武田祐吉 たけだ ゆうきち
1886-1958(明治19.5.5-昭和33.3.29)
国文学者。東京都出身。小田原中学の教員を辞し、佐佐木信綱のもとで「校本万葉集」の編纂に参加。1926(昭和元)、国学院大学教授。「万葉集」を中心に上代文学の研究を進め、「万葉集全註釈」(1948-51)に結実させた。著書「上代国文学の研究」「古事記研究―帝紀攷」「武田祐吉著作集」全8巻。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)
◇表紙イラスト:島根県八重垣神社蔵、板絵着色神像より「素戔嗚尊」伝、巨勢金岡筆。


もくじ 
校註『古事記』(五)武田祐吉


ミルクティー*現代表記版
校註『古事記』(五)
  古事記 中つ巻
   三、崇神天皇
    后妃と皇子女
    美和の大物主
    将軍の派遣
   四、垂仁天皇
    后妃と皇子女
    沙本毘古(さほびこ)の反乱
    本牟智和気(ほむちわけ)の御子
    丹波の四女王
    時じくの香(かく)の木の実

オリジナル版
校註『古事記』(五)

地名年表人物一覧書籍
難字、求めよ
後記次週予告

※ 製作環境
 ・Macintosh iBook、Mac OS 9.2.2、T-Time 2.3.1
 ・ ポメラ DM100、ソーラーパネル GOAL ZERO NOMAD 7(ガイド10プラス)
※ 週刊ミルクティー*は、JIS X 0213 文字を使用しています。
※ この作品は青空文庫にて校正中です。著作権保護期間を経過したパブリック・ドメイン作品につき、引用・印刷および転載・翻訳・翻案・朗読などの二次利用は自由です。
(c) Copyright this work is public domain.

*凡例
  • ( ):小書き。〈 〉:割り注。
  • 〔 〕:編者もしくは、しだによる注。
  • 一、漢字、かなづかい、漢字の送りは現代表記に改めました。
  •    例、云う → いう / 言う
  •      処  → ところ / 所
  •      有つ → 持つ
  •      這入る → 入る
  •      円く → 丸く
  •      室  → 部屋
  • 一、同音異義の一部のひらがなを、便宜、漢字に改めました。
  •    例、いって → 行って / 言って
  •      きいた → 聞いた / 効いた
  • 一、若干の句読点を改めました。適宜、ルビや中黒や感嘆・疑問符をおぎないました。一部、改行と行頭の字下げを改めました。
  • 一、漢数字の表記を一部、改めました。
  •    例、七百二戸 → 七〇二戸
  •    例、二萬六千十一 → 二万六〇一一
  • 一、ひらがなに傍点は、一部カタカナに改めました。
  • 一、カタカナ漢字混用文は、ひらがな漢字混用文に改めました。
  • 一、和暦にはカッコ書きで西暦をおぎないました。年次のみのばあいは単純な置き換えにとどめ、月日のわかるばあいには陰暦・陽暦の補正をおこないました。
  • 一、「今から○○年前」のような経過年数の表記は改めず、底本のままにしました。和歌・俳句・短歌は五七五(七七)の音節ごとに半角スペースで句切りました。
  • 一、表や図版キャプションなどの組版は、便宜、改めました。
  • 一、書名・雑誌名は『 』、論文名・記事名および会話文は「 」で示しました。
  • 一、差別的表現・好ましくない表現はそのままとしました。

*尺貫法
  • 寸 すん 長さの単位。尺の10分の1。1寸は約3.03cm。
  • 尺 しゃく 長さの単位。1mの33分の10と定義された。寸の10倍、丈の10分の1。
  • 丈 じょう 長さの単位。(1) 尺の10倍。約3m。(2) 周尺で、約1.7m。成人男子の身長。
  • 歩 ぶ (1) 左右の足を一度ずつ前に出した長さ。6尺。(2) 土地面積の単位。1歩は普通、曲尺6尺平方で、1坪に同じ。
  • 町 ちょう (1) 土地の面積の単位。1町は10段。令制では3600歩、太閤検地以後は3000歩とされ、約99.17アール。(2) (「丁」とも書く) 距離の単位。1町は60間。約109m強。
  • 里 り 地上の距離を計る単位。36町(3.9273km)に相当する。昔は300歩、すなわち今の6町の定めであった。
  • 合 ごう 容積の単位。升の10分の1。1合は180.39立方cm。
  • 升 しょう 容量の単位。古来用いられてきたが、現代の1升は1.80391リットル。斗の10分の1で、合の10倍。
  • 斗 と 容量の単位。1斗は1升の10倍で、18.039リットルに当たる。
  • 海里・浬 かいり (sea mile; nautical mile) 緯度1分の子午線弧長に基づいて定めた距離の単位で、1海里は1852m。航海に用いる。
  • 尋 ひろ (1) (「広(ひろ)」の意)両手を左右にひろげた時の両手先の間の距離。(2) 縄・水深などをはかる長さの単位。1尋は5尺(1.515m)または6尺(1.818m)で、漁業・釣りでは1.5mとしている。
  • 坪 つぼ 土地面積の単位。6尺四方、すなわち約3.306平方m。歩(ぶ)。



*底本

底本:「古事記」角川文庫、角川書店
   1956(昭和31)年5月20日初版発行
   1965(昭和40)年9月20日20版発行
底本の親本:「眞福寺本」
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1349.html

NDC 分類:164(宗教 / 神話.神話学)
http://yozora.kazumi386.org/1/6/ndc164.html
NDC 分類:210(日本史)
http://yozora.kazumi386.org/2/1/ndc210.html





 校註『古事記』 凡例

  • 一 本書は、『古事記』本文の書き下し文に脚注を加えたもの、および索引からなる。
  • 一 『古事記』の本文は、真福寺本を底本とし、他本をもって校訂を加えたものを使用した。その校訂の過程は、特別の場合以外は、すべて省略した。
  • 一 『古事記』は、三巻にわけてあるだけで、内容については別に標題はない。底本とした真福寺本には、上方に見出しが書かれているが、今それによらずに、新たに章をわけて、それぞれ番号や標題をつけ、これにはカッコをつけて新たに加えたものであることをあきらかにした。また歌謡には、末尾にカッコをして歌謡番号を記し、索引に便にすることとした。


校註『古事記』(五)

稗田の阿礼、太の安万侶
武田祐吉(注釈・校訂)

 古事記 なかつ巻

  〔三、崇神すじん天皇〕

   后妃こうひと皇子女〕


 御真木入日子印恵いりいにみこと(一)〔崇神天皇〕師木しき水垣みずかきの宮(二)にましまして、天の下らしめしき。この天皇すめらみこと、木の国のみやつこ、名は荒河戸弁あらかわが女、遠津年魚目目微比売とおくわしいて生みませる御子、豊木入日子とよいりの命、つぎに豊�K入日売とよすきいりの命〈二柱〉。また尾張おわりの連が祖意富阿麻比売にいて生みませる御子、大入杵おおいりきの命、つぎに八坂やさか入日子いりひこの命、つぎに沼名木ぬなきの入日売の命、つぎに十市とおちの入日売の命〈四柱〉。また大毘古おおびこの命が女、御真津比売の命にいて生みませる御子、伊玖米入日子伊沙知いりの命、つぎに伊耶いざ真若まわかの命、つぎに国片くにかた比売の命、つぎに千千都久和やまと比売の命、つぎに伊賀いが比売の命、つぎに倭日子やまとひこの命〈六柱〉。この天皇すめらみことの御子たち、あわせて十二柱〈男王七、女王五なり。かれ伊久米伊理毘古伊佐知の命は、天の下らしめしき。つぎに豊木入日子とよいりの命は、上つ毛野・下つ毛野の君らが祖なり。妹豊�Kとよすき比売の命は伊勢の大神の宮をいつきまつりたまいき。つぎに大入杵おおいりきの命は、能登の臣が祖なり。つぎに倭日子やまとひこの命は、この王のときにはじめてはか人垣ひとがきを立てたり(三)

  •  (一)崇神天皇。
  •  (二)奈良県磯城郡しきぐん
  •  (三)人をうめて垣とするもの。

   美和みわ大物主おおものぬし


 この天皇すめらみこと御世みよに「役病えやみさわにおこり、人民おおみたからつきなんとしき。ここに天皇愁嘆えたまいて、神床かむとこ(一)にましましける夜に、大物主おおものぬし大神おおかみ、御夢にあらわれてのりたまいしく、「こはが御心なり。かれ意富多多泥古をもちて、わが御前みまえにまつらしめたまわば、神のおこらず(二)、国も安平やすらかならん」とのりたまいき。ここをもちて、駅使はゆまづかい(三)四方よもあかちて、意富多多泥古という人を求むるときに、河内の美努みのの村(四)にその人を見得てたてまつりき。ここに天皇すめらみこと問いたまわく、いましたれが子ぞ」と問いたまいき。答えてもうさく「大物主おおものぬしの大神、陶津耳すえつみみみことが女、活玉依いくたまより毘売にいて生みませる子、名は櫛御方くしみかたみことの子、飯肩巣見いいがたすみみことの子、建甕槌たけみかづちみことの子、やつこ意富多多泥古」ともうしき。
 ここに天皇すめらみこといたくよろこびたまいて、りたまわく、「天の下たいらぎ、人民おおみたから栄えなん」とのりたまいて、すなわち意富多多泥古の命を神主かむぬし(五)として、御諸山もろやま(六)に、意富美和の大神の御前みまえいつきまつりたまいき。また伊迦賀色許男の命におおせて、天の八十平瓮ひら(七)を作り、天つ神くにかみの社をさだめまつりたまいき。また宇陀うだ墨坂すみさか(八)の神に、赤色の楯矛たてほこをまつり(九)、また大坂おおさかの神(一〇)に、墨色の楯矛をまつり、またさか御尾みおの神、かわの神までに、ことごとに遺忘ることなく幣帛ぬさまつりたまいき。これによりてことごとにみて、国家みかど安平やすらぎき。
 この意富多多泥古という人を、神の子と知れる所以ゆえは、上にいえる活玉依いくたまより毘売、それ顔かりき。ここに壮夫おとこありて、その形姿かたち威儀よそおいときにたぐいなきが、夜半さよなかのときにたちまち来たり。かれ相でて共婚まぐわいして住めるほどに、いまだ幾何いくだもあらねば、その美人おとめはらみぬ。
 ここに父母、そのはらめることをあやしみて、その女に問いていわく、いましはおのずからはらめり。ひこじなきにいかにかもはらめる」と問いしかば、答えていわく、うるわしき壮夫おとこの、その名も知らぬが、ごとに来たりて住めるほどに、おのずからにはらみぬ」といいき。ここをもちてその父母、その人を知らんとおもいて、その女におしえつらくは、赤土はにとこにちらし、巻子紡麻へそおを針にきて、その衣のすそせ」とおしえき(一一)。かれ教えしがごとして、旦時あしたに見れば、針をつけたるは、戸の鉤穴かぎあなよりき通りて出で、ただのこれる(一二)は、三勾みわのみなりき。
 ここにすなわち鉤穴かぎあなより出でしさまを知りて、糸のまにまにたずね行きしかば、美和山みわやまにいたりて、神のやしろとどまりき。かれその神の御子なりとは知りぬ。かれその三勾みわのこれるによりて、其地そこに名づけて美和みわというなり。この意富多多泥古の命は、みわの君、鴨の君が祖なり。

  •  (一)神にいのって寝る床。夢に神意を得ようとする。
  •  (二)神のたたり。
  •  (三)馬に乗って行く使い。
  •  (四)大阪府中河内郡なかかわちぐん『日本書紀』には茅渟ちぬあがたすえの村としている。これは和泉の国である。
  •  (五)神のよりつく人。
  •  (六)奈良県磯城郡の三輪山。
  •  (七)多くのひらたい皿。既出の語。
  •  (八)奈良県宇陀郡。大和の中央部から見て東方の通路の坂。
  •  (九)たてまつることによって祭りをする。神に武器をたてまつって魔物の入り来るを防ごうとする思想。
  • (一〇)奈良県北葛城郡二上山ふたかみやまの北方を越える坂。大和の中央部から西方の坂。
  • (一一)人間ならざる者の正体を見現わすためにおこなう。ヘソヲは糸巻にまいた麻。
  • (一二)糸巻に残った麻。

   〔将軍の派遣〕


 またこの御世に、大毘古おおびこの命(一)高志こしみちに遣わし、その子建沼河別たけぬなかわわけの命をひむがしの方十二とおまりふた(二)に遣わして、そのまつろわぬ人どもを言向ことむやわさしめ、また日子坐ひこいますみこをば、旦波たにはの国(三)に遣わして、玖賀耳くがみみ御笠かさ〈こは人の名なり。らしめたまいき。
 かれ大毘古おおびこの命、高志こしの国にまかりでますときに、腰裳こしもせる少女おとめ(四)、山代の幣羅坂さか(五)に立ちて、歌よみしていいしく、

御真木入日子いり〔崇神天皇〕(六)はや、
御真木入日子はや、
おのがぬすせんと、
しりよ い行きたが(七)
前つ戸よ い行きたが
うかがわく 知らにと(八)
御真木入日子はや。〔歌謡番号二三〕

と歌いき。ここに大毘古おおびこみことあやしと思いて馬を返して、その少女おとめに問いていわく、いましがいえる言いは、いかに言うぞ」と問いしかば、少女おとめ答えていわく、は言うこともなし。ただ歌よみしつらくのみ」といいて、その行くも見えずしてたちまちに失せぬ(九)。かれ大毘古の命、さらにかえりまいのぼりて、天皇すめらみことにもうすときに、天皇答えてりたまわく、「こは山代の国なるわが庶兄まませ建波邇安たけやすの王の、きたなき心をおこせるしるしならん。伯父、いくさをおこして行かさね」とのりたまいて、丸邇おみの祖、日子国夫玖くにみことをたぐえて遣わすときに、すなわち丸邇坂さか忌瓮いわいべえて、まかりでましき。
 ここに山代の和訶羅(一〇)にいたれるときに、その建波邇安たけやすの王、いくさをおこして待ちさえぎり、おのもおのも河を中にはさみて、き立ちて相いどみき。かれ其地そこに名づけて、伊杼美という。〈いまは伊豆美という。ここに日子国夫玖くにの命、「そなたの人まず忌矢いわいやを放て」とい言いき。ここにその建波邇安たけやすの王、つれどもえてず。ここに国夫玖くにの命の放つ矢は、建波邇安たけやすの王をころしき。かれそのいくさ、ことごとに破れて逃げあらけぬ。ここにその逃ぐるいくさを追いめて、久須婆わたり(一一)にいたりしときに、みな迫めらえたしなみて、くそ出でてはかまにかかりき。かれ其地そこに名づけて屎褌くそはかまという。〈いまは久須婆という。またその逃ぐるいくさをさえぎりてりしかば、のごと河に浮きき。かれその河に名づけて河という。またその軍士いくさびとはふりき。かれ、其地そこに名づけて波布理曽能(一二)という。かくことむえて、まいのぼりてかえりごともうしき。
 かれ大毘古おおびこみことは、先の命のまにまに、高志こしの国にまかりでましき。ここに東の方より遣わしし建沼河別たけぬなかわわけ、その父大毘古おおびことともに、相津あいづ(一三)にゆきいき。かれ其地そこ相津あいづという。ここをもちておのもおのも遣わさえし国のまつりごとやわ言向ことむけて、かえりごともうしき。
 ここに天の下たいらぎ、人民おおみたから富み栄えき。ここにはじめて男の弓端ゆはず調みつき(一四)おみな手末たなすえの調(一五)たてまつらしめたまいき。かれその御世をたたえて、はつ国知らしし(一六)御真木天皇すめらみことともうす。またこの御世に依網よさみの池(一七)を作り、またかる酒折さかおりの池(一八)を作りき。
 天皇すめらみこと、御歳一百ももじあまり六十八歳むそじやつ戊寅つちのえとらの年の十二月にかむあがりたまいき。御陵みはかは、山のみちまがりおか(一九)にあり。

  •  (一)孝元天皇の御子。
  •  (二)十二国に同じ。伊勢(志摩を含む)・尾張・三河・遠江・駿河・甲斐・伊豆・相模・武蔵・総(上総・下総・安房)・常陸・陸奥の十二国であるという。
  •  (三)京都府の北部。
  •  (四)腰にをつけた少女。裳は女子の腰部にまとう衣服。
  •  (五)大和の国から山城の国に越えたところの坂。
  •  (六)崇神天皇。
  •  (七)後方の戸から人目をはずして。
  •  (八)うかがうことを知らずにと、ニは打ち消しの助動詞ヌの連用形。
  •  (九)神が少女に化して教えた意になる。
  • (一〇)木津川の別名。
  • (一一)大阪府北河内郡淀川よどがわの渡り場。
  • (一二)京都府相楽郡そうらくぐん
  • (一三)福島県の会津。
  • (一四)男子が弓によって得た物の貢物みつぎもの。獣皮の類をいう。
  • (一五)女子の手芸によって得た物の貢物みつぎもの。織り物、糸の類。
  • (一六)新しい土地を領有した。
  • (一七)大阪市東成区ひがしなりく
  • (一八)奈良県高市郡たかいちぐん
  • (一九)奈良県磯城郡しきぐん

  〔四、垂仁すいにん天皇〕

   后妃こうひと皇子女〕


 伊久米伊理毘古伊佐知の命〔垂仁天皇〕(一)師木しき玉垣たまがきの宮(二)にましまして、天の下らしめしき。この天皇すめらみこと沙本毘古の命が妹、佐波遅比売の命(三)いて生みませる御子、品牟都和気の命〈一柱〉。また旦波たには比古多多須美知能宇斯の王が女、氷羽州比売の命(四)いて生みませる御子、印色いにしき入日子いりひこの命、つぎに大帯日子淤斯呂和気おおたらしの命、つぎに大中津日子おおなかつひこの命、つぎにやまと比売の命、つぎに若木わかき入日子いりひこの命〈五柱〉。またその氷羽州比売の命が弟、沼羽田ぬばたいり毘売のみこといて生みませる御子、沼帯別ぬたらしわけの命、つぎに伊賀帯日子たらしの命〈二柱〉。またその沼羽田ぬばたいり日売のみことが弟、阿耶美伊理いり毘売の命にいて生みませる御子、伊許婆夜和気の命、つぎに、阿耶美都比売の命〈二柱〉。また大筒木垂根おおつつきたりねの王が女、迦具夜比売の命にいて生みませる御子、袁那弁の王〈一柱〉。また山代の大国おおくにふちが女、苅羽田刀弁かりいて生みませる御子、落別おちわけの王、つぎに五十日帯日子らしの王、つぎに伊登志別わけの王〈三柱〉。またその大国おおくにふちが女、弟苅羽田刀弁おとかりいて生みませる御子、石衝別いわつくわけの王、つぎに石衝いわつく毘売の命、またの名は布多遅伊理いり毘売の命〈二柱〉。およそこの天皇の御子ら、十六王とおまりむはしらませり。〈男王十三柱、女王三柱。
 かれ大帯日子淤斯呂和気おおたらしの命景行けいこう天皇〕は、天の下らしめしき。〈御身のたけ一丈二寸〔186cmぐらいか〕、御すねの長さ四尺一寸〔35cmぐらいか〕ましき。つぎに印色いにしき入日子いりひこの命は、血沼ちぬの池(五)を作り、また狭山さやまの池を作り、また日下くさか高津たかつの池(六)を作りたまいき。また鳥取ととりの河上の宮(七)にましまして、横刀たち仟口ちじを作らしめたまいき。こをいそかみ神宮かむみや(八)に納めまつる。すなわちその宮にましまして、河上部かわかみべを定めたまいき(九)。つぎに大中津日子おおなかつひこの命は、山辺の別、三枝の別、稲木の別、阿太の別、尾張の国の三野の別、吉備の石なしの別、許呂母の別、高巣鹿の別、飛鳥の君、牟礼の別らが祖なり。つぎにやまと比売の命は、伊勢の大神の宮をいつきまつりたまいき。つぎに伊許婆夜和気の王は、沙本さほ穴本あなほ部の別が祖なり。つぎに阿耶美都比売の命は、稲瀬毘古いなの王にいましき。つぎに落別おちわけの王は、小目の山の君、三川の衣の君が祖なり。つぎに五十日帯日子たらの王は、春日の山の君、高志こしの池の君、春日部の君が祖なり。つぎに伊登志和気の王は、子なきによりて、子代こしろとして伊登志部をさだめき。つぎに石衝別いわつくわけの王は、羽咋はくいの君、三尾の君が祖なり。つぎに布多遅伊理いり毘売の命は、倭建やまとたけるみこときさきとなりたまいき。

  •  (一)垂仁天皇。
  •  (二)奈良県磯城郡。
  •  (三)沙本毘売に同じ。開化天皇の皇女。
  •  (四)以下の三后妃こうひは、開化天皇の巻に見え、また下に見える。その条参照。
  •  (五)大阪府泉南郡せんなんぐん
  •  (六)大阪府南河内郡。
  •  (七)大阪府泉南郡。
  •  (八)奈良県山辺郡やまべぐん石上いそのかみの神宮。
  •  (九)人民の集団に縁故のある名をつけて記念とし、またこれを支配する。以下、何部を定めたという記事が多い。

   沙本毘古の反乱〕


 この天皇すめらみこと沙本さほ毘売をきさきとしたまいしときに、沙本さほ毘売のみこといろせ沙本毘古の王、その同母妹に問いていわく、いろせとはいずれかしき」と問いしかば、答えていわく「いろせしとおもう」と答えたまいき。ここに沙本毘古の王、謀りていわく、みましまことにあれしと思おさば、みましと天の下らさんとす」といいて、すなわち八塩折やしおおり紐小刀ひもがたな(一)を作りて、そのいろもに授けていわく、「この小刀もちて、天皇すめらみことみねしたまうをせまつれ」という。かれ天皇、そのはかりごとらしめさずて、そのきさき御膝おひざきて御寝みねしたまいき。ここにそのきさき紐小刀ひもがたなもちて、その天皇の御首おおみくびを刺しまつらんとして、三度みたびりたまいしかども、かなしとおもうこころにええずして、御首おおみくびをえしまつらずて、泣く涙、御面おおみおもに落ちあふれき。天皇すめらみことおどろきちたまいて、そのきさきに問いてのりたまわく、しきいめを見つ。沙本さほ(二)かたより、暴雨はやさめりきて、にわかにわがおもぬらしつ。また錦色の小蛇へみ、わが首にまつわりつ。かかる夢は、こは何のしるしにあらん」とのりたまいき。ここにそのきさきあらそうべくもあらじとおもおして、すなわち天皇に白してもうさく、が兄沙本毘古の王、に、いろせとはいずれかしきと問いき。ここにえ面勝おもかたずて、かれいろせしとおもうと答えいえば、ここにあとらえていわく、いましと天の下をらさん。かれ天皇をせまつれといいて、八塩折やしおおり紐小刀ひもがたなを作りてさずけつ。ここをもちて御首おおみくびを刺しまつらんとして、三度みたびりしかども、かなしとおもうこころにわかにおこりて、首をえしまつらずて、泣く涙の落ちて、御面おおみおもらしつ。かならずこのしるしにあらん」ともうしたまいき。
 ここに天皇すめらみことりたまわく、はほとほとにあざむかえつるかも(三)」とのりたまいて、いくさをおこして、沙本毘古の王をちたまうときに、その王稲城いなぎ(四)を作りて待ち戦いき。このとき沙本毘売の命、そのいろせにええずして、しりよりのがれ出でて、その稲城いなぎりましき。
 このときにそのきさきはらみましき。ここに天皇、そのきさきの、懐妊はらみませるにえず、また愛重めぐみたまえることも三年になりにければ、そのいくさをかえしてすむやけくもめたまわざりき。かく逗留とどこおる間に、そのはらめる御子すでにれましぬ。かれその御子を出して、稲城いなぎの外に置きまつりて、天皇にもうさしめたまわく、「もしこの御子を、天皇の御子と思おしめさば、おさめたまうべし」ともうしたまいき。ここに天皇りたまわく、「そのいろせきらいたまえども、なおそのきさきしとおもうにええず」とのりたまいて、きさきを得んとおもう心ましき。ここをもちて軍士いくさびとの中に力士ちからびと軽捷きをつどえてりたまわくは、「その御子を取らんときに、その母王ははみこをもかそい取れ(五)御髪みぐしにもあれ、御手にもあれ、取りんまにまに、つかみてでよ」とのりたまいき。ここにそのきさき、あらかじめその御心を知りたまいて、ことごとにその髪をりて、その髪もちてその頭をおおい、また玉の緒をくたして、御手に三重かし、また酒もちて御衣みけしくたして、まったみそのごとせり。かくけそなえて、その御子をうだきて、城の外にさしでたまいき。ここにその力士ちからびとども、その御子を取りまつりて、すなわちその御祖みおやりまつらんとす。ここにその御髪みぐしれば、御髪みぐしおのずから落ち、その御手をれば、玉の緒またえ、その御衣みけしれば、御衣みけしすなわちやぶれつ。ここをもちてその御子を取りて、その御祖みおやをばえとりまつらざりき。かれその軍士いくさびとどもかえりきて、もうして言さく、御髪みぐしおのずから落ち、御衣けしやぶれやすく、御手にかせる玉の緒もすなわちえぬ。かれ御祖みおやまつらず、御子を取り得まつりき」ともうす。ここに天皇うらみたまいて、玉作りし人どもをにくまして、そのところをみなりたまいき。かれことわざに、ところ得ぬ玉作り(六)というなり。
 また天皇すめらみこと、そのきさき命詔みことのりしたまわく、「およそ子の名は、かならず母の名づくるを、この子の御名を何とかいわん」とりたまいき。ここに答えてもうさく、「今、火の稲城いなぎを焼くときに、中にれましつ。かれその御名は、本牟智和気(七)御子みこともうすべし」ともうしたまいき。また命詔みことのりしたまわく、「いかにして日足ひたしまつらん(八)」とのりたまえば、答えてもうさく、御母みおも〔乳母〕をとり、大湯坐おおゆえ若湯坐わかゆえ(九)をさだめて、日足ひたしまつるべし」ともうしたまいき。かれそのきさきのもうしたまいしまにまに、日足ひたしまつりき。またそのきさきに問いたまわく、みましの固めしみず小佩おひも(一〇)は、たれかも解かん」とのりたまいしかば、答えてもうさく、旦波たには比古多多須美知能宇斯みこが女、名は兄比売弟比売おとひめ、この二柱の女王ひめみこきよ公民おおみたからにませば、使いたまうべし」ともうしたまいき。しかありてついにその沙本比古の王をりたまえるに、その同母妹したがいたまいき。

  •  (一)色濃く染めたひものついている小刀。このひも、下の錦色の小蛇というのに関係がある。
  •  (二)奈良市佐保さお。佐本毘古の王の居所。
  •  (三)あぶなくだまされるところだった。ホトホトニは、ほとんど。
  •  (四)稲を積んだ城。たわらを積んだのだろう。
  •  (五)かすめ取れ。
  •  (六)玉作りは、土地を持たないということわざのもとだという。
  •  (七)ホが火を意味し、ムチは尊称、ワケは若い御方おかたの義の名。
  •  (八)日をして成育させる。
  •  (九)赤子の湯を使う人。そのおもな役と若い方の役。
  • (一〇)妻が男の衣のひもを結ぶ風習による。ミヅは美称。生気のある意。

   本牟智和気の御子〕


 かれその御子をて遊ぶさまは、尾張の相津(一)なる二俣榲ふたまたすぎ二俣ふたまた小舟おぶねに作りて持ちのぼり来て、やまと市師いちしの池(二)かるの池(三)けて、その御子をて遊びき。しかるにこの御子、八拳鬚つかひげ心前むなさきにいたるまでにまこととわず。かれ今、高往くたづを聞かして、はじめてあぎとい(四)たまいき。ここに山辺やまべ大�おおたか〈こは人の名なり。を遣わして、その鳥を取らしめき。かれこの人、そのたづを追いたずねて、の国より針間はりまの国にいたり、また追いて稲羽いなばの国に越え、すなわち旦波たにはの国・多遅麻たじまの国にいたり、東の方に追いめぐりて、ちか淡海おうみの国にいたり、三野みのの国に越え、尾張おわりの国よりつたいて科野しなのの国に追い、ついに高志こしの国に追いいたりて、和那美水門みなと(五)あみをはり、その鳥を取りて、持ちのぼりてたてまつりき。かれその水門に名づけて和那美水門みなとというなり。またその鳥を見たまえば、物言わんと思おして、思おすがごと言いたまうことなかりき。
 ここに天皇すめらみことわずらえたまいて、御寝みねませるときに、御夢みいめさとしてのりたまわく、「わが宮を、天皇おおきみ御舎みあらかのごと修理おさめたまわば、御子かならずまごととわん」とかくさとしたまうときに、太卜ふとまにうらえて(六)「いずれの神の御心みこころぞ」と求むるに、ここにたたりたまうは、出雲いづもの大神(七)御心みこころなり。かれその御子を、その大神の宮をおろがましめに遣わしたまわんとするときに、たれたぐえしめばけんとうらなうに、ここに曙立あけたつ(八)の王うらえり(九)。かれ曙立あけたつの王におおせて、うけいもうさしむらく(一〇)「この大神をおろがむによりて、まことにしるしあらば、このさぎの池(一一)の樹に住めるさぎを、うけい落ちよ」と、かくりたまうときに、うけいてそのさぎつちちて死にき。また「うけいけ」とりたまいき。ここにうけいしかば、さらにきぬ。また甜白梼あまがしさき(一二)なる葉広熊白梼びろくま(一三)をうけいらし、またうけいかしめき。ここにその曙立あけたつの王に、やまと師木しき登美とみ豊朝倉とよあさくら曙立あけたつの王という名をたまいき。すなわち曙立あけたつの王・兎上うながみの王二王ふたばしらを、その御子にたぐえて遣わししときに、那良戸(一四)よりはあしなえめしいわん。大阪戸(一五)よりもあしなえめしいわん。ただ木戸(一六)掖戸わきどき戸(一七)うらえて、いでまししときに、いたりますところごとに品遅部ほむじべをさだめたまいき。
 かれ出雲いづもにいたりまして、大神おおかみおろがえて、かえりのぼりますときに、の河(一八)の中に黒樔くろすの橋(一九)を作り、仮宮を仕えまつりてさしめき。ここに出雲いづもくにみやつこの祖、名は岐比佐都美、青葉の山をかざりて、その河下に立てて、大御食おおみあえたてまつらんとするときに、その御子りたまわく、「この河下に青葉の山なせるは、山と見えて山にあらず。もし出雲いづもいわくまの宮(二〇)にます、葦原色許男あしはらの大神(二一)をもちいつほうりが大にわ(二二)か」と問いたまいき。ここに御供みともに遣わさえたるみこたち、聞きよろこび見よろこびて、御子は檳榔あじまさ長穂ながほの宮(二三)にませまつりて、駅使はゆまづかいをたてまつりき。
 ここにその御子、肥長ひなが比売に一宿ひとよいたまいき。かれその美人おとめ窃伺かきまみたまえば、おろちなり。すなわち見かしこみて逃げたまいき。ここにその肥長ひなが比売うれえて、海原をらして船より追い。かれ、ますます見かしこみて山のたわより御船を引き越して、逃げのぼりいでましつ。ここに覆奏かえりごともうさく、「大神をおろがみたまえるによりて、大御子おおみこものりたまいつ。かれ、まいのぼり来つ」ともうしき。かれ天皇すめらみことよろこばして、すなわち兎上うながみの王を返して、神宮を造らしめたまいき。ここに天皇、その御子によりて鳥取部ととりべ鳥甘とりかい品遅部ほむじべ大湯坐おおゆえ若湯坐わかゆえを定めたまいき。

  •  (一)所在不明。
  •  (二)奈良県磯城郡。
  •  (三)同、高市郡。
  •  (四)アギと言った。あぶあぶ言った。
  •  (五)新潟県西蒲原郡にしかんばらぐん、また北魚沼郡きたうおぬまぐんに伝説地がある。ワナミは羂網の義。
  •  (六)二〇ページ「伊耶那岐の命と伊耶那美の命」の「島々の生成」参照。
  •  (七)出雲大社の祭神。大国主の神。
  •  (八)開化天皇の子孫。
  •  (九)占いにかなった。
  • (一〇)神にちかって神意をうかがわしめることは。
  • (一一)奈良県高市郡たかいちぐん
  • (一二)同郡飛鳥村あすかむらにある。
  • (一三)葉の広いりっぱなカシの木。クマはウマに同じ。美称。
  • (一四)奈良県の北部の奈良山を越える道。不具者にうことをきらった。
  • (一五)二上山ふたかみやまを越えて行く道。
  • (一六)紀伊の国へ出る道。吉野川の右岸について行く。
  • (一七)迂回うかいしてゆく道で、よい道。
  • (一八)斐伊ひいの川。
  • (一九)皮つきの木を組んで作った橋。
  • (二〇)出雲大社の別名。
  • (二一)大国主の神の別名。
  • (二二)おまつりする神職の斎場か。
  • (二三)ビロウの木の葉を長く垂れていた宮。

   丹波たにはの四女王〕


 またそのきさきもうしたまいしまにまに、美知能宇斯の王の女たち(一)比婆須比売の命、つぎにおと比売の命、つぎに歌凝うたこり比売の命、つぎに円野まとの比売の命、あわせて四柱を喚上めさげたまいき。しかれども比婆須比売の命、弟比売おとひめの命、二柱を留めて、その弟王おとみこ二柱は、いとみにくきによりてもとくにに返し送りたまいき。ここに円野まとの比売やさしみて「同兄弟はらからの中に、姿みにくきによりてかえさゆること、隣里ちかきさとに聞こえんは、いとやさしきこと」といいて、山代の国の相楽さがらか(二)にいたりしときに、樹の枝に取りさがりて死なんとしき。かれ其地そこに名づけて懸木さがりきといいしを、いまは相楽さがらかという。また弟国おとくに(三)にいたりしときに、ついにふかき淵にちて死にき。かれ其地そこに名づけて堕国おちくにといいしを、今は弟国おとくにというなり。

  •  (一)九〇ページ綏靖すいぜい天皇以後八代」の「開化天皇」后妃こうひ・皇子女に関する条参照。王女の数などが違うのは別の資料によるものであろう。
  •  (二)京都府相楽郡そうらくぐん
  •  (三)同、乙訓郡おとくにぐん

   〔時じくのかくの木の実〕


 また天皇すめらみこと三宅みやけむらじらが祖、名は多遅摩毛理(一)を、常世とこよの国(二)に遣わして、時じくのかく(三)を求めしめたまいき。かれ多遅摩毛理、ついにその国にいたりて、その木の実をりて、縵八縵かげやかげ矛八矛ほこやほこ(四)ち来つる間に、天皇すでにかむあがりましき。ここに多遅摩毛理縵四縵かげよかげ矛四矛ほこよほこをわけて、大后おおきさきにたてまつり、縵四縵かげよかげ矛四矛ほこよほこを、天皇すめらみこと御陵みはかの戸にたてまつり置きて、その木の実をささげて、さけびおらびてもうさく、「常世の国の時じくのかくを持ちまいのぼりてさもらう」ともうしてついにおらび死にき。その時じくのかくの木の実は今のたちばななり。
 この天皇すめらみこと、御年一百ももちまり五十三歳いそじみつ御陵みはか菅原すがわら御立野みたちの(五)の中にあり。
 またその大后おおきさき比婆須比売のみことのとき、石祝作いしきつくり(六)を定め、また土師部はにしべを定めたまいき。このきさき狭木さき寺間てらまはか(七)おさめまつりき。

  •  (一)あめ日矛ひぼこの子孫。系譜は一三九ページ「応神天皇」の「天の日矛」にある。
  •  (二)海外の国。大陸におけるたちばなの原産地まで行ったのだろう。
  •  (三)その時節でなく熟する香りのよい木の実。
  •  (四)カゲはつるのように輪にしたもの。矛は、直線的なもの。どちらも苗木。
  •  (五)奈良県生駒郡いこまぐん
  •  (六)石棺せっかんを作る部族。
  •  (七)奈良県生駒郡。

(つづく)



底本:「古事記」角川文庫、角川書店
   1956(昭和31)年5月20日初版発行
   1965(昭和40)年9月20日20版発行
底本の親本:「眞福寺本」
※底本は校注が脚註の形で配置されています。このファイルでは校註者が追加した標題ごとに、書き下し文、校注の順序で編成しました。
※(一)〜(五五)は注釈番号です。底本では、直前の文字の右横に、ルビのように漢数字のみ付いています。このファイルでは本文の漢数字との混同を避けるため(漢数字)で表しました。
〔 〕は底本の親本にはないもので、校註者が補った箇所を表します。
※頁数を引用している箇所には校註者が追加した標題を注記しました。
入力:川山隆
校正:しだひろし
YYYY年MM月DD日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。



校註『古事記』(五)

稗田の阿礼、太の安万侶
武田祐吉注釈校訂

-------------------------------------------------------
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)上《かみ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)神|蕃息《はんそく》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「二点しんにょう+貌」、第3水準1-92-58]
-------------------------------------------------------


[#1字下げ]古事記 中つ卷[#「古事記 中つ卷」は大見出し]

[#3字下げ]〔三、崇神天皇〕[#「〔三、崇神天皇〕」は中見出し]

[#5字下げ]〔后妃と皇子女〕[#「〔后妃と皇子女〕」は小見出し]
 御眞木入日子印惠《みまきいりひこいにゑ》の命(一)、師木《しき》の水垣《みづかき》の宮(二)にましまして、天の下治らしめしき。この天皇、木の國の造、名は荒河戸辨《あらかはとべ》が女、遠津年魚目目微比賣《とほつあゆめまくはしひめ》に娶ひて、生みませる御子、豐木入日子《とよきいりひこ》の命、次に豐※[#「金+且」、第3水準1-93-12]入日賣《とよすきいりひめ》の命二柱[#「二柱」は1段階小さな文字]。また尾張《をはり》の連が祖|意富阿麻《おほあま》比賣に娶ひて、生みませる御子、大入杵《おほいりき》の命、次に八坂《やさか》の入日子《いりひこ》の命、次に沼名木《ぬなき》の入日賣の命、次に十市《とをち》の入日賣の命四柱[#「四柱」は1段階小さな文字]。また大毘古《おほびこ》の命が女、御眞津《みまつ》比賣の命に娶ひて、生みませる御子、伊玖米入日子伊沙知《いくめいりひこいさち》の命、次に伊耶《いざ》の眞若《まわか》の命、次に國片《くにかた》比賣の命、次に千千都久和《ちぢつくやまと》比賣の命、次に伊賀《いが》比賣の命、次に倭日子《やまとひこ》の命六柱[#「六柱」は1段階小さな文字]。この天皇の御子たち、并せて十二柱[#割り注]男王七、女王五なり。[#割り注終わり]かれ伊久米伊理毘古伊佐知《いくめいりびこいさち》の命は、天の下治らしめしき。次に豐木入日子《とよきいりひこ》の命は、上つ毛野、下つ毛野の君等が祖なり。妹|豐※[#「金+且」、第3水準1-93-12]《とよすき》比賣の命は伊勢の大神の宮を拜《いつ》き祭りたまひき。次に大入杵《おほいりき》の命は、能登の臣が祖なり。次に倭日子《やまとひこ》の命は、この王の時に始めて陵に人垣を立てたり(三)。

(一) 崇神天皇。
(二) 奈良縣磯城郡。
(三) 人を埋めて垣とするもの。

[#5字下げ]〔美和の大物主〕[#「〔美和の大物主〕」は小見出し]
 この天皇の御世に「役病《えやみ》多《さは》に起り、人民《おほみたから》盡きなむとしき。ここに天皇|愁歎《うれ》へたまひて、神牀《かむとこ》(一)にましましける夜に、大物主《おほものぬし》の大神《おほかみ》、御夢に顯はれてのりたまひしく、「こは我《あ》が御心なり。かれ意富多多泥古《おほたたねこ》をもちて、我が御前に祭らしめたまはば、神の氣《け》起らず(二)、國も安平《やすらか》ならむ」とのりたまひき。ここを以ちて、驛使《はゆまづかひ》(三)を四方《よも》に班《あか》ちて、意富多多泥古《おほたたねこ》といふ人を求むる時に、河内の美努《みの》の村(四)にその人を見得て、貢《たてまつ》りき。ここに天皇問ひたまはく、「汝《いまし》は誰が子ぞ」と問ひたまひき。答へて白さく「僕《あ》は大物主の大神、陶津耳《すゑつみみ》の命が女、活玉依《いくたまより》毘賣に娶ひて生みませる子、名は櫛御方《くしみかた》の命の子、飯肩巣見《いひがたすみ》の命の子、建甕槌《たけみかづち》の命の子、僕《やつこ》意富多多泥古」とまをしき。
 ここに天皇いたく歡びたまひて、詔りたまはく、「天の下平ぎ、人民《おほみたから》榮えなむ」とのりたまひて、すなはち意富多多泥古の命を、神主《かむぬし》(五)として、御諸山(六)に、意富美和《おほみわ》の大神の御前を拜《いつ》き祭りたまひき。また伊迦賀色許男《いかがしこを》の命に仰せて、天の八十平瓮《やそひらか》(七)を作り、天つ神|地《くに》つ祇《かみ》の社を定めまつりたまひき。また宇陀《うだ》の墨坂《すみさか》(八)の神に、赤色の楯矛《たてほこ》を祭り(九)、また大坂《おほさか》の神(一〇)に、墨色の楯矛を祭り、また坂《さか》の御尾《みを》の神、河《かは》の瀬《せ》の神までに、悉に遺忘《おつ》ることなく幣帛《ぬさ》まつりたまひき。これに因りて役《え》の氣《け》悉に息《や》みて、國家《みかど》安平《やすら》ぎき。
 この意富多多泥古といふ人を、神の子と知れる所以《ゆゑ》は、上にいへる活玉依《いくたまより》毘賣、それ顏好かりき。ここに壯夫《をとこ》ありて、その形姿《かたち》威儀《よそほひ》時に比《たぐひ》無きが、夜半《さよなか》の時にたちまち來たり。かれ相感《め》でて共婚《まぐはひ》して、住めるほどに、いまだ幾何《いくだ》もあらねば、その美人《をとめ》姙《はら》みぬ。
 ここに父母、その姙《はら》める事を怪みて、その女に問ひて曰はく、「汝《いまし》はおのづから姙《はら》めり。夫《ひこぢ》無きにいかにかも姙《はら》める」と問ひしかば、答へて曰はく、「麗《うるは》しき壯夫《をとこ》の、その名も知らぬが、夕《よ》ごとに來りて住めるほどに、おのづからに姙《はら》みぬ」といひき。ここを以ちてその父母、その人を知らむと欲《おも》ひて、その女に誨《をし》へつらくは、「赤土《はに》を床の邊に散らし、卷子紡麻《へそを》を針に貫《ぬ》きて、その衣の襴《すそ》に刺せ」と誨《をし》へき(一一)。かれ教へしが如して、旦時《あした》に見れば、針をつけたる麻《を》は、戸の鉤穴《かぎあな》より控《ひ》き通りて出で、ただ遺《のこ》れる麻《を》(一二)は、三勾《みわ》のみなりき。
 ここにすなはち鉤穴より出でし状を知りて、絲のまにまに尋ね行きしかば、美和山に至りて、神の社に留まりき。かれその神の御子なりとは知りぬ。かれその麻《を》の三勾《みわ》遺《のこ》れるによりて、其地《そこ》に名づけて美和《みわ》といふなり。この意富多多泥古の命は、神《みわ》の君、鴨の君が祖なり。

(一) 神に祈つて寢る床。夢に神意を得ようとする。
(二) 神のたたり。
(三) 馬に乘つて行く使。
(四) 大阪府中河内郡。日本書紀には茅渟の縣の陶の村としている。これは和泉の國である。
(五) 神のよりつく人。
(六) 奈良縣磯城郡の三輪山。
(七) 多くの平たい皿。既出の語。
(八) 奈良縣宇陀郡。大和の中央部から見て東方の通路の坂。
(九) 奉ることによつて祭をする。神に武器を奉つて魔物の入り來るを防ごうとする思想。
(一〇) 奈良縣北葛城郡二上山の北方を越える坂。大和の中央部から西方の坂。
(一一) 人間ならざる者の正體を見現すために行う。ヘソヲは絲卷にまいた麻。
(一二) 絲卷に殘つた麻。

[#5字下げ]〔將軍の派遣〕[#「〔將軍の派遣〕」は小見出し]
 またこの御世に、大毘古《おほびこ》の命(一)を高志《こし》の道《みち》に遣し、その子|建沼河別《たけぬなかはわけ》の命を東《ひむがし》の方|十二《とをまりふた》道(二)に遣して、その服《まつろ》はぬ人どもを言向け和《やは》さしめ、また日子坐《ひこいます》の王《みこ》をば、旦波《たには》の國(三)に遣して、玖賀耳《くがみみ》の御笠《みかさ》[#割り注]こは人の名なり。[#割り注終わり]を殺《と》らしめたまひき。
 かれ大毘古《おほびこ》の命、高志《こし》の國に罷り往《い》でます時に、腰裳《こしも》服《け》せる少女《をとめ》(四)、山代の幣羅坂《へらさか》(五)に立ちて、歌よみして曰ひしく、
[#ここから2字下げ]
御眞木入日子《みまきいりびこ》(六)はや、
御眞木入日子はや、
おのが命《を》を 竊《ぬす》み殺《し》せむと、
後《しり》つ戸《と》よ い行き違《たが》ひ(七)
前《まへ》つ戸よ い行き違ひ
窺はく 知らにと(八)、
御眞木入日子はや。  (歌謠番號二三)
[#ここで字下げ終わり]
と歌ひき。ここに大毘古《おほびこ》の命、怪しと思ひて、馬を返して、その少女に問ひて曰はく、「汝《いまし》がいへる言は、いかに言ふぞ」と問ひしかば、少女答へて曰はく、「吾《あ》は言ふこともなし。ただ歌よみしつらくのみ」といひて、その行く方《へ》も見えずして忽に失せぬ(九)。かれ大毘古の命、更に還りまゐ上りて、天皇にまをす時に、天皇答へて詔りたまはく、「こは山代の國なる我が庶兄《まませ》、建波邇安《たけはにやす》の王の、邪《きたな》き心を起せる表《しるし》ならむ。伯父、軍を興して、行かさね」とのりたまひて、丸邇《わに》の臣《おみ》の祖、日子國夫玖《ひこくにぶく》の命を副へて、遣す時に、すなはち丸邇坂《わにさか》に忌瓮《いはひべ》を居《す》ゑて、罷り往《い》でましき。
 ここに山代の和訶羅《わから》河(一〇)に到れる時に、その建波邇安の王、軍を興して、待ち遮り、おのもおのも河を中にはさみて、對《む》き立ちて相|挑《いど》みき。かれ其地《そこ》に名づけて、伊杼美《いどみ》といふ。[#割り注]今は伊豆美といふ。[#割り注終わり]ここに日子國夫玖《ひこくにぶく》の命、「其方《そなた》の人まづ忌矢《いはひや》を放て」と乞ひいひき。ここにその建波邇安の王射つれどもえ中てず。ここに國夫玖《くにぶく》の命の放つ矢は、建波邇安の王を射て死《ころ》しき。かれその軍、悉に破れて逃げ散《あら》けぬ。ここにその逃ぐる軍を追ひ迫《せ》めて、久須婆《くすば》の渡《わたり》(一一)に到りし時に、みな迫めらえ窘《たしな》みて、屎《くそ》出でて、褌《はかま》に懸かりき。かれ其地《そこ》に名づけて屎褌《くそはかま》といふ。[#割り注]今は久須婆といふ。[#割り注終わり]またその逃ぐる軍を遮りて斬りしかば、鵜のごと河に浮きき。かれその河に名づけて、鵜河といふ。またその軍士《いくさびと》を斬り屠《はふ》りき。かれ、其地に名づけて波布理曾能《はふりその》(一二)といふ。かく平《ことむ》け訖へて、まゐ上りて覆《かへりごと》奏《まを》しき。
 かれ大毘古《おほびこ》の命は、先の命のまにまに、高志《こし》の國に罷り行《い》でましき。ここに東の方より遣しし建沼河別《たけぬなかはわけ》、その父|大毘古《おほびこ》と共に、相津《あひづ》(一三)に往き遇ひき。かれ其地《そこ》を相津《あひづ》といふ。ここを以ちておのもおのも遣さえし國の政を和《やは》し言向けて、覆《かへりごと》奏《まを》しき。
 ここに天の下平ぎ、人民《おほみたから》富み榮えき。ここに初めて男《をとこ》の弓端《ゆはず》の調《みつき》(一四)、女《をみな》の手末《たなすゑ》の調(一五)を貢《たてまつ》らしめたまひき。かれその御世を稱《たた》へて、初《はつ》國知らしし(一六)、御眞木《みまき》の天皇とまをす。またこの御世に、依網《よさみ》の池(一七)を作り、また輕《かる》の酒折《さかをり》の池(一八)を作りき。
 天皇、御歳|一百六十八歳《ももぢあまりむそぢやつ》、[#割り注]戊寅の年の十二月に崩りたまひき。[#割り注終わり]御陵は、山《やま》の邊《べ》の道《みち》の勾《まがり》の岡《をか》の上《へ》(一九)にあり。

(一) 孝元天皇の御子。
(二) 十二國に同じ。伊勢(志摩を含む)、尾張、參河、遠江、駿河、甲斐、伊豆、相模、武藏、總(上總、下總、安房)、常陸、陸奧の十二國であるという。
(三) 京都府の北部。
(四) 腰に裳をつけた少女。裳は女子の腰部にまとう衣服。
(五) 大和の國から山城の國に越えた所の坂。
(六) 崇神天皇。
(七) 後方の戸から人目をはずして。
(八) 窺うことを知らずにと、ニは打消の助動詞ヌの連用形。
(九) 神が少女に化して教えた意になる。
(一〇) 木津川の別名。
(一一) 大阪府北河内郡淀川の渡り場。
(一二) 京都府相樂郡。
(一三) 福島縣の會津。
(一四) 男子が弓によつて得た物の貢物。獸皮の類をいう。
(一五) 女子の手藝によつて得た物の貢物。織物、絲の類。
(一六) 新しい土地を領有した。
(一七) 大阪市東成區。
(一八) 奈良縣高市郡。
(一九) 奈良縣磯城郡。

[#3字下げ]〔四、垂仁天皇〕[#「〔四、垂仁天皇〕」は中見出し]

[#5字下げ]〔后妃と皇子女〕[#「〔后妃と皇子女〕」は小見出し]
 伊久米伊理毘古伊佐知《いくめいりびこいさち》の命(一)、師木《しき》の玉垣《たまがき》の宮(二)にましまして、天の下治らしめしき。この天皇、沙本毘古《さほびこ》の命が妹、佐波遲《さはぢ》比賣の命(三)に娶ひて、生みませる御子、品牟都和氣《ほむつわけ》の命一柱[#「一柱」は1段階小さな文字]。また旦波《たには》の比古多多須美知能宇斯《ひこたたすみちのうし》の王が女、氷羽州《ひばす》比賣の命(四)に娶ひて、生みませる御子、印色《いにしき》の入日子《いりひこ》の命、次に大帶日子淤斯呂和氣《おほたらしひこおしろわけ》の命、次に大中津日子《おほなかつひこ》の命、次に倭《やまと》比賣の命、次に若木《わかき》の入日子《いりひこ》の命五柱[#「五柱」は1段階小さな文字]。またその氷羽州《ひばす》比賣の命が弟、沼羽田《ぬばた》の入《いり》毘賣の命に娶ひて、生みませる御子、沼帶別《ぬたらしわけ》の命、次に伊賀帶日子《いがたらしひこ》の命二柱[#「二柱」は1段階小さな文字]。またその沼羽田《ぬばた》の入《いり》日賣の命が弟、阿耶美《あざみ》の伊理《いり》毘賣の命に娶ひて、生みませる御子、伊許婆夜和氣《いこばやわけ》の命、次に、阿耶美都《あざみつ》比賣の命二柱[#「二柱」は1段階小さな文字]。また大筒木垂根《おほつつきたりね》の王が女、迦具夜《かぐや》比賣の命に娶ひて、生みませる御子、袁那辨《をなべ》の王一柱[#「一柱」は1段階小さな文字]。また山代の大國《おほくに》の淵《ふち》が女、苅羽田刀辨《かりばたとべ》に娶ひて、生みませる御子、落別《おちわけ》の王、次に五十日帶日子《いかたらしひこ》の王、次に伊登志別《いとしわけ》の王三柱[#「三柱」は1段階小さな文字]。またその大國《おほくに》の淵《ふち》が女、弟苅羽田刀辨《おとかりばたとべ》に娶ひて、生みませる御子、石衝別《いはつくわけ》の王、次に石衝《いはつく》毘賣の命、またの名は布多遲《ふたぢ》の伊理《いり》毘賣の命二柱[#「二柱」は1段階小さな文字]。およそこの天皇の御子等、十六王《とをまりむはしら》ませり。[#割り注]男王十三柱、女王三柱。[#割り注終わり]
 かれ大帶日子淤斯呂和氣《おほたらしひこおしろわけ》の命は、天の下治らしめしき。[#割り注]御身のたけ一丈二寸、御脛の長さ四尺一寸ましき。[#割り注終わり]次に印色《いにしき》の入日子《いりひこ》の命は、血沼《ちぬ》の池(五)を作り、また狹山《さやま》の池を作り、また日下《くさか》の高津《たかつ》の池(六)を作りたまひき。また鳥取《ととり》の河上の宮(七)にましまして、横刀《たち》壹|仟口《ちぢ》を作らしめたまひき。こを石《いそ》の上《かみ》の神宮(八)に納めまつる。すなはちその宮にましまして、河上部を定めたまひき(九)。次に大中津日子《おほなかつひこ》の命は、山邊の別、三枝の別、稻木の別、阿太の別、尾張の國の三野の別、吉備の石|旡《なし》の別、許呂母の別、高巣鹿の別、飛鳥の君、牟禮の別等が祖なり。次に倭《やまと》比賣の命は、伊勢の大神の宮を拜《いつ》き祭りたまひき。次に伊許婆夜和氣《いこばやわけ》の王は、沙本の穴本《あなほ》部の別が祖なり。次に阿耶美都《あざみつ》比賣の命は、稻瀬毘古の王に嫁《あ》ひましき。次に落別《おちわけ》の王は、小目の山の君、三川の衣の君が祖なり。次に五《い》十|日帶日子《かたらしひこ》の王は、春日の山の君、高志の池の君、春日部の君が祖なり。次に伊登志和氣《いとしわけ》の王は、子なきに因りて、子代として、伊登志部を定めき。次に石衝別《いはつくわけ》の王は、羽咋《はくひ》の君、三尾の君が祖なり。次に布多遲《ふたぢ》の伊理《いり》毘賣の命は、倭建の命の后となりたまひき。

(一) 垂仁天皇。
(二) 奈良縣磯城郡。
(三) 沙本毘賣に同じ。開化天皇の皇女。
(四) 以下の三后妃は、開化天皇の卷に見え、また下に見える。その條參照。
(五) 大阪府泉南郡。
(六) 大阪府南河内郡。
(七) 大阪府泉南郡。
(八) 奈良縣山邊郡の石上の神宮。
(九) 人民の集團に縁故のある名をつけて記念とし、またこれを支配する。以下、何部を定めたという記事が多い。

[#5字下げ]〔沙本毘古の叛亂〕[#「〔沙本毘古の叛亂〕」は小見出し]
 この天皇、沙本《さほ》毘賣を后としたまひし時に、沙本《さほ》毘賣の命の兄《いろせ》、沙本毘古《さほびこ》の王、その同母妹《いろも》に問ひて曰はく、「夫《せ》と兄《いろせ》とはいづれか愛《は》しき」と問ひしかば、答へて曰はく「兄を愛しとおもふ」と答へたまひき。ここに沙本毘古《さほびこ》の王、謀りて曰はく、「汝《みまし》まことに我《あれ》を愛しと思ほさば、吾と汝と天の下治らさむとす」といひて、すなはち八鹽折《やしほり》の紐小刀《ひもがたな》(一)を作りて、その妹《いろも》に授けて曰はく、「この小刀もちて、天皇の寢《みね》したまふを刺し殺《し》せまつれ」といふ。かれ天皇、その謀を知《し》らしめさずて、その后の御膝を枕《ま》きて、御寢したまひき。ここにその后、紐小刀もちて、その天皇の御頸《おほみくび》を刺しまつらむとして、三度|擧《ふ》りたまひしかども、哀《かな》しとおもふ情にえ忍《あ》へずして、御頸をえ刺しまつらずて、泣く涙、御面《おほみおも》に落ち溢《あふ》れき。天皇驚き起ちたまひて、その后に問ひてのりたまはく、「吾《あ》は異《け》しき夢《いめ》を見つ。沙本《さほ》(二)の方《かた》より、暴雨《はやさめ》の零《ふ》り來て、急《にはか》に吾が面を沾《ぬら》しつ。また錦色の小蛇《へみ》、我が頸に纏《まつ》はりつ。かかる夢は、こは何の表《しるし》にあらむ」とのりたまひき。ここにその后、爭ふべくもあらじとおもほして、すなはち天皇に白して言さく、「妾が兄|沙本毘古《さほびこ》の王、妾に、夫と兄とはいづれか愛《は》しきと問ひき。ここにえ面勝たずて、かれ妾、兄を愛しとおもふと答へ曰へば、ここに妾に誂《あとら》へて曰はく、吾と汝と天の下を治らさむ。かれ天皇を殺《し》せまつれといひて、八鹽折《やしほり》の紐小刀を作りて妾に授けつ。ここを以ちて御頸を刺しまつらむとして、三度|擧《ふ》りしかども、哀しとおもふ情忽に起りて、頸をえ刺しまつらずて、泣く涙の落ちて、御面を沾らしつ。かならずこの表《しるし》にあらむ」とまをしたまひき。
 ここに天皇詔りたまはく、「吾はほとほとに欺かえつるかも(三)」とのりたまひて、軍を興して、沙本毘古《さほびこ》の王を撃《う》ちたまふ時に、その王|稻城《いなぎ》(四)を作りて、待ち戰ひき。この時|沙本毘賣《さほびめ》の命、その兄にえ忍《あ》へずして、後《しり》つ門より逃れ出でて、その稻城《いなぎ》に納《い》りましき。
 この時にその后|姙《はら》みましき。ここに天皇、その后の、懷姙みませるに忍へず、また愛重《めぐ》みたまへることも、三年になりにければ、その軍を※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]《かへ》して急《すむや》けくも攻めたまはざりき。かく逗留《とどこほ》る間に、その姙《はら》める御子既に産《あ》れましぬ。かれその御子を出して、稻城《いなぎ》の外に置きまつりて、天皇に白さしめたまはく、「もしこの御子を、天皇の御子と思ほしめさば、治めたまふべし」とまをしたまひき。ここに天皇|詔《の》りたまはく、「その兄を怨《きら》ひたまへども、なほその后を愛しとおもふにえ忍へず」とのりたまひて、后を得むとおもふ心ましき。ここを以ちて軍士《いくさびと》の中に力士《ちからびと》の輕捷《はや》きを選り聚《つど》へて、宣りたまはくは、「その御子を取らむ時に、その母王《ははみこ》をも掠《かそ》ひ取れ(五)。御髮にもあれ、御手にもあれ、取り獲むまにまに、掬《つか》みて控《ひ》き出でよ」とのりたまひき。ここにその后、あらかじめその御心を知りたまひて、悉にその髮を剃りて、その髮もちてその頭を覆ひ、また玉の緒を腐《くた》して、御手に三重|纏《ま》かし、また酒もちて御衣《みけし》を腐して、全き衣《みそ》のごと服《け》せり。かく設け備へて、その御子を抱《うだ》きて、城の外にさし出でたまひき。ここにその力士《ちからびと》ども、その御子を取りまつりて、すなはちその御祖《みおや》を握《と》りまつらむとす。ここにその御髮を握《と》れば、御髮おのづから落ち、その御手を握《と》れば、玉の緒また絶え、その御衣《みけし》を握《と》れば、御衣すなはち破れつ。ここを以ちてその御子を取り獲て、その御|祖《おや》をばえとりまつらざりき。かれその軍士ども、還り來て、奏《まを》して言さく、「御髮おのづから落ち、御衣破れ易く、御手に纏《ま》かせる玉の緒もすなはち絶えぬ。かれ御祖を獲まつらず、御子を取り得まつりき」とまをす。ここに天皇悔い恨みたまひて、玉作りし人どもを惡《にく》まして、その地《ところ》をみな奪《と》りたまひき。かれ諺《ことわざ》に、地《ところ》得ぬ玉作り(六)といふなり。
 また天皇、その后に命詔《みことのり》したまはく、「およそ子の名は、かならず母の名づくるを、この子の御名を、何とかいはむ」と詔りたまひき。ここに答へて白さく、「今火の稻城《いなぎ》を燒く時に、火《ほ》中に生《あ》れましつ。かれその御名は、本牟智和氣《ほむちわけ》(七)の御子《みこ》とまをすべし」とまをしたまひき。また命詔したまはく「いかにして日足《ひた》しまつらむ(八)」とのりたまへば、答へて白さく、「御母《みおも》を取り、大湯坐《おほゆゑ》、若湯坐《わかゆゑ》(九)を定めて、日足しまつるべし」とまをしたまひき。かれその后のまをしたまひしまにまに、日足《ひた》しまつりき。またその后に問ひたまはく、「汝《みまし》の堅めし瑞《みづ》の小佩《をひも》(一〇)は、誰かも解かむ」とのりたまひしかば、答へて白さく、「旦波《たには》の比古多多須美智能宇斯《ひこたたすみちのうし》の王《みこ》が女、名は兄比賣《えひめ》弟比賣《おとひめ》、この二柱の女王《ひめみこ》、淨き公民《おほみたから》にませば、使ひたまふべし」とまをしたまひき。然ありて遂にその沙本比古《さほひこ》の王を殺《と》りたまへるに、その同母妹《いろも》も從ひたまひき。

(一) 色濃く染めた紐のついている小刀。この紐、下の錦色の小蛇というのに關係がある。
(二) 奈良市佐保。佐本毘古の王の居所。
(三) あぶなくだまされる所だつた。ホトホトニは、ほとんど。
(四) 稻を積んだ城。俵を積んだのだろう。
(五) かすめ取れ。
(六) 玉作りは、土地を持たないという諺のもとだという。
(七) ホが火を意味し、ムチは尊稱、ワケは若い御方の義の名。
(八) 日を足して成育させる。
(九) 赤子の湯を使う人。そのおもな役と若い方の役。
(一〇) 妻が男の衣の紐を結ぶ風習による。ミヅは美稱。生氣のある意。

[#5字下げ]〔本牟智和氣《ほむちわけ》の御子〕[#「〔本牟智和氣の御子〕」は小見出し]
 かれその御子を率《ゐ》て遊ぶ状《さま》は、尾張の相津(一)なる二俣榲《ふたまたすぎ》を二俣小舟《ふたまたをぶね》に作りて、持ち上り來て、倭《やまと》の市師《いちし》の池(二)輕《かる》の池(三)に浮けて、その御子を率《ゐ》て遊びき。然るにこの御子、八|拳鬚心前《つかひげむなさき》に至るまでにま言《こと》とはず。かれ今、高往く鵠《たづ》が音を聞かして、始めてあぎとひ(四)たまひき。ここに山邊《やまべ》の大※[#「帝+鳥」、第4水準2-94-28]《おほたか》[#割り注]こは人の名なり。[#割り注終わり]を遣して、その鳥を取らしめき。かれこの人、その鵠を追ひ尋ねて、木《き》の國より針間《はりま》の國に到り、また追ひて稻羽《いなば》の國に越え、すなはち旦波《たには》の國|多遲麻《たぢま》の國に到り、東の方に追ひ※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]りて、近《ちか》つ淡海《あふみ》の國に到り、三野《みの》の國に越え、尾張《をはり》の國より傳ひて科野《しなの》の國に追ひ、遂に高志《こし》の國に追ひ到りて、和那美《わなみ》の水門《みなと》(五)に網を張り、その鳥を取りて、持ち上りて獻りき。かれその水門に名づけて和那美《わなみ》の水門《みなと》といふなり。またその鳥を見たまへば、物言はむと思ほして、思ほすがごと言ひたまふ事なかりき。
 ここに天皇患へたまひて、御寢《みね》ませる時に、御夢に覺《さと》してのりたまはく、「我が宮を、天皇《おほきみ》の御舍《みあらか》のごと修理《をさ》めたまはば、御子かならずま言《ごと》とはむ」とかく覺したまふ時に、太卜《ふとまに》に占《うら》へて(六)、「いづれの神の御心ぞ」と求むるに、ここに祟《たた》りたまふは、出雲《いづも》の大神(七)の御心なり。かれその御子を、その大神の宮を拜《をろが》ましめに遣したまはむとする時に、誰を副《たぐ》へしめば吉《え》けむとうらなふに、ここに曙立《あけたつ》(八)の王|卜《うら》に食《あ》へり(九)。かれ曙立《あけたつ》の王に科《おほ》せて、うけひ白さしむらく(一〇)、「この大神を拜むによりて、誠《まこと》に驗《しるし》あらば、この鷺《さぎ》の巣《す》の池(一一)の樹に住める鷺を、うけひ落ちよ」と、かく詔りたまふ時に、うけひてその鷺|地《つち》に墮ちて死にき。また「うけひ活け」と詔りたまひき。ここにうけひしかば、更に活きぬ。また甜白檮《あまがし》の前《さき》(一二)なる葉廣熊白檮《はびろくまがし》(一三)をうけひ枯らし、またうけひ生かしめき。ここにその曙立《あけたつ》の王に、倭《やまと》は師木《しき》の登美《とみ》の豐朝倉《とよあさくら》の曙立《あけたつ》の王といふ名を賜ひき。すなはち曙立《あけたつ》の王|菟上《うながみ》の王|二王《ふたばしら》を、その御子に副へて遣しし時に、那良戸《ならど》(一四)よりは跛《あしなへ》、盲《めしひ》遇はむ。大阪戸(一五)よりも跛《あしなへ》、盲《めしひ》遇はむ。ただ木戸(一六)ぞ掖戸《わきど》の吉き戸(一七)と卜へて、いでましし時に、到ります地《ところ》ごとに品遲部《ほむぢべ》を定めたまひき。
 かれ出雲《いづも》に到りまして、大神《おほかみ》を拜み訖《を》へて、還り上ります時に、肥《ひ》の河(一八)の中に黒樔《くろす》の橋(一九)を作り、假宮を仕へ奉《まつ》りて、坐《ま》さしめき。ここに出雲《いづも》の國《くに》の造《みやつこ》の祖、名は岐比佐都美《きひさつみ》、青葉の山を餝《かざ》りて、その河下に立てて、大御食《おほみあへ》獻らむとする時に、その御子詔りたまはく、「この河下に青葉の山なせるは、山と見えて山にあらず。もし出雲《いづも》の石※[#「石+炯のつくり」、103-本文-11]《いはくま》の曾《そ》の宮(二〇)にます、葦原色許男《あしはらしこを》の大神(二一)をもち齋《いつ》く祝《はふり》が大|庭《には》(二二)か」と問ひたまひき。ここに御供に遣さえたる王《みこ》たち、聞き歡び見喜びて、御子は檳榔《あぢまさ》の長穗《ながほ》の宮(二三)にませまつりて、驛使《はゆまづかひ》をたてまつりき。
 ここにその御子、肥長《ひなが》比賣に一宿《ひとよ》婚ひたまひき。かれその美人《をとめ》を竊伺《かきま》みたまへば、蛇《をろち》なり。すなはち見畏みて遁げたまひき。ここにその肥長《ひなが》比賣|患《うれ》へて、海原を光《て》らして船より追ひ來《く》。かれ、ますます見畏みて山のたわより御船を引き越して、逃げ上りいでましつ。ここに覆奏《かへりごと》まをさく、「大神を拜みたまへるに因りて、大御子《おほみこ》物《もの》詔《の》りたまひつ。かれまゐ上り來つ」とまをしき。かれ天皇歡ばして、すなはち菟上《うながみ》の王を返して、神宮を造らしめたまひき。ここに天皇、その御子に因りて鳥取部《ととりべ》、鳥甘《とりかひ》、品遲部《ほむぢべ》、大湯坐《おほゆゑ》、若湯坐《わかゆゑ》を定めたまひき。

(一) 所在不明。
(二) 奈良縣磯城郡。
(三) 同高市郡。
(四) アギと言つた。あぶあぶ言つた。
(五) 新潟縣西蒲原郡、また北魚澤郡[#「澤」は底本のまま]に傳説地がある。ワナミは羂網の義。
(六) 二〇頁[#「二〇頁」は「伊耶那岐の命と伊耶那美の命」の「島々の生成」]參照。
(七) 出雲大社の祭神。大國主の神。
(八) 開化天皇の子孫。
(九) 占いにかなつた。
(一〇) 神に誓つて神意を窺わしめることは。
(一一) 奈良縣高市郡。
(一二) 同郡飛鳥村にある。
(一三) 葉の廣いりつぱなカシの木。クマはウマに同じ。美稱。
(一四) 奈良縣の北部の奈良山を越える道。不具者に逢うことを嫌つた。
(一五) 二上山を越えて行く道。
(一六) 紀伊の國へ出る道。吉野川の右岸について行く。
(一七) 迂※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]してゆく道でよい道。
(一八) 斐伊の川。
(一九) 皮つきの木を組んで作つた橋。
(二〇) 出雲大社の別名。
(二一) 大國主の神の別名。
(二二) お祭する神職の齋場か。
(二三) ビロウの木の葉を長く垂れて葺いた宮。

[#5字下げ]〔丹波の四女王〕[#「〔丹波の四女王〕」は小見出し]
 またその后の白したまひしまにまに、美知能宇斯《みちのうし》の王の女たち(一)、比婆須《ひばす》比賣の命、次に弟《おと》比賣の命、次に歌凝《うたこり》比賣の命、次に圓野《まとの》比賣の命、并はせて四柱を喚上《めさ》げたまひき。然れども比婆須《ひばす》比賣の命、弟比賣《おとひめ》の命、二柱を留めて、その弟王《おとみこ》二柱は、いと醜きに因りて本《もと》つ土《くに》に返し送りたまひき。ここに圓野《まとの》比賣|慚《やさし》みて「同兄弟《はらから》の中に、姿|醜《みにく》きによりて、還さゆる事、隣里《ちかきさと》に聞えむは、いと慚《やさ》しきこと」といひて、山代の國の相樂《さがらか》(二)に到りし時に、樹の枝に取り懸《さが》りて、死なむとしき。かれ其地《そこ》に名づけて、懸木《さがりき》といひしを、今は相樂《さがらか》といふ。また弟國《おとくに》(三)に到りし時に、遂に峻《ふか》き淵に墮ちて、死にき。かれ其地《そこ》に名づけて、墮國《おちくに》といひしを、今は弟國といふなり。

(一) 九〇頁[#「九〇頁」は「綏靖天皇以後八代」の「開化天皇」]の后妃皇子女に關する條參照。王女の數などが違うのは別の資料によるものであろう。
(二) 京都府相樂郡。
(三) 同乙訓郡。

[#5字下げ]〔時じくの香《かく》の木の實〕[#「〔時じくの香の木の實〕」は小見出し]
 また天皇、三宅《みやけ》の連《むらじ》等が祖、名は多遲摩毛理《たぢまもり》(一)を、常世《とこよ》の國(二)に遣して、時じくの香《かく》の木《こ》の實《み》(三)を求めしめたまひき。かれ多遲摩毛理《たぢまもり》、遂にその國に到りて、その木の實を採りて、縵八縵矛八矛《かげやかげほこやほこ》(四)を、將《も》ち來つる間に、天皇既に崩《かむあが》りましき。ここに多遲摩毛理《たぢまもり》、縵四縵矛四矛《かげよかげほこよほこ》を分けて、大后に獻り、縵四縵矛四矛《かげよかげほこよほこ》を、天皇の御陵の戸に獻り置きて、その木の實を※[#「敬/手」、第3水準1-84-92]《ささ》げて、叫び哭《おら》びて白さく、「常世の國の時じくの香《かく》の木《こ》の實《み》を持ちまゐ上りて侍《さもら》ふ」とまをして遂に哭《おら》び死にき。その時じくの香《かく》の木の實は今の橘なり。
 この天皇、御年|一百五十三歳《ももちまりいそぢみつ》、御陵は菅原《すがはら》の御立野《みたちの》(五)の中にあり。
 またその大后《おほきさき》比婆須《ひばす》比賣の命の時、石祝作《いしきつくり》(六)を定め、また土師部《はにしべ》を定めたまひき。この后は狹木《さき》の寺間《てらま》の陵(七)に葬《をさ》めまつりき。

(一) 天の日矛の子孫。系譜は一三九頁[#「一三九頁」は「應神天皇」の「天の日矛」]にある。
(二) 海外の國。大陸における橘の原産地まで行つたのだろう。
(三) その時節でなく熟する香のよい木の實。
(四) カゲは蔓のように輪にしたもの。矛は、直線的なもの。どちらも苗木。
(五) 奈良縣生駒郡。
(六) 石棺を作る部族。
(七) 奈良縣生駒郡。

(つづく)



底本:「古事記」角川文庫、角川書店
   1956(昭和31)年5月20日初版発行
   1965(昭和40)年9月20日20版発行
底本の親本:「眞福寺本」
※底本は校注が脚註の形で配置されています。このファイルでは校註者が追加した標題ごとに、書き下し文、校注の順序で編成しました。
※(一)〜(五五)は注釈番号です。底本では、直前の文字の右横に、ルビのように漢数字のみ付いています。このファイルでは本文の漢数字との混同を避けるため(漢数字)で表しました。
※〔〕は底本の親本にはないもので、校註者が補った箇所を表します。
※頁数を引用している箇所には校註者が追加した標題を注記しました。
※底本は書き下し文のみ歴史的かなづかいで、その他は新かなづかいです。なお拗音・促音は小書きではありません。
入力:川山隆
校正:しだひろし
YYYY年MM月DD日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。



*地名

(※ 市町村名は、平成の大合併以前の表記のまま。一般的な国名・地名などは解説省略。
  • [福島県]
  • 相津 あいづ → 会津
  • 会津 あいづ 福島県西部、会津盆地を中心とする地方名。その東部に会津若松市がある。
  • [越の国] こしのくに 北陸道の古称。高志国。こしのみち。越。越路。
  • 高志の道 こしのみち → 越の道
  • 越の道 こしのみち (→)「こしのくに」に同じ。
  • [新潟県]
  • 西蒲原郡 にしかんばらぐん 県のほぼ中央西寄りにあり、西は日本海に面する。北は新潟市、東は白根市・燕市、南は南蒲原郡・三島郡に接する。南端で信濃川から西へ新信濃川(大河律分水)が分かれて日本海へ注ぐ。西部は角田・弥彦山塊が南北に横たわる。
  • 北魚沼郡 きたうおぬまぐん 東は只見川および1500m級の山とその鞍部の峠で福島県南会津郡、北は南蒲原郡、西は古志郡、南は南魚沼郡・群馬県利根郡。南・東の群馬県境・福島県境の山々を源とする羽根川・黒又川や、守門岳を源とする守門川は、いずれも郡西部をほぼ南流する破間(あぶるま)川へ注ぐ。破間川・魚野川・信濃川両岸の集落地以外はほとんどが山地をなし、かつ豪雪地帯。
  • [石川県]
  • 羽咋 はくい 石川県中部、能登半島西側基部にある市。邑知潟干拓地と砂丘上に位置し、能登の中心都市。繊維工業が盛ん。千里浜海水浴場がある。人口2万5千。
  • [尾張]
  • 相津
  • [京都府]
  • [山代]
  • 幣羅坂 へらさか 現、京都府相楽郡木津町大字市坂小字幣羅坂。紀は平坂。
  • 相楽郡 そうらくぐん 南山城の南部に位置する。北は綴喜郡と境し、東は滋賀県甲賀郡・三重県阿山郡、南は奈良県添上郡・奈良市、西は同生駒郡と接する。
  • 相楽 さがらか 現、京都府相楽郡。南山城の南部に位置する。相楽郷は現、木津町に比定。
  • [弟国] おとくに → 乙訓郡
  • 乙訓郡 おとくにぐん 山城国西部の郡。現在の京都府乙訓郡・京都市・向日市・長岡京市にあたる。継体12年から同20年まで弟国宮が営まれた。桓武天皇は784(延暦3)から794年まで当郡長岡村に長岡京を営んだ。現在、大山崎町の一町。(日本史)
  • 弟国宮 おとくにのみや 継体天皇が越前から大和に入るまでの仮の皇居の一つ。所在は山城国乙訓郡。一説に今の京都府長岡京市今里の辺。
  • [河内]
  • [大阪府]
  • 依網の池 よさみのいけ
  • 依網 よさみ 摂津国住吉郡と河内国丹比郡の境界付近の古代地名。依網池は現、大阪市住吉区苅田・我孫子町から堺市常磐町にかけて復元。(日本史)
  • 北河内郡 きたかわちぐん 明治29(1896)交野郡・茨田郡・讃良郡が合併して成立。名称は旧河内国の北部に位置することにより、北から南にかけては京都府綴喜郡、東は奈良県生駒郡、南は中河内郡、南西は東成郡・西成郡、西は淀川をはさんで三島郡に接する。京都府・奈良県との府県境には生駒山地があり、郡域平地部のほぼ中央に枚方丘陵がある。
  • 淀川 よどがわ 琵琶湖に発源し、京都盆地に出て、盆地西端で木津川・桂川を合わせ、大阪平野を北東から南西に流れて大阪湾に注ぐ川。長さ75km。上流を瀬田川、宇治市から淀までを宇治川という。
  • 大阪市 おおさかし 大阪湾の北東岸、淀川の河口付近にある市。府庁所在地。近畿地方の中心都市。政令指定都市の一つ。阪神工業地帯の中核。古称、難波。室町時代には小坂・大坂といい、明治初期以降「大阪」に統一。仁徳天皇の高津宮が置かれて以来、幾多の変遷を経、明応(1492〜1501)年間、蓮如が生玉の荘に石山御坊を置いてから町が発達、天正(1573〜1592)年間、豊臣秀吉の築城以来、商業都市となった。運河が多く、「水の都」の称もある。人口262万9千。
  • 東成区 ひがしなりく 大阪市の東部にあり、東を東大阪市と接する。北は城東区、南は生野区、西は天王寺区、東区。
  • 中河内郡 なかかわちぐん 明治29(1896)若江郡・渋川郡・河内郡・高安郡・大県郡・丹北郡および志紀郡三木本村が合併して成立。名称は旧河内国の中部に位置することにより、北は北河内郡、東は生駒山地で奈良県生駒郡、南は南河内郡、西は東成郡・泉北郡に接する。宝永元(1704)の大和川のつけかえにより、景観・立地環境は大きく変貌した。
  • 泉南郡 せんなんぐん 府の南西部にあり、明治29(1896)南郡と日根郡を合わせて成立した郡で、郡名は旧和泉国の南部に位置することによる。その後、郡域に岸和田市・貝塚市・泉佐野市・泉南市が成立。
  • 南河内郡 みなみかわちぐん 府の南東部、旧河内国の南部にあたる。明治29(1896)成立。当時の南河内郡は、東は金剛山・葛城山の金剛山地で奈良県、南は和泉山脈で和歌山県、西は泉北郡、北は中河内郡に接し、中河内郡との間に大和川が流れていた。
  • [和泉] いずみ (1) (「和泉」は713年(和銅6)の詔により2字にしたもので、「和」は読まない)旧国名。五畿の一つ。今の大阪府の南部。泉州。(2) 大阪府南西部の市。市域北西部の府中町は和泉国府に由来する。人口17万8千。
  • 美努村 みののむら 和泉国大村郷か。大物主神の子孫の大田田根子は、記では「河内美努村」にいたとあり、河内県若江郡の御野県主が後に美努連と称したことからこの地に求めることも可能である。
  • 茅渟 ちぬ  大阪府南部の和泉国にあたる地域の古称。血沼。千沼。千渟。智努。
  • 茅渟の県 ちぬのあがた 正確な地域は不明だが、和泉郡を中心にした地域をさすものと考えられる。
  • 陶の村 すえのむら 陶邑。和泉国大村郷か。泉北丘陵一帯。通説では現、堺市南東部の陶器山からその西方にかけての地とする。
  • 伊杼美 いどみ 現、泉。
  • 伊豆美 いづみ/いずみ → 和泉か
  • 久須婆の渡し くすばのわたし のちの葛葉。楠葉村。現、大阪府枚方市北楠葉町。河内国の北端、淀川左岸沿いの沖積低地に位置し、京街道が西部を縦断する。交野郡に位置する。
  • 屎褌 くそはかま 屎褌→久須婆→現、楠某(くすば)。
  • 鵜河 うがわ 現、木津川。
  • 波布理曽能 はふりその/ほふりその → 祝園郷
  • 祝園郷 ほうそのごう 紀、崇神天皇10年9月条に「羽振苑」がみえるが、この羽振苑が転じて祝園になったとされる。『和名抄』刊本は「波布曾乃」と訓ずる。現、精華町に祝園の地名が残り、祝園神社があることから当地に求められる。のち祝園庄が郷域内に立庄されている。
  • 血沼の池 ちぬのいけ 茅渟池か。茅渟宮が現在の泉佐野市上之郷中村にあったなどとするが確証はない。
  • 茅渟 ちぬ  大阪府南部の和泉国にあたる地域の古称。血沼。千沼。千渟。智努。
  • 狭山の池 さやまのいけ 大阪狭山市にある灌漑用溜池。古事記・日本書紀に記されており、日本最古の溜池の一つ。
  • 日下の高津の池 くさかのたかつのいけ → (1) 鶴田池。(2) 高石。
  • 鶴田池 つるたいけ 現、堺市草部。草部の南西端にある。信太山丘陵に築かれた谷池。伝、行基造築の池。記の「日下之高津池」は当池の前身とする伝承があるが確証はない。
  • 高石 たかし 現、高石市西部の海浜に沿った地域の称で、旧高石南・同北・今在家などの村に相当する。紀で、五十瓊敷命を河内国に遣わして高石池を作らせたとある。記の「日下之高津池」は、高津は高師の誤りで、日下は大鳥郡〓部(くさべ)郷のこととみられる。高石池の所在は不明。
  • 日下 くさか 大阪府北河内郡生駒山の西麓。
  • 鳥取の河上の宮 ととりのかわかみのみや → 鳥取郷
  • 鳥取郷 ととりごう 『和泉志』は現、泉南郡阪南町を郷域とするが、同郡岬町も含むとみるべきであろう。川上宮(河上宮)が鳥取郷付近にあり、河上部がその宮にちなむ部であり、この部が石上神宮に納めた横刀一千口(剣一千口)を作ったと解すべきであろう。
  • [奈良県]
  • [倭] やまと → 大和国
  • [桜井市]
  • 師木の水垣の宮 しきの みずかきのみや 崇神天皇の皇居。伝承地は奈良県桜井市金屋。
  • 師木の玉垣の宮 しきのたまがきのみや → 纏向珠城宮
  • 纏向珠城宮 まきむくの たまきのみや 紀にみえる垂仁天皇の宮。記では師木之玉垣宮とする。宮号は周囲に垣をめぐらしたことにちなみ、珠城は玉垣の略称か。『大和志料』は、珠城山(玉井山)があることから現在の奈良県桜井市穴師に比定する。付近には玉井・玉池の小字も残る。(日本史)
  • 市師の池 いちしのいけ 紀の「磐余の市磯池」「磐余池」か。現、桜井市大字池之内近辺か。
  • 山辺郡 やまべぐん 県東北端に位置する南北に細長い郡。
  • 石の上の神宮 いそのかみの かむみや → 石上神宮
  • 石上神宮 いそのかみ じんぐう 奈良県天理市布留町にある元官幣大社。祭神は布都御魂大神。二十二社の一つ。布留社。所蔵の七支刀が著名。
  • 生駒郡 いこまぐん 県北西部に位置し、生駒山地や矢田丘陵の傾斜地(平群谷)と大和川北岸の平坦地からなる。北は生駒市、東は大和郡山市、南は大和川をはさんで北葛城郡・磯城郡、西は生駒山地を境として大阪府。古代の平群郡の一部。
  • 奈良山 ならやま 奈良県添上郡佐保および生駒郡都跡村の北の丘陵。現在は奈良市に編入。平城山。(歌枕)
  • [奈良市]
  • 佐保 さお (サホとも)奈良市北部の地名。佐保川が流れる。奈良時代、高官の邸宅地。
  • 山辺の道 やまのべのみち 奈良市から奈良盆地の東縁を初瀬街道まで南北に通ずる約35kmの古道。
  • 勾の岡 まがりのおか
  • 磯城郡 しきぐん 奈良県の郡。奈良盆地中央部の低平地。ほぼ東境から北境を初瀬川(大和川上流)が流れ、北端で大和川に注ぐ。
  • 美和 → 三輪
  • 三輪 みわ 現、桜井市。三輪・纏向地区は三輪山・穴師山麓から西方に広がる地域で、初瀬川が地域の西南部を北西流する。また、三輪・穴師両山の間を流れる巻向川は西流して初瀬川に流入する。古来の山辺の道・上ツ道(上街道)が南北に通り、大神神社・大市墓(箸墓)を中心として、古代大和の政治・文化の中心地であった。
  • 御諸山 みもろやま → 三輪山。美和山。三諸山(紀)。
  • 天つ神・地つ祇の社 あまつかみ くにつかみのやしろ
  • 美和山 → 三輪山
  • 三輪山 みわやま 奈良県桜井市にある山。標高467m。古事記崇神天皇の条に、活玉依姫と蛇神美和の神とによる地名説明伝説が見える。三諸山。(歌枕)
  • 北葛城郡 きたかつらぎぐん 奈良盆地中央西部に位置する。古代の広瀬郡・葛下郡(大和高田市を除く)、忍海郡の一部。
  • 二上山 ふたかみやま 奈良県葛城市と大阪府南河内郡太子町にまたがる山。雄岳(517m)と雌岳(474m)の2峰から成る。万葉集にも歌われ、大津皇子墓と伝えるものや葛城二上神社がある。にじょうさん。
  • [天理市]
  • 丸邇坂 わにさか 現、天理市和爾町か。和爾村は上街道の楢村東方丘陵に位置する。紀の和珥坂下、記の丸迩邇か。
  • 和訶羅河 わからがわ 木津川。淀川の支流。川名は流域によって伊賀川・笠置川・鴨川ともよばれる。古文献には輪韓川・山背川・泉河などと記されてきた。
  • 木津川 きづがわ (1) 淀川の支流。鈴鹿山脈南の布引山地に発源し、伊賀盆地を流れて名張川と合流したのち京都盆地の南部に入り、八幡市で淀川に入る。長さ89km。(2) 淀川下流の分流の一つ。大阪市西区で淀川分流の土佐堀川から分かれ、南西流して大阪湾に注ぐ。
  • [橿原市]
  • 軽の酒折の池 かるの さかおりのいけ 軽の池か。
  • 軽の池 かるのいけ 現、奈良県橿原市軽池。軽の地域に所在した池。具体的な所在は不明。(日本史)
  • 鷺の巣の池 さぎのすのいけ 現、橿原市四分町か。飛鳥川の右岸に鷺栖神社が鎮座。『釈日本紀』所引の氏族略記には「鷺栖坂」の北に藤原宮があると記すことから藤原宮と飛鳥の間に鷺栖の地名があったようである。
  • 高市郡 たかいちぐん 奈良盆地の南部に位置し、南半は竜門山塊(多武峯・高取山)から派生する低丘陵と幅狭の谷からなり、北半はやや開けて、西端を曾我川、中央部を高取川、東部を飛鳥川が北流。東は桜井市、西は御所市、南は吉野郡、北は橿原市。
  • 飛鳥村 あすかむら 現、高市郡明日香村大字飛鳥。甘樫丘東方、飛鳥川右岸に位置する。古代「飛鳥」の地。飛鳥神奈火・飛鳥河上・飛鳥寺・飛鳥川原など、「飛鳥」の名を冠する地名はおおむね、この地域に所在することになる。
  • 甜白梼の前 あまがしのさき 「甘樫丘(甘梼岡)の前」か。甘樫丘は、現、明日香村大字豊浦。
  • 甜白檮の埼 あまがしの さき 甘樫丘か。
  • 甘樫丘・甘檮岡・味橿丘 あまかしのおか 奈良県高市郡明日香村豊浦にある丘。允恭天皇が姓氏の混乱を正すため探湯を行なったとされ、また付近に蘇我蝦夷・入鹿父子の邸があったという地。うまかしのおか。
  • 那良戸 ならど
  • 大阪戸
  • 木戸
  • 掖戸 わきど
  • 吉き戸 えきど
  • 菅原の御立野 すがわらの みたちの
  • 狭木の寺間の陵 さきのてらまのはか 現、奈良県山陵町。佐保丘陵の西南端近い位置に営まれた、ほぼ南面する前方後円墳。ヒバス姫命(垂仁天皇皇后)の陵とされている。
  • 宇陀郡 うだぐん 奈良盆地の東南、宇陀山地の一帯を占め、東・東南は三重県、西は桜井市、南は吉野郡、北・北西は山辺郡。
  • 宇陀の墨坂 うだの すみさか 大和国宇陀郡。墨坂は邑名。交通の要地で大和と伊勢の境界に位置する。(神名)/宇陀郡榛原町にあった古代の地名。大和と伊勢を結ぶ伊勢街道の要衝。二上山の北の大坂(逢坂、穴虫峠)とともに大和の東西両側の入口であり、崇神天皇は盾矛を用いて墨坂神・大坂神をまつったと伝える。三輪山の神は大物主神だが、一説では菟田の墨坂神という。現在、榛原町萩原に墨坂神をまつる墨坂神社がある。(日本史)
  • 宇陀 うだ 奈良県北東部の市。大和政権時代、菟田県・猛田県があった。人口3万7千。(歌枕)
  • [三重県]
  • [紀伊の国]
  • 吉野川 よしのがわ → 紀ノ川
  • 紀ノ川 きのかわ 奈良・三重県境の大台ヶ原山に発源、奈良県の中央部、和歌山県の北部を西流、紀伊水道に注ぐ川。奈良県内の部分を吉野川という。上流地域は吉野杉の林業地として知られる。長さ136km。
  • [伊勢] いせ 旧国名。今の三重県の大半。勢州。
  • 伊勢の大神の宮 → 伊勢神宮
  • 伊勢神宮 いせ じんぐう 三重県伊勢市にある皇室の宗廟。正称、神宮。皇大神宮(内宮)と豊受大神宮(外宮)との総称。皇大神宮の祭神は天照大神、御霊代は八咫鏡。豊受大神宮の祭神は豊受大神。20年ごとに社殿を造りかえる式年遷宮の制を遺し、正殿の様式は唯一神明造と称。三社の一つ。二十二社の一つ。伊勢大廟。大神宮。
  • [旦波の国] たにはのくに → 丹波
  • [丹波] たんば (古くはタニハ)旧国名。大部分は今の京都府、一部は兵庫県に属する。
  • [島根県]
  • [出雲国]
  • 出雲の大神の宮 → 出雲大社か
  • 出雲大社 いずも たいしゃ 島根県出雲市大社町杵築東にある元官幣大社。祭神は大国主命。天之御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神・宇麻志阿志軻備比古遅命・天之常立神を配祀。社殿は大社造と称し、日本最古の神社建築の様式。出雲国一の宮。いずものおおやしろ。杵築大社。
  • 肥の河 ひのかわ → 斐伊川
  • 斐伊川 ひいかわ 鳥取・島根県境の船通山(標高1142m)中に発源し、宍道湖西端に注ぐ川。下流部は天井川。八岐大蛇伝説で知られる。長さ75km。簸川。
  • 黒樔の橋 くろすのはし
  • の曽の宮 いわくまの そのみや
  • 檳榔の長穂の宮 あじまさの ながほのみや
  • -----------------------------------
  • 陸奥 むつ 旧国名。1869年(明治元年12月)磐城・岩代・陸前・陸中・陸奥に分割。分割後の陸奥は、大部分は今の青森県、一部は岩手県に属する。
  • 常陸 ひたち 旧国名。今の茨城県の大部分。常州。
  • 総国 ふさのくに 旧国名。上総・下総・安房を含む地域。
  • 安房 あわ 旧国名。今の千葉県の南部。房州。
  • 下総 しもうさ 旧国名。今の千葉県の北部および茨城県の一部。上総を南総というのに対し、北総という。しもつふさ。
  • 上総 かずさ (カミツフサの転)旧国名。今の千葉県の中央部。
  • 武蔵 むさし (古くはムザシ)旧国名。大部分は今の東京都・埼玉県、一部は神奈川県に属する。武州。
  • 相模 さがみ 旧国名。今の神奈川県の大部分。相州。
  • 伊豆 いず 旧国名。今の静岡県の東部、伊豆半島および東京都伊豆諸島。豆州。
  • 甲斐 かい 旧国名。いまの山梨県。甲州。
  • 駿河 するが 旧国名。今の静岡県の中央部。駿州。
  • 遠江 とおとうみ (「遠つ淡海」の転)旧国名。今の静岡県の西部。遠州。近江に対する。
  • 三河 みかわ 旧国名。今の愛知県の東部。三州。参州。
  • 尾張 おわり 旧国名。今の愛知県の西部。尾州。張州。
  • 志摩 しま 旧国名。今の三重県の東部。伊勢湾の南、伊勢市の南東に突出した半島部。志州。
  • 伊勢 いせ 旧国名。今の三重県の大半。勢州。
  • 高志の国 こしのくに 越の国。北陸道の古称。高志国。こしのみち。越。越路。
  • 科野の国 しなののくに 信濃国。旧国名。いまの長野県。科野。信州。
  • 尾張の国 おわりのくに
  • 三野の国 みののくに 美濃国。旧国名。今の岐阜県の南部。濃州。
  • 近つ淡海の国 ちかつおうみのくに 近江国。旧国名。今の滋賀県。江州。
  • 多遅麻の国 たじまのくに 但馬国。旧国名。今の兵庫県の北部。但州。
  • 旦波の国 たにはのくに 丹波国。旧国名。大部分は今の京都府、一部は兵庫県に属する。
  • 稲羽の国 いなばのくに 因幡国。旧国名。今の鳥取県の東部。因州。
  • 針間の国 はりまのくに 播磨国。旧国名。今の兵庫県の南西部。播州。
  • 木の国 きのくに 紀伊国。旧国名。大部分は今の和歌山県、一部は三重県に属する。紀州。紀国。
  • -----------------------------------
  • 和那美の水門 わなみのみなと → (1) 〜 (5)
  • (1) 兵庫県養父郡八鹿町下網場。円山川・八木川の合流点。古くは上網場村と一村で網場村といった。記の大�(紀の天湯河板挙)が鵠を捕らえた地を当地とし、和奈美神社を創立して天湯河板挙命を祀ったという。社地は円山川の流れに近く、水陸の交通の要地で、「和那美の水門」とよぶに相応しい地である。
  • (2) 穴水駅(あなみずのえき)。現、石川県鳳至郡穴水町。古代に能登国に存在した駅で、能登郡に属していた。穴水駅の付近に津が存在していた可能性があり、海路によって加島津(現、七尾市)や珠珠正院(現、珠洲市)と連絡していたとも考えられる。
  • (3) 新潟県北魚沼郡川口町和南津。魚野川南側の湾曲部一帯を占める。記の「和那美の水門」は和南津をさすという説が古くから当地方に伝えられている。小正月に鳥追の行事があり、それにちなむ童歌がある。
  • (4) 新潟県西蒲原郡岩室村和納。記の「和那美の水門」を当地に比定する説があるが未詳。
  • (5) 富山県射水郡大島町鳥取。「和那美水門」の所在は不明であるが、本居宣長は射水郡の久々湊(現、新湊市)・鳥取の両地名に注目し、『古事記伝』の中でこれに言及。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『日本史広辞典』(山川出版社、1997.10)。




*人物一覧

(人名、および組織・団体名・神名)
  • 御真木入日子印恵の命 みまきいりひこいにえのみこと → 崇神天皇
  • 崇神天皇 すじん てんのう 記紀伝承上の天皇。開化天皇の第2皇子。名は御間城入彦五十瓊殖。
  • 木の国の造 みやつこ 木国造。紀国造とも。紀伊国名草郡を本拠とした国造。『国造本紀』には神皇産霊命の五世孫天道根命が神武朝に国造となったとある。記紀には武内宿祢の母は木国造の女とみえ、大和政権とつながりをもった。紀、敏達12年条には日羅召喚のために紀国造押勝を百済に派遣したとあり、対朝鮮外交でも活躍している。氏姓は紀直で、律令制下でも名草郡大領を世襲し、日前・国懸神宮の神官で、また紀伊国造への任命例が知られる。(日本史)
  • 荒河戸弁 あらかわとべ 荒河戸畔(紀)。荒河は地名。紀伊国那賀郡にこの郷がある。系統不詳。紀には崇神天皇が木国造荒河刀弁の女の遠津年魚目微売を娶したことがみえる。(神名)
  • 遠津年魚目目微比売 とおつあゆめまくわしひめ 荒河戸弁の女。崇神天皇に召されて二子を生む。(神名)
  • 豊木入日子の命 とよきいりひこのみこと 豊城入彦命。崇神天皇の皇子。東国の上毛野君、下毛野君の祖と伝えられる。
  • 豊�K入日売の命 とよすきいりひめのみこと 豊鍬入姫命。崇神天皇の皇女。勅により、天照大神を倭の笠縫邑に遷し、大神に仕えたと伝えられる。斎宮の初め。
  • 尾張連 おわりのむらじ → 尾張氏
  • 尾張氏 おわりうじ 尾治氏とも。古代の氏族。火明命を始祖とし、皇妃や皇子妃を数名だしたとする伝承があり、古くから大和政権との関係をもっていたらっしい。部曲と考えられる尾張(尾治)部が各地に存在する。氏の名称は尾張国内を根拠地としたことに由来し、一族から尾張国造が任じられていた。もと連姓であったが、684(天武13)に宿祢の姓を賜った。律令制下には、尾張国内の諸郡司など在地有力者としての存在が知られるだけでなく、尾張連氏・尾張宿祢氏ともに畿内とその周辺にも分布して、中央の官人としても活躍した。(日本史)
  • 意富阿麻比売 おおあまひめ 尾張大海媛(紀)。崇神天皇妃で四子を生んだ。尾張連の祖。『旧事紀』では邇芸速日命七世の孫にあたり、物部氏と結びつけ、別名を葛木高名姫命とする。(神名)
  • 大入杵の命 おおいりきのみこと 崇神天皇の皇子。母は尾張連の祖の意富阿麻比売。能登臣の祖。ただし『旧事紀』では成務天皇のときに、垂仁天皇の皇子大入来命の孫彦狭島命が国造に任ぜられたと伝える。(神名)
  • 八坂の入日子の命 やさかのいりひこのみこと 崇神天皇の子。母は尾張連の祖。意富阿麻比売。(神名)
  • 沼名木の入日売の命 ぬなきのいりひめのみこと 渟名城入姫命(紀)。崇神天皇の皇女。母は尾張連の祖である意富阿麻比売(紀では尾張大海媛)。天皇の勅により、皇居に奉祭されていた倭大国魂を託されたが、髪は落ち体もやせて、祀ることができなかった。(神名)
  • 十市の入日売の命 とおちのいりひめのみこと 十市瓊入姫命(紀)。崇神天皇の皇女。記には母は尾張連の祖意富阿麻比売。紀では母を尾張大海媛と記す。(神名)
  • 御真津比売の命 みまつひめのみこと 開化天皇の子。母は伊賀迦色許売命。崇神天皇との間に伊久米伊理毘古伊佐知命、伊耶の真若命、国片比売命、千千都久和比売命、倭日子命を生んだ。(神名)/大毘古の命が女。(本文)
  • 伊玖米入日子伊沙知の命 いくめいりひこいさちのみこと → 垂仁天皇
  • 垂仁天皇 すいにん てんのう 記紀伝承上の天皇。崇神天皇の第3皇子。名は活目入彦五十狭茅。
  • 伊耶の真若の命 いざのまわかのみこと 崇神天皇の皇子。母は大毘古命の女御真津比売命。(神名)
  • 国片比売の命 くにかたひめのみこと 国方姫命(紀)。崇神天皇の子。母は大毘古命の女御真津比売命。紀では御間城姫。(神名)
  • 千千都久和比売の命 ちぢつくやまとひめのみこと 崇神天皇の皇女で、母は御真津比売命。垂仁天皇ら五人の同母兄弟がいる。(神名)
  • 伊賀比売の命 いがひめのみこと
  • 倭日子の命 やまとひこのみこと 崇神天皇の子。母は御真津比売命(紀では御間城姫)。この命の葬儀がきっかけとなり殉死が禁じられた。(神名)
  • 伊久米伊理毘古伊佐知の命 いくめいりびこいさちのみこと → 垂仁天皇
  • 豊木入日子の命 とよきいりひこのみこと 豊城入彦命・豊城命(紀)。栃木県宇都宮市二荒山神社の祭神。崇神天皇の皇子。垂仁天皇の兄にあたる。母は遠津年魚目目微比売。崇神天皇48年に豊木入日子命と皇后御間城姫の子、伊久米伊理毘古伊佐知命(垂仁天皇)とのいずれを太子に立てるか迷い、二皇子の夢により決定することになった。このとき豊木入日子命は御諸山(三輪山)に登り東に向かって刀槍を八回振ったと奏上して東国地方を治めることになる。こうして大豪族、上毛野君・下毛野君の始祖となる。四世の孫奈良別王が仁徳天皇の時代に下野国造となり祖神として豊木入日子命を祀ったのが創祀と伝える。現社地は承和5(838)に南丘から北丘という臼が峰に遷された。社殿の背後にある前方後円墳は豊木入日子命の御陵とされている。(神名)
  • 上つ毛野の君 → 上毛野氏
  • 上毛野氏 かみつけのうじ 上野(もと上毛野)国を本拠とした古代の豪族。崇神天皇の皇子豊城入彦命を祖とすると伝えるが、豊城入彦命とその子孫には、大和朝廷から派遣されて東国を治めたという伝承がある。東国の大豪族で、大化前代に東国に独立的な勢力をもち、蝦夷と境を接してしばしば戦ったらしい。朝鮮半島との軍事外交にかかわる伝承もあり、7〜8世紀には実際に百済派遣軍の将軍や蝦夷経営にたずさわった者がある。684(天武13)君姓にかえて朝臣姓を賜ったが、奈良時代以後あまりふるわなかった。一方、上毛野氏の同族と称する帰化人氏族の一群があり、750(天平勝宝2)にその一つ田辺史が上毛野君に改氏姓し、やがて上毛野氏の中心的位置を占めた。(日本史)
  • 下つ毛野の君 → 下毛野氏
  • 下毛野氏 しもつけのうじ 下野(もと下毛野)国を本拠とした古代の豪族。東国統治の伝承をもつ豊城入彦命(崇神天皇の皇子)を祖とすると伝える。684(天武13)君姓にかえて朝臣姓を賜る。一族の古麻呂は大宝律令撰定に参画し、正四位下式部卿に昇った。一方奈良後期以降、吉弥侯氏が改姓した者など、東国土豪層出身の下毛野氏が衛府に進出、平安中期以後この系統の下毛野氏が近衛府の下級官人・舎人として一定の地位を築いた。(日本史)
  • 豊�K比売の命 とよすきひめのみこと → 豊鍬入姫命
  • 豊鍬入姫命 とよすきいりひめのみこと 崇神天皇の皇女。勅により、天照大神を倭の笠縫邑に遷し、大神に仕えたと伝えられる。斎宮の初め。
  • 能登の臣
  • 意富多多泥古 おおたたねこ 大田田根子(紀)。大物主神の子。母は活玉依毘売。神君・鴨君の祖。(神名)
  • 陶津耳の命 すえつみみのみこと 大物主大神の妻となる活玉依比売の父(神名)。
  • 活玉依毘売 いくたまよりびめ 陶津耳の命が女。/古事記説話に見える女。見知らぬ男により妊娠し、針につけた糸を尋ねて夫が三輪山の大物主神であることを知る。
  • 櫛御方の命 くしみかたのみこと 大物主大神の子。母は陶津耳命の女活玉依毘売。崇神天皇のとき、大物主大神を御諸山に祀った意富多多泥古命の曽祖父。(神名)
  • 飯肩巣見の命 いいがたすみのみこと 崇神記の意富多多泥古の系譜によれば、大物主大神と活玉依毘売との間の子櫛御方命の子。『旧事紀』にも大物主と意富多多泥古命の間に、類似する名称、健飯勝命、健飯賀田須命がいる。(神名)
  • 建甕槌の命 たけみかづちのみこと 建御雷命。日本神話で、天尾羽張命の子。経津主命と共に天照大神の命を受けて出雲国に下り、大国主命を説いて国土を奉還させた。鹿島神宮はこの神を祀る。
  • 意富美和の大神 おおみわの おおかみ → 大物主神
  • 伊迦賀色許男の命 いかがしこおのみこと 伊香色雄命(紀)。崇神天皇のとき、意富多多泥古を神主として大物主大神を祀るにあたり、伊迦賀色許男命が天之八十毘羅訶によって社地を定めた。紀では物部連の祖とし、『姓氏録』でも穂積朝臣をはじめ物部系の多くの氏族の祖とされている。また『旧事紀』では大綜麻杵命の子となっており、伊香色謎命の弟にあたり、崇神天皇のときに石上大神を氏神として祀った。(神名)
  • 宇陀の墨坂の神 うだの すみさかの かみ 大和国宇陀郡。墨坂は邑名。交通の要地で大和と伊勢の境界に位置するので塞の神と考えられる。(神名)
  • 大坂の神 おおさかのかみ 崇神天皇のとき、渡病が流行したため大物主神をはじめとする神々を祀ったときに、墨色の楯矛を奉って大坂神を祀る。大和国葛下郡大坂山口神社があり、須佐之男命を祀っている。(神名)
  • 坂の御尾の神 さかのみおのかみ
  • 河の瀬の神 かわのせのかみ 崇神天皇のとき、災異に際して、坂之御尾神と共に幣帛を奉られた神。(神名)
  • 神の君 みわのきみ
  • 鴨の君 かものきみ → 賀茂氏
  • 賀茂氏 かもうじ/かもし 古代より続く日本の氏族である。加茂、鴨とも書く。山城国葛野を本拠とし代々賀茂神社に奉斎した賀茂県主は、八咫烏に化身して神武天皇を導いた賀茂建角身命を始祖とする。賀茂県主は、同じ山城を本拠とする秦氏との関係が深い。賀茂県主の系統には鴨長明、賀茂真淵がいる。
  • 大毘古の命 おおびこのみこと 大彦命(紀)。孝元天皇の第一皇子で、母は皇后・鬱色謎命。開化天皇と少彦男心命(古事記では少名日子名建猪心命)の同母兄で、垂仁天皇の外祖父に当たる。北陸道を主に制圧した四道将軍の一人。
  • 建沼河別の命 たけぬなかわわけのみこと 武渟川別命(紀)。大彦命の皇子。崇神天皇の時、四道将軍の一人として東海に遣わされたと伝える。阿倍臣の祖。
  • 日子坐の王 ひこいますのみこ 彦坐命、日子坐王、彦今簀命とも。開化天皇の第3皇子。母は姥津命の妹・姥津媛命。崇神天皇の異母弟、神功皇后の高祖父にあたる。
  • 玖賀耳の御笠 くがみみのみかさ
  • 建波邇安王 たけはにやすのみこ 武埴安彦(命)(紀)。建波邇夜須毘古命のこと。孝元天皇の子。母は河内青玉の女、波邇夜須毘売とあるが、崇神天皇は大毘古命にむかい、「我が庶兄」といっている。崇神天皇は開化天皇の子であるので、双方の系譜が合致しない。山代国で崇神天皇に反逆心をおこすが、大毘古命、日子国夫玖命により討伐された。紀ではその妻吾田媛とともに反逆を謀るとある。記に妻の名はみえない。(神名)
  • 丸邇の臣 わにのおみ → 和珥氏か
  • 和珥氏 わにうじ 丸邇・和邇・丸とも。5世紀から6世紀にかけて奈良盆地北部に勢力を持った古代日本の中央豪族。本拠地は大和国添上郡。
  • 日子国夫玖の命 ひこくにぶくのみこと 彦国葺(紀)。丸邇臣の祖。崇神記に大毘古命の副将として建波邇安王の一反乱を鎮圧に向かい、山城の和訶羅河をはさんで弓矢で交戦し、建波邇安王を射殺したことが記されている。なお、記において臣下でありながら命の称を付されている三例のうちの一人。紀には反乱鎮圧に加えて神祇祭祀を命じられたことを載せる。『姓氏録』にも天足彦国押人の子孫で、吉田連・真野臣・和邇部・安那公・野中・栗田臣の祖に彦国葺命の名がみえる。近江国滋賀郡式内社神田神社その他に祀られている。(神名)
  • 孝元天皇 こうげん てんのう 記紀伝承上の天皇。孝霊天皇の第1皇子。名は大日本根子彦国牽。
  • 沙本毘古の王 さほびこのみこ 狭穂彦王(紀)。記紀における皇族(王族)。彦坐王の子で、開化天皇の孫に当たる。日下部連・甲斐国造の祖。母は春日建国勝戸売の娘、沙本之大闇見戸売。同母の兄弟に葛野別・近淡海蚊野別の祖袁邪本王、若狭耳別の祖室毘古王、垂仁天皇皇后狭穂姫命がいる。
  • 佐波遅比売の命 さわじひめのみこと 沙本毘古の命が妹。
  • 品牟都和気の命 ほむつわけのみこと/ほむちわけのみこ 本牟智和気御子。垂仁天皇の皇子。母は佐波遅比売命(沙本毘売命)。品牟都和気命の別称。垂仁記中の火中において出産されたことを記した記事での表記。沙本毘売命参照。(神名)
  • 旦波の比古多多須美知能宇斯の王 たにはのひこたたすみちのうしのみこ 丹波道主命(王)(紀)。単に美知能宇志王とも。日子坐王の子。母は息長水依比売。紀の異伝には開化天皇皇子の彦湯産隅王の子となっている。開化天皇の孫。比婆須比売ら一男三女がいる(記)。崇神紀によれば四道将軍として丹波に派遣された。『旧事紀』には稲葉国造の彦坐王児・彦多都彦命と同じとする。(神名)
  • 氷羽州比売の命 ひばすひめのみこと 比婆須比売命。日葉酢媛命(紀)。美知能宇志王の子。母は丹波之河上之摩須郎女。垂仁天皇の大后となり印色之入日子命、大帯日子淤斯呂和気命、大中津日子命(紀では大中姫命)、倭比売命、若木入日子命を生む。またこの時、石祝作、土師部が定められる。狭木之寺間陵に葬られている。紀では后の死にともない、野見宿祢の進言により、はじめて墓に埴輪を立てたとある。(神名)
  • 印色の入日子の命 いにしきのいりひこのみこと 五十瓊敷入彦命(紀)。垂仁天皇の皇子。景行天皇の兄。母は后の旦波の比古多多須美知能宇斯王(紀。丹波道主王)の女氷羽州比売命(紀。日葉酢媛命)。各地の池などの土木工事をおこない、石上神宮へ神宝を奉納した。垂仁紀によると、垂仁天皇が兄弟に各々の願いを問われたとき、命は弓矢を得たいと願い、大足彦尊が皇位を望んだので弟の即位が定まったという。(神名)
  • 大帯日子淤斯呂和気の命 おおたらしひこおしろわけのみこと → 景行天皇
  • 景行天皇 けいこう てんのう 記紀伝承上の天皇。垂仁天皇の第3皇子。名は大足彦忍代別。熊襲を親征、後に皇子日本武尊を派遣して、東国の蝦夷を平定させたと伝える。
  • 大中津日子の命 おおなかつひこのみこと 垂仁天皇の第三子。母は丹波比古多多須美知能宇斯王の女の氷羽州比売命。山辺之別・尾張国之三野別、飛鳥君らの祖。紀では第三子は大中姫命となっている。(神名)
  • 倭比売の命 やまとひめのみこと 倭姫命(紀)。垂仁天皇の皇女といわれる伝説上の人物。天照大神の祠を大和の笠縫邑から伊勢の五十鈴川上に遷す。景行天皇の時、甥の日本武尊の東国征討に際して草薙剣を授けたという。
  • 若木の入日子の命 わかきのいりひこのみこと 稚城瓊入彦命(紀)。垂仁天皇の子。母は氷羽州比売命。(神名)
  • 沼羽田の入毘売の命 ぬばたのいりびめのみこと 渟葉田瓊入媛(紀)。垂仁天皇に婚して、沼帯別命、伊賀帯日子命を生む。(神名)/氷羽州比売の命が弟。
  • 沼帯別の命 ぬたらしわけのみこと 鐸石別命(紀)。垂仁天皇の皇子。母は沼羽田之入毘売命。事跡不詳。紀では母は渟葉田瓊入媛。また『姓氏録』では大鐸石和居命とも記して、山辺公、稲城壬生公、和気朝臣らの祖とする。(神名)
  • 伊賀帯日子の命 いがたらしひこのみこと 五十日帯日子王。五十日足彦命(紀)。五十日足彦別命ともいう。垂仁天皇の子。越の国の君となり、臣を従えて穀物・農具をもたせて民を率いて開墾し、漁猟を教えて国造りに尽くした。(神名)
  • 阿耶美の伊理毘売の命 あざみのいりびめのみこと 沼羽田之入日売命の妹。垂仁天皇に召されて二子を生んだ。(神名)
  • 伊許婆夜和気の命 いこばやわけのみこと 垂仁天皇の皇子。母は阿耶美の伊理毘売命。『姓氏録』(右京皇別)には、息速別命とあり、阿保朝臣らの祖とある。陸奥国牡鹿郡に伊去波夜和気命神社がある。(記・紀・続日本紀)(神名)
  • 阿耶美都比売の命 あざみつひめのみこと 垂仁天皇の子。母は阿耶美の伊理毘売命。母の名にちなんだ名前と推測されるが、事跡は明らかではない。(神名)
  • 大筒木垂根の王 おおつつきたりねのみこ 開化天皇の皇子の比古由牟須美王の子。垂仁天皇妃の迦具夜比売の父。紀には記載なし。(神名)
  • 迦具夜比売の命 かぐやひめのみこと 大筒木垂根の王が女。
  • 袁那弁の王 おなべのみこ 垂仁天皇の子。母は迦具夜比売の命。記のみ。
  • 山代の大国の淵 やましろのおおくにのふち 垂仁天皇后の苅羽田戸弁、弟苅羽田戸弁の父。(神名)
  • 苅羽田刀弁 かりばたとべ/かりはたとべ 苅幡戸弁。山代の大国の淵が女。/別名、山代之荏名津比売。日子坐王との間に大俣王、小俣王、志夫美宿祢王を生む。(神名)
  • 落別の王 おちわけのみこ 祖別王(紀)、於知別命(旧事紀)、意知別命(一本旧事紀)。垂仁天皇の皇子。母は苅羽田刀弁。末葉に小月君、三川衣君がいる。(神名)
  • 五十日帯日子の王 いかたらしひこのみこ 垂仁天皇の子。母は苅羽田刀弁。
  • 伊登志別の王 いとしわけのみこ 伊登志和気王とも記す。胆武別命(紀)。垂仁天皇の皇子。母は山代之大国之渕の女苅羽田刀弁。子代として伊登志部が定められた。(神名)
  • 弟苅羽田刀弁 おとかりばたとべ 綺戸辺(紀)。山城大国之淵の女。垂仁天皇に召されて、石撞別王、石衝毘売命を生む。(神名)
  • 石衝別の王 いわつくわけのみこ 磐衝別命(紀)。垂仁天皇の皇子。母は大国之渕の女苅羽田刀弁の妹。紀では母を綺戸辺とする。羽咋君、三尾君の祖。(神名)
  • 石衝毘売の命 いわつくびめのみこと → 布多遅の伊理毘売の命
  • 布多遅の伊理毘売の命 ふたじのいりびめのみこと 両道入姫皇女(紀)。垂仁天皇の皇女。石衝毘売命ともいう。景行天皇の皇妹。母は苅羽田刀弁。倭建御子の妃となり帯中日子天皇(仲哀天皇)を生む。紀では稲依別王、仲哀天皇、布忍入姫命、稚武王を生んでいる。(神名)
  • 河上部 かわかみべ 川上部。大化前代の伝説的な部民。記の垂仁段に皇子印色入日子命が和泉の河上宮に坐して河上部を定めたとある。紀は皇子が剣千口を作り、これを川上部と命名したとも、河上という名の鍛に大刀千口を作らせたとも記す。この部は律令時代にみえず、記紀の伝承にどのような歴史的背景があるかは不明。(日本史)
  • 山辺の別 やまべのわけ
  • 三枝の別 さきくさのわけ
  • 稲木の別
  • 阿太の別 あだのわけ
  • 尾張の国の三野の別
  • 吉備の石旡の別 きびの いわなしのわけ
  • 許呂母の別 ころものわけ
  • 高巣鹿の別 たかすかのわけ
  • 飛鳥の君 あすかのきみ
  • 牟礼の別 むれのわけ
  • 沙本の穴本部の別 さほの あなほべのわけ
  • 稲瀬毘古の王 いなせびこのみこ 垂仁天皇の皇女阿耶美都比売の夫。(神名)
  • 小目の山の君
  • 三川の衣の君 みかわの ころものきみ
  • 春日の山の君
  • 高志の池の君 こしの いけのきみ
  • 春日部の君 → 春日部
  • 春日部 かすがべ 「かすかべ」とも。春部とも。大化前代の部。開化天皇の名代、仁賢天皇の皇后春日大娘皇女の名代、安閑天皇の皇后春日山田皇女の子代、春日臣の部曲などの諸説があり定説はない。伴部としては、中央の春日臣のほか、地方には春日部君・春日部村主・春日直などが知られる。春日部は全国的に分布し、上総国から肥後国まで存在が確認され、とくに美濃国に顕著である。(日本史)
  • 伊登志部 いとしべ 垂仁天皇の皇子伊登志和気王の子代か。記の垂仁段に、王に子がないので「子代として伊部を定む」(真福寺本)とある。しかし写本により伊都・伊都部とあって一定せず、本居宣長は「伊登志部」とした。しかし、律令時代の史料に伊部・伊部造は実在するが伊登志部はみえず、宣長説も疑問である。(日本史)
  • 羽咋の君 はくいのきみ
  • 三尾の君 みおのきみ
  • 倭建の命 やまとたけるのみこと 日本武尊・倭建命。古代伝説上の英雄。景行天皇の皇子で、本名は小碓命。別名、日本童男。天皇の命を奉じて熊襲を討ち、のち東国を鎮定。往途、駿河で草薙剣によって野火の難を払い、走水の海では妃弟橘媛の犠牲によって海上の難を免れた。帰途、近江伊吹山の神を討とうとして病を得、伊勢の能褒野で没したという。
  • 開化天皇 かいか てんのう 記紀伝承上の天皇。孝元天皇の第2皇子。名は稚日本根子彦大日日。
  • 沙本毘売の命 さほびめ/さほひめのみこと 狭穂姫(紀)。開化天皇の子。母は沙本之大闇見戸売。別名、佐波遅比売(命)。沙本の神を祀る巫女であったが、垂仁天皇の皇后となり品牟都和気命を生む。(神名)
  • 兄比売 えひめ 吉比女。宇加彦の子。倭姫命が巡回して近江に至るとこの人が参り逢いて田地と麻園を献上した。(神名)
  • 弟比売 おとひめ 弟比売命。(1) 旦波比古多多須美知能宇斯王の女。母は丹波之河上之摩須郎女。垂仁皇后の沙本毘売命のすすめで、三人の姉妹と共に垂仁天皇に召された。(神名)
  • 山辺の大� やまべの/やまのべのおおたか 垂仁天皇の従臣。天皇の子の品牟都和気命が飛ぶ鵠を見てはじめて言葉を発したため、天皇はよろこんで大�に捕獲を命じた。大�は各地を経めぐってついに和那美之水門でこれを捕らえ、天皇に献じた。なお紀では、鳥を追ったのは鳥取造の祖天湯河板挙としている。(神名)
  • 出雲の大神 いづものおおかみ 出雲大社に祀られる大国主神のこと。(神名)
  • 曙立の王 あけたつのみこ 大俣王の子で、菟上王と兄弟。開化天皇の皇子である彦坐王の孫にあたり、伊勢の品遅部、伊勢の佐那造の始祖とされる。三重県多気郡多気町の式内社・佐那神社は天手力男神と曙立王を祀る。
  • 兎上の王 うながみ/うなかみ/うがかみのみこ 開化天皇の孫の大俣王の子で曙立王の弟。比売陀君の祖。垂仁天皇のものいわぬ皇子本牟智和気につきそって出雲大神を拝した。また、出雲大神の神宮造築を奉行した。(神名)
  • 品遅部 ほむじべ/ほむちべ 誉津部(紀)。垂仁天皇の子本牟智和気御子が木戸から出雲へおもむく際、いたる土地ごとに設置された。(神名)
  • 出雲国造 いずもの くにのみやつこ 出雲の国を支配した豪族。律令制成立以後は大社の神官を世襲し、のち千家・北島の両家に分かれた。
  • 岐比佐都美 きひさつみ 垂仁天皇の皇子本牟智和気命はものをいうことができなかった。その原因が出雲大神の祟りにあることがわかり、皇子は出雲大神を拝した。その帰路の肥の河中の仮宮で、岐比佐都美が大御食を奉ったとき、皇子ははじめてものを言った。出雲国造の祖。(神名)
  • 葦原色許男の大神 あしはらしこおの おおかみ → 大国主命
  • 大国主命 おおくにぬしのみこと 日本神話で、出雲国の主神。素戔嗚尊の子とも6世の孫ともいう。少彦名神と協力して天下を経営し、禁厭・医薬などの道を教え、国土を天孫瓊瓊杵尊に譲って杵築の地に隠退。今、出雲大社に祀る。大黒天と習合して民間信仰に浸透。大己貴神・国魂神・葦原醜男・八千矛神などの別名が伝えられるが、これらの名の地方神を古事記が「大国主神」として統合したもの。
  • 肥長比売 ひながひめ 垂仁天皇の子本牟智和気命が出雲の大神を拝み帰還するときに、出雲国造祖に駅使を献上され、肥長比売と一宿婚する。命が比売をうかがい見ると蛇であったので、命はおどろき逃げる。そのため比売は悲しんで海原を照らして追いかけるが、命はついに逃げ帰ってしまう。(神名)
  • 鳥取部 ととりべ 大和政権で鳥を捕獲し飼育する技術を世襲していた品部。鳥飼部。
  • 鳥甘 とりかい 鳥飼か。鳥を飼い養うこと。また、その人。
  • 鳥飼部 とりかいべ (→)鳥取部に同じ。
  • 鳥取部 ととりべ 大和政権で鳥を捕獲し飼育する技術を世襲していた品部。鳥飼部。
  • 大湯坐 おおゆえ
  • 若湯坐 わかゆえ
  • 美知能宇斯の王 みちのうしのみこ → 旦波の比古多多須美知能宇斯の王
  • 比婆須比売の命 ひばすひめのみこと → 氷羽州比売の命
  • 弟比売の命 おとひめのみこと
  • 歌凝比売の命 うたこりひめのみこと 旦波比古多多須美知能宇斯王の四人の娘の一人。四人は沙本比売命の遺言で垂仁天皇に召されたが、歌凝比売命と円野比売命は醜かったので送り帰された。(神名)
  • 円野比売の命 まとの/まとぬひめのみこと 真砥野比売命。開化紀に美知能宇志王が丹波の河上の摩須の郎女を娶して生んだ子。垂仁記では、沙本毘売命の進言で喚上された四人の命のうち、醜い容姿のため歌凝比売命と共に本国へ帰され、山代国の相楽で死のうとし、弟国の深い淵に落ちて死んでしまった。(神名)
  • 三宅の連 みやけのむらじ
  • 多遅摩毛理 たじまもり → 田道間守
  • 田道間守 たじまもり 記紀伝説上の人物。垂仁天皇の勅で常世国に至り、非時香菓(橘)を得て10年後に帰ったが、天皇の崩後であったので、香菓を山陵に献じ、嘆き悲しんで陵前に死んだと伝える。
  • 天の日矛 あめのひぼこ 天日槍・天之日矛。記紀説話中に新羅の王子で、垂仁朝に日本に渡来し、兵庫県の出石にとどまったという人。風土記説話では、国占拠の争いをする神。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『国史大辞典』(吉川弘文館)『日本史広辞典』(山川出版社、1997.10)『日本神名辞典 第二版』(神社新報社、1995.6)。



*書籍

(書名、雑誌名、論文名、映画・能・狂言・謡曲などの作品名)
  • 『日本書紀』 にほん しょき 六国史の一つ。奈良時代に完成した日本最古の勅撰の正史。神代から持統天皇までの朝廷に伝わった神話・伝説・記録などを修飾の多い漢文で記述した編年体の史書。30巻。720年(養老4)舎人親王らの撰。日本紀。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。



*難字、求めよ

  • 后妃 こうひ きさき。
  • 治る しる 領る・知る。(ある範囲の隅々まで支配する意。原義は、物をすっかり自分のものにすることという) (1) (国などを)治める。君臨する。統治する。(2) (土地などを)占める。領有する。(3) (ものなどを)専有して管理する。専有して扱う。(4) (妻・愛人などとして)世話をする。
  • 人垣 ひとがき (2) 古代の説話で、貴人の陵墓に多くの人を垣のように並べて生き埋めにすること。
  • 役病 えやみ (1) (「疫病」と書く)流行性の悪病。ときのけ。(2) (「瘧」と書く)おこり。わらわやみ。
  • おおみたから 大御宝・百姓・公民 (天皇が宝とされる意とも、大御田族(天皇治下の農民)の意ともいう)天皇の人民。国民。みたみ。おおむたから。おおんだから。
  • 神床・神牀 かむとこ 神を請うために斎み浄めた床。神を祀る所。かみとこ。神壇。
  • 御夢 みいめ?
  • 神の気 かみのけ 神のたたり。また、神のたたりによって起こると考えられた病気。
  • 駅使 はゆまづかい はゆまに乗って急ぎ行く官の使者。えきし。
  • 駅・駅馬 はゆま (ハヤウマ(早馬)の約)官用に宿駅でつぎたてる馬。はいま。
  • 天の八十平瓮 あめのやそひらか 「天の」は「神聖な」の意)神聖な、数多くの平瓮。あまの。
  • 平瓮 ひらか ひらたい土器の皿
  • 幣帛 ぬさ/にきて 和幣・幣・幣帛 (ニキタヘの約。後世、ニキデまたニギテとも)神に供える麻の布の称。後には絹または紙を用いた。ぬさ。みてぐら。
  • 役の気 えのけ
  • 息む やむ
  • 共婚 まぐわい 目合。(1) 目を見合わせて愛情を知らせること。めくばせ。(2) 男女の交接。性交。
  • 夫 ひこじ (ヒコは男の美称。ジは敬称) 立派なおっと。
  • 床の辺 とこのべ → 床辺
  • 床辺 とこべ/とこへ 寝床のあたり。寝床のかたわら。
  • 綜麻・巻子 へそ つむいだ糸をつないで、環状に幾重にも巻いたもの。
  • 言向く ことむく 言趣く・言向く。ことばで説いて従わせる。転じて、平定する。
  • 平す やはす/やわす 和 (1) やわらげる。やわらかにする。(2) 平和にする。討ち平らげる。帰順させる。
  • 知る しる 領る・知る。(ある範囲の隅々まで支配する意。原義は、物をすっかり自分のものにすることという) (1) (国などを)治める。君臨する。統治する。(2) (土地などを)占める。領有する。(3) (ものなどを)専有して管理する。専有して扱う。(4) (妻・愛人などとして)世話をする。
  • 訖える おえる (1) おわる。おえる。止(や)む。(2) いたる。及ぶ。
  • 腰裳 こしも 上代女性の衣服。腰のあたりにまとう裳か。
  • 服す けす 着す。(「着る」の尊敬語)お召しになる。
  • 後つ戸 しりつと 後方にある戸口。裏口。
  • 副える たぐえる 比える・類える。(1) そわせる。ならばせる。(2) ともなわせる。あわせる。
  • 行かさね ね (助動) (1) 完了の助動詞「ぬ」の命令形。…してしまいなさい。
  • 忌瓮 いわいべ 斎瓮。祭祀に用いる神聖なかめ。神酒を入れる。いんべ。
  • 忌矢 いわいや 斎矢。合戦の初めに両軍がそれぞれ相手方へ射込む矢。神に祈請し、吉兆を祈って放つ矢。
  • え中てず えあてず 当つ(中つ)か。え……ず。とても……できない。
  • 窘む たしなむ (1) 苦しむ。なやむ。辛苦する。困窮する。
  • 散去ける あらける ちりぢりになる。また、間を離す。特に火や灰をかきひろげる。
  • 弓端の調 ゆはずの みつき/みつぎ 弓弭の調。大和政権時代の伝説上の男子人頭税。弓矢で獲た鳥獣などが主な貢納物だったからいう。←→手末の調
  • 手末の調 たなすえの みつき/みつぎ (古くは清音)調の一つ。女子が布帛を織って献じたもの。←→弓弭の調
  • 初国・肇国 はつくに はじめて造った国。
  • 仟口 ちじ 千千(ちぢ)か。「ぢ」はもと「一つ」の「つ」などと同じ数詞につく接尾語という → じ)(1) 千個。また、非常に数の多いこと。数千。あまた。たくさん。 
  • 仟 セン 数の名。百の十倍。千。
  • 子代 こしろ 大化改新前の皇室の私有民。諸国の国造の民の一部を割いてその租税を皇室に納入させたもの。はじめ個々の皇族名を付したが、のち壬生部という名称に統一。子代部。御子代。
  • 名代 なしろ 大化(645〜650)前代の皇室の私有民。諸国の国造の民の一部を割いて、皇族名をつけ、その租税を皇室関係の経費とする。子代との別は未詳。みなしろ。
  • 夫 せ 兄・夫・背。(1) 姉妹から見て、男のきょうだい。年上にも年下にもいう。(2) 女が男を親しんでいう語。主として夫や恋人にいう。(3) 男同士が親しんでいう語。
  • 愛し はし いとしい。かわいい。
  • 八塩折の紐刀 やしおおりの ひもがたな 幾回も繰り返して鍛えた鋭い紐刀。
  • 情 なさけ こころ。
  • え忍えず えあえず 忍う(あう)。敢う。たえる。持ちこたえる。(角)
  • 速雨 はやさめ にわかあめ。むらさめ。夕立。
  • 白して言《もう》さく
  • 面勝つ おもかつ 面と向かって気おくれしない。
  • 誂う あとらう 相手に誘いかける。頼みかける。
  • 欺かえつる あざむかえつる つる 完了の助動詞「つ」の連体形。(角)
  • 稲城 いなぎ (古く清音) (1) 稲を家の周囲に積んで急場の矢防ぎとしたもの。(2) 稲の束を貯蔵する小屋。
  • 後つ門 後つ戸(しりつと)か。
  • 愛重む めぐむ 恵む・恤む。(1) なさけをかける。あわれむ。恩恵を与える。
  • すむやけし 速けし すみやかである。早い。
  • 掠う かそう (古くはカソブ) (1) 掠(かす)める。盗む。奪い取る。かすぶ。(2) 人目をくらます。あざむく。
  • 腐す くたす (1) くさらせる。だめにする。(2) (名を)汚す。おとす。(3) けなす。くさす。
  • 奏《もう》して言さく もうしてもうさく?
  • 玉作・玉造 たまつくり 玉を製作すること。また、その人。地名として残っている。
  • 地得ぬ玉作り ところえぬ たまつくり (他の古代祭祀儀礼具の鏡、繊維、土器などの製作者より低い待遇を受けたところから)上代のことわざで、土地のない玉作り、と軽蔑の意をこめて言ったもの。
  • 日足らす ひたらす 成長なさる。成人なさる。
  • 御母 みおも 母または乳母の尊敬語。
  • 大湯坐 おおゆえ 古代、貴人の幼児の入浴や養育の任にあたった女性。
  • 湯坐 ゆえ 上代、貴人の乳児に湯あみさせる女。一説に、湯殿に奉仕する人。
  • 若湯坐 わかゆえ (「若」は正に対する副の意)古代、高貴な子に湯をつかわせるのに介添した女。
  • 瑞の小佩 みずの おひも 美しい下紐。
  • 二俣榲 ふたまたすぎ
  • 二俣小舟 ふたまた おぶね 二股船に同じ。二股の木でつくった、船体が二股の丸木舟。一説に二艘をつなぎ合わせた船。つまり組船か。
  • 八拳鬚 やつかひげ 八束鬚。長いひげ。
  • 心前 むなさき/こころさき むなさき。むなもと。
  • ま言《こと》とわず
  • 高行く たかゆく 空高く飛んで行く。
  • 鵠 たづ/くぐい (ククヒとも)ハクチョウの古称。
  • あぎとう (アギトを動詞化した語) (1) (幼児が)片言を言う。(2) (魚が)水面で口を開閉する。
  • 御舎・御殿 みあらか 宮殿の尊敬語。御殿。
  • ま言《ごと》とわん
  • 太卜 ふとまに 太占・太兆。(フトは美称)古代に行われた卜占の一種。鹿の肩甲骨を焼いて、その面に生じた割れ目の形で吉凶を占う。
  • 占う うらう うらなう。
  • 吉し えし 良し・好し。「よし」の古形。
  • 卜に食う うらにあう うらなってみた結果、あるものが適当であると示される。うらないがあたる。
  • うけい 祈請・誓約。(動詞ウケフの連用形から)神に祈って成否や吉凶を占うこと。
  • うけい落つ うけい おつ
  • うけい活く うけい いく
  • 白(もう)さしむらく らく (接尾語)(上代語。「つ」「ぬ」「しむ」「ゆ」などの助動詞の終止形につく)(2)(「言ふ」「思ふ」などの動詞について、以下に引用文を導く)……ことには。(角)
  • 葉広熊白梼 はびろくまがし 葉広熊樫。葉の広い大きな樫の木。
  • 蹇・跛 あしなえ 足が悪くて歩行が自由にならないこと。また、そのような人。
  • 大御食 おおみあえ 大御饗。(1) 天皇の食事。(2) 宮中で群臣に賜る酒饌。
  • もちいつく 持ち斎く 神としてあがめる。
  • 祝が大庭 ほうりが おおにわ
  • 檳榔 あじまさ ビロウ(蒲葵)の古名。
  • ませまつる 坐《ま》せまつる、か。
  • 窃伺みる かきまみる 垣間見る。(→)「かいまみる」に同じ。
  • 見かしこみ
  • 畏む かしこむ (1) おそろしいと思う。(2) 恐れ多いと思う。(3) つつしんで承る。
  • たわ 撓 (1) 山の尾根などのたわんだところ。鞍部。たお。
  • 羂網
  • 喚上ぐ めさぐ 召上ぐ。(メシアグの約)召還する。
  • 本つ国 もとつくに ほんごく。
  • 慙み やさしみ 恥み。(形容詞「やさしい」の語幹に「み」のついたもの)はずかしいので。ひけめを感じるので。
  • 常世の国 とこよのくに (1) 古代日本民族が、はるか海の彼方にあると想定した国。常の国。(2) 不老不死の国。仙郷。蓬莱山。(3) 死人の国。よみのくに。よみじ。黄泉。
  • 時じくの香の木の実 ときじくの かくのこのみ 非時香菓。(夏に実り、秋冬になっても霜に堪え、香味がかわらない木の実の意)タチバナの古名。
  • 縵八縵 かげやかげ
  • 縵 かげ タチバナの実などを緒でつなぎ、かずらのようにしたもの。
  • 矛八矛 ほこやほこ
  • 矛 ほこ (2) 枝についたままの果実。あるいは、果実などを串刺しにした形をいうか。
  • 哭ぶ おらぶ 叫ぶ。泣きさけぶ。大声でさけぶ。
  • 橘 たちばな 食用柑橘類の総称。ときじくのかくのこのみ。
  • 石祝作 いしきつくり 石城造か。古代、貴人の石棺、石室を造ることを職務とした部民。(補注)記の「石祝」は「石棺」の誤りとする説(賀茂真淵、本居宣長)もある。
  • 土師部 はにしべ → はじべ
  • 土師部 はじべ 古代、大和政権に土師器を貢納した品部。北九州から関東地方まで各地に分布。埴輪の製作、葬儀にも従事。はにしべ。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『日本国語大辞典 第二版』(小学館、2001.5)『日本史広辞典』(山川出版社、1997.10)『全訳古語辞典』(角川書店、2002.10)。



*後記(工作員スリーパーズ日記)


おおくにぬしのみこと
大物主の大神、
意富美和(=大三輪)の大神、
おおたたねこ(=神(みわ)の君、鴨の君が祖)
太安万侶(おおの やすまろ)
意富(おお=太、多、大)氏
「おお」の系列か。

登美のながすねびこ=とみびこ
にぎはやひ、とみやびめ、
物部(もののへ)=石上(いそのかみ)
布留(ふる)、布都(ふつ)
「もの」いわぬ皇子=本牟智和気(垂仁天皇の皇子)
もののふ(武士)
「もの」の系列か。

すくな
少名毘古那(すくなびこな)
宿禰(すくね)
少名日子建猪心《すくなひこたけゐごころ》の命(=孝元天皇の子)

「息長」……18件。
息長《おきなが》の水依《みづより》比賣
息長《おきなが》の宿禰の王 2件。
息長帶《おきながたらし》比賣/日賣の命 7件。
息長日子《おきながひこ》の王
息長田別《おきながたわけ》の王 2件。
息長眞若中《おきながまわかなか》つ比賣 2件。
息長の君
息長《おきなが》の眞手《まて》の王
息長眞手《おきながまて》の王
「翁」……なし。
「おきな」……2件。
猪甘《ゐかひ》の老人《おきな》
老夫《おきな》と老女《おみな》 =足名椎・手名椎。
おきなが
=沖なが?
=翁が? =おきなは =沖縄?




*次週予告


第五巻 第九号 
校註『古事記』(六)武田祐吉


第五巻 第九号は、
二〇一二年九月二二日(土)発行予定です。
定価:200円


T-Time マガジン 週刊ミルクティー 第五巻 第八号
校註『古事記』(五)武田祐吉
発行:二〇一二年九月一五日(土)
編集:しだひろし / PoorBook G3'99
 http://www33.atwiki.jp/asterisk99/
出版:*99 出版
 〒994-0024 山形県天童市鎌田2丁目
 アパートメント山口A−202
販売:DL-MARKET
※ T-Timeは(株)ボイジャーの商標・製品です。