日本の上古史・神話・伝説などによって見ても、彼の高天原たかまがはらすらもすでに農業をいとなみ、工業をおこない、五穀を収穫し、鏡を、剣をきたえ、農具などをも作り、相当の文化を持っている。また天孫降臨の条を見ても、出雲の神々または天孫の神々の風俗習慣を見ても、すでに金属器時代相当の文化を持っているのである。そうして見ると、いかに日本の語り部が古いことを語り伝えているといっても、われわれの祖先が石器を使って狩猟や漁業をやったところの、いわゆる有史以前当時の口碑こうひ・伝説をさらに伝えていないのである。これはどういうわけか。これらはよほど歴史家においても、またその他の学者においても考えねばならぬことである。もちろん、語り部の語り伝えている口碑・伝説は尊重しなければならぬ。けれども今日、先史考古学上の事実もまた打ち切ることはできない。これはどういうふうに解釈するか。もしも文化の程度からいえば、神代かみよ時代のものよりも日本に残れる石器時代の遺跡の神が古い風俗習慣を持っている。これらもよほど考えねばならぬことである。
 日本の神話・伝説をよく味わってみると、その中に国つ神ということがたいへん書いている。たとえば彼の素盞嗚命すさのおのみことが出雲の簸川ひのかわ上に行ったときに、手名椎てなずち足名椎あしなずちというくにかみがおり、それから天孫降臨のときにも、すでに日向に大山祇おおやまつみ命という国神がおって、そのむすめ木之花咲耶姫このはなのさくやびめめとられたくらいである。なお、海には綿津見わたつみの神々がおられた。こういうふうに国神があちこちに土着せられて、天孫降臨、神武天皇の東征以前、すでに古くからおられたのである。また、神武天皇の大和に行かれた際にも、大和には大三輪おおみわ大神おおみわ神社〕を中心として、出雲派の神々がおられたくらいである。そうするとこの国の神はどういうものであるかというと、余はこれを土着人と解したい。すなわち、天孫降臨または出雲派の神々よりも先に、同族が日本に移住しておった状態である。この先移住者がすなわち国つ神であって、海にいれば綿津見わたつみ神・海部あまべとなり、山にいれば大山祇神おおやまつみのかみ山神やまがみとなっているのである。今日、済州島チェジュドにいる土民が、海に住むものを海住みといい、山に住むものを山住みといっているのと同じことである。そういうふうにわれわれの祖先が有史以前より、山にも海岸にも住んでおったことがわかるのである。
 この国つ神の研究にいたっては、これまで徳川時代の学者もいっこうやっていない。今日の新しい学者もこれについて言ったことがない。けれども余は、民族史上においてこの国つ神を閑却かんきゃくすることはできない。余は、国つ神なるものは日本において石器を使っておったところの人間のあるものかもしれぬと思うのである。かくのごとく解すれば、すこしも不都合はないのである。彼の語り部の人々は、国つ神がいつごろから入ってきているということをいわない。けれども、天孫派や出雲派の神々よりも先に来ているという暗示をあたえているのである。そうすると国つ神なるものは、天孫降臨あるいは神武天皇の東征、および出雲派の神々などよりもずっと古い時分はもちろん、石器を使うころからあそこにポツリ、ここにポツリと植民して土着したものであろう。すなわち島嶼式イロポプラション移住で、各所に小団体が点々散在して土着をはじめ、その子孫がだんだん繁殖していくうちに、その後も同族がしだいしだいに移住してきて、最後に天孫降臨、引き続いて大化の新政でまったくこれを統一したのが日本民族であるように思われる。これらの民族はたいがい同じ民族であって、さのみ違ったものは思われない。こういうふうにわたしは解釈したいのである。
 そうしてみると、日本の土地にアイヌを征服したというようなことは、決してわれわれの朝廷が大和に定まった後に征服したのでなくして、その前から国つ神が始終アイヌと接触しておって、ときどき葛藤かっとうをおこしてはこれを征服し、荒削あらけずりをしておったものと思われる。たとえば日本武尊やまとたけるのみこと東夷あずまえびすを征伐なされたということは事実であるとしても、これまではみことの通路は蝦夷人のいるところを経過したように人々は見ておったけれども、余はそう思わない。もし日本武尊の東征が事実であるとすれば、そのときすでにわれわれの祖先が東国地方に古くから移住しておって、各所にいわゆる荒削りをしておった間を、吾妻あずまの国からかけて信州あたりから美濃のほうに出られたものと思われる。今日の事実に徴しても、関東はいうまでもなく、信州からかけて甲州などにもやはりわれわれ祖先の石器時代の遺跡が残っているから、よほど古い時代に来ておったものと見なければならぬのである。こういうふうに解釈してみると、国つ神の研究として歴史上まだ研究する余地もあろうし、さらに人類学・人種学・先史考古学の上からいえば、われわれ祖先の有史以前の遺跡の研究ということは、まだたくさん研究の余地があり、しかもその研究の結果おもしろい事実をもたらしてくることであろうと思う。
 われわれの祖先のいわゆる弥生式土器を残したところの遺跡は、単に関東とかあるいは越の国というにとどまらずして、彼の出羽・奥州のてまでもこの遺跡が存在しているのである。これはどういうふうに解釈するか、これがまた歴史上むつかしい問題になってくる。古い歴史家の頭ならばそれまでだが、今日、新しき研究が認められる時代において、出羽・奥州のてにわれわれ祖先の遺跡が残っているということは、解釈が非常に困難になってくる。これはどういうふうに解釈するか。けれどもこの奥羽に残っている遺物は、関東あるいは越の国あたりのものといっこう変わらない。あるところでは竪穴たてあなから出、あるところでは単独に存在し、あるところでは奥羽式土器とも混在している。これはどういうふうに解釈するか。われわれの祖先は蝦夷えみし征伐について、幾多の困難と時日をついやしている。これはわれわれの祖先の東北拓殖の歴史に、もっとも著しく苦心の跡を物語っているのであるが、この歴史と遺跡・遺物の事実が矛盾してくるようになっているのである。もしもわれわれの祖先が古くから奥羽に入っているならば、なんの必要あって困難なる蝦夷征伐をするか。これは、歴史と考古学上の事実が矛盾することになる。けれどもこの例は九州においても、また畿内においても存在しているのと同じ事実と認められる。そういうことから考えてみると、われわれの祖先はだいたいにおいて荒削りをなし、越の国や関東以北において、古くアイヌとあるいは衝突しあるいは雑合し、一種の華夷かい雑居地をなしておったのであろう。しかるに第二の日本人、しかも大和に朝廷を定められたわれわれ祖先の一隊が、統一のためにふたたび、まつらわぬものを征服されたのであろう。そういうふうに見なければ説明がつかぬのである。
 このことに向かって注意しなければならぬのは、出羽・奥州においてもアイヌ石器時代とわれわれ祖先の石器時代とが存在していることである。この事実は従来、人が言わないけれども、余はいろいろの証拠によってこれを認める。しかるにここにおもしろいことには、われわれの祖先が出羽を征服するときにあたって、『続日本後紀』仁明天皇承和六年(八三九)冬十月の条にどういうことを言っているかというと、

「出羽国言、去八月二十九日、管田川郡たがわのこおり司解、此郡西浜達府之程五十余里、本自無石、雨従月三日霖雨りんう止、雷電闘声。経十余日乃見晴天、時向海畔、自然隕石、其数不少、或似やじり、似ほこさき、或白或黒、或青赤、凡厥状体鋭皆向西、茎則向東、詢于古老曽見……」

と記し、大いに驚き、仏神に法を修しぬさたてまつっている。それから『三代実録』陽成天皇元慶八年(八八四)秋九月の条に、やはり秋田城雷雨晦冥かいめい飽海郡あくみのこおり海浜に石鏃いしやじり二十三枚をらしている。なお、同書光孝天皇仁和二年(八八六)夏四月の条に、出羽の飽海郡諸神社のあたりに石鏃をらし、陰陽寮おんみょうりょうなどに占わしめている。当時、蝦夷征伐の際にすでに石鏃のごときは深く土中にもれて、大雨のときに洗い出されたわけである。これは無論、地上にあったのでなく、土中に埋もっていたのであるから、相当の時代を経ていることがわかる。また当時の古老などに聞いても、少しもこれが何のものであるということを知らない。当時の古老というのは、まず日本では平安朝の初めであるから古いことを知っているものもあろうし、また蝦夷人の古老もあろうし、また日本に帰化した蝦夷人もあるわけである。しかるにこれらの人が少しも知らないところを見ると、非常に古い時代のものであるということが考えられる。この事実の、出羽・奥州に残っているアイヌの遺物の古いことを示しているとともに、また同地に残っている吾人祖先の遺物も、よほど古い時代のものであることがわかる。しかもそれが土中に包含ほうがんされている状態である。もしも当時の日本人にしてこのことを知っているならば、言うべきはずである。言わないのを見ると、よほど古い時分にわれわれの祖先が、しかも石器を使った当時において入り込んでおったことを認めなければならぬのである。
 こういうようなことから考えてみると、彼の蝦夷征伐のときにおいて、いわゆる東夷なるものの中には、われわれ祖先で最初の先駆をなした人間もあるわけである。これは古くは一緒におって、のちにアイヌに同化されたものであるか、その点はわからないが、とにかくそういうものがあったと考えなければならぬ。彼の東国東夷あずまえびすの事情を語る言葉の中に、東夷のうち蝦夷もっとも強しという言葉があるが、当時の東夷という言葉は広い意味で、蝦夷はその一部分であったかもしれぬ。また、われわれの祖先の中にもその中に入れねばならぬ事情になったものがあったかもしれぬ。また日本武尊の東国巡視のときに、あらぶる神に出会うたとか、あるいはどこの神に出会うたというようなことを書いているが、これらもやはり国つ神のまつろわぬもので、しかして蝦夷とは見ることをできないもの、こういうものがいわゆる荒ぶる神、まつろわぬものというようなふうに解釈しなければならぬかもしれぬ。こういうことから考えてみると、関東からかけて越の国以北の出羽・奥州の蛮夷の研究に向かっては、よほど注意してかからないと、複雑な状態になってくるように思う。

   三、わが祖先と沿海州方面との接触関係


 いったい、これらの日本有史以前の民族の残した遺物がどこか日本付近に残っているかというと、余のしばしば言うがごとく、日本におけるわれわれ祖先の石器時代の遺物は、北方の色彩を著しく持っている。しかもこれらはよほど、満州・朝鮮・沿海州方面のものと似ているのである。こういうことから考えてみると、東北ことに出羽・奥州地方にこの弥生式派の土器が存在しているといっても、これは沿海州もしくはカラフトの方面から入ってきたという説明は、少しもさしつかえないのである。これまでわれわれ祖先の日本に渡来した径路について、あるいは南方朝鮮というような方面のみに解して、沿海州方面の関係は少しもかえりみられなかったが、これはよほど注意しなければならぬ。もしも出羽・奥州などに残っている遺物が、沿海州のそれに似ているとすると、それが相互に的確な祖先関係を持っていないとしても、まず叔姪おじめい従兄弟いとこぐらいの関係があるということがいえる。今日、北海道・カラフトなどに存在する遺跡・遺物を見ると、通常アイヌのものと違ったもので、沿海州方面のものに似ているのが発見されている。そうすると出羽・奥州、北海道、カラフトまでにこの関係がつながっている。カラフトと一衣帯いちいたいすいをへだてた沿海州が、ここにおいて考古学上、わが日本と連絡あることをほぼ察することができよう。いわんや、われわれ祖先の石器時代の遺物が北方の色彩に富んでいるにおいてをや。これはよほど今後の研究において、学者があらかじめ注意しなければならぬことである。
 北方の粛慎しゅくしん人が日本に来たことについては、彼の欽明天皇の五年(五四四か)十二月に、佐渡の御名部みなべの碕岸に粛慎人の来た話もあるし、また渡島わたりしまの蝦夷がたいへん粛慎人に悩まされて、越の政所に注進してきたために、阿倍あべの比羅夫が当時、粛慎人と戦ったこともある(北海道石狩川河口)。それから、元正げんしょう天皇の養老四年(七二〇)、渡島の津軽のつかさが、靺鞨まっかつの風俗習憤を見に行ったこともある。また畿内に粛慎の酋長をまねいたこともある。こういうようなことから考えると、北海道方面においてたいへん粛慎人の来ておったこともわかるし、今日、また手宮てみやの彫刻文字のこと、および石狩川流域に散在するクルガン式の古い墓の多いことも偶然でないと思う。これらを見ても北方の色彩が日本に影響したことは、歴史時代においても考えられるのである。これは、昔にさかのぼればさかのぼるほどなおこの色彩が濃厚になってくる。要するに、北方民族とアイヌとの衝突史が描かれることになってくるので、その北方民族たる粛慎人は今日のツングースの種族であり、沿海州・朝鮮・満州などと関係を持っているのである。われわれ日本人の石器時代も、このあたりの地方と非常に連絡を持っているのであるから、この北方々面を研究すると、よほど色彩が明らかになってくるように思う。これについての種々の具体的証拠の列挙は他日にゆずり、本編はこれにて結ぶこととする。

 吾人祖先、有史以前の男根尊拝


有史以前の吾人祖先はいかなる宗教を持っておったか、これはもとより今日に口碑も伝説も残っておらぬが、そのだいたいは原始的シャーマンの分子を多量に含んでおったに相違あるまいということはすでに数章にわたってにおわしておいたのであるが、ただし、これにともなってなお種々の信仰が組み入れられておったであろう。ここにその一例として、原始的男根尊拝のあった事実を暗示してみよう。

 日本人にファリック・ウォーシップ〔phallic worship、男根崇拝〕のあることは『古語こご拾遺しゅうい』やその他の文献より、なお現今の民間の土俗・遺風などの上から、充分これを証明することができる。
 しかるにここに問題とするは、この男根尊拝の風習はこれを弥生式派――固有日本人の遺跡の上において証明することができるであろうか。すなわち吾人の祖先、有史以前の石器時代の遺物中にこの事実を求むることができるであろうか。もしも、この有史以前の遺物の上にこれを示すことができるとせば、これはやがて吾人、男根尊拝の風は古く有史以前の当時にさかのぼり得ることとなるのである。
 この問題に対してきわめておもしろいのは、彼の和泉国浜寺付近八池にある貝塚である。この貝塚は固有日本人の石器時代の遺跡であって、ここから石器・弥生式土器が多数に出る。この貝塚は、畿内における固有日本人の貝塚として唯一のものである。

 この貝塚から左図の土器を発見した。長さは三寸一分〔九.三センチメートル〕で、先端はすこしくとがり、その他は丸身まるみをおび、その丸身の直径は約一寸〔約三センチメートル〕、焼き方は素焼きで赤褐色を呈し、一般の弥生式土器である。これまで弥生式土器というと、おおむね高坏たかつき・皿・壷・かめなどの器具が主で、その他の形状のものはきわめてまれであった。しかるに今、こんな形状の土器が同貝塚から出たというのは、これまでの類例から推してすこぶる珍しいものといわねばならぬ。
 いったいこの土器は何の形であるか。先端がとがり、その上に溝があるなどという点から考えると、これは男根だんこんの形を示したものである。下部は破損しているから、この部分があればいっそうその形を確かめることができるであろうが、とにかく、その形状からして男根であることはたいがい推察ができるのである。
 弥生式土器の中に、男根の形状したそれが発見せられたという事実はこれが最初であって、また、もっとも注意を要するきわめて興味ある事実といわねばならぬ。
 この男根はそもそも当時、何に使用したものであるか。これを子どもの玩具として使用したものであろうか。しかし、そんな類例はむしろ珍しいことであるから、これはやはり信仰などの対照物としたものであろう。余はこの事実から当時、彼らの間に男根尊拝のすでにおこなわれておったものと思うのである。もしも、かく有史以前の吾人祖先にこの信仰があって、その尊拝として男根を作っておったとせば、のちの時代や、現今にもなおこの風習のあるのは、その由来やすでに古いといわねばならぬ。要するにこの材料は、ファルス〔phallus、男根〕研究史上、大切なものといってよい。
 アイヌの石器時代に男根尊拝のあったことは、いまさらいうまでもないが、また、これとともに吾人祖先の石器時代にもその風習のあったことが認められるのである。すなわち、吾人祖先の男根尊拝の風は歴史時代に他から感染したものでなく、すでに有史以前の石器時代から存在した信仰といってよい。はたしてそうであるとすると、今後はこれら両者の比較研究をしてかからねばならぬ。
 大野おおの延太郎のぶたろう氏は『東京人類学雑誌』第一二三号で「常陸国霞ヶ浦沿岸旅行談」中に、左の二個の石棒の図を入れ、つぎのように言っておられる。


さて、この男根形のものを作りて崇拝するという風習は、わが祖先のはじめたるものなりや、はた、石器時代人民の遺風を伝えたるものなりやは、大いに考うべきものなり。現に石神いしがみ同形のものは石器時代遺物とともに土中より発見さるることあるなり。陸平おかだいら貝塚より発見せしが如き小石神(イ)長さ三寸〔九センチメートル〕弱の類品は、武蔵国荘原郡荏原郡ばらぐんか〕下目黒村不動堂裏より出でたり。(ロ)長さ四寸一分〔一二.三センチメートル〕、これらを熟視するに、その形状、今回旅行せし地方にて現におこなわるる石神と大差なし。石器時代人民もあるいは同様の風を有せしにはあらざるか、大いに研究すべきことなり。

 大野氏は、吾人祖先の男根尊拝はアイヌの石器時代民衆より受けたる風習であるか、はた、吾人祖先のあいだに単独に、心理的にこれがおのずから発達せしものであるかについて大いに疑っておらるるようであるが、余はなお重ねていうが、以上のごとくすでに和泉いずみの吾人祖先の有史以前――石器時代遺物中に、この男根が存在する理由や、和泉から出た固有日本人の土製男根が大野氏の図示ずしせられた石製のそれとよく似ていることなどから考えると、どうも当代のアイヌと吾人祖先とのあいだに偶然同一の風習がおこなわれておったように思われる。固有日本人の石棒としては、なお山城のミカノ原や備前の阿爾神社境内からも出ている。その吾人祖先の男根の存在は、きわめて古いものである。すなわち『古語拾遺』を去ることすこぶる遠い昔である。

 固有日本人の、石器時代民衆と深い関係の存在すると思わるる東北方アジア大陸の遺物にも男根型のものがある。まず、エニセイ河畔かはんの石器時代の遺物にこれの存在することは、すでに彼のタルグレン氏A.-A. Tallgren : Collection Tovostine des antiquit市 prehistoriques de uinoussinsk conserv仔s 〔一字不明〕nez le Dr. Karl Hedman a Vasa. 1917の論文中にも図記ずきしている。余は後貝加爾州チタの博物館陳列品中、オノン河畔かはんの石器時代の遺物中に石製男根の存在するのを見、さらに余は東モンゴルの西翁手特、英金河畔の石器時代の遺跡中でこれを一個採集した。この石器は、余の「Etude Arch姉logiques et Ethnologique. Populations de la Mon-gol'e Orientale.」中に図記しておいた。これらは、固有日本人の石器時代の男根と大いに関係のあるものと信ずる。
 以上のタルグレン氏の示された石製男根中(一)はじつによく和泉のそれと似ている。これは比較上、きわめておもしろいものである。この相方の製作品によって見ると、当時の両民衆の心理状態が同一であったのではないかと思われるのである。

 ははの国


吾人祖先は、海の彼方かなたははの国といった。この国はわが祖先のあこがれの土地、なつかしの土地であった。余はこれを左に紹介してみよう。

 わが遠い遠いむかしの祖先たちの言葉の中に、ははの国」というのがしばしばくり返えされているが、いったい妣の国という意味はどんなことで、また、これはそもそもどこをさすのであろうか。余は今ここで、これについていささか考うるところを記して、読者諸君の教示を受けたい。

   一、文献に現われたる妣の国およびその意義


 ははの国という言葉は『古事記』の中で、彼の素盞嗚尊さのおのみことの条に多く見えている。今、その主なものを少しくここにあげると、まず『記』の中では「妣国ははのくにからんとおもいてく」妣国ははのくに根之ねの堅洲国かたすくにまからんとおもうがゆえにくと申したまいき」などがある。
 『日本紀』〔日本書紀〕のほうではこの条で、妣国ははのくにという言葉が、多く「根国ねのくに」という言葉になっている。今、原文のままを記すと、

「固当遠適之於根国矣」「故令下治根国「故汝可以馭極遠之根国「吾欲従母於根国只為泣耳」「素盞嗚尊遂於根国矣」

などが見える。そうすると、妣国はまた根国ともいったのであろう。
 「妣国」はその言葉のごとく「母の国」で、すなわち故国、本国、母の国、祖先の地のことで、今日の言業でいえば「母国」の意味である。これを美しい言葉でいうと、フランス語の La m屍e patrie あるいは Notre m屍e patrie という意味になろう。『記』のハハノクニを妣国の文字で示しているのは、またまことに意味の広い、すこぶる美しい、温かい、懐かしい表現といわねばならない。漢族の思想でいうと、父の国とか父母の国とか祖先の地と書くべきところを、ことさらにハハノクニといっているのは、わがとおつみおやの思想がうかがわれておもしろい。

   二、妣国の位置


 妣国ははのくにはすなわちわれわれ祖先の本国で、遠い遠いわれらの祖先たちはここに生長し、またここに死んだ。わが祖先がこれを懐かしみ、これを常に思うたのはもっともであろう。この妣国をおもうたことは、彼のみことの男泣きに泣いたのでも充分知れるではないか。
 この日本本土におって、ここを妣国といわず他をこれにあてているのを見ると、尊の立場からいうと、その故郷、墳墓の地、とおつみおやのますところ――祖先の地――である妣国は、海原うなばらの向こう岸にあるらしい。な、海原うなばら(日本海方面)にあるらしい。すなわち日本に面した大陸がここであるらしい。そうすると、この妣国に対比して日本の本土はセッツルメントまたはコロニー〔入植地〕の意味になってくる。言葉をもうすこし進めていうと、われらの遠い遠いみおやたちは大陸から移ってきたもので、この本土は移住地で、本国は向こうにあるわけである。これは妣国――ノートル・メール・パトリエはよくこれを説明しているようである。
 ははの国が日本海のあなたにあるということは、すでにみことの移動でも知れているばかりか、『記』が天津あまつ日高子たかひこ限建なぎさたけ鵜草うがや葺不合命ふきあえずのみことの御子四柱を記す条に「稲氷命いなひのみこと者、為妣国ははのくに而入座海原うなばら也」でもよくこれが証明される。この海というのは古代では多く日本海をさしたもので、これは『記』の「汝命ながみことは海原をしらせと事派ことよさたまいき」とあるのがこれである。当時では『記』『紀』をよく味わえば妣国ははのくに根国ねのくに海原うなばらとほとんど区別ができないほどである。
 なお根国ねのくには、『紀』によると「そこ根国ねのくに」とあって、また黄泉国よみのくにとも共通らしい語句も見える。そうするとこれはまた祖先の地、一名墳墓の地という意味ともなる。これはもっとも注目すべきことである。
 以上の妣国――墳墓の地で思いあたるは、日本周囲の民族でこの考えを持っている者が少なくない。今、その一つ二つの例をあげると、まず雲南省の東北部にいる(Lolo)彝族イぞくにもこれと同一なる考えがある。すなわち彼らは今日、同省にまっているが、その妣国は四川省で、ここから古く移住してきたものである。されば彼らは、その妣国は四川省のターリヤン山にありとして、ここをおもうの情はきわめて深い。ことに彼らは移住地で死んでも、肉体はここに留まるとも、その霊魂はここに留まらず、山を越え谷をわたり野を歩いて、幾多の困難をしてふたたびもとの妣国に帰る。すなわち彼らの場合では当時生活している雲南省はコロニー、セッツルメントで、そのノートル・メール・パトリエは四川省のターリヤン山にある。こんな考えはなお鮮卑せんぴ族にもあって、彼らは死するとその霊魂はもとの妣国赤山に帰っていくという『魏志』による)。これらの事実から見ると、わが祖先の妣国ははのくにそこ根国ねのくにやあるいは黄泉国よみのくに似通にかようているのは、また同一思想であるまいか。
 以上から考えてみると、吾人の祖先の妣国は、日本海のあなたの大陸にあるらしい。そして日本の本土は、移ってきた第二の故郷ではあるまいか。ことに大陸からの移住者は、最初は数人、たとえば兄弟・親子・友人らがまず来たり、この美しく温かい土地に恋着れんちゃくし、ついに妻子や一族などをさそい来たりここを開耕し、移住をしたものではあるまいか。すなわち、人種学上からいわゆる llot population を形成したものではあるまいか。かくして彼らは、有史以前の国つ神の祖先をなしたものであろう。

   三、三界さんがいの神話


 故山路やまじ愛山あいざん氏もかつて言っておられたが、日本の神話ではどうもこの国土を上中下の三界に分けていたらしい。この考えはウラル・アルタイ民族の中にあって、殊にこれのもっとも著しいのはトルコ族のヤクート(yakuts)である。
 彼らは天・地・地下の三界に分けている。また、近ごろよほどわかってきたカムチャツカにまっているコリヤーク(Koryaks)もこの考えを持っている。コリヤークは、パレオシベリア族とかパレオアジア族に入れる者で、ウラル・アルタイ族のネオシベリア族とは大いに異なっている。すなわち最上は天界で、中間は地上で、最下は地の下である。最上の天界には最高の神々たちがましまし、地上はなかくにで人間や生物が住まい、下界は悪魔の世界であって、また人間の死者の世界である。
 以上コリヤークの三界さんがいは、わが神話の国土天上の考えと同一である。すなわち最上の天は高ヶ原たかまがはらで天神のいますところ、地上は中つ国で青人草あおひとくさの住まうところ、下界は夜見よみくに黄泉国よみのくに穢悪えおのところである。なんとよく似ているではないか。もとより人種学上なんら民族としては関係がないにしても、比較参考に充分なものではないか。
 コリヤークのほうでは最上の天界にいます神々は善人で、天地創造の神々やその他の八百万やおよろずの神々がいる。この考えは日本の高ヶ原の天つ神の神々がいるのと同様である。この夜見の国には悪神カラウという巨神がいる。彼はもと天上におったが、ある罪を犯したからのミルトンの『失楽園』の悪魔のごとく天上から地下の世界に落とされたものである。しかも彼は巨人で、ついに地下の王となった。なんだかこの巨人カラウは、わが神話の素盞嗚尊とよく位置が似ているようである。
 余はこんな比較神話学上から見て、わがタカマガハラは地上でなく、また神話学上の天上のことであって、これで説明すべきもののように思うのである。もとよりここの神々の人間のごとく活動し、またその風俗習慣もその時代の人々のそれと同一なるは、これすなわち同時代の人々の色彩や香気こうきを伝えているものであって、ギリシャの神話とよく似ている。また一方、歴史的暗示をあたえているものと見られる。
 なかくにとはまた日本のそれとも似ている。妣国ははのくに海原うなばらそこねの国はたがいに連鎖があるように思われてならない。かような説明は今後、必要になってくるであろう。

日本周囲民族の原始宗教 終



底本:『日本周囲民族の原始宗教』岡書院
   1924(大正13)年9月20日発行
   1924(大正13)年12月1日3版発行
発行者:岡 茂雄
印刷:樫村 功
製本所:山縣製本所
入力:しだひろし
校正:
xxxx年xx月xx日作成
青空文庫作成ファイル:
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日本周圍民族の原始宗教(八)

神話宗教の人種學的研究
鳥居龍藏

 吾人祖先の石器時代と國津神

[#ここからリード文]
吾人祖先の先驅者はいつ頃から此の國に住まつて居つたか、此の事に就いて、最新の人類學、考古學上の研究を茲に表示しやう。吾祖先は即ち先史時代(Prehistoric)から既に此の日本に生活して居たのである。
[#リード文ここまで]

 日本の内地に石器土器を殘した所謂石器時代の民族は、一般にアイヌであると信じて居る。又アイヌといふ説に反對する所の、例へば故坪井博士の如き人でも、此の石器土器を殘した民族を、吾人の祖先とは見て居られない。何れにしても我々の祖先の此日本に渡來しない前に一種の民族が居て、これが石器時代の状態で長く住まつて居つた。其後に我々の祖先が何時頃かこの日本に渡來した。此の時に渡來した日本人は、鏡を作り劍を作り鋤鍬を作り色々の鍛冶に長じて居た。又機を織り五穀を作り田畑などをも耕して居り、或意味の文化は比較的進んで居つたのであつた。此の時の我々の祖先は、既に石器を作つて居る石器時代の境遇でなく、明かに鐵器時代で而も農業時代であり、風俗習慣總て農業の色彩を帶びて居つた。されば我々の最古の祖先はこの日本に於て此の時代に渡來して、彼の石器時代の如き時期は何處にか經過したものであると考へて居つたのである。さうすると今日日本内地に石器土器を殘して居る民族は、日本人以前の民族であつて、即ち有史以前の民族といふものは日本人でないのである。余は種々なる證據に依りて此の日本人以前の有史以前の民族はアイヌであらうと考へて居る。然るに茲に此の問題が餘程變化して來たのである。それは日本人の石器を使つて居つたことが證明されたからである。日本人が石器を使つて居つたらしいといふことは、余は既に『理科大學紀要』に於て、「南滿洲有史以前民族」といふ論文の中に書いて居る。續て余は大正六年夏、畿内殊に大和の有史以前の調査を試みんと欲し、同地方に赴いて各地の遺蹟遺物を調査した結果、其の大體を大阪の濱寺の講演に於て、「閑却されたる大和國」と題して一場の講話をした。其の大意は、從來日本に存在する石器は、日本人以前の民族が殘したものであると云はれて居つたのに反對して、日本人も矢張り石器時代の當時から、既にこの日本に渡來して居ると云ふのであつて、此の證明として大和の諸地方の事實を列擧した。此の講話は實に詰らないものであつたけれども、これが導火線となつて、日本の有史以前の研究に於て一大變動を起す基礎を作り、少くとも此の講演は、日本有史以前の研究に一エポツクを劃したものと自分は考へる。此の發表の結果、我が國の學界に一大變動を與へるに至つたのは、一學究として竊かに誇りを禁ずる能はざるものである。
 此の大和の事實は、單に大和のみならず、日本全國到る處に存在する事實である。其の巨細の證據を此に例擧[#「例擧」は底本のまま]することは止め、唯だ其の結論のみを云ふ事にするが、今日我々祖先の石器時代の遺蹟は、アイヌの遺蹟と共に存在して居るのであつて、此の意味に於て我々の祖先が日本に渡來したのは、決して原史時代によつて始められたのでなく、有史以前の當時、然も石器を使用した石器時代の當時から渡來して居るものと考へなければならなくなつたのである。

   一 アイヌ及我祖先の石器時代
       遺跡の地理的分布

 今日アイヌの石器時代と日本人の石器時代とは、どういふ風の地理學的分布を取つて居るかといふと、先づ大體を云へば、アイヌの遺蹟は北海道それから奧羽から掛けて關東地方に及び、一方太平洋方面は美濃に至つて切れ、他方日本海方面は越前に至つて先づ切れて居り、僅に丹後國に一二點土器の破片を存在する位に過ぎない。而して其の以西、尾張、近江、伊勢、志摩幾内[#「幾内」は底本のまま]地方、攝津、淡路、播摩[#「播摩」は底本のまま]、伯耆、出雲等から掛けて、周防、長門それから四國全體等は、殆んど皆日本人祖先の石器時代の遺蹟のみである。唯だ其の間に於て萬緑叢中紅一點とでもいふやうに、僅に紀州の鳴神の貝塚、大和の櫻川吉野附近等及び河内の國府、京都大學附近の寺田村等にアイヌの遺蹟を見るのみである。而も其の内には最もアイヌの遺蹟として鮮明なる色彩を有つて居るものあれば、或は最古日本人の土器ともつかずアイヌの土器ともつかぬ殆んど雜合體のものもある。さうすると先づアイヌのものとして見る事の出來るものは、兎に角此等の地方である。
 次に飛んで備前備中に於てアイヌの貝塚其の他の遺蹟が存在して居る。なほ飛んで阿波の徳島附近土佐等にある。之に依つて見ると、日本海方面は越前以北、太平洋方面は美濃以東、此の間に線を引いた以北だけにアイヌの遺物遺蹟が濃厚に存在して居つて、畿内中國地方の極めて僅少な部分を除く外、日本海方面は出雲長門より越前までの間に、殆んどアイヌの石器時代の遺蹟は存在しないのである。四國の如きも僅に土佐に於て、其の伊豫に近き地方の一貝塚から、繩紋土器の小破片數點を得たのと、今述べた阿波の徳島附近に遺蹟があるのみで、其外は皆我々祖先の石器時代の遺蹟である。九州はどうかといふと筑前筑後にはアイヌ派の石器時代のものなく、熊本、鹿兒島、宮崎、大分地方にアイヌ派のものが認められるだけである。それから餘程混雜して、飛んで沖繩に於てアイヌ派が存在して居る。猶ほ是等のアイヌ派石器時代の存在して居る土地に於て、絶對に日本人の石器時代のものが無いかといふとさうではなくて矢張存在して居るのである。

   二 考古學、文献上に現れたる
     國津神及天孫派の移住状態

 兎に角以上に依つて見ると、日本人の石器時代の遺蹟は、其の分布餘程廣く、殊に美濃から越前に掛けて線を引いた西の面、即ち畿内中國四國地方にアイヌ派の遺蹟の極めて乏しく、全く無い地方すらあるといふことは、どういふ譯か。餘程注意を要する事と思ふ。けれども今日事實の示す所に依ると、我々祖先は明かに石器時代の當時から、この日本の土地に入つて來たものと認めねばならぬのである。然らば是等の日本人の石器時代と稱するものは如何なる遺蹟を存在して居るかといふと、即ち彼の彌生式土器を殘した所のものである。これと共に石斧、石庖丁、石劍等も存在して居るのである。併し其の土器又は石器の形状に於ては、アイヌの石器時代のものとは全く相違して居るのである。尤も我が國の有史以前の遺蹟で、一番古いものは何方であるかといふと、無論アイヌのものであると思ふ。けれどもアイヌの石器を使つて居る中期若くは後期の當時に、我々祖先の先驅者は既に此の日本に移住して、少くともアイヌと接觸して居つたものと思はれる。即ち有史以前の當時に於て、此の出來事があつたものであらふと思ふ。其の證據には、出雲附近から掛けて越前までの間は、殆んど日本人の石器時代の遺蹟のみ存して、一方美濃越前以北には、アイヌの遺蹟最も廣く分布し、而して九州は、筑前筑後を除いた各地方にアイヌの遺蹟が存在して居るのである。即ちアイヌが廣く日本に分布して居る所へ、日本人が其の中間に喰ひ込んで移住したやうに思はれるのである。これは一の事實であつて、有史以前の研究に就いては大切な事實と認めねばならぬのである。
 然らば此の美濃以北の地方及び筑前筑後を除いた九州の諸地方には、日本人の石器時代の遺蹟が存在しないかといふと矢張りそれが相應に存在して居るのである。さうして見ると、當時此の二つの線以外にも、猶ほ我々の祖先が東西に喰ひ込んで居つたことを承知しなければならぬ。余は此等の考古學上の新事實から考へると、有史以前の日本人は石器を使つて居る時代から、先住民を驅逐しつゝ次第に喰ひ込んで、而して彼處此處に廣く移住地を形成して居つたものと認めなければならぬ。此の荒削りをした後に、第二第三に入つて來た所の吾人の祖先に依つて、やがてこれが段々統一せられたものと見ないと、考古學上の解釋が餘程つき難いのである。此等の事實は古代史其の他のことを研究する人に於て餘程注意を願ひたいと思ふのである。
 此の如き事實が今日先史考古學上の研究の結果に依つて知られて來たが、さて然らば日本の歴史に於て、此の消息が現はれて居るかどうか。これは大に研究すべき點であらうと思ふ。日本の上古史神話傳説等に依つて見ても、彼の高天原すらも既に農業を營み工業を行ひ、五穀を收穫し、鏡を鑄、劍を鍛へ、農具等をも作り、相當の文化を有つて居る。又天孫降臨の條を見ても、出雲の神々又は天孫の神々の風俗習慣を見ても、既に金屬器時代相當の文化を有つて居るのである。さうして見ると如何に日本の語り部[#「語り部」に傍点]が古いことを語り傳へて居るといつても、我々の祖先が石器を使つて狩獵や漁業をやつた所の、所謂有史以前當時の口碑傳説を更に傳へて居ないのである。これはどういふ譯か、是等は餘程歴史家に於ても又其の他の學者に於ても考へねばならぬことである。勿論語り部の語り傳へて居る口碑傳説は尊重しなければならぬ。けれども今日先史考古學上の事實も亦打切ることは出來ない。これはどういふ風に解釋するか。若しも文化の程度から云へば神代時代のものよりも日本に殘れる石器時代の遺跡の神が古い風俗習慣を有つて居る。此等も餘程考へねばならぬことである。
 日本の神話傳説を能く味つて見ると、其中に國つ神[#「國つ神」に黒丸傍点]、といふことが大變書いて居る。例へば彼の素盞鳴命[#「鳴」は底本のまま]が出雲の簸川上に往つた時に、手名推、足名推[#「手名推、足名推」の「推」はそれぞれ底本のまま]といふ國つ神が居り、それから天孫降臨の時にも、既に日向に大山祗命[#「祗」は底本のまま]といふ國神が居つて、其の女の木之花咲耶姫を娶られた位である。尚ほ海には綿津見の神々が居られた。斯ういふ風に國神が彼處此處に土着せられて、天孫降臨神武天皇の東征以前既に古くから居られたのである。又神武天皇の大和に行かれた際にも、大和には大三輪を中心として、出雲派の神々が居られた位である。さうすると此の國の神はどういふものであるかといふと、余は之を土着人と解したい。即ち天孫降臨又は出雲派の神々よりも先きに、同族が日本に移住して居つた状態である。此の先移住者が即ち國つ神であつて、海に居れば綿津見神海部となり。[#句点は底本のまま]山に居れば大山祗神[#「祗」は底本のまま]と山神となつて居るのである。今日濟州島に居る土民が、海に住むものを海住み[#「海住み」に傍点]といひ、山に住むものを山住み[#「山住み」に傍点]といつて居るのと同じことである。さういふ風に我々の祖先が有史以前より山にも海岸にも住んで居つたことが分るのである。
 此の國つ神の研究に至つては、之まで徳川時代の學者も一向やつて居ない。今日の新しい學者もこれに就いて言つたことが無い。けれども余は民族史上に於て此の國つ神を閑却することは出來ない。余は國つ神なるものは日本に於て石器を使つて居つた所の人間の或ものかも知れぬと思ふのである。此の如く解すれば少しも不都合は無いのである。彼の語り部の人々は、國つ神が何時頃から入つて來て居るといふことを云はない。けれども天孫派や出雲派の神々よりも先きに來て居るといふ暗示を與へて居るのである。さうすると國つ神なるものは、天孫降臨或は神武天皇の東征及び出雲派の神々などよりもずつと古い時分は勿論、石器を使ふ頃から彼處にぽつり此處にぽつりと殖民して土著したものであらう。即ち島嶼式《イロポプラシヨン》移住で、各所に小團體が點々散在して土著を始め、其の子孫が段々繁殖して行く中に、其の後も同族が次第々々に移住して來て、最後に天孫降臨、引き續いて大化の新政で全く之を統一したのが日本民族であるやうに思はれる。此等の民族は大概同じ民族であつて、左のみ違つたものは思はれない。斯ういふ風に私は解釋したいのである。
 さうして見ると、日本の土地にアイヌを征服したといふやうなことは、決して我々の朝廷が大和に定まつた後に征服したのでなくして、其の前から國つ神が始終アイヌと接觸して居つて、時々葛藤を起しては之を征服し荒削りをして居つたものと思はれる。例へば日本武尊が東夷を征伐なされたといふことは事實であるとしても、これまでは尊の通路は蝦夷人の居る所を經過したやうに人々は見て居つたけれども、余はさう思はない。若し日本武尊の東征が事實であるとすれば、其時既に我々の祖先が東國地方に古くから移住して居つて、各所に所謂荒削りをして居つた間を、吾妻の國から掛けて信州あたりから美濃の方に出られたものと思はれる。今日の事實に徴しても、關東は云ふまでもなく、信州から掛けて甲州などにも矢張り我々祖先の石器時代の遺蹟が殘つて居るから、餘程古い時代に來て居つたものと見なければならぬのである。斯ういふ風に解釋して見ると、國つ神の研究として歴史上まだ研究する餘地もあらうし、更に人類學人種學先史考古學の上から云へば、我々祖先の有史以前の遺蹟の研究といふことは、まだ澤山研究の餘地があり、而も其の研究の結果面白い事實を齎らして來ることであらうと思ふ。
 我々の祖先の所謂彌生式土器を殘した所の遺蹟は、單に關東とか或は越の國といふに止まらずして、彼の出羽奧州の果てまでも此の遺蹟が存在して居るのである。これはどういふ風に解釋するか、これが又歴史上六かしい問題になつて來る。古い歴史家の頭ならば其れまでだが、今日新しき研究が認められる時代に於て、出羽奧州の果てに我々祖先の遺蹟が殘つて居るといふことは、解釋が非常に困難になつて來る。これはどういふ風に解釋するか。けれども此の奧羽に殘つて居る遺物は、關東或は越の國あたりの物と一向變らない。或處では竪穴から出、或處では單獨に存在し、或處では奧羽式土器[#「奧羽式土器」に傍点]とも混在して居る。これはどういふ風に解釋するか。我々の祖先は蝦夷征伐に就いて、幾多の困難と時日を費して居る。これは我々の祖先の東北拓殖の歴史に、最も著しく苦心の跡を物語つて居るのであるが、此の歴史と遺蹟遺物の事實が矛盾して來る樣になつて居るのである。若しも我々の祖先が古くから奧羽に入つて居るならば、何の必要あつて困難なる蝦夷征伐をするか。これは歴史と考古學上の事實が矛盾することになる。けれども此の例は、九州に於ても又畿内に於ても存在して居るのと同じ事實と認められる。さういふことから考へて見ると、我々の祖先は大體に於て荒削りをなし、越の國や關東以北に於て、古くアイヌと或は衝突し或は雜合し、一種の華夷雜居地をなして居つたのであらう。然るに第二の日本人、而も大和に朝廷を定められた我々祖先の一隊が、統一の爲めに再びまつらはぬものを征服されたのであらう。さういふ風に見なければ説明がつかぬのである。
 此のことに向つて注意しなければならぬのは、出羽奧州に於てもアイヌ石器時代と我々祖先の石器時代とが存在して居ることである。此の事實は從來人が言はないけれども、余は色々の證據に依つて之を認める。然るに茲に面白いことには我々の祖先が出羽を征服する時に當つて、『續日本後紀』仁明天皇承和六年冬十月の條にどういふことを云つて居るかといふと、「出羽國言、去八月廿九日、管田川郡司解※[#「にんべん+爾」、第3水準1-14-45]、此郡西濱達[#レ]府之程五十餘里、本自無[#レ]石、雨從[#二]月三日[#一]霖雨無[#レ]止、雷電鬪[#レ]聲。經[#二]十餘日[#一]乃見[#二]晴天[#一]、時向[#二]海畔[#一]、自然隕[#レ]石、其數不少、或似[#レ]鏃、似[#レ]鋒、或白或黒、或青或[#「或」は罫囲み]赤、凡厥状體鋭皆向[#レ]西、茎則向[#レ]東、詢[#二]于故老[#一]所[#レ]未[#二]曾見[#一]……」と記し大に驚き佛神に法を修し幣を奉つて居る。それから『三代實録』陽成天皇元慶八年秋九月の條に、矢張り秋田城雷雨晦冥、飽海郡海濱に石鏃二十三枚を雨らして居る。猶ほ同書光孝天皇仁和二年夏四月の條に、出羽の飽海郡諸神社の辺に石鏃を雨らし、陰陽寮などに占はしめて居る。當時蝦夷征伐の際に既に石鏃の如きは深く土中に埋もれて、大雨の時に洗ひ出された譯である。これは無論地上にあつたのでなく、土中に埋もつて居たのであるから、相當の時代を經て居ることが分る。又當時の古老などに聞いても、少しもこれが何のものであるといふことを知らない。當時の古老といふのは、先づ日本では平安朝の初めであるから古いことを知つて居るものもあらうし、又蝦夷人の古老もあらうし、又日本に歸化した蝦夷人もある譯である。然るに此等の人が少しも知らない所を見ると、非常に古い時代のものであるといふことが考へられる。此の事實の出羽奧州に殘つて居るアイヌの遺物の古いことを示して居ると共に、亦同地に殘つて居る吾人祖先の遺物も、餘程古い時代のものである。[#句点は底本のまま]ことが分る。而もそれが土中に包含されて居る状態である。若しも當時の日本人にして此のことを知つて居るならば、言ふべき筈である。言はないのを見ると、餘程古い時分に我々の祖先が、而も石器を使つた當時に於て入り込んで居つたことを認めなければならぬのである。
 斯ういふやうなことから考へて見ると、彼の蝦夷征伐の時に於て、所謂東夷[#「東夷」に傍点]なるものゝ中には、我々祖先で最初の先驅をなした人間もある譯である。これは古くは一緒に居つて、後にアイヌに同化されたものであるか、其の點は分らないが、兎に角さういふものがあつたと考へなければならぬ。彼の東國東夷の事情を語る言葉の中に、東夷の中蝦夷最も強し[#「東夷の中蝦夷最も強し」に傍点]といふ言葉があるが、當時の東夷といふ言葉は廣い意味で、蝦夷は其の一部分であつたかも知れぬ。又我々の祖先の中にも其の中に入れねばならぬ事情になつたものがあつたかも知れぬ。又日本武尊の東國巡視の時に、荒ぶる神に出遇ふたとか或は何處の神に出遇ふたといふやうなことを書いて居るが、此等も矢張り國つ神のまつろはぬもので、而して蝦夷とは見ることを出來ないもの、斯ういふものが所謂荒ぶる神、まつろはぬものといふやうな風に解釋しなければならぬかも知れぬ。斯ういふことから考へて見ると、關東から掛けて越の國以北の出羽奧州の蠻夷の研究に向つては、餘程注意して掛らないと、複雜な状態になつて來るやうに思ふ。

   三 我祖先と沿海州方面との接觸關係

 一體是等の日本有史以前の民族の殘した遺物が何處か日本附近に殘つて居るかといふと、余の屡※[#二の字点]云ふが如く、日本に於ける我々祖先の石器時代の遺物は北方の色彩を著しく有つて居る。而も是等は餘程滿洲朝鮮沿海州方面のものと似て居るのである。斯ういふことから考へて見ると、東北殊に出羽奧州地方に此の彌生式派の土器が存在して居ると云つても、これは沿海州若くは樺太の方面から入つて來たといふ説明は、少しも差支ないのである。これまで我々祖先の日本に渡來した徑路に就いて、或は南方朝鮮といふやうな方面のみに解して、沿海州方面の關係は少しも顧みられなかつたが、これは餘程注意しなければならぬ。若しも出羽奧州などに殘つて居る遺物が、沿海州のそれに似て居るとすると、それが相互に的確な祖先關係を有つて居ないとしても、先づ叔姪從兄弟位の關係があるといふことが云へる。今日北海道樺太等に存在する遺蹟遺物を見ると、通常アイヌのものと違つたもので、沿海州方面の物に似て居るのが發見されて居る。さうすると出羽奧州、北海道、樺太迄に此の關係が繋つて居る。樺太と一衣帶水を隔てた沿海州が、是に於て考古學上我が日本と聯絡あることを略ぼ察することが出來よう。況んや我々祖先の石器時代の遺物が北方の色彩に富んで居るに於てをや。これは餘程今後の研究に於て、學者が豫じめ注意しなければならぬことである。
 北方の肅愼人が日本に來たことに就いては彼の欽明天皇の五年十二月に、佐渡の御名部の碕岸に肅愼人の來た話もあるし、又渡島の蝦夷が大變肅愼人に惱まされて、越の政所に注進して來た爲めに、阿部比羅夫が當時肅愼人と戰つたこともある。(北海道石狩川河口)それから元正天皇の養老四年、渡島の津輕の司が、靺鞨の風俗習憤を見に行つたこともある。又畿内に肅愼の酋長を招いた事もある。斯ういふやうなことから考へると、北海道方面に於て大變肅愼人の來て居つたことも分るし、今日又手宮の彫刻文字のこと、及び石狩川流域に散在するクルガン式の古い墓の多いことも偶然でないと思ふ。是等を見ても北方の色彩が日本に影響したことは、歴史時代に於ても考へられるのである。これは昔に溯れば溯る程猶此の色彩が濃厚になつて來る。要するに北方民族とアイヌとの衝突史が畫かれることになつて來るので、其の北方民族たる肅愼人は今日のツングースの種族であり、沿海州、朝鮮、滿洲等と關係を有つて居るのである。我々日本人の石器時代も此のあたりの地方と非常に聯絡を有つて居るのであるから、此の北方々面を研究すると、餘程色彩が明かになつて來るやうに思ふ。之れに就いての種々の具體的證據の例擧[#「例擧」は底本のまま]は他日に讓り本編は之れにて結ぶ事とする。

[#改ページ]
 吾人祖先有史以前の男根尊拜

[#ここからリード文]
有史以前の吾人祖先は如何なる宗教を有つて居つたか、這は固より今日に口碑も傳説も殘つて居らぬが、其の大體は原始的シヤーマンの分子を多量に含んで居つたに相違あるまいと云ふ事は既に數章に亘つて匂はして置いたのであるが、併し之れに伴つて尚ほ種々の信仰が組み入れられて居つたであらう。茲に其の一例として原始的男根尊拜のあつた事實を暗示して見よう。
[#リード文ここまで]

 日本人にフアリツクウオーシツプのある事は『古語拾遺』や其他の文献より、尚ほ現今の民間の土俗遺風等の上から充分之れを證明する事が出來る。
 然るに茲に問題とするは、此の男根尊拜の風習は之を彌生式派――固有日本人の遺跡の上に於て證明する事が出來るであらうか。即ち吾人の祖先有史以前の石器時代の遺物中に此の事實を求むる事が出來るであらうか。若しも此の有史以前の遺物の上に之を示す事が出來るとせば、這はやがて吾人男根尊拜の風は古く有史以前の當時に溯り得ることゝなるのである。
 此問題に對して極めて面白いのは、彼の和泉國濱寺附近八池にある貝塚である。此の貝塚は固有日本人の石器時代の遺蹟であつて此處から石器、彌生式土器が多數に出る。此の貝塚は畿内に於ける固有日本人の貝塚[#「貝塚」に白丸傍点]として唯一のものである。

[#図版(img01.png)、土製男根]

 此の貝塚から左圖の土器を發見した。長さは三寸一分で、先端は少しく尖り、其の他は圓身《まるみ》を帶び、其の圓身の直徑は約一寸、燒方は素燒で赤褐色を呈し、一般の彌生式土器である。之れまで彌生式土器と云ふと、概ね高坏、皿、壺、甕等の器具が主で、其の他の形状のものは極めて稀れであつた。然るに今此んな形状の土器が同貝塚から出たと云ふのは、之れまでの類例から推して頗る珍しいものと云はねばならぬ。
 一體此の土器は何の形であるか。先端が尖り其上に溝がある等と云ふ點から考へると、這は男根の形を示したものである。下部は破損して居るから、此の部分があれば一層其の形を確かめる事が出來るであらうが、兎に角、其の形状からして男根である事は大概推察が出來るのである。
 彌生式土器の中に男根の形状した其れが發見せられたと云ふ事實は、之れが最初であつて、また最も注意を要する極めて興味ある事實と云はねばならぬ。
 此の男根は抑も當時何に使用したものであるか。之を小供の玩具として使用したものであらうか。然し其んな類例は寧ろ珍しい事であるから、這は矢張信仰などの對照物としたものであらう。余は此の事實から當時彼等の間に男根尊拜のすでに行はれて居つたものと思ふのである。若しも斯く有史以前の吾人祖先に此の信仰があつて、其尊拜として男根を作つて居つたとせば、後の時代や、現今にも尚ほ此の風習のあるのは、其由來やすでに古いと云はねばならぬ。要するに此の材料はフアールス研究史上大切なものと云つてよい。
 アイヌの石器時代に男根尊拜のあつた事は、今更云ふ迄もないが、また之と共に吾人祖先の石器時代にも、其の風習のあつた事が認められるのである。即ち吾人祖先の男根尊拜の風は歴史時代に他から感染したものでなく、すでに有史以前の石器時代から存在した信仰と云つてよい。果してさうであるとすると今後は此等兩者の比較研究をしてかゝらねばならぬ。
 大野延太郎氏は『東京人類學雜誌』第百二十三號で「常陸國霞ケ浦沿岸旅行談」中に左の二箇の石棒の圖を入れ、次の樣に云つて居られる。

[#図版(img02.png)]

[#ここから2字下げ]
扨此男根形ノモノヲ作リテ崇拜スルト云フ風習ハ我祖先ノ始メタルモノナリヤ、將タ石器時代人民ノ遺風ヲ傳ヘタルモノナリヤハ、大ニ考フベキモノナリ。現ニ石神同形ノモノハ石器時代遺物ト共ニ土中ヨリ發見サルヽ事アルナリ。陸平貝塚ヨリ發見セシガ如キ小石神(イ)長サ三寸弱ノ類品ハ武藏國莊原郡[#「莊」は底本のまま]下目黒村不動堂裏ヨリ出デタリ。(ロ)長サ四寸一分、是等ヲ熟視スルニ、其形状今囘旅行セシ地方ニテ現ニ行ハルヽ石神ト大差ナシ。石器時代人民モ或ハ同樣ノ風ヲ有セシニハアラザルカ、大ニ研究スベキ事ナリ。
[#ここで字下げ終わり]
 大野氏は吾人祖先の男根尊拜はアイヌの石器時代民衆より受けたる風習であるか、將た吾人祖先の間に單獨に心理的に之が自から發達せしものであるかに就て大に疑つて居らるゝ樣であるが、余は尚ほ重ねて云ふが、以上の如くすでに和泉の吾人祖先の有史以前――石器時代遺物中に、此の男根が存在する理由や、和泉から出た固有日本人の土製男根が大野氏の圖示せられた石製の其れとよく似て居る事等から考へると、何うも當代のアイヌと吾人祖先との間に偶然同一の風習が行はれて居つた樣に思はれる。固有日本人の石棒としては、尚ほ山城のミカノ原や備前の阿爾神社境内からも出て居る。其の吾人祖先の男根の存在は極めて古いものである。即ち『古語拾遺』を去ること頗る遠い昔である。

[#図版(img03.png)、エニセヰ河畔發掘石製男根]

 固有日本人の石器時代民衆と深い關係の存在すると思はるゝ東北方亞細亞大陸の遺物にも男根型の物がある。先づヱニセヰ河畔の石器時代の遺物に之れの存在する事は、すでに、彼のタルグレン氏(A.-A. Tallgren : Ccllection[#「Ccllection」は底本のまま] Tovostine des antiquit〔e'〕s prehistoriques de uinoussinsk conserv〔e'〕es ※[#一字不明]nez le Dr. Karl Hedman a Vasa. 1917)の論文中にも圖記して居る。余は後貝加爾州チタの博物館陳列品中、オノン河畔の石器時代の遺物中に石製男根の存在するのを見、更に余は東蒙古の西翁手特、英金河畔の石器時代の遺蹟中で、之を一個採集した。此の石器は余の Etude Arch〔e'〕ologiques et Ethnologique. Populations de la Mon-gol'e Orientale. 中に圖記して置いた。是等は固有日本人の石器時代の男根と大に關係のあるものと信ずる。
 以上のタルグレン氏の示された石製男根中(一)は實によく和泉の其れと似て居る。這は比較上極めて面白いものである。此の相方の製作品によつて見ると當時の兩民衆の心理状態が同一であつたのではないかと思はれるのである。

[#改ページ]
   妣の國

[#ここからリード文]
吾人祖先は海の彼方を妣の國と言つた。此の國は我祖先の憬れの土地、懷しの土地であつた。余は之れを左に紹介して見よう。
[#リード文ここまで]

 我が遠い遠い昔の祖先達の言葉の中に「妣《ハハ》の國」と云ふのが屡々くり返へされて居るが、一體妣の國と云ふ意味はどんな事で、又之れは抑※[#二の字点]何處を指すのであらうか。余は今茲で之に就て聊か考ふる所を記して、讀者諸君の教示を受け度い。

   一 文献に現れたる妣の國及其の意義

 妣の國と云ふ言葉は『古事記』の中で、彼の素盞鳴尊[#「鳴」は底本のまま]の條に多く見えて居る。今其主なものを少しく茲に擧げると、先づ『記』の中では「僕《あ》は妣國《ハハノクニ》に往《ま》からんと欲《おも》ひて哭《な》く」「僕《あ》は妣國《ハハノクニ》根之《ネノ》堅洲國《カタスクニ》に罷《まか》らむと欲《おも》ふが故に哭《な》くと申し給ひき」などがある。
 『日本紀』の方では此の條で、妣國《ハハノクニ》と云ふ言葉が、多く「根國《ネノクニ》」と云ふ言葉になつて居る。今原文の儘を記るすと「固當遠適之於根國[#「根國」に傍点]矣」「故令下治[#二]根國[#「根國」に傍点][#一]」「故汝可[#三]以馭[#二]極遠之根國[#「根國」に傍点][#一]」「吾欲[#レ]從母於根國只爲泣耳」「素盞鳴尊[#「鳴」は底本のまま]遂[#二]於根國[#一]矣」などが見える。さうすると妣國は又根國とも云つたのであらう。
 「妣國」は其言葉の如く「母の國」で即ち故國、本國、母の國、祖先の地の事で、今日の言業で云へば「母國」の意味である。之を美しい言葉で云ふと佛蘭西語の La m〔e-〕re patrie 或は Notre m〔e'〕re Partrie[#「Partrie」は底本のまま] と云ふ意味にならう。『記』のハハノクニを妣國の文字で示して居るのは、又誠に意味の廣い頗る美しい温い懷しい表現と云はねばならない。漢族の思想で云ふと、父の國とか父母の國とか祖先の地と書く可き所を、殊更にハハノクニと云つて居るのは、我が遠つみおやの思想が窺はれて面白い。

   二 妣國の位置

 妣國は即ち我々祖先の本國で、遠い遠い我等の祖先達は此處に生長し、又此處に死んだ。我が祖先が之を懷かしみ之を常に思うたのは尤であらう。此の妣國を懷うた事は、彼の尊の男泣きに泣いたのでも充分知れるではないか。
 此の日本本土に居つて、此處を妣國と云はず他を之に當てゝ居るのを見ると、尊の立場から云ふと、其の故郷、墳墓の地、遠つみおやの座ます所――祖先の地――である妣國は海原《うなばら》の向ふ岸にあるらしい。否な海原《うなばら》(日本海方面)にあるらしい、即ち日本に面した大陸が此處であるらしい。さうすると此の妣國に對比して日本の本土はセツツルメント又はコロニーの意味になつて來る。言葉をもう少し進めて云ふと、我等の遠い遠いみおや達は大陸から移つて來たもので、此の本土は移住地で、本國は向ふにある譯である。這は妣國――ノートル、メール、パトリエはよく之を説明して居る樣である。
 妣の國が日本海のあなたにあると云ふ事は、既に尊の移動でも知れて居るばかりか、『記』が天津《アマツ》日高子《ヒタカヒコ》限建《ナキサタケ》鵜草葺不合命《ウガヤフキアヘツノミコト》の御子四柱を記す條に「稻氷命《イナヒノミコト》者、爲[#二]妣國《ハハノクニ》[#一]而入坐[#二]海原《ウナバラ》[#一]也」でもよく之れが證明される。此の海と云ふのは古代では多く日本海を指したもので、這は『記』の「汝命《ながみこと》は海原をしらせと事派《ことよさ》し給ひき」とあるのが之である。當時では『記』『紀』をよく味へば妣國《ハハノクニ》――根國《ネノクニ》――海原《ウナバラ》と殆んど區別が出來ない程である。
 尚ほ根國《ネノクニ》は『紀』によると「底《そこ》つ根國《ネノクニ》」とあつて、又|黄泉國《ヨミノクニ》とも共通らしい語句も見える。さうすると這は又祖先の地、一名墳墓の地と云ふ意味ともなる。這は最も注目すべき事である。
 以上の妣國――墳墓の地で思ひ當るは、日本周圍の民族で此の考を有つて居る者が少なくない。今其一つ二つの例を擧げると、先づ雲南省の東北部に居る※[#「けものへん+果」、U+7313]※[#「けものへん+羅」、U+7380](Lolo)にも之れと同一なる考がある。即ち彼等は今日同省に住まつて居るが其妣國は四川省で、此處から古く移住して來たものである。されば彼等は其妣國は四川省のターリヤン山にありとして、此處を懷ふの情は極めて深い。殊に彼等は移住地で死んでも、肉體は此處に留るとも、其靈魂は此處に留らず、山を越え谷を渡り野を歩いて幾多の困難をして再びもとの妣國に歸る。即ち彼等の場合では當時生活して居る雲南省はコロニー、セッツルメントで、其ノートル、メール、パメリエ[#「パメリエ」は底本のまま]は四川省のターリヤン山にある。斯んな考は尚ほ鮮卑族にもあつて、彼等は死すると其靈魂はもとの妣國赤山に歸つて行くと云ふ。(魏志に據る)是等の事實から見ると我が祖先の妣國《ハハノクニ》が底《そこ》つ根國《ネノクニ》や或は黄泉國《ヨミノクニ》に似通うて居るのは又同一思想であるまいか。
 以上から考へて見ると、吾人の祖先の妣國は日本海のあなたの大陸にあるらしい。そして日本の本土は移つて來た第二の故郷ではあるまいか。殊に大陸からの移住者は最初は數人、例へば兄弟、親子、友人等が先づ來り、此の美しく温かい土地に戀着し、遂に妻子や一族などを誘ひ來り此處を開耕し、移住をしたものではあるまいか。即ち人種學上から所謂 llot population を形成したものではあるまいか。斯くして彼等は有史以前の國つ神の祖先をなしたものであらう。

   三 三界の神話

 故山路愛山氏も曾て云つて居られたが、日本の神話ではどうも此の國土を上中下の三界に分けて居たらしい、此の考はウラルアルタイ民族の中にあつて殊に此れの最も著しいのはトルコ族のヤクート(yakuts)である。
 彼等は天、地、地下の三界に分けて居る。又近頃餘程判つて來たカムチヤツカに住まつて居るコリヤーク(Koryaks)も此の考を有つて居る。コリヤークは、古西比利《パレヲシベリアン》族とか古亞細亞族《パレヲアシセチツクス》に入れる者でウラルアルタイ族の新西比利《ネヲシベリアン》族とは大に異なつて居る。即ち最上は天界で、中間は地上で、最下は地の下である。最上の天界には最高の神々達がましまし、地上は中つ國で人間や生物が住ひ、下界は惡魔の世界であつて、又人間の死者の世界である。
 以上コリヤークの三界は我が神話の國土天上の考と同一である。即ち最上の天は高ヶ原《タカマガハラ》で天神のいます所、地上は中つ國で青人草の住まふ所、下界は夜見《ヨミ》の國《クニ》――黄泉國《ヨミノクニ》で穢惡の所である。何んとよく似て居るではないか。固より人種學上何等民族としては關係がないにしても、比較參考に充分なものではないか。
 コリヤークの方では最上の天界にいます神々は善人で天地創造の神々や其他の八百萬の神々が居る。此の考は日本の高ヶ原の天つ神の神々が居るのと同樣である。この夜見の國には惡神カラウと云ふ巨神が居る。彼はもと天上に居つたが或罪を犯したから彼のミルトンの『失樂園』の惡魔の如く天上から地下の世界に落されたものである。しかも彼は巨人で遂に地下の王となつた。何だか此の巨人カラウは我が神話の素戔鳴尊[#「鳴」は底本のまま]とよく位置が似て居る樣である。
 余は斯んな比較神話學上から見て、我がタカマガハラは地上でなく、又神話學上の天上の事であつて、之れで説明すべき物の樣に思ふのである。固より此處の神々の人間の如く活動し、又其風俗習慣も其時代の人々の其れと同一なるは、之れ即ち同時代の人々の色彩や香氣を傳へて居るものであつて、ギリシヤの神話とよく似て居る。又一方歴史的暗示を與へて居るものと見られる。
 中つ國とは又日本の其れとも似て居る。妣國《ハハノクニ》――海原《ウナバラ》、底《そこ》つ根《ネ》國は互に連鎖がある樣に思はれてならない。斯樣な説明は今後必要になつて來るであらう。

日本周圍民族の原始宗教 終



※ 鼓と皷、献と獻、連と聯、タイアルとタイヤル、パイワンとパイアン、嘗と甞、マリヨーとマレヨー、マオリーとマウリー、秘と祕、鬱と欝の混用は底本のとおり。
※ 堀る、楊子江、推髻、高ヶ原は底本のままにした。
底本:『日本周圍民族の原始宗教』岡書院
   1924(大正13)年9月20日發行
   1924(大正13)年12月1日三版發行
発行者:岡 茂雄
印刷:樫村 功
製本所:山縣製本所
入力:しだひろし
校正:
xxxx年xx月xx日作成
青空文庫作成ファイル:
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*地名

(※ 市町村名は、平成の大合併以前の表記のまま。一般的な国名・地名などは解説省略。
  • [北海道]
  • 石狩川 いしかりがわ 北海道第一の川。石狩岳に発源し、石狩平野を貫流して石狩湾に注ぐ。長さ268km。流域約1万4000平方km。
  • 渡島 わたりじま (海を渡った向うの辺境の意) 北海道南端部一帯、今日の渡島(おしま)の古称か。
  • 手宮 てみや → 手宮遺跡
  • 手宮遺跡 てみや いせき 小樽市手宮に所在する洞窟遺跡。洞窟の壁面に文字のような彫刻がある。国史跡。手宮洞窟。
  • [奥州][青森県]
  • 津軽 つがる (古くは清音) (1) 青森県(陸奥国)西半部の呼称。もと越の国または出羽に属した。
  • [出羽][秋田県]
  • 秋田城 あきたじょう (1) 奈良・平安時代、出羽北部の蝦夷に備えるために、733年(天平5)出羽柵を移して現秋田市寺内の高清水岡に築かれた城。今は土塁の一部などが残存する。(2) 佐竹氏の居城。現、秋田市千秋公園。久保田城。矢留城。
  • [出羽][山形県]
  • 飽海郡 あくみぐん 羽後国および山形県の郡。県の北西部に位置する。/県の北西部の郡。鳥海山と最上川の間にあり、日本海に面する。/出羽国中西部の郡。現在の山形県酒田市・飽海郡、秋田県本荘市・由利郡にあたる。8世紀末に由理柵が設置され、国府が秋田城から城輪柵(現、酒田市)に移ったと考えられている。中世に由利郡が分立。太閤検地後に遊佐郡(湯坐郡とも)と改称したが、1664(寛文4)旧に復した。現在、遊佐町・八幡町・松山町・平田町の四町。(日本史)
  • 諸神社
  • 田川郡 たがわぐん 羽前国(旧出羽国の南部)の郡、多川郡、田河郡ともいう。和銅5年(712年)に越後国から出羽国が分立した際に出羽郡の南部が分立して成立した。中世末期には東部に櫛引郡が成立していたが後に吸収した。出羽国が分割された明治以降は羽前国に属し、その後酒田県、鶴岡県、山形県の管轄下に置かれた。その後、東田川郡と西田川郡に分割され消滅した。新・鶴岡市大半も旧田川郡である。
  • 西浜
  • [越の国] こしのくに 北陸道の古称。高志国。こしのみち。越。越路。
  • [佐渡]
  • 御名部 みなべ 『日本書紀』欽明天皇5年条に、佐渡島の北部御名部の岸に粛慎人が来て船舶に乗ってとどまり、やがて瀬波河浦に移り、渇えてその水を飲んで半ばの者が死に、骨を巌岫に積んだ。俗に「粛慎隈」とよぶとある。島の古墳が多く「エゾ塚」とよばれることとこの記事の関係が注目される。
  • 碕岸
  • [常陸国] ひたち 旧国名。今の茨城県の大部分。常州。
  • 霞ヶ浦 かすみがうら (1) 茨城県南東部にある日本第2の大湖。東にある北浦と共に海跡湖。周囲120km。面積167.6平方km。最大深度11.9m。富栄養湖。ワカサギ・シラウオなどの魚類が多いが、近年水質汚濁が進み、漁獲量は減少傾向にある。(2) (「かすみがうら」と書く) 茨城県中南部、(1) に面する市。レンコン・果樹の栽培と内水面漁業が盛ん。人口4万5千。
  • 陸平貝塚 おかだいら かいづか 茨城県稲敷郡美浦村にある縄文時代中期、後期の大規模貝塚。/1883(明治16)佐々木忠次郎・飯島魁が大森貝塚の経験を駆使して日本人最初の学術調査をおこなった。土器は薄手式(大森式)に対し厚手式を代表する陸平式とよばれた。報告書は「Okadaira Shell Mound at Hitachi」「常陸陸平介墟篇」として世にでた。1968(昭和43)の測量調査では、東西250m、南北200mに8か所の小貝塚で構成されていた。学史的に重要な遺跡。(日本史)
  • [東京都][武蔵国] むさし (古くはムザシ) 旧国名。大部分は今の東京都・埼玉県、一部は神奈川県に属する。武州。
  • 荘原郡 → 荏原郡か
  • 荏原郡 えばらぐん 武蔵国の南東部に位置した郡。古代から存在し、明治11年(1878)の郡区町村編制法の施行により、一部が東京府の区部となり、残余の地域も昭和7(1932)の35区制の成立により、各区に分属して消滅した。
  • 下目黒村 しもめぐろむら 村名。現、目黒区目黒・下目黒ほか。目黒川の中流、目黒台上に展開し、村の南端を支流羅漢寺川が流れる。初め幕府領であったが、寛永9(1632)芝増上寺に寄進され、同寺領として幕末に至る。
  • 不動堂 ふどうどう → 滝泉寺
  • 滝泉寺 りゅうせんじ 現、目黒区下目黒三丁目。目黒川に支流羅漢寺川が流れ込む合流点、台地上の突端に位置する天台宗寺院。泰叡山と号し、本尊は不動明王。古くから不動信仰の霊地として知られる。江戸五色不動の一つ。
  • 目黒不動遺跡 めぐろ ふどう いせき 現、目黒区下目黒三丁目。目黒不動(滝泉寺)のある標高20〜30m前後の舌状台地の斜面に立地する。独鈷滝や岩屋弁天泉とよばれる湧水地の泉線に沿う縄文時代中期から後期にかけての集落跡。都内でも古くから知られ、明治30(1897)の「日本石器時代人民遺物発見地名表」(第一版)には石斧・石鏃が出土したとある。昭和55(1980)から寺の建築工事を機に調査がおこなわれ、縄文早期から後期および弥生時代後期の土器などが出土。土坑から出土した縄文中期の加曽利E3式に伴う土版は注目される。
  • [吾妻の国]
  • 東・吾妻・吾嬬 あずま (1) (景行紀に、日本武尊が東征の帰途、碓日嶺から東南を眺めて、妃弟橘媛の投身を悲しみ、「あづまはや」と嘆いたという地名起源説話がある)日本の東部地方。古くは逢坂の関以東、また伊賀・美濃以東をいったが、奈良時代にはほぼ遠江・信濃以東、後には箱根以東を指すようになった。(2) 特に京都からみて関東一帯、あるいは鎌倉・鎌倉幕府・江戸をいう称。
  • 信州 しんしゅう 信濃国の別称。いまの長野県。科野。
  • 甲州 こうしゅう 甲斐国の別称。いまの山梨県。
  • 美濃 みの 今の岐阜県の南部。濃州。
  • 丹後国 たんご 今の京都府の北部。
  • 尾張 おわり 今の愛知県の西部。尾州。張州。
  • 近江 おうみ 近江・淡海。(アハウミの転。淡水湖の意で琵琶湖を指す) 今の滋賀県。江州。
  • 伊勢 いせ 今の三重県の大半。勢州。
  • 志摩 しま 今の三重県の東部。伊勢湾の南、伊勢市の南東に突出した半島部。志州。
  • 畿内 きない 帝都付近の地。中国の古制で、王城を中心とする四方500里以内の特別行政区。日本では歴代の皇居が置かれた大和・山城・河内・和泉・摂津の5カ国、すなわち五畿内。和泉が河内から分置される奈良時代までは四畿内といった。
  • [京都府][山城国] やましろ 山城・山背 五畿の一つ。今の京都府の南部。山州。城州。雍州。
  • ミカノ原 → 瓶原か
  • 瓶原 みかのはら 現、相楽郡加茂町北部の地名。旧瓶原村。木津川の北岸にあり、元明天皇以後の離宮の所在地で、聖武天皇の恭仁京が置かれた所。三香の原。甕原。御鹿原。
  • 京都大学 きょうと だいがく 国立大学法人の一つ。前身は1897年(明治30)に東京帝国大学と並ぶ西日本の最高学府として創設された京都帝国大学。1947年現校名に改称。49年付属医専と第三高等学校を合わせて新制大学となる。2004年法人化。本部は京都市左京区。
  • 寺田村
  • [大阪府][河内国] かわち (古くカフチとも) 五畿の一つ。今の大阪府の東部。河州。
  • 国府 こう 国府村。村名。現、大阪府藤井寺市国府。道明寺村の北、石川下流左岸に位置する。東西に古代の大津道が通り、南北に東高野街道が通る。この両道の交差点付近一帯に河内国府が所在した。国府や惣社はこれに関係して生まれた地名。
  • 国府遺跡 こう いせき 現、藤井寺市惣社二丁目。大和川と石川の合流点の西方、南から沖積平野に突出した羽曳野丘陵の北端に位置する旧石器時代ー中世に及ぶ複合遺跡。国指定史跡。大正6(1917)から10年にかけて、前後10回にわたって発掘調査がおこなわれ、合計73体の埋葬人骨が発見された。胸に石を抱かせたものなどがあり、多くは縄文時代前期に属するとされているが、弥生時代のものも含まれるようである。河内国府に関連する掘建柱建物群も最近の調査で発見されているが、国府の中心的建物などは現在のところ明らかでない。
  • [大阪府][和泉国] いずみ (「和泉」は713年(和銅6)の詔により2字にしたもので、「和」は読まない) 五畿の一つ。今の大阪府の南部。泉州。
  • 浜寺 はまでら 大阪府堺市南部の一地区。海岸は歌枕として名高い高師浜の一部で浜寺公園がある。
  • 八池
  • [紀州][和歌山県] きしゅう 紀伊国の別称。(キ(木)の長音的な発音に「紀伊」と当てたもの) 大部分は今の和歌山県、一部は三重県に属する。紀国。
  • 鳴神貝塚 なるかみ かいづか 和歌山市鳴神にあり、1895(明治28)近畿地方ではじめて発見された縄文時代の貝塚。ハマグリ・ハイガイ・マガキなど純鹹水性の貝類に汽水性のヤマトシジミが混じる。中〜晩期が主体で弥生前期の土器も出土。縄文時代の打製石斧は石鍬と考えられ、晩期農耕の存否が議論された。猿の橈骨製耳栓をした上下門歯抜歯の壮年女性人骨が発見され、シャーマンと推定された。国史跡。(日本史)
  • [奈良県][大和] やまと 大和・倭。(「山処(やまと)」の意か) 今の奈良県の管轄。もと、天理市付近の地名から起こる。初め「倭」と書いたが、元明天皇のとき国名に2字を用いることが定められ、「倭」に通じる「和」に「大」の字を冠して大和とし、また「大倭」とも書いた。和州。
  • 桜川吉野
  • 吉野 よしの 奈良県南部の地名。吉野川流域の総称。大和国の一郡で、平安初期から修験道の根拠地。古来、桜の名所で南朝の史跡が多い。
  • 摂津 せっつ 五畿の一つ。一部は今の大阪府、一部は兵庫県に属する。摂州。津国。
  • 淡路 あわじ 今の兵庫県淡路島。淡州。
  • 播摩
  • 播磨 はりま 今の兵庫県の南西部。播州。
  • [備前国][岡山県] びぜん 吉備国を大化改新後に前・中・後に分けた一つ。713年(和銅6)、北部は美作として分離独立。今の岡山県の南東部。
  • 阿爾神社 → 阿仁神社か
  • 阿仁神社 あに じんじゃ 現、岡山市西大寺一宮にある神社。旧国幣中社。神武天皇の兄、彦五瀬命ほか二柱をまつる。備前国二の宮。久方宮。
  • 備中 びっちゅう (ビチュウとも) 吉備国を大化改新後に前・中・後に分けた一つ。岡山県の西半部。
  • 伯耆 ほうき 今の鳥取県の西部。伯州。
  • [出雲] いずも 今の島根県の東部。雲州。
  • 簸川 ひのかわ 日本神話に出る出雲の川の名。川上で素戔嗚命が八岐大蛇を退治したという。島根県の東部を流れる斐伊川をそれに擬する。
  • 周防 すおう 今の山口県の東部。防州。「すは」とも。
  • 長門 ながと 今の山口県の西部・北部。古くは穴門。長州。
  • [四国]
  • [阿波] あわ 今の徳島県。粟国。阿州。
  • 徳島 とくしま 徳島県北東部の市。県庁所在地。吉野川河口南岸にある。もと蜂須賀氏26万石の城下町。古くは藍の集散地。「阿波踊り」は有名。人口26万8千。
  • 土佐 とさ (古く「土左」とも書く) 今の高知県。土州。
  • 熊本
  • 鹿児島
  • 宮崎
  • 日向 ひゅうが (古くはヒムカ) 今の宮崎県。
  • 沖縄
  • 沿海州 えんかいしゅう プリモルスキーの訳名。
  • プリモルスキー Primorskii ロシア、シベリアの南東端、黒竜江(アムール川)・ウスリー川・日本海に囲まれた地方。1860年北京条約によりロシア領となる。中心都市ウラジヴォストーク。沿海地方。沿海州。
  • カラフト 樺太 サハリンの日本語名。唐太。
  • サハリン Sakhalin 東はオホーツク海、西は間宮(タタール)海峡の間にある細長い島。1875年(明治8)ロシアと協約して日露両国人雑居の本島をロシア領北千島と交換、1905年ポーツマス条約により北緯50度以南は日本領土となり、第二次大戦後、ソ連領に編入。現ロシア連邦サハリン州の主島。北部に油田がある。面積7万6000平方km。樺太。サガレン。
  • エニセイ Yenisei ロシア、シベリア中部の大河。モンゴル北端サヤン山脈に源を発し、北流してアンガラ川を合わせ、北極海エニセイ湾に注ぐ。冬季には全面結氷。サヤン・クラスノヤルスクなどの発電所がある。長さ4102km。
  • カムチャツカ半島 カムチャツカ はんとう (Kamchatka) ロシア東端の太平洋に突出した半島。東はベーリング海、西はオホーツク海に面し、千島海峡を隔てて千島列島のシュムシュ島と対する。28の活火山を含む160以上の火山がある。長さ約1200km。最高地点はクリュチェフスキー火山(標高4750m)。
  • 後貝加爾州
  • チタ Chita ロシアの東シベリア、チタ州の州都。シベリア鉄道沿いの鉱工業の中心地。対モンゴル貿易の要地。人口30万8千(2004)。
  • オノン Onon・斡難 黒竜江上流のシルカ川の支流。モンゴルのヘンティーン山脈に発源し、北東流してシベリアに入り、シルカ川に注ぐ。長さ1032km。
  • 東モンゴル
  • 西翁手特
  • 英金河
  • [満州]
  • [朝鮮]
  • 済州島 さいしゅうとう/チェジュド (Cheju-do) 朝鮮半島の南西海上にある大火山島。面積1840平方km。古くは耽羅国が成立していたが、高麗により併合。1948年、南朝鮮単独選挙に反対する武装蜂起(四‐三蜂起)の舞台となる。付近海域はアジ・サバの好漁場。観光地として有名。周辺の島嶼と共に済州道をなす。
  • [四川省]
  • ターリヤン山
  • [雲南省]


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。『コンサイス外国地名事典』第三版(三省堂、1998.4)『日本史広辞典』(山川出版社、1997.10)




*年表

  • 大化の新政 → 大化改新
  • 大化改新 たいかの かいしん 大化元年(645)夏、中大兄皇子(のちの天智天皇)を中心に、中臣(藤原)鎌足ら革新的な豪族が蘇我大臣家を滅ぼして開始した古代政治史上の大改革。孝徳天皇を立て都を難波に移し、翌春、私有地・私有民の廃止、国・郡・里制による地方行政権の中央集中、戸籍の作成や耕地の調査による班田収授法の実施、調・庸など税制の統一、の4綱目から成る改新の詔を公布、古代東アジア的な中央集権国家成立の出発点となった。しかし、律令国家の形成には、壬申の乱(672年)後の天武・持統朝の改革が必要であった。大化新政。大化革新。


◇参照:『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。



*人物一覧

(人名、および組織・団体名・神名)
  • アイヌ Ainu (アイヌ語で人間の意) かつては北海道・樺太(サハリン)・千島列島に居住したが、現在は主として北海道に居住する先住民族。人種の系統は明らかでない。かつては鮭・鱒などの川漁や鹿などの狩猟、野生植物の採集を主とし、一部は海獣猟も行なった。近世以降は松前藩の苛酷な支配や明治政府の開拓政策・同化政策などにより、固有の慣習や文化の多くが失われ、人口も激減したが、近年文化の継承運動が起こり、地位向上をめざす動きが進む。口承による叙事詩ユーカラなどを伝える。
  • 故坪井博士 → 坪井正五郎か
  • 坪井正五郎 つぼい しょうごろう 1863-1913 人類学者。江戸生れ。東大教授。日本の人類学の始祖。東京人類学会を創設、「人類学会報告」を創刊。日本石器時代住民についてコロポックル説を主唱。
  • 素盞嗚命 すさのおのみこと 素戔嗚尊・須佐之男命。日本神話で、伊弉諾尊の子。天照大神の弟。凶暴で、天の岩屋戸の事件を起こした結果、高天原から追放され、出雲国で八岐大蛇を斬って天叢雲剣を得、天照大神に献じた。また新羅に渡って、船材の樹木を持ち帰り、植林の道を教えたという。
  • 手名推・足名推 → 参照、足名椎・脚摩乳
  • 足名椎・脚摩乳 あしなずち 記紀神話で出雲の国つ神大山祇神の子。簸川の川上に住んだ。妻は手名椎。娘奇稲田媛は素戔嗚尊と結婚。
  • 大山祇命 → 大山祇神
  • 大山祇神 おおやまつみのかみ 山をつかさどる神。伊弉諾尊の子。
  • 木之花咲耶姫 このはなのさくやびめ 木花之開耶姫・木花之佐久夜毘売。日本神話で、大山祇神の女。天孫瓊瓊杵尊の妃。火闌降命・彦火火出見尊・火明命の母。後世、富士山の神と見なされ、浅間神社に祀られる。
  • 海神・綿津見 わたつみ (ワダツミとも。ツは助詞「の」と同じ、ミは神霊の意) (1) 海をつかさどる神。海神。わたつみのかみ。(2) 海。
  • 神武天皇 じんむ てんのう 記紀伝承上の天皇。名は神日本磐余彦。伝承では、高天原から降臨した瓊瓊杵尊の曾孫。彦波瀲武※(第3水準1-94-73)※(第3水準1-94-66)草葺不合尊の第4子で、母は玉依姫。日向国の高千穂宮を出、瀬戸内海を経て紀伊国に上陸、長髄彦らを平定して、辛酉の年(前660年)大和国畝傍の橿原宮即位したという。日本書紀の紀年に従って、明治以降この年を紀元元年とした。畝傍山東北陵はその陵墓とする。
  • 大三輪 おおみわ → 大神、大神神社
  • 大神神社 おおみわ じんじゃ 奈良県桜井市三輪にある元官幣大社。祭神は大物主大神。大己貴神・少彦名神を配祀。日本最古の神社で、三輪山が神体。本殿はない。酒の神として尊崇される。二十二社の一つ。大和国一の宮。すぎのみやしろ。三輪明神。
  • 日本武尊 やまとたけるのみこと 日本武尊・倭建命。古代伝説上の英雄。景行天皇の皇子で、本名は小碓命。別名、日本童男。天皇の命を奉じて熊襲を討ち、のち東国を鎮定。往途、駿河で草薙剣によって野火の難を払い、走水の海では妃弟橘媛の犠牲によって海上の難を免れた。帰途、近江伊吹山の神を討とうとして病を得、伊勢の能褒野で没したという。
  • 仁明天皇 にんみょう‐てんのう 810-850 平安初期の天皇。嵯峨天皇の第2皇子。名は正良。御陵に因んで深草帝とも。(在位833〜850)
  • 陽成天皇 ようぜい てんのう 868-949 平安前期の天皇。清和天皇の第1皇子。名は貞明。藤原基経により廃位。(在位876〜884)
  • 阿倍比羅夫 あべの ひらぶ 古代の武人。658年頃、日本海沿岸の蝦夷・粛慎を討ち、661・663年には百済を助けて唐や新羅と戦った。
  • 大野延太郎 おおの のぶたろう 1863-1938 大野雲外(うんがい)。江戸時代末期〜明治期の考古学者、画家。(人レ)
  • タルグレン A.-A. Tallgren
  • Tallgren, Aarne Micha鼠 1885-1945 フィンランドの考古学者。ヘルシンキ大学教授。年刊誌〈古代北方ユーラシア Eurasia Septentrionalis Antiqua〉を編集(1927-38)。ユーラシアの青銅器時代を専攻し、古代北方文化の研究を科学的に基礎づけた。文化史的立場をとり、遺物を化石のように取扱う啓蒙期の考古学に反省を促した。(岩波西洋人名)
  • Dr. Karl Hedman a Vasa
  • ※(第3水準1-94-73)※(第3水準1-94-66)草葺不合尊 うがやふきあえずのみこと 記紀神話で、彦火火出見尊の子。母は豊玉姫。五瀬命・神日本磐余彦尊(神武天皇)の父。
  • 稲氷命 いなひのみこと 稲飯命。彦稲氷命は日本神話に登場する日本の皇族。『日本書紀』では稻飯命。『古事記』では、稻氷命、彦稲氷命。
  • 山路愛山 やまじ あいざん 1864-1917 ジャーナリスト・著作家。本名、弥吉。江戸生れ。幕臣の子。キリスト教徒。民友社に入り、国民新聞などの記者として、異色ある史論・文学論を発表。信濃毎日新聞主筆。雑誌「独立評論」を刊行。著「足利尊氏」「現代金権史」「社会主義管見」など。
  • ウラル・アルタイ民族 ウラル・アルタイ語族。ウラル語族とアルタイ諸語を同系言語であるとかつて想定して与えた名称。現在は切り離して考えられている。
  • ウラル語族 ウラルごぞく (Uralic) スカンディナヴィア・中欧・ロシアなどに分布する諸言語。フィン‐ウゴル語派(フィンランド語・ハンガリー語など)とサモイェード語派(ネネツ語など)に分かれる。アルタイ語族とまとめてウラル‐アルタイ語族と呼ぶこともある。
  • アルタイ語族 アルタイごぞく (Altaic) 中国北部から中央アジア・東部ヨーロッパにかけて分布する諸言語。チュルク語派・モンゴル語派・ツングース語派に分かれる。ウラル語族とまとめてウラル‐アルタイ語族と呼ぶこともある。
  • トルコ族 ヨーロッパの一部、シベリア、中央アジアに居住する民族。古く北蒙古にあったものは丁零、高車と呼ばれた。6世紀にはアルタイ山脈西南に突厥がおこり、その東部をウイグルが受け継いだ。西部では11世紀にセルジュク・トルコが帝国を建て、イラン、小アジア、シリアを支配。その滅亡後オスマン・トルコがこれに代わり、さらにケマル=アタチュクルの革命後トルコ共和国となった。
  • ヤクート yakuts 東シベリアに住む民族。ヤクート人。自称サハ。ヤクート語はチュルク語の一つ。
  • コリヤーク Koryaks シベリア東端のオホーツク海岸からベーリング海、カムチャツカ半島にかけて住む少数民族。言語は古アジア諸語に属する。海岸部では海獣猟と漁労、内陸ツンドラ地帯ではトナカイの飼育を行う。
  • 古西比利族 パレオシベリアン
  • 古アジア族 パレオアシセチックス
  • 新西比利族 ネオシベリアン
  • paleo-「古」「旧」「原始」の意を表す。
  • neo-
  • アジアティックス Asiatic か。アジア人。
  • ミルトン John Milton 1608-1674 イギリスの詩人。清教徒革命に参加、自由と民主制のために戦い、クロムウェルの共和政府にも関与。失明し、王政復古後は詩作に没頭。叙事詩「失楽園」「復楽園」、悲劇「闘士サムソン」の他に、言論の自由を論じた「アレオパジティカ」など多くの政治評論がある。


◇参照:『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『日本史広辞典』(山川出版社、1997.10)『新編東洋史辞典』(東京創元社、1980)『角川世界史辞典』(2001.10)、『人物レファレンス事典』(日外アソシエーツ、2000.7)。



*書籍

(書名、雑誌名、論文名、映画・能・狂言・謡曲などの作品名)
  • 『理科大学紀要』
  • 「南満州有史以前民族」『理科大学紀要』 鳥居の著。
  • 「閑却されたる大和国」 鳥居の講演。
  • 『続日本後紀』 しょくにほんこうき 六国史の一つ。20巻。日本後紀の後を受け、仁明天皇一代18年間(833〜850年)の編年体の史書。藤原良房・同良相・伴善男・春澄善縄らが文徳天皇の勅を奉じて撰進。869年(貞観11)成る。略称、続後紀。
  • 『三代実録』 さんだいじつろく 六国史の一つ。50巻。文徳実録の後をうけて、清和・陽成・光孝3天皇の時代約30年の事を記した編年体の史書。901年(延喜1)藤原時平・大蔵善行らが勅を奉じて撰進。日本三代実録。
  • 『古語拾遺』 こごしゅうい 歴史書。斎部広成著。1巻。807年(大同2)成る。古来中臣氏と並んで祭政にあずかってきた斎部氏が衰微したのを嘆き、その氏族の伝承を記して朝廷に献じた書。記紀にみえない伝承も少なくない。
  • 『東京人類学雑誌』
  • 「常陸国霞ケ浦沿岸旅行談」『東京人類学雑誌』第百二十三号 大野延太郎の著。
  • Collection Tovostine des antiquit市 prehistoriques de uinoussinsk conserv仔s 〔一字不明〕nez le Dr. Karl Hedman a Vasa. 1917 タルグレンの著。
  • Etude Arch姉logiques et Ethnologique. Populations de la Mon-gol'e Orientale.」 鳥居の著。
  • 『古事記』 こじき 現存する日本最古の歴史書。3巻。稗田阿礼が天武天皇の勅により誦習した帝紀および先代の旧辞を、太安万侶が元明天皇の勅により撰録して712年(和銅5)献上。上巻は天地開闢から鵜葺草葺不合命まで、中巻は神武天皇から応神天皇まで、下巻は仁徳天皇から推古天皇までの記事を収め、神話・伝説と多数の歌謡とを含みながら、天皇を中心とする日本の統一の由来を物語る。ふることぶみ。
  • 『日本紀』 にほんぎ (1) 日本の歴史を記した書の意で、六国史のこと。(2) 日本書紀のこと。
  • 『日本書紀』 にほん しょき 六国史の一つ。奈良時代に完成した日本最古の勅撰の正史。神代から持統天皇までの朝廷に伝わった神話・伝説・記録などを修飾の多い漢文で記述した編年体の史書。30巻。720年(養老4)舎人親王らの撰。日本紀。
  • 『魏志』 ぎし 中国の魏の史書。晋の陳寿撰。「三国志」の中の魏書の通称。本紀4巻、列伝26巻。
  • 『失楽園』 しつらくえん (Paradise Lost) ミルトンの12巻1万行余りの叙事詩。1667年刊。アダムとイヴの楽園追放の説話を礎にして、清教徒的世界観を展開しながら神とサタンとの闘争を描く。「楽園喪失」とも訳す。「復楽園」はその続編。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『日本史広辞典』(山川出版社、1997.10)。



*難字、求めよ

  • 吾人 ごじん (一人称) (1) われ。わたくし。(2) われわれ。われら。
  • 石器時代 せっき じだい 考古学上の時代区分の一つ。人類文化の第1段階。まだ金属の使用を知らず、石で利器を作った時代。旧石器時代・新石器時代に大別。
  • 国津神 くにつかみ 国つ神・地祇。(1) 国土を守護する神。地神。(2) 天孫降臨以前からこの国土に土着し、一地方を治めた神。国神。←→天つ神。
  • 先史時代 せんし じだい (prehistoric age) 考古学上の時代区分の一つ。人類が登場して以来、文献的史料によって歴史が解明できる時代になるまでを指す。日本では主に旧石器時代・縄文時代に当たる。
  • Prehistoric → 先史時代
  • 鋤鍬 すき くわ すきとくわ。農具の総称。
  • 鍛冶 かじ (カヌチ(金打)の約転。「鍛冶」は当て字) 金属を打ちきたえて種々の器物を作ること。また、それを業とする人。
  • 鉄器時代 てっき じだい 考古学上の時代区分の一つ。鉄が利器に使用された時代。石器時代・青銅器時代に次ぐ。
  • 原史時代 げんし じだい 先史時代と有史時代の中間に位置づけられる、文献的史料の断片的に存在する時代。日本では弥生中期頃から古墳時代に当たる。
  • 万緑叢中紅一点 ばんりょく そうちゅう こういってん [書言故事、王荊公石榴詩](1) 万緑の中に一点の紅花があって、ひときわ目立つこと。(2) 多くの男性の中に、ただ一人の女性がまじっているたとえ。紅一点。
  • 雑合体 ざつごうたい?
  • 貝塚 かいづか 人が食した貝の殻が堆積した遺跡。全世界に分布するが、日本の縄文時代のものが数も多く、内容も豊か。土器・石器とともに埋葬人骨や各種の自然遺物が出土し、生活や環境復元資料として重要。
  • 縄文土器 じょうもん どき 縄文時代の土器。表面に縄文のあるものが多いことから、こう名づける。手づくりで概して厚手。ほとんど煮炊き用。のちには他の用途のものも次第に出現。時代差・地域差が大きい。縄文式土器。
  • 天孫 てんそん 天つ神の子孫。特に、天照大神の孫、瓊瓊杵尊。
  • 弥生式土器 → 弥生土器
  • 弥生土器 やよい どき (1884年(明治17)東京、本郷弥生町の貝塚で発見されたからこう名づける)弥生時代の土器。弥生文化の指標とされる。煮炊き・貯蔵・食事に使用。弥生式土器。
  • 石斧 せきふ 斧の形をした石器。伐採具・工作具または農耕具。磨製と打製とがある。旧石器時代に出現し、新石器時代に世界各地に普及する。日本では旧石器・縄文・弥生時代にある。
  • 石庖丁 いし ぼうちょう 東アジア特有の磨製石器の一種。扁平な半月形または短冊形で、穀類の穂を摘みとる道具。長さ10cm前後。日本では弥生時代にあり、後期には鉄鎌と交代し、消滅。中国では石刀という。
  • 石剣 せっけん 石製の剣。日本の縄文時代の石剣は石棒に近い。弥生時代には、金属製の剣を模造した磨製石剣がある。
  • 先住民 せんじゅうみん 現在住んでいる人々に先だって住んでいる人々。大国や支配的民族によって土地や固有の文化を奪われている場合がある。先住民族。
  • 古代史 こだいし 古代の歴史。中世・近世との対比で区分され、日本では普通、広く3世紀の邪馬台国の時代から平安時代(12世紀末)までを含める。
  • 先史 せんし 文字史料の登場に先立つこと。また、その歴史。史前。
  • 先史考古学 せんし こうこがく 先史時代を遺物・遺跡によって考究する学問。←→歴史考古学。
  • 上古史 じょうこし 上古の歴史。
  • 上古 じょうこ (ショウコとも) (1) むかし。かなりの昔。(2) 日本史、特に日本文学史の時代区分で、文献を有する限りで最も古い時代。大化改新まで、あるいは大和政権時代に当たる。中古の前の時代。
  • 高天原 たかまがはら/たかまのはら (1) 日本神話で、天つ神がいたという天上の国。天照大神が支配。「根の国」や「葦原の中つ国」に対していう。たかまがはら。(2) 大空。
  • 天孫降臨 てんそん こうりん 記紀の神話で、瓊瓊杵尊が高皇産霊尊・天照大神の命を受けて高天原から日向国の高千穂に天降ったこと。
  • 語部 かたりべ (1) 古代、儀式に際して旧辞・伝説を語ることを職とした品部。出雲・美濃・但馬などに分布。(2) 広く、物事を次の世代に語り伝える人。
  • 口碑 こうひ (碑に刻みつけたように口から口へ永く世に言い伝わる意) 昔からの言い伝え。伝説。
  • 神代 かみよ 記紀神話で、天地開闢から※(第3水準1-94-73)※(第3水準1-94-66)草葺不合尊まで、神武天皇以前の神々の時代。じんだい。
  • 国つ神・地祇 くにつかみ (1) 国土を守護する神。地神。(2) 天孫降臨以前からこの国土に土着し、一地方を治めた神。←→天つ神。
  • 海部・海人部 あまべ 大和政権で、海運や朝廷への海産物貢納に従事した品部。
  • 山神 やまがみ 山を守る神。山をつかさどる神。
  • 閑却 かんきゃく 打ち捨てておくこと。なおざりにすること。
  • 島嶼式 イロポプラション
  • 左のみ さのみ? → 然のみ、か
  • 然のみ さのみ (副詞「さ(然)」に助詞「のみ」が付いてできたもの)(1) 副詞「さ(然)」を限定的に強めたいい方。そのようにばかり。そう一概に。ひたすらそのように。(2) 否定的表現を伴って、程度が大したことはない気持ちを表わす。それほど(…ない)。さして(…でない)。格別(…でない)。
  • 東夷・東蝦夷 あずまえびす 京都の人が、東国の人、特に東国の武士の無骨さをあざけっていう語。
  • 蝦夷人
  • 荒削り あらけずり 粗削り (1) (木などを)ざっとけずっただけで細かい仕上げをしてないこと。(2) 物事の仕上げのおおまかなこと。十分にねれていないさま。粗野。
  • 東・吾妻・吾嬬 あずま (1) (景行紀に、日本武尊が東征の帰途、碓日嶺から東南を眺めて、妃弟橘媛の投身を悲しみ、「あづまはや」と嘆いたという地名起源説話がある) 日本の東部地方。古くは逢坂の関以東、また伊賀・美濃以東をいったが、奈良時代にはほぼ遠江・信濃以東、後には箱根以東を指すようになった。(2) 特に京都からみて関東一帯、あるいは鎌倉・鎌倉幕府・江戸をいう称。
  • 徴する ちょうする (1) 召す。呼び出す。(2) 取り立てる。(3) 求める。要求する。(4) 証拠を求める。見比べて考える。
  • 竪穴 たてあな (1) たてに掘った穴。(2) 竪穴住居。
  • 奥羽式土器
  • 蝦夷 えみし 「えぞ(蝦夷)」の古称。
  • 蝦夷 えぞ (1) 古代の奥羽から北海道にかけて住み、言語や風俗を異にして中央政権に服従しなかった人びと。えみし。(2) 北海道の古称。蝦夷地。
  • 雑合 ざつごう いくつかのものをまぜ合わすこと。合成すること。また、そのもの。
  • 華夷 かい (中国から見ていう) 中国と外国。
  • まつらわぬもの
  • まつろう 服ふ・順ふ (マツラフの転) (1) 服従する。従いつく。(2) 服従させる。従える。
  • 石鏃 いしやじり/せきぞく 石のやじり。木や竹の柄につけて、狩猟具・武器として使用。新石器時代を中心に世界各地に分布。日本では縄文・弥生時代に盛んに用いられた。打製品は両時代ともにあり、磨製品は弥生時代に作られた。石材は黒曜石・サヌカイト・珪岩・粘板岩などで、長さ1cm未満のものから5cm位のものまである。
  • 晦冥 かいめい 日の光が隠れて暗くなること。くらやみ。
  • 雨らす ふらす
  • 陰陽寮 おんみょうりょう/おんようりょう 律令制で、中務省に属し、天文・気象・暦・時刻・卜占などをつかさどった役所。陰陽頭のもとに、陰陽博士・暦博士・天文博士・漏刻博士などで編成。おんようのつかさ。うらのつかさ。
  • 一衣帯水 いちいたい すい [陳書後主紀]一筋の帯のような狭い川・海。その狭い川や海峡をへだてて近接していることをいう。
  • 粛慎・息慎・稷慎 しゅくしん 中国の古書にみえる中国東北地方の民族。後漢の※(第3水準1-84-78)婁、隋・唐の勿吉・靺鞨はその後身というが確かでない。日本書紀には、欽明天皇の時に佐渡に来り、斉明天皇の時に阿倍比羅夫が征したと記す。みしはせ。
  • 注進 ちゅうしん 事変を注して上に申し進めること。大事や事件を急いで報告すること。
  • 靺鞨 まっかつ ツングース族の呼称の一つ。周の粛慎、漢・魏の※(第3水準1-84-78)婁、南北朝の勿吉などはみな旧称で、この名称が起こったのは6世紀後半。有力な部族が7部族あり、その一つである粟末靺鞨族の支配者、大祚栄が中心になって渤海国が起こり、また、黒水靺鞨はのちに女真と称した。
  • クルガン kurgan 前3000年紀から前2000年紀の黒海北岸とカスピ海北岸のステップ地帯で生活する人々が築いた高塚古墳。古墳の基部には死体を納める穴(時代によって形は変化)がある。ここからの出土品は貴重な考古学的資料となっているが、ロシアのキリスト教への改宗後も15世紀頃まで造られた。(世界史)
  • ツングース Tungus・通古斯 シベリアのエニセイ川からレナ川・アムール川流域やサハリン島、中国東北部にかけて広く分布するツングース諸語を話す民族の総称。漢代以降の鮮卑、唐代の靺鞨・契丹、宋代の女真、満州族などを含む。狭義にはそのうち北部のエヴェンキ人を指し、生業は狩猟・漁労・採集、トナカイ・馬・牛の飼育等を主とする。
  • シャーマン shaman シャマン。自らをトランス状態(忘我・恍惚)に導き、神・精霊・死者の霊などと直接に交渉し、その力を借りて託宣・予言・治病などを行う宗教的職能者。シベリアのツングース系諸族の例が早くから注目された。シャーマン。
  • ファリック・ウォーシップ phallic worship
  • phallic 陰茎[男根]の。男根崇拝の。worship 崇拝。
  • 遺風 いふう (1) 昔から伝わっている風習。(2) 後世にのこっている故人の教化。
  • 高坏 たかつき 食物を盛る脚つきの台。縄文・弥生時代はもっぱら土器であったが、後には木製の平台で、脚を作り付けにして漆塗りなどとなった。角高坏を公式、丸高坏を略式とする。現在は神饌を盛る。たかすき。こしだか。
  • 男根 だんこん 男子の生殖器。陰茎。なんこん。ファロス。
  • ファルス phallus 男根。自然の生殖力を象徴する男根像。
  • 石神 いしがみ 奇石・霊石・石剣の類を神体としてまつった民間信仰の神。記紀にも見える。
  • 図記 ずき 図に書きあらわすこと。また、そのもの。
  • 妣 はは 亡母の意。
  • 妣の国 ははのくに
  • 根之堅洲国 ねの かたすくに
  • 堅洲国 かたすくに 地下の堅い土の国。黄泉の国。ねのくに。
  • 根国 ねのくに 根の国。地底深く、また海の彼方など遠くにあり、現世とは別にあると考えられた世界。死者がゆくとされた。黄泉の国。根の堅洲国。
  • La m屍e patrie
  • Notre m屍e patrie  ノートル・メール・パトリエ 「われらが母国」の意か。
  • patrie:〔仏〕本国、祖国、生国。故郷、郷土。
  • m屍e:〔仏〕母、女親。
  • m屍e patrie:〔仏〕母国。
  • notre:〔仏〕われわれの、わたしたちの。
  • 漢族 かんぞく 中国文化と中国国家を形成してきた主要民族。現在中国全人口の約9割を占める。その祖は人種的には新石器時代にさかのぼるが、共通の民族意識が成立するのは、春秋時代に自らを諸夏・華夏とよぶようになって以降。それらを漢人・漢族と称するのは、漢王朝成立以後。その後も漢化政策により多くの非漢族が漢族に同化した。
  • 遠つみおや とおつ みおや とおつ祖(おや)。(1) 祖先。先祖。えんそ。とおつかむおや。(2) 曾祖父母の父。高祖父。とおつおおじ。
  • セッツルメント settlement セツルメント。宗教家や学生などが、都市の貧困地区に宿泊所・授産所・託児所その他の設備を設け、住民の生活向上のための助力をする社会事業。また、その施設。隣保事業。
  • コロニー colony (1) 植民地。また、入植者の集落。(2) 一地域に定着した同一種または若干種の生物集団。(3) 細菌・かび類・培養細胞などの、培地上の肉眼で見える集まり。(4) 心身障害者などの総合社会福祉施設。ノーマライゼーションの思想の浸透により衰退。
  • 黄泉国 よみのくに 黄泉の国。(→)黄泉に同じ。
  • 黄泉 よみ (ヤミ(闇)の転か。ヤマ(山)の転ともいう) 死後、魂が行くという所。死者が住むと信じられた国。よみのくに。よもつくに。よみじ。こうせん。冥土。九泉。
  •  ロロ → 彝族
  • 彝族 いぞく 主に中国南西部の雲南・四川・貴州の各省、広西チワン(壮)族自治区などの高地に住む少数民族。言語はチベット‐ビルマ語派に属し、独特の文字を有する。
  • 鮮卑 せんぴ 古代アジアのモンゴル系(トルコ系とも)に属する遊牧民族。中国戦国時代から興安嶺の東に拠った。2世紀中葉、遼東から内外モンゴルを含んで大統一したが、三国時代、慕容・宇文・拓跋などの集団に分裂。晋代に、前燕・後燕・西秦・南涼・南燕の国を建て、拓跋氏は南北朝時代に北魏を建てた。
  • 赤山
  • 恋着 れんちゃく 深く恋いしたって忘れられなくなること。深く恋慕すること。
  • 人種学 じんしゅがく (Rassenkunde ドイツ) 人類学の一部門。人種の分類・起原などを研究する。
  • llot population
  • lot:〔仏〕(くじの)わけまえ、配当。賞金。宿命、めぐりあわせ。(商品の)一包、一組、一口、画地、工区。
  • population:〔仏〕人民、国民、住民。人口、植民。集団。
  • 三界 さんがい
  • 古《パレオ》シベリア族
  • 古《パレオ》アジア族
  • 中つ国 なかつくに 中央にある国。
  • 高ヶ原 たかまがはら → 高天原か
  • 青人草 あおひとくさ (人のふえるのを草の生い茂るのにたとえていう) 民。民草。国民。蒼生。
  • 穢悪 えお 仏語。けがれていて、いとわしいこと。汚いこと。また、そのような地。えあく。
  • 悪神カラウ
  • 香気 こうき よいにおい。香り。
  • 理科大学 りか だいがく 帝国大学令による分科大学の一つ。理学を教授した。大正8年(1919)帝国大学理学部に改称。


◇参照:『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『日本国語大辞典 第二版』(小学館、2001.5)。



総索引
語句索引


  •   【あ】
  • 悪神 あくじん
  • 悪神カラウ あくしん カラウ
  • 悪霊 あくりょう
  • 麻 あさ
  • 麻織物 あさおりもの
  • 麻布 あさふ
  • アザラシ
  • 足名椎 あしなづち/あしなずち
  • 葦原中国/葦原の中国 あしはらの なかつくに
  • 葦原の国 あしはらのくに
  • 足拍子 あしびょうし
  • 東・吾妻・吾嬬 あずま
  • 東夷・東蝦夷 あずまえびす
  • 校倉 あぜくら
  • 校倉造 あぜくらづくり
  • アッシ/アツシ(厚子・厚司)
  • アニト anito(精霊)
  • アプチイ・シャーマン(女の巫女)
  • 海人・蜑 あま
  • 海女 あま/あまめ
  • 白水郎 あま/はくすいろう
  • 阿幕 あまく?
  • 天つ神 あまつかみ
  • 海部・海人部 あまべ
  • 文・綾 あや
  • 綾織 あやおり
  • 粗麻 あらそ
  • 荒身魂 あらみたま
  • アワ 粟
  • 安山岩 andesite あんざんがん
  • 安息日 あんそくび/あんそくにち
  • アンバー(死者)
  • 按撫使 あんぶし
  •   【い】
  • 石庖丁 いし ぼうちょう
  • 石神 いしがみ
  • 石敢当 いしがんとう
  • 石鏃 いしやじり/せきぞく
  • イスラム教 イスラムきょう
  • 神巫・巫子・市子 いちこ
  • 厳し いつかし
  • 夷狄 いてき
  • イナウ inau
  • 位牌 いはい ancestral tablet
  • イルラオ
  • 威霊 いれい
  • 島嶼式 イロポプラション
  • いろり
  • 斎・祝 いわい
  • 斎主 いわいぬし
  • 祝部土器 いわいべ どき (須恵器・陶器)
  • 淫祠 いんし
  • 陰府 いんぷ
  • 陰陽五行説 いんよう ごぎょうせつ
  •   【う】
  • ウォングオング Wong-ong(精神病者の霊)
  • 誓び うけび (祈請・誓約・うけい、か)
  • 宇佐島 ウサシマ/ウサジマ
  • 臼搗き唄 うすつきうた
  • 雅楽寮 うたのつかさ/ががくりょう
  • 団扇太鼓 うちわ だいこ
  • 顕斎 うつしいわい
  • 鬱陵開拓使 うつりょう かいたくし?
  • ウヌウ (人間が病気にかかること)
  • 海の神 うみのかみ
  • 海の幸・山の幸 うみのさち やまのさち
  • ウルウル Wul-wul(聾唖者の霊)
  •   【え】
  • 穢悪 えお
  • 易 えき
  • エスノグラフィー ethnography (民族誌)
  • 蝦夷人 えぞびと?/えみしびと?
  • 穢土 えど
  • 蝦夷 えみし
  • エムシュ(槐か)
  • 槐 えんじゅ(エムシュか)
  •   【お】
  • オーチ
  • 奥羽式土器 おううしき どき?
  • 扇 おうぎ
  • オウム貝 おうむがい
  • 大アムシラレ おおアムシラレ
  • オオカミ
  • 大烏 オオガラス
  • 奥津捨家 おきつ すてや
  • 沖縄人 おきなわじん?
  • 沖船 おきふね?
  • 男覡 おとこみこ?/なんげき? (男巫・男神子)
  • 鬼火 おにび → リファ
  • オマンガ (善のアンバー)
  • オモノ木 おものき
  • オリジン origin
  • オルキ (悪のアンバー)
  • 音声学 おんせいがく → フォネティックス
  • オンドル 温突
  • 女神子・女巫 おんなみこ
  • 陰陽道 おんみょうどう/おんようどう
  • 陰陽寮 おんみょうりょう/おんようりょう
  •   【か】
  • 華夷 かい
  • 会葬人 かいそうにん
  • 貝塚 かいづか
  • 果園 かえん
  • 鏡 かがみ
  • 鰐魚 がくぎょ
  • 神楽 かぐら
  • 神楽太鼓 かぐら だいこ
  • 懸軸 かけじく?
  • 籃 かご
  • 花崗岩 かこうがん → グラニット
  • 火山岩 かざんがん
  • 加持 かじ
  • 鍛冶 かじ
  • 賢所 かしこどころ
  • 堅洲国 かたすくに
  • 語部 かたりべ
  • 羯鼓 かっこ
  • 火田 かでん
  • 鼎 かなえ
  • 神棚 かみだな
  • 神の社(神社) かみのやしろ
  • 神代 かみよ
  • カラウ (悪魔王)
  • 唐草模様 からくさ もよう
  • 唐国・韓国 からくに
  • 枳橘 からたち?
  • カラムシ 苧
  • 柑 カン
  • 雁・鴈 がん
  • 宦官 かんがん
  • 監倉 かんそう
  • 関帝廟 かんていびょう
  • 巫・覡 かんなぎ
  • カンナンカムイ (雷神。巨人)
  •   【き】
  • 技楽(伎楽か) ぎがく
  • 『記』『紀』、記紀 きき
  • 基址 きし
  • 木地 きじ
  • 妓女 ぎじょ
  • 橘 きつ
  • 祈祷 きとう
  • 鬼門 きもん
  • 経典 きょうてん
  • 御寝所 ぎょしんどころ
  • 禁厭 きんえん
  • 金柑 キンカン
  • 金橘 キンキツ
  •   【く】
  • 百済楽 くだらがく
  • グナイス(鉱物名)
  • 国つ神・地祇・国津神 くにつかみ
  • 首狩 くびかり
  • 首棚 くびだな?
  • 熊祭 くままつり
  • 供物 くもつ
  • グラニット granite(花崗岩)
  • クラン Clan(氏族)
  • 黒潮 くろしお
  • 桑 くわ
  • 裙 くん
  • 群族 ぐんぞく/グループ
  •   【け】
  • 景教 けいきょう → ネストリア教
  • 荊蛮 けいばん
  • ケストの制 ケストのせい
  • 穴居 けっきょ
  • 潔斎 けっさい
  • ケルン cairn
  • 元 げん
  • 元軍民総官府 げんぐんみんそうかんふ?
  • 肩甲骨・肩胛骨 けんこうこつ
  • 原史時代 げんし じだい
  • 原始神道 げんし しんとう
  • 原始的道教 げんしてき どうきょう
  • 遣唐使 けんとうし
  • 絹布 けんぷ
  • 玄武岩 げんぶがん → バザルト
  • 瓠氏 こ し?
  •   【こ】
  • 猴 コウ/さる
  • 岬角 こうかく
  • 句呉 こうご/くご
  • 甲状腺腫 こうじょうせんしゅ
  • 洪水伝説 こうずい でんせつ
  • 楮 こうぞ
  • 口碑 こうひ
  • 降伏 ごうぶく
  • 降魔 ごうま
  • 降魔式 ごうましき?
  • 五行 ごぎょう
  • 五行説 ごぎょうせつ
  • 腰鈴 こしすず?/ようれい?
  • 古代史 こだいし
  • 虎頭鈴 ことうれい?
  • 五覇 ごは
  • 護符・御符・御封 ごふ
  • 古墳 こふん
  • 高麗楽 こまがく
  • 米 こめ
  • 五葉松 ごようまつ
  • 御霊 ごりょう
  • コロニー colony
  •   【さ】
  • 災禍 さいか
  • 最高神 さいこうしん
  • 財神廟 ざいじんびょう?
  • 祭典 さいてん
  • 幸魂 さきみたま
  • サバウドベ
  • 猿楽 さるがく
  • 三界 さんがい
  • 三韓楽 さんかんがく
  • 山橘 サンキツ?
  • サンゴ礁 さんごしょう
  • 山神廟 さんじんびょう?
  • 山村人 さんそんじん?
  • 三番叟 さんばそう
  •   【し】
  • 潮干珠・潮乾珠 しおひのたま
  • 潮満珠・潮盈珠 しおみちのたま
  • 式三番 しきさんば
  • 式三番叟 しきさんばそう
  • 地師 じし?
  • 氏族 しぞく(クラン)
  • シデ(植物名)
  • シナ町 しなまち?
  • シナラウィタン Sinalawitan(魔除けの槍)
  • 島守 しまもり
  • 七五三縄、注連縄 しめなわ
  • シャーマニズム shamanism
  • シャーマン教 shamanism シャーマン きょう
  • シャーマン shaman
  • 斜視 しゃし → Oblique-eyed
  • シャマンドエニ
  • 斜文織 しゃもんおり
  • 儒教 じゅきょう
  • 熟蕃 じゅくばん
  • 儒生 じゅせい
  • 儒仏 じゅぶつ
  • 誦文 じゅもん
  • 殉死 じゅんし
  • 笙 しょう
  • 象形文字 しょうけい もじ
  • 上古 じょうこ
  • 城隍廟 じょうこうびょう
  • 上古史 じょうこし
  • 小祠 しょうし
  • 精進 しょうじん
  • 小人 しょうじん?
  • 商人 しょうにん
  • 常民 じょうみん
  • 縄文土器 じょうもん どき
  • 精霊祭 しょうりょうまつり
  • 植物尊拝 しょくぶつ そんぱい
  • 植物伝説 しょくぶつ でんせつ
  • 蜀江の錦 しょっこうのにしき
  • 新羅楽 しらぎがく
  • シラビック syllabic
  • 鞦 しりがい?
  • 神位 しんい
  • 神杆 しんかん?
  • 神社 じんじゃ → 神の社
  • 人種考古学 じんしゅ こうこがく
  • 人種学 じんしゅがく
  • 神体 しんたい
  • 神典 しんてん
  • 神道 しんとう
  • 人類学 じんるいがく
  • 神霊 しんれい
  • 神話学 しんわがく
  •   【す】
  • 水獺 すいだつ (カワウソ)
  • 陶 すえ
  • 須恵器・陶器 すえき → 祝部土器
  • 鋤鍬 すき くわ
  • 鈴 すず
  • ストーンサークル stone circle
  • 漁 すなどり
  • スピーシーズ species
  • スピリット spirit
  • スプリーム・ビーイング supreme being
  •   【せ】
  • 西域 せいいき
  • 青橘 セイキツ?
  • 牲牛 せいぎゅう?
  • 筮竹 ぜいちく
  • 青銅器 せいどうき
  • 清寧殿 せいねいでん?
  • 生蕃 せいばん
  • 石金橘 セキキンキツ?
  • 赤山 せきざん?
  • 石室 せきしつ
  • 石葬 せきそう?
  • 石斧 せきふ
  • 石灰岩 せっかいがん
  • 石槨 せっかく
  • 石器 せっき
  • 石器時代 せっき じだい
  • 石剣 せっけん
  • 雪隠 せっちん
  • セッツルメント settlement
  • 説話樹 Tree of talk せつわじゅ?
  • 先史 せんし
  • 先史考古学 せんし こうこがく
  • 先史時代 せんし じだい
  • 先住民 せんじゅうみん
  • 占術 せんじゅつ
  • 善神 ぜんしん
  • 跣足 せんそく
  • 宣託 せんたく
  • 鮮卑 せんぴ
  • 善霊 ぜんれい
  •   【そ】
  • 相思樹 そうしじゅ
  • 想思樹 そうしじゅ? Thought → 相思樹か
  • 創世記 そうせいき
  • 葬送 そうそう
  • 総督府 そうとくふ
  • 草履 ぞうり
  • 俗言 ぞくげん
  • 束帯 そくたい
  • 底つ国、底津国 そこつくに
  • 底つ根の国 そこつねのくに
  • 祖先教 そせんきょう
  • 蘇塗 そと
  • 祖廟 そびょう
  •   【た】
  • ターバン turban
  • 大橘 ダイキツ?
  • 太鼓 たいこ
  • 泰山府君・太山府君 たいざん ふくん
  • 大乗仏教 だいじょう ぶっきょう → 大乗教
  • 大乗教 だいじょうきょう
  • 大将軍 たいしょうぐん
  • 太祖・大祖 たいそ
  • 大唐楽 だいとうがく?
  • 高塚 たかつか
  • 高坏 たかつき
  • 高殿 たかどの
  • 高ヶ原 たかまがはら → 高天原か
  • 高天原 たかまがはら/たかまのはら
  • タコー Ta-ko タコ。霊魂。
  • 竪穴 たてあな
  • 竪穴住居 たてあな じゅうきょ
  • 多綴音 たていおん?
  • タブー taboo; tabu
  • 鎮魂 たましずめ
  • 鎮魂祭 たましずめのまつり
  • 魂祭 たままつり
  • 手向 たむけ
  • 短靴 たんぐつ
  • 男根 だんこん
  • 単綴音 たんていおん?
  • 断髪 だんぱつ
  • 耽羅楽 たんらがく?
  •   【ち】
  • チェンバー chamber
  • チェンバートゥーム chamber tomb
  • 千木・知木・鎮木 ちぎ
  • 竹根 ちくこん/ちっこん
  • チグヂー(洪水)
  • 竹田 ちくでん
  • 竹林 ちくりん
  • チベット仏教 チベット ぶっきょう
  • チベットラマ → ラマ教か
  • 中華 ちゅうか
  • 沖積 ちゅうせき
  • 中頭 ちゅうとう
  • 中人 ちゅうにん/ちゅうじん
  • 朝貢 ちょうこう
  • 地霊 ちれい
  • 鎮魂祭 ちんこんさい
  •   【つ】
  • 椎髻 ついけい
  • 追儺 ついな
  • 栂 ツガ
  • 憑かれる つかれる
  • 土蜘蛛 つちぐも
  • 俗人 つねびと
  • 積石塚 つみいしづか
  • 釣鈎 つりばり
  •   【て】
  • 帝政 ていせい
  • 泥像 でいぞう?
  • 鉄器時代 てっき じだい
  • 手名椎 テナツチ
  • 天下大将軍 てんか たいしょうぐん?
  • 天井石 てんじょういし?
  • 天孫 てんそん
  • 天孫降臨 てんそん こうりん
  • 天地開闢 てんち かいびゃく
  •   【と】
  • トーテミズム totemism
  • トーテム totem
  • 胴着・胴衣 どうぎ
  • 道教 どうきょう
  • 唐金橘 トウキンキツ?
  • 洞穴 どうけつ
  • 銅鼓 どうこ
  • 桃氏 とうし?
  • 橙子 トウシ?
  • 島嶼 とうしょ
  • 刀子 とうす
  • 洞庭橘 ドウテイキツ?
  • 玉蜀黍 とうもろこし
  • 唐柚子 トウユズ?
  • 東洋学 とうようがく
  • 遠つみおや とおつ みおや
  • 土器 どき
  • 登岐士玖能迦玖能木実 ときじくの かぐの このみ
  • 特種部落 とくしゅ ぶらく
  • 常世国 とこよのくに
  • 刀自 とじ
  • 土人 どじん
  • トスクル
  • 土俗学 どぞくがく
  • 耽羅薄鰒 とらのいか
  •   【な】
  • 内地 ないち
  • 内地人 ないちじん
  • 中つ国 なかつくに
  • 鳴物 なりもの
  • 南蛮 なんばん
  • 南部シナ人 なんぶ しなじん
  •   【に】
  • 日蓮宗 にちれんしゅう
  • 娘々宮 ニャンニャンぐう?
  • 乳柑 ニュウカン?
  • 鐃鉢 にょうはち
  • 人蔘 ニンジン
  •   【ぬ】
  • 縫取り ぬいとり
  • 幣 ぬさ
  • 幣束 ぬさ/へいそく
  • 幣帛 ぬさ/へいはく
  •   【ね】
  • ネーブル navel
  • ネストリア教(景教) ネストリアきょう
  • ネストリアン
  • 根之堅洲国 ねの かたすくに
  • 根の国、根国 ねのくに
  •   【の】
  • ノートル・メール・パトリエ
  • 能楽 のうがく
  • 農民 のうみん
  • 野鴨 のがも
  • 祝詞 のりと
  • のろ(祝女・巫女)
  • ノロクメ
  • ノロクモイ
  • ノンチャイニーズ
  •   【は】
  • 売卜 ばいぼく
  • 売卜者 ばいぼくしゃ
  • 帛 はく
  • バザルト basalt(玄武岩)
  • 芭蕉 ばしょう
  • パタイ Pa-tay(男の覡子)
  • 桴 ばち
  • ハッカ 薄荷
  • 八賤 はっせん?
  • 埴輪 はにわ
  • 妣 はは
  • 妣の国 ははのくに
  • 隼人 はやと
  • 流行病 はやりやまい
  • 祓い はらい
  • 蛮・蕃 ばん
  • 万戸 ばんこ
  • 万戸侯 ばんここう
  • 蕃人 ばんじん
  • 蛮族 ばんぞく
  • パンダナス pandanus
  • 半胴着 はんどうぎ
  •   【ひ】
  • 比較宗教 ひかく しゅうきょう
  • 比較宗教学 ひかく しゅうきょうがく
  • 櫃 ひつ
  • 人身御供 ひとみ ごくう
  • 被髪 ひはつ
  • 姫小松 ひめこまつ
  • 白檀 ビャクダン
  • ひれ 領巾・肩巾
  • 檳榔 びろう
  • 瓶橘 ビンキツ?
  • ピンサバカン
  • ピンテン Pin-teng(首を斬られたものの雲魂)
  • 檳榔樹 びんろうじゅ
  •   【ふ】
  • フージル(巨人)
  • ファミリー・シャーマン
  • ファリック・ウォーシップ phallic worship
  • ファルス phallus(男根)
  • 回回教 フイフイ きょう
  • 風水 ふうすい
  • フォークロア folklore
  • フォネティックス phonetics (音声学)
  • 舞楽 ぶがく
  • 葺料 ふきりょう?
  • 鰒 フク/あわび
  • 巫覡 ふげき
  • 府使 ふし?
  • フジの実 フジのみ
  • 仏手柑 ぶしゅかん
  • フセ・シャーマン(男の巫人)
  • フターツ Futa-tu(悪い霊)
  • 仏教 ぶっきょう
  • 仏菩薩 ぶつぼさつ
  • 船おろし ふなおろし
  • 巫卜 ふぼく?
  • 部落 ぶらく
  • 武陵桃原、武陵桃源 ぶりょう とうげん
  • ブレッド・フルーツ breadfruit tree
  • プロビンス province
  • プロフェッショナル・シャーマン
  • 文化史 ぶんかし
  • 文身 ぶんしん
  • 墳墓 ふんぼ
  •   【へ】
  • ペーザント・アート peasant art
  • 米穀 べいこく
  • 幣束 へいそく
  • 白丁 ペクチョン/はくてい
  • 幣具理 He-gu-ri ヘグリ
  •   【ほ】
  • ボー Bo(巫子)
  • 帽笠 ぼうがさ?
  • 亡魂 ぼうこん
  • 蓬莱 ほうらい
  • 蓬莱山 ほうらいさん
  • 卜 ぼく
  • 卜卦 ぼくけ?
  • 叢祠・祠 ほこら
  • 浦村人 ほそんじん?
  • ボボ (彫刻)
  • 帆前船 ほまえせん
  • ボン教 ボンきょう
  •   【ま】
  • 舞 まい
  • 曲玉・勾玉 まがたま
  • 禍津毘 (禍霊、禍津日神) まがつび
  • 禍霊 まがつひ → 禍津毘
  • 巻脚半 まき きゃはん
  • マタタビ
  • マタノアニト (星)
  • まつらわぬもの
  • 魔除け まよけ
  • 丸善 まるぜん
  •   【み】
  • 巫女・神子 みこ
  • 巫人 みこ
  • 覡子 みこ?
  • 霊魂 みたま
  • 密教 みっきょう
  • 民間信仰 みんかん しんこう
  • 民族心理 みんぞく しんり
  • 民族心理学 みんぞく しんりがく
  • 民族学 みんぞくがく
  • 民族誌 みんぞくし → エスノグラフィー
  •   【む】
  • ムー Mu
  • 舞党 ムータン?
  • ムータン Mu-tang、Mutan 巫党
  •   【め】
  • 冥土・冥途 めいど
  • 冥府 めいふ
  • 明太魚 めんたいぎょ
  •   【も】
  • 裳 も
  • 黙劇 もくげき
  • 裳裾 もすそ
  • 髻 もとどり
  • モノシラビック
  • もののけ (物の怪・物の気)
  •   【や】
  • 椰子 やし
  • ヤシの実 やしのみ → 椰子
  • 山神 やまがみ
  • ヤマネコ
  • 山の神 やまのかみ
  • 山畑 やまはた
  • 弥生式土器(弥生土器) やよいしき どき
  • ヤンパン 両班
  •   【ゆ】
  • 木綿 ゆう
  • 木綿垂 ゆうしで
  • 柚・柚子 ゆず/ユ・ユウ
  •   【よ】
  • 瓔珞 ようらく
  • 黄泉 よみ
  • 黄泉国、夜見の国 よみのくに
  •   【ら】
  • 駱 ラク
  • 羅船 らせん?
  • ラバ lava
  • ラマ信教 ラマ しんきょう → ラマ教か
  • ラマ Bla-ma
  • ラマ教 ラマきょう
  •   【り】
  • 理科大学 りか だいがく
  • 陸稲 りくとう
  • リファ Li-fa(鬼火)
  • リムン Li-mun(幽霊)
  • リヤ(植物名)
  • 龍王廟 りゅうおうびょう?
  • 流求 りゅうきゅう
  • 龍宮 りゅうぐう
  • 柳氏 りゅうし?
  • 竜樹 りゅうじゅ?
  •   【る】
  •   【れ】
  • 霊験 れいげん
  • 霊魂 れいこん
  • 驢 ロ
  •   【ろ】
  • 老覡 ろうげき?
  • 蝋纈 ろうけつ/ろうけち
  • 刀 ロロとう?
  •   【わ】
  • 倭橘 ワキツ?
  • 草鞋 わらじ
  •   【A-Z】
  • Change of sex
  • Chauy-ya 最上神ルマウイグの住む天空
  • ethnography 民族誌
  • I-Pu 祖先 位牌
  • Jo-mo 道の祈祷
  • Lolodom
  • Mu-che 死後三日目の儀式
  • Oblique-eyed
  • Pieris 樹
  • pit-dwellers 竪穴住居か
  • Prehistoric → 先史時代
  • Slo-ta 死霊・鬼とともに人間に災禍をあたえるものの一種
  • Su-Pu 祈祷
  • Taliang 山 ロロの故郷
  • Totemism トーテミズム
  • Transverse bundle
  • Weh-ha 死後二日目の儀式





    人名索引


    •   【西洋人名】
    • Augustine Henry
    • De Grot
    • Dr. Karl Hedman a Vasa
    • Paul Vial
    • Tallgren, Aarne Micha鼠
    • アロポン
    • ゲール James Scrath Gale
    • シュレンク Shrenk, Leopold Ivanovich
    • タルグレン A.-A. Tallgren
    • ツロシュチャンスキー Troshchanski
    • ノア Noah
    • ビール Beal, Samuel
    • ビヤール → ビールか
    • ヒルト Friedrich Hirth
    • ベーバー
    • ヘンリー,エー → Augustine Henry か
    • ホメロス Homeros
    • ボンザロフ
    • マルコ・ポーロ Marco Polo
    • ミルトン John Milton
    • ラクーペリー → ラクペリ
    • ラクペリ Lacouperi, Albert Etienne Jean Baptiste Terrien de
    •   【その他 A-Z】
    • A-chi アチ 天地創造の霊魂の名
    • Ali アリ 天地創造の霊魂の名
    • Bu-luh 姓名のうち、もっとも古いもの。仏手柑の意味。
    • Ghelou 伝説の王名か
    • Ghikedze
    • Gnigage
    • Hiye 伝説の王名か
    • K'od ge 三家族。
    • Ked-ze ケツゼ 白龍(lou pou hlou)。
    • Kousey
    • Lototche
    • Sa-lu Bu-luh が変化したもの
    • Tendafou
    • Tendefe
    • Toehou 王
    • Tse-gudzih 天空の族長
    •   【読み不明】
    • 白吉土豆 Pek-kil-tu-tu 于山島の人
    • 県人万戸南
    • 瓢公 瓠公(ここう)か
    •   【あ】
    • 阿倍比羅夫 あべの ひらぶ
    • 天照大御神 あまてらす おおみかみ
    • 天之日矛 あめのひぼこ
    • 荒井さが子 あらい さがこ?
    • 新井白石 あらい はくせき
    •   【い】
    • 異斯夫 いしふ
    • 厳媛 いつひめ
    • 稲田姫 いなだひめ
    • 稲氷命 いなひのみこと
    • 犬養連手繦 いぬかいのむらじ たすき?
    •   【う】
    • 禹 う
    • ※(第3水準1-94-73)※(第3水準1-94-66)草葺不合尊 うがやふきあえずのみこと
    • 鈿女命(天鈿女命) うずめのみこと
    •   【え】
    • 睿宗 えいそう
    •   【お】
    • 王建 おうけん → 高麗の太祖
    • 大野延太郎 おおの のぶたろう
    • 大三輪 おおみわ
    • 大山祇 おおやまづみ
    • 大山祇命 おおやまつみのみこと
    • 小倉進平 おぐら しんぺい → 小倉文学士
    • 小倉文学士 おぐら ぶんがくし → 小倉進平か
    •   【か】
    • 海軍水路部 かいぐん すいろぶ
    • 川原連加尼 かわらのむらじ かね?
    • 韓退之(韓愈) かん たいし
    • 韓愈 かん ゆ → 韓退之
    • 関羽 かんう
    • 関帝 かんてい
    • カンブニヤン Kan-buniyan 神
    •   【き】
    • 毅宗 きそう
    • 金柔立 きん じゅうりつ?
    •   【く】
    • 奇稲田姫 くしなだひめ → 稲田姫
    • グニグナ
    • クニケツゼ
    • グニケツゼの精霊
    • クニツゼ
    •   【け】
    • 継体天皇 けいたい てんのう
    • 乾隆帝 けんりゅうてい
    •   【こ】
    • 高乙那 こう?
    • 康熙帝 こうきてい
    • 孔子 こうし
    • 勾践 こうせん
    • 高宗 こうそう
    • 黄帝 こうてい
    • 高麗王 こうらいおう?
    • 高麗の太祖 こうらいの たいそ? → 王建
    • 後白河天皇 ごしらかわ てんのう
    • 小藤博士 ことう はくし?
    • 木之花咲耶姫 このはなのさくやびめ
    • 後花園天皇 ごはなぞの てんのう
    •   【さ】
    • 崔忠献 さい ちゅうけん
    •   【し】
    • 始皇帝 しこうてい
    • 持統天皇 じとう てんのう
    • 司馬遷 しば せん
    • 諸葛孔明(諸葛亮) しょかつ こうめい
    • 諸鹿君 しょろくくん? 慶州にいる新羅学者
    • 神武天皇 じんむ てんのう
    •   【す】
    • 垂仁天皇 すいにん てんのう
    • 少名毘古那命 スクナヒコノミコト/すくなびこなのかみ
    • 素盞嗚命 すさのおのみこと
    •   【せ】
    • 世宗 せいそう
    •   【そ】
    •   【た】
    • 大院君 たいいんくん
    • 太宗 たいそう 李朝の太宗
    • 太伯 たいはく
    • 高皇産霊尊 たかみむすひのかみ
    • 但馬諸助 たじま もろすけ? → 多遅麻毛理か
    • 多遅麻毛理 たじまもり
    • 田道間守 たじまもり → 多遅麻毛理
    • 脱解王 だっかいおう? (脱解尼師今か)
    • ダニ
    •   【ち】
    • 智証麻立干 ちしょう まりつかん → 智証王
    • 智証王 ちしょうおう?  → 智証麻立干か
    • 仲雍 ちゅうよう? 太伯の弟
    •   【つ】
    • 筑紫の磐井 つくしの いわい
    • 筑紫水沼君 つくしの みぬまのきみ?
    • ツタフ
    • ツダフの精霊
    • 坪井正五郎 つぼい しょうごろう → 坪井博士
    • 坪井博士 つぼい はくし → 坪井正五郎か
    • ヅム Du-mu
    •   【て】
    • テチ兄弟
    • 手名椎・足名椎 てなづち・あしなづち
    • 天智天皇 てんじ てんのう
    • 天武天皇 てんむ てんのう
    •   【と】
    • 藤貞幹 とう ていかん → 藤井貞幹
    • 桃氏 とううじ?
    •   【な】
    •   【に】
    • 仁明天皇 にんみょう てんのう
    •   【ぬ】
    • ヌルハチ 奴児哈赤・弩爾哈斉
    •   【ね】
    •   【の】
    • 能因 のういん
    •   【は】
    • 馬援 ば えん
    •   【ひ】
    • 広嗣 ひろつぐ (藤原広嗣)
    • 閔王妃 びんおうひ?
    • 閔妃 びんひ → 閔王妃
    •   【ふ】
    • 夫乙那 ふ?
    • フーカン ファータンガの妹
    • ファータンガ フーカンの兄
    • 武王 ぶおう 周の武王
    • 浮金丸 ふきんがん?
    • 藤井貞幹 ふじい ていかん? → 藤貞幹か
    • 藤村光鎮 ふじむら こうちん?
    • 藤原広嗣 ふじわらの ひろつぐ → 広嗣
    • フニ Fu-ni 神
    • 撲喇(Pu-la) プラ
    • 文周王 ぶんしゅうおう
    •   【へ】
    •   【ほ】
    • 法興王 ほうこうおう
    • 火遠理命 ほおりのみこと
    • 火照命 ほでりのみこと
    •   【ま】
    •   【み】
    • 道主貴 ミチヌシムチ
    • 道臣命 みちのおみのみこと
    • 水沼氏 みぬまうじ → 筑紫水沼君
    • 三宅連 みやけむらじ
    •   【む】
    •   【め】
    •   【も】
    • 本居宣長 もとおり のりなが
    •   【や】
    • 山路愛山 やまじ あいざん
    • 日本武尊 やまとたけるのみこと
    •   【ゆ】
    •   【よ】
    • 陽成天皇 ようぜい てんのう
    •   【ら】
    • 李圭遠 り けいえん?
    • 李太白 り たいはく
    • 李白 り はく
    •   【り】
    • 李王家 りおうけ
    • 柳氏 りゅううじ?
    • 良乙那 りょう?
    • 麟雨 りんう?
    •   【る】
    • ルマウィグ Lu-ma-wig 最上神
    •   【れ】
    •   【ろ】
    •   【わ】
    • 海神・綿津見 わだづみ/わたつみ
    • 種族・民族名索引

    •   【あ】
    • アイヌ Ainu
    • アジアティックス Asiatic か。アジア人。
    • アボリジニ aborigine
    • アボリジンズ、アボリジニズ Aborigines
    • アミ群 アミぐん Ami
    • アメリカ・インディアン American Indian
    • アリュート Aleut
    • アルタイ語族 アルタイごぞく Altaic
    • アルタイ人 アルタイじん → アルタイ語族
    •   【い】
    • イゴロ人 イゴロじん
    • 彝族 いぞく → (ロロ)
    • インディアン Indian
    • インド・ヨーロッパ語族 インド‐ヨーロッパ ごぞく Indo-European
    • インドシナ人 インドシナじん
    • インドシナ民族 インドシナみんぞく
    • インドネシア人 インドネシアじん → インドネジアン
    • インドネジアン
    •   【う】
    • ウィルタ Uilta → オロッコ
    • ウラル・アルタイ民族 ウラル・アルタイみんぞく
    • ウラル語族 ウラルごぞく Uralic
    •   【え】
    • エスキモー Eskimo
    • 蝦夷アイヌ えぞ アイヌ → アイヌ
    •   【お】
    • オーストラリア土人オーストラリア どじん → アボリジニ 
    • オーストロネシア語族 オーストロネシアごぞく Austronesian
    • オロッコ Oroke(ウィルタ)
    •   【か】
    • カムチャダール Kamchadal
    • カラフト・アイヌ → アイヌ
    • カロリン諸島民 カロリンしょとうみん Caroline Islanders
    • カロリン人 カロリンじん → カロリン諸島民か
    • 漢民族 かん みんぞく → 漢族
    • 漢族 かんぞく
    •   【き】
    • 北千島アイヌ きたちしま アイヌ → アイヌ
    • 契丹 きったん
    • キャン チベット民族
    • 羌 きょう
    • 莱派 きらいは?
    • ギリヤーク Gilyak
    • キルギス Kyrgyz
    •   【く】
    • クルガン kurgan
    •   【け】
    • 荊蛮 けいばん
    •   【こ】
    • 古アジア諸語 こアジア しょご
    • 古アジア民族 こアジア みんぞく → 古アジア諸語
    • 五渓蛮 ごけいばん?
    • ゴリド人 ゴリドじん (ナナイ)
    • コリヤーク Koryaks
    •   【さ】
    • サハ Sakha → ヤクート
    • サモエッド族 サモエッドぞく samojed
    • 三苗 さんびょう
    •   【し】
    • シナ人 しなじん (中国人)
    • ジャワ島人 ジャワとうじん
    • 粛慎・息慎・稷慎 しゅくしん
    •   【す】
    •   【せ】
    • セミチック Semitic セミティック
    • セム族 Semitic races → セミチック
    • 鮮人 せんじん (朝鮮人)
    •   【そ】
    •   【た】
    • タイシャン族 タイシャンぞく
    • タイヤル群 タイヤルぐん Tayal
    • 韃靼 だったん → タルタル
    • タマリ社  タマリ しゃ
    • タルタル Tartar 「韃靼の」の意。
    •   【ち】
    • 千島アイヌ ちしま アイヌ → アイヌ
    • チベット人 チベットじん Tibetan
    • チムシャン
    • 中華 ちゅうか
    • 中国人 ちゅうごくじん → シナ人
    • チュクチ Chukchi, Chukchee
    • 朝鮮人 ちょうせんじん → 鮮人
    •   【つ】
    • ツァリセン群 ツァリセンぐん (ルカイ)
    • ツォー群 ツォーぐん Tsou(ツォウ)
    • ツリンキット人 ツリンキットじん
    • ツングース Tungus
    •   【て】
    •   【と】
    •  トウ・ズウ・ドウ
    • トルコ族 トルコぞく
    •   【な】
    • ナナイ Nanai, Nanaitsy → ゴリド人
    • 南蛮 なんばん
    •   【に】
    • ニヴヒ Nivkhi → ギリヤーク
    •   【ぬ】
    •   【ね】
    • 新シベリア族 ネオシベリアン
    •   【の】
    •   【は】
    • ハイダ人 ハイダじん
    • パイワン 排湾
    • パプアン Papuan
    • ハミチック ハム語族か → ハム=セム語族
    • ハム=セム語族 Hamito-Semitic family
    • バラカ
    • 古アジア族 パレオ アジア ぞく
    • 古シベリア族 パレオ シベリア ぞく
    •   【ひ】
    • 苗 びょう
    • ビルマ系 ビルマけい
    • ビルマ語系 ビルマごけい
    •   【ふ】
    • フィン族 フィンぞく Finn
    • ブヌン群 ブヌンぐん Bunun
    • ブリヤート Buryat
    •   【へ】
    •   【ほ】
    • 北海道アイヌ ほっかいどう アイヌ → アイヌ
    •   【ま】
    • マオリー Maori
    • 靺鞨 まっかつ
    • マライ-ポリネシア語族 → オーストロネシア語族
    • マレー人 マレーじん Malay
    • マレー族 マレーぞく マレー人(Malay)
    • マレヨーポリネシア族 → マライ-ポリネシア語族か
    • 満州人 まんしゅうじん
    • 満州族 まんしゅうぞく → 満州人
    •   【み】
    • 苗族 ミャオぞく
    •   【む】
    •   【め】
    •   【も】
    • モンゴル人 モンゴルじん Mongol → モンゴル族
    • モンゴル族 モンゴルぞく Mongol
    • モンゴロイド Mongoloid
    •   【や】
    • ヤクート yakuts
    • ヤミ群 ヤミぐん Yami
    • 夜郎 やろう
    •   【ゆ】
    • 有苗 ゆうびょう
    • ユカギール Yukagir
    •   【よ】
    •  ヨウ
    •   【ら】
    •   【り】
    • 黎族 リーぞく Li
    •   【る】
    • ルカイ Rukai → ツァリセン
    •   【れ】
    •   【ろ】
    •  ロロ/ルオルオ (彝族)
    •   【わ】
    •   【読み不明】
    • 花苗 Hwa Miao
    • 古アジア民族 → 古アジア諸語
    • 古シベリア諸語
    • 紅苗 Hong Miao
    • 黒苗 Heh Miao
    • 青苗 Tsing Miao
    • 白苗 Peh Miao
    • 蒙古種族 Oblique-eyed Mongolians
    • 言語名索引

    • アルタイ語 アルタイご
    • インドシナ語 インドシナご
    • 漢語 かんご
    • キルギス語 キルギスご
    • サハ語 サハご → ヤクート語
    • サモエード語 サモエードご
    • シナ語 シナご (中国語)
    • ソロン語
    • タタール語 タタールご
    • 中国語 ちゅうごくご → シナ語
    • 朝鮮語 ちょうせんご
    • ツングース語 ツングースご
    • ツングース諸語 ツングースしょご Tungusic
    • 満州語 まんしゅうご
    • モンゴル語 モンゴルご
    • ヤクート語 ヤクートご (サハ語)





      地名一覧


      • [北アメリカ]
      • アラスカ Alaska
      • アラスカ海岸
      • ベーリング海峡 ベーリング かいきょう
      • ベーリング島
      • ハイダ島
      • アジア大陸 Asia
      • [ロシア]
      • シベリア Siberia
      • チタ Chita
      • オノン川 Onon
      • カムチャツカ半島 カムチャツカ はんとう Kamchatka
      • カラフト 樺太 サハリン
      • サハリン Sakhalin → カラフト
      • 堪察加 カムサツカ → カムチャツカ半島
      • カムチャツカダール
      • 沿海州 えんかいしゅう プリモルスキー
      • プリモルスキー Primorskii → 沿海州
      • 東薩加半島 カムチャツカ半島?
      • アルタイ Altai
      • トルキスタン Turkestan
      • バイカル → バイカル湖か
      • バイカル湖 バイカルこ Baikal
      • 後貝加爾州
      • ヤクート州
      • ロシア・トルキスタン
      • 西トルキスタン
      • エニセイ州
      • エニセイ川 Yenisei
      • 黒龍江 こくりゅうこう Heilong Jiang
      • ウスリー江 Ussuri
      • [朝鮮] ちょうせん Choson; Korea
      • 百済 くだら
      • 新羅 しらぎ
      • 高勾麗 こうくり
      • 高麗 こうらい
      • 馬韓 ばかん
      • [北朝鮮]
      • [咸鏡道] かんきょうどう
      • [咸鏡北道] かんきょう ほくどう/ハムギョン プクト
      • 豆満江 とまんこう/トゥマン ガン Tuman-gang
      • 吉州 きっしゅう/キルジュぐん
      • 明川 ミョンチョン/めいせん Myeongcheon
      • 豆満江 とまんこう/トゥマン‐ガン Tuman-gang
      • [咸鏡南道] かんきょう なんどう/ハムギョン ナムド
      • 北青 プクチョン
      • 永興 えいこう
      • 咸興 かんこう/ハムフン Hamhung
      • [平安北道] へいあん ほくどう/ピョンアン プクト
      • [韓国]
      • [ソウル] Seoul → 京城
      • 京城 けいじょう ソウル
      • 南山 なんざん?
      • 鷺梁津 ノリャンジン
      • 仁川 インチョン Inchon
      • 朝鮮総督府 ちょうせん そうとくふ
      • [江原道] こうげんどう/カンウォンド
      • 溟洲道 めいしゅうどう?
      • 竹辺
      • 三渉 → 三陟か
      • 三陟 サムチョク
      • [慶尚道] けいしょうどう
      • [慶尚北道] けいしょう ほくどう/キョンサン プクト
      • 鬱陵島 うつりょうとう/ウルルンド Ullung-do
      • 于山 Usan
      • 于山島 ウサンスム Usan-Sum
      • 于山国 うざんこく
      • 武陵島
      • 松島 まつしま? 鬱陵島の旧称
      • Dagelet island
      • 羅里山
      • 迎日湾
      • 道洞 どうどう Dodong 鬱陵
      • 沙洞
      • 黄洞浦
      • 光岩
      • 昌洞
      • 天府洞
      • 堅達里
      • 親不知、子不知
      • 苧浦 MaShi-ke
      • 慶州 けいしゅう Kyongju
      • 南山
      • 蔚珍 ウルチン/うつちん Uljin
      • 平海 へいかい/ペョンヘ Pyeonghae
      • 鬱陵郡 うつりょうぐん
      • [慶尚南道]
      • 南海島 なんかいとう/ナムヘド Namhae Do
      • 巨済島 きょさいとう/コジェド Geoje Do
      • 釜山港 → 釜山
      • 釜山 プサン/ふざん Pusan
      • 洛東江 らくとうこう/ナクトンガン Naktong-gang
      • [全羅道] ぜんらどう
      • [全羅南道] ぜんら なんどう/チョルラ ナムド
      • 木浦 モクポ/もくほ Mokpo
      • 多島海
      • 珍島 ちんとう/チントウ Jin Do
      • 莞島 かんとう/ワンド Wan Do
      • 巨文島 きょぶんとう/コムンド Geomun Do
      • 鍬子島 → 楸子群島か
      • 楸子群島 しゅうし ぐんとう/チュジャ グンド Chuja Gundo
      • 珍島 チンド/ちんとう
      • 済州島 さいしゅうとう/チェジュド Cheju-do
      • 耽羅 たんら 済州島
      • 漢山 → 漢拏山
      • 漢拏山 ハルラサン/かんなさん Halla-san
      • 白鹿潭
      • 延婚浦
      • 鳬桶 オルトン
      • 済州の城内
      • 金盛山
      • 金寧窟
      • 大静山 済州島の西南。
      • [モンゴル] Mongol
      • 興安嶺 こうあんれい/シンアンリン Xinganling
      • 中央アジア ちゅうおう アジア Central Asia
      • 東モンゴル
      • 西翁手特
      • 英金河
      • [中国][シナ]
      • 中華民国 ちゅうか みんこく
      • [黒龍江省] こくりゅうこうしょう
      • ウスリー川 Ussuri
      • アムール川 Amur → 黒竜江
      • 黒竜江 こくりゅうこう
      • 渾河 こんが
      • 満州 まんしゅう
      • 長白山 Changbai Shan
      • 南満州 みなみ まんしゅう
      • 満蒙 まんもう
      • [吉林省] きつりんしょう Jilin
      • 渾春 → 琿春か
      • 琿春 こんしゅん ホゥェンチゥェン
      • [遼寧省]
      • 興京 こうけい
      • 永陵 えいりょう?
      • 奉天 ほうてん
      • 瀋陽 しんよう Shenyang → 奉天
      • 奉天宮殿
      • 清寧宮 せいねいきゅう?
      • 遼東 りょうとう Liaodong
      • 遼東郡
      • [河北省]
      • 直隷省 ちょくれいしょう
      • [陝西省]
      • 長安 ちょうあん
      • [山東省] さんとうしょう Shandong
      • 黄河 こうが Huang He
      • [河南省]
      • 洛陽 らくよう Luoyang
      • 孟津 もうしん/モンチン
      • [江蘇省] こうそ Jiangsu
      • 呉 ご 江蘇省の別称
      • [湖北省] こほく Hubei
      • 楚 そ 湖南省・湖北省
      • [四川省] しせんしょう Sichuan
      • 蜀 しょく 四川省の別称
      • 巴 は 四川省重慶地方の別名
      • 成都 せいと Chengdu
      • 重慶 じゅうけい Chongqing
      • 岷江 みんこう Min Jiang
      • 峨眉山 がびさん
      • 峨眉山脈
      • 寧越
      • 会理県 かいりけん
      • 打箭炉 だせんろ → 康定
      • 康定 こうてい
      • 蜀江 しょっこう
      • ターリヤン山
      • 揚子江 ようすこう Yanzi Jiang
      • 長江 ちょうこう Chang Jiang → 長江
      • 漢江 かんこう Han Jiang
      • 上海 シャンハイ Shanghai
      • 南嶺山脈 なんれい さんみゃく Nanling Shanmai
      • [浙江省] せっこうしょう Zhejiang
      • 越 えつ 浙江省の別称
      • 会稽 かいけい
      • 会稽山 かいけいざん
      • 温州 おんしゅう Wenzhou
      • 甌江 おうこう/オウチィアン
      • [福建省] ふっけんしょう Fujian
      •  びん 福建省の別称
      • 羅源 らげん
      • 古田
      • [台湾] たいわん Taiwan
      • 紅頭嶼 こうとうしょ 蘭嶼
      • 蘭嶼 らんしょ/ランユィ → 紅頭嶼
      • 濁水渓 だくすいけい
      • 阿里山 ありさん Alishan
      • 恒春 こうしゅん/ホンチゥェン
      • 花蓮港 かれんこう → 花蓮
      • 花蓮 かれん/ホゥアリィェン Hualien
      • 卑南 ひなん
      • 新高山 にいたかやま
      • マヤ
      • 台南 たいなん Tainan
      • [江西省] こうせい Jiangxi
      • [湖南省] こなん Hunan
      • 長沙 ちょうさ Changsha
      • 湘江 しょうこう Xiang Jiang
      • 江 げんこう/ユィアン チィアン
      • 常徳 じょうとく Changde
      • 武陵源 ぶりょうげん Wulingyuan
      • 洞庭 どうてい
      • 洞庭湖 どうていこ Dongting Hu
      • 南嶺 なんれい/ナンリン
      • 南嶺山脈 なんれい さんみゃく Nanling Shanmai
      • 南山山脈
      • 嶺南 れいなん
      • 東海 とうかい
      • 東海の浜
      • 中 びんちゅう?
      • 東越
      • [貴州省] きしゅう Guizhou
      • [広東省] カントン Guangdong
      • 南海 なんかい
      • 南海郡 なんかいぐん
      • 海南島 かいなんとう Hainan Dao
      • 珠崖郡 しゅがいぐん
      • 耳 たんじ?
      • [雲南省] うんなん Yunnan
      • 叙州 じょしゅう?
      • 大理 だいり Dali
      • 南詔 なんしょう
      • 金沙江 きんさこう/チンシァ チィアン
      • [甘粛省] かんしゅく Gansu
      • [広西省] こうせい Guangxi 現、広西壮族自治区
      • 桂林 けいりん Guilin
      • 広東河
      • 蒼梧 そうご
      • 鬱林 うつりん → 玉林
      • 玉林 ぎょくりん/ユイリン
      • 合浦 ごうほ/ホォプゥ
      • [インドシナ] Indo-China
      • [ベトナム][アンナン]
      • 象郡 ぞうぐん
      • アンナン Annam
      • 交趾 コーチ
      • 九真 きゅうしん
      • 日南 にちなん
      • 東京 トンキン Tonkin、Tongking
      • レッド・リバー
      • 紅河 こうが
      • ソンコイ Songkoi → 紅河
      • [タイ]
      • タイ Thai Thailand
      • シャム Siam
      • 暹羅 シャムロ
      • 媚公河
      • [ミャンマー]
      • ミャンマー Myanmar
      • ビルマ Burma
      • サルウィン川 Salween、Salwin
      • [ラオス]
      •  ラオス Laos
      • [フィリピン] Philippines
      • フィリピン諸島
      • ルソン Luzon
      • プエブロ
      • ボントック Bontocs
      • ポキス山
      • カロウイタン
      • サバンガン
      • アルプ
      • ツルビン
      • チャオウイ
      • イシル山
      • アトチャコン
      • フィルラン
      • ババヤン島 → バブヤン島か
      • バブヤン島
      • マレー Malay マレー半島南部
      • マレー群島 マレー ぐんとう
      • マレー諸島 マレー しょとう
      • ボルネオ Borneo
      • [インドネシア]
      • ジャワ島 Java
      • [南洋諸島]
      • ポリネシア Polynesia
      • ミクロネシア Micronesia
      • カロリン島 → カロリン諸島か
      • カロリン諸島 カロリンしょとう Caroline Islands
      • ニュージーランド New Zealand
      • [チベット] Tibet
      • [ネパール] Nepal
      • [ブータン] Bhutan
      • [シリア] Syria
      • [トルコ] Turco
      • [スコットランド]
      • [フランス]
      • 【不明】
      • 度羅の島 たらのしま?
      • 韓国 からくに
      • 白狼国
      • 狗奴国 くなこく/くなのくに
      • 伊呂島 いろしま?
      • 宇佐島 ウサシマ/ウサジマ
      • コロマン
      • カイジュ
      • 千島 ちしま
      • 千島列島 ちしま れっとう → 千島
      • 北千島 きたちしま
      • カラフト 樺太 → サハリン
      • サハリン Sakhalin
      • [日本]
      • [北海道]
      • 石狩川 いしかりがわ
      • 渡島 わたりじま
      • 手宮 てみや → 手宮遺跡
      • 手宮遺跡 てみや いせき
      • [奥州][青森県]
      • 津軽 つがる
      • [出羽][秋田県]
      • 秋田城 あきたじょう
      • [出羽][山形県]
      • 飽海郡 あくみぐん
      • 諸神社
      • 田川郡 たがわぐん
      • 西浜
      • [越の国] こしのくに
      • [佐渡]
      • 佐渡が島 さどがしま
      • 御名部 みなべ
      • 碕岸
      • 日本海 にほんかい
      • [常陸国] ひたち
      • 霞ヶ浦 かすみがうら
      • 陸平貝塚 おかだいら かいづか
      • [東京都][武蔵国] むさし
      • 荘原郡 → 荏原郡か
      • 荏原郡 えばらぐん
      • 下目黒村 しもめぐろむら
      • 不動堂 ふどうどう → 滝泉寺
      • 滝泉寺 りゅうせんじ
      • 目黒不動遺跡 めぐろ ふどう いせき
      • [吾妻の国]
      • 東・吾妻・吾嬬 あずま
      • [伊豆] いず
      • 八丈 はちじょう → 八丈島
      • 八丈島 はちじょうじま
      • 信州 しんしゅう 長野県
      • 甲州 こうしゅう 山梨県
      • 美濃 みの 岐阜県の南部
      • 丹後国 たんご 京都府北部
      • 尾張 おわり 愛知県西部
      • 近江 おうみ 滋賀県
      • 伊勢 いせ 三重県
      • 志摩 しま 三重県東部
      • 畿内 きない
      • [滋賀・岐阜県]
      • 伊吹山 いぶきやま
      • [京都府][山城国] やましろ
      • ミカノ原 → 瓶原か
      • 瓶原 みかのはら
      • 京都大学 きょうと だいがく
      • 寺田村
      • 本願寺 ほんがんじ
      • [大阪府][河内国] かわち
      • 国府 こう
      • 国府遺跡 こう いせき
      • [大阪府][和泉国] いずみ
      • 浜寺 はまでら
      • 八池
      • [紀州][和歌山県] きしゅう
      • 鳴神貝塚 なるかみ かいづか
      • [奈良県][大和] やまと
      • 桜川吉野
      • 吉野 よしの
      • 正倉院 しょうそういん
      • [丹波] たんば 京都府、兵庫県
      • [但馬] たじま 兵庫県北部
      • [摂津] せっつ 大阪府、兵庫県
      • [淡路] あわじ 兵庫県淡路島
      • [播磨] はりま 兵庫県南西部
      • [備前国][岡山県] びぜん
      • 阿爾神社 → 阿仁神社か
      • 阿仁神社 あに じんじゃ
      • [備中] びっちゅう 岡山県西部
      • [伯耆] ほうき 鳥取県西部
      • [四国]
      • [阿波] あわ
      • 徳島 とくしま
      • [土佐] とさ 高知県
      • [中国]
      • 山陰
      • 山陰道
      • [島根県]
      • [出雲] いずも 島根県東部
      • 簸川 ひのかわ
      • 杵築 きづき
      • 杵築郡 きづきぐん? → 杵築
      • 宍道湖 しんじこ
      • 美保の関 みおのせき/みほのせき
      • 日御崎 ひのみさき → 日御碕
      • 日御碕 ひのみさき
      • 八束郡 やつかぐん
      • 御津浦 みつうら
      • オシマサ
      • 隠岐 おき
      • 隠岐の島 おきのしま
      • 竹島 Lian courtrocks たけしま
      • [鳥取県]
      • 境港 さかいみなと
      • 三保湾 美保湾?
      • [周防] すおう 山口県東部
      • [長門] ながと 山口県西部・北部
      • [九州]
      • 奴国 なこく/なのくに
      • [肥前] ひぜん 佐賀県、長崎県
      • [筑後] ちくご 福岡県南部
      • [豊後] ぶんご 大分県
      • [筑前国] ちくぜん 福岡県北西部
      • 志賀島 しかのしま → 志賀
      • 志賀 しか
      • [長崎県]
      • 対馬 つしま
      • 壱岐 いき
      • 北松浦郡 きたまつうらぐん
      • 五島 ごとう
      • 五島列島 ごとう れっとう
      • 値嘉島 ちかのしま
      • 相子之停 あびこのとまり → 相子田の停か
      • 相子田の停 あいこだのとまり
      • 川原之浦 かわらのうら
      • 美祢良久の渡 みねらくのわたり → 美弥良久之埼か
      • 美弥良久之埼 みみらくのさき
      • 南松浦郡 みなみまつうらぐん
      • 三井楽 みいらく
      • 火流浦 ひるのうら? ひながれのうら?
      • 平戸 ひらど
      • [熊本県]
      • [肥後] ひご
      • 葦北 あしきた
      • 日奈久 ひなぐ、か
      • 有明海 ありあけかい
      • 有明湾 ありあけわん → 有明海か
      • 玉那湾
      • 多婆那国
      • 玉名 たまな
      • 五家の荘 ごかのしょう
      • 阿蘇 あそ
      • [宮崎][日向] ひゅうが 宮崎県
      • [鹿児島]
      • 大島諸島 おおしま しょとう → 奄美諸島か
      • 奄美諸島 あまみ しょとう
      • [沖縄]
      • 沖縄諸島 おきなわ しょとう
      • 沖縄本島 おきなわ ほんとう
      • 琉球 りゅうきゅう
      • 八重山 やえやま
      • 宮古島 みやこじま


        *後記(工作員スリーパーズ日記)


        書きかえメモ。
        Prehistoric → prehistoric
        幾内 → 畿内
        手名推・足名推 → 手名椎・足名椎
        例擧 → 列挙
        Partrie → patrie
        パメリエ → パトリエ
        阿部比羅夫 → 阿倍比羅夫
        フアールス → ファルス
        大山祗命 → 大山祇命
        播摩 → 播磨

        ※ 各章題に読点をおぎなった。


         大河ドラマ『八重の桜』について。
         なにかたりない、と思ってたら、謎の武器商人スネル兄弟のことがまったく欠落してたことに気がついた。初回冒頭、どうやら海外撮影らしいアメリカ南北戦争のシーンからはじまり、戦場に残された銃や武器をひろい集めるという、印象的・象徴的な演出に興奮したんだけれども……。あれが生きてこない。
         とくにスネル兄弟の兄ヘンリーは、戊辰当時、会津藩に軍事顧問として迎えられ、日本人妻を娶り二人の娘がいた。山本覚馬がスネル兄弟と面識あったかどうかはわからないが、会津大砲隊に所属した川崎尚之助が兄弟のことを知らないということはありえないし、ということはヘンリーの家族と八重が出会っていたという想像はまったく荒唐無稽なことではあるまい。
         
         今後のドラマ後半に先立ち、なにゆえに山本覚馬と八重が新島襄に賛同し、キリスト教と学校教育に協力してゆくかの下敷きとして、直接、西洋人との邂逅がどこかで濃厚にあったはず。さらにいえば、敗戦をへて心の支えとなる宗教を求めたとしても、なぜ在来の仏教や神道や儒教ではなく「耶蘇教」でなければいけなかったのか。異端の宗教を積極的に選択するにいたる強い必然があったはず。単刀直入にいってしまえば、覚馬や八重らには、既存の仏教や神道や儒教への強い疑問が育っていた可能性があると想像する。

         江戸幕府の根幹をなす組織のひとつに寺社奉行があった。江戸の天台宗の拠点。おそらくその触頭(ふれがしら)が東叡山寛永寺だろう。徳川の信仰のシンボル。なぜ薩長軍が寛永寺を攻撃したかといえば、徳川の象徴をたたく意味が一つ。そしてもう一つ、寛永寺が当時の金融機関業務の大きな部分を担っていたから、ではなかろうか。幕府の実質の財布のひもをにぎっていたのは、寛永寺をはじめとする寺社組織だったからじゃないのか。戦争をするもしないも影の金庫番しだい……あ、そうか。東アジアやエジプト、近東やブラジルがどうもきな臭いのは、影の金庫番の胸三寸ってわけか。
         
         既存の仏教や神道や儒教へ強い疑問を抱いていたのは覚馬・八重兄妹や新島襄にかぎったことではなく、明治維新、戊辰戦争と並行して神仏分離・廃仏毀釈がさかんにおこなわれたことは要注意で、上野寛永寺、日光東照宮、会津慧日寺、仙台仙岳院をはじめとするパワースポットが戊辰戦争の主要舞台となったのは偶然じゃない。

        -----------------------------------
        スネル,エドワード・ガルトネル
         Schnell, Edward
         アカバネ
        生没年不詳
        オランダ出身。ドイツ人ともいわれる。ヘンリーの弟。貿易商人。
        オランダ代理領事の肩書きを持つ外交官。桑名藩兵を柏崎に送ったあと、ふたたび横浜から武器弾薬を満載して新潟に入り、勝楽寺に居宅をかまえる(星 p.65)。米沢藩や庄内藩に武器を売る。慶応4年(1868)3月、船をやとわれて蝦夷地警備の藩士700人を庄内へ送還。戊辰戦争時新潟におもむき上陸。多量の銃を取り引きした。庄内藩本間〓曹との間で銃器売買の交渉を結ぶ。
         プロシア人、ライスノルと自称(天皇の世紀)。
        ◇参考資料『新編 庄内人名辞典』『来日西洋人名事典』『奥羽越列藩同盟』星、『天皇の世紀 十』p.30

        -----------------------------------
        スネル,ヘンリー
         Schnell, Henry 平松武兵衛
        生没年不詳
        オランダ出身。エドワードの兄。ドイツ人ともいわれる。プロシア領事フォン・ブラントの館書記官をつとめる。会津藩に軍事顧問として迎えられる。髪を剃り、羽織袴を着て異人館に平松武兵衛と称して居住。
         スネル兄弟の出生地は、アフリカ西南のペナン。父はこの地で奴隷商人をやる。黒人が黒人を狩る。黒人同士を争わせてあと白人がたやすく植民地にする。清国の西どなり交趾(コーチ)に短く住む。フランスの属領プロシヤ国領事は追い出されて横浜へ。兄弟は父母の居住する南アフリカに生まれそだつ(長尾、p.292)。
        …妻 葉 よう
        …娘 フランシス
        …娘 メアリー
        ◇参考資料『来日西洋人名事典』『奥羽越列藩同盟』星、『戊辰秘策』長尾
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         会津の農民は、戦局の動向によって時には会津、時には薩長軍の人夫として働き、薩長軍が占領すると、薩長軍の道案内や武器・弾薬・食料の運搬にあたり、会津軍のゲリラ部隊が村落に潜入し、敵を追い払うと「村民雀躍し喜び極まって泣く者あり」といった光景をみせた。会津戦争は地元の民衆を深く巻きこんだ複雑多岐な戦いであった(星 p.169『歴史春秋』





        *次週予告


        第六巻 第一号 
        美しい村(一) 堀 辰雄


        第六巻 第一号は、
        二〇一三年七月二七日(土)発行予定です。
        月末最終号:無料


        T-Time マガジン 週刊ミルクティー 第五巻 第五二号
        日本周囲民族の原始宗教(八)鳥居龍蔵
        発行:二〇一三年七月二〇日(土)
        編集:しだひろし / PoorBook G3'99
         http://www33.atwiki.jp/asterisk99/
        出版:*99 出版
         〒994-0024 山形県天童市鎌田2丁目
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        販売:DL-MARKET
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