火事とポチ
有島武郎ポチの
ねむたくてたまらなかったから、うるさいなとその鳴き声を
「おばあさま、どうしたの?」
と聞いてみた。おばあさまは、戸だなの中の火の方ばかり見て答えようともしない。ぼくは火事じゃないかと思った。
ポチが戸の外で気ちがいのように
これはどうしても大変だとぼくは思った。ぼくは
火事なんだ。おばあさまが
「おとうさん!……おかあさん!……」
と思いきり大きな声を出した。
ぼくの部屋の外で鳴いていると思ったポチが、いつのまにかそこに来ていて、キャンキャンとひどく鳴いていた。ぼくが大きな声を出すか出さないかに、おかあさんが
「どうしたというの?」
と、おかあさんはないしょ
「たいへんなの!……」
「たいへんなの! ぼくの部屋が火事になったよう」といおうとしたが、どうしても「たいへんなの」きりで、あとは声が出なかった。
おかあさんの手はふるえていた。その手がぼくの手をひいて、ぼくの部屋のほうに行ったが、あけっぱなしになっているふすまの所から火が見えたら、おかあさんはいきなり「あれえ!」といって、ぼくの手をふりはなすなり、その部屋に飛びこもうとした。ぼくはがむしゃらにおかあさんにかじりついた。そのとき、おかあさんははじめてそこにぼくのいるのに気がついたように、うつむいてぼくの耳のところに口をつけて、
「早く、早く、おとうさんをお
そんなことをおかあさんは言ったようだった。
そこにおとうさんも走ってきた。ぼくはおとうさんにはなんにも言わないで、すぐ上がり口に行った。そこはまっ
ぼくも
「火事だよう!」
と二、三度どなった。そのつぎの家も
ぼくの家は、町からずっとはなれた
二十
町の方からは
家のすこし手前で、ぼくは一人の大きな男がこっちに走ってくるのに会った。よく見るとその男は、ぼくの妹と弟とを
その人は、大きな声で泣きつづけている妹たちをこわきにかかえたまま、どんどん
「あなた帰っていらしったんですか……ひどくなりそうですね」
そうしたら、その
「子どもさんたちが
と、妹や弟を
「あら、竹男さんじゃありませんか」
と、
ぼくたちはその家の
「
といいながら、おじさんは
橋本さんで
いつのまに、どこからこんなに来たろうと思うほどおおぜいの人がけんか
変わったといえば、家の
半分こげたり、ビショビショにぬれたりした焼け残りの
火はドロボウがつけたのらしいということがわかった。
ぼくたちは、火事のあったつぎの日からは、いつものとおりの
火事がすんでから三日めに、朝、目をさますとおばあさまがあわてるように、ポチはどうしたろう? とおかあさんにたずねた。おばあさまは、ポチがひどい目にあった
そういえば、ほんとうにポチはいなくなってしまった。朝、おきた時にも、焼けあとに遊びに行ってるときにも、なんだか一つたらないものがあるようだったが、それはポチがいなかったんだ。ぼくがおこしに行く前に、ポチは
ぼくはさびしいばかりじゃない、くやしくなった。妹と弟にそういって、すぐポチをさがしはじめた。三人で手わけをして庭に出て、大きな声で「ポチ!……ポチ!……ポチ
「ポチがいなくなってかわいそうねえ。
と妹は、さびしい山道に立ちすくんで泣きだしそうな声を出した。ほんとうにポチが殺されるか
……ぼくは腹がたってきた。そして妹に言ってやった。
「もとはっていえば、おまえが悪いんだよ。おまえがいつか、ポチなんかいやな犬、あっち行けって言ったじゃないか」
「あら、それは
「
「それでポチがいなくなったんじゃないことよ」
「そうだい……そうだい。それじゃ、なぜいなくなったんだか知ってるかい? ……そうれ見ろ」
「あっちに行けって言ったって、ポチはどこにも行きはしなかったわ」
「そうさ。それはそうさ……ポチだってどうしようかって考えていたんだい」
「でも、にいさんだってポチをぶったことがあってよ」
「ぶちなんてしませんよだ」
「いいえ、ぶってよ。ほんとうに」
「ぶったっていいやい……ぶったって……」
ポチがぼくのオモチャをメチャクチャにこわしたから、ポチがキャンキャンというほどぶったことがあった。
「ぶったって、ぼくはあとでかわいがってやったよ」
「私だってかわいがってよ」
妹が山の中でしくしく
なんだか山の中に三人きりでいるのが急にこわいように思えてきた。
そこへ
「まあ、あなたがたはどこをうろついていたんです? ご飯も食べないで……そして三人ともそんなに泣いて……」
と、おかあさんはほんとうにおこったような声で言った。そしてにぎり
そこに、
「ひどいケガをして
と
ぼくたちは
「かわいそうに、落ちてきた
「なにしろ
「見ろ、あすこからあんなに血が流れてらあ」
「いたわってやんねえ」
「おれゃいやだ」
そんなことをいって、人足たちも
妹や弟もポチのまわりに集まってきた。そのうちにおとうさんもおかあさんもきた。ぼくはおとうさんに手伝って、バケツで水を運んできて、きれいな白いきれでしずかにドロや血をあらい落としてやった。いたい所をあらってやるときには、ポチはそこに
「よしよし、しずかにしていろ。今、きれいにしてキズをなおしてやるからな」
おとうさんが、人間に物をいうようにやさしい声でこう言ったりした。おかあさんは人に知れないように
よくふざけるポチだったのに、もうふざけるなんて、そんなことはちっともしなくなった。それがぼくにはかわいそうだった。体をすっかりふいてやったおとうさんが、ケガがひどいから犬の医者をよんでくるといって出かけて行った
医者がきて薬をぬったり飲ませたりしてからは、人足たちもおかあさんも行ってしまった。弟も寒いからというのでおかあさんにつれて行かれてしまった。けれども、おとうさんとぼくと妹はポチのそばをはなれないで、じっとその
ポチは、じっとまるまってふるえながら目をつぶっていた。目がしらのところが
いつのまにか寒い寒い夕方がきた。おとうさんがもう
ぼくと妹だけがあとに残った。あんまりよく
とうとう夜になってしまった。夕ごはんでもあるし、カゼをひくと大変だからと言っておかあさんが
つぎの朝、目をさますと、ぼくは
ポチのお
底本:
1952(昭和27)年3月10日初版発行
1968(昭和43)年5月10日改版初版発行
1990(平成2)年5月30日改版37版発行
入力:鈴木厚司
校正:八木正三
1998年5月25日公開
2007年8月21日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
水害雑録
伊藤左千夫一
一朝
天災地変の
少しも眠れなかったごとく思われたけれど、一睡の夢の間にも、豪雨の音声におびえていたのだから、もとより夢か
さんざん耳からおびやかされた人は、夜が明けてからはさらに目からもおびやかされる。庭一面に
もう畳を上げた方がよいでしょう、と妻や大きい子どもらは騒ぐ。牛舎へも水が入りましたと
最も
強烈な平和の希望者は、それでも、今にも雨が静かになればと思う心から、雨声の高低に注意をはらうことを、
不安―
干潮の刻限であるためか、河の水はまだ意外に低かった。
水の
大洪水は別として、排水の装置が実際に適しておるならば、一日や二日の雨のために、この
自分は三か所の水口を検して家に帰った。水は三か所へ落ちているにかかわらず、わが庭の水層はすこし増しておった。河の水はどうですかと、家の者から
一時間に五
人が、自殺した人の苦痛を想像してみるにしても、たいていは自殺そのものの悲劇をのみ強く感ずるのであろう。しかし自殺者その人の身になったならば、われとわれを殺すその実劇よりは、自殺を覚悟するに至る以前の
豪雨の声は、自分に自殺を
死ぬときまった病人でも、死ぬまでになお幾日かの間があるとすれば、その間に処する道を考えねばならぬ。いわんや
何ほど恐怖絶望の念に懊悩しても、最後の覚悟はかならず相当の時機を待たねばならぬ。
豪雨は今日一日を降りとおしてさらに今夜も降りとおすものか、あるいはこの日暮れごろにでもやむものか、もしくは今にもやむものか、いっさいわからないが、その降りやむ時刻によって恐水者の運命は決するのである。いずれにしても明日のことはわからない。わからぬことには覚悟のしようもなく策の立てようもない。いやでも
しかしながら、牛の後足に水がついてる眼前の事実は、もはや何を考えてる余地をあたえない。自分はそれにうながされて、明日のことは明日になってからとして、ともかくも今夜一夜をしのぐ画策を定めた。
自分は猛雨を
五寸
人間に対する用意は、まず畳をあげて、
それでも、これだけのことですんでくれればありがたいが、明日はどうなることか……取りかたづけにかかってから幾たびも幾たびも言い合うたことを、またもくり返すのであった。あとに残った子どもたちに呼び立てられて、
ついにその夜も豪雨は降りとおした。じつに
平和に
二
天神川もあふれ、
自分はまず
水層はいよいよ高く、
水を恐れて雨に
洪水の襲撃を受けて、失うところの
日は暮れんとして空はまた雨模様である。あたりに聞こゆる水の音は、今の自分にはもはや壮快に聞こえてきた。自分は四方をながめながら、何とはなしに天神川の鉄橋を渡ったのである。
うず高に水を盛り上げてる天神川は、さかんに濁水を両岸に
遠く亀戸方面を見渡してみると、黒い水が
亀戸には同業者が多い。まだ避難し得ない牛も多いと見え、そちこちに牛のさけび声がしている。暗い水の上を伝わって、長く
なにか
何ごとをするも明日のこと、今夜はこれでと思いながら、主なき家のありさまも一見したく、自分はふたたび猛然、水に投じた。道路よりもすこしく低いわが家の門内に入ると、足が地につかない。自分は泳ぐ気味にして台所の軒へ進み寄った。
自分はこの全滅的荒廃の跡を見て、なんら
家族の逃げて行った二階は、七畳ばかりの一室であった。その家の人々のほかに他よりも四、五人逃げてきておった。七畳の室に二十余人、その間に幼いもの三人ばかりを寝せてしまえば、他の人々はただ
罪に
実際の状況はと見れば、わずかに人畜の生命を保ち得たのにすぎないのであるが、敵の襲撃があくまで深酷をきわめているから、自分の反抗心も極度に興奮せぬわけにゆかないのであろう。どこまでも奮闘せねばならぬ決心が自然的に強固となって、大災害を
家の鶏が鳴く、家の鶏が鳴く、という子どもの声が耳に入って眼をさました。
三
一時の急をまぬがれた避難は、人も家畜も一夜の
もう家族に心配はいらない。これから牛ということでその手配にかかった。人数が少なくて数回にひくことは容易でない。二十頭の乳牛を二回にひくとすれば、十人の人を要するのである。雨の降るのにしかも大水の中をひくのであるから、無造作には人を得られない。
なるべく水の浅い道筋を選ばねばならぬ。それで自分は、天神川の付近から高架線の上を
用意はできた。このうえは鉄道員の
いかがでしょうか、物の十分間もかかるまいと思いますから、ぜひお許しを願いたいですが、それにこのすぐ下は水が深くてとうてい牛をひくことができませんから、と自分は
そんなことはできない。いったいあんなところへ牛を置いちゃいかんじゃないか。
それですから、これからひくのですが。
それですからって、あんな所へ牛を置いてとどけてもこないのは不都合じゃないか。
無情冷酷……しかも
君たちいったいどこの国の役人か、この洪水が目に入らないのか。多くの同胞が大水害に泣いてるのを何と見てるか。
ほとんど口の先まで出たけれど、わずかにこらえてさらに哀願した。結局、避難者を乗せるために列車がくるから、帰ってからでなくてはいけないということであった。それならそうと早くいってくれればよいのだ。そうしていつごろ来るかといえば、それはわからぬという。そのじつわかっているのである。配下の一員は親切に一時間と経ないうちにくるからと注意してくれた。
かれこれむなしく時間を送ったために、日の暮れないうちに二回ひくつもりであったのが、一回ひき出さないうちに暮れかかってしまった。
なれない人たちには、荒れないような牛を
わが財産が牛であっても、この困難は容易なものでないにと思うと、臨時に頼まれてしかもなれない人たちのことが気にかかるのである。自分はしばらく牛をひかえて、後からくる人たちの様子をうかがうた。それでも同情を持ってきてくれた人たちであるから、案じたほどでなく、続いてくる様子に自分も安心して先頭を
自分は何のためにこんなことをするのか、こんなことまでせねば生きていられないのか、はてなき人生に露のごとき命をむさぼって、こんな醜態をもいとわない情けなさ、なんという
前の牛もわが引く牛も、今はおちついて静かに歩む。二つ目より西には水もないのである。手に足に気くばりがなくなって、考えは先から先へ進む。
超世的詩人をもって深くみずから任じ、つねに『万葉集』を講じて、日本民族の思想感情における、正しき伝統を
先着の
四
水は一日に一寸か二寸しか減じない。五、六日たっても七寸とは減じていない。水に
疲労の度が
若い衆はかわりがわり病気をする。水中の物もいつまで捨ててはおけず、自分のなすべきことは無際限である。自分は日々、朝、わらじをはいて立ち、夜まで脱ぐいとまがない。避難五日目にようやく牛のために雨おおいができた。
眼前の迫害がなくなって、前途を考うることが多くなった。二十頭が
生活の革命……八人の
残余の財をとりまとめて、一家の生命を
一人の若い衆は起きられないという。一人は遊びに出て帰ってこないという。自分は
家浮沈の問題たる前途の考えも、
肉体に勇気が満ちてくれば、前途を考える悲観の観念もいつしか
あるいは鎌倉武士以来の関東武士の蛮性が、今なお自分の骨髄に遺伝してしかるものか。
破壊後の生活は、すべてのことが混乱している。思慮も考察も混乱している。精神の一張一緩ももとより混乱をまぬがれない。
自分は一日
肉体を
五
水が減ずるにしたがって、後の始末もついて行く。運び残した財物も少なくないから、夜を守る考えもおこった。物置きの天井に一坪にたらぬ場所を発見してここに布団を
人は境遇に支配されるものであるということだが、自分はわずかに
その昔、相許した二人が、一夜殊に情の高ぶるのを覚えてほとんど眠られなかったとき、彼は嘆じていう。こういうふうに互いに心持ちよく円満に楽しいということは、今後ひとたびといってもできないかもしれない、いっそ二人が今夜ねむったまま死んでしまったら、これに上越す幸福はないであろう。
当時は、ただ一場の
考えてみると、はたしてその夜のごとき感情をくり返したことはなかった。年一年と苦労が多く、子どもは続々とできてくる。年中あくせくとして歳月のまわるに支配されているほかに、何らの
二人が
五十に近い身で、少年少女
手伝いの人々がいつのまにか来て下に働いておった。屋根裏から顔を出して先生と呼ぶのは、水害以来、毎日手伝いにきてくれる友人であった。
(明治四十三年(一九一〇)十一月)
底本:
1966(昭和41)年3月20日初版発行
1981(昭和56)年6月10日改版26刷発行
※「
入力:大野晋
校正:松永正敏
2000年10月23日公開
2005年11月25日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
火事とポチ
有島武郎-------------------------------------------------------
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)真赤《まっか》な火が
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)二十|軒《けん》ぐらいも
-------------------------------------------------------
ポチの鳴き声でぼくは目がさめた。
ねむたくてたまらなかったから、うるさいなとその鳴き声をおこっているまもなく、真赤《まっか》な火が目に映《うつ》ったので、おどろいて両方の目をしっかり開いて見たら、戸《と》だなの中じゅうが火になっているので、二度おどろいて飛び起きた。そうしたらぼくのそばに寝《ね》ているはずのおばあさまが何か黒い布《きれ》のようなもので、夢中《むちゅう》になって戸だなの火をたたいていた。なんだか知れないけれどもぼくはおばあさまの様子《ようす》がこっけいにも見え、おそろしくも見えて、思わずその方に駆《か》けよった。そうしたらおばあさまはだまったままでうるさそうにぼくをはらいのけておいてその布のようなものをめったやたらにふり回した。それがぼくの手にさわったらぐしょぐしょにぬれているのが知れた。
「おばあさま、どうしたの?」
と聞いてみた。おばあさまは戸だなの中の火の方ばかり見て答えようともしない。ぼくは火事じゃないかと思った。
ポチが戸の外で気ちがいのように鳴いている。
部屋《へや》の中は、障子《しょうじ》も、壁《かべ》も、床《とこ》の間《ま》も、ちがいだなも、昼間のように明るくなっていた。おばあさまの影法師《かげぼうし》が大きくそれに映《うつ》って、怪物《ばけもの》か何かのように動いていた。ただおばあさまがぼくに一言《ひとこと》も物をいわないのが変だった。急に唖《おし》になったのだろうか。そしていつものようにはかわいがってくれずに、ぼくが近寄ってもじゃま者あつかいにする。
これはどうしても大変だとぼくは思った。ぼくは夢中《むちゅう》になっておばあさまにかじりつこうとした。そうしたらあんなに弱いおばあさまがだまったままで、いやというほどぼくをはらいのけたのでぼくはふすまのところまでけし飛ばされた。
火事なんだ。おばあさまが一人《ひとり》で消そうとしているんだ。それがわかるとおばあさま一人ではだめだと思ったから、ぼくはすぐ部屋を飛び出して、おとうさんとおかあさんとが寝《ね》ている離《はな》れの所へ行って、
「おとうさん……おかあさん……」
と思いきり大きな声を出した。
ぼくの部屋の外で鳴いていると思ったポチがいつのまにかそこに来ていて、きゃんきゃんとひどく鳴いていた。ぼくが大きな声を出すか出さないかに、おかあさんが寝巻《ねま》きのままで飛び出して来た。
「どうしたというの?」
とおかあさんはないしょ話のような小さな声で、ぼくの両肩《りょうかた》をしっかりおさえてぼくに聞いた。
「たいへんなの……」
「たいへんなの、ぼくの部屋が火事になったよう」といおうとしたが、どうしても「大変なの」きりであとは声が出なかった。
おかあさんの手はふるえていた。その手がぼくの手を引いて、ぼくの部屋の方に行ったが、あけっぱなしになっているふすまの所から火が見えたら、おかあさんはいきなり「あれえ」といって、ぼくの手をふりはなすなり、その部屋に飛びこもうとした。ぼくはがむしゃらにおかあさんにかじりついた。その時おかあさんははじめてそこにぼくのいるのに気がついたように、うつ向いてぼくの耳の所に口をつけて、
「早く早くおとうさんをお起こしして……それからお隣《となり》に行って、……お隣のおじさんを起こすんです、火事ですって……いいかい、早くさ」
そんなことをおかあさんはいったようだった。
そこにおとうさんも走って来た。ぼくはおとうさんにはなんにもいわないで、すぐ上がり口に行った。そこは真暗《まっくら》だった。はだしで土間《どま》に飛びおりて、かけがねをはずして戸をあけることができた。すぐ飛び出そうとしたけれども、はだしだと足をけがしておそろしい病気になるとおかあさんから聞いていたから、暗やみの中で手さぐりにさぐったら大きなぞうりがあったから、だれのだか知らないけれどもそれをはいて戸外《そと》に飛び出した。戸外《そと》も真暗で寒かった。ふだんなら気味が悪くって、とても夜中《よなか》にひとりで歩くことなんかできないのだけれども、その晩だけはなんともなかった。ただ何かにつまずいてころびそうなので、思いきり足を高く上げながら走った。ぼくを悪者《わるもの》とでも思ったのか、いきなりポチが走って来て、ほえながら飛びつこうとしたが、すぐぼくだと知れると、ぼくの前になったりあとになったりして、門の所まで追っかけて来た。そしてぼくが門を出たら、しばらくぼくを見ていたが、すぐ変な鳴き声を立てながら家の方に帰っていってしまった。
ぼくも夢中で駆《か》けた。お隣《となり》のおじさんの門をたたいて、
「火事だよう!」
と二、三度どなった。その次の家も起こすほうがいいと思ってぼくは次の家の門をたたいてまたどなった。その次にも行った。そして自分の家の方を見ると、さっきまで真暗《まっくら》だったのに、屋根の下の所あたりから火がちょろちょろと燃え出していた。ぱちぱちとたき火のような音も聞こえていた。ポチの鳴き声もよく聞こえていた。
ぼくの家は町からずっとはなれた高台《たかだい》にある官舎町《かんしゃまち》にあったから、ぼくが「火事だよう」といって歩いた家はみんな知った人の家だった。あとをふりかえって見ると、二人三人黒い人影《ひとかげ》がぼくの家の方に走って行くのが見える。ぼくはそれがうれしくって、なおのこと、次の家から次の家へとどなって歩いた。
二十|軒《けん》ぐらいもそうやってどなって歩いたら、自分の家からずいぶん遠くに来てしまっていた。すこし気味が悪くなってぼくは立ちどまってしまった。そしてもう一度家の方を見た。もう火はだいぶ燃え上がって、そこいらの木や板べいなんかがはっきりと絵にかいたように見えた。風がないので、火はまっすぐに上の方に燃えて、火の子が空の方に高く上がって行った。ぱちぱちという音のほかに、ぱんぱんと鉄砲《てっぽう》をうつような音も聞こえていた。立ちどまってみると、ぼくのからだはぶるぶるふるえて、ひざ小僧《こぞう》と下あごとががちがち音を立てるかと思うほどだった。急に家がこいしくなった。おばあさまも、おとうさんも、おかあさんも、妹や弟たちもどうしているだろうと思うと、とてもその先までどなって歩く気にはなれないで、いきなり来た道を夢中《むちゅう》で走りだした。走りながらもぼくは燃え上がる火から目をはなさなかった。真暗《まっくら》ななかに、ぼくの家だけがたき火のように明るかった。顔までほてってるようだった。何か大きな声でわめき合う人の声がした。そしてポチの気ちがいのように鳴く声が。
町の方からは半鐘《はんしょう》も鳴らないし、ポンプも来ない。ぼくはもうすっかり焼けてしまうと思った。明日《あす》からは何を食べて、どこに寝《ね》るのだろうと思いながら、早くみんなの顔が見たさにいっしょうけんめいに走った。
家のすこし手前で、ぼくは一人の大きな男がこっちに走って来るのに会った。よく見るとその男は、ぼくの妹と弟とを両脇《りょうわき》にしっかりとかかえていた。妹も弟も大きな声を出して泣《な》いていた。ぼくはいきなりその大きな男は人さらいだと思った。官舎町《かんしゃまち》の後ろは山になっていて、大きな森の中の古寺に一人の乞食《こじき》が住んでいた。ぼくたちが戦《いくさ》ごっこをしに山に遊びに行って、その乞食を遠くにでも見つけたら最後、大急ぎで、「人さらいが来たぞ」といいながらにげるのだった。その乞食《こじき》の人はどんなことがあっても駆《か》けるということをしないで、ぼろを引きずったまま、のそりのそりと歩いていたから、それにとらえられる気づかいはなかったけれども、遠くの方からぼくたちのにげるのを見ながら、牛のような声でおどかすことがあった。ぼくたちはその乞食を何よりもこわがった。ぼくはその乞食が妹と弟とをさらって行くのだと思った。うまいことには、その人はぼくのそこにいるのには気がつかないほどあわてていたとみえて、知らん顔をして、ぼくのそばを通りぬけて行った。ぼくはその人をやりすごして、すこしの間どうしようかと思っていたが、妹や弟のいどころが知れなくなってしまっては大変だと気がつくと、家に帰るのはやめて、大急ぎでその男のあとを追いかけた。その人はほんとうに早かった。はいている大きなぞうりがじゃまになってぬぎすてたくなるほどだった。
その人は、大きな声で泣きつづけている妹たちをこわきにかかえたまま、どんどん石垣《いしがき》のある横町へと曲がって行くので、ぼくはだんだん気味が悪くなってきたけれども、火事どころのさわぎではないと思って、ほおかぶりをして尻《しり》をはしょったその人の後ろから、気づかれないようにくっついて行った。そうしたらその人はやがて橋本《はしもと》さんという家の高い石段をのぼり始めた。見るとその石段の上には、橋本さんの人たちが大ぜい立って、ぼくの家の方を向いて火事をながめていた。そこに乞食らしい人がのぼって行くのだから、ぼくはすこし変だと思った。そうすると、橋本のおばさんが、上からいきなりその男の人に声をかけた。
「あなた帰っていらしったんですか……ひどくなりそうですね」
そうしたら、その乞食《こじき》らしい人が、
「子どもさんたちがけんのんだから連れて来たよ。竹男《たけお》さんだけはどこに行ったかどうも見えなんだ」
と妹や弟を軽々とかつぎ上げながらいった。なんだ。乞食じゃなかったんだ。橋本のおじさんだったんだ。ぼくはすっかりうれしくなってしまって、すぐ石段を上って行った。
「あら、竹男さんじゃありませんか」
と目《め》早くぼくを見つけてくれたおばさんがいった。橋本さんの人たちは家じゅうでぼくたちを家の中に連れこんだ。家の中には燈火《あかり》がかんかんとついて、真暗なところを長い間歩いていたぼくにはたいへんうれしかった。寒いだろうといった。葛湯《くずゆ》をつくったり、丹前《たんぜん》を着せたりしてくれた。そうしたらぼくはなんだか急に悲しくなった。家にはいってから泣《な》きやんでいた妹たちも、ぼくがしくしく泣きだすといっしょになって大きな声を出しはじめた。
ぼくたちはその家の窓《まど》から、ぶるぶるふるえながら、自分の家の焼けるのを見て夜を明かした。ぼくたちをおくとすぐまた出かけて行った橋本のおじさんが、びっしょりぬれてどろだらけになって、人ちがいするほど顔がよごれて帰って来たころには、夜がすっかり明けはなれて、ぼくの家の所からは黒いけむりと白いけむりとが別々になって、よじれ合いながらもくもくと立ち上っていた。
「安心なさい。母屋《おもや》は焼けたけれども離《はな》れだけは残って、おとうさんもおかあさんもみんなけがはなかったから……そのうちに連れて帰ってあげるよ。けさの寒さは格別だ。この一面の霜《しも》はどうだ」
といいながら、おじさんは井戸《いど》ばたに立って、あたりをながめまわしていた。ほんとうに井戸がわまでが真白《まっしろ》になっていた。
橋本さんで朝御飯《あさごはん》のごちそうになって、太陽が茂木《もぎ》の別荘《べっそう》の大きな槙《まき》の木の上に上ったころ、ぼくたちはおじさんに連れられて家に帰った。
いつのまに、どこからこんなに来たろうと思うほど大ぜいの人がけんか腰《ごし》になって働いていた。どこからどこまで大雨のあとのようにびしょびしょなので、ぞうりがすぐ重くなって足のうらが気味悪くぬれてしまった。
離《はな》れに行ったら、これがおばあさまか、これがおとうさんか、おかあさんかとおどろくほどにみんな変わっていた。おかあさんなんかは一度も見たことのないような変な着物を着て、髪《かみ》の毛なんかはめちゃくちゃになって、顔も手もくすぶったようになっていた。ぼくたちを見るといきなり駆けよって来て、三人を胸《むね》のところに抱《だ》きしめて、顔をぼくたちの顔にすりつけてむせるように泣きはじめた。ぼくたちはすこし気味が悪く思ったくらいだった。
変わったといえば家の焼けあとの変わりようもひどいものだった。黒こげの材木が、積み木をひっくり返したように重なりあって、そこからけむりがくさいにおいといっしょにやって来た。そこいらが広くなって、なんだかそれを見るとおかあさんじゃないけれども涙《なみだ》が出てきそうだった。
半分こげたり、びしょびしょにぬれたりした焼け残りの荷物といっしょに、ぼくたち六人は小さな離《はな》れでくらすことになった。御飯は三度三度|官舎《かんしゃ》の人たちが作って来てくれた。熱いにぎり飯《めし》はうまかった。ごまのふってあるのや、中から梅干《うめぼ》しの出てくるのや、海苔《のり》でそとを包んであるのや……こんなおいしい御飯を食べたことはないと思うほどだった。
火はどろぼうがつけたのらしいということがわかった。井戸《いど》のつるべなわが切ってあって水をくむことができなくなっていたのと、短刀が一本火に焼けて焼けあとから出てきたので、どろぼうでもするような人のやったことだと警察《けいさつ》の人が来て見こみをつけた。それを聞いておかあさんはようやく安心ができたといった。おとうさんは二、三日の間、毎日警察に呼び出されて、しじゅう腹《はら》をたてていた。おばあさまは、自分の部屋から火事が出たのを見つけだした時は、あんまり仰天《ぎょうてん》して口がきけなくなったのだそうだけれども、火事がすむとやっと物がいえるようになった。そのかわり、すこし病気になって、せまい部屋のかたすみに床《とこ》を取ってねたきりになっていた。
ぼくたちは、火事のあった次の日からは、いつものとおりの気持になった。そればかりではない、かえってふだんよりおもしろいくらいだった。毎日三人で焼けあとに出かけていって、人足《にんそく》の人なんかに、じゃまだ、あぶないといわれながら、いろいろのものを拾《ひろ》い出して、めいめいで見せあったり、取りかえっこしたりした。
火事がすんでから三日めに、朝目をさますとおばあさまがあわてるようにポチはどうしたろうとおかあさんにたずねた。おばあさまはポチがひどい目にあった夢《ゆめ》を見たのだそうだ。あの犬がほえてくれたばかりで、火事が起こったのを知ったので、もしポチが知らしてくれなければ焼け死んでいたかもしれないとおばあさまはいった。
そういえばほんとうにポチはいなくなってしまった。朝起きた時にも、焼けあとに遊びに行ってる時にも、なんだか一つ足らないものがあるようだったが、それはポチがいなかったんだ。ぼくがおこしに行く前に、ポチは離《はな》れに来て雨戸をがりがり引っかきながら、悲しそうにほえたので、おとうさんもおかあさんも目をさましていたのだとおかあさんもいった。そんな忠義なポチがいなくなったのを、ぼくたちはみんなわすれてしまっていたのだ。ポチのことを思い出したら、ぼくは急にさびしくなった。ポチは、妹と弟とをのければ、ぼくのいちばんすきな友だちなんだ。居留地《きょりゅうち》に住んでいるおとうさんの友だちの西洋人がくれた犬で、耳の長い、尾《お》のふさふさした大きな犬。長い舌《した》を出してぺろぺろとぼくや妹の頸《くび》の所をなめて、くすぐったがらせる犬、けんかならどの犬にだって負けない犬、めったにほえない犬、ほえると人でも馬でもこわがらせる犬、ぼくたちを見るときっと笑《わら》いながら駆《か》けつけて来て飛びつく犬、芸当はなんにもできないくせに、なんだかかわいい犬、芸当をさせようとすると、はずかしそうに横を向いてしまって、大きな目を細くする犬。どうしてぼくはあのだいじな友だちがいなくなったのを、今日《きょう》まで思い出さずにいたろうと思った。
ぼくはさびしいばかりじゃない、くやしくなった。妹と弟にそういって、すぐポチをさがしはじめた。三人で手分けをして庭に出て、大きな声で「ポチ……ポチ……ポチ来《こ》いポチ来い」とよんで歩いた。官舎町《かんしゃまち》を一軒《いっけん》一軒《いっけん》聞いて歩いた。ポチが来てはいませんか。いません。どこかで見ませんでしたか。見ません。どこでもそういう返事だった。ぼくたちは腹もすかなくなってしまった。御飯だといって、女中がよびに来たけれども帰らなかった。茂木《もぎ》の別荘の方から、乞食《こじき》の人が住んでいる山の森の方へも行った。そして時々大きな声を出してポチの名をよんでみた。そして立ちどまって聞いていた。大急ぎで駆《か》けて来るポチの足音が聞こえやしないかと思って。けれどもポチのすがたも、足音も、鳴き声も聞こえては来なかった。
「ポチがいなくなってかわいそうねえ。殺されたんだわ。きっと」
と妹は、さびしい山道に立ちすくんで泣きだしそうな声を出した。ほんとうにポチが殺されるかぬすまれでもしなければいなくなってしまうわけがないんだ。でもそんなことがあってたまるものか。あんなに強いポチが殺される気づかいはめったにないし、ぬすもうとする人が来たらかみつくに決まっている。どうしたんだろうなあ。いやになっちまうなあ。
……ぼくは腹がたってきた。そして妹にいってやった。
「もとはっていえばおまえが悪いんだよ。おまえがいつか、ポチなんかいやな犬、あっち行けっていったじゃないか」
「あら、それは冗談《じょうだん》にいったんだわ」
「冗談《じょうだん》だっていけないよ」
「それでポチがいなくなったんじゃないことよ」
「そうだい……そうだい。それじゃなぜいなくなったんだか知ってるかい……そうれ見ろ」
「あっちに行けっていったって、ポチはどこにも行きはしなかったわ」
「そうさ。それはそうさ……ポチだってどうしようかって考えていたんだい」
「でもにいさんだってポチをぶったことがあってよ」
「ぶちなんてしませんよだ」
「いいえ、ぶってよほんとうに」
「ぶったっていいやい……ぶったって」
ポチがぼくのおもちゃをめちゃくちゃにこわしたから、ポチがきゃんきゃんというほどぶったことがあった。……それを妹にいわれたら、なんだかそれがもとでポチがいなくなったようにもなってきた。でもぼくはそう思うのはいやだった。どうしても妹が悪いんだと思った。妹がにくらしくなった。
「ぶったってぼくはあとでかわいがってやったよ」
「私だってかわいがってよ」
妹が山の中でしくしく泣《な》きだした。そうしたら弟まで泣きだした。ぼくもいっしょに泣きたくなったけれども、くやしいからがまんしていた。
なんだか山の中に三人きりでいるのが急にこわいように思えてきた。
そこへ女中がぼくたちをさがしに来て、家ではぼくたちが見えなくなったので心配しているから早く帰れといった。女中を見たら妹も弟も急に声をはりあげて泣きだした。ぼくもとうとうむやみに悲しくなって泣きだした。女中に連れられて家に帰って来た。
「まああなたがたはどこをうろついていたんです、御飯も食べないで……そして三人ともそんなに泣いて……」
とおかあさんはほんとうにおこったような声でいった。そしてにぎり飯を出してくれた。それを見たら急に腹がすいてきた。今まで泣いていて、すぐそれを食べるのはすこしはずかしかったけれども、すぐ食べはじめた。
そこに、焼けあとで働いている人足《にんそく》が来て、ポチが見つかったと知らせてくれた。ぼくたちもだったけれども、おばあさまやおかあさんまで、大さわぎをして「どこにいました」とたずねた。
「ひどいけがをして物置きのかげにいました」
と人足の人はいって、すぐぼくたちを連れていってくれた。ぼくはにぎり飯をほうり出して、手についてる御飯つぶを着物ではらい落としながら、大急ぎでその人のあとから駆《か》け出した。妹や弟も負けず劣《おと》らずついて来た。
半焼けになった物置きが平べったくたおれている、その後ろに三、四人の人足がかがんでいた。ぼくたちをむかえに来てくれた人足はその仲間《なかま》の所にいって、「おい、ちょっとそこをどきな」といったらみんな立ち上がった。そこにポチがまるまって寝《ね》ていた。
ぼくたちは夢中《むちゅう》になって「ポチ」とよびながら、ポチのところに行った。ポチは身動きもしなかった。ぼくたちはポチを一目見ておどろいてしまった。からだじゅうをやけどしたとみえて、ふさふさしている毛がところどころ狐色《きつねいろ》にこげて、どろがいっぱいこびりついていた。そして頭や足には血が真黒《まっくろ》になってこびりついていた。ポチだかどこの犬だかわからないほどきたなくなっていた。駆《か》けこんでいったぼくは思わずあとずさりした。ポチはぼくたちの来たのを知ると、すこし頭を上げて血走った目で悲しそうにぼくたちの方を見た。そして前足を動かして立とうとしたが、どうしても立てないで、そのままねころんでしまった。
「かわいそうに、落ちて来た材木で腰《こし》っ骨《ぽね》でもやられたんだろう」
「なにしろ一晩じゅうきゃんきゃんいって火のまわりを飛び歩いていたから、つかれもしたろうよ」
「見ろ、あすこからあんなに血が流れてらあ」
人足たちが口々にそんなことをいった。ほんとうに血が出ていた。左のあと足のつけ根の所から血が流れて、それが地面までこぼれていた。
「いたわってやんねえ」
「おれゃいやだ」
そんなことをいって、人足たちも看病《かんびょう》してやる人はいなかった。ぼくはなんだか気味が悪かった。けれどもあんまりかわいそうなので、こわごわ遠くから頭をなでてやったら、鼻の先をふるわしながら、目をつぶって頭をもち上げた。それを見たらぼくはきたないのも気味の悪いのもわすれてしまって、いきなりそのそばに行って頭をかかえるようにしてかわいがってやった。なぜこんなかわいい友だちを一度でもぶったろうと思って、もうポチがどんなことをしてもぶつなんて、そんなことはしまいと思った。ポチはおとなしく目をつぶったままでぼくの方に頭を寄せかけて来た。からだじゅうがぶるぶるふるえているのがわかった。
妹や弟もポチのまわりに集まって来た。そのうちにおとうさんもおかあさんも来た。ぼくはおとうさんに手伝って、バケツで水を運んで来て、きれいな白いきれで静かにどろや血をあらい落としてやった。いたい所をあらってやる時には、ポチはそこに鼻先を持って来て、あらう手をおしのけようとした。
「よしよし静かにしていろ。今きれいにしてきずをなおしてやるからな」
おとうさんが人間に物をいうようにやさしい声でこういったりした。おかあさんは人に知れないように泣《な》いていた。
よくふざけるポチだったのにもうふざけるなんて、そんなことはちっともしなくなった。それがぼくにはかわいそうだった。からだをすっかりふいてやったおとうさんが、けががひどいから犬の医者をよんで来るといって出かけて行ったるすに、ぼくは妹たちに手伝ってもらって、藁《わら》で寝床《ねどこ》を作ってやった。そしてタオルでポチのからだをすっかりふいてやった。ポチを寝床の上に臥《ね》かしかえようとしたら、いたいとみえて、はじめてひどい声を出して鳴きながらかみつきそうにした。人夫たちも親切に世話してくれた。そして板きれでポチのまわりに囲いをしてくれた。冬だから、寒いから、毛がぬれているとずいぶん寒いだろうと思った。
医者が来て薬をぬったり飲ませたりしてからは、人足たちもおかあさんも行ってしまった。弟も寒いからというのでおかあさんに連れて行かれてしまった。けれどもおとうさんとぼくと妹はポチのそばをはなれないで、じっとその様子《ようす》を見ていた。おかあさんが女中に牛乳《ぎゅうにゅう》で煮《に》たおかゆを持って来させた。ポチは喜んでそれを食べてしまった。火事の晩から三日の間ポチはなんにも食べずにしんぼうしていたんだもの、さぞおかゆがうまかったろう。
ポチはじっとまるまってふるえながら目をつぶっていた。目がしらの所が涙《なみだ》でしじゅうぬれていた。そして時々細く目をあいてぼくたちをじっと見るとまたねむった。
いつのまにか寒い寒い夕方がきた。おとうさんがもう大丈夫《だいじょうぶ》だから家にはいろうといったけれども、ぼくははいるのがいやだった。夜どおしでもポチといっしょにいてやりたかった。おとうさんはしかたなく寒い寒いといいながら一人で行ってしまった。
ぼくと妹だけがあとに残った。あんまりよく睡《ね》るので死んではいないかと思って、小さな声で「ポチや」というとポチはめんどうくさそうに目を開いた。そしてすこしだけしっぽをふって見せた。
とうとう夜になってしまった。夕御飯でもあるし、かぜをひくと大変だからといっておかあさんが無理にぼくたちを連れに来たので、ぼくと妹とはポチの頭をよくなでてやって家に帰った。
次の朝、目をさますと、ぼくは着物も着かえないでポチの所に行って見た。おとうさんがポチのわきにしゃがんでいた。そして、「ポチは死んだよ」といった。ポチは死んでしまった。
ポチのお墓《はか》は今でも、あの乞食《こじき》の人の住んでいた、森の中の寺の庭にあるかしらん。
底本:「一房の葡萄」角川文庫、角川書店
1952(昭和27)年3月10日初版発行
1968(昭和43)年5月10日改版初版発行
1990(平成2)年5月30日改版37版発行
入力:鈴木厚司
校正:八木正三
1998年5月25日公開
2007年8月21日修正
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水害雑録
伊藤左千夫-------------------------------------------------------
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)奴《やつ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一朝|禍《わざわい》を蹈む
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「奚+隹」、第3水準1-93-66]が鳴く
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一
臆病者というのは、勇気の無い奴《やつ》に限るものと思っておったのは誤りであった。人間は無事をこいねがうの念の強ければ、その強いだけそれだけ臆病になるものである。人間は誰とて無事をこいねがうの念の無いものは無い筈であるが、身に多くの係累者を持った者、殊に手足まといの幼少者などある身には、更に痛切に無事を願うの念が強いのである。
一朝|禍《わざわい》を蹈むの場合にあたって、係累の多い者ほど、惨害はその惨の甚しいものがあるからであろう。
天災地変の禍害というも、これが単に財産居住を失うに止まるか、もしくはその身一身を処決して済むものであるならば、その悲惨は必ずしも惨の極《きょく》なるものではない。一身係累を顧みるの念が少ないならば、早く禍の免れ難きを覚悟したとき、自《みずか》ら振作《しんさ》するの勇気は、もって笑いつつ天災地変に臨むことができると思うものの、絶つに絶たれない係累が多くて見ると、どう考えても事に対する処決は単純を許さない。思慮分別の意識からそうなるのではなく、自然的な極めて力強い余儀ないような感情に壓せられて勇気の振いおこる余地が無いのである。
宵から降り出した大雨は、夜一夜を降り通した。豪雨だ……そのすさまじき豪雨の音、そうしてあらゆる方面に落ち激《たぎ》つ水の音、ひたすら事《こと》なかれと祈る人の心を、有る限りの音声《おんせい》をもって脅《おびやか》すかのごとく、豪雨は夜を徹して鳴り通した。
少しも眠れなかったごとく思われたけれど、一睡の夢の間にも、豪雨の音声におびえていたのだから、もとより夢か現《うつつ》かの差別は判らないのである。外は明るくなって夜は明けて来たけれど、雨は夜の明けたに何の関係も無いごとく降り続いている。夜を降り通した雨は、又昼を降り通すべき気勢である。
さんざん耳から脅《おびやか》された人は、夜が明けてからは更に目からも脅される。庭一面に漲《みなぎ》り込んだ水上に水煙を立てて、雨は篠《しの》を突いているのである。庭の飛石は一箇《ひとつ》も見えてるのが無いくらいの水だ。いま五、六寸で床に達する高さである。
もう畳を上げた方がよいでしょう、と妻や大きい子供らは騒ぐ。牛舎へも水が入りましたと若《わか》い衆《しゅ》も訴えて来た。
最も臆病に、最も内心に恐れておった自分も、側《はた》から騒がれると、妙に反撥心が起る。殊更に落ちついてる風《ふう》をして、何ほど増して来たところで溜り水だから高が知れてる。そんなにあわてて騒ぐに及ばないと一喝《いっかつ》した。そうしてその一喝した自分の声にさえ、実際は恐怖心が揺いだのであった。雨はますます降る。一時間に四分五分ぐらいずつ水は高まって来る。
強烈な平和の希望者は、それでも、今にも雨が静かになればと思う心から、雨声の高低に注意を払うことを、秒時もゆるがせにしてはいない。
不安――恐怖――その堪えがたい懊悩《おうのう》の苦しみを、この際幾分か紛《まぎ》らかそうには、体躯を運動する外はない。自分は横川天神川の増水|如何《いかん》を見て来ようとわれ知らず身を起した。出掛けしなに妻や子供たちにも、いざという時の準備を命じた。それも準備の必要を考えたよりは、彼らに手仕事を授けて、いたずらに懊悩することを軽めようと思った方が多かった。
干潮の刻限である為か、河の水はまだ意外に低かった。水口《みずぐち》からは水が随分盛んに落ちている。ここで雨さえやむなら、心配は無いがなアと、思わず嘆息せざるを得なかった。
水の溜《たま》ってる面積は五、六町内に跨《また》がってるほど広いのに、排水の落口というのは僅かに三か所、それが又、皆落口が小さくて、溝は七まがりと迂曲《うきょく》している。水の落ちるのは、干潮の間僅かの時間であるから、雨の強い時には、降った水の半分も落ちきらぬ内に、上げ潮の刻限になってしまう。上げ潮で河水が多少水口から突上るところへ更に雨が強ければ、立ちしか間にこの一区劃内に湛えてしまう。自分は水の心配をするたびに、ここの工事をやった人の、馬鹿馬鹿しきまで実務に不忠実な事を呆《あき》れるのである。
大洪水は別として、排水の装置が実際に適しておるならば、一日や二日の雨の為に、この町中《まちなか》へ水を湛うるような事は無いのである。人事《じんじ》僅かに至らぬところあるが為に、幾百千の人が、一通りならぬ苦しみをすることを思うと、かくのごとき実務的の仕事に、ただ形ばかりの仕事をして、平気な人の不親切を嘆息せぬ訳にゆかないのである。
自分は三か所の水口を検して家に帰った。水は三か所へ落ちているにかかわらず、わが庭の水層は少し増しておった。河の水はどうですかと、家の者から口々に問わるるにつけても、ここで雨さえ小降りになるなら心配は無いのだがなアと、思わず又嘆息を繰返すのであった。
一時間に五|分《ぶ》ぐらいずつ増してるから、これで見ると床へつくにはまだ十時間ある訳だ。いつでも畳を上げられる用意さえして置けば、住居の方は差当り心配はないとしても、もう捨てて置けないのは牛舎だ。尿板《ばりいた》の後方へは水がついてるから、牛は一頭も残らず起《た》ってる。そうしてその後足《あとあし》には皆一寸ばかりずつ水がついてる。豪雨は牛舎の屋根に鳴音《めいおん》烈しく、ちょっとした会話が聞取れない。いよいよ平和の希望は絶えそうになった。
人が、自殺した人の苦痛を想像して見るにしても、たいていは自殺そのものの悲劇をのみ強く感ずるのであろう。しかし自殺者その人の身になったならば、われとわれを殺すその実劇よりは、自殺を覚悟するに至る以前の懊悩が、遥かに自殺そのものよりも苦しいのでなかろうか。自殺の凶器が、目前《もくぜん》に横たわった時は、もはや身を殺す恐怖のふるえも静まっているのでなかろうか。
豪雨の声は、自分に自殺を強いてる声であるのだ。自分はなお自殺の覚悟をきめ得ないので、もがきにもがいているのである。
死ぬときまった病人でも、死ぬまでになお幾日かの間があるとすれば、その間に処する道を考えねばならぬ。いわんや一縷《いちる》の望みを掛けているものならば、なおさらその覚悟の中に用意が無ければならぬ。
何ほど恐怖絶望の念に懊悩しても、最後の覚悟は必ず相当の時機を待たねばならぬ。
豪雨は今日一日を降りとおして更に今夜も降りとおすものか、あるいはこの日暮頃にでも歇《や》むものか、もしくは今にも歇《や》むものか、一切《いっさい》判らないが、その降り止む時刻によって恐水者の運命は決するのである。いずれにしても明日の事は判らない。判らぬ事には覚悟のしようもなく策の立てようも無い。厭でも中有《ちゅうう》につられて不安状態におらねばならぬ。
しかしながら牛の後足に水がついてる眼前の事実は、もはや何を考えてる余地を与えない。自分はそれに促されて、明日の事は明日になってからとして、ともかくも今夜一夜を凌《しの》ぐ画策を定めた。
自分は猛雨を冒して材木屋に走った。同業者の幾人が同じ目的をもって多くの材料を求め走ったと聞いて、自分は更に恐怖心を高めた。
五寸|角《かく》の土台数十丁一寸|厚《あつ》みの松板《まついた》数十枚は時を移さず、牛舎に運ばれた。もちろん大工を呼ぶ暇は無い。三人の男共を指揮して、数時間豪雨の音も忘れるまで活動した結果、牛舎には床上《ゆかうえ》更に五寸の仮床《かりゆか》を造り得た。かくて二十頭の牛は水上五寸の架床《かしょう》上に争うて安臥《あんが》するのであった。燃材《ねんざい》の始末、飼料品の片づけ、為すべき仕事は無際限にあった。
人間に対する用意は、まず畳を上げて、襖《ふすま》障子《しょうじ》諸財一切《しょざいいっさい》の始末を、先年《せんねん》大水《おおみず》の標準によって、処理し終った。並《なみ》の席より尺余《しゃくよ》床《ゆか》を高くして置いた一室と離屋《はなれ》の茶室の一間とに、家族十人の者は二分《にぶん》して寝に就く事になった。幼ないもの共は茶室へ寝るのを非常に悦んだ。そうして間もなく無心に眠ってしまった。二人の姉共と彼らの母とは、この気味の悪い雨の夜に別れ別れに寝るのは心細いというて、雨を冒《おか》し水を渡って茶室へやって来た。
それでも、これだけの事で済んでくれればありがたいが、明日はどうなる事か……取片づけに掛ってから幾たびも幾たびもいい合うた事を又も繰返すのであった。あとに残った子供たちに呼び立てられて、母娘《おやこ》は寂しい影を夜の雨に没《ぼっ》して去った。
遂にその夜も豪雨は降りとおした。実に二夜《ふたよ》と一日、三十六時間の豪雨はいかなる結果を来《きた》すべきか。翌日は晃々と日が照った。水は少しずつ増しているけれど、牛の足へもまだ水はつかなかった。避難の二席《にせき》にもまだ五、六寸の余裕はあった。新聞紙は諸方面の水害と今後の警戒すべきを特報したけれど、天気になったという事が、非常にわれらを気強く思わせる。よし河の水が増して来たところで、どうにか凌《しの》ぎのつかぬ事は無かろうなどと考えつつ、懊悩の頭も大いに軽くなった。
平和に渇《かつ》した頭は、とうてい安んずべからざるところにも、強いて安居《あんご》せんとするものである。
二
大雨《たいう》が晴れてから二日目の午後五時頃であった。世間は恐怖の色調《しきちょう》をおびた騒ぎをもって満たされた。平生《へいぜい》聞ゆるところの都会的音響はほとんど耳に入らないで、うかとしていれば聞き取ることのできない、物の底深くに、力強い騒ぎを聞くような、人を不安に引き入れねばやまないような、深酷な騒ぎがそこら一帯の空気を振蕩《しんとう》して起った。
天神川も溢《あふ》れ、竪川《たてかわ》も溢れ、横川も溢れ出したのである。平和は根柢《こんてい》から破れて、戦闘は開始したのだ。もはや恐怖も遅疑も無い。進むべきところに進む外《ほか》、何を顧《かえり》みる余地も無くなった。家族には近い知人の二階屋に避難すべきを命じ置き、自分は若い者三人を叱《しっ》して乳牛の避難にかかった。かねてここと見定《みさだ》めて置いた高架鉄道の線路に添うた高地《こうち》に向って牛を引き出す手筈である。水深はなお腰に達しないくらいであるから、あえて困難というほどではない。
自分はまず黒白斑《くろしろぶち》の牛と赤牛との二頭を牽出《ひきだ》す。彼ら無心の毛族《けもの》も何らか感ずるところあると見え、残る牛も出る牛もいっせいに声を限りと叫び出した。その騒々しさは又|自《おのず》から牽手《ひきて》の心を興奮させる。自分は二頭の牝牛《めうし》を引いて門を出た。腹部まで水に浸《ひた》されて引出された乳牛は、どうされると思うのか、右往左往と狂い廻る。もとより溝《どぶ》も道路も判らぬのである。たちまち一頭は溝に落ちてますます狂い出す。一頭はひた走りに先に進む。自分は二頭の手綱《たづな》を採って、ほとんど制馭《せいぎょ》の道を失った。そうして自分も乳牛に引かるる勢いに駆られて溝へはまった。水を全身に浴みてしまった。若い者共も二頭三頭と次々引出して来る。
人畜《じんちく》を挙げて避難する場合に臨んでも、なお濡るるを恐れておった卑怯者も、一度溝にはまって全身水に漬《つか》っては戦士が傷《きず》ついて血を見たにも等しいものか、ここに始めて精神の興奮絶頂に達し猛然たる勇気は四肢《しし》の節々《ふしぶし》に振動した。二頭の乳牛を両腕の下《もと》に引据え、奔流を蹴破って目的地に進んだ。かくのごとく二回三回数時間の後全く乳牛の避難を終え、翌日一日分の飼料をも用意し得た。
水層はいよいよ高く、四《よ》ツ目《め》より太平町《たいへいちょう》に至る十五間幅の道路は、深さ五尺に近く、濁流奔放舟をもって渡るも困難を感ずるくらいである。高架線の上に立って、逃げ捨てたわが家を見れば、水上に屋根ばかりを見得るのであった。
水を恐れて雨に懊悩した時は、未だ直接に水に触れなかったのだ。それで水が恐ろしかったのだ。濁水を冒して乳牛を引出し、身もその濁水に没入してはもはや水との争闘である。奮闘は目的を遂げて、牛は思うままに避難し得た。第一戦に勝利を得た心地《ここち》である。
洪水の襲撃を受けて、失うところの大《だい》なるを悵恨《ちょうこん》するよりは、一方のかこみを打破った奮闘の勇気に快味を覚ゆる時期である。化膿せる腫物《しゅもつ》を切開《せっかい》した後の痛快は、やや自分の今に近い。打撃はもとより深酷であるが、きびきびと問題を解決して、総ての懊悩を一掃した快味である。わが家の水上僅かに屋根ばかり現われおる状《さま》を見て、いささかも痛恨の念の湧かないのは、その快味がしばらくわれを支配しているからであるまいか。
日は暮れんとして空は又雨模様である。四方《あたり》に聞ゆる水の音は、今の自分にはもはや壮快に聞えて来た。自分は四方を眺めながら、何とはなしに天神川の鉄橋を渡ったのである。
うず高に水を盛り上げてる天神川は、盛んに濁水を両岸に奔溢《ほんいつ》さしている。薄暗く曇った夕暮の底に、濁水の溢れ落つる白泡が、夢かのようにぼんやり見渡される。恐ろしいような、面白いような、いうにいわれない一種の強い刺戟に打たれた。
遠く亀戸方面を見渡して見ると、黒い水が漫々として大湖のごとくである。四方《あたり》に浮いてる家棟《やのむね》は多くは軒以上を水に没している。なるほど洪水じゃなと嗟嘆《さたん》せざるを得なかった。
亀戸には同業者が多い。まだ避難し得ない牛も多いと見え、そちこちに牛の叫び声がしている。暗い水の上を伝わって、長く尻声を引く。聞く耳のせいか溜らなく厭な声だ。稀に散在して見える三つ四つの燈火がほとんど水にひッついて、水平線の上に浮いてるかのごとく、寂しい光を漏らしている。
何か人声が遠くに聞えるよと耳を立てて聞くと、助け舟は無いかア……助け舟は無いかア……と叫ぶのである。それも三回ばかりで声は止んだ。水量が盛んで人間の騒ぎも壓せられてるものか、割合に世間は静かだ。まだ宵の口と思うのに、水の音と牛の鳴く声の外には、あまり人の騒ぎも聞えない。寥々《りょうりょう》として寒そうな水が漲っている。助け舟を呼んだ人は助けられたかいなかも判らぬ。鉄橋を引返してくると、牛の声は幽《かす》かになった。壮快な水の音がほとんど夜を支配して鳴ってる。自分は眼前の問題にとらわれてわれ知らず時間を費やした。来て見れば乳牛の近くに若者たちもいず、わが乳牛は多くは安臥して食《は》み返しをやっておった。
何事をするも明日の事、今夜はこれでと思いながら、主なき家の有様も一見したく、自分は再び猛然水に投じた。道路よりも少しく低いわが家の門内に入ると足が地につかない。自分は泳ぐ気味にして台所の軒へ進み寄った。
幸《さいわい》に家族の者が逃げる時に消し忘れたものらしく、ランプが点《とも》して釣り下げてあった。天井高く釣下げたランプの尻にほとんど水がついておった。床《ゆか》の上に昇って水は乳まであった。醤油樽《しょうゆだる》、炭俵、下駄箱、上げ板、薪、雑多な木屑《きくず》等有ると有るものが浮いている。どろりとした汚い悪水《おすい》が、身動きもせず、ひしひしと家一ぱいに這入っている。自分はなお一渡り奥の方まで一見しようと、ランプに手を掛けたら、どうかした拍子に火は消えてしまった。後は闇々黒々、身を動かせば雑多な浮流物が体に触れるばかりである。それでも自分は手探り足探りに奥まで進み入った。浮いてる物は胸にあたる、顔にさわる。畳が浮いてる、箪笥《たんす》が浮いてる、夜具類も浮いてる。それぞれの用意も想像以外の水でことごとく無駄に帰したのである。
自分はこの全滅的荒廃の跡を見て何ら悔恨の念も無く不思議と平然たるものであった。自分の家という感じがなく自分の物という感じも無い。むしろ自然の暴力が、いかにもきびきびと残酷に、物を破り人を苦しめた事を痛快に感じた。やがて自分は路傍の人と別れるように、その荒廃の跡を見捨てて去った。水を恐れて連夜眠れなかった自分と、今の平気な自分と、何の為にしかるかを考えもしなかった。
家族の逃げて行った二階は七畳ばかりの一室であった。その家の人々の外に他よりも四、五人逃げて来ておった。七畳の室に二十余人、その間に幼いもの三人ばかりを寝せてしまえば、他の人々はただ膝と膝を突合せて坐しおるのである。
罪に触れた者が捕縛を恐れて逃げ隠れしてる内《うち》は、一刻も精神の休まる時が無く、夜も安くは眠られないが、いよいよ捕えられて獄中の人となってしまえば、気も安く心も暢《の》びて、愉快に熟睡されると聞くが、自分の今夜の状態はそれに等しいのであるが、将来の事はまだ考える余裕も無い、煩悶苦悩決せんとして決し得なかった問題が解決してしまった自分は、この数日来に無い、心安い熟睡を遂げた。頭を曲げ手足を縮め海老《えび》のごとき状態に困臥しながら、なお気安く心地爽かに眠り得た。数日来の苦悩は跡形も無く消え去った。ために体内新たな活動力を得たごとくに思われたのである。
実際の状況はと見れば、僅かに人畜の生命を保ち得たのに過ぎないのであるが、敵の襲撃があくまで深酷を極めているから、自分の反抗心も極度に興奮せぬ訳にゆかないのであろう。どこまでも奮闘せねばならぬ決心が自然的に強固となって、大災害を哀嘆してる暇がない為であろう。人間も無事だ、牛も無事だ、よしといったような、爽快な気分で朝まで熟睡した。
家の※[#「奚+隹」、第3水準1-93-66]が鳴く、家の※[#「奚+隹」、第3水準1-93-66]が鳴く、という子供の声が耳に入って眼を覚した。起《た》って窓外を見れば、濁水を一ぱいに湛えた、わが家の周囲の一廓に、ほのぼのと夜は明けておった。忘れられて取残された※[#「奚+隹」、第3水準1-93-66]は、主なき水漬屋《みづきや》に、常に変らぬのどかな声を長く引いて時を告ぐるのであった。
三
一時の急を免れた避難は、人も家畜も一夜の宿りがようやくの事であった。自分は知人|某氏《なにがしし》を両国に訪《と》うて第二の避難を謀《はか》った。侠気と同情に富める某氏《なにがしし》は全力を尽して奔走してくれた。家族はことごとく自分の二階へ引取ってくれ、牛は回向院《えこういん》の庭に置くことを諾された。天候|情《じょう》なくこの日また雨となった。舟で高架鉄道の土堤へ漕ぎつけ、高架線の橋上を両国に出ようというのである。われに等しき避難者は、男女老幼、雨具も無きが多く、陸続として、約二十町の間を引ききりなしに渡り行くのである。十八を頭《かしら》に赤子の守子《もりこ》を合して九人の子供を引連れた一族もその内の一群であった。大人はもちろん大きい子供らはそれぞれ持物《もちもの》がある。五ツになるのと七ツになる幼きものどもが、わがままもいわず、泣きもせず、おぼつかない素足《すあし》を運びつつ泣くような雨の中をともかくも長い長い高架の橋を渡ったあわれさ、両親の目には忘れる事のできない印象を残した。
もう家族に心配はいらない。これから牛という事でその手配にかかった。人数が少くて数回にひくことは容易でない。二十頭の乳牛を二回に牽くとすれば、十人の人を要するのである。雨の降るのにしかも大水の中を牽くのであるから、無造作には人を得られない。某氏《なにがしし》の尽力によりようやく午後の三時頃に至って人を頼み得た。
なるべく水の浅い道筋を選ばねばならぬ。それで自分は、天神川の附近から高架線の上を本所《ほんじょ》停車場に出て、横川に添うて竪川《たてかわ》の河岸《かし》通を西へ両国に至るべく順序を定《さだ》めて出発した。雨も止んで来た。この間の日の暮れない内に牽いてしまわねばならない。人々は勢い込んで乳牛の所在地へ集った。
用意はできた。この上は鉄道員の許諾《きょだく》を得、少しの間線路を通行させて貰わねばならぬ。自分は駅員の集合してる所に到って、かねて避難している乳牛を引上げるについてここより本所停車場までの線路の通行を許してくれと乞うた。駅員らは何か話合うていたらしく、自分の切願に一顧《いっこ》をくれるものも無く、挨拶もせぬ。
いかがでしょうか、物の十分間もかかるまいと思いますから、是非お許しを願いたいですが、それにこのすぐ下は水が深くてとうてい牛を牽く事ができませんから、と自分は詞《ことば》を尽《つく》して哀願した。
そんな事は出来ない。いったいあんな所へ牛を置いちゃいかんじゃないか。
それですからこれから牽くのですが。
それですからって、あんな所へ牛を置いて届けても来ないのは不都合じゃないか。
無情冷酷……しかも横柄《おうへい》な駅員の態度である。精神興奮してる自分は、癪《しゃく》に障《さわ》って堪《たま》らなくなった。
君たちいったいどこの国の役人か、この洪水が目に入らないのか。多くの同胞が大水害に泣いてるのを何と見てるか。
ほとんど口の先まで出たけれど、僅かにこらえて更に哀願した。結局避難者を乗せる為に列車が来るから、帰ってからでなくてはいけないということであった。それならそうと早くいってくれればよいのだ。そうして何時頃来るかといえば、それは判らぬという。そのじつ判っているのである。配下の一員は親切に一時間と経ない内に来るからと注意してくれた。
かれこれ空しく時間を送った為に、日の暮れない内に二回牽くつもりであったのが、一回牽き出さない内に暮れかかってしまった。
なれない人たちには、荒れないような牛を見計《みはか》らって引かせることにして、自分は先頭《せんとう》に大きい赤白斑《あかしろぶち》の牝牛《めうし》を引出した。十人の人が引続いて後から来るというような事にはゆかない。自分は続く人の無いにかかわらず、まっすぐに停車場へ降りる。全く日は暮れて僅かに水面の白いのが見えるばかりである。鉄橋の下は意外に深く、ほとんど胸につく深さで、奔流しぶきを飛ばし、少しの間流れに遡《さかのぼ》って進めば、牛はあわて狂うて先に出ようとする。自分は胸きりの水中容易に進めないから、しぶきを全身に浴びつつ水に咽《む》せて顔を正面《まとも》に向けて進むことはできない。ようやく埒《らち》外に出れば、それからは流れに従って行くのであるが、先の日に石や土俵を積んで防禦した、その石や土俵が道中に散乱してあるから、水中に牛も躓《つまず》く人も躓く。
わが財産が牛であっても、この困難は容易なものでないにと思うと、臨時に頼まれてしかも馴れない人たちの事が気にかかるのである。自分はしばらく牛を控《ひか》えて後から来る人たちの様子を窺うた。それでも同情を持って来てくれた人たちであるから、案じたほどでなく、続いて来る様子に自分も安心して先頭を務《つと》めた。半数十頭を回向院の庭へ揃えた時はあたかも九時であった。負傷した人もできた。一回に恐れて逃げた人もできた。今一回は実に難事となった。某氏の激励至らざるなく、それでようやく欠員の補充もできた。二回目には自分は最後に廻った。ことごとく人々を先に出しやって一渡り後を見廻すと、八升入の牛乳鑵が二つバケツが三箇《みっつ》残ってある。これは明日に入用の品である。若い者の取落したのか、下の帯一筋あったを幸に、それにて牛乳鑵を背負《せお》い、三箇のバケツを左手にかかえ右手に牛の鼻綱《はなづな》を取って殿《しんがり》した。自分より一歩先に行く男は始めて牛を牽くという男であったから、幾度か牛を手離してしまう。そのたびに自分は、その牛を捕えやりつつ擁護の任を兼ね、土を洗い去られて、石川といった、竪《たて》川の河岸を練り歩いて来た。もうこれで終了すると思えば心にも余裕ができる。
道々考えるともなく、自分の今日の奮闘はわれながら意想外であったと思うにつけ、深夜十二時あえて見る人もないが、わがこの容態はどうだ。腐った下の帯に乳鑵二箇を負ひ三箇のバケツを片手に捧げ片手に牛を牽いている。臍《へそ》も脛《はぎ》も出ずるがままに隠しもせず、奮闘といえば名は美しいけれど、この醜態は何のざまぞ。
自分は何の為にこんな事をするのか、こんな事までせねば生きていられないのか、果なき人生に露のごとき命を貪《むさぼ》って、こんな醜態をも厭わない情なさ、何という卑しき心であろう。
前の牛もわが引く牛も今は落ちついて静かに歩む。二つ目より西には水も無いのである。手に足に気くばりが無くなって、考えは先から先へ進む。
超世的詩人をもって深く自ら任じ、常に万葉集を講じて、日本民族の思想感情における、正しき伝統を解得《かいとく》し継承し、よってもって現時の文明にいささか貢献するところあらんと期する身が、この醜態は情ない。たとい人に見らるるの憂いがないにせよ、余儀なき事の勢いに迫ったにせよ、あまりに蛮性の露出である。こんな事が奮闘であるならば、奮闘の価は卑しいといわねばならぬ。しかし心を卑しくするのと、体を卑しくするのと、いずれが卑しいかといえば、心を卑しくするの最も卑しむべきはいうまでも無いことである。そう思うて見ればわが今夜の醜態は、ただ体を卑しくしたのみで、心を卑しくしたとはいえないのであろうか。しかし、心を卑しくしないにせよ、体を卑しくしたその事の恥ずべきは少しも減ずる訳ではないのだ。
先着の伴牛《ともうし》はしきりに友を呼んで鳴いている。わが引いている牛もそれに応じて一声高く鳴いた。自分は夢から覚《さ》めた心地《ここち》になって、覚えず手に持った鼻綱を引詰《ひきつ》めた。
四
水は一日に一寸か二寸しか減じない。五、六日経っても七寸とは減じていない。水に漬《つか》った一切《いっさい》の物いまだに手の着けようがない。その後も幾度《いくたび》か雨が降った。乳牛は露天《ろてん》に立って雨たたきにされている。同業者の消息もようやく判って来た。亀戸の某《なにがし》は十六頭殺した。太平《たいへい》町の某は十四頭を、大島町の某は犢《こうし》十頭を殺した。わが一家の事に就いても種々の方面から考えて惨害の感じは深くなるばかりである。
疲労の度が過ぐればかえって熟睡を得られない。夜中幾度も目を覚す。僅かな睡眠の中にも必ず夢を見る。夢はことごとく雨の音水の騒ぎである。最も懊悩に堪えないのは、実際雨が降って音の聞ゆる夜である。わが財産の主脳であるところの乳牛が、雨に濡れて露天に立っているのは考えるに堪えない苦しみである。何ともたとえようのない情《なさけ》なさである。自分が雨中を奔走するのはあえて苦痛とは思わないが、牛が雨を浴みつつ泥中に立っているのを見ては、言語にいえない切《せつ》なさを感ずるのである。
若い衆は代り代り病気をする。水中の物もいつまで捨てては置けず、自分の為すべき事は無際限である。自分は日々朝|草鞋《わらじ》をはいて立ち、夜まで脱ぐ遑《いとま》がない。避難五日目にようやく牛の為に雨掩いができた。
眼前の迫害が無くなって、前途を考うることが多くなった。二十頭が分泌した乳量は半減した上に更に減ぜんとしている。一度減じた量は決して元に恢復せぬのが常である。乳量が恢復せないで、妊孕《にんよう》の期を失えば、乳牛も乳牛の価格を保てないのである。損害の程度がやや考量されて来ると、天災に反抗し奮闘したのも極めて意義の少ない行動であったと嘆ぜざるを得なくなる。
生活の革命……八人の児女《じじょ》を両肩に負うてる自分の生活の革命を考うる事となっては、胸中まず悲惨の気に閉塞されてしまう。
残余の財を取纏めて、一家の生命を筆硯に托そうかと考えて見た。汝《なんじ》は安心してその決行ができるかと問うて見る。自分の心は即時に安心ができぬと答えた。いよいよ余儀ない場合に迫って、そうするより外に道が無かったならばどうするかと念を押して見た。自分の前途の惨憺たる有様を想見するより外《ほか》に何らの答を為し得ない。
一人の若い衆は起きられないという。一人は遊びに出て帰って来ないという。自分は蹶起《けっき》して乳搾《ちちしぼ》りに手をかさねばならぬ。天気がよければ家内らは運び来った濡れものの仕末に眼の廻るほど忙しい。
家浮沈の問題たる前途の考えも、措《お》き難い目前の仕事に逐《お》われてはそのままになる。見舞の手紙見舞の人、一々応答するのも一仕事である。水の家にも一日に数回見廻ることもある。夜は疲労して座に堪えなくなる。朝起きては、身の内の各部に疼痛倦怠を覚え、その業に堪え難き思いがするものの、常よりも快美に進む食事を取りつつひとたび草鞋を踏みしめて起つならば、自分の四肢《しし》は凛《りん》として振動するのである。
肉体に勇気が満ちてくれば、前途を考える悲観の観念もいつしか屏息《へいそく》して、愉快に奮闘ができるのは妙である。八人の児女《じじょ》があるという痛切な観念が、常に肉体を興奮せしめ、その苦痛を忘れしめるのか。
あるいは鎌倉武士以来の関東武士の蛮性が、今なお自分の骨髄に遺伝してしかるものか。
破壊後の生活は、総《すべ》ての事が混乱している。思慮も考察も混乱している。精神の一張一緩ももとより混乱を免れない。
自分は一日大道を闊歩しつつ、突然として思い浮んだ。自分の反抗的奮闘の精力が、これだけ強堅《きょうけん》であるならば、一切《いっさい》迷うことはいらない。三人の若い者を一人減じ自分が二人だけの労働をすれば、何の苦労も心配もいらぬ事だ。今まで文芸などに遊んでおった身で、これが果してできるかと自問した。自分の心は無造作にできると明答した。文芸を三、四年間|放擲《ほうてき》してしまうのは、いささかの狐疑《こぎ》も要せぬ。
肉体を安んじて精神をくるしめるのがよいか。肉体をくるしめて精神を安んずるのがよいか。こう考えて来て自分は愉快でたまらなくなった。われ知らず問題は解決したと独語《どくご》した。
五
水が減ずるに従って、後の始末もついて行く。運び残した財物も少くないから、夜を守る考えも起った。物置の天井に一坪に足らぬ場所を発見してここに蒲団を展《の》べ、自分はそこに横たわって見た。これならば夜をここに寝られぬ事もないと思ったが、ここへ眠ってしまえば少しも夜の守りにはならないと気づいたから、夜は泊らぬことにしたけれど、水中の働きに疲れた体を横たえて休息するには都合がよかった。
人は境遇に支配されるものであるということだが、自分は僅かに一身《いっしん》を入るるに足る狭い所へ横臥して、ふと夢のような事を考えた。
その昔相許した二人が、一夜殊に情の高ぶるのを覚えてほとんど眠られなかった時、彼は嘆じていう。こういう風に互に心持よく円満に楽しいという事は、今後ひとたびといってもできないかも知れない、いっそ二人が今夜眠ったまま死んでしまったら、これに上越す幸福はないであろう。
真《しん》にそれに相違ない。このまま苦もなく死ぬことができれば満足であるけれど、神様がわれわれにそういう幸福を許してくれないかも知れない、と自分もしんから嘆息したのであった。
当時はただ一場の癡話として夢のごとき記憶に残ったのであるけれど、二十年後の今日それを極めて真面目《まじめ》に思い出したのはいかなる訳か。
考えて見ると果してその夜のごとき感情を繰返した事は無かった。年一年と苦労が多く、子供は続々とできてくる。年中あくせくとして歳月の廻るに支配されている外に何らの能事《のうじ》も無い。次々と来る小災害のふせぎ、人を弔《とぶら》い己れを悲しむ消極的|営《いとな》みは年として絶ゆることは無い。水害又水害。そうして遂に今度の大水害にこうして苦闘している。
二人が相擁《あいよう》して死を語った以後二十年、実に何の意義も無いではないか。苦しむのが人生であるとは、どんな哲学宗教にもいうてはなかろう。しかも実際の人生は苦しんでるのが常であるとはいかなる訳か。
五十に近い身で、少年少女|一夕《いっせき》の癡談を真面目に回顧している今の境遇で、これをどう考えたらば、ここに幸福の光を発見することができるであろうか。この自分の境遇にはどこにも幸福の光が無いとすれば、一少女の癡談は大哲学であるといわねばならぬ。人間は苦しむだけ苦しまねば死ぬ事もできないのかと思うのは考えて見るのも厭だ。
手伝いの人々がいつのまにか来て下に働いておった。屋根裏から顔を出して先生と呼ぶのは、水害以来毎日手伝いに来てくれる友人であった。
[#地から2字上げ](明治四十三年十一月)
底本:「野菊の墓」角川文庫、角川書店
1966(昭和41)年3月20日初版発行
1981(昭和56)年6月10日改版26刷発行
※「中《ちゅう》有」とあった底本のルビは、語句の成り立ちに照らして不適当であり、記号の付け間違いとの疑念も生じさせやすいと考え、「中有《ちゅうう》」とあらためました。
入力:大野晋
校正:松永正敏
2000年10月23日公開
2005年11月25日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
*地名
(※ 市町村名は、平成の大合併以前の表記のまま。- -----------------------------------
- 火事とポチ
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- 水害雑録
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- 横川 よこがわ、か → 大横川
- 大横川 おおよこがわ 東京都墨田区を流れる運河。東京都墨田区の業平橋付近で北十間川から分流し南へ流れる。竪川、小名木川、仙台堀川と交差し、横十間川を合わせる。江東区木場付近で西に流路を変え、大横川南川支川を分流し、平久川と交差する。江東区永代で大島川西支川を合わせ、その先で隅田川に合流する。/横川とも称した。
- 天神川 → 横十間川か
- 横十間川 よこじっけんがわ 東京都江東区を流れる運河であり、一級河川に指定されている。天神川や釜屋堀、横十間堀、横十間堀川ともよばれる。東京都江東区亀戸と墨田区業平の境界で北十間川から分かれ南へ流れる。ここから竪川が交差する点に至るまで、川の真ん中を墨田区と江東区の区境が走る。竪川を交差し、さらに小名木川と交差する。そこにはX字の小名木川クローバー橋が架かる。次に仙台堀川と交差した下流で西に流路を変え、江東区東陽で大横川に合流する。別名の天神川は、亀戸天神の横を流れることに由来する。
- 竪川 たてかわ 東京都墨田区及び江東区を流れる人工河川。江戸城に向かって縦(東西)に流れることからこの名称となった。旧中川と隅田川を東西に結ぶ運河。
- 四ツ目 よつめ 現、墨田区江東橋五丁目。もと、本所茅場町一丁目。
- 太平町 たいへいちょう 本所太平町か。
- 本所太平町 ほんじょ たいへいちょう 現、墨田区太平。
- 亀戸 かめいど 東京都江東区北東部の地区。
- 両国 りょうごく 東京都墨田区、両国橋の東西両畔の地名。隅田川が古くは武蔵・下総両国の国界であったための称。
- 回向院 えこういん 東京都墨田区両国にある浄土宗の寺。寺号は無縁寺。明暦の大火(1657年)の横死者を埋葬した無縁塚に開創。開山は増上寺の貴屋。1781年(天明1)以後境内に勧進相撲を興行したのが今日の大相撲の起源。
- 本所 ほんじょ 東京都墨田区の一地区。もと東京市35区の一つ。隅田川東岸の低地。商工業地域。
- 本所停車場
- 竪川の河岸通り
- 大島町 おおしまちょう 現、江東区永代二丁目。蛤町の南にある町屋。
◇参照:Wikipedia、
*書籍
(書名、雑誌名、論文名、能・狂言・謡曲などの作品名)- -----------------------------------
- 火事とポチ
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- 水害雑録
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- 『万葉集』 まんようしゅう (万世に伝わるべき集、また万(よろず)の葉すなわち歌の集の意とも)現存最古の歌集。20巻。仁徳天皇皇后作といわれる歌から淳仁天皇時代の歌(759年)まで、約350年間の長歌・短歌・旋頭歌・仏足石歌体歌・連歌合わせて約4500首、漢文の詩・書翰なども収録。編集は大伴家持の手を経たものと考えられる。東歌・防人歌なども含み、豊かな人間性にもとづき現実に即した感動を率直に表す調子の高い歌が多い。
◇参照:Wikipedia、
*難字、求めよ
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- 火事とポチ
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- ちがいだな 違い棚。2枚の棚板を左右から上下2段に食い違いに釣り、間に蝦束を入れた棚。天袋・池袋・地板を含めていう。床の間・書院などの脇に設ける。ちがえだな。
- 唖 おし 口がきけないこと。口のきけない人。先天的または後天的に聴覚および言語能力を欠く者(聾唖)をいう。聴くことができても発音できない者(聴唖)もまれにある。唖者。おうし。
- けんのん 険難・剣呑 (ケンナンの転という。
「剣呑」は当て字)あやういこと。あやぶむこと。 - 丹前 たんぜん (1) 厚く綿を入れた広袖風のもので、衣服の上におおうもの。
「丹前風」から起こるという。江戸に始まり京坂に流行した。主として京坂での名称。江戸で「どてら」と称するもの。 - -----------------------------------
- 水害雑録
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- 係累・繋累 けいるい (1) つなぎしばること。つながること。(2) 身心を拘束するわずらわしい物事。(3) 特に、自分が世話すべき両親・妻子・兄弟など。
- 一朝禍を踏む わざわいをふむ
- 禍害 かがい 災難。わざわい。
- 振作 しんさ/しんさく 勢いをふるいおこすこと。盛んにすること。振興。
- 秒時 びょうじ 一秒の間。瞬時。一瞬の間。
- 懊悩 おうのう なやみもだえること。また、そのさま。
- 立ちしか間 → たちしく
- たちしく 立ち重く 重なり立つ。
(広辞苑)/立頻。波などが次から次へと休みなく立つ。 - 中有 ちゅうう
〔仏〕四有の一つ。衆生が死んで次の生を受けるまでの間。期間は一念の間から7日あるいは不定ともいうが、日本では49日。この間、7日ごとに法事を行う。中陰。 - 安臥 あんが 楽な姿勢で寝ること。
- 晃々 こうこう 煌煌。きらきらひかるさま。ひかりかがやくさま。
- 安居 あんご
〔仏〕(梵語、雨・雨期の意)僧が一定期間遊行に出ないで、一カ所で修行すること。普通、陰暦4月16日に始まり7月15日に終わる。雨安居・夏安居・夏行・夏籠・夏断などという。禅宗では冬にも安居がある。 - 振蕩 しんとう (1) ふるい動く。
「蕩」はゆらゆらとうごかす。 (類)振動。(2) 非常に激しいさま。 - 遅疑 ちぎ 疑い迷ってためらうこと。ぐずぐずして決行しないこと。
- 高架鉄道 こうか てつどう 都会地などで、地上から高く支台を架設し、その上に敷設した鉄道。高架線。
- 悵恨 ちょうこん なげきうらむこと。
- 奔溢 ほんいつ
- 嗟嘆・嗟歎 さたん (1) なげくこと。嗟咨。
(2) 感心してほめること。嗟賞。 - 尻声 しりごえ (1) ことばの終り。ことばじり。(2) 名前の下に付ける言葉。
- 寥々 りょうりょう (1) ものさびしいさま。ひっそりしているさま。また、空虚なさま。寂寥。(2) 数の少ないさま。
- 悔恨 かいこん 後悔して残念に思うこと。
- 心安い こころやすい (1) 安心である。気がおけない。(2) 親しい間柄である。懇意である。(3) 容易である。簡単である。
- 困臥 こんが くたびれて横になること。
- 哀嘆 あいたん かなしみ嘆くこと。
- 埒 らち (ラツとも) (1) 馬場の周囲の柵。
- 超世 ちょうせ (チョウセイとも)世にすぐれ出ること。
- 解得 かいとく (明治初期の語)理解し体得すること。
- 余儀無い よぎない (1) 他にとるべき方法が無い。やむを得ない。(2) へだて心がない。他事ない。
- 妊孕 にんよう みごもること。妊娠。
- 屏息 へいそく (1) 息をころしてじっとしていること。(2) 転じて、恐れちぢまること。
- 一張一緩
- 大道 だいどう (2) (タイドウとも)人のふみ行うべき正しい道。根本の道徳。
- 放擲・抛擲 ほうてき ほうり出すこと。なげうつこと。なげすてること。うちすてること。
- 狐疑 こぎ (狐は疑い深い獣だといわれるところから)事に臨んで疑いためらうこと。
- 能事 のうじ なすべき事柄。
- 痴談
- 丹前 たんぜん (1) 厚く綿を入れた広袖風のもので、衣服の上におおうもの。
◇参照:Wikipedia、
*後記(工作員 日記)
PCモデムの接続金具が切断、ネット不通。作業には困らないが、アップができない。
それから、タブレット購入か、それともフレッツ光か。
『福島県の歴史散歩』
*次週予告
第四巻 第三八号 特集・安達が原の黒塚
安達が原 / 八幡太郎
安達が原の鬼婆々(他)喜田貞吉
安達が原の鬼婆々異考 中山太郎
第四巻 第三八号は、
二〇一二年四月一四日(土)発行予定です。
定価:200円
T-Time マガジン 週刊ミルクティー* 第四巻 第三七号
火事とポチ / 水害雑録 有島武郎・伊藤左千夫
発行:二〇一二年四月七日(土)
編集:しだひろし/PoorBook G3'99
http://www33.atwiki.jp/asterisk99/
出版:*99 出版
〒994-0024 山形県天童市鎌田2丁目1−21
アパートメント山口A−202
販売:DL-MARKET
※ T-Timeは(株)ボイジャーの商標・製品です。
- T-Time マガジン 週刊ミルクティー* *99 出版
- バックナンバー
※ おわびと訂正
長らく、創刊号と第一巻第六号の url 記述が誤っていたことに気がつきませんでした。アクセスを試みてくださったみなさま、申しわけありませんでした。(しょぼーん)/2012.3.2 しだ
- 第一巻
- 創刊号 竹取物語 和田万吉
- 第二号 竹取物語小論 島津久基(210円)
- 第三号 竹取物語の再検討(一)橘 純一(210円)
- 第四号 竹取物語の再検討(二)橘 純一(210円)
「絵合」 『源氏物語』より 紫式部・与謝野晶子(訳) - 第五号
『国文学の新考察』より 島津久基(210円)- 昔物語と歌物語 / 古代・中世の「作り物語」/
- 平安朝文学の弾力 / 散逸物語三つ
- 第六号 特集 コロボックル考 石器時代総論要領 / コロボックル北海道に住みしなるべし 坪井正五郎 マナイタのばけた話 小熊秀雄 親しく見聞したアイヌの生活 / 風に乗って来るコロポックル 宮本百合子
- 第七号 コロボックル風俗考(一〜三)坪井正五郎(210円)
- シペ物語 / カナメの跡 工藤梅次郎
- 第八号 コロボックル風俗考(四〜六)坪井正五郎(210円)
- 第九号 コロボックル風俗考(七〜十)坪井正五郎(210円)
- 第十号 特集 コロボックル考 喜田貞吉
- 日本太古の民族について / 日本民族概論 / 土蜘蛛種族論につきて
- 第十一号 特集 コロボックル考 喜田貞吉
- 東北民族研究序論 / 猪名部と佐伯部 / 吉野の国巣と国樔部
- 第十二号 日高見国の研究 喜田貞吉
- 第十三号 夷俘・俘囚の考 喜田貞吉
- 第十四号 東人考 喜田貞吉
- 第十五号 奥州における御館藤原氏 喜田貞吉
- 第十六号 考古学と古代史 喜田貞吉
- 第十七号 特集 考古学 喜田貞吉
- 遺物・遺蹟と歴史研究 / 日本における史前時代の歴史研究について / 奥羽北部の石器時代文化における古代シナ文化の影響について
- 第十八号 特集 考古学 喜田貞吉
- 日本石器時代の終末期について /「あばた」も「えくぼ」、
「えくぼ」も「あばた」― ―日本石器時代終末期― ― - 第十九号 特集 考古学 喜田貞吉
- 本邦における一種の古代文明 ―
―銅鐸に関する管見― ― / - 銅鐸民族研究の一断片
- 第二〇号 特集 考古学 喜田貞吉
「鐵」の字の古体と古代の文化 / 石上神宮の神宝七枝刀 / - 八坂瓊之曲玉考
- 第二一号 博物館(一)浜田青陵
- 第二二号 博物館(二)浜田青陵
- 第二三号 博物館(三)浜田青陵
- 第二四号 博物館(四)浜田青陵
- 第二五号 博物館(五)浜田青陵
- 第二六号 墨子(一)幸田露伴
- 第二七号 墨子(二)幸田露伴
- 第二八号 墨子(三)幸田露伴
- 第二九号 道教について(一)幸田露伴
- 第三〇号 道教について(二)幸田露伴
- 第三一号 道教について(三)幸田露伴
- 第三二号 光をかかぐる人々(一)徳永 直
- 第三三号 光をかかぐる人々(二)徳永 直
- 第三四号 東洋人の発明 桑原隲蔵
- 第三五号 堤中納言物語(一)池田亀鑑(訳)
- 第三六号 堤中納言物語(二)池田亀鑑(訳)
- 第三七号 堤中納言物語(三)池田亀鑑(訳)
- 第三八号 歌の話(一)折口信夫
- 第三九号 歌の話(二)折口信夫
- 第四〇号 歌の話(三)
・花の話 折口信夫- 第四一号 枕詞と序詞(一)福井久蔵
- 第四二号 枕詞と序詞(二)福井久蔵
- 第四三号 本朝変態葬礼史 / 死体と民俗 中山太郎
- 第四四号 特集 おっぱい接吻
- 乳房の室 / 女の情欲を笑う 小熊秀雄
- 女体 芥川龍之介
- 接吻 / 接吻の後 北原白秋
- 接吻 斎藤茂吉
- 第四五号 幕末志士の歌 森 繁夫
- 第四六号 特集 フィクション・サムライ 愛国歌小観 / 愛国百人一首に関連して / 愛国百人一首評釈 斎藤茂吉
- 第四七号
「侍」字訓義考 / 多賀祢考 安藤正次- 第四八号 幣束から旗さし物へ / ゴロツキの話 折口信夫
- 第四九号 平将門 幸田露伴
- 第五〇号 光をかかぐる人々(三)徳永 直
- 第五一号 光をかかぐる人々(四)徳永 直
- 第五二号
「印刷文化」について 徳永 直- 書籍の風俗 恩地孝四郎
- 第二巻
- 第一号 奇巌城(一)モーリス・ルブラン
- 第二号 奇巌城(二)モーリス・ルブラン
- 第三号 美し姫と怪獣 / 長ぐつをはいた猫 楠山正雄(訳)
- 第四号 毒と迷信 / 若水の話 / 麻薬・自殺・宗教 小酒井不木 / 折口信夫 / 坂口安吾
- 第五号 空襲警報 / 水の女 / 支流 海野十三 / 折口信夫 / 斎藤茂吉
- 第六号 新羅人の武士的精神について 池内 宏
- 第七号 新羅の花郎について 池内 宏
- 第八号 震災日誌 / 震災後記 喜田貞吉
- 第九号 セロ弾きのゴーシュ / なめとこ山の熊 宮沢賢治
- 第一〇号 風の又三郎 宮沢賢治
- 第一一号 能久親王事跡(一)森 林太郎
- 第一二号 能久親王事跡(二)森 林太郎
- 第一三号 能久親王事跡(三)森 林太郎
- 第一四号 能久親王事跡(四)森 林太郎
- 第一五号 能久親王事跡(五)森 林太郎
- 第一六号 【欠】
- 第一七号 赤毛連盟 コナン・ドイル
- 第一八号 ボヘミアの醜聞 コナン・ドイル
- 第一九号 グロリア・スコット号 コナン・ドイル
- 第二〇号 暗号舞踏人の謎 コナン・ドイル
- 第二一号 蝦夷とコロボックルとの異同を論ず 喜田貞吉
- 第二二号 コロポックル説の誤謬を論ず 上・下 河野常吉
- 第二三号 慶長年間の朝日連峰通路について 佐藤栄太
- 第二四号 まれびとの歴史 /「とこよ」と「まれびと」と 折口信夫
- 第二五号 払田柵跡について二、三の考察 / 山形県本楯発見の柵跡について 喜田貞吉
- 第二六号 日本天変地異記 田中貢太郎
- 第二七号 種山ヶ原 / イギリス海岸 宮沢賢治
- 第二八号 翁の発生 / 鬼の話 折口信夫
- 第二九号 生物の歴史(一)石川千代松
- 第三〇号 生物の歴史(二)石川千代松
- 第三一号 生物の歴史(三)石川千代松
- 第三二号 生物の歴史(四)石川千代松
- 第三三号 特集 ひなまつり
- 雛 芥川龍之介 / 雛がたり 泉鏡花 / ひなまつりの話 折口信夫
- 第三四号 特集 ひなまつり
- 人形の話 / 偶人信仰の民俗化並びに伝説化せる道 折口信夫
- 第三五号 右大臣実朝(一)太宰 治
- 第三六号 右大臣実朝(二)太宰 治
- 第三七号 右大臣実朝(三)太宰 治
- 第三八号 清河八郎(一)大川周明
- 第三九号 清河八郎(二)大川周明
- 第四〇号 清河八郎(三)大川周明
- 第四一号 清河八郎(四)大川周明
- 第四二号 清河八郎(五)大川周明
- 第四三号 清河八郎(六)大川周明
- 第四四号 道鏡皇胤論について 喜田貞吉
- 第四五号 火葬と大蔵 / 人身御供と人柱 喜田貞吉
- 第四六号 手長と足長 / くぐつ名義考 喜田貞吉
- 第四七号
「日本民族」とは何ぞや / 本州における蝦夷の末路 喜田貞吉- 第四八号 若草物語(一)L.M. オルコット
- 第四九号 若草物語(二)L.M. オルコット
- 第五〇号 若草物語(三)L.M. オルコット
- 第五一号 若草物語(四)L.M. オルコット
- 第五二号 若草物語(五)L.M. オルコット
- 第五三号 二人の女歌人 / 東北の家 片山広子
- 第三巻
- 第一号 星と空の話(一)山本一清
- 第二号 星と空の話(二)山本一清
- 第三号 星と空の話(三)山本一清
- 第四号 獅子舞雑考 / 穀神としての牛に関する民俗 中山太郎
- 第五号 鹿踊りのはじまり 宮沢賢治 / 奥羽地方のシシ踊りと鹿供養 喜田貞吉
- 第六号 魏志倭人伝 / 後漢書倭伝 / 宋書倭国伝 / 隋書倭国伝
- 第七号 卑弥呼考(一)内藤湖南
- 第八号 卑弥呼考(二)内藤湖南
- 第九号 卑弥呼考(三)内藤湖南
- 第一〇号 最古日本の女性生活の根底 / 稲むらの陰にて 折口信夫
- 第一一号 瀬戸内海の潮と潮流(他三編)寺田寅彦
- 瀬戸内海の潮と潮流 / コーヒー哲学序説 /
- 神話と地球物理学 / ウジの効用
- 第一二号 日本人の自然観 / 天文と俳句 寺田寅彦
- 第一三号 倭女王卑弥呼考(一)白鳥庫吉
- 第一四号 倭女王卑弥呼考(二)白鳥庫吉
- 第一五号 倭奴国および邪馬台国に関する誤解 他 喜田貞吉
- 倭奴国と倭面土国および倭国とについて稲葉君の反問に答う /
- 倭奴国および邪馬台国に関する誤解
- 第一六号 初雪 モーパッサン 秋田 滋(訳)
- 第一七号 高山の雪 小島烏水
- 第一八号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(一)徳永 直
- 第一九号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(二)徳永 直
- 第二〇号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(三)徳永 直
- 第二一号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(四)徳永 直
- 第二二号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(五)徳永 直
- 第二三号 銀河鉄道の夜(一)宮沢賢治
- 第二四号 銀河鉄道の夜(二)宮沢賢治
- 第二五号 ドングリと山猫 / 雪渡り 宮沢賢治
- 第二六号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(六)徳永 直
- 第二七号 特集 黒川能・春日若宮御祭 折口信夫
- 黒川能・観点の置き所 / 村で見た黒川能
- 能舞台の解説 / 春日若宮御祭の研究
- 第二八号 面とペルソナ/人物埴輪の眼 他 和辻哲郎
- 面とペルソナ / 文楽座の人形芝居
- 能面の様式 / 人物埴輪の眼
- 第二九号 火山の話 今村明恒
- 第三〇号 現代語訳『古事記』
(一)前巻(前編) 武田祐吉(訳)- 第三一号 現代語訳『古事記』
(二)前巻(後編) 武田祐吉(訳)- 第三二号 現代語訳『古事記』
(三)中巻(前編) 武田祐吉(訳)- 第三三号 現代語訳『古事記』
(四)中巻(後編) 武田祐吉(訳)- 第三四号 山椒大夫 森 鴎外
- 第三五号 地震の話(一)今村明恒
- 第三六号 地震の話(二)今村明恒
- 第三七号 津波と人間 / 天災と国防 / 災難雑考 寺田寅彦
- 第三八号 春雪の出羽路の三日 喜田貞吉
- 第三九号 キュリー夫人 / はるかな道(他)宮本百合子
- 第四〇号 大正十二年九月一日…… / 私の覚え書 宮本百合子
- 第四一号 グスコーブドリの伝記 宮沢賢治
- 第四二号 ラジウムの雁 / シグナルとシグナレス(他)宮沢賢治
- 第四三号 智恵子抄(一)高村光太郎
- 第四四号 智恵子抄(二)高村光太郎
- 第四五号 ヴェスヴィオ山 / 日本大地震(他)斎藤茂吉
- 第四六号 上代肉食考 / 青屋考 喜田貞吉
- 第四七号 地震雑感 / 静岡地震被害見学記(他)寺田寅彦
- 第四八号 自然現象の予報 / 火山の名について 寺田寅彦
- 第四九号 地震の国(一)今村明恒
- 第五〇号 地震の国(二)今村明恒
- 第五一号 現代語訳『古事記』
(五)下巻(前編) 武田祐吉(訳)- 第五二号 現代語訳『古事記』
(六)下巻(後編) 武田祐吉(訳)
- 第四巻
- 第一号 日本昔話集 沖縄編(一)伊波普猷・前川千帆(絵)
- 第二号 日本昔話集 沖縄編(二)伊波普猷
- 第三号 アインシュタイン(一)寺田寅彦
- 物質とエネルギー / 科学上における権威の価値と弊害 /
- アインシュタインの教育観
- 第四号 アインシュタイン(二)寺田寅彦
- アインシュタイン / 相対性原理側面観
- 第五号 作家のみた科学者の文学的活動 / 科学の常識のため 宮本百合子
- 第六号 地震の国(三)今村明恒
- 第七号 地震の国(四)今村明恒
- 第八号 地震の国(五)今村明恒
- 第九号 地震の国(六)今村明恒
- 第一〇号 土神と狐 / フランドン農学校の豚 宮沢賢治
- 第一一号 地震学の角度から見た城輪柵趾 今村明恒
- 第一二号 庄内と日高見(一)喜田貞吉
- 第一三号 庄内と日高見(二)喜田貞吉
- 第一四号 庄内と日高見(三)喜田貞吉
- 第一五号 私は海をだきしめてゐたい / 安吾巷談・ストリップ罵倒 坂口安吾
- 第一六号 三筋町界隈 / 孫 斎藤茂吉
- 第一七号 原子力の管理(他)仁科芳雄
- 原子力の管理 / 日本再建と科学 / 国民の人格向上と科学技術 /
- ユネスコと科学
- 第一八号 J・J・トムソン伝(他)長岡半太郎
- J・J・トムソン伝 / アインシュタイン博士のこと
- 第一九号 原子核探求の思い出(他)長岡半太郎
- 総合研究の必要 / 基礎研究とその応用 / 原子核探求の思い出
- 第二〇号 蒲生氏郷(一)幸田露伴
- 第二一号 蒲生氏郷(二)幸田露伴
- 第二二号 蒲生氏郷(三)幸田露伴
- 第二三号 科学の不思議(一)アンリ・ファーブル
- 第二四号 科学の不思議(二)アンリ・ファーブル
- 第二五号 ラザフォード卿を憶う(他)長岡半太郎
- ラザフォード卿を憶う / ノーベル小伝とノーベル賞 / 湯川博士の受賞を祝す
- 第二六号 追遠記 / わたしの子ども時分 伊波普猷
- 第二七号 ユタの歴史的研究 伊波普猷
- 第二八号 科学の不思議(三)アンリ・ファーブル
- 第二九号 南島の黥 / 琉球女人の被服 伊波普猷
- 第三〇号
『古事記』解説 / 上代人の民族信仰 武田祐吉・宇野円空
- 第三一号 科学の不思議(四)アンリ・ファーブル
- 大杉栄、伊藤野枝(訳)
- 二八 猟(りょう)
- 二九 毒虫
- 三〇 毒
- 三一 マムシとサソリ
- 三二 イラクサ
- 三三 行列虫
- 三四 嵐(あらし)
- 三五 電気
- 三六 ネコの実験
- 「さて、ここにその空気よりはもっとかくれた、もっと眼に見えない、もっと見あらわしにくいものがある。それはどこにもある。かならずどこにもある。わたしたちの体の中にさえある。だがそれは、お前たちが自分がそれを持っていることに今もまだ決して気がつかないくらいに、静かにしているのだ。
(略) 」 - 「お前たちだけで一日じゅうさがしても、一年じゅうさがしても、たぶん一生かかっても、それはムダだろう。お前たちには見つけ出すことはできまい。そのわたしの話している物は、別段によく隠れている。学者たちは、それについてのいろんなことを知るために、非常にめんどうな研究をした。わたしたちは、その学者たちがわたしたちに教えてくれた方法をもちいて、手軽にそれを引っぱり出してみよう。
」 - ポールおじさんは、机から封蝋(ふうろう)の棒を取って、それを上着のそでで手早くこすりました。それからそれを、小さな紙きれに近づけました。子どもたちはそれを見つめています。見ると、その紙は舞いあがって封蝋の棒にくっつきました。その実験を、いくどもくりかえしました。そのたびに紙きれは、ひとりで舞い上がって棒にくっつきます。
- 「
(略)この見えないものを、電気というのだ。ガラスのかけらや、硫黄、樹脂、封蝋などの棒を着物にこすりつけて、それで電気をおこすことはお前たちにもたやすくできることだ。それらの物は摩擦をすると、小さな藁(わら)きれや紙のきれっぱしや、ほこりのような軽いものを引きつけるもちまえを出すのだ。もし、うまいぐあいにゆけば、今夜、ネコがそのことについて、もっとよくわたしたちに教えてくれるだろう。 」
- 第三二号 科学の不思議(五)アンリ・ファーブル
- 大杉栄、伊藤野枝(訳)
- 三七 紙の実験
- 三八 フランクリンとド・ロマ
- 三九 雷(かみなり)と避雷針
- 四〇 雲(くも)
- 四一 音の速度
- 四二 水差(みずさ)しの実験
- 四三 雨
- 四四 噴火山
- 四五 カターニア
- 「もし、噴火山の近所に町があったら、その火の河はそこへ流れこんでこないでしょうか? そして灰の雲がその町をうめてしまいやしないでしょうか?」とジュールが聞きました。
- 「不幸にしてそんなこともありえる。そしてまた、実際ありもした。
(略) 」 - 「そうだ。今から二〇〇年ほどむかしのこと、シチリアに歴史上もっとも激しい大噴火がおこった。激しい暴風雨(あらし)があった後で、たくさんの馬が一時にドッとたおれるような強い地震が夜じゅうつづいた。木は葦が風になびくようになぎ倒され、人はたおれる家の下におしつぶされないように気狂いのように野原へ逃げようとしたが、ふるえる地上に足場を失って、つまずき倒れた。ちょうどそのとき、エトナは爆発して四里ほどの長さに裂けて、この割れ目に沿うてたくさんの噴火口ができ、爆発のおそろしい響きともろともに、黒煙と焼け砂とを雲のように吐き出した。やがて、この噴火口の七つが、一つの深い淵のようになって、それが四か月間雷鳴したり、うなったり、燃えかすや溶岩を噴き出した。
(略) 」 - 「そのうちに溶岩の河は山のすべての裂け目から流れ出して、家や森や作物をほろぼしながら平原のほうへ流れて行った。この噴火山から数里離れた海岸に、じょうぶな壁にとりかこまれたカターニアという大きな町があった。火の河はとうとう数か村を飲みつくして、カターニアの壁の前まできた。そしてその近郊にひろがって行った。
(略) 」 - 第三三号 厄年と etc. / 断水の日 / 塵埃と光 寺田寅彦
- 翌日も水道はよく出なかった。そして新聞を見ると、このあいだできあがったばかりの銀座通りの木レンガが雨で浮き上がって破損したという記事が出ていた。多くの新聞はこれと断水とをいっしょにして、市当局の責任を問うような口調をもらしていた。わたしはそれらの記事をもっともと思うと同時に、また当局者の心持ちも思ってみた。
- 水道にせよ木レンガにせよ、つまりはそういう構造物の科学的研究がもう少し根本的に行きとどいていて、あらゆる可能な障害に対する予防や注意が明白にわかっていて、そして材料の質やその構造の弱点などに関する段階的・系統的の検定を経たうえでなければ、だれも容認しないことになっていたのならば、おそらくこれほどの事はあるまいと思われる。
- 長い使用にたえない間にあわせの器物が市場にはびこり、安全に対する科学的保証のついていない公共構造物がいたるところに存在するとすれば、その責めを負うべきものはかならずしも製造者や当局者ばかりではない。 (
「断水の日」より) - 火山から噴出した微塵が、高い気層に吹き上げられて高層に不断に吹いている風に乗っておどろくべき遠距離に散布されることは珍しくない。クラカトア火山の爆破のときに飛ばされた塵は、世界中の各所に異常な夕陽の色を現わし、あるいは深夜の空にうかぶ銀白色の雲を生じ、あるいはビショップ環と称する光環を太陽の周囲に生じたりした。近ごろの研究によると火山の微塵は、あきらかに広区域にわたる太陽の光熱の供給を減じ、気温の降下をひきおこすということである。これに連関して飢饉と噴火の関係を考えた学者さえある。 (
「塵埃と光」より) - 第三四号 石油ランプ / 流言蜚語 / 時事雑感 寺田寅彦
- 肝心の石油ランプはなかなか見つからなかった。粗末なのでよければ田舎へ行けばあるだろうとおもっていたが、いよいよあたってみると、都に近い田舎で電灯のないところは、いまどきもうどこにもなかった。したがってそういうさびしい村の雑貨店でも、神田本郷の店屋とまったく同様な反応しか得られなかった。
- だんだんに意外と当惑の心持ちが増すにつれてわたしは、東京というところは案外に不便なところだという気がしてきた。
- もし万一の自然の災害か、あるいは人間の故障、たとえば同盟罷業やなにかのために、電流の供給が中絶するようなばあいがおこったらどうだろうという気もした。そういうことは非常にまれな事とも思われなかった。一晩くらいならロウソクで間にあわせるにしても、もし数日も続いたらだれもランプが欲しくなりはしないだろうか。
- これに限らず一体にわれわれは、平生あまりに現在の脆弱な文明的設備に信頼しすぎているような気がする。たまに地震のために水道が止まったり、暴風のために電流やガスの供給が絶たれて狼狽することはあっても、しばらくすれば忘れてしまう。そうしてもっとはなはだしい、もっと長続きのする断水や停電の可能性がいつでも目前にあることは考えない。
- 人間はいつ死ぬかわからぬように、器械はいつ故障がおこるかわからない。ことに日本でできた品物にはごまかしが多いからなおさらである。 (
「石油ランプ」より) - 第三五号 火事教育 / 函館の大火について 寺田寅彦
- しかし、このような〔火災〕訓練が実際上、現在のこの東京市民にいかに困難であろうかということは、試みにラッシュアワーの電車の乗降に際する現象を注意して見ていても、ただちに理解されるであろう。東京市民は、骨を折っておたがいに電車の乗降をわざわざ困難にし、したがって乗降の時間をわざわざ延長させ、車の発着を不規則にし、各自の損失を増すことに全力をそそいでいるように見える。もし、これと同じ要領でデパート火事の階段にのぞむものとすれば、階段は瞬時に、生きた人間の「栓」で閉塞されるであろう。そうしてその結果は、世にも目ざましき大量殺人事件となって世界の耳目を聳動するであろうことは、まことに火を見るよりもあきらかである。 (
「火事教育」より) - (略)そうして、この根本原因の存続するかぎりは、将来いつなんどきでも適当な必要条件が具足しさえすれば、東京でもどこでも今回の函館以上の大火を生ずることは決して不可能ではないのである。そういう場合、いかに常時の小火災に対する消防設備が完成していても、なんの役にも立つはずはない。それどころか、五分、一〇分以内に消し止める設備が完成すればするほど、万一の異常の条件によって生じた大火に対する研究はかえって忘れられる傾向がある。火事にもかぎらず、これで安心と思うときにすべての禍(わざわ)いの種が生まれるのである。 (
「函館の大火について」より) - 第三六号 火事教育 / 函館の大火について 寺田寅彦
- このように、台風は大陸と日本との間隔を引きはなし、この帝国をわだつみの彼方の安全地帯に保存するような役目をつとめていたように見える。しかし、逆説的に聞こえるかもしれないが、その同じ台風はまた、思いもかけない遠い国土と日本とを結びつける役目をつとめたかもしれない。というのは、この台風のおかげで南洋方面や日本海の対岸あたりから意外な珍客が珍奇な文化をもたらして漂着したことがしばしばあったらしいということが、歴史の記録から想像されるからである。ことによると日本の歴史以前の諸先住民族の中には、そうした漂流者の群れが存外多かったかもしれないのである。
(略) - 昔は「地を相する」という術があったが、明治・大正の間にこの術が見失われてしまったようである。台風もなければ烈震もない西欧の文明を継承することによって、同時に、台風も地震も消失するかのような錯覚にとらわれたのではないかと思われるくらいに、きれいに台風と地震に対する「相地術」を忘れてしまったのである。 (
「台風雑俎」より) - 無事な日の続いているうちに突然におこった著しい変化をじゅうぶんにリアライズするには、存外手数がかかる。この日は二科会を見てから日本橋あたりへ出て昼飯を食うつもりで出かけたのであったが、あの地震を体験し、下谷の方から吹き上げてくる土ほこりのにおいを嗅いで大火を予想し、東照宮の石灯籠のあの象棋倒しを眼前に見ても、それでもまだ昼飯のプログラムは帳消しにならずそのままになっていた。しかし弁天社務所の倒壊を見たとき、初めてこれはいけないと思った。そうしてはじめてわが家のことがすこし気がかりになってきた。
- 弁天の前に電車が一台停まったまま動きそうもない。車掌に聞いても、いつ動き出すかわからないという。後から考えるとこんなことを聞くのがいかな非常識であったかがよくわかるのであるが、その当時、自分と同様の質問を車掌に持ち出した市民の数は万をもって数えられるであろう。 (
「震災日記より」)
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