白く煙る湯気のなかで、稔は息をのんだ。
むこうから近づいてくるのは、タオルを巻いているけれどすごく胸の大きな、はだかの女のひとだ。ひろいタイル張りの床を踏みつつ稔にほほ笑みかけてくる。顔は……、昨日入学式ではじめて会った少女、逢坂和音にそっくりだった。
プラスチックの椅子の上で、稔はあわててうしろをむいた。天井からぽたりと滴が落ちて頬に当たった。
これってどういうことかというと……。どうして僕、クラスメイトのお母さんとおふろに入っているの?
じっとしていると、しゃわしゃわと小気味いい音を立てて稔の髪が洗われはじめた。こびりついていた土が洗い落とされて、とてもいい気分だ。長い――長い?――髪の毛のあいだをシャワーのお湯が流れていく。
目をつぶっている稔に逢坂のお母さんが話しかけた。
「きれいな髪ね。でも耳の形もかわいいんだから、学生のあいだは出してもいいんじゃないかしら」
やさしいことばとともに耳たぶを触られたので、背筋にぞくっときた。
「そ、そんなことないですっ! 床屋さんでは『いつもとおんなじで』って言ってます!」
「だめよ。だって、今のあなたは……、女の子なんだから」
目を開いて、おもわず胸に手を当てて、稔はかんだかい悲鳴をあげた。
む、胸が……つるんとふくらんでる!
布団のなかで目を覚ました。すごい夢を見てしまった……。頭蓋骨の裏にピンク色の泡が残っているような気がして、稔は重い頭を振ってみた。あぶくのかわりにかわいいあくびがひとつ出た。
見まわせばここは逢坂和音の家、知らない部屋の知らないベッドだ。
昨日のできごとがあまりにわけが分からなかったので、そのまま泊めてもらったのだ。
ていうか、自宅に帰ってもじぶんが葉山稔だと思ってもらえるか自信がなかった。なぜなら。
おそるおそる、花柄のパジャマに手をつっこんでみた。
「下も……、ない」
夢の内容ほどは過激じゃなかったけれど(おっぱいがそれほど大きくなかったけれど)、夢で見たのは嘘じゃなかったようだ。
おんなのこに、なっちゃったんだ。
稔はまた、あくびともため息とも分からない声をもらした。
和音と覇雄、稔は三人で中学校へとむかった。覇雄もまた、やっぱり女の子になったままだった。変身時に手に入ったセーラー服は真新しくて、よれのないプリーツがおしりを包んでいる。稔は影を踏まない距離から、覇雄(女)をそっと見つめた。
ショートカットの元気な少女だ。日に焼けた肌が健康的で、もとがハンサムだったから快活な感じに……、かわいらしい。
「だからさ、ハオちゃんって呼ぶのはやめてくれないか」
「だって女の子なのに『覇王』みたいな漢字、似あわないじゃない」
「なんだよ、このぉ」
和音のからかいに対して、ニーソックスのすねでかるく蹴りを入れようとしている。とんでもない事態になっているというのにまるで元気だ。
ふりかえった覇雄が、稔の視線に反応した。
「言いたいことがあるのか。言ってくれ」
「……学校へ行くのなんて止めようよ。こんなかっこうで」
「入学して二日目で学校を休んだりしたら、そのまま登校拒否になっちゃうわよぉ」
失礼なことを言う和音に、覇雄がひじでツッコミを入れた。
「嫌みなこと言うなよ、逢坂。そうじゃなくてさ、俺たちが変身したのってあの学校に入学したとたんにだろう。ふたりともべつに特異体質ってわけでもなかっんだから、変身した原因は学校のほうにあるって考えるのが当然だ。だから調べに行くのさ。先生にも相談して」
「せ、先生に? 言っちゃうの?」
稔の脳裏に、大場先生のちょこまかした頼りない姿が浮かんだ。
「もしかしてクラスのほかの人にも言うとか」
「言うよ? 調べるなら手がかりは多いほうがいいし」
うそだうそだ、じょうだんじゃないよぉ。女の子になったなんて知られたらぜったいにいろいろ言われてばかにされる。
新品のかばんを胸にきゅっと抱いて、うらめしそうに覇雄を見つめる稔。覇雄はぎょっとした顔をして、信じられないものを見たかのように稔を凝視して、それからそっぽをむいてしまった。稔は落ちこんだ。
今日はすごく大変な日になるかもしれない。
授業が始まる直前、せーの、と三人で教壇に上がってから、逢坂和音は高らかに宣言した。
「新しいクラスメイトを紹介するね。といってもみんな新入生だから、一日遅れなだけだけどね。ささっ、注目。こちらが女に生まれ変わった神崎ハオちゃんですー。よろしくね」
「みんな、よろしく!」
「エー!!」
一気にわき上がった声を前に、覇雄は堂々とあいさつをはじめた。
「俺、神崎覇雄だけど、そういうわけで女なんだ。しばらくこのかっこうでよろしくな!」
「ふふふ、しばらくですめばいいけどね、ハオちゃん」
「やめろって」
セーラー服すがたの覇雄は、たしかに女の子にしか見えない。ひとりの女子が立ちあがって質問した。
「覇雄くん、どうして? 女装なの?」
「女装じゃないだろ。ほら、声まで変わっているじゃん」
自信たっぷりに答える覇雄に、女子は頭痛が出たかのように頭に手を当ててから着席した。別の男子が言う。
「おっぱい、あるのか」
「あるよ? 見せないけど」
「じゃあ、神崎覇雄どのはモロッコに行ったでござるか」
「今はもうモロッコには、性別手術で有名なお医者さんはいないんだってよ……って、なんでそうなる!!」
忍者風の覆面をした級友に対して、覇雄はつっこんでみせた。
「しかしおまえ、スカートまではいて物怖じしないな」
「だって、そんなに悪い見ためじゃないからね? 俺はもとの姿のほうが好きだけどさ」
Vサインをこめかみに当てて白い歯を見せる覇雄に、クラス一同はまたため息をついた。
そのとき、入り口を開けて大場先生が入ってきた。物音に気づいた和音がぱんぱんと手を叩く。
「はいはーい、持ち時間終了、教壇を降りてね、ハオちゃん」
覇雄を押しのけ、大場先生を立たせる……、と思いきや、大場先生をもどかして稔の手を引っぱったのだった。
「不公平のないように、ね。はい、葉山稔ちゃんのアピールタイム!」
……稔ちゃんって呼ばれた。逢坂にむりやり黒板の前に立たされた稔は、ただがちがちに体を硬くしているだけだ。
「え、あの。う」
クラスは、しんとして反応がない。進退きわまった稔は、胸に手を当てて叫んだ。
「ボ、ボクッ、女の子になりました! よろしくおねがいしますっ!」
ああ、やっぱりうまく言えなかった、それどころか自分で自分が女の子になりましたとか、わざわざ言うことじゃないよ……。くらくらしてもう、前が見えない。稔は暗い気持ちでじぶんの席へと戻った。
そして不運は、うなだれている生徒のところに来るのであった。生徒たちに無視された大場先生の呪いだろうか? 前から二列目の机を通りすぎたところで稔のスカートが、机から飛びだしていた荷物かけのフックに引っかかった。
ビリッ!! はでな音がして、みなが一斉に稔を見た。
え、なに!? 見おろしてみると、左腰のあたりから女の子の下着がのぞきこめた。パステルカラーのだ……、これ、じぶんの!?
あまりの不運に稔が硬直していると、そばの席に座っていた男子がやにわに立ちあがった。ふんっ、という気合いとともに学生服を脱ぎはじめる。
「?」
どうしてかといえば、男子は稔の腰に服を巻きつけてくれたのだ。破れたところを隠してくれる意図らしい。
稔はそのまま机まで運ばれる。別の男子が、タイミングよくいすを引いてくれた。なにをされたの? 一瞬身がまえたけれど、その子たちは親切でしてくれたみたいだ。
小学校では、そんなこと一度もされたことがなかったのだ。
席に座ると、助けてくれた人たちはあわてず騒がず、なに食わぬ顔で席に戻った。となりの席の女子が小声で
「よかったね」
とささやいてくる。稔は思わず笑顔で答えた。
「ありがと!」
替えのスカートを大場先生が用意してくれたからその場は事なきを得たのだが、つぎの休み時間にはおかしなことが起こった。おとなしくしていたはずなのに、稔の机にクラスのひとたちが集まってきたのだ。
「さっきは災難だったねー」
「……うん」
「聞こえなかったからさ。あんた、もういちど名前を教えて?」
「はやま、みのる」
「葉山みのりか! あらためてよろしくね!」
(ええっ! ボクは、みのる)
「みのりって呼んでいいよね。どこに住んでいるの」
「えっと、団地のほう」
「お、俺、近所じゃん! いままで気づかなかったな、葉山みたいな子がいたなんて」
「それはそうだよ。だって……。あはは」
なにげなく髪をさわったら、すかさずそばにいた女子が香りをかぐ。
「へぇ、いいシャンプー使ってるね」
「そう? (これは、逢坂さんちの)」
「シャンプー買うなら、○○ヤのがいいよ!」
などなど。話しているうちに、昼のお弁当をいっしょに食べる約束までしてしまったのだった。
葉山稔、中学校でいきなり「みんなでお弁当」デビューである。
「おべんとう!? いいの?」
「いいに決まってるじゃん。みのりってへんな子。もしかして、イヤ?」
「ううん! ありがと!」
一方覇雄は人垣のむこうに、ひとり座っていた。ときどき焦った声で、稔をふくむ集団に話しかけてきたりする。
「ねー、君たち! 俺にも聞いていいんだよ。俺の家は……」
でも、だれもふり返らなかった。
「……なぁ、夕べサッカー見逃したんだけど、どっちが勝ったんだっけ?」
返事はない。昨日と同じくいろんな話題を振っているのに、みんなの食いつきが悪いのだ。覇雄おとくいの笑顔も、こめかみが引きつりつつある。
覇雄の手が、ある男子の肩にふれた。ちょっとさわっただけなのに、男子は
「うぇっ」
と気持ち悪そうな声をあげた。あまりにもひどい反応だ。そんなあつかいの覇雄をほうっておいては気まずいと思い、稔は立ちあがって覇雄に答えた。
「じゃあボクに教えて? 覇雄の住所ってどこだろう」
「いや、おまえは聞かなくていいから」
打ってかわった不機嫌な表情で、覇雄はまた椅子にもどってしまった。うーん、気を悪くしたみたいだ。
稔の後ろで他の子としゃべっていた逢坂和音が、急に笑ってこちらに話しかけてきた。
「あらあら。ハオちゃんったら、わなにはまっているわね」
「……え?」
「女の子は積極的なのが取り柄とはかぎらないってことよ。ねー、そういえば葉山のお父さんお母さんって……」
謎めいたことばを残したっきりで、和音は話をはぐらかしてしまった。
和音が言ったのはどういう意味なんだろう。そう考えながら、稔はトイレへと歩いていた。覇雄がわなにはまっているだなんて、昨日かばんを隠したみたいないたずらをまた仕掛けられたんだろうか?
トイレのとびらを開けて……、意を決して個室のほうに入る。やっぱり、こっちじゃないと使えないんだよ、ね。すでにおふろに入ったくらいだから男女の体の違いは分かっているのだけれど、自分の体のこととなるとやっぱり気恥ずかしい。水を流して、拭いたときの感触は気にしないで、音をたてないように小部屋を出た。
いきなり目の前に現れた黒覆面に、稔はハンカチを握ったまま固まってしまった。相手も驚いたのか「うおっ」と小さくつぶやいて身をのけぞらせている。
そして黒覆面は、驚く予定はなかったのだという風に姿勢を正すと
「いやいやいや、拙者は虚をつかれてなどおらぬ」
などとつぶやいた。そういえばクラスにいたね、忍者っぽい生徒が。
「どうしたの?」
「忍者ゆえ、しのんでおった。忍びとは『忍』の一字、トイレは他人の目を避けるには最適……。いやっ、決してのぞきをやっていたわけでは」
忍者だから隠れていたのか。たしかに、稔が入ってきたときには人のいる気配がなかった。
「ほんとうに隠形がとくいなんだ」
「いかにも」
「あ、そうか。僕と話をしていたら誰かに見つかっちゃう?」
忍者は顔をそむけてつぶやいた。
「べつに探しに来る者がいるわけでは、ない。忍者たるもの、敵がいようがいまいが忍ぶでござる」
あれ? じゃあ、ひとりで勝手に隠れていたのか。だれと遊んでいるわけでもないのに人目を避けていたわけだ。
もしかしてこの人も、他人と話すのが苦手なんだろうか。
稔はあごに手を当てて、うーん、と考えてみた。なんだか分からないけど、それってさびしい気がする。
どう話しかけようかと稔が迷っていると、騒がしい笑い声とともに男子生徒が数人トイレに入ってきた。小学校からの顔なじみなのか、彼らは忍者くんに気がつくとなれなれしく話しかけてきた。
「なんだよ、忍者くーん。おまえ、まだそんな覆面してるの?」
「あいかわらずトイレが住み家なんだなぁ」
忍者くんは小声で「く……不覚」とつぶやいたきり、なにも言い返さない。いやな雰囲気だった。悪意で他人をからかうのが好きな人からは、本当に隠れられるものなら隠れてしまいたいよね。
忍者くんが困るようすを男子たちはにやにやと見ていたけれど、ふと後ろの稔のほうを向いたとたん、すごいあわてた声を出した。
「ええっ!?」
「なんで? まちがえた?」
さけんだうちのひとりなどは、トイレをぐるぐる見まわしてからとびらを出たり入ったりしてみせたのだ。
どうしてだろう……。そういえば忍者くんもさっき、稔と出くわしたときけっこう驚いていた。男子トイレになにかあるんだろうか。
ん? 男子トイレ?
……そうだーっ! ボク、女の子の体なのに男子トイレに入っちゃってたんだ!
理由が分かったとたん稔はなぜか急激にはずかしくなってきた。とてもそのままいられない。おもわず前にいた忍者くんにしがみつくと、額と両手で背中を押しはじめた。
「な、なんでござるかっ」
「んんっ」
自分のことを奇異の目で見ている男子たちは目をつぶって無視なのだ。忍者くんの体を盾にして、稔は男子トイレを脱出した。
敷居をまたぐと、とたんにまぶたの裏が明るくなった。外の世界だ。うす目を開けて、出てきたところを他の生徒に見られなかったかをたしかめてから、稔は安堵のため息をついた。
「えと……、脱出しちゃいました」
「なんででござるか。拙者は……、正直、教室には行きたくないでござる」
やっぱりそうだったのか。ごめんね、と稔は心のなかで言った。でもね、同じように人目をはばかる立場だったから、つい忍者くんを頼ってしまったのかもしれない。
「教室に行くとかは、関係ないです。ただ……、いっしょに出てきてくれて助かりました」
「……男子トイレからでござるか」
「うん。またね!」
稔自身だって友だちづきあいは苦手なんだし、いっしょに教室まで行こうとなんて言える義理ではない。
あくまで忍者っぽく驚いている少年に、稔は別れのことばを残して逃げた。
そしてつぎは校庭の端の草むらだった。
「ほあああああああ!?」
まさかそんなところで妖怪に出会うとは思わなかった。妖怪って言うのは失礼かもしれない。でもふつうの男子制服を着た「身長百九十センチ以上の」中学一年生が、かがんでいた草むらから一気に立ちあがったから稔はびっくりしたのだ。
見るまに長身少年の顔は稔のはるか頭上だから、表情がよく分からないくらいだ。
そういえば、クラスに体をおもいきり伏せていた子がいたかもしれない。あの子がこの子だったんだね。
「驚かせてごめん」
という声が聞こえてきたので、稔は聞き返した。
「なにをやっていたの」
「春の虫を捕っていたんだなぁ」
「もうつかまえたの?」
「それが、なかなか見つからなくて」
なぁんだ、そのくらいでいいのか。稔はその場にしゃがんで、草をかきわけはじめた。
「なにをしているのー」
「こういう草によくいるんだ。アブラムシといっしょに……ほら」
稔の細い指が、丸っこい甲虫を探りあてた。黒地に赤い点をふたつ乗っけたてんとう虫だ。
指先のそれを、少年のひじにそっとつかまらせてやった。てんとう虫は長い腕を上っていく。
「握りしめると臭くなるから、気をつけて」
「うんー」
少年は彼の手のひらほどの小さな虫かごにてんとう虫をつめた。手こずりながらふたを閉じたとき、ほぅ、と深いため息をついたので、見ていた稔もいっしょに安心してしまった。
「僕は飼育部に入りたかったんだー」
「ほんと? すごい」
「うんー。でもいっしょに入った子たちって、家で犬や猫を飼っている人たちばっかりでな。ペット自慢ができないと、居づらい雰囲気なんだー」
ああ、分かる。好きだからやるクラブ活動って、なんでも好きなことをしていいぶんだけ、ほかの人と趣味が違うのを実感しがちだよね。
「むずかしい試練だね」
「今から僕に飼えるのは虫くらいだと思ってあわてて探しに来たんだけど。やっぱり……、バカにされるかなー」
「がんばるしかないと思う」
うつむいた少年の顔を見あげて、稔はうなずいてみせた。
「ちっちゃな虫でも最後まで育ててあげるしかないよ」
「そうだなー。うん、ありがとー」
ありがとうって言われた。お礼を言ったことも少なかったけれど、言われるだなんてずっとなかった。なぜか顔が赤くなった気がして、稔もいっしょにうつむいてしまった。
そしてなぜか生徒会室の前なのだった。なんでここに来たのだろう……。うす暗い廊下で、学生服を両手に抱えた姿で稔は首をかしげた。稔に上着を貸してくれた男子生徒は二時間目から教室に姿を現さなかった。どうしたのか周囲に尋ねてみたら、生徒会のほうで見かけたとのことだったのだ。
制服を返すために来たが、生徒会室の入り口の前は妙に静まりかえっているし窓も暗い。誰もいない時間なのだろうか。ぼうっとたたずんでいたら、静かに引き戸が開いた。
なかからぼろぼろのすがたが出てきたので驚いた。それが制服の持ち主の少年だったので、もっと驚いた。
倒れかかってきた少年を、稔は自然と抱きとめるかたちになった。とはいえ彼の全体重を支える腕力はなかったから、生徒会室前に横になってもらうしかない。
稔のひざのうえで少年は顔をしかめつつつぶやいた。
「ああ……、朝の、あんたか」
「うん」
「へへっ、負けた俺に女神がお出迎えとは、天国もいきな計らいだな」
天国だなんて、べつに君は致命傷を負っていないと思う。あらためて名前を聞くと、向山素直(むこうやま すなお)だと教えてくれた。
顔にもたくさんの古傷があるやんちゃ少年に、稔は話しかけた。
「服、貸してくれてありがと」
「わざわざ持ってきてくれたのかい? うれしいね。破れたシャツを隠せるじゃない」
「なんでケガ?」
「それを聞こうっていうのかい」
鼻の頭をこすりつつ、不敵に笑う素直。
「俺を生徒会長にしろって直訴したら、先輩方にやられたのさ」
はぁ? 生徒会長って新三年生がやっているんじゃないの? 一年生が入学してすぐに生徒会長になれるの? そもそも生徒会長になるには、直訴じゃなくて選挙が必要なんじゃないの。
いろんな考えが頭をよぎったのだけれど、素直はただこう答えるだけだ。
「夢をかなえるのに待っていたってしょうがないぜ。目の前に立ちふさがる障害にはぶつかっていかないと、な」
うっわー、この人って、覇雄とは別の意味で超ポジティブなんだ。稔が呆れていると、生徒会室の戸がまた開いた。
「……障害なのはあなた方のほうです。どうして出口の前で寝ているのですか」
「あ、すいません」
三年生なのだろう、眼鏡をかけたきれいなお姉さんが出てきて、稔たちを見おろした。
「立ち去りなさい、迷惑だから。そして二度と来ないこと」
素直が鼻を鳴らした。
「はぁ? 嫌だと言ったら?」
「とどめが必要なようね」
お姉さんは長いスカートの後ろから竹刀を取り出した。つまり、その武器でさっきまで素直を打ちのめしていたということだ。
この状況で殴られたら、ほんとうに天国に逝っちゃうかもしれない!
稔は思わず声を出した。
「えっと、あの!」
「お嬢ちゃんは関係ないから、わきによけていなさい。危ないわよ」
「そうじゃ、なくて……」
三年生に意見しようだなんて、入学式のときには思いもつかなかった。いまも、思いついていなかった。
「…………………………………………」
だけれど、考える時間があったからよかったのかもしれない。稔のひざの上には素直が乗っていたから、逃げたりできなかったのだ。
「だからなに?」
「と、とにかく、だめーっ!」
稔は素直の体の上に身を投げ出したのだった。
「この人は、ボクの恩人なんですっ! だから痛いことしないで!」
自分の胸のしたで素直がむぐむぐ言っているのを感じる、でもどくわけにはいかなかった。
「ふぅん……。生徒会長になりたいだなんて口先だけかと思ったら、この少年にも支持者がいたわけね」
お姉さんは振りあげた竹刀を左手に持ち替えて、利き手で稔の頭をなでた。
「少年よ、あなたが戦った私は第四書記です。四番目と戦ってその程度では、生徒会長に挑むなどとても無理ですね」
「……違ぇねえや」
え、そういう挑戦のしかたで良かったの。お姉さんはほほ笑みながら立ち去った。
それからしばらくして、素直はようやく身を起こす。
「さてっと。ついむきになって十回戦ほどやっちまったが、あんまり授業をさぼっても未来の生徒会長らしくないからな。続きは明日やるとするか」
稔が手渡した制服を着て、素直は快活にのびをする。まるでヒットポイントがもう回復したみたいだ。
授業開始のベルが鳴った。とんでもないハプニングになっちゃったけれど、用件をちゃんと伝えるべく稔はもういちど言った。
「それより……、服のこと、ほんとにありがと!」
「ああ? ピンチを助けてもらったから、これでおあいこだ。女神にひざまくらしてもらうなんて、最高の治療だったぜ。俺こそ、ありがとな」
え? 待って……。稔はとまどった。僕がしたのってじつは、ひざまくらだったのか。
それで結局、こうなった。
昼休み、稔が教室で女子生徒たちとお弁当を食べていると、三人の少年が近づいてきた。顔をあげた稔は仰天した。覆面忍者の子、背の高い子、喧嘩っぱやい向山素直。なぜか三人がそろってやってきたのだ。三人とも、ちょっと殺気だっている?
なによあんたたち、と言い放った逢坂を無視して、素直が硬い口調で言った。
「おい、葉山。面貸してくれや。このふたりにさっきあったことを説明してほしいんだ。俺とあんたとの、(キラーン)運命の出会いをな」
キザにかっこうをつける素直をひじで押して、忍者くんが言った。
「運命の出会いなどカンチガイでござる! 葉山殿は拙者いっしょにトイレに行く約束をしたでござる!」
なんでそうなる!? そこへさらに上から、間のびした声が重なった。
「ちがうもんー。葉山は、僕を見守ってくれるんだもん。虫の家族がいっぱいになるまで、がんばるって誓ったんだもん」
三人はただひとり、稔を見つめてこう言った。
「葉山! 俺と! つきあって、ください!」
つきあう!? 弁当箱をひっくり返しそうになりながら稔はのけぞった。つきあうって、三人がボーイフレンドってことですか……。
それじゃボクは、男の子たちのガールフレンドになるの?
ガールフレンド。とっても甘いひびきのことばだ。稔もときどき、そういうのあってもいいかなって思う。だけれどガールフレンドは……、欲しいものであって自分がなるものじゃない!
困った稔はきょろきょろと周囲を見まわす。そして視線の落ちつく先は……、女子たちではない、逢坂でもない、あの子のところだったのだ。
ヒーローは、こういうときに現れる。空いた机をかき分けやってきたのは神崎覇雄だったのだ。
「やめろよ、みんな! 葉山が困っているだろう」
覇雄は稔と男子たちとのあいだに入り、仁王立ちとなった。小さな頭を回して三人をにらみ返す。
「さっきから聞いていたら、君たち勝手だぞ。葉山の気持ちも考えろ」
こんな真っ当な台詞は、なかなか言えるものではない。気圧された三人は、焦った声で反論した。
「これは拙者たちと葉山殿との問題でござる! なんで神崎殿が出てくるでござるか」
「俺たちゃ真剣、爆走超特急なんだ。半端な気持ちでしゃしゃり出て来やがったら跳ねとばすぞ」
「半端なんかじゃない」
覇雄は堂々と宣言したのだった。
「俺と葉山はいっしょに女の子になった仲なんだ。だから葉山に手を出すやつらは、俺が相手だ!」
あまりに正義の味方すぎる発言に、クラスの一部(とくに逢坂)はわき腹が痛くなったみたいだ。けれどこれで、覇雄を無視して稔に迫ろうとする男子はさすがにいなくなった。
かわりに発言どおり、神崎覇雄は男子たちと対戦することになったのだ。
戦いの日時は明日と決まった。
「…………」
午後の授業の長い沈黙は、稔には痛かった。
自分のせいで迷惑をかけたのだから、覇雄になにか謝りたい。そう思ったのだけれど、覇雄はあれきり一言も稔に話しかけてこなかった。もう戦うんだと言わんばかりのかたい表情で椅子に座ったきり、クラスの誰とも目をあわせないでいる。
覇雄って、もしかして意固地になっていないだろうか。
もう下校するというころに、稔はようやく覇雄に話しかけることができた。
「神崎くん……。いったい明日どうするの?」
「もちろん決闘するのさ」
「そ、そんな!? だって相手は番長に巨人に忍者だよ? ただでさえ強そうな人たちなのに、今の神崎くんは女だし」
「女だからって悪を見過ごすのは正義じゃないよ、葉山」
「でもぉ」
いつのまにか逢坂が、かばんを振り回しながらふたりに楽々と追いついてきた。覇雄の背中に尋ねる。
「でもさ、あの三人とどうやって戦うの」
「なんでもいいさ。どんな勝負でもしてあいつらを参ったさせてやる」
「バッカねー、あなた、本気で女としての自覚がないんじゃない」
「当たり前だろう、俺は男だ」
逢坂は軽く肩をすくめる。
「今日クラスで目立てなかったからってむきになるのはいいけどね、ハオちゃんが負けたらミノリちゃんはあいつらとつきあうことになるのよ? 万全の対策も取らずに特攻して、他人に迷惑をかけるのがあなたの正義かしら」
ずけずけと言ってのけた逢坂に、さすがの覇雄も足を止めた。
「う……。それじゃ、逢坂の言う万全の対策ってなんだよ」
「ふふん、女には女の戦い方があるのよ。今からあたしがレクチャーしてあげる」
そこは学校にほど近い空き地。演台に見立てた土管の上に立って、逢坂和音はふたりを見おろした。
「けっこう気分いいわね……。じゃ、はじめるわよ」
「いや、その前に逢坂の腕前を確かめさせてくれ。女の子のことはよく分かるんだよな? だったら今日俺がみんなに冷たくされて、葉山が人気だった理由を聞かせてもらおうか」
うわー、神崎くん、自分が嫌われたことを認めちゃったよ。でも自分を冷静に見つめられる人だからこそ、ふだんは人気者なのかもしれない。稔が黙って聴いていると、逢坂の解説が入った。
「それは簡単よ。神崎って昨日クラスに顔を売りまくっていたでしょ? だからみんなに男としてのイメージを強く持たれちゃったの。そのせいで女体化したハオちゃんのほうは気持ち悪く思われた、と。一方ミノリちゃんは男としての印象がうすかったから、生まれ変わった姿のほうをすなおに受けとめられたのね」
「う……。ボク自身が受け入れてもらえたわけじゃないんだ」
「そういう考え方しちゃだめでしょ。好かれていない子が一日に三人も男を引っかけたりできないんだから。ミノリちゃんはかわいい、かわいい」
「やめてよぉ」
稔はほおに手を当ててもじもじした。神崎は一瞬黙っていたが、すぐに気を取り直したのか、声が明るくなった。
「じゃあはじめようか。逢坂先生。俺はあいつら相手になにをやればいい」
「女の子は普段からの身だしなみ、心がまえがだいじなのよ。がんばってついてきてね」
逢坂はかばんをごそごそやった。なにが出てくるかと思ったら……、ビスケットの箱だった。クリームが入ったビスコって商品だ。
「とりあえずこれ、食べてみて」
「お、サンキュ。腹が減っては戦ができぬ、というやつだな」
受け取ったビスコをほおばろうとした神崎の手を、逢坂がすばやくたたいた。
「だめっ、おいしそうに食べるんじゃなくて他人に見られていることを意識して食べなさい」
「え?」
「ビスコをふたつに割って、なかのクリームだけなめるのよ」
「……はあ?」
まったく意味不明だという顔の神崎に、逢坂は恥ずかしそうにつけ加えた。
「と、とにかくそういうものなのよ。ビスコのクリームには乳酸菌が入っていてお肌にもいいんだからね。……こらっ、言ってるそばから鼻の頭をかかない! お上品にしなさい」
「ええっ、かゆいときはどうしたらいいんだ」
「サルだと思われたいならどうぞ」
「なんでそうなるんだよ、ううーっ、そう言われたらよけいかゆくなってきたぞ」
「どうしてもさわりたいなら……。えーと、そだ、枝毛を気にしなさい」
まったく話が通じない顔の神崎に、逢坂は枝毛とはなにかを丁寧に説明した。実例として稔が頭を貸せと言われる。後ろ向きになった稔の髪に、神崎がふれた。
毛根が引っぱられる感覚、それから毛先が指先で分けられる感覚……。なんだか髪をさわられれると、今朝の夢を思い出してしまう。土管に座って肩を縮こまらせている稔に、やさしいしぐさで髪をまとめている覇雄。そのようすを見た逢坂はため息をついた。
「なによ、あんたたち、急にサマになっちゃってさ。もとがいいからって、ほんと、ずるい……」
その後も、逢坂の女の子講座は続いたのだった。
ちなみに女性化のことがぜんぜん解決していないから、ふたりともまだ自分の家には帰っていない。
翌日教室で、覇雄は頭を抱えていた。
「いったいどうしたらいいんだよ。結局きのうの授業あれこれって、勝負にはなんの役にもたたなそうじゃないか」
「いいんじゃないかな、神崎くん、ちょっとしぐさが女の子らしくなったし」
そう言った稔のほおを、覇雄が手を伸ばしてつねる。
「俺はべつに女になりたいわけじゃない!」
「痛い痛い、ごめん」
覇雄ののばした手首がセーラー服のそでからはみ出している。白い肌に、オレンジや緑のインクで昨日教わったことが直接書いてあった。女の子は自分の腕や手のこうにメモを書くんだってさ。逢坂のやり方は、徹底している。
そういえば特訓のせいで、稔と覇雄の距離も近くなった気がする。いつのまにか肩が触れあう位置にいて、髪をさわったり手をつかんだりしているのだ。女の子とそんな距離で接するだなんて、稔にとっては幼稚園の時(?)以来なかったことだ。
覇雄のいまの姿ってかわいいしなぁ……。横顔を見つめていると、すぐに覇雄に気づかれた。
「まだ足りないか」
「痛い痛い、ごめん」
「下準備は整ったようね。あの三人たら、あなたたちがなかよくふにふにしていたのをうらやましそうに見ていたわよ」
「ふにふにってなんだよ」
開戦十五分前、準備ができたとの逢坂の声を合図に覇雄と稔は運動場へと向かった。変身後に稔が倒れていたのは、地面のあのあたりだっただろうか……。そこに白線で、大きな四角がふたつ描かれていた。
「なんだ? ドッジボールか?」
「ちがうわね。発表しますー! 勝負の種目は、インドの国技、カバディよ!」
エーッと、双方の陣営から抗議の声があがった。
「カバディって、あの鬼ごっこみたいなやつ?」
「攻撃側選手が防御側の陣地に入って、相手の体にちょっとでも触ってから自分の陣地に戻れれば勝ち、防御側につかまって帰れなかったら負けなんだね?」
「しかも攻撃側はそのあいだ『カバディ、カバディ』ってずっと言い続けなければならないんだろ?」
「そのとおり、ていねいな解説ありがと」
すまし顔の逢坂に、覇雄は猛然と抗議した。
「なんでフィジカルが強そうなあの三人にわざわざコンタクトスポーツで挑むんだよ!」
「……ばかね、ハオちゃんが有利な種目で勝ったとしてもあいつらが納得するわけないでしょ。ミノリちゃんから男どもを遠ざけるには、こっちに不利な試合で完膚無きまでに叩きのめさないと。それに一対三で戦えるスポーツなんて、そうはないんだからね」
カバディの公式ルールでは攻撃側一人と防御側七人で戦うのだが、そのへんは陣地の枠を小さくすることで対応した。覇雄が敵陣地に入り、陣地を走り回りながら忍者と巨人とケンカ少年の体にタッチしてすぐ戻る。敵につかまらなければ勝利だ。
「やっぱり、圧倒的不利なんじゃないか」
「そうねぇ。おっぱいを触られないようにせいぜい気をつけることね」
聞いた覇雄は思わず両手で胸を押さえている。稔もひとごとじゃない気がして、自分の胸に手が伸びてしまった。セーラー服を着ていても、手のひらで押し上げればふくらみが分かる。なんだか敏感な気がするし、まさかもまれたら痛いんじゃないだろうか?
そのようすを敵三人が目を丸くして見つめていたから、稔はあわててうしろを向いて隠した。
にやりと笑った逢坂は、挑発した口調で言った。
「最後に、ハオちゃんにはとっておきの秘策を授けてあげる」
秘策が逢坂の口から、覇雄の耳にささやかれる。
「……あんた、スカートじゃ走りにくくて大変でしょ、だから……」
「なるほど! それ、いいな!」
忍者、巨人、素直の三人はコートに入り、稔たちと相対した。覇雄が一歩進み出る。
「正々堂々、戦おうじゃないか」
「おう!」
しかし明るく男らしいことばは覇雄自身の行動で裏切られることとなった。
黒いスカートの端をつまんで思いきりよくたくし上げたからおどろいた。パンツが見えるかと思えばそうではなく、それどころかスカートの生地をパンツのなかへと押し込みはじめたのである。
スカートを一周折り込んでちょうちんブルマーのかたちにしたら、ひざからふとももまでが見えてしまう。覇雄はその脚で元気にジャンプして見せた。
「うんうん、動いてもずれないな。さぁ、動きやすくなったところで、やろうぜ、カバディ」
ふとももが、つるっとしている。
「……うわああああっ!?」
さっきまでオカマみたいなものと思っていた相手が、女の子の本性を見せたのだ。
三人は最初から完全に萎縮してしまった。
開始早々、手を出すこともなく巨人くんが腰をタッチされた。
「おい、覇雄をつかまればセーフだぞ!」
巨人くんはあわててつかまえようとするが、胸のところは触りづらそうだし、さらさらショートヘアを引っぱるわけにもいかない。思いきって手を伸ばしたら……、ほっぺたがぷにっとふれた。
「うわああっ!?」
助けに入ろうと忍者くんが覇雄の後ろに回った。
「カバディ、カバディ(おっと、そうはいかないぜ)」
はずむおしりに見とれているあいだに、忍者はすねを蹴り飛ばされてしまった。コート外から逢坂の声が飛ぶ。
「足先でタッチするのも有効なのよ!」
「そ、そんなぁ」
しゃにむに突っ込んだが、忍者くんは突然くしゃみをした。
「覇雄どの、お、女くさぁい! 春花の術とは卑怯でござる!」
これも逢坂の策略、着がえの下着にたっぷりとコロンをつけておいたのである。理由を知らない覇雄はゆうゆうと自陣に戻った。結局タッチされていないのは向山素直だけである。
「おっ、おまえら、情けねぇぞ!」
「だ、だってぇ」
頭をぶるぶる振ると、ケンカ番長くんは両手を広げて身がまえた。
「神崎、悪く思うなよ、勝負だから、思いっきり抱きつくからな。抱きつく、抱きつく……」
「カバディ、カバディ」
目の前で前かがみになる覇雄。
なんとなく見えそうな、セーラー服のえりもと。
ブラの、ひも。
「うわああっ!?」
両脚を広げていたものだから、指先でちょん、と股間を触られたのだった。楽しそうな逢坂のヤジが聞こえる。
「向山君ってひざまくらが好きなんだってねー。神崎のひざも触りたい?」
「そんなわけねーだろ、だから、やめて、近づくなぁっ!」
結局、どちらが鬼か分からないのだった。勝負は覇雄の三勝、圧倒的な結果に終わった。
「まぁ、女の子初心者のミノリちゃんに引っかかるくらいだから、この男子たちも覇雄に負けず劣らず女に免疫がなかったってことね」
教室に敗者の三人を反省のポーズで立たせて、軍師逢坂初音は鼻高々であった。かえって直接の勝者である覇雄が、なんだか申し訳なさげにしている。
「とりあえずさ、もう葉山に手を出すなよ……。ごめんな、思いかえしてみると君たちをからかうみたいになっちゃって」
「謝るなよ、かえって俺たちが情けないじゃないか」
覇雄だって当然男の気持ちのほうがよく分かるのだ。女の子にわざとくっつかれて
「○○くんってエッチー」
とからかわれることの恐ろしさは知っているだろう。無自覚だったとしても、覇雄がやったことは「お色気攻撃」なのである。
いたたまれない顔でうなずく覇雄は、もうすっかり男の子モードであった。
(困るのはボクたちの体だけが、気持ちと相いれない危険物になってしまったからだ)
「……こら、ミノリちゃんも悪いとこがあったんだよ。ちゃんと聞いてる?」
「は、はい?」
「かわいいと思われているからって優しくしていたら男子に勘違いされるんだから。神崎みたいにかわいげのないのも問題だけど、隙がありすぎるのもねぇ」
「さっきからひとりだけ偉そうだよなぁ。そういうおまえは女としてどうなんだよ」
そうつぶやいた覇雄に、逢坂がいきなりしなだれかかった。悲しげにささやくことばは、稔からでも聞こえてしまう。
「だって、あいてにしてくれるのは神崎だけ……。抱きしめてくれるのも神崎だけ、なんだもの」
ぎょっとした顔で見かえす覇雄を、逢坂は
「きゃはは、ばーか」
と笑い飛ばしてばしばし叩いた。逢坂初音。この少女もたいがいである……。
結局帰り道、今ひとつ優れない顔で歩いている覇雄だった。稔は横を歩いている。
「ボクのためにありがとう」
「…………葉山」
「神崎くん?」
「いいんだよ。俺自身、腹いせのつもりでやったかもしれないし」
「ううん、すごく助かったから」
ふたたび沈黙したまま、とぼとぼと歩くふたり。ようやく逢坂の邪魔が入らなくなったというのに、うまくことばが出てこない。
今日こそ自宅に帰る話をしようか。それとも、どうやって男にもどるか、とか。
ううん、覇雄に言わなければいけないことばはべつにあるのだ。勇気を出して稔は言った。
「えっとね、神崎くんね。みんなはああ言うけど、ボクは神崎くんみたいなかっこいい女の子も……、好きだから」
とつぜん、どうしてそんなことを言いたくなったか分からない。自分よりも社交性のある覇雄あいてに、偉そうなことを言うつもりはない。
ただ男として、落ちこんだ顔をしている少女は励まさなきゃだめだよなって、思っただけ。
ふり返った覇雄の顔は夕陽に照らされて、ちょっと赤く見えた。
「葉山ってさ……。……忘れっぽいのか? 俺は、男だ!!」
「痛い痛い、つねるのやめてー」
ふにふにの稔のほっぺたが、ふにふにとつねられた。
結局ふたりはふにふにしていただけで、女性化の秘密、もとに戻る手がかりについては、なにひとつ進展がないのであった。
episode 3 へつづく
主人公の三人がかわいいと思った方、俺ならもっとかわいくかけるぜ! と思った方、リレー小説の参加をお待ちしております。
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