石原 純 いしわら じゅん
1881-1947(1881.1.15-1947.1.19)
理論物理学者・歌人。東京生れ。東大卒。東北大教授。相対性理論および古典量子論の研究、自然科学知識の普及啓蒙に努める。著「自然科学概論」、歌集「靉日」など。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。







もくじ 
電気物語(一)石原 純


※ 製作環境
 ・Macintosh iBook、Mac OS 9.2.2、T-Time 2.3.1
 ・ポメラ DM100、ソニー Reader PRS-T2
 ・ソーラーパネル GOAL ZERO NOMAD 7
  (ガイド10プラス)
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*凡例〔現代表記版〕
  • ( ):小書き。 〈 〉:割り注。
  • 〔 〕:底本の編集者もしくは、しだによる注。
  • 一、漢字、かなづかい、漢字の送り、読みは現代表記に改めました。
  •    例、云う  → いう / 言う
  •      処   → ところ / 所
  •      有つ  → 持つ
  •      這入る → 入る
  •      円い  → 丸い
  •      室   → 部屋
  •      大いさ → 大きさ
  •      たれ  → だれ
  • 一、同音異義の一部のひらがなを、便宜、漢字に改めました。
  •    例、いった → 行った / 言った
  •      きいた → 聞いた / 効いた
  • 一、英語読みのカタカナ語は一部、一般的な原音読みに改めました。
  •    例、ホーマー  → ホメロス
  •      プトレミー → プトレマイオス
  •      ケプレル  → ケプラー
  • 一、若干の句読点を改めました。適宜、ルビや中黒や感嘆・疑問符・かぎ括弧をおぎないました。一部、改行と行頭の字下げを改めました。
  • 一、漢数字の表記を一部、改めました。
  •    例、七百二戸   → 七〇二戸
  •      二萬六千十一 → 二万六〇一一
  • 一、ひらがなに傍点は、一部カタカナに改めました。
  • 一、カタカナ漢字混用文は、ひらがな漢字混用文に改めました。濁点・半濁点のない仮名は、濁点・半濁点をおぎないました。
  • 一、和暦にはカッコ書きで西暦をおぎないました。年次のみのばあいは単純な置き換えにとどめ、月日のわかるばあいには陰暦・陽暦の補正をおこないました。
  • 一、和歌・俳句・短歌は、音節ごとに半角スペースで句切りました。
  • 一、表や図版キャプションなどの組版は、便宜、改めました。
  • 一、書名・雑誌名・演劇映画などの作品名は『 』、論文・記事名および会話文・強調部分は「 」で示しました。
  • 一、「今から○○年前」のような経過年数の表記や、時価金額の表記、郡域・国域など地域の帰属、法人・企業など組織の名称は、底本当時のままにしました。
  • 一、差別的表現・好ましくない表現はそのままとしました。

*尺貫・度量衡の一覧
  • [長さ]
  • 寸 すん  一寸=約3cm。
  • 尺 しゃく 一尺=約30cm。
  • 丈 じょう (1) 一丈=約3m。尺の10倍。(2) 周尺で、約1.7m。成人男子の身長。
  • 丈六 じょうろく 一丈六尺=4.85m。
  • 歩 ぶ   左右の足を一度ずつ前に出した長さ。6尺。
  • 間 けん  一間=約1.8m。6尺。
  • 町 ちょう (「丁」とも書く) 一町=約109m強。60間。
  • 里 り   一里=約4km(36町)。昔は300歩、今の6町。
  • 尋 ひろ (1) (「広(ひろ)」の意)両手を左右にひろげた時の両手先の間の距離。(2) 縄・水深などをはかる長さの単位。一尋は5尺(1.5m)または6尺(1.8m)で、漁業・釣りでは1.5mとしている。
  • 海里・浬 かいり 一海里=1852m。
  • [面積]
  • 坪 つぼ  一坪=約3.3平方m。歩(ぶ)。6尺四方。
  • 歩 ぶ   一歩は普通、曲尺6尺平方で、一坪に同じ。
  • 町 ちょう 一町=10段(約100アール=1ヘクタール)。令制では3600歩、太閤検地以後は3000歩。
  • 町歩 ちょうぶ 田畑や山林の面積を計算するのに町(ちよう)を単位としていう語。一町=一町歩=約1ヘクタール。
  • [体積]
  • 合 ごう  一合=約180立方cm。
  • 升 しょう 一升=約1.8リットル。
  • 斗 と   一斗=約18リットル。
  • [重量]
  • 厘 りん  一厘=37.5ミリグラム。貫の10万分の1。1/100匁。
  • 匁 もんめ 一匁=3.75グラム。貫の1000分の1。
  • 銭 せん  古代から近世まで、貫の1000分の1。文(もん)。
  • 貫 かん  一貫=3.75キログラム。
  • [貨幣]
  • 厘 りん 円の1000分の1。銭の10分の1。
  • 銭 せん 円の100分の1。
  • 文 もん 一文=金貨1/4000両、銀貨0.015匁。元禄一三年(1700)のレート。1/1000貫(貫文)(Wikipedia)
  • 一文銭 いちもんせん 1個1文の価の穴明銭。明治時代、10枚を1銭とした。
  • [ヤード‐ポンド法]
  • インチ  inch 一フィートの12分の1。一インチ=2.54cm。
  • フィート feet 一フィート=12インチ=30.48cm。
  • マイル  mile 一マイル=約1.6km。
  • 平方フィート=929.03cm2
  • 平方インチ=6.4516cm2
  • 平方マイル=2.5900km2 =2.6km2
  • 平方メートル=約1,550.38平方インチ。
  • 平方メートル=約10.764平方フィート。
  • 容積トン=100立方フィート=2.832m3
  • 立方尺=0.02782m3=0.98立方フィート(歴史手帳)
  • [温度]
  • 華氏 かし 水の氷点を32度、沸点を212度とする。
  • カ氏温度F=(9/5)セ氏温度C+32
  • 0°C = 32°F
  • 100°C = 212°F
  • 0°F = -17.78°C
  • 100°F = 37.78°C


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『歴史手帳』(吉川弘文館)『理科年表』(丸善、2012)。


*底本

底本:『電氣物語』新光社
   1933(昭和8)年3月28日発行
http://www.aozora.gr.jpindex_pages/person1429.html

NDC 分類:427(物理学/電磁気学)
http://yozora.kazumi386.org/4/2/ndc427.html





電気物語(一)

理学博士 石原 純

   緒言しょげん


 今日の世の中は「電気の世界」であるといってもよいほどに、われわれは日常の生活で電気を取りあつかい、始終これに接触するようになっている。誰でも電灯のスイッチをひねらないものはないだろうし、電話器を手に取らないものもまれである。家の中や往来でラジオの発声を聞くのも普通であるし、電車の走ることなどはもう、どんな子どもでも不思議がらない。大きなビルディングへ行くと、どこでもエレベーターがわれわれを運んでくれるし、電熱を利用した暖炉だんろ煮沸器しゃふつきなどもだんだんおこなわれてくる。電気はまったくわれわれ人間にとって便利な必需品になってしまった。だが、電気がどうしてこんな作用を持つのであろうか、電気とはそもそも何であるか、また、どうしてこれらの応用が発明されるようになったか、そういう疑問に対して一般の人々はまだまだそれほど明瞭には答えることができないであろう。わたしはここで、電気の性質についてできるだけわかりやすく物語ってみたいと思う。電気のいっさいの取りあつかいを学者や技術者だけにまかせきりにした時代はすでに過ぎ去っているので、われわれの家庭の中にまで電気器械が入りこんでくるようになると、誰でもこれに対するひととおりの知識をそなえて、少しぐらいの故障は自分でなおしたり、漏電などの災害に対する予防にも注意することが必要になるのである。また、すでに電気について学んだ人々にしても、その知識をいっそう正確にして自然の不思議な本質についてじゅうぶんの理解を得るようにすることは、はなはだ望ましいしだいである。この物語がこれらの意味でなんらかの役に立てばさいわいであるとわたしは思っている。

   一、電気および磁気に関する古代の知識


 電気と磁気とはたがいに密接な関係を持っていることが今日ではあきらかになっているが、古い時代にはそれがただ不思議な現象としてべつべつに知られていたにすぎなかった。第一には、夏の天空に見る雷電の現象は、それがしばしばおこる地方の人民には無論、開闢かいびゃく以来つねに経験せられたところのものであった。だが、雷電がどうしておこるかということについては、その他の自然現象とともにとうてい解釈ができなかったので、ただ恐ろしい神秘的のものとして種々の想像説を生んだ。西洋ではこれをジュピターの神と結びつけて、多くの神話・伝説が物語られた。わが国などでは、近代になって西洋科学の輸入せられるまではまだ一般にそれらの神秘説がおこなわれ、雷神をまつったり雷獣のごとき怪異を恐れ信じたりして怪しまなかったほどである。第二に、磁石が鉄をいつける現象もまた一種の不思議な力の現われとして古くから人々の注意をひいた。
 ギリシャのおとぎ話に、こんなのがある。マグネスという人がある山に登ったら、ふとそのくつが地面にいついてしまって、どうしても離れない。そこで手に持っていたつえを力に足をあげようとしたら、今度は杖がまた地面にいつけられてしまった。マグネスは一生懸命になってやっとそこを離れて、なぜこんな事がおこったのだろうと思って探してみると、鉄をいつける不思議な石のあることがわかったというのである。自然に存在するものは今日、磁鉄鉱じてっこうと名づけているものであるが、これは諸処しょしょで発見されたらしい。シナではずいぶん古くから知られていて、すでに黄帝の時代に軍勢が濃霧の中で方角を失ったばあいに、いつも南を向く人形をもちいて地理をさとったというような記録がある。これは磁石を応用したものであろうと推察せられているが、ともかく、磁石の性質は雷電のような恐ろしい災害をおよぼすものと異なって、単にめずらしくかつおもしろく感ぜられるだけに、早くから研究せられたらしい。
 シナではいつも磁針が南をさすと解せられ、その後も指南車しなんしゃという名でしばしば歴史にっている。これは針を水上に浮かばせて、その運動を小さな人形に伝え、人形の手が南に向くように作られたのである。磁針が西洋に伝わったのは、紀元前一〇〇〇年ごろであるらしく、当時のギリシャの大詩人ホメロスの有名な詩『オデュッセイア』の中に、磁石が航海にもちいられることを歌った言葉が見い出される。ずっとくだって紀元前六〇年ごろにローマの詩人ルクレチウスの作った「物の性質(De Rerum Natura)」という詩の中には、磁針がたがいに環鎖につながることが記されており、またそれより二〇〇年前「二〇〇年後」の誤植か〕にプトレマイオスはファロス〔エジプト北部、アレクサンドリアにある半島〕の寺院内に鉄の立像をおく際に、天井裏にたくさんの磁鉄鉱をそなえて何も支えることなく、立像を空中に懸垂けんすいさせたと伝えられている。
 第三に、ギリシャの七大哲学者の最初の人といわれているミレトスのターレスは、紀元前六〇〇年ごろにはじめて琥珀こはく摩擦まさつされたときに、わら枯葉かれはのような軽い物体を吸引することを発見した。これが摩擦電気の観察された最初であるが、その後三〇〇年ばかりへて、テオフラスタスは電気石でんきせきも同様の性質をおびていることを見い出した。この作用は磁石ほどに強くはないけれども、やはり不思議な現象としてめずらしがられたのであった。それから第四に、一種の電気魚でんきうおとして知られているシビレエイ(Torped)という魚類は、これを手にふれるとしびれるような刺激を感ずることもギリシャ時代に知られており、有名な哲学者アリストテレスなどもこの事実を記している。
 これらのものが、自然に存在する電気および磁気の現象としてわれわれに観察された最初のものである。このうちですでに述べたように、雷電はあまりに激しくわれわれの力を超絶しているためにこれに手を下すことができなかったが、磁石の力はいかにもわれわれの驚異をそそる対象物であった。
 ローマの高僧セント・オーギュスティン〔アウレリウス・アウグスティヌスか〕(紀元四二六年)が磁石の実験について書いている文章を左に抄録してみよう。

「わたしは最初それ(磁石の引力)を見て、じつに驚嘆した。鉄の環が引きつけられて石についてしまったからである。しかもそれは自分の性質を鉄にまで伝えて、また次のものを近づけるとこれを引きあげる。そして第一の環が磁石に引きついたように、第二の環は第一のものにいつく。第三、第四も同様に加わって、磁石から一種の環のくさりがさがり、しかも環は組み合わずに表面だけでつながっている。磁石の力がそれ自身ばかりでなくて、たくさんの環に伝わり、見えない組み合わせで連絡しているのを見て、だれがきょうがらないだろうか。だが、もっともっと驚くべき事柄は、キリスト教会におけるわたしの兄弟たるミレヴィスの僧正セヴェルスから、磁石についてわたしが聞いた話である。その話によると、僧正がアフリカの貴族バタナリウスのところでいっしょに食事をしていたときに、彼は銀の板の上に鉄の一片をおき、その下で磁石を手に持って動かすと、板の上の鉄はそれにともなわれて動き出し、中間の銀板は少しもこれを妨げることなく、前後左右に引かれてゆくということである。わたしは自分で実験したことを話したのだ。いな、自分の眼を信用すると同じく、信用する人の語ったのを話したのだ」

 これでもわかるように、はじめて磁石の力について観察した当時の人々がいかに不思議を感じたかを知ることができるであろう。自然の事実の詳細な観察がすべて、科学を生むものであることをわれわれは忘れてはならない。だが、これらの事実は、一般の人々には一種の魔術のように解せられた。十三世紀時代のイギリス、フランシスカン派〔フランシスコ会〕の僧侶ロジャー・ベーコンは当時、種々の物理現象を観測して科学的知識をおおいに進めた人であったが、世間からはその実験を見て魔術師のように思われた。わが国でも徳川時代にしばしばキリシタン僧侶が、いわゆる「エレキ」の実験をおこなって魔術視せられたことがあるのもここに想いおこされる。
 十三世紀は、西洋ではいわゆる文芸復興の運動のおこった当初である。種々の学問の新しい萌芽がそこに育てられた中に、実験科学の基礎が上記のロジャー・ベーコンやペレグリヌス〔ペトルス・ペレグリヌス〕によって置かれたのであった。ペレグリヌスはオランダの十字軍戦士として従軍した人であるが、磁石の性質に関する最初の学術的記録を残したのも彼である。そのなかには、磁石に北および南に向かう極、すなわちいわゆる北極と南極とが一定していること、二つの磁石のあいだでは北極と南極とが互いに引き合い、同名の極は互いにしりぞけあうこと、棒状の磁石を切るとそのおのおのに両極を生ずること、その他、磁石に関する種々の実験が記されている。
 磁石の研究がかようにして始まるとともに、一方では、方角を知る器械すなわち羅針盤としての応用がますます重要な役目をはたすようになった。なぜなら当時、造船術の進歩にともなって漸次ぜんじ、遠洋航海がおこなわれるにいたり、このために羅針盤がいっそう必要となってきたからである。有名なコロンブスのアメリカ発見は一四九二年であるが、これによっても当時の情勢をうかがうことができるであろう。この時代に航海用羅針盤に貢献した人々として、イギリスのアレキサンダー・ネッカム(一二〇七年)や、上記のペレグリヌス(一二六九年)や、イタリアのフラヴィオギオ(一三〇二年)などの名が記されている。

   二、電気学および磁気学研究の曙光しょこう


 十六世紀の終わりから十七世紀にかけた時代は、今日のわれわれの科学がはじめて真の生長をうながしたもっとも大切な時期であって、イタリアのガリレイやドイツのケプラーが天体の運動を研究して後のニュートンの力学の基礎を形づくり、またイギリスのウィリアム・ギルバートが電気および磁気の実験的研究をおこなって後の発展に資したことはここに特筆せらるべきものである。
 ギルバートは晩年に、エリザベス女皇じょこうならびにジェームス一世の侍医じいとなった医者であるが、電気と磁気とについての研究はじつに深く、宮廷において女皇の面前でそれらの実験をおこない、当時の人々を驚かしたということである。一六〇〇年におおやけにした彼の著書には、十七年間にわたる研究の結果が集められているが、これによってポッゲンドルフは彼を「磁気のガリレオ」と称し、プリーストレーは「近代電気学の父」と賛した。
 電気については、彼はまず琥珀こはくの系統的研究をおこない、また摩擦まさつによって帯電する物質の表をつくり、帯電しない物質と区別した。琥珀のほかに、ダイヤモンドやサファイアや水晶やガラス・硫黄・松ヤニなどが電気をおこす物質としてかぞえられた。また摩擦まさつ電気は乾いた空気中でよくおこり、とくに寒い冬季の晴れた日にはもっともよく観察せられるのを見た。吸引せられる物質としては金属・木・葉・石・土などのほとんどすべての固体のほかに、水や油でもよいことを見い出した。なおこのほか種々の実験をおこない、電気の力と磁気の力との性質の相違をも研究した。
 磁気に関しては、まず磁石の強さとその形状とについて、また両極とこれを結びつける軸とについて研究し、磁石からの感応によって鉄がいかにして磁石となるかについて詳細の実験をおこなった。磁針を強い磁石ですると磁性を増すことなどもそこに示されている。彼の一大発見とも称すべきは、地球が一大磁石であることをあきらかにしたことである。磁針がつねに南北をさすのは、その両極が地球磁石〔地磁気〕の両極に引かれるからであって、これがちょうど地理上の南北方向と一致するのである。けれども、この一致は決して完全ではなくて多少の外ずれを示し、かつそれが地球上の場所によって異なることがあきらかにせられた。もっとも磁針の方向が正しく北をささずに、北極星の方向と多少異なるという事実は、すでに当時の航海者には知られていたので、その最初の発見者はコロンブスであるとも伝えられている。また、磁針を上下に傾き得るように装置すると、北極が水平線よりも下を向くことも少し以前に、すなわち一五七六年に、イギリスの磁針製作者ノーマン〔ロバート・ノーマン〕によって見い出されていた。
 これはギルバートの説にしたがって地球磁石の極が地球内部に存在することを考えれば当然の結果であって、このばあいに磁針が水平に対して傾く角度すなわち伏角ふっかくを測る器械もギルバートによって記されている。鉄を子午線の方向にすえおき、これを熱しながらつちでたたくと磁石になるという実験などもなされた。
 ギルバートの後にしばらくの間は多くの学者によって磁石の研究がさかんにおこなわれた。歴史上に知られたほどの当時の科学者で、この問題を取りあつかわないものはほとんどなかったといってもいいであろう。たとえば、イギリスのフランシス・ベーコンとかベルギーのファン・ヘルモン〔ファン・ヘルモント〕とか、イタリアのピエトロ・サルピとか、そのほかたくさんにあげることができる。またフランスのギャッサンディ(一六二一年)北極光ほっきょくこう〔オーロラ〕を観測し、イギリスのゲリブランド(一六三五年)が磁針方位角の永年的変化を見い出したのもこの時代に属する。イギリスの有名な天文学者ハリーが地球磁石の極の位置を推定したのに対し、一六九八年、一六九九年、一七〇二年の三回にわたりて政府から観測隊を派遣して各地における方位角を測定し、はじめて正確な磁気分布図を作ったのは、この種類の学術観測事業の最初のものであった。
 磁石研究の流行時代がその頂点をすぎてから、ようやく摩擦まさつ電気の新しい研究がおこった。というのは、単に個々の物質を手につかんで摩擦しただけでは、それほど強力の電気をおこすことができないので、ギルバートの実験した以上にいくらの知識を増すこともなかったわけであるが、一六六〇年になって例のマグデブルグ半球の実験でわれわれによく知られているドイツのオットー・フォン・ゲーリケがはじめて新しい有力な起電機きでんきを作ったからである。それはガラス球で鋳型がたをとった硫黄の球を回転軸に取りつけたものであって、これを布でこすって電気をおこさせるのである。
 ゲーリケはこの起電機の硫黄の球に手をふれると、響きと光とを発することをはじめて実験した。また、軽い物体は電気に吸引せられるけれども、一度、帯電体にふれた後にはすぐに反発せられ、さらに他の物体にふれるまではもはや吸引せられないことを見い出した。なお、軽い物体を帯電せる球の内部につるすと、物体自身にも電気状態をおこすことをも実験した。
 この起電機はまもなくイギリスに伝えられて、そこで多くの実験がなされた。ロバート・ボイル(一六七一年)は、摩擦された物体がほかの摩擦されない物体を吸収するばかりでなく、前者を絹糸きぬいとでつるすと後者から引かれることを確かめ、また吸引現象は空気中ばかりでなく、空気ポンプ〔真空ポンプ〕排気鐘はいきしょう内でも現われることを観察した。ニュートンは、ゲーリケの硫黄の球のかわりにガラス球をもちいた起電機による実験を一六七六年にイギリスのロイヤル・ソサイエティーでおこなった。ガラス球は摩擦された面ばかりでなく、その反対の面も吸引作用を有することをそこで示した。ついでホークスビーは、一七〇五年に同じくロイヤル・ソサイエティーでいっそう強力な起電機をもちい、真空中で琥珀こはくまたはガラスをこすると光を発することを実験した。ガラスから発する光は最初、紫色から青白くなり、また塩やアルコールを塗った毛布からは一種の強い閃光せんこうが出ると彼は述べている。
 電気に関する断片的の事実がかようにして漸次ぜんじ知られたのちに、十八世紀に入ってはじめて電気学が一つの科学の体裁を作るようになった。そして、これに対して主として貢献したのはイギリスのステフェン・グレイ〔スティーヴン・グレイ〕であった。彼は、摩擦によって電気をおこさない物体にはすべて起電体から電気を伝えることのできることを発見した。すなわち絹糸で麻の線をささえると、電気を数百フィート〔一フィートはおよそ三〇センチメートル〕の遠方にまで導くことができるが、絹糸のかわりに荷づくりなわをもちいたばあいには失敗した。彼はこの方法で種々の物質を検して、麻や荷づくりなわや針金は電気を伝導するのに反し、毛髪や樹脂や絹糸のような物質はこれを伝えないでかえって絶縁することを見い出した。彼はこのほか液体や人体にも電気を伝えて伝導を実験し、また電気力の強さは物質の量によらないで、その表面の大きさに関することを示した。
 電気実験における画時代的かくじだいてきの進歩は、われわれが今日ライデンびんとなえている一種の蓄電器の発見によってとげられたのである。この発見は、一七四五年にポメラニアのカミンという場所の寺院の僧侶のフォン・クライストによってなされた。その記すところによれば、クギまたは太い真鍮しんちゅうの針金を火でよく乾かした小さな薬ビンに入れてこれに電気をあたえ、クギに手をふれると著しい電撃を受けるというのである。ビンの中に少量の水銀または酒精しゅせい〔エチル・アルコール〕をそそぐと、もっとよく成功することも述べられている。ライデンびんの名はこのクライストの発見と独立に、その翌年オランダのライデンで同じ発見が偶然になされたことから由来している。すなわち、ライデン大学の教授ファン・ムッシェンブレーク〔ピーテル・ファン・ミュッセンブルーク〕がその同僚キュネウスおよびアラマンドとともに実験していた際に、物体から電気を逃げ去らないようにするためには、電気を導かないものでこれをかこんでおけばよかろうという考えで、この目的のために水を選び、これをガラスびんに入れてみた。ただしその目的の効果が達せられないうちに、たまたまこのびんを片手に持っていたキュネウスが、一方に強い起電機の導体と連絡された針金をひきぬこうとしたところが、腕と胸に激しい衝撃を受けたので、ほかの人々もこれを試みたら同様であったということである。ムッシェンブレークはそのときの様子を人に語って「フランスの全王国をかけても、わたしは二度と電撃を受けたくない」と話したそうである。
 ともかくもこの時代においては、起電機の構造が漸次ぜんじ改良せられてきたとともに、このライデンびんの発見によって多量の電気を集め、たくわえることができたので電気に関するすべての実験が面目を一新するようになったことは、容易に想像せられるであろう。われわれは、ここにはじめて電気の理論に進むことができるのである。

   三、電気に関する最初の仮説


 電気とは何であるか。これはそもそも、電気の現象が発見せられた最初の瞬時からの宿題であった。もっとも今日、われわれが同じく電気の作用として解している種々の事柄が、最初はたがいに独立に知られて、その間になんらの連絡も考えられなかったことは、すでに第一節に述べたとおりであるが、そのうちでもっとも早く問題にせられたのは、摩擦まさつされた物体が軽い物を引きつける性質であった。日本語でこそ電気というのは雷電から取られたものであることはもちろんであるが、これは西洋科学の輸入後に作られた新しい言葉にほかならない。これに反して英語の electricity というのは、ギリシャ時代に琥珀こはくを electron と名づけていたところから、これを語源として抽象したものである。形容詞として electric という言葉をもちいた最初の人はギルバート〔ウィリアム・ギルバート〕であるといわれているが、その後、名詞としてはベルギーのファン・ヘルモン〔ファン・ヘルモント〕(一六二一年)、イギリスのトーマス・ブラウン(一六四六年)らの著書に現われている。
 さて言葉のもちい方はともかくとして、電気の正体すなわち、琥珀こはく電気石でんきせきが摩擦によって軽い物を引くというのは何によるかということについては、いろいろの説明が試みられた。ギリシャ時代には引力とか斥力せきりょくとかいうものを愛と憎との作用によるものとして考えていたが、十七世紀ごろになってようやく、物体の力に対してそういう主観的意味を離れて客観的状態を帰するようになった。当時のジェスイト派〔イエズス会〕の学者ニコラウス・カペウスという人は、ギルバートについで電気および磁気に関する書物をあらわしたが(一六二九年)、その中で琥珀こはくが軽い物を引くのは、その周囲に一種の蒸気を噴出し、渦動かどうをおこして空気を押し退けるからだと述べている。また、前記のブラウンなどは、琥珀が油質の蒸気を流出し、周囲の空気で冷やされると蒸気が凝結して琥珀にもどるさいに軽い物をいっしょに引きつけてくるのだと考えた。またフランスの有名な哲学者デカーツ〔ルネ・デカルトか〕は、細いひもの形をした中間物が互いに引き合う両者のあいだに存在することを想像した。
 ただしこれらの仮説は、いずれも事実を離れた単なる想像にすぎなかった。が、これに反して、科学の理論はいつも事実の上に立たねばならないことは今日のわれわれのよく知っているとおりであって、電気に関してもだんだんに種々の事実が経験・観測せられるにしたがって、ようやくその本当の理論的解釈が萌芽するにいたった。一七三三年にフランスのデュ・フェイがとなえたところのものは、すなわちその最初のものである。
 デュ・フェイの理論の基礎となった電気の根本性質は、すでにそれ以前にステフェン・グレイといっしょに研究に従事したホワイトによって発見されたといわれているが、ともかくもデュ・フェイ自身もこれをいちいち実験的にためしたうえで、そこに自分の仮説を立てたのであった。彼は、摩擦まさつしたガラス球がそのそばに垂下すいかした糸を吸引して、糸が球にふれたあとに糸に球を近づけると、かえって反発するのを見た。糸のかわりに金箔きんぱくを垂下したばあいにもまったく同じ事柄が経験された。ところがガラス球を近づけるかわりに、摩擦した樹脂片を近づけると、前記の糸または金箔はふたたびこれに激しく吸引される。この関係をつまびらかに考察して、デュ・フェイはガラスにおこる電気と樹脂におこる電気とが異なったものであると解し、それぞれガラス電気、および樹脂電気と名づけた。今日われわれが陽電気および陰電気と称するものはこれらに相当するものであって、前者はガラスのほかに岩塩・貴金属・毛髪などにおこり、後者は琥珀こはく・ゴム・絹布けんぷ・紙などに現われる。
 デュ・フェイはこれら両種の電気に対して、同種類の電気はたがいに反発し、異種類のものはたがいに吸引するという特質を仮定して、すべての実験的事実を説明することに成功した。すなわち上述の実験で、一度、摩擦したガラス球にふれた糸や金箔は、ガラス球にあるガラス電気すなわち陽電気を伝導によって得ているから、球をこれに近づけると反発するのであり、これに反して、樹脂片にある樹脂電気すなわち陰電気に対してはたがいに吸引するのである。また、糸や金箔が最初にはいずれの電気にも吸引されるのは、感応〔誘導〕という現象によって帯電体に近い部分にいつも異種の電気がびおこされたるためである。
 デュ・フェイの考えたところでは、これら両種の電気はいずれにしても、力に関して異なった性質を持っているというのであった。当時は、それ以上に両種の電気の性質を比較する事実的材料も知られていなかったが、その後、アメリカのフランクリン〔ベンジャミン・フランクリン〕などの研究によって、たがいに摩擦しあった二つの物体にはつねに互いに異種の電気が発生することや、逆に異種の電気が同じ物体に導かれると中和して消えてしまうことが見い出された。つまり、陽陰両種の電気の量はこれらのばあいにつねに、ちょうど代数学だいすうがくで取りあつかう正負の二つの量と同様に考えられることがわかった。そこでフランクリンは両種の電気を仮定するかわりに、物質におけるかような両種の帯電状態は、同一の電気の正および負と名づくべき異なった状態によっておこされるものであると解釈した。これはのちに電気の一流体仮説ととなえられたものであって、同時代の学者として知られているストックホルムのウィルケ(一七五七年)や、ドイツのエピヌス『電気磁気試論』一七五九〕などによってなお明瞭にいいあらわされた。すなわち電気は、一種の流体のように伝導体の中を流れることができるのであって、それが物体のある自然状態におけるよりも増すばあいには物体は正の帯電状態を呈し、反対に減少するばあいには負の帯電状態となるのであると説明された。
 この一流体仮説は、両種の電気を単に正負状態の相違に帰してしまう点で思考を簡単にする利益があるけれども、ただし同時に、自然状態がどんなものであるかを想像するにくるしまされる。そこでこれに対立してイギリスのロバート・シンマー(一七五九年)は、ふたたびデュ・フェイの仮定を継承していわゆる二流体仮説を立てた。これによれば、電気には判然と異なった、ただし同時に存在し得る二つの流体があって、これらが等しい量だけあれば互いに作用を消しあって物体の自然状態を呈する。また一方の量が多ければ、その流体の種類に応じて正または負に帯電するというのである。したがって少なくとも自然状態に関しては、このほうが一流体説よりも考えやすくなるであろう。ただし、それは思考上の問題にとどまって、実際に事実のうえでどちらが正しいかは、まだこれだけの範囲で判断することはできない。さらにそもそも、ここで流体と名づけるものは何であるか、すなわち、通常の物質以外のどんなものであるかというような疑問に進むと、いっこうにわからない。
 ここでわたしは一足飛びに、今日われわれの有している見解をちょっと比較のために付加しておこう。今日の電子論では、物質を構成している究極的要素は陽および陰電気を有する粒子すなわち、陽子(プロトン)および電子(エレクトロン)と称せられるものである。すべての電気的状態は、結局これによるのであるから、いわゆる電気は物質以外の何ものでもなくて、むしろ物質それ自身なのである。ただし、二種の異なった要素が存在して、自然状態ではこれらを同時に含んでいるという点は二流体説に相当する。ただし、電子にくらべて陽子は非常に大きな質量を持っており、したがって容易に動きがたいのであるから、固体内部などで電気の伝導にさずかるものは単に原子から離れた電子だけであるとみなされるのであって、電気の実際の流動関係からいえば一流体説に近似するといわねばならない。
 いずれにしても電気の本質に関する理論は、フランクリンやシンマーの流体仮説の当時にくらべて、今はまるで雲泥の差違よりももっとはなはだしく異なってきている。その間には電気に関するじつに多くの事実が発見され、われわれの知識を驚くべく増しているのである。われわれの科学の理論は、そうした事実のうえに立てられなければならないのであった。

   四、電気の重要な基本現象


 電気に陽陰二種類が存することと、その間の力の関係については、すでに上に述べたとおりに十八世紀の半ばごろまでにひととおり知られるようになったが、さらに進んでこの力がどんな法則にしたがってはたらくかをあきらかにするには、これを数量的に測るための精密な実験が必要であった。そしてこれはフランスのクーロン〔シャルル・ド・クーロン〕(一七八五年)によってはじめて成功された。
 ふつうに摩擦まさつによっておこされた電気の間にはたらく力ははなはだ小さいから、その大きさを測るにはよほど鋭敏な器械によらねばならない。クーロンはこの目的のためにねじばかりと称するものを作り、絹糸きぬいとでつるされた水平の棒がねじられる角度で電気力の大きさを測った。彼はこの実験の結果から、すべて電気力は、引力のばあいにも斥力せきりょくのばあいにも、帯電体の中心間の距離の二乗に逆比例することを見い出した〔クーロンの法則〕。この法則はじつに静電気学の基礎を形づくる重要なものとして、今日においても認められている。

 われわれはこのクーロンの実験からまた、電気の分量を測ることができる。すなわち、二つの帯電体が一定の距離ではたらく電気力の大きさは電気の分量に比例すると考えることができるから、いっぽうの電気を一定にたもっておいて他方の電気量を変えたとすると、そのばあいの力を上述のねじばかりで測ることによって電気量の大小を知ることができる。この電気量に対しては、後につぎのような絶対単位が導き入れられた。すなわち、たがいに等しい二つの電気量が一センチメートルの距離をへだてて一ダイン〔一〇万分の一ニュートン〕の力ではたらくときに、このような電気量を一静電単位と定めるのである。ただしこの量は、われわれが実際に取りあつかう程度の電気量にくらべて非常に小さいものであるから、実用上の単位としてはこの三〇億倍をとり、クーロンの名を借用してこれを一クーロン〔一アンペアの電流が一秒間に運ぶ電気の量〕と名づけている。

 クーロンのねじばかりは、このようにして電気量〔電荷〕の精密な測定に役立つひとつの器械とみなされるが、単に物体に電気が存するかどうかをためし、またその電気量の大小をもっとも簡単に推知するだけの目的のためには、クーロンと同時代にイギリスのベネット(一七八七年)がはじめて考案した金箔験電器をもちいるのがよい。今日では金箔きんぱくのかわりにアルミニウムはくが多くもちいられているが、二枚の小さな箔を金属棒の下にれ、棒の上端に金属円板を取りつけたものを、ガラスびんの口栓に押しこんで他と絶縁したものである。これに電気をあたえると、二枚の箔はたがいに反発して開き、電気量の多いほど開き方も大きくなるから、これによって容易にその量の多寡たかを見ることができる。
 ベネットはこの験電器けんでんきをもちいて種々の実験を試みた。ここでわれわれにとって最も重要な事実は、ある帯電体を験電器の金属円板に近づけると、箔が漸次ぜんじに開きはじめることである。これはすでにステフェン・グレイによっても観察された静電気感応の現象によるのであって、一般に一つのまたは連絡せる導体が帯電体のそばに置かれると、その電気に感応してこれに近い導体の部分に異種の電気が、また遠い部分には同種の電気が分離して現われることは、デュ・フェイによって二種の電気の存在説とともに仮定せられたところである。
 さてこの験電器をもちいてわれわれはなお、つぎの実験をおこなうことができる。たとえば摩擦まさつしたエボナイト棒を験電器の円板に近づけて箔の開くのを見たあとに、そのまま円板に他方の手をふれると箔が閉じるけれども、手を離すとともにエボナイト棒をも遠ざけると箔はふたたび開くようになる。これは、円板に手をふれることによって験電器の導体は人体を通じて地面にまで連絡されることになるから、最初、箔に現われた陰電気はこの連絡によって遠方に追いやられ、単にエボナイト棒にある陰電気と反対の陽電気だけが験電器の円板に残されることとなり、手を離しかつエボナイト棒を遠ざけたあとは、これがふたたび箔にまで拡がるためである。

 この方法は、簡便に電気を得るのに利用することができる。イタリアのヴォルタ〔アレッサンドロ・ヴォルタ〕はすでにこれより以前に(一七六九年)いわゆる電気盆でんきぼんを発明したが〔異説あり〕、その原理はここに説明したのとまったく同一である。電気盆というのは、封蝋ふうろう(またはエボナイト)でできた丸い盆と絶縁体のを有する金属円板とを総合して名づけたもので、まず、盆をネコの皮などでたたいて電気をおこさせておいたあとに、金属円板をその上にかさね、上面に手をふれてから持ち上げると、この円板に感応によって生じた電気が残される。盆の電気が失われないかぎりは、この手続きをいくどもくり返すだけで、電気がいくらでも得られるわけである。現在もちいられている多くの感応起電機もまた、この理を応用して取りあつかいに便利のように工夫せられたものにほかならない。テプラー(一八六五年)・ホルツ(一八六九年)などの型から漸次ぜんじ改良せられたウィムズハースト〔ジェイムズ・ウィムズハースト〕(一八八三年)の起電機が普通におこなわれるようになったが、これは二枚のガラスまたはエボナイト円板の周辺に、小さな扇形の錫箔すずはくが並列してはりつけられたものが同一の軸のまわりにたがいに反対の向きに回転するようになっており、このさい錫箔にすれあう金属刷毛はけの上に二種の電気が感応によっておこされ、これらがそれぞれ刷毛はけと連絡せられた二つの金属球に集められるのである。
 電気が導体の中を伝わる現象は、すでにステフェン・グレイによって実験せられ、針金を通じて八〇〇フィート〔およそ二四〇メートル〕の遠方まで導くことができたといわれているが、その後デュ・フェイなどによってもこの実験がくり返された。これらのばあいに、距離が非常に遠くなるにしたがって、電気がどんな速さで達するかという疑問が当然おこってくる。これに関する最初の大じかけの実験を試みたのは、イギリスのワットソンである。彼は当時の多くの有力者の援助を得て、一七四七年の七月十四日および十八日に、ロンドンのテムズ川に架せるウェストミンスター橋に沿うて針金を引き、水中の長さ八〇〇フィート、陸上の長さ二〇〇〇フィート〔およそ六〇〇メートル〕をへだてて、ライデンびんの衝撃を送り、つづいてさらにその長さを増大して数回の実験をおこない、また翌年の八月五日にはシューターの丘陵で一万二二七六フィート〔およそ三六八二.八メートル〕の距離でこれを試みたが、いずれも電気が通過するに要する時間は勘定に入らないほど短いことが示された。
 ワットソンの実験にひきつづいて一、二年のあいだに、アメリカのフランクリン、フランスのデリューおよびルモンニエー、ドイツのウィンクラーらが同様の実験をおこない、また一七九五年にフランスのベタンクールは二十六マイル〔およそ四一.六キロメートル〕の距離でこれをおこなったという話であるが、当時、全世界でこの問題が注目の焦点をなしていた様子がうかがわれるであろう。今日われわれは実際に、電気の伝導の速さが光の速さに近いほど大きいことを知っている。
 それゆえ、ある導体に電気が与えられると、一瞬時の間に全体にひろがってしまって一定のありさまにおちつくのである。これはちょうど、あるうつわの中に水がそそぎ入れられると、表面が水平になっておちつくのと同様である。このばあいにただし、導体の内部に電気がどんなふうに分布せられるかは、実験によって見い出されなくてはならない。これに関しては、まずイギリスのキャヴェンディッシュやフランスのクーロンによって研究せられ、導体はいつも表面だけに帯電してその内部には電気の存在しないことや、また表面の電気密度は面の湾曲度の大きい場所において大きくなることなどが漸次ぜんじ知られるようになった。金属でまったく取りかこんでしまった内部の空間では、外側の電気作用をほとんど感じないということや、また導体が鋭くとがったはしを持っていると、そこからたえず放電するということなどは、上述の電気分布の影響によって解釈される。
 帯電した二つの導体を針金で連絡したさいに電気がどちらに向かって流動するかという問題は、ちょうど、水を盛った二つの器を管でつないだとき、水がどちらに流れるかというのと同様に考えられる。われわれは、水のばあいには表面の水平が高いほうからそれの低いほうへ流れるのをよく知っている。そして、前者の水位が後者より高いという言葉をもちいている。そこで電気のばあいにもこれにならって、電気の流動する方向にしたがって二つの導体の電位でんいなるものの高低を区別することができるであろう。そうすれば一つの導体の中で電気が一定の平衡へいこうのありさまに分布されることに対しても、それは導体各部の電位を同じに保つための結果であると解してもさしつかえない。
 この電位の高低は、物体に電気を多量にあたえようとするばあいに重要な関係を持つことがわかる。すなわち、ある物体にいくら多くの電気を他から導こうとしても、前者の電位がすでに後者よりも高くなっていれば、電気を前者のほうに移動させることが不可能にせられるからである。したがってこの目的を達しようとするには、何らかの方法で前者の電位を低くしなければならない。水のばあいならば簡単に、容器を大きくすることによって水位を低下させることができる。これと同様に、電気に関しても物体の電気容量というものを大きくすればよいのである。この電気容量というのはつまり、物体を一定の電位に高めるためにどれだけの電気量をあたえればよいかという数量で測られるのであって、ちょうど、海洋に河川がそそぎこんでもその水位がほとんど変わらない点から見て水容量を無限と考えられると同様に、地球のような大きな物体の電気容量は無限大とみなしてもさしつかえないのである。また、この意味で地球の電位を標準に選び、地球上のふつうの物体の電位をこれに比較して言いあらわすことも多い。
 
 物体の電気容量を大きくするのにどうしたらよいかということは、つぎの簡単な実験から推知される。験電器の円板に金属板Aを針金で連絡し、これにたとえば陽電気をあたえて箔を開かせ、つぎにAに平行に他の金属板Bを対立させて、針金で地面と連絡すると感応によってBには陰電気が現われる(第十八図)。この陰電気は験電器の箔にひろがっていた陽電気をAのほうに引きよせるから、このために箔の開き方の減少するのが見られる。いいかえれば、験電器の箔ならびに板Aは、Bの対立によって電位を低下し、したがって電気容量を増したのであって、これが以前の電位に到達するまでにはもっと多くの陽電気を含むことができる。
 このようにして一般に、多量の電気を集めるために作られた装置を蓄電器ちくでんきと名づける。ライデンびんもその一種と見ることができるが、一七七五年にイタリアのカヴァルロははじめて、メッキ紙をはった木のわくのあいだに絶縁したすず板を置いた一種の蓄電器を作った。パラフィンろうをしみこませた紙とすず箔とを幾枚も重ね合わせ、錫箔を一つおきに導線で連絡して、その一方を地面と連絡したものは、簡便な蓄電器として今日もちいられている。
 理論上で電位差をあらわすのには、単位電気量をその間に持ち運ぶのにどれだけの仕事を要するかという大きさをもってする。それゆえ電位差の静電単位としては、一静電単位の電気量を運ぶのに要する仕事が一エルグ〔一〇〇〇万分の一ジュール〕に相当するものをもちいる。また実用単位としてはこの三〇〇分の一をり、電池の発明者ヴォルタの名を借りてこれを一ボルト(ヴォルト)と称する。工業上では、電位差のかわりに電圧という言葉を多くもちいている。つぎに電気容量の静電単位は、一静電単位の陽電気量をあたえたとき電位が一静電単位だけ高まるようなものである。この九〇〇〇億倍、すなわち一クーロンの陽電気によって一ボルトだけ電位が高まるばあいにその電気容量を一ファラッドと名づけ、また、その一〇〇万分の一を一ミクロ・ファラッドという。これは電気容量の実用単位であって、電磁気学に大功のあったファラデーの名を取ったのである。

   五、電池の発明


 電気が金属体をとおして流動することは、すでにグレイ以後よく知られ、ことにライデンびんの発見によって多量の電気が集められるようになってからは、これを非常に遠方までも針金によって伝えることができたし、また、フランクリンの有名な実験では、雷電の際に空中に生じたものを実験室までも導いてきて電気の作用をおこさせることに成功したほどである。しかしながらそれらのばあいには、電気の流動が継続する時間は非常に短く、いったん電位の高いほうから低いほうへある電気量が移ってしまえば、すぐに電位の差が消滅してしまって、したがって電気の流動もやむのである。つまりそこには、電位の差を始終保たせておくような特殊の条件が存しなかったからである。ちょうど水をある限られた器にそそぎ入れると、瞬時の後には一定の水平面を形づくって静止するのと似ている。ところでこれに反して、いつも高いところから低いほうへ河川のようにえず水を流すのには、流動するだけの水量をたえず供給しなければならない。電気のばあいにもこれと同様な不断ふだんな電流を得る簡単な装置の発明が、ある偶然の発見から結果するようになった。
 それは一七八〇年に、イタリアのボローニャの大学の解剖学の教授であったガルヴァニが、電気によってカエルの筋肉の収縮するのを実験していた際であった。彼の妻君もその助手をつとめていたが、ある日、一人の学生に命じて、新たに電気をおこさせた起電機の導体のすぐそばに置かれたカエルの脚と背髄の一部とに対して解剖用のナイフをあてようとしたところが、このナイフが筋肉にふれると、それが激しく痙攣けいれんするのを見て、おおいに驚いてガルヴァニに知らせた。そこで彼もこれを不思議に思って、たびたびくり返しておこなってみたが、ちょうどこのありさまは別に針金から電気を通じてやると、やはり同じように現われることがわかった。それでなお最初の事実をよく調べたうえで、ついにカエルが鉄棒てつぼうにかかっている銅のかぎにつりさげられていたことにその原因があるのをさとり、新たに鉄と銅とをつないだものを作って、実際に起電機をもちいたのと同じ結果が得られるのを実験的に確かめた。
 つまりここでわれわれは、はじめて従来の起電機のほかに、電気を生ずる新しい一つの方法を発見したわけである。もっともガルヴァニの考えたところでは、それはカエルのような動物体の中に特殊の電気がおこって、神経と筋肉とがそれぞれ陽および陰に荷電されること、ちょうどライデンびんの内外両面におけると同じありさまであって、これらを金属でつなぐと、そこに電気が伝わって中和放電するのであると解釈したのであった。かような動物体のうちでは、すでに前に述べたとおり古代からシビレエイが一種の衝撃をあたえる事実は知られていたが、ライデンびんによる電気衝撃の感じが経験されるようになってから、シビレエイのあたえるものもそれと同じものに相違ないという意見がはじめてギニアの医者であったバンクロフト(一七六九年)によって主張せられ、その後、多くの医学者によってその研究がおこなわれていた次第であって、そもそもガルヴァニのカエルに関する研究の動機もまた、これらに関連しないわけではなかった。それゆえ彼が、観察した上の事実を一種の動物電気に帰したのも決して無理ではなかった。
 ところが、ガルヴァニの発見が非常に特異な興味をもって当時の欧州全般に伝わり、動物電気に対する盛んな研究がおこなわれるにいたったあいだに、同じくイタリアのパヴィア大学の教授であったアレキサンドロ・ヴォルタによって新たに優れた物理学的の発見が成就されたのであった。彼はまずガルヴァニの実験において、銅と鉄とのような二種の金属の中間にある物質の夾在きょうざいするために電気の発生するという事実から推して、後者がかならずしも動物体でなくとも、なんらかの他の物質であっても同様の現象がおこりはしないかと考え、種々の実験をおこなった。そして一七九六年に至って、ついに電流を発生する装置としての、いわゆる電池の最初の形式のものをつくった。それは亜鉛と銅との円板を交互に重ね合わせ、その間ごとに食塩水または酸を滲潤しんじゅんさせた紙または布をはさんたものである。この亜鉛と銅とを針金でつなぐと、その中に電流の通ずるのが実験せられる。これはヴォルタの電堆(パイル)という名で知られているものであって、これから得られる電流はそれ以来、ガルヴァニ電流と呼びらされていた。

 ヴォルタはついでこの装置を改良して、ふつうの電池の形式のものとなした。それは円筒形の器内に希硫酸を入れ、その中に亜鉛と銀の棒を挿入したものであった。彼は、かような電池を数多くならべ、順次に一つの電池の亜鉛棒の上端とつぎの電池の銀棒の上端とをそれぞれ針金でつないで、実験にもちいた。二〇個の電池をつないで水の分解をおこない、三〇個で強い電気衝撃をおこしたということである。また一八〇〇年の十一月に彼は、イタリア政府の許可を得てパリにおもむき、ナポレオン第一世の面前で講義と実験とをおこなっておおいに賞賛を博し、レジオン・ド・ヌールの勲章ならびに六〇〇〇フランの賞金を贈られたという話である。
 上に述べたとおりに、起電機によって得られる電気は瞬時の間だけしか電流を継続させ得ないのに反して、電池の電流は非常に長い時間たえず続くことができるし、かつ必要に応じていつでも自由に断続させられるということは、取りあつかいにこのうえなく便利である。ただ、起電機の両端のあいだの電位差、すなわち起電力と称せられるものは、通常、非常に大きく数千ボルトの大きさにまでも達せしめることができ、したがって強大な火花などを出させることのできるのに反して、一つの電池の両極間の電位差はふつうに一または二ボルトの程度でしかないことはやむをえない。それでも、その電流のおかげで種々の新しい実験がおこなわれ、電気に関するわれわれの知識をおおいに増した点で、われわれはその発見者に深く感謝しなければならない。実際に、ヴォルタ以後に電池の使用は急にさかんになり、十九世紀になってからこれが構造についても種々な改良がくわだてられた。そのうち主要なものは、ダニエル電池(一八三六年)・ブンゼン電池(一八四一年)・ルクランシェ電池(一八六七年)・クラーク電池(一八七三年)などであるが、いずれも二種の金属、たとえば亜鉛と銅、亜鉛と炭のごときものを両極となし、これらを酸の中にひたしたものである。また特に、携帯取りあつかいに便利にする目的で、液をある物質にしみこませて練物ねりものとなし、全体を密閉して金属のはしだけを外部に現わした、乾電池と称せられるものもある。


 電池にもちいる二種の金属のうちで、銅または炭を陽極、亜鉛のほうを陰極と名づける。これは前者がつねに陽に帯電し、後者が陰に帯電してその間に電位差をつくるからである。この電位差は両極を針金でつないで電流を生じているあいだも消滅することなく、ほぼ一定の値をたもっている。この事実はのちに説明するように、電池の内部にある化学作用がたえずおこって、エネルギーを供給していることを示すものである。この作用をできるだけ一定に続けさせるように特に工夫したばあいには、電池の起電力も一定になり、いわゆる標準電池としてもちいられる。クラーク電池やウェストン・カドミウム電池というのはこの目的に作られたものである。
(つづく)



底本:『電気物語』新光社
   1933(昭和8)年3月28日発行
入力:しだひろし
校正:
xxxx年xx月xx日作成
青空文庫作成ファイル:
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電氣物語(一)

電氣物語
石原純

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(例)まだ/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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[#図版(kuchie_01.png)、大雷光]

[#図版(kuchie_02.png)、原子模型で.電球の點滅によつて電子の運行状態を説明してゐる處]

[#図版(kuchie_03.png)、昨年オリンピツク競技が行はれたロスアンゼルス大競技場における夜の照明]

[#図版(kuchie_04.png)、イギリスのベーアドの最近のテレヴイジヨン實驗]

[#図版(kuchie_05.png)、スタヂオにおけるヴアンダ及びヴラヂミルの舞踊を右側の器械で電映せる光景]


電氣物語
 目次
   緒言
 一 電氣及び磁氣に關する古代の知識
 二 電氣學及び磁氣學研究の曙光
 三 電氣に關する最初の假説
 四 電氣の重要なる基本現象
 五 電池の發明
 六 電流の法則
 七 電流の化學作用
 八 電流による熱と光、熱電流
 九 電流の磁氣作用(一)
一〇 電流の磁氣作用(二)
一一 磁氣及び電氣の場、地球磁氣
一二 媒質論の發展
一三 感應電氣
一四 電氣の自己感應及び交流
一五 放電
一六 電氣振動、電波
一七 眞空放電、陰極線
一八 陽放射線
一九 X線及び放射能
二〇 光電氣効果、リチャードソン効果
二一 電氣素量、電子の性質
二二 物質の電子論及び其發展
二三 電子の波動性
二四 宇宙線

 目次了



電氣物語
理學博士 石原純

   緒言

 今日の世のなかは『電氣の世界』であると云つてもよい程に、我々は日常の生活で電氣を取り扱ひ、始終之に接觸するやうになつてゐる。誰でも電燈のスウィッチをひねらないものは無いだらうし、電話器を手に取らないものも稀である。家のなかや往來でラヂオの發聲を聞くのも普通であるし、電車の走ることなどはもうどんな子供でも不思議がらない。大きなビルディングへゆくと、何處でもエレベーターが我々を運んでくれるし、電熱を利用した暖爐や煮沸器などもだんだん行はれて來る。電氣は全く我々人間に取つて便利な必需品になつてしまつた。だが、電氣がどうして斯んな作用をもつのであらうか、電氣とは抑も何であるか又どうして之等の應用が發明されるやうになつたか、さう云ふ疑問に對して一般の人々はまだ/\それ程明瞭には答へることができないであらう。私はこゝで電氣の性質について出來るだけ解り易く物語つて見たいと思ふ。電氣の一切の取り扱ひを學者や技術者だけに任せ切りにした時代は既に過ぎ去つてゐるので、我々の家庭のなかにまで電氣器械が入り込んでくるやうになると、誰でも之に對する一と通りの知識を具へて、少し位の故障は自分でなほしたり、漏電などの災害に對する豫防にも注意することが必要になるのである。又既に電氣について學んだ人々にしても、その知識を一層正確にして自然の不思議な本質について十分の理解を得るやうにすることは甚だ望ましい次第である。この物語が之等の意味で何等かの役に立てば辛ひ[#「辛ひ」は底本のまま]であると私は思つてゐる。

   一、電氣及び磁氣に關する古代の知識

 電氣と磁氣とは互ひに密接な關係を持つてゐることが今日では明らかになつてゐるが、古い時代にはそれが只不思議な現象として別々に知られてゐたに過ぎなかつた。第一には夏の天空に見る雷電の現象はそれが屡々起る地方の人民には無論開闢以來常に經驗せられた處のものであつた。だが、雷電がどうして起るかと云ふことについてはその他の自然現象と共に到底解釋が出來なかつたので、只恐ろしい神祕的のものとして種々の想像説を生んだ。西洋では之をジュピターの神と結びつけて、多くの神話傳説が物語られた。我が國などでは近代になつて西洋科學の輸入せられるまではまだ一般にそれらの神祕説が行はれ、雷神を祭つたり雷獸の如き怪異を恐れ信じたりして怪まなかつた程である。第二に磁石が鐵を吸ひつける現象も亦一種の不思議な力のあらはれとして古くから人々の注意を惹いた。
[#図版(001.png)、第一圖 文化文政頃に酒井抱一の筆になる雷神]
[#ここからキャプション]
この外に光琳.宗達の風神雷神の繪亦有名である
[#キャプションここまで]
 ギリシャのお伽話に、斯んなのがある。マグネスと云ふ人が或る山に登つたら、ふとその靴が地面に吸ひついてしまつて、どうしても離れない。そこで手に持つてゐた杖を力に足を揚げようとしたら、今度は杖が亦地面に吸ひつけられてしまつた。マグネスは一生懸命になつてやつとそこを離れてなぜこんな事が起つたのだらうと思つて探して見ると、鐵を吸ひつける不思議な石のあることがわかつたと云ふのである。自然に存在するものは今日磁鐵鑛と名づけてゐるものであるが、之は諸處で發見されたらしい。支那では隨分古くから知られてゐて、既に黄帝の時代に軍勢が濃霧のなかで方角を失つた場合に、いつも南を向く人形を用ひて地理を悟つたと云ふやうな記録がある。之は磁石を應用したものであらうと推察せられてゐるが、ともかく磁石の性質は雷電のやうな恐ろしい災害を及ぼすものと異つて、單に珍らしく且つ面白く感ぜられるだけに、夙くから研究せられたらしい。
 支那ではいつも磁針が南を指すと解せられ、その後も指南車と云ふ名で屡々歴史に載つてゐる。之は針を水上に浮ばせて、その運動を小さな人形に傳へ、人形の手が南に向くやうに作られたのである。磁針が西洋に傳はつたのは、紀元前千年頃であるらしく、當時のギリシャの大詩人ホーマーの有名な詩『オディッセー』のなかに磁石が航海に用ひられることを歌つた言葉が見出される。ずつと降つて紀元前六十年頃にローマの詩人ルクレチウスの作つた『物の性質』(De Rerum Natura)と云ふ詩のなかには、磁針が互ひに環鎖につながる事が記されて居り、又それより二百年前にプトレミーはファロスの寺院内に鐵の立像を置く際に、天井裏に澤山の磁鐵鑛を具へて何も支へることなく、立像を空中に懸垂させたと傳へられてゐる。
[#図版(002.png)、第二圖]
[#ここからキャプション]
しびれゑひの頭部の皮をむき取つて示した寫眞で龜甲形の集つた部分が電氣器官.中央黒い所に電氣神經がある
[#キャプションここまで]
 第三にギリシャの七大哲學者の最初の人と云はれてゐるミレトスのターレスは、紀元前六百年頃に始めて琥珀が摩擦されたときに、藁や枯葉のやうな輕い物體を吸引することを發見した。これが摩擦電氣の觀察された最初であるが、その後三百年許り經て、テオフラスタスは電氣石も同樣の性質を帶びてゐることを見出した。この作用は磁石ほどに強くはないけれども、やはり不思議な現象として珍らしがられたのであつた。それから第四に一種の電氣魚として知られてゐる『しびれゑひ』(Torped)と云ふ魚類は之を手に觸れると、しびれるやうな刺戟を感ずることもギリシャ時代に知られて居り、有名な哲學者アリストテレスなどもこの事實を記してゐる。
 之等のものが自然に存在する電氣及び磁氣の現象として我々に觀察された最初のものである。このうちで、既に述べたやうに、雷電は餘りに激しく我々の力を超絶してゐるために之に手を下すことができなかつたが、磁石の力はいかにも我々の驚異をそゝる對象物であつた。
 ローマの高僧セント・オーギュスティン(紀元四二六年)が磁石の實驗について書いてゐる文章を左に抄録して見よう。
『私は最初それ(磁石の引力)を見て實に驚嘆した。鐵の環が引きつけられて石についてしまつたからである。しかもそれは自分の性質を鐵にまで傳へて又次のものを近づけると之を引揚げる。そして第一の環が磁石に引付いたやうに、第二の環は第一のものに吸ひ付く。第三、第四も同樣に加はつて、磁石から一種の環の鎖が下がり、しかも環は組み合はずに表面だけで繋がつてゐる。磁石の力がそれ自身ばかりでなくて、澤山の環に傳はり、見えない組み合せで連絡してゐるのを見て誰か[#「誰か」は底本のまま]興がらないだらうか。だが、もつと/\驚くべき事柄は、基督教會に於ける私の兄弟たるミレヴィスの僧正セヴェルスから磁石について私が聞いた話である。その話によると、僧正がアフリカの貴族バタナリウスの處で一緒に食事をしてゐたときに、彼は銀の板の上に鐵の一片を置き、その下で磁石を手に持つて動かすと、板の上の鐵はそれに伴れて動き出し、中間の銀板は少しも之を妨げることなく、前後左右に引かれてゆくと云ふことである。私は自分で實驗したことを話したのだ。否、自分の眼を信用すると同じく信用する人の語つたのを話したのだ』
 之でもわかるやうに始めて磁石の力について觀察した當時の人々がいかに不思議を感じたかを知ることができるであらう。自然の事實の詳細な觀察がすべて科學を生むものである事を我々は忘れてはならない。だが、之等の事實は一般の人々には一種の魔術のやうに解せられた。十三世紀時代のイギリス、フランシスカン派の僧侶ロージャー・ベーコンは當時種々の物理現象を觀測して科學的知識を大いに進めた人であつたが、世間からはその實驗を見て魔術師の樣に思はれた。我が國でも徳川時代に屡々キリシタン僧侶が、謂はゆる『エレキ』の實驗を行つて魔術視せられたことがあるのもこゝに想ひ起される。
 十三世紀は西洋では謂はゆる文藝復興の運動の起つた當初である。種々の學問の新らしい萠芽がそこに育てられたなかに、實驗科學の基礎が上記のロージャー・ベーコンやペレグリヌスによつて置かれたのであつた。ペレグリヌスはオランダの十字軍戰士として從軍した人であるが、磁石の性質に關する最初の學術的記録を殘したのも彼である。そのなかには、磁石に北及び南に向ふ極即ち謂はゆる北極と南極とが一定してゐる事、二つの磁石の間では北極と南極とが互ひに引き合ひ、同名の極は互ひに斥け合ふ事、棒状の磁石を切るとその各々に兩極を生ずること、その他磁石に關する種々の實驗が記されてゐる。
[#図版(003.png)、第三圖 ペレグリヌスの書物に記された羅針盤の圖]
[#図版(004.png)、第四圖 今日の船舶用羅針盤]
[#図版(005.png)、第五圖 簡單なる磁針]
 磁石の研究がかやうにして始まると共に、一方では方角を知る器械即ち羅針盤としての應用が益々重要な役目を果すやうになつた。なぜなら當時造船術の進歩に伴つて漸時[#「漸時」は底本のまま]遠洋航海が行はれるに至り、このために羅針盤が一層必要となつて來たからである。有名なコロンブスのアメリカ發見は一四九二年であるが、之によつても當時の情勢を覗ふことができるであらう。この時代に航海用羅針盤に貢獻した人々としてイギリスのアレキサンダー・ネッカム(一二〇七年)や、上記のペレグリヌス(一二六九年)や、イタリーのフラヴィオギオ(一三〇二年)などの名が記されてゐる。

   二、電氣學及び磁氣學研究の曙光

 十六世紀の終から十七世紀にかけた時代は今日の我々の科學が始めて眞の生長を促した最も大切な時期であつて、イタリーのガリレイやドイツのケプレルが天體の運動を研究して後のニウトンの力學の基礎を形作り、又イギリスのウィリアム・ギルバートが電氣及び磁氣の實驗的研究を行つて後の發展に資したことはここに特筆せらるべきものである。
[#図版(006.png)、第六圖 ギルバートがエリザベス女皇の前で電氣實驗を行つてゐる有樣]
 ギルバートは晩年にエリザベス女皇並びにジェームス一世の侍醫となつた醫者であるが、電氣と磁氣とに就ての研究は實に深く、宮廷に於て女皇の面前でそれらの實驗を行ひ當時の人々を驚かしたと云ふことである。一六〇〇年に公けにした彼の著書には十七年間に亘る研究の結果が集められてゐるが、之によつてポッゲンドルフは彼を『磁氣のガリレオ』と稱し、プリーストレーは『近代電氣學の父』と讃した。
 電氣については、彼は先づ琥珀の系統的研究を行ひ、又摩擦によつて帶電する物質の表をつくり、帶電しない物質と區別した。琥珀の外に、金剛石や青玉や水晶や、硝子、硫黄、松脂などが電氣を起す物質として數へられた。又摩擦電氣は乾いた空氣中で能く起り、特に寒い冬季の晴れた日には最もよく觀察せられるのを見た。吸引せられる物質としては金屬、木、葉、石、土などの殆んどすべての固體の外に、水や油でもよいことを見出した。尚ほこの外種々の實驗を行ひ、電氣の力と磁氣の力との性質の相違をも研究した。
[#図版(007.png)、第七圖 銀枠に篏めた自然磁石]
[#第七図とそのキャプション内容は、食い違いか]
 磁氣に關しては、先づ磁石の強さとその形状とについて、又兩極と之を結びつける軸とについて研究し、磁石からの感應によつて鐵がいかにして磁石となるかについて詳細の實驗を行つた。磁針を強い磁石で摩すると磁性を増すことなどもそこに示されてゐる。彼の一大發見とも稱すべきは、地球が一大磁石であることを明かにしたことである。磁針が常に南北を指すのはその兩極が地球磁石の兩極に引かれるからであつて、之が丁度地理上の南北方向と一致するのである。けれどもこの一致は決して完全ではなくて多少の外づれを示し、且つそれが地球上の塲所によつて異なることが明らかにせられた。尤も磁針の方向が正しく北を指さずに、北極星の方向と多少異なると云ふ事實は、既に當時の航海者には知られてゐたので、その最初の發見者はコロンブスであるとも傳へられてゐる。又磁針を上下に傾き得るやうに裝置すると北極が水平線よりも下を向くことも少し以前に、即ち一五七六年に、イギリスの磁針製作者ノーマンによつて見出だされてゐた。
 之はギルバートの説に從つて地球磁石の極が地球内部に存在することを考へれば當然の結果であつて、この場合に磁針が水平に對して傾く角度即ち伏角を測る器械もギルバートによつて記されてゐる。鐵を子午線の方向に据ゑ置き、之を熱しながら槌で叩くと磁石になると云ふ實驗などもなされた。
 ギルバートの後に暫らくの間は多くの學者によつて磁石の研究が盛んに行はれた。歴史上に知られた程の當時の科學者で、この問題を取り扱はないものは殆んどなかつたと云つてもいゝであらう。例へば、イギリスのフランシス・ベーコンとかベルギーのファン・ヘルモンとか、イタリーのピエトロ・サルピとか、その外澤山に擧げることができる。またフランスのギャッサンディ(一六二一年)が北極光を觀測し、イギリスのゲリプランド[#「ゲリプランド」は底本のまま](一六三五年)が磁針方位角の永年的變化を見出だしたのもこの時代に屬する。イギリスの有名な天文學者ハリーが地球磁石の極の位置を推定したのに對し、一六九八年、一六九九年、一七〇二年の三回に亘りて政府から觀測隊を派遣して各地に於ける方位角を測定し、始めて正確な磁氣分布圖を作つたのは、この種類の學術觀測事業の最初のものであつた。
 磁石研究の流行時代がその頂點を過ぎてから、漸く摩擦電氣の新らしい研究が起つた。と云ふのは單に個々の物質を手に掴んで摩擦したゞけでは、それ程強力の電氣を起すことができないので、ギルバートの實驗した以上に幾らの知識を増すこともなかつたわけであるが、一六六〇年になつて例のマグデブルグ半球の實驗で我々に能く知られてゐるドイツのオットー・フォン・ゲーリケが始めて新らしい有力な起電機を作つたからである。それは硝子球で鑄型をとつた硫黄の球を廻轉軸に取り付けたものであつて、之を布で擦つて電氣を起させるのである。
 ゲーリケはこの起電機の硫黄の球に手を觸れると響と光とを發することを始めて實驗した。又輕い物體は電氣に吸引せられるけれども一度帶電體に觸れた後にはすぐに反撥せられ、更に他の物體に觸れるまではもはや吸引せられないことを見出だした。尚ほ輕い物體を帶電せる球の内部につるすと、物體自身にも電氣状態を起すことをも實驗した。
[#図版(008.png)、第八圖 一七四四年頃の起電機と其實驗]
[#ここからキャプション]
右方で手の摩擦により電氣を起し.左方で絶縁臺の上に立つてゐる人體(E)を通して放電の火花を生ぜしめ匙(F)に盛つた酒精に點火するを示す
[#キャプションここまで]
 この起電機は間もなくイギリスに傳へられて、そこで多くの實驗がなされた。ロバート・ボイル(一六七一年)は摩擦された物體が他の摩擦されない物體を吸收するばかりでなく、前者を絹絲でつるすと後者から引かれることを確め、又吸引現象は空氣中ばかりでなく、空氣ポンプの排氣鐘内でもあらはれることを觀察した。ニゥトンはゲーリケの硫黄の球の代りに硝子球を用ひた起電機による實驗を一六七六年にイギリスのローヤル・ソサイティで行つた。硝子球は摩擦された面ばかりでなく、その反對の面も吸引作用を有することをそこで示した。次いでホークスビーは一七〇五年に同じくローヤル・ソサイティーで一層強力な起電機を用ひ、眞空中で琥珀又は硝子を擦ると光を發することを實驗した。硝子から發する光は最初紫色から青白くなり、又鹽やアルコールを塗つた毛布からは一種の強い閃光が出ると彼は述べてゐる。
 電氣に關する斷片的の事實がかやうにして漸次知られた後に、十八世紀に入つて始めて電氣學が一つの科學の體裁を作るやうになつた。そして之に對して主として貢献したのはイギリスのステフェン・グレイであつた。彼は摩擦によつて電氣を起さない物體には總て起電體から電氣を傳へることのできることを發見した。即ち絹絲で麻の線を支へると、電氣を數百呎の遠方にまで導くことができるが、絹絲の代りに荷造繩を用ひた場合には失敗した。彼はこの方法で種々の物質を檢して、麻や荷造繩や針金は電氣を傳導するのに反し、毛髮や樹脂や絹絲のやうな物質は之を傳へないで却つて絶縁することを見出だした。彼はこの外液體や人體にも電氣を傳へて傳導を實驗し、又電氣力の強さは物質の量によらないで、その表面の大いさに關することを示した。
[#図版(009.png)、第九圖]
[#ここからキャプション]
イギリスのジエツス・ラムスデンの作つた摩擦起電機(一七六八年)。これは硝子球の代りに始めて硝子板を用ひたもの
[#キャプションここまで]
 電氣實驗に於ける劃時代的の進歩は我々が今日ライデン壜と稱へてゐる一種の蓄電器の發見によつて遂げられたのである。この發見は一七四五年にポメラニアのカミンと云ふ場處の寺院の僧侶のフォン・クライストによつてなされた。その記す處によれば、釘又は太い眞鍮の針金を火でよく乾かした小さな藥壜に入れて之に電氣を與へ、釘に手を觸れると著しい電撃を受けると云ふのである。壜のなかに少量の水銀又は酒精を注ぐと、もつと能く成功することも述べられてゐる。ライデン壜の名はこのクライストの發見と獨立にその翌年オランダのライデンで同じ發見が偶然になされたことから由來してゐる。即ちライデン大學の教授ファン・ムッシェンブレークがその同僚キュネウス及びアラマンドと共に實驗してゐた際に、物體から電氣を逃げ去らないやうにするためには、電氣を導かないもので之を圍んでおけばよからうと云ふ考へで、この目的のために水を選び之を硝子瓶に入れてみた。併しその目的の效果が達せられないうちに、偶まこの瓶を片手に持つてゐたキュネウスが一方に強い起電機の導體と連絡された針金を引き拔かうとした處が、腕と胸に激しい衝撃を受けたので、他の人々も之を試みたら同樣であつたと云ふことである。ムッシェンブレークはそのときの樣子を人に語つて『フランスの全王國を賭けても、私は二度と電撃を受けたくない』と話したさうである。
[#図版(010.png)、第十圖 ライデン壜の外形(A)と縱斷面(B)]
[#ここからキャプション]
硝子瓶の内※[#一字不明]兩面に錫箔を貼りつけ.絶縁體の蓋を貫いて金屬棒を立て.棒の下端に鎖を垂らして底に達せしめる
[#キャプションここまで]
 ともかくもこの時代に於ては、起電機の構造が漸次改良せられて來たと共に、このライデン壜の發見によつて多量の電氣を集め蓄へることができたので電氣に關するすべての實驗が面目を一新するやうになつたことは容易に想像せられるであらう。我々は茲に始めて電氣の理論に進むことができるのである。

   三、電氣に關する最初の假説

 電氣とは何であるか。之は抑も電氣の現象が發見せられた最初の瞬時からの宿題であつた。尢も今日我々が同じく電氣の作用として解してゐる種々の事柄が最初は互ひに獨立に知られて、その間に何等の連絡も考へられなかつたことは、既に第一節に述べた通りであるが、そのうちで最も早く問題にせられたのは、摩擦された物體が輕い物を引きつける性質であつた。日本語でこそ電氣と云ふのは雷電から取られたものであることは勿論であるが、之は西洋科學の輸入後につくられた新らしい言葉に外ならない。之に反して英語の electricity と云ふのは、ギリシャ時代に琥珀を electron と名づけてゐた處から、之を語源として抽象したものである。形容詞として electric と云ふ言葉を用ひた最初の人はギルバートであると云はれてゐるが、その後名詞としてはベルギーのファン・ヘルモン(一六二一年)イギリスのトーマス・ブラウン(一六四六年)等の著書にあらはれてゐる。
 さて言葉の用ひ方はともかくとして、電氣の正體即ち琥珀や電氣石が摩擦によつて輕い物を引くと云ふのは何によるかと云ふことについては、いろ/\の説明が試みられた。ギリシャ時代には引力とか斥力とか云ふものを愛と憎との作用によるものとして考へてゐたが、十七世紀頃になつて漸く物體の力に對してさう云ふ主觀的意味を離れて客觀的状態を歸するやうになつた。當時のジェスイト派の學者ニコラウス・カペウスと云ふ人は、ギルバートに次いで電氣及び磁氣に關する書物を著はしたが(一六二九年)、その中で琥珀が輕い物を引くのは、その周圍に一種の蒸氣を噴出し、渦動を起して空氣を押し退けるからだと述べてゐる。又前記のブラウンなどは、琥珀が油質の蒸氣を流出し、周圍の空氣で冷やされると蒸氣が凝結して琥珀に戻る際に輕い物を一緒に引きつけてくるのだと考へた。又フランスの有名な哲學者デカーツは細い紐の形をした中間物が互ひに引き合ふ兩者の間に存在することを想像した。
 併し之等の假説はいづれも事實を離れた單なる想像に過ぎなかつた。が、之に反して科學の理論はいつも事實の上に立たねばならないことは今日の我々のよく知つてゐる通りであつて、電氣に關してもだん/\に種々の事實が經驗觀測せられるに從つて、漸くその本當の理論的解釋が萠芽するに至つた。一七三三年にフランスのデュ・フェイが稱へたところのものは即ちその最初のものである。
 デュ・フェイの理論の基礎となつた電氣の根本性質は既にそれ以前にステフェン・グレイと一緒に研究に從事したホワイトによつて發見されたと云はれてゐるが、ともかくもデュ・フェイ自身も之を一々實驗的に試めした上で、そこに自分の假説を立てたのであつた。彼は摩擦した硝子球がその傍に垂下した絲を吸引して、絲が球に觸れた後に、絲に球を近づけると却つて反撥するのを見た。絲の代りに金箔を垂下した場合にも全く同じ事柄が經驗された。ところが硝子球を近づける代りに、摩擦した樹脂片を近づけると、前記の絲又は金箔は再び之に烈しく吸引される。この關係を審かに考察して、デュ・フェイは硝子に起る電氣と樹脂に起る電氣とが異なつたものであると解し、それ/″\硝子電氣及び樹脂電氣と名づけた。今日我々が陽電氣及び陰電氣と稱するものは之等に相當するものであつて、前者は硝子の外に岩鹽、貴金屬、毛髮などに起り、後者は琥珀、ゴム、絹布、紙などにあらはれる。
 デュ・フェイは之等兩種の電氣に對して、同種類の電氣は互ひに反撥し、異種類のものは互ひに吸引すると云ふ特質を假定して、すべての實驗的事實を説明することに成功した。即ち上述の實驗で、一度摩擦した硝子球に觸れた絲や金箔は硝子球にある硝子電氣即ち陽電氣を傳導によつて得てゐるから、球を之に近づけると反撥するのであり、之に反して樹脂片にある樹脂電氣即ち陰電氣に對しては互ひに吸引するのである。又絲や金箔が最初にはいづれの電氣にも吸引されるのは、感應と云ふ現象によつて帶電體に近い部分にいつも異種の電氣が喚び起されたるためである。
 デュ・フェイの考へた處では、之等兩種の電氣はいづれにしても力に關して異つた性質をもつてゐると云ふのであつた。當時はそれ以上に兩種の電氣の性質を比較する事實的材料も知られてゐなかつたが、その後アメリカのフランクリンなどの研究によつて互ひに摩擦し合つた二つの物體には常に互ひに異種の電氣が發生することや、逆に異種の電氣が同じ物體に導かれると中和して消えてしまふことが見出だされた。つまり陽陰兩種の電氣の量は之等の場合に常に、丁度代數學で取り扱ふ正負の二つの量と同樣に考へられることがわかつた。そこでフランクリンは兩種の電氣を假定する代りに、物質に於けるかやうな兩種の帶電状態は同一の、電氣の正及び負と名づくべき異つた状態によつて起されるものであると解釋した。之は後に電氣の一流體假説と稱へられたものであつて、同時代の學者として知られてゐるストックホルムのウィルケ(一七五七年)や、ドイツのエピヌス(一七五九年)などによつて尚ほ明瞭に云ひあらはされた。即ち電氣は一種の流體のやうに傳導體のなかを流れることができるのであつて、それが物體の或る自然状態に於けるよりも増す場合には物體は正の帶電状態を呈し、反對に減少する塲合には負の帶電状態となるのであると説明された。
 この一流體假説は兩種の電氣を單に正負状態の相違に歸してしまふ點で思考を簡單にする利益があるけれども、併し同時に自然状態がどんなものであるかを想像するに苦まされる。そこで之に對立してイギリスのロバート・シンマー(一七五九年)は再びデュ・フェイの假定を繼承して謂はゆる二流體假説を立てた。之によれば、電氣には判然と異つた、併し同時に存在し得る二つの流體があつて、之等が等しい量だけあれば互ひに作用を消し合つて物體の自然状態を呈する。又一方の量が多ければその流體の種類に應じて、正又は負に帶電すると云ふのである。從つて少くとも自然状態に關してはこの方が一流體説よりも考へ易くなるであらう。併しそれは思考上の問題に止まつて、實際に事實の上でどちらが正しいかはまだ之だけの範圍で判斷することはできない。更に抑もこゝで流體と名づけるものは何であるか、即ち通常の物質以外のどんなものであるかと云ふやうな疑問に進むと、一向にわからない。
 こゝで私は一足飛びに今日我々の有してゐる見解をちよつと比較のために附加しておかう。今日の電子論では、物質を構成してゐる究極的要素は陽及び陰電氣を有する粒子即ち陽子(プロトン)及び電子(エレクトロン)と稱せられるものである。すべての電氣的状態は結局之によるのであるから、謂はゆる電氣は物質以外の何ものでもなくて、寧ろ物質それ自身なのである。但し二種の異なつた要素が存在して、自然状態では之等を同時に含んでゐると云ふ點は二流體説に相當する。併し電子に比べて陽子は非常に大きな質量をもつて居り、從つて容易に動き難いのであるから、固體内部などで電氣の傳導に與かるものは單に原子から離れた電子だけであると見做されるのであつて、電氣の實際の流動關係から云へば一流體説に近似すると云はねばならない。
 何れにしても電氣の本質に關する理論は、フランクリンやシンマーの流體假説の當時に比べて、今はまるで雲泥の差違よりももつと甚だしく異つて來てゐる。その間には電氣に關する實に多くの事實が發見され、我々の知識を驚くべく増してゐるのである。我々の科學の理論はさうした事實の上に立てられなければならないのであつた。

   四、電氣の重要な基本現象

 電氣に陽陰二種類が存することと、その間の力の關係については既に上に述べた通りに十八世紀の半ば頃までに一通り知られるやうになつたが、更に進んでこの力がどんな法則に從つてはたらくかを明らかにするには、之を數量的に測るための精密な實驗が必要であつた。そして之はフランスのクーロム(一七八五年)によつて始めて成功された。
 普通に摩擦によつて起された電氣の間にはたらく力は甚だ小さいから、その大いさを測るにはよほど鋭敏な器械によらねばならない。クーロムはこの目的のために捩り秤と稱するものを作り絹絲でつるされた水平の棒が捩られる角度で電氣力の大いさを測つた。彼はこの實驗の結果からすべて、電氣力は、引力の場合にも斥力の塲合にも、帶電體の中心間の距離の二乘に逆比例することを見出だした。この法則は實に靜電氣學の基礎を形作る重要なものとして今日に於ても認められてゐる。
[#図版(011.png)、第十一圖 クーロムの捩秤]
 我々はこのクーロムの實驗から亦電氣の分量を測ることができる。即ち二つの帶電體が一定の距離ではたらく電氣力の大いさは電氣の分量に比例すると考へることができるから、一方の電氣を一定に保つて置いて他方の電氣量を變へたとすると、その場合の力を上述の捩秤で測ることによつて電氣量の大小を知ることができる。この電氣量に對しては後に次のやうな絶對單位が導き入れられた。即ち互ひに等しい二つの電氣量が一センチメートルの距離を隔てゝ一ダインの力ではたらくときに、このやうな電氣量を一靜電單位と定めるのである。但しこの量は我々が實際に取り扱ふ程度の電氣量に比べて非常に小さいものであるから、實用上の單位としては之の三十億倍を取り、クーロムの名を借用して之を一クーロンと名づけてゐる。
[#図版(012.png)、第十二圖 金箔驗電器]
 クーロムの捩秤はこのやうにして電氣量の精密な測定に役立つ一つの器械と見做されるが、單に物體に電氣が存するかどうかを驗し、又その電氣量の大小を最も簡單に推知するだけの目的のためにはクーロムと同時代にイギリスのベンネット(一七八七年)が始めて考案した金箔驗電器を用ひるのがよい。今日では金箔の代りにアルミニウム箔が多く用ひられてゐるが、二枚の小さな箔を金屬棒の下に垂れ、棒の上端に金屬圓板を取りつけたものを、硝子瓶の口栓に押し込んで他と絶縁したものである。之に電氣を與へると、二枚の箔は互ひに反撥して開き電氣量の多い程開き方も大きくなるから、之によつて容易にその量の多寡を見ることができる。
[#図版(013.png)、第十三圖]
[#ここからキャプション]
感應によつて驗電器の箔が開く
[#キャプションここまで]
 ベンネットはこの驗電器を用ひて種々の實驗を試みた。こゝで我々に取つて最も重要な事實は、或る帶電體を驗電器の金屬圓板に近づけると、箔が漸次に開き始めることである。之は既にステフェン・グレイによつても觀察された靜電氣感應の現象によるのであつて、一般に一つの又は連絡せる導體が帶電體の傍に置かれると、その電氣に感應して之に近い導體の部分に異種の電氣が、又遠い部分には同種の電氣が分離してあらはれることは、デュ・フェイによつて二種の電氣の存在説と共に假定せられた處である。
 さてこの驗電器を用ひて我々は尚ほ次の實驗を行ふことができる。例へば摩擦したエボナイト棒を驗電器の圓板に近づけて箔の開くのを見た後に、その儘圓板に他方の手を觸れると箔が閉ぢるけれども、手を離すと共にエボナイト棒をも遠ざけると箔は再び開くやうになる。之は圓板に手を觸れることによつて驗電器の導體は人體を通じて地面にまで連絡されることになるから、最初箔にあらはれた陰電氣はこの連絡によつて遠方に追ひやられ、單にエボナイト棒にある陰電氣と反對の陽電氣だけが驗電器の圓板に殘されることゝなり、手を離し且つエボナイト棒を遠ざけた後は之が再び箔にまで擴がるためである。
[#図版(014.png)、第十四圖 電氣盆]
[#図版(015.png)、第十五圖 感應起電機]
 この方法は簡便に電氣を得るのに利用することができる。イタリーのヴォルタは既に之より以前に(一七六九年)謂はゆる電氣盆を發明したが、その原理はこゝに説明したのと全く同一である。電氣盆と云ふのは封蝋(又はエボナイト)で出來た圓い盆と絶縁體の柄を有する金屬圓板とを綜合して名づけたもので、先づ盆を猫の皮などで敲いて電氣を起させて置いた後に、金屬圓板をその上に重ね上面に手を觸れてから持ち上げると、この圓板に感應によつて生じた電氣が殘される。盆の電氣が失はれない限りはこの手續を幾度も繰り返すだけで、電氣が幾らでも得られるわけである。現在用ひられてゐる多くの感應起電機も亦この理を應用して取り扱ひに便利のやうに工夫せられたものに外ならない。テプラー(一八六五年)、ホルツ(一八六九年)などの型から漸次改良せられたウィムズハースト(一八八三年)の起電機が普通に行はれるやうになつたが、之は二枚の硝子又はエボナイト圓板の周邊に小さな扇形の錫箔が並列して張りつけられたものが同一の軸のまはりに互ひに反對の向きに迴轉するやうになつて居り、この際錫箔に擦れ合ふ金屬刷毛の上に二種の電氣が感應によつて起され、之等がそれ/″\刷毛と連絡せられた二つの金屬球に集められるのである。
 電氣が導體のなかを傳はる現象は既にステフェン・グレイによつて實驗せられ、針金を通じて八百呎の遠方まで導くことができたと云はれてゐるが、その後デュフェイ[#「デュフェイ」の中黒なしは底本のまま]などによつてもこの實驗が繰り返された。之等の塲合に距離が非常に遠くなるに從つて、電氣がどんな速さで達するかと云ふ疑問が當然起つて來る。之に關する最初の大仕掛の實驗を試みたのはイギリスのワットソンである。彼は當時の多くの有力者の援助を得て、一七四七年の七月十四日及び十八日にロンドンのテームス河に架せるウェストミンスター橋に沿うて針金を引き、水中の長さ八百呎、陸上の長さ二千呎を隔てゝ、ライデン壜の衝撃を送り、續いて更にその長さを増大して數回の實驗を行ひ、又翌年の八月五日にはシューターの丘陵で 12276 呎の距離で之を試みたが、何れも電氣が通過するに要する時間は勘定に入らない程短いことが示された。
[#図版(016.png)、第十六圖 電氣の傳はる速さを測るワツトソンの實驗]
[#ここからキャプション]
絶縁して吊された金屬棒ADをライデン罎の内側Cと繋ぎ.他方で其外側Eから針金を經て球Hに至る。中間のFに人間を挾むと.FとHとの間が一萬二千呎を隔てゝもFにゐる觀測者の感ずる衝撃はHに於ける火花と殆ど同時に起る
[#キャプションここまで]
 ワットソンの實驗に引き續いて一、二年の間に、アメリカのフランクリン、フランスのデリュー及びルモンニエー、ドイツのウィンクラー等が同樣の實驗を行ひ、又一七九五年にフランスのベタンクールは二十六哩の距離で之を行つたと云ふ話であるが、當時全世界でこの問題が注目の焦點をなしてゐた樣子が覗はれるであらう。今日我々は實際に電氣の傳導の速さが光の速さに近い程大きいことを知つてゐる。
 それ故或る導體に電氣が與へられると、一瞬時の間に全體に擴がつてしまつて一定の有樣に落ちつくのである。之は丁度或る器のなかに水が注ざ[#「注ざ」は底本のまま]入れられると表面が水平になつて落ちつくのと同樣である。この場合に併し導體の内部に電氣がどんな風に分布せられるかは、實驗によつて見出だされなくてはならない。之に關しては先づイギリスのキャヴェンディッシュやフランスのクーロムによつて研究せられ、導體はいつも表面だけに帶電してその内部には電氣の存在しないことや、又表面の電氣密度は面の彎曲度の大きい場處に於て大きくなることなどが漸次知られるやうになつた。金屬で全く取り圍んでしまつた内部の空間では、外側の電氣作用を殆んど感じないと云ふことや、又導體が鋭く尖つた端をもつてゐると、そこから絶えず放電すると云ふことなどは、上述の電氣分布の影響によつて解釋される。
[#図版(017.png)、第十七圖 導體で圍まれた内部には電氣がない]
 帶電した二つの導體を針金で連絡した際に電氣がどちらに向つて流動するかと云ふ問題は丁度水を盛つた二つの器を管でつないだとき水がどちらに流れるかと云ふのと同樣に考へられる。我々は水の場合には表面の水平が高い方からそれの低い方へ流れるのを能く知つてゐる。そして前者の水位が後者より高いと云ふ言葉を用ひてゐる。そこで電氣の場合にも之に傚つて電氣の流動する方向に從つて二つの導體の電位なるものゝ高低を區別することができるであらう。さうすれば一つの導體のなかで電氣が一定の平衡の有樣に分布されることに對しても、それは導體各部の電位を同じに保つための結果であると解しても差支ない。
 この電位の高低は物體に電氣を多量に與へようとする場合に重要な關係をもつことがわかる。即ち或る物體に幾ら多くの電氣を他から導かうとしても、前者の電位が既に後者よりも高くなつてゐれば、電氣を前者の方に移動させることが不可能にせられるからである。從つてこの目的を達しようとするには何等かの方法で前者の電位を低くしなければならない。水の塲合ならば簡單に容器を大きくすることによつて水位を低下させることができる。之と同樣に電氣に關しても物體の電氣容量と云ふものを大きくすればよいのである。この電氣容量と云ふのはつまり物體を一定の電位に高めるためにどれだけの電氣量を與へればよいかと云ふ數量で測られるのであつて、丁度海洋に河川が注ぎ込んでもその水位が殆んど變らない點から見て水容量を無限と考へられると同樣に、地球のやうな大きな物體の電氣容量は無限大と見做しても差支へないのである。又この意味で地球の電位を標準に選び、地球上の普通の物體の電位を之に比較して云ひあらはすことも多い。
[#図版(018.png)、第十八圖]
[#図版(019.png)、第十九圖 蓄電器]
 物體の電氣容量を大きくするのにどうしたらよいかと云ふことは、次の簡單な實驗から推知される。驗電器の圓板に金屬板Aを針金で連絡し、之に例へば陽電氣を與へて箔を開かせ、次にAに平行に他の金屬板Bを對立させて、針金で地面と連絡すると感應によつてBには陰電氣があらはれる(第十八圖)。この陰電氣は驗電器の箔に擴がつてゐた陽電氣をAの方に引き寄せるから、このために箔の開き方の減少するのが見られる。云ひ換へれば、驗電器の箔並びに板AはBの對立によつて電位を低下し、從つて電氣容量を増したのであつて、之が以前の電位に到達するまでにはもつと多くの陽電氣を含むことができる。
 このやうにして一般に多量の電氣を集めるためにつくられた裝置を蓄電器と名づける。ライデン壜もその一種と見ることができるが、一七七五年にイタリーのカヴァルロは始めて鍍金紙を張つた木の枠の間に絶縁した錫板を置いた一種の蓄電器を作つた。パラフィン蝋を浸み込ませた紙と錫箔とを幾枚も重ね合せ、錫箔を一つおきに導線で連絡して、その一方を地面と連絡したものは、簡便な蓄電器として今日用ひられてゐる。
 理論上で電位差をあらはすのには、單位電氣量をその間に持ち運ぶのにどれだけの仕事を要するかと云ふ大いさを以てする。それ故電位差の靜電單位としては一靜電單位の電氣量を運ぶのに要する仕事が一エルグに相當するものを用ひる。又實用單位としてはこの三百分の一を採り、電池の發明者ヴォルタの名を借りて之を一ボルト(ヴォルト)と稱する。工業上では電位差の代りに電壓と云ふ言葉を多く用ひてゐる。次に電氣容量の靜電單位は一靜電單位の陽電氣量を與へたとき電位が一靜電單位だけ高まるやうなものである。之の九千億倍、即ち一クーロンの陽電氣によつて一ボルトだけ電位が高まる場合にその電氣容量を一ファラッドと名づけ、又その百萬分の一を一ミクロ・ファラッドと云ふ。之は電氣容量の實用單位であつて、電磁氣學に大功のあつたファラデイの名を取つたのである。

   五、電池の發明

 電氣が金屬體を通して流動することは既にグレイ以後能く知られ、殊にライデン瓶の發見によつて多量の電氣が集められるやうになつてからは、之を非常に遠方までも針金によつて傳へることができたし、又フランクリンの有名な實驗では雷電の際に空中に生じたものを實驗室までも導いて來て電氣の作用を起させることに成功した程である。併しながらそれらの塲合には電氣の流動が繼續する時間は非常に短く、一旦電位の高い方から低い方へ或る電氣量が移つてしまへば、すぐに電位の差が消滅してしまつて、從つて電氣の流動も止むのである。つまりそこには電位の差を始終保たせておく樣な特殊の條件が存しなかつたからである。丁度水を或る限られた器に濺ぎ入れると、瞬時の後には一定の水平面を形作つて靜止するのと似てゐる。ところで之に反して、いつも高い處から低い方へ河川のやうに絶えず水を流すのには、流動するだけの水量を絶えず供給しなければならない。電氣の場合にも之と同樣な不斷な電流を得る簡單な裝置の發明が或る偶然の發見から結果するやうになつた。
[#図版(020.png)、第二十圖 ガルヴァニ]
 それは一七八〇年にイタリーのボロニヤの大學の解剖學の教授であつたガルヴァニが電氣によつて蛙の筋肉の收縮するのを實驗してゐた際であつた。彼の妻君もその助手を勤めてゐたが、或る日一人の學生に命じて新たに電氣を起させた起電機の導體のすぐ傍に置かれた蛙の脚と背髓の一部とに對して解剖用のナイフを當てようとしたところが、このナイフが筋肉に觸れると、それが激しく痙攣するのを見て、大いに驚いてガルヴァニに知らせた。そこで彼も之を不思議に思つて、度々繰り返して行つて見たが、丁度この有樣は別に針金から電氣を通じてやると、やはり同じやうに現はれることがわかつた。それで尚ほ最初の事實をよく調べた上で、遂に蛙が鐵棒に懸つてゐる銅の鈎につり下げられてゐたことにその原因があるのを悟り、新たに鐵と銅とをつないだものを作つて、實際に起電機を用ひたのと同じ結果が得られるのを實驗的に確めた。
[#図版(021.png)、第二十一圖 蛙の脚によるガルヴアニの實驗]
[#ここからキャプション]
ガルヴアニの原論文中にある※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]圖
[#キャプションここまで]
 つまりこゝで我々は始めて從來の起電機の外に、電氣を生ずる新らしい一つの方法を發見したわけである。尤もガルヴァニの考へた處では、それは蛙のやうな動物體のなかに特殊の電氣が起つて神經と筋肉とがそれぞれ陽及び陰に荷電されること、丁度ライデン瓶の内外兩面に於けると同じ有樣であつて、之等を金屬でつなぐと、そこに電氣が傳はつて中和放電するのであると解釋したのであつた。かやうな動物體のうちでは、既に前に述べた通り古代からしびれゑひ[#「しびれゑひ」に傍点]が一種の衝撃を與へる事實は知られてゐたが、ライデン瓶による電氣衝撃の感じが經驗されるやうになつてから、しびれゑひの與へるものもそれと同じものに相違ないと云ふ意見が始めてギニアの醫者であつたバンクロフト(一七六九年)によつて主張せられ、その後多くの醫學者によつてその研究が行はれてゐた次第であつて、抑もガルヴァニの蛙に關する研究の動機も亦之等に關聯しないわけではなかつた。それ故彼が觀察した上の事實を一種の動物電氣に歸したのも決して無理ではなかつた。
[#図版(022.png)、第二十二圖 ヴォルタ]
 ところが、ガルヴァニの發見が非常に特異な興味をもつて當時の歐洲全般に傳はり、動物電氣に對する盛んな研究が行はれるに至つた間に、同じくイタリーのパヴィア大學の教授であつたアレキサンドロ・ヴォルタによつて新たに優れた物理學的の發見が成就されたのであつた。彼は先づガルヴァニの實驗に於て、銅と鐵とのやうな二種の金屬の中間に或る物質の夾在するために電氣の發生すると云ふ事實から推して、後者が必らずしも動物體でなくとも、何等かの他の物質であつても同樣の現象が起りはしないかと考へ、種々の實驗を行つた。そして一七九六年に至つて、遂に電流を發生する裝置としての所謂電池の最初の形式のものをつくつた。それは亞鉛と銅との圓板を交互に重ね合せ、その間毎に食鹽水又は酸を滲潤させた紙又は布を挾んたものである。この亞鉛と銅とを針金でつなぐと、そのなかに電流の通ずるのが實驗せられる。之はヴォルタの電堆(パイル)と云ふ名で知られてゐるものであつて、之から得られる電流はそれ以來ガルヴァニ電流と呼び慣らされてゐた。
[#図版(023.png)、第二十三圖 ヴォルタの電堆]
 ヴオルタは次いでこの裝置を改良して普通の電池の形式のものとなした。それは圓筒形の器内に稀硫酸を入れ、そのなかに亞鉛と銀の棒を※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]入したものであつた。彼はかやうな電池を數多く列べ、順次に一つの電池の亞鉛棒の上端と次の電池の銀棒の上端とをそれぞれ針金でつないで、實驗に用ひた。二十箇の電池をつないで水の分解を行ひ、三十箇で強い電氣衝撃を起したと云ふことである。又一八〇〇年の十一月に彼はイタリー政府の許可を得てパリに赴き、ナポレオン第一世の面前で講義と實驗とを行つて大いに賞讃を博し、レジオン・ド・ノールの勳章並びに六千フランの賞金を贈られたと云ふ話である。
 上に述べた通りに、起電機によつて得られる電氣は瞬時の間だけしか電流を繼續させ得ないのに反して、電池の電流は非常に長い時間絶えず續くことができるし、且つ必要に應じていつでも自由に斷續させられると云ふことは、取り扱ひにこの上なく便利である。只起電機の兩端の間の電位差、即ち起電力と稱せられるものは、通常非常に大きく數千ボルトの大いさにまでも達せしめることができ、從つて強大な火花などを出させることのできるのに反して、一つの電池の兩極間の電位差は普通に一又は二ボルトの程度でしかないことは止むを得ない。それでもその電流のお蔭で種々の新らしい實驗が行はれ、電氣に關する我々の知識を大いに増した點で、我々はその發見者に深く感謝しなければならない。實際にヴォルタ以後に電池の使用は急に盛んになり、十九世紀になつてから之が構造についても種々な改良が企てられた。そのうち主要なものは、ダニエル電池(一八三六年)、ブンゼン電池(一八四一年)、ルクランシェ電池(一八六七年)、クラーク電池(一八七三年)などであるが、何れも二種の金屬、例へば亞鉛と銅、亞鉛と炭の如きものを兩極となし、之等を酸のなかに浸したものである。又特に携帶取扱ひに便利にする目的で液を或る物質に浸み込ませて練物となし、全體を密閉して金屬の端だけを外部にあらはした乾電池と稱せられるものもある。
[#図版(024.png)、第二十四圖 (1)ブンゼン電池 (2)ダニエル電池 (3)ルクランシエ電池 (4)重クロム酸電池]
[#図版(025.png)、第二十五圖 クラーク電池の斷面]
 電池に用ひる二種の金屬のうちで、銅又は炭を陽極、亞鉛の方を陰極と名づける。之は前者が常に陽に帶電し、後者が陰に帶電してその間に電位差をつくるからである。この電位差は兩極を針金でつないで電流を生じてゐる間も消滅することなく、ほゞ一定の値を保つてゐる。この事實は後に説明するやうに電池の内部に或る化學作用が絶えず起つて、エネルギーを供給してゐることを示すものである。この作用を出來るだけ一定に續けさせるやうに特に工夫した塲合には、電池の起電力も一定になり、謂はゆる標準電池として用ひられる。クラーク電池やウェストン・カドミウム電池と云ふのはこの目的に作られたものである。
(つづく)



※ 効と效の混用は底本のとおり。
※ 写真や図版の著作権者は石原純本人なのか、もしくは石原純以外の人物なのか不明。著作権法の「著作権者不明」「学術研究目的」の項が適用可能と判断した。
底本:『電氣物語』新光社
   1933(昭和8)年3月28日発行
入力:しだひろし
校正:
xxxx年xx月xx日作成
青空文庫作成ファイル:
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*地名

(※ 市町村名は、平成の大合併以前の表記のまま。一般的な国名・地名などは解説省略。
  • [アメリカ]
  • ロスアンゼルス Los Angeles ロサンゼルス。アメリカ合衆国南西部、カリフォルニア州南部の大都市。北西に隣接してハリウッドがある。人口369万5千(2000)。羅府。ロス‐アンジェルス。
  • [イギリス]
  • ローヤル・ソサイティ Royal Society ロイヤル ソサイエティー。イギリスの科学アカデミー。1660年に私的機関として発足。
  • ロンドン London イギリス連合王国の首都。イングランド南東部、テムズ川にまたがる大都市。都心はシティーと呼ばれ、世界経済の中心地の一つでイングランド銀行・取引所などが集まり、バロック様式のセント‐ポール大聖堂がある。インナー‐ロンドンはシティー以外の12の区(borough)を含み、ウェストミンスター寺院・国会議事堂・諸官庁・大英博物館などがある。周辺地域を含む大ロンドン(Greater London)はシティー・インナー‐ロンドンおよび20区を有するアウター‐ロンドンから成り、面積1610平方km、人口707万4千(1996)。かつては濃霧と煤煙に包まれる日が多く、「霧の都」と呼ばれた。
  • テームス河 → テムズ
  • テムズ Thames イギリス、イングランド南東部の川。コッツウォールド丘陵に発源、オックスフォードを過ぎ、ウィンザー城の傍らを経て、ロンドンを貫流、三角江をなして北海に注ぐ。長さ338km。テームズ。
  • ウェストミンスター橋 ロンドン・テムズ川に1750年架けられた第二の橋。(最初の橋はロンドン橋。紀元43年、ローマ皇帝クラウディウス一世がブリタニアを征服、テムズ川の北岸に植民地ロンディニウムを建設。まもなく、架橋された。
  • ウェストミンスター Westminster ロンドンのテムズ川左岸に位し、川岸からハイドパークに至る地域。シティーの西に接する政治・宗教の中心地で、バッキンガム宮殿・国会議事堂・ウェストミンスター寺院などがある。
  • シューターの丘陵
  • [ドイツ]
  • マクデブルク Magdeburg ドイツ中部、ザクセン‐アンハルト州の州都。エルベ川に沿う都市。中世、ハンザ同盟に所属。製糖業が盛ん。人口23万5千(1999)。
  • ポメラニア Pomerania ポーランド北西部からドイツ北東端のバルト海沿岸地方の呼称。ポーランド・ドイツが歴史的に深くかかわり合ったが、1945年以降は大部分がポーランド領。東西に大きく二分され、東の中心都市はグダニスク、西のそれはシュチェチン。ポーランド語名ポモジェ。ドイツ語名ポンメルン。
  • カミン
  • [オランダ]
  • ライデン Leiden オランダ西部の都市。古ライン川に沿い、運河が縦横に通ずる。ルネサンス時代の建築物を多く残す。大学・博物館は著名。オランダ独立戦争の時、スペインに頑強に抵抗した地。人口11万8千(2003)。オランダ語名レイデン。
  • ライデン大学 ライデン だいがく 1575年創設のオランダ最古の大学。オラニエ公ウィレムが、スペインの侵略から街を守ったライデン市民への褒美として設立。グロティウスら著名な学者を擁した。アジア研究でも知られる。
  • [イタリア]
  • ボローニャ Bologna イタリア北部、レノ川に沿う都市。12世紀に大学が成立し、中世文化の中心地となる。人口37万4千(2004)。
  • ボローニャ大学 ボローニャ だいがく ボローニャにあるヨーロッパ最古の大学の一つ。起源は8世紀の法学校にさかのぼり、12世紀に法学の研究所に集まった学生の自治団体(universitas ラテン)が神聖ローマ帝国皇帝により公認された。ヨーロッパ中世の大学の一原型。法学で有名。
  • パヴィア大学 -だいがく 県都パビアにある大学。14世紀にこの都市を支配下においたビスコンティ家が建設した。長いあいだロンバルディア地方の文化、学問の中心としての地位を保った。(世界大百科)
  • パヴィア Pavia パビア。(1) イタリア北部、ロンバルディア州西部の県。県都パビア。ポー川にティチーノ川が合流する平野を占め、灌漑による水田地帯を形成。(2) パビア県の県都。ティチーノ川北岸に位置。別称パビー Pavie。古称ティキヌム Ticinum。1390年創設の大学の所在地。(外国地名コン)
  • [ギリシャ]
  • ローマ Roma イタリア共和国の首都。イタリア中部テヴェレ川に沿い、ローマ帝国の都として古代以来ヨーロッパの政治・文化・宗教の大中心地。由緒ある建物・遺跡・美術品に富み、博物館・美術館・パンテオン・サン‐ピエトロ大聖堂・ヴァチカン宮殿・コロセウムなどがある。人口254万8千(2004)。
  • ファロス Pharos ファロス島・ファロス半島。エジプト北部、アレクサンドリアにある半島。かつて島であったが、アレクサンダー大王の命を受け、防波堤が建設されて陸地とつながれた。紀元前280頃、プトレマイオス2世が大灯台を建設し、世界の七不思議の一つに数えられたが、14世紀に崩壊。(外国地名コン)
  • ミレトス Miletos 古代イオニアの最強の都市国家。黒海沿岸に多くの植民地を建設。前6世紀ミレトス学派を生み、文化の中心。
  • ミレヴィス
  • [シナ]


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『コンサイス外国地名事典』第三版(三省堂、1998.4)。




*年表

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  • 電磁気学の年表
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  • 一二六九 ペトロス・ペレグリヌスが、磁石に2つの極があることなど、磁石の性質についての著書を著わした。
  • 一六〇〇 ウィリアム・ギルバートが、古来より摩擦電気現象が知られていた琥珀以外に、硫黄や樹脂、ガラスなどにも摩擦電気が発生することが確認。
  • 一六六三 オットー・フォン・ゲーリケが、硫黄球を回転させて摩擦電気を作り出す摩擦起電機を発明。
  • 一七二九 スティーヴン・グレイが、導体と不導体の区別を発見。これによって、電気は動くものであることが確認された。
  • 一七三三 シャルル・フランソワ・デュ・フェが、金属にも摩擦電気が発生することを発見し、さらに電気はガラス電気(プラス)と樹脂電気(マイナス)の2種類があることを提唱。
  • 一七四六 ピーテル・ファン・ミュッセンブルーク (Pieter van Musschenbroek)が、電気を蓄えるライデン瓶を発明。ゲーリケの摩擦起電機とともに、後の電気研究に貢献した。
  • 一七五〇 ベンジャミン・フランクリンが、電気は1種類で、物質ではない荷電流体であるという一流体説を提唱。
  • 一七五二 フランクリンが、凧揚げの実験から、雷が電気現象であることを証明。
  • 一七五三 ジョン・キャントン(John Canton)が、帯電体に金属を近づけたときに発生する静電誘導を発見。
  • 一七六七 ジョゼフ・プリーストリーが、電気的な逆二乗則を提案する。
  • 一七八〇 ルイージ・ガルヴァーニが、「動物電気」を発見し、動物の体内に電気があるのではないかという仮説を立てる。
  • 一七八五 シャルル・ド・クーロンが、2つの電荷間で作用する力は、距離の2乗に反比例するというクーロンの法則を発見。
  • 一八〇〇 アレッサンドロ・ボルタが、電気は異種金属の接触によって発生することを発見。最初の電池(ボルタ電池)を作成。
  • 一八〇七 ハンフリー・デーヴィが、ボルタの発明した電池を電源としたアーク放電灯を完成。
  • 一八二〇 ハンス・クリスティアン・エルステッドが、電気を通した導線の近くに置いた磁針が振れる実験で、電流の磁気作用を発見。
  • 一八二〇 ジャン=バティスト・ビオ/フェリックス・サバールが、導線の周辺に発生する磁界の大きさを計算するビオ・サバールの法則を発見。
  • 一八二〇 フランソワ・アラゴが、鉄心に巻きつけた導線に電流を流すと磁石になる電磁石の原理を発見。
  • 一八二〇 ジョセフ・ルイ・ゲイ=リュサックが、電流を流した導線が1つの磁石になることを発見。
  • 一八二〇 アンドレ・マリー・アンペールが、電流を流した2本の導線が互いに反発・吸引する相互作用と、電流の方向に対して右ねじの回転方向に磁界が生じるというアンペールの法則を発見。
  • 一八二一 マイケル・ファラデーが、電流を流した導線と磁石の間に相互作用があることを確認。
  • 一八二二 トーマス・ゼーベックが、異なる金属を接合させて閉じた回路にしたとき、両者の接点に温度差があると電流が発生するというゼーベック効果を発見。
  • 一八二二 アンペールが、電流を流した2本の導線間に働く力が、電流の積に比例し、距離に反比例することを確認。
  • 一八二三 ウィリアム・スタージャンが、最初の電磁石を発明。
  • 一八二四 アラゴが、円板の周辺に沿って磁石を回転させると、円板も同じ方向に回転するというアラゴーの回転板の原理を発見。
  • 一八二六 ゲオルク・オームが、電圧と電流、電気抵抗の関係を表したオームの法則を発見。
  • 一八三一 ファラデーが、導線を通り抜ける磁力線の数が時間的に変化すると、導線に誘導起電力発生するというファラデーの電磁誘導の法則を発見。
  • 一八三四 ハインリヒ・レンツが、電磁誘導による誘導電流は、それを生み出す磁石の動きを妨げる方向に流れるというレンツの法則を発見。
  • 一八三七 ファラデーが、電磁場は、近接する媒体に伝わって周囲に影響を及ぼすという近接媒体電磁場説を提唱。
  • 一八四〇 ジェームズ・プレスコット・ジュールが、電気が熱に変わるとき、その発熱量と電力、時間の関係を表したジュールの法則を発見。
  • 一八四二 ジョセフ・ヘンリーが、コンデンサの電荷をコイルで放電させると、電気振動が発生することを発見。
  • 一八五六 ジェームズ・クラーク・マクスウェルが、電磁気の第1の論文「ファラデーの力線について」を発表。これによって、電気現象を数学的に表現。
  • 一八五九 ガストン・プランテが、充電ができる鉛蓄電池(二次電池)を発明。
  • 一八六一 マクスウェルが、第2の論文「物理的力線について」を発表。電磁場理論を発表。
  • 一八六四 マクスウェルが、第3の論文「電磁場の動力学的理論」で、電磁波の存在を予言。
  • 一八七〇 ゼノブ・グラムが長時間運転可能な発電機を実用化。
  • 一八七三 マクスウェルが、電磁気に関する研究の集大成として「電磁気学」を発表。光が電磁気学的現象であることを明言する。
  • 一八七五 ジョン・カーが、いくつかの液体で電気的に引き起こされる複屈折を発見する。
  • 一八七六 アレクサンダー・グラハム・ベルが、電話機を発明。人の声を電流に変換して初めて送信。
  • 一八七九 デイビッド・エドワード・ヒューズが、炭素粉末の接触抵抗が、音波によって変化する現象を発見。後の検波器の実現に貢献した。
  • 一八八三 ウィリアム・スタンレーが、変圧器の原理の基礎となる逆起電力理論を提唱。
  • 一八八五 ジョン・フレミングが、フレミングの右手の法則(発電機の原理)を発表。後に左手の法則(モーターの原理)も。
  • 一八八八 ハインリヒ・ヘルツが、マクスウェルの予言した電磁波説を、火花発生装置と火花検出器を用いた実験で証明。
  • 一八八九 エドアール・ブランリーが、無線電信の受信用検波器を発明。
  • 一八九五 アレクサンドル・ポポフが、ブランリーが発明した検波器を改良して実用化。
  • 一八九五 ヴィルヘルム・レントゲンが、X線を発見。
  • 一九〇一 グリエルモ・マルコーニが、火花放電による電磁波の大西洋横断通信に成功。


◇参照:Wikipedia「電磁気学の年表」より。



*人物一覧

(人名、および組織・団体名・神名)
  • -----------------------------------
  •    一、電気および磁気に関する古代の知識
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  • ベアード John Logie Baird 1888-1946 スコットランドの発明家。世界で初めてテレビ伝送に成功。
  • ヴァンダ
  • ヴラジミル
  • ジュピター Jupiter (1) ローマ神話の天空神。クイリヌス・マースとともにローマ国家の3主神を形成。ギリシア神話のゼウスに当たる。ユピテル。(2) 〔天〕木星。
  • 酒井抱一 さかい ほういつ 1761-1828 江戸後期の画家。抱一派の祖。名は忠因。鶯村・雨華庵と号した。姫路城主酒井忠以の弟。西本願寺で出家し権大僧都となったが、江戸に隠棲。絵画・俳諧に秀で、特に尾形光琳に私淑してその画風に一層の洒脱さを加えた江戸風琳派を完成させた。
  • 光琳 こうりん → 尾形光琳
  • 尾形光琳 おがた こうりん 1658-1716 江戸中期の画家。乾山の兄。京都の呉服商雁金屋に生まれ、初め狩野風の絵を学んだが、やがて光悦・宗達の装飾画風に傾倒して、大胆で華麗な画風を展開。また、蒔絵や染織など工芸の分野にも卓抜な意匠(光琳風・光琳模様)を提供した。その画風は乾山や酒井抱一などに引き継がれ、光琳派、略して琳派の系譜を生む。作「紅白梅図屏風」など。
  • 宗達 そうたつ ?-1640頃 桃山・江戸初期の画家。京都の富裕な町衆の出身。屋号を俵屋といい、法橋になって対青軒・伊年などの印章を用いた。やまと絵の技法・様式を消化して大胆な装飾化を加え、水墨画にも新生面を開く。「(源氏物語)関屋・澪標図屏風」「風神雷神図」「蓮池水禽図」のほか、扇面画や金銀泥の料紙装飾などの作品を残す。
  • マグネス 〓 ギリシャのおとぎ話の登場人物。(本文)
  • 黄帝 こうてい 中国古代伝説上の帝王。三皇五帝の一人。姓は姫、号は軒轅氏。炎帝の子孫を破り、蚩尤を倒して天下を統一、養蚕・舟車・文字・音律・医学・算数などを制定したという。陝西省の黄帝陵に祭られ、漢民族の始祖として尊ばれる。
  • ホーマー Homer ホメロスの英語名。
  • ホメロス Homeros 古代ギリシアの詩人。前8世紀頃小アジアに生まれ、吟遊詩人としてギリシア諸国を遍歴したと伝える。英雄叙事詩「イリアス」「オデュッセイア」の作者とされるが、この詩人が実在したか、この2作の作者だったかについては諸説がある。ホーマー。ホメール。
  • ルクレチウス → ルクレティウス
  • ルクレティウス Titus Lucretius Carus 前99頃-前55頃 ローマの詩人・唯物論哲学者。デモクリトス・エピクロスの原子論による哲学詩「宇宙論」6巻を残して自殺。
  • プトレミー → プトレマイオス
  • プトレマイオス Ptolemaios Klaudios 天文学者・数学者・地理学者。2世紀前半にアレクサンドリアで活躍。天動説を主張。また、その地理学説は15世紀の新航路発見に至るまで動かし難いものとされ、その著「アルマゲスト」は天動説および当時の数学・天文学・物理学に関して、コペルニクス時代に至るまで約1400年間権威を保った。英語名トレミー。
  • タレス Thales ギリシア最古の哲学者。哲学の祖。紀元前6世紀前半の人。ミレトス派の自然哲学の創始者で、万物の根源は水であると説いた。七賢人の一人。
  • テオフラスタス Theophrastos(希・独) BC372(-69)-288(-85) テオフラストス。ギリシアの哲学者。レスボス島のエレソスに生る。アリストテレスの学友でその門下。アリストテレス学派の後継者として(前322頃来)、忠実にその学風を守り、これを各方面に発展させた。哲学的著作には、アリストテレス形而上学の困難な問題を取り扱った《形而上学》および自然学者の学説を分類収録した《Physikon doxai》が重要。彼はまた〈植物学の祖〉と称され、その著《植物原因論》《植物誌》で、初めて植物学の体系的叙述を試みた。なお《性格論》で、諷刺、諧謔を交えて当時の社会相や人間を描いた。(西洋人名)
  • アリストテレス Aristoteles 前384-前322 古代ギリシアの哲学者。プラトンの弟子であり、またその批判者。プラトンは事物の本質をイデアと名づけ、超越的なものとしたが、アリストテレスはそれを形相(エイドス)と名づけ、存在者に内在するものとした。形相と質料は存在者を構成する不可分の2原理として、前者が現実態、後者が可能態とも呼ばれる。アテネにリュケイオンという学校を開き(その学徒はペリパトス(逍遥)学派と呼ばれる)、その研究は論理・自然・社会・芸術のあらゆる方面に及んだ。「形而上学」「自然学」をはじめ、論理学・倫理学・政治学・詩学・博物学などに関する多数の著作がある。
  • セント・オーギュスティン → アウグスティヌスか
  • アウグスティヌス Aurelius Augustinus 354-430 初期キリスト教会最大のラテン教父・思想家。キリスト教徒を母として育つも、一時マニ教を奉じ、やがて新プラトン哲学に触発され、内なる根拠への還帰・超越の道を求め、ついにミラノで回心し洗礼を受け、生地北アフリカに帰りヒッポの司教として活動、同地で没。その神学思想は、原罪の癒しにおける恩恵の絶対性、恩恵のしるしとしてのサクラメント論、歴史は神の国と地上の国との闘争の場であるとする歴史神学、記憶・知性・愛のうちに痕跡をみる三位一体論が特徴。哲学的には内的時間論・自由意志論・真理照明説が注目される。著「告白」「三位一体論」「神の国」など。聖オーガスチン。
  • セヴェルス 〓 ミレヴィスの僧正。
  • バタナリウス 〓 アフリカの貴族。
  • ロジャー・ベーコン Roger Bacon 1219頃-1292頃 イギリス中世の哲学者。フランシスコ会修道士。近世自然科学の先駆となる思想・業績を残した。
  • ペレグリヌス → ペトルス・ペレグリヌス
  • ペトルス・ペレグリヌス Petrus Peregrinus 13世紀中頃のフランスのスコラ哲学者。R.ベーコンの先駆者で、自然科学および数学に実験を導入して誤謬を排除しようとした。また磁気の研究もおこなっている。主著《Epistola de magnete,1269》(岩波西洋)
  • コロンブス Christopher Columbus 1446頃-1506 (Cristoforo Colombo イタリア) イタリアの航海者。ジェノヴァの生れ。スペイン女王イサベルの援助を得て、1492年アジアに向かって出帆、西インド諸島サン‐サルバドル島に上陸、キューバ・ハイチに到達。その後も3回の航海でジャマイカ、南アメリカ北部、中央アメリカに到達。その業績は、「新大陸の発見」として重視された。
  • アレキサンダー・ネッカム Nekam, Alexander 1157-1217 イギリスの自然科学者。東方の自然科学知識に通じていた。(日外西洋)
  • フラヴィオギオ 〓 イタリア。(一三〇二年)
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  •    二、電気学および磁気学研究の曙光
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  • ガリレイ Galileo Galilei 1564-1642 イタリアの天文学者・物理学者・哲学者。近代科学の父。力学上の諸法則の発見、太陽黒点の発見、望遠鏡による天体の研究など、功績が多い。また、アリストテレスの自然哲学を否定し、分析と統合との経験的・実証的方法を用いる近代科学の方法論の端緒を開く。コペルニクスの地動説を是認したため、宗教裁判に付された。著「新科学対話」「天文対話」など。
  • ケプレル → ケプラー
  • ケプラー Johannes Kepler 1571-1630 ドイツの天文学者。ブラーエの火星観測に基づいた研究の結果、惑星の運動に関する経験的法則(ケプラーの法則)を発見。
  • ニュートン Isaac Newton 1642-1727 イギリスの物理学者・天文学者・数学者。ケンブリッジ大教授。力学体系を建設し、万有引力の原理を導入した。また微積分法を発明し、光のスペクトル分析などの業績がある。1687年「プリンキピア(自然哲学の数学的原理)」を著す。近代科学の建設者。のち、造幣局長官・英国王立協会長を歴任。
  • ウィリアム・ギルバート William Gilbert 1544-1603 イギリスの物理学者。エリザベス1世女王の侍医。磁気および摩擦電気について研究、磁気学の父と呼ばれる。
  • エリザベス Elizabeth 1533-1603 イギリスの女王。(1) (1世)ヘンリー8世とアン=ブリン(Anne Boleyn1507〜1536)との娘。1558年即位。チューダー朝最後の王。国教会の体制を確立。産業・貿易の奨励、海軍の充実により国家の富強をはかり、治世45年間にイギリス絶対王政の最盛期を現出、多くの文人が輩出。オランダの独立を支援、88年スペインの無敵艦隊を撃滅。
  • ジェームス一世 → ジェームズ
  • ジェームズ James 1566-1625 (英語の男子名。ラテン語のヤコブス、ドイツ語のヤーコプ、フランス語のジャックに当たる)イギリス王。(1) (1世)スチュアート王朝の祖。スコットランド王としては6世。1603年イングランド王位を継承して大ブリテン島を同君連合のもとに置いた。王権神授説を唱え、英国国教会強硬派を支持、議会と衝突。
  • ポッゲンドルフ Pog'gendorff, Johann Christof 1796-1877 ドイツの物理学者、科学史家。ベルリン大学物理学教授。電磁気に関する研究があり、シュヴァイガーとは独立に電磁倍率器を発明。また反照検流計を考案した。彼の創刊、編集した雑誌、科学者辞典《5巻、1857-1931》の編集者として有名。(岩波西洋)
  • プリーストレー → プリーストリー
  • プリーストリー Joseph Priestley 1733-1804 イギリスの化学者・牧師・哲学者。哲学上では唯物論者、牧師としては神の存在と恩寵とをあくまで信じた。化学者としては気体の化学に貢献し、酸素を発見。
  • ノーマン Norman, Robert 1590年頃活躍。16世紀後半のイギリスの航海器具製造者。経歴については、一時船員として活躍後、器具製作者に転じたこと以外は未詳。磁気コンパス(羅針盤)製作の課程で、磁針の北極を指す側の端が水平線より下がることを観察した。この磁針の水平線からの傾斜は今日伏角と呼ばれるが、彼はロンドンでの伏角の値(71°50')を測定するとともに、各地の値についての情報を集めた。この伏角の発見の事情と、磁石の他の性質についての実験、観察は、著書『新引力』(The New Attractive, 1581)に記されている。『科学史技術史事典』弘文堂、1983.3)
  • フランシス・ベーコン Francis Bacon 1561-1626 イギリスの政治家・哲学者。科学的方法と経験論との先駆者。スコラ哲学に反対し、学問の最高課題は、一切の先入見と謬見すなわち偶像(イドラ)を捨て去り、経験(観察と実験)を知識の唯一の源泉、帰納法を唯一の方法とすることによって自然を正しく認識し、この認識を通じて自然を支配すること(「知は力なり」)であるとした。主著「新オルガノン」
  • ファン・ヘルモン → ファン・ヘルモント
  • ファン・ヘルモント Jan Baptista van Hel'mont 1579-1644 オランダの化学者、医者。ブリュッセルに生る。錬金術、天文学、法律学、政治学、植物学、医学を修め、パラケルススの影響を受けた。スイス、イタリア、フランスを歴遊して帰国。疾病の内因・外因の解説をして後世の生気論への関連を示している。また科学の実験的研究をおこない、酸に溶けた金属は消滅したのではなく再び回収し得ると説いたほか、空気分析によって炭酸を発見し、これに〈ガス〉という名称を与えた。(岩波西洋)
  • ピエトロ・サルピ Sar'pi, Paolo (Pietro) 1552-1623 イタリアの学者。ヴェネツィアの人。〈聖母マリアの下僕会〉の修道士、その管区長、のち総代理となる。教皇の世俗権およびイエズス会に強く反対して〈Pietro Soave Polano〉の筆名で《Istoria del concilio tridentino,1619》を著した。自然科学、医学にも通じた。(岩波西洋)
  • ギャッサンディ フランス。北極光を観測。(一六二一年)
  • ギャッサンディ → ガッサンディか
  • ガッサンディ Gassandi' (Gassand) , Pierre 1592-1655 フランスの物理学者、数学者、哲学者。故郷プロヴァンスのエクス(Aix)で学び、同地で神学および哲学を教え、のちパリのコレージュ・ロアイヤルの数学教授となる。デカルトおよびスコラ的アリストテレス説に反対し、エピクロスおよびルクレティウスの唯物論的元子論を代表し、神を元子の第一原因と見なした。著書あり。(岩波西洋)/南仏ディーニュに近いシャンテルシェに生まれた哲学者、自然科学者。理性によって事物そのものの本性が捉えられるという立場を否定し、自然的世界についての知識は感覚経験に由来するとしながらも、感覚にあらわれるものを説明することには理性使用を認め、かくて、自然的世界を解明するための仮説として原子論をたてる。1618年から1655年までの詳細な天体観測記録が彼の科学史上の功績の一つとして挙げられる。(科学史)
  • ゲリブランド Gellibrand, Henry 1597-1636 イギリスの天文学者・数学者。地球磁場が水平方向だけでなく、垂直方向にも少しずつ変化することを最初に指摘。(日外西洋)
  • ハリー Edmund Halley 1656-1742 イギリスの天文学者。グリニッジ天文台長。ハリー彗星の軌道決定、恒星固有運動の発見など、多くの功績がある。
  • オットー・フォン・ゲーリケ Gue'ricke, Otto von 1602-1686 ゲーリッケ。ドイツの物理学者。マクデブルクの市長となり、後にハンブルクに居住した。近代自然科学の基礎を置いた者の一人で、ガリレイ等と同じく、帰納的実験的方法を科学の中に導入した。また真空ポンプを発明して真空現象を研究し、空気の重さ、熱膨張等を見出した。殊に〈マクデブルクの半球〉の実験を公開したことは有名。主著《Experimenta,1672》(岩波西洋)
  • ロバート・ボイル Robert Boyle 1627-1691 イギリスの物理学者・化学者。実験的事実を重視し、錬金術から実証的科学への橋渡しをした。また、化学元素の概念を導入、ボイルの法則を発見し、王立科学協会の創設にも参画。
  • ホークスビー Hauksbee, Francis 1666?-1713 イギリスの装置製作者・実験哲学者。静電気研究を大きく発展させ、また毛細管現象の研究でも知られる。ニュートンの晩年の思索に影響を与えた。(日外西洋)
  • ステフェン・グレイ Stephen Gray 1670頃-1736 スティーヴン・グレイ。グレー。イギリスの電気学者。摩擦で帯電できるか否かにより、物質を導体と絶縁体に分類した。また吸引力(静電気)は、ひとつの物体から他の物体への接触によって移り得ることを発見した。(岩波西洋)(Wikipedia)
  • ジェッス・ラムスデン Ramsden, Jesse 1735-1800 イギリスの天文機械製造者。(日外西洋)/ロンドンに居住していた機械学者で、光学器具を製造・販売。諸種の精密機械、とくに天文観測器関係を改良・発明。経緯儀、赤道儀、四分儀などの改良につとめ、とくにハドリが発明した四分儀、六分儀を改良精密化、5''読みから30''読みに改正し、航海天文学に大きな貢献をした。また、同一平凸レンズ2枚を組み合わせてつくったラムスデン接眼レンズは測微尺使用のための望遠鏡用として今日も賞用されている。(科学史)
  • フォン・クライスト Kleist, Ewald Georg von 1700-1748 ドイツの物理学者。1745年ライデン壜を発明。(日外西洋)
  • ファン・ムッシェンブレーク ライデン大学の教授。 → ミュッセンブルーク
  • ピーテル・ファン・ミュッセンブルーク Musschenbroek, Pieter van 1692-1761 オランダの物理学者。生地のライデン大学で医学を修め、のち物理学の研究に転じ、イギリスに渡り、ニュートンと交り、帰国後その学説をオランダに初めて紹介した。デュースブルク、ユトレヒトの各大学教授を経て、ライデン大学物理学教授、ドイツの物理学者クライストと独立にライデン瓶を発明したほか、高温計を考案した。(岩波西洋)
  • キュネウス 〓 ムッシェンブレークの同僚。(本文)/アンドレアス・クナエウス(Andreas Cunaeus)か。(Wikipedia)
  • アラマンド
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  •    三、電気に関する最初の仮説
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  • トーマス・ブラウン → トマス・ブラウン
  • トマス・ブラウン Thomas Browne 1605-1682 イギリスの文人、医師。オックスフォードや大陸の諸大学で医学を修め、ノリッジで開業し、その地方の名士となった。イギリス全体がはげしい思想・信仰上の変革の波に洗われている時期に、一歩も二歩もしりぞいた立場から、静かな思弁と博学な省察を、特異に高揚した名文に書きとどめた。《迷信論》(1646)は古代ギリシア・ローマ以来の西欧の迷信を無類の博学でもって列挙し、しかもそれを責めるよりはいつくしむ特異な姿勢でつらぬかれている。(世界大百科)
  • ニコラウス・カペウス 〓 ジェスイト派の学者。一六二九年、電気および磁気に関する書物を記す。(本文)
  • デカーツ → デカルトか
  • デカルト Rene Descartes 1596-1650 フランスの哲学者。近世哲学の祖、解析幾何学の創始者。「明晰判明」を真理の基準とする。あらゆる知識の絶対確実な基礎を求めて一切を方法的に疑った後、疑いえぬ確実な真理として「考える自己」を見出し、そこから神の存在を基礎づけ、外界の存在を証明し、「思惟する精神」と「延長ある物体」とを相互に独立な実体とする物心二元論の哲学体系を樹立。著「方法序説」「第一哲学についての省察」「哲学原理」「情念論」など。
  • デュ・フェイ Du Fay, Charles Franc,ois de Cisternay 1698-1739 フランスの化学者、物理学者。電気に陰陽の2種があり、それに反撥および吸引の作用のあることを発見した。また、燐光、複屈折、磁針等に関する研究もある。(岩波西洋)
  • ホワイト 〓 ステフェン・グレイといっしょに研究に従事。(本文)
  • フランクリン Benjamin Franklin 1706-1790 アメリカの政治家・文筆家・科学者。印刷事業を営み、公共事業に尽くした。理化学に興味を持ち、雷と電気とが同一であることを立証し、避雷針を発明。また、独立宣言起草委員の一人で、合衆国憲法制定会議にも参与。自叙伝は有名。
  • ウィルケ 〓 ストックホルム。一七五七年。
  • エピヌス Aepinus, Franz Ulrich Theodosius 1724-1802 ドイツの物理学者。主著『電気磁気試論』(1759)。(日外西洋)/18世紀に活躍した物理学者。電気・磁気に関する遠隔作用論を提出したことで有名。『電気磁気試論』の主論点は、それまでガラスだけを絶縁体と考えていたフランクリンらの理論を排し、空気なども絶縁性をもつことを主張。それまでの電気物質の発散による電気現象の説明様式を論駁し、電気的引力・斥力に関する遠隔作用説を打ち出した。(科学史)
  • ロバート・シンマー Symmer, Robert ?-1763 イギリスの物理学者。電気には二種類あるというデュ=フェイの説に対応して電気の二流体説を提唱(1759)。(日外西洋)
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  •    四、電気の重要な基本現象
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  • クーロン Charles Augustin de Coulomb 1736-1806 フランスの土木技術者・電気学者。捩り秤を帯電体相互および磁極相互間の力の測定に応用し、クーロンの法則を発見。
  • ベネット A. Bennet 1750-1799 1786年、イギリスのベネットが今日使用されている金箔検電器を発明した。(科学史 p.336左)
  • ヴォルタ Alessandro Volta 1745-1827 イタリアの物理学者。電気学の始祖。ガルヴァーニの動物電気の発見に示唆をうけて電池を発明。初めて人工的に持続する電流を得た。ボルタ。
  • テプラー Toep'ler, August 1836-1912 ドイツの物理学者。グラーツ、ドレスデンの各大学教授。その著《Optische Studien nach der Method der Schlierenbeobachtung,1865》は、従来観察に入っていなかった種々な現象を可視的にする方法を論したもの。他に水銀空気ポンプおよび感応発電機を製作した。(岩波西洋)
  • ホルツ 〓 一八六九年、起電機の改良。
  • ジェイムズ・ウィムズハースト Wimshurst, James 1832-1903 イギリスの電気工学者。錫箔および電気刷子を用いた〈ウィムズハースト誘導起電機〉を作った。(岩波西洋)/1878年ごろに彼が考案した起電機はそれまでのテプラーやホルツの誘導起電機よりもずっと強力であって、誘導起電機としてはもっとも完成された最後の形式。50kVで数分の1mAを供給することができ、“静電”機械の域を超えるものだった。ウィムズハーストはこの起電機をX線発生用に使った。この形の起電機は、高電圧整流管が普及するまで、直流高電圧発生装置としてひろく用いられた。真空ポンプの改良などもおこなった。(科学史)
  • ワットソン イギリス。
  • デリュー フランス。
  • ルモンニエー フランス。
  • ウィンクラー ドイツ。
  • ベタンクール Betancourt フランス。一七九五年。
  • ヘンリー・キャヴェンディッシュ Henry Cavendish 1731-1810 イギリスの化学者、物理学者。1760年から王立協会会員となり王立協会の運営に尽力。1766年、水素を発見。水素が可燃性の気体で、燃焼時に水を生じることを証明、同時に水が化合物であることを証明した。1797年から1798年にかけて、いわゆる「キャヴェンディッシュの実験」を行い、地球の比重を測定・発表した。
  • カヴァルロ 〓 イタリア。一七七五年、蓄電器を作る。(本文)
  • ファラデー Michael Faraday 1791-1867 イギリスの化学者・物理学者。塩素の液化、ベンゼンの発見、電磁誘導の法則、電気分解のファラデーの法則、ファラデー効果および反磁性物質などを発見。電磁気現象を媒質による近接作用として、場の概念を導入、マクスウェルの電磁論の先駆をなす。主著「電気学の実験的研究」
  • ガルヴァニ → ガルヴァーニ
  • ガルヴァーニ Luigi Galvani 1737-1798 イタリアの解剖学者・生理学者。1780年、カエルの脚が金属に触れて痙攣を起こすのをみて、生体の電気現象の研究の端緒を開き、ボルタ電池の原理発見の先駆をなした。
  • -----------------------------------
  •    五、電池の発明
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  • バンクロフト 〓 ギニアの医者。(一七六九年)
  • ナポレオン Napoleon 1769-1821 (1世)(Napoleon Bonaparte) コルシカ島の生れ。砲兵士官としてフランス革命に参加。1796〜97年イタリア征討司令官としてオーストリア軍を破り、98年エジプト遠征。翌年ブリュメール十八日のクーデターによって統領政府を樹立、自ら第一統領となり、1804年帝位につき第一帝政を開いた。06年には「ライン同盟」の結成で神聖ローマ帝国の命脈を絶ち、プロイセンを撃破してヨーロッパに覇権を確立するかに見えた。しかし、イギリスに対する大陸封鎖は不成功に終わり、12年モスクワ遠征の失敗に続いてプロイセン・ロシア・オーストリア連合軍に敗れ、14年退位してエルバ島に流された。15年脱出してパリに戻り帝位に復したが、ワーテルローの戦に敗れ、セントヘレナ島に流されて没。ナポレオン法典の編纂を始め、フランスの近代化に尽くした。
  • ダニエル John Frederic Daniell 1790-1845 イギリスの化学者。ダニエル電池を発明。
  • ブンゼン Robert Wilhelm Bunsen 1811-1899 ドイツの化学者。ハイデルベルク大学教授。スペクトル分析法を完成、ルビジウム・セシウムを発見、ブンゼン電池・ブンゼン‐バーナー・マグネシウム光などを発明。
  • ルクランシェ Leclanche', Georges 1839-1882 フランス人。1878年、ルクランシェ電池を発明。電解液は20%の塩化アンモニウム水溶液、陰極は水銀を塗布した亜鉛、陽極は消極剤の働きをする酸化マンガン(IV)粒で取り囲まれた炭素棒。電圧は1.4〜1.5V。これを乾式化したものが1880年ころ現れ、その後改良が加えられて現在最も広く用いられているマンガン乾電池となった。(世界大百科)


◇参照:『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『岩波西洋人名辞典増補版』、『科学史技術史事典』(弘文堂、1983.3)『世界大百科事典』(平凡社、2007)『西洋人物レファレンス事典』(日外アソシエーツ、1984.2)。



*書籍

(書名、雑誌名、論文名、映画・能・狂言・謡曲などの作品名)
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  •    一、電気および磁気に関する古代の知識
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  • 『オディッセー』 → 『オデュッセイア』
  • 『オデュッセイア』 Odysseia 「イリアス」とともにホメロス作と伝えられる古代ギリシアの長編叙事詩。トロイア戦争終結後、故郷をめざすオデュッセウスの10年間の漂泊と、不在中、妃ペネロペに求婚した男たちに対する報復とをのべる。オデッセー。
  • 『神の国』 アウレリウス・アウグスティヌスの著。四二六年刊。
  • 「物の性質(De Rerum Natura)」 紀元前六〇年ごろ、ルクレチウスの作った詩。(本文)
  • セント・オーギュスティン(紀元四二六年) 磁石の実験について。
  • フラヴィオギオ(一三〇二年)
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  •    二、電気学および磁気学研究の曙光
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  • ニコラウス・カペウス 電気および磁気に関する書物。一六二九年刊。
  • アレキサンダー・ネッカム(一二〇七年)
  • Epistola de magnete ペトルス・ペレグリヌスの著。一二六九年刊。
  • ファン・ヘルモン 一六二一年。
  • ロバート・ボイル(一六七一年)
  • -----------------------------------
  •    三、電気に関する最初の仮説
  • -----------------------------------
  • ウィルケ(一七五七年)
  • 『電気磁気試論』 エピヌスの著。1759年刊。(日外西洋)
  • 『迷信論』 トーマス・ブラウンの著。一六四六年刊。
  • デュ・フェイ フランス。一七三三年。
  • -----------------------------------
  •    四、電気の重要な基本現象
  • -----------------------------------
  • 《Sur l'e'lectricite' et le magne'tisme, 1785-89》 クーロンの著。(岩波西洋)
  • 《Optische Studien nach der Method der Schlierenbeobachtung,1865》 テプラーの著。
  • ジェイムズ・ウィムズハースト(一八八三年)
  • -----------------------------------
  •    五、電池の発明
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  • バンクロフト (一七六九年)


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。



*難字、求めよ

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  •    一、電気および磁気に関する古代の知識
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  • 電気 でんき (1) (electricity) 摩擦電気や放電・電流など、広く電気現象を起こさせる原因となるもの。電荷や電気エネルギーを指すことが多い。(2) 電灯の称。
  • テレヴィジョン → テレビジョン
  • テレビジョン television (1) 画像を電気信号に変換し、電波・ケーブルなどで送り、画像に再生する放送・通信の方式。(2) (1) の画像を再生する装置。テレビジョン受像機。テレビジョン受信機。テレビ。
  • 磁気 じき (magnetism) 磁石の相互作用および磁石と電流の相互作用などの根元となるもの。また、磁極を指すこともある。
  • 雷獣 らいじゅう 想像上の怪物。晴天の日には柔懦(じゅうだ)であるが、風雨にあうと勢い猛烈となり、雲に乗って飛行し、落雷と共に地上に落ち、樹木を裂き人畜を害する。形は小犬に似て灰色、頭長く喙黒く、尾は狐に、爪は鷲に似るという。木貂。
  • 磁鉄鉱 じてっこう (magnetite) 四酸化三鉄から成る鉱物。等軸晶系の結晶、または塊状・粒状・層状をなして岩石中に産する。黒色の金属ないし亜金属光沢をもち、脆弱。磁性が強い。製鉄の原料鉱石。
  • 指南車 しなんしゃ 古代の、方向を指し示す車。上に仙人の木像をのせ、歯車の仕掛けで、最初に南に向けておくと常に南を指すように装置した。中国で3世紀頃作られたが、伝説では黄帝が蚩尤と�鹿の野に戦い、大霧に襲われたので、これを作って兵士に方向を教え示したといい、周初に越裳氏の使者が来貢し、その帰路に迷ったから、周公がこれを授けて国に帰らせたとも伝える。
  • 磁針 じしん 磁場の方向を測るのに用いる針状の磁石。水平に自由に回転し得るように中央部を支える。
  • 環鎖 かんさ?
  • 懸垂 けんすい (1) まっすぐにたれさがること。たれさげること。
  • 琥珀 こはく 地質時代の樹脂などが地中に埋没して生じた一種の化石。塊状・礫状などで産出し、おおむね黄色を帯び、脂肪光沢いちじるしく、透明ないし半透明。パイプ・装身具・香料・絶縁材料などに用いる。赤玉。
  • 電気石 でんきせき ホウ素・アルミニウムなどを含むケイ酸塩鉱物の一群。三方晶系、柱状結晶で、柱面に著しく縦の条線がある。色は化学組成によって異なり、ガラス光沢ないし樹脂光沢をもち不透明ないし半透明。透明で美しいものは宝石となる。トルマリン。
  • 電気魚 でんきうお (→)発電魚に同じ。
  • 発電魚 はつでんぎょ 生体発電器官を具え、他の動物を感電させる魚類。シビレエイやデンキウナギなど。電気魚。
  • しびれえい 痺れ�・痺れ� シビレエイ科の海産の軟骨魚。全長約40cm。背面は褐色、腹面は白色。体板両側に発電器官があり電気を発する。南日本産。食用としない。電気�。
  • Torped
  • 興がる きょうがる (1) 興味深く思う。面白がる。(2) 風変りである。粋狂である。(3) 常軌を逸している。
  • キリスト教会 -きょうかい キリスト教を信奉する人々の組織。また、その礼拝儀式をおこなうための建物。教会。
  • フランシスカン派 → フランシスコ会・フランシスコ修道会
  • フランシスコ修道会 フランシスコ‐しゅうどうかい (Ordo Fratrum Minorum ラテン) フランチェスコの創めた托鉢修道会。キリストの愛の実践を旨とし、貧者・病者に奉仕する。修道士(第1会)・観想修道女(第2会)・平信徒(第3会)が一大修道家族を形成、総会長が統率。第2会は聖女クララが協力して開創。1593年(文禄2)に来日。フランチェスコ会。
  • エレキ (1) エレキテルの略。(2) エレキ‐ギターの略。
  • エレキテル (elektriciteit オランダの略訛) (1) (近世から明治初期の語) 電気。(2) 一種の摩擦起電機。江戸中期、オランダから伝来。病気の治療に役立つとされた。平賀源内は自製した。
  • 文芸復興 ぶんげい ふっこう ルネサンスの訳語。
  • 十字軍 じゅうじぐん (1) (Crusades) (従軍者が十字架の記章を帯びたからいう) 西欧諸国のキリスト教徒がイスラム教徒から聖地パレスチナ、特にエルサレムを回復するために、11世紀末(1096年)〜13世紀後半、7回にわたって行なった遠征。第3回(1189〜92年)以後は宗教目的よりも現実的利害関係に左右されるに至り、当初の目的は達し得なかったが、東方との交通・貿易によって都市の興隆を促進し、また、ビザンチン文化・イスラム文化との接触はルネサンスにも影響を与えた。(2) 広義には、一般に中世のカトリック教会が異端の徒や異教徒に対して行なった遠征を指す。(3) 転じて、ある理想または信念に基づく集団的な運動。
  • 羅針盤 らしんばん 磁針がほとんど南北を指す特性を利用し、船舶・航空機などで方位を測定する用具。羅針儀。磁気羅針儀。羅盤。コンパス。
  • 漸時 ぜんじ → 漸次か
  • 電気学 でんきがく 電磁気学に同じ。
  • 磁気学 じきがく 磁気に関する諸現象を研究する学問。物理学の一分科。
  • 電磁気学 でんじきがく 電気的現象、磁気的現象、およびそれらの相互作用を研究する物理学の一部門。
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  •    二、電気学および磁気学研究の曙光
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  • 曙光 しょこう (1) 夜明けのひかり。暁光。(2) 暗黒の中にわずかに現れはじめる明るいきざし。前途に望みが出はじめたことにいう。
  • 侍医 じい (1) 律令制で、典薬寮に属し、天皇の診察と医薬に当たった医師。初め中務省内薬司所属。(2) 宮内庁侍従職に属し、天皇以下皇族の診療に当たる医師。
  • 摩擦電気 まさつ でんき 異なる物質同士の摩擦によって生じる電気。ガラスと絹とではガラスに正電気、絹に負電気を生じる。
  • 摩する まする (1) こする。磨く。(2) 近づく。せまる。
  • 地磁気 ちじき 地球の持つ磁気と、それによって生じる磁場との総称。磁針が地球のほぼ南北を指す原因。偏角・伏角・水平磁力を地磁気の3要素という。地磁気の発生は、地球の中心部の外核に起因する。地球磁気。
  • 外ずれ そとずれ?
  • 北極光 ほっきょくこう オーロラ。極光。
  • 極光 → オーロラ
  • オーロラ aurora (ローマ神話の曙の女神アウロラから) 地球の南北極に近い地方でしばしば100km以上の高さの空中に現れる美しい薄光。不定形状・幕状など数種あり、普通、白色または赤緑色を呈する。主として太陽から来る帯電微粒子に起因し、磁気嵐に付随することが多い。極光。
  • 方位角 ほういかく (1) (azimuth)天球上での天体の位置を示す角度。その天体を含む垂直圏と、観測者の立つ位置を含む子午線面とのなす角度をいう。(2) (declination)(→)偏角に同じ。
  • 伏角 ふっかく (dip) (1) 観測者が下方の物体を見下ろす場合、視線方向が観測者を通る水平面となす角。俯角。←→仰角。(2) 地球上任意の点に置いた磁針の方向が水平面となす角。傾角。
  • 磁気分布図
  • マグデブルグの半球 -のはんきゅう マクデブルクの半球。地上の物体が大気の圧力を受けている事実を証明した実験。マクデブルク市長であった物理学者ゲーリッケ(Otto von Guericke1602〜1686)が、金属製半球2個を密着させ内部の空気を抜くと、大気圧のため半球が容易に引き離せないことを示したもの。
  • 起電機 きでんき 静電誘導を利用して電気をおこす装置。静電誘導と物体の相対的運動によって正と負の電荷に分離して集める。電気盆。ウィムズハーストの誘導起電機、バンドグラフの静電高圧起電機など。
  • 空気ポンプ くうきポンプ (ポンプは pomp)容器内の空気を吸出・排除する圧縮ポンプの総称。エアーポンプ。
  • 排気鐘 はいきしょう 〔化〕(→)ガラス鐘に同じ。
  • 硝子鐘 ガラス しょう 真空ポンプ装置を備えた鐘状のガラス器。中の空気を排除して種々の実験をする。排気鐘。
  • 画時代的・劃時代的 かくじだいてき 時代を画するさま。画期的。エポック‐メーキング。
  • ライデン瓶 ライデン びん (Leiden jar) (ライデン大学の物理学者ミュッセンブルーク(P. van Musschenbroek1692〜1761)が、1746年に放電実験に用いた)コンデンサー (1) の一種。内外壁に導体として錫箔を貼付したガラス瓶。
  • 蓄電器 ちくでんき (→)コンデンサー (1) に同じ。
  • コンデンサー condenser (1) 電気の導体に多量の電荷を蓄積させる装置。絶縁した二つの導体(両極)が接近し、正負の電荷を帯びると、その電気間の引力により電荷が蓄えられる。バリコン・ライデン瓶の類。キャパシター。蓄電器。
  • 酒精 しゅせい (酒類に含まれ、その分留によって得られるからいう) エチル‐アルコール。
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  •    三、電気に関する最初の仮説
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  • 引力 いんりょく 空間的に相隔った物体が互いに引き合う力。ニュートンの万有引力はすべての物体間に存在し、また、電気的・磁気的引力は帯電体・磁極・電流の流れている物体などの間に現れ、さらに分子・原子・素粒子などの間には特殊な引力が働く。
  • 斥力 せきりょく 2物体間で互いに遠ざけようとする力。同種の電気相互間、同種の磁気相互間に働く力の類。反発力。
  • ジェスイト派 → イエズス会か
  • イエズス会 イエズス‐かい (Society of Jesus) スペインのイグナティウス=デ=ロヨラらが1534年に結成し、40年にローマ教皇の公認を得た修道会。反宗教改革の先頭に立ち、日本にも同会士ザビエルらが渡来し、キリシタン文化興隆に寄与。教皇の要請に応えて柔軟に諸活動に従事する。ジェズイット教団。耶蘇会。
  • 渦動 かどう (→)「うず」に同じ。
  • 渦 うず 流体の中で、こまのように自転している部分。速度の違う二つの流れが合わさるとき、流れが鋭い角を曲がるときなどに生ずる。煙草の煙の環や竜巻・台風の類も渦の一種。比喩的に、めまぐるしい動きのあるところの意に用いる。
  • 陽電気 ようでんき 絹布でガラス棒を摩擦するとき、ガラス棒に生じる電気およびこれと同性質の電気の称。+(プラス)の符号で表す。正電気。←→陰電気
  • 陰電気 いんでんき 琥珀やエボナイト棒を毛皮で摩擦する時、琥珀やエボナイト棒に生じる電気と同一性質の電気。電子のもつ電気。−(マイナス)の符号で表す。負電気。←→陽電気
  • 感応 かんのう (3) 〔電〕(→)誘導 (2) に同じ。
  • 誘導 ゆうどう (2) 〔理〕電気・磁気がその電場・磁場内にある物に及ぼす作用。静電誘導・電磁誘導の類。感応。
  • 静電誘導 せいでん ゆうどう 帯電した導体を、帯電していない他の導体や誘電体に近づけると、後者の表面に反対符号の、反対の端に同符号の電荷が現れる現象。静電感応。
  • 帯電体 たいでんたい 電気を帯びている物体。
  • 代数学 だいすうがく (algebra) 数の代りに文字を記号として用い、数の性質や関係を研究する数学。現在では、広く、数の概念を拡張した抽象的対象である群・環・体などを研究する数学をいう。
  • 一流体仮説
  • 二流体仮説
  • 電子論 でんしろん (1) ローレンツの電子論。物質を電子および陽イオンの集合と見なし、物質の光学的・電磁気的・熱的性質をローレンツ力による電子の運動として説明。(2) ディラックの電子論。量子力学に相対性理論を取り入れ、新しく電子の波動方程式(ディラック方程式)を導き、これを基礎として、電子のスピンや陽電子の存在を説明。
  • 陽子 ようし 〔理〕(proton) 水素の原子核。電子の1836倍の質量と、電気素量に相当する陽電荷を持つ。スピンは1/2。素粒子の一つで、中性子と共に原子核の構成要素。1032年以上の寿命を持つとされ、陽子の安定性は物質の安定性の基礎である。プロトン。
  • 電子 でんし (electron) 素粒子の一つ。原子・分子の構成要素の一つ。19世紀末、真空放電中に初めてその実在が確認された。静止質量は9.1094×10−31キログラム。電荷は−1.602×10−19クーロンで、その絶対値を電気素量という。スピンは1/2。記号eまたはe− エレクトロン。
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  •    四、電気の重要な基本現象
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  • 捩り秤 ねじり ばかり ねじれを応用して微小な偶力のモーメントを測る装置。万有引力・電気力・磁気力などの測定に用いる。ねじればかり。
  • 電気力 でんきりょく 帯電体間に作用する電気的な力。
  • 静電気学 せいでんきがく electrostatics 電磁気学の体系のうち電磁場が時間的に変化しないときには、静電気学と静磁気学とに分けることができる。時間的に変化する電磁場に関する諸法則の体系を、静電気学あるいは静磁気学と区別して、電気力学ということがある。『物理学辞典』三訂版、培風館、2005.9)
  • ダイン dyne 力のCGS単位。質量1グラムの物体に働いて、毎秒毎秒1cmの加速度を生じさせる力の大きさ。1ダインは10万分の1ニュートン。記号dyn
  • 電気量 でんきりょう 物質のもつ電荷の量。単位はクーロン(C)。電気量の総量が不変であるという電気量保存則は、物理学の根本法則の一つ。
  • 電荷 でんか (electric charge) 電気現象の根元となる実体。陽電気と陰電気に分けられ、電気素量を単位とする電気量によって規定される。また、物体が帯びている静電気の量をいう。
  • 金箔験電器 きんぱく けんでんき -検電器。箔検電器の一つ。箔に金を用いたもの。
  • 口栓 くちせん?
  • 検電器・験電器 けんでんき 物体の帯電の有無およびその程度を調べる装置。箔検電器・金箔検電器の類。
  • エボナイト ebonite 生ゴムに多量の硫黄を加え、長時間加硫して得られる黒色光沢を持つ硬質材料。電気の絶縁材などに使用。硬質ゴム。硬化ゴム。
  • 電気盆 でんきぼん 静電誘導を利用して電気を集める実験器具。金属板に絶縁柄を付したものとこれをのせる封蝋またはエボナイトの盆から成る。
  • 封蝋 ふうろう 松脂にシェラック・テレビン油・マグネシアなどを混合し、顔料で着色したもの。瓶などの密封や封緘などに用いる。封じ蝋。
  • 感応起電機 かんのう きでんき?
  • 導体 どうたい 熱または電気の伝導率が比較的大きな物質の総称。金属の類。良導体。←→不導体
  • 電気密度 でんき みつど 電荷密度に同じか。
  • 電荷密度 でんか みつど (英)charge density 電荷が分布しているとき、単位体積あたりの電気の量をいう。(物理学)
  • 湾曲度 わんきょくど?
  • 電位 でんい 電場内の1点に、ある基準の点から単位正電気量を運ぶのに必要な仕事。水が水位の差に従って流れるように、電流は電位の高い所から低い所へ流れる。
  • 電気容量 でんき ようりょう (electric capacity; capacitance) 導体またはコンデンサー (1) の電位を単位量だけ高めるのに要する電気量。静電容量。単位はファラド(F)。
  • メッキ紙
  • パラフィン蝋 パラフィンろう → パラフィン
  • パラフィン paraffin (ラテン語で「乏しい親和性」の意のparum affinisに由来) (1) C(n)H(2n+2)という一般式で表される飽和鎖式炭化水素の総称。化学的に安定で反応性に乏しい。パラフィン炭化水素。メタン系炭化水素。アルカン。(2) 狭義には、パラフィン蝋、すなわち石蝋を指す。高級なパラフィン炭化水素の混合物で、常温では白色半透明蝋状の固体。重油から分離精製され、天然には地蝋として産する。蝋燭の原料、軟膏の基礎剤などにする。
  • 電位差 でんいさ 2点間の電位の差。→電圧
  • 電圧 でんあつ 2点間の電位の差。電位差とほぼ同義であるが、実際面での用語。単位はボルト(V)。
  • 静電単位 せいでん たんい 電磁気に関する単位系の一つ。静電気に関するクーロンの法則を利用して電気量の単位を定め、これと、長さ・時間などの諸単位とを組み合わせて電磁気諸量の単位を導いたもの。基礎理論で用いられることが多い。記号esu
  • エルグ erg (ギリシア語で「仕事」の意から) 仕事またはエネルギーのCGS単位。1エルグは、1ダインの力が物体に作用して、その力の方向に1cm動かす仕事で、1000万分の1ジュール。記号erg
  • ボルト(ヴォルト) volt (ヴォルタの名に因む) 電圧・電位・起電力の単位。国際単位系の組立単位。1アンペアの定常電流が流れている抵抗1オームの導線の両端の電位の差。記号V
  • クーロン coulomb (C.クーロンの名に因む) 電気量の単位。国際単位系の組立単位。1アンペアの電流が1秒間に運ぶ電気の量。記号C
  • ファラッド farad ファラド。(ファラデーの名に因む) 電気容量(静電容量)の単位。国際単位系の組立単位。1ファラドは、1クーロンの電気量で対極間に1ボルトの電位差を生じる容量の大きさ。ファラッド。記号F
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  •    五、電池の発明
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  • 背髄 はいずい?
  • 中和放電 ちゅうわ ほうでん?
  • 動物電気 どうぶつ でんき (1) 生体電気の一つ。活動電流のこと。筋肉が興奮するとき発生する活動電流。1786年、イタリアの医師ガルバーニが発見した現象。(2) 生体電気の一つ。動物の活動時、静止時に見られる活動電流、静止電流の総称。細胞内外のイオンの不等分布に起因する電流。興奮性組織で観察される。
  • 夾在 きょうざい? こうざい? 挟在?
  • 電流 でんりゅう 電荷の流れ。正電荷の動く向きを正とし、大きさは単位時間に通過する電気量で表す。単位はアンペア(A)。
  • 電池 でんち 普通は化学的な反応によって起電力を発生させる装置をいう。ダニエル電池や乾電池のような一次電池と、蓄電池のような二次電池とがある。ほかに、光や放射線などを利用する光電池・太陽電池・原子力電池・燃料電池などがある。
  • 滲潤 しんじゅん 浸潤に同じか。(1) (液体が)しみこんで濡れること。
  • 電堆(パイル)
  • パイル pile (1) 杭。(2) 織物の表面を覆っている総(ふさ)や輪奈。ビロードの表面の毳、タオルの輪奈の類。(3) 原子炉。
  • ガルヴァニ電流 -でんりゅう ガルバーニ電流。二種の異なる金属をそれぞれ電解質溶液に浸した時に生ずる電流。電池、または化学変化に伴って生ずる電流。
  • レジオン‐ドヌール Legion d'honneur フランスの最高勲章。5級に分かれ、軍事上あるいは文化上の功績者に授与。1802年ナポレオンの制定。
  • 起電力 きでんりょく 回路の抵抗に抗して電流を生じさせる原因となる力。動電力。単位はボルト(V)。
  • ダニエル電池 -でんち ジョン・フレデリック・ダニエルが1836年に発明した電池のことで、起電力1.1Vの化学一次電池。(Wikipedia)
  • ブンゼン電池 -でんち 濃硝酸中に炭素棒(正極)を置き、素焼の筒で隔てた希硫酸中に亜鉛(負極)を置いた一次電池。1.95ボルト程度の電圧がある。
  • ルクランシェ電池 ルクランシェ‐でんち 1866年フランス人ルクランシェ(G. Leclanche1839〜1882)の発明した一次電池。炭素を陽極、亜鉛を陰極とし、電解質に塩化アンモニウム水溶液を用いる。これを実用化したものが通常の乾電池。
  • クラーク電池 -でんち Clark cell カドミウム標準電池のカドミウムを亜鉛に、硫酸カドミウムを硫酸亜鉛に変えた標準電池。カドミウム標準電池にくらべて温度係数が大きいので、あまり用いられない。(世界大百科)
  • 乾電池 かんでんち 一次電池の電解液を適当な吸収体に吸収させ、取扱いや携帯に便利にした電池。最も広く利用されるのはルクランシェ電池を変形したもので、陽極を炭素棒、陰極を亜鉛で作り、その間に塩化アンモニウムを吸収させた紙・綿などと、二酸化マンガン・炭素粒とを澱粉糊でまぜてつめる。マンガン電池・水銀電池・アルカリ電池など。←→湿電池
  • 陽極 ようきょく 電位の高い方の電極。正極。←→陰極。
  • 陰極 いんきょく 電位の低い方の電極。負極。←→陽極。
  • 標準電池 ひょうじゅん でんち 電池の起電力を比較する際、標準とする電池。一般には、カドミウム標準電池(セ氏20度で起電力1.01864ボルト)を用いる。精度を2桁程度あげるためジョセフソン効果を利用することもある。
  • ウェストン・カドミウム電池 → ウエストン標準電池か
  • ウエストン標準電池 -ひょうじゅん でんち (ウエストンは英 Weston 発明者エドワード=ウエストンの名から)電圧値が一定なので、標準の電圧として広く用いられる電池。カドミウム電池。
  • カドミウム cadmium (ラテン語のcadmia(亜鉛華)から) 金属元素の一種。元素記号Cd 原子番号48。原子量112.4。亜鉛に伴い産出。亜鉛に似た青白色の光沢をもつ金属。ニッケル‐カドミウム電池の電極に使用。中性子を吸収するので原子炉で制御棒に用いる。粉末や煙を吸いこむと猛毒。化合物も有毒で、イタイイタイ病の原因とされる。


◇参照:『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『日本国語大辞典 第二版』(小学館、2001.5)『物理学辞典』三訂版、培風館、2005.9)『世界大百科事典』(平凡社、2007)。



*後記(工作員スリーパーズ日記)


 静電気、ガラス綿、微粒子の吸着と反発、絹糸、シルク。
「真空中で琥珀こはくまたはガラスをこすると光を発する」(本文より)

 いま、関心のあること。漆器の表面をこすると、プラスチックの下敷きのように静電気をおこすことができるかどうか。
 縄文時代の土器や土偶の表面には、赤漆や黒漆が塗ってあるものが少なくない。もし縄文時代の人たちが、静電気の存在にすでに気がついていたとしたら……。「気がついていた」ということを証明する方法はありやなしや。

 『古事記』のなかで、黄泉国に葬られたイザナミの死体には「頭には大雷おほいかづち居り、胸にはの雷居り、腹には黒雷居り、ほとにはさく雷居り、左の手にはわき雷居り、右の手にはつち雷居り、左の足にはなる雷居り、右の足にはふし雷居り、并はせて八くさの雷神成り居りき」とある。
 雷=鬼神という解釈もあるが、仮に雷電、静電気と読むならば、五体に静電気が発生するというのは何を表現したものか。肉の腐敗、電気、酸の発生、生体電気? 「八くさの雷神」=八種類の静電気?

○大仏次郎『天皇の世紀』第十卷。人名索引。
p.273 佐々木唯三郎(只三郎・幕臣)
・攘夷狂熱 4-100
・農村青年の攘夷運動 4-328
・竜馬暗殺 7-427
・鳥羽伏見戦争 8-115,117,144

第四卷 p.100 より
(略)京都から帰って間もない四月十三日の夜、浪士取締役並出役の佐々木只三郎等に幕府から命令が出て、清河八郎を麻布一の橋で暗殺させた。幕府が使っている人間だから、この方法以外に処理の道はなかった。清河の殺害に続き、その同士三十八人を逮捕し、諸藩に預けて禁錮した。

 文久三年(一八六三)のこと。今春はそれからちょうど一五〇年目にあたる。  




*次週予告


第五巻 第三九号 
電気物語(二)石原 純


第五巻 第三九号は、
二〇一三年四月二〇日(土)発行予定です。
定価:200円


T-Time マガジン 週刊ミルクティー 第五巻 第三八号
電気物語(一)石原 純
発行:二〇一三年四月一三日(土)
編集:しだひろし / PoorBook G3'99
 http://www33.atwiki.jp/asterisk99/
出版:*99 出版
 〒994-0024 山形県天童市鎌田2丁目
 アパートメント山口A−202
販売:DL-MARKET
※ T-Timeは(株)ボイジャーの商標・製品です。