科学時潮
海野十三地下鉄道の開通
上野・浅草間の地下鉄道ができた。入って見ると、ずいぶん明るくて温かい。電車の車体は黄色に塗られ、
地下鉄道のできたことは、いろいろな意味において
飯粒 と弁当箱
特許局から出ている審決文中の珍なるものをひとつ拾い出してご覧に入れる。
主文。原査定を破棄 す。
飯粒の付着せざる弁当箱は特許すべきものとす 。」
「
飯を弁当箱につめこんで、しかるのちこれを取り出しても、あとに飯粒が弁当箱の底や周壁に付着(むしろ固着)することのない弁当箱。―
種を
英米間無線電話
英国と米国との間におこなわれている公衆用無線電話のその
ちなみにこの無線電話の通話料は、一分間につきおおよそ五十円である。
科学小説『緑の汚点』
近ごろ読んだ科学小説の中で、ちょっとおもしろいなと思ったもののうちに、この『緑の汚点』というのがある。
時は現代である。アメリカ大陸の山奥に、死の谷〔デスバレー〕とよばれるところがあって、そこを訪ねた人間は一人として無事に帰ってきたものがない。遠方からそこを望遠鏡でのぞいた者の話によると、人間の
この死の谷の不可思議な謎を解くために、学者の一団が探検におもむくことになる。一行は二人の死刑囚を同行した。これは死の谷への
で、一行はいよいよ死の谷へ
怪人を
先登に
一行は怪人にその不道徳を
一行と怪人との
―
で、この解決を物理学界の某博士がつけている。
「この怪人こそは、金星に
最後に予は断言する。この怪人たちは、地球人類とはまったく別個の系統から発達・進化した生物である。
植物系統の生物というところがこの科学小説のヤマであるが、小説として構想の奇抜なことはもちろん、実際の学問の上からいってもおおいに考えてみるべき問題ではあるまいか。
底本:
1993(平成5)年1月31日第1版第1刷発行
初出:
1928(昭和3)年1月号
※初出時の署名は、佐野昌一です。
入力:田中哲郎
校正:土屋隆
2005年5月3日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
科学者と夜店 商人
海野十三こう暑くなっては、科学者もしぶしぶと実験室から
ムンムンする蒸し暑い夜だった。実験をやることも書物を読むこともゆるされないと、いっそう暑さが身にこたえるようだ。家へ帰っても今から寝るわけにもいかないが、ひとまず帰宅をしようと思って十日ぶりにわが家(とは名ばかりの郊外の下宿の一室)へ
彼の下宿は、中央線の中野駅をおりてから十五分も歩かなければ到達しないほど
首をもちあげて、あたりをキョロキョロ眺めてみるとバカに明るい―
科学者はこの
科学者はため息をついて、
その男は下を向いて、なにかブツブツと
「きみ、実験ができないで弱っているのかい?」
「実験はやっています」
と、その男は平然と答えてバケツの中をさした。それは不思議な黒ずんだ色を持った液体であった。はじめは液面は
ある物体が液面に浮かび出、また沈むというのはあきらかに浮力の作用である。見たところ液体は一定の密度を持っているらしいから浮力の計算式は、非常に簡単になる。浮いているものが沈むためには、どうしても外力が働かねばならない。外力はふつうのばあい、重力と気圧とに限られている。気圧が増大すると空気が圧縮せられて浮体自身の浮力が減少し、沈降をはじめるわけだが、これは開放されたる大気中にあるのだから、そんなに気圧が変動するはずはない。それに
重力のほうの変動も、あまりに数値が大きいのでもちろんありうべからざることだ。すると、この問題はいよいよ特殊のばあいについて研究することを要する。それにはまず液体について、疑問の矢を向けるべきであろう。なにか特殊な溶液であるかもしれない、と考えたので科学者はいきなりバケツの中へ手をつきこんでみた。
「こまるなァ、だんな」とその
「この液体はなんですか?」
「エエ……」
「この液体はナンであるですかッ?」
「これかネ―
「アノ泥水―
科学者は眼をパチクリとしたが、その瞬間に彼の推理はプロペラのごとく回転をはじめた。―
だが、まったく逆であること、つまりある条件がネガティヴ的に満足されているということは、ちょっとおもしろい問題ではあるまいか。もし液が帯電状態にあるものとし、これがふつうの状態として非帯電状態にある
「きみ、説明書を売ってくれたまえ」
「十円ですか、おつりがありませんよ」
「おつりはいらんです。きみの持っている説明書をみなください」
科学者は説明書の束と、セルロイド製の
「偉大なる結論というものは、
と、早くも彼は嘆息した。そして両眼のピントを合わせてその結論を声高らかによみあげた。
「
科学者には、何のことだかさっぱりわからなかったが、数回反読することによって、液体の沈降におよぼす外力がドジョウであることを了解しすぎるほど了解した。それからつぎの説明書を読んでみたが、どれもこれも同じことばかりが書いてあった。科学者は彼の予想のはずれたことを悲しんで、しばらくは死んだようになっていた。
しかしともかくも、実験だけはしてみようと思ってドジョウを一匹買ってきて、説明書のとおりにセルロイドの
「先生は、
「ソ、そうじゃない。これをごらん、不思議な総合現象だ。まったく新しい実験だ」
「いやですよ、先生。こんなものは、もう三年も前からありますよ、先生」
「……」
「
底本:
1993(平成5)年1月31日第1版第1刷発行
初出:
1929(昭和4)年8月号
※この作品は初出時に署名「佐野昌一」で発表されたことが、底本の解題に記載されています。
入力:田中哲郎
校正:土屋隆
2005年1月7日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
恐怖について
海野十三恐怖なんて、なくもがなである。
―
探偵小説を好むわたしとして、恐怖に魅力を感ずるのは、当然のことであろう。今日は一つ、平生わたしの感じている恐怖の実例をすこしひろって、同好の諸君にささげようと思う。
わたしは踏み切りを通ることがおそろしい。うちの近所には、番人のいない踏み切りがあって、よく子どもが
子どもを抱いて、ビルディングの屋上へのぼったことがある。最初はたしか浅草の富士館だと思った。のぼってみると館内のにぎやかさにくらべて、屋上は人一人いないのである。下をのぞいてみると、通行の人の頭ばかりが見える。
「これは、いけない!」
わたしは一生懸命に、自分自身を
夢の中に見る恐怖のうち、とくに恐ろしい光景が二つある。一つは、空を見ていると、太陽が急に二つにふえ、アレヨアレヨと見ている間に三つにも四つにもふえてゆくのを見るときだ。そんなときの太陽は、いつも光を失って、まるで
もう一つは、フロイト先生のご
なんにも音のしないところへゆくと、これがまた恐ろしい。いつだったか
中学生のころ、体操の時間に、高い
同じ屋根の下に暮らしている同僚なのだが、しばらく顔をあわせない。そのうちに、向こうからヒョックリやってきて、急になれなれしく話をはじめる。無論、親しい同僚のことだから、なれなれしく話をはじめたっていっこう不思議でない。しかし、そのときこっちではさかんにしゃべる同僚の顔をふと見て、急におどろく。同僚の顔がまだ一度もこれまでに見たことのない顔に見える。サアそうなると、にわかにその同僚が恐ろしくなる。逃げようとするのだが、逃げられない。全身がすくんでしまったのだ。おそろしさに、わたしはブルブルふるえだすことがある。
『フランケンシュタイン』という映画を見たときのことだ。フランケンシュタイン博士が墓場から盗んできたたくさんの人間の死体のいい部分だけ集めて、これを
大正十二年(一九二三)の関東大震災のとき、焼け跡にトタンをあつめて小屋を作り、まっ
(何ごとか?)
と思うまもなく、人がバラバラと逃げてきて、小屋のそばをすりぬけていった。
「いま、こっちへ、襲撃してきます。人がいることがわかると、このあたりにいる者はみな殺されてしまいますから、どんなことがあっても声を出さないでください。
(もうダメだ。
とわたしは思った。こんなことで殺されるのかと思うと、暗闇の中にポタポタ涙が流れ出て、ほおをくだって行った。死というものに直面した恐ろしさに、ふるえあがった。
「智者は
『ぷろふいる』昭和九年(一九三四)五月号
底本:
2000(平成12)年5月17日第1刷発行
初出:
1934(昭和9)年5月号
入力:田中哲郎
校正:土屋隆
2005年1月7日作成
青空文庫作成ファイル:
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科学が臍 をまげた話
海野十三みなさん、
童話みたいですが、昔、オーストリアの王様が、世界最大のダイヤモンドを所有したいという欲望を持って、持っているだけのダイヤを全部
この時代、天下を横行した
しかし科学の上における失敗は、他の失敗とちがって、失敗しぱなしで終わるものではありません。錬金術のおかげで、化学というものがたいへん発達しました。日本には錬金術師がいなかったおかげで、化学というものはいっこうに芽をふいて来ませんでした。―
しかし科学はやはり
宇宙線の人造ということもおもしろい問題ですが、その宇宙線とならんで現代で人気のあるのは
超短波というと電波の一種で、波長がたいへん短い。一メートルから十メートルぐらいの間のものです。ラジオ放送に使っているのは二〇〇から五〇〇メートルですから、いかに短いかということがわかりましょう。
この超短波についても、いろいろとおもしろい失敗がくりかえされました。超短波を使って近くで通信をすると、びっくりするくらいたいへんよく聴こえる。しかるに何百キロ、何千キロという
電波というものは、地表の一点から発射されると、どんな道を通って前進するか? お月さまが
ところが例の超短波になると、いくら電力を増しても届かぬので、いったいどこへ行ってしまうのだかわからない。
ところがその後だんだん調べてみると、すこしずつわかってきました。そしてついに確かな結論が生まれて、人々は「なァーんだ」ということになりました。超短波はいったいどこへ行ったのか。地表と電気天井の間で煙のように消えてしまったものではなく、じつに電波にとっては
「ああ、ちょっと聞きたまえ、変な電波が聴こえるぜ。わが
というようなわけで、この超短波は案外、火星あたりで問題にしているのじゃないかと思われます。とにかく超短波の
「オイ地球君! 待望の電波をありがとう!」
などと言ってこないところを見ると、
この超短波をデアテルミー〔マイクロ波・電流などを用いた温熱療法〕のように
ところがあるとき、研究室でとんでもないことがおこりました。超短波を盛んにおこしておいて、実験者がそれに手を近づけましたのですが、ほんとうはまず手を先に電極板のあいだに入れておいて、あとでスイッチを入れて超短波をおこすほうがよいのです。このときはつまり逆の順序でやりました。実験者は研究中のことですから、いろいろやってみる必要があります。そうしないとよい装置もできないし、性質も深く知ることができません。実験者はその手を電極板の中央に入れるかわりに、電極板の端のほうに近づけてみました。おそらく違った結果が現われるだろうと思ったのです。近づけるにしたがって、指の
「こいつは、いかん!」
と思うまもなく、指が電極板の
「ウム……」
実験者はもぎとるように手を強く引きました。手はさいわい
超短波メス―
あるところで、それはそれは立派な避雷針を建てました。主人公は大自慢です。どこの家のより立派だというのです。ところが、まもなく
それとまた別の話に、ある村で避雷針を立てましたが、これは電気的に完全な避雷針でしたが、ところがその針を立ててから、その村の落雷がにわかに増えたという
ところがだんだん研究していってみると、そういうあり
底本:
1991(平成3)年10月15日第1版第1刷発行
初出:
1934(昭和9)年9月号
※初出時の署名は、丘丘十郎です。
入力:田中哲郎
校正:土屋隆
2005年6月14日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
寺田先生と僕
海野十三(佐野昌一)題名ほどの深い関係もないのであるが、
僕が寺田先生〔寺田寅彦〕をはじめて知ったのは、多くの人がそうであるように、第一には『吾輩は猫である』の水島寒月において、また『三四郎』の野々宮理学士においてである。これは書くまでもない、いたって平凡なことである。ただ、その間、
寺田先生から、手紙を一度いただいたことがあった。それは大正十二年(一九二三)の関東大震災のあとに、
そうして僕は、自分の見聞記を書いて、先生宛お送りしたわけであるが、そのとき折りかえしいただいた先生の礼状が、前に言った唯一の手紙なのである。
僕の提供したこの資料は、震災予防調査会の第一〇〇号、
(今戸 一二六、佐野昌一氏書信による)観測者の位置、浅草区今戸一二六番地自宅前、長昌寺 境内(小高い林の中)。九月一日、午前三時半ごろはじめて夢見した。当時、近隣では隅田川ぞいの今戸橋・白鬚橋 間のせまい地帯に火の手が見えないだけで、西は亀岡町・吉野町 ・山谷町 ・玉姫町いずれも火の手が盛んであった。風向きは南々東であった。急に轟々 たる音響が聞こえて西南のほう聖天町 あたり(書信には図が添 えてあるが略する)に旋風のおこっているのを認めた。もっともはじめはガスタンクでも爆発したかと思ったくらい猛烈な勢いであった。黒褐色の煙の柱、径一町〔およそ一〇九メートル〕以上のものが天に沖 し、中空以上はひろがって雲のようであった。音は耳を聾 するばかりのグォーッという音で、生来 これに比較すべき音を聞いたことがない。非常な勢いで回転していることは、なにか木片・板片のようなものが飛びかう様子でわかった。回転は地上から向かって右ネジの方向であったと思うが確かでない。避難者らは恐怖して悲鳴の声、題目の声が各所におこった。風向きが東南に変わり風が強くなった。旋風は二、三分ぐらいの後には待乳山 の西側と思われるあたりまで進んで行ったが大きさは同様であった。そのうちに音が小さくなり、風もおさまり、柱状 のものも以前ののように明瞭には見えなくなった。そして南々西に向け、雷門・吾妻橋のほうへ(書信には地図に矢を記入して方向を示してある)進んで行くように見えた。火の粉が林の上からおびただしく降ってきたが、布か木片の燃えクズでなかなか大きかった。発見後十五分ぐらいの後には、はるかに南々西の方向(付図によると、吾妻橋西詰の方らしい)に前よりも高く上空まで暗雲中に象鼻状(見取図、略)の白気 がゆれながら立ち昇るを見た。その後、急に近隣の火の手が強くなり、今戸 八幡のほうにも火の手がひろがってきたため、大川 〔隅田川の下流部における通称〕縁 を伝 い北方に逃げる仕度 をはじめたので、後の状況は見なかった。それは四時ごろであった。
というわけで、ここまでは僕もそうとう得意であったところ、それから四、五ページ後のところに先生は、
と書かれてあって、僕の得意の鼻はポキンと折れてしまった。
先生はなお、これらの史料を過信することを戒 められ、
と、止 めを刺 されている。僕としては、もっと常識を広くしておいて確実な観測をすればよかったのにと、千載の一遇を棒にふってしまったことを残念に思い、かえって寺田先生をよろこばせることの少なかったことを遺憾 に思っている。しかし、先生の出していられる旋風の特性を愛するノートは、実見者たる僕の同感する点が多い。だから、やはり報告書をさしあげてよかったと思っている。
寺田先生と一度お目にかかってこんな思い出話をする好機を得たかったが、ついにそのことなくして終わったのは、これまた心残りである。
× × ×
先生のように、神か幼児のようにすなおに物理学を専攻せられるの士は、他に類例があるまいと考える。多少それに似たことをやる方はあっても、その心組み、その悟りにおいては、けだし雲泥の差があると思う。
寺田先生の豪 さには、明治・大正・昭和を通じて誰もそばに寄 れる者がなかろうと信ずる。
底本:「海野十三メモリアル・ブック」海野十三の会
2000(平成12)年5月17日第1刷発行
初出:「科学ペン」
1937(昭和12)年12月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:田中哲郎
校正:土屋隆
2005年1月7日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
地下鉄道の開通
上野、浅草間の地下鉄道が出来た。入って見ると随分明るくて温い。電車の車体は黄色に塗られ、架空線《かくうせん》はないから随《したが》ってポールやパンタグラフは無い。皆レールのところから電気を取っている。一時間十五|哩《マイル》の速力であるから上野、浅草間は五分位で連絡が出来る。
地下鉄道の出来たことは、いろいろな意味に於て愉快である。高速度であるため市民がセーブする時間は大したものであろうし、又東京市が飛行機の襲撃を受けたときは、市民が爆弾を避けるには兎《と》も角《かく》も都合のよいところだし、それから又、外国の探偵小説|並《なみ》に、地下鉄を取扱った面白い創作探偵小説が諸作家によって生れて来ることであろうし、結構なことである。
飯粒と弁当箱
特許局から出ている審決文中の珍なるものを一つ拾い出して御覧に入れる。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
「大正十四年|特許願《とっきょねがい》第六五一七号|拒絶査定《きょぜつさてい》不服抗告審判事件に付査定すること左の如し。
[#ここから1字下げ]
主文。原査定を破毀《はき》す。
飯粒の附着せさる弁当箱は特許すへきものとす[#「飯粒の附着せさる弁当箱は特許すへきものとす」に傍点]。」
[#ここで字下げ終わり]
「飯粒の附着せざる弁当箱」という文句を読むと、「飯粒の附着していない弁当箱」という意味にとれる。飯を食った後で洗ってしまえば弁当箱には飯粒は附着していないはずである。これが何《ど》うして特許になるのか不思議に思うが、さて其の真意は――。
飯を弁当箱につめ込んで、然るのちこれを取出しても、あとに飯粒が弁当箱の底や周壁に附着(寧《むし》ろ固着)することのない弁当箱。――という意味で、アルミ弁当箱の内側にゼラチンのようなものをひいて置くと、奇妙に飯粒が附着しないことを覘《ねら》った特許願である。
種を明かして仕舞えば何でもないが、兎も角も「飯粒の附着せさる弁当箱は特許すへきものとす」は愉快な文句ではないか。
英米間無線電話
英国と米国との間に行われている公衆用無線電話の其後《そのご》の成績を聞くのに、英国から米国へ掛けられるものが毎日三通話、米国から英国へ掛けられるものが毎日四通話で、合計高《ごうけいだか》平均七通話だそうで、この装置の維持費とトントン位の収入になるそうな。
因《ちなみ》にこの無線電話の通話料は、一分間につき大凡《おおよそ》五十円である。
科学小説『緑の汚点』
近頃読んだ科学小説の中で、一寸面白いなと思ったものの中《うち》に、此の『緑の汚点』というのがある。
時は現代である。アメリカ大陸の山奥に、死の谷と呼ばれるところがあって、其処を訪ねた人間は一人として無事に帰って来たものがない。遠方からそこを望遠鏡で覗《のぞ》いた者の話によると、人間の白骨《はっこつ》ばかりでなく、時々|紛《まぎ》れ込《こ》んで来る熊や鹿や其の他の動物の屍《しかばね》や骨が夥《おびただ》しく死の谷の中に散見するそうである。
この死の谷の不可思議な謎を解くために学者の一団が探検に赴《おもむ》くことになる。一行は二人の死刑囚を同行した。これは死の谷への先登《せんとう》をやらせるためで、万一危険が生じて来てもこの二人の死刑囚が先ずどうかなる筈で、所謂《いわゆる》パイロット・ランプの役目を演ずるわけである。
で、一行は愈々《いよいよ》死の谷へ発足《はっそく》した。山又山を越えて、軈《やが》て死の谷の近くへ来た。一行は望遠鏡の力を借りて観測した。白い蒸気のようなものが飛散している。附近の草木は枯死《こし》し、鳥獣の死屍《しし》も累々《るいるい》たるのが見えた。不図《ふと》、死の谷へ下りようという峠のあたりに人影が見えた。人間らしくはあったが正《まさ》しく怪物であった。一行中の気早《きばや》の若者が、射撃を加えた。人影は峠の彼方《かなた》に消えた。一行はこれをきっかけに戦闘準備を整えて、二名の死刑囚を先登《せんとう》にして、まっしぐらに、峠へ駈け上がって見た。
怪人を射止めた辺りを探したが、その姿はなかった。唯、望遠鏡で見覚えた岩のあたりには、緑色の汚点が方々に夥しくついていた。
先登に駈け出して行った死刑囚の一人が見えなくなっていた。彼は恰《あたか》も此の好機逸すべからずと、死の谷の方へ脱兎《だっと》の如くに早く駈け出して行ったのだった。多|分《ぶん》始めから脱走する心算《つもり》だったらしい、と一同の意見は一致した。――其の時、急に此の脱走したと思った死刑囚が、一行の前にヒョックリ現れたので、一同は驚いた。いやそれよりも一層驚かされたことは、この死刑囚の声音《こわね》がすっかり違って仕舞ったことと其の話の中に盛られた内容なり考えなりが全く別人のようになっていた。其の時、やっと、気が付いたことは、これこそ例の怪人の一人が死刑囚を殺し、其の皮を剥ぎ、服装《なり》も一緒にこれを怪人が着《ちゃく》しているのだという事が判った。
一行は怪人に其の不道徳を詰問《きつもん》したが、一向要領を得なかった。というのも怪人は人を殺すということなんか、別に罪悪だと考えられぬらしい面持《おももち》であった。
一行と怪人との争闘《そうとう》が始まったが、結局一人の怪人に一行は全く征服されてしまう。怪人は人間より遥かに強かった。又学術的に勝《すぐ》れた頭脳を持っているようであった。其時《そのとき》、汽笛のような音響がした。死の谷に立ちのぼる白気《はっき》は愈々《いよいよ》勢いを増した。怪人は一同に別れを告げて去った。一行は見す見すこの恐るべき殺人犯人を見遁《みのが》すより外に仕方がなかった。
――それから数分後、一大音響と共に、突如、死の谷から空中に浮び上った巨大なる物体があった。それは大きな飛行船を縦《たて》にしたようなものであった。それは恐ろしい速力で飛び去った。その速力は光の速力に近いもので人間には迚《とて》も出せそうもないものであった。
でこの解決を物理学界の某博士がつけている。
「この怪人こそは、金星に棲息《せいそく》する者である。彼はラジウム・エマナチオンで、斯《か》くの如き怪速力を出して居るものと思う。地球への来訪の意味は不明だが、多分生物学研究にあるらしい。
最後に予は断言する。この怪人達は、地球人類とは全く別箇の系統から発達進化した生物である。換言《かんげん》すれば彼の怪人は、植物の進化したものである。故《ゆえ》に銃丸が入っても別に死せず、唯「緑の汚点《おてん》」として発見せられた緑汁《りょくじゅう》の流出があるばかりである。殺人罪といったような不道徳を怪人が解せなかったのも、抑々《そもそも》植物には情感のないことを考えてみてもよく判ることではないか。……」
植物系統の生物というところが此の科学小説のヤマであるが、小説として構想の奇抜なことは勿論、実際の学問の上から言っても大いに考えて見る可《べ》き問題ではあるまいか。
底本:「海野十三全集 別巻2 日記・書簡・雑纂」三一書房
1993(平成5)年1月31日第1版第1刷発行
初出:「新青年」
1928(昭和3)年1月号
※初出時の署名は、佐野昌一です。
入力:田中哲郎
校正:土屋隆
2005年5月3日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
こう暑くなっては、科学者もしぶしぶと実験室から匍《は》い出さずにはいられない。気温が華氏八十度を越えると脳細胞中の電子の運動がすこし変態性を帯びて来るそうだ。そんなときにうっかり忘我的研究をつづけていると、電子はその変態性をどんどん悪化させ、遂には或る臨界点を過ぎてしまった。再び頭脳は常態に復帰しないそうだ。そうなると病院の檻の中に実験室をうつさなければならないので、さてこそしぶしぶと実験室を匍い出たわけである。
ムンムンする蒸し暑い夜だった。実験をやることも書物を読むことも許されないと、一層暑さが身にこたえるようだ。家へ帰っても今から寝るわけにも行かないが、一先ず帰宅をしようと思って十日ぶりに我家(とは名ばかりの郊外の下宿の一室)へ首《かしら》をたてなおした。
彼の下宿は、中央線の中野駅を降りてから十五分も歩かなければ到達しないほど辺鄙《へんぴ》なところに在る。その道を歩きながら、夜の人通りに物珍らしさを感じたのであった。歩いて行くに従って路の上に含有される人間の密度が多くなって来たが、それは益々増える一方で、軈《やが》てのこと科学者は人間の群から圧迫せられてどうにも動けなくなった時、彼自身が縁日の夜店の真唯中に在ることを発見した。
首をもちあげて、あたりをキョロキョロ眺めてみると馬鹿に明るい――というよりか大変な眩しさであった。恐らくは明るさの密度の点では銀座街もこれには及ぶまいと思われた。縁日の商人は、陰影のない照明をやるのに照明学に従って間接照明法を用いず電球を裸にむき出した儘《まま》の直接照明法で、これに成功しているのであった。その代り電柱の上のポール、トランスは今や過負荷のために鉄心《コーア》はウンウン呻り、油はジュウジュウとあぶくを湧き立てて対流をはじめ、捲線の被覆は早くも黄色い臭いをあげて焦げつつあった。尤もこの勇敢なる裸電球の照明法は行人の瞳孔を極度に縮少させ、商人が売っている品物のあら[#「あら」に傍点]を発見し得るほど充分永く、行人の注視を許さないという商人の商略から来ていることだった。
科学者はこの人波をわけて通るために生ずる恐ろしい人間抵抗を思ってウンザリした。そして彼の実験室にあるコロイドの一分子が、高熱せられたるビーカーの中にあって、如何にもがきつつ同様の圧迫と恐怖に苦しんでいるかを思いやることが出来た。
科学者は溜息をついて、側《かたわら》を見ると、そこにはファラデーの暗界《ダークスペース》の如き夜店が眼にうつった。というのは眩しい軒並の夜店が、そこのところだけ二間ばかりも切れていて、そこだけ歯の抜けたように薄暗らかった。彼は学生時代に亡《なくな》ったD博士とファラデーの暗界の研究にアッシスタントをつとめていた昔を思い浮かべて、なつかしげに眼の前のダーク・スペースの方を見ると、其処に汚い着物を着た一人の男が、バケツをかかえるようにして、しゃがんでいた。
その男は下を向いて何かブツブツと独言《ひとりごと》を言っていた。多分、電球が切断してこんなに真っ暗になっているので実験――イヤ商売が出来ないで悲観しているのであろうと、彼科学者は思ったので、その男の傍へ近づいて、さて言った。
「君、実験が出来ないで弱っているのかい」
「実験はやっています」
とその男は平然と答えてバケツの中を指した。それは不思議な黒ずんだ色を持った液体であった。はじめは液面は平かに静止していたがややあって、すこし表面波の小さいのが現れたと思うとポッカリと真黒い二|糎《センチ》立方位の物が浮かび出でた。よくみると、それは小さい鵜烏《うがらす》であった。全身は真黒で、嘴《くちばし》だけが朱色《しゅしょく》に輝いていた。その烏は科学者の方をジロジロと見廻しているようであったが、呀《あ》ッという間もなく液体のなかにもぐってしまった。すると又ヒョクリと浮かび上がって来るのであった。その男の言うところによると、これは生きている烏ではなく、鵜烏の模型なのだそうである。ただ或る仕掛けによって斯くは不思議な運動をするのだそうである。科学者はその仕掛けについて質問したがその男は、それを話しては商売にならぬから、説明書を金十銭で買えと薦《すす》めた。しかし科学者は、科学者たるの名誉を以てそれを拒絶すると同時に、バケツの前にしゃがみこんで考えた。
或る物体が液面に浮かび出、又沈むというのは明かに浮力の作用である。見たところ液体は一定の密度を持っているらしいから浮力の計算式は、非常に簡単になる。浮いているものが沈むためには、どうしても外力が働かねばならない。外力は普通の場合、重力と気圧とに限られている。気圧が増大すると空気が圧縮せられて浮体自身の浮力が減少し、沈降を始めるわけだが、これは開放されたる大気中に在るのだから、そんなに気圧が変動する筈はない。それに鵜烏は浮かんでいるかと思うと、忽《たちま》ちサッと姿を没するほど運動は急激に行われるから、そのためには気圧は一瞬間に何十|粍《ミリ》という急角度の変動を必要とする。それは常識で考えても、又気象報告を調べても有り得べきことではない。
重力の方の変動も、あまりに数値が大きいので勿論あり得べからざることだ。するとこの問題はいよいよ特殊の場合について研究することを要する。それには先ず液体について、疑問の矢を向けるべきであろう。何か特殊な溶液であるかも知れない、と考えたので科学者はいきなりバケツの中へ手をつきこんでみた。
「困るなア、旦那」とその薄ぎたない男が顰《しか》めッ面をして叫んだ。科学者はその間、早くもこの溶液が常温にあることと、多少の酸に似た臭気のある事を発見した。で彼は更に進んで聞いた。
「この液体はなんですか?」
「エエ……」
「この液体はナンであるですかッ?」
「これかネ――これは泥水でさア」
「アノ泥水――土の粒子《つぶ》を飽和した水……だと言うのかネ」
科学者は眼をパチクリとしたが、その瞬間に彼の推理はプロペラの如く廻転をはじめた。――泥とは水を飽和したる土である。土というのは大地の微粒子である。大地は良い電導体であるし、水も電導体である。酸に似た臭気のあったところから、酸が混入したあったとすれば益々電導体の液体であると言わなければならない。而《しか》も液体の容器は錫鍍《すずめっき》鉄板《てっぱん》で出来ているバケツではないか。おお、この液面は大地電位《アース・ポテンシャル》に在る。この液面は接地《アース》されていたではないか、と科学者は意外な発見に興奮して来るのをヤッと冷静に抑えつけることが出来た。
鵜烏は不電導体である。これを載せたる液面は良電導体である。若しこれがアベコベだったら鵜烏に小さい鉄片をつけて置いて、液中に電磁石をしのばせれば、電磁石の吸引力で鵜烏を水中に引っ張り込むことが出来るのだが、如何にせんそれとは全く逆であるのだから駄目だ。
だが全く逆であること、つまりある条件がネガティヴ的に満足されているということは、一寸面白い問題ではあるまいか。若し液が帯電状態にあるものとし、これが普通の状態として非帯電状態に在る鵜烏を見れば、これは明かにネガティヴの電気的歪力がかかっているとも考えられるわけである。所謂、相対性理論をつかえば立派に証明のできることではあるまいか。すると、この薄汚い男は、早くも其の結論をつかむことが出来て、今や夜店に出でて商品を売り研究費の回収と、製品の寿命試験《ライフテスト》をやっているのではあるまいか。科学者は、正《まさ》しく素晴らしい研究問題にぶつかったのを感じた。更に更に偉大なる研究のフィールドがこれを緒《いとぐち》としてひらけて来るであろうと思った。こうなれば冑《かぶと》を脱いで彼の男の結論の前に礼拝するのが得策であると感じたので、科学者は十円札を出して叫んだ。
「君、説明書を売ってくれ給え」
「十円ですか、おつりがありませんよ」
「おつりはいらんです。君の持っている説明書をみな下さい」
科学者は説明書の束と、セルロイド製の鵜烏の入ったボール箱とを小脇にかかえると猛然として夜店の人波をつき崩し、真《まっ》しぐらに下宿の自室へとび込んだ。そして机の前に座るや、あらゆる公式と数値とを書いたハンドブックや、計算尺の揃っているのを見極めた上で、説明書を開いた。
「偉大なる結論というものは、大約《おおむね》短いものだ」
と早くも彼は嘆息した。そして両眼のピントを合わせてその結論を声高らかによみあげた。
「鵜烏の尻に穴をあけ糸を結び、他の一端を泥鰌《どじょう》の首に結びつくるべし。水は底が見えぬよう濁り水とすべし」
科学者には、何のことだか薩張《さっぱ》りわからなかったが、数回反読する事によって、液体の沈降に及ぼす外力が泥鰌であることを了解し過ぎるほど了解した。それから次の説明書をよんでみたが、どれもこれも同じことばかりが書いてあった。科学者は彼の予想のはずれたことを悲しんでしばらくは死んだようになっていた。
しかし兎も角も実験だけはして見ようと思って泥鰌を一匹買って来て、説明書の通りにセルロイドの鵜烏に糸を以て接続し、澄明なる水をたたえた大きいビーカーの中で実験をして見たところ、泥鰌は底に安定して居ず、いつも水中を上へ上ったり宙返りをして下りてきたりする不思議な運動をくりかえすことを発見した。そこへ梯子段をミシミシいわせて上って来た下宿の女将《おかみ》が頓狂な声を張りあげた。
「先生は、鵜烏の水くぐりを夜店でお売りになるのですか」
「ソ、そうじゃない。之を御覧、不思議な総合現象だ。全く新しい実験だ」
「いやですよ、先生。こんなものは、もう三年も前からありますよ、先生」
「……」
女将がズシリズシリと階下《した》へ降りて行ってしまうと、科学者は深い歎息をして、独り言を言った。
「物理《フィジーク》や化学《ケミー》をやっている科学者には、生物学なんてニガテだな」
底本:「海野十三全集 別巻2 日記・書簡・雑纂」三一書房
1993(平成5)年1月31日第1版第1刷発行
初出:「科学画報」誠文堂新光社
1929(昭和4)年8月号
※この作品は初出時に署名「佐野昌一」で発表されたことが、底本の解題に記載されています。
入力:田中哲郎
校正:土屋隆
2005年1月7日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
恐怖なんて、無くもがなである。
――と片づけてしまふ人は、話にならない。恐怖は人間の神經を刺戟することが大きい。ひどい場合は、その場に立ち竦んで心臟痲痺を起したり、或ひは一瞬にして頭髮悉く白くなつて白髮鬼となつたりする。そんな恐怖に自分自身が襲はれることはかなはんが、さういふ恐怖がこの世にあることを聽くのは極めて興味深い。探偵小説が喜ばれる一つの原因は、恐怖といふものが盛られてゐることに在る。
探偵小説を好む私として、恐怖に魅力を感ずるのは、當然のことであらう。今日は一つ、平生私の感じてゐる恐怖の實例をすこし拾つて、同好の諸君に捧げようと思ふ。
私は踏切を通ることが恐しい。うちの近所には、番人の居ない踏切があつて、よく子供が轢き殺され、「魔の踏切」などと新聞に書きたてられたものである。あすこへ行き掛ると、列車が風を切つて飛んできて、目と鼻との間を轟々と行き過ぎることがある。列車が通過してから、その光つてゐるレールを跨ぐときに、何とも名状し難い戰慄を覺える。もしも自分の眼が狂つてゐて、列車が見えないのだつたらどうだらう。かう跨いだ拍子に、自分は轢き殺されてゐるのだ。人間といふものは、死んでも、死んだとは氣がつかないものだといふ話を聞いてゐるので、レールを跨ぎ終へたと思つても安心ならない。こんな風に恐怖をもつて踏切を渡るのは、私一人なのだらうか。
子供を抱いて、ビルデイングの屋上へ上つたことがある。最初はたしか淺草の富士館だと思つた。上つてみると館内の賑かさに比べて、屋上は人一人ゐないのである。下を覗いてみると、通行の人の頭ばかりが見える。舖道までは大變遠い。私は怪物重力に急に引張られる氣配を感じた。そのとき私の腕の中にゐた子供が、無心で私の顏を叩いた。ゴム毬のやうに輕い子供である。私は突然、腕を伸ばして子供をポイと下に墜としてみたい衝動に襲はれた。
「これは、いけない!」
私は一生懸命に、自分自身を叱つた。しかし怪物重力は私にのりうつつて、(早く子供を下に抛げろ!)と誘ふ。私は慄然として恐怖に襲はれた。もつと遊んでゐたいと子供が泣きだすのも構はず、夢中で梯子段の方へ退却していつた。それ以來、子供を連れてゐるときは、屋上へのぼらないことにしてゐる。
夢の中に見る恐怖のうち、特に恐ろしい光景が二つある。一つは、空をみてゐると、太陽が急に二つに殖え、アレヨ/\と見てゐる間に三つにも四つにも殖えてゆくのをみるときだ。そんなときの太陽は、いつも光を失つて、まるで朱盆のやうな色をしてゐる。野も山も、いつの間にか丸坊主になり、プス/\と冷い水蒸氣が立ちのぼつてくる。世界の終りだ! 私はビツシヨリ寢汗をかいて、目が醒める。
もう一つは、フロイド先生の御厄介ものだが、洪水の夢をみるときだ。雨は暗い空からジヤン/\[#「ジヤン/\」は底本では「シヤン/\」]降つてゐる。水だ/\といふ聲がするので、外に出てみる。なるほど水嵩が増してゐる。水面は手のとどきさうな近くにまで上つてゐる。川幅はもう海のやうに廣くなつてゐる。碧い水は轟々と渦を卷いて、下へ流れてゆく。上手をみてみれば[#「みてみれば」は底本では「みてあれば」]、川面が上へ傾いてゐるではないか。これでは水の減る見込は全然ない。不圖私は川下に、家族を殘して來たことを思ひ出す。この水が川下へ落ちてゆくときは、私の家族の全部の溺れ死ぬるときだ、とさう思ふと、私は堪へ難い恐怖に襲はれて、目が醒める。
何にも音のしないところへゆくと、これがまた恐ろしい。いつだつたか陽春の眞晝、郊外の廣い野原へ出た。蓮華や蒲公英が、たいへん綺麗に咲き擴がつてゐる。私は童心に歸つて、それを一本々々、右手で摘んでは左手に束ねてゆく。花束はだん/\大きくなつていつた。しまひに摘みくたびれて、野原の眞中に立ちどまつた。急に自分の身邊が氣になり出す。耳を澄まして聽くと、サア大變だ。人聲もしなければ、工場の汽笛の音も聞えない。さつきまで吹いてゐた風さへ治まつて、全く音といふものが聞えない。鼓膜があつてもなんにもならない。自分は死んでしまつたのではないか――と、さう思つた瞬間、名状すべからざる戰慄が全身に匍ひのぼつて來た。……後で考へると、あのときは、咳でもするとか、軍歌でも歌へばよかつたのにと思ふ。
中學生のころ、體操の時間に、高い梁木を渡らされるのが、この上もなく恐ろしかつた。梁木に昇らされる日は、(今日は、やるナ)と時間の始めに直ぐに感じたほどだつた。ブル/\と上へ昇つてみると、鼠色のペンキを塗つた幅の狹い梁木が、もう半ば腐りかけてゐた。この次、渡されるまでに、腐り落ちてしまはないかナと、いつも思つたことだつた。
同じ屋根の下に暮してゐる同僚なのだが、暫く顏を合はせない。そのうちに、向からヒヨツクリやつて來て、急になれ/\しく話を始める。無論親しい同僚のことだから、なれ/\しく話を始めたつて一向不思議でない。しかしそのときこつちでは盛んに喋る同僚の顏を不圖見て、急に駭く。同僚の顏がまだ一度もこれ迄に見たことのない顏に見える。サアさうなると、俄かにその同僚が恐ろしくなる。逃げようとするのだが、逃げられない。全身が竦んでしまつたのだ。恐ろしさに、私はブル/\慄へだすことがある。
「フランケンシユタイン」といふ映畫を見たときのことだ。フランケンシユタイン博士が墓場から盜んで來た澤山の人間の屍體のいい部分だけ集めて、これを接ぎ合はせ、アルプスの最高峯で、何億ヴオルトといふ空中電氣に叩かせると、その寄せあつめの屍體がピク/\と動き出す。遂に博士の研究が成功して、新しい生が始まつたのだ。ところが、この男の腦髓といふのが、恐ろしい殺人犯のものだつたからたまらない。彼は地中の檻を破つて、とび出してくる……といふ場面があるが、このときほど私は恐怖にうたれたことはない。急に足先から膝頭の上まで、ゾーツと冷くなつたので、いかに恐ろしかつたかが判るであらう。
大正十二年の關東大震災のとき、燒跡にトタンをあつめて小屋を作り、眞暗な夜を寢たことがあつた。疲れてゐるが不氣味で寢られない。そのとき、東の方四五丁先と思はれるところで、イキナリうわツーといふ閧の聲があがり、ドドーン、ドドーンといふ銃聲が俄かに起つた。
(何事か?)
と思ふ間もなく、人がバラ/\と逃げてきて、小屋の傍をすり拔けていつた。
「いま、こつちへ、襲撃してきます。人がゐることが判ると、この邊に居る者は皆殺されてしまひますから、どんなことがつても[#「どんなことがつても」はママ]聲を出さないで下さい。」
(もう駄目だ。)
と私は思つた。こんなことで殺されるのかと思ふと、暗闇の中にポタ/\涙が流れでて、頬を下つていつた。死といふものに直面した怖ろしさに、慄へあがつた。
「智者は惑はず、勇者は懼れず」といふ。しかし勇者とても、凡て人間である限り、恐怖は感ずるのだ。唯、恐怖を感じツぱなしで終るのではなく、恐怖は恐怖として置いて、恐怖來るも豈懼れんやと勇氣を奮ひ起すのだと思ふ。そして勇者こそ最も恐怖の魅力といふものを知つてゐるのではなからうかと思ふ。私の如き非勇者の話よりも、勇者の語る恐怖の魅力こそ、眞に聞き甲斐のあるものだらうと考へるのである。
[#地付き]『ぷろふいる』昭和九年五月号
底本:「海野十三メモリアル・ブック」海野十三の会
2000(平成12)年5月17日第1刷発行
初出:「ぷろふいる」
1934(昭和9)年5月号
入力:田中哲郎
校正:土屋隆
2005年1月7日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
みなさん、科学《サイエンス》だって、時には気むずかしいことがありますよ。そんなときには、臍《へそ》を曲げちまいますよ、臍をネ。
童話みたいですが、昔、オーストリヤの王様が、世界最大のダイヤモンドを所有したいという欲望を持って、持っているだけのダイヤを全部|坩堝《るつぼ》に入れて融合させようと思ったところが、もともと炭素のかたまりであるダイヤは、忽《たちま》ち一陣の炭酸|瓦斯《ガス》と変じて、空中に掻《か》き消えたという昔話があります。これも臍まげの一つです。
この時代、天下を横行した錬金術《れんきんじゅつ》というのは、頗《すこぶ》る大きな目標を持っていました。万物《ばんぶつ》何でも金《きん》に変えるというのです。到るところで錬金術師は鞴《ふいご》を吹いたりレトルトを炙《あぶ》ったりしましたが、遂《つい》に成功しませんでした。何でも、「哲学者の石」というのがあって、それさえ使えば万物が黄金にかわる筈《はず》だと云い出したものがいて、今度は哲学者の石を探し歩く宝探しのようなことが始まりました。これも遂に駄目だったことは、今日《こんにち》金の高いことによって皆さんご存知のとおりです。
しかし科学の上に於ける失敗は、他の失敗と違って、失敗しぱなしで終るものではありません。錬金術のお蔭で、化学というものが大変発達しました。日本には錬金術師が居なかったお蔭で、化学というものは一向に芽をふいて来ませんでした。――而《しか》して、近代になって、長岡半太郎博士は水銀を金に変化する実験に成功して、遂に人類の憧《あこが》れていた一種の錬金術を見出したわけです。その方法は、水銀の原子の中核を、|α粒子《アルファりゅうし》という手榴弾《しゅりゅうだん》で叩き壊すと、その原子核の一部が欠けて、俄然《がぜん》金に成る。つまり物質は、金とか鉛《なまり》とか酸素とか水銀とか云うが、これを形成している物質は共通であり、唯それに含有《がんゆう》せられている数が違うために、いろいろ違った物質となっているものだという見地《けんち》から、この名案が考え出されたのです。
しかし科学は矢張り臍まがりで、この方法はまだ実用に遠く、金には成るには成るが、顕微鏡で探さねばならぬ程ですから、費用仆《ひようだお》れで金にはならない。……だが油断は出来ませんぞ。最近になって人造《じんぞう》宇宙線の研究が俄《にわ》かに盛んになりましたが、この研究が進むといよいよこの人造宇宙線を使って、水銀を金に化《か》することが他愛《たわい》もなく出来るようになりそうな気がします。勿論そうなったからといって悦《よろこ》ぶのは早い。金が簡単に出来るようになったら、今日一|匁《もんめ》十何円|也《なり》という金が、一匁一銭也位になるでしょうから、いくら金がドンドン手に入っても仕方がないでしょう。まあそのときは、鼻紙に金でもって頭文字《イニシャル》でも入れることですネ。
宇宙線の人造ということも面白い問題ですが、その宇宙線と並んで現代で人気のあるのは超短波《ちょうたんぱ》でしょう。
超短波というと電波の一種で、波長がたいへん短い。一メートルから十メートル位の間のものです。ラジオ放送に使っているのは二百から五百メートルですから、いかに短いかということが判りましょう。
この超短波についても、いろいろと面白い失敗が繰りかえされました。超短波を使って近くで通信をすると、びっくりするくらい大変よく聴える。しかるに何百キロ何千キロという遠方《えんぽう》になると、どんなに電力を増《ま》しても聴えない。これは可笑《おか》しいというのでいろいろ調べてみました。
電波というものは、地表の一点から発射されると、どんな道を通って前進するか? お月様が傘《かさ》を被《かぶ》ったときに外に輪が見えますが、あれに似た恰好《かっこう》に、地球の外には、地球を包んで電気|天井《てんじょう》というのがあります。電気天井の高さは、地表から百キロぐらいです。電波はこの電気天井と地表との間に明いている空間を走るのです。走るといっても、波長が長いラジオのような電波なら、足を地表につけたままで前進するし、短波のように短い電波になると、地上から探照灯《たんしょうとう》を出したような恰好に空に向けて前進し、電気天井にあたってまた下へ下りて来ます。例えば青森で出すと上へ上って門司《もじ》の上空で電気天井にぶっつかり今度は反射して台北《たいほく》へ下りてくるという風に、下りたところに受信機《じゅしんき》があれば聴える。この電気天井へ反射するため、短波は遠方でもよく聴える。中には下りて来たのが又地面にあたって反射し、再び電気天井にあたって反射し、もう一度下へ下りて来るというのもあります。しかし要《よう》するに、電波は上へ上っても、電気天井で跳《は》ねかえされることが判りました。
ところが例の超短波になると、いくら電力を増しても届かぬので、一体どこへ行ってしまうのだか判らない。狐《きつね》に鼻をつままれたような恰好で、大迷宮《だいめいきゅう》事件にぶっつかったとでも云いたいところです。使いに出した者が途中で煙のように消えてしまうのですから、これは面妖《めんよう》な話。
ところが其の後だんだん調べてみると、少しずつ判って来ました。そして遂《つい》に確かな結論が生れて、人々は「なアーんだ」ということになりました。超短波は一体|何処《どこ》へ行ったのか。地表と電気天井の間で煙のように消えてしまったものではなく、実に電波にとっては金城鉄壁《きんじょうてっぺき》だと思われていた電気天井をばまるで籠《かご》の目から水が洩《も》るように、イヤそれよりもX光線が木でも肉でも透《すか》すように、超短波は電気天井をスースー外へ抜けていたのでした。スースー外へ抜けているのですから、いくら放送局で電力を増してみても、地上には少しも応答《おうとう》のないのも無理はありません。超短波は電気天井を抜け、地球の羈絆《きはん》を切って一直線に宇宙へ黙々《もくもく》として前進しているのです。
「ああ、ちょっと聞き給え、変な電波が聴えるぜ。我が火星[#「火星」に傍点]にはこんな符号《ふごう》を打つ局はない筈《はず》だ、ハテナ?」
というような訳で、この超短波は案外火星あたりで問題にしているのじゃないかと思われます。とにかく超短波の行方不明《ゆくえふめい》事件が幸《さいわ》いになって、電波の中には電気天井をスースー抜けるものがあることが判りました。とは云うものの未《いま》だに火星からも、
「オイ地球君! 待望の電波を有難《ありがと》う!」
などと云って来ないところを見ると、出奔《しゅっぽん》した超短波の落ちつく先は案外怪しいかも知れないんですが、まだそこまで判っていません。
この超短波をデアテルミーのように、人体《じんたい》に通しますと、癌《がん》などに大変|効《き》き目のあることが発見されました。これをラジオテルミーと呼んでいますが、デアテルミーよりもずっと効き目が強いのです。この施術《しじゅつ》の方法は、超短波が盛んに通っている二つの電極《でんきょく》の間に、人体の患部《かんぶ》を入れるのです。電極というのは金属板で出来ていまして盆《ぼん》のように丸い平べったい板です。
ところが或る時、研究室で飛んでもないことが起りました。超短波を盛んに起して置いて、実験者がそれに手を近づけましたのですが、本当は先ず手を先に電極板の間に入れて置いて、あとでスイッチを入れて超短波を起す方がよいのです。このときはつまり逆の順序でやりました。実験者は研究中のことですから、いろいろやって見る必要があります。そうしないとよい装置も出来ないし、性質も深く知ることが出来ません。実験者はその手を電極板の中央に入れる代りに、電極板の端の方に近づけてみました。恐《おそ》らく違った結果が現れるだろうと思ったのです。近づけるに従って、指の股の辺がスースーと涼しくなりました。それを尚《なお》も近づけると、指が急に熱くなり始めました。それを辛抱《しんぼう》していますと、急に手が吸いつけられるように、電極板に引寄せられました。
「こいつは、いかん!」
と思う間もなく、指が電極板の端《はし》に触れました。途端《とたん》にうずくような痛みが感ぜられ、同時にコロリと下に落ちたものがあります。サーッと真赤な血が花火のように噴《ふ》き出《だ》しました。
「ウム……」
実験者はもぎとるように手を強く引きました。手は幸い極板《きょくばん》を離れました。実験者はホッとして、その手を眺めました。ところが、サア大変です。指が足りない! 美事《みごと》に伸びていた四本の指が根こそぎ切り落とされ、残っているのは拇指《おやゆび》一本! 指の無くなった跡からは、盛んに血が飛び出して来る。実験者はサッと蒼《あお》くなりました。一方の手で傷口を抑えたまま、ウンといって其の場に仆《たお》れてしまった。一体どうしたというのでしょう? 医療器《いりょうき》だと思って安心していたのが、俄然《がぜん》殺人器に転じてしまったのです。駭《おどろ》いたのも無理がありません。
超短波メス――というのが生れたのは、それから間もないことでした。意外な失敗、それは超短波についての認識不足から起ったことでありました。しかしその思い違いが正《ただ》されると、超短波はまた一つの仕事を受け持つようになりました。それは電気メスです。超短波電流をナイフ様《よう》の尖《とが》った金属片《きんぞくへん》に通じ、これを肉に近づけると、面白いほど切れます。それはどれほどよく磨《と》いだメスよりも軍刀《ぐんとう》よりも切れ味がよいのです。科学が臍を曲げると妙なことになります。
臍で思い出しましたが、臍に縁《えん》のある雷《かみなり》さまの話ですが、あれを避けるのに避雷針《ひらいしん》というものがあります。避雷針は屋根の上に尖った金属棒を立て、その下に銅線を接《つな》ぎ、下に下ろし、その尖端を地中に埋めます。銅線の尖端には大きな銅板をつけると一層効果があります。雷が上空から来ると、針の鋭い電気|吸引力《きゅういんりょく》で、雷が忽《たちま》ち吸いよせられ、この針の上に落ちますが、落ちると同時に電線を伝わって地中へ潜《もぐ》りこみ、勢《いきおい》を失ってしまいます。これは云うまでもなく雷の正体は電気ですから、針に引っかかったと同時に、導電体《どうでんたい》を伝わって地中へ潜るのです。この道が出来ているために、大きな音もなんにもしません。ピチッという位です。
或る所で、それはそれは立派な避雷針を建てました。主人公は大自慢です。何処《どこ》の家のより立派だというのです。ところが、間もなく雷鳴《らいめい》が始まりましたが、雷は天地も崩《くず》れるような音をたてて真先《まっさき》にこの家に落ちました。勿論《もちろん》人死《ひとじに》が出来、家は雷雨《らいう》の中に焔々《えんえん》と燃えあがりました。これはスグスグ雷はいつもの調子で、針の上に落ちてみますと、針の下から地中へ行く道が作ってないのです。つまり銅線が接《つな》いでありません。仕方なしに屋根や柱、襖《ふすま》に障子などを伝わって地中へ辛《かろ》うじて逃げたのです。この家の主人は避雷針の針ばかりを見て来て、肝心《かんじん》の銅線や接地板《せっちばん》の必要なことに気がつかなかったのでした。
それと又別の話に、或る村で避雷針を立てましたが、これは電気的に完全な避雷針でしたが、ところがその針を立ててから、その村の落雷が俄《にわ》かに殖《ふ》えたという噂が立ちました。そんな馬鹿な話はないと、学者はてんで受けつけません。避雷針を立てて、落雷が殖えるなんて、およそ有り得《う》べからざることです。
ところが段々研究して行ってみると、そういう有り得べからざることが有り得るかも知れないということになりました。早く云えば避雷針は雷を殖やすことあるべしということです。その解釈《かいしゃく》を申しますと、避雷針は雷を引き寄せるのですが、避雷針の高さの三倍までの距離以内のものは、避雷針へ吸い取ることが出来る。しかしそれ以上のものまで効《き》かない。だから四五倍の距離の空中まで呼び寄せられ、その辺でマゴマゴしている雷は、已《や》むを得ず人家や森を伝わって下に落ちねばならぬことになる――というのです。
底本:「海野十三全集 別巻1 評論・ノンフィクション」三一書房
1991(平成3)年10月15日第1版第1刷発行
初出:「新青年」
1934(昭和9)年9月号
※初出時の署名は、丘丘十郎です。
入力:田中哲郎
校正:土屋隆
2005年6月14日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
題名ほどの深い關係もないのであるが、科學ペンからの求めで、已むを得ず[#「已むを得ず」は底本では「己むを得ず」]ペンを執る。
僕が寺田先生を始めて知つたのは、多くの人がさうであるやうに、第一には「吾輩ハ猫デアル」の水島寒月に於て、また「三四郎」の野々宮理學士に於てである。これは書くまでもない至つて平凡なことである。只、その間、首くくりの力學には、始め滑稽を感じ、後學校で本物の力學を勉強するやうになつて畏敬と化した。首くくりはたしかに力學でもあつたからである。今も先生を心から敬慕して已まぬ[#「已まぬ」は底本では「己まぬ」]わけは、先生が首くくりにも力學を考へられた非凡なその學者的態度である。非凡とだけでは物足りない。悟りきつた、神のやうな學者的態度とでもいはふか。
寺田先生から、手紙を一度頂いた事があつた。それは大正十二年の關東大震災の後に、東京朝日新聞紙上で、「私の探してゐるもの」といふ欄に先生が「羅災の人で、もしそのときの火災の進路について場所、風向、時刻について知らせて呉れると、たいへん學術上參考になる。また颱風に遭つた人は、それについても書いて欲しい。」と書かれた。僕は當時、淺草の今戸に居て、九月一日の午後五時ごろに自宅全燒の憂目に遭ひ、しかもその一時間ほど前には、もう生命もこれでお仕舞ひだわいと悲壯な覺悟をしなければならなかつたほどの大旋風にも襲はれたので、謹んで水島寒月先生に見聞記を奉つた。そのとき、當時着のみ着のまゝで燒き出された身の上であつたから、懷中はなはだ寒かつたが、この報告はどうしても東京市の地圖に矢印などを書きこまなければ要を盡さないと思つたので、無理に東京の地圖を遠方まで買ひにいつた記憶がある。
さうして僕は、自分の見聞記を書いて、先生宛お送りしたわけであるが、そのとき折かへし頂いた先生の禮状が、前にいつた唯一の手紙なのである。
惜しいことに、その手紙はその後轉々と引越をしたので、いつか失せてしまひ、今は甚だ殘念に思つてゐるが、なんでもレター・ペーパー二枚に丁重に書かれたもので、今日思ふと實に貴重な寶物であつたのに、惜しいことである。
僕の提供したこの資料は、震災豫防調査會の第百號、關東大地震調査報文火災篇に、先生の手によつて「大正十二年九月一日二日の旋風に就て」の項に輯録せられてあるが、次のとほりである。文中括弧内は、寺田先生の註である。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
(今戸一二六佐野昌一氏書信による)觀測者の位置、淺草區今戸一二六番地自宅前、長昌寺境内(小高い林の中)。九月一日午前三時半頃初めて夢見した。當時近隣では隅田川添の今戸橋白髯橋間の狹い地帶に火の手が見えないだけで、西は龜岡町、吉野町、山谷町、玉姫町いづれも火の手が盛であつた。風向は南々東であつた。急に轟々たる音響が聞えて西南の方聖天町邊(書信には圖が添へてあるが略する)に旋風の起つてゐるのを認めた。尤も始めは「がす、たんく」でも爆發したかと思つた位猛烈な勢であつた。黒褐色の煙の柱徑一町以上のものが天に沖し、中空以上は擴がつて雲のやうであつた。音は耳を聾するばかりの[#「聾するばかりの」は底本では「聾すりばかりの」]ぐおーつといふ音で、生來之に比較すべき音を聞いたことがない。非常な勢で廻轉してゐることは何か木片板片のやうなものが飛び交ふ樣子で分つた。廻轉は地上から向つて右ねぢの方向であつたと思ふが確かでない。避難者等は恐怖して悲鳴の聲、題目の聲が各所に起つた。風向きが東南に變り風が強くなつた。旋風は二三分位の後には待乳山の西側と思はれる邊まで進んで行つたが大きさは同樣であつた。其の内に音が小さくなり、風も治まり、柱状のものも以前ののやうに明瞭には見えなくなつた。そして南々西に向け、雷門吾妻橋の方へ(書信には地圖に矢を記入して方向を示してある)進んで行くやうに見えた。火の子が林の上から夥しく降つて來たが、布か木片の燃屑で中々大きかつた。發見後十五分位の後には遙に南々西の方向(附圖によると、吾妻橋西詰の方らしい)に前よりも高く上空迄暗雲中に象鼻状(見取圖略)の白氣が搖れながら立昇るを見た。其の後急に近隣の火の手が強くなり、今戸八幡の方にも火の手が擴がつて來たため、大川縁を傳ひ北方に、逃げる仕度を始めたので、後の状況は見なかつた。それは四時頃であつた。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから1字下げ]
風は其後一度東風に變りやがて西風に變り、四時半に長昌寺が燒失した。尚人々の話を綜合すると田中町小學校に旋風が發したと云はれ、又今戸公園に旋風が襲つたとき待乳山邊迄大いに荒れたさうである。又今戸八幡で旋風に遭ひ、身體が浮いたといふ老婆の實驗談を聞いた。
九月二日午後五時頃、當時燒跡に歸來し、境内に掘立小屋を作つてゐたが、南方から大判罫紙の燒焦げた片が數多落ちて來た。
(此項も東京朝日新聞の「探して居るもの」への寄稿である。詳細なる記述を謝する)
[#ここで字下げ終わり]
といふわけで、ここまでは僕も相當得意であつたところ、それから四五頁後のところに先生は
[#ここから1字下げ]
以上は災後二三ヶ月以内に著者の手許に集つた材料の大要である。此等の中には可也信用の置かれるのもあり、又可也怪しいものもあるが、此點に就ては一切私見を加へることなしに、其儘を採録した。談話者又報告者の言葉もなるべく保存し、話の順序、の混雜したのや不得要領なのも故意に其儘にして置いた、さうした方が史料としての價値を損じないと思ふからである。
[#ここで字下げ終わり]
と書かれてあつて、僕の得意の鼻はぽきんと折れてしまつた。
先生はなほこれらの史料を過信することを戒められ、
[#ここから1字下げ]
兎も角も人間の眼で見た證據程當てにならないものはないといふ、心理學上の事實は、吾々の忘れてならない誡である。
[#ここで字下げ終わり]
と、止めを刺されてゐる。僕としては、もつと常識を廣くして置いて確實な觀測をすればよかつたのにと、千載の一遇[#「千載の一遇」は底本では「千較の一遇」]を棒にふつてしまつた事を殘念に思ひ、かへつて寺田先生を悦ばせることの少なかつたことを遺憾に思つてゐる。しかし先生の出してゐられる旋風の特性を愛するノートは、實見者たる僕の同感する點が多い。だから、矢張り報告書をさしあげてよかつたと思つてゐる。
寺田先生と一度お目に懸つてこんな思ひ出話をする好機を得たかつたが、遂にそのことなくして終つたのは、これまた心殘りである。
× × ×
先生のやうに、神か幼兒のやうに素直に物理學を專攻せられるの士は、他に類例があるまいと考へる。多少それに似た事をやる方はあつても、その心組みその悟りに於ては、蓋し雲泥の差があると思ふ。
寺田先生の豪さには、明治大正昭和を通じて誰も傍に寄れる者がなからうと信ずる。
[#地付き]『科学ペン』昭和十二年十二月号
底本:「海野十三メモリアル・ブック」海野十三の会
2000(平成12)年5月17日第1刷発行
初出:「科学ペン」
1937(昭和12)年12月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:田中哲郎
校正:土屋隆
2005年1月7日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
)
◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)、『日本歴史地名大系』(平凡社)。
◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。
◇参照:『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)、『国史大辞典』(吉川弘文館)。
◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。
◇参照:『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)、『日本国語大辞典 第二版』(小学館、2001.5)。
*後記(
随筆と小作品の中から、目についたものを発表順に編集した。以下、「寺田先生と僕」について。
海野十三(本名、佐野昌一)は一八九七年(明治三〇)の生まれだから、一九二三年(大正一二)九月の関東大震災のときは二六才。Wikipedia によれば「1928年、雑誌『新青年』に掲載された探偵小説「電気風呂の怪死事件」で本格的にデビュー」とあるから、震災当時は、逓信省電気試験所へ勤務していた時期にあたるだろうか。
本文中「九月一日午前三時半頃初メテ夢見シタ」とある手紙の出だしは、内容的に不自然。誤植混入の可能性が高い。地震発生が正午だから、「午前」「夢見」はぞれぞれ「午後」「発見」か。
おなじく本文中に「先生の出してゐられる旋風の特性を愛するノート」という表現がある。寺田寅彦のことだから擬人的に「旋風の特性を愛する」ということもありえなくはないかもしれないが、ここはすなおに「愛する」は「考する」の誤植ではなかろうかと。
町名・寺社名などが詳細に出てくるので、Inkscape の習作をかねて地図を書き起こしてみた。『日本都市戦災地図』(原書房、1984.7)、『スーパーマップル関東道路地図』(昭文社、2011)、『別冊歴史読本・比較考証 江戸東京古地図散歩』(新人物往来社、1999.9)「明治13年、二万分一東京図」を下絵に参照。
すると思いがけず、海野十三宅から隅田川をはさんだ対岸、真向かいに幸田露伴宅と蝸牛庵のあったことを発見。さらにさらに、同じく隅田川対岸の南およそ一.五キロのところに堀 辰雄宅のあったことを知る。震災当時、露伴は五六才、堀 辰雄は一九才。露伴は「震は亨 る」という短文を残し、堀 辰雄は母親を失う。
なお、吾妻橋から下流一キロ弱のところに陸軍被服廠跡があり、現、両国国技館の北側になる。
第五巻 第三八号
電気物語(一)石原 純
第五巻 第三八号は、
二〇一三年四月一三日(土)発行予定です。
定価:200円
T-Time マガジン 週刊ミルクティー* 第五巻 第三七号
寺田先生と僕(他)海野十三
発行:二〇一三年四月六日(土)
編集:しだひろし / PoorBook G3'99
http://www33.atwiki.jp/asterisk99/
出版:*99 出版
〒994-0024 山形県天童市鎌田2丁目
アパートメント山口A−202
販売:DL-MARKET
※ T-Timeは(株)ボイジャーの商標・製品です。
風はその後一度、東風に変わり、やがて西風に変わり、四時半に長昌寺が焼失した。なお人々の話を総合すると田中町小学校に旋風が発したといわれ、また今戸公園に旋風が襲 ったとき待乳山あたりまで大いに荒れたそうである。また今戸八幡で旋風に遭 い、身体が浮いたという老婆の実験談を聞いた。
九月二日午後五時ごろ、当時焼け跡に帰来し、境内に掘立小屋を作っていたが、南方から大判罫紙 の焼けこげた片が数多 落ちてきた。
(この項も『東京朝日新聞』の「探しているもの」への寄稿である。詳細なる記述を謝する)
九月二日午後五時ごろ、当時焼け跡に帰来し、境内に掘立小屋を作っていたが、南方から大判
(この項も『東京朝日新聞』の「探しているもの」への寄稿である。詳細なる記述を謝する)
というわけで、ここまでは僕もそうとう得意であったところ、それから四、五ページ後のところに先生は、
以上は災後二、三か月以内に著者の手もとに集まった材料の大要である。これらの中にはかなり信用の置かれるのもあり、また、かなりあやしいものもあるが、この点についてはいっさい私見を加えることなしに、そのままを採録した。談話者また報告者の言葉もなるべく保存し、話の順序の混雑したのや不得 要領 なのも故意にそのままにしておいた。そうしたほうが史料としての価値を損 じないと思うからである。
と書かれてあって、僕の得意の鼻はポキンと折れてしまった。
先生はなお、これらの史料を過信することを
ともかくも、人間の眼で見た証拠ほどあてにならないものはないという心理学上の事実は、われわれの忘れてならない戒 である。
と、
寺田先生と一度お目にかかってこんな思い出話をする好機を得たかったが、ついにそのことなくして終わったのは、これまた心残りである。
× × ×
先生のように、神か幼児のようにすなおに物理学を専攻せられるの士は、他に類例があるまいと考える。多少それに似たことをやる方はあっても、その心組み、その悟りにおいては、けだし雲泥の差があると思う。
寺田先生の
『科学ペン』昭和十二年(一九三七)十二月号
底本:
2000(平成12)年5月17日第1刷発行
初出:
1937(昭和12)年12月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」
入力:田中哲郎
校正:土屋隆
2005年1月7日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
科学時潮
海野十三地下鉄道の開通
上野、浅草間の地下鉄道が出来た。入って見ると随分明るくて温い。電車の車体は黄色に塗られ、架空線《かくうせん》はないから随《したが》ってポールやパンタグラフは無い。皆レールのところから電気を取っている。一時間十五|哩《マイル》の速力であるから上野、浅草間は五分位で連絡が出来る。
地下鉄道の出来たことは、いろいろな意味に於て愉快である。高速度であるため市民がセーブする時間は大したものであろうし、又東京市が飛行機の襲撃を受けたときは、市民が爆弾を避けるには兎《と》も角《かく》も都合のよいところだし、それから又、外国の探偵小説|並《なみ》に、地下鉄を取扱った面白い創作探偵小説が諸作家によって生れて来ることであろうし、結構なことである。
飯粒と弁当箱
特許局から出ている審決文中の珍なるものを一つ拾い出して御覧に入れる。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
「大正十四年|特許願《とっきょねがい》第六五一七号|拒絶査定《きょぜつさてい》不服抗告審判事件に付査定すること左の如し。
[#ここから1字下げ]
主文。原査定を破毀《はき》す。
飯粒の附着せさる弁当箱は特許すへきものとす[#「飯粒の附着せさる弁当箱は特許すへきものとす」に傍点]。」
[#ここで字下げ終わり]
「飯粒の附着せざる弁当箱」という文句を読むと、「飯粒の附着していない弁当箱」という意味にとれる。飯を食った後で洗ってしまえば弁当箱には飯粒は附着していないはずである。これが何《ど》うして特許になるのか不思議に思うが、さて其の真意は――。
飯を弁当箱につめ込んで、然るのちこれを取出しても、あとに飯粒が弁当箱の底や周壁に附着(寧《むし》ろ固着)することのない弁当箱。――という意味で、アルミ弁当箱の内側にゼラチンのようなものをひいて置くと、奇妙に飯粒が附着しないことを覘《ねら》った特許願である。
種を明かして仕舞えば何でもないが、兎も角も「飯粒の附着せさる弁当箱は特許すへきものとす」は愉快な文句ではないか。
英米間無線電話
英国と米国との間に行われている公衆用無線電話の其後《そのご》の成績を聞くのに、英国から米国へ掛けられるものが毎日三通話、米国から英国へ掛けられるものが毎日四通話で、合計高《ごうけいだか》平均七通話だそうで、この装置の維持費とトントン位の収入になるそうな。
因《ちなみ》にこの無線電話の通話料は、一分間につき大凡《おおよそ》五十円である。
科学小説『緑の汚点』
近頃読んだ科学小説の中で、一寸面白いなと思ったものの中《うち》に、此の『緑の汚点』というのがある。
時は現代である。アメリカ大陸の山奥に、死の谷と呼ばれるところがあって、其処を訪ねた人間は一人として無事に帰って来たものがない。遠方からそこを望遠鏡で覗《のぞ》いた者の話によると、人間の白骨《はっこつ》ばかりでなく、時々|紛《まぎ》れ込《こ》んで来る熊や鹿や其の他の動物の屍《しかばね》や骨が夥《おびただ》しく死の谷の中に散見するそうである。
この死の谷の不可思議な謎を解くために学者の一団が探検に赴《おもむ》くことになる。一行は二人の死刑囚を同行した。これは死の谷への先登《せんとう》をやらせるためで、万一危険が生じて来てもこの二人の死刑囚が先ずどうかなる筈で、所謂《いわゆる》パイロット・ランプの役目を演ずるわけである。
で、一行は愈々《いよいよ》死の谷へ発足《はっそく》した。山又山を越えて、軈《やが》て死の谷の近くへ来た。一行は望遠鏡の力を借りて観測した。白い蒸気のようなものが飛散している。附近の草木は枯死《こし》し、鳥獣の死屍《しし》も累々《るいるい》たるのが見えた。不図《ふと》、死の谷へ下りようという峠のあたりに人影が見えた。人間らしくはあったが正《まさ》しく怪物であった。一行中の気早《きばや》の若者が、射撃を加えた。人影は峠の彼方《かなた》に消えた。一行はこれをきっかけに戦闘準備を整えて、二名の死刑囚を先登《せんとう》にして、まっしぐらに、峠へ駈け上がって見た。
怪人を射止めた辺りを探したが、その姿はなかった。唯、望遠鏡で見覚えた岩のあたりには、緑色の汚点が方々に夥しくついていた。
先登に駈け出して行った死刑囚の一人が見えなくなっていた。彼は恰《あたか》も此の好機逸すべからずと、死の谷の方へ脱兎《だっと》の如くに早く駈け出して行ったのだった。多|分《ぶん》始めから脱走する心算《つもり》だったらしい、と一同の意見は一致した。――其の時、急に此の脱走したと思った死刑囚が、一行の前にヒョックリ現れたので、一同は驚いた。いやそれよりも一層驚かされたことは、この死刑囚の声音《こわね》がすっかり違って仕舞ったことと其の話の中に盛られた内容なり考えなりが全く別人のようになっていた。其の時、やっと、気が付いたことは、これこそ例の怪人の一人が死刑囚を殺し、其の皮を剥ぎ、服装《なり》も一緒にこれを怪人が着《ちゃく》しているのだという事が判った。
一行は怪人に其の不道徳を詰問《きつもん》したが、一向要領を得なかった。というのも怪人は人を殺すということなんか、別に罪悪だと考えられぬらしい面持《おももち》であった。
一行と怪人との争闘《そうとう》が始まったが、結局一人の怪人に一行は全く征服されてしまう。怪人は人間より遥かに強かった。又学術的に勝《すぐ》れた頭脳を持っているようであった。其時《そのとき》、汽笛のような音響がした。死の谷に立ちのぼる白気《はっき》は愈々《いよいよ》勢いを増した。怪人は一同に別れを告げて去った。一行は見す見すこの恐るべき殺人犯人を見遁《みのが》すより外に仕方がなかった。
――それから数分後、一大音響と共に、突如、死の谷から空中に浮び上った巨大なる物体があった。それは大きな飛行船を縦《たて》にしたようなものであった。それは恐ろしい速力で飛び去った。その速力は光の速力に近いもので人間には迚《とて》も出せそうもないものであった。
でこの解決を物理学界の某博士がつけている。
「この怪人こそは、金星に棲息《せいそく》する者である。彼はラジウム・エマナチオンで、斯《か》くの如き怪速力を出して居るものと思う。地球への来訪の意味は不明だが、多分生物学研究にあるらしい。
最後に予は断言する。この怪人達は、地球人類とは全く別箇の系統から発達進化した生物である。換言《かんげん》すれば彼の怪人は、植物の進化したものである。故《ゆえ》に銃丸が入っても別に死せず、唯「緑の汚点《おてん》」として発見せられた緑汁《りょくじゅう》の流出があるばかりである。殺人罪といったような不道徳を怪人が解せなかったのも、抑々《そもそも》植物には情感のないことを考えてみてもよく判ることではないか。……」
植物系統の生物というところが此の科学小説のヤマであるが、小説として構想の奇抜なことは勿論、実際の学問の上から言っても大いに考えて見る可《べ》き問題ではあるまいか。
底本:「海野十三全集 別巻2 日記・書簡・雑纂」三一書房
1993(平成5)年1月31日第1版第1刷発行
初出:「新青年」
1928(昭和3)年1月号
※初出時の署名は、佐野昌一です。
入力:田中哲郎
校正:土屋隆
2005年5月3日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
科学者と夜店商人
海野十三こう暑くなっては、科学者もしぶしぶと実験室から匍《は》い出さずにはいられない。気温が華氏八十度を越えると脳細胞中の電子の運動がすこし変態性を帯びて来るそうだ。そんなときにうっかり忘我的研究をつづけていると、電子はその変態性をどんどん悪化させ、遂には或る臨界点を過ぎてしまった。再び頭脳は常態に復帰しないそうだ。そうなると病院の檻の中に実験室をうつさなければならないので、さてこそしぶしぶと実験室を匍い出たわけである。
ムンムンする蒸し暑い夜だった。実験をやることも書物を読むことも許されないと、一層暑さが身にこたえるようだ。家へ帰っても今から寝るわけにも行かないが、一先ず帰宅をしようと思って十日ぶりに我家(とは名ばかりの郊外の下宿の一室)へ首《かしら》をたてなおした。
彼の下宿は、中央線の中野駅を降りてから十五分も歩かなければ到達しないほど辺鄙《へんぴ》なところに在る。その道を歩きながら、夜の人通りに物珍らしさを感じたのであった。歩いて行くに従って路の上に含有される人間の密度が多くなって来たが、それは益々増える一方で、軈《やが》てのこと科学者は人間の群から圧迫せられてどうにも動けなくなった時、彼自身が縁日の夜店の真唯中に在ることを発見した。
首をもちあげて、あたりをキョロキョロ眺めてみると馬鹿に明るい――というよりか大変な眩しさであった。恐らくは明るさの密度の点では銀座街もこれには及ぶまいと思われた。縁日の商人は、陰影のない照明をやるのに照明学に従って間接照明法を用いず電球を裸にむき出した儘《まま》の直接照明法で、これに成功しているのであった。その代り電柱の上のポール、トランスは今や過負荷のために鉄心《コーア》はウンウン呻り、油はジュウジュウとあぶくを湧き立てて対流をはじめ、捲線の被覆は早くも黄色い臭いをあげて焦げつつあった。尤もこの勇敢なる裸電球の照明法は行人の瞳孔を極度に縮少させ、商人が売っている品物のあら[#「あら」に傍点]を発見し得るほど充分永く、行人の注視を許さないという商人の商略から来ていることだった。
科学者はこの人波をわけて通るために生ずる恐ろしい人間抵抗を思ってウンザリした。そして彼の実験室にあるコロイドの一分子が、高熱せられたるビーカーの中にあって、如何にもがきつつ同様の圧迫と恐怖に苦しんでいるかを思いやることが出来た。
科学者は溜息をついて、側《かたわら》を見ると、そこにはファラデーの暗界《ダークスペース》の如き夜店が眼にうつった。というのは眩しい軒並の夜店が、そこのところだけ二間ばかりも切れていて、そこだけ歯の抜けたように薄暗らかった。彼は学生時代に亡《なくな》ったD博士とファラデーの暗界の研究にアッシスタントをつとめていた昔を思い浮かべて、なつかしげに眼の前のダーク・スペースの方を見ると、其処に汚い着物を着た一人の男が、バケツをかかえるようにして、しゃがんでいた。
その男は下を向いて何かブツブツと独言《ひとりごと》を言っていた。多分、電球が切断してこんなに真っ暗になっているので実験――イヤ商売が出来ないで悲観しているのであろうと、彼科学者は思ったので、その男の傍へ近づいて、さて言った。
「君、実験が出来ないで弱っているのかい」
「実験はやっています」
とその男は平然と答えてバケツの中を指した。それは不思議な黒ずんだ色を持った液体であった。はじめは液面は平かに静止していたがややあって、すこし表面波の小さいのが現れたと思うとポッカリと真黒い二|糎《センチ》立方位の物が浮かび出でた。よくみると、それは小さい鵜烏《うがらす》であった。全身は真黒で、嘴《くちばし》だけが朱色《しゅしょく》に輝いていた。その烏は科学者の方をジロジロと見廻しているようであったが、呀《あ》ッという間もなく液体のなかにもぐってしまった。すると又ヒョクリと浮かび上がって来るのであった。その男の言うところによると、これは生きている烏ではなく、鵜烏の模型なのだそうである。ただ或る仕掛けによって斯くは不思議な運動をするのだそうである。科学者はその仕掛けについて質問したがその男は、それを話しては商売にならぬから、説明書を金十銭で買えと薦《すす》めた。しかし科学者は、科学者たるの名誉を以てそれを拒絶すると同時に、バケツの前にしゃがみこんで考えた。
或る物体が液面に浮かび出、又沈むというのは明かに浮力の作用である。見たところ液体は一定の密度を持っているらしいから浮力の計算式は、非常に簡単になる。浮いているものが沈むためには、どうしても外力が働かねばならない。外力は普通の場合、重力と気圧とに限られている。気圧が増大すると空気が圧縮せられて浮体自身の浮力が減少し、沈降を始めるわけだが、これは開放されたる大気中に在るのだから、そんなに気圧が変動する筈はない。それに鵜烏は浮かんでいるかと思うと、忽《たちま》ちサッと姿を没するほど運動は急激に行われるから、そのためには気圧は一瞬間に何十|粍《ミリ》という急角度の変動を必要とする。それは常識で考えても、又気象報告を調べても有り得べきことではない。
重力の方の変動も、あまりに数値が大きいので勿論あり得べからざることだ。するとこの問題はいよいよ特殊の場合について研究することを要する。それには先ず液体について、疑問の矢を向けるべきであろう。何か特殊な溶液であるかも知れない、と考えたので科学者はいきなりバケツの中へ手をつきこんでみた。
「困るなア、旦那」とその薄ぎたない男が顰《しか》めッ面をして叫んだ。科学者はその間、早くもこの溶液が常温にあることと、多少の酸に似た臭気のある事を発見した。で彼は更に進んで聞いた。
「この液体はなんですか?」
「エエ……」
「この液体はナンであるですかッ?」
「これかネ――これは泥水でさア」
「アノ泥水――土の粒子《つぶ》を飽和した水……だと言うのかネ」
科学者は眼をパチクリとしたが、その瞬間に彼の推理はプロペラの如く廻転をはじめた。――泥とは水を飽和したる土である。土というのは大地の微粒子である。大地は良い電導体であるし、水も電導体である。酸に似た臭気のあったところから、酸が混入したあったとすれば益々電導体の液体であると言わなければならない。而《しか》も液体の容器は錫鍍《すずめっき》鉄板《てっぱん》で出来ているバケツではないか。おお、この液面は大地電位《アース・ポテンシャル》に在る。この液面は接地《アース》されていたではないか、と科学者は意外な発見に興奮して来るのをヤッと冷静に抑えつけることが出来た。
鵜烏は不電導体である。これを載せたる液面は良電導体である。若しこれがアベコベだったら鵜烏に小さい鉄片をつけて置いて、液中に電磁石をしのばせれば、電磁石の吸引力で鵜烏を水中に引っ張り込むことが出来るのだが、如何にせんそれとは全く逆であるのだから駄目だ。
だが全く逆であること、つまりある条件がネガティヴ的に満足されているということは、一寸面白い問題ではあるまいか。若し液が帯電状態にあるものとし、これが普通の状態として非帯電状態に在る鵜烏を見れば、これは明かにネガティヴの電気的歪力がかかっているとも考えられるわけである。所謂、相対性理論をつかえば立派に証明のできることではあるまいか。すると、この薄汚い男は、早くも其の結論をつかむことが出来て、今や夜店に出でて商品を売り研究費の回収と、製品の寿命試験《ライフテスト》をやっているのではあるまいか。科学者は、正《まさ》しく素晴らしい研究問題にぶつかったのを感じた。更に更に偉大なる研究のフィールドがこれを緒《いとぐち》としてひらけて来るであろうと思った。こうなれば冑《かぶと》を脱いで彼の男の結論の前に礼拝するのが得策であると感じたので、科学者は十円札を出して叫んだ。
「君、説明書を売ってくれ給え」
「十円ですか、おつりがありませんよ」
「おつりはいらんです。君の持っている説明書をみな下さい」
科学者は説明書の束と、セルロイド製の鵜烏の入ったボール箱とを小脇にかかえると猛然として夜店の人波をつき崩し、真《まっ》しぐらに下宿の自室へとび込んだ。そして机の前に座るや、あらゆる公式と数値とを書いたハンドブックや、計算尺の揃っているのを見極めた上で、説明書を開いた。
「偉大なる結論というものは、大約《おおむね》短いものだ」
と早くも彼は嘆息した。そして両眼のピントを合わせてその結論を声高らかによみあげた。
「鵜烏の尻に穴をあけ糸を結び、他の一端を泥鰌《どじょう》の首に結びつくるべし。水は底が見えぬよう濁り水とすべし」
科学者には、何のことだか薩張《さっぱ》りわからなかったが、数回反読する事によって、液体の沈降に及ぼす外力が泥鰌であることを了解し過ぎるほど了解した。それから次の説明書をよんでみたが、どれもこれも同じことばかりが書いてあった。科学者は彼の予想のはずれたことを悲しんでしばらくは死んだようになっていた。
しかし兎も角も実験だけはして見ようと思って泥鰌を一匹買って来て、説明書の通りにセルロイドの鵜烏に糸を以て接続し、澄明なる水をたたえた大きいビーカーの中で実験をして見たところ、泥鰌は底に安定して居ず、いつも水中を上へ上ったり宙返りをして下りてきたりする不思議な運動をくりかえすことを発見した。そこへ梯子段をミシミシいわせて上って来た下宿の女将《おかみ》が頓狂な声を張りあげた。
「先生は、鵜烏の水くぐりを夜店でお売りになるのですか」
「ソ、そうじゃない。之を御覧、不思議な総合現象だ。全く新しい実験だ」
「いやですよ、先生。こんなものは、もう三年も前からありますよ、先生」
「……」
女将がズシリズシリと階下《した》へ降りて行ってしまうと、科学者は深い歎息をして、独り言を言った。
「物理《フィジーク》や化学《ケミー》をやっている科学者には、生物学なんてニガテだな」
底本:「海野十三全集 別巻2 日記・書簡・雑纂」三一書房
1993(平成5)年1月31日第1版第1刷発行
初出:「科学画報」誠文堂新光社
1929(昭和4)年8月号
※この作品は初出時に署名「佐野昌一」で発表されたことが、底本の解題に記載されています。
入力:田中哲郎
校正:土屋隆
2005年1月7日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
恐怖について
海野十三恐怖なんて、無くもがなである。
――と片づけてしまふ人は、話にならない。恐怖は人間の神經を刺戟することが大きい。ひどい場合は、その場に立ち竦んで心臟痲痺を起したり、或ひは一瞬にして頭髮悉く白くなつて白髮鬼となつたりする。そんな恐怖に自分自身が襲はれることはかなはんが、さういふ恐怖がこの世にあることを聽くのは極めて興味深い。探偵小説が喜ばれる一つの原因は、恐怖といふものが盛られてゐることに在る。
探偵小説を好む私として、恐怖に魅力を感ずるのは、當然のことであらう。今日は一つ、平生私の感じてゐる恐怖の實例をすこし拾つて、同好の諸君に捧げようと思ふ。
私は踏切を通ることが恐しい。うちの近所には、番人の居ない踏切があつて、よく子供が轢き殺され、「魔の踏切」などと新聞に書きたてられたものである。あすこへ行き掛ると、列車が風を切つて飛んできて、目と鼻との間を轟々と行き過ぎることがある。列車が通過してから、その光つてゐるレールを跨ぐときに、何とも名状し難い戰慄を覺える。もしも自分の眼が狂つてゐて、列車が見えないのだつたらどうだらう。かう跨いだ拍子に、自分は轢き殺されてゐるのだ。人間といふものは、死んでも、死んだとは氣がつかないものだといふ話を聞いてゐるので、レールを跨ぎ終へたと思つても安心ならない。こんな風に恐怖をもつて踏切を渡るのは、私一人なのだらうか。
子供を抱いて、ビルデイングの屋上へ上つたことがある。最初はたしか淺草の富士館だと思つた。上つてみると館内の賑かさに比べて、屋上は人一人ゐないのである。下を覗いてみると、通行の人の頭ばかりが見える。舖道までは大變遠い。私は怪物重力に急に引張られる氣配を感じた。そのとき私の腕の中にゐた子供が、無心で私の顏を叩いた。ゴム毬のやうに輕い子供である。私は突然、腕を伸ばして子供をポイと下に墜としてみたい衝動に襲はれた。
「これは、いけない!」
私は一生懸命に、自分自身を叱つた。しかし怪物重力は私にのりうつつて、(早く子供を下に抛げろ!)と誘ふ。私は慄然として恐怖に襲はれた。もつと遊んでゐたいと子供が泣きだすのも構はず、夢中で梯子段の方へ退却していつた。それ以來、子供を連れてゐるときは、屋上へのぼらないことにしてゐる。
夢の中に見る恐怖のうち、特に恐ろしい光景が二つある。一つは、空をみてゐると、太陽が急に二つに殖え、アレヨ/\と見てゐる間に三つにも四つにも殖えてゆくのをみるときだ。そんなときの太陽は、いつも光を失つて、まるで朱盆のやうな色をしてゐる。野も山も、いつの間にか丸坊主になり、プス/\と冷い水蒸氣が立ちのぼつてくる。世界の終りだ! 私はビツシヨリ寢汗をかいて、目が醒める。
もう一つは、フロイド先生の御厄介ものだが、洪水の夢をみるときだ。雨は暗い空からジヤン/\[#「ジヤン/\」は底本では「シヤン/\」]降つてゐる。水だ/\といふ聲がするので、外に出てみる。なるほど水嵩が増してゐる。水面は手のとどきさうな近くにまで上つてゐる。川幅はもう海のやうに廣くなつてゐる。碧い水は轟々と渦を卷いて、下へ流れてゆく。上手をみてみれば[#「みてみれば」は底本では「みてあれば」]、川面が上へ傾いてゐるではないか。これでは水の減る見込は全然ない。不圖私は川下に、家族を殘して來たことを思ひ出す。この水が川下へ落ちてゆくときは、私の家族の全部の溺れ死ぬるときだ、とさう思ふと、私は堪へ難い恐怖に襲はれて、目が醒める。
何にも音のしないところへゆくと、これがまた恐ろしい。いつだつたか陽春の眞晝、郊外の廣い野原へ出た。蓮華や蒲公英が、たいへん綺麗に咲き擴がつてゐる。私は童心に歸つて、それを一本々々、右手で摘んでは左手に束ねてゆく。花束はだん/\大きくなつていつた。しまひに摘みくたびれて、野原の眞中に立ちどまつた。急に自分の身邊が氣になり出す。耳を澄まして聽くと、サア大變だ。人聲もしなければ、工場の汽笛の音も聞えない。さつきまで吹いてゐた風さへ治まつて、全く音といふものが聞えない。鼓膜があつてもなんにもならない。自分は死んでしまつたのではないか――と、さう思つた瞬間、名状すべからざる戰慄が全身に匍ひのぼつて來た。……後で考へると、あのときは、咳でもするとか、軍歌でも歌へばよかつたのにと思ふ。
中學生のころ、體操の時間に、高い梁木を渡らされるのが、この上もなく恐ろしかつた。梁木に昇らされる日は、(今日は、やるナ)と時間の始めに直ぐに感じたほどだつた。ブル/\と上へ昇つてみると、鼠色のペンキを塗つた幅の狹い梁木が、もう半ば腐りかけてゐた。この次、渡されるまでに、腐り落ちてしまはないかナと、いつも思つたことだつた。
同じ屋根の下に暮してゐる同僚なのだが、暫く顏を合はせない。そのうちに、向からヒヨツクリやつて來て、急になれ/\しく話を始める。無論親しい同僚のことだから、なれ/\しく話を始めたつて一向不思議でない。しかしそのときこつちでは盛んに喋る同僚の顏を不圖見て、急に駭く。同僚の顏がまだ一度もこれ迄に見たことのない顏に見える。サアさうなると、俄かにその同僚が恐ろしくなる。逃げようとするのだが、逃げられない。全身が竦んでしまつたのだ。恐ろしさに、私はブル/\慄へだすことがある。
「フランケンシユタイン」といふ映畫を見たときのことだ。フランケンシユタイン博士が墓場から盜んで來た澤山の人間の屍體のいい部分だけ集めて、これを接ぎ合はせ、アルプスの最高峯で、何億ヴオルトといふ空中電氣に叩かせると、その寄せあつめの屍體がピク/\と動き出す。遂に博士の研究が成功して、新しい生が始まつたのだ。ところが、この男の腦髓といふのが、恐ろしい殺人犯のものだつたからたまらない。彼は地中の檻を破つて、とび出してくる……といふ場面があるが、このときほど私は恐怖にうたれたことはない。急に足先から膝頭の上まで、ゾーツと冷くなつたので、いかに恐ろしかつたかが判るであらう。
大正十二年の關東大震災のとき、燒跡にトタンをあつめて小屋を作り、眞暗な夜を寢たことがあつた。疲れてゐるが不氣味で寢られない。そのとき、東の方四五丁先と思はれるところで、イキナリうわツーといふ閧の聲があがり、ドドーン、ドドーンといふ銃聲が俄かに起つた。
(何事か?)
と思ふ間もなく、人がバラ/\と逃げてきて、小屋の傍をすり拔けていつた。
「いま、こつちへ、襲撃してきます。人がゐることが判ると、この邊に居る者は皆殺されてしまひますから、どんなことがつても[#「どんなことがつても」はママ]聲を出さないで下さい。」
(もう駄目だ。)
と私は思つた。こんなことで殺されるのかと思ふと、暗闇の中にポタ/\涙が流れでて、頬を下つていつた。死といふものに直面した怖ろしさに、慄へあがつた。
「智者は惑はず、勇者は懼れず」といふ。しかし勇者とても、凡て人間である限り、恐怖は感ずるのだ。唯、恐怖を感じツぱなしで終るのではなく、恐怖は恐怖として置いて、恐怖來るも豈懼れんやと勇氣を奮ひ起すのだと思ふ。そして勇者こそ最も恐怖の魅力といふものを知つてゐるのではなからうかと思ふ。私の如き非勇者の話よりも、勇者の語る恐怖の魅力こそ、眞に聞き甲斐のあるものだらうと考へるのである。
[#地付き]『ぷろふいる』昭和九年五月号
底本:「海野十三メモリアル・ブック」海野十三の会
2000(平成12)年5月17日第1刷発行
初出:「ぷろふいる」
1934(昭和9)年5月号
入力:田中哲郎
校正:土屋隆
2005年1月7日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
科学が臍を曲げた話
海野十三みなさん、科学《サイエンス》だって、時には気むずかしいことがありますよ。そんなときには、臍《へそ》を曲げちまいますよ、臍をネ。
童話みたいですが、昔、オーストリヤの王様が、世界最大のダイヤモンドを所有したいという欲望を持って、持っているだけのダイヤを全部|坩堝《るつぼ》に入れて融合させようと思ったところが、もともと炭素のかたまりであるダイヤは、忽《たちま》ち一陣の炭酸|瓦斯《ガス》と変じて、空中に掻《か》き消えたという昔話があります。これも臍まげの一つです。
この時代、天下を横行した錬金術《れんきんじゅつ》というのは、頗《すこぶ》る大きな目標を持っていました。万物《ばんぶつ》何でも金《きん》に変えるというのです。到るところで錬金術師は鞴《ふいご》を吹いたりレトルトを炙《あぶ》ったりしましたが、遂《つい》に成功しませんでした。何でも、「哲学者の石」というのがあって、それさえ使えば万物が黄金にかわる筈《はず》だと云い出したものがいて、今度は哲学者の石を探し歩く宝探しのようなことが始まりました。これも遂に駄目だったことは、今日《こんにち》金の高いことによって皆さんご存知のとおりです。
しかし科学の上に於ける失敗は、他の失敗と違って、失敗しぱなしで終るものではありません。錬金術のお蔭で、化学というものが大変発達しました。日本には錬金術師が居なかったお蔭で、化学というものは一向に芽をふいて来ませんでした。――而《しか》して、近代になって、長岡半太郎博士は水銀を金に変化する実験に成功して、遂に人類の憧《あこが》れていた一種の錬金術を見出したわけです。その方法は、水銀の原子の中核を、|α粒子《アルファりゅうし》という手榴弾《しゅりゅうだん》で叩き壊すと、その原子核の一部が欠けて、俄然《がぜん》金に成る。つまり物質は、金とか鉛《なまり》とか酸素とか水銀とか云うが、これを形成している物質は共通であり、唯それに含有《がんゆう》せられている数が違うために、いろいろ違った物質となっているものだという見地《けんち》から、この名案が考え出されたのです。
しかし科学は矢張り臍まがりで、この方法はまだ実用に遠く、金には成るには成るが、顕微鏡で探さねばならぬ程ですから、費用仆《ひようだお》れで金にはならない。……だが油断は出来ませんぞ。最近になって人造《じんぞう》宇宙線の研究が俄《にわ》かに盛んになりましたが、この研究が進むといよいよこの人造宇宙線を使って、水銀を金に化《か》することが他愛《たわい》もなく出来るようになりそうな気がします。勿論そうなったからといって悦《よろこ》ぶのは早い。金が簡単に出来るようになったら、今日一|匁《もんめ》十何円|也《なり》という金が、一匁一銭也位になるでしょうから、いくら金がドンドン手に入っても仕方がないでしょう。まあそのときは、鼻紙に金でもって頭文字《イニシャル》でも入れることですネ。
宇宙線の人造ということも面白い問題ですが、その宇宙線と並んで現代で人気のあるのは超短波《ちょうたんぱ》でしょう。
超短波というと電波の一種で、波長がたいへん短い。一メートルから十メートル位の間のものです。ラジオ放送に使っているのは二百から五百メートルですから、いかに短いかということが判りましょう。
この超短波についても、いろいろと面白い失敗が繰りかえされました。超短波を使って近くで通信をすると、びっくりするくらい大変よく聴える。しかるに何百キロ何千キロという遠方《えんぽう》になると、どんなに電力を増《ま》しても聴えない。これは可笑《おか》しいというのでいろいろ調べてみました。
電波というものは、地表の一点から発射されると、どんな道を通って前進するか? お月様が傘《かさ》を被《かぶ》ったときに外に輪が見えますが、あれに似た恰好《かっこう》に、地球の外には、地球を包んで電気|天井《てんじょう》というのがあります。電気天井の高さは、地表から百キロぐらいです。電波はこの電気天井と地表との間に明いている空間を走るのです。走るといっても、波長が長いラジオのような電波なら、足を地表につけたままで前進するし、短波のように短い電波になると、地上から探照灯《たんしょうとう》を出したような恰好に空に向けて前進し、電気天井にあたってまた下へ下りて来ます。例えば青森で出すと上へ上って門司《もじ》の上空で電気天井にぶっつかり今度は反射して台北《たいほく》へ下りてくるという風に、下りたところに受信機《じゅしんき》があれば聴える。この電気天井へ反射するため、短波は遠方でもよく聴える。中には下りて来たのが又地面にあたって反射し、再び電気天井にあたって反射し、もう一度下へ下りて来るというのもあります。しかし要《よう》するに、電波は上へ上っても、電気天井で跳《は》ねかえされることが判りました。
ところが例の超短波になると、いくら電力を増しても届かぬので、一体どこへ行ってしまうのだか判らない。狐《きつね》に鼻をつままれたような恰好で、大迷宮《だいめいきゅう》事件にぶっつかったとでも云いたいところです。使いに出した者が途中で煙のように消えてしまうのですから、これは面妖《めんよう》な話。
ところが其の後だんだん調べてみると、少しずつ判って来ました。そして遂《つい》に確かな結論が生れて、人々は「なアーんだ」ということになりました。超短波は一体|何処《どこ》へ行ったのか。地表と電気天井の間で煙のように消えてしまったものではなく、実に電波にとっては金城鉄壁《きんじょうてっぺき》だと思われていた電気天井をばまるで籠《かご》の目から水が洩《も》るように、イヤそれよりもX光線が木でも肉でも透《すか》すように、超短波は電気天井をスースー外へ抜けていたのでした。スースー外へ抜けているのですから、いくら放送局で電力を増してみても、地上には少しも応答《おうとう》のないのも無理はありません。超短波は電気天井を抜け、地球の羈絆《きはん》を切って一直線に宇宙へ黙々《もくもく》として前進しているのです。
「ああ、ちょっと聞き給え、変な電波が聴えるぜ。我が火星[#「火星」に傍点]にはこんな符号《ふごう》を打つ局はない筈《はず》だ、ハテナ?」
というような訳で、この超短波は案外火星あたりで問題にしているのじゃないかと思われます。とにかく超短波の行方不明《ゆくえふめい》事件が幸《さいわ》いになって、電波の中には電気天井をスースー抜けるものがあることが判りました。とは云うものの未《いま》だに火星からも、
「オイ地球君! 待望の電波を有難《ありがと》う!」
などと云って来ないところを見ると、出奔《しゅっぽん》した超短波の落ちつく先は案外怪しいかも知れないんですが、まだそこまで判っていません。
この超短波をデアテルミーのように、人体《じんたい》に通しますと、癌《がん》などに大変|効《き》き目のあることが発見されました。これをラジオテルミーと呼んでいますが、デアテルミーよりもずっと効き目が強いのです。この施術《しじゅつ》の方法は、超短波が盛んに通っている二つの電極《でんきょく》の間に、人体の患部《かんぶ》を入れるのです。電極というのは金属板で出来ていまして盆《ぼん》のように丸い平べったい板です。
ところが或る時、研究室で飛んでもないことが起りました。超短波を盛んに起して置いて、実験者がそれに手を近づけましたのですが、本当は先ず手を先に電極板の間に入れて置いて、あとでスイッチを入れて超短波を起す方がよいのです。このときはつまり逆の順序でやりました。実験者は研究中のことですから、いろいろやって見る必要があります。そうしないとよい装置も出来ないし、性質も深く知ることが出来ません。実験者はその手を電極板の中央に入れる代りに、電極板の端の方に近づけてみました。恐《おそ》らく違った結果が現れるだろうと思ったのです。近づけるに従って、指の股の辺がスースーと涼しくなりました。それを尚《なお》も近づけると、指が急に熱くなり始めました。それを辛抱《しんぼう》していますと、急に手が吸いつけられるように、電極板に引寄せられました。
「こいつは、いかん!」
と思う間もなく、指が電極板の端《はし》に触れました。途端《とたん》にうずくような痛みが感ぜられ、同時にコロリと下に落ちたものがあります。サーッと真赤な血が花火のように噴《ふ》き出《だ》しました。
「ウム……」
実験者はもぎとるように手を強く引きました。手は幸い極板《きょくばん》を離れました。実験者はホッとして、その手を眺めました。ところが、サア大変です。指が足りない! 美事《みごと》に伸びていた四本の指が根こそぎ切り落とされ、残っているのは拇指《おやゆび》一本! 指の無くなった跡からは、盛んに血が飛び出して来る。実験者はサッと蒼《あお》くなりました。一方の手で傷口を抑えたまま、ウンといって其の場に仆《たお》れてしまった。一体どうしたというのでしょう? 医療器《いりょうき》だと思って安心していたのが、俄然《がぜん》殺人器に転じてしまったのです。駭《おどろ》いたのも無理がありません。
超短波メス――というのが生れたのは、それから間もないことでした。意外な失敗、それは超短波についての認識不足から起ったことでありました。しかしその思い違いが正《ただ》されると、超短波はまた一つの仕事を受け持つようになりました。それは電気メスです。超短波電流をナイフ様《よう》の尖《とが》った金属片《きんぞくへん》に通じ、これを肉に近づけると、面白いほど切れます。それはどれほどよく磨《と》いだメスよりも軍刀《ぐんとう》よりも切れ味がよいのです。科学が臍を曲げると妙なことになります。
臍で思い出しましたが、臍に縁《えん》のある雷《かみなり》さまの話ですが、あれを避けるのに避雷針《ひらいしん》というものがあります。避雷針は屋根の上に尖った金属棒を立て、その下に銅線を接《つな》ぎ、下に下ろし、その尖端を地中に埋めます。銅線の尖端には大きな銅板をつけると一層効果があります。雷が上空から来ると、針の鋭い電気|吸引力《きゅういんりょく》で、雷が忽《たちま》ち吸いよせられ、この針の上に落ちますが、落ちると同時に電線を伝わって地中へ潜《もぐ》りこみ、勢《いきおい》を失ってしまいます。これは云うまでもなく雷の正体は電気ですから、針に引っかかったと同時に、導電体《どうでんたい》を伝わって地中へ潜るのです。この道が出来ているために、大きな音もなんにもしません。ピチッという位です。
或る所で、それはそれは立派な避雷針を建てました。主人公は大自慢です。何処《どこ》の家のより立派だというのです。ところが、間もなく雷鳴《らいめい》が始まりましたが、雷は天地も崩《くず》れるような音をたてて真先《まっさき》にこの家に落ちました。勿論《もちろん》人死《ひとじに》が出来、家は雷雨《らいう》の中に焔々《えんえん》と燃えあがりました。これはスグスグ雷はいつもの調子で、針の上に落ちてみますと、針の下から地中へ行く道が作ってないのです。つまり銅線が接《つな》いでありません。仕方なしに屋根や柱、襖《ふすま》に障子などを伝わって地中へ辛《かろ》うじて逃げたのです。この家の主人は避雷針の針ばかりを見て来て、肝心《かんじん》の銅線や接地板《せっちばん》の必要なことに気がつかなかったのでした。
それと又別の話に、或る村で避雷針を立てましたが、これは電気的に完全な避雷針でしたが、ところがその針を立ててから、その村の落雷が俄《にわ》かに殖《ふ》えたという噂が立ちました。そんな馬鹿な話はないと、学者はてんで受けつけません。避雷針を立てて、落雷が殖えるなんて、およそ有り得《う》べからざることです。
ところが段々研究して行ってみると、そういう有り得べからざることが有り得るかも知れないということになりました。早く云えば避雷針は雷を殖やすことあるべしということです。その解釈《かいしゃく》を申しますと、避雷針は雷を引き寄せるのですが、避雷針の高さの三倍までの距離以内のものは、避雷針へ吸い取ることが出来る。しかしそれ以上のものまで効《き》かない。だから四五倍の距離の空中まで呼び寄せられ、その辺でマゴマゴしている雷は、已《や》むを得ず人家や森を伝わって下に落ちねばならぬことになる――というのです。
底本:「海野十三全集 別巻1 評論・ノンフィクション」三一書房
1991(平成3)年10月15日第1版第1刷発行
初出:「新青年」
1934(昭和9)年9月号
※初出時の署名は、丘丘十郎です。
入力:田中哲郎
校正:土屋隆
2005年6月14日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
寺田先生と僕
海野十三(佐野昌一)題名ほどの深い關係もないのであるが、科學ペンからの求めで、已むを得ず[#「已むを得ず」は底本では「己むを得ず」]ペンを執る。
僕が寺田先生を始めて知つたのは、多くの人がさうであるやうに、第一には「吾輩ハ猫デアル」の水島寒月に於て、また「三四郎」の野々宮理學士に於てである。これは書くまでもない至つて平凡なことである。只、その間、首くくりの力學には、始め滑稽を感じ、後學校で本物の力學を勉強するやうになつて畏敬と化した。首くくりはたしかに力學でもあつたからである。今も先生を心から敬慕して已まぬ[#「已まぬ」は底本では「己まぬ」]わけは、先生が首くくりにも力學を考へられた非凡なその學者的態度である。非凡とだけでは物足りない。悟りきつた、神のやうな學者的態度とでもいはふか。
寺田先生から、手紙を一度頂いた事があつた。それは大正十二年の關東大震災の後に、東京朝日新聞紙上で、「私の探してゐるもの」といふ欄に先生が「羅災の人で、もしそのときの火災の進路について場所、風向、時刻について知らせて呉れると、たいへん學術上參考になる。また颱風に遭つた人は、それについても書いて欲しい。」と書かれた。僕は當時、淺草の今戸に居て、九月一日の午後五時ごろに自宅全燒の憂目に遭ひ、しかもその一時間ほど前には、もう生命もこれでお仕舞ひだわいと悲壯な覺悟をしなければならなかつたほどの大旋風にも襲はれたので、謹んで水島寒月先生に見聞記を奉つた。そのとき、當時着のみ着のまゝで燒き出された身の上であつたから、懷中はなはだ寒かつたが、この報告はどうしても東京市の地圖に矢印などを書きこまなければ要を盡さないと思つたので、無理に東京の地圖を遠方まで買ひにいつた記憶がある。
さうして僕は、自分の見聞記を書いて、先生宛お送りしたわけであるが、そのとき折かへし頂いた先生の禮状が、前にいつた唯一の手紙なのである。
惜しいことに、その手紙はその後轉々と引越をしたので、いつか失せてしまひ、今は甚だ殘念に思つてゐるが、なんでもレター・ペーパー二枚に丁重に書かれたもので、今日思ふと實に貴重な寶物であつたのに、惜しいことである。
僕の提供したこの資料は、震災豫防調査會の第百號、關東大地震調査報文火災篇に、先生の手によつて「大正十二年九月一日二日の旋風に就て」の項に輯録せられてあるが、次のとほりである。文中括弧内は、寺田先生の註である。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
(今戸一二六佐野昌一氏書信による)觀測者の位置、淺草區今戸一二六番地自宅前、長昌寺境内(小高い林の中)。九月一日午前三時半頃初めて夢見した。當時近隣では隅田川添の今戸橋白髯橋間の狹い地帶に火の手が見えないだけで、西は龜岡町、吉野町、山谷町、玉姫町いづれも火の手が盛であつた。風向は南々東であつた。急に轟々たる音響が聞えて西南の方聖天町邊(書信には圖が添へてあるが略する)に旋風の起つてゐるのを認めた。尤も始めは「がす、たんく」でも爆發したかと思つた位猛烈な勢であつた。黒褐色の煙の柱徑一町以上のものが天に沖し、中空以上は擴がつて雲のやうであつた。音は耳を聾するばかりの[#「聾するばかりの」は底本では「聾すりばかりの」]ぐおーつといふ音で、生來之に比較すべき音を聞いたことがない。非常な勢で廻轉してゐることは何か木片板片のやうなものが飛び交ふ樣子で分つた。廻轉は地上から向つて右ねぢの方向であつたと思ふが確かでない。避難者等は恐怖して悲鳴の聲、題目の聲が各所に起つた。風向きが東南に變り風が強くなつた。旋風は二三分位の後には待乳山の西側と思はれる邊まで進んで行つたが大きさは同樣であつた。其の内に音が小さくなり、風も治まり、柱状のものも以前ののやうに明瞭には見えなくなつた。そして南々西に向け、雷門吾妻橋の方へ(書信には地圖に矢を記入して方向を示してある)進んで行くやうに見えた。火の子が林の上から夥しく降つて來たが、布か木片の燃屑で中々大きかつた。發見後十五分位の後には遙に南々西の方向(附圖によると、吾妻橋西詰の方らしい)に前よりも高く上空迄暗雲中に象鼻状(見取圖略)の白氣が搖れながら立昇るを見た。其の後急に近隣の火の手が強くなり、今戸八幡の方にも火の手が擴がつて來たため、大川縁を傳ひ北方に、逃げる仕度を始めたので、後の状況は見なかつた。それは四時頃であつた。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから1字下げ]
風は其後一度東風に變りやがて西風に變り、四時半に長昌寺が燒失した。尚人々の話を綜合すると田中町小學校に旋風が發したと云はれ、又今戸公園に旋風が襲つたとき待乳山邊迄大いに荒れたさうである。又今戸八幡で旋風に遭ひ、身體が浮いたといふ老婆の實驗談を聞いた。
九月二日午後五時頃、當時燒跡に歸來し、境内に掘立小屋を作つてゐたが、南方から大判罫紙の燒焦げた片が數多落ちて來た。
(此項も東京朝日新聞の「探して居るもの」への寄稿である。詳細なる記述を謝する)
[#ここで字下げ終わり]
といふわけで、ここまでは僕も相當得意であつたところ、それから四五頁後のところに先生は
[#ここから1字下げ]
以上は災後二三ヶ月以内に著者の手許に集つた材料の大要である。此等の中には可也信用の置かれるのもあり、又可也怪しいものもあるが、此點に就ては一切私見を加へることなしに、其儘を採録した。談話者又報告者の言葉もなるべく保存し、話の順序、の混雜したのや不得要領なのも故意に其儘にして置いた、さうした方が史料としての價値を損じないと思ふからである。
[#ここで字下げ終わり]
と書かれてあつて、僕の得意の鼻はぽきんと折れてしまつた。
先生はなほこれらの史料を過信することを戒められ、
[#ここから1字下げ]
兎も角も人間の眼で見た證據程當てにならないものはないといふ、心理學上の事實は、吾々の忘れてならない誡である。
[#ここで字下げ終わり]
と、止めを刺されてゐる。僕としては、もつと常識を廣くして置いて確實な觀測をすればよかつたのにと、千載の一遇[#「千載の一遇」は底本では「千較の一遇」]を棒にふつてしまつた事を殘念に思ひ、かへつて寺田先生を悦ばせることの少なかつたことを遺憾に思つてゐる。しかし先生の出してゐられる旋風の特性を愛するノートは、實見者たる僕の同感する點が多い。だから、矢張り報告書をさしあげてよかつたと思つてゐる。
寺田先生と一度お目に懸つてこんな思ひ出話をする好機を得たかつたが、遂にそのことなくして終つたのは、これまた心殘りである。
× × ×
先生のやうに、神か幼兒のやうに素直に物理學を專攻せられるの士は、他に類例があるまいと考へる。多少それに似た事をやる方はあつても、その心組みその悟りに於ては、蓋し雲泥の差があると思ふ。
寺田先生の豪さには、明治大正昭和を通じて誰も傍に寄れる者がなからうと信ずる。
[#地付き]『科学ペン』昭和十二年十二月号
底本:「海野十三メモリアル・ブック」海野十三の会
2000(平成12)年5月17日第1刷発行
初出:「科学ペン」
1937(昭和12)年12月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:田中哲郎
校正:土屋隆
2005年1月7日作成
青空文庫作成ファイル:
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*地名
(※ 市町村名は、平成の大合併以前の表記のまま。一般的な国名・地名などは解説省略。- 東京市 とうきょうし 1889(明治22)5月1日から1943(昭和18)6月30日まで旧東京府管下におかれた市。当初の市域は府内15区で、特例により市長の職を府知事が兼務する変則的な自治体として発足した。1898年10月1日には特例廃止により普通の市制が適用されて市役所を開庁。1932年10月、隣接地域の82町村を市域に編入して新たに20区をおき、35区となる。36年10月北多摩郡の2村を世田谷区に編入し、市域は現在の23区の範囲になった。
(日本史) - 上野 うえの 東京都台東区西部地区の名。江戸時代以来の繁華街・行楽地。
- 浅草 あさくさ 東京都台東区の一地区。もと東京市35区の一つ。浅草寺の周辺は大衆的娯楽街。
- 浅草の富士館
- 今戸 いまど 東京都台東区北東部の一地区。隅田川に臨み、今戸焼などで有名。
- 長昌寺 ちょうしょうじ 現、台東区橋場町。法華宗。弘安2(1279)の創建、元和年中再興とされる。浄土宗玉蓮院の南方にある。七面社・三十番社を祀り、享保5(1720)に奉納された大鐘を所蔵する。境内には古奥州街道の土手跡が残る。
- 隅田川 すみだがわ (1) (古く墨田川・角田河とも書いた)東京都市街地東部を流れて東京湾に注ぐ川。もと荒川の下流。広義には岩淵水門から、通常は墨田区鐘ヶ淵から河口までをいい、流域には著名な橋が多く架かる。隅田公園がある東岸の堤を隅田堤(墨堤)といい、古来桜の名所。大川。
- 今戸橋 いまどばし 現、台東区今戸・浅草・東浅草。浅草金龍山下瓦町から山谷堀に架かる橋。北に旧、浅草今戸町がある。
- 白鬚橋 しらひげばし (江戸時代、奥州街道の白鬚の渡しがあったところに架橋されたために名づけられた)東京都台東区橋場と墨田区堤通を結び、隅田川にかかる橋。橋の東南方に白鬚神社がある。現在の橋は昭和6年(1931)架橋。
- 亀岡町 → 浅草亀岡町
- 浅草亀岡町 あさくさ かめおかちょう? 現、台東区今戸一〜二丁目。旧、新町。山谷堀の北岸にあり、東は長昌寺・浅草今戸町、西は源寿院・瑞泉寺・安盛寺・遍照寺に囲まれた地域の通称。弾左衛門の居所があった。新町は幕末まで弾左衛門支配場。明治4(1871)浅草亀岡町一〜三丁目となった。
- 吉野町 → 浅草吉野町
- 浅草吉野町 あさくさ よしのちょう 現、台東区今戸・東浅草・浅草・清川。
- 山谷町 → 浅草山谷町
- 浅草山谷町 あさくさ さんやまち 現、台東区東浅草・清川。旧浅草新鳥越町の北に続く日光道中沿いの両側町。
- 山谷・三野・三谷 さんや 東京都台東区の旧町名。1657年(明暦3)の大火に元吉原町の遊郭が類焼して、この地に仮営業して新しい遊郭ができたから、新吉原の称ともなった。
- 玉姫町 → 浅草玉姫町
- 浅草玉姫町 あさくさ たまひめちょう? 現、台東区橋場・日本堤・清川・荒川区南千住。明治24年、浅草区分となっていた地方橋場町の一部が地方今戸町の一部と合併して浅草玉姫町と改称。
- 聖天町 → 浅草聖天町
- 浅草聖天町 あさくさ しょうでんちょう 現、台東区浅草六〜七丁目。浅草山之宿町の北西に続く日光道中両側の町。
- 待乳山 まつちやま 東京都台東区浅草の本竜院(浅草寺末寺)の境内にある小丘。丘上に本竜院の本堂聖天宮があり、俗に聖天山という。古来、花柳界の信仰が厚い。
- 雷門 かみなりもん 東京都台東区の旧浅草公園南端に隣接する地。浅草寺の風雷神門(雷門)があり、風神・雷神の像を祀る。
- 吾妻橋 あずまばし 東京都台東区浅草と墨田区吾妻橋を結ぶ隅田川の橋。1774年(安永3)初めて架橋。現在の橋は1931年竣工。
- 今戸八幡 いまど はちまん 現、今戸神社か。台東区今戸。旧、浅草今戸町の鎮守八幡宮。勧請された年代などは不詳だが、源頼義・義家により勧請されたとも伝える。寛永13年再興された。別当は浅草寺末の松林院。
- 大川 おおかわ 隅田川の下流部における通称。
- 田中町小学校
- 田中町 → 浅草田中町か
- 浅草田中町 あさくさ たなかちょう? 現、台東区清川・東浅草・日本堤。旧、山谷町在方分。浅草山谷町の西裏および山谷浅草町周辺にあり、大部分は今戸町在方分・橋場町在方分などと入会って散在する。明治22年、浅草区に編入され、同24年一部が浅草町・浅草山谷町・浅草元吉町へそれぞれ合併し、一部が千束村の一部と合併して浅草田中町と改称した。
- 今戸公園 いまど こうえん 浅草隅田公園か。
- 中野 なかの 東京都23区の一つ。新宿区の西に位置し、中央本線沿線の住宅地域。宝仙寺・新井薬師・哲学堂などがある。
- 青森 あおもり 青森県の市。県庁所在地。津軽藩の外港として発展。東北本線・奥羽本線・津軽線の結節点。ねぶた祭は東北三大祭の一つとして有名。産業は食品・製材等の諸工業。人口31万2千。
- 門司 もじ もと福岡県の市。1963年、小倉・若松・八幡・戸畑の4市と合併して北九州市となり、行政区名の一つ。関門海峡を隔てて下関市との間に関門海底トンネルが通じ、関門橋がかかる。
- 台北 たいほく (Taibei) 台湾北部、台北盆地の中央にある台湾最大の都市。第二次大戦後、国共内戦に敗北した中華民国国民政府の首都。人口264万(1999)。タイペイ。
- 英国
- 米国
- 死の谷 しのたに デスバレー/デスバリー Death Valley アメリカ合衆国西南部、カリフォルニア州の東境にある谷。大部分が砂漠で、夏は日中の暑さが激しく、開拓期の旅人に死の谷と恐れられた。標高2000〜3000mの山地にはさまれ、最底部の標高は海面下86m。
- アルプス Alps ヨーロッパの中央南部に横たわる山脈。イタリア・フランス・スイス・ドイツ・オーストリア各国境に連なる。最高峰モンブラン(4807m)をはじめマッターホルン・ユングフラウ・アイガーなどの高峰がそびえ、氷河がある。
- オーストリア Austria・墺太利。中部ヨーロッパの共和国。1278〜1918年ハプスブルク家が支配。第一次大戦後共和国となり、1938年ドイツに併合。第二次大戦後、米・英・仏・ソ4国によって分割占領、55年主権回復、永世中立国となる。主産業は鉄鋼・化学工業・酪農・観光。言語はドイツ語。面積8万4000平方km。人口817万5千(2004)。首都ウィーン。ドイツ語名エスターライヒ。
◇参照:Wikipedia、
*年表
- 関東大震災 かんとう だいしんさい 1923年(大正12)9月1日午前11時58分に発生した、相模トラフ沿いの断層を震源とする関東地震(マグニチュード7.9)による災害。南関東で震度6(当時の最高震度)。被害は、死者・行方不明10万5000人余、住家全半壊21万余、焼失21万余に及び、京浜地帯は壊滅的打撃をうけた。また震災の混乱に際し、朝鮮人虐殺事件・亀戸事件・甘粕事件が発生。
◇参照:Wikipedia、
*人物一覧
(人名、および組織・団体名・神名)- -----------------------------------
- 科学時潮
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- 科学者と夜店商人
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- ファラデー Michael Faraday 1791-1867 イギリスの化学者・物理学者。塩素の液化、ベンゼンの発見、電磁誘導の法則、電気分解のファラデーの法則、ファラデー効果および反磁性物質などを発見。電磁気現象を媒質による近接作用として、場の概念を導入、マクスウェルの電磁論の先駆をなす。主著「電気学の実験的研究」
。 - -----------------------------------
- 恐怖について
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- フロイト Sigmund Freud 1856-1939 オーストリアの精神医学者。人間の心理生活を、無意識の領域内に抑圧された性的衝動(リビドー)の働きとその制御という観点から分析することを提唱し、精神分析を創始。主著「夢判断」
「日常生活の精神病理学」 「精神分析入門」 。 - -----------------------------------
- 科学が臍をまげた話
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- 長岡半太郎 ながおか はんたろう 1865-1950 物理学者。長崎県生れ。阪大初代総長・学士院院長。土星型の原子模型を発表。光学・物理学に業績を残し、科学行政でも活躍。文化勲章。
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- 寺田先生と僕
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- 寺田寅彦 てらだ とらひこ 1878-1935 物理学者・随筆家。東京生れ。高知県人。東大教授。地球物理学を専攻。夏目漱石の門下、筆名は吉村冬彦。随筆・俳句に巧みで、藪柑子と号した。著「冬彦集」
「藪柑子集」など。 - 震災予防調査会 しんさい よぼう ちょうさかい 明治・大正時代の文部省所轄の地震研究機関。明治24年(1891)濃尾大地震のあと建議され発足。活動は明治25年より大正14年(1925)の34年間。大森房吉が精力的に活動。大正12年、関東大地震が発生し、この被害にかんがみ委員制ではなく独自の研究員と予算をもつ常設研究所設置の必要がさけばれ、大正14年、研究所発足とともに調査会は発展解消された。
(国史)
◇参照:
*書籍
(書名、雑誌名、論文名、映画・能・狂言・謡曲などの作品名)- -----------------------------------
- 科学時潮
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- 『緑の汚点』
- 『新青年』 しんせいねん 探偵小説・推理小説雑誌。月刊。大正9(1920)博文館から創刊。昭和25(1950)廃刊。江戸川乱歩・横溝正史・小栗虫太郎・久生十蘭ら、日本の探偵小説・推理小説の代表的作家を生んだ。
- 『新青年』 1928(昭和3)年1月号。
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- 科学者と夜店商人
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- 「科学画報」誠文堂新光社 1929(昭和4)年8月号
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- 恐怖について
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- 『フランケンシュタイン』 Frankenstein (1) M.シェリー作の怪奇小説。1818年刊。科学者フランケンシュタイン博士の製作した醜怪な人造人間が、博士の約束違反に腹を立て、人間の世界に拒否されて殺人に走る物語。(2) (1) の映画化作品。1931年、アメリカで製作。
- 『ぷろふいる』昭和九年(一九三四)五月号
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- 科学が臍をまげた話
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- 『新青年』 1934(昭和9)年9月号
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- 寺田先生と僕
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- 『科学ペン』
- 『吾輩は猫である』 わがはいはねこである 夏目漱石の小説。1905〜06年(明治38〜39)雑誌「ホトトギス」に発表。英語教師苦沙弥先生の飼猫を主人公として擬人体で書かれ、諷刺的な滑稽の中に文明批評を織り込む。
- 『三四郎』 さんしろう 小説。夏目漱石作。1908年(明治41)朝日新聞に連載。九州から上京した大学生小川三四郎の青春を描き、当代の文明を批評。
- 「首縊りの力学」 寺田寅彦の著。
- 『東京朝日新聞』
「私の探しているもの」 - 『東京朝日新聞』 とうきょう あさひ しんぶん 日刊新聞である『朝日新聞』の東日本地区での旧題。1888年、大阪の朝日新聞社が『めさまし新聞』を買収。
『東京朝日新聞』と改題の上、新創刊。大正期には東京五大新聞(東京日日、報知、時事、國民、東京朝日)の一角と数えられ、関東大震災では大打撃を受けるが、大阪本拠の利点を生かして立ち直り、逆に在京既存紙を揺るがす形で伸張。 (Wikipedia) - 『関東大地震調査報文』火災編 震災予防調査会の第一〇〇号。
- 「大正十二年九月一日・二日の旋風について」 寺田寅彦の著。
- 「寺田先生と僕」
『科学ペン』昭和十二年(一九三七)十二月号 海野十三(佐野昌一)の著。 - 『東京朝日新聞』 とうきょう あさひ しんぶん 日刊新聞である『朝日新聞』の東日本地区での旧題。1888年、大阪の朝日新聞社が『めさまし新聞』を買収。
◇参照:Wikipedia、
*難字、求めよ
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- 科学時潮
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- 架空線 かくうせん 支持物によって空中に架設した電線。
- ポール pole (3) 電車などが架線から電気を取り入れるための棒状のもの。トロリーポール。電車の屋根に取り付けられた電流受けの棒。
- パンタグラフ pantograph (1) 電車・電気機関車の屋上に取りつける菱形の集電装置。ばね、または圧縮空気で上下し、架線との接触面は銅すり板または炭素すり板を用いる。
- 地下鉄道 → 地下鉄
- 地下鉄 ちかてつ (地下鉄道の略) 市街地などの地下にトンネルを掘って敷設した鉄道。1863年ロンドンに初めて開通、日本では1927年東京の浅草・上野間に初めて開業。
- 特許局 とっきょきょく 特許庁の前身。
- 審決 しんけつ 審判における審理の決定。特に、公正取引委員会や特許庁が具体的事件について訴訟手続に準ずる手続を経て行う公権的判断。
- 無線電話 むせん でんわ 電線の媒介によらず、電波を利用した電話。
- 先登 せんとう (1) まっさきに敵城に登ること。まっさきに敵城に切り入ること。いちばんのり。さきがけ。先陣。(2) まっさきに到着すること。また、まっさきに物事を行うこと。
- パイロット・ランプ pilot lamp 電気回路・機器などで、開閉・運転などの状況を示すために用いる電球。いまでは発光ダイオードが多用される。
- 発足 はっそく (1) 出発すること。(2) 団体などが新設され、活動を開始すること。ほっそく。
- 気早 きばや 気の早いこと。また、そういう性質の人。せっかち。
- ラジウム・エマナチオン Radiumemanation ラドンの同位体の一つ。質量数222。ラジウム226の崩壊で生じる。
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- 科学者と夜店商人
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- さてこそ (コソは強めの助詞) (1) そうしてこそ。そのようでこそ。(2) やはり。思った通り。
- ポール・トランス 柱上変圧器。
- 変圧器 へんあつき 交流電流の電圧を変える装置。トランスフォーマー。トランス。
- 鉄心 コーア (2) 物の心(しん)に鉄を入れたもの。コア。
- コロイド colloid (ギリシア語のkolla(膠の意)に由来) 分子よりは大きいが普通の顕微鏡では見えないほど微細な粒子(コロイド粒子)が分散している状態。膠・澱粉・寒天・蛋白質の水溶液などで見られる。膠質。
- 暗界 ダークスペース
- 鵜烏 うがらす (方言)(1) 鵜(う)。(2) かわがらす、みそさざいの類。
- 大地電位 アース・ポテンシャル
- アース earth (大地・土の意) 電気装置などを地面と接続すること。また、その接続線。地球の電位と等しくさせ、また過大電流が装置に入るのを防ぐ。地絡。接地。
- ポテンシャル potential (1) 潜在する能力。可能性としての力。(2) 〔理〕粒子が力の場の中にある時、その位置エネルギーを位置の関数として表したスカラー量。ポテンシャル一定の面は力線に直交し、力はポテンシャルの微分に負号をつけたものとなる。
- いかにせん 如何にせん。(1) どうしよう。(2) どうしようもない。
- 歪力 わいりょく
〔機〕(→)応力に同じ。 - 応力 おうりょく
〔理〕(stress) 物体が荷重を受けたとき荷重に応じて物体の内部に生ずる抵抗力。その強さは物体内部にとった任意の単位面積を通して両側の部分が互いに及ぼしあう力で表される。現れ方により、圧力・張力・ずれ応力などがある。内力。歪力。 - 相対性理論 そうたいせい りろん (theory of relativity) アインシュタインが創唱した特殊相対性理論と一般相対性理論との総称。特殊相対性理論は1905年に提出され、光の媒質としてのエーテルの存在を否定、光速度がすべての観測者に対して同じ値をもつとし、また自然法則は互いに一様に運動する観測者に対して同じ形式を保つという原理をもとに組み立てられた。一般相対性理論は1915年に提出され、前者を一般化して、すべての観測者にとって法則が同形になるという要請から万有引力現象を説明。この理論によれば、時間と空間は互いに密接に結びつけられて、4次元のリーマン空間を構成する。相対論。
- セルロイド celluloid ニトロセルロースに樟脳をまぜて製した半透明のプラスチック。セ氏90度で柔軟となり、冷却すれば硬くなる。燃えやすい。玩具・フィルム・文房具・装身具などに用いられた。最近ではアセチルセルロース系のプラスチックを多く用い、これを不燃セルロイドと称する。
- 澄明 ちょうめい 水・空気などがすみきっていること。すみきって明るいこと。
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- 恐怖について
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- なくもがな 無くもがな (ガナは希望を表す助詞) なくてもいい。ない方がいい。あらずもがな。
- 白髪鬼 はくはつき
- 慄然 りつぜん 恐ろしさにおののきふるえるさま。
- 朱盆 しゅぼん 朱を用いて塗った盆。また、朱色に塗った盆。
- 陽春 ようしゅん (1) 陽気のみちみちた春。暖かく明るい春。
- 梁木 りょうぼく 体操用具の一種。地上に2本の高い柱を立て、その柱の頂に横木をわたし、その上を渡り歩くもの。
- 空中電気 くうちゅう でんき 空中における種々の電気現象。雷雨時・降雨時の荷電や空中電位の類。
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- 科学が臍をまげた話
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- 錬金術 れんきんじゅつ (alchemy)古代エジプトに起こり、アラビアを経てヨーロッパに伝わった原始的な化学技術。近代化学の基礎がつくられるまで全ヨーロッパを風靡、卑金属を金・銀などの貴金属に変化させたり、不老不死の万能薬を製出したりすることなどを試みた。これらに成功はしなかったが、種々の化学物質を取り扱う技術の発達を促した。
- レトルト retort (1) 蒸留などに用いる化学実験用器具の一つ。フラスコの頸の曲がった形をしている。
- 哲学者の石 → 賢者の石
- 賢者の石 けんじゃのいし 物質を金に化したり、万病を癒したりする力をもつと信じられた物質。西洋中世の錬金術師たちの探し求めたもの。
「哲学者の石」ともいう。 - 水銀 すいぎん (mercury) 金属元素の一種。元素記号Hg 原子番号80。原子量200.6。辰砂を焼いて得る。常温で液体である唯一の金属。セ氏356.6度で沸騰し、セ氏マイナス38.84度で固化する。硝酸には容易に溶解し、また、金属と合金(アマルガム)をつくることが容易である。蒸気は有毒。金の精錬、温度計、各種の水銀塩(昇汞・甘汞など)
・火薬(雷汞) ・硫化水銀(赤色顔料)などの製造に用いる。 - α粒子 アルファ りゅうし アルファ線として放射性物質の原子核から放出される粒子。その本体はヘリウム原子核、すなわち陽子2個と中性子2個とが結合した粒子。電気素量の2倍に等しい正電荷を帯び、陽子の約4倍の質量を持つ。
- 宇宙線 うちゅうせん (cosmic rays) 宇宙空間に存在する高エネルギーの放射線、およびそれらが地球大気に入射してできる放射線。前者は、大部分が陽子で、他はヘリウム・炭素・窒素などの原子核。後者は陽子・中性子・中間子などの透過力の大きい硬成分と、電子・ガンマ線などの透過力の小さい軟成分とから成る。宇宙線の起源は超新星の爆発によると考えられている。
- 人造宇宙線 じんぞう うちゅうせん
- 超短波 ちょうたんぱ 波長1〜10mの電波。テレビ放送・FM放送・近距離通信・レーダーなどに利用。メートル波。略号VHF。
- 短波 たんぱ 一般には波長の短い電波。狭義には波長10〜100mの電波。電離層のF層反射によって遠距離まで伝わるので国際通信・国際放送に用いる。略号HF
- 電気天井 でんき てんじょう → 電離層か
- 電離層 でんりそう 大気の上層にあって電波を反射する層。太陽からの紫外線によって大気の分子が電離した結果生じたもので、長距離無線電信はこのため可能になる。高さ約60kmにあるものをD層、約100kmにあるものをE層、200〜400kmにあるものをF層という。ケネリー‐ヘビサイド層。
- 探照灯 たんしょうとう サーチライトのこと。
- 面妖 めんよう (
「めいよう(名誉) 」の転。 「面妖」は当て字) 不思議なこと。奇妙なこと。めんよ。 - 金城鉄壁 きんじょう てっぺき 防備のきわめて堅固な城。きわめて堅固な物事のたとえ。
- X光線 → X線
- X線 エックス せん (X-rays) 電磁波の一種。ふつう波長が0.01〜10ナノmの間。1895年レントゲンが発見、未知の線という意味でX線と命名。物質透過能力・電離作用・写真感光作用・化学作用・生理作用などが強く、干渉・回折などの現象を生じるので、結晶構造の研究、スペクトル分析、医療などに応用。レントゲン線。
- 羈絆 きはん (1) 牛馬などを綱などでつなぎとめること。また、その物。(2) 行動を束縛するもの。足手まといになるもの。ほだし。きずな。
- デアテルミー ディアテルミー/ジアテルミー Diathermie (独)
(…を通過して)+theme(熱),透熱波療法のひとつ。超短波、マイクロウェーブ、超音波、電流などを用いた温熱療法。 (コンカタカナ) - ラジオテルミー
- 電気メス でんき メス 高周波電流を用いた外科用メス。→電気焼灼。
- 電気焼灼 でんき しょうしゃく 高周波電流で白熱したフィラメント(電気メス)を用い、皮膚・内臓の組織を焼灼して行う手術。止血も同時に行われる利点がある。
- 軍刀 ぐんとう 軍人の持つ戦闘用の刀。
- 避雷針 ひらいしん 建造物を落雷の被害から守るための装置。屋上などに金属製の棒を立て、導線で地下埋設の金属板に接続し、雷電流を地中に放電する。雷除。
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- 寺田先生と僕
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- 沖する・冲する ちゅうする 高くのぼる。
- 聾する ろうする 耳が聞こえなくなる。耳を聞こえなくする。
- 象鼻状 ぞうびじょう?
- 白気 はっき 白色の気。白色の雲気。
- 罫紙 けいし けいを引いた紙。
- 不得要領 ふとく ようりょう 要領を得ないこと。趣意の徹底しないこと。
- 応力 おうりょく
◇参照:
*後記(工作員 日記)
随筆と小作品の中から、目についたものを発表順に編集した。以下、
海野十三(本名、佐野昌一)は一八九七年(明治三〇)の生まれだから、一九二三年(大正一二)九月の関東大震災のときは二六才。Wikipedia によれば「1928年、雑誌『新青年』に掲載された探偵小説「電気風呂の怪死事件」で本格的にデビュー」とあるから、震災当時は、逓信省電気試験所へ勤務していた時期にあたるだろうか。
本文中「九月一日午前三時半頃初メテ夢見シタ」とある手紙の出だしは、内容的に不自然。誤植混入の可能性が高い。地震発生が正午だから、
おなじく本文中に「先生の出してゐられる旋風の特性を愛するノート」という表現がある。寺田寅彦のことだから擬人的に「旋風の特性を愛する」ということもありえなくはないかもしれないが、ここはすなおに「愛する」は「考する」の誤植ではなかろうかと。
町名・寺社名などが詳細に出てくるので、Inkscape の習作をかねて地図を書き起こしてみた。
すると思いがけず、海野十三宅から隅田川をはさんだ対岸、真向かいに幸田露伴宅と蝸牛庵のあったことを発見。さらにさらに、同じく隅田川対岸の南およそ一.五キロのところに堀 辰雄宅のあったことを知る。震災当時、露伴は五六才、堀 辰雄は一九才。露伴は「震は
なお、吾妻橋から下流一キロ弱のところに陸軍被服廠跡があり、現、両国国技館の北側になる。
*次週予告
第五巻 第三八号
電気物語(一)石原 純
第五巻 第三八号は、
二〇一三年四月一三日(土)発行予定です。
定価:200円
T-Time マガジン 週刊ミルクティー* 第五巻 第三七号
寺田先生と僕(他)海野十三
発行:二〇一三年四月六日(土)
編集:しだひろし / PoorBook G3'99
http://www33.atwiki.jp/asterisk99/
出版:*99 出版
〒994-0024 山形県天童市鎌田2丁目
アパートメント山口A−202
販売:DL-MARKET
※ T-Timeは(株)ボイジャーの商標・製品です。
- T-Time マガジン 週刊ミルクティー* *99 出版
- バックナンバー
※ おわびと訂正
長らく、創刊号と第一巻第六号の url 記述が誤っていたことに気がつきませんでした。アクセスを試みてくださったみなさま、申しわけありませんでした。(しょぼーん)/2012.3.2 しだ
- 第一巻
- 創刊号 竹取物語 和田万吉
- 第二号 竹取物語小論 島津久基(210円)
- 第三号 竹取物語の再検討(一)橘 純一(210円)
- 第四号 竹取物語の再検討(二)橘 純一(210円)
「絵合」 『源氏物語』より 紫式部・与謝野晶子(訳) - 第五号
『国文学の新考察』より 島津久基(210円)- 昔物語と歌物語 / 古代・中世の「作り物語」/
- 平安朝文学の弾力 / 散逸物語三つ
- 第六号 特集 コロボックル考 石器時代総論要領 / コロボックル北海道に住みしなるべし 坪井正五郎 マナイタのばけた話 小熊秀雄 親しく見聞したアイヌの生活 / 風に乗って来るコロポックル 宮本百合子
- 第七号 コロボックル風俗考(一〜三)坪井正五郎(210円)
- シペ物語 / カナメの跡 工藤梅次郎
- 第八号 コロボックル風俗考(四〜六)坪井正五郎(210円)
- 第九号 コロボックル風俗考(七〜十)坪井正五郎(210円)
- 第十号 特集 コロボックル考 喜田貞吉
- 日本太古の民族について / 日本民族概論 / 土蜘蛛種族論につきて
- 第十一号 特集 コロボックル考 喜田貞吉
- 東北民族研究序論 / 猪名部と佐伯部 / 吉野の国巣と国樔部
- 第十二号 日高見国の研究 喜田貞吉
- 第十三号 夷俘・俘囚の考 喜田貞吉
- 第十四号 東人考 喜田貞吉
- 第十五号 奥州における御館藤原氏 喜田貞吉
- 第十六号 考古学と古代史 喜田貞吉
- 第十七号 特集 考古学 喜田貞吉
- 遺物・遺蹟と歴史研究 / 日本における史前時代の歴史研究について / 奥羽北部の石器時代文化における古代シナ文化の影響について
- 第十八号 特集 考古学 喜田貞吉
- 日本石器時代の終末期について /「あばた」も「えくぼ」、
「えくぼ」も「あばた」― ―日本石器時代終末期― ― - 第十九号 特集 考古学 喜田貞吉
- 本邦における一種の古代文明 ―
―銅鐸に関する管見― ― / - 銅鐸民族研究の一断片
- 第二〇号 特集 考古学 喜田貞吉
「鐵」の字の古体と古代の文化 / 石上神宮の神宝七枝刀 / - 八坂瓊之曲玉考
- 第二一号 博物館(一)浜田青陵
- 第二二号 博物館(二)浜田青陵
- 第二三号 博物館(三)浜田青陵
- 第二四号 博物館(四)浜田青陵
- 第二五号 博物館(五)浜田青陵
- 第二六号 墨子(一)幸田露伴
- 第二七号 墨子(二)幸田露伴
- 第二八号 墨子(三)幸田露伴
- 第二九号 道教について(一)幸田露伴
- 第三〇号 道教について(二)幸田露伴
- 第三一号 道教について(三)幸田露伴
- 第三二号 光をかかぐる人々(一)徳永 直
- 第三三号 光をかかぐる人々(二)徳永 直
- 第三四号 東洋人の発明 桑原隲蔵
- 第三五号 堤中納言物語(一)池田亀鑑(訳)
- 第三六号 堤中納言物語(二)池田亀鑑(訳)
- 第三七号 堤中納言物語(三)池田亀鑑(訳)
- 第三八号 歌の話(一)折口信夫
- 第三九号 歌の話(二)折口信夫
- 第四〇号 歌の話(三)
・花の話 折口信夫- 第四一号 枕詞と序詞(一)福井久蔵
- 第四二号 枕詞と序詞(二)福井久蔵
- 第四三号 本朝変態葬礼史 / 死体と民俗 中山太郎
- 第四四号 特集 おっぱい接吻
- 乳房の室 / 女の情欲を笑う 小熊秀雄
- 女体 芥川龍之介
- 接吻 / 接吻の後 北原白秋
- 接吻 斎藤茂吉
- 第四五号 幕末志士の歌 森 繁夫
- 第四六号 特集 フィクション・サムライ 愛国歌小観 / 愛国百人一首に関連して / 愛国百人一首評釈 斎藤茂吉
- 第四七号
「侍」字訓義考 / 多賀祢考 安藤正次- 第四八号 幣束から旗さし物へ / ゴロツキの話 折口信夫
- 第四九号 平将門 幸田露伴
- 第五〇号 光をかかぐる人々(三)徳永 直
- 第五一号 光をかかぐる人々(四)徳永 直
- 第五二号
「印刷文化」について 徳永 直- 書籍の風俗 恩地孝四郎
- 第二巻
- 第一号 奇巌城(一)モーリス・ルブラン
- 第二号 奇巌城(二)モーリス・ルブラン
- 第三号 美し姫と怪獣 / 長ぐつをはいた猫 楠山正雄(訳)
- 第四号 毒と迷信 / 若水の話 / 麻薬・自殺・宗教 小酒井不木 / 折口信夫 / 坂口安吾
- 第五号 空襲警報 / 水の女 / 支流 海野十三 / 折口信夫 / 斎藤茂吉
- 第六号 新羅人の武士的精神について 池内 宏
- 第七号 新羅の花郎について 池内 宏
- 第八号 震災日誌 / 震災後記 喜田貞吉
- 第九号 セロ弾きのゴーシュ / なめとこ山の熊 宮沢賢治
- 第一〇号 風の又三郎 宮沢賢治
- 第一一号 能久親王事跡(一)森 林太郎
- 第一二号 能久親王事跡(二)森 林太郎
- 第一三号 能久親王事跡(三)森 林太郎
- 第一四号 能久親王事跡(四)森 林太郎
- 第一五号 能久親王事跡(五)森 林太郎
- 第一六号 能久親王事跡(六)森 林太郎
- 第一七号 赤毛連盟 コナン・ドイル
- 第一八号 ボヘミアの醜聞 コナン・ドイル
- 第一九号 グロリア・スコット号 コナン・ドイル
- 第二〇号 暗号舞踏人の謎 コナン・ドイル
- 第二一号 蝦夷とコロボックルとの異同を論ず 喜田貞吉
- 第二二号 コロポックル説の誤謬を論ず 上・下 河野常吉
- 第二三号 慶長年間の朝日連峰通路について 佐藤栄太
- 第二四号 まれびとの歴史 /「とこよ」と「まれびと」と 折口信夫
- 第二五号 払田柵跡について二、三の考察 / 山形県本楯発見の柵跡について 喜田貞吉
- 第二六号 日本天変地異記 田中貢太郎
- 第二七号 種山ヶ原 / イギリス海岸 宮沢賢治
- 第二八号 翁の発生 / 鬼の話 折口信夫
- 第二九号 生物の歴史(一)石川千代松
- 第三〇号 生物の歴史(二)石川千代松
- 第三一号 生物の歴史(三)石川千代松
- 第三二号 生物の歴史(四)石川千代松
- 第三三号 特集 ひなまつり
- 雛 芥川龍之介 / 雛がたり 泉鏡花 / ひなまつりの話 折口信夫
- 第三四号 特集 ひなまつり
- 人形の話 / 偶人信仰の民俗化並びに伝説化せる道 折口信夫
- 第三五号 右大臣実朝(一)太宰 治
- 第三六号 右大臣実朝(二)太宰 治
- 第三七号 右大臣実朝(三)太宰 治
- 第三八号 清河八郎(一)大川周明
- 第三九号 清河八郎(二)大川周明
- 第四〇号 清河八郎(三)大川周明
- 第四一号 清河八郎(四)大川周明
- 第四二号 清河八郎(五)大川周明
- 第四三号 清河八郎(六)大川周明
- 第四四号 道鏡皇胤論について 喜田貞吉
- 第四五号 火葬と大蔵 / 人身御供と人柱 喜田貞吉
- 第四六号 手長と足長 / くぐつ名義考 喜田貞吉
- 第四七号
「日本民族」とは何ぞや / 本州における蝦夷の末路 喜田貞吉- 第四八号 若草物語(一)L.M. オルコット
- 第四九号 若草物語(二)L.M. オルコット
- 第五〇号 若草物語(三)L.M. オルコット
- 第五一号 若草物語(四)L.M. オルコット
- 第五二号 若草物語(五)L.M. オルコット
- 第五三号 二人の女歌人 / 東北の家 片山広子
- 第三巻
- 第一号 星と空の話(一)山本一清
- 第二号 星と空の話(二)山本一清
- 第三号 星と空の話(三)山本一清
- 第四号 獅子舞雑考 / 穀神としての牛に関する民俗 中山太郎
- 第五号 鹿踊りのはじまり 宮沢賢治 / 奥羽地方のシシ踊りと鹿供養 喜田貞吉
- 第六号 魏志倭人伝 / 後漢書倭伝 / 宋書倭国伝 / 隋書倭国伝
- 第七号 卑弥呼考(一)内藤湖南
- 第八号 卑弥呼考(二)内藤湖南
- 第九号 卑弥呼考(三)内藤湖南
- 第一〇号 最古日本の女性生活の根底 / 稲むらの陰にて 折口信夫
- 第一一号 瀬戸内海の潮と潮流(他三編)寺田寅彦
- 瀬戸内海の潮と潮流 / コーヒー哲学序説 /
- 神話と地球物理学 / ウジの効用
- 第一二号 日本人の自然観 / 天文と俳句 寺田寅彦
- 第一三号 倭女王卑弥呼考(一)白鳥庫吉
- 第一四号 倭女王卑弥呼考(二)白鳥庫吉
- 第一五号 倭奴国および邪馬台国に関する誤解 他 喜田貞吉
- 倭奴国と倭面土国および倭国とについて稲葉君の反問に答う /
- 倭奴国および邪馬台国に関する誤解
- 第一六号 初雪 モーパッサン 秋田 滋(訳)
- 第一七号 高山の雪 小島烏水
- 第一八号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(一)徳永 直
- 第一九号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(二)徳永 直
- 第二〇号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(三)徳永 直
- 第二一号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(四)徳永 直
- 第二二号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(五)徳永 直
- 第二三号 銀河鉄道の夜(一)宮沢賢治
- 第二四号 銀河鉄道の夜(二)宮沢賢治
- 第二五号 ドングリと山猫 / 雪渡り 宮沢賢治
- 第二六号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(六)徳永 直
- 第二七号 特集 黒川能・春日若宮御祭 折口信夫
- 黒川能・観点の置き所 / 村で見た黒川能
- 能舞台の解説 / 春日若宮御祭の研究
- 第二八号 面とペルソナ / 人物埴輪の眼 他 和辻哲郎
- 面とペルソナ / 文楽座の人形芝居
- 能面の様式 / 人物埴輪の眼
- 第二九号 火山の話 今村明恒
- 第三〇号 現代語訳『古事記』
(一)上巻(前編) 武田祐吉(訳)- 第三一号 現代語訳『古事記』
(二)上巻(後編) 武田祐吉(訳)- 第三二号 現代語訳『古事記』
(三)中巻(前編) 武田祐吉(訳)- 第三三号 現代語訳『古事記』
(四)中巻(後編) 武田祐吉(訳)- 第三四号 山椒大夫 森 鴎外
- 第三五号 地震の話(一)今村明恒
- 第三六号 地震の話(二)今村明恒
- 第三七号 津波と人間 / 天災と国防 / 災難雑考 寺田寅彦
- 第三八号 春雪の出羽路の三日 喜田貞吉
- 第三九号 キュリー夫人 / はるかな道(他)宮本百合子
- 第四〇号 大正十二年九月一日よりの東京・横浜間 大震火災についての記録 / 私の覚え書 宮本百合子
- 第四一号 グスコーブドリの伝記 宮沢賢治
- 第四二号 ラジウムの雁 / シグナルとシグナレス(他)宮沢賢治
- 第四三号 智恵子抄(一)高村光太郎
- 第四四号 智恵子抄(二)高村光太郎
- 第四五号 ヴェスヴィオ山 / 日本大地震(他)斎藤茂吉
- 第四六号 上代肉食考 / 青屋考 喜田貞吉
- 第四七号 地震雑感 / 静岡地震被害見学記(他)寺田寅彦
- 第四八号 自然現象の予報 / 火山の名について 寺田寅彦
- 第四九号 地震の国(一)今村明恒
- 第五〇号 地震の国(二)今村明恒
- 第五一号 現代語訳『古事記』
(五)下巻(前編) 武田祐吉(訳)- 第五二号 現代語訳『古事記』
(六)下巻(後編) 武田祐吉(訳)
- 第四巻
- 第一号 日本昔話集 沖縄編(一)伊波普猷・前川千帆(絵)
- 第二号 日本昔話集 沖縄編(二)伊波普猷
- 第三号 アインシュタイン(一)寺田寅彦
- 物質とエネルギー / 科学上における権威の価値と弊害 /
- アインシュタインの教育観
- 第四号 アインシュタイン(二)寺田寅彦
- アインシュタイン / 相対性原理側面観
- 第五号 作家のみた科学者の文学的活動 / 科学の常識のため 宮本百合子
- 第六号 地震の国(三)今村明恒
- 第七号 地震の国(四)今村明恒
- 第八号 地震の国(五)今村明恒
- 第九号 地震の国(六)今村明恒
- 第一〇号 土神と狐 / フランドン農学校の豚 宮沢賢治
- 第一一号 地震学の角度から見た城輪柵趾 今村明恒
- 第一二号 庄内と日高見(一)喜田貞吉
- 第一三号 庄内と日高見(二)喜田貞吉
- 第一四号 庄内と日高見(三)喜田貞吉
- 第一五号 私は海をだきしめてゐたい / 安吾巷談・ストリップ罵倒 坂口安吾
- 第一六号 三筋町界隈 / 孫 斎藤茂吉
- 第一七号 原子力の管理(他)仁科芳雄
- 原子力の管理 / 日本再建と科学 / 国民の人格向上と科学技術 /
- ユネスコと科学
- 第一八号 J・J・トムソン伝(他)長岡半太郎
- J・J・トムソン伝 / アインシュタイン博士のこと
- 第一九号 原子核探求の思い出(他)長岡半太郎
- 総合研究の必要 / 基礎研究とその応用 / 原子核探求の思い出
- 第二〇号 蒲生氏郷(一)幸田露伴
- 第二一号 蒲生氏郷(二)幸田露伴
- 第二二号 蒲生氏郷(三)幸田露伴
- 第二三号 科学の不思議(一)アンリ・ファーブル
- 第二四号 科学の不思議(二)アンリ・ファーブル
- 第二五号 ラザフォード卿を憶う(他)長岡半太郎
- ラザフォード卿を憶う / ノーベル小伝とノーベル賞 / 湯川博士の受賞を祝す
- 第二六号 追遠記 / わたしの子ども時分 伊波普猷
- 第二七号 ユタの歴史的研究 伊波普猷
- 第二八号 科学の不思議(三)アンリ・ファーブル
- 第二九号 南島の黥 / 琉球女人の被服 伊波普猷
- 第三〇号
『古事記』解説 / 上代人の民族信仰 武田祐吉・宇野円空 - 第三一号 科学の不思議(四)アンリ・ファーブル
- 第三二号 科学の不思議(五)アンリ・ファーブル
- 第三三号 厄年と etc. / 断水の日 / 塵埃と光 寺田寅彦
- 第三四号 石油ランプ / 流言蜚語 / 時事雑感 寺田寅彦
- 第三五号 火事教育 / 函館の大火について 寺田寅彦
- 第三六号 台風雑俎 / 震災日記より 寺田寅彦
- 第三七号 火事とポチ / 水害雑録 有島武郎・伊藤左千夫
- 第三八号 特集・安達が原の黒塚 楠山正雄・喜田貞吉・中山太郎
- 第三九号 大地震調査日記(一)今村明恒
- 第四〇号 大地震調査日記(二)今村明恒
- 第四一号 大地震調査日記(続)今村明恒
- 第四二号 科学の不思議(六)アンリ・ファーブル
- 第四三号 科学の不思議(七)アンリ・ファーブル
- 第四四号 震災の記 / 指輪一つ 岡本綺堂
- 第四五号 仙台五色筆 / ランス紀行 岡本綺堂
- 第四六号 東洋歴史物語(一)藤田豊八
- 第四七号 東洋歴史物語(二)藤田豊八
- 第四八号 東洋歴史物語(三)藤田豊八
- 第四九号 東洋歴史物語(四)藤田豊八
- 第五〇号 東洋歴史物語(五)藤田豊八
- 第五一号 科学の不思議(八)アンリ・ファーブル
- 第五二号 科学の不思議(九)アンリ・ファーブル
- 第五巻
- 第一号 校註『古事記』
(一) 武田祐吉- 第二号 校註『古事記』
(二) 武田祐吉- 第三号 校註『古事記』
(三) 武田祐吉- 第四号 兜 / 島原の夢 / 昔の小学生より / 三崎町の原 岡本綺堂
- 第五号 新旧東京雑題 / 人形の趣味(他)岡本綺堂
- 第六号 大震火災記 鈴木三重吉
- 第七号 校註『古事記』
(四) 武田祐吉- 第八号 校註『古事記』
(五) 武田祐吉- 第九号 校註『古事記』
(六) 武田祐吉- 第一〇号 校註『古事記』
(七) 武田祐吉- 第一一号 大正十二年九月一日の大震に際して(他)芥川龍之介
- オウム―
―大震覚え書きの一つ― ― - 第一二号 日本歴史物語〈上〉
(一) 喜田貞吉- 第一三号 日本歴史物語〈上〉
(二) 喜田貞吉- 第一四号 日本歴史物語〈上〉
(三) 喜田貞吉- 第一五号 日本歴史物語〈上〉
(四) 喜田貞吉- 第一六号 校註『古事記』
(八) 武田祐吉- 第一七号 校註『古事記』
(九) 武田祐吉- 第一八号 校註『古事記』
(一〇) 武田祐吉- 第一九号 校註『古事記』
(一一) 武田祐吉- 語句索引 / 歌謡各句索引
- 第二〇号 日本歴史物語〈上〉
(五) 喜田貞吉- 第二一号 日本歴史物語〈上〉
(六) 喜田貞吉- 第二二号 日本歴史物語〈上〉索引 喜田貞吉
- 語句索引 / 人名索引 / 地名一覧
- 第二三号 クリスマスの贈り物/街の子/少年・春 竹久夢二
- 第二四号 風立ちぬ(一)堀 辰雄
- 第二五号 風立ちぬ(二)堀 辰雄
- 第二六号 風立ちぬ(三)堀 辰雄
- 第二七号 山の科学・山と川(一)今井半次郎
- 第二八号 山の科学・山と川(二)今井半次郎
- 第二九号 山の科学・山と川(三)今井半次郎
- 第五巻 第三〇号 菜穂子(一)堀 辰雄
- 楡(にれ)の家
- 第一部
- それから一週間ばかりたった、ある日の午後だった。わたしの別荘の裏の、雑木林の中で自動車の爆音らしいものがおこった。車などの入ってこられそうもないところだのに、誰がそんなところに自動車を乗り入れたのだろう、道でも間違えたのかしらと思いながら、ちょうどわたしは二階の部屋にいたので窓から見おろすと、雑木林の中にはさまってとうとう身動きがとれなくなってしまっている自動車の中から、森さんが一人で降りてこられた。そしてわたしのいる窓のほうをお見上げになったが、ちょうど一本の楡の木の陰になって、むこうではわたしにお気づきにならないらしかった。それに、うちの庭と、いまあの方の立っていらっしゃる場所との間には、薄(すすき)だの、細かい花を咲かせた灌木だのが一面においしげっていた。―
―そのため、間違った道へ自動車を乗り入られたあの方は、わたしの家のすぐ裏の、ついそこまで来ていながら、それらに遮られて、いつまでもこちらへいらっしゃれずにいた。それがわたしには心なしか、なんだかお一人でわたしのところへいらっしゃるのを躊躇なさっていられるようにも思えた。
- 第五巻 第三一号 菜穂子(二)堀 辰雄
- 楡(にれ)の家
- 第二部
- 菜穂子の追記
- (略)……そのときふと、こういう気がわたしにされてきた。じつはそういう人たち―
―いわば純粋な第三者の目に、もっとも生き生きと映(うつ)っているだろうおそらくはしあわせな奥様としてのわたしだけがこの世に実在しているので、なにかと絶えず生の不安におびやかされているわたしのもう一つの姿は、わたしが自分勝手に作り上げている架空の姿にすぎないのではないか。 ……今日、おようさんを見たときから、わたしにそんな考えが萌(きざ)してきだしていたのだと見える。おようさんにはおようさん自身が、どんな姿で感ぜられているか知らない。しかし、わたしにはおようさんは勝ち気な性分で、自分の背負っている運命なんぞはなんでもないと思っているような人に見える。おそらくは誰の目にもそうと見えるにちがいない。そんなふうに、誰の目にもはっきりそうと見えるその人の姿だけがこの世に実在しているのではないか。そうすると、わたしだってもそれは人生なかばにして夫に死別し、その後は多少さびしい生涯だったが、ともかくも二人の子どもを立派に育てあげた堅実な寡婦(かふ) 、 ― ―それだけがわたしの本来の姿で、そのほかの姿、殊にこの手帳に描かれてあるようなわたしの悲劇的な姿なんぞは、ほんの気まぐれな仮象(かしょう)にしかすぎないのだ。この手帳さえなければ、そんなわたしはこの地上から永久に姿を消してしまう。そうだ、こんなものはひと思いに焼いてしまうほかはない。ほんとうに、いますぐにも焼いてしまおう。 …… - それが夕方の散歩から帰ってきたときからの、わたしの決心だったのだ。
- 第五巻 第三二号 菜穂子(三)堀 辰雄
- 菜穂子 一〜十一
- その輝かしい少年の日々は、七つのとき両親を失くした明をひきとって育ててくれた独身者の叔母の小さな別荘のあった信州のO村と、そこですごした数回の夏休みと、その村の隣人であった三村家の人々、
― ―ことに彼と同じ年の菜穂子とがその中心になっていた。明と菜穂子とはよくテニスをしに行ったり、自転車に乗って遠乗りをしてきたりした。が、そのころからすでに、本能的に夢を見ようとする少年と、反対にそれから目醒めようとする少女とが、その村を舞台にして、たがいに見えつ隠れつしながら真剣に鬼ごっこをしていたのだった。そしていつもその鬼ごっこから置きざりにされるのは少年のほうであった。 …… - 「かわいそうな菜穂子。
」それでもときどき彼女は、そんな一人でいい気になっているような自分をあわれむように独り言をいうこともあった。 「おまえがそんなに、おまえのまわりから人々を突き退けて大事そうにかかえこんでいるおまえ自身が、そんなにおまえにはいいのか。これこそ自分自身だと信んじこんで、そんなにしてまで守っていたものが、他日気がついてみたら、いつのまにか空虚だったというような目になんぞ逢ったりするのではないか……」 - 彼女はそういうとき、そんな不本意な考えから自分をそらせるためには、窓の外へ目を持って行きさえすればいいことを知っていた。
- そこでは風がたえず木々の葉をいい匂いをさせたり、濃く淡く葉裏を返したりしながら、ざわめかせていた。
「ああ、あのたくさんの木々。 ……ああ、なんていい香りなんだろう……」
- 第五巻 第三三号 菜穂子(四)堀 辰雄
- 菜穂子 十二〜十八
- 菜穂子はそのお辞儀のしかたを見ると、突然、明が彼女の前に立ち現われたときから、何かしら自分自身に佯(いつわ)っていた感情のあることを鋭く自覚した。そしてなにかそれを悔いるかのように、いままでにないやわらかな調子で最後の言葉をかけた。
- 「ほんとうにあなたも、ご無理なさらないでね……」
- 「ええ……」明も元気そうに答えながら、最後にもう一度、彼女のほうへ大きい眼をそそいで、扉の外へ出て行った。
- やがて扉の向こうに、明がふたたびはげしく咳こみながら立ち去って行くらしい気配がした。菜穂子は一人になると、さっきから心に滲み出していた後悔らしいものを急にはっきりと感じ出した。
- 第五巻 第三四号 菜穂子(五)堀 辰雄
- 菜穂子 十九〜二十四
- 一丁ほど裏街道を行ったところで、傘をかたむけながらこちらへやってくる一人の雪袴(たっつけ)の女とすれちがった。
- 「まあ、黒川さんじゃありませんか。
」急にその若い女が言葉をかけた。 「どこへいらっしゃるの?」 - 菜穂子はおどろいてふり返った。襟巻(えりまき)ですっかり顔を包み、いかにも土地っ子らしい雪袴姿をした相手は、彼女の病棟付きの看護婦だった。
- 「ちょっとそこまで……」彼女は間(ま)が悪そうに笑顔を上げたが、吹きつける雪のために思わず顔をふせた。
- 「早くお帰りになってね。
」相手は念を押すように言った。 - 菜穂子は顔をふせたまま、黙ってうなずいて見せた。
- それからまた一丁ほど雪を頭から浴びながら歩いて、やっと踏み切りのところまできたとき、菜穂子はよっぽどこのまま療養所へ引き返そうかと思った。彼女はしばらく立ち止まって、目の粗い毛糸の手袋をした手で髪の毛から雪を払い落していたが、ふとさっき、こんな向こう見ずの自分をつかまえてもなんともうるさく言わなかったあの気さくな看護婦が、ロシアの女のように襟巻でクルクルと顔を包んでいたのを思い出すと、自分もそれを真似て襟巻を頭からすっぽりとかぶった。それから彼女は、出逢ったのがほんとうにあの看護婦でよかったと思いながら、ふたたび雪を全身にあびて停車場のほうへ歩き出した。
- 北向きの吹きさらしな停車場は、一方から猛烈に雪をふきつけられるので片側だけ真白になっていた。その建物の陰に駐まっている一台の古自動車も、やはり片側だけ雪にうまっていた。
- 第五巻 第三五号 山の科学・湖と沼(一)田中阿歌麿
- 湖沼の伝説
- (一)支笏湖とマス
- (二)姉沼と妹沼
- (三)田沢湖の龍神
- (四)榛名湖と女中のカニ
- (五)野尻湖と大カニ
- (六)諏訪湖と御神渡り
- (七)霞ヶ浦と女神のお琴
- (八)余吾湖〔余呉湖か〕と羽衣
- (九)湖山池と暴慢な長者
- (一〇)大浪池
- (一一)池田湖
- 湖沼の研究
- (一)湖沼のできたわけ
- (二)湖盆の形態
- (三)湖と沼
- (四)湖盆底質
- (五)湖盆の涵養
- (六)湖面の水位
- (七)波浪
- (八)水色
- (一)湖沼のできたわけ
- 湖沼はどうしてできて、かく、まんまんと水をたたえているのかということは、なかなか複雑で、一口にいうことはできません。多くの湖沼は二つ以上の原因でできたものです。日本では、いちばん数の多いのは、火山の国だけに火山に関係してできたものです。そのうちには火口湖といって、九州の霧島火山に例があるとおり、噴火口に水がたまったもの、また赤城小沼〔
「この」か〕のように爆裂火口に水をたたえたものもあります。箱根芦ノ湖・榛名湖もやはり火山関係の湖ですが、これは火口原湖といって、中央火口丘と、ぐるりを取りかこんだ外輪山との間に水がたまったのです。 - そのほか、溶岩が流れて谷や川をせきとめてできた湖沼もあります。溶岩堰止湖といい、富士山の北麓の湖沼や、日光中宮祠湖〔中禅寺湖〕または、大正年間(一九一二〜一九二六)にできた長野県上高地の大正池などはそれです。また、溶岩その他の噴出物が不規則に分布されて、その凹地にできた湖沼もあります。これには面積のあまり大きなものはありませんが、その付近には、同じ原因でできた小湖が数多くちらばっているのが常です。八ヶ岳火山の活動による長野県の松原湖とその付近の湖沼とは、その適例です。
- つぎには土地の陥没による陥没湖というのがあります。これはいずれも湖岸が切り立っていて、湖岸下からすぐ深くなっています。鹿児島県の池田湖、北海道の洞爺湖などは、これに属する湖です。
(略) - なお、断層の一部に水をたたえた断層湖というものもあります。長野県の青木・中綱・木崎の三湖や琵琶湖などがそれであり、また、川や谷の一部が山崩れの土砂でせきとめられた湖沼もあります。そのうちには地震のための山崩れでできた長野県の柳久保池のようなものもあります。その形式は溶岩堰止湖と同一ですが、ただ材料がちがっているわけです。
- 第五巻 第三六号 山の科学・湖と沼(二)田中阿歌麿
- 湖沼の研究
- (九)透明度
- (一〇)水温
- (一一)湖面の結氷
- (一二)水質
- (一三)変遷と消滅
- 湖沼の利用
- (一)飲料水
- (二)交通
- (三)漁業
- (四)農業
- (五)工業
- (六)発電水力
- (四)農業
- 川の水は旱魃(かんばつ)が続くとすっかり減りますが、湖沼の水にはたいしてそういう変化がありません。湖沼の水を水田の灌漑(かんがい)に使うことは、農耕のおこったはじめからおこなわれていたにちがいありません。現今でも、ほとんどそれに使っていない湖沼はないくらいです。湖沼はそれだけ水が豊富であるばかりでなく、大洪水のときなどには一時に湖に水がたまるので、耕地に水害をおよぼすことが少なくなります。仙台付近の平地にある広淵沼や品井沼、あるいは関東平野の湖沼、または淀川流域にある巨椋の池〔おぐらのいけ〕などは、この水害をなくするのにいちじるしく役立っています。また宍道湖・諏訪湖・野尻湖などのごとく湖沼の水には肥料分の多いのがあって、耕作地の肥料の一部分をおぎなっています。
- また、渓谷の水は非常に冷たいので、それを灌漑に使うと稲の発育を害しますが、湖沼の水は相当に熱をたもっているために、そういう害がありません。そのためにひどく冷たい河水は、一時湖沼または溜池にため入れて、それから灌漑に使うように工夫されています。また、浅い湖沼を干して田地を作ることもあります。湖底に沈積した泥土はいい肥料になるので、この事業も非常に有利なわけです。以上のとおり湖沼は農業方面にも非常に役立つのですが、いま言った浅い湖沼を干すについてはいろいろ注意しなければならないことがあります。それは、湖沼に洪水のときなどは水を一時たたえる働きをするのですから、それを干すとその働きがなくなり、したがってできた田はもちろんのこと、ほかの耕地までが洪水で荒らされることがあります。それでこの計画には、湖沼ができている理由と現在の状態をよく調査してからかからないと、取り返しのつかない失敗をまねくことがあります。
※ 定価二〇〇円。価格は税込みです。
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