ペンネンノルデはいまはいないよ
太陽にできた黒いトゲをとりに行ったよ
宮沢賢治一、ペンネンノルデが七つの歳 に、太陽 にたくさんの黒いトゲができた。赤、黒いトゲ、父赤い眼 、ばくち。
二、ノルデはそれからまた十二年、森 のなかで昆布 とりをした。
三、ノルデは、書記 になろうと思ってモネラの町へ出かけて行った。氷 シダの汽車 、恋人 、アルネ。
四、フウケーボー大博士 は、あくびといっしょにノルデの筆記帳 をスポリと飲 み込 んでしまった。
五、噴火 を海へ向 けるのは、なかなか容易 なことでない。
バケモノ丁場 、おかしなナラの影 、岩頸 問答 、大博士発明 のメガネ。
六、さすがのフウケーボー大博士 も命 からがら逃 げ出した。
恐竜 、化石 の向こうから。
大博士 に疑問 をいだく。噴火係 の職 をはがれ、その火山灰 の土壌 を耕 す。部下 みな従 う。
七、ノルデは頭からすっかり灰 をかぶってしまった。
サンムトリの噴火 。ノルデ海岸 で疲 れてねむる。ナスタ、現 わる。夢 のなかで歌 う。
八、ノルデは、野原 にいくつも茶 いろなトランプのカードをこしらえた。
ノルデ、奮起 す。水の不足 。
九、ノルデがこさえたトランプのカードを、みんなは春は桃 いろに、夏は青くした。
恋人 アルネとの結婚 ……夕方 。
十、ノルデはみんなの仕事 をもっと楽 にしようと考えた。そんなことをしなくってもいいよ。
おれは南の方でやってみせるよ。大雷雨 。桜 の梢 からセントエルモの火。暗 のなか。
十一、ノルデは三べん胴上 げのまま地 べたにベチャンと落 とされた。
どうだい。ひどく痛 いかい? どう? あなたひどく痛 い? ノルデ、疲 れてねむる。
十二、ノルデは太陽 から黒いトゲをとるためにでかけた。
太陽 がまたグラグラおどりだしたなあ。困 るなあ。おい、断 わっちまえよ。奮起 す。オーイ、火山だなんてまるで別 だよ。ちゃんと立派 なビルディングになってるんだぜ。
底本:「セロ弾きのゴーシュ」角川文庫、角川書店
1957(昭和32)年11月15日初版発行
1967(昭和42)年4月5日10版発行
1993(平成5)年5月20日改版50版発行
入力:土屋隆
校正:田中敬三
2006年3月22日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
ラジウムの
宮沢賢治
青 ざめた薄明 穹 の水底 に、少しばかりの星 がまたたき出し、クルミや桑 の木は薄暗 がりにそっと手をあげ、ごく曖昧 に祈 っている。
杜 の杉 にはフクロウのなめらかさ、昆布 の黒光 り、しずかにしずかに溶 けこんでいく。
どうだ。空 いっぱいの星 。けれども西にはまだ、たそがれが残 っていて、まるで沼 の水あかりだ。
「やっぱり袴 をはいて行くのかな?」
「袴 どころじゃないさ。紋付 を着 てキチンとやって出て行くのがあたりまえだ。」
それ、ごらんなさい。かすかな心の安 らかさと親 しさとが、夜の底 から昇 るでしょう。
西の山脈 が非常 に低 く見える。その山脈 はしずかな家 におもわれる。中へ行ってすわりたい。
「ぜんたい、お前 さんの借 りというのは、今 どれくらいあるんだい?」
「さあ、どれくらいになってるかな。高等 学校 が十円ずつか。いまは十五円。それほどでもないな。」
「うん。それほどでもないな。」
この路 は、昔 、温泉 へ通 ったのだ。
いまは、何条 かの草がはえ、星 あかりの下をしずかにタバコのけむりのように流 れる。杜 が右手の崖 の下から立っている。いつか、グルッとまわってきたな。
「うん、そうだ。だましてそっと毒 を飲 ませて女だけ殺 したのだ。」
このへんに天神 さんの碑 があった。あの石の亀 が、碑 の下から顔を出しているやつだ。もう、通 りこしたかもしれない。
ふう、スバルがずうっと西に落 ちた。ラジウムの雁 、化石 させられた燐光 の雁 。
停車場 の灯 が明滅 する。ならんで光 って、なにかの寄宿舎 の窓 のようだ。あすこの舎監 になろうかな。
「あしたの朝は早いだろう。」
「七時だよ。」
まるっきり、秋のきもちだ。
底本:「宮澤賢治全集第六卷」筑摩書房
1956(昭和31)年12月20日発行
入力:tucca
校正:高柳典子
2004年2月19日作成
青空文庫作成ファイル:
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軽便 鉄道 の東からの一番列車 がすこしあわてたように、こう歌 いながらやってきて止 まりました。機関車 の下からは、力 のない湯 げが逃 げ出して行き、細長 いおかしな形の煙突 からは青いけむりが、ほんの少 うし立ちました。
そこで軽便 鉄道 づきの電信柱 どもは、やっと安心 したように、ブンブンとうなり、シグナルの柱 はカタンと白い腕木 をあげました。このまっすぐなシグナルの柱 は、シグナレスでした。
シグナレスは、ホッと小さなため息 をついて空を見上 げました。空にはうすい雲 が縞 になっていっぱいに充 ち、それはつめたい白光 を凍 った地面 に降 らせながら、しずかに東に流 れていたのです。
シグナレスはじっとその雲 の行 く方 をながめました。それから、やさしい腕木 をおもいきりそっちの方へ延 ばしながら、ほんのかすかに、ひとりごとを言 いました。
「今朝 は伯母 さんたちも、きっと、こっちの方を見ていらっしゃるわ」
シグナレスはいつまでもいつまでも、そっちに気 をとられておりました。
「カタン」
うしろの方のしずかな空で、いきなり音がしましたので、シグナレスは急 いでそっちをふり向 きました。ずうっと積 まれた黒 い枕木 の向こうに、あの立派 な本線 のシグナル柱 が、今 はるかの南から、かがやく白 けむりをあげてやってくる列車 を迎 えるために、その上の硬 い腕 を下 げたところでした。
「おはよう、今朝 は暖 かですね」本線 のシグナル柱 は、キチンと兵隊 のように立ちながら、いやにまじめくさってあいさつしました。
「おはようございます」シグナレスはふし目 になって、声を落 として答 えました。
「若 さま、いけません。これからはあんなものにやたらに声を、おかけなさらないようにねがいます」本線 のシグナルに夜 、電気 を送 る太 い電信柱 が、さも、もったいぶって申 しました。
本線 のシグナルはきまり悪 そうに、モジモジして、だまってしまいました。気の弱いシグナレスは、まるでもう消 えてしまうか飛 んでしまうかしたいと思いました。けれども、どうにもしかたがありませんでしたから、やっぱりじっと立っていたのです。
雲 の縞 は、薄 い琥珀 の板 のようにうるみ、かすかな、かすかな日光 が降 ってきましたので、本線 シグナルつきの電信柱 はうれしがって、向こうの野原 を行く小さな荷馬車 を見ながら、低 い調子 はずれの歌 をやりました。
それから、もっともっとつづけざまに、わけのわからないことを歌 いました。
そのあいだに本線 のシグナル柱 が、そっと西風にたのんでこう言 いました。
「どうか気にかけないでください。こいつはもう、まるで野蛮 なんです。礼式 も何も知 らないのです。実際 、私 はいつでも困 ってるんですよ」
軽便 鉄道 のシグナレスは、まるで、どぎまぎしてうつむきながら低 く、
「あら、そんなことございませんわ」と言 いましたが、なにぶん風下 でしたから、本線 のシグナルまで聞こえませんでした。
「許 してくださるんですか? 本当 を言ったら、僕 なんかあなたに怒 られたら生きているかいもないんですからね」
「あらあら、そんなこと」軽便 鉄道 の木でつくったシグナレスは、まるで困 ったというように肩 をすぼめましたが、実 はその少しうつむいた顔は、うれしさにポッと白光 を出していました。
「シグナレスさん、どうかまじめで聞いてください。僕 、あなたのためなら、つぎの十時の汽車 が来 るとき、腕 をさげないで、じっとがんばり通 してでも見せますよ」わずかばかりヒュウヒュウ言 っていた風が、このときピタリとやみました。
「あら、そんな事 いけませんわ」
「もちろん、いけないですよ。汽車 が来 るとき、腕 をさげないでがんばるなんて、そんなこと、あなたのためにも僕 のためにもならないから僕 はやりはしませんよ。けれども、そんなことでもしようと言 うんです。僕 、あなたくらい大事 なものは世界中 ないんです。どうか、僕 を愛 してください」
シグナレスは、じっと下の方を見て黙 って立っていました。本線 シグナルつきの背 の低 い電信柱 は、まだ、デタラメの歌 をやっています。
本線 のシグナルはせっかちでしたから、シグナレスの返事 のないのに、まるであわててしまいました。
「シグナレスさん、あなたはお返事 をしてくださらないんですか? ああ、僕 はもうまるで暗闇 だ。目の前がまるでまっ黒 な淵 のようだ。ああ、雷 が落 ちてきて、いっぺんに僕 の体 をくだけ。足もとから噴火 が起 こって、僕 を空の遠くにほうりなげろ。もうなにもかも、みんなおしまいだ。雷 が落ちてきて、いっぺんに僕 の体 を砕 け。足もと……」
「いや、若様 、雷 がまいりました節 は、手前 一身 に御災 いをちょうだいいたします。どうかご安心 をねがいとう存 じます」
シグナルつきの電信柱 が、いつかデタラメの歌 をやめて、頭の上のはりがねの槍 をピンと立てながら、眼 をパチパチさせていました。
「えい。お前 なんか何を言 うんだ。僕 はそれどこじゃないんだ!」
「それはまた、どうしたことでござりまする? ちょっとやつがれ〔自分 。私 。〕 までお申 し聞 けになりとう存 じます」
「いいよ、お前 はだまっておいで!」
シグナルは高く叫 びました。しかしシグナルも、もう、だまってしまいました。雲 がだんだん薄 くなってやわらかな陽 が射 してまいりました。
五日の月が、西の山脈 の上の黒い横雲 から、もういっぺん顔を出して、山に沈 む前のほんのしばらくを、鈍 い鉛 のような光 で、そこらをいっぱいにしました。冬 がれの木や、つみ重 ねられた黒い枕木 はもちろんのこと、電信柱 までみんな眠 ってしまいました。遠くの遠くの風の音か水の音が、ゴウと鳴 るだけです。
「ああ、僕 はもう、生きてるかいもないんだ。汽車 がくるたびに腕 をさげたり、青いメガネをかけたり、いったいなんのためにこんなことをするんだ? もう、なんにもおもしろくない。ああ、死 のう。けれどもどうして死ぬ? やっぱり雷 か噴火 だ」
本線 のシグナルは、今夜 も眠 られませんでした。非常 な煩悶 でした。けれどもそれはシグナルばかりではありません。枕木 の向こうに青白 くしょんぼり立って、赤い火をかかげている軽便 鉄道 のシグナル、すなわちシグナレスとても全 くそのとおりでした。
「ああ、シグナルさんもあんまりだわ、あたしが言 えないでお返事 もできないのを、すぐあんなに怒 っておしまいになるなんて。あたしもう、なにもかもみんなおしまいだわ。おお神 さま、シグナルさんに雷 を落 とすとき、いっしょに私 にもお落 としくださいませ」
こう言 って、しきりに星空 に祈 っているのでした。ところがその声が、かすかにシグナルの耳に入りました。シグナルはギョッとしたように胸 を張 って、しばらく考えていましたが、やがてガタガタふるえだしました。
ふるえながら言いました。
「シグナレスさん。あなたは何 を祈 っておられますか?」
「あたし、存 じませんわ」シグナレスは声を落 として答 えました。
「シグナレスさん、それはあんまりひどいお言葉 でしょう。僕 はもう、今すぐでもお雷 さんにつぶされて、または噴火 を足もとからひっぱり出して、または、いさぎよく風に倒 されて、またはノアの洪水 をひっかぶって、死 んでしまおうというんですよ。それだのに、あなたはちっとも同情 してくださらないんですか?」
「あら、その噴火 や洪水 を。あたしのお祈 りはそれよ」シグナレスは、おもいきって言いました。シグナルはもううれしくて、うれしくて、なおさらガタガタガタガタふるえました。
その赤いメガネもゆれたのです。
「シグナレスさん、なぜ、あなたは死 ななけぁならないんですか? ね。僕 へお話 しください。ね。僕 へお話 しください。きっと、僕 はそのいけないやつを追 っぱらってしまいますから、いったいどうしたんですね?」
「だって、あなたがあんなにお怒 りなさるんですもの」
「ふふん。ああ、そのことですか。ふん。いいえ。そのことならばご心配 ありません。大丈夫 です。僕 、ちっとも怒 ってなんかいはしませんからね。僕 、もうあなたのためなら、メガネをみんな取 られて、腕 をみんなひっぱなされて、それから沼 の底 へたたき込 まれたって、あなたをうらみはしませんよ」
「あら、ほんとう? うれしいわ」
「だから、僕 を愛 してください。さあ、僕 を愛 するって言 ってください」
五日のお月さまは、このとき雲 と山の端 との、ちょうどまん中にいました。シグナルはもうまるで、顔色 を変 えて灰色 の幽霊 みたいになって言いました。
「またあなたは、だまってしまったんですね。やっぱり僕 がきらいなんでしょう。もういいや、どうせ僕 なんか、噴火 か洪水 か風かにやられるにきまってるんだ」
「あら、ちがいますわ」
「そんなら、どうです? どうです? どうです?」
「あたし、もう、大昔 からあなたのことばかり考えていましたわ」
「本当 ですか? 本当 ですか? 本当 ですか?」
「ええ」
「そんならいいでしょう。結婚 の約束 をしてください」
「でも」
「でも、なんですか?僕 たちは春になったらツバメにたのんで、みんなにも知らせて、結婚 の式 をあげましょう。どうか約束 してください」
「だってあたしは、こんなつまらないんですわ」
「わかってますよ。僕 には、そのつまらないところが尊 いんです」
すると、さあ、シグナレスはあらんかぎりの勇気 を出して言 い出しました。
「でもあなたは、金 でできてるでしょう? 新式 でしょう。赤青 メガネを二組 みも持 っていらっしゃるわ。夜も電灯 でしょう。あたしは夜だってランプですわ。メガネもただ一つきり、それに木ですわ」
「わかってますよ。だから僕 はすきなんです」
「あら、ほんとう? うれしいわ。あたし、お約束 するわ」
「え、ありがとう、うれしいなあ。僕 もお約束 しますよ。あなたはきっと、私 の未来 の妻 だ」
「ええ、そうよ、あたし決 して変 わらないわ」
「結婚指環 をあげますよ、そら、ね、あすこの四つならんだ青 い星 ね」
「ええ」
「あの、いちばん下の脚 もとに、小さな環 が見えるでしょう。環状 星雲 ですよ。あの光の環 ね、あれを受 け取 ってください。僕 のまごころです」
「ええ。ありがとう、いただきますわ」
「ワッハッハ。大笑 いだ。うまくやってやがるぜ」
突然 、向 こうのまっ黒 な倉庫 が、空にもはばかるような声でどなりました。二人はまるでしんとなってしまいました。
ところが倉庫 がまた言 いました。
「いや、心配 しなさんな。このことは決 してほかへはもらしませんぞ。わしがしっかりのみ込 みました」
そのときです、お月さまがカブンと山へお入りになって、あたりがポカッと、うす暗 くなったのは。
いまは風があんまり強いので、電信柱 どもは、本線 の方も、軽便 鉄道 の方もまるで気が気でなく、グウン グウン ヒュウヒュウ と、コマのようにうなっておりました。それでも空はまっ青 に晴れていました。
本線 シグナルつきの太 っちょの電信柱 も、もうデタラメの歌 をやるどころの話 ではありません。できるだけ体 をちぢめて眼 を細 くして、人並 みに、ブウウ、ブウウとうなってごまかしておりました。
シグナレスはこのとき、東のグラグラするくらい強い青光 りの中を、びっこ をひくようにして走って行く雲 を見ておりましたが、それからチラッとシグナルの方を見ました。シグナルは、今日は巡査 のようにしゃんと立っていましたが、風が強くて太 っちょの電柱 に聞こえないのをいいことにして、シグナレスに話 しかけました。
「どうもひどい風ですね。あなた、頭がほてって痛 みはしませんか? どうも僕 は、少しクラクラしますね。いろいろお話 ししますから、あなた、ただ頭をふってうなずいてだけいてください。どうせ、お返事 をしたって僕 のところへ届 きはしませんから。それから僕 の話 でおもしろくないことがあったら、横 のほうに頭を振 ってください。これは、本当 はヨーロッパのほうのやり方なんですよ。向 こうでは、僕 たちのように仲 のいいものがほかの人に知 れないようにお話 をするときは、みんなこうするんですよ。僕 、それを向こうの雑誌 で見たんです。ね、あの倉庫 のやつめ、おかしなやつですね。いきなり僕 たちの話 してるところへ口を出して、引き受 けたのなんのって言 うんですもの。あいつはずいぶん太 ってますね。今日も眼 をパチパチやらかしてますよ。僕 のあなたに物 を言ってるのはわかっていても、何を言ってるのか風でいっこう聞こえないんですよ。けれども全体 、あなたに聞こえてるんですか? 聞こえてるなら頭をふってください。ええそう、聞こえるでしょうね。僕 たち早く結婚 したいもんですね、早く春になれぁいいんですね、僕 のところのブッキリコにすこしも知らせないでおきましょう。そしておいて、いきなり、ウヘン! ああ、風でのど がゼイゼイする。ああひどい。ちょっとお話 をやめますよ。僕 、のど が痛 くなったんです。わかりましたか? じゃ、ちょっとさようなら」
それからシグナルは、ううううと言いながら眼 をパチパチさせて、しばらくの間だまっていました。
シグナレスもおとなしく、シグナルののど のなおるのを待 っていました。電信柱 どもはブンブンゴンゴンと鳴 り、風はヒュウヒュウとやりました。
シグナルはつばを飲 みこんだり、エエ、エエとせきばらいをしたりしていましたが、やっとのど の痛 いのがなおったらしく、もういっぺんシグナレスに話 しかけました。けれどもこのときは、風がまるで熊 のようにほえ、まわりの電信柱 どもは、山いっぱいのハチの巣 をいっぺんに壊 しでもしたように、グヮングヮンとうなっていましたので、せっかくのその声も、半分 ばかりしかシグナレスに届 きませんでした。
「ね、僕 はもう、あなたのためなら、つぎの汽車 の来 るとき、がんばって腕 をさげないことでも、なんでもするんですからね、わかったでしょう。あなたもそのくらいの決心 はあるでしょうね? あなたはほんとうに美 しいんです。ね、世界 のうちにだっておれたちの仲間 はいくらもあるんでしょう。その半分 はまあ女の人でしょうがねえ、その中であなたはいちばん美 しいんです。もっとも、ほかの女の人、僕 よく知らないんですけれどね。きっとそうだと思うんですよ。どうです、聞こえますか? 僕 たちのまわりにいるやつはみんなバカですね、のろまですね。僕 のとこのブッキリコが僕 が何をあなたに言ってるのかと思って、そらごらんなさい、一生 けん命 、目をパチパチやってますよ、こいつときたら全 くチョークよりも形が悪 いんですからね。そら、こんどはあんなに口を曲 げていますよ。あきれたバカですねえ、僕 の話 聞こえますか? 僕 の……」
「若 さま、さっきから何をベチャベチャ言 っていらっしゃるのです? しかもシグナレス風情 と。いったい何を、にやけていらっしゃるんです?」
いきなり本線 シグナルつきの電信柱 が、ムシャクシャまぎれに、ゴウゴウの音の中を途方 もない声でどなったもんですから、シグナルはもちろんシグナレスも、まっ青 になってピタッとこっちへ曲 げていた体 を、まっすぐに直 しました。
「若 さま、さあおっしゃい。役目 として承 らなければなりません」
シグナルは、やっと元気 をとりなおしました。そしてどうせ、風のために何を言 っても同じことなのをいいことにして、
「バカ!僕 はシグナレスさんと結婚 して幸福 になって、それからお前 にチョークのお嫁 さんをくれてやるよ」と、こうまじめな顔で言ったのでした。その声は風下 のシグナレスにはすぐ聞こえましたので、シグナレスはこわいながらおもわず笑 ってしまいました。さあ、それを見た本線 シグナルつきの電信柱 の怒 りようと言ったらありません。さっそくブルブルッとふるえあがり、青白 く逆上 せてしまい、唇 をキッとかみながら、すぐひどく手をまわして、すなわちいっぺん東京まで手をまわして風下 にいる軽便 鉄道 の電信柱 に、シグナルとシグナレスの対話 がいったいなんだったか、今 、シグナレスが笑 ったことは、どんなことだったかたずねてやりました。
ああ、シグナルは一生 の失策 をしたのでした。シグナレスよりもすこし風下 にすてきに耳のいい長い長い電信柱 がいて、知 らん顔をしてすまして空の方を見ながらさっきからの話 をみんな聞いていたのです。そこでさっそく、それを東京を経 て本線 シグナルつきの電信柱 に返事 をしてやりました。本線 シグナルつきの電信柱 はキリキリ歯 がみをしながら聞いていましたが、すっかり聞いてしまうと、さあ、まるでバカのようになってどなりました。
「くそっ、エイッ! いまいましい。あんまりだ。犬 ちくしょう、あんまりだ。犬 ちくしょう、ええ、若 さま、わたしだって男ですぜ。こんなにひどくバカにされて、だまっているとお考えですか? 結婚 だなんてやれるならやってごらんなさい。電信柱 の仲間 はもうみんな反対 です。シグナル柱 の人たちだって鉄道長 の命令 にそむけるもんですか。そして鉄道長 はわたしの叔父 ですぜ。結婚 なりなんなり、やってごらんなさい。エイ、犬 ちくしょうめ、エイ!」
本線 シグナルつきの電信柱 は、すぐ四方に電報 をかけました。それからしばらく顔色 を変 えて、みんなの返事 を聞いていました。確 かにみんなから反対 の約束 をもらったらしいのでした。それからきっと叔父 のその鉄道長 とかにも、うまく頼 んだにちがいありません。シグナルもシグナレスも、あまりのことに、いまさらポカンとしてあきれていました。本線 シグナルつきの電信柱 は、すっかり反対 の準備 ができると、こんどは急 に泣 き声で言 いました。
「あああ、八年のあいだ、夜ひる寝 ないでめんどうを見てやって、そのお礼 がこれか。ああ情 けない、もう世の中はみだれてしまった。ああ、もうおしまいだ。なさけない、メリケン国 のエジソンさまも、このあさましい世界 をお見すてなされたか。オンオンオンオン、ゴゴンゴーゴーゴゴンゴー」
風はますます吹 きつのり、西の空が変 に白くぼんやりなって、どうもあやしいと思っているうちに、チラチラチラチラとうとう雪がやってまいりました。
シグナルは力 を落 として青白 く立ち、そっとよこ眼 でやさしいシグナレスの方を見ました。シグナレスはしくしく泣 きながら、ちょうどやって来 る二時の汽車 を迎 えるためにしょんぼりと腕 をさげ、そのいじらしいなで 肩 はかすかにかすかにふるえておりました。空では風がフイウ、涙 を知らない電信柱 どもはゴゴンゴーゴー、ゴゴンゴーゴー。
さあ今度 は夜ですよ。シグナルはしょんぼり立っておりました。
月の光が青白 く雲 を照 らしています。雲 はこうこうと光 ります。そこには、すきとおって小さな紅火 や青の火をうかべました。しいんとしています。山脈 は、若 いシロクマの貴族 の死体 のようにしずかに白く横 たわり、遠くの遠くを、昼間 の風のなごりがヒュウと鳴 って通 りました。それでもじつにしずかです。黒い枕木 はみな眠 り、赤の三角 や黄色 の点々 、さまざまの夢 を見ているとき、若いあわれなシグナルは、ホッと小さなため息 をつきました。そこで半分凍 えてじっと立っていたやさしいシグナレスも、ホッと小さなため息 をしました。
「シグナレスさん、ほんとうに僕 たちはつらいねえ」
たまらずシグナルが、そっとシグナレスに話しかけました。
「ええ、みんな、あたしがいけなかったのですわ」シグナレスが青じろくうなだれて言 いました。
諸君 、シグナルの胸 は燃 えるばかり、
「ああ、シグナレスさん、僕 たちたった二人だけ、遠くの遠くのみんなのいないところに行ってしまいたいね」
「ええ、あたし、行けさえするなら、どこへでも行きますわ」
「ねえ、ずうっとずうっと天上 に、あの僕 たちの婚約 指環 よりも、もっと天上 に青い小さな小さな火が見えるでしょう。そら、ね、あすこは遠いですねえ」
「ええ」シグナレスは小さな唇 で、いまにもその火にキッスしたそうに空を見あげていました。
「あすこには青い霧 の火が燃 えているんでしょうね。その青い霧 の火の中へ僕 たちいっしょにすわりたいですねえ」
「ええ」
「けれどあすこには汽車 はないんですねえ、そんなら僕 、畑 をつくろうか。なにか働 かないといけないんだから」
「ええ」
「ああ、お星 さま、遠くの青いお星さま、どうか私 どもをとってください。ああ、なさけぶかいサンタマリア、また、めぐみふかいジョージ・スチーブンソンさま、どうか私 どもの悲 しい祈 りを聞いてください」
「ええ」
「さあ、いっしょに祈 りましょう」
「ええ」
「あわれみふかいサンタマリア、すきとおる夜の底 、つめたい雪の地面 の上に悲 しく祈 る、わたくしどもを見 そなわせ、めぐみふかいジョージ・スチーブンソンさま、あなたのしもべのまたしもべ、悲 しいこの魂 の、まことの祈 りを見 そなわせ、ああ、サンタマリア」
「ああ」
星はしずかにめぐって行きました。そこであの赤眼 のさそりが、せわしくまたたいて東から出て来 、そしてサンタマリアのお月さまが慈愛 にみちた尊 い黄金 のまなざしに、じっと二人を見ながら、西のまっくろの山にお入りになったとき、シグナル、シグナレスの二人は、祈 りに疲 れてもう眠 っていました。
今度 は昼間 です。なぜなら夜昼 はどうしてもかわるがわるですから。
ギラギラのお日さまが東の山をのぼりました。シグナルとシグナレスは、パッと桃色 に映 えました。いきなり大きな幅広 い声がそこらじゅうにはびこりました。
「おい。本線 シグナルつきの電信柱 、おまえの叔父 の鉄道長 に早くそう言 って、あの二人はいっしょにしてやった方がよかろうぜ」
見るとそれは、さきごろの晩 の倉庫 の屋根 でした。倉庫 の屋根 は、赤いうわぐすりをかけた瓦 を、まるで鎧 のようにキラキラ着込 んで、ジロッとあたりを見まわしているのでした。
本線 シグナルつきの電信柱 は、ガタガタっとふるえて、それからじっと固 くなって答 えました。
「ふん、なんだと! お前 はなんの縁故 でこんなことに口を出すんだ?」
「おいおい、あんまり大きなつら をするなよ。ええおい。おれは縁故 といえば大縁故 さ、縁故 でないといえば、いっこう縁故 でもなんでもないぜ。が、しかしさ、こんなことには手前 のような変 ちきりんは、あんまりいろいろ手を出さないほうが、結局 、手前 のためだろうぜ」
「なんだと! おれはシグナルの後見人 だぞ。鉄道長 の甥 だぞ!」
「そうか。おい、立派 なもんだなあ。シグナルさまの後見人 で鉄道長 の甥 かい。けれどもそんなら、おれなんてどうだい? おれさまはな、ええ、めくらトンビの後見人 、ええ風引 きの脈 の甥 だぞ。どうだ、どっちが偉 い」
「何をっ! コリッ、コリコリッ、カリッ!」
「まあまあ、そう怒 るなよ。これは冗談 さ。悪 く思わんでくれ。な、あの二人さ、かあいそうだよ。いいかげんにまとめてやれよ。大人 らしくもないじゃないか。あんまり胸 の狭 いことは言わんでさ。あんな立派 な後見人 を持って、シグナルもほんとうにしあわせだと言 われるぜ。まとめてやれ、まとめてやれ」
本線 シグナルつきの電信柱 は、物 を言おうとしたのでしたが、もうあんまり気が立ってしまって、パチパチパチパチ鳴 るだけでした。倉庫 の屋根 もあんまりのその怒 りように、まさかこんなはずではなかったというように少しあきれて、だまってその顔を見ていました。お日 さまはずうっと高くなり、シグナルとシグナレスとはホッとまた、ため息 をついてお互 いに顔を見あわせました。シグナレスは瞳 をすこし落 とし、シグナルの白い胸 に青々 と落 ちたメガネの影 をチラッと見て、それからにわかに目をそらして、自分 のあしもとを見つめ考え込 んでしまいました。
今夜 は暖 かです。
霧 が、ふかくふかくこめました。
その霧 をとおして、月のあかりが水色 にしずかに降 り、電信柱 も枕木 も、みんな寝 しずまりました。
シグナルが待 っていたようにホッと息 をしました。シグナレスも胸 いっぱいの想 いをこめて、小さくホッと息 しました。
そのときシグナルとシグナレスとは、霧 の中から倉庫 の屋根 のおちついた親切 らしい声の響 いてくるのを聞きました。
「お前 たちは、まったく気 の毒 だね、わたしたちは、今朝 うまくやってやろうと思ったんだが、かえっていけなくしてしまった。ほんとに気 の毒 なことになったよ。しかしわたしには、また考 えがあるから、そんなに心配 しないでもいいよ。お前 たちは霧 でお互 いに顔も見えず、さびしいだろう」
「ええ」
「ええ」
「そうか、では、おれが見えるようにしてやろう。いいか、おれのあとについて二人いっしょにまねをするんだぜ」
「ええ」
「そうか。ではアルファー」
「アルファー」
「ベーター」「ベーター」
「ガンマー」「ガンマーアー」
「デルター」「デールータァーアアア」
じつに不思議 です。いつかシグナルとシグナレスとの二人は、まっ黒 な夜の中に肩 をならべて立っていました。
「おや、どうしたんだろう? あたり一面 まっ黒 ビロウドの夜 だ」
「まあ、不思議 ですわね。まっくらだわ」
「いいや、頭の上が星でいっぱいです。おや、なんという大きな強い星なんだろう。それに見たこともない空の模様 ではありませんか。いったい、あの十三連 なる青い星はどこにあったのでしょう? こんな星は、見たことも聞いたこともありませんね。僕 たちぜんたい、どこにきたんでしょうね?」
「あら、空があんまり速 くめぐりますわ」
「ええ、ああ、あの大きな橙 の星は地平線 から今、のぼります。おや、地平線 じゃない。水平線 かしら。そうです。ここは夜の海の渚 ですよ」
「まあ、きれいだわね、あの波 の青光 り」
「ええ、あれは磯波 の波がしらです、立派 ですねえ、行ってみましょう」
「まあ、ほんとうにお月さまのあかりのような水よ」
「ね、水の底 に赤いヒトデがいますよ。銀色 のナマコがいますよ。ゆっくりゆっくり、はってますねえ。それから、あのユラユラ青光 りのトゲを動かしているのは、ウニですね。波が寄 せて来ます。すこし遠 のきましょう」
「ええ」
「もう、何べん空がめぐったでしょう。たいへん寒 くなりました。海がなんだか凍 ったようですね。波はもう、打 たなくなりました」
「波 がやんだせいでしょうかしら。なにか音がしていますわ」
「どんな音?」
「そら、夢 の水車 のきしりのような音」
「ああそうだ。あの音だ。ピタゴラス派 の天球 運動 の諧音 です」
「あら、なんだかまわりがぼんやり青白 くなってきましたわ」
「夜が明 けるのでしょうか。いやはてな? おお立派 だ。あなたの顔がはっきり見える」
「あなたもよ」
「ええ、とうとう、僕 たち二人きりですね」
「まあ、青白 い火が燃 えてますわ。まあ、地面 と海も。けど熱 くないわ」
「ここは空ですよ。これは星の中の霧 の火ですよ。僕 たちのねがいがかなったんです。ああ、サンタマリヤ」
「ああ」
「地球 は遠いですね」
「ええ」
「地球はどっちの方でしょう? あたりいちめんの星、どこがどこか、もうわからない。あの僕 のブッキリコはどうしたろう? あいつは本当 はかあいそうですね」
「ええ、まあ、火がすこし白くなったわ、せわしく燃 えますわ」
「きっと今秋 ですね。そしてあの倉庫 の屋根 も親切 でしたね」
「それは親切 とも」いきなり太 い声がしました。気がついてみると、ああ、二人ともいっしょに夢 を見ていたのでした。いつか霧 がはれて空 いちめんの星が、青や橙 やせわしくせわしくまたたき、向 こうにはまっ黒 な倉庫 の屋根 が笑 いながら立っておりました。
二人はまた、ホッと小さな息 をしました。
底本:「セロ弾きのゴーシュ」角川文庫、角川書店
1957(昭和32)年11月15日初版発行
1967(昭和42)年4月5日10版発行
1993(平成5)年5月20日改版50版発行
初出:「岩手毎日新聞」
1923(大正12)年5月
入力:土屋隆
校正:田中敬三
2008年3月25日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
宮沢賢治
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)七つの歳《とし》に
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)フウケーボー大|博士《はかせ》
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(例)[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
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[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
一、ペンネンノルデが七つの歳《とし》に太陽にたくさんの黒い棘《とげ》ができた。赤、黒い棘、父赤い眼《め》、ばくち。
二、ノルデはそれからまた十二年、森《ナスタ》のなかで昆布《こんぶ》とりをした。
三、ノルデは書記《しょき》になろうと思ってモネラの町へ出かけて行った。氷羊歯《こおりしだ》の汽車、恋人《こいびと》、アルネ。
四、フウケーボー大|博士《はかせ》はあくびといっしょにノルデの筆記帳《ひっきちょう》をすぽりとのみ込《こ》んでしまった。
五、噴火《ふんか》を海へ向《む》けるのはなかなか容易《ようい》なことでない。
化物丁場《ばけものとうじょう》、おかしなならの影《かげ》、岩頸問答《がんけいもんどう》、大博士発明のめがね。
六、さすがのフウケーボー大博士も命《いのち》からがらにげだした。
恐竜《きょうりゅう》、化石《かせき》の向こうから。
大博士に疑問《ぎもん》をいだく。噴火|係《がかり》の職《しょく》をはがれ、その火山|灰《ばい》の土壌《どじょう》を耕《たがや》す。部下《ぶか》みな従《したが》う。
七、ノルデは頭からすっかり灰をかぶってしまった。
サンムトリの噴火。ノルデ海岸《かいがん》でつかれてねむる。ナスタ現《あら》わる。夢《ゆめ》のなかでうたう。
八、ノルデは野原《のはら》にいくつも茶いろなトランプのカードをこしらえた。
ノルデ奮起《ふんき》す。水の不足《ふそく》。
九、ノルデがこさえたトランプのカードを、みんなは春は桃《もも》いろに夏は青くした。
恋人《こいびと》アルネとの結婚《けっこん》……夕方。
十、ノルデはみんなの仕事《しごと》をもっとらくにしようと考えた。そんなことをしなくってもいいよ。
おれは南の方でやって見せるよ。大|雷雨《らいう》。桜《さくら》の梢《こずえ》からセントエルモの火。暗《やみ》のなか。
十一、ノルデは三べん胴上《どうあ》げのまま地べたにべちゃんと落《お》とされた。
どうだい。ひどくいたいかい。どう? あなたひどくいたい? ノルデつかれてねむる。
十二、ノルデは太陽から黒い棘《とげ》をとるためにでかけた。
太陽がまたぐらぐらおどりだしたなあ。困《こま》るなあ。おい断《こと》わっちまえよ。奮起す。おーい、火山だなんてまるで別《べつ》だよ。ちゃんと立派《りっぱ》なビルデングになってるんだぜ。
[#ここで字下げ終わり]
底本:「セロ弾きのゴーシュ」角川文庫、角川書店
1957(昭和32)年11月15日初版発行
1967(昭和42)年4月5日10版発行
1993(平成5)年5月20日改版50版発行
入力:土屋隆
校正:田中敬三
2006年3月22日作成
青空文庫作成ファイル:
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青ざめた薄明穹の水底に少しばかりの星がまたたき出し、胡桃や桑の木は薄くらがりにそっと手をあげごく曖昧に祈ってゐる。
杜の杉にはふくろふの滑らかさ、昆布の黒びかり、しづかにしづかに溶け込んで行く。
どうだ。空一杯の星。けれども西にはまだたそがれが殘ってゐてまるで沼の水あかりだ。
「やっぱり袴をはいて行くのかな。」
「袴どころぢゃないさ。紋付を着てキチンとやって出て行くのがあたりまへだ。」
それご覽なさい。かすかな心の安らかさと親しさとが夜の底から昇るでせう。
西の山脈が非常に低く見える。その山脈はしづかな家におもはれる。中へ行って座りたい。
「全體お前さんの借といふのは今どれ位あるんだい。」
「さあ、どれくらゐになってるかな。高等學校が十圓づつか。いまは十五圓。それ程でもないな。」
「うん。それ程でもないな。」
この路は昔温泉へ通ったのだ。
いまは何條かの草が生え星あかりの下をしづかに煙草のけむりのやうに流れる。杜が右手の崖の下から立ってゐる。いつかぐるっとまはって來たな。
「うんさうだ。だましてそっと毒を呑ませて女だけ殺したのだ。」
この邊に天神さんの碑があった。あの石の龜が碑の下から顏を出してゐるやつだ。もう通りこしたかもしれない。
ふう、すばるがずうっと西に落ちた。ラジュウムの雁、化石させられた燐光の雁。
停車場の灯が明滅する。ならんで光って何かの寄宿舍の窓のやうだ。あすこの舍監にならうかな。
「あしたの朝は早いだらう。」
「七時だよ。」
まるっきり秋のきもちだ。
底本:「宮澤賢治全集第六卷」筑摩書房
1956(昭和31)年12月20日発行
入力:tucca
校正:高柳典子
2004年2月19日作成
青空文庫作成ファイル:
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)赤眼《あかめ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)七、八|里《り》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#ここから1字下げ]
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[#ここから1字下げ]
「ガタンコガタンコ、シュウフッフッ、
さそりの赤眼《あかめ》が 見えたころ、
四時から今朝《けさ》も やって来た。
遠野《とおの》の盆地《ぼんち》は まっくらで、
つめたい水の 声ばかり。
ガタンコガタンコ、シュウフッフッ、
凍《こご》えた砂利《じゃり》に 湯《ゆ》げを吐《は》き、
火花を闇《やみ》に まきながら、
蛇紋岩《サアペンテイン》の 崖《がけ》に来て、
やっと東が 燃《も》えだした。
ガタンコガタンコ、シュウフッフッ、
鳥がなきだし 木は光り、
青々川は ながれたが、
丘《おか》もはざまも いちめんに、
まぶしい霜《しも》を 載《の》せていた。
ガタンコガタンコ、シュウフッフッ、
やっぱりかけると あったかだ、
僕《ぼく》はほうほう 汗《あせ》が出る。
もう七、八|里《り》 はせたいな、
今日も一日 霜ぐもり。
ガタンガタン、ギー、シュウシュウ」
[#ここで字下げ終わり]
軽便鉄道《けいべんてつどう》の東からの一番|列車《れっしゃ》が少しあわてたように、こう歌いながらやって来てとまりました。機関車《きかんしゃ》の下からは、力のない湯《ゆ》げが逃《に》げ出して行き、ほそ長いおかしな形の煙突《えんとつ》からは青いけむりが、ほんの少うし立ちました。
そこで軽便鉄道づきの電信柱《でんしんばしら》どもは、やっと安心《あんしん》したように、ぶんぶんとうなり、シグナルの柱はかたんと白い腕木《うでき》を上げました。このまっすぐなシグナルの柱は、シグナレスでした。
シグナレスはほっと小さなため息《いき》をついて空を見上げました。空にはうすい雲が縞《しま》になっていっぱいに充《み》ち、それはつめたい白光《しろびかり》を凍《こお》った地面《じめん》に降《ふ》らせながら、しずかに東に流《なが》れていたのです。
シグナレスはじっとその雲の行《ゆ》く方《え》をながめました。それからやさしい腕木を思い切りそっちの方へ延《の》ばしながら、ほんのかすかに、ひとりごとを言《い》いました。
「今朝《けさ》は伯母《おば》さんたちもきっとこっちの方を見ていらっしゃるわ」
シグナレスはいつまでもいつまでも、そっちに気をとられておりました。
「カタン」
うしろの方のしずかな空で、いきなり音がしましたのでシグナレスは急《いそ》いでそっちをふり向《む》きました。ずうっと積《つ》まれた黒い枕木《まくらぎ》の向こうに、あの立派《りっぱ》な本線《ほんせん》のシグナル柱《ばしら》が、今はるかの南から、かがやく白けむりをあげてやって来る列車《れっしゃ》を迎《むか》えるために、その上の硬《かた》い腕《うで》を下げたところでした。
「お早う今朝は暖《あたた》かですね」本線のシグナル柱は、キチンと兵隊《へいたい》のように立ちながら、いやにまじめくさってあいさつしました。
「お早うございます」シグナレスはふし目になって、声を落《お》として答《こた》えました。
「若《わか》さま、いけません。これからはあんなものにやたらに声を、おかけなさらないようにねがいます」本線のシグナルに夜電気を送《おく》る太《ふと》い電信柱《でんしんばしら》がさももったいぶって申《もう》しました。
本線のシグナルはきまり悪《わる》そうに、もじもじしてだまってしまいました。気の弱いシグナレスはまるでもう消《き》えてしまうか飛《と》んでしまうかしたいと思いました。けれどもどうにもしかたがありませんでしたから、やっぱりじっと立っていたのです。
雲の縞《しま》は薄《うす》い琥珀《こはく》の板《いた》のようにうるみ、かすかなかすかな日光が降《ふ》って来ましたので、本線シグナルつきの電信柱はうれしがって、向こうの野原《のはら》を行く小さな荷馬車《にばしゃ》を見ながら低《ひく》い調子《ちょうし》はずれの歌をやりました。
[#ここから1字下げ]
「ゴゴン、ゴーゴー、
うすい雲から
酒《さけ》が降《ふ》りだす、
酒の中から
霜《しも》がながれる。
ゴゴン、ゴーゴー、
ゴゴン、ゴーゴー、
霜がとければ、
つちはまっくろ。
馬はふんごみ、
人もぺちゃぺちゃ。
ゴゴン、ゴーゴー」
[#ここで字下げ終わり]
それからもっともっとつづけざまに、わけのわからないことを歌いました。
その間に本線《ほんせん》のシグナル柱《ばしら》が、そっと西風にたのんでこう言《い》いました。
「どうか気にかけないでください。こいつはもうまるで野蛮《やばん》なんです。礼式《れいしき》も何も知らないのです。実際《じっさい》私はいつでも困《こま》ってるんですよ」
軽便鉄道《けいべんてつどう》のシグナレスは、まるでどぎまぎしてうつむきながら低《ひく》く、
「あら、そんなことございませんわ」と言《い》いましたがなにぶん風下《かざしも》でしたから本線《ほんせん》のシグナルまで聞こえませんでした。
「許《ゆる》してくださるんですか。本当を言ったら、僕《ぼく》なんかあなたに怒《おこ》られたら生きているかいもないんですからね」
「あらあら、そんなこと」軽便鉄道の木でつくったシグナレスは、まるで困《こま》ったというように肩《かた》をすぼめましたが、実《じつ》はその少しうつむいた顔は、うれしさにぽっと白光《しろびかり》を出していました。
「シグナレスさん、どうかまじめで聞いてください。僕あなたのためなら、次《つぎ》の十時の汽車が来る時|腕《うで》を下げないで、じっとがんばり通してでも見せますよ」わずかばかりヒュウヒュウ言《い》っていた風が、この時ぴたりとやみました。
「あら、そんな事《こと》いけませんわ」
「もちろんいけないですよ。汽車が来る時、腕を下げないでがんばるなんて、そんなことあなたのためにも僕のためにもならないから僕はやりはしませんよ。けれどもそんなことでもしようと言《い》うんです。僕あなたくらい大事《だいじ》なものは世界中《せかいじゅう》ないんです。どうか僕を愛《あい》してください」
シグナレスは、じっと下の方を見て黙《だま》って立っていました。本線シグナルつきのせいの低《ひく》い電信柱《でんしんばしら》は、まだでたらめの歌をやっています。
[#ここから1字下げ]
「ゴゴンゴーゴー、
やまのいわやで、
熊《くま》が火をたき、
あまりけむくて、
ほらを逃《に》げ出す。ゴゴンゴー、
田螺《にし》はのろのろ。
うう、田螺はのろのろ。
田螺のしゃっぽは、
羅紗《ラシャ》の上等《じょうとう》、ゴゴンゴーゴー」
[#ここで字下げ終わり]
本線《ほんせん》のシグナルはせっかちでしたから、シグナレスの返事《へんじ》のないのに、まるであわててしまいました。
「シグナレスさん、あなたはお返事をしてくださらないんですか。ああ僕《ぼく》はもうまるでくらやみだ。目の前がまるでまっ黒な淵《ふち》のようだ。ああ雷《かみなり》が落《お》ちて来て、一ぺんに僕のからだをくだけ。足もとから噴火《ふんか》が起《お》こって、僕を空の遠くにほうりなげろ。もうなにもかもみんなおしまいだ。雷が落ちて来て一ぺんに僕のからだを砕《くだ》け。足もと……」
「いや若様《わかさま》、雷が参《まい》りました節《せつ》は手前《てまえ》一身《いっしん》におんわざわいをちょうだいいたします。どうかご安心《あんしん》をねがいとう存《ぞん》じます」
シグナルつきの電信柱《でんしんばしら》が、いつかでたらめの歌をやめて、頭の上のはりがねの槍《やり》をぴんと立てながら眼《め》をパチパチさせていました。
「えい。お前なんか何を言《い》うんだ。僕《ぼく》はそれどこじゃないんだ」
「それはまたどうしたことでござりまする。ちょっとやつがれまでお申《もう》し聞《き》けになりとう存《ぞん》じます」
「いいよ、お前はだまっておいで」
シグナルは高く叫《さけ》びました。しかしシグナルも、もうだまってしまいました。雲がだんだん薄《うす》くなって柔《やわ》らかな陽《ひ》が射《さ》して参《まい》りました。
五日の月が、西の山脈《さんみゃく》の上の黒い横雲《よこぐも》から、もう一ぺん顔を出して、山に沈《しず》む前のほんのしばらくを、鈍《にぶ》い鉛《なまり》のような光で、そこらをいっぱいにしました。冬がれの木や、つみ重《かさ》ねられた黒い枕木《まくらぎ》はもちろんのこと、電信柱《でんしんばしら》までみんな眠《ねむ》ってしまいました。遠くの遠くの風の音か水の音がごうと鳴るだけです。
「ああ、僕《ぼく》はもう生きてるかいもないんだ。汽車が来るたびに腕《うで》を下げたり、青い眼鏡《めがね》をかけたりいったいなんのためにこんなことをするんだ。もうなんにもおもしろくない。ああ死《し》のう。けれどもどうして死ぬ。やっぱり雷《かみなり》か噴火《ふんか》だ」
本線《ほんせん》のシグナルは、今夜も眠《ねむ》られませんでした。非常《ひじょう》なはんもんでした。けれどもそれはシグナルばかりではありません。枕木の向こうに青白くしょんぼり立って、赤い火をかかげている軽便鉄道《けいべんてつどう》のシグナル、すなわちシグナレスとても全《まった》くそのとおりでした。
「ああ、シグナルさんもあんまりだわ、あたしが言《い》えないでお返事《へんじ》もできないのを、すぐあんなに怒《おこ》っておしまいになるなんて。あたしもう何もかもみんなおしまいだわ。おお神様《かみさま》、シグナルさんに雷《かみなり》を落《お》とす時、いっしょに私にもお落としくださいませ」
こう言《い》って、しきりに星空に祈《いの》っているのでした。ところがその声が、かすかにシグナルの耳にはいりました。シグナルはぎょっとしたように胸《むね》を張《は》って、しばらく考えていましたが、やがてガタガタふるえだしました。
ふるえながら言いました。
「シグナレスさん。あなたは何《なに》を祈っておられますか」
「あたし存《ぞん》じませんわ」シグナレスは声を落として答えました。
「シグナレスさん、それはあんまりひどいお言葉《ことば》でしょう。僕《ぼく》はもう今すぐでもお雷《らい》さんにつぶされて、または噴火《ふんか》を足もとから引っぱり出して、またはいさぎよく風に倒《たお》されて、またはノアの洪水《こうずい》をひっかぶって、死《し》んでしまおうと言うんですよ。それだのに、あなたはちっとも同情《どうじょう》してくださらないんですか」
「あら、その噴火や洪水《こうずい》を。あたしのお祈りはそれよ」シグナレスは思い切って言いました。シグナルはもううれしくて、うれしくて、なおさらガタガタガタガタふるえました。
その赤い眼鏡《めがね》もゆれたのです。
「シグナレスさん、なぜあなたは死ななけぁならないんですか。ね。僕《ぼく》へお話しください。ね。僕へお話しください。きっと、僕はそのいけないやつを追《お》っぱらってしまいますから、いったいどうしたんですね」
「だって、あなたがあんなにお怒《おこ》りなさるんですもの」
「ふふん。ああ、そのことですか。ふん。いいえ。そのことならばご心配《しんぱい》ありません。大丈夫《だいじょうぶ》です。僕ちっとも怒ってなんかいはしませんからね。僕、もうあなたのためなら、眼鏡《めがね》をみんな取《と》られて、腕《うで》をみんなひっぱなされて、それから沼《ぬま》の底《そこ》へたたき込《こ》まれたって、あなたをうらみはしませんよ」
「あら、ほんとう。うれしいわ」
「だから僕を愛《あい》してください。さあ僕を愛するって言《い》ってください」
五日のお月さまは、この時雲と山の端《は》とのちょうどまん中にいました。シグナルはもうまるで顔色を変《か》えて灰色《はいいろ》の幽霊《ゆうれい》みたいになって言いました。
「またあなたはだまってしまったんですね。やっぱり僕がきらいなんでしょう。もういいや、どうせ僕なんか噴火《ふんか》か洪水《こうずい》か風かにやられるにきまってるんだ」
「あら、ちがいますわ」
「そんならどうですどうです、どうです」
「あたし、もう大昔《おおむかし》からあなたのことばかり考えていましたわ」
「本当ですか、本当ですか、本当ですか」
「ええ」
「そんならいいでしょう。結婚《けっこん》の約束《やくそく》をしてください」
「でも」
「でもなんですか、僕《ぼく》たちは春になったら燕《つばめ》にたのんで、みんなにも知らせて結婚《けっこん》の式《しき》をあげましょう。どうか約束《やくそく》してください」
「だってあたしはこんなつまらないんですわ」
「わかってますよ。僕にはそのつまらないところが尊《とうと》いんです」
すると、さあ、シグナレスはあらんかぎりの勇気《ゆうき》を出して言《い》い出しました。
「でもあなたは金でできてるでしょう。新式でしょう。赤青眼鏡《あかあおめがね》を二組みも持《も》っていらっしゃるわ、夜も電燈《でんとう》でしょう。あたしは夜だってランプですわ、眼鏡もただ一つきり、それに木ですわ」
「わかってますよ。だから僕はすきなんです」
「あら、ほんとう。うれしいわ。あたしお約束《やくそく》するわ」
「え、ありがとう、うれしいなあ、僕もお約束しますよ。あなたはきっと、私の未来《みらい》の妻《つま》だ」
「ええ、そうよ、あたし決《けっ》して変《か》わらないわ」
「結婚指環《エンゲージリング》をあげますよ、そら、ね、あすこの四つならんだ青い星ね」
「ええ」
「あのいちばん下の脚《あし》もとに小さな環《わ》が見えるでしょう、環状星雲《フィッシュマウスネビュラ》ですよ。あの光の環ね、あれを受《う》け取《と》ってください。僕のまごころです」
「ええ。ありがとう、いただきますわ」
「ワッハッハ。大笑《おおわら》いだ。うまくやってやがるぜ」
突然《とつぜん》向《む》こうのまっ黒な倉庫《そうこ》が、空にもはばかるような声でどなりました。二人はまるでしんとなってしまいました。
ところが倉庫がまた言《い》いました。
「いや心配《しんぱい》しなさんな。この事《こと》は決《けっ》してほかへはもらしませんぞ。わしがしっかりのみ込《こ》みました」
その時です、お月さまがカブンと山へおはいりになって、あたりがポカッと、うすぐらくなったのは。
今は風があんまり強いので電信柱《でんしんばしら》どもは、本線《ほんせん》の方も、軽便鉄道《けいべんてつどう》の方もまるで気が気でなく、ぐうん ぐうん ひゅうひゅう と独楽《こま》のようにうなっておりました。それでも空はまっ青《さお》に晴れていました。
本線シグナルつきの太《ふと》っちょの電信柱も、もうでたらめの歌をやるどころの話ではありません。できるだけからだをちぢめて眼《め》を細《ほそ》くして、ひとなみに、ブウウ、ブウウとうなってごまかしておりました。
シグナレスはこの時、東のぐらぐらするくらい強い青びかりの中を、びっこをひくようにして走って行く雲を見ておりましたが、それからチラッとシグナルの方を見ました。シグナルは、今日は巡査《じゅんさ》のようにしゃんと立っていましたが、風が強くて太っちょの電柱《でんちゅう》に聞こえないのをいいことにして、シグナレスに話しかけました。
「どうもひどい風ですね。あなた頭がほてって痛《いた》みはしませんか。どうも僕《ぼく》は少しくらくらしますね。いろいろお話ししますから、あなたただ頭をふってうなずいてだけいてください。どうせお返事《へんじ》をしたって僕《ぼく》のところへ届《とど》きはしませんから、それから僕の話でおもしろくないことがあったら横《よこ》の方に頭を振《ふ》ってください。これは、本当は、ヨーロッパの方のやり方なんですよ。向《む》こうでは、僕たちのように仲《なか》のいいものがほかの人に知れないようにお話をする時は、みんなこうするんですよ。僕それを向こうの雑誌《ざっし》で見たんです。ね、あの倉庫《そうこ》のやつめ、おかしなやつですね、いきなり僕たちの話してるところへ口を出して、引き受《う》けたのなんのって言《い》うんですもの、あいつはずいぶん太《ふと》ってますね、今日も眼《め》をパチパチやらかしてますよ、僕のあなたに物を言ってるのはわかっていても、何を言ってるのか風でいっこう聞こえないんですよ、けれども全体《ぜんたい》、あなたに聞こえてるんですか、聞こえてるなら頭を振ってください、ええそう、聞こえるでしょうね。僕たち早く結婚《けっこん》したいもんですね、早く春になれぁいいんですね、僕のところのぶっきりこに少しも知らせないでおきましょう。そしておいて、いきなり、ウヘン! ああ風でのどがぜいぜいする。ああひどい。ちょっとお話をやめますよ。僕のどが痛《いた》くなったんです。わかりましたか、じゃちょっとさようなら」
それからシグナルは、ううううと言いながら眼をぱちぱちさせて、しばらくの間だまっていました。
シグナレスもおとなしく、シグナルののどのなおるのを待《ま》っていました。電信柱《でんしんばしら》どもはブンブンゴンゴンと鳴り、風はひゅうひゅうとやりました。
シグナルはつばをのみこんだり、ええ、ええとせきばらいをしたりしていましたが、やっとのどの痛《いた》いのがなおったらしく、もう一ぺんシグナレスに話しかけました。けれどもこの時は、風がまるで熊《くま》のように吼《ほ》え、まわりの電信柱《でんしんばしら》どもは、山いっぱいの蜂《はち》の巣《す》をいっぺんにこわしでもしたように、ぐゎんぐゎんとうなっていましたので、せっかくのその声も、半分ばかりしかシグナレスに届《とど》きませんでした。
「ね、僕《ぼく》はもうあなたのためなら、次《つぎ》の汽車の来る時、がんばって腕《うで》を下げないことでも、なんでもするんですからね、わかったでしょう。あなたもそのくらいの決心《けっしん》はあるでしょうね。あなたはほんとうに美《うつく》しいんです、ね、世界《せかい》の中《うち》にだっておれたちの仲間《なかま》はいくらもあるんでしょう。その半分はまあ女の人でしょうがねえ、その中であなたはいちばん美しいんです。もっともほかの女の人僕よく知らないんですけれどね、きっとそうだと思うんですよ、どうです聞こえますか。僕たちのまわりにいるやつはみんなばかですね、のろまですね、僕のとこのぶっきりこが僕が何をあなたに言ってるのかと思って、そらごらんなさい、一生けん命《めい》、目をパチパチやってますよ、こいつときたら全《まった》くチョークよりも形がわるいんですからね、そら、こんどはあんなに口を曲《ま》げていますよ。あきれたばかですねえ、僕の話聞こえますか、僕の……」
「若《わか》さま、さっきから何をべちゃべちゃ言《い》っていらっしゃるのです。しかもシグナレス風情《ふぜい》と、いったい何をにやけていらっしゃるんです」
いきなり本線《ほんせん》シグナルつきの電信柱《でんしんばしら》が、むしゃくしゃまぎれに、ごうごうの音の中を途方《とほう》もない声でどなったもんですから、シグナルはもちろんシグナレスも、まっ青《さお》になってぴたっとこっちへ曲げていたからだを、まっすぐに直《なお》しました。
「若《わか》さま、さあおっしゃい。役目《やくめ》として承《うけたまわ》らなければなりません」
シグナルは、やっと元気を取り直《なお》しました。そしてどうせ風のために何を言《い》っても同じことなのをいいことにして、
「ばか、僕《ぼく》はシグナレスさんと結婚《けっこん》して幸福《こうふく》になって、それからお前にチョークのお嫁《よめ》さんをくれてやるよ」と、こうまじめな顔で言ったのでした。その声は風下《かざしも》のシグナレスにはすぐ聞こえましたので、シグナレスはこわいながら思わず笑《わら》ってしまいました。さあそれを見た本線《ほんせん》シグナルつきの電信柱の怒《おこ》りようと言ったらありません。さっそくブルブルッとふるえあがり、青白く逆上《のぼ》せてしまい唇《くちびる》をきっとかみながらすぐひどく手をまわして、すなわち一ぺん東京まで手をまわして風下《かざしも》にいる軽便鉄道《けいべんてつどう》の電信柱に、シグナルとシグナレスの対話《たいわ》がいったいなんだったか、今シグナレスが笑ったことは、どんなことだったかたずねてやりました。
ああ、シグナルは一生の失策《しっさく》をしたのでした。シグナレスよりも少し風下にすてきに耳のいい長い長い電信柱がいて、知らん顔をしてすまして空の方を見ながらさっきからの話をみんな聞いていたのです。そこでさっそく、それを東京を経《へ》て本線シグナルつきの電信柱に返事《へんじ》をしてやりました。本線《ほんせん》シグナルつきの電信柱《でんしんばしら》はキリキリ歯《は》がみをしながら聞いていましたが、すっかり聞いてしまうと、さあ、まるでばかのようになってどなりました。
「くそっ、えいっ。いまいましい。あんまりだ。犬畜生《いぬちくしょう》、あんまりだ。犬畜生、ええ、若《わか》さま、わたしだって男ですぜ。こんなにひどくばかにされてだまっているとお考えですか。結婚《けっこん》だなんてやれるならやってごらんなさい。電信柱の仲間《なかま》はもうみんな反対《はんたい》です。シグナル柱の人たちだって鉄道長《てつどうちょう》の命令《めいれい》にそむけるもんですか。そして鉄道長はわたしの叔父《おじ》ですぜ。結婚なりなんなりやってごらんなさい。えい、犬畜生《いぬちくしょう》め、えい」
本線シグナルつきの電信柱は、すぐ四方に電報《でんぽう》をかけました。それからしばらく顔色を変《か》えて、みんなの返事《へんじ》をきいていました。確《たし》かにみんなから反対《はんたい》の約束《やくそく》をもらったらしいのでした。それからきっと叔父のその鉄道長とかにもうまく頼《たの》んだにちがいありません。シグナルもシグナレスも、あまりのことに今さらポカンとしてあきれていました。本線シグナルつきの電信柱は、すっかり反対の準備《じゅんび》ができると、こんどは急《きゅう》に泣《な》き声で言《い》いました。
「あああ、八年の間、夜ひる寝《ね》ないでめんどうを見てやってそのお礼《れい》がこれか。ああ情《なさ》けない、もう世の中はみだれてしまった。ああもうおしまいだ。なさけない、メリケン国のエジソンさまもこのあさましい世界《せかい》をお見すてなされたか。オンオンオンオン、ゴゴンゴーゴーゴゴンゴー」
風はますます吹《ふ》きつのり、西の空が変《へん》に白くぼんやりなって、どうもあやしいと思っているうちに、チラチラチラチラとうとう雪がやって参《まい》りました。
シグナルは力を落《お》として青白く立ち、そっとよこ眼《め》でやさしいシグナレスの方を見ました。シグナレスはしくしく泣《な》きながら、ちょうどやって来る二時の汽車を迎《むか》えるためにしょんぼりと腕《うで》をさげ、そのいじらしいなで肩《がた》はかすかにかすかにふるえておりました。空では風がフイウ、涙《なみだ》を知らない電信柱どもはゴゴンゴーゴーゴゴンゴーゴー。
さあ今度《こんど》は夜ですよ。シグナルはしょんぼり立っておりました。
月の光が青白く雲を照《て》らしています。雲はこうこうと光ります。そこにはすきとおって小さな紅火《べにび》や青の火をうかべました。しいんとしています。山脈《さんみゃく》は若《わか》い白熊《しろくま》の貴族《きぞく》の屍体《したい》のようにしずかに白く横《よこ》たわり、遠くの遠くを、ひるまの風のなごりがヒュウと鳴《な》って通りました。それでもじつにしずかです。黒い枕木《まくらぎ》はみな眠《ねむ》り、赤の三角《さんかく》や黄色の点々、さまざまの夢《ゆめ》を見ている時、若いあわれなシグナルはほっと小さなため息《いき》をつきました。そこで半分|凍《こご》えてじっと立っていたやさしいシグナレスも、ほっと小さなため息をしました。
「シグナレスさん、ほんとうに僕《ぼく》たちはつらいねえ」
たまらずシグナルがそっとシグナレスに話しかけました。
「ええ、みんなあたしがいけなかったのですわ」シグナレスが青じろくうなだれて言《い》いました。
諸君《しょくん》、シグナルの胸《むね》は燃《も》えるばかり、
「ああ、シグナレスさん、僕たちたった二人だけ、遠くの遠くのみんなのいないところに行ってしまいたいね」
「ええ、あたし行けさえするなら、どこへでも行きますわ」
「ねえ、ずうっとずうっと天上にあの僕《ぼく》たちの婚約指環《エンゲージリング》よりも、もっと天上に青い小さな小さな火が見えるでしょう。そら、ね、あすこは遠いですねえ」
「ええ」シグナレスは小さな唇《くちびる》で、いまにもその火にキッスしたそうに空を見あげていました。
「あすこには青い霧《きり》の火が燃《も》えているんでしょうね。その青い霧の火の中へ僕たちいっしょにすわりたいですねえ」
「ええ」
「けれどあすこには汽車はないんですねえ、そんなら僕《ぼく》畑《はたけ》をつくろうか。何か働《はたら》かないといけないんだから」
「ええ」
「ああ、お星さま、遠くの青いお星さま、どうか私どもをとってください。ああなさけぶかいサンタマリヤ、まためぐみふかいジョウジ スチブンソンさま、どうか私どものかなしい祈《いの》りを聞いてください」
「ええ」
「さあいっしょに祈りましょう」
「ええ」
「あわれみふかいサンタマリヤ、すきとおる夜の底《そこ》、つめたい雪の地面《じめん》の上にかなしくいのるわたくしどもをみそなわせ、めぐみふかいジョウジ スチブンソンさま、あなたのしもべのまたしもべ、かなしいこのたましいの、まことの祈りをみそなわせ、ああ、サンタマリヤ」
「ああ」
星はしずかにめぐって行きました。そこであの赤眼《あかめ》のさそりが、せわしくまたたいて東から出て来、そしてサンタマリヤのお月さまが慈愛《じあい》にみちた尊《とうと》い黄金《きん》のまなざしに、じっと二人を見ながら、西のまっくろの山におはいりになった時、シグナル、シグナレスの二人は、祈りにつかれてもう眠《ねむ》っていました。
今度《こんど》はひるまです。なぜなら夜昼《よるひる》はどうしてもかわるがわるですから。
ぎらぎらのお日さまが東の山をのぼりました。シグナルとシグナレスはぱっと桃色《ももいろ》に映《は》えました。いきなり大きな幅広《はばひろ》い声がそこらじゅうにはびこりました。
「おい。本線《ほんせん》シグナルつきの電信柱《でんしんばしら》、おまえの叔父《おじ》の鉄道長《てつどうちょう》に早くそう言《い》って、あの二人はいっしょにしてやった方がよかろうぜ」
見るとそれは先ごろの晩《ばん》の倉庫《そうこ》の屋根《やね》でした。倉庫の屋根は、赤いうわぐすりをかけた瓦《かわら》を、まるで鎧《よろい》のようにキラキラ着込《きこ》んで、じろっとあたりを見まわしているのでした。
本線シグナルつきの電信柱は、がたがたっとふるえて、それからじっと固《かた》くなって答えました。
「ふん、なんだと、お前はなんの縁故《えんこ》でこんなことに口を出すんだ」
「おいおい、あんまり大きなつらをするなよ。ええおい。おれは縁故と言えば大縁故さ、縁故でないと言《い》えば、いっこう縁故でもなんでもないぜ、が、しかしさ、こんなことにはてめえのような変《へん》ちきりんはあんまりいろいろ手を出さない方が結局《けっきょく》てめえのためだろうぜ」
「なんだと。おれはシグナルの後見人《こうけんにん》だぞ。鉄道長の甥《おい》だぞ」
「そうか。おい立派《りっぱ》なもんだなあ。シグナルさまの後見人で鉄道長の甥かい。けれどもそんならおれなんてどうだい。おれさまはな、ええ、めくらとんびの後見人、ええ風引きの脈《みゃく》の甥だぞ。どうだ、どっちが偉《えら》い」
「何をっ、コリッ、コリコリッ、カリッ」
「まあまあそう怒《おこ》るなよ。これは冗談《じょうだん》さ。悪く思わんでくれ。な、あの二人さ、かあいそうだよ。いいかげんにまとめてやれよ。大人《おとな》らしくもないじゃないか。あんまり胸《むね》の狭《せま》いことは言わんでさ。あんな立派《りっぱ》な後見人《こうけんにん》を持って、シグナルもほんとうにしあわせだと言われるぜ。まとめてやれ、まとめてやれ」
本線《ほんせん》シグナルつきの電信柱《でんしんばしら》は、物《もの》を言おうとしたのでしたが、もうあんまり気が立ってしまってパチパチパチパチ鳴《な》るだけでした。倉庫《そうこ》の屋根《やね》もあんまりのその怒りように、まさかこんなはずではなかったと言うように少しあきれて、だまってその顔を見ていました。お日さまはずうっと高くなり、シグナルとシグナレスとはほっとまたため息《いき》をついてお互《たが》いに顔を見合わせました。シグナレスは瞳《ひとみ》を少し落《お》とし、シグナルの白い胸《むね》に青々と落ちた眼鏡《めがね》の影《かげ》をチラッと見て、それからにわかに目をそらして自分のあしもとをみつめ考え込《こ》んでしまいました。
今夜は暖《あたた》かです。
霧《きり》がふかくふかくこめました。
その霧を徹《とお》して、月のあかりが水色にしずかに降《ふ》り、電信柱も枕木《まくらぎ》も、みんな寝《ね》しずまりました。
シグナルが待《ま》っていたようにほっと息《いき》をしました。シグナレスも胸《むね》いっぱいのおもいをこめて、小さくほっといきしました。
その時シグナルとシグナレスとは、霧の中から倉庫の屋根の落ちついた親切らしい声の響《ひび》いて来るのを聞きました。
「お前たちは、全《まった》くきのどくだね、わたしたちは、今朝うまくやってやろうと思ったんだが、かえっていけなくしてしまった。ほんとにきのどくなことになったよ。しかしわたしには、また考《かんが》えがあるから、そんなに心配《しんぱい》しないでもいいよ。お前たちは霧《きり》でお互《たが》いに顔も見えずさびしいだろう」
「ええ」
「ええ」
「そうか、ではおれが見えるようにしてやろう。いいか、おれのあとについて二人いっしょにまねをするんだぜ」
「ええ」
「そうか。ではアルファー」
「アルファー」
「ビーター」「ビーター」
「ガムマー」「ガムマーアー」
「デルター」「デールータァーアアア」
実《じつ》に不思議《ふしぎ》です。いつかシグナルとシグナレスとの二人は、まっ黒な夜の中に肩《かた》をならべて立っていました。
「おや、どうしたんだろう。あたり一面《いちめん》まっ黒びろうどの夜だ」
「まあ、不思議《ふしぎ》ですわね。まっくらだわ」
「いいや、頭の上が星でいっぱいです。おや、なんという大きな強い星なんだろう。それに見たこともない空の模様《もよう》ではありませんか、いったいあの十三|連《れん》なる青い星はどこにあったのでしょう、こんな星は見たことも聞いたこともありませんね、僕《ぼく》たちぜんたいどこに来たんでしょうね」
「あら、空があんまり速《はや》くめぐりますわ」
「ええ、ああ、あの大きな橙《だいだい》の星は地平線《ちへいせん》から今上ります。おや、地平線じゃない。水平線かしら。そうです。ここは夜の海の渚《なぎさ》ですよ」
「まあ奇麗《きれい》だわね、あの波《なみ》の青びかり」
「ええ、あれは磯波《いそなみ》の波がしらです、立派《りっぱ》ですねえ、行ってみましょう」
「まあ、ほんとうにお月さまのあかりのような水よ」
「ね、水の底に赤いひとでがいますよ。銀水《ぎんいろ》[#「銀水《ぎんいろ》」はママ]のなまこがいますよ。ゆっくりゆっくり、這《は》ってますねえ、それからあのユラユラ青びかりの棘《とげ》を動かしているのは、雲丹《うに》ですね。波が寄《よ》せて来ます。少し遠のきましょう」
「ええ」
「もう、何べん空がめぐったでしょう。たいへん寒《さむ》くなりました。海がなんだか凍《こお》ったようですね。波はもう、うたなくなりました」
「波《なみ》がやんだせいでしょうかしら。何か音がしていますわ」
「どんな音」
「そら、夢《ゆめ》の水車のきしりのような音」
「ああそうだ。あの音だ。ピタゴラス派《は》の天球運動《てんきゅううんどう》の諧音《かいおん》です」
「あら、なんだかまわりがぼんやり青白くなってきましたわ」
「夜が明けるのでしょうか。いやはてな。おお立派《りっぱ》だ。あなたの顔がはっきり見える」
「あなたもよ」
「ええ、とうとう、僕《ぼく》たち二人きりですね」
「まあ、青白い火が燃《も》えてますわ。まあ地面《じめん》と海も。けど熱《あつ》くないわ」
「ここは空ですよ。これは星の中の霧《きり》の火ですよ。僕たちのねがいがかなったんです。ああ、さんたまりや」
「ああ」
「地球《ちきゅう》は遠いですね」
「ええ」
「地球はどっちの方でしょう。あたりいちめんの星、どこがどこかもうわからない。あの僕のブッキリコはどうしたろう。あいつは本当はかあいそうですね」
「ええ、まあ、火が少し白くなったわ、せわしく燃えますわ」
「きっと今秋ですね。そしてあの倉庫《そうこ》の屋根《やね》も親切でしたね」
「それは親切とも」いきなり太《ふと》い声がしました。気がついてみると、ああ、二人ともいっしょに夢《ゆめ》を見ていたのでした。いつか霧《きり》がはれてそら一めんの星が、青や橙《だいだい》やせわしくせわしくまたたき、向《む》こうにはまっ黒な倉庫《そうこ》の屋根《やね》が笑《わら》いながら立っておりました。
二人はまたほっと小さな息《いき》をしました。
底本:「セロ弾きのゴーシュ」角川文庫、角川書店
1957(昭和32)年11月15日初版発行
1967(昭和42)年4月5日10版発行
1993(平成5)年5月20日改版50版発行
初出:「岩手毎日新聞」
1923(大正12)年5月
入力:土屋隆
校正:田中敬三
2008年3月25日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)、『日本国語大辞典 第二版』(小学館、2001.5)。
*後記(
本文中、「めくらトンビ」はそのままにしました。
13日(金)県内にて今年初の黄砂。
どうだんつつじ、芝桜、あやめ、ななかまどの花、もみじの花。
むむ……CIAに暗殺されるまえに、エロDVDに自爆トラップをしかけて湮滅せねば。白ヒゲだからふけて見えるが、1957年生まれだから54歳か。有名人はひと目につきやすいからエロマンガの立ち読みもできない……なにかとたいへんだよなあ。
第三巻 第四三号
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T-Time マガジン 週刊ミルクティー* 第三巻 第四二号
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編集:しだひろし/PoorBook G3'99
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〒994-0024 山形県天童市鎌田2丁目1−21
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第三巻 第八号 卑弥呼考(二)内藤湖南 定価:200円
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第三巻 第一四号 倭女王卑弥呼考(二)白鳥庫吉 月末最終号:無料
第三巻 第一五号 倭奴国および邪馬台国に関する誤解 他 喜田貞吉 定価:200円 倭奴国と倭面土国および倭国とについて稲葉君の反問に答う/倭奴国および邪馬台国に関する誤解
第三巻 第一六号 初雪 モーパッサン 秋田 滋(訳) 定価:200円
第三巻 第一七号 高山の雪 小島烏水 定価:200円
第三巻 第一八号 光をかかぐる人々[続]『世界文化』連載分(一)徳永 直 月末最終号:無料
第三巻 第一九号 光をかかぐる人々[続]『世界文化』連載分(二)徳永 直 定価:200円
第三巻 第二〇号 光をかかぐる人々[続]『世界文化』連載分(三)徳永 直 定価:200円
第三巻 第二一号 光をかかぐる人々[続]『世界文化』連載分(四)徳永 直 定価:200円
アジアには十六世紀を前後して銅活字の時代があり、朝鮮でも日本でもおこなわれている。秀吉の朝鮮侵略のみやげものに端を発している家康・家光時代の銅活字印刷があるけれど、それにくらべると、このさし絵に見る康熙帝の印刷局ははるかに大規模で組織的であることがわかる。しかし、日本でも『お湯殿日記』に見るような最初の文選工は「お公卿たち」であったが、支那でもあごひげの長い官人たちであった。明治になって印刷術が近代化されてからでも、印刷工業をおこした人々の多くが、武家など文字になじみのある階級だったように、私の徒弟だったころの先輩の印刷工の多くが、やはり士族くずれだったことを思い出す。(略)
武英殿の銅活字は康熙帝の孫、高宗〔乾隆帝〕の代になるとつぶされて銅貨となった。日本でも家康時代の銅活字は同じ運命をたどっているけれど、支那のばあいは銅貨の不足が原因といわれている。しかし、もっと大きな原因は金属活字にあって、漢字組織ができないならば、またプレス式の印刷機もないとするならば、むしろ手わざの発達による木版の方が容易であり便利であった。ボディが銅であれ鉛であれ、それが彫刻に過ぎないならば、むしろ木版にしくはない。銅活字がほろびて再び木版術が栄え、極彩色の芸術的な印刷物もできるようになった。康熙・乾隆の時代に見られるこの傾向は、十七世紀の終わりから十八世紀のなかほどまでであるが、江戸中期から木版術が再興し、世界にたぐいない木版印刷術を生み出した日本と時間的にもほぼ一致している――ということも、漢字が持つ共通の宿命がするわざであったろう。
第三巻 第二二号 光をかかぐる人々[続]『世界文化』連載分(五)徳永 直 月末最終号:無料
『東洋文化史上におけるキリスト教』(三六二ページ)で溝口靖夫氏は、前に述べたメドハーストが(Ibid, P.366)自分の当時の経験を追懐した文章を根拠にして、つぎのように述べているところがある。――第五の困難は、アヘン問題と宣教師の関係であった。メドハーストが広東に着いた一八三五年は、アヘン戦争の直前であり、支那と英国のあいだに険悪な空気がみなぎっていた。このときにあたって宣教師たちは、きわめて困難なる立場に置かれた。宣教師たちは、しばしばアヘンを積んだ船に乗ってきた。しかも、メドハーストらは切符は買っているが、積荷について容嘴(ようし)する権利はなかった。……宣教師は、英国人と支那人との間に立って、しばしば通訳の労をとらねばならなかったが、こんなとき支那人はアヘン貿易は正義にかなえるものなりや否や? をただすのであった。……ゆえに当時、宣教師たちのこいねがったのは、一艘の伝道用船を得ることであった。これによりアヘンの罪悪からまぬがるることであった。――一艘の伝道船で、アヘンから逃れることはできないけれど、一口にいって「インドからの手紙」は、英国議会をして宣教師らの活動を保証させる決議案をパスさせながら、こんどは「信教の自由憲章」を勝ち取らねばならぬほどそれが首かせになったことを示している。つまり、産業革命が生み出したアルファベット人種の革命的進歩性は、おなじ産業革命が生み出した「アヘンの罪悪」と衝突しなければならなかったが、この矛盾こそ資本主義の矛盾の中味であり、限界であった。
第三巻 第二三号 銀河鉄道の夜(一)宮沢賢治 定価:200円
「ですから、もしもこの天の川がほんとうに川だと考えるなら、その一つ一つの小さな星はみんなその川のそこの砂や砂利の粒にもあたるわけです。またこれを大きな乳の流れと考えるなら、もっと天の川とよく似ています。つまりその星はみな、乳のなかにまるで細かにうかんでいる脂油(あぶら)の球にもあたるのです。(略)」
先生は中にたくさん光る砂のつぶの入った大きな両面の凸レンズをさしました。
「天の川の形はちょうどこんななのです。このいちいちの光るつぶが、みんな私どもの太陽と同じようにじぶんで光っている星だと考えます。私どもの太陽がこのほぼ中ごろにあって地球がそのすぐ近くにあるとします。みなさんは夜にこのまん中に立ってこのレンズの中を見まわすとしてごらんなさい。こっちの方はレンズが薄いので、わずかの光る粒、すなわち星しか見えないのでしょう。こっちやこっちの方はガラスが厚いので、光る粒すなわち星がたくさん見え、その遠いのはボウッと白く見えるという、これがつまり今日の銀河の説なのです。そんならこのレンズの大きさがどれくらいあるか、また、その中のさまざまの星についてはもう時間ですから、この次の理科の時間にお話しします。では今日はその銀河のお祭りなのですから、みなさんは外へ出て、よく空をごらんなさい。ではここまでです。本やノートをおしまいなさい。」
そして教室じゅうはしばらく机のふたをあけたりしめたり本をかさねたりする音がいっぱいでしたが、まもなく、みんなはきちんと立って礼をすると教室を出ました。
第三巻 第二四号 銀河鉄道の夜(二)宮沢賢治 定価:200円
そのとき汽車はだんだんしずかになって、いくつかのシグナルと転轍器(てんてつき)の灯をすぎ、小さな停車場に止まりました。
その正面の青じろい時計はかっきり第二時を示し、その振子は、風もなくなり汽車も動かずしずかなしずかな野原のなかに、カチッカチッと正しく時をきざんで行くのでした。
そしてまったくその振子の音の間から遠くの遠くの野原のはてから、かすかなかすかな旋律が糸のように流れてくるのでした。「新世界交響楽だわ。」むこうの席の姉がひとりごとのようにこっちを見ながらそっと言いました。まったくもう車の中ではあの黒服の丈高い青年も誰もみんなやさしい夢を見ているのでした。
(こんなしずかないいところで僕はどうしてもっと愉快になれないだろう。どうしてこんなにひとりさびしいのだろう。けれどもカムパネルラなんかあんまりひどい。僕といっしょに汽車に乗っていながら、まるであんな女の子とばかり話しているんだもの。僕はほんとうにつらい。)
ジョバンニはまた両手で顔を半分かくすようにして、むこうの窓の外を見つめていました。
透きとおったガラスのような笛が鳴って、汽車はしずかに動き出し、カムパネルラもさびしそうに星めぐりの口笛をふきました。
第三巻 第二五号 ドングリと山猫/雪渡り 宮沢賢治 定価:200円
空が青くすみわたり、ドングリはピカピカしてじつにきれいでした。
「裁判ももう今日で三日目だぞ、いい加減になかなおりをしたらどうだ。」山ねこが、すこし心配そうに、それでもむりに威張(いば)って言いますと、ドングリどもは口々にさけびました。
「いえいえ、だめです、なんといったって頭のとがってるのがいちばんえらいんです。そしてわたしがいちばんとがっています。」
「いいえ、ちがいます。まるいのがえらいのです。いちばんまるいのはわたしです。」
「大きなことだよ。大きなのがいちばんえらいんだよ。わたしがいちばん大きいからわたしがえらいんだよ。」
「そうでないよ。わたしのほうがよほど大きいと、きのうも判事さんがおっしゃったじゃないか。」
「だめだい、そんなこと。せいの高いのだよ。せいの高いことなんだよ。」
「押しっこのえらいひとだよ。押しっこをしてきめるんだよ。」もうみんな、ガヤガヤガヤガヤ言って、なにがなんだか、まるで蜂の巣をつっついたようで、わけがわからなくなりました。そこで山猫がさけびました。
「やかましい! ここをなんとこころえる。しずまれ、しずまれ!」
第三巻 第二六号 光をかかぐる人々[続]『世界文化』連載分(六)徳永 直 定価:200円
活字が日本に渡るには、他の条件が必要であった。そして、その他の条件のうちもっとも大きなものは、やはり文久二年・一八六二年の日本幕府がはじめてやった貿易船千歳丸の上海入港であったろう。(略)経済的にいえばこの貿易は失敗したけれど、不馴れな幕府の役人たちは積荷をそのまま持ち戻るはめにもなったけれど、オランダの役人につれられて各国の領事たちにあったり、諸外国人の活動ぶりを見てびっくりした。たとえばこれを便乗者・高杉一人の場合に見てもあきらかである。(略)その後二年あまりで、攘夷の中心長州藩が領民に洋品使用の禁を解き、薩摩や佐賀と前後して海外貿易を営なんだ急角度の転回も、したがって「薩長締盟」を可能にした思想的背景も、このときの千歳丸便乗によって彼が上海で感得したものによるところ、はなはだ多いといわれている。
(略)第一回の千歳丸のときは高杉のほかに中牟田や五代〔五代友厚か。〕や浜松藩の名倉(なぐら)予可人(あなと)などあったが、第二回の健順丸のときは、前巻でなじみの昌造の同僚で長崎通詞、安政開港に功労のあった森山多吉郎、先の栄之助がいまは外国奉行支配調役として乗り組んでいたし、第三回目、慶応三年(一八六七)の同じく幕府船ガンジス号のときは、佐倉藩士高橋作之助〔猪之助か。〕(のちの由一)ら多数があり、たび重なるにつれて上海渡航者の数は急速に増えていった。(略)
また、官船以外の密航者、あるいは藩所有の船修理と称して渡航する者もたくさんあった。(略)さては中浜万次郎を案内に立てて汽船を買いに来た土佐藩の後藤象次郎などと、千歳丸以後は「きびす相ついで」いる(略)。
第三巻 第二七号 特集 黒川能・春日若宮御祭 折口信夫 月末最終号:無料
黒川能・観点の置き所
特殊の舞台構造
五流の親族
能楽史をかえりみたい
黒川の能役者へ
村で見た黒川能
能舞台の解説
春日若宮御祭の研究
おん祭りの今と昔と
祭りのお練り
公人の梅の白枝(ずはえ)
若宮の祭神
大和猿楽・翁
影向松・鏡板・風流・開口
細男(せいのお)・高足・呪師
山形県には、秋田県へかけて室町時代の芸能に関した民俗芸術が多く残っております。黒川能は、その中でも著しいものの一つで、これと鳥海山の下のひやま舞い〔杉沢比山舞か。〕との二つは、特に皆さまに見ていただきたいものであります。この黒川能が二十数年ぶりでのぼってくるのであります。世話をしてくださった斎藤氏〔斎藤香村か。〕に感謝しなければならないと思います。
特にこの能で注意しなければならないのは、舞台構造であります。京都の壬生念仏を思わせるような舞台で、上下の廊下が橋掛りになっており、舞台の正面には春日神社の神殿をひかえているのであります。(略)奉仕する役者はというと、上座と下座が二部落にわかれており、ここで能をするときは、上座は左橋掛り(正面から見て)から出て舞い、下座は右橋掛りから出て舞うことになっている。これはもっとも大きな特徴で、今度の公演にいくぶんでも実現できれば結構だと思います。この神前演奏の形は、春日の若宮祭りの第一日の式と同形式といっていいと思います。しかも、黒川ではつねにその形式をくり返しているわけで、見物人よりも神に対する法楽を主としていることがわかります。
(略)おもしろいのは狂言です。表情にも言語にも必ず多少の驚きを受けられるでしょう。ことに方言的な言い回しなどには、つい、われわれも見ていて釣りこまれるものがありました。(「黒川能・観点の置き所」より)
第三巻 第二八号 面とペルソナ/人物埴輪の眼 他 和辻哲郎 定価:200円
面とペルソナ / 文楽座の人形芝居
能面の様式 / 人物埴輪の眼
(略)しかし「意味ある形」、たとえば「甲冑」を円筒上の人物に着せたとなると、その甲冑は、四肢などに対するとはまったく段ちがいの細かな注意をもって表現されている。(略)それはこの鉄の武器が、人体などよりもはるかに強い関心の対象であったことを示すものであって、いかにも古墳時代の感じ方らしい。(略)
(略)埴輪(はにわ)人形を近くからでなく、三間、五間、あるいはそれ以上に、ときには二、三十間の距離を置いて、ながめてみる必要があると思う。それによって埴輪人形の眼はじつに異様な生気をあらわしてくるのである。もし、この眼が写実的に形作られていたならば、すこし遠のけば、はっきりとは見えなくなるであろう。しかるにこの眼は、そういう形づけを受けず、そばで見れば粗雑に裏までくりぬいた空洞の穴にすぎないのであるが、遠のけば遠のくほど、その粗雑さが見えなくなり、魂の窓としての眼の働きが表面へ出てくる。それが異様な生気を現わしてくるゆえんなのである。眼にそういう働きがあらわれれば、顔面は生気をおび、埴輪人形全体が生きてくるのはもちろんである。古墳時代の人々はそういうふうにして埴輪の人形を見、また、そういうふうに見えるものとして埴輪の人形を作ったのであった。
第三巻 第二九号 火山の話 今村明恒 定価:200円
桜島噴火はいちじるしい前徴を備えていた。数日前から地震が頻々(ひんぴん)におこることは慣例であるが、今回も一日半前から始まった。また七、八十年前から土地がしだいに隆起しつつあったが、噴火後は元どおりに沈下したのである。そのほか、温泉・冷泉がその温度を高め、あるいは湧出量を増し、あるいは新たに湧出し始めたようなこともあった。
霧島火山群は東西五里にわたり二つの活火口と多くの死火山とを有している。その二つの活火口とは矛の峰(高さ一七〇〇メートル)の西腹にある御鉢(おはち)と、その一里ほど西にある新燃鉢(しんもえばち)とである。霧島火山はこの二つの活火口で交互に活動するのが習慣のように見えるが、最近までは御鉢が活動していた。ただし享保元年(一七一六)における新燃鉢の噴火は、霧島噴火史上においてもっとも激しく、したがって最高の損害記録をあたえたものであった。
磐梯山(高さ一八一九メートル)の明治二十一年(一八八八)六月十五日における大爆発は、当時、天下の耳目を聳動(しょうどう)せしめたものであったが、クラカトアには比較すべくもない。このときに磐梯山の大部分は蒸気の膨張力によって吹き飛ばされ、堆積物が渓水をふさいで二、三の湖水を作ったが、東側に流れ出した泥流のために土地のみならず、四百余の村民をも埋めてしまったのである。
第三巻 第三〇号 現代語訳『古事記』(一)武田祐吉(訳)
定価:200円
古事記 上の巻
序文
過去の時代(序文の第一段)
『古事記』の企画(序文の第二段)
『古事記』の成立(序文の第三段)
『古事記』の成立(序文の第三段)
一、イザナギの命とイザナミの命
天地のはじめ
島々の生成
神々の生成
黄泉の国
身禊
二、アマテラス大神とスサノオの命
誓約
天の岩戸
三、スサノオの命
穀物の種
八俣の大蛇
系譜
スサノオの命は、かようにして天の世界から逐(お)われて、下界へ下っておいでになり、まず食物をオオゲツ姫の神にお求めになりました。そこでオオゲツ姫が鼻や口、また尻からいろいろのごちそうを出して、いろいろお料理をしてさしあげました。この時にスサノオの命はそのしわざをのぞいて見て、きたないことをして食べさせるとお思いになって、そのオオゲツ姫の神を殺してしまいました。殺された神の身体にいろいろの物ができました。頭にカイコができ、二つの目に稲種ができ、二つの耳にアワができ、鼻にアズキができ、股の間にムギができ、尻にマメができました。カムムスビの命が、これをお取りになって種となさいました。
かくてスサノオの命は逐いはらわれて出雲の国の肥(ひ)の川上、鳥髪(とりかみ)という所におくだりになりました。このときに箸(はし)がその河から流れてきました。それで川上に人が住んでいるとお思いになってたずねて上っておいでになりますと、老翁と老女と二人があって少女を中において泣いております。そこで「あなたは誰ですか?」とおたずねになったので、その老翁が、「わたくしはこの国の神のオオヤマツミの神の子でアシナヅチといい、妻の名はテナヅチ、娘の名はクシナダ姫といいます」と申しました。また「あなたの泣くわけはどういう次第ですか?」とおたずねになったので「わたくしの女(むすめ)はもとは八人ありました。それを高志(コシ)の八俣の大蛇(おろち)が毎年きて食べてしまいます。今また、それの来る時期ですから泣いています」と申しました。
第三巻 第三一号 現代語訳『古事記』(二)武田祐吉(訳)
月末最終号:無料
古事記 上の巻
四、大国主の命
兎と鰐
赤貝姫と蛤貝姫
根の堅州国(かたすくに)
ヤチホコの神の歌物語
系譜
スクナビコナの神
御諸山の神
大年の神の系譜
五、アマテラス大神と大国主の命
天若日子(あめわかひこ)
国譲り
六、ニニギの命
天降り
猿女の君
木の花の咲くや姫
七、ヒコホホデミの命
海幸と山幸
トヨタマ姫
スクナビコナの神 そこで大国主の命が出雲の御大(みほ)の御埼(みさき)においでになった時に、波の上をツルイモのさやを割って船にして、蛾(が)の皮をそっくりはいで着物にして寄ってくる神さまがあります。その名を聞きましたけれども答えません。また、御従者(おとも)の神たちにおたずねになったけれども、みな知りませんでした。ところがヒキガエルが言うことには、「これはクエ彦がきっと知っているでしょう」と申しましたから、そのクエ彦を呼んでおたずねになると、「これはカムムスビの神の御子でスクナビコナの神です」と申しました。よってカムムスビの神に申し上げたところ、「ほんとにわたしの子だ。子どもの中でも、わたしの手の股からこぼれて落ちた子どもです。あなた、アシハラシコオの命と兄弟となってこの国を作り固めなさい」とおおせられました。それで、それから大国主とスクナビコナとお二人が並んでこの国を作り固めたのです。後にはそのスクナビコナの神は、海のあちらへ渡って行ってしまいました。このスクナビコナの神のことを申し上げたクエ彦というのは、今いう山田のカカシのことです。この神は足は歩きませんが、天下のことをすっかり知っている神さまです。
御諸山の神 そこで大国主の命が心憂く思っておおせられたことは、「わたしはひとりではどのようにしてこの国を作り得ましょう。どの神さまといっしょにわたしはこの国を作りましょうか?」とおおせられました。この時に、海上を照らして寄ってくる神さまがあります。その神のおおせられることには、「わたしに対してよくおまつりをしたら、わたしがいっしょになって国を作りましょう。そうしなければ国はできにくいでしょう」とおおせられました。そこで大国主の命が申されたことには、「それなら、どのようにしておまつりをいたしましょう?」と申されましたら、「わたしを大和の国の青々と取り囲んでいる東の山の上におまつりなさい」とおおせられました。これは御諸(みもろ)の山においでになる神さまです。
第三巻 第三二号 現代語訳『古事記』(三)武田祐吉(訳)
定価:200円
古事記 中の巻
一、神武天皇
東征
速吸の門
イツセの命
熊野から大和へ
久米歌
神の御子
タギシミミの命の変
二、綏靖天皇以後八代
綏靖天皇
安寧天皇
懿徳天皇
孝昭天皇
孝安天皇
孝霊天皇
孝元天皇
開化天皇
三、崇神天皇
后妃と皇子女
美和の大物主
将軍の派遣
四、垂仁天皇
后妃と皇子女
サホ彦の反乱
ホムチワケの御子
丹波の四女王
時じくの香の木の実
この天皇〔崇神天皇〕の御世に、流行病がさかんにおこって、人民がほとんどつきようとしました。ここに天皇は、ご憂慮あそばされて、神をまつってお寝みになった晩に、オオモノヌシの大神がお夢にあらわれておおせになるには、「かように病気がはやるのは、わたしの心である。これはオオタタネコをもってわたしを祭らしめたならば、神のたたりが起こらずに国も平和になるだろう」とおおせられました。そこで急使を四方に出してオオタタネコという人を求めたときに、河内の国の美努(みの)の村でその人を探し出してたてまつりました。(略)そこで天皇が非常にお歓びになっておおせられるには、「天下が平らぎ人民が栄えるであろう」とおおせられて、このオオタタネコを神主として御諸山(みもろやま)でオオモノヌシの神をおまつり申し上げました。(略)これによって疫病がやんで国家が平安になりました。
このオオタタネコを神の子と知ったしだいは、上に述べたイクタマヨリ姫は美しいお方でありました。ところが形姿・威儀並びなき一人の男が夜中にたちまち来ました。そこでたがいに愛でて結婚して住んでいるうちに、何ほどもないのにその嬢子(おとめ)が妊(はら)みました。そこで父母が妊娠したことを怪しんで、その娘に、「お前は自然に妊娠した。夫がないのにどうして妊娠したのか?」とたずねましたから、答えて言うには「名も知らないりっぱな男が夜ごとに来て住むほどに、自然に妊みました」と言いました。そこでその父母が、その人を知りたいと思って、その娘に教えましたのは、「赤土を床のほとりに散らし麻糸を針につらぬいてその着物の裾(すそ)に刺せ」と教えました。よって教えたとおりにして、朝になって見れば、針をつけた麻は戸の鉤穴から貫けとおって、残った麻はただ三輪だけでした。そこで鉤穴から出たことを知って糸をたよりにたずねて行きましたら、三輪山に行って神の社にとまりました。そこで神の御子であるとは知ったのです。その麻の三輪残ったのによってそこを三輪というのです。このオオタタネコの命は、神(みわ)の君・鴨(かも)の君の祖先です。
第三巻 第三五号 地震の話(一)今村明恒 月末最終号:無料
一、はしがき
二、地震学のあらまし
三、地震に出会ったときの心得(こころえ)
一、突差(とっさ)の処置
二、屋外(おくがい)への避難
日本は地震国であり、また地震学の開けはじめた国である。これは誤りのない事実であるけれども、もし日本は世界中で地震学がもっとも進んだ国であるなどというならば、それはいささかうぬぼれの感がある。実際、地震学のある方面では、日本の研究がもっとも進んでいる点もあるけれども、その他の方面においては必ずしもそうでない。それゆえ著者らは地震学をもって世界に誇ろうなどとは思っていないのみならず、この頃のように、わが国民がくりかえし地震に征服せられてみると、むしろ恥かしいような気持ちもする。すなわち大正十二年(一九二三)の関東大地震においては一〇万の生命と五十五億円の財産とを失い、二年後、但馬の国のケチな地震のため、四〇〇の人命と三〇〇〇万円の財産とを損し、また二年後の丹後地震によって三〇〇〇の死者と一億円の財産損失とを生じた。そしてこれらの損失のほとんど全部は地震後の火災によるものであって、被害民の努力しだいによっては大部分、免れ得られるべき損失であった。しかるに事実はそうでなく、あのような悲惨な結果の続発となったのであるが、これを遠く海外からながめてみると、日本はおそろしい地震国である。地震のたびごとに大火災をおこす国である。外国人は命がけでないと旅行のできない国である。国民は、ああたびたび地震火災に悩まされても少しもこりないもののようである。地震によって命を失うことをなんとも思っていないのかもしれないなどという結論を下されないとも限らぬまい。実際、これは欧米人の多数が日本の地震に対する観念である。かく観察されてみるとき、著者のごとき斯学の専攻者は非常な恥辱を感ぜざるを得ないのである。もちろん、この学問の研究が容易に進歩しないのも震災国たるの一因には相違ないが、しかしながら地震に対して必要な初歩の知識がわが国民に欠けていることが、震災拡大の最大原因であろう。じつに著者のごときは、地震学が今日以上に進歩しなくとも、震災のほとんど全部はこれを免れ得る手段があると考えているものの一人である。
第三巻 第三六号 地震の話(二)今村明恒 定価:200円
【DL-MARKET 被災地支援チャリティー企画 参加作品】
※ この作品は、売上金が東日本大震災・被災地への義援金となります。ご購入いただくと、価格200円の全額が日本赤十字社に寄付されます。
三、地震に出会ったときの心得
三、階下の危険
四、屋内にての避難
五、屋外における避難
六、津波と山津波(やまつなみ)との注意
七、災害防止
八、火災防止(一)
九、火災防止(二)
一〇、余震に対する処置
非局部性の大地震をおこすことのある海洋底に接した海岸地方は、大ゆれの地震にみまわれたばあい、津波についての注意を要する。ただし、津波をともなうほどの地震は最大級のものであるから、倒壊家屋を生ずる区域が数個の国や県にわたることもあり、あるいは震源距離が陸地からあまり遠いために、単に広区域にわたって大ゆれのみを感じ、地震の直接の損害を生じないこともある。
(略)津波とは津の波、すなわち港に現われる大津波であって、暴風など気象上の変調からおこることもあるが、もっとも恐ろしいのは地震津波である。元来、波というから、読者はすぐに風でおこされる波を想像せられるかもしれないが、むしろ潮の差し引きというほうが実際に近い。
(略)明治二十九年(一八九六)の三陸大津波は、その原因、数十里の沖合いにおける海底の地形変動にあったのであるが、津波の常習地たるじょうご形の港湾の奥においては、図に示されたとおり、あるいは八十尺、あるいは七十五尺というような高さの洪水となり、合計二万七〇〇〇人の人命を奪ったのに、港湾の両翼端ではわずかに数尺にすぎないほどのものであったし、その夜、沖合いに漁猟に行っていた村人は、あんな悲惨事が自分の村でおこったことを夢想することもできず、翌朝、跡かたもなく失われた村へ帰って茫然自失したという。
(略)しばしば海底の大地震をおこす場所に接し、そこに向かって大きくじょうご形に開いた地形の港湾がそれにあたるわけであるが、これについで多少の注意をはらうべきは、遠浅の海岸である。たとい海岸線が直線に近くとも、遠浅だけの関係で、波の高さが数倍の程度に増すこともあるから、もし沖合いにおける高さが数尺のものであったならば、前記のごとき地形の沿岸において多少の被害を見ることもある。
第三巻 第三七号 津波と人間/天災と国防/災難雑考 寺田寅彦 定価:200円
【DL-MARKET 被災地支援チャリティー企画 参加作品】
※ この作品は、売上金が東日本大震災・被災地への義援金となります。ご購入いただくと、価格200円の全額が日本赤十字社に寄付されます。
しかし、ここで一つ考えなければならないことで、しかも、いつも忘れられがちな重大な要項がある。それは、文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその劇烈の度を増すという事実である。(略)
文明が進むにしたがって人間は、しだいに自然を征服しようとする野心を生じた。そうして、重力に逆らい、風圧・水力に抗するようないろいろの造営物を作った。そうして、あっぱれ自然の暴威を封じ込めたつもりになっていると、どうかした拍子に檻(おり)をやぶった猛獣の大群のように、自然があばれ出して高楼を倒壊せしめ、堤防を崩壊させて人命を危うくし、財産をほろぼす。その災禍をおこさせた元のおこりは、天然に反抗する人間の細工であるといっても不当ではないはずである。災害の運動エネルギーとなるべき位置エネルギーを蓄積させ、いやがうえにも災害を大きくするように努力しているものは、誰あろう文明人そのものなのである。
もう一つ、文明の進歩のために生じた対自然関係のいちじるしい変化がある。それは人間の団体、なかんずくいわゆる国家あるいは国民と称するものの有機的結合が進化し、その内部機構の分化がいちじるしく進展してきたために、その有機系のある一部の損害が系全体に対してはなはだしく有害な影響をおよぼす可能性が多くなり、ときには一小部分の傷害が全系統に致命的となりうる恐れがあるようになったということである。(略)
二十世紀の現代では、日本全体が一つの高等な有機体である。各種の動力を運ぶ電線やパイプやが縦横に交差し、いろいろな交通網がすきまもなく張り渡されているありさまは、高等動物の神経や血管と同様である。その神経や血管の一か所に故障がおこれば、その影響はたちまち全体に波及するであろう。今度の暴風で畿内地方の電信が不通になったために、どれだけの不都合が全国に波及したかを考えてみれば、このことは了解されるであろう。
第三巻 第三八号 春雪の出羽路の三日 喜田貞吉 定価:200円
【DL-MARKET 被災地支援チャリティー企画 参加作品】
※ この作品は、売上金が東日本大震災・被災地への義援金となります。ご購入いただくと、価格200円の全額が日本赤十字社に寄付されます。
思いのほかの雪中旅行 / 箱雪車(はこぞり)とモンペ / 後三年駅 / 江畑新之助君 / タヤとラク / 防壁と立薦(たつごも) / 雪の金沢柵址 / 金沢八幡社のお通夜 / 仙北の俘囚(ふしゅう) / 山形泰安寺――秋元家の巾着寺 / 庄内の獅子踊りと神楽、サイドウ / 山形県の史跡調査について / 山形城址 / おばこ踊り / 羽黒の裸祭
昨年〔大正十一年(一九二二)〕十一月にはじめて出羽の踏査に着手したその続きを、この春の休暇中にやってみたいと思っているおりから、山形県史跡名勝天然記念物調査委員会の開会式がおこなわれるので、やって来ぬかと理事官の有吉君から言ってこられた。これ幸いと、さきにご厄介になった庄内の阿部正己君に、同地方遺跡踏査のご相談におよぶと、このころはまだ雪が深くてとてもダメだとのお返事だ。冗談じゃない、こちらではもう桜が咲きかけているころだ。同じ本州のうちでも奥羽地方となるとそんなにまで様子が違うものか、これは一つ、遺跡踏査よりも雪の春景色を見たいものだ。それには庄内方面よりもいっそう雪の深かりそうな羽後の仙北地方がよかろう。かねて見たいと思っている後三年の役の遺跡・金沢柵址を、雪の中に見てまわるもおもしろかろう。ついでに、久しくお目にかからぬ紫水生・深沢多市君をもお訪ねしたい。(略)
十二時すこし前に後三年駅で下車すると、改札口に深沢君が待っておられる。(略)
自分らのソリの通っている下はことごとく水田で、道路も用水路もかまわず、好きなところを好きな方向に、勝手に道を作ってその上を進んで行くのだ。農夫は朝早くからソリで肥料を運搬して、各自、自分の地面と思うところへそれを分配している。まちがえて他人の地面に置いて行くことはなかろうかと、他目には案じられるが、遠方の立木や山などの見通しで見当をつけて、自分の地面をまちがえるようなことは決してないそうな。なんでもこの雪国では、雪の上の交通を利用して、その期間になるべく物を運んでおくのだという。材木を載せたソリ、砂利を載せたソリなど、いくつも縦列をなして通っている。土木工事の材料を、今のうちに軽々と運んでおくものらしい。雪の多いときには、一人で十数俵の米を運ぶのも容易だという。他所にあって考えたときには、雪に閉じこめられた地方の人々は、さだめてその期間禁足の憂き目を味わって、薄暗い家の中にのみ数か月間を閉じこめられているのかと気の毒にも思っていたが、その時がかえって交通に至便なのだとは、雪にもやはり利用の道があるものだ。
第三巻 第三九号 キュリー夫人/はるかな道(他)宮本百合子 定価:200円
【DL-MARKET 被災地支援チャリティー企画 参加作品】
※ この作品は、売上金が東日本大震災・被災地への義援金となります。ご購入いただくと、価格200円の全額が日本赤十字社に寄付されます。
キュリー夫人
はるかな道
キュリー夫人の命の焔
刻々、パリの危険がせまってきた。キュリー夫人は貴重な一グラムを、安全なボルドー市へ移すことにきめた。一グラムのラジウムとは、鉛のかぶせ蓋(ぶた)の中で細い管がいくつもたえず光っている、一つのたいへんに重い箱である。黒いアルパカの外套(がいとう)を着て、古びて形のくずれた丸いやわらかい旅行帽をかぶったマリアは、単身、その重い箱を持って満員の列車に乗りこんだ。客車の中は、敗戦の悲観論にみちあふれている。鉄道沿線の国道には、西へ西へと避難してゆく自動車の列がどこまでも続いている。しかし、キュリー夫人はあたりの動乱に断固として耳をかさず、憂いと堅忍との輝いている独特な灰色の眼で、日光をあびたフランス平野の景色をながめていた。(略)
けれどもX光線の設備に、なくてならない電気さえひかれていないような野戦病院へ殺到してくる負傷者たちを、どうしたらいいだろう。キュリー夫人は、あることを思いついた。フランス婦人協会の費用で光線治療車というものを作った。これはヨーロッパでもはじめての試みであった。普通の自動車にレントゲン装置と、モーターと結びついて動く発電機を取りつけたもので、この完全な移動X光線班は一九一四年八月から各病院をまわりはじめた。フランスの運命を好転させた歴史的な戦いであるマルヌの戦闘で、故国のために傷ついた人々は、パリへ後送されて、その移動班に助けられたのであった。
第三巻 第四〇号 大正十二年九月一日…/私の覚え書 宮本百合子 月末最終号:無料
大正十二年九月一日よりの東京・横浜間大震火災についての記録
私の覚え書
列車は人と貨物を満載し、あぶら汗をにじませるむし暑さにつつまれながら、篠井ぐらいまでは、急行らしい快速力で走った。午前二時、三時となり、だんだん信州の高原にさしかかると、停車する駅々の雰囲気が一つごとに緊張の度を増してきた。在郷軍人、消防夫、警官などの姿がちらつき、手に手に提灯をかざして警備している。福井を出発するとき、前日ごろ軽井沢で汽車爆破をくわだてた暴徒が数十名捕らえられ、数人は逃げたという噂があった。旅客はみなそれを聞き知ってい、なかには、ことさら「いよいよ危険区域に入りましたな」などという人さえある。
五日の暁方四時少しすぎ、列車がちょうど軽井沢から二つ手前の駅に着く前、一般の神経過敏をよく現わした一つの事件が持ちあがった。前から二つ目ばかりの窓ぎわにいた一人の男が、「この車の下に何者かが隠れている。爆弾を持った〔二字伏せ字〕に違いない」と言い出したのであった。なにしろひどい混みようで、とうてい席などは動けないので、遠い洗面所その他はまるで役に立たない。その人は、窓から用をたしたのだそうだ。そして、何心なくひょいと下をのぞくと、たしかに人間の足がいそいでひっこんだのを認めた。自分ばかりではなく、もう一人の者も間違いなく見たというのである。
はじめ冗談だと思ったみなも、その人があまり真剣なのでひどく不安になりはじめた。あの駅々の警備の厳重なところを見れば、まったくそんな事がないとはいわれない。万一事実とすれば、ここにいる数十人が命の瀬戸際にあるということになる。不安がつのるにつれ、非常警報器を引けという者まで出た。駅の構内に入るために列車がしばらく野っぱのまんなかで徐行しはじめたときには、乗客はほとんど総立ちになった。何か異様がおこった。今こそあぶないという感が一同の胸をつらぬき、じっと場席にいたたまれなくさせたのだ。
二、ノルデはそれからまた十二年、
三、ノルデは、
四、フウケーボー大
五、
バケモノ
六、さすがのフウケーボー大
大
七、ノルデは頭からすっかり
サンムトリの
八、ノルデは、
ノルデ、
九、ノルデがこさえたトランプのカードを、みんなは春は
十、ノルデはみんなの
おれは南の方でやってみせるよ。大
十一、ノルデは三べん
どうだい。ひどく
十二、ノルデは
底本:
1957(昭和32)年11月15日初版発行
1967(昭和42)年4月5日10版発行
1993(平成5)年5月20日改版50版発行
入力:土屋隆
校正:田中敬三
2006年3月22日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
ラジウムの雁
宮沢賢治どうだ。
「やっぱり
「
それ、ごらんなさい。かすかな心の
西の
「ぜんたい、お
「さあ、どれくらいになってるかな。
「うん。それほどでもないな。
この
いまは、
「うん、そうだ。だましてそっと
このへんに
ふう、スバルがずうっと西に
「あしたの朝は早いだろう。
「七時だよ。
まるっきり、秋のきもちだ。
底本:
1956(昭和31)年12月20日発行
入力:tucca
校正:高柳典子
2004年2月19日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
シグナルとシグナレス
宮沢賢治
「ガタンコガタンコ、シュウフッフッ、
さそりの赤眼 が 見えたころ、
四時から今朝 も やってきた。
遠野 の盆地 は まっくらで、
つめたい水の 声ばかり。
ガタンコガタンコ、シュウフッフッ、
凍 えた砂利 に 湯 げを吐 き、
火花 を闇 に まきながら、
蛇紋岩 の 崖 に来 て、
やっと東が燃 えだした。
ガタンコガタンコ、シュウフッフッ、
鳥 がなきだし 木は光 り、
青々 川は ながれたが、
丘 もはざまも いちめんに、
まぶしい霜 を 載 せていた。
ガタンコガタンコ、シュウフッフッ、
やっぱりかけると あったかだ、
僕 はホウホウ 汗 が出る。
もう七、八里 馳 せたいな、
今日 も一日 霜 ぐもり。
ガタンガタン、ギー、シュウシュウ」
さそりの
四時から
つめたい水の 声ばかり。
ガタンコガタンコ、シュウフッフッ、
やっと東が
ガタンコガタンコ、シュウフッフッ、
まぶしい
ガタンコガタンコ、シュウフッフッ、
やっぱりかけると あったかだ、
もう七、八
ガタンガタン、ギー、シュウシュウ」
そこで
シグナレスは、ホッと小さなため
シグナレスはじっとその
「
シグナレスはいつまでもいつまでも、そっちに
「カタン」
うしろの方のしずかな空で、いきなり音がしましたので、シグナレスは
「おはよう、
「おはようございます」シグナレスはふし
「
「ゴゴン、ゴーゴー、
うすい雲 から
酒 が降 りだす、
酒の中から
霜 がながれる。
ゴゴン、ゴーゴー、
ゴゴン、ゴーゴー、
霜 がとければ、
つちはまっくろ。
馬 はふんごみ、
人もペチャペチャ。
ゴゴン、ゴーゴー」
うすい
酒の中から
ゴゴン、ゴーゴー、
ゴゴン、ゴーゴー、
つちはまっくろ。
人もペチャペチャ。
ゴゴン、ゴーゴー」
それから、もっともっとつづけざまに、わけのわからないことを
そのあいだに
「どうか気にかけないでください。こいつはもう、まるで
「あら、そんなことございませんわ」と
「
「あらあら、そんなこと」
「シグナレスさん、どうかまじめで聞いてください。
「あら、そんな
「もちろん、いけないですよ。
シグナレスは、じっと下の方を見て
「ゴゴンゴーゴー、
やまのいわやで、
熊 が火をたき、
あまりけむくて、
ほらを逃 げ出す。ゴゴンゴー、
田螺 はノロノロ。
うう、田螺 はノロノロ。
田螺 のシャッポ〔ぼうし。〕 は、
羅紗 の上等 、ゴゴンゴーゴー」
やまのいわやで、
あまりけむくて、
ほらを
うう、
「シグナレスさん、あなたはお
「いや、
シグナルつきの
「えい。お
「それはまた、どうしたことでござりまする? ちょっとやつがれ〔
「いいよ、お
シグナルは高く
五日の月が、西の
「ああ、
「ああ、シグナルさんもあんまりだわ、あたしが
こう
ふるえながら言いました。
「シグナレスさん。あなたは
「あたし、
「シグナレスさん、それはあんまりひどいお
「あら、その
その赤いメガネもゆれたのです。
「シグナレスさん、なぜ、あなたは
「だって、あなたがあんなにお
「ふふん。ああ、そのことですか。ふん。いいえ。そのことならばご
「あら、ほんとう? うれしいわ」
「だから、
五日のお月さまは、このとき
「またあなたは、だまってしまったんですね。やっぱり
「あら、ちがいますわ」
「そんなら、どうです? どうです? どうです?」
「あたし、もう、
「
「ええ」
「そんならいいでしょう。
「でも」
「でも、なんですか?
「だってあたしは、こんなつまらないんですわ」
「わかってますよ。
すると、さあ、シグナレスはあらんかぎりの
「でもあなたは、
「わかってますよ。だから
「あら、ほんとう? うれしいわ。あたし、お
「え、ありがとう、うれしいなあ。
「ええ、そうよ、あたし
「
「ええ」
「あの、いちばん下の
「ええ。ありがとう、いただきますわ」
「ワッハッハ。
ところが
「いや、
そのときです、お月さまがカブンと山へお入りになって、あたりがポカッと、うす
いまは風があんまり強いので、
シグナレスはこのとき、東のグラグラするくらい強い
「どうもひどい風ですね。あなた、頭がほてって
それからシグナルは、ううううと言いながら
シグナレスもおとなしく、シグナルの
シグナルはつばを
「ね、
「
いきなり
「
シグナルは、やっと
「バカ!
ああ、シグナルは
「くそっ、エイッ! いまいましい。あんまりだ。
「あああ、八年のあいだ、夜ひる
風はますます
シグナルは
さあ
月の光が
「シグナレスさん、ほんとうに
たまらずシグナルが、そっとシグナレスに話しかけました。
「ええ、みんな、あたしがいけなかったのですわ」シグナレスが青じろくうなだれて
「ああ、シグナレスさん、
「ええ、あたし、行けさえするなら、どこへでも行きますわ」
「ねえ、ずうっとずうっと
「ええ」シグナレスは小さな
「あすこには青い
「ええ」
「けれどあすこには
「ええ」
「ああ、お
「ええ」
「さあ、いっしょに
「ええ」
「あわれみふかいサンタマリア、すきとおる夜の
「ああ」
星はしずかにめぐって行きました。そこであの
ギラギラのお日さまが東の山をのぼりました。シグナルとシグナレスは、パッと
「おい。
見るとそれは、さきごろの
「ふん、なんだと! お
「おいおい、あんまり大きな
「なんだと! おれはシグナルの
「そうか。おい、
「何をっ! コリッ、コリコリッ、カリッ!」
「まあまあ、そう
その
シグナルが
そのときシグナルとシグナレスとは、
「お
「ええ」
「ええ」
「そうか、では、おれが見えるようにしてやろう。いいか、おれのあとについて二人いっしょにまねをするんだぜ」
「ええ」
「そうか。ではアルファー」
「アルファー」
「ベーター」
「ガンマー」
「デルター」
じつに
「おや、どうしたんだろう? あたり
「まあ、
「いいや、頭の上が星でいっぱいです。おや、なんという大きな強い星なんだろう。それに見たこともない空の
「あら、空があんまり
「ええ、ああ、あの大きな
「まあ、きれいだわね、あの
「ええ、あれは
「まあ、ほんとうにお月さまのあかりのような水よ」
「ね、水の
「ええ」
「もう、何べん空がめぐったでしょう。たいへん
「
「どんな音?」
「そら、
「ああそうだ。あの音だ。ピタゴラス
「あら、なんだかまわりがぼんやり
「夜が
「あなたもよ」
「ええ、とうとう、
「まあ、
「ここは空ですよ。これは星の中の
「ああ」
「
「ええ」
「地球はどっちの方でしょう? あたりいちめんの星、どこがどこか、もうわからない。あの
「ええ、まあ、火がすこし白くなったわ、せわしく
「きっと
「それは
二人はまた、ホッと小さな
底本:
1957(昭和32)年11月15日初版発行
1967(昭和42)年4月5日10版発行
1993(平成5)年5月20日改版50版発行
初出:
1923(大正12)年5月
入力:土屋隆
校正:田中敬三
2008年3月25日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
ペンネンノルデはいまはいないよ
太陽にできた黒い棘をとりに行ったよ宮沢賢治
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)七つの歳《とし》に
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)フウケーボー大|博士《はかせ》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
-------------------------------------------------------
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
一、ペンネンノルデが七つの歳《とし》に太陽にたくさんの黒い棘《とげ》ができた。赤、黒い棘、父赤い眼《め》、ばくち。
二、ノルデはそれからまた十二年、森《ナスタ》のなかで昆布《こんぶ》とりをした。
三、ノルデは書記《しょき》になろうと思ってモネラの町へ出かけて行った。氷羊歯《こおりしだ》の汽車、恋人《こいびと》、アルネ。
四、フウケーボー大|博士《はかせ》はあくびといっしょにノルデの筆記帳《ひっきちょう》をすぽりとのみ込《こ》んでしまった。
五、噴火《ふんか》を海へ向《む》けるのはなかなか容易《ようい》なことでない。
化物丁場《ばけものとうじょう》、おかしなならの影《かげ》、岩頸問答《がんけいもんどう》、大博士発明のめがね。
六、さすがのフウケーボー大博士も命《いのち》からがらにげだした。
恐竜《きょうりゅう》、化石《かせき》の向こうから。
大博士に疑問《ぎもん》をいだく。噴火|係《がかり》の職《しょく》をはがれ、その火山|灰《ばい》の土壌《どじょう》を耕《たがや》す。部下《ぶか》みな従《したが》う。
七、ノルデは頭からすっかり灰をかぶってしまった。
サンムトリの噴火。ノルデ海岸《かいがん》でつかれてねむる。ナスタ現《あら》わる。夢《ゆめ》のなかでうたう。
八、ノルデは野原《のはら》にいくつも茶いろなトランプのカードをこしらえた。
ノルデ奮起《ふんき》す。水の不足《ふそく》。
九、ノルデがこさえたトランプのカードを、みんなは春は桃《もも》いろに夏は青くした。
恋人《こいびと》アルネとの結婚《けっこん》……夕方。
十、ノルデはみんなの仕事《しごと》をもっとらくにしようと考えた。そんなことをしなくってもいいよ。
おれは南の方でやって見せるよ。大|雷雨《らいう》。桜《さくら》の梢《こずえ》からセントエルモの火。暗《やみ》のなか。
十一、ノルデは三べん胴上《どうあ》げのまま地べたにべちゃんと落《お》とされた。
どうだい。ひどくいたいかい。どう? あなたひどくいたい? ノルデつかれてねむる。
十二、ノルデは太陽から黒い棘《とげ》をとるためにでかけた。
太陽がまたぐらぐらおどりだしたなあ。困《こま》るなあ。おい断《こと》わっちまえよ。奮起す。おーい、火山だなんてまるで別《べつ》だよ。ちゃんと立派《りっぱ》なビルデングになってるんだぜ。
[#ここで字下げ終わり]
底本:「セロ弾きのゴーシュ」角川文庫、角川書店
1957(昭和32)年11月15日初版発行
1967(昭和42)年4月5日10版発行
1993(平成5)年5月20日改版50版発行
入力:土屋隆
校正:田中敬三
2006年3月22日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
ラジュウムの雁
宮澤賢治青ざめた薄明穹の水底に少しばかりの星がまたたき出し、胡桃や桑の木は薄くらがりにそっと手をあげごく曖昧に祈ってゐる。
杜の杉にはふくろふの滑らかさ、昆布の黒びかり、しづかにしづかに溶け込んで行く。
どうだ。空一杯の星。けれども西にはまだたそがれが殘ってゐてまるで沼の水あかりだ。
「やっぱり袴をはいて行くのかな。」
「袴どころぢゃないさ。紋付を着てキチンとやって出て行くのがあたりまへだ。」
それご覽なさい。かすかな心の安らかさと親しさとが夜の底から昇るでせう。
西の山脈が非常に低く見える。その山脈はしづかな家におもはれる。中へ行って座りたい。
「全體お前さんの借といふのは今どれ位あるんだい。」
「さあ、どれくらゐになってるかな。高等學校が十圓づつか。いまは十五圓。それ程でもないな。」
「うん。それ程でもないな。」
この路は昔温泉へ通ったのだ。
いまは何條かの草が生え星あかりの下をしづかに煙草のけむりのやうに流れる。杜が右手の崖の下から立ってゐる。いつかぐるっとまはって來たな。
「うんさうだ。だましてそっと毒を呑ませて女だけ殺したのだ。」
この邊に天神さんの碑があった。あの石の龜が碑の下から顏を出してゐるやつだ。もう通りこしたかもしれない。
ふう、すばるがずうっと西に落ちた。ラジュウムの雁、化石させられた燐光の雁。
停車場の灯が明滅する。ならんで光って何かの寄宿舍の窓のやうだ。あすこの舍監にならうかな。
「あしたの朝は早いだらう。」
「七時だよ。」
まるっきり秋のきもちだ。
底本:「宮澤賢治全集第六卷」筑摩書房
1956(昭和31)年12月20日発行
入力:tucca
校正:高柳典子
2004年2月19日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
シグナルとシグナレス
宮沢賢治-------------------------------------------------------
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)赤眼《あかめ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)七、八|里《り》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#ここから1字下げ]
-------------------------------------------------------
[#ここから1字下げ]
「ガタンコガタンコ、シュウフッフッ、
さそりの赤眼《あかめ》が 見えたころ、
四時から今朝《けさ》も やって来た。
遠野《とおの》の盆地《ぼんち》は まっくらで、
つめたい水の 声ばかり。
ガタンコガタンコ、シュウフッフッ、
凍《こご》えた砂利《じゃり》に 湯《ゆ》げを吐《は》き、
火花を闇《やみ》に まきながら、
蛇紋岩《サアペンテイン》の 崖《がけ》に来て、
やっと東が 燃《も》えだした。
ガタンコガタンコ、シュウフッフッ、
鳥がなきだし 木は光り、
青々川は ながれたが、
丘《おか》もはざまも いちめんに、
まぶしい霜《しも》を 載《の》せていた。
ガタンコガタンコ、シュウフッフッ、
やっぱりかけると あったかだ、
僕《ぼく》はほうほう 汗《あせ》が出る。
もう七、八|里《り》 はせたいな、
今日も一日 霜ぐもり。
ガタンガタン、ギー、シュウシュウ」
[#ここで字下げ終わり]
軽便鉄道《けいべんてつどう》の東からの一番|列車《れっしゃ》が少しあわてたように、こう歌いながらやって来てとまりました。機関車《きかんしゃ》の下からは、力のない湯《ゆ》げが逃《に》げ出して行き、ほそ長いおかしな形の煙突《えんとつ》からは青いけむりが、ほんの少うし立ちました。
そこで軽便鉄道づきの電信柱《でんしんばしら》どもは、やっと安心《あんしん》したように、ぶんぶんとうなり、シグナルの柱はかたんと白い腕木《うでき》を上げました。このまっすぐなシグナルの柱は、シグナレスでした。
シグナレスはほっと小さなため息《いき》をついて空を見上げました。空にはうすい雲が縞《しま》になっていっぱいに充《み》ち、それはつめたい白光《しろびかり》を凍《こお》った地面《じめん》に降《ふ》らせながら、しずかに東に流《なが》れていたのです。
シグナレスはじっとその雲の行《ゆ》く方《え》をながめました。それからやさしい腕木を思い切りそっちの方へ延《の》ばしながら、ほんのかすかに、ひとりごとを言《い》いました。
「今朝《けさ》は伯母《おば》さんたちもきっとこっちの方を見ていらっしゃるわ」
シグナレスはいつまでもいつまでも、そっちに気をとられておりました。
「カタン」
うしろの方のしずかな空で、いきなり音がしましたのでシグナレスは急《いそ》いでそっちをふり向《む》きました。ずうっと積《つ》まれた黒い枕木《まくらぎ》の向こうに、あの立派《りっぱ》な本線《ほんせん》のシグナル柱《ばしら》が、今はるかの南から、かがやく白けむりをあげてやって来る列車《れっしゃ》を迎《むか》えるために、その上の硬《かた》い腕《うで》を下げたところでした。
「お早う今朝は暖《あたた》かですね」本線のシグナル柱は、キチンと兵隊《へいたい》のように立ちながら、いやにまじめくさってあいさつしました。
「お早うございます」シグナレスはふし目になって、声を落《お》として答《こた》えました。
「若《わか》さま、いけません。これからはあんなものにやたらに声を、おかけなさらないようにねがいます」本線のシグナルに夜電気を送《おく》る太《ふと》い電信柱《でんしんばしら》がさももったいぶって申《もう》しました。
本線のシグナルはきまり悪《わる》そうに、もじもじしてだまってしまいました。気の弱いシグナレスはまるでもう消《き》えてしまうか飛《と》んでしまうかしたいと思いました。けれどもどうにもしかたがありませんでしたから、やっぱりじっと立っていたのです。
雲の縞《しま》は薄《うす》い琥珀《こはく》の板《いた》のようにうるみ、かすかなかすかな日光が降《ふ》って来ましたので、本線シグナルつきの電信柱はうれしがって、向こうの野原《のはら》を行く小さな荷馬車《にばしゃ》を見ながら低《ひく》い調子《ちょうし》はずれの歌をやりました。
[#ここから1字下げ]
「ゴゴン、ゴーゴー、
うすい雲から
酒《さけ》が降《ふ》りだす、
酒の中から
霜《しも》がながれる。
ゴゴン、ゴーゴー、
ゴゴン、ゴーゴー、
霜がとければ、
つちはまっくろ。
馬はふんごみ、
人もぺちゃぺちゃ。
ゴゴン、ゴーゴー」
[#ここで字下げ終わり]
それからもっともっとつづけざまに、わけのわからないことを歌いました。
その間に本線《ほんせん》のシグナル柱《ばしら》が、そっと西風にたのんでこう言《い》いました。
「どうか気にかけないでください。こいつはもうまるで野蛮《やばん》なんです。礼式《れいしき》も何も知らないのです。実際《じっさい》私はいつでも困《こま》ってるんですよ」
軽便鉄道《けいべんてつどう》のシグナレスは、まるでどぎまぎしてうつむきながら低《ひく》く、
「あら、そんなことございませんわ」と言《い》いましたがなにぶん風下《かざしも》でしたから本線《ほんせん》のシグナルまで聞こえませんでした。
「許《ゆる》してくださるんですか。本当を言ったら、僕《ぼく》なんかあなたに怒《おこ》られたら生きているかいもないんですからね」
「あらあら、そんなこと」軽便鉄道の木でつくったシグナレスは、まるで困《こま》ったというように肩《かた》をすぼめましたが、実《じつ》はその少しうつむいた顔は、うれしさにぽっと白光《しろびかり》を出していました。
「シグナレスさん、どうかまじめで聞いてください。僕あなたのためなら、次《つぎ》の十時の汽車が来る時|腕《うで》を下げないで、じっとがんばり通してでも見せますよ」わずかばかりヒュウヒュウ言《い》っていた風が、この時ぴたりとやみました。
「あら、そんな事《こと》いけませんわ」
「もちろんいけないですよ。汽車が来る時、腕を下げないでがんばるなんて、そんなことあなたのためにも僕のためにもならないから僕はやりはしませんよ。けれどもそんなことでもしようと言《い》うんです。僕あなたくらい大事《だいじ》なものは世界中《せかいじゅう》ないんです。どうか僕を愛《あい》してください」
シグナレスは、じっと下の方を見て黙《だま》って立っていました。本線シグナルつきのせいの低《ひく》い電信柱《でんしんばしら》は、まだでたらめの歌をやっています。
[#ここから1字下げ]
「ゴゴンゴーゴー、
やまのいわやで、
熊《くま》が火をたき、
あまりけむくて、
ほらを逃《に》げ出す。ゴゴンゴー、
田螺《にし》はのろのろ。
うう、田螺はのろのろ。
田螺のしゃっぽは、
羅紗《ラシャ》の上等《じょうとう》、ゴゴンゴーゴー」
[#ここで字下げ終わり]
本線《ほんせん》のシグナルはせっかちでしたから、シグナレスの返事《へんじ》のないのに、まるであわててしまいました。
「シグナレスさん、あなたはお返事をしてくださらないんですか。ああ僕《ぼく》はもうまるでくらやみだ。目の前がまるでまっ黒な淵《ふち》のようだ。ああ雷《かみなり》が落《お》ちて来て、一ぺんに僕のからだをくだけ。足もとから噴火《ふんか》が起《お》こって、僕を空の遠くにほうりなげろ。もうなにもかもみんなおしまいだ。雷が落ちて来て一ぺんに僕のからだを砕《くだ》け。足もと……」
「いや若様《わかさま》、雷が参《まい》りました節《せつ》は手前《てまえ》一身《いっしん》におんわざわいをちょうだいいたします。どうかご安心《あんしん》をねがいとう存《ぞん》じます」
シグナルつきの電信柱《でんしんばしら》が、いつかでたらめの歌をやめて、頭の上のはりがねの槍《やり》をぴんと立てながら眼《め》をパチパチさせていました。
「えい。お前なんか何を言《い》うんだ。僕《ぼく》はそれどこじゃないんだ」
「それはまたどうしたことでござりまする。ちょっとやつがれまでお申《もう》し聞《き》けになりとう存《ぞん》じます」
「いいよ、お前はだまっておいで」
シグナルは高く叫《さけ》びました。しかしシグナルも、もうだまってしまいました。雲がだんだん薄《うす》くなって柔《やわ》らかな陽《ひ》が射《さ》して参《まい》りました。
五日の月が、西の山脈《さんみゃく》の上の黒い横雲《よこぐも》から、もう一ぺん顔を出して、山に沈《しず》む前のほんのしばらくを、鈍《にぶ》い鉛《なまり》のような光で、そこらをいっぱいにしました。冬がれの木や、つみ重《かさ》ねられた黒い枕木《まくらぎ》はもちろんのこと、電信柱《でんしんばしら》までみんな眠《ねむ》ってしまいました。遠くの遠くの風の音か水の音がごうと鳴るだけです。
「ああ、僕《ぼく》はもう生きてるかいもないんだ。汽車が来るたびに腕《うで》を下げたり、青い眼鏡《めがね》をかけたりいったいなんのためにこんなことをするんだ。もうなんにもおもしろくない。ああ死《し》のう。けれどもどうして死ぬ。やっぱり雷《かみなり》か噴火《ふんか》だ」
本線《ほんせん》のシグナルは、今夜も眠《ねむ》られませんでした。非常《ひじょう》なはんもんでした。けれどもそれはシグナルばかりではありません。枕木の向こうに青白くしょんぼり立って、赤い火をかかげている軽便鉄道《けいべんてつどう》のシグナル、すなわちシグナレスとても全《まった》くそのとおりでした。
「ああ、シグナルさんもあんまりだわ、あたしが言《い》えないでお返事《へんじ》もできないのを、すぐあんなに怒《おこ》っておしまいになるなんて。あたしもう何もかもみんなおしまいだわ。おお神様《かみさま》、シグナルさんに雷《かみなり》を落《お》とす時、いっしょに私にもお落としくださいませ」
こう言《い》って、しきりに星空に祈《いの》っているのでした。ところがその声が、かすかにシグナルの耳にはいりました。シグナルはぎょっとしたように胸《むね》を張《は》って、しばらく考えていましたが、やがてガタガタふるえだしました。
ふるえながら言いました。
「シグナレスさん。あなたは何《なに》を祈っておられますか」
「あたし存《ぞん》じませんわ」シグナレスは声を落として答えました。
「シグナレスさん、それはあんまりひどいお言葉《ことば》でしょう。僕《ぼく》はもう今すぐでもお雷《らい》さんにつぶされて、または噴火《ふんか》を足もとから引っぱり出して、またはいさぎよく風に倒《たお》されて、またはノアの洪水《こうずい》をひっかぶって、死《し》んでしまおうと言うんですよ。それだのに、あなたはちっとも同情《どうじょう》してくださらないんですか」
「あら、その噴火や洪水《こうずい》を。あたしのお祈りはそれよ」シグナレスは思い切って言いました。シグナルはもううれしくて、うれしくて、なおさらガタガタガタガタふるえました。
その赤い眼鏡《めがね》もゆれたのです。
「シグナレスさん、なぜあなたは死ななけぁならないんですか。ね。僕《ぼく》へお話しください。ね。僕へお話しください。きっと、僕はそのいけないやつを追《お》っぱらってしまいますから、いったいどうしたんですね」
「だって、あなたがあんなにお怒《おこ》りなさるんですもの」
「ふふん。ああ、そのことですか。ふん。いいえ。そのことならばご心配《しんぱい》ありません。大丈夫《だいじょうぶ》です。僕ちっとも怒ってなんかいはしませんからね。僕、もうあなたのためなら、眼鏡《めがね》をみんな取《と》られて、腕《うで》をみんなひっぱなされて、それから沼《ぬま》の底《そこ》へたたき込《こ》まれたって、あなたをうらみはしませんよ」
「あら、ほんとう。うれしいわ」
「だから僕を愛《あい》してください。さあ僕を愛するって言《い》ってください」
五日のお月さまは、この時雲と山の端《は》とのちょうどまん中にいました。シグナルはもうまるで顔色を変《か》えて灰色《はいいろ》の幽霊《ゆうれい》みたいになって言いました。
「またあなたはだまってしまったんですね。やっぱり僕がきらいなんでしょう。もういいや、どうせ僕なんか噴火《ふんか》か洪水《こうずい》か風かにやられるにきまってるんだ」
「あら、ちがいますわ」
「そんならどうですどうです、どうです」
「あたし、もう大昔《おおむかし》からあなたのことばかり考えていましたわ」
「本当ですか、本当ですか、本当ですか」
「ええ」
「そんならいいでしょう。結婚《けっこん》の約束《やくそく》をしてください」
「でも」
「でもなんですか、僕《ぼく》たちは春になったら燕《つばめ》にたのんで、みんなにも知らせて結婚《けっこん》の式《しき》をあげましょう。どうか約束《やくそく》してください」
「だってあたしはこんなつまらないんですわ」
「わかってますよ。僕にはそのつまらないところが尊《とうと》いんです」
すると、さあ、シグナレスはあらんかぎりの勇気《ゆうき》を出して言《い》い出しました。
「でもあなたは金でできてるでしょう。新式でしょう。赤青眼鏡《あかあおめがね》を二組みも持《も》っていらっしゃるわ、夜も電燈《でんとう》でしょう。あたしは夜だってランプですわ、眼鏡もただ一つきり、それに木ですわ」
「わかってますよ。だから僕はすきなんです」
「あら、ほんとう。うれしいわ。あたしお約束《やくそく》するわ」
「え、ありがとう、うれしいなあ、僕もお約束しますよ。あなたはきっと、私の未来《みらい》の妻《つま》だ」
「ええ、そうよ、あたし決《けっ》して変《か》わらないわ」
「結婚指環《エンゲージリング》をあげますよ、そら、ね、あすこの四つならんだ青い星ね」
「ええ」
「あのいちばん下の脚《あし》もとに小さな環《わ》が見えるでしょう、環状星雲《フィッシュマウスネビュラ》ですよ。あの光の環ね、あれを受《う》け取《と》ってください。僕のまごころです」
「ええ。ありがとう、いただきますわ」
「ワッハッハ。大笑《おおわら》いだ。うまくやってやがるぜ」
突然《とつぜん》向《む》こうのまっ黒な倉庫《そうこ》が、空にもはばかるような声でどなりました。二人はまるでしんとなってしまいました。
ところが倉庫がまた言《い》いました。
「いや心配《しんぱい》しなさんな。この事《こと》は決《けっ》してほかへはもらしませんぞ。わしがしっかりのみ込《こ》みました」
その時です、お月さまがカブンと山へおはいりになって、あたりがポカッと、うすぐらくなったのは。
今は風があんまり強いので電信柱《でんしんばしら》どもは、本線《ほんせん》の方も、軽便鉄道《けいべんてつどう》の方もまるで気が気でなく、ぐうん ぐうん ひゅうひゅう と独楽《こま》のようにうなっておりました。それでも空はまっ青《さお》に晴れていました。
本線シグナルつきの太《ふと》っちょの電信柱も、もうでたらめの歌をやるどころの話ではありません。できるだけからだをちぢめて眼《め》を細《ほそ》くして、ひとなみに、ブウウ、ブウウとうなってごまかしておりました。
シグナレスはこの時、東のぐらぐらするくらい強い青びかりの中を、びっこをひくようにして走って行く雲を見ておりましたが、それからチラッとシグナルの方を見ました。シグナルは、今日は巡査《じゅんさ》のようにしゃんと立っていましたが、風が強くて太っちょの電柱《でんちゅう》に聞こえないのをいいことにして、シグナレスに話しかけました。
「どうもひどい風ですね。あなた頭がほてって痛《いた》みはしませんか。どうも僕《ぼく》は少しくらくらしますね。いろいろお話ししますから、あなたただ頭をふってうなずいてだけいてください。どうせお返事《へんじ》をしたって僕《ぼく》のところへ届《とど》きはしませんから、それから僕の話でおもしろくないことがあったら横《よこ》の方に頭を振《ふ》ってください。これは、本当は、ヨーロッパの方のやり方なんですよ。向《む》こうでは、僕たちのように仲《なか》のいいものがほかの人に知れないようにお話をする時は、みんなこうするんですよ。僕それを向こうの雑誌《ざっし》で見たんです。ね、あの倉庫《そうこ》のやつめ、おかしなやつですね、いきなり僕たちの話してるところへ口を出して、引き受《う》けたのなんのって言《い》うんですもの、あいつはずいぶん太《ふと》ってますね、今日も眼《め》をパチパチやらかしてますよ、僕のあなたに物を言ってるのはわかっていても、何を言ってるのか風でいっこう聞こえないんですよ、けれども全体《ぜんたい》、あなたに聞こえてるんですか、聞こえてるなら頭を振ってください、ええそう、聞こえるでしょうね。僕たち早く結婚《けっこん》したいもんですね、早く春になれぁいいんですね、僕のところのぶっきりこに少しも知らせないでおきましょう。そしておいて、いきなり、ウヘン! ああ風でのどがぜいぜいする。ああひどい。ちょっとお話をやめますよ。僕のどが痛《いた》くなったんです。わかりましたか、じゃちょっとさようなら」
それからシグナルは、ううううと言いながら眼をぱちぱちさせて、しばらくの間だまっていました。
シグナレスもおとなしく、シグナルののどのなおるのを待《ま》っていました。電信柱《でんしんばしら》どもはブンブンゴンゴンと鳴り、風はひゅうひゅうとやりました。
シグナルはつばをのみこんだり、ええ、ええとせきばらいをしたりしていましたが、やっとのどの痛《いた》いのがなおったらしく、もう一ぺんシグナレスに話しかけました。けれどもこの時は、風がまるで熊《くま》のように吼《ほ》え、まわりの電信柱《でんしんばしら》どもは、山いっぱいの蜂《はち》の巣《す》をいっぺんにこわしでもしたように、ぐゎんぐゎんとうなっていましたので、せっかくのその声も、半分ばかりしかシグナレスに届《とど》きませんでした。
「ね、僕《ぼく》はもうあなたのためなら、次《つぎ》の汽車の来る時、がんばって腕《うで》を下げないことでも、なんでもするんですからね、わかったでしょう。あなたもそのくらいの決心《けっしん》はあるでしょうね。あなたはほんとうに美《うつく》しいんです、ね、世界《せかい》の中《うち》にだっておれたちの仲間《なかま》はいくらもあるんでしょう。その半分はまあ女の人でしょうがねえ、その中であなたはいちばん美しいんです。もっともほかの女の人僕よく知らないんですけれどね、きっとそうだと思うんですよ、どうです聞こえますか。僕たちのまわりにいるやつはみんなばかですね、のろまですね、僕のとこのぶっきりこが僕が何をあなたに言ってるのかと思って、そらごらんなさい、一生けん命《めい》、目をパチパチやってますよ、こいつときたら全《まった》くチョークよりも形がわるいんですからね、そら、こんどはあんなに口を曲《ま》げていますよ。あきれたばかですねえ、僕の話聞こえますか、僕の……」
「若《わか》さま、さっきから何をべちゃべちゃ言《い》っていらっしゃるのです。しかもシグナレス風情《ふぜい》と、いったい何をにやけていらっしゃるんです」
いきなり本線《ほんせん》シグナルつきの電信柱《でんしんばしら》が、むしゃくしゃまぎれに、ごうごうの音の中を途方《とほう》もない声でどなったもんですから、シグナルはもちろんシグナレスも、まっ青《さお》になってぴたっとこっちへ曲げていたからだを、まっすぐに直《なお》しました。
「若《わか》さま、さあおっしゃい。役目《やくめ》として承《うけたまわ》らなければなりません」
シグナルは、やっと元気を取り直《なお》しました。そしてどうせ風のために何を言《い》っても同じことなのをいいことにして、
「ばか、僕《ぼく》はシグナレスさんと結婚《けっこん》して幸福《こうふく》になって、それからお前にチョークのお嫁《よめ》さんをくれてやるよ」と、こうまじめな顔で言ったのでした。その声は風下《かざしも》のシグナレスにはすぐ聞こえましたので、シグナレスはこわいながら思わず笑《わら》ってしまいました。さあそれを見た本線《ほんせん》シグナルつきの電信柱の怒《おこ》りようと言ったらありません。さっそくブルブルッとふるえあがり、青白く逆上《のぼ》せてしまい唇《くちびる》をきっとかみながらすぐひどく手をまわして、すなわち一ぺん東京まで手をまわして風下《かざしも》にいる軽便鉄道《けいべんてつどう》の電信柱に、シグナルとシグナレスの対話《たいわ》がいったいなんだったか、今シグナレスが笑ったことは、どんなことだったかたずねてやりました。
ああ、シグナルは一生の失策《しっさく》をしたのでした。シグナレスよりも少し風下にすてきに耳のいい長い長い電信柱がいて、知らん顔をしてすまして空の方を見ながらさっきからの話をみんな聞いていたのです。そこでさっそく、それを東京を経《へ》て本線シグナルつきの電信柱に返事《へんじ》をしてやりました。本線《ほんせん》シグナルつきの電信柱《でんしんばしら》はキリキリ歯《は》がみをしながら聞いていましたが、すっかり聞いてしまうと、さあ、まるでばかのようになってどなりました。
「くそっ、えいっ。いまいましい。あんまりだ。犬畜生《いぬちくしょう》、あんまりだ。犬畜生、ええ、若《わか》さま、わたしだって男ですぜ。こんなにひどくばかにされてだまっているとお考えですか。結婚《けっこん》だなんてやれるならやってごらんなさい。電信柱の仲間《なかま》はもうみんな反対《はんたい》です。シグナル柱の人たちだって鉄道長《てつどうちょう》の命令《めいれい》にそむけるもんですか。そして鉄道長はわたしの叔父《おじ》ですぜ。結婚なりなんなりやってごらんなさい。えい、犬畜生《いぬちくしょう》め、えい」
本線シグナルつきの電信柱は、すぐ四方に電報《でんぽう》をかけました。それからしばらく顔色を変《か》えて、みんなの返事《へんじ》をきいていました。確《たし》かにみんなから反対《はんたい》の約束《やくそく》をもらったらしいのでした。それからきっと叔父のその鉄道長とかにもうまく頼《たの》んだにちがいありません。シグナルもシグナレスも、あまりのことに今さらポカンとしてあきれていました。本線シグナルつきの電信柱は、すっかり反対の準備《じゅんび》ができると、こんどは急《きゅう》に泣《な》き声で言《い》いました。
「あああ、八年の間、夜ひる寝《ね》ないでめんどうを見てやってそのお礼《れい》がこれか。ああ情《なさ》けない、もう世の中はみだれてしまった。ああもうおしまいだ。なさけない、メリケン国のエジソンさまもこのあさましい世界《せかい》をお見すてなされたか。オンオンオンオン、ゴゴンゴーゴーゴゴンゴー」
風はますます吹《ふ》きつのり、西の空が変《へん》に白くぼんやりなって、どうもあやしいと思っているうちに、チラチラチラチラとうとう雪がやって参《まい》りました。
シグナルは力を落《お》として青白く立ち、そっとよこ眼《め》でやさしいシグナレスの方を見ました。シグナレスはしくしく泣《な》きながら、ちょうどやって来る二時の汽車を迎《むか》えるためにしょんぼりと腕《うで》をさげ、そのいじらしいなで肩《がた》はかすかにかすかにふるえておりました。空では風がフイウ、涙《なみだ》を知らない電信柱どもはゴゴンゴーゴーゴゴンゴーゴー。
さあ今度《こんど》は夜ですよ。シグナルはしょんぼり立っておりました。
月の光が青白く雲を照《て》らしています。雲はこうこうと光ります。そこにはすきとおって小さな紅火《べにび》や青の火をうかべました。しいんとしています。山脈《さんみゃく》は若《わか》い白熊《しろくま》の貴族《きぞく》の屍体《したい》のようにしずかに白く横《よこ》たわり、遠くの遠くを、ひるまの風のなごりがヒュウと鳴《な》って通りました。それでもじつにしずかです。黒い枕木《まくらぎ》はみな眠《ねむ》り、赤の三角《さんかく》や黄色の点々、さまざまの夢《ゆめ》を見ている時、若いあわれなシグナルはほっと小さなため息《いき》をつきました。そこで半分|凍《こご》えてじっと立っていたやさしいシグナレスも、ほっと小さなため息をしました。
「シグナレスさん、ほんとうに僕《ぼく》たちはつらいねえ」
たまらずシグナルがそっとシグナレスに話しかけました。
「ええ、みんなあたしがいけなかったのですわ」シグナレスが青じろくうなだれて言《い》いました。
諸君《しょくん》、シグナルの胸《むね》は燃《も》えるばかり、
「ああ、シグナレスさん、僕たちたった二人だけ、遠くの遠くのみんなのいないところに行ってしまいたいね」
「ええ、あたし行けさえするなら、どこへでも行きますわ」
「ねえ、ずうっとずうっと天上にあの僕《ぼく》たちの婚約指環《エンゲージリング》よりも、もっと天上に青い小さな小さな火が見えるでしょう。そら、ね、あすこは遠いですねえ」
「ええ」シグナレスは小さな唇《くちびる》で、いまにもその火にキッスしたそうに空を見あげていました。
「あすこには青い霧《きり》の火が燃《も》えているんでしょうね。その青い霧の火の中へ僕たちいっしょにすわりたいですねえ」
「ええ」
「けれどあすこには汽車はないんですねえ、そんなら僕《ぼく》畑《はたけ》をつくろうか。何か働《はたら》かないといけないんだから」
「ええ」
「ああ、お星さま、遠くの青いお星さま、どうか私どもをとってください。ああなさけぶかいサンタマリヤ、まためぐみふかいジョウジ スチブンソンさま、どうか私どものかなしい祈《いの》りを聞いてください」
「ええ」
「さあいっしょに祈りましょう」
「ええ」
「あわれみふかいサンタマリヤ、すきとおる夜の底《そこ》、つめたい雪の地面《じめん》の上にかなしくいのるわたくしどもをみそなわせ、めぐみふかいジョウジ スチブンソンさま、あなたのしもべのまたしもべ、かなしいこのたましいの、まことの祈りをみそなわせ、ああ、サンタマリヤ」
「ああ」
星はしずかにめぐって行きました。そこであの赤眼《あかめ》のさそりが、せわしくまたたいて東から出て来、そしてサンタマリヤのお月さまが慈愛《じあい》にみちた尊《とうと》い黄金《きん》のまなざしに、じっと二人を見ながら、西のまっくろの山におはいりになった時、シグナル、シグナレスの二人は、祈りにつかれてもう眠《ねむ》っていました。
今度《こんど》はひるまです。なぜなら夜昼《よるひる》はどうしてもかわるがわるですから。
ぎらぎらのお日さまが東の山をのぼりました。シグナルとシグナレスはぱっと桃色《ももいろ》に映《は》えました。いきなり大きな幅広《はばひろ》い声がそこらじゅうにはびこりました。
「おい。本線《ほんせん》シグナルつきの電信柱《でんしんばしら》、おまえの叔父《おじ》の鉄道長《てつどうちょう》に早くそう言《い》って、あの二人はいっしょにしてやった方がよかろうぜ」
見るとそれは先ごろの晩《ばん》の倉庫《そうこ》の屋根《やね》でした。倉庫の屋根は、赤いうわぐすりをかけた瓦《かわら》を、まるで鎧《よろい》のようにキラキラ着込《きこ》んで、じろっとあたりを見まわしているのでした。
本線シグナルつきの電信柱は、がたがたっとふるえて、それからじっと固《かた》くなって答えました。
「ふん、なんだと、お前はなんの縁故《えんこ》でこんなことに口を出すんだ」
「おいおい、あんまり大きなつらをするなよ。ええおい。おれは縁故と言えば大縁故さ、縁故でないと言《い》えば、いっこう縁故でもなんでもないぜ、が、しかしさ、こんなことにはてめえのような変《へん》ちきりんはあんまりいろいろ手を出さない方が結局《けっきょく》てめえのためだろうぜ」
「なんだと。おれはシグナルの後見人《こうけんにん》だぞ。鉄道長の甥《おい》だぞ」
「そうか。おい立派《りっぱ》なもんだなあ。シグナルさまの後見人で鉄道長の甥かい。けれどもそんならおれなんてどうだい。おれさまはな、ええ、めくらとんびの後見人、ええ風引きの脈《みゃく》の甥だぞ。どうだ、どっちが偉《えら》い」
「何をっ、コリッ、コリコリッ、カリッ」
「まあまあそう怒《おこ》るなよ。これは冗談《じょうだん》さ。悪く思わんでくれ。な、あの二人さ、かあいそうだよ。いいかげんにまとめてやれよ。大人《おとな》らしくもないじゃないか。あんまり胸《むね》の狭《せま》いことは言わんでさ。あんな立派《りっぱ》な後見人《こうけんにん》を持って、シグナルもほんとうにしあわせだと言われるぜ。まとめてやれ、まとめてやれ」
本線《ほんせん》シグナルつきの電信柱《でんしんばしら》は、物《もの》を言おうとしたのでしたが、もうあんまり気が立ってしまってパチパチパチパチ鳴《な》るだけでした。倉庫《そうこ》の屋根《やね》もあんまりのその怒りように、まさかこんなはずではなかったと言うように少しあきれて、だまってその顔を見ていました。お日さまはずうっと高くなり、シグナルとシグナレスとはほっとまたため息《いき》をついてお互《たが》いに顔を見合わせました。シグナレスは瞳《ひとみ》を少し落《お》とし、シグナルの白い胸《むね》に青々と落ちた眼鏡《めがね》の影《かげ》をチラッと見て、それからにわかに目をそらして自分のあしもとをみつめ考え込《こ》んでしまいました。
今夜は暖《あたた》かです。
霧《きり》がふかくふかくこめました。
その霧を徹《とお》して、月のあかりが水色にしずかに降《ふ》り、電信柱も枕木《まくらぎ》も、みんな寝《ね》しずまりました。
シグナルが待《ま》っていたようにほっと息《いき》をしました。シグナレスも胸《むね》いっぱいのおもいをこめて、小さくほっといきしました。
その時シグナルとシグナレスとは、霧の中から倉庫の屋根の落ちついた親切らしい声の響《ひび》いて来るのを聞きました。
「お前たちは、全《まった》くきのどくだね、わたしたちは、今朝うまくやってやろうと思ったんだが、かえっていけなくしてしまった。ほんとにきのどくなことになったよ。しかしわたしには、また考《かんが》えがあるから、そんなに心配《しんぱい》しないでもいいよ。お前たちは霧《きり》でお互《たが》いに顔も見えずさびしいだろう」
「ええ」
「ええ」
「そうか、ではおれが見えるようにしてやろう。いいか、おれのあとについて二人いっしょにまねをするんだぜ」
「ええ」
「そうか。ではアルファー」
「アルファー」
「ビーター」「ビーター」
「ガムマー」「ガムマーアー」
「デルター」「デールータァーアアア」
実《じつ》に不思議《ふしぎ》です。いつかシグナルとシグナレスとの二人は、まっ黒な夜の中に肩《かた》をならべて立っていました。
「おや、どうしたんだろう。あたり一面《いちめん》まっ黒びろうどの夜だ」
「まあ、不思議《ふしぎ》ですわね。まっくらだわ」
「いいや、頭の上が星でいっぱいです。おや、なんという大きな強い星なんだろう。それに見たこともない空の模様《もよう》ではありませんか、いったいあの十三|連《れん》なる青い星はどこにあったのでしょう、こんな星は見たことも聞いたこともありませんね、僕《ぼく》たちぜんたいどこに来たんでしょうね」
「あら、空があんまり速《はや》くめぐりますわ」
「ええ、ああ、あの大きな橙《だいだい》の星は地平線《ちへいせん》から今上ります。おや、地平線じゃない。水平線かしら。そうです。ここは夜の海の渚《なぎさ》ですよ」
「まあ奇麗《きれい》だわね、あの波《なみ》の青びかり」
「ええ、あれは磯波《いそなみ》の波がしらです、立派《りっぱ》ですねえ、行ってみましょう」
「まあ、ほんとうにお月さまのあかりのような水よ」
「ね、水の底に赤いひとでがいますよ。銀水《ぎんいろ》[#「銀水《ぎんいろ》」はママ]のなまこがいますよ。ゆっくりゆっくり、這《は》ってますねえ、それからあのユラユラ青びかりの棘《とげ》を動かしているのは、雲丹《うに》ですね。波が寄《よ》せて来ます。少し遠のきましょう」
「ええ」
「もう、何べん空がめぐったでしょう。たいへん寒《さむ》くなりました。海がなんだか凍《こお》ったようですね。波はもう、うたなくなりました」
「波《なみ》がやんだせいでしょうかしら。何か音がしていますわ」
「どんな音」
「そら、夢《ゆめ》の水車のきしりのような音」
「ああそうだ。あの音だ。ピタゴラス派《は》の天球運動《てんきゅううんどう》の諧音《かいおん》です」
「あら、なんだかまわりがぼんやり青白くなってきましたわ」
「夜が明けるのでしょうか。いやはてな。おお立派《りっぱ》だ。あなたの顔がはっきり見える」
「あなたもよ」
「ええ、とうとう、僕《ぼく》たち二人きりですね」
「まあ、青白い火が燃《も》えてますわ。まあ地面《じめん》と海も。けど熱《あつ》くないわ」
「ここは空ですよ。これは星の中の霧《きり》の火ですよ。僕たちのねがいがかなったんです。ああ、さんたまりや」
「ああ」
「地球《ちきゅう》は遠いですね」
「ええ」
「地球はどっちの方でしょう。あたりいちめんの星、どこがどこかもうわからない。あの僕のブッキリコはどうしたろう。あいつは本当はかあいそうですね」
「ええ、まあ、火が少し白くなったわ、せわしく燃えますわ」
「きっと今秋ですね。そしてあの倉庫《そうこ》の屋根《やね》も親切でしたね」
「それは親切とも」いきなり太《ふと》い声がしました。気がついてみると、ああ、二人ともいっしょに夢《ゆめ》を見ていたのでした。いつか霧《きり》がはれてそら一めんの星が、青や橙《だいだい》やせわしくせわしくまたたき、向《む》こうにはまっ黒な倉庫《そうこ》の屋根《やね》が笑《わら》いながら立っておりました。
二人はまたほっと小さな息《いき》をしました。
底本:「セロ弾きのゴーシュ」角川文庫、角川書店
1957(昭和32)年11月15日初版発行
1967(昭和42)年4月5日10版発行
1993(平成5)年5月20日改版50版発行
初出:「岩手毎日新聞」
1923(大正12)年5月
入力:土屋隆
校正:田中敬三
2008年3月25日作成
青空文庫作成ファイル:
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*難字、求めよ
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ペンネンノルデはいまはいないよ
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丁場 とうじょう
岩頸 がんけい 通常、火山岩頸をいう。すなわち、火山噴出物の地表への通路を満たして生じた火成岩が、火山体が浸食された結果円柱状に露出したもの。
セントエルモの火 (St. Elmo's fire) 船のマスト、教会の尖塔など、とがった物の尖端に起こるコロナ放電。雷雲の作用で大気中に生ずる強い電場によって起こる。セント=エルモは船乗りの守護聖人の名。
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ラジウムの雁
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ラジウム radium (ラテン語で光線の意のradiusから)アルカリ土類金属元素の一種。元素記号Ra 原子番号88。ピッチブレンド中にウランと共存する。1898年キュリー夫妻が発見。銀白色の金属。天然に産する最長寿命の同位体は質量数226、アルファ線を放射して半減期1602年でラドンに変化する。医療などに用いる。
舎監 しゃかん 寄宿舎の監督者。
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シグナルとシグナレス
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蛇紋岩 じゃもんがん 主として蛇紋石から成る超塩基性の岩石で、橄欖(かんらん)岩・輝岩などから生じた変成岩。緑または黒色の脂肪色。模様があって美しく、室内装飾用。serpentine、サーペンティン。
霜曇り しもぐもり 霜のおくような夜の寒さに空の曇ること。
軽便鉄道 けいべん てつどう 一般の鉄道より簡便な規格で建設された鉄道。
羅紗 ラシャ raxa。羊毛で地(じ)の厚く密な毛織物。室町末期頃から江戸時代を通じて南蛮船、後にオランダや中国の貿易船によって輸入され、陣羽織・火事羽織・合羽などに用いた。今は毛織物全般のことをもいう。
やつがれ 僕 (ヤツコアレ(奴我)の約。古くは清音)自分の謙称。上代は男女に通じて用いた。
環状星雲 かんじょう せいうん 惑星状星雲の一種で、中心星を包むガス状星雲の縁の光輝が強く、環状に見えるもの。代表的な例は琴座(ことざ)にある。
ネビュラ Nebula 星雲。
ブッキリコ
紅火 べにび
みそなわす 見そなはす (ミソコナワスの約)「見る」の尊敬語。御覧になる。
◇参照:Wikipedia、
*後記(工作員 日記)
本文中、
13日(金)県内にて今年初の黄砂。
どうだんつつじ、芝桜、あやめ、ななかまどの花、もみじの花。
むむ……CIAに暗殺されるまえに、エロDVDに自爆トラップをしかけて湮滅せねば。白ヒゲだからふけて見えるが、1957年生まれだから54歳か。有名人はひと目につきやすいからエロマンガの立ち読みもできない……なにかとたいへんだよなあ。
*次週予告
第三巻 第四三号
智恵子抄(一)高村光太郎
第三巻 第四三号は、
五月二一日(土)発行予定です。
定価:200円
T-Time マガジン 週刊ミルクティー* 第三巻 第四二号
シグナルとシグナレス(他)宮沢賢治
発行:二〇一一年五月一四日(土)
編集:しだひろし/PoorBook G3'99
http://www33.atwiki.jp/asterisk99/
出版:*99 出版
〒994-0024 山形県天童市鎌田2丁目1−21
アパートメント山口A−202
販売:DL-MARKET
※ T-Timeは(株)ボイジャーの商標・製品です。
第二巻
第一号 奇巌城(一)モーリス・ルブラン 月末最終号:無料
第二号 奇巌城(二)モーリス・ルブラン 定価:200円
第三号 美し姫と怪獣 / 長ぐつをはいた猫 定価:200円
第四号 毒と迷信 / 若水の話 / 麻薬・自殺・宗教 定価:200円
第五号 空襲警報 / 水の女 / 支流 定価:200円
第六号 新羅人の武士的精神について 池内宏 月末最終号:無料
第七号 新羅の花郎について 池内宏 定価:200円
第八号 震災日誌 / 震災後記 喜田貞吉 定価:200円
第九号 セロ弾きのゴーシュ / なめとこ山の熊 宮沢賢治 定価:200円
第十号 風の又三郎 宮沢賢治 月末最終号:無料
第一一号 能久親王事跡(一)森 林太郎 定価:200円
第一二号 能久親王事跡(二)森 林太郎 定価:200円
第一三号 能久親王事跡(三)森 林太郎 定価:200円
第一四号 能久親王事跡(四)森 林太郎 定価:200円
第一七号 赤毛連盟 コナン・ドイル 定価:200円
第一八号 ボヘミアの醜聞 コナン・ドイル 定価:200円
第一九号 グロリア・スコット号 コナン・ドイル 月末最終号:無料
第二〇号 暗号舞踏人の謎 コナン・ドイル 定価:200円
第二一号 蝦夷とコロボックルとの異同を論ず 喜田貞吉 定価:200円
第二二号 コロポックル説の誤謬を論ず 上・下 河野常吉 定価:200円
第二三号 慶長年間の朝日連峰通路について 佐藤栄太 月末最終号:無料
第二四号 まれびとの歴史/「とこよ」と「まれびと」と 折口信夫 定価:200円
第二五号 払田柵跡について二、三の考察/山形県本楯発見の柵跡について 喜田貞吉 定価:200円
第二六号 日本天変地異記 田中貢太郎 定価:200円
第二七号 種山ヶ原/イギリス海岸 宮沢賢治 定価:200円
第二八号 翁の発生/鬼の話 折口信夫 月末最終号:無料
第二九号 生物の歴史(一)石川千代松 定価:200円
第三〇号 生物の歴史(二)石川千代松 定価:200円
第三一号 生物の歴史(三)石川千代松 定価:200円
第三二号 生物の歴史(四)石川千代松 月末最終号:無料
第三三号 特集 ひなまつり 定価:200円 雛 芥川龍之介
雛がたり 泉鏡花
ひなまつりの話 折口信夫
第三四号 特集 ひなまつり 定価:200円 人形の話 折口信夫
偶人信仰の民俗化並びに伝説化せる道 折口信夫
第三五号 右大臣実朝(一)太宰治 定価:200円
第三六号 右大臣実朝(二)太宰治 月末最終号:無料
第三七号 右大臣実朝(三)太宰治 定価:200円
第三八号 清河八郎(一)大川周明 定価:200円
第三九号 清河八郎(二)大川周明 定価:200円
第四〇号 清河八郎(三)大川周明 月末最終号:無料
第四一号 清河八郎(四)大川周明 定価:200円
第四二号 清河八郎(五)大川周明 定価:200円
第四三号 清河八郎(六)大川周明 定価:200円
第四四号 道鏡皇胤論について 喜田貞吉 定価:200円
第四五号 火葬と大蔵/人身御供と人柱 喜田貞吉 月末最終号:無料
第四六号 手長と足長/くぐつ名義考 喜田貞吉 定価:200円
第四七号
第四八号 若草物語(一)L. M. オルコット 定価:200円
第四九号 若草物語(二)L. M. オルコット 月末最終号:無料
第五〇号 若草物語(三)L. M. オルコット 定価:200円
第五一号 若草物語(四)L. M. オルコット 定価:200円
第五二号 若草物語(五)L. M. オルコット 定価:200円
第五三号 二人の女歌人/東北の家 片山広子 定価:200円
第三巻 第一号 星と空の話(一)山本一清 月末最終号:無料
第三巻 第二号 星と空の話(二)山本一清 定価:200円
第三巻 第三号 星と空の話(三)山本一清 定価:200円
第三巻 第四号 獅子舞雑考/穀神としての牛に関する民俗 中山太郎 定価:200円
第三巻 第五号 鹿踊りのはじまり 宮沢賢治/奥羽地方のシシ踊りと鹿供養 喜田貞吉 月末最終号:無料
第三巻 第六号 魏志倭人伝/後漢書倭伝/宋書倭国伝/隋書倭国伝 定価:200円
第三巻 第七号 卑弥呼考(一)内藤湖南 定価:200円
第三巻 第八号 卑弥呼考(二)内藤湖南 定価:200円
第三巻 第九号 卑弥呼考(三)内藤湖南 月末最終号:無料
第三巻 第一〇号 最古日本の女性生活の根底/稲むらの陰にて 折口信夫 定価:200円
第三巻 第一一号 瀬戸内海の潮と潮流(他三編)寺田寅彦 定価:200円 瀬戸内海の潮と潮流/コーヒー哲学序説/神話と地球物理学/ウジの効用
第三巻 第一二号 日本人の自然観/天文と俳句 寺田寅彦 定価:200円
第三巻 第一三号 倭女王卑弥呼考(一)白鳥庫吉 定価:200円
第三巻 第一四号 倭女王卑弥呼考(二)白鳥庫吉 月末最終号:無料
第三巻 第一五号 倭奴国および邪馬台国に関する誤解 他 喜田貞吉 定価:200円 倭奴国と倭面土国および倭国とについて稲葉君の反問に答う/倭奴国および邪馬台国に関する誤解
第三巻 第一六号 初雪 モーパッサン 秋田 滋(訳) 定価:200円
第三巻 第一七号 高山の雪 小島烏水 定価:200円
第三巻 第一八号 光をかかぐる人々[続]『世界文化』連載分(一)徳永 直 月末最終号:無料
第三巻 第一九号 光をかかぐる人々[続]『世界文化』連載分(二)徳永 直 定価:200円
第三巻 第二〇号 光をかかぐる人々[続]『世界文化』連載分(三)徳永 直 定価:200円
第三巻 第二一号 光をかかぐる人々[続]『世界文化』連載分(四)徳永 直 定価:200円
アジアには十六世紀を前後して銅活字の時代があり、朝鮮でも日本でもおこなわれている。秀吉の朝鮮侵略のみやげものに端を発している家康・家光時代の銅活字印刷があるけれど、それにくらべると、このさし絵に見る康熙帝の印刷局ははるかに大規模で組織的であることがわかる。しかし、日本でも『お湯殿日記』に見るような最初の文選工は「お公卿たち」であったが、支那でもあごひげの長い官人たちであった。明治になって印刷術が近代化されてからでも、印刷工業をおこした人々の多くが、武家など文字になじみのある階級だったように、私の徒弟だったころの先輩の印刷工の多くが、やはり士族くずれだったことを思い出す。
武英殿の銅活字は康熙帝の孫、高宗〔乾隆帝〕の代になるとつぶされて銅貨となった。日本でも家康時代の銅活字は同じ運命をたどっているけれど、支那のばあいは銅貨の不足が原因といわれている。しかし、もっと大きな原因は金属活字にあって、漢字組織ができないならば、またプレス式の印刷機もないとするならば、むしろ手わざの発達による木版の方が容易であり便利であった。ボディが銅であれ鉛であれ、それが彫刻に過ぎないならば、むしろ木版にしくはない。銅活字がほろびて再び木版術が栄え、極彩色の芸術的な印刷物もできるようになった。康熙・乾隆の時代に見られるこの傾向は、十七世紀の終わりから十八世紀のなかほどまでであるが、江戸中期から木版術が再興し、世界にたぐいない木版印刷術を生み出した日本と時間的にもほぼ一致している―
第三巻 第二二号 光をかかぐる人々[続]『世界文化』連載分(五)徳永 直 月末最終号:無料
第三巻 第二三号 銀河鉄道の夜(一)宮沢賢治 定価:200円
「ですから、もしもこの天の川がほんとうに川だと考えるなら、その一つ一つの小さな星はみんなその川のそこの砂や砂利の粒にもあたるわけです。またこれを大きな乳の流れと考えるなら、もっと天の川とよく似ています。つまりその星はみな、乳のなかにまるで細かにうかんでいる脂油(あぶら)の球にもあたるのです。
先生は中にたくさん光る砂のつぶの入った大きな両面の凸レンズをさしました。
「天の川の形はちょうどこんななのです。このいちいちの光るつぶが、みんな私どもの太陽と同じようにじぶんで光っている星だと考えます。私どもの太陽がこのほぼ中ごろにあって地球がそのすぐ近くにあるとします。みなさんは夜にこのまん中に立ってこのレンズの中を見まわすとしてごらんなさい。こっちの方はレンズが薄いので、わずかの光る粒、すなわち星しか見えないのでしょう。こっちやこっちの方はガラスが厚いので、光る粒すなわち星がたくさん見え、その遠いのはボウッと白く見えるという、これがつまり今日の銀河の説なのです。そんならこのレンズの大きさがどれくらいあるか、また、その中のさまざまの星についてはもう時間ですから、この次の理科の時間にお話しします。では今日はその銀河のお祭りなのですから、みなさんは外へ出て、よく空をごらんなさい。ではここまでです。本やノートをおしまいなさい。
そして教室じゅうはしばらく机のふたをあけたりしめたり本をかさねたりする音がいっぱいでしたが、まもなく、みんなはきちんと立って礼をすると教室を出ました。
第三巻 第二四号 銀河鉄道の夜(二)宮沢賢治 定価:200円
そのとき汽車はだんだんしずかになって、いくつかのシグナルと転轍器(てんてつき)の灯をすぎ、小さな停車場に止まりました。
その正面の青じろい時計はかっきり第二時を示し、その振子は、風もなくなり汽車も動かずしずかなしずかな野原のなかに、カチッカチッと正しく時をきざんで行くのでした。
そしてまったくその振子の音の間から遠くの遠くの野原のはてから、かすかなかすかな旋律が糸のように流れてくるのでした。
(こんなしずかないいところで僕はどうしてもっと愉快になれないだろう。どうしてこんなにひとりさびしいのだろう。けれどもカムパネルラなんかあんまりひどい。僕といっしょに汽車に乗っていながら、まるであんな女の子とばかり話しているんだもの。僕はほんとうにつらい。
ジョバンニはまた両手で顔を半分かくすようにして、むこうの窓の外を見つめていました。
透きとおったガラスのような笛が鳴って、汽車はしずかに動き出し、カムパネルラもさびしそうに星めぐりの口笛をふきました。
第三巻 第二五号 ドングリと山猫/雪渡り 宮沢賢治 定価:200円
空が青くすみわたり、ドングリはピカピカしてじつにきれいでした。
「裁判ももう今日で三日目だぞ、いい加減になかなおりをしたらどうだ。
「いえいえ、だめです、なんといったって頭のとがってるのがいちばんえらいんです。そしてわたしがいちばんとがっています。
「いいえ、ちがいます。まるいのがえらいのです。いちばんまるいのはわたしです。
「大きなことだよ。大きなのがいちばんえらいんだよ。わたしがいちばん大きいからわたしがえらいんだよ。
「そうでないよ。わたしのほうがよほど大きいと、きのうも判事さんがおっしゃったじゃないか。
「だめだい、そんなこと。せいの高いのだよ。せいの高いことなんだよ。
「押しっこのえらいひとだよ。押しっこをしてきめるんだよ。
「やかましい! ここをなんとこころえる。しずまれ、しずまれ!」
第三巻 第二六号 光をかかぐる人々[続]『世界文化』連載分(六)徳永 直 定価:200円
活字が日本に渡るには、他の条件が必要であった。そして、その他の条件のうちもっとも大きなものは、やはり文久二年・一八六二年の日本幕府がはじめてやった貿易船千歳丸の上海入港であったろう。
また、官船以外の密航者、あるいは藩所有の船修理と称して渡航する者もたくさんあった。
第三巻 第二七号 特集 黒川能・春日若宮御祭 折口信夫 月末最終号:無料
黒川能・観点の置き所
特殊の舞台構造
五流の親族
能楽史をかえりみたい
黒川の能役者へ
村で見た黒川能
能舞台の解説
春日若宮御祭の研究
おん祭りの今と昔と
祭りのお練り
公人の梅の白枝(ずはえ)
若宮の祭神
大和猿楽・翁
影向松・鏡板・風流・開口
細男(せいのお)
山形県には、秋田県へかけて室町時代の芸能に関した民俗芸術が多く残っております。黒川能は、その中でも著しいものの一つで、これと鳥海山の下のひやま舞い〔杉沢比山舞か。
特にこの能で注意しなければならないのは、舞台構造であります。京都の壬生念仏を思わせるような舞台で、上下の廊下が橋掛りになっており、舞台の正面には春日神社の神殿をひかえているのであります。
(略)おもしろいのは狂言です。表情にも言語にも必ず多少の驚きを受けられるでしょう。ことに方言的な言い回しなどには、つい、われわれも見ていて釣りこまれるものがありました。
第三巻 第二八号 面とペルソナ/人物埴輪の眼 他 和辻哲郎 定価:200円
面とペルソナ / 文楽座の人形芝居
能面の様式 / 人物埴輪の眼
(略)しかし「意味ある形」、たとえば「甲冑」を円筒上の人物に着せたとなると、その甲冑は、四肢などに対するとはまったく段ちがいの細かな注意をもって表現されている。
(略)埴輪(はにわ)人形を近くからでなく、三間、五間、あるいはそれ以上に、ときには二、三十間の距離を置いて、ながめてみる必要があると思う。それによって埴輪人形の眼はじつに異様な生気をあらわしてくるのである。もし、この眼が写実的に形作られていたならば、すこし遠のけば、はっきりとは見えなくなるであろう。しかるにこの眼は、そういう形づけを受けず、そばで見れば粗雑に裏までくりぬいた空洞の穴にすぎないのであるが、遠のけば遠のくほど、その粗雑さが見えなくなり、魂の窓としての眼の働きが表面へ出てくる。それが異様な生気を現わしてくるゆえんなのである。眼にそういう働きがあらわれれば、顔面は生気をおび、埴輪人形全体が生きてくるのはもちろんである。古墳時代の人々はそういうふうにして埴輪の人形を見、また、そういうふうに見えるものとして埴輪の人形を作ったのであった。
第三巻 第二九号 火山の話 今村明恒 定価:200円
桜島噴火はいちじるしい前徴を備えていた。数日前から地震が頻々(ひんぴん)におこることは慣例であるが、今回も一日半前から始まった。また七、八十年前から土地がしだいに隆起しつつあったが、噴火後は元どおりに沈下したのである。そのほか、温泉・冷泉がその温度を高め、あるいは湧出量を増し、あるいは新たに湧出し始めたようなこともあった。
霧島火山群は東西五里にわたり二つの活火口と多くの死火山とを有している。その二つの活火口とは矛の峰(高さ一七〇〇メートル)の西腹にある御鉢(おはち)と、その一里ほど西にある新燃鉢(しんもえばち)とである。霧島火山はこの二つの活火口で交互に活動するのが習慣のように見えるが、最近までは御鉢が活動していた。ただし享保元年(一七一六)における新燃鉢の噴火は、霧島噴火史上においてもっとも激しく、したがって最高の損害記録をあたえたものであった。
磐梯山(高さ一八一九メートル)の明治二十一年(一八八八)六月十五日における大爆発は、当時、天下の耳目を聳動(しょうどう)せしめたものであったが、クラカトアには比較すべくもない。このときに磐梯山の大部分は蒸気の膨張力によって吹き飛ばされ、堆積物が渓水をふさいで二、三の湖水を作ったが、東側に流れ出した泥流のために土地のみならず、四百余の村民をも埋めてしまったのである。
第三巻 第三〇号 現代語訳『古事記』
古事記 上の巻
序文
過去の時代(序文の第一段)
『古事記』の企画(序文の第二段)
『古事記』の成立(序文の第三段)
『古事記』の成立(序文の第三段)
一、イザナギの命とイザナミの命
天地のはじめ
島々の生成
神々の生成
黄泉の国
身禊
二、アマテラス大神とスサノオの命
誓約
天の岩戸
三、スサノオの命
穀物の種
八俣の大蛇
系譜
スサノオの命は、かようにして天の世界から逐(お)われて、下界へ下っておいでになり、まず食物をオオゲツ姫の神にお求めになりました。そこでオオゲツ姫が鼻や口、また尻からいろいろのごちそうを出して、いろいろお料理をしてさしあげました。この時にスサノオの命はそのしわざをのぞいて見て、きたないことをして食べさせるとお思いになって、そのオオゲツ姫の神を殺してしまいました。殺された神の身体にいろいろの物ができました。頭にカイコができ、二つの目に稲種ができ、二つの耳にアワができ、鼻にアズキができ、股の間にムギができ、尻にマメができました。カムムスビの命が、これをお取りになって種となさいました。
かくてスサノオの命は逐いはらわれて出雲の国の肥(ひ)の川上、鳥髪(とりかみ)という所におくだりになりました。このときに箸(はし)がその河から流れてきました。それで川上に人が住んでいるとお思いになってたずねて上っておいでになりますと、老翁と老女と二人があって少女を中において泣いております。そこで「あなたは誰ですか?」とおたずねになったので、その老翁が、
第三巻 第三一号 現代語訳『古事記』
古事記 上の巻
四、大国主の命
兎と鰐
赤貝姫と蛤貝姫
根の堅州国(かたすくに)
ヤチホコの神の歌物語
系譜
スクナビコナの神
御諸山の神
大年の神の系譜
五、アマテラス大神と大国主の命
天若日子(あめわかひこ)
国譲り
六、ニニギの命
天降り
猿女の君
木の花の咲くや姫
七、ヒコホホデミの命
海幸と山幸
トヨタマ姫
スクナビコナの神 そこで大国主の命が出雲の御大(みほ)の御埼(みさき)においでになった時に、波の上をツルイモのさやを割って船にして、蛾(が)の皮をそっくりはいで着物にして寄ってくる神さまがあります。その名を聞きましたけれども答えません。また、御従者(おとも)の神たちにおたずねになったけれども、みな知りませんでした。ところがヒキガエルが言うことには、
御諸山の神 そこで大国主の命が心憂く思っておおせられたことは、
第三巻 第三二号 現代語訳『古事記』
古事記 中の巻
一、神武天皇
東征
速吸の門
イツセの命
熊野から大和へ
久米歌
神の御子
タギシミミの命の変
二、綏靖天皇以後八代
綏靖天皇
安寧天皇
懿徳天皇
孝昭天皇
孝安天皇
孝霊天皇
孝元天皇
開化天皇
三、崇神天皇
后妃と皇子女
美和の大物主
将軍の派遣
四、垂仁天皇
后妃と皇子女
サホ彦の反乱
ホムチワケの御子
丹波の四女王
時じくの香の木の実
この天皇〔崇神天皇〕の御世に、流行病がさかんにおこって、人民がほとんどつきようとしました。ここに天皇は、ご憂慮あそばされて、神をまつってお寝みになった晩に、オオモノヌシの大神がお夢にあらわれておおせになるには、
このオオタタネコを神の子と知ったしだいは、上に述べたイクタマヨリ姫は美しいお方でありました。ところが形姿・威儀並びなき一人の男が夜中にたちまち来ました。そこでたがいに愛でて結婚して住んでいるうちに、何ほどもないのにその嬢子(おとめ)が妊(はら)みました。そこで父母が妊娠したことを怪しんで、その娘に、
第三巻 第三五号 地震の話(一)今村明恒 月末最終号:無料
一、はしがき
二、地震学のあらまし
三、地震に出会ったときの心得(こころえ)
一、突差(とっさ)の処置
二、屋外(おくがい)への避難
日本は地震国であり、また地震学の開けはじめた国である。これは誤りのない事実であるけれども、もし日本は世界中で地震学がもっとも進んだ国であるなどというならば、それはいささかうぬぼれの感がある。実際、地震学のある方面では、日本の研究がもっとも進んでいる点もあるけれども、その他の方面においては必ずしもそうでない。それゆえ著者らは地震学をもって世界に誇ろうなどとは思っていないのみならず、この頃のように、わが国民がくりかえし地震に征服せられてみると、むしろ恥かしいような気持ちもする。すなわち大正十二年(一九二三)の関東大地震においては一〇万の生命と五十五億円の財産とを失い、二年後、但馬の国のケチな地震のため、四〇〇の人命と三〇〇〇万円の財産とを損し、また二年後の丹後地震によって三〇〇〇の死者と一億円の財産損失とを生じた。そしてこれらの損失のほとんど全部は地震後の火災によるものであって、被害民の努力しだいによっては大部分、免れ得られるべき損失であった。しかるに事実はそうでなく、あのような悲惨な結果の続発となったのであるが、これを遠く海外からながめてみると、日本はおそろしい地震国である。地震のたびごとに大火災をおこす国である。外国人は命がけでないと旅行のできない国である。国民は、ああたびたび地震火災に悩まされても少しもこりないもののようである。地震によって命を失うことをなんとも思っていないのかもしれないなどという結論を下されないとも限らぬまい。実際、これは欧米人の多数が日本の地震に対する観念である。かく観察されてみるとき、著者のごとき斯学の専攻者は非常な恥辱を感ぜざるを得ないのである。もちろん、この学問の研究が容易に進歩しないのも震災国たるの一因には相違ないが、しかしながら地震に対して必要な初歩の知識がわが国民に欠けていることが、震災拡大の最大原因であろう。じつに著者のごときは、地震学が今日以上に進歩しなくとも、震災のほとんど全部はこれを免れ得る手段があると考えているものの一人である。
第三巻 第三六号 地震の話(二)今村明恒 定価:200円
【DL-MARKET 被災地支援チャリティー企画 参加作品】
※ この作品は、売上金が東日本大震災・被災地への義援金となります。ご購入いただくと、価格200円の全額が日本赤十字社に寄付されます。
三、地震に出会ったときの心得
三、階下の危険
四、屋内にての避難
五、屋外における避難
六、津波と山津波(やまつなみ)との注意
七、災害防止
八、火災防止(一)
九、火災防止(二)
一〇、余震に対する処置
非局部性の大地震をおこすことのある海洋底に接した海岸地方は、大ゆれの地震にみまわれたばあい、津波についての注意を要する。ただし、津波をともなうほどの地震は最大級のものであるから、倒壊家屋を生ずる区域が数個の国や県にわたることもあり、あるいは震源距離が陸地からあまり遠いために、単に広区域にわたって大ゆれのみを感じ、地震の直接の損害を生じないこともある。
(略)津波とは津の波、すなわち港に現われる大津波であって、暴風など気象上の変調からおこることもあるが、もっとも恐ろしいのは地震津波である。元来、波というから、読者はすぐに風でおこされる波を想像せられるかもしれないが、むしろ潮の差し引きというほうが実際に近い。
(略)明治二十九年(一八九六)の三陸大津波は、その原因、数十里の沖合いにおける海底の地形変動にあったのであるが、津波の常習地たるじょうご形の港湾の奥においては、図に示されたとおり、あるいは八十尺、あるいは七十五尺というような高さの洪水となり、合計二万七〇〇〇人の人命を奪ったのに、港湾の両翼端ではわずかに数尺にすぎないほどのものであったし、その夜、沖合いに漁猟に行っていた村人は、あんな悲惨事が自分の村でおこったことを夢想することもできず、翌朝、跡かたもなく失われた村へ帰って茫然自失したという。
(略)しばしば海底の大地震をおこす場所に接し、そこに向かって大きくじょうご形に開いた地形の港湾がそれにあたるわけであるが、これについで多少の注意をはらうべきは、遠浅の海岸である。たとい海岸線が直線に近くとも、遠浅だけの関係で、波の高さが数倍の程度に増すこともあるから、もし沖合いにおける高さが数尺のものであったならば、前記のごとき地形の沿岸において多少の被害を見ることもある。
第三巻 第三七号 津波と人間/天災と国防/災難雑考 寺田寅彦 定価:200円
【DL-MARKET 被災地支援チャリティー企画 参加作品】
※ この作品は、売上金が東日本大震災・被災地への義援金となります。ご購入いただくと、価格200円の全額が日本赤十字社に寄付されます。
しかし、ここで一つ考えなければならないことで、しかも、いつも忘れられがちな重大な要項がある。それは、文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその劇烈の度を増すという事実である。
文明が進むにしたがって人間は、しだいに自然を征服しようとする野心を生じた。そうして、重力に逆らい、風圧・水力に抗するようないろいろの造営物を作った。そうして、あっぱれ自然の暴威を封じ込めたつもりになっていると、どうかした拍子に檻(おり)をやぶった猛獣の大群のように、自然があばれ出して高楼を倒壊せしめ、堤防を崩壊させて人命を危うくし、財産をほろぼす。その災禍をおこさせた元のおこりは、天然に反抗する人間の細工であるといっても不当ではないはずである。災害の運動エネルギーとなるべき位置エネルギーを蓄積させ、いやがうえにも災害を大きくするように努力しているものは、誰あろう文明人そのものなのである。
もう一つ、文明の進歩のために生じた対自然関係のいちじるしい変化がある。それは人間の団体、なかんずくいわゆる国家あるいは国民と称するものの有機的結合が進化し、その内部機構の分化がいちじるしく進展してきたために、その有機系のある一部の損害が系全体に対してはなはだしく有害な影響をおよぼす可能性が多くなり、ときには一小部分の傷害が全系統に致命的となりうる恐れがあるようになったということである。
二十世紀の現代では、日本全体が一つの高等な有機体である。各種の動力を運ぶ電線やパイプやが縦横に交差し、いろいろな交通網がすきまもなく張り渡されているありさまは、高等動物の神経や血管と同様である。その神経や血管の一か所に故障がおこれば、その影響はたちまち全体に波及するであろう。今度の暴風で畿内地方の電信が不通になったために、どれだけの不都合が全国に波及したかを考えてみれば、このことは了解されるであろう。
第三巻 第三八号 春雪の出羽路の三日 喜田貞吉 定価:200円
【DL-MARKET 被災地支援チャリティー企画 参加作品】
※ この作品は、売上金が東日本大震災・被災地への義援金となります。ご購入いただくと、価格200円の全額が日本赤十字社に寄付されます。
思いのほかの雪中旅行 / 箱雪車(はこぞり)とモンペ / 後三年駅 / 江畑新之助君 / タヤとラク / 防壁と立薦(たつごも) / 雪の金沢柵址 / 金沢八幡社のお通夜 / 仙北の俘囚(ふしゅう) / 山形泰安寺―
昨年〔大正十一年(一九二二)〕十一月にはじめて出羽の踏査に着手したその続きを、この春の休暇中にやってみたいと思っているおりから、山形県史跡名勝天然記念物調査委員会の開会式がおこなわれるので、やって来ぬかと理事官の有吉君から言ってこられた。これ幸いと、さきにご厄介になった庄内の阿部正己君に、同地方遺跡踏査のご相談におよぶと、このころはまだ雪が深くてとてもダメだとのお返事だ。冗談じゃない、こちらではもう桜が咲きかけているころだ。同じ本州のうちでも奥羽地方となるとそんなにまで様子が違うものか、これは一つ、遺跡踏査よりも雪の春景色を見たいものだ。それには庄内方面よりもいっそう雪の深かりそうな羽後の仙北地方がよかろう。かねて見たいと思っている後三年の役の遺跡・金沢柵址を、雪の中に見てまわるもおもしろかろう。ついでに、久しくお目にかからぬ紫水生・深沢多市君をもお訪ねしたい。
十二時すこし前に後三年駅で下車すると、改札口に深沢君が待っておられる。
自分らのソリの通っている下はことごとく水田で、道路も用水路もかまわず、好きなところを好きな方向に、勝手に道を作ってその上を進んで行くのだ。農夫は朝早くからソリで肥料を運搬して、各自、自分の地面と思うところへそれを分配している。まちがえて他人の地面に置いて行くことはなかろうかと、他目には案じられるが、遠方の立木や山などの見通しで見当をつけて、自分の地面をまちがえるようなことは決してないそうな。なんでもこの雪国では、雪の上の交通を利用して、その期間になるべく物を運んでおくのだという。材木を載せたソリ、砂利を載せたソリなど、いくつも縦列をなして通っている。土木工事の材料を、今のうちに軽々と運んでおくものらしい。雪の多いときには、一人で十数俵の米を運ぶのも容易だという。他所にあって考えたときには、雪に閉じこめられた地方の人々は、さだめてその期間禁足の憂き目を味わって、薄暗い家の中にのみ数か月間を閉じこめられているのかと気の毒にも思っていたが、その時がかえって交通に至便なのだとは、雪にもやはり利用の道があるものだ。
第三巻 第三九号 キュリー夫人/はるかな道(他)宮本百合子 定価:200円
【DL-MARKET 被災地支援チャリティー企画 参加作品】
※ この作品は、売上金が東日本大震災・被災地への義援金となります。ご購入いただくと、価格200円の全額が日本赤十字社に寄付されます。
キュリー夫人
はるかな道
キュリー夫人の命の焔
刻々、パリの危険がせまってきた。キュリー夫人は貴重な一グラムを、安全なボルドー市へ移すことにきめた。一グラムのラジウムとは、鉛のかぶせ蓋(ぶた)の中で細い管がいくつもたえず光っている、一つのたいへんに重い箱である。黒いアルパカの外套(がいとう)を着て、古びて形のくずれた丸いやわらかい旅行帽をかぶったマリアは、単身、その重い箱を持って満員の列車に乗りこんだ。客車の中は、敗戦の悲観論にみちあふれている。鉄道沿線の国道には、西へ西へと避難してゆく自動車の列がどこまでも続いている。しかし、キュリー夫人はあたりの動乱に断固として耳をかさず、憂いと堅忍との輝いている独特な灰色の眼で、日光をあびたフランス平野の景色をながめていた。
けれどもX光線の設備に、なくてならない電気さえひかれていないような野戦病院へ殺到してくる負傷者たちを、どうしたらいいだろう。キュリー夫人は、あることを思いついた。フランス婦人協会の費用で光線治療車というものを作った。これはヨーロッパでもはじめての試みであった。普通の自動車にレントゲン装置と、モーターと結びついて動く発電機を取りつけたもので、この完全な移動X光線班は一九一四年八月から各病院をまわりはじめた。フランスの運命を好転させた歴史的な戦いであるマルヌの戦闘で、故国のために傷ついた人々は、パリへ後送されて、その移動班に助けられたのであった。
第三巻 第四〇号 大正十二年九月一日…/私の覚え書 宮本百合子 月末最終号:無料
大正十二年九月一日よりの東京・横浜間大震火災についての記録
私の覚え書
列車は人と貨物を満載し、あぶら汗をにじませるむし暑さにつつまれながら、篠井ぐらいまでは、急行らしい快速力で走った。午前二時、三時となり、だんだん信州の高原にさしかかると、停車する駅々の雰囲気が一つごとに緊張の度を増してきた。在郷軍人、消防夫、警官などの姿がちらつき、手に手に提灯をかざして警備している。福井を出発するとき、前日ごろ軽井沢で汽車爆破をくわだてた暴徒が数十名捕らえられ、数人は逃げたという噂があった。旅客はみなそれを聞き知ってい、なかには、ことさら「いよいよ危険区域に入りましたな」などという人さえある。
五日の暁方四時少しすぎ、列車がちょうど軽井沢から二つ手前の駅に着く前、一般の神経過敏をよく現わした一つの事件が持ちあがった。前から二つ目ばかりの窓ぎわにいた一人の男が、
はじめ冗談だと思ったみなも、その人があまり真剣なのでひどく不安になりはじめた。あの駅々の警備の厳重なところを見れば、まったくそんな事がないとはいわれない。万一事実とすれば、ここにいる数十人が命の瀬戸際にあるということになる。不安がつのるにつれ、非常警報器を引けという者まで出た。駅の構内に入るために列車がしばらく野っぱのまんなかで徐行しはじめたときには、乗客はほとんど総立ちになった。何か異様がおこった。今こそあぶないという感が一同の胸をつらぬき、じっと場席にいたたまれなくさせたのだ。