海野十三 うんの じゅうざ
1897-1949(1897.12.26-1949.5.17)
小説家。本名、佐野昌一。徳島市生れ。早大理工学部卒。SF的色彩の濃い探偵小説や軍事小説を著す。作「深夜の市長」「地球盗難」など。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。


もくじ 
恐怖について / 寺田先生と僕(他)海野十三


※ 製作環境
 ・Macintosh iBook、Mac OS 9.2.2、T-Time 2.3.1
 ・ポメラ DM100、ソニー Reader PRS-T2
 ・ソーラーパネル GOAL ZERO NOMAD 7
  (ガイド10プラス)
※ 週刊ミルクティー*は、JIS X 0213 文字を使用しています。
※ この作品は青空文庫にて公開中です。著作権保護期間を経過したパブリック・ドメイン作品につき、引用・印刷および転載・翻訳・翻案・朗読などの二次利用は自由です。
(c) Copyright this work is public domain.

*凡例〔現代表記版〕
  • ( ):小書き。 〈 〉:割り注。
  • 〔 〕:底本の編集者もしくは、しだによる注。
  • 一、漢字、かなづかい、漢字の送り、読みは現代表記に改めました。
  •    例、云う → いう / 言う
  •      処  → ところ / 所
  •      有つ → 持つ
  •      這入る → 入る
  •      円く → 丸く
  •      室  → 部屋
  •      にっぽんかい → にほんかい
  •      たれ → だれ
  •      河  → 川
  • 一、同音異義の一部のひらがなを、便宜、漢字に改めました。
  •    例、いって → 行って / 言って
  •      きいた → 聞いた / 効いた
  • 一、若干の句読点を改めました。適宜、ルビや中黒や感嘆・疑問符をおぎないました。一部、改行と行頭の字下げを改めました。
  • 一、漢数字の表記を一部、改めました。
  •    例、七百二戸 → 七〇二戸
  •      二萬六千十一 → 二万六〇一一
  • 一、ひらがなに傍点は、一部カタカナに改めました。
  • 一、カタカナ漢字混用文は、ひらがな漢字混用文に改めました。濁点・半濁点のない仮名は、濁点・半濁点をおぎないました。
  • 一、和暦にはカッコ書きで西暦をおぎないました。年次のみのばあいは単純な置き換えにとどめ、月日のわかるばあいには陰暦・陽暦の補正をおこないました。
  • 一、和歌・俳句・短歌は、音節ごとに半角スペースで句切りました。
  • 一、表や図版キャプションなどの組版は、便宜、改めました。
  • 一、書名・雑誌名は『 』、論文・記事名および会話文は「 」で示しました。
  • 一、「今から○○年前」のような経過年数の表記や、時価金額の表記、郡域・国域など地域の帰属、法人・企業など組織の名称は、底本当時のままにしました。
  • 一、差別的表現・好ましくない表現はそのままとしました。

*尺貫・度量衡の一覧
  • [長さ]
  • 寸 すん  一寸=約3cm。
  • 尺 しゃく 一尺=約30cm。
  • 丈 じょう (1) 一丈=約3m。尺の10倍。(2) 周尺で、約1.7m。成人男子の身長。
  • 丈六 じょうろく 一丈六尺=4.85m。
  • 歩 ぶ   左右の足を一度ずつ前に出した長さ。6尺。
  • 間 けん  一間=約1.8m。6尺。
  • 町 ちょう (「丁」とも書く) 一町=約109m強。60間。
  • 里 り   一里=約4km(36町)。昔は300歩、今の6町。
  • 尋 ひろ (1) (「広(ひろ)」の意)両手を左右にひろげた時の両手先の間の距離。(2) 縄・水深などをはかる長さの単位。一尋は5尺(1.5m)または6尺(1.8m)で、漁業・釣りでは1.5mとしている。
  • 海里・浬 かいり 一海里=1852m。
  • [面積]
  • 坪 つぼ  一坪=約3.3平方m。歩(ぶ)。6尺四方。
  • 歩 ぶ   一歩は普通、曲尺6尺平方で、一坪に同じ。
  • 町 ちょう 一町=10段(約100アール=1ヘクタール)。令制では3600歩、太閤検地以後は3000歩。
  • 町歩 ちょうぶ 田畑や山林の面積を計算するのに町(ちよう)を単位としていう語。一町=一町歩=約1ヘクタール。
  • [体積]
  • 合 ごう  一合=約180立方cm。
  • 升 しょう 一升=約1.8リットル。
  • 斗 と   一斗=約18リットル。
  • [重量]
  • 厘 りん  一厘=37.5ミリグラム。貫の10万分の1。1/100匁。
  • 匁 もんめ 一匁=3.75グラム。貫の1000分の1。
  • 銭 せん  古代から近世まで、貫の1000分の1。文(もん)。
  • 貫 かん  一貫=3.75キログラム。
  • [貨幣]
  • 厘 りん 円の1000分の1。銭の10分の1。
  • 銭 せん 円の100分の1。
  • 文 もん 一文=金貨1/4000両、銀貨0.015匁。元禄一三年(1700)のレート。1/1000貫(貫文)(Wikipedia)
  • 一文銭 いちもんせん 1個1文の価の穴明銭。明治時代、10枚を1銭とした。
  • [ヤード‐ポンド法]
  • インチ  inch 一フィートの12分の1。一インチ=2.54cm。
  • フィート feet 一フィート=12インチ=30.48cm。
  • マイル  mile 一マイル=約1.6km。
  • 平方フィート=929.03cm2
  • 平方インチ=6.4516cm2
  • 平方マイル=2.5900km2 =2.6km2
  • 平方メートル=約1,550.38平方インチ。
  • 平方メートル=約10.764平方フィート。
  • 容積トン=100立方フィート=2.832m3
  • 立方尺=0.02782m3=0.98立方フィート(歴史手帳)
  • [温度]
  • 華氏 かし 水の氷点を32度、沸点を212度とする。
  • カ氏温度F=(9/5)セ氏温度C+32
  • 0°C = 32°F
  • 100°C = 212°F
  • 0°F = -17.78°C
  • 100°F = 37.78°C


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『歴史手帳』(吉川弘文館)『理科年表』(丸善、2012)。


*底本

科学時潮
底本:「海野十三全集 別巻2 日記・書簡・雑纂」三一書房
   1993(平成5)年1月31日第1版第1刷発行
初出:「新青年」
   1928(昭和3)年1月号

科学者と夜店商人
底本:「海野十三全集 別巻2 日記・書簡・雑纂」三一書房
   1993(平成5)年1月31日第1版第1刷発行
初出:「科学画報」誠文堂新光社
   1929(昭和4)年8月号

恐怖について
底本:「海野十三メモリアル・ブック」海野十三の会
   2000(平成12)年5月17日第1刷発行
初出:「ぷろふいる」
   1934(昭和9)年5月号

科学が臍をまげた話
底本:「海野十三全集 別巻1 評論・ノンフィクション」三一書房
   1991(平成3)年10月15日第1版第1刷発行
初出:「新青年」
   1934(昭和9)年9月号

寺田先生と僕
底本:「海野十三メモリアル・ブック」海野十三の会
   2000(平成12)年5月17日第1刷発行
初出:「科学ペン」
   1937(昭和12)年12月号

NDC 分類:404(自然科学/論文集.評論集.講演集)
http://yozora.kazumi386.org/4/0/ndc404.html

NDC 分類:913(日本文学/小説.物語)
http://yozora.kazumi386.org/9/1/ndc913.html

NDC 分類:914(日本文学/評論.エッセイ.随筆)
http://yozora.kazumi386.org/9/1/ndc914.html





科学時潮

海野十三

   地下鉄道の開通


 上野・浅草間の地下鉄道ができた。入って見ると、ずいぶん明るくて温かい。電車の車体は黄色に塗られ、架空線かくうせんはないからしたがってポールやパンタグラフはない。みなレールのところから電気を取っている。一時間十五マイル〔およそ二四キロメートル〕の速力であるから上野・浅草間は五分ぐらいで連絡ができる。
 地下鉄道のできたことは、いろいろな意味において愉快ゆかいである。高速度であるため市民がセーブする時間はたいしたものであろうし、また東京市が飛行機の襲撃を受けたときは、市民が爆弾をけるにはともかくも都合のよいところだし、それからまた、外国の探偵小説なみに、地下鉄を取り扱ったおもしろい創作探偵小説が諸作家によって生まれてくることであろうし、結構けっこうなことである。

   飯粒めしつぶと弁当箱


 特許局から出ている審決文中の珍なるものをひとつ拾い出してご覧に入れる。

「大正十四年(一九二五)特許願とっきょねがい第六五一七号 拒絶きょぜつ査定てい不服抗告審判事件につき査定すること左のごとし。

主文。原査定を破棄はきす。
飯粒の付着せざる弁当箱は特許すべきものとす

飯粒めしつぶの付着せざる弁当箱」という文句を読むと、「飯粒の付着していない弁当箱」という意味にとれる。飯を食ったあとで洗ってしまえば、弁当箱には飯粒は付着していないはずである。これがどうして特許になるのか不思議に思うが、さてその真意は――。
 飯を弁当箱につめこんで、しかるのちこれを取り出しても、あとに飯粒が弁当箱の底や周壁に付着(むしろ固着)することのない弁当箱。――という意味で、アルミ弁当箱の内側にゼラチンのようなものをひいておくと、奇妙に飯粒が付着しないことをねらった特許願である。
 種をかしてしまえばなんでもないが、ともかくも「飯粒の付着せざる弁当箱は特許すべきものとす」は愉快ゆかいな文句ではないか。

   英米間無線電話


 英国と米国との間におこなわれている公衆用無線電話のそのの成績を聞くのに、英国から米国へかけられるものが毎日三通話、米国から英国へかけられるものが毎日四通話で、合計高ごうけいだか平均七通話だそうで、この装置の維持費とトントンぐらいの収入になるそうな。
 ちなみにこの無線電話の通話料は、一分間につきおおよそ五十円である。

   科学小説『緑の汚点』


 近ごろ読んだ科学小説の中で、ちょっとおもしろいなと思ったもののうちに、この『緑の汚点』というのがある。
 時は現代である。アメリカ大陸の山奥に、死の谷〔デスバレー〕とよばれるところがあって、そこを訪ねた人間は一人として無事に帰ってきたものがない。遠方からそこを望遠鏡でのぞいた者の話によると、人間の白骨はっこつばかりでなく、ときどきまぎれんでくる熊や鹿やその他の動物のしかばねや骨がおびただしく死の谷の中に散見するそうである。
 この死の谷の不可思議な謎を解くために、学者の一団が探検におもむくことになる。一行は二人の死刑囚を同行した。これは死の谷への先登せんとうをやらせるためで、万一危険が生じてきてもこの二人の死刑囚がまずどうかなるはずで、いわゆるパイロット・ランプの役目を演ずるわけである。
 で、一行はいよいよ死の谷へ発足はっそくした。山また山をこえて、やがて死の谷の近くへきた。一行は望遠鏡の力を借りて観測した。白い蒸気のようなものが飛散している。付近の草木は枯死こしし、鳥獣の死屍しし累々るいるいたるのが見えた。ふと、死の谷へおりようという峠のあたりに人影ひとかげが見えた。人間らしくはあったがまさしく怪物であった。一行中の気早きばやの若者が、射撃を加えた。人影ひとかげは峠のかなたに消えた。一行はこれをきっかけに戦闘準備を整えて、二名の死刑囚を先登せんとうにして、まっしぐらに、峠へけ上がってみた。
 怪人を射止いとめたあたりを探したが、その姿はなかった。ただ、望遠鏡で見覚えた岩のあたりには、緑色の汚点が方々におびただしくついていた。
 先登にけ出して行った死刑囚の一人が見えなくなっていた。彼はあたかもこの好機逸すべからずと、死の谷の方へ脱兎だっとのごとくに早く駆け出して行ったのだった。たぶんはじめから脱走するつもりだったらしい、と一同の意見は一致した。――そのとき、急にこの脱走したと思った死刑囚が、一行の前にヒョックリ現われたので、一同は驚いた。いやそれよりもいっそう驚かされたことは、この死刑囚の声音こわねがすっかり違ってしまったことと、その話の中にられた内容なり考えなりがまったく別人のようになっていた。そのとき、やっと気がついたことは、これこそ例の怪人の一人が死刑囚を殺し、その皮をはぎ、服装なりもいっしょにこれを怪人がちゃくしているのだということがわかった。
 一行は怪人にその不道徳を詰問きつもんしたが、いっこう要領を得なかった。というのも怪人は人を殺すということなんか、べつに罪悪だと考えられぬらしい面持おももちであった。
 一行と怪人との争闘そうとうがはじまったが、結局、一人の怪人に一行はまったく征服されてしまう。怪人は人間よりはるかに強かった。また学術的にすぐれた頭脳を持っているようであった。そのとき、汽笛きてきのような音響がした。死の谷に立ちのぼる白気はっきはいよいよ勢いを増した。怪人は一同に別れを告げて去った。一行はす見すこのおそるべき殺人犯人を見遁みのがすよりほかに仕方がなかった。
 ――それから数分後、一大音響とともに、突如、死の谷から空中に浮かび上がった巨大なる物体があった。それは大きな飛行船をたてにしたようなものであった。それはおそろしい速力で飛び去った。その速力は光の速力に近いもので、人間にはとても出せそうもないものであった。
 で、この解決を物理学界の某博士がつけている。
「この怪人こそは、金星に棲息せいそくする者である。彼はラジウム・エマナチオンで、かくのごとき怪速力を出しているものと思う。地球への来訪の意味は不明だが、たぶん生物学研究にあるらしい。
 最後に予は断言する。この怪人たちは、地球人類とはまったく別個の系統から発達・進化した生物である。換言かんげんすれば彼の怪人は、植物の進化したものである。ゆえに銃丸じゅうがんが入ってもべつに死せず、ただ「緑の汚点おてん」として発見せられた緑汁りょくじゅうの流出があるばかりである。殺人罪といったような不道徳を怪人が解せなかったのも、そもそも植物には情感のないことを考えてみてもよくわかることではないか。……」
 植物系統の生物というところがこの科学小説のヤマであるが、小説として構想の奇抜なことはもちろん、実際の学問の上からいってもおおいに考えてみるべき問題ではあるまいか。



底本:「海野十三全集 別巻2 日記・書簡・雑纂」三一書房
   1993(平成5)年1月31日第1版第1刷発行
初出:「新青年」
   1928(昭和3)年1月号
※初出時の署名は、佐野昌一です。
入力:田中哲郎
校正:土屋隆
2005年5月3日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。



科学者と夜店よみせ商人

海野十三


 こう暑くなっては、科学者もしぶしぶと実験室からい出さずにはいられない。気温が華氏八十度〔およそ摂氏二六.七度〕をこえると脳細胞中の電子の運動がすこし変態性をおびてくるそうだ。そんなときにうっかり忘我的研究をつづけていると、電子はその変態性をどんどん悪化させ、ついにはある臨界点をすぎてしまった。ふたたび頭脳は常態に復帰しないそうだ。そうなると病院のおりの中に実験室をうつさなければならないので、さてこそしぶしぶと実験室をい出たわけである。
 ムンムンする蒸し暑い夜だった。実験をやることも書物を読むこともゆるされないと、いっそう暑さが身にこたえるようだ。家へ帰っても今から寝るわけにもいかないが、ひとまず帰宅をしようと思って十日ぶりにわが家(とは名ばかりの郊外の下宿の一室)へかしらをたてなおした。
 彼の下宿は、中央線の中野駅をおりてから十五分も歩かなければ到達しないほど辺鄙へんぴなところにある。その道を歩きながら、夜の人通りに物めずらしさを感じたのであった。歩いて行くにしたがって路の上に含有される人間の密度が多くなってきたが、それはますます増える一方で、やがてのこと科学者は人間の群から圧迫せられてどうにも動けなくなったとき、彼自身が縁日の夜店のまっただなかにあることを発見した。
 首をもちあげて、あたりをキョロキョロ眺めてみるとバカに明るい――というよりか、たいへんなまぶしさであった。おそらくは明るさの密度の点では銀座街もこれにはおよぶまいと思われた。縁日の商人は、陰影のない照明をやるのに照明学にしたがって間接照明法をもちいず、電球を裸にむきだしたままの直接照明法で、これに成功しているのであった。そのかわり電柱の上のポール・トランス〔柱上変圧器〕は今や過負荷のために鉄心コーアはウンウンうなり、油はジュウジュウとあぶくをき立てて対流をはじめ、捲線まきせん〔コイル〕の被覆は早くも黄色いにおいをあげてげつつあった。もっとも、この勇敢ゆうかんなる裸電球の照明法は行人の瞳孔を極度に縮少させ、商人が売っている品物のあらを発見しうるほどじゅうぶんながく、行人の注視をゆるさないという商人の商略からきていることだった。
 科学者はこの人波ひとなみをわけて通るために生ずる、おそろしい人間抵抗を思ってウンザリした。そして彼の実験室にあるコロイドの一分子が、高熱せられたるビーカーの中にあって、いかにもがきつつ同様の圧迫と恐怖に苦しんでいるかを思いやることができた。
 科学者はため息をついて、かたわらを見ると、そこにはファラデーの暗界ダークスペースのごとき夜店が眼にうつった。というのは、まぶしい軒並のきなみの夜店が、そこのところだけ二間〔およそ三.六メートル〕ばかりも切れていて、そこだけ歯の抜けたように薄暗かった。彼は学生時代になくなったD博士とファラデーの暗界の研究にアシスタントをつとめていた昔を思い浮かべて、なつかしげに眼の前のダーク・スペースのほうを見ると、そこに汚い着物を着た一人の男が、バケツをかかえるようにして、しゃがんでいた。
 その男は下を向いて、なにかブツブツと独言ひとりごとを言っていた。たぶん、電球が切断してこんなに真っ暗になっているので実験――イヤ、商売ができないで悲観しているのであろうと、かの科学者は思ったので、その男のそばへ近づいて、さて言った。
「きみ、実験ができないで弱っているのかい?」
「実験はやっています」
 と、その男は平然と答えてバケツの中をさした。それは不思議な黒ずんだ色を持った液体であった。はじめは液面はたいらかに静止していたが、ややあって、すこし表面波の小さいのが現われたと思うと、ポッカリとくろい二センチ立方ぐらいの物が浮かび出でた。よくみると、それは小さい鵜烏うがらすであった。全身は真っ黒で、くちばしだけが朱色しゅしょくに輝いていた。その烏は科学者のほうをジロジロと見まわしているようであったが、ッというまもなく液体の中にもぐってしまった。するとまたヒョクリと浮び上がってくるのであった。その男の言うところによると、これは生きている烏ではなく、鵜烏の模型なのだそうである。ただ、ある仕掛しかけによってかくは不思議な運動をするのだそうである。科学者はその仕掛しかけについて質問したがその男は、それを話しては商売にならぬから、説明書を金十銭で買えとすすめた。しかし科学者は、科学者たるの名誉をもってそれを拒絶すると同時に、バケツの前にしゃがみこんで考えた。
 ある物体が液面に浮かび出、また沈むというのはあきらかに浮力の作用である。見たところ液体は一定の密度を持っているらしいから浮力の計算式は、非常に簡単になる。浮いているものが沈むためには、どうしても外力が働かねばならない。外力はふつうのばあい、重力と気圧とに限られている。気圧が増大すると空気が圧縮せられて浮体自身の浮力が減少し、沈降をはじめるわけだが、これは開放されたる大気中にあるのだから、そんなに気圧が変動するはずはない。それに鵜烏がらすは浮かんでいるかと思うと、たちまちサッと姿を没するほど運動は急激におこなわれるから、そのためには気圧は一瞬間に何十ミリという急角度の変動を必要とする。それは常識で考えても、また気象報告を調べてもありうべきことではない。
 重力のほうの変動も、あまりに数値が大きいのでもちろんありうべからざることだ。すると、この問題はいよいよ特殊のばあいについて研究することを要する。それにはまず液体について、疑問の矢を向けるべきであろう。なにか特殊な溶液であるかもしれない、と考えたので科学者はいきなりバケツの中へ手をつきこんでみた。
「こまるなァ、だんな」とその薄汚うすぎたない男がしかめッつらをしてさけんだ。科学者はその間、早くもこの溶液が常温にあることと、多少の酸に似た臭気のあることを発見した。で、彼はさらに進んで聞いた。
「この液体はなんですか?」
「エエ……」
「この液体はナンであるですかッ?」
「これかネ――これは泥水でさァ」
「アノ泥水――土の粒子つぶを飽和した水……だというのかネ」
 科学者は眼をパチクリとしたが、その瞬間に彼の推理はプロペラのごとく回転をはじめた。――泥とは水を飽和したる土である。土というのは大地の微粒子である。大地は良い電導体であるし、水も電導体である。酸に似た臭気のあったところから、酸が混入したあったとすればますます電導体の液体であると言わなければならない。しかも液体の容器は錫鍍すずめっき鉄板てっぱんでできているバケツではないか。おお、この液面は大地電位アース・ポテンシャルにある。この液面は接地アースされていたではないか、と科学者は意外な発見に興奮してくるのをヤッと冷静におさえつけることができた。
 鵜烏うがらすは不電導体である。これを載せたる液面は良電導体である。もしこれがアベコベだったら鵜烏うがらすに小さい鉄片をつけておいて、液中に電磁石をしのばせれば、電磁石の吸引力で鵜烏うがらすを水中にひっぱりこむことができるのだが、いかにせん、それとはまったく逆であるのだからダメだ。
 だが、まったく逆であること、つまりある条件がネガティヴ的に満足されているということは、ちょっとおもしろい問題ではあるまいか。もし液が帯電状態にあるものとし、これがふつうの状態として非帯電状態にある鵜烏うがらすを見れば、これはあきらかにネガティヴの電気的歪力わいりょく〔ストレス〕がかかっているとも考えられるわけである。いわゆる、相対性理論を使えば立派に証明のできることではあるまいか。すると、この薄汚い男は、早くもその結論をつかむことができて、今や夜店に出でて商品を売り、研究費の回収と製品の寿命試験ライフテストをやっているのではあるまいか。科学者は、まさしくすばらしい研究問題にぶつかったのを感じた。さらにさらに偉大なる研究のフィールドがこれをいとぐちとしてひらけてくるであろうと思った。こうなればかぶとをぬいで彼の男の結論の前に礼拝するのが得策であると感じたので、科学者は十円札を出してさけんだ。
「きみ、説明書を売ってくれたまえ」
「十円ですか、おつりがありませんよ」
「おつりはいらんです。きみの持っている説明書をみなください」
 科学者は説明書の束と、セルロイド製の鵜烏うがらすの入ったボール箱とを小脇こわきにかかえると猛然として夜店の人波ひとなみをつきくずし、まっしぐらに下宿の自室へとびこんだ。そして机の前に座るや、あらゆる公式と数値とを書いたハンドブックや、計算尺のそろっているのを見きわめたうえで、説明書を開いた。
「偉大なる結論というものは、大約おおむね短いものだ」
 と、早くも彼は嘆息した。そして両眼のピントを合わせてその結論を声高らかによみあげた。
鵜烏うがらすの尻に穴をあけ糸をむすび、他の一端をドジョウの首に結びつくるべし。水は底が見えぬようにごり水とすべし」
 科学者には、何のことだかさっぱりわからなかったが、数回反読することによって、液体の沈降におよぼす外力がドジョウであることを了解しすぎるほど了解した。それからつぎの説明書を読んでみたが、どれもこれも同じことばかりが書いてあった。科学者は彼の予想のはずれたことを悲しんで、しばらくは死んだようになっていた。
 しかしともかくも、実験だけはしてみようと思ってドジョウを一匹買ってきて、説明書のとおりにセルロイドの鵜烏うがらすに糸をもって接続し、澄明ちょうめいなる水をたたえた大きいビーカーの中で実験をしてみたところ、ドジョウは底に安定して居ず、いつも水中を上へあがったり宙返りをして下りてきたりする不思議な運動をくりかえすことを発見した。そこへ梯子段はしごだんをミシミシいわせて上がってきた下宿の女将おかみ頓狂とんきょうな声をはりあげた。
「先生は、鵜烏うがらすの水くぐりを夜店でお売りになるのですか?」
「ソ、そうじゃない。これをごらん、不思議な総合現象だ。まったく新しい実験だ」
「いやですよ、先生。こんなものは、もう三年も前からありますよ、先生」
「……」
 女将おかみがズシリズシリと階下へおりて行ってしまうと、科学者は深い嘆息をして、ひとりごとを言った。
物理フィジーク化学ケミーをやっている科学者には、生物学なんてニガテだな」



底本:「海野十三全集 別巻2 日記・書簡・雑纂」三一書房
   1993(平成5)年1月31日第1版第1刷発行
初出:「科学画報」誠文堂新光社
   1929(昭和4)年8月号
※この作品は初出時に署名「佐野昌一」で発表されたことが、底本の解題に記載されています。
入力:田中哲郎
校正:土屋隆
2005年1月7日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。



恐怖について

海野十三


 恐怖なんて、なくもがなである。
 ――とかたづけてしまう人は、話にならない。恐怖は人間の神経を刺激することが大きい。ひどいばあいは、その場に立ちすくんで心臓麻痺まひをおこしたり、あるいは一瞬にして頭髪ことごとく白くなって白髪鬼はくはつきとなったりする。そんな恐怖に自分自身が襲われることはかなわんが、そういう恐怖がこの世にあることを聴くのはきわめて興味深い。探偵小説がよろこばれる一つの原因は、恐怖というものがられていることにある。
 探偵小説を好むわたしとして、恐怖に魅力を感ずるのは、当然のことであろう。今日は一つ、平生わたしの感じている恐怖の実例をすこしひろって、同好の諸君にささげようと思う。
 わたしは踏み切りを通ることがおそろしい。うちの近所には、番人のいない踏み切りがあって、よく子どもがき殺され、「魔の踏み切り」などと新聞に書きたてられたものである。あすこへ行きかかると、列車が風を切って飛んできて、目と鼻との間を轟々ごうごうと行きすぎることがある。列車が通過してから、その光っているレールをまたぐときに、なんとも名状しがたい戦慄せんりつを覚える。もしも自分の眼が狂っていて、列車が見えないのだったらどうだろう。こうまたいだ拍子に、自分はき殺されているのだ。人間というものは、死んでも死んだとは気がつかないものだという話を聞いているので、レールをまたぎ終えたと思っても安心ならない。こんなふうに恐怖をもって踏み切りをわたるのは、わたし一人なのだろうか。
 子どもを抱いて、ビルディングの屋上へのぼったことがある。最初はたしか浅草の富士館だと思った。のぼってみると館内のにぎやかさにくらべて、屋上は人一人いないのである。下をのぞいてみると、通行の人の頭ばかりが見える。舗道ほどうまではたいへん遠い。わたしは怪物重力に急にひっぱられる気配を感じた。そのときわたしの腕の中にいた子どもが、無心でわたしの顔をたたいた。ゴムまりのように軽い子どもである。わたしは突然、腕をのばして子どもをポイと下におとしてみたい衝動におそわれた。
「これは、いけない!」
 わたしは一生懸命に、自分自身をしかった。しかし、怪物重力はわたしにのりうつって、(早く子どもを下になげろ!)とさそう。わたしは慄然りつぜんとして恐怖に襲われた。もっと遊んでいたいと子どもが泣きだすのもかまわず、夢中で梯子段はしごだんのほうへ退却していった。それ以来、子どもを連れているときは、屋上へのぼらないことにしている。
 夢の中に見る恐怖のうち、とくに恐ろしい光景が二つある。一つは、空を見ていると、太陽が急に二つにふえ、アレヨアレヨと見ている間に三つにも四つにもふえてゆくのを見るときだ。そんなときの太陽は、いつも光を失って、まるで朱盆しゅぼんのような色をしている。野も山も、いつのまにか丸坊主になり、プスプスと冷たい水蒸気が立ちのぼってくる。世界の終わりだ! わたしはビッショリ寝汗をかいて、目がさめる。
 もう一つは、フロイト先生のご厄介やっかいものだが、洪水の夢を見るときだ。雨は暗い空からジャンジャン降っている。水だ水だ、という声がするので、外に出てみる。なるほど水嵩みずかさが増している。水面は手のとどきそうな近くにまでのぼっている。川幅はもう海のように広くなっている。あおい水は轟々ごうごううずをまいて、下へ流れてゆく。上手かみてを見てみれば、川面が上へ傾いているではないか。これでは水の減る見込みはぜんぜんない。ふとわたしは川下に、家族を残してきたことを思いだす。この水が川下へ落ちてゆくときは、わたしの家族の全部のおぼれ死ぬるときだ、とそう思うと、わたしはたえがたい恐怖に襲われて、目がさめる。
 なんにも音のしないところへゆくと、これがまた恐ろしい。いつだったか陽春ようしゅんの真昼、郊外の広い野原へ出た。レンゲやタンポポが、たいへんきれいに咲きひろがっている。わたしは童心に帰って、それを一本一本、右手でつんでは左手に束ねてゆく。花束はだんだん大きくなっていった。しまいにみくたびれて、野原のなかに立ち止まった。急に自分の身辺が気になりだす。耳をすまして聴くと、サァたいへんだ。人声もしなければ、工場の汽笛の音も聞こえない。さっきまで吹いていた風さえおさまって、まったく音というものが聞こえない。鼓膜こまくがあってもなんにもならない。自分は死んでしまったのではないか――と、そう思った瞬間、名状すべからざる戦慄せんりつが全身にいのぼってきた。……あとで考えると、あのときは、せきでもするとか、軍歌でも歌えばよかったのにと思う。
 中学生のころ、体操の時間に、高い梁木りょうぼくを渡らされるのが、このうえもなく恐ろしかった。梁木にのぼらされる日は、(今日は、やるナ)と時間のはじめにすぐに感じたほどだった。ブルブルと上へのぼってみると、ネズミ色のペンキを塗った幅のせまい梁木が、もうなかば腐りかけていた。このつぎ、渡されるまでに、腐り落ちてしまわないかナと、いつも思ったことだった。
 同じ屋根の下に暮らしている同僚なのだが、しばらく顔をあわせない。そのうちに、向こうからヒョックリやってきて、急になれなれしく話をはじめる。無論、親しい同僚のことだから、なれなれしく話をはじめたっていっこう不思議でない。しかし、そのときこっちではさかんにしゃべる同僚の顔をふと見て、急におどろく。同僚の顔がまだ一度もこれまでに見たことのない顔に見える。サアそうなると、にわかにその同僚が恐ろしくなる。逃げようとするのだが、逃げられない。全身がすくんでしまったのだ。おそろしさに、わたしはブルブルふるえだすことがある。
『フランケンシュタイン』という映画を見たときのことだ。フランケンシュタイン博士が墓場から盗んできたたくさんの人間の死体のいい部分だけ集めて、これをぎあわせ、アルプスの最高峰で、何億ボルトという空中電気にたたかせると、その寄せあつめの死体がピクピクと動きだす。ついに博士の研究が成功して、新しい生がはじまったのだ。ところが、この男の脳髄というのが、恐ろしい殺人犯のものだったからたまらない。彼は地中のおりをやぶって、飛び出してくる……という場面があるが、このときほどわたしは恐怖にうたれたことはない。急に足先から膝頭ひざがしらの上まで、ゾーッと冷たくなったので、いかに恐ろしかったかがわかるであろう。
 大正十二年(一九二三)の関東大震災のとき、焼け跡にトタンをあつめて小屋を作り、まっくらな夜を寝たことがあった。疲れているが不気味で寝られない。そのとき、東のほう四、五丁〔一丁はおよそ一〇九メートル〕先と思われるところで、イキナリうわッーというときの声があがり、ドドーン、ドドーンという銃声がにわかにおこった。
(何ごとか?)
 と思うまもなく、人がバラバラと逃げてきて、小屋のそばをすりぬけていった。
「いま、こっちへ、襲撃してきます。人がいることがわかると、このあたりにいる者はみな殺されてしまいますから、どんなことがあっても声を出さないでください。
(もうダメだ。
 とわたしは思った。こんなことで殺されるのかと思うと、暗闇の中にポタポタ涙が流れ出て、ほおをくだって行った。死というものに直面した恐ろしさに、ふるえあがった。
「智者はまどわず、勇者はおそれず」という。しかし勇者とても、すべて人間であるかぎり、恐怖は感ずるのだ。ただ、恐怖を感じッぱなしで終わるのではなく、恐怖は恐怖としておいて、恐怖来るもあにおそれんやと勇気をふるいおこすのだと思う。そして勇者こそもっとも恐怖の魅力というものを知っているのではなかろうかと思う。わたしのごとき非勇者の話よりも、勇者の語る恐怖の魅力こそ、まことに聞き甲斐のあるものだろうと考えるのである。
『ぷろふいる』昭和九年(一九三四)五月号



底本:「海野十三メモリアル・ブック」海野十三の会
   2000(平成12)年5月17日第1刷発行
初出:「ぷろふいる」
   1934(昭和9)年5月号
入力:田中哲郎
校正:土屋隆
2005年1月7日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。



科学がへそをまげた話

海野十三


 みなさん、科学サイエンスだって、ときには気むずかしいことがありますよ。そんなときには、へそをまげちまいますよ、へそをネ。
 童話みたいですが、昔、オーストリアの王様が、世界最大のダイヤモンドを所有したいという欲望を持って、持っているだけのダイヤを全部坩堝るつぼに入れて融合させようと思ったところが、もともと炭素のかたまりであるダイヤは、たちまち一陣の炭酸ガスと変じて、空中にき消えたという昔ばなしがあります。これもへそまげの一つです。
 この時代、天下を横行した錬金術れんきんじゅつというのは、すこぶる大きな目標を持っていました。万物ばんぶつなんでもきんに変えるというのです。いたるところで錬金術師はふいごを吹いたりレトルトをあぶったりしましたが、ついに成功しませんでした。なんでも、「哲学者の石〔賢者の石〕」というのがあって、それさえ使えば万物が黄金に変わるはずだと言い出したものがいて、今度は哲学者の石を探し歩く宝さがしのようなことが始まりました。これもついにダメだったことは、今日こんにち金の高いことによってみなさんご存知のとおりです。
 しかし科学の上における失敗は、他の失敗とちがって、失敗しぱなしで終わるものではありません。錬金術のおかげで、化学というものがたいへん発達しました。日本には錬金術師がいなかったおかげで、化学というものはいっこうに芽をふいて来ませんでした。――しかして、近代になって、長岡ながおか半太郎はんたろう博士は水銀を金に変化する実験に成功して、ついに人類のあこがれていた一種の錬金術を見い出したわけです。その方法は、水銀の原子の中核を、αアルファ粒子りゅうしという手榴弾しゅりゅうだんでたたき壊すと、その原子核の一部が欠けて、俄然がぜん金になる。つまり物質は、金とかなまりとか酸素とか水銀とかいうが、これを形成している物質は共通であり、ただそれに含有がんゆうせられている数が違うために、いろいろちがった物質となっているものだという見地けんちから、この名案が考え出されたのです。
 しかし科学はやはりへそまがりで、この方法はまだ実用に遠く、金にはなるにはなるが、顕微鏡で探さねばならぬほどですから、費用だおれで金にはならない。……だが油断ゆだんはできませんぞ。最近になって人造じんぞう宇宙線の研究がにわかに盛んになりましたが、この研究が進むといよいよこの人造宇宙線を使って、水銀を金にすることが他愛たわいもなくできるようになりそうな気がします。もちろん、そうなったからといってよろこぶのは早い。金が簡単にできるようになったら、今日一もんめ十何円なりという金が、一もんめ一銭なりぐらいになるでしょうから、いくら金がドンドン手に入っても仕方がないでしょう。まあそのときは、鼻紙に金でもって頭文字イニシャルでも入れることですネ。
 宇宙線の人造ということもおもしろい問題ですが、その宇宙線とならんで現代で人気のあるのは超短波ちょうたんぱでしょう。
 超短波というと電波の一種で、波長がたいへん短い。一メートルから十メートルぐらいの間のものです。ラジオ放送に使っているのは二〇〇から五〇〇メートルですから、いかに短いかということがわかりましょう。
 この超短波についても、いろいろとおもしろい失敗がくりかえされました。超短波を使って近くで通信をすると、びっくりするくらいたいへんよく聴こえる。しかるに何百キロ、何千キロという遠方えんぽうになると、どんなに電力をしても聴こえない。これはおかしいというのでいろいろ調べてみました。
 電波というものは、地表の一点から発射されると、どんな道を通って前進するか? お月さまがかさをかぶったときに外に輪が見えますが、あれに似た恰好かっこうに、地球の外には、地球をつつんで電気天井てんじょう〔電離層か〕というのがあります。電気天井の高さは、地表から一〇〇キロぐらいです。電波はこの電気天井と地表との間にあいている空間を走るのです。走るといっても、波長が長いラジオのような電波なら、足を地表につけたままで前進するし、短波のように短い電波になると、地上から探照灯たんしょうとうを出したような恰好かっこうに空に向けて前進し、電気天井にあたってまた下へおりてきます。たとえば青森で出すと上へあがって門司もじ〔現、北九州市〕の上空で電気天井にぶっつかり、今度は反射して台北たいほくへ下りてくるというふうに、下りたところに受信機じゅしんきがあれば聴こえる。この電気天井へ反射するため、短波は遠方でもよく聴こえる。なかには下りてきたのがまた地面にあたって反射し、ふたたび電気天井にあたって反射し、もう一度下へ下りてくるというのもあります。しかしようするに、電波は上へあがっても、電気天井でねかえされることがわかりました。
 ところが例の超短波になると、いくら電力を増しても届かぬので、いったいどこへ行ってしまうのだかわからない。きつねに鼻をつままれたような恰好かっこうで、大迷宮だいめいきゅう事件にぶっつかったとでも言いたいところです。使いに出した者が途中で煙のように消えてしまうのですから、これは面妖めんような話。
 ところがその後だんだん調べてみると、すこしずつわかってきました。そしてついに確かな結論が生まれて、人々は「なァーんだ」ということになりました。超短波はいったいどこへ行ったのか。地表と電気天井の間で煙のように消えてしまったものではなく、じつに電波にとっては金城きんじょう鉄壁てっぺきだと思われていた電気天井をば、まるでかごの目から水がるように、イヤそれよりもX光線が木でも肉でもすかすように、超短波は電気天井をスースー外へ抜けていたのでした。スースー外へ抜けているのですから、いくら放送局で電力を増してみても、地上にはすこしも応答おうとうのないのも無理はありません。超短波は電気天井をぬけ、地球の羈絆きはんを切って一直線に宇宙へ黙々もくもくとして前進しているのです。
「ああ、ちょっと聞きたまえ、変な電波が聴こえるぜ。わが火星にはこんな符号ふごうを打つ局はないはずだ、ハテナ?」
 というようなわけで、この超短波は案外、火星あたりで問題にしているのじゃないかと思われます。とにかく超短波の行方ゆくえ不明ふめい事件がさいわいになって、電波の中には電気天井をスースー抜けるものがあることがわかりました。とはいうものの、いまだに火星からも、
「オイ地球君! 待望の電波をありがとう!」
 などと言ってこないところを見ると、出奔しゅっぽんした超短波のおちつく先は案外あやしいかもしれないんですが、まだそこまでわかっていません。
 この超短波をデアテルミー〔マイクロ波・電流などを用いた温熱療法〕のように人体じんたいに通しますと、がんなどにたいへんき目のあることが発見されました。これをラジオテルミーと呼んでいますが、デアテルミーよりもずっとが強いのです。この施術しじゅつの方法は、超短波がさかんに通っている二つの電極でんきょくのあいだに、人体の患部かんぶを入れるのです。電極というのは金属板でできていましてぼんのように丸い平べったい板です。
 ところがあるとき、研究室でとんでもないことがおこりました。超短波を盛んにおこしておいて、実験者がそれに手を近づけましたのですが、ほんとうはまず手を先に電極板のあいだに入れておいて、あとでスイッチを入れて超短波をおこすほうがよいのです。このときはつまり逆の順序でやりました。実験者は研究中のことですから、いろいろやってみる必要があります。そうしないとよい装置もできないし、性質も深く知ることができません。実験者はその手を電極板の中央に入れるかわりに、電極板の端のほうに近づけてみました。おそらく違った結果が現われるだろうと思ったのです。近づけるにしたがって、指のまたのあたりがスースーと涼しくなりました。それをなおも近づけると、指が急に熱くなりはじめました。それを辛抱しんぼうしていますと、急に手が吸いつけられるように、電極板に引きよせられました。
「こいつは、いかん!」
 と思うまもなく、指が電極板のはしに触れました。途端たんにうずくような痛みが感ぜられ、同時にコロリと下に落ちたものがあります。サーッとまっな血が花火のようにき出しました。
「ウム……」
 実験者はもぎとるように手を強く引きました。手はさいわい極板きょくばんを離れました。実験者はホッとして、その手をながめました。ところが、サァたいへんです。指がたりない! みごとに伸びていた四本の指が根こそぎ切り落とされ、残っているのは拇指おやゆび一本! 指のなくなった跡からは、さかんに血が飛び出してくる。実験者はサッとあおくなりました。一方の手で傷口をおさえたまま、ウンといってその場にたおれてしまった。いったいどうしたというのでしょう? 医療器いりょうきだと思って安心していたのが、俄然がぜん殺人器に転じてしまったのです。おどろいたのも無理がありません。
 超短波メス――というのが生まれたのは、それからもないことでした。意外な失敗、それは超短波についての認識不足からおこったことでありました。しかしその思い違いがただされると、超短波はまた一つの仕事を受け持つようになりました。それは電気メスです。超短波電流をナイフようとがった金属片きんぞくへんに通じ、これを肉に近づけると、おもしろいほど切れます。それはどれほどよくいだメスよりも軍刀ぐんとうよりも切れ味がよいのです。科学がへそをまげると妙なことになります。
 へそで思い出しましたが、へそえんのあるかみなりさまの話ですが、あれを避けるのに避雷針ひらいしんというものがあります。避雷針は屋根の上にとがった金属棒を立て、その下に銅線をつなぎ、下におろし、その尖端を地中に埋めます。銅線の尖端には大きな銅板をつけるといっそう効果があります。雷が上空からくると、針の鋭い電気吸引力きゅういんりょくで、雷がたちまち吸いよせられ、この針の上に落ちますが、落ちると同時に電線を伝わって地中へもぐりこみ、いきおいを失ってしまいます。これはいうまでもなく雷の正体は電気ですから、針にひっかかったと同時に、導電体どうでんたいを伝わって地中へもぐるのです。この道ができているために、大きな音もなんにもしません。ピチッというくらいです。
 あるところで、それはそれは立派な避雷針を建てました。主人公は大自慢です。どこの家のより立派だというのです。ところが、まもなく雷鳴らいめいが始まりましたが、雷は天地もくずれるような音をたててまっさきにこの家に落ちました。もちろん人死ひとじにができ、家は雷雨らいうの中に焔々えんえんと燃えあがりました。これはスグスグ雷はいつもの調子で、針の上に落ちてみますと、針の下から地中へ行く道が作ってないのです。つまり銅線がつないでありません。仕方なしに屋根や柱、ふすまに障子しょうじなどを伝わって地中へかろうじて逃げたのです。この家の主人は避雷針の針ばかりを見てきて、肝心かんじんの銅線や接地板せっちばんの必要なことに気がつかなかったのでした。
 それとまた別の話に、ある村で避雷針を立てましたが、これは電気的に完全な避雷針でしたが、ところがその針を立ててから、その村の落雷がにわかに増えたといううわさが立ちました。そんなバカな話はないと、学者はてんで受けつけません。避雷針を立てて、落雷が増えるなんて、およそありべからざることです。
 ところがだんだん研究していってみると、そういうありべからざることがありるかもしれないということになりました。早くいえば避雷針は雷を増やすことあるべしということです。その解釈かいしゃくを申しますと、避雷針は雷を引きよせるのですが、避雷針の高さの三倍までの距離以内のものは、避雷針へ吸い取ることができる。しかしそれ以上のものまでかない。だから四、五倍の距離の空中まで呼び寄せられ、そのあたりでマゴマゴしている雷は、やむを得ず人家や森を伝わって下に落ちねばならぬことになる――というのです。


底本:「海野十三全集 別巻1 評論・ノンフィクション」三一書房
   1991(平成3)年10月15日第1版第1刷発行
初出:「新青年」
   1934(昭和9)年9月号
※初出時の署名は、丘丘十郎です。
入力:田中哲郎
校正:土屋隆
2005年6月14日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。



寺田先生と僕

海野十三(佐野昌一)


 題名ほどの深い関係もないのであるが、『科学ペン』からの求めで、やむを得ずペンをとる。
 僕が寺田先生〔寺田寅彦〕をはじめて知ったのは、多くの人がそうであるように、第一には『吾輩は猫である』の水島寒月において、また『三四郎』の野々宮理学士においてである。これは書くまでもない、いたって平凡なことである。ただ、その間、「首くくりの力学」には、はじめ滑稽こっけいを感じ、のち学校で本物の力学を勉強するようになって畏敬と化した。首くくりはたしかに力学でもあったからである。今も先生を心から敬慕してやまぬわけは、先生が首くくりにも力学を考えられた非凡なその学者的態度である。非凡とだけでは物足ものたりない。悟りきった、神のような学者的態度とでもいおうか。
 寺田先生から、手紙を一度いただいたことがあった。それは大正十二年(一九二三)の関東大震災のあとに、『東京朝日新聞』紙上で、「私の探しているもの」という欄に先生が「罹災りさいの人で、もしそのときの火災の進路について、場所・風向き・時刻について知らせてくれると、たいへん学術上参考になる。また台風にあった人は、それについても書いてほしい。」と書かれた。僕は当時、浅草の今戸いまどにいて、九月一日の午後五時ごろに自宅全焼の憂目うきめにあい、しかもその一時間ほど前には、もう生命もこれでおしまいだわいと悲壮な覚悟をしなければならなかったほどの大旋風にも襲われたので、つつしんで水島寒月先生に見聞記をたてまつった。そのとき、当時着のみ着のままで焼き出された身の上であったから、懐中はなはだ寒かったが、この報告はどうしても東京市の地図に矢印などを書きこまなければ要をつくさないと思ったので、無理に東京の地図を遠方まで買いに行った記憶がある。
 そうして僕は、自分の見聞記を書いて、先生宛お送りしたわけであるが、そのとき折りかえしいただいた先生の礼状が、前に言った唯一の手紙なのである。
 しいことに、その手紙はその後転々とひっこしをしたので、いつか失せてしまい、今ははなはだ残念に思っているが、なんでもレター・ペーパー二枚に丁重ていちょうに書かれたもので、今日思うとじつに貴重な宝物であったのに、惜しいことである。
 僕の提供したこの資料は、震災予防調査会の第一〇〇号、『関東大地震調査報文』火災編に、先生の手によって「大正十二年九月一日・二日の旋風について」の項に集録せられてあるが、つぎのとおりである。文中カッコ内は、寺田先生の注である。

今戸いまど一二六、佐野昌一氏書信による)観測者の位置、浅草区今戸一二六番地自宅前、長昌寺ちょうしょうじ境内(小高い林の中)。九月一日、午前三時半ごろはじめて夢見した。当時、近隣では隅田川ぞいの今戸橋・白鬚橋しらひげばし間のせまい地帯に火の手が見えないだけで、西は亀岡町・吉野町よしのちょう山谷町さんやまち・玉姫町いずれも火の手が盛んであった。風向きは南々東であった。急に轟々ごうごうたる音響が聞こえて西南のほう聖天町しょうでんちょうあたり(書信には図がえてあるが略する)に旋風のおこっているのを認めた。もっともはじめはガスタンクでも爆発したかと思ったくらい猛烈な勢いであった。黒褐色の煙の柱、径一町〔およそ一〇九メートル〕以上のものが天にちゅうし、中空以上はひろがって雲のようであった。音は耳をろうするばかりのグォーッという音で、生来せいらいこれに比較すべき音を聞いたことがない。非常な勢いで回転していることは、なにか木片・板片のようなものが飛びかう様子でわかった。回転は地上から向かって右ネジの方向であったと思うが確かでない。避難者らは恐怖して悲鳴の声、題目の声が各所におこった。風向きが東南に変わり風が強くなった。旋風は二、三分ぐらいの後には待乳山まつちやまの西側と思われるあたりまで進んで行ったが大きさは同様であった。そのうちに音が小さくなり、風もおさまり、柱状ちゅうじょうのものも以前ののように明瞭には見えなくなった。そして南々西に向け、雷門・吾妻橋のほうへ(書信には地図に矢を記入して方向を示してある)進んで行くように見えた。火の粉が林の上からおびただしく降ってきたが、布か木片の燃えクズでなかなか大きかった。発見後十五分ぐらいの後には、はるかに南々西の方向(付図によると、吾妻橋西詰の方らしい)に前よりも高く上空まで暗雲中に象鼻状(見取図、略)の白気はっきがゆれながら立ち昇るを見た。その後、急に近隣の火の手が強くなり、今戸いまど八幡のほうにも火の手がひろがってきたため、大川おおかわ〔隅田川の下流部における通称〕ぶちつたい北方に逃げる仕度したくをはじめたので、後の状況は見なかった。それは四時ごろであった。
 風はその後一度、東風に変わり、やがて西風に変わり、四時半に長昌寺が焼失した。なお人々の話を総合すると田中町小学校に旋風が発したといわれ、また今戸公園に旋風がおそったとき待乳山あたりまで大いに荒れたそうである。また今戸八幡で旋風にい、身体が浮いたという老婆の実験談を聞いた。
 九月二日午後五時ごろ、当時焼け跡に帰来し、境内に掘立小屋を作っていたが、南方から大判罫紙けいしの焼けこげた片が数多あまた落ちてきた。
(この項も『東京朝日新聞』の「探しているもの」への寄稿である。詳細なる記述を謝する)

 というわけで、ここまでは僕もそうとう得意であったところ、それから四、五ページ後のところに先生は、

以上は災後二、三か月以内に著者の手もとに集まった材料の大要である。これらの中にはかなり信用の置かれるのもあり、また、かなりあやしいものもあるが、この点についてはいっさい私見を加えることなしに、そのままを採録した。談話者また報告者の言葉もなるべく保存し、話の順序の混雑したのや不得とく要領ようりょうなのも故意にそのままにしておいた。そうしたほうが史料としての価値をそんじないと思うからである。

 と書かれてあって、僕の得意の鼻はポキンと折れてしまった。
 先生はなお、これらの史料を過信することをいましめられ、

ともかくも、人間の眼で見た証拠ほどあてにならないものはないという心理学上の事実は、われわれの忘れてならないかいである。

 と、とどめをされている。僕としては、もっと常識を広くしておいて確実な観測をすればよかったのにと、千載の一遇を棒にふってしまったことを残念に思い、かえって寺田先生をよろこばせることの少なかったことを遺憾いかんに思っている。しかし、先生の出していられる旋風の特性を愛するノートは、実見者たる僕の同感する点が多い。だから、やはり報告書をさしあげてよかったと思っている。
 寺田先生と一度お目にかかってこんな思い出話をする好機を得たかったが、ついにそのことなくして終わったのは、これまた心残りである。
    ×      ×      ×
 先生のように、神か幼児のようにすなおに物理学を専攻せられるの士は、他に類例があるまいと考える。多少それに似たことをやる方はあっても、その心組み、その悟りにおいては、けだし雲泥の差があると思う。
 寺田先生のえらさには、明治・大正・昭和を通じて誰もそばにれる者がなかろうと信ずる。
『科学ペン』昭和十二年(一九三七)十二月号



底本:「海野十三メモリアル・ブック」海野十三の会
   2000(平成12)年5月17日第1刷発行
初出:「科学ペン」
   1937(昭和12)年12月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:田中哲郎
校正:土屋隆
2005年1月7日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。



科学時潮

海野十三


   地下鉄道の開通

 上野、浅草間の地下鉄道が出来た。入って見ると随分明るくて温い。電車の車体は黄色に塗られ、架空線《かくうせん》はないから随《したが》ってポールやパンタグラフは無い。皆レールのところから電気を取っている。一時間十五|哩《マイル》の速力であるから上野、浅草間は五分位で連絡が出来る。
 地下鉄道の出来たことは、いろいろな意味に於て愉快である。高速度であるため市民がセーブする時間は大したものであろうし、又東京市が飛行機の襲撃を受けたときは、市民が爆弾を避けるには兎《と》も角《かく》も都合のよいところだし、それから又、外国の探偵小説|並《なみ》に、地下鉄を取扱った面白い創作探偵小説が諸作家によって生れて来ることであろうし、結構なことである。

   飯粒と弁当箱

 特許局から出ている審決文中の珍なるものを一つ拾い出して御覧に入れる。

[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
「大正十四年|特許願《とっきょねがい》第六五一七号|拒絶査定《きょぜつさてい》不服抗告審判事件に付査定すること左の如し。
[#ここから1字下げ]
主文。原査定を破毀《はき》す。
飯粒の附着せさる弁当箱は特許すへきものとす[#「飯粒の附着せさる弁当箱は特許すへきものとす」に傍点]。」
[#ここで字下げ終わり]

「飯粒の附着せざる弁当箱」という文句を読むと、「飯粒の附着していない弁当箱」という意味にとれる。飯を食った後で洗ってしまえば弁当箱には飯粒は附着していないはずである。これが何《ど》うして特許になるのか不思議に思うが、さて其の真意は――。
 飯を弁当箱につめ込んで、然るのちこれを取出しても、あとに飯粒が弁当箱の底や周壁に附着(寧《むし》ろ固着)することのない弁当箱。――という意味で、アルミ弁当箱の内側にゼラチンのようなものをひいて置くと、奇妙に飯粒が附着しないことを覘《ねら》った特許願である。
 種を明かして仕舞えば何でもないが、兎も角も「飯粒の附着せさる弁当箱は特許すへきものとす」は愉快な文句ではないか。

   英米間無線電話

 英国と米国との間に行われている公衆用無線電話の其後《そのご》の成績を聞くのに、英国から米国へ掛けられるものが毎日三通話、米国から英国へ掛けられるものが毎日四通話で、合計高《ごうけいだか》平均七通話だそうで、この装置の維持費とトントン位の収入になるそうな。
 因《ちなみ》にこの無線電話の通話料は、一分間につき大凡《おおよそ》五十円である。

   科学小説『緑の汚点』

 近頃読んだ科学小説の中で、一寸面白いなと思ったものの中《うち》に、此の『緑の汚点』というのがある。
 時は現代である。アメリカ大陸の山奥に、死の谷と呼ばれるところがあって、其処を訪ねた人間は一人として無事に帰って来たものがない。遠方からそこを望遠鏡で覗《のぞ》いた者の話によると、人間の白骨《はっこつ》ばかりでなく、時々|紛《まぎ》れ込《こ》んで来る熊や鹿や其の他の動物の屍《しかばね》や骨が夥《おびただ》しく死の谷の中に散見するそうである。
 この死の谷の不可思議な謎を解くために学者の一団が探検に赴《おもむ》くことになる。一行は二人の死刑囚を同行した。これは死の谷への先登《せんとう》をやらせるためで、万一危険が生じて来てもこの二人の死刑囚が先ずどうかなる筈で、所謂《いわゆる》パイロット・ランプの役目を演ずるわけである。
 で、一行は愈々《いよいよ》死の谷へ発足《はっそく》した。山又山を越えて、軈《やが》て死の谷の近くへ来た。一行は望遠鏡の力を借りて観測した。白い蒸気のようなものが飛散している。附近の草木は枯死《こし》し、鳥獣の死屍《しし》も累々《るいるい》たるのが見えた。不図《ふと》、死の谷へ下りようという峠のあたりに人影が見えた。人間らしくはあったが正《まさ》しく怪物であった。一行中の気早《きばや》の若者が、射撃を加えた。人影は峠の彼方《かなた》に消えた。一行はこれをきっかけに戦闘準備を整えて、二名の死刑囚を先登《せんとう》にして、まっしぐらに、峠へ駈け上がって見た。
 怪人を射止めた辺りを探したが、その姿はなかった。唯、望遠鏡で見覚えた岩のあたりには、緑色の汚点が方々に夥しくついていた。
 先登に駈け出して行った死刑囚の一人が見えなくなっていた。彼は恰《あたか》も此の好機逸すべからずと、死の谷の方へ脱兎《だっと》の如くに早く駈け出して行ったのだった。多|分《ぶん》始めから脱走する心算《つもり》だったらしい、と一同の意見は一致した。――其の時、急に此の脱走したと思った死刑囚が、一行の前にヒョックリ現れたので、一同は驚いた。いやそれよりも一層驚かされたことは、この死刑囚の声音《こわね》がすっかり違って仕舞ったことと其の話の中に盛られた内容なり考えなりが全く別人のようになっていた。其の時、やっと、気が付いたことは、これこそ例の怪人の一人が死刑囚を殺し、其の皮を剥ぎ、服装《なり》も一緒にこれを怪人が着《ちゃく》しているのだという事が判った。
 一行は怪人に其の不道徳を詰問《きつもん》したが、一向要領を得なかった。というのも怪人は人を殺すということなんか、別に罪悪だと考えられぬらしい面持《おももち》であった。
 一行と怪人との争闘《そうとう》が始まったが、結局一人の怪人に一行は全く征服されてしまう。怪人は人間より遥かに強かった。又学術的に勝《すぐ》れた頭脳を持っているようであった。其時《そのとき》、汽笛のような音響がした。死の谷に立ちのぼる白気《はっき》は愈々《いよいよ》勢いを増した。怪人は一同に別れを告げて去った。一行は見す見すこの恐るべき殺人犯人を見遁《みのが》すより外に仕方がなかった。
 ――それから数分後、一大音響と共に、突如、死の谷から空中に浮び上った巨大なる物体があった。それは大きな飛行船を縦《たて》にしたようなものであった。それは恐ろしい速力で飛び去った。その速力は光の速力に近いもので人間には迚《とて》も出せそうもないものであった。
 でこの解決を物理学界の某博士がつけている。
「この怪人こそは、金星に棲息《せいそく》する者である。彼はラジウム・エマナチオンで、斯《か》くの如き怪速力を出して居るものと思う。地球への来訪の意味は不明だが、多分生物学研究にあるらしい。
 最後に予は断言する。この怪人達は、地球人類とは全く別箇の系統から発達進化した生物である。換言《かんげん》すれば彼の怪人は、植物の進化したものである。故《ゆえ》に銃丸が入っても別に死せず、唯「緑の汚点《おてん》」として発見せられた緑汁《りょくじゅう》の流出があるばかりである。殺人罪といったような不道徳を怪人が解せなかったのも、抑々《そもそも》植物には情感のないことを考えてみてもよく判ることではないか。……」
 植物系統の生物というところが此の科学小説のヤマであるが、小説として構想の奇抜なことは勿論、実際の学問の上から言っても大いに考えて見る可《べ》き問題ではあるまいか。



底本:「海野十三全集 別巻2 日記・書簡・雑纂」三一書房
   1993(平成5)年1月31日第1版第1刷発行
初出:「新青年」
   1928(昭和3)年1月号
※初出時の署名は、佐野昌一です。
入力:田中哲郎
校正:土屋隆
2005年5月3日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。



科学者と夜店商人

海野十三


 こう暑くなっては、科学者もしぶしぶと実験室から匍《は》い出さずにはいられない。気温が華氏八十度を越えると脳細胞中の電子の運動がすこし変態性を帯びて来るそうだ。そんなときにうっかり忘我的研究をつづけていると、電子はその変態性をどんどん悪化させ、遂には或る臨界点を過ぎてしまった。再び頭脳は常態に復帰しないそうだ。そうなると病院の檻の中に実験室をうつさなければならないので、さてこそしぶしぶと実験室を匍い出たわけである。
 ムンムンする蒸し暑い夜だった。実験をやることも書物を読むことも許されないと、一層暑さが身にこたえるようだ。家へ帰っても今から寝るわけにも行かないが、一先ず帰宅をしようと思って十日ぶりに我家(とは名ばかりの郊外の下宿の一室)へ首《かしら》をたてなおした。
 彼の下宿は、中央線の中野駅を降りてから十五分も歩かなければ到達しないほど辺鄙《へんぴ》なところに在る。その道を歩きながら、夜の人通りに物珍らしさを感じたのであった。歩いて行くに従って路の上に含有される人間の密度が多くなって来たが、それは益々増える一方で、軈《やが》てのこと科学者は人間の群から圧迫せられてどうにも動けなくなった時、彼自身が縁日の夜店の真唯中に在ることを発見した。
 首をもちあげて、あたりをキョロキョロ眺めてみると馬鹿に明るい――というよりか大変な眩しさであった。恐らくは明るさの密度の点では銀座街もこれには及ぶまいと思われた。縁日の商人は、陰影のない照明をやるのに照明学に従って間接照明法を用いず電球を裸にむき出した儘《まま》の直接照明法で、これに成功しているのであった。その代り電柱の上のポール、トランスは今や過負荷のために鉄心《コーア》はウンウン呻り、油はジュウジュウとあぶくを湧き立てて対流をはじめ、捲線の被覆は早くも黄色い臭いをあげて焦げつつあった。尤もこの勇敢なる裸電球の照明法は行人の瞳孔を極度に縮少させ、商人が売っている品物のあら[#「あら」に傍点]を発見し得るほど充分永く、行人の注視を許さないという商人の商略から来ていることだった。
 科学者はこの人波をわけて通るために生ずる恐ろしい人間抵抗を思ってウンザリした。そして彼の実験室にあるコロイドの一分子が、高熱せられたるビーカーの中にあって、如何にもがきつつ同様の圧迫と恐怖に苦しんでいるかを思いやることが出来た。
 科学者は溜息をついて、側《かたわら》を見ると、そこにはファラデーの暗界《ダークスペース》の如き夜店が眼にうつった。というのは眩しい軒並の夜店が、そこのところだけ二間ばかりも切れていて、そこだけ歯の抜けたように薄暗らかった。彼は学生時代に亡《なくな》ったD博士とファラデーの暗界の研究にアッシスタントをつとめていた昔を思い浮かべて、なつかしげに眼の前のダーク・スペースの方を見ると、其処に汚い着物を着た一人の男が、バケツをかかえるようにして、しゃがんでいた。
 その男は下を向いて何かブツブツと独言《ひとりごと》を言っていた。多分、電球が切断してこんなに真っ暗になっているので実験――イヤ商売が出来ないで悲観しているのであろうと、彼科学者は思ったので、その男の傍へ近づいて、さて言った。
「君、実験が出来ないで弱っているのかい」
「実験はやっています」
 とその男は平然と答えてバケツの中を指した。それは不思議な黒ずんだ色を持った液体であった。はじめは液面は平かに静止していたがややあって、すこし表面波の小さいのが現れたと思うとポッカリと真黒い二|糎《センチ》立方位の物が浮かび出でた。よくみると、それは小さい鵜烏《うがらす》であった。全身は真黒で、嘴《くちばし》だけが朱色《しゅしょく》に輝いていた。その烏は科学者の方をジロジロと見廻しているようであったが、呀《あ》ッという間もなく液体のなかにもぐってしまった。すると又ヒョクリと浮かび上がって来るのであった。その男の言うところによると、これは生きている烏ではなく、鵜烏の模型なのだそうである。ただ或る仕掛けによって斯くは不思議な運動をするのだそうである。科学者はその仕掛けについて質問したがその男は、それを話しては商売にならぬから、説明書を金十銭で買えと薦《すす》めた。しかし科学者は、科学者たるの名誉を以てそれを拒絶すると同時に、バケツの前にしゃがみこんで考えた。
 或る物体が液面に浮かび出、又沈むというのは明かに浮力の作用である。見たところ液体は一定の密度を持っているらしいから浮力の計算式は、非常に簡単になる。浮いているものが沈むためには、どうしても外力が働かねばならない。外力は普通の場合、重力と気圧とに限られている。気圧が増大すると空気が圧縮せられて浮体自身の浮力が減少し、沈降を始めるわけだが、これは開放されたる大気中に在るのだから、そんなに気圧が変動する筈はない。それに鵜烏は浮かんでいるかと思うと、忽《たちま》ちサッと姿を没するほど運動は急激に行われるから、そのためには気圧は一瞬間に何十|粍《ミリ》という急角度の変動を必要とする。それは常識で考えても、又気象報告を調べても有り得べきことではない。
 重力の方の変動も、あまりに数値が大きいので勿論あり得べからざることだ。するとこの問題はいよいよ特殊の場合について研究することを要する。それには先ず液体について、疑問の矢を向けるべきであろう。何か特殊な溶液であるかも知れない、と考えたので科学者はいきなりバケツの中へ手をつきこんでみた。
「困るなア、旦那」とその薄ぎたない男が顰《しか》めッ面をして叫んだ。科学者はその間、早くもこの溶液が常温にあることと、多少の酸に似た臭気のある事を発見した。で彼は更に進んで聞いた。
「この液体はなんですか?」
「エエ……」
「この液体はナンであるですかッ?」
「これかネ――これは泥水でさア」
「アノ泥水――土の粒子《つぶ》を飽和した水……だと言うのかネ」
 科学者は眼をパチクリとしたが、その瞬間に彼の推理はプロペラの如く廻転をはじめた。――泥とは水を飽和したる土である。土というのは大地の微粒子である。大地は良い電導体であるし、水も電導体である。酸に似た臭気のあったところから、酸が混入したあったとすれば益々電導体の液体であると言わなければならない。而《しか》も液体の容器は錫鍍《すずめっき》鉄板《てっぱん》で出来ているバケツではないか。おお、この液面は大地電位《アース・ポテンシャル》に在る。この液面は接地《アース》されていたではないか、と科学者は意外な発見に興奮して来るのをヤッと冷静に抑えつけることが出来た。
 鵜烏は不電導体である。これを載せたる液面は良電導体である。若しこれがアベコベだったら鵜烏に小さい鉄片をつけて置いて、液中に電磁石をしのばせれば、電磁石の吸引力で鵜烏を水中に引っ張り込むことが出来るのだが、如何にせんそれとは全く逆であるのだから駄目だ。
 だが全く逆であること、つまりある条件がネガティヴ的に満足されているということは、一寸面白い問題ではあるまいか。若し液が帯電状態にあるものとし、これが普通の状態として非帯電状態に在る鵜烏を見れば、これは明かにネガティヴの電気的歪力がかかっているとも考えられるわけである。所謂、相対性理論をつかえば立派に証明のできることではあるまいか。すると、この薄汚い男は、早くも其の結論をつかむことが出来て、今や夜店に出でて商品を売り研究費の回収と、製品の寿命試験《ライフテスト》をやっているのではあるまいか。科学者は、正《まさ》しく素晴らしい研究問題にぶつかったのを感じた。更に更に偉大なる研究のフィールドがこれを緒《いとぐち》としてひらけて来るであろうと思った。こうなれば冑《かぶと》を脱いで彼の男の結論の前に礼拝するのが得策であると感じたので、科学者は十円札を出して叫んだ。
「君、説明書を売ってくれ給え」
「十円ですか、おつりがありませんよ」
「おつりはいらんです。君の持っている説明書をみな下さい」
 科学者は説明書の束と、セルロイド製の鵜烏の入ったボール箱とを小脇にかかえると猛然として夜店の人波をつき崩し、真《まっ》しぐらに下宿の自室へとび込んだ。そして机の前に座るや、あらゆる公式と数値とを書いたハンドブックや、計算尺の揃っているのを見極めた上で、説明書を開いた。
「偉大なる結論というものは、大約《おおむね》短いものだ」
 と早くも彼は嘆息した。そして両眼のピントを合わせてその結論を声高らかによみあげた。
「鵜烏の尻に穴をあけ糸を結び、他の一端を泥鰌《どじょう》の首に結びつくるべし。水は底が見えぬよう濁り水とすべし」
 科学者には、何のことだか薩張《さっぱ》りわからなかったが、数回反読する事によって、液体の沈降に及ぼす外力が泥鰌であることを了解し過ぎるほど了解した。それから次の説明書をよんでみたが、どれもこれも同じことばかりが書いてあった。科学者は彼の予想のはずれたことを悲しんでしばらくは死んだようになっていた。
 しかし兎も角も実験だけはして見ようと思って泥鰌を一匹買って来て、説明書の通りにセルロイドの鵜烏に糸を以て接続し、澄明なる水をたたえた大きいビーカーの中で実験をして見たところ、泥鰌は底に安定して居ず、いつも水中を上へ上ったり宙返りをして下りてきたりする不思議な運動をくりかえすことを発見した。そこへ梯子段をミシミシいわせて上って来た下宿の女将《おかみ》が頓狂な声を張りあげた。
「先生は、鵜烏の水くぐりを夜店でお売りになるのですか」
「ソ、そうじゃない。之を御覧、不思議な総合現象だ。全く新しい実験だ」
「いやですよ、先生。こんなものは、もう三年も前からありますよ、先生」
「……」
 女将がズシリズシリと階下《した》へ降りて行ってしまうと、科学者は深い歎息をして、独り言を言った。
「物理《フィジーク》や化学《ケミー》をやっている科学者には、生物学なんてニガテだな」



底本:「海野十三全集 別巻2 日記・書簡・雑纂」三一書房
   1993(平成5)年1月31日第1版第1刷発行
初出:「科学画報」誠文堂新光社
   1929(昭和4)年8月号
※この作品は初出時に署名「佐野昌一」で発表されたことが、底本の解題に記載されています。
入力:田中哲郎
校正:土屋隆
2005年1月7日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。



恐怖について

海野十三


 恐怖なんて、無くもがなである。
 ――と片づけてしまふ人は、話にならない。恐怖は人間の神經を刺戟することが大きい。ひどい場合は、その場に立ち竦んで心臟痲痺を起したり、或ひは一瞬にして頭髮悉く白くなつて白髮鬼となつたりする。そんな恐怖に自分自身が襲はれることはかなはんが、さういふ恐怖がこの世にあることを聽くのは極めて興味深い。探偵小説が喜ばれる一つの原因は、恐怖といふものが盛られてゐることに在る。
 探偵小説を好む私として、恐怖に魅力を感ずるのは、當然のことであらう。今日は一つ、平生私の感じてゐる恐怖の實例をすこし拾つて、同好の諸君に捧げようと思ふ。
 私は踏切を通ることが恐しい。うちの近所には、番人の居ない踏切があつて、よく子供が轢き殺され、「魔の踏切」などと新聞に書きたてられたものである。あすこへ行き掛ると、列車が風を切つて飛んできて、目と鼻との間を轟々と行き過ぎることがある。列車が通過してから、その光つてゐるレールを跨ぐときに、何とも名状し難い戰慄を覺える。もしも自分の眼が狂つてゐて、列車が見えないのだつたらどうだらう。かう跨いだ拍子に、自分は轢き殺されてゐるのだ。人間といふものは、死んでも、死んだとは氣がつかないものだといふ話を聞いてゐるので、レールを跨ぎ終へたと思つても安心ならない。こんな風に恐怖をもつて踏切を渡るのは、私一人なのだらうか。
 子供を抱いて、ビルデイングの屋上へ上つたことがある。最初はたしか淺草の富士館だと思つた。上つてみると館内の賑かさに比べて、屋上は人一人ゐないのである。下を覗いてみると、通行の人の頭ばかりが見える。舖道までは大變遠い。私は怪物重力に急に引張られる氣配を感じた。そのとき私の腕の中にゐた子供が、無心で私の顏を叩いた。ゴム毬のやうに輕い子供である。私は突然、腕を伸ばして子供をポイと下に墜としてみたい衝動に襲はれた。
「これは、いけない!」
 私は一生懸命に、自分自身を叱つた。しかし怪物重力は私にのりうつつて、(早く子供を下に抛げろ!)と誘ふ。私は慄然として恐怖に襲はれた。もつと遊んでゐたいと子供が泣きだすのも構はず、夢中で梯子段の方へ退却していつた。それ以來、子供を連れてゐるときは、屋上へのぼらないことにしてゐる。
 夢の中に見る恐怖のうち、特に恐ろしい光景が二つある。一つは、空をみてゐると、太陽が急に二つに殖え、アレヨ/\と見てゐる間に三つにも四つにも殖えてゆくのをみるときだ。そんなときの太陽は、いつも光を失つて、まるで朱盆のやうな色をしてゐる。野も山も、いつの間にか丸坊主になり、プス/\と冷い水蒸氣が立ちのぼつてくる。世界の終りだ! 私はビツシヨリ寢汗をかいて、目が醒める。
 もう一つは、フロイド先生の御厄介ものだが、洪水の夢をみるときだ。雨は暗い空からジヤン/\[#「ジヤン/\」は底本では「シヤン/\」]降つてゐる。水だ/\といふ聲がするので、外に出てみる。なるほど水嵩が増してゐる。水面は手のとどきさうな近くにまで上つてゐる。川幅はもう海のやうに廣くなつてゐる。碧い水は轟々と渦を卷いて、下へ流れてゆく。上手をみてみれば[#「みてみれば」は底本では「みてあれば」]、川面が上へ傾いてゐるではないか。これでは水の減る見込は全然ない。不圖私は川下に、家族を殘して來たことを思ひ出す。この水が川下へ落ちてゆくときは、私の家族の全部の溺れ死ぬるときだ、とさう思ふと、私は堪へ難い恐怖に襲はれて、目が醒める。
 何にも音のしないところへゆくと、これがまた恐ろしい。いつだつたか陽春の眞晝、郊外の廣い野原へ出た。蓮華や蒲公英が、たいへん綺麗に咲き擴がつてゐる。私は童心に歸つて、それを一本々々、右手で摘んでは左手に束ねてゆく。花束はだん/\大きくなつていつた。しまひに摘みくたびれて、野原の眞中に立ちどまつた。急に自分の身邊が氣になり出す。耳を澄まして聽くと、サア大變だ。人聲もしなければ、工場の汽笛の音も聞えない。さつきまで吹いてゐた風さへ治まつて、全く音といふものが聞えない。鼓膜があつてもなんにもならない。自分は死んでしまつたのではないか――と、さう思つた瞬間、名状すべからざる戰慄が全身に匍ひのぼつて來た。……後で考へると、あのときは、咳でもするとか、軍歌でも歌へばよかつたのにと思ふ。
 中學生のころ、體操の時間に、高い梁木を渡らされるのが、この上もなく恐ろしかつた。梁木に昇らされる日は、(今日は、やるナ)と時間の始めに直ぐに感じたほどだつた。ブル/\と上へ昇つてみると、鼠色のペンキを塗つた幅の狹い梁木が、もう半ば腐りかけてゐた。この次、渡されるまでに、腐り落ちてしまはないかナと、いつも思つたことだつた。
 同じ屋根の下に暮してゐる同僚なのだが、暫く顏を合はせない。そのうちに、向からヒヨツクリやつて來て、急になれ/\しく話を始める。無論親しい同僚のことだから、なれ/\しく話を始めたつて一向不思議でない。しかしそのときこつちでは盛んに喋る同僚の顏を不圖見て、急に駭く。同僚の顏がまだ一度もこれ迄に見たことのない顏に見える。サアさうなると、俄かにその同僚が恐ろしくなる。逃げようとするのだが、逃げられない。全身が竦んでしまつたのだ。恐ろしさに、私はブル/\慄へだすことがある。
「フランケンシユタイン」といふ映畫を見たときのことだ。フランケンシユタイン博士が墓場から盜んで來た澤山の人間の屍體のいい部分だけ集めて、これを接ぎ合はせ、アルプスの最高峯で、何億ヴオルトといふ空中電氣に叩かせると、その寄せあつめの屍體がピク/\と動き出す。遂に博士の研究が成功して、新しい生が始まつたのだ。ところが、この男の腦髓といふのが、恐ろしい殺人犯のものだつたからたまらない。彼は地中の檻を破つて、とび出してくる……といふ場面があるが、このときほど私は恐怖にうたれたことはない。急に足先から膝頭の上まで、ゾーツと冷くなつたので、いかに恐ろしかつたかが判るであらう。
 大正十二年の關東大震災のとき、燒跡にトタンをあつめて小屋を作り、眞暗な夜を寢たことがあつた。疲れてゐるが不氣味で寢られない。そのとき、東の方四五丁先と思はれるところで、イキナリうわツーといふ閧の聲があがり、ドドーン、ドドーンといふ銃聲が俄かに起つた。
(何事か?)
 と思ふ間もなく、人がバラ/\と逃げてきて、小屋の傍をすり拔けていつた。
「いま、こつちへ、襲撃してきます。人がゐることが判ると、この邊に居る者は皆殺されてしまひますから、どんなことがつても[#「どんなことがつても」はママ]聲を出さないで下さい。」
(もう駄目だ。)
 と私は思つた。こんなことで殺されるのかと思ふと、暗闇の中にポタ/\涙が流れでて、頬を下つていつた。死といふものに直面した怖ろしさに、慄へあがつた。
「智者は惑はず、勇者は懼れず」といふ。しかし勇者とても、凡て人間である限り、恐怖は感ずるのだ。唯、恐怖を感じツぱなしで終るのではなく、恐怖は恐怖として置いて、恐怖來るも豈懼れんやと勇氣を奮ひ起すのだと思ふ。そして勇者こそ最も恐怖の魅力といふものを知つてゐるのではなからうかと思ふ。私の如き非勇者の話よりも、勇者の語る恐怖の魅力こそ、眞に聞き甲斐のあるものだらうと考へるのである。
[#地付き]『ぷろふいる』昭和九年五月号



底本:「海野十三メモリアル・ブック」海野十三の会
   2000(平成12)年5月17日第1刷発行
初出:「ぷろふいる」
   1934(昭和9)年5月号
入力:田中哲郎
校正:土屋隆
2005年1月7日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。



科学が臍を曲げた話

海野十三


 みなさん、科学《サイエンス》だって、時には気むずかしいことがありますよ。そんなときには、臍《へそ》を曲げちまいますよ、臍をネ。
 童話みたいですが、昔、オーストリヤの王様が、世界最大のダイヤモンドを所有したいという欲望を持って、持っているだけのダイヤを全部|坩堝《るつぼ》に入れて融合させようと思ったところが、もともと炭素のかたまりであるダイヤは、忽《たちま》ち一陣の炭酸|瓦斯《ガス》と変じて、空中に掻《か》き消えたという昔話があります。これも臍まげの一つです。
 この時代、天下を横行した錬金術《れんきんじゅつ》というのは、頗《すこぶ》る大きな目標を持っていました。万物《ばんぶつ》何でも金《きん》に変えるというのです。到るところで錬金術師は鞴《ふいご》を吹いたりレトルトを炙《あぶ》ったりしましたが、遂《つい》に成功しませんでした。何でも、「哲学者の石」というのがあって、それさえ使えば万物が黄金にかわる筈《はず》だと云い出したものがいて、今度は哲学者の石を探し歩く宝探しのようなことが始まりました。これも遂に駄目だったことは、今日《こんにち》金の高いことによって皆さんご存知のとおりです。
 しかし科学の上に於ける失敗は、他の失敗と違って、失敗しぱなしで終るものではありません。錬金術のお蔭で、化学というものが大変発達しました。日本には錬金術師が居なかったお蔭で、化学というものは一向に芽をふいて来ませんでした。――而《しか》して、近代になって、長岡半太郎博士は水銀を金に変化する実験に成功して、遂に人類の憧《あこが》れていた一種の錬金術を見出したわけです。その方法は、水銀の原子の中核を、|α粒子《アルファりゅうし》という手榴弾《しゅりゅうだん》で叩き壊すと、その原子核の一部が欠けて、俄然《がぜん》金に成る。つまり物質は、金とか鉛《なまり》とか酸素とか水銀とか云うが、これを形成している物質は共通であり、唯それに含有《がんゆう》せられている数が違うために、いろいろ違った物質となっているものだという見地《けんち》から、この名案が考え出されたのです。
 しかし科学は矢張り臍まがりで、この方法はまだ実用に遠く、金には成るには成るが、顕微鏡で探さねばならぬ程ですから、費用仆《ひようだお》れで金にはならない。……だが油断は出来ませんぞ。最近になって人造《じんぞう》宇宙線の研究が俄《にわ》かに盛んになりましたが、この研究が進むといよいよこの人造宇宙線を使って、水銀を金に化《か》することが他愛《たわい》もなく出来るようになりそうな気がします。勿論そうなったからといって悦《よろこ》ぶのは早い。金が簡単に出来るようになったら、今日一|匁《もんめ》十何円|也《なり》という金が、一匁一銭也位になるでしょうから、いくら金がドンドン手に入っても仕方がないでしょう。まあそのときは、鼻紙に金でもって頭文字《イニシャル》でも入れることですネ。
 宇宙線の人造ということも面白い問題ですが、その宇宙線と並んで現代で人気のあるのは超短波《ちょうたんぱ》でしょう。
 超短波というと電波の一種で、波長がたいへん短い。一メートルから十メートル位の間のものです。ラジオ放送に使っているのは二百から五百メートルですから、いかに短いかということが判りましょう。
 この超短波についても、いろいろと面白い失敗が繰りかえされました。超短波を使って近くで通信をすると、びっくりするくらい大変よく聴える。しかるに何百キロ何千キロという遠方《えんぽう》になると、どんなに電力を増《ま》しても聴えない。これは可笑《おか》しいというのでいろいろ調べてみました。
 電波というものは、地表の一点から発射されると、どんな道を通って前進するか? お月様が傘《かさ》を被《かぶ》ったときに外に輪が見えますが、あれに似た恰好《かっこう》に、地球の外には、地球を包んで電気|天井《てんじょう》というのがあります。電気天井の高さは、地表から百キロぐらいです。電波はこの電気天井と地表との間に明いている空間を走るのです。走るといっても、波長が長いラジオのような電波なら、足を地表につけたままで前進するし、短波のように短い電波になると、地上から探照灯《たんしょうとう》を出したような恰好に空に向けて前進し、電気天井にあたってまた下へ下りて来ます。例えば青森で出すと上へ上って門司《もじ》の上空で電気天井にぶっつかり今度は反射して台北《たいほく》へ下りてくるという風に、下りたところに受信機《じゅしんき》があれば聴える。この電気天井へ反射するため、短波は遠方でもよく聴える。中には下りて来たのが又地面にあたって反射し、再び電気天井にあたって反射し、もう一度下へ下りて来るというのもあります。しかし要《よう》するに、電波は上へ上っても、電気天井で跳《は》ねかえされることが判りました。
 ところが例の超短波になると、いくら電力を増しても届かぬので、一体どこへ行ってしまうのだか判らない。狐《きつね》に鼻をつままれたような恰好で、大迷宮《だいめいきゅう》事件にぶっつかったとでも云いたいところです。使いに出した者が途中で煙のように消えてしまうのですから、これは面妖《めんよう》な話。
 ところが其の後だんだん調べてみると、少しずつ判って来ました。そして遂《つい》に確かな結論が生れて、人々は「なアーんだ」ということになりました。超短波は一体|何処《どこ》へ行ったのか。地表と電気天井の間で煙のように消えてしまったものではなく、実に電波にとっては金城鉄壁《きんじょうてっぺき》だと思われていた電気天井をばまるで籠《かご》の目から水が洩《も》るように、イヤそれよりもX光線が木でも肉でも透《すか》すように、超短波は電気天井をスースー外へ抜けていたのでした。スースー外へ抜けているのですから、いくら放送局で電力を増してみても、地上には少しも応答《おうとう》のないのも無理はありません。超短波は電気天井を抜け、地球の羈絆《きはん》を切って一直線に宇宙へ黙々《もくもく》として前進しているのです。
「ああ、ちょっと聞き給え、変な電波が聴えるぜ。我が火星[#「火星」に傍点]にはこんな符号《ふごう》を打つ局はない筈《はず》だ、ハテナ?」
 というような訳で、この超短波は案外火星あたりで問題にしているのじゃないかと思われます。とにかく超短波の行方不明《ゆくえふめい》事件が幸《さいわ》いになって、電波の中には電気天井をスースー抜けるものがあることが判りました。とは云うものの未《いま》だに火星からも、
「オイ地球君! 待望の電波を有難《ありがと》う!」
 などと云って来ないところを見ると、出奔《しゅっぽん》した超短波の落ちつく先は案外怪しいかも知れないんですが、まだそこまで判っていません。
 この超短波をデアテルミーのように、人体《じんたい》に通しますと、癌《がん》などに大変|効《き》き目のあることが発見されました。これをラジオテルミーと呼んでいますが、デアテルミーよりもずっと効き目が強いのです。この施術《しじゅつ》の方法は、超短波が盛んに通っている二つの電極《でんきょく》の間に、人体の患部《かんぶ》を入れるのです。電極というのは金属板で出来ていまして盆《ぼん》のように丸い平べったい板です。
 ところが或る時、研究室で飛んでもないことが起りました。超短波を盛んに起して置いて、実験者がそれに手を近づけましたのですが、本当は先ず手を先に電極板の間に入れて置いて、あとでスイッチを入れて超短波を起す方がよいのです。このときはつまり逆の順序でやりました。実験者は研究中のことですから、いろいろやって見る必要があります。そうしないとよい装置も出来ないし、性質も深く知ることが出来ません。実験者はその手を電極板の中央に入れる代りに、電極板の端の方に近づけてみました。恐《おそ》らく違った結果が現れるだろうと思ったのです。近づけるに従って、指の股の辺がスースーと涼しくなりました。それを尚《なお》も近づけると、指が急に熱くなり始めました。それを辛抱《しんぼう》していますと、急に手が吸いつけられるように、電極板に引寄せられました。
「こいつは、いかん!」
 と思う間もなく、指が電極板の端《はし》に触れました。途端《とたん》にうずくような痛みが感ぜられ、同時にコロリと下に落ちたものがあります。サーッと真赤な血が花火のように噴《ふ》き出《だ》しました。
「ウム……」
 実験者はもぎとるように手を強く引きました。手は幸い極板《きょくばん》を離れました。実験者はホッとして、その手を眺めました。ところが、サア大変です。指が足りない! 美事《みごと》に伸びていた四本の指が根こそぎ切り落とされ、残っているのは拇指《おやゆび》一本! 指の無くなった跡からは、盛んに血が飛び出して来る。実験者はサッと蒼《あお》くなりました。一方の手で傷口を抑えたまま、ウンといって其の場に仆《たお》れてしまった。一体どうしたというのでしょう? 医療器《いりょうき》だと思って安心していたのが、俄然《がぜん》殺人器に転じてしまったのです。駭《おどろ》いたのも無理がありません。
 超短波メス――というのが生れたのは、それから間もないことでした。意外な失敗、それは超短波についての認識不足から起ったことでありました。しかしその思い違いが正《ただ》されると、超短波はまた一つの仕事を受け持つようになりました。それは電気メスです。超短波電流をナイフ様《よう》の尖《とが》った金属片《きんぞくへん》に通じ、これを肉に近づけると、面白いほど切れます。それはどれほどよく磨《と》いだメスよりも軍刀《ぐんとう》よりも切れ味がよいのです。科学が臍を曲げると妙なことになります。
 臍で思い出しましたが、臍に縁《えん》のある雷《かみなり》さまの話ですが、あれを避けるのに避雷針《ひらいしん》というものがあります。避雷針は屋根の上に尖った金属棒を立て、その下に銅線を接《つな》ぎ、下に下ろし、その尖端を地中に埋めます。銅線の尖端には大きな銅板をつけると一層効果があります。雷が上空から来ると、針の鋭い電気|吸引力《きゅういんりょく》で、雷が忽《たちま》ち吸いよせられ、この針の上に落ちますが、落ちると同時に電線を伝わって地中へ潜《もぐ》りこみ、勢《いきおい》を失ってしまいます。これは云うまでもなく雷の正体は電気ですから、針に引っかかったと同時に、導電体《どうでんたい》を伝わって地中へ潜るのです。この道が出来ているために、大きな音もなんにもしません。ピチッという位です。
 或る所で、それはそれは立派な避雷針を建てました。主人公は大自慢です。何処《どこ》の家のより立派だというのです。ところが、間もなく雷鳴《らいめい》が始まりましたが、雷は天地も崩《くず》れるような音をたてて真先《まっさき》にこの家に落ちました。勿論《もちろん》人死《ひとじに》が出来、家は雷雨《らいう》の中に焔々《えんえん》と燃えあがりました。これはスグスグ雷はいつもの調子で、針の上に落ちてみますと、針の下から地中へ行く道が作ってないのです。つまり銅線が接《つな》いでありません。仕方なしに屋根や柱、襖《ふすま》に障子などを伝わって地中へ辛《かろ》うじて逃げたのです。この家の主人は避雷針の針ばかりを見て来て、肝心《かんじん》の銅線や接地板《せっちばん》の必要なことに気がつかなかったのでした。
 それと又別の話に、或る村で避雷針を立てましたが、これは電気的に完全な避雷針でしたが、ところがその針を立ててから、その村の落雷が俄《にわ》かに殖《ふ》えたという噂が立ちました。そんな馬鹿な話はないと、学者はてんで受けつけません。避雷針を立てて、落雷が殖えるなんて、およそ有り得《う》べからざることです。
 ところが段々研究して行ってみると、そういう有り得べからざることが有り得るかも知れないということになりました。早く云えば避雷針は雷を殖やすことあるべしということです。その解釈《かいしゃく》を申しますと、避雷針は雷を引き寄せるのですが、避雷針の高さの三倍までの距離以内のものは、避雷針へ吸い取ることが出来る。しかしそれ以上のものまで効《き》かない。だから四五倍の距離の空中まで呼び寄せられ、その辺でマゴマゴしている雷は、已《や》むを得ず人家や森を伝わって下に落ちねばならぬことになる――というのです。



底本:「海野十三全集 別巻1 評論・ノンフィクション」三一書房
   1991(平成3)年10月15日第1版第1刷発行
初出:「新青年」
   1934(昭和9)年9月号
※初出時の署名は、丘丘十郎です。
入力:田中哲郎
校正:土屋隆
2005年6月14日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。



寺田先生と僕

海野十三(佐野昌一)


 題名ほどの深い關係もないのであるが、科學ペンからの求めで、已むを得ず[#「已むを得ず」は底本では「己むを得ず」]ペンを執る。
 僕が寺田先生を始めて知つたのは、多くの人がさうであるやうに、第一には「吾輩ハ猫デアル」の水島寒月に於て、また「三四郎」の野々宮理學士に於てである。これは書くまでもない至つて平凡なことである。只、その間、首くくりの力學には、始め滑稽を感じ、後學校で本物の力學を勉強するやうになつて畏敬と化した。首くくりはたしかに力學でもあつたからである。今も先生を心から敬慕して已まぬ[#「已まぬ」は底本では「己まぬ」]わけは、先生が首くくりにも力學を考へられた非凡なその學者的態度である。非凡とだけでは物足りない。悟りきつた、神のやうな學者的態度とでもいはふか。
 寺田先生から、手紙を一度頂いた事があつた。それは大正十二年の關東大震災の後に、東京朝日新聞紙上で、「私の探してゐるもの」といふ欄に先生が「羅災の人で、もしそのときの火災の進路について場所、風向、時刻について知らせて呉れると、たいへん學術上參考になる。また颱風に遭つた人は、それについても書いて欲しい。」と書かれた。僕は當時、淺草の今戸に居て、九月一日の午後五時ごろに自宅全燒の憂目に遭ひ、しかもその一時間ほど前には、もう生命もこれでお仕舞ひだわいと悲壯な覺悟をしなければならなかつたほどの大旋風にも襲はれたので、謹んで水島寒月先生に見聞記を奉つた。そのとき、當時着のみ着のまゝで燒き出された身の上であつたから、懷中はなはだ寒かつたが、この報告はどうしても東京市の地圖に矢印などを書きこまなければ要を盡さないと思つたので、無理に東京の地圖を遠方まで買ひにいつた記憶がある。
 さうして僕は、自分の見聞記を書いて、先生宛お送りしたわけであるが、そのとき折かへし頂いた先生の禮状が、前にいつた唯一の手紙なのである。
 惜しいことに、その手紙はその後轉々と引越をしたので、いつか失せてしまひ、今は甚だ殘念に思つてゐるが、なんでもレター・ペーパー二枚に丁重に書かれたもので、今日思ふと實に貴重な寶物であつたのに、惜しいことである。
 僕の提供したこの資料は、震災豫防調査會の第百號、關東大地震調査報文火災篇に、先生の手によつて「大正十二年九月一日二日の旋風に就て」の項に輯録せられてあるが、次のとほりである。文中括弧内は、寺田先生の註である。

[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
(今戸一二六佐野昌一氏書信による)觀測者の位置、淺草區今戸一二六番地自宅前、長昌寺境内(小高い林の中)。九月一日午前三時半頃初めて夢見した。當時近隣では隅田川添の今戸橋白髯橋間の狹い地帶に火の手が見えないだけで、西は龜岡町、吉野町、山谷町、玉姫町いづれも火の手が盛であつた。風向は南々東であつた。急に轟々たる音響が聞えて西南の方聖天町邊(書信には圖が添へてあるが略する)に旋風の起つてゐるのを認めた。尤も始めは「がす、たんく」でも爆發したかと思つた位猛烈な勢であつた。黒褐色の煙の柱徑一町以上のものが天に沖し、中空以上は擴がつて雲のやうであつた。音は耳を聾するばかりの[#「聾するばかりの」は底本では「聾すりばかりの」]ぐおーつといふ音で、生來之に比較すべき音を聞いたことがない。非常な勢で廻轉してゐることは何か木片板片のやうなものが飛び交ふ樣子で分つた。廻轉は地上から向つて右ねぢの方向であつたと思ふが確かでない。避難者等は恐怖して悲鳴の聲、題目の聲が各所に起つた。風向きが東南に變り風が強くなつた。旋風は二三分位の後には待乳山の西側と思はれる邊まで進んで行つたが大きさは同樣であつた。其の内に音が小さくなり、風も治まり、柱状のものも以前ののやうに明瞭には見えなくなつた。そして南々西に向け、雷門吾妻橋の方へ(書信には地圖に矢を記入して方向を示してある)進んで行くやうに見えた。火の子が林の上から夥しく降つて來たが、布か木片の燃屑で中々大きかつた。發見後十五分位の後には遙に南々西の方向(附圖によると、吾妻橋西詰の方らしい)に前よりも高く上空迄暗雲中に象鼻状(見取圖略)の白氣が搖れながら立昇るを見た。其の後急に近隣の火の手が強くなり、今戸八幡の方にも火の手が擴がつて來たため、大川縁を傳ひ北方に、逃げる仕度を始めたので、後の状況は見なかつた。それは四時頃であつた。
[#ここで字下げ終わり]

[#ここから1字下げ]
風は其後一度東風に變りやがて西風に變り、四時半に長昌寺が燒失した。尚人々の話を綜合すると田中町小學校に旋風が發したと云はれ、又今戸公園に旋風が襲つたとき待乳山邊迄大いに荒れたさうである。又今戸八幡で旋風に遭ひ、身體が浮いたといふ老婆の實驗談を聞いた。
九月二日午後五時頃、當時燒跡に歸來し、境内に掘立小屋を作つてゐたが、南方から大判罫紙の燒焦げた片が數多落ちて來た。
(此項も東京朝日新聞の「探して居るもの」への寄稿である。詳細なる記述を謝する)
[#ここで字下げ終わり]

 といふわけで、ここまでは僕も相當得意であつたところ、それから四五頁後のところに先生は

[#ここから1字下げ]
以上は災後二三ヶ月以内に著者の手許に集つた材料の大要である。此等の中には可也信用の置かれるのもあり、又可也怪しいものもあるが、此點に就ては一切私見を加へることなしに、其儘を採録した。談話者又報告者の言葉もなるべく保存し、話の順序、の混雜したのや不得要領なのも故意に其儘にして置いた、さうした方が史料としての價値を損じないと思ふからである。
[#ここで字下げ終わり]

 と書かれてあつて、僕の得意の鼻はぽきんと折れてしまつた。
 先生はなほこれらの史料を過信することを戒められ、

[#ここから1字下げ]
兎も角も人間の眼で見た證據程當てにならないものはないといふ、心理學上の事實は、吾々の忘れてならない誡である。
[#ここで字下げ終わり]

 と、止めを刺されてゐる。僕としては、もつと常識を廣くして置いて確實な觀測をすればよかつたのにと、千載の一遇[#「千載の一遇」は底本では「千較の一遇」]を棒にふつてしまつた事を殘念に思ひ、かへつて寺田先生を悦ばせることの少なかつたことを遺憾に思つてゐる。しかし先生の出してゐられる旋風の特性を愛するノートは、實見者たる僕の同感する點が多い。だから、矢張り報告書をさしあげてよかつたと思つてゐる。
 寺田先生と一度お目に懸つてこんな思ひ出話をする好機を得たかつたが、遂にそのことなくして終つたのは、これまた心殘りである。
    ×      ×      ×
 先生のやうに、神か幼兒のやうに素直に物理學を專攻せられるの士は、他に類例があるまいと考へる。多少それに似た事をやる方はあつても、その心組みその悟りに於ては、蓋し雲泥の差があると思ふ。
 寺田先生の豪さには、明治大正昭和を通じて誰も傍に寄れる者がなからうと信ずる。
[#地付き]『科学ペン』昭和十二年十二月号



底本:「海野十三メモリアル・ブック」海野十三の会
   2000(平成12)年5月17日第1刷発行
初出:「科学ペン」
   1937(昭和12)年12月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:田中哲郎
校正:土屋隆
2005年1月7日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。



*地名

(※ 市町村名は、平成の大合併以前の表記のまま。一般的な国名・地名などは解説省略。
  • 東京市 とうきょうし 1889(明治22)5月1日から1943(昭和18)6月30日まで旧東京府管下におかれた市。当初の市域は府内15区で、特例により市長の職を府知事が兼務する変則的な自治体として発足した。1898年10月1日には特例廃止により普通の市制が適用されて市役所を開庁。1932年10月、隣接地域の82町村を市域に編入して新たに20区をおき、35区となる。36年10月北多摩郡の2村を世田谷区に編入し、市域は現在の23区の範囲になった。(日本史)
  • 上野 うえの 東京都台東区西部地区の名。江戸時代以来の繁華街・行楽地。
  • 浅草 あさくさ 東京都台東区の一地区。もと東京市35区の一つ。浅草寺の周辺は大衆的娯楽街。
  • 浅草の富士館
  • 今戸 いまど 東京都台東区北東部の一地区。隅田川に臨み、今戸焼などで有名。
  • 長昌寺 ちょうしょうじ 現、台東区橋場町。法華宗。弘安2(1279)の創建、元和年中再興とされる。浄土宗玉蓮院の南方にある。七面社・三十番社を祀り、享保5(1720)に奉納された大鐘を所蔵する。境内には古奥州街道の土手跡が残る。
  • 隅田川 すみだがわ (1) (古く墨田川・角田河とも書いた)東京都市街地東部を流れて東京湾に注ぐ川。もと荒川の下流。広義には岩淵水門から、通常は墨田区鐘ヶ淵から河口までをいい、流域には著名な橋が多く架かる。隅田公園がある東岸の堤を隅田堤(墨堤)といい、古来桜の名所。大川。
  • 今戸橋 いまどばし 現、台東区今戸・浅草・東浅草。浅草金龍山下瓦町から山谷堀に架かる橋。北に旧、浅草今戸町がある。
  • 白鬚橋 しらひげばし (江戸時代、奥州街道の白鬚の渡しがあったところに架橋されたために名づけられた)東京都台東区橋場と墨田区堤通を結び、隅田川にかかる橋。橋の東南方に白鬚神社がある。現在の橋は昭和6年(1931)架橋。
  • 亀岡町 → 浅草亀岡町
  • 浅草亀岡町 あさくさ かめおかちょう? 現、台東区今戸一〜二丁目。旧、新町。山谷堀の北岸にあり、東は長昌寺・浅草今戸町、西は源寿院・瑞泉寺・安盛寺・遍照寺に囲まれた地域の通称。弾左衛門の居所があった。新町は幕末まで弾左衛門支配場。明治4(1871)浅草亀岡町一〜三丁目となった。
  • 吉野町 → 浅草吉野町
  • 浅草吉野町 あさくさ よしのちょう 現、台東区今戸・東浅草・浅草・清川。
  • 山谷町 → 浅草山谷町
  • 浅草山谷町 あさくさ さんやまち 現、台東区東浅草・清川。旧浅草新鳥越町の北に続く日光道中沿いの両側町。
  • 山谷・三野・三谷 さんや 東京都台東区の旧町名。1657年(明暦3)の大火に元吉原町の遊郭が類焼して、この地に仮営業して新しい遊郭ができたから、新吉原の称ともなった。
  • 玉姫町 → 浅草玉姫町
  • 浅草玉姫町 あさくさ たまひめちょう? 現、台東区橋場・日本堤・清川・荒川区南千住。明治24年、浅草区分となっていた地方橋場町の一部が地方今戸町の一部と合併して浅草玉姫町と改称。
  • 聖天町 → 浅草聖天町
  • 浅草聖天町 あさくさ しょうでんちょう 現、台東区浅草六〜七丁目。浅草山之宿町の北西に続く日光道中両側の町。
  • 待乳山 まつちやま 東京都台東区浅草の本竜院(浅草寺末寺)の境内にある小丘。丘上に本竜院の本堂聖天宮があり、俗に聖天山という。古来、花柳界の信仰が厚い。
  • 雷門 かみなりもん 東京都台東区の旧浅草公園南端に隣接する地。浅草寺の風雷神門(雷門)があり、風神・雷神の像を祀る。
  • 吾妻橋 あずまばし 東京都台東区浅草と墨田区吾妻橋を結ぶ隅田川の橋。1774年(安永3)初めて架橋。現在の橋は1931年竣工。
  • 今戸八幡 いまど はちまん 現、今戸神社か。台東区今戸。旧、浅草今戸町の鎮守八幡宮。勧請された年代などは不詳だが、源頼義・義家により勧請されたとも伝える。寛永13年再興された。別当は浅草寺末の松林院。
  • 大川 おおかわ 隅田川の下流部における通称。
  • 田中町小学校
  • 田中町 → 浅草田中町か
  • 浅草田中町 あさくさ たなかちょう? 現、台東区清川・東浅草・日本堤。旧、山谷町在方分。浅草山谷町の西裏および山谷浅草町周辺にあり、大部分は今戸町在方分・橋場町在方分などと入会って散在する。明治22年、浅草区に編入され、同24年一部が浅草町・浅草山谷町・浅草元吉町へそれぞれ合併し、一部が千束村の一部と合併して浅草田中町と改称した。
  • 今戸公園 いまど こうえん 浅草隅田公園か。
  • 中野 なかの 東京都23区の一つ。新宿区の西に位置し、中央本線沿線の住宅地域。宝仙寺・新井薬師・哲学堂などがある。
  • 青森 あおもり 青森県の市。県庁所在地。津軽藩の外港として発展。東北本線・奥羽本線・津軽線の結節点。ねぶた祭は東北三大祭の一つとして有名。産業は食品・製材等の諸工業。人口31万2千。
  • 門司 もじ もと福岡県の市。1963年、小倉・若松・八幡・戸畑の4市と合併して北九州市となり、行政区名の一つ。関門海峡を隔てて下関市との間に関門海底トンネルが通じ、関門橋がかかる。
  • 台北 たいほく (Taibei) 台湾北部、台北盆地の中央にある台湾最大の都市。第二次大戦後、国共内戦に敗北した中華民国国民政府の首都。人口264万(1999)。タイペイ。
  • 英国
  • 米国
  • 死の谷 しのたに デスバレー/デスバリー Death Valley アメリカ合衆国西南部、カリフォルニア州の東境にある谷。大部分が砂漠で、夏は日中の暑さが激しく、開拓期の旅人に死の谷と恐れられた。標高2000〜3000mの山地にはさまれ、最底部の標高は海面下86m。
  • アルプス Alps ヨーロッパの中央南部に横たわる山脈。イタリア・フランス・スイス・ドイツ・オーストリア各国境に連なる。最高峰モンブラン(4807m)をはじめマッターホルン・ユングフラウ・アイガーなどの高峰がそびえ、氷河がある。
  • オーストリア Austria・墺太利。中部ヨーロッパの共和国。1278〜1918年ハプスブルク家が支配。第一次大戦後共和国となり、1938年ドイツに併合。第二次大戦後、米・英・仏・ソ4国によって分割占領、55年主権回復、永世中立国となる。主産業は鉄鋼・化学工業・酪農・観光。言語はドイツ語。面積8万4000平方km。人口817万5千(2004)。首都ウィーン。ドイツ語名エスターライヒ。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『日本歴史地名大系』(平凡社)。




*年表

  • 関東大震災 かんとう だいしんさい 1923年(大正12)9月1日午前11時58分に発生した、相模トラフ沿いの断層を震源とする関東地震(マグニチュード7.9)による災害。南関東で震度6(当時の最高震度)。被害は、死者・行方不明10万5000人余、住家全半壊21万余、焼失21万余に及び、京浜地帯は壊滅的打撃をうけた。また震災の混乱に際し、朝鮮人虐殺事件・亀戸事件・甘粕事件が発生。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。



*人物一覧

(人名、および組織・団体名・神名)
  • -----------------------------------
  • 科学時潮
  • -----------------------------------
  • 科学者と夜店商人
  • -----------------------------------
  • ファラデー Michael Faraday 1791-1867 イギリスの化学者・物理学者。塩素の液化、ベンゼンの発見、電磁誘導の法則、電気分解のファラデーの法則、ファラデー効果および反磁性物質などを発見。電磁気現象を媒質による近接作用として、場の概念を導入、マクスウェルの電磁論の先駆をなす。主著「電気学の実験的研究」
  • -----------------------------------
  • 恐怖について
  • -----------------------------------
  • フロイト Sigmund Freud 1856-1939 オーストリアの精神医学者。人間の心理生活を、無意識の領域内に抑圧された性的衝動(リビドー)の働きとその制御という観点から分析することを提唱し、精神分析を創始。主著「夢判断」「日常生活の精神病理学」「精神分析入門」
  • -----------------------------------
  • 科学が臍をまげた話
  • -----------------------------------
  • 長岡半太郎 ながおか はんたろう 1865-1950 物理学者。長崎県生れ。阪大初代総長・学士院院長。土星型の原子模型を発表。光学・物理学に業績を残し、科学行政でも活躍。文化勲章。
  • -----------------------------------
  • 寺田先生と僕
  • -----------------------------------
  • 寺田寅彦 てらだ とらひこ 1878-1935 物理学者・随筆家。東京生れ。高知県人。東大教授。地球物理学を専攻。夏目漱石の門下、筆名は吉村冬彦。随筆・俳句に巧みで、藪柑子と号した。著「冬彦集」「藪柑子集」など。
  • 震災予防調査会 しんさい よぼう ちょうさかい 明治・大正時代の文部省所轄の地震研究機関。明治24年(1891)濃尾大地震のあと建議され発足。活動は明治25年より大正14年(1925)の34年間。大森房吉が精力的に活動。大正12年、関東大地震が発生し、この被害にかんがみ委員制ではなく独自の研究員と予算をもつ常設研究所設置の必要がさけばれ、大正14年、研究所発足とともに調査会は発展解消された。(国史)


◇参照:『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『国史大辞典』(吉川弘文館)。



*書籍

(書名、雑誌名、論文名、映画・能・狂言・謡曲などの作品名)
  • -----------------------------------
  • 科学時潮
  • -----------------------------------
  • 『緑の汚点』
  • 『新青年』 しんせいねん 探偵小説・推理小説雑誌。月刊。大正9(1920)博文館から創刊。昭和25(1950)廃刊。江戸川乱歩・横溝正史・小栗虫太郎・久生十蘭ら、日本の探偵小説・推理小説の代表的作家を生んだ。   
  • 『新青年』 1928(昭和3)年1月号。
  • -----------------------------------
  • 科学者と夜店商人
  • -----------------------------------
  • 「科学画報」誠文堂新光社 1929(昭和4)年8月号
  •    
  • -----------------------------------
  • 恐怖について
  • -----------------------------------
  • 『フランケンシュタイン』 Frankenstein (1) M.シェリー作の怪奇小説。1818年刊。科学者フランケンシュタイン博士の製作した醜怪な人造人間が、博士の約束違反に腹を立て、人間の世界に拒否されて殺人に走る物語。(2) (1) の映画化作品。1931年、アメリカで製作。
  • 『ぷろふいる』昭和九年(一九三四)五月号
  • -----------------------------------
  • 科学が臍をまげた話
  • -----------------------------------
  • 『新青年』 1934(昭和9)年9月号
  • -----------------------------------
  • 寺田先生と僕
  • -----------------------------------
  • 『科学ペン』
  • 『吾輩は猫である』 わがはいはねこである 夏目漱石の小説。1905〜06年(明治38〜39)雑誌「ホトトギス」に発表。英語教師苦沙弥先生の飼猫を主人公として擬人体で書かれ、諷刺的な滑稽の中に文明批評を織り込む。
  • 『三四郎』 さんしろう 小説。夏目漱石作。1908年(明治41)朝日新聞に連載。九州から上京した大学生小川三四郎の青春を描き、当代の文明を批評。
  • 「首縊りの力学」 寺田寅彦の著。
  • 『東京朝日新聞』「私の探しているもの」
  • 『東京朝日新聞』 とうきょう あさひ しんぶん 日刊新聞である『朝日新聞』の東日本地区での旧題。1888年、大阪の朝日新聞社が『めさまし新聞』を買収。『東京朝日新聞』と改題の上、新創刊。大正期には東京五大新聞(東京日日、報知、時事、國民、東京朝日)の一角と数えられ、関東大震災では大打撃を受けるが、大阪本拠の利点を生かして立ち直り、逆に在京既存紙を揺るがす形で伸張。(Wikipedia)
  • 『関東大地震調査報文』火災編 震災予防調査会の第一〇〇号。
  • 「大正十二年九月一日・二日の旋風について」 寺田寅彦の著。
  • 「寺田先生と僕」『科学ペン』昭和十二年(一九三七)十二月号 海野十三(佐野昌一)の著。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。



*難字、求めよ

  • -----------------------------------
  • 科学時潮
  • -----------------------------------
  • 架空線 かくうせん 支持物によって空中に架設した電線。
  • ポール pole (3) 電車などが架線から電気を取り入れるための棒状のもの。トロリーポール。電車の屋根に取り付けられた電流受けの棒。
  • パンタグラフ pantograph (1) 電車・電気機関車の屋上に取りつける菱形の集電装置。ばね、または圧縮空気で上下し、架線との接触面は銅すり板または炭素すり板を用いる。
  • 地下鉄道 → 地下鉄
  • 地下鉄 ちかてつ (地下鉄道の略) 市街地などの地下にトンネルを掘って敷設した鉄道。1863年ロンドンに初めて開通、日本では1927年東京の浅草・上野間に初めて開業。
  • 特許局 とっきょきょく 特許庁の前身。
  • 審決 しんけつ 審判における審理の決定。特に、公正取引委員会や特許庁が具体的事件について訴訟手続に準ずる手続を経て行う公権的判断。
  • 無線電話 むせん でんわ 電線の媒介によらず、電波を利用した電話。
  • 先登 せんとう (1) まっさきに敵城に登ること。まっさきに敵城に切り入ること。いちばんのり。さきがけ。先陣。(2) まっさきに到着すること。また、まっさきに物事を行うこと。
  • パイロット・ランプ pilot lamp 電気回路・機器などで、開閉・運転などの状況を示すために用いる電球。いまでは発光ダイオードが多用される。
  • 発足 はっそく (1) 出発すること。(2) 団体などが新設され、活動を開始すること。ほっそく。
  • 気早 きばや 気の早いこと。また、そういう性質の人。せっかち。
  • ラジウム・エマナチオン Radiumemanation ラドンの同位体の一つ。質量数222。ラジウム226の崩壊で生じる。
  • -----------------------------------
  • 科学者と夜店商人
  • -----------------------------------
  • さてこそ (コソは強めの助詞) (1) そうしてこそ。そのようでこそ。(2) やはり。思った通り。
  • ポール・トランス 柱上変圧器。
  • 変圧器 へんあつき 交流電流の電圧を変える装置。トランスフォーマー。トランス。
  • 鉄心 コーア (2) 物の心(しん)に鉄を入れたもの。コア。
  • コロイド colloid (ギリシア語のkolla(膠の意)に由来) 分子よりは大きいが普通の顕微鏡では見えないほど微細な粒子(コロイド粒子)が分散している状態。膠・澱粉・寒天・蛋白質の水溶液などで見られる。膠質。
  • 暗界 ダークスペース
  • 鵜烏 うがらす (方言)(1) 鵜(う)。(2) かわがらす、みそさざいの類。
  • 大地電位 アース・ポテンシャル
  • アース earth (大地・土の意) 電気装置などを地面と接続すること。また、その接続線。地球の電位と等しくさせ、また過大電流が装置に入るのを防ぐ。地絡。接地。
  • ポテンシャル potential (1) 潜在する能力。可能性としての力。(2) 〔理〕粒子が力の場の中にある時、その位置エネルギーを位置の関数として表したスカラー量。ポテンシャル一定の面は力線に直交し、力はポテンシャルの微分に負号をつけたものとなる。
  • いかにせん 如何にせん。(1) どうしよう。(2) どうしようもない。
  • 歪力 わいりょく 〔機〕(→)応力に同じ。
  • 応力 おうりょく 〔理〕(stress) 物体が荷重を受けたとき荷重に応じて物体の内部に生ずる抵抗力。その強さは物体内部にとった任意の単位面積を通して両側の部分が互いに及ぼしあう力で表される。現れ方により、圧力・張力・ずれ応力などがある。内力。歪力。
  • 相対性理論 そうたいせい りろん (theory of relativity) アインシュタインが創唱した特殊相対性理論と一般相対性理論との総称。特殊相対性理論は1905年に提出され、光の媒質としてのエーテルの存在を否定、光速度がすべての観測者に対して同じ値をもつとし、また自然法則は互いに一様に運動する観測者に対して同じ形式を保つという原理をもとに組み立てられた。一般相対性理論は1915年に提出され、前者を一般化して、すべての観測者にとって法則が同形になるという要請から万有引力現象を説明。この理論によれば、時間と空間は互いに密接に結びつけられて、4次元のリーマン空間を構成する。相対論。
  • セルロイド celluloid ニトロセルロースに樟脳をまぜて製した半透明のプラスチック。セ氏90度で柔軟となり、冷却すれば硬くなる。燃えやすい。玩具・フィルム・文房具・装身具などに用いられた。最近ではアセチルセルロース系のプラスチックを多く用い、これを不燃セルロイドと称する。
  • 澄明 ちょうめい 水・空気などがすみきっていること。すみきって明るいこと。
  • -----------------------------------
  • 恐怖について
  • -----------------------------------
  • なくもがな 無くもがな (ガナは希望を表す助詞) なくてもいい。ない方がいい。あらずもがな。
  • 白髪鬼 はくはつき
  • 慄然 りつぜん 恐ろしさにおののきふるえるさま。
  • 朱盆 しゅぼん 朱を用いて塗った盆。また、朱色に塗った盆。
  • 陽春 ようしゅん (1) 陽気のみちみちた春。暖かく明るい春。
  • 梁木 りょうぼく 体操用具の一種。地上に2本の高い柱を立て、その柱の頂に横木をわたし、その上を渡り歩くもの。
  • 空中電気 くうちゅう でんき 空中における種々の電気現象。雷雨時・降雨時の荷電や空中電位の類。
  • -----------------------------------
  • 科学が臍をまげた話
  • -----------------------------------
  • 錬金術 れんきんじゅつ (alchemy)古代エジプトに起こり、アラビアを経てヨーロッパに伝わった原始的な化学技術。近代化学の基礎がつくられるまで全ヨーロッパを風靡、卑金属を金・銀などの貴金属に変化させたり、不老不死の万能薬を製出したりすることなどを試みた。これらに成功はしなかったが、種々の化学物質を取り扱う技術の発達を促した。
  • レトルト retort (1) 蒸留などに用いる化学実験用器具の一つ。フラスコの頸の曲がった形をしている。
  • 哲学者の石 → 賢者の石
  • 賢者の石 けんじゃのいし 物質を金に化したり、万病を癒したりする力をもつと信じられた物質。西洋中世の錬金術師たちの探し求めたもの。「哲学者の石」ともいう。
  • 水銀 すいぎん (mercury) 金属元素の一種。元素記号Hg 原子番号80。原子量200.6。辰砂を焼いて得る。常温で液体である唯一の金属。セ氏356.6度で沸騰し、セ氏マイナス38.84度で固化する。硝酸には容易に溶解し、また、金属と合金(アマルガム)をつくることが容易である。蒸気は有毒。金の精錬、温度計、各種の水銀塩(昇汞・甘汞など)・火薬(雷汞)・硫化水銀(赤色顔料)などの製造に用いる。
  • α粒子 アルファ りゅうし アルファ線として放射性物質の原子核から放出される粒子。その本体はヘリウム原子核、すなわち陽子2個と中性子2個とが結合した粒子。電気素量の2倍に等しい正電荷を帯び、陽子の約4倍の質量を持つ。
  • 宇宙線 うちゅうせん (cosmic rays) 宇宙空間に存在する高エネルギーの放射線、およびそれらが地球大気に入射してできる放射線。前者は、大部分が陽子で、他はヘリウム・炭素・窒素などの原子核。後者は陽子・中性子・中間子などの透過力の大きい硬成分と、電子・ガンマ線などの透過力の小さい軟成分とから成る。宇宙線の起源は超新星の爆発によると考えられている。
  • 人造宇宙線 じんぞう うちゅうせん
  • 超短波 ちょうたんぱ 波長1〜10mの電波。テレビ放送・FM放送・近距離通信・レーダーなどに利用。メートル波。略号VHF。
  • 短波 たんぱ 一般には波長の短い電波。狭義には波長10〜100mの電波。電離層のF層反射によって遠距離まで伝わるので国際通信・国際放送に用いる。略号HF
  • 電気天井 でんき てんじょう → 電離層か
  • 電離層 でんりそう 大気の上層にあって電波を反射する層。太陽からの紫外線によって大気の分子が電離した結果生じたもので、長距離無線電信はこのため可能になる。高さ約60kmにあるものをD層、約100kmにあるものをE層、200〜400kmにあるものをF層という。ケネリー‐ヘビサイド層。
  • 探照灯 たんしょうとう サーチライトのこと。
  • 面妖 めんよう (「めいよう(名誉)」の転。「面妖」は当て字) 不思議なこと。奇妙なこと。めんよ。
  • 金城鉄壁 きんじょう てっぺき 防備のきわめて堅固な城。きわめて堅固な物事のたとえ。
  • X光線 → X線
  • X線 エックス せん (X-rays) 電磁波の一種。ふつう波長が0.01〜10ナノmの間。1895年レントゲンが発見、未知の線という意味でX線と命名。物質透過能力・電離作用・写真感光作用・化学作用・生理作用などが強く、干渉・回折などの現象を生じるので、結晶構造の研究、スペクトル分析、医療などに応用。レントゲン線。
  • 羈絆 きはん (1) 牛馬などを綱などでつなぎとめること。また、その物。(2) 行動を束縛するもの。足手まといになるもの。ほだし。きずな。
  • デアテルミー ディアテルミー/ジアテルミー Diathermie (独)(…を通過して)+theme(熱),透熱波療法のひとつ。超短波、マイクロウェーブ、超音波、電流などを用いた温熱療法。(コンカタカナ)
  • ラジオテルミー
  • 電気メス でんき メス 高周波電流を用いた外科用メス。→電気焼灼。
  • 電気焼灼 でんき しょうしゃく 高周波電流で白熱したフィラメント(電気メス)を用い、皮膚・内臓の組織を焼灼して行う手術。止血も同時に行われる利点がある。
  • 軍刀 ぐんとう 軍人の持つ戦闘用の刀。
  • 避雷針 ひらいしん 建造物を落雷の被害から守るための装置。屋上などに金属製の棒を立て、導線で地下埋設の金属板に接続し、雷電流を地中に放電する。雷除。
  • -----------------------------------
  • 寺田先生と僕
  • -----------------------------------
  • 沖する・冲する ちゅうする 高くのぼる。
  • 聾する ろうする 耳が聞こえなくなる。耳を聞こえなくする。
  • 象鼻状 ぞうびじょう?
  • 白気 はっき 白色の気。白色の雲気。
  • 罫紙 けいし けいを引いた紙。
  • 不得要領 ふとく ようりょう 要領を得ないこと。趣意の徹底しないこと。


◇参照:『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『日本国語大辞典 第二版』(小学館、2001.5)。



*後記(工作員スリーパーズ日記)


 随筆と小作品の中から、目についたものを発表順に編集した。以下、「寺田先生と僕」について。
 海野十三(本名、佐野昌一)は一八九七年(明治三〇)の生まれだから、一九二三年(大正一二)九月の関東大震災のときは二六才。Wikipedia によれば「1928年、雑誌『新青年』に掲載された探偵小説「電気風呂の怪死事件」で本格的にデビュー」とあるから、震災当時は、逓信省電気試験所へ勤務していた時期にあたるだろうか。
 本文中「九月一日午前三時半頃初メテ夢見シタ」とある手紙の出だしは、内容的に不自然。誤植混入の可能性が高い。地震発生が正午だから、「午前」「夢見」はぞれぞれ「午後」「発見」か。
 おなじく本文中に「先生の出してゐられる旋風の特性を愛するノート」という表現がある。寺田寅彦のことだから擬人的に「旋風の特性を愛する」ということもありえなくはないかもしれないが、ここはすなおに「愛する」は「考する」の誤植ではなかろうかと。

 町名・寺社名などが詳細に出てくるので、Inkscape の習作をかねて地図を書き起こしてみた。『日本都市戦災地図』(原書房、1984.7)『スーパーマップル関東道路地図』(昭文社、2011)『別冊歴史読本・比較考証 江戸東京古地図散歩』(新人物往来社、1999.9)「明治13年、二万分一東京図」を下絵に参照。
 すると思いがけず、海野十三宅から隅田川をはさんだ対岸、真向かいに幸田露伴宅と蝸牛庵のあったことを発見。さらにさらに、同じく隅田川対岸の南およそ一.五キロのところに堀 辰雄宅のあったことを知る。震災当時、露伴は五六才、堀 辰雄は一九才。露伴は「震はとおる」という短文を残し、堀 辰雄は母親を失う。
 なお、吾妻橋から下流一キロ弱のところに陸軍被服廠跡があり、現、両国国技館の北側になる。




*次週予告


第五巻 第三八号 
電気物語(一)石原 純


第五巻 第三八号は、
二〇一三年四月一三日(土)発行予定です。
定価:200円


T-Time マガジン 週刊ミルクティー 第五巻 第三七号
寺田先生と僕(他)海野十三
発行:二〇一三年四月六日(土)
編集:しだひろし / PoorBook G3'99
 http://www33.atwiki.jp/asterisk99/
出版:*99 出版
 〒994-0024 山形県天童市鎌田2丁目
 アパートメント山口A−202
販売:DL-MARKET
※ T-Timeは(株)ボイジャーの商標・製品です。