*人物一覧
(人名、および組織・団体名・神名)
稗田阿礼 ひえだの あれ 天武天皇の舎人。記憶力がすぐれていたため、天皇から帝紀・旧辞の誦習を命ぜられ、太安万侶がこれを筆録して「古事記」3巻が成った。
太安万侶 おおの やすまろ ?-723 奈良時代の官人。民部卿。勅により、稗田阿礼の誦習した帝紀・旧辞を筆録して「古事記」3巻を撰進。1979年、奈良市の東郊から遺骨が墓誌銘と共に出土。
武田祐吉 たけだ ゆうきち 1886-1958 国文学者。東京都出身。小田原中学の教員を辞し、佐佐木信綱のもとで「校本万葉集」の編纂に参加。1926(昭和元)、国学院大学教授。「万葉集」を中心に上代文学の研究を進め、「万葉集全註釈」(1948-51)に結実させた。著書「上代国文学の研究」「古事記研究―帝紀攷」。「武田祐吉著作集」全8巻。(日本史)
神武天皇 じんむ てんのう 記紀伝承上の天皇。名は神日本磐余彦。伝承では、高天原から降臨した瓊瓊杵尊の曾孫。彦波瀲武��草葺不合尊の第4子で、母は玉依姫。日向国の高千穂宮を出、瀬戸内海を経て紀伊国に上陸、長髄彦らを平定して、辛酉の年(前660年)大和国畝傍の橿原宮で即位したという。日本書紀の紀年に従って、明治以降この年を紀元元年とした。畝傍山東北陵はその陵墓とする。
カムヤマトイワレ彦の命 神倭伊波礼毘古の命 → 神武天皇
イツセの命 五瀬命 いつせのみこと ��草葺不合尊の長子。神武天皇の兄。天皇と共に東征、長髄彦と戦って負傷、紀伊国の竈山で没したという。竈山神社に祀る。
ウサツ彦 宇沙都比古。
ウサツ姫 宇沙都比売。
サオネツ彦 槁根津日子。
ナガスネ彦 那賀須泥毘古、長髄彦。神話上の人物。神武天皇東征のとき、大和国生駒郡鳥見地方に割拠した土豪。孔舎衛坂で天皇に抵抗、饒速日命に討たれた。
タカクラジ 高倉下。
アマテラス大神 天照大神・天照大御神 伊弉諾尊の女。高天原の主神。皇室の祖神。大日�t貴とも号す。日の神と仰がれ、伊勢の皇大神宮(内宮)に祀り、皇室崇敬の中心とされた。
高木の神 たかぎのかみ 高皇産霊神・高御産巣日神・高御産日神・高御魂神 たかみむすひのかみ 古事記で、天地開闢の時、高天原に出現したという神。天御中主神・神皇産霊神と共に造化三神の一神。天孫降臨の神勅を下す。鎮魂神として神祇官八神の一神。たかみむすびのかみ。別名、高木神。
タケミカヅチの神 武甕槌命・建御雷命。日本神話で、天尾羽張命の子。経津主命と共に天照大神の命を受けて出雲国に下り、大国主命を説いて国土を奉還させた。鹿島神宮はこの神を祀る。
サジフツの神 佐士布都の神。大刀の名。
またの名はミカフツの神 甕布都の神。
またの名はフツノミタマ 布都の御魂。
�霊・布都御魂 ふつのみたま (フツは断ち切るさまをいう)日本神話で、天照大神(および高木神)の神慮により、神武天皇が熊野の人高倉下から受け、国土を平定したという霊剣。石上神宮の祭神。
ニエモツノコ 贄持の子。
イヒカ 井氷鹿。
吉野の首
イワオシワク 石押分。
国栖・国樔・国巣 くず (1) 古く大和国吉野郡の山奥にあったと伝える村落。また、その村民。在来の古俗を保持して、奈良・平安時代には宮中の節会に参加、贄を献じ、笛を奏し、口鼓を打って風俗歌を奏することが例となっていた。(2) 常陸国茨城郡に土着の先住民。
エウカシ 兄宇迦斯。
オトウカシ 弟宇迦斯。
大伴の連 おおともの むらじ
ミチノオミの命 道臣命。天忍日命の後裔。大伴氏の祖。初名は日臣命。神武天皇の東征に先鋒をつとめ、天皇即位の時に宮門の警衛に任じ、その子孫は軍事をつかさどったと伝える。
久米の直 くめの あたえ
オオクメの命
宇陀の水取 うだの もひとり
ニギハヤビの命 饒速日命 記紀神話で、天孫降臨に先だち天より降り、長髄彦の妹三炊屋姫を妃としたが、神武天皇東征の時、長髄彦を誅して天皇に帰順したという。物部氏の始祖と伝える。
トミヤ姫 登美夜毘売。ナガスネ彦の妹。
ウマシマジの命 宇摩志麻遲の命。
物部の連 もののべのむらじ
穂積の臣 ほづみのおみ
采女の臣 うねめのおみ
阿多の小椅の君 あたの おばしのきみ
アヒラ姫 阿比良比売 阿多の小椅の君の妹。
タギシミミの命 多芸志美美の命、手研耳命。神武天皇の皇子。母は、吾平津姫で、同母弟に岐須美美命(ただし古事記のみ登場)が、異母弟に綏靖天皇、神八井耳命、彦八井耳命がいる。
キスミミの命 岐須美美の命。
三島のミゾクイ みしま- 三島の湟咋。
セヤダタラ姫 勢夜陀多良比売。三島のミゾクイの娘。
オオモノヌシの神 大物主神 奈良県大神神社の祭神。蛇体で人間の女に通じ、また祟り神としても現れる。一説に大己貴神(大国主命)と同神。
ホトタタライススキ姫 富登多多良伊須須岐比売 → ヒメタタライスズヒメ
ヒメタタライスケヨリ姫 比売多多良伊須気余理比売。神武天皇の皇后。
ヒコヤイの命 日子八井命。神武天皇の皇子。
カムヤイミミの命 神八井耳命。
カムヌナカワミミの命 神沼河耳の命 → 綏靖天皇
綏靖天皇 すいぜい てんのう 記紀伝承上の天皇。神武天皇の第3皇子。名は神渟名川耳。
オオの臣
イスケヨリ姫 伊須気余理比売 → ヒメタタライスケヨリ姫
タケヌナカワミミの命 建沼河耳の命 → カムヌナカワミミの命
茨田の連 うまらたの むらじ まむた(p.83 上)
手島の連 てしまの むらじ(p.83 上)
意富の臣 おおの おみ
小子部の連 ちいさこべの むらじ
坂合部の連 さかあいべの むらじ
火の君 ひのきみ(p.83 上)
大分の君 おおきたのきみ
阿蘇の君 あそのきみ
筑紫の三家の連 みやけのむらじ
雀部の臣 さざきべの おみ
雀部の造 さざきべの みやつこ
小長谷の造 おはつせの みやつこ
都祁の直 つげの/つけの あたえ (p.83 上)
伊余の国の造 いよのくにの みやつこ
科野の国の造 しなののくにの みやつこ
道の奥の石城の国の造 いわきのくにの みやつこ
常道の仲の国の造 ひたちの なかの くにの みやつこ(p.83 上)
長狭の国の造 ながさのくにのみやつこ/ながさこくぞう 安房国東部を支配した国造。本拠は安房国長狭郡。現在の千葉県鴨川市の大半。
伊勢の船木の直 ふなきの あたえ
尾張の丹羽の臣 にわの おみ
島田の臣 しまだのおみ(p.83 上)
師木の県主 しきの あがたぬし
カワマタ姫 河俣毘売。綏靖天皇の皇后で安寧天皇の母とされる人物。
シキツ彦タマデミの命 師木津日子玉手見の命。
安寧天皇 あんねい てんのう 記紀伝承上の天皇。綏靖天皇の第1皇子。名は磯城津彦玉手看。
県主ハエ あがたぬし はえ 波延。カワマタ姫の兄。
アクト姫 阿久斗比売。県主ハエの女。
トコネツ彦イロネの命 常根津日子伊呂泥の命。
オオヤマト彦スキトモの命 大倭日子�K友の命。
シキツ彦の命 帥木津日子の命。
伊賀の須知の稲置 いなき
那婆理の稲置 なはりの いなき
三野の稲置 みのの いなき(p.84 上)
ワチツミの命 和知都美の命。
ハエイロネ 縄伊呂泥。またの名はオオヤマトクニアレ姫の命。
オオヤマトクニアレ姫の命 意富夜麻登久迩阿礼比売の命。
ハエイロド 縄伊呂杼。ハエイロネの妹。
懿徳天皇 いとく てんのう 記紀伝承上の天皇。安寧天皇の第2皇子。名は大日本彦耜友。
フトマワカ姫の命 賦登麻和訶比売の命。またの名はイイヒ姫の命。
イイヒ姫の命 飯日比売の命。
ミマツ彦カエシネの命 御真津日子訶恵志泥の命。孝昭天皇。
タギシ彦の命 多芸志比古の命。
血沼の別 ちぬの わけ
多遅麻の竹の別 たじまの
葦井の稲置 あしいの いなき
孝昭天皇 こうしょう てんのう 記紀伝承上の天皇。懿徳天皇の第1皇子。名は観松彦香殖稲。
尾張の連 おわりのむらじ
オキツヨソ 奥津余曽。
ヨソタホ姫の命 余曽多本毘売の命。オキツヨソの妹。
アメオシタラシ彦の命 天押帯日子の命。天足彦国押人命。
オオヤマトタラシ彦クニオシビトの命 大倭帯日子国押人の命。
春日の臣
大宅の臣 おおやけの おみ
粟田の臣
小野の臣
柿本の臣 かきのもと
一比韋の臣 いちひいの おみ
大坂の臣 おおさかのおみ
阿那の臣
多紀の臣 たきの おみ
羽栗の臣
知多の臣
牟耶の臣 むざの おみ
都怒山の臣 つのやまの おみ
伊勢の飯高の君
一師の君
近つ淡海の国の造 ちかつおうみの くにのみやつこ
孝安天皇 こうあん てんのう 記紀伝承上の天皇。孝昭天皇の第2皇子。名は日本足彦国押人。
オシカ姫の命 忍鹿比売の命。
オオキビノモロススの命 大吉備の諸進の命。
オオヤマトネコ彦フトニの命 大倭根子日子賦斗迩の命。孝霊天皇。
孝霊天皇 こうれい てんのう 記紀伝承上の天皇。孝安天皇の第1皇子。名は大日本根子彦太瓊。
十市の県主 とおちの あがたぬし
大目 おおめ
クワシ姫の命 細比売の命 大目の娘。
オオヤマトネコ彦クニクルの命 大倭根子日子国玖琉の命。
春日のチチハヤマワカ姫 春日の千千速真若比売。
チチハヤ姫の命 千千速比売の命。
オオヤマトクニアレ姫の命 意富夜麻登玖迩阿礼比売の命。
ヤマトトモモソ姫の命 夜麻登登母母曽毘売の命。
ヒコサシカタワケの命 日子刺肩別の命。
ヒコイサセリ彦の命 比古伊佐勢理毘古の命。またの名はオオキビツ彦の命。
オオキビツ彦の命 大吉備津日子の命。
ヤマトトビハヤワカヤ姫 倭飛羽矢若屋比売。
ハエイロド 縄伊呂杼 アレ姫の命の妹。
ヒコサメマの命 日子寤間の命。
ワカヒコタケキビツ彦の命 若日子建吉備津日子の命。
吉備の上の道の臣 かみつみちのおみ
吉備上道臣 きびのかみつみちのおみ
吉備の下の道の臣 しもつみちのおみ
笠の臣 かさの おみ
牛鹿の臣 うしかの おみ 播磨。
高志の利波の臣 こしの となみの おみ
豊国の国前の臣 くにさきの おみ
五百原の君
角鹿の済の直 つぬがの わたりの あたえ
孝元天皇 こうげん てんのう 記紀伝承上の天皇。孝霊天皇の第1皇子。名は大日本根子彦国牽。
タケシウチの宿祢 → 武内宿祢
武内宿祢 たけうちの すくね 大和政権の初期に活躍したという記紀伝承上の人物。孝元天皇の曾孫(一説に孫)で、景行・成務・仲哀・応神・仁徳の5朝に仕え、偉功があったという。その子孫と称するものに葛城・巨勢・平群・紀・蘇我の諸氏がある。
穂積の臣 ほずみのおみ
ウツシコオの命 内色許男の命。
ウツシコメの命 内色許売の命。ウツシコオの命の妹。
大彦の命 おおびこのみこと 大毘古命。孝元天皇の第一皇子で、母は皇后・鬱色謎命。開化天皇と少彦男心命(古事記では少名日子名建猪心命)の同母兄で、垂仁天皇の外祖父に当たる。北陸道を主に制圧した四道将軍の一人。
スクナヒコタケイココロの命 少名日子建猪心の命。
ワカヤマトネコ彦オオビビの命 若倭根子日子大毘毘の命 → 開化天皇
イカガシコメの命 伊迦賀色許売の命。ウツシコオの命の娘。
ヒコフツオシノマコトの命 比古布都押の信の命。
河内のアオタマ 河内の青玉。
ハニヤス姫 波迩夜須毘売。河内のアオタマの娘。
タケハニヤス彦の命 建波迩夜須毘古の命。
タケヌナカワワケの命 武渟川別命。大彦命の皇子。崇神天皇の時、四道将軍の一人として東海に遣わされたと伝える。阿倍臣の祖。
阿部の臣 阿倍氏?
ヒコイナコジワケの命 比古伊那許士別の命。
膳の臣 かしわでのおみ
尾張の連 おわりの むらじ
オオナビ 意富那毘。
葛城のタカチナ姫 葛城の高千那毘売。オオナビの妹。
ウマシウチの宿祢 すくね 味師内の宿祢。
山代の内の臣 やましろの
木の国の造 きのくにの みやつこ(p.89 下)
ウズ彦 宇豆比古。
ヤマシタカゲ姫 山下影日売。ウズ彦の妹。
タケシウチの宿祢 建内の宿祢 → 武内宿祢
ハタノヤシロの宿祢 波多の八代の宿祢
波多の臣 はた
林の臣
波美の臣
星川の臣
淡海の臣
長谷部の君 はつせべのきみ 泊瀬部とも。(日本史)
コセノオカラの宿祢 許勢の小柄の宿祢
許勢の臣
雀部の臣
軽部の臣
ソガノイシカワの宿祢 蘇賀の石河の宿祢 → 蘇我石川宿禰
蘇我石川宿禰 そがの いしかわの すくね 蘇我石川とも呼ばれる日本神話の人物で、蘇我氏の祖とされる。河内国石川郡で生まれた。武内宿禰の子であり、蘇我満智の父である。名前から見て、蘇我倉山田石川麻呂もしくはその子孫が創作した架空の人物であるとする説もある。
蘇我の臣 そが
川辺の臣
田中の臣
高向の臣 たかむくの おみ
小治田の臣 おはりだの おみ
桜井の臣
岸田の臣
ヘグリノツクの宿祢 すくね 平群の都久の宿祢。
平群の臣 へぐりの おみ
佐和良の臣
馬の御の連 みくいの むらじ
キノツノの宿祢 木の角の宿禰。
木の臣
都奴の臣
坂本の臣
クメノマイト姫 久米の摩伊刀比売。
ノノイロ姫 怒の伊呂比売。
葛城の長江のソツ彦 かづらきの ながえの曽都毘古。
玉手の臣
的の臣 いくはの おみ
生江の臣 なまえ?
阿芸那の臣 あきなの おみ
若子の宿祢 わくごの すくね
江野の財の臣
開化天皇 かいか てんのう 記紀伝承上の天皇。孝元天皇の第2皇子。名は稚日本根子彦大日日。
丹波の大県主 たんばの おおあがたぬし
ユゴリ 由碁理。
タカノ姫 竹野比売。ユゴリの娘。
ヒコユムスミの命 比古由牟須美の命。
イカガシコメの命 伊迦賀色許売の命。
ミマキイリ彦イニエの命 御真木入日子印恵の命。崇神天皇。
ミマツ姫の命 御真津比売の命。
丸迩の臣 わにのおみ 和邇・和珥・丸とも。奈良県天理市和迩町付近の古代以来の地名。(日本史)
ヒコクニオケツの命 日子国意祁都の命。
オケツ姫の命 意祁都比売の命。ヒコクニオケツの命の妹。
ヒコイマスの王 みこ 彦坐命、日子坐王、彦今簀命とも。開化天皇の第3皇子。母は姥津命の妹・姥津媛命。崇神天皇の異母弟、神功皇后の高祖父にあたる。
葛城の垂見の宿祢 かづらきの たるみの すくね
ワシ姫 �比売。葛城の垂見の宿祢の娘。
タケトヨハツラワケの王 建豊波豆羅和気の王。
ヒコユムスミの王 比古由牟須美の命。
オオツツキタリネの王 大筒木垂根の王。
サヌキタリネの王 讃岐垂根の王。
山代のエナツ姫 やましろの荏名津比売。またの名はカリハタトベ。
カリハタトベ 苅幡戸弁。
オオマタの王 大俣の王。
オマタの王 小俣の王。
シブミの宿祢の王 志夫美の宿禰の王。
春日のタケクニカツトメ かすがの建国勝戸売。
サホのオオクラミトメ 沙本の大闇見戸売。春日のタケクニカツトメの娘。
サホ彦の王 沙本毘古の王。
オザホの王 袁耶本の王。
サホ姫の命 沙本毘売の命。またの名はサワジ姫。
ムロビコの王 室毘古の王。
サワジ姫 佐波遲比売。イクメ天皇の皇后。
イクメ天皇 伊久米の天皇 → 垂仁天皇
アメノミカゲの神 天の御影の神。
オキナガノミズヨリ姫 息長の水依比売。アメノミカゲの神の娘。
丹波ノヒコタタスミチノウシの王 丹波の比古多多須美知能宇斯の王。
ミヅホノマワカの王 水穂の真若の王。
カムオオネの王 神大根の王。またの名はヤツリのイリビコの王。
ヤツリのイリビコの王 八瓜の入日子の王。
ミヅホノイオヨリ姫 水穂の五百依比売。
ミイツ姫 御井津比売。
山代のオオツツキのマワカの王 やましろの大筒木の真若の王。
ヒコオスの王 比古意須の王。
イリネの王 伊理泥の王。
アケタツの王 曙立の王。大俣王の子で、菟上王と兄弟。開化天皇の皇子である彦坐王の孫にあたり、伊勢の品遅部、伊勢の佐那造の始祖とされる。三重県多気郡多気町の式内社・佐那神社は天手力男神と曙立王を祀る。
ウナガミの王 菟上の王。
伊勢の品遅部 いせのほんじべ
伊勢の佐那の造 いせのさなのみやつこ(p.88 下)
比売陀の君 ひめだのきみ(p.88 下)
当麻の勾の君 たぎまの まがりの きみ
シブミの宿祢の王 志夫美の宿禰の王。
佐佐の君 ささのきみ(p.88 下)
日下部の連 くさかべの むらじ
甲斐の国の造
葛野の別 かずのの わけ(p.88 下)
近つ淡海の蚊野の別 ちかつおうみの かやのの わけ
若狭の耳の別 わかさの (p.88 下)
ミチノウシの王 美知能宇志の王。
丹波の河上のマスの郎女 たにはの河上の摩須のいらつめ。
ヒバス姫の命 比婆須比売の命。日葉酢媛命。
マトノ姫の命 真砥野比売の命。
オト姫の命 弟比売の命。
ミカドワケの王 朝廷別の王。
三川の穂の別 みかわのほのわけ(p.89 上)
ミヅホノマワカの王 水穂の真若の王。ミチノウシの王の弟。
近つ淡海の安の直 ちかつおうみの やすの あたえ(p.89 上)
三野の国の造 みののくにのみやつこ(p.89 上)
本巣の国の造 もとすの くにのみやつこ
長幡部の連 ながはたべの むらじ
山代のオオツツキマワカの王 やましろの大筒木真若の王。
丹波のアジサワ姫 丹波の阿治佐波毘売。弟君イリネの王の娘。
カニメイカヅチの王 迦迩米雷の王。
丹波の遠津の臣 たんば/たにはの とおつの臣
タカキ姫 高材比売。丹波の遠津の臣の娘。
オキナガの宿祢の王 息長の宿祢の王。
葛城のタカヌカ姫 かづらきの高額比売。
オキナガタラシ姫の命 息長帯比売の命。神功皇后。
神功皇后 じんぐう こうごう 仲哀天皇の皇后。名は息長足媛。開化天皇第5世の孫、息長宿祢王の女。天皇とともに熊襲征服に向かい、天皇が香椎宮で死去した後、新羅を攻略して凱旋し、誉田別皇子(応神天皇)を筑紫で出産、摂政70年にして没。(記紀伝承による)
ソラツ姫の命 虚空津比売の命。
オキナガ彦の王 息長日子の王。
吉備の品遅の君 きびの ほむじの きみ
播磨の阿宗の君 はりまのあそのきみ(p.89 下)
カワマタノイナヨリ姫 河俣の稻依毘売。
オオタムサカの王 大多牟坂の王。
但馬の国の造 たじまの
タケトヨワズラワケの王 建豊波豆羅和気の王。
道守の臣 ちもりのおみ(p.89 下)
忍海部の造 おしぬみべのみやつこ(p.89 下)
御名部の造 みなべのみやつこ(p.89 下)
稲羽の忍海部 いなば(稲葉)のおしぬみべ(p.89 下)
丹波の竹野の別 たんばのたかののわけ
依網の阿毘古 よさみの あびこ
崇神天皇 すじん てんのう 記紀伝承上の天皇。開化天皇の第2皇子。名は御間城入彦五十瓊殖。
イマキイリ彦イニエの命 → 崇神天皇
アラカワトベ 荒河戸弁。
トオツアユメマクワシ姫 遠津年魚目目微比売。アラカワトベの娘。
トヨキイリ彦の命 豊木入日子の命。豊城入彦命。崇神天皇の皇子。東国の上毛野君、下毛野君の祖と伝えられる。
トヨスキイリ姫の命 豊�K入日売の命。豊鍬入姫命。崇神天皇の皇女。勅により、天照大神を倭の笠縫邑に遷し、大神に仕えたと伝えられる。斎宮の初め。
オオアマ姫 意富阿麻比売。
オオイリキの命 大入杵の命。
ヤサカノイリ彦の命 八坂の入日子の命。
ヌナキノイリ姫の命 沼名木の入日売の命。
トオチノイリ姫の命 十市の入日売の命。
ミマツ姫の命 御真津比売の命。大彦の命の娘?
イクメイリ彦イサチの命 伊玖米入日子伊沙知の命。垂仁天皇。
イザノマワカの命 伊耶の真若の命。
クニカタ姫の命 国片比売の命。
チヂツクヤマト姫の命 千千都久和比売の命。
イガ姫の命 伊賀比売の命。
ヤマト彦の命 倭日子の命。
上毛野 かみつけの
下毛野の君
能登の臣 のとのおみ(p.90 上)
美和の大物主 みわのおおものぬし
大物主神 おおものぬしのかみ 奈良県大神神社の祭神。蛇体で人間の女に通じ、また祟り神としても現れる。一説に大己貴神(大国主命)と同神。
神氏 みわうじ
鴨氏 かもうじ → 賀茂氏
賀茂氏 かもうじ/かもし 古代より続く日本の氏族である。加茂、鴨とも書く。山城国葛野を本拠とし代々賀茂神社に奉斎した賀茂県主は、八咫烏に化身して神武天皇を導いた賀茂建角身命を始祖とする。賀茂県主は、同じ山城を本拠とする秦氏との関係が深い。賀茂県主の系統には鴨長明、賀茂真淵がいる。
オオタタネコ 意富多多泥古。タケミカヅチの命の子。
スエツミミの命 陶津耳の命。
イクタマヨリ姫 活玉依毘売。スエツミミの命の娘。古事記説話に見える女。見知らぬ男により妊娠し、針につけた糸を尋ねて夫が三輪山の大物主神であることを知る。
クシミカタの命 櫛御方の命。
イイカタスミの命 飯肩巣見の命。
タケミカヅチの命 建甕槌の命。
イカガシコオの命 伊迦賀色許男の命。
宇陀の墨坂の神 うだの すみさかの かみ 大和国宇陀郡。墨坂は邑名。交通の要地で大和と伊勢の境界に位置するので塞の神と考えられる。(神名)
大坂の神 おおさかのかみ(p.91 下)
坂の上の神 坂の御屋の神。
河の瀬の神 河の瀬の神。
丹波のミチヌシの命
キビツ彦 吉備津彦命。日本神道の神。吉備冠者ともいう。孝霊天皇の皇子で山陽道を主に制圧した四道将軍の一人。別名(本来の名)を五十狭芹彦といい、吉備国を平定した事によって吉備津彦を名乗る。
クガミミのミカサ 玖賀耳の御笠。
ヒコクニブク 日子国夫玖の命。
御真木の天皇 みまきの- → 崇神天皇
垂仁天皇 すいにん てんのう 記紀伝承上の天皇。崇神天皇の第3皇子。名は活目入彦五十狭茅。
サホ彦の命 沙本毘古の命。狭穂彦王。
サワジ姫の命 佐波遅比売の命。サホ彦の命の妹。
ホムツワケの命 品牟都和気の命。
丹波のヒコタタスミチノウシの王 たにはの比古多多須美知能宇斯の王。
ヒバス姫の命 氷羽州比売の命。日葉酢媛命。丹波のヒコタタスミチノウシの王の娘。
イニシキノイリ彦の命 印色の入日子の命。
オオタラシ彦オシロワケの命 大帯日子淤斯呂和気の命 → 景行天皇
景行天皇 けいこう てんのう 記紀伝承上の天皇。垂仁天皇の第3皇子。名は大足彦忍代別。熊襲を親征、後に皇子日本武尊を派遣して、東国の蝦夷を平定させたと伝える。
オオナカツ彦の命 大中津日子の命。
ヤマト姫の命 倭比売の命。
ワカキノイリ彦の命 若木の入日子の命。
ヌバタノイリ姫の命 沼羽田の入毘売の命。ヒバス姫の命の妹。
ヌタラシワケの命 沼帯別の命。
イガタラシ彦の命 伊賀帯日子の命。
アザミノイリ姫の命 阿耶美の伊理毘売の命。ヌバタノイリ姫の命の妹。
イコバヤワケの命 伊許婆夜和気の命。
アザミツ姫の命 阿耶美都比売の命。
カグヤ姫の命 迦具夜比売の命。オオツツキタリネの王の娘。
オナベの王 袁那弁の王。
山代の大国の淵 やましろのおおくにのふち
カリバタトベ 苅羽田刀弁。山代の大国のフチの娘
オチワケの王 落別の王。
イカタラシ彦の王 五十日帯日子の王。
イトシワケの王 伊登志別の王。
オトカリバタトベ 弟苅羽田刀弁。大国のフチの娘。
イワツクワケの王 石衝別の王。磐撞別命。
イワツク姫の命 石衝毘売の命。またの名はフタジノイリ姫の命。
フタジノイリ姫の命 布多遅の伊理毘売の命。
山辺の別 やまべのわけ(p.95 下)
三枝の別 さきくさのわけ
稲木の別
阿太の別 あだのわけ(p.95 下)
尾張の国の三野の別
吉備の石无の別 きびの いわなしの わけ
許呂母の別 ころもの わけ
高巣鹿の別 たかすかの わけ
飛鳥の君 あすかのきみ(p.95 下)
牟礼の別 むれのわけ(p.95 下)
イコバヤワケの王 伊許婆夜和気の王。
沙本の穴本部の別 さほの あなほべの わけ(p.96 上)
アザミツ姫の命 阿耶美都比売の命。
イナセ彦の王 稲瀬毘古の王。
オチワケの王 落別の王。
小目の山の君 おめの やまのきみ? 小月(おつき)の山の君?(p.96 上)
三川の衣の君 みかわの ころものきみ
イカタラシ彦の王 五十日帯日子の王。
春日の山の君
高志の池の君 こしの いけの きみ
春日部の君
伊登志部 いとしべ(p.96 上)
羽咋の君 はくいの きみ
三尾の君 みおのきみ(p.96 上)
フタジノイリ姫の命 布多遅の伊理毘売の命。ヤマトタケルの命の妃。
ヤマトタケルの命 倭建の命。日本武尊。古代伝説上の英雄。景行天皇の皇子で、本名は小碓命。別名、日本童男。天皇の命を奉じて熊襲を討ち、のち東国を鎮定。往途、駿河で草薙剣によって野火の難を払い、走水の海では妃弟橘媛の犠牲によって海上の難を免れた。帰途、近江伊吹山の神を討とうとして病を得、伊勢の能褒野で没したという。
日下部の連 くさかべの むらじ
甲斐の国の造
ホムチワケの御子 本牟智和気の御子。
丹波のヒコタタスミチノウシの王
兄姫 えひめ 丹波のヒコタタスミチノウシの王の娘。
弟姫 おとひめ
山辺のオオタカ やまべの大�。
品遅部 ほむじべ
キヒサツミ 岐比佐都美。
アシハラシコオの大神 葦原醜男 古事記で大国主命の別名。播磨風土記では天之日矛と国の占有争いをする神。
大国主命
ヒナガ姫 肥長比売。
鳥取部 ととりべ 大和政権で鳥を捕獲し飼育する技術を世襲していた品部。鳥飼部。
鳥甘 とりかい
大湯座 おおゆえ
若湯座 わかゆえ
弟姫の命 おとひめのみこと
ウタコリ姫の命 歌凝比売の命。
マトノ姫の命 圓野比売の命。
タジマモリ 田道間守 記紀伝説上の人物。垂仁天皇の勅で常世国に至り、非時香菓(橘)を得て10年後に帰ったが、天皇の崩後であったので、香菓を山陵に献じ、嘆き悲しんで陵前に死んだと伝える。
三宅の連 みやけのむらじ
土師部 はにしべ/はじべ 古代、大和政権に土師器を貢納した品部。北九州から関東地方まで各地に分布。埴輪の製作、葬儀にも従事。はにしべ。
河上部 かわかみべ 川上部。大化前代の伝説的な部民。律令時代には見えない部。(日本史)
◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)、『日本人名大事典』(平凡社)、『日本史広辞典』(山川出版社、1997.10)、『日本神名辞典 第二版』(神社新報社、1995.6)、『古事記・日本書紀』(福永武彦訳、河出書房新社、1988.1)。
*書籍
(書名、雑誌名、論文名、能・狂言・謡曲などの作品名)
古事記 こじき 現存する日本最古の歴史書。3巻。稗田阿礼(ひえだのあれ)が天武天皇の勅により誦習した帝紀および先代の旧辞を、太安万侶(おおのやすまろ)が元明天皇の勅により撰録して712年(和銅5)献上。上巻は天地開闢から鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)まで、中巻は神武天皇から応神天皇まで、下巻は仁徳天皇から推古天皇までの記事を収め、神話・伝説と多数の歌謡とを含みながら、天皇を中心とする日本の統一の由来を物語る。ふることぶみ。
帝紀 ていき 天皇の系譜の記録。帝皇日嗣。
本辞 ほんじ 皇族や氏族の伝承、また、民間の説話などを書きとどめたもの。旧辞。
日本書紀 にほん しょき 六国史の一つ。奈良時代に完成した日本最古の勅撰の正史。神代から持統天皇までの朝廷に伝わった神話・伝説・記録などを修飾の多い漢文で記述した編年体の史書。30巻。720年(養老4)舎人親王らの撰。日本紀。
◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。
*難字、求めよ
八咫烏 やたがらす (ヤタはヤアタの約。咫は上代の長さの単位) (1) 記紀伝承で神武天皇東征のとき、熊野から大和に入る険路の先導となったという大烏。姓氏録によれば、賀茂建角身命の化身と伝えられる。(2) 中国古代説話で太陽の中にいるという3本足の赤色の烏の、日本での称。
筌 うえ 魚を捕る具。細い割竹を編んで、筒または底無し徳利の形に造り、入った魚が出られないように口に漏斗状などのかえしをつけたもの。うけ。うえやな。もじ。ど。
久米歌 くめうた 古代歌謡。久米部が久米舞にうたう歌。記紀によれば神武天皇が久米部をひきいて兄猾・八十梟帥・兄磯城・長髄彦を討伐した時に軍士を慰撫・鼓舞した歌、および道臣命が忍坂で八十梟帥の余党を討った時に歌った歌の総称。現在は宮内庁楽師が雅楽歌曲として演奏。
大殿 おおとの (1) 宮殿、貴人の邸宅の尊敬語。
古妻 ふるづま 昔からつれそう妻。また、先妻。
いちさかき ヒサカキの異称。「多い」の序詞に用いる。
水取 もいとり → 主水司
主水司 しゅすいし 律令制で、宮内省に属し、供御の水・粥・氷室のことをつかさどった役所。もいとりのつかさ。もんどのつかさ。
小子・細螺 しただみ 「きさご」に同じ。
細螺・扁螺・喜佐古 きさご ニシキウズガイ科の巻貝。殻は直径2センチメートル内外で、厚く固い。多数の放射火焔状の淡褐色の斑がある。食用。殻をおはじきに使った。北海道東北部を除く日本各地に分布。きしゃご。しただみ。ぜぜがい。いしゃらがい。
継兄・庶兄 ままあに 父または母のちがう兄。異父兄。異母兄。
稲置 いなぎ (1) 古代の下級地方官。隋書東夷伝に「八十戸置一伊尼翼如今里長也。十伊尼翼属一軍尼」とある。(2) 八色姓の第8位。
斎瓮 いわいべ 斎瓮・忌瓮。祭祀に用いる神聖なかめ。神酒を入れる。いんべ。
献り たてまつり
幣帛 へいはく (1) 神に奉献する物の総称。みてぐら。にきて。ぬさ。(2) (中国で、進物・礼物にきぬを贈ることから)進物または礼物の称。
四道将軍 しどう しょうぐん 記紀伝承で、崇神天皇の時、四方の征討に派遣されたという将軍。北陸は大彦命、東海は武渟川別命、西道(山陽)は吉備津彦命、丹波(山陰)は丹波道主命。古事記は西道を欠く。
弑殺 しさつ 目上の人や。身分の高い人を殺害すること。しいさつ。
稲の城 → 稲城
稲城 いなぎ (古く清音) 稲を家の周囲に積んで急場の矢防ぎとしたもの。
太卜 ふとまに (「ふと」は美称)上代の占いの一種。ハハカの木に火をつけ、その火で鹿の肩の骨を焼き、骨のひび割れの形を見て吉凶を占うもの。太町。
時じくの香の木の実 ときじくの かくのこのみ 非時香菓。(夏に実り、秋冬になっても霜に堪え、香味がかわらない木の実の意)タチバナの古名。
◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。
*後記(工作員日記)
うお〜っ! まるっと一週間おくれの発行。
二月二五日、県立図書館より「五十嵐晴峯」の調査結果、連絡あり。晴峯は号で、清蔵が本名のもよう。明治一〇年(一八七七)生まれ、昭和二四年(一九四九)没とある。東村山郡金井村(現、山形市)住(ちなみに記憶が正しければ、金井はユニコーンのあべびーの出身地のはず)。『山形県史蹟名勝天然紀念物調査報告』の「山寺」を執筆している。他にも東村山や北村山の『郡史』などの郷土史を手がけている。
仲俣さんの編集するサイト「マガジン航」に拙文を載せていただきました。創刊以来、2年半を振り返ったレポート内容です。
『週刊ミルクティー*』の活動について
http://www.dotbook.jp/magazine-k/milktea_weekly/
また、それを受けて仲俣さんご自身も電子出版に関する論考を掲載しています。
「マチガイ主義」から電子書籍を考える
http://www.dotbook.jp/magazine-k/
興味ありましたらご一読ねがいます。
*次週予告
第三巻 第三三号
現代語訳『古事記』(四)中巻(後編)
武田祐吉(訳)
第三巻 第三三号は、
三月一二日(土)発行予定です。
定価:200円
T-Time マガジン 週刊ミルクティー* 第三巻 第三二号
現代語訳『古事記』(三)武田祐吉(訳)
発行:二〇一一年三月五日(土)
編集:しだひろし/PoorBook G3'99
http://www33.atwiki.jp/asterisk99/
出版:*99 出版
〒994-0024 山形県天童市鎌田2丁目1−21
アパートメント山口A−202
販売:DL-MARKET
※ T-Timeは(株)ボイジャーの商標・製品です。
T-Time マガジン 週刊ミルクティー**99 出版
第二巻
第一号 奇巌城(一)モーリス・ルブラン 月末最終号:無料
第二号 奇巌城(二)モーリス・ルブラン 定価:200円
第三号 美し姫と怪獣 / 長ぐつをはいた猫 定価:200円
第四号 毒と迷信 / 若水の話 / 麻薬・自殺・宗教 定価:200円
第五号 空襲警報 / 水の女 / 支流 定価:200円
第六号 新羅人の武士的精神について 池内宏 月末最終号:無料
第七号 新羅の花郎について 池内宏 定価:200円
第八号 震災日誌 / 震災後記 喜田貞吉 定価:200円
第九号 セロ弾きのゴーシュ / なめとこ山の熊 宮沢賢治 定価:200円
第十号 風の又三郎 宮沢賢治 月末最終号:無料
第一一号 能久親王事跡(一)森 林太郎 定価:200円
第一二号 能久親王事跡(二)森 林太郎 定価:200円
第一三号 能久親王事跡(三)森 林太郎 定価:200円
第一四号 能久親王事跡(四)森 林太郎 定価:200円
第一七号 赤毛連盟 コナン・ドイル 定価:200円
第一八号 ボヘミアの醜聞 コナン・ドイル 定価:200円
第一九号 グロリア・スコット号 コナン・ドイル 月末最終号:無料
第二〇号 暗号舞踏人の謎 コナン・ドイル 定価:200円
第二一号 蝦夷とコロボックルとの異同を論ず 喜田貞吉 定価:200円
第二二号 コロポックル説の誤謬を論ず 上・下 河野常吉 定価:200円
第二三号 慶長年間の朝日連峰通路について 佐藤栄太 月末最終号:無料
第二四号 まれびとの歴史/「とこよ」と「まれびと」と 折口信夫 定価:200円
第二五号 払田柵跡について二、三の考察/山形県本楯発見の柵跡について 喜田貞吉 定価:200円
第二六号 日本天変地異記 田中貢太郎 定価:200円
第二七号 種山ヶ原/イギリス海岸 宮沢賢治 定価:200円
第二八号 翁の発生/鬼の話 折口信夫
月末最終号:無料
第二九号 生物の歴史(一)石川千代松
定価:200円
第三〇号 生物の歴史(二)石川千代松
定価:200円
第三一号 生物の歴史(三)石川千代松
定価:200円
第三二号 生物の歴史(四)石川千代松
月末最終号:無料
第三三号 特集 ひなまつり
定価:200円
雛 芥川龍之介
雛がたり 泉鏡花
ひなまつりの話 折口信夫
第三四号 特集 ひなまつり
定価:200円
人形の話 折口信夫
偶人信仰の民俗化並びに伝説化せる道 折口信夫
第三五号 右大臣実朝(一)太宰治
定価:200円
第三六号 右大臣実朝(二)太宰治 月末最終号:無料
第三七号 右大臣実朝(三)太宰治 定価:200円
第三八号 清河八郎(一)大川周明 定価:200円
第三九号 清河八郎(二)大川周明
定価:200円
第四〇号 清河八郎(三)大川周明
月末最終号:無料
第四一号 清河八郎(四)大川周明
定価:200円
第四二号 清河八郎(五)大川周明
定価:200円
第四三号 清河八郎(六)大川周明
定価:200円
第四四号 道鏡皇胤論について 喜田貞吉
定価:200円
第四五号 火葬と大蔵/人身御供と人柱 喜田貞吉
月末最終号:無料
第四六号 手長と足長/くぐつ名義考 喜田貞吉
定価:200円
第四七号 「日本民族」とは何ぞや/本州における蝦夷の末路 喜田貞吉
定価:200円
第四八号 若草物語(一)L. M. オルコット
定価:200円
第四九号 若草物語(二)L. M. オルコット
月末最終号:無料
第五〇号 若草物語(三)L. M. オルコット
定価:200円
第五一号 若草物語(四)L. M. オルコット
定価:200円
第五二号 若草物語(五)L. M. オルコット
定価:200円
第五三号 二人の女歌人/東北の家 片山広子
定価:200円
第三巻 第一号 星と空の話(一)山本一清
月末最終号:無料
一、星座(せいざ)の星
二、月(つき)
(略)殊にこの「ベガ」は、わが日本や支那では「七夕」の祭りにちなむ「織(お)り女(ひめ)」ですから、誰でも皆、幼い時からおなじみの星です。「七夕」の祭りとは、毎年旧暦七月七日の夜に「織り女」と「牽牛(ひこぼし)〔彦星〕」とが「天の川」を渡って会合するという伝説の祭りですが、その「天の川」は「こと」星座のすぐ東側を南北に流れていますし、また、「牽牛」は「天の川」の向かい岸(東岸)に白く輝いています。「牽牛」とその周囲の星々を、星座では「わし」の星座といい、「牽牛」を昔のアラビア人たちは、「アルタイル」と呼びました。「アルタイル」の南と北とに一つずつ小さい星が光っています。あれは「わし」の両翼を拡げている姿なのです。ところが「ベガ」の付近を見ますと、その東側に小さい星が二つ集まっています。昔の人はこれを見て、一羽の鳥が両翼をたたんで地に舞いくだる姿だと思いました。それで、「こと」をまた「舞いくだる鳥」と呼びました。
「こと」の東隣り「天の川」の中に、「はくちょう」という星座があります。このあたりは大星や小星が非常に多くて、天が白い布のように光に満ちています。
第三巻 第二号 星と空の話(二)山本一清
定価:200円
三、太陽
四、日食と月食
五、水星
六、金星
七、火星
八、木星
太陽の黒点というものは誠におもしろいものです。黒点の一つ一つは、太陽の大きさにくらべると小さい点々のように見えますが、じつはみな、いずれもなかなか大きいものであって、(略)最も大きいのは地球の十倍以上のものがときどき現われます。そして同じ黒点を毎日見ていますと、毎日すこしずつ西の方へ流れていって、ついに太陽の西の端(はし)でかくれてしまいますが、二週間ばかりすると、こんどは東の端から現われてきます。こんなにして、黒点の位置が規則正しく変わるのは、太陽全体が、黒点を乗せたまま、自転しているからなのです。太陽は、こうして、約二十五日間に一回、自転をします。(略)
太陽の黒点からは、あらゆる気体の熱風とともに、いろいろなものを四方へ散らしますが、そのうちで最も強く地球に影響をあたえるものは電子が放射されることです。あらゆる電流の原因である電子が太陽黒点から放射されて、わが地球に達しますと、地球では、北極や南極付近に、美しいオーロラ(極光(きょっこう))が現われたり、「磁気嵐(じきあらし)」といって、磁石の針が狂い出して盛んに左右にふれたりします。また、この太陽黒点からやってくる電波や熱波や電子などのために、地球上では、気温や気圧の変動がおこったり、天気が狂ったりすることもあります。(略)
太陽の表面に、いつも同じ黒点が長い間見えているのではありません。一つ一つの黒点はずいぶん短命なものです。なかには一日か二日ぐらいで消えるのがありますし、普通のものは一、二週間ぐらいの寿命のものです。特に大きいものは二、三か月も、七、八か月も長く見えるのがありますけれど、一年以上長く見えるということはほとんどありません。
しかし、黒点は、一つのものがまったく消えない前に、他の黒点が二つも三つも現われてきたりして、ついには一時に三十も四十も、たくさんの黒点が同じ太陽面に見えることがあります。
こうした黒点の数は、毎年、毎日、まったく無茶苦茶というわけではありません。だいたいにおいて十一年ごとに増したり減ったりします。
第三巻 第三号 星と空の話(三)山本一清
定価:200円
九、土星
一〇、天王星
一一、海王星
一二、小遊星
一三、彗星
一四、流星
一五、太陽系
一六、恒星と宇宙
晴れた美しい夜の空を、しばらく家の外に出てながめてごらんなさい。ときどき三分間に一つか、五分間に一つぐらい星が飛ぶように見えるものがあります。あれが流星です。流星は、平常、天に輝いている多くの星のうちの一つ二つが飛ぶのだと思っている人もありますが、そうではありません。流星はみな、今までまったく見えなかった星が、急に光り出して、そしてすぐまた消えてしまうものなのです。(略)
しかし、流星のうちには、はじめから稀(まれ)によほど形の大きいものもあります。そんなものは空気中を何百キロメートルも飛んでいるうちに、燃えつきてしまわず、熱したまま、地上まで落下してきます。これが隕石というものです。隕石のうちには、ほとんど全部が鉄のものもあります。これを隕鉄(いんてつ)といいます。(略)
流星は一年じゅう、たいていの夜に見えますが、しかし、全体からいえば、冬や春よりは、夏や秋の夜にたくさん見えます。ことに七、八月ごろや十月、十一月ごろは、一時間に百以上も流星が飛ぶことがあります。
八月十二、三日ごろの夜明け前、午前二時ごろ、多くの流星がペルセウス星座から四方八方へ放射的に飛びます。これらは、みな、ペルセウス星座の方向から、地球の方向へ、列を作ってぶっつかってくるものでありまして、これを「ペルセウス流星群」と呼びます。
十一月十四、五日ごろにも、夜明け前の二時、三時ごろ、しし星座から飛び出してくるように見える一群の流星があります。これは「しし座流星群」と呼ばれます。
この二つがもっとも有名な流星群ですが、なおこの他には、一月のはじめにカドラント流星群、四月二十日ごろに、こと座流星群、十月にはオリオン流星群などあります。
第三巻 第四号 獅子舞雑考/穀神としての牛に関する民俗 中山太郎
定価:200円
獅子舞雑考
一、枯(か)れ木も山の賑(にぎ)やかし
二、獅子舞に関する先輩の研究
三、獅子頭に角(つの)のある理由
四、獅子頭と狛犬(こまいぬ)との関係
五、鹿踊(ししおど)りと獅子舞との区別は何か
六、獅子舞は寺院から神社へ
七、仏事にもちいた獅子舞の源流
八、獅子舞について関心すべき点
九、獅子頭の鼻毛と馬の尻尾(しっぽ)
穀神としての牛に関する民俗
牛を穀神とするは世界共通の信仰
土牛(どぎゅう)を立て寒気を送る信仰と追儺(ついな)
わが国の家畜の分布と牛飼神の地位
牛をもって神をまつるは、わが国の古俗
田遊(たあそ)びの牛の役と雨乞いの牛の首
全体、わが国の獅子舞については、従来これに関する発生、目的、変遷など、かなり詳細なる研究が発表されている。(略)喜多村翁の所説は、獅子舞は西域の亀茲(きじ)国の舞楽が、支那の文化とともに、わが国に渡来したのであるという、純乎たる輸入説である。柳田先生の所論は、わが国には古く鹿舞(ししまい)というものがあって、しかもそれが広くおこなわれていたところへ、後に支那から渡来した獅子舞が、国音の相通から付会(ふかい)したものである。その証拠には、わが国の各地において、古風を伝えているものに、角(つの)のある獅子頭があり、これに加うるのに鹿を歌ったものを、獅子舞にもちいているという、いわば固有説とも見るべき考証である。さらに小寺氏の観察は、だいたいにおいて柳田先生の固有説をうけ、別にこれに対して、わが国の鹿舞の起こったのは、トーテム崇拝に由来するのであると、付け加えている。
そこで、今度は管見を記すべき順序となったが、これは私も小寺氏と同じく、柳田先生のご説をそのまま拝借する者であって、べつだんに奇説も異論も有しているわけではない。ただ、しいて言えば、わが国の鹿舞と支那からきた獅子舞とは、その目的において全然別個のものがあったという点が、相違しているのである。ことに小寺氏のトーテム説にいたっては、あれだけの研究では、にわかに左袒(さたん)することのできぬのはもちろんである。
こういうと、なんだか柳田先生のご説に、反対するように聞こえるが、角(つの)の有無をもって鹿と獅子の区別をすることは、再考の余地があるように思われる。
第三巻 第五号 鹿踊りのはじまり 宮沢賢治/奥羽地方のシシ踊りと鹿供養 喜田貞吉
月末最終号:無料
鹿踊りのはじまり 宮沢賢治
奥羽地方のシシ踊りと鹿供養 喜田貞吉
一 緒言
二 シシ踊りは鹿踊り
三 伊予宇和島地方の鹿の子踊り
四 アイヌのクマ祭りと捕獲物供養
五 付記
奥羽地方には各地にシシ踊りと呼ばるる一種の民間舞踊がある。地方によって多少の相違はあるが、だいたいにおいて獅子頭を頭につけた青年が、数人立ちまじって古めかしい歌謡を歌いつつ、太鼓の音に和して勇壮なる舞踊を演ずるという点において一致している。したがって普通には獅子舞あるいは越後獅子などのたぐいで、獅子奮迅・踊躍の状を表象したものとして解せられているが、奇態なことにはその旧仙台領地方におこなわるるものが、その獅子頭に鹿の角(つの)を有し、他の地方のものにも、またそれぞれ短い二本の角がはえているのである。
楽舞用具の一種として獅子頭のわが国に伝わったことは、すでに奈良朝のころからであった。くだって鎌倉時代以後には、民間舞踊の一つとして獅子舞の各地におこなわれたことが少なからず文献に見えている。そしてかの越後獅子のごときは、その名残りの地方的に発達・保存されたものであろう。獅子頭はいうまでもなくライオンをあらわしたもので、本来、角があってはならぬはずである。もちろんそれが理想化し、霊獣化して、彫刻家の意匠により、ことさらにそれに角を付加するということは考えられぬでもない。武蔵南多摩郡元八王子村なる諏訪神社の獅子頭は、古来、龍頭とよばれて二本の長い角が斜めにはえているので有名である。しかしながら、仙台領において特にそれが鹿の角であるということは、これを霊獣化したとだけでは解釈されない。けだし、もと鹿供養の意味からおこった一種の田楽的舞踊で、それがシシ踊りと呼ばるることからついに獅子頭とまで転訛するに至り、しかもなお原始の鹿角を保存して、今日におよんでいるものであろう。
第三巻 第六号 魏志倭人伝/後漢書倭伝/宋書倭国伝/隋書倭国伝
定価:200円
魏志倭人伝/後漢書倭伝/宋書倭国伝/隋書倭国伝
倭人在帯方東南大海之中、依山島為国邑。旧百余国。漢時有朝見者、今使訳所通三十国。従郡至倭、循海岸水行、歴韓国、乍南乍東、到其北岸狗邪韓国七千余里。始度一海千余里、至対馬国、其大官曰卑狗、副曰卑奴母離、所居絶島、方可四百余里(略)。又南渡一海千余里、名曰瀚海、至一大国〔一支国か〕(略)。又渡一海千余里、至末盧国(略)。東南陸行五百里、到伊都国(略)。東南至奴国百里(略)。東行至不弥国百里(略)。南至投馬国水行二十日、官曰弥弥、副曰弥弥那利、可五万余戸。南至邪馬壱国〔邪馬台国〕、女王之所都、水行十日・陸行一月、官有伊支馬、次曰弥馬升、次曰弥馬獲支、次曰奴佳�、可七万余戸。(略)其国本亦以男子為王、住七八十年、倭国乱、相攻伐歴年、乃共立一女子為王、名曰卑弥呼、事鬼道、能惑衆、年已長大、無夫壻、有男弟、佐治国、自為王以来、少有見者、以婢千人自侍、唯有男子一人、給飲食、伝辞出入居処。宮室・楼観・城柵厳設、常有人持兵守衛。
第三巻 第七号 卑弥呼考(一)内藤湖南
定価:200円
一、本文の選択
二、本文の記事に関するわが邦(くに)最旧の見解
三、旧説に対する異論
『後漢書』『三国志』『晋書』『北史』などに出でたる倭国女王卑弥呼のことに関しては、従来、史家の考証はなはだ繁く、あるいはこれをもってわが神功皇后とし、あるいはもって筑紫の一女酋とし、紛々として帰一するところなきが如くなるも、近時においてはたいてい後説を取る者多きに似たり。(略)
卑弥呼の記事を載せたる支那史書のうち、『晋書』『北史』のごときは、もとより『後漢書』『三国志』に拠りたること疑いなければ、これは論を費やすことをもちいざれども、『後漢書』と『三国志』との間に存する�異(きい)の点に関しては、史家の疑惑をひく者なくばあらず。『三国志』は晋代になりて、今の范曄の『後漢書』は、劉宋の代になれる晩出の書なれども、両書が同一事を記するにあたりて、『後漢書』の取れる史料が、『三国志』の所載以外におよぶこと、東夷伝中にすら一、二にして止まらざれば、その倭国伝の記事もしかる者あるにあらずやとは、史家のどうもすれば疑惑をはさみしところなりき。この疑惑を決せんことは、すなわち本文選択の第一要件なり。
次には本文のうち、各本に字句の異同あることを考えざるべからず。『三国志』について言わんに、余はいまだ宋板本を見ざるも、元槧明修本、明南監本、乾隆殿板本、汲古閣本などを対照し、さらに『北史』『通典』『太平御覧』『冊府元亀』など、この記事を引用せる諸書を参考してその異同の少なからざるに驚きたり。その�異を決せんことは、すなわち本文選択の第二要件なり。
第三巻 第八号 卑弥呼考(二)内藤湖南
定価:200円
四、本文の考証
帯方 / 旧百余国。漢時有朝見者。今使訳所通三十国。 / 到其北岸狗邪韓国 / 対馬国、一大国、末盧国、伊都国、奴国、不弥国 / 南至投馬國。水行二十日。/ 南至邪馬壹國。水行十日。陸行一月。/ 斯馬国 / 已百支国 / 伊邪国 / 郡支国 / 弥奴国 / 好古都国 / 不呼国 / 姐奴国 / 対蘇国 / 蘇奴国 / 呼邑国 / 華奴蘇奴国 / 鬼国 / 為吾国 / 鬼奴国 / 邪馬国 / 躬臣国 / 巴利国 / 支惟国 / 烏奴国 / 奴国 / 此女王境界所盡。其南有狗奴國 / 会稽東治
南至投馬國。水行二十日。 これには数説あり、本居氏は日向国児湯郡に都万神社ありて、『続日本後紀』『三代実録』『延喜式』などに見ゆ、此所にてもあらんかといえり。鶴峰氏は『和名鈔』に筑後国上妻郡、加牟豆万、下妻郡、准上とある妻なるべしといえり。ただし、その水行二十日を投馬より邪馬台に至る日程と解したるは著しき誤謬なり。黒川氏は三説をあげ、一つは鶴峰説に同じく、二つは「投」を「殺」の譌りとみて、薩摩国とし、三つは『和名鈔』、薩摩国麑島郡に都万郷ありて、声近しとし、さらに「投」を「敏」の譌りとしてミヌマと訓み、三潴郡とする説をもあげたるが、いずれも穏当ならずといえり。『国史眼』は設馬の譌りとして、すなわち薩摩なりとし、吉田氏はこれを取りて、さらに『和名鈔』の高城郡托摩郷をもあげ、菅氏は本居氏に従えり。これを要するに、みな邪馬台を筑紫に求むる先入の見に出で、「南至」といえる方向に拘束せられたり。しかれども支那の古書が方向をいう時、東と南と相兼ね、西と北と相兼ぬるは、その常例ともいうべく、またその発程のはじめ、もしくは途中のいちじるしき土地の位置などより、方向の混雑を生ずることも珍しからず。『後魏書』勿吉伝に太魯水、すなわち今の�児河より勿吉、すなわち今の松花江上流に至るによろしく東南行すべきを東北行十八日とせるがごとき、陸上におけるすらかくのごとくなれば海上の方向はなおさら誤り易かるべし。ゆえに余はこの南を東と解して投馬国を『和名鈔』の周防国佐婆郡〔佐波郡か。〕玉祖郷〈多萬乃於也〉にあてんとす。この地は玉祖宿祢の祖たる玉祖命、またの名、天明玉命、天櫛明玉命をまつれるところにして周防の一宮と称せられ、今の三田尻の海港をひかえ、内海の衝要にあたれり。その古代において、玉作を職とせる名族に拠有せられて、五万余戸の集落をなせしことも想像し得べし。日向・薩摩のごとき僻陬とも異なり、また筑後のごとく、路程の合いがたき地にもあらず、これ、余がかく定めたる理由なり。