菜穂子 (二)
堀 辰雄 楡 の家
第二部
一九二八年九月二十三日、O村にて
この日記にふたたび自分がもどってくることがあろうなどとは、わたしはこの二、三年思ってもみなかった。去年のいまごろ、このO村で、ふとしたことからしばらく忘れていたこの日記のことを思い出させられて、なんともいえない
森さんが突然、
一年前、何者かから逃れるように日本を去られて、シナへ
わたしは
森さんの孤独な死について、わたしがともかくも、そんなことをなかば
思えば、それがわたしの狭心症の最初の軽微な発作だったのだろうが、それまではそれについて何の予兆もなかったので、そのときはただ自分の
菜穂子、おまえはO村で一人きりでそういう森さんの死を知ったとき、どんな異常な衝動を受けたであろうか。少なくともこのときおまえは、おまえ自身のことよりかわたしのことを、
平野の真ん中のどこかの駅と駅との間でたがいにすれちがったまま、わたしはおまえと入れかわってO村で
そのうちに雨がやっとのことであがって、はじめて秋らしい日が続き出した。何日も何日も濃い霧につつまれていた山々や遠くの雑木林が突然、わたしたちの目の前に、もうなかば黄ばみかけた姿を見せ出した。わたしはやっぱり何かホッとし、朝夕、あちこちの林の中などへ散歩に行くことが多くなった。余儀なく家にばかり閉じこもらされていたときは、そんな静かな時間を自分に与えられたことをありがたがっていたのだったけれど、こうして林の中を一人で歩きながら何もかも忘れ去ったような気分になっていると、こういう日々もなかなかよく、どうしてこの間までは、あんなに陰気に暮らしていられたのだろうとわれながら不思議にさえ思われてくるぐらいで、人間というものはずいぶん勝手なものだとわたしは考えた。わたしの好んで行った山よりの
「お彼岸だものですから、お
おようさんは長年病身の一人娘をかかえて、わたし同様、ほとんど外出することもないらしいので、ここ四、五年というものは、わたしたちはときおりお互いの
わたしは一人で家路につきながら、
林の中から出きらないうちに、もう日がすっかり傾いていた。わたしは突然、ある決心をしながら、おもわず足を早めて帰ってきた。家につくと、わたしはすぐ二階の自分の部屋にあがって行って、この手帳を
それが夕方の散歩から帰ってきたときからの、わたしの決心だったのだ。それだのに、わたしは
そんなことがあってから二、三日たつかたたないうちのことだったのだ。ある夕方、わたしがいつものように散歩をして帰ってきてみると、いつ東京からきたのか、おまえがいつもわたしの腰かけることにしている
その夜遅くまでのおまえとの息苦しい対話は、その翌朝、突然わたしの肉体に現われた著しい変化とともに、わたしの老いかけた心にとっては最も大きな
おまえは
日は
だが、
そんな話の中途から、おまえは急に
「その話、お母さまはいったいどうお思いになって?」
「さあ、わたしにはわからないわ。それはあなたの……」いつもおまえの
おまえは、そうわたしに思いがけず強く出られると、なにか考え深そうになって燃えしきっている
「そういうおとなしすぎるぐらいの人のほうが、かえってよさそうね。わたしなんぞのような、気ばかし強いものの結婚の相手には……」
わたしは、おまえがそんなことを本気で言っているのかどうか試めすようにおまえの顔を見た。おまえは、あいかわらずパチパチ音を立てて燃えている
おまえが言い
「…………」わたしはいよいよ、なんと返事をしたらいいかわからなくなって、ただじっと、おまえのほうを見ていた。
「わたし、このごろこんな気がするわ、男でも、女でも結婚しないでいるうちはかえって何かに
わたしは、すぐにはそういうおまえの新しい考えについては行かれなかった。わたしはそれを聞きながら、おまえが自分の結婚ということを当面の問題として真剣になって考えているらしいのに、何よりもおどろいた。その点は、わたしはすこし認識がたりなかった。しかし、いまおまえの言ったような結婚に対する見方が、おまえ自身の未経験な生活からひとりでにできてきたものかどうかということになると、いささか懐疑的だった。―
おまえは顔に反射している火かげのなかで、一種の複雑な笑いのようなものを
「お母さまは、結婚なさる前にも
「そうね……わたしはずいぶん
「でも、それは、お父さまがいいお方なことがおわかりになっていられたからではなくって?」
おまえのいいお父さまの話が、いかにも自然にわたしたちの話題にのぼったことが、急にわたしをいつになくおまえの前で生き生きとさせだした。
「ほんとうにわたしにはもったいないくらいに、いいお父さまでした。わたしの結婚生活が最初から最後まで順調に行ったのも、わたしの運がよかったのだなどとは一度もわたしに思わせず、そうなるのがさもあたりまえのように考えさせたのが、お父さまの性格でした。ことにわたしがいまでもお父さまに感謝しているのは、結婚したてはまだほんの小娘にすぎなかったわたしを、はじめからどんな場合にでも、一個の女性としてばかりでなく、一個の人間として相手にしてくだすったことでした。わたしはそのおかげで、だんだん人間としての自信がついてきました。
「いいお父さまだったのね。
「…………」わたしは思わず、生き生きした微笑をしながらだまっていた。が、こういう昔話の出たさいに、もうすこしお父さまの生きていらしったころのことや、お亡くなりになった後のことについて、おまえに言っておかなければならないことがあると思った。
が、おまえがそういうわたしの先を越して言った。こんどは何か、わたしにつっかかるような
「それでは、お母さまは、森さんのことはどうお思いになっていらっしゃるの?」
「森さんのこと? ……」わたしはちょっと意外な問いにとまどいながら、おまえのほうへしずかに目を持って行った。
「…………」こんどはおまえが黙ってうなずいた。
「それとこれとは、おまえ、全然……」わたしは、なんとなくあいまいな調子でそう言いかけているうちに、急にいまのおまえのこだわったようなものの問い方で、森さんがわたしたちの不和の原因となったとおまえの思いこんでいたものが、はっきりとわかったような気がした。ずっと前に亡くなられたお父さまのことが、いつまでもおまえの念頭から離れなかったのだ。あのころのおまえは、わたしというものが、おまえの考えている母というものから抜け出して行ってしまいそうだったので気が気でなかったのだ。それがおまえの思いすごしであったことは、いまのおまえならよくわかるだろう。けれども、そのときはわたしもまたわたしで、おまえにそれがそうであることを率直に言ってやれなかった、どうしてだか、そんなことまでが自分の思うように言えないように事物をすこし込み入らせてわたしは考えがちであった、いわば、わたしの唯一の過失はそこにこそあったのだ。いま、わたしはそれをおまえにも、またわたし自身にもはっきりと言い聞かしておかなければならないと思った。
おまえはしかし、押しだまって
その沈黙のうちに、いまわたしが、すこしばかりうわずったような声で言った言葉がいつまでも空虚に響いているような気がして、急に胸がしめつけられるようになった。わたしは、おまえのいま考えていることをなんとでもして知りたくなって、そんなことを
「おまえは森さんのことを、どうお考えなの?」
「わたし? ……」おまえは
「……そうね、お母さまの前ですけれど、わたしはああいうお方は敬遠しておきたいわ。それはお書きになるものはおもしろいと思って読むけれども、あのお方とおつきあいしたいとは思いませんでしたわ。なんでもご自分のなさりたいと思うことをしていいと思っているような天才なんていうものは、わたしはすこしも自分のそばに持ちたいとは思っていませんわ。
おまえのそういう一語一語が、わたしの胸を異様に打った。わたしはもう、しようがないといったふうにふたたび目を閉じたまま、いまこそわたしとの不和がおまえから
もう夜もだいぶふけたらしく、小屋の中までかなり冷えこんできていた。先に寝かせてあった
その夜は、もう十二時をすぎてから各自の寝室に引き上げたあとも、わたしはどうにも目がさえて、ほとんどまんじりともできなかった。わたしは隣のおまえの部屋でも、夜どおし寝台のきしるのを耳にしていた。それでも明け方、ようやく窓のあたりが
「……わたしには、お母さまのことはよくわかっているのよ。でも、お母さまには、わたしのことがちっともわからないの。何ひとつだってわかってくださらないのね。
夢とも
しかし、そのときはおまえはもう、わたしのほうをふりむきもしないで、すばやく扉のうしろに姿を消していた。
下の台所ではさっきからもう
わたしはその朝も七時になると、いつものように身だしなみをして、階下におりて行った。わたしはその前にしばらく、おまえの寝室の気配に耳をかたむけてみたが、夜じゅうときどき思い出したようにきしっていた寝台の音も、いまはすっかりしなくなっていた。わたしはおまえがその寝台の上で、眠られぬ夜のあとで、かきみだれた髪の中に顔をうずめているうちに、さすがに若さから正体もなく寝入ってしまうと、まもなく日が顔にいっぱいあたり出して、涙をそれとなく乾かしている……そんなおまえのしどけない寝姿さえ想像されたが、そのままおまえをしずかに寝かせておくため、足音をしのばせて階下におりてゆき、
菜穂子の追記
ここで、母の日記は中絶している。その日記のいちばん終わりに記されてある、ある秋の日の小さな出来事があってから、ちょうど一か年たって、やはり同じ山の家で、母がその日のことを何を思いたたれてか急にお書き出しになっていらっしった折りも折り、再度の狭心症の発作におそわれてそのままお
母の
そのつぎにまたO村の家に残しておいたものの整理に一人できたとき、わたしははじめてその母の日記を読んだ。この前のときからまだ半年とはたっていなかったが、わたしは母が気づかったように、自分の前途のきわめて困難であるのをようやく身にしみて知り出していた折りでもあった。わたしはなかばその母に対する一種のなつかしさ、なかば自分に対する
わたしはそう心のなかで、思わず母によびかけては、なんべんもその手帳を中途で手放そうと思いながら、やっぱり最後まで読んでしまった。読みおわっても、それを読みはじめたときからわたしの胸をいっぱいにさせていた
しかし気がついてみると、わたしはこの日記を手にしたまま、いつか知らず
わたしが、そのなかば毀れた母の腰かけを認めた瞬間であった。この日記読了後の一種、説明しがたい母への同化、それゆえにこそまた同時にそれに対するほとんど嫌悪にさえ近いものが、突然わたしの手にしていた日記をそのまま、その
(つづく)
底本:
1988(昭和63)年6月1日初版第1刷
底本の親本:
1977(昭和52)年8月30日初版第1刷発行
初出:楡の家 第一部「物語の女」山本書店(
1934(昭和9)年11月
楡の家 第二部「文学界」
1941(昭和16)年9月号
菜穂子「中央公論」
1941(昭和16)年3月号
初収単行本:
1941(昭和16)年11月18日
※創元社版の「菜穂子」には、山本書店版「物語の女」が「楡の家」第一部として、
※底本の親本の筑摩全集版は創元社版を底本とする。
※初出情報は、
※訂正注記に際しては、底本の親本を参照しました。
入力:kompass
校正:浅原庸子
2004年1月21日作成
2012年4月14日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
菜穂子(二)
堀辰雄-------------------------------------------------------
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)その儘《まま》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)丁度|午餐《ごさん》後
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数)
(例)※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]
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[#2字下げ]楡の家[#「楡の家」は大見出し]
[#3字下げ]第二部[#「第二部」は中見出し]
[#地から1字上げ]一九二八年九月二十三日、O村にて
この日記に再び自分が戻って来ることがあろうなどとは私はこの二三年思ってもみなかった。去年のいま頃、このO村でふとしたことから暫く忘れていたこの日記のことを思い出させられて、何とも云えない慚愧《ざんき》のあまりにこれを焼いてしまおうかと思ったことはあった。が、そのときそれを焼く前に一度読み返しておこうと思って、それすらためらわれているうちに焼く機会さえ失ってしまった位で、よもや自分がそれを再び取り上げて書き続けるような事になろうとは夢にも思わなかったのである。それをこうやって再び自分の気持に鞭《むち》うつようにしながら書き続けようとする理由は、これを読んでゆくうちにお前には分かっていただけるのではないかと思う。
森さんが突然|北京《ペキン》でお逝《な》くなりになったのを私が新聞で知ったのは、去年の七月の朝から息苦しいほど暑かった日であった。その夏になる前に征雄は台湾の大学に赴任したばかりの上、丁度お前もその数日前から一人でO村の山の家に出掛けて居り、雑司ヶ谷のだだっ広い家には私ひとりきり取り残されていたのだった。その新聞の記事で見ると、この一箇年殆ど支那でばかりお暮らしになって、作品もあまり発表せられなくなっていられた森さんは、古い北京の或物静かなホテルで、宿痾《しゅくあ》のために数週間病床に就かれたまま、何者かの来るのを死の直前まで待たれるようにしながら、空しく最後の息を引きとって行かれたとの事だった。
一年前、何者かから逃れるように日本を去られて、支那へ赴かれてからも、二三度森さんは私のところにもお便りを下すった。支那の外のところはあまりお好きでないらしかったが、都市全体が「古い森林のような」感じのする北京だけはよほどお気に入られたと見え、自分はこういうところで孤独な晩年を過ごしながら誰にも知られずに死んでゆきたいなどと御常談のようにお書きになって寄こされたこともあったが、まさか今が今こんな事になろうとは私には考えられなかった。或は森さんは北京をはじめて見られてそんな事を私に書いてお寄こしになったときから、既に御自分の運命を見透されていたのかも知れなかった。……
私は一昨々年の夏、O村で森さんにお会いしたきりで、その後はときおり何か人生に疲れ切ったような、同時にそういう御自分を自嘲せられるような、いかにも痛々しい感じのするお便りばかりをいただいていた。それに対して私などにあの方をお慰めできるような返事などがどうして書けたろう? 殊に支那へ突然出立される前に、何か非常に私にもお逢いになりたがっていられたようだったが(どうしてそんな心の余裕がおありになったのかしら?)、私はまだ先の事があってからあの方にさっぱりとした気持でお逢い出来ないような気がして、それは婉曲《えんきょく》におことわりした。そんな機会にでももう一度お逢いしていたら、と今になって見れば幾分悔やまれる。が、直接お逢いしてみたところで、手紙以上のことがどうしてあの方に向って私に云えただろう? ……
森さんの孤独な死について、私がともかくもそんな事を半ば後悔めいた気持でいろいろ考え得られるようになったのは、その朝の新聞を見るなり、急に胸を圧《お》しつけられるようになって、気味悪いほど冷汗を掻いたまま、しばらく長椅子の上に倒れていた、そんな突然私を怯《おび》やかした胸の発作がどうにか鎮まってからであった。
思えば、それが私の狭心症の最初の軽微な発作だったのだろうが、それまではそれについて何んの予兆もなかったので、そのときはただ自分の驚愕《きょうがく》のためかと思った。そのとき自分の家に私ひとりきりであったのが却《かえ》って私にはその発作に対して無頓着《むとんじゃく》でいさせたのだ。私は女中も呼ばず、しばらく一人で我慢していてから、やがてすぐ元通りになった。私はそのことは誰にも云わなかった。……
菜穂子、お前はO村で一人きりでそういう森さんの死を知ったとき、どんな異常な衝動を受けたであろうか。少くともこのときお前はお前自身のことよりか私のことを、――それから私が打ちのめされながらじっとそれを耐えている、見るに見かねるような様子を半ば気づかいながら、半ば苦々しく思いながら一人で想像していたろうことは考えられる。……が、お前はそれに就いては全然沈黙を守っており、これまではほんの申訣《もうしわけ》のように書いてよこした端書《はがき》の便りさえそのとききり書いてよこさなくなってしまった。私にはこのときはその方が却って好かった。自然なようにさえ思えた。あの方がもうお亡くなりになった上は、いつかはあの方の事に就いてもお前と心をひらいて語り合うことも出来よう。――そう私は思って、そのうち私達がO村ででも一しょに暮らしているうちに、それを語り合うに最もよい夕のあることを信じていた。が、八月の半ば頃になって溜《た》まっていた用事が片づいたので、漸《や》っとの事でO村へ行けるようになった私と入れちがいにお前が前もって何も知らせずに東京へ帰って来てしまったことを知ったときは、流石《さすが》の私もすこし憤慨した。そうして私達の不和ももうどうにもならないところまで行っているのをその事でお前に露わに見せつけられたような気がしたのだった。
平野の真ん中の何処かの駅と駅との間で互にすれちがった儘《まま》、私はお前と入れ代ってO村で爺やたちを相手に暮らすようになり、お前もお前で、強情そうに一人きりで生活し、それからは一度もO村へ来ようとはしなかったので、それなり私達は秋まで一遍も顔を合わせずにしまった。私はその夏も殆ど山の家に閉じこもった儘でいた。八月の間は、村をあちこちと二三人ずつ組んで散歩をしている学生たちの白絣姿《しろがすりすがた》が私を村へ出てゆくことを億劫《おっくう》にさせていた。九月になって、その学生たちが引き上げてしまうと、例年のように霖雨《りんう》が来て、こんどはもう出ようにも出られなかった。爺やたちも私があんまり所在なさそうにしているので陰では心配しているらしかったが、私自身にはそうやって病後の人のように暮らしているのが一番好かった。私はときどき爺やの留守などに、お前の部屋にはいって、お前が何気なくそこに置いていった本だとか、そこの窓から眺められるかぎりの雑木の一本一本の枝ぶりなどを見ながら、お前がその夏この部屋でどういう考えをもって暮らしていたかを、それ等のものから読みとろうとしたりしながら、何か切ないもので一ぱいになって、知《し》らず識《し》らずの裡《うち》に其処で長い時間を過ごしていることがあった。……
そのうちに雨が漸《や》っとの事で上がって、はじめて秋らしい日が続き出した。何日も何日も濃い霧につつまれていた山々や遠くの雑木林が突然、私達の目の前にもう半ば黄ばみかけた姿を見せ出した。私は矢っ張何かほっとし、朝夕、あちこちの林の中などへ散歩に行くことが多くなった。余儀なく家にばかり閉じこもらされていたときはそんな静かな時間を自分に与えられたことを有難がっていたのだったけれど、こうして林の中を一人で歩きながら何もかも忘れ去ったような気分になっていると、こういう日々もなかなか好く、どうしてこの間まではあんなに陰気に暮らしていられたのだろうと我ながら不思議にさえ思われてくる位で、人間というものは随分勝手なものだと私は考えた。私の好んで行った山よりの落葉松林《からまつばやし》は、ときおり林の切れ目から薄赤い穂を出した芒《すすき》の向うに浅間の鮮な山肌をのぞかせながら、何処までも真直に続いていた。その林がずっと先きの方でその村の墓地の横手へ出られるようになっていることは知っていたけれど、或日私は好い気持になって歩いているうちにその墓地近くまで来てしまい、急に林の奥で人ごえのするのに驚いて、惶《あわ》ててそこから引っ返して来た。丁度その日はお彼岸の中日だったのだ。私はその帰り道、急に林の切れ目の芒の間から一人の土地の者らしくない身なりをした中年の女が出てきたのにばったりと出会った。向うでも私のような女を見てちょっと驚いたらしかったが、それは村の本陣のおようさんだった。
「お彼岸だものですから、お墓詣《はかまいり》に一人で出て来たついでに、あんまり気持が佳《よ》いのでつい何時までも家に帰らずにふらふらしていました。」おようさんは顔を薄赤くしながらそう云って何気なさそうな笑い方をした。「こんなにのんびりとした気持になれたことはこの頃滅多にないことです。……」
おようさんは長年病身の一人娘をかかえて、私同様、殆ど外出することもないらしいので、ここ四五年と云うものは私達はときおりお互の噂を聞き合う位で、こうして顔を合わせたことはついぞなかったのだ。私達はそれだものだから、なつかしそうについ長い立ち話をして、それから漸《ようや》くの事で分かれた。
私は一人で家路に著《つ》きながら、途々《みちみち》、いま分かれてきたばかりのおようさんが、数年前に逢ったときから見ると顔など幾分|老《ふ》けたようだが、私とは只の五つ違いとはどうしても思われぬ位、素振りなどがいかにも娘々しているのを心に蘇《よみがえ》らせているうちに、自分などの知っているかぎりだけでも随分|不為合《ふしあわ》せな目にばかり逢って来たらしいのに、いくら勝気だとはいえ、どうしてああ単純な何気ない様子をしていられるのだろうと不思議に思われてならなかった。それに比べれば、私達はまあどんなに自分の運命を感謝していいのだろう。それだのに、始終、そうでもしていなければ気がすまなくなっているかのように、もうどうでも好いような事をいつまでも心痛している、――そういう自分達がいかにも異様に私に感ぜられて来だした。
林の中から出きらないうちに、もう日がすっかり傾いていた。私は突然或決心をしながら、おもわず足を早めて帰ってきた。家に著くと、私はすぐ二階の自分の部屋に上がっていって、此の手帳を用箪笥《ようだんす》の奥から取り出してきた。この数日、日が山にはいると急に大気が冷え冷えとしてくるので、いつも私が夕方の散歩から帰るまでに爺やに暖炉に火を焚《た》いて置くように云いつけてあったが、その日に限って爺やは他の用事に追われて、まだ火を焚きつけていなかった。私はいますぐにもその手帳を暖炉に投げ込んでしまいたかったのだ。が、私は傍らの椅子に腰かけたまま、その手帳を無雑作に手に丸めて持ちながら、一種|苛《い》ら立《だ》たしいような気持で、爺やが薪を焚きつけているのを見ている外はなかった。
爺やはそういう苛ら苛らしている私の方を一度も振りかえろうとはせずに、黙って薪を動かしていたが、この人の好い単純な老人には私はそんな瞬間にもふだんの物静かな奥様にしか見えていなかったろう。……それからこの夏私の来るまで此処で一人で本ばかり読んで暮らしていたらしい菜穂子だって私にはあんなに手のつけようのない娘にしか思われないのに、この爺やには矢っ張私と同じような物静かな娘に見えていたのだったろう。そしてこういう単純な人達の目には、いつも私達は「お為合《しあ》わせな」人達なのだ。私達がどんなに仲の悪い母娘であるかと云う事をいくら云って聞かせてみても此人達にはそんな事は到底信ぜられないだろう。……そのときふとこういう気が私にされてきた。実はそういう人達――いわば純粋な第三者の目に最も生き生きと映っているだろう恐らくは為合わせな奥様としての私だけがこの世に実在しているので、何かと絶えず生の不安に怯《おび》やかされている私のもう一つの姿は、私が自分勝手に作り上げている架空の姿に過ぎないのではないか。……きょうおようさんを見たときから、私にそんな考えが萌《きざ》して来だしていたのだと見える。おようさんにはおようさん自身がどんな姿で感ぜられているか知らない。しかし私にはおようさんは勝気な性分で、自分の背負っている運命なんぞは何んでもないと思っているような人に見える。恐らくは誰の目にもそうと見えるにちがいない。そんな風に誰の目にもはっきりそうと見えるその人の姿だけがこの世に実在しているのではないか。そうすると、私だってもそれは人生半ばにして夫に死別し、その後は多少寂しい生涯だったが、ともかくも二人の子供を立派に育て上げた堅実な寡婦、――それだけが私の本来の姿で、そのほかの姿、殊に此の手帳に描かれてあるような私の悲劇的な姿なんぞはほんの気まぐれな仮象にしか過ぎないのだ。此の手帳さえなければ、そんな私はこの地上から永久に姿を消してしまう。そうだ、こんなものは一思いに焼いてしまうほかはない。本当にいますぐにも焼いてしまおう。……
それが夕方の散歩から帰って来たときからの私の決心だったのだ。それだのに、私は爺やが其処を立ち去った後も、ちょっとその機会を失ってしまったかのように、その手帳をぼんやりと手にしたまま火の中へ投ぜずにいた。私には既に反省が来ていた。私達のような女は、そうしようと思った瞬間なら自分達にできそうもない事でもしでかし、それをした理由だってあとからいくらでも考え出せるが、自分がこれからしようとしている事を考え出したら最後、もうすべての事が逡巡《ためら》われてくる。そのときも、私はいざこれから此の手帳を火に投じようとしかけた時、ふいともう一度それを読み返して、それが長いこと私を苦しめていた正体を現在のこのような醒《さ》めた心で確かめてからでも遅くはあるまいと考えた。しかし、私はそうは思ったものの、そのときの気分ではそれをどうしても読み返してみる気にはなれなかった。そうして私はそれをその儘《まま》、マントル・ピイスの上に置いておいた。その夜のうちにも、ふいとそれを手にとって読んで見るような気になるまいものでもないと思ったからであった。が、その夜遅く、私は寝るときにそれを自分の部屋の元あった場所に戻しておくより外はなかった。
そんな事があってから二三日立つか立たないうちの事だったのだ。或夕方、私がいつものように散歩をして帰って来てみると、いつ東京から来たのか、お前がいつも私の腰かけることにしている椅子に靠《もた》れたまま、いましがたぱちぱち音を立てながら燃え出したばかりらしい暖炉の火をじっと見守っていたのは……
その夜遅くまでのお前との息苦しい対話は、その翌朝突然私の肉体に現われた著しい変化と共に、私の老いかけた心にとっては最も大きな傷手を与えたのだった。その記憶も漸《ようや》く遠のいて私の心の裡《うち》でそれが全体としてはっきりと見え易いようになり出した、それから約一年後の今夜、その同じ山の家の同じ暖炉の前で、私はこうして一度は焼いてしまおうと決心しかけた此の手帳を再び自分の前にひらいて、こんどこそは私のしたことのすべてを贖《つぐな》うつもりで、自分の最後の日の近づいてくるのをひたすら待ちながら、こうして自分の無気力な気持に鞭《むち》うちつつその日頃の出来事をつとめて有りの儘《まま》に書きはじめているのだ。
お前は暖炉の傍らに腰かけたまま、そこに近づいていった私の方へは何か怒ったような大きい目ざしを向けたきり、何んとも云い出さなかった。私も私で、まるできのうも私達がそうしていたように、押し黙ったまま、お前の隣りへ他の椅子をもっていって徐《しず》かに腰を下ろした。私はなぜかお前の目つきからすぐお前の苦しんでいるのを感じ、どんなにかお前の心の求めているような言葉をかけてやりたかったろう。が、同時に、お前の目つきには私の口の先まで出かかっている言葉をそこにそのまま凍らせてしまうようなきびしさがあった。どうしてそんな風に突然こちらへ来たのかを率直にお前に問うことさえ私には出来悪《できにく》かった。お前もそれがひとりでに分かるまでは何んとも云おうとしないように見えた。漸《や》っとの事で私達が二言三言話し合ったのは雑司ヶ谷の人達の上ぐらいで、あとはそれが毎日の習慣でもあるかのように二人並んで黙って焚火《たきび》を見つめていた。
日は昏《く》れていった。しかし、私達はどちらもあかりを点《つ》けに立とうとはしないで、そのまま暖炉に向っていた。外が暗くなり出すにつれて、お前の押し黙った顔を照らしている火かげがだんだん強く光り出していた。ときおり焔《ほのお》の工合でその光の揺らぐのが、お前が無表情な顔をしていればいるほど、お前の心の動揺を一層示すような気がされてならなかった。
だが、山家らしい質素な食事に二人で相変らず口数|寡《すくな》く向った後、私達が再び暖炉の前に帰っていってから大ぶ立ってからだった。ときどき目をつぶったりして、いかにも疲れて睡たげにしていたお前が、突然、なんだか上ずったような声で、しかし爺やたちに聞かれたくないように調子を低くしながら話し出した。それは私もうすうす察していたように、矢っ張お前の縁談についてだった。それまでも二三度そんな話を他から頼まれて持ってきたが、いつも私達が相手にならなかった高輪のお前のおばが、この夏もまた新しい縁談を私のところに持ってきたが、丁度森さんが北京でお亡くなりになったりした時だったので、私も落ち着いてその話を聞いてはいられなかった。しかし二度も三度もうるさく云って来るものだから、しまいには私もつい面倒になって、菜穂子の結婚のことは当人の考えに任せる事にしてありますから、と云って帰した。ところがお前が八月になって私と入れ代りに東京へ帰ったのを知ると、すぐお前のところに直接その縁談を勧めに来たらしかった。そしてそのとき私が何もかもお前の考えの儘にさせてあると云った事を妙に楯《たて》にとって、お前がそれまでどんな縁談を持ちこまれてもみんな断ってしまうのを私までがそれをお前の我儘のせいにしているようにお前に向って責めたらしかった。私がそう云ったのは、何もそんなつもりではない位な事は、お前も承知していていい筈だった。それだのに、お前はそのときお前のおばにそんな事で突込まれた腹立ちまぎれに、私の何んの悪気もなしに云った言葉をもお前への中傷のようにとったのだろうか。少くとも、いまお前の私に向ってその話をしている話し方には、私のその言葉をも含めて怒っているらしいのが感ぜられる。……
そんな話の中途から、お前は急に幾分ひきつったような顔を私の方へもち上げた。
「その話、お母様は一体どうお思いになって?」
「さあ、私には分からないわ。それはあなたの……」いつもお前の不機嫌そうなときに云うようなおどおどした口調でそう云いさして、私は急に口をつぐんだ。こんなお前を避けるような態度でばかりはもう断じてお前に対すまい、私は今宵こそはお前に云いたいだけのことを云わせるようにし、自分もお前に云っておくべきことだけは残らず云っておこう。私はお前のどんな手きびしい攻撃の矢先にもまともに耐えて立っていようと決心した。で、私は自分に鞭うつような強い語気で云い続けた。「……私は本当のところをいうとね、その御方がいくら一人息子でも、そうやって母親と二人きりで、いつまでも独身でおとなしく暮らしていらしったというのが気になるのよ。なんだか話の様子では、母親に負けているような気がしますわ、その御方が……」
お前はそう私に思いがけず強く出られると、何か考え深そうになって燃えしきっている薪を見つめていた。二人は又しばらく黙っていた。それから急にいかにもその場で咄嗟《とっさ》に思いついたような不確かな調子でお前が云った。
「そういうおとなし過ぎる位の人の方がかえって好さそうね。私なんぞのような気ばかし強いものの結婚の相手には……」
私はお前がそんなことを本気で云っているのかどうか試めすようにお前の顔を見た。お前は相変らずぱちぱち音を立てて燃えている薪を見据えるようにしながら、しかもそれを見ていないような、空虚な目ざしで自分の前方をきっと見ていた。それは何か思いつめているような様子をお前に与えていた。いまお前の云ったような考え方が私への厭味《いやみ》ではなしに、お前の本気から出ているのだとすれば、私はそれには迂闊《うかつ》に答えられないような気がして、すぐには何んとも返事がせられずにいた。
お前が云い足した。「私は自分で自分のことがよく分かっていますもの。」
「…………」私はいよいよ何んと返事をしたらいいか分からなくなって、ただじっとお前の方を見ていた。
「私、この頃こんな気がするわ、男でも、女でも結婚しないでいるうちはかえって何かに束縛されているような……始終、脆《もろ》い、移り易いようなもの、例えば幸福なんていう幻影《イリュウジョン》に囚《とら》われているような……そうではないのかしら? しかし結婚してしまえば、少くともそんな果敢《はか》ないものからは自由になれるような気がするわ……」
私はすぐにはそういうお前の新しい考えについては行かれなかった。私はそれを聞きながら、お前が自分の結婚ということを当面の問題として真剣になって考えているらしいのに何よりも驚いた。その点は、私はすこし認識が足りなかった。しかし、いまお前の云ったような結婚に対する見方がお前自身の未経験な生活からひとりでに出来てきたものかどうかと云うことになるといささか懐疑的だった。――私としては、この儘こうして私の傍でお前がいらいらしながら暮らしていたら、互に気持をこじらせ合ったまま、自分で自分がどんなところへ行ってしまうか分からないと云ったような、そんな不安な思いからお前が苦しまぎれに縋《すが》りついている、成熟した他人の思想としてしか見えないのだ……「そういう考え方はそれはそれとして肯《うなず》けるようだけれど、何もその考えのためにお前のように結婚を向きになって考えることはないと思うわ……」私はそう自分の感じたとおりのことを云った。「……もうすこし、お前、なんていったらいいか、もうすこし、そうね、暢気《のんき》になれないこと?」
お前は顔に反射している火かげのなかで、一種の複雑な笑いのようなものを閃《ひらめ》かせながら、
「お母様は結婚なさる前にも暢気でいられた?」と突込んで来た。
「そうね……私は随分暢気な方だったんでしょう、なにしろまだ十九かそこいらだったから。……学校を出ると、うちが貧乏のため母の理想の洋行にやらせられずに、すぐお嫁にゆかせられるようになったのを大喜びしていた位でしたもの。……」
「でも、それはお父様が好いお方なことがお分かりになっていられたからではなくって?」
お前の好いお父様の話がいかにも自然に私達の話題に上ったことが急に私をいつになくお前のまえで生き生きとさせ出した。
「本当に私にはもったいない位に好いお父様でした。私の結婚生活が最初から最後まで順調に行ったのも、私の運が好かったのだなどとは一度も私に思わせず、そうなるのがさも当り前のように考えさせたのが、お父様の性格でした。ことに私がいまでもお父様に感謝しているのは、結婚したてはまだほんの小娘に過ぎなかった私を、はじめからどんな場合にでも、一個の女性としてばかりでなく、一個の人間として相手にして下すったことでした。私はそのおかげでだんだん人間としての自信がついてきました。……」
「好いお父様だったのね。……」お前までがいつになく昔を懐しがるような調子になって云った。「私は子供の時分よくお父様のところへお嫁に行きたいなあと思っていたものだわ。……」
「…………」私は思わず生き生きした微笑をしながら黙っていた。が、こういう昔話の出た際に、もうすこしお父様の生きていらしった頃のことや、お亡くなりになった後のことについてお前に云って置かなければならない事があると思った。
が、お前がそういう私の先を越して云った。こんどは何か私に突っかかるような嗄《しゃ》がれ声《ごえ》だった。
「それでは、お母様は森さんのことはどうお思いになっていらっしゃるの?」
「森さんのこと? ……」私はちょっと意外な問いに戸惑いながら、お前の方へ徐《しず》かに目をもっていった。
「…………」こんどはお前が黙って頷《うなず》いた。
「それとこれとは、お前、全然……」私は何んとなく曖昧《あいまい》な調子でそう云いかけているうちに、急にいまのお前のこだわったようなものの問い方で、森さんが私達の不和の原因となったとお前の思い込んでいたものがはっきりと分かったような気がした。ずっと前に亡くなられたお父様のことがいつまでもお前の念頭から離れなかったのだ。あの頃のお前は私というものがお前の考えている母というものから抜け出して行ってしまいそうだったので気が気でなかったのだ。それがお前の思い過ごしであったことは、いまのお前ならよく分かるだろう。けれども、そのときは私もまた私でお前にそれがそうであることを率直に云ってやれなかった、どうしてだかそんな事までが自分の思うように云えないように事物をすこし込み入らせて私は考えがちであった、いわば私の唯一の過失はそこにこそあったのだ。いま、私はそれをお前にも、また私自身にもはっきりと云い聞かしておかなければならないと思った。「……いいえ、そんな云いようはもうしますまい。それは本当に何でもない事だったのが私達にはっきり分かって来ているのですから、何でもない事として云います。森さんが私にお求めになったのは、結局のところ、年上の女性としてのお話し相手でした。私なんぞのような世間知らずの女が気どらずに申し上げたことが反って何んとなく身にしみてお感ぜられになっただけなのです。それだけの事だったのがそのときはあの方にも分からず、私自身にも分からなかったのです。それは只の話し相手は話し相手でも、あの方が私にどこまでも一個の女性としての相手を望まれていたのがいけなかったのでした。それが私をだんだん窮屈にさせていったのです。……」そう息もつかずに云いながら、私はあんまり暖炉の火をまともに見つづけていたので、目が痛くなって来て、それを云い終るとしばらく目を閉じていた。再びそれを開けたときは、こんどは私はお前の顔の方へそれを向けながら、「……私はね、菜穂子、この頃になって漸《や》っと女ではなくなったのよ。私は随分そういう年になるのを待っていました。……私は自分がそういう年になれてから、もう一度森さんにお目にかかって心おきなくお話の相手をして、それから最後のお分かれをしたかったのですけれど……」
お前はしかし押し黙って暖炉の火に向った儘《まま》、その顔に火かげのゆらめきとも、又一種の表情とも分かちがたいものを浮べながら、相変らず自分の前を見据えているきりだった。
その沈黙のうちに、いま私が少し許《ばか》り上ずったような声で云った言葉がいつまでも空虚に響いているような気がして、急に胸がしめつけられるようになった。私はお前のいま考えていることを何んとでもして知りたくなって、そんな事を訊《き》くつもりもなしに訊いた。
「お前は森さんのことをどうお考えなの?」
「私? ……」お前は脣《くちびる》を噛んだまま、しばらくは何んとも云い出さなかった。
「……そうね、お母様の前ですけれど、私はああいう御方は敬遠して置きたいわ。それはお書きになるものは面白いと思って読むけれども、あの御方とお附き合いしたいとは思いませんでしたわ。なんでも御自分のなさりたいと思うことをしていいと思っているような天才なんていうものは、私は少しも自分の側《そば》にもちたいとは思っていませんわ。……」
お前のそういう一語一語が私の胸を異様に打った。私はもう為様《しよう》がないといった風に再び目を閉じたまま、いまこそ私との不和がお前から奪ったものをはっきりと知った。それは母としての私ではない、断じてそうでない、それは人生の最も崇高なものに対する女らしい信従なのである。母としての私は再びお前に戻されても、そういう人生への信従はもう容易には返されないのではなかろうか?……
もう夜もだいぶ更けたらしく、小屋の中までかなり冷え込んできていた。さきに寝かせてあった爺やがもう一寝入りしてから、ふと目を覚ましたようで、台所部屋の方から年よりらしい咳払いのするのが聞え出した。私達はそれに気づくと、もうどちらからともなく暖炉に薪を加えるのを止めていたが、だんだん衰え出した火力が私達の身体を知《し》らず識《し》らず互に近よらせ出していた。心と心とはいつか自分自分の奥深くに引き込ませてしまいながら……
その夜は、もう十二時を過ぎてから各自の寝室に引き上げた後も、私はどうにも目が冴えて、殆どまんじりとも出来なかった。私は隣りのお前の部屋でも夜どおし寝台のきしるのを耳にしていた。それでも明け方、漸《ようや》く窓のあたりが白んでくるのを認めると、何かほっとしたせいか、私はついうとうとと睡《まどろ》んだ。が、それからどの位立ったか覚えていないが、私は急に何者かが自分の傍らに立ちはだかっているような気がして、おもわず目を覚ました。そこに髪をふりみだしながら立っている真白な姿が、だんだん寝巻のままのお前に見え出した。お前は私がやっとお前を認めたことに気がつくと、急におこったような切口上で云い出した。
「……私にはお母様のことはよく分かっているのよ。でも、お母様には、私のことがちっとも分からないの。何ひとつだって分かって下さらないのね。……けれども、これだけは事実としてお分かりになっておいて頂戴。私、こちらへ来る前に実はおば様にさっきのお話の承諾をして来ました。……」
夢とも現《うつつ》ともつかないような空《うつ》ろな目ざしでお前をじっと見つめている私の目を、お前は何か切なげな目つきで受けとめていた。私はお前の云っている事がよく分からないように、そしてそれを一層よく聞こうとするかのように、殆ど無意識に寝台の上に半ば身を起そうとした。
しかし、そのときはお前はもう私の方をふりむきもしないで、素早く扉のうしろに姿を消していた。
下の台所ではさっきからもう爺やたちが起きてごそごそと何やら物音を立て出していた。それが私にその儘《まま》起きてお前のあとを追って行くことをためらわせた。
私はその朝も七時になると、いつものように身だしなみをして、階下に降りていった。私はその前にしばらくお前の寝室の気配に耳を傾けてみたが、夜じゅうときどき思い出したようにきしっていた寝台の音も今はすっかりしなくなっていた。私はお前がその寝台の上で、眠られぬ夜のあとで、かきみだれた髪の中に顔を埋めているうちに、さすがに若さから正体もなく寝入ってしまうと、間もなく日が顔に一ぱいあたり出して、涙をそれとなく乾かしている……そんなお前のしどけない寝姿さえ想像されたが、そのままお前を静かに寝かせておくため、足音を忍ばせて階下に降りてゆき、爺やには菜穂子の起きてくるまで私達の朝飯の用意をするのを待っているように云いつけておいて、私は一人で秋らしい日の斜めに射して木かげの一ぱいに拡がった庭の中へ出て行った。寝不足の目には、その木かげに点々と落ちこぼれている日の光の工合が云いようもなく爽《さわ》やかだった。私はもうすっかり葉の黄いろくなった楡《にれ》の木の下のベンチに腰を下ろして、けさの寝ざめの重たい気分とはあまりにかけはなれた、そういう赫《かがや》かしい日和《ひより》を何か心臓がどきどきするほど美しく感じながら、かわいそうなお前の起きてくるのを心待ちに待っていた。お前が私に対する反抗的な気持からあまりにも向う見ずな事をしようとしているのを断然お前に諫止《かんし》しなければならないと思った。その結婚をすればお前がかならず不幸になると私の考える理由は何ひとつない、ただ私はそんな気がするだけなのだ。――私はお前の心を閉じてしまわせずに、そこのところをよく分かって貰うためには、どういうところから云い出したらいいのであろうか。いまからその言葉を用意しておいたって、それを一つ一つお前に向って云えようとは思えない、――それよりか、お前の顔を見てから、こちらが自分をすっかり無くして、なんの心用意もせずにお前に立ち向いながら、その場で自分に浮んでくることをその儘云った方がお前の心を動かすことが云えるのではないかと考えた。……そう考えてからは、私はつとめてお前のことから心を外らせて、自分の頭上の真黄いろな楡の木の葉がさらさらと音を立てながら絶えず私の肩のあたりに撒《ま》き散《ち》らしている細かい日の光をなんて気持がいいんだろうと思っているうちに、自分の心臓が何度目かに劇《はげ》しくしめつけられるのを感じた。が、こんどはそれはすぐ止まず、まあこれは一体どうしたのだろうと思い出した程、長くつづいていた。私はその腰かけの背に両手をかけて漸《や》っとの事で上半身を支えていたが、その両手に急に力がなくなって……
[#3字下げ]菜穂子の追記[#「菜穂子の追記」は中見出し]
此処で、母の日記は中絶している。その日記の一番終りに記されてある或秋の日の小さな出来事があってから、丁度一箇年立って、やはり同じ山の家で、母がその日のことを何を思い立たれてか急にお書き出しになっていらっしった折も折、再度の狭心症の発作に襲われてその儘お倒れになった。此の手帳はその意識を失われた母の傍らに、書きかけのまま開かれてあったのを爺やが見つけたものである。
母の危篤の知らせに驚いて東京から駈けつけた私は、母の死後、爺やから渡された手帳が母の最近の日記らしいのをすぐ認めたが、そのときは何かすぐそれを読んで見ようという気にはなれなかった。私はその儘、それをO村の小屋に残してきた。私はその数箇月前に既に母の意に反した結婚をしてしまっていた。その時はまだ自分の新しい道を伐《き》り拓《ひら》こうとして努力している最中だったので、一たび葬った自分の過去を再びふりかえって見るような事は私には堪え難いことだったからだ。……
その次ぎに又O村の家に残して置いたものの整理に一人で来たとき、私ははじめてその母の日記を読んだ。この前のときからまだ半年とは立っていなかったが、私は母が気づかったように自分の前途の極めて困難であるのを漸《ようや》く身にしみて知り出していた折でもあった。私は半ばその母に対する一種のなつかしさ、半ば自分に対する悔恨から、その手帳をはじめて手にとったが、それを読みはじめるや否や、私はそこに描かれている当時の少女になったようになって、やはり母の一言一言に小さな反抗を感ぜずにはいられない自分を見出した。私は何んとしてもいまだに此の日記の母をうけいれるわけにはいかないのである。――お母様、この日記の中でのように、私がお母様から逃げまわっていたのはお母様自身からなのです。それはお母様のお心のうちにだけ在る私の悩める姿からなのです。私はそんな事でもって一度もそんなに苦しんだり悩んだりした事はございませんもの。……
私はそう心のなかで、思わず母に呼びかけては、何遍もその手帳を中途で手放そうと思いながら、矢っ張最後まで読んでしまった。読《よ》み了《おわ》っても、それを読みはじめたときから私の胸を一ぱいにさせていた憤懣《ふんまん》に近いものはなかなか消え去るようには見えなかった。
しかし気がついてみると、私はこの日記を手にしたまま、いつか知《し》らず識《し》らずのうちに、一昨年の秋の或る朝、母がそこに腰かけて私を待ちながら最初の発作に襲われた、大きな楡の木の下に来ていた。いまはまだ春先きで、その楡の木はすっかり葉を失っていた。ただそのときの丸木の腰かけだけが半ば毀《こわ》れながら元の場所に残っていた。
私がその半ば毀れた母の腰かけを認めた瞬間であった。この日記読了後の一種説明しがたい母への同化、それ故にこそ又同時にそれに対する殆ど嫌悪にさえ近いものが、突然私の手にしていた日記をその儘その楡の木の下に埋めることを私に思い立たせた。……
[#改ページ]
(つづく)
底本:「昭和文学全集 第6巻」小学館
1988(昭和63)年6月1日初版第1刷
底本の親本:「堀辰雄全集 第二巻」筑摩書房
1977(昭和52)年8月30日初版第1刷発行
初出:楡の家 第一部「物語の女」山本書店(「物語の女」の表題で。)
1934(昭和9)年11月
楡の家 第二部「文学界」(「目覚め」の表題で。)
1941(昭和16)年9月号
菜穂子「中央公論」
1941(昭和16)年3月号
初収単行本:「菜穂子」創元社
1941(昭和16)年11月18日
※創元社版の「菜穂子」には、山本書店版「物語の女」が「楡の家」第一部として、「文学界」掲載の「目覚め」が「楡の家」第二部として、「中央公論」掲載の「菜穂子」がそのままの表題で収録された。
※底本の親本の筑摩全集版は創元社版を底本とする。
※初出情報は、「堀辰雄全集 第二巻」(1977(昭和52)年8月30日、筑摩書房)解題による。
※訂正注記に際しては、底本の親本を参照しました。
入力:kompass
校正:浅原庸子
2004年1月21日作成
2012年4月14日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
*地名
(※ 市町村名は、平成の大合併以前の表記のまま。一般的な国名・地名などは解説省略。- 北京 ペキン (Beijing; Peking) 中華人民共和国の首都。河北省中央部に位置し、中央政府直轄市。遼・金・元・明・清の古都で、明代に至り北京と称し、1928年南京(ナンキン)に国民政府が成立して北平(ペーピン)と改称、49年北京の称に復す。政治・文化・教育・経済・交通の大中心地。面積1万7000平方km。人口1151万(2000)。
- 台湾 (Taiwan) 中国福建省と台湾海峡をへだてて東方200kmにある島。台湾本島・澎湖列島および他の付属島から成る。総面積3万6000平方km。明末・清初、鄭成功がオランダ植民者を追い出して中国領となったが、日清戦争の結果1895年日本の植民地となり、1945年日本の敗戦によって中国に復帰し、49年国民党政権がここに移った。60年代以降、経済発展が著しい。人口2288万(2006)。フォルモサ。
- シナ 支那 (
「秦(しん) 」の転訛) 外国人の中国に対する呼称。初めインドの仏典に現れ、日本では江戸中期以来第二次大戦末まで用いられた。戦後は「支那」の表記を避けて多く「シナ」と書く。 - 雑司ヶ谷 ぞうしがや 東京都豊島区南東部の住宅地区。雑司ヶ谷霊園や鬼子母神がある。
- 高輪 たかなわ 東京都港区南部の地名。近世は東京湾に臨む景勝地。泉岳寺・東禅寺などがあり、明治以降は住宅地。
- O村
- 浅間 あさま 浅間山の略。
- 浅間山 あさまやま 長野・群馬両県にまたがる三重式の活火山。標高2568m。しばしば噴火、1783年(天明3)には大爆発し死者約2000人を出した。斜面は酪農や高冷地野菜栽培に利用され、南麓に避暑地の軽井沢高原が展開。浅間岳。
(歌枕)
◇参照:Wikipedia、
*人物一覧
(人名、および組織・団体名・神名)- 森さん → 森於菟彦
- 森於菟彦 もり おとひこ? 森鴎外の長男・森於菟と関係あるか。
- 征雄 ゆきお 菜穂子の兄。
- おようさん 村の本陣。
- 爺や じいや
◇参照:
*難字、求めよ
- 慙愧 ざんき 慙愧・慚愧。(中世にはザンギ) (1) 恥じ入ること。(2) 悪口を言うこと。そしること。
- 宿痾 しゅくあ ながい間なおらない病気。宿病。宿疾。持病。痼疾。
- 常談 じょうだん (1) つねの話。普通の話。(2) 冗談に同じ。
- 狭心症 きょうしんしょう 心臓部に起こる激烈な疼痛発作。痛みは多く左腕に放散する。冠状動脈の痙攣・硬化・狭窄などにより、心臓への血流が妨げられることによって起こる。
- 霖雨 りんう 幾日も降りつづく雨。ながあめ。淫雨。
- 本陣 ほんじん (1) 一軍の大将がいる陣所。本営。(2) 江戸時代の宿駅で、大名・幕府役人・勅使・宮門跡などが休泊した公認の宿舎。門構え・玄関・上段の間を備える。大旅籠屋。
- 寡婦 かふ 夫と死別または離婚して再婚していない女。やもめ。未亡人。
- 仮象 かしょう (Schein ドイツ) 仮の形。感覚的現象。鏡像や虹のように、対応すべき客観的実在性を欠いた、単なる主観的表象。
- マントル・ピース mantelpiece 暖炉の前飾り。壁付暖炉の上に設けた飾り棚。マンテルピース。
- 山家 やまが 山中や山里にある家。また、山里。
- 言いさす いいさす 言いかけて途中でやめる。
- 信従
- 切口上 きりこうじょう 一語一句のくぎりをはっきりさせて言う言葉つき。改まった堅苦しい口調。無愛想で突き放したような口のきき方。
- しどけない (1) 身なりなどが乱雑でしまりがない。(2) しっかりしていない。分別のない。
- 諫止 かんし いさめて思いとどまらせること。
- 心用意
- 悔恨 かいこん 後悔して残念に思うこと。
◇参照:
*後記(工作員 日記)
調子に乗りすぎて、Reader へテキストやら pdf やら画像やらいろいろつめこんでいるうちに、とうとう読み込みがハングアップ。
リセットボタン、初期設定、いずれもためしてみるがダメ。使いはじめて二か月。最大の危機!
最終手段。データすべてPC側へバックアップをとり、そのうえで Reader 内蔵メモリを初期化。ああ、無常。ここで、SDカードを差し込んでみる。ようやくつっかえていた読み込みがスムーズに流れ出す。
内蔵メモリへのデータ転送は、主に OS 9 からだったので、そちらからコピーした pdf かテキストファイルあたりの不具合か……と推察。しばらくは OS 9 からの内蔵メモリへのアクセスをひかえ、OS X からのSDカードアクセスのみにする。
Reader マニュアルより。
「本機にコンテンツを転送するには、eBook Transfer for Readerを使う方法とドラッグアンドドロップで転送する方法があります。
「eBook Transfer for Reader以外で転送したファイルは正しく表示できないことがあります。eBook Transfer for Readerを使って転送することをおすすめします。
「ドラッグアンドドロップで転送したコンテンツは、ファイル形式によっては本機で表示できない場合やサムネイルが正しく表示されない場合があります。コンテンツの転送にはeBook Transfer for Readerを使うことをおすすめします。
「eBook Transfer for Readerは以下の環境での動作は保証されませ ん。
まあ、早めにトラブルに遭遇できたことをラッキーと思うことにしよう。
追記。
Wi-Fi オフ時で最長1.5〜2か月の持続使用可能と公称されているが、昨年末購入して二か月使用してみたところでは、平均20日前後、三週間程度しかバッテリーが持たない。もちろん、ネットワークはつないでない。一日だいたい二時間ぐらい。
たぶん、pdf ファイルの閲覧メインのせいと推測。
テキスト主体のファイルならば「画面のリフレッシュ」をコントロールセーブできるが、pdf のばあい、ページめくりのたび、ページ内の移動のたびに画面を一度白黒反転させ「画面のリフレッシュ」をおこなってる模様。たぶんこのあたりが「公称」の数値にはるかにおよばない理由かと。
*次週予告
第五巻 第三二号
菜穂子(三)堀 辰雄
第五巻 第三二号は、
二〇一三年三月二日(土)発行予定です。
定価:200円
T-Time マガジン 週刊ミルクティー* 第五巻 第三一号
菜穂子(二)堀 辰雄
発行:二〇一三年二月二三日(土)
編集:しだひろし / PoorBook G3'99
http://www33.atwiki.jp/asterisk99/
出版:*99 出版
〒994-0024 山形県天童市鎌田2丁目
アパートメント山口A−202
販売:DL-MARKET
※ T-Timeは(株)ボイジャーの商標・製品です。
- T-Time マガジン 週刊ミルクティー* *99 出版
- バックナンバー
※ おわびと訂正
長らく、創刊号と第一巻第六号の url 記述が誤っていたことに気がつきませんでした。アクセスを試みてくださったみなさま、申しわけありませんでした。(しょぼーん)/2012.3.2 しだ
- 第一巻
- 創刊号 竹取物語 和田万吉
- 第二号 竹取物語小論 島津久基(210円)
- 第三号 竹取物語の再検討(一)橘 純一(210円)
- 第四号 竹取物語の再検討(二)橘 純一(210円)
「絵合」 『源氏物語』より 紫式部・与謝野晶子(訳) - 第五号
『国文学の新考察』より 島津久基(210円)- 昔物語と歌物語 / 古代・中世の「作り物語」/
- 平安朝文学の弾力 / 散逸物語三つ
- 第六号 特集 コロボックル考 石器時代総論要領 / コロボックル北海道に住みしなるべし 坪井正五郎 マナイタのばけた話 小熊秀雄 親しく見聞したアイヌの生活 / 風に乗って来るコロポックル 宮本百合子
- 第七号 コロボックル風俗考(一〜三)坪井正五郎(210円)
- シペ物語 / カナメの跡 工藤梅次郎
- 第八号 コロボックル風俗考(四〜六)坪井正五郎(210円)
- 第九号 コロボックル風俗考(七〜十)坪井正五郎(210円)
- 第十号 特集 コロボックル考 喜田貞吉
- 日本太古の民族について / 日本民族概論 / 土蜘蛛種族論につきて
- 第十一号 特集 コロボックル考 喜田貞吉
- 東北民族研究序論 / 猪名部と佐伯部 / 吉野の国巣と国樔部
- 第十二号 日高見国の研究 喜田貞吉
- 第十三号 夷俘・俘囚の考 喜田貞吉
- 第十四号 東人考 喜田貞吉
- 第十五号 奥州における御館藤原氏 喜田貞吉
- 第十六号 考古学と古代史 喜田貞吉
- 第十七号 特集 考古学 喜田貞吉
- 遺物・遺蹟と歴史研究 / 日本における史前時代の歴史研究について / 奥羽北部の石器時代文化における古代シナ文化の影響について
- 第十八号 特集 考古学 喜田貞吉
- 日本石器時代の終末期について /「あばた」も「えくぼ」、
「えくぼ」も「あばた」― ―日本石器時代終末期― ― - 第十九号 特集 考古学 喜田貞吉
- 本邦における一種の古代文明 ―
―銅鐸に関する管見― ― / - 銅鐸民族研究の一断片
- 第二〇号 特集 考古学 喜田貞吉
「鐵」の字の古体と古代の文化 / 石上神宮の神宝七枝刀 / - 八坂瓊之曲玉考
- 第二一号 博物館(一)浜田青陵
- 第二二号 博物館(二)浜田青陵
- 第二三号 博物館(三)浜田青陵
- 第二四号 博物館(四)浜田青陵
- 第二五号 博物館(五)浜田青陵
- 第二六号 墨子(一)幸田露伴
- 第二七号 墨子(二)幸田露伴
- 第二八号 墨子(三)幸田露伴
- 第二九号 道教について(一)幸田露伴
- 第三〇号 道教について(二)幸田露伴
- 第三一号 道教について(三)幸田露伴
- 第三二号 光をかかぐる人々(一)徳永 直
- 第三三号 光をかかぐる人々(二)徳永 直
- 第三四号 東洋人の発明 桑原隲蔵
- 第三五号 堤中納言物語(一)池田亀鑑(訳)
- 第三六号 堤中納言物語(二)池田亀鑑(訳)
- 第三七号 堤中納言物語(三)池田亀鑑(訳)
- 第三八号 歌の話(一)折口信夫
- 第三九号 歌の話(二)折口信夫
- 第四〇号 歌の話(三)
・花の話 折口信夫- 第四一号 枕詞と序詞(一)福井久蔵
- 第四二号 枕詞と序詞(二)福井久蔵
- 第四三号 本朝変態葬礼史 / 死体と民俗 中山太郎
- 第四四号 特集 おっぱい接吻
- 乳房の室 / 女の情欲を笑う 小熊秀雄
- 女体 芥川龍之介
- 接吻 / 接吻の後 北原白秋
- 接吻 斎藤茂吉
- 第四五号 幕末志士の歌 森 繁夫
- 第四六号 特集 フィクション・サムライ 愛国歌小観 / 愛国百人一首に関連して / 愛国百人一首評釈 斎藤茂吉
- 第四七号
「侍」字訓義考 / 多賀祢考 安藤正次- 第四八号 幣束から旗さし物へ / ゴロツキの話 折口信夫
- 第四九号 平将門 幸田露伴
- 第五〇号 光をかかぐる人々(三)徳永 直
- 第五一号 光をかかぐる人々(四)徳永 直
- 第五二号
「印刷文化」について 徳永 直- 書籍の風俗 恩地孝四郎
- 第二巻
- 第一号 奇巌城(一)モーリス・ルブラン
- 第二号 奇巌城(二)モーリス・ルブラン
- 第三号 美し姫と怪獣 / 長ぐつをはいた猫 楠山正雄(訳)
- 第四号 毒と迷信 / 若水の話 / 麻薬・自殺・宗教 小酒井不木 / 折口信夫 / 坂口安吾
- 第五号 空襲警報 / 水の女 / 支流 海野十三 / 折口信夫 / 斎藤茂吉
- 第六号 新羅人の武士的精神について 池内 宏
- 第七号 新羅の花郎について 池内 宏
- 第八号 震災日誌 / 震災後記 喜田貞吉
- 第九号 セロ弾きのゴーシュ / なめとこ山の熊 宮沢賢治
- 第一〇号 風の又三郎 宮沢賢治
- 第一一号 能久親王事跡(一)森 林太郎
- 第一二号 能久親王事跡(二)森 林太郎
- 第一三号 能久親王事跡(三)森 林太郎
- 第一四号 能久親王事跡(四)森 林太郎
- 第一五号 能久親王事跡(五)森 林太郎
- 第一六号 能久親王事跡(六)森 林太郎
- 第一七号 赤毛連盟 コナン・ドイル
- 第一八号 ボヘミアの醜聞 コナン・ドイル
- 第一九号 グロリア・スコット号 コナン・ドイル
- 第二〇号 暗号舞踏人の謎 コナン・ドイル
- 第二一号 蝦夷とコロボックルとの異同を論ず 喜田貞吉
- 第二二号 コロポックル説の誤謬を論ず 上・下 河野常吉
- 第二三号 慶長年間の朝日連峰通路について 佐藤栄太
- 第二四号 まれびとの歴史 /「とこよ」と「まれびと」と 折口信夫
- 第二五号 払田柵跡について二、三の考察 / 山形県本楯発見の柵跡について 喜田貞吉
- 第二六号 日本天変地異記 田中貢太郎
- 第二七号 種山ヶ原 / イギリス海岸 宮沢賢治
- 第二八号 翁の発生 / 鬼の話 折口信夫
- 第二九号 生物の歴史(一)石川千代松
- 第三〇号 生物の歴史(二)石川千代松
- 第三一号 生物の歴史(三)石川千代松
- 第三二号 生物の歴史(四)石川千代松
- 第三三号 特集 ひなまつり
- 雛 芥川龍之介 / 雛がたり 泉鏡花 / ひなまつりの話 折口信夫
- 第三四号 特集 ひなまつり
- 人形の話 / 偶人信仰の民俗化並びに伝説化せる道 折口信夫
- 第三五号 右大臣実朝(一)太宰 治
- 第三六号 右大臣実朝(二)太宰 治
- 第三七号 右大臣実朝(三)太宰 治
- 第三八号 清河八郎(一)大川周明
- 第三九号 清河八郎(二)大川周明
- 第四〇号 清河八郎(三)大川周明
- 第四一号 清河八郎(四)大川周明
- 第四二号 清河八郎(五)大川周明
- 第四三号 清河八郎(六)大川周明
- 第四四号 道鏡皇胤論について 喜田貞吉
- 第四五号 火葬と大蔵 / 人身御供と人柱 喜田貞吉
- 第四六号 手長と足長 / くぐつ名義考 喜田貞吉
- 第四七号
「日本民族」とは何ぞや / 本州における蝦夷の末路 喜田貞吉- 第四八号 若草物語(一)L.M. オルコット
- 第四九号 若草物語(二)L.M. オルコット
- 第五〇号 若草物語(三)L.M. オルコット
- 第五一号 若草物語(四)L.M. オルコット
- 第五二号 若草物語(五)L.M. オルコット
- 第五三号 二人の女歌人 / 東北の家 片山広子
- 第三巻
- 第一号 星と空の話(一)山本一清
- 第二号 星と空の話(二)山本一清
- 第三号 星と空の話(三)山本一清
- 第四号 獅子舞雑考 / 穀神としての牛に関する民俗 中山太郎
- 第五号 鹿踊りのはじまり 宮沢賢治 / 奥羽地方のシシ踊りと鹿供養 喜田貞吉
- 第六号 魏志倭人伝 / 後漢書倭伝 / 宋書倭国伝 / 隋書倭国伝
- 第七号 卑弥呼考(一)内藤湖南
- 第八号 卑弥呼考(二)内藤湖南
- 第九号 卑弥呼考(三)内藤湖南
- 第一〇号 最古日本の女性生活の根底 / 稲むらの陰にて 折口信夫
- 第一一号 瀬戸内海の潮と潮流(他三編)寺田寅彦
- 瀬戸内海の潮と潮流 / コーヒー哲学序説 /
- 神話と地球物理学 / ウジの効用
- 第一二号 日本人の自然観 / 天文と俳句 寺田寅彦
- 第一三号 倭女王卑弥呼考(一)白鳥庫吉
- 第一四号 倭女王卑弥呼考(二)白鳥庫吉
- 第一五号 倭奴国および邪馬台国に関する誤解 他 喜田貞吉
- 倭奴国と倭面土国および倭国とについて稲葉君の反問に答う /
- 倭奴国および邪馬台国に関する誤解
- 第一六号 初雪 モーパッサン 秋田 滋(訳)
- 第一七号 高山の雪 小島烏水
- 第一八号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(一)徳永 直
- 第一九号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(二)徳永 直
- 第二〇号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(三)徳永 直
- 第二一号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(四)徳永 直
- 第二二号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(五)徳永 直
- 第二三号 銀河鉄道の夜(一)宮沢賢治
- 第二四号 銀河鉄道の夜(二)宮沢賢治
- 第二五号 ドングリと山猫 / 雪渡り 宮沢賢治
- 第二六号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(六)徳永 直
- 第二七号 特集 黒川能・春日若宮御祭 折口信夫
- 黒川能・観点の置き所 / 村で見た黒川能
- 能舞台の解説 / 春日若宮御祭の研究
- 第二八号 面とペルソナ / 人物埴輪の眼 他 和辻哲郎
- 面とペルソナ / 文楽座の人形芝居
- 能面の様式 / 人物埴輪の眼
- 第二九号 火山の話 今村明恒
- 第三〇号 現代語訳『古事記』
(一)上巻(前編) 武田祐吉(訳)- 第三一号 現代語訳『古事記』
(二)上巻(後編) 武田祐吉(訳)- 第三二号 現代語訳『古事記』
(三)中巻(前編) 武田祐吉(訳)- 第三三号 現代語訳『古事記』
(四)中巻(後編) 武田祐吉(訳)- 第三四号 山椒大夫 森 鴎外
- 第三五号 地震の話(一)今村明恒
- 第三六号 地震の話(二)今村明恒
- 第三七号 津波と人間 / 天災と国防 / 災難雑考 寺田寅彦
- 第三八号 春雪の出羽路の三日 喜田貞吉
- 第三九号 キュリー夫人 / はるかな道(他)宮本百合子
- 第四〇号 大正十二年九月一日よりの東京・横浜間 大震火災についての記録 / 私の覚え書 宮本百合子
- 第四一号 グスコーブドリの伝記 宮沢賢治
- 第四二号 ラジウムの雁 / シグナルとシグナレス(他)宮沢賢治
- 第四三号 智恵子抄(一)高村光太郎
- 第四四号 智恵子抄(二)高村光太郎
- 第四五号 ヴェスヴィオ山 / 日本大地震(他)斎藤茂吉
- 第四六号 上代肉食考 / 青屋考 喜田貞吉
- 第四七号 地震雑感 / 静岡地震被害見学記(他)寺田寅彦
- 第四八号 自然現象の予報 / 火山の名について 寺田寅彦
- 第四九号 地震の国(一)今村明恒
- 第五〇号 地震の国(二)今村明恒
- 第五一号 現代語訳『古事記』
(五)下巻(前編) 武田祐吉(訳)- 第五二号 現代語訳『古事記』
(六)下巻(後編) 武田祐吉(訳)
- 第四巻
- 第一号 日本昔話集 沖縄編(一)伊波普猷・前川千帆(絵)
- 第二号 日本昔話集 沖縄編(二)伊波普猷
- 第三号 アインシュタイン(一)寺田寅彦
- 物質とエネルギー / 科学上における権威の価値と弊害 /
- アインシュタインの教育観
- 第四号 アインシュタイン(二)寺田寅彦
- アインシュタイン / 相対性原理側面観
- 第五号 作家のみた科学者の文学的活動 / 科学の常識のため 宮本百合子
- 第六号 地震の国(三)今村明恒
- 第七号 地震の国(四)今村明恒
- 第八号 地震の国(五)今村明恒
- 第九号 地震の国(六)今村明恒
- 第一〇号 土神と狐 / フランドン農学校の豚 宮沢賢治
- 第一一号 地震学の角度から見た城輪柵趾 今村明恒
- 第一二号 庄内と日高見(一)喜田貞吉
- 第一三号 庄内と日高見(二)喜田貞吉
- 第一四号 庄内と日高見(三)喜田貞吉
- 第一五号 私は海をだきしめてゐたい / 安吾巷談・ストリップ罵倒 坂口安吾
- 第一六号 三筋町界隈 / 孫 斎藤茂吉
- 第一七号 原子力の管理(他)仁科芳雄
- 原子力の管理 / 日本再建と科学 / 国民の人格向上と科学技術 /
- ユネスコと科学
- 第一八号 J・J・トムソン伝(他)長岡半太郎
- J・J・トムソン伝 / アインシュタイン博士のこと
- 第一九号 原子核探求の思い出(他)長岡半太郎
- 総合研究の必要 / 基礎研究とその応用 / 原子核探求の思い出
- 第二〇号 蒲生氏郷(一)幸田露伴
- 第二一号 蒲生氏郷(二)幸田露伴
- 第二二号 蒲生氏郷(三)幸田露伴
- 第二三号 科学の不思議(一)アンリ・ファーブル
- 第二四号 科学の不思議(二)アンリ・ファーブル
- 第二五号 ラザフォード卿を憶う(他)長岡半太郎
- ラザフォード卿を憶う / ノーベル小伝とノーベル賞 / 湯川博士の受賞を祝す
- 第二六号 追遠記 / わたしの子ども時分 伊波普猷
- 第二七号 ユタの歴史的研究 伊波普猷
- 第二八号 科学の不思議(三)アンリ・ファーブル
- 第二九号 南島の黥 / 琉球女人の被服 伊波普猷
- 第三〇号
『古事記』解説 / 上代人の民族信仰 武田祐吉・宇野円空 - 第三一号 科学の不思議(四)アンリ・ファーブル
- 第三二号 科学の不思議(五)アンリ・ファーブル
- 第三三号 厄年と etc. / 断水の日 / 塵埃と光 寺田寅彦
- 第三四号 石油ランプ / 流言蜚語 / 時事雑感 寺田寅彦
- 第三五号 火事教育 / 函館の大火について 寺田寅彦
- 第三六号 台風雑俎 / 震災日記より 寺田寅彦
- 第三七号 火事とポチ / 水害雑録 有島武郎・伊藤左千夫
- 第三八号 特集・安達が原の黒塚 楠山正雄・喜田貞吉・中山太郎
- 第三九号 大地震調査日記(一)今村明恒
- 第四〇号 大地震調査日記(二)今村明恒
- 第四一号 大地震調査日記(続)今村明恒
- 第四二号 科学の不思議(六)アンリ・ファーブル
- 第四三号 科学の不思議(七)アンリ・ファーブル
- 第四四号 震災の記 / 指輪一つ 岡本綺堂
- 第四五号 仙台五色筆 / ランス紀行 岡本綺堂
- 第四六号 東洋歴史物語(一)藤田豊八
- 第四七号 東洋歴史物語(二)藤田豊八
- 第四八号 東洋歴史物語(三)藤田豊八
- 第四九号 東洋歴史物語(四)藤田豊八
- 第五〇号 東洋歴史物語(五)藤田豊八
- 第五一号 科学の不思議(八)アンリ・ファーブル
- 第五二号 科学の不思議(九)アンリ・ファーブル
- 第五巻
- 第一号 校註『古事記』
(一) 武田祐吉- 第二号 校註『古事記』
(二) 武田祐吉- 第三号 校註『古事記』
(三) 武田祐吉- 第四号 兜 / 島原の夢 / 昔の小学生より / 三崎町の原 岡本綺堂
- 第五号 新旧東京雑題 / 人形の趣味(他)岡本綺堂
- 第六号 大震火災記 鈴木三重吉
- 第七号 校註『古事記』
(四) 武田祐吉- 第八号 校註『古事記』
(五) 武田祐吉- 第九号 校註『古事記』
(六) 武田祐吉- 第一〇号 校註『古事記』
(七) 武田祐吉- 第一一号 大正十二年九月一日の大震に際して(他)芥川龍之介
- オウム―
―大震覚え書きの一つ― ― - 第一二号 日本歴史物語〈上〉
(一) 喜田貞吉- 第一三号 日本歴史物語〈上〉
(二) 喜田貞吉- 第一四号 日本歴史物語〈上〉
(三) 喜田貞吉- 第一五号 日本歴史物語〈上〉
(四) 喜田貞吉- 第一六号 校註『古事記』
(八) 武田祐吉- 第一七号 校註『古事記』
(九) 武田祐吉- 第一八号 校註『古事記』
(一〇) 武田祐吉- 第一九号 校註『古事記』
(一一) 武田祐吉- 語句索引 / 歌謡各句索引
- 第二〇号 日本歴史物語〈上〉
(五) 喜田貞吉- 第二一号 日本歴史物語〈上〉
(六) 喜田貞吉- 第二二号 日本歴史物語〈上〉索引 喜田貞吉
- 語句索引 / 人名索引 / 地名一覧
- 第二三号 クリスマスの贈り物/街の子/少年・春 竹久夢二
- 第二四号 風立ちぬ(一)堀 辰雄
- 第二五号 風立ちぬ(二)堀 辰雄
- 第二六号 風立ちぬ(三)堀 辰雄
- 第五巻 第二七号 山の科学・山と川(一)今井半次郎
- 一、山の生まれるまで
- 山の力と人の力
- 地球の誕生
- 山のできたわけ
- (一)地殻のしわ
- (二)しわの山
- 地球の表面
- (一)水の世界と陸の世界
- (二)桑滄(そうそう)の変
- (三)陸地の表面の形
- (四)平原
- (五)高原
- (六)盆地
- (七)段丘
- (八)斜面と崖
- 二、山のいろいろとその形
- 山のいろいろ
- (一)生まれ出た山
- (二)こわれ残った山
- (三)山の高さ
- (四)山の形をあらわす図面
- (ニ)しわの山。 これはすでに前にお話しした、横圧力でできた褶曲山のことです。世界の大きな山脈はたいてい、この褶曲山であることも、ちゃんとおぼえておいでのことと思います。
- (ホ)断層の山。 ところが、地殻のしわも、だんだん強くなると、ついにはそこに割れ目や裂け目のひびができます。青竹を力いっぱい曲げてみると、はじめのうちはだんだん曲がって山ができますが、後にはそのいちばんはりつめた山の頂上のところにひびができ、しまいには竹が折れます。これと同じ理屈で土地もしまいにはその裂け目に沿うて折れて、一方がすべり落ちて食いちがいの形になることがあります。これを「断層」ができたといいます。そして裂け目のところを「断層線」といいます。
- 断層で一方の土地がすべり落ちると、そこは谷となり、残った一方の土地は山となります。これが断層の山です。断層は、ときにいくつもいくつも互いに平行しておこることがあります。このばあいは、階段を平らにしてみたときのように、あるいはレンガ畳の道路がこわれてデコボコになったときのように、いくつもの平行した断層の谷と山とができあがります。
- 断層でできた山は、日本にも外国にも例が多いようです。外国の例でよくひきあいに出されるのは、北アメリカ合衆国にあるシエラネバダ大山脈です。これは比較的たいらな土地におこった断層で、いっぽうが持ちあがり、いっぽうがすべり落ちてできたもので、断層のできたほうはけわしい崖となり、その反対の側はしだいにサクラメント平原にむかって、ゆるやかな傾斜を作っています。
( 「二、山のいろいろとその形(一)生まれ出た山」より)
- 第五巻 第二八号 山の科学・山と川(二)今井半次郎
- 二、山のいろいろとその形
- 山の美しい形
- (一)孤立の山
- (二)連山
- 山をつくる岩
- (一)岩とは何か
- (二)岩の区別
- 水成岩の山
- (一)地層とは何か
- (二)地層のしわ
- (三)化石
- 火成岩の山
- (一)二とおりの火成岩
- (二)火成岩のひび
- (三)岩脈
- 変成岩の山
- (一)岩の変質
- (二)秩父の長瀞
- 山の寿命
- (一)地貌の輪廻
- (二)地球の年齢
- 山の彫刻と破壊
- (一)空気の働き
- (二)水の働き
- (三)生物の働き
- 空気中の水分は雨となって降ってきます。それが岩の目にしみこんで、おそろしい働きをします。その降った雨がこおって氷となると、なおのことです。氷は山の斜面を流れると、いよいよひどく岩をこわします。このように雨や風によって岩が直接けずり取られる働きを、とくに「浸食作用」と名づけます。また、雨や風によって岩がボロボロにこわされることを「風化作用」といいます。
(略) - (ハ)氷の力。 山をこわすもととなるもので、いちばん見のがすことのできないものは氷の力です。水は液体として岩の割れ目にしみこみますが、それが寒さのひどい時季になると氷となります。氷は水のときよりもかさが大きくなりますから、岩の内部をおしつけます。そのために、岩はボロボロに壊れるのです。冬の寒い朝、水道の鉄管の中の水がこおって、あの固い鉄管が破裂するのを見ても想像がつくでしょう。
- 春先、暖かくなってから、山の急な斜面のふもとや崖下などに行って見ると、大小の角ばったゴロ石が新しく積みかさなっているのを見ることがあります。これは、みんな冬のあいだに氷で壊されたのが、おちてできたのです。
- 高山の頂上にあらわれている岩は、とくによく氷で破壊されるもので、その峰はたいていするどくつき立った尖塔状をしています。アルプス山脈のモン・ブラン(白山)の西北にあるシャモニの尖峰などは、そのいい例です。日本アルプスの頂上にも、ところどころイヌの牙のようにとがったところがあります。
( 「山の彫刻と破壊(二)水の働き」より)
- 第五巻 第二九号 山の科学・山と川(三)今井半次郎
- 三、川と谷
- (一)川の形
- (二)河流の浸食
- (三)河水の運搬する働き
- (四)河水の沈殿する働き
- つぎに、川底の岩と河水の浸食するわりあいとを考えてみますと、岩が固ければ固いほど、浸食に手間どることはいうまでもありませんが、川底の岩はどこでも同じ固さを持っているとはかぎりません。また、前にお話ししたように、岩にはたいてい割れ目(節理)が発達していますから、やわらかいところや、割れ目のあるところは多くけずられたり、壊されたりします。そこで川の床には高低さまざまのデコボコができ、水はそのために激して白いしぶきを飛ばします。深くえぐられたところは、よどんで碧い淵となり、木曽の寝覚の床や、秩父の長瀞のような美しい景色をつくります。
- それからまた、ところどころにおもしろい「巨人の釜」
(甌穴)という、丸い深い穴を作ることもあります。この釜穴は川底の岩のくぼんだところや、割れ目に小石がひっかかり、急な流れのために同じ場所でグルグル回転して、錐もみのようにもみこんでできたのです。寝覚の床の釜穴は、その形の完全なので名高く、但馬揖保川の支流の鹿が坪〔鹿ヶ壺〕では、十個ばかりの釜穴が連なってならんでおり、越後田代の七つ釜は材木岩にできた七つの釜穴が続いているので、そういう名がついたのです。このほか、秩父長瀞、日向の都城付近の関尾〔関之尾か〕、日光の含満が淵、三河長篠の滝川などは同じく釜穴で名高いところですが、岩からできた川底で流れが急なところなら、どこにでも一つや二つの釜穴のないところはありません。 ( 「(二)河流の浸食」より)
- 第五巻 第三〇号 菜穂子(一)堀 辰雄
- 楡(にれ)の家
- 第一部
- それから一週間ばかりたった、ある日の午後だった。わたしの別荘の裏の、雑木林の中で自動車の爆音らしいものがおこった。車などの入ってこられそうもないところだのに、誰がそんなところに自動車を乗り入れたのだろう、道でも間違えたのかしらと思いながら、ちょうどわたしは二階の部屋にいたので窓から見おろすと、雑木林の中にはさまってとうとう身動きがとれなくなってしまっている自動車の中から、森さんが一人で降りてこられた。そしてわたしのいる窓のほうをお見上げになったが、ちょうど一本の楡の木の陰になって、むこうではわたしにお気づきにならないらしかった。それに、うちの庭と、いまあの方の立っていらっしゃる場所との間には、薄(すすき)だの、細かい花を咲かせた灌木だのが一面においしげっていた。――そのため、間違った道へ自動車を乗り入られたあの方は、わたしの家のすぐ裏の、ついそこまで来ていながら、それらに遮られて、いつまでもこちらへいらっしゃれずにいた。それがわたしには心なしか、なんだかお一人でわたしのところへいらっしゃるのを躊躇なさっていられるようにも思えた。
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