寺田寅彦 てらだ とらひこ
1878-1935(明治11.11.28-昭和10.12.31)
物理学者・随筆家。東京生れ。高知県人。東大教授。地球物理学を専攻。夏目漱石の門下、筆名は吉村冬彦。随筆・俳句に巧みで、藪柑子と号した。著「冬彦集」「藪柑子集」など。
◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店)。写真は、Wikipedia 「ファイル:Terada_Torahiko.jpg」より。
もくじ
火事教育 / 函館の大火について 寺田寅彦
*ミルクティー*現代表記版
火事教育
函館の大火について
*オリジナル版
火事教育
函館の大火について
*
地名 ・
年表 ・
人物一覧 ・
書籍
*
難字、求めよ
*
後記 ・ 次週予告
※ 製作環境
・Macintosh iBook、Mac OS 9.2.2、T-Time 2.3.1
・ ポメラ DM100、ソーラーパネル NOMAD 7
※ 週刊ミルクティー*は、JIS X 0213 文字を使用しています。
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*凡例
- ( ):小書き。〈 〉:割り注。
- 〔 〕:編者もしくは、しだによる注。
- 一、漢字、かなづかい、漢字の送りは現代表記に改めました。
- 例、云う → いう / 言う
- 処 → ところ / 所
- 有つ → 持つ
- 這入る → 入る
- 円く → 丸く
- 一、同音異義の一部のひらがなを、便宜、漢字に改めました。
- 例、いって → 行って / 言って
- きいた → 聞いた / 効いた
- 一、若干の句読点を改めました。適宜、ルビや中黒や感嘆・疑問符をおぎないました。一部、改行と行頭の字下げを改めました。
- 一、漢数字の表記を一部、改めました。
- 例、七百二戸 → 七〇二戸
- 例、二萬六千十一 → 二万六〇一一
- 一、ひらがなに傍点は、一部カタカナに改めました。
- 一、カタカナ漢字混用文は、ひらがな漢字混用文に改めました。
- 一、和暦にはカッコ書きで西暦をおぎないました。年次のみのばあいは単純な置き換えにとどめ、月日のわかるばあいには陰暦・陽暦の補正をおこないました。
- 一、「今から○○年前」のような経過年数の表記は改めず、底本のままにしました。
- 一、書名・雑誌名は『 』、論文名・記事名および会話文は「 」で示しました。
- 一、差別的表現・好ましくない表現はそのままとしました。
火事教育
底本:「寺田寅彦随筆集 第四巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
1948(昭和23)年5月15日第1刷発行
1963(昭和38)年5月16日第20刷改版発行
1997(平成9)年6月13日第65刷発行
http://www.aozora.gr.jp/cards/000042/card2476.html
函館の大火について
底本:「寺田寅彦随筆集 第四巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
1948(昭和23)年5月15日第1刷発行
1963(昭和38)年5月16日第20刷改版発行
1997(平成9)年6月13日第65刷発行
http://www.aozora.gr.jp/cards/000042/card2493.html
NDC 分類:914(日本文学 / 評論.エッセイ.随筆)
http://yozora.kazumi386.org/9/1/ndc914.html
火事教育
寺田寅彦
旧臘〔一九三二年十二月。〕押しつまっての白木屋の火事は、日本の火災史にちょっと類例のない新記録を残した。犠牲は大きかったが、この災厄が東京市民にあたえた教訓もまたはなはだ貴重なものである。しかしせっかくの教訓も肝心な市民の耳に入らず、また、心にしみなければあれだけの犠牲はまったくなんの役にも立たずに煙になってしまったことになるであろう。今度の火災については消防方面の当局者はもちろん、建築家、百貨店経営者など直接利害を感ずる人々の側ではすぐに徹底的の調査研究に着手して、とりあえず災害予防方法を講究しておられるようであるが、なによりもいちばんだいじと思われる市民の火災訓練のほうがいかなる方法によってどれだけの程度にできるであろうかという問題については、ほとんどだれにも見当さえつかないように見える。
白木屋の火事のばあいにおける消防当局の措置は、あの場合としては、事情の許す範囲内で最善をつくされたもののように見える。それが事件の直前に、ちょうどこの百貨店で火災時の消防予行演習がおこなわれていたためもあっていっそうの効力を発揮したようであるが、あのさい、もしもあの建物の中で遭難した人らに、もうすこし火災に関する一般的科学知識が普及しており、そうして避難方法に関する平素の訓練がもうすこし行き届いていたならば、少なくも死傷者の数を実際あったよりも著しく減ずることができたであろうということは、だれしも異論のないことであろうと思われる。そうしてまたじつに驚くべく非科学的なる市民、逆上したる街頭の市民傍観者のある者が、物理学も生理学もいっさい無視した五階飛び降りを激励するようなことがなかったら、あたら美しい青春の花のつぼみを舗道の石畳に散らすような惨事もなくてすんだであろう。このようにして、白昼帝都のまんなかで衆人環視の中におこなわれた殺人事件は、不思議にも司直の追求を受けず、また市人の何人もこれをとがむることなしにそのままに忘却の闇に葬られてしまった。じつに不可解な現象といわなければなるまい。
それはとにかく、じつに幸いなことには、事件の発生時刻が朝の開場まぎわであったために、入場顧客が少なかったからこそ、まだあれだけの災害ですんだのであるが、あれがもしや昼食時前後の混雑のばあいでもあったとしたら、おそらく死傷の数は十数倍ではたりず、ことによると数千の犠牲者を出したであろうと想像させるだけの根拠はある。考えてもゾッとする話である。しかしそういう場合であっても、もしも入場していた市民がそのような危急のばあいに対する充分な知識と訓練を持ちあわせていて、そうして、かねてから訓練を積んだ責任ある指揮者の指揮にしたがって合理的・統整的行動を取ることができれば、たとえ二万人、三万人の群集があっても立派に無事に避難することが可能であるということは、簡単な数理からでも割り出されることであると思う。火の伝播がいかに迅速であるとしても、発火と同時に全館に警鈴が鳴りわたり、かねてから手ぐすねひいている火災係が各自の部署につき、良好な有力な拡声機によって安全なる避難路が指示され、群集はおちつきはらってその号令に耳をすまして静かに行動をおこし、そうして階段通路をその幅員尺度に応じて二列、三列あるいは五列などの隊伍を乱すことなく、また一定度以上の歩調を越すことなく軍隊的に進行すれば、みごとに引き上げられるはずである。そのはずでなければならないのである。
しかし、このできるはずのことがなかなか容易にできないのは、多くのばあいに群集が周章狼狽するためであって、その周章狼狽は畢竟、火災の伝播に関する科学的知識の欠乏からくるのであろう。火がおよそ、いかなる速度でいかなる方向に燃えひろがる傾向があるか、煙がどういうぐあいに這って行くものか、火災がどのくらいの距離にせまれば危険であるか、木造とコンクリートとで燃え方がどうちがうか、そういうことに関する漠然たる概念でもよいから、一度確実に腹の底におちつけておけば、おどろくにはおどろいても、決して極度の狼狽から知らず知らずとりかえしのつかぬ自殺的行動に突進するようなことはなくてすむわけである。同時にまた消防当局の提供する避難機関に対するひととおりの予備知識と、その知識から当然生まれるはずの信頼とをもっておりさえすれば、たとい女子どもでも、そうあわてなくてすむわけである。
しかし、このような訓練が実際上、現在のこの東京市民にいかに困難であろうかということは、試みにラッシュアワーの電車の乗降に際する現象を注意して見ていても、ただちに理解されるであろう。東京市民は、骨を折っておたがいに電車の乗降をわざわざ困難にし、したがって乗降の時間をわざわざ延長させ、車の発着を不規則にし、各自の損失を増すことに全力をそそいでいるように見える。もし、これと同じ要領でデパート火事の階段にのぞむものとすれば、階段は瞬時に、生きた人間の「栓」で閉塞されるであろう。そうしてその結果は、世にも目ざましき大量殺人事件となって世界の耳口を聳動するであろうことは、まことに火を見るよりもあきらかである。このような実例の小規模なものは従来、小さな映画館の火事のばあいに記録されている。しかし人数の桁数のちがうデパートであったら、はたしてどうであろう。
これに処する根本的対策としては、小学校教育ならびに家庭教育において児童の感受性ゆたかなる頭脳に、鮮明なる、しかも持続性ある印象として火災に関する最重要な心得の一般を固定させるよりほかに道はないように思われる。
現在の小学校教育の教程中に、火災のことがどれだけの程度にとりあつかわれているかということについては、自分はまだまったく何も知らない。しかしどれほど立派な教程があっても、それの効果が今日われわれの眼前にあまり明白に現われていないことだけは、たしかな事実であると思われる。
火事は人工的災害であって、地震や雷のような天然現象ではないという簡単明瞭な事実すら、はっきり認識されていない。火事の災害のおこる確率は、失火の確率と、それが一定時間内に発見され通報される確率によって決定されるということも明白に認められていない。火事のために日本の国が年々、幾億円を費やして灰と煙を製造しているかということを知る政府の役人も少ない。火事が科学的研究の対象であるということを考えてみる学者もまれである。
話は変わるが、先日、銀座伊東屋の六階に開催されたソビエトロシア印刷芸術展覧会というのをのぞいて見た。かの国の有名な画廊にある名画の複製や、『アラビアン・ナイト』と『デカメロン』の豪華版や、愛書家のよだれを流しそうな、芸術のための芸術と思われる書物が並んでいて、これにはちょっと意外な感じもした。そのほかに、なかなか美しい人形や小箱なども陳列してあったが、いちばん自分の注意をひいたのは、児童教育のために編纂された各種の安直な絵本であった。残念ながらわが国の書店やデパート書籍部にならんでいるあの職人仕立ての児童用絵本などとはとうてい比較にも何もならないほど、芸術味の豊富なデザインを示したものがいろいろあって、子どもばかりか、むしろおとなの好事家を喜ばすに充分なものが多数にあった。その中に、「火事」という見出しで、表紙も入れてたった十二ページの本が見つかったので、これはおもしろいと思って試みに買ってきた。絵もなかなかおもしろいが、絵とチャンポンに印刷されたテキストがわれわれが読んでさえ非常に口調のいいと思われる韻文になっていて、おそらく、ロシアの子どもなら、ひとりでに歌わないではいられなくなるであろうと思われるものである。簡単に内容を紹介すると、まずその第一ページは、消防署で日夜火の手を見張っている様子を歌ってある。第二ページは、おかあさんの留守に幼少な娘のリエナが禁を犯してペチカのふたをあけ、はね出した火がそれからそれと燃え移って火事になる光景。第三ページは、近所が騒ぎだし、家財を持ち出す場面、さすがにサモワール〔ロシアの湯沸し器。〕を持ち出すのを忘れていない。第四ページは、消防隊のくり出す威勢のいいシーン。つぎは消防作業で、ポンプはほとばしり消防夫は屋根に上がる。おかしいのはポンプが手押しの小さなものである。つぎは二人の消防夫が屋根から墜落。勇敢なクジマ、今までに四〇人の生命を助け、一〇回も屋根からころがり落ちた札つきのクジマのおやじが、屋根裏の窓から一匹のかわいい三毛の子ネコを助け出す。そのつぎは、クジマがポケットへ子ネコをねじこんだままで、今にも焼け落ちんばかりの屋根の上の奮闘。子ネコがかくし〔ポケット。〕から首と前足を出して見物しているのが愉快である。そのつぎは、火事のほうがとうとう降参して「ごめんください、クジマさん」とあやまる。クジマが「今後は、ペチカとランプとロウソク以外に飛び出してはいけないぞ」と命令する場面で、ページの下半には、ランプとロウソクのクローズアップ。つぎのページには、リエナが戸外のベンチで泣いているところへクジマが子ネコの襟首をつかんで頭上高くさしあげながらやってくる。「ぼうや。泣くんじゃないよ。お家は新しく建ててやる。子ネコも無事だよ。そら、かわいがっておやり」という一編のクライマックスがあって、さて最後には、消防隊がひきあげる光景。クジマの顔には焼けど、額には血、目のふちは黒くなって、そうして平気で揚々と引き上げて行くところで「おしまい」である。
紙芝居にしても悪くはなさそうである。それはとにかく、これだけの小さな小さな「火事教育」でも、これだけの程度にでもちゃんとしたものが、わが国の本屋の店頭にあるかどうか、もし見つかったかたがあったらどうか、ごめんどうでもちょっとお知らせを願いたい。
ついでながら見本として、この絵本の第一ページの文句だけを紹介する。発音は自己流でいいかげんのものであるが、およその体裁だけはわかるであろう。
フ、プロースチャデイ、バザールノイ
ナ、カランチェー、パジャールノイ
クルーグルイ、スートキ
ダゾールヌイ、ウ、ブードキ
スマトリート、ワクルーグ
ナ、シェビェール
ナ、ユーグ
ナ、ザーパド
ナ、ウォストク
ニェ、ウィディエイ、リ、ドゥイモーク、
右の訳。これもいいかげんである。
市場の辻の
消防屯所
夜でも昼でも
火の見で見張り
グルグル見まわる
北は………
南は………
西は………
東は………
どっかに煙は、さて見えないか。
わが国の教育家・画家・詩人ならびに出版業者が、ともかくもこの粗末な絵本を参考のために一見して、そうしてわが国児童のために、ほんの些細の労力を貢献して、若干の火事教育の絵本を提供されることを切望するしだいである。そうすれば、この赤露の絵本などよりは数等すぐれた、もっと科学的に有効適切で、もっと芸術的にも立派なものができるであろうと思われる。そういう仕事は、決して一流の芸術家をはずかしめるものではあるまいと信ずるのである。科学国の文化への貢献という立場からみれば、むしろ、このほうが帝展で金牌をもらうよりも、もっともっとはるかに重大な使命であるかもしれないのである。
(昭和八年(一九三三)一月)
底本:「寺田寅彦随筆集 第四巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
1948(昭和23)年5月15日第1刷発行
1963(昭和38)年5月16日第20刷改版発行
1997(平成9)年6月13日第65刷発行
入力:(株)モモ
校正:かとうかおり
2003年7月6日作成
青空文庫作成ファイル:
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